寝られないのかい? そんなにあそこの連中が気になる? 怯えなくても皆仲間……ってなんだい笑っているのか。確かに妖怪が寺に集うのは、奇妙なコトかもしれないね。おまけに皆が今話しているのは怪談さ。夏だしね……涼しい気分になれるから流行ってるんだよ。
え。参加すれば良いって? 私はいいよ。
ん、でも……そうだな。久々の外からの客人だし、あなたは『彼』に似ている気がするから……怪談話とは違うけれど、短い昔語りに付き合ってもらおうか。
ま、一献。……この般若湯は中々美味いんだよ。
×××××
これは、外の世界にいた頃の話。
私は上司からとある仕事を任された。
アメリカ合衆国という国の、オハイオ州だったかメイン州だったか。仕事の内容はその地域で一番大きな街にいる“最高のネズミ”をお迎えにあがることだった。もう先方に話は通っているとのこと。当時の私の力をもってすれば、どんなに最高だろうが超絶だろうが、たかだかネズミ一匹を連れ出す事は、容易だった。就任当初は、なんてつまらない仕事押し付けられたんだろって思ったものだよ。
私は私以外のネズミに、あまり興味なかったしね。
でも仕事は仕事さ。
その地に降り立つと、私は早く仕事を終えるべく早速調査を開始した。
大きな建物が乱立する区画もあれば、工場の間にバラック小屋が所せましと立ち並ぶ区画もある。……街は発展途上の真っ最中という感じがした。鼻先を宙に向けるとSoxやNoxが感知されて、刺激でくしゃみが止まらなくなった。水道水もサビっぽくて酸っぱくて、飲めたものじゃなかったね。時折銃声が聞こえたけれど……まぁ、それも納得するような土地柄だった。
ん? なんで笑ってるのかって?……どんな汚い街でもさ、脳裏に浮かぶ映像は不思議と綺麗なんだもの。言葉と思い出の差異に、なんだか可笑しくなってしまったンだよ。
とまれ、続きを話そうか。
ダウジングで彼を探しながら、建物から建物へと飛び回る事数日。そうだなぁ、街で一番高いビルの上でチーズを齧った時は中々気分が良かったよ。不真面目だって? ふふっ、ちゃんと探してたさ。大きな図書館にも行って雑誌や新聞のバックナンバーまで漁って。そうそう……其処で天使に挨拶なんかしたりして……ふざけてなんかいないよ、本当だ。……本当に天使をっと、訂正しよう。あれは天使ではなく死神だったのかもしれない。
うん? なんだかそんな気がしただけさ。
あっちこっちで情報を集める内、問題の彼は大きな建物の中に囲われている事が分かった。私は仕方なくハツカネズミの姿になると(でないと、建物に入れなそうだったからね)、広大な迷路となっている配管の中を進んでいった。勘がだけが頼りさ。ネズミの姿ではダウジングの棒が持てないから仕方が無かったね。
電気の流れるコードの上を越えて、ダストシュートを二階分の高さから落下して、気が付いたら傷だらけ。 壁の中から出た後も、リノリウムの廊下をどこまでも進み、幾つも部屋をのぞいて、正しい道を探すのは結構時間がかかった。
ある部屋の前でひげがピンと震えた。
中にはまだ人間が沢山いるようだけれど、きっとアタリ。彼がその空間の中に存在しているという、確信が電気信号となって脳を廻った。
人間のカバンにつかまって、息を殺し自動ドアを抜ける。誰も居ない机の傍を通りかかったタイミングで其方に移り、机から机へ駆け抜けた。部屋の中心に大きな水槽があり、幸か不幸か皆熱心にそれを見つめている。 私は見つかることなく大きな戸棚と壁の隙間に入り込むことが出来た。
『彼は侵入に気付いただろうか?』
ネズミの姿では部屋を見渡す事が出来ない。ほっとして毛繕いしながら、考えた。そして何を馬鹿な事をと思わず苦笑する。相手は妖怪ネズミではないのだ。せいぜい言葉を解すのが関の山だろう。外から同種が紛れ込んだって、きっと気にも留めないに違いない。
部屋の電気が消されたのは凡そ三時間後のこと。ヒトの足音が遠のいていくのを確認してから、ひげを扱き、私は深呼吸した。
……そして。
『……ミスタ・アルジャーノン、いらっしゃいますか』
そっと呼びかける。
勿論ネズミの声で。
耳を澄ましたけれど、返事は無かった。
『ミスタ。お迎えにあがりました!』
やはり返事は無い。
けれど予想外の場所で音がして、心臓が止まるほど驚いた。
何せ音がしたのは私の真上。戸棚の上から視線を感じて、全身の毛が逆立つのを感じた。私ともあろうものが、接近に全く気が付かなかったのだ。……なんとか低い声で誰何すると、戸棚の隙間を音も無く白い塊が降りてきた。
『自分の名も名乗らず呼びつけておいて「誰だ」とは、少々無粋ですね』
美しい毛並。そして何より印象的なのは、キラキラと輝く赤い瞳。知性の火が眼底で燃える様に、しばし見惚れてしまった。彼は、そこらの薄ぼんやりしたネズミとは全然違った。
『いかにも私はアルジャーノンですが、あなたは……?』
『ッ、失礼しました。お初にお目にかかります。ナズーリンと申すものです』
『ふむ』
『ミスタ……』
『アルジャーノンと呼んで下さい。私にセカンドネームは無いから。ねぇ、ミズ・ナズーリン?』
『ナズーリンで結構です』
彼は小首を傾げて、私をじっと見つめていた。
私は彼の視線に裸にされたみたいな気分になって、思わず目を逸らしてしまう。トットッと心臓が走っていて、彼に聞こえるんじゃないかと胸を押さえた。私よりも少し大きな身体をしている彼はふるふると身体を揺すっていた。笑っているようだった。
『……ご用件は?』
『あなたを、我が主の下へお連れする事です』
『ああ、ではあなたが御遣いなのですね』
私は、彼がクリスチャンかどうかふと考えたけれど、その答えが出る前にあっさりと彼は首を縦に振った。
『……承諾ありがとうございます』
『ただ、私には仕事がある。待っていて頂けますか? それが終わったら喜んで行きましょう』
宝石のような目がすぅっと細められたのを見て、私の心臓は一際大きく跳ねた。尻尾の先まであったかい血が流れてさ、すごく心地良かったよ。
×××××
退屈な仕事を押し付けられたと思ったけれど、どうもそれは間違いだったようだ。
何故ってアルジャーノンはもっと退屈な動作を、来る日も来る日も繰り返していたのだから。私は、彼が望んだ知識の欠片(例えば新聞や雑誌の切れ端なんか)を集めては……彼の秘密基地で待っていた。そして彼の仕事が早く終わりますようにと願ったものだよ。
秘密基地はね、私が隠れていた例の戸棚の上にあったんだ。小さなクッションと、どこでくすねてきたのか僅かばかりのアルコール。彼の為の探し物が終わると、居心地良くしつらえられたその場所から、大きな水槽をずっと眺めていたものさ。
正直に言おう。
私は彼を連れて帰るのが、楽しみになってきていた。仕事を終えた彼が水槽を抜け出してやって来るのが見えると、すごくドキドキした。物腰の柔らかな口調も好感が持てたし、妖怪で無いなんて信じられなかったよ。
恋?
さあ、どうだろう。
触れたいとは……思わなかったと言えば嘘になるかな。触れなかったのかって? うん、触ったよ。でも彼の毛並を直接触る事が出来たのは、ずーっと後になってからだった。
だから、あの会話をした時にもう少し考えていれば良かったなって思わないではないんだ。そうすればもっと早くに、あの白い身体に鼻先を埋めることが出来たかもしれないね。おや、照れてるのかい? あなたは随分可愛いところがあるんだね。
……さて問題の会話はこういうものだった。
『ねえ、ナズーリン』
『なんだい』
『僕が行くところは、素敵なところですか?』
ねぇ、ヘンだろ? これから行く場所も、私の主の事も訊かなかったこの御仁が「素敵なところですか?」なんて言うんだから。詳細を既に知っているのかと思ったんだけど、違うみたいだった。
その時の私も妙な事を訊くなって、思ったんだ。
『? 素敵な所だよ。不安かい?』
『いいえ、不安ではないけれど、ただ……ああ、花はあるかな』
『花? 見たいのかい? そんなもの沢山あるさ』
『良かった』
そういうと、彼は私の持ってきた新聞の切り抜きを読み始めてしまった。背中が少しくたびれて、毛艶が褪せているように見えたけれど、実験で疲れてしまったんだろうと思う事にした。
……アルジャーノンは、さ。毎日毎日、水槽の中で複雑な迷路を解かされていたのさ。
ねぇ、知性のあるものならそれがどんな苦行か分かるだろう? 同じ時間に、世界が巻き戻されるんだ。ゴールまで到達しても、日が昇れば再び迷路のスタート地点。仲間は意味の通った事を喋れず、おまけに周期的に麻酔をかけられて身体を調べられる。どんなに孤独で辛い生だったことか。私は外の世界の話を色々聴かせたけれど、そういえば、花について語った時、彼はすごく嬉しそうな顔をしていた気がするよ。
なんでかなぁ。なんでだろうね?
『……花、か』
『どうしました。ナズーリン』
『今度は本物の花を、ここに持ってくるよ。あなたにプレゼントしよう』
だからせめて、私は彼の為に彼の小さな喜びになれれば良いと思った。
×××××
“花束を買おう”
思い立って、建物中の机や椅子の後ろに落ちたお金を拾い集めた。それらを少しずつ、建物の外の茂みに運び、ある程度集まったところで人間の姿になって、久々に街に出てみたんだけどさ。
雨上がりだったのか、空がとても澄んでいて青く深く目に映ってね。
薄汚れた街だと思っていたけれど、感動してしまったよ。うん? やっぱりアルジャーノンの事好きだろうって? そうだね、好き……だったのかなぁ。
当時好きかどうかは自覚していなかったかもしれないけどね。
……彼の状況を理解はしていたよ。
彼が、……実験動物だったってコト。妖怪ではなく、ただのネズミでもなく、実験により知識を得てしまった異形な存在だったって事も。私の主は自分の眷属にする事で彼を救おうとしたんだろう。今となってはそれも確証がないけれど。
私に二つ返事で了承したのは、この日常から脱出したかったからだろう。賢い彼は、チャンスが来たのだとすぐに理解した筈だ。
何故すぐに連れ出さなかったのかって?
早く実験が終わらないと、彼の身体は持たないんじゃないか、なんて、そんな事は分かっていたんだよ。確かに任務を考えれば、彼の考えなど無視して連れて帰ってしまえば良かったんだけどね、出来なかった。
彼は、アルジャーノンは、知識を得た事に絶望などしていなかったから。
知識を与えてくれた実験に最後まで付き合おうと、考えていたから。
だからね、私は花束を買うべく街へ出たんだ。
なるべく沢山の種類の花を、香りを、彼にプレゼントするために。
街中の花屋をのぞいたけれど、とても買える値段ではなかった。買える花を探すうちにビルの間を抜けて、有刺鉄線で囲まれたスラム街に着いてしまった。色々なガラクタも売っていたから、興味深かったけれど、胸の内では警鐘が鳴っていた。
普段ならすぐにそんなところから立ち去っただろう。……でも私は花を探したかった。
目的のものは、半壊した家が並ぶ通りで売っていた。新聞紙に包まれた色とりどりの商品は、ブリキのバケツに突っこまれて風に揺れていた。空の青と花の色でその一体だけ奇妙に色に恵まれて何だか胸がざわついたけれど、ここで購入する事にした。……他に宛ても無かったしね。
集めた小銭を全て渡して、なるべく新鮮そうなものを要求したのだけれど。
『お花屋さん、これ、良いかい?』
『……く……れ』
花売りは全く意味不明な言葉を並べるだけ。
『くす……く』
『? その花が欲しいんだけど』
『…………』
その内に、反応も示さなくなってしまったので私は仕方なしにバケツから束をつまんだ。お金は払ったんだもの、良いよね? でもその刹那。
――――ゥン!!
何が起きたのか分からなかった。
大きな音がしたと思ったら、火箸でも突っこまれた様な痛みと共に世界が反転した。真っ青な空が見えて、それがぼわっと膨張して、次に視界が真っ白になった。そして再び脇腹に燃えるような痛み。
『ぅああッ!』
意識が一旦遠のいたけれど、痛みですぐに覚醒する。
至近距離で、どうやら撃たれたらしい。花を取られた事に怒ったのか、花売りの手に握られた銃。
『ああ……ッ!』
必死でそれを振り払って無我夢中でスラム街を逃げた。
大丈夫だったのかって?
痛かったけど……私は、ただのネズミじゃないからね。
×××××
身体の動きは痛みでかなり制限されてしまっていた。
その為、すごく時間はかかったけど、なんとか彼のいる建物へと近づく事が出来た。
侵入を試みようとして、初めて片手に花束。片手に銃が握られている事に気が付いた。銃は荷物になるので捨てようとしたのだけれど、なんとなく思い直して、持っている事に決めた。
血が流れ過ぎた所為か、手や足が冷たくなって痛かった。夕陽のあたる壁を見ながら、意識がどんどん遠のいていくのが分かったので、私はお金を隠すのに使った茂みで身体を休めることにした。
夜中までかかったさ。
血が止まるのを待ってから、侵入した。小柄とはいえ人間の形態で花束を運んだので、かなりの苦労を要した。
それでも。
なんとか……彼のいる部屋に着く事が出来た。
『アルジャーノン、遅くなったね』
人間の姿のまま呼びかける。彼なら言葉を解すだろう。彼なら私だと分かるだろう。私達は、身体の内に知性を宿したネズミ同士なのだから。
『アルジャーノン、私だ。ナズーリンだ。花束を持ってきたよ』
『チュ……キ・キ……』
『アルジャーノン?』
彼は、水槽にいた。
彼の身体は一回り小さくなってしまったようだった。
それに、なんだか……老いて、いた。実験が彼を急激に老化させてしまっていたのだろう。外に出て久々に見た為か、彼の衰えをはっきりと実感する事が出来た。……あの美しかった白い毛が、綿のようになって地肌が見えてしまっていた。
『ナズーリン、僕は……キュッ』
『……』
『チ・チュ・チ……血の臭い……大丈夫なのかい?』
『~ッ』
私は、水槽に花を入れた。彼はヒゲを動かして反応した。
『花……、ああ、これが花』
『……アルッ』
『ナズーリン、チュ……仕事は終わった。……僕を連れて行って』
『――――』
ねえ、先刻……天使の話をしたろう。ひょっとしたら死神だったのかもしれないって言った、天使の話さ。「ベルリン天使の詩」って古い映画に引っ掛けて言った冗談のつもりだったんだけど。……図書館で、私は本当に天使(死神)に会っていたのかもしれない……そして憑かれていたのかも。
ねえ、彼は。
アルジャーノンは、最初から私のコトを死神だと思っていたのかもしれないなって思うんだ。
私は、花束を水槽におろし、彼の身体をその上に横たえ……。
そうして銃を構えた。
当たれば、彼の小さな身体は木端微塵に吹き飛ぶだろう。
きっと一撃で楽になる。
手が震えたのは、傷の所為だったのか。
涙が出たのは、同族を殺す恐ろしさの為だったのか。
にじんだ世界の中で水槽の花束の色が広がった。
×××××
お話はこれでおしまい。
え? 撃ったのかって? どうだろうね。私は毘沙門天の眷属だ。殺生は……ね? 銃を構えたまま私は、体中の水分が出尽くすんじゃないかって程泣いた。終いには呆れた彼に慰められる始末だったさ。
彼のその後?
そうだね、私は彼を連れ帰らなかったし、それでお咎めを受ける事も無かった。彼は……ネズミとしての生を全うしたよ。彼の言う「素敵な所」には連れて行けなかったから、その代りに私は密かに寄り添って、彼の最期を見守った。いよいよ心臓が止まるその前日に、漸く彼に触れることが出来た。
……そうさ、いい加減認めるよ。私は彼に恋をした。
最高で超絶に奥手の私は、彼の最期間際に漸く触れることが出来たんだ。
今はね、当時の主の計らいだったのかなと思わないではないね。私は私以外のネズミにあんまり興味なかったから。
……ふぁ、眠くなってきたね。そろそろ行燈の灯を消そう。
……ねえ、あなた。この幻想郷にきてね、ひょっとしたら……と思うんだ。
彼はネズミとして死んでしまったけどさ。
ほら、ここの連中……中には死人も混じってるだろ?
ひょっとしたら、ひょっとしないかなって。
その可能性はないだろうかって。
――なんて、戯言だね。
それじゃ。
おやすみなさい、お客人。
物悲しい話ですけど、なんだかとても似合ってる感じがしました。
淡々とした、だけど深い味わいのあるお話でした
優しいようだけどやはりエゴでもありますよね
それをしなかったからナズは優しいんだなぁと