「さぁっとりぃっさっまぁぁぁ~~~~~っっっ!!」
やたらに元気で嬉しそうな声が響く。ここは地の底地霊殿。その主であり今、名を呼ばれた
『古明地さとり』は顔を上げた。執務室の扉が勢いよくばぁんと開かれれば、ペットである火車
『火焔猫燐』が普段あまり見せないキラキラとした表情で転がり込んでくる。さとりの第三の目
にも喜悦の感情がぼろぼろと流れ込んできた。
「あぁ、どうしたのですかお燐」
あまりのはしゃぎっぷりにそう問うてみる。いくら心が読めるといっても、強烈で断片的な思考
から全てを知ることは難しいのである。
「さとりっ様っ!! いやぁ、久しぶりに地上でいいものを見つけましてね! それでつい!」
猫化した時よろしくさとりの足にじゃれつきつつ、瞳にハートマークなんぞを宿しそうなほど
喜色満面のお燐。その頭を優しく撫でながら思考を読む。もっともお燐が喜ぶいいものと
いえば相場は決まっているし、事実その通りであった。
「死体ですか」
「はい!!」
今更言うのも多少は憚られるが、お燐は火車。死体を掻っ攫う悪行妖怪。だからこそ忌まわしき
もの集う地底でさとりを主と仰いで暮らしているのだ。そして悪霊たちの管理をしながら日々を
のんびりすごしているのだが、妖怪としての性はどうやっても消えぬもの。退治される危険を冒して
でも死体漁りはやめられないのである。むろんさとりも咎めるつもりはない。
しかし長年火車として生を繋げたお燐がここまで狂喜する死体とはどのようなものであろうかと、
さとりですら興味津々である。いいかげん地霊殿管理のうっとおしい書類仕事に飽き飽きしていた
ところだった。
「ふむ……お燐、もしよければその死体を見せてもらえませんか。あなたがそんなに喜ぶなんて、
どれだけのものやら」
「いいですよさとり様! 見たらびっくりしますよ。地霊殿の玄関に猫車に載せてますから一緒に
見に行きましょう!!」
「ほう、これはこれは」
さとりの覗き込む先、猫車の中には確かに少女の骸が寝かされていた。赤い上着に黒いスリット
入りのスカートは、どこか満州風の装飾がされてあり、艶やかさは幾分失われている黒髪の上に
ちょこんと乗っているのも中華帽のようである。額に張られた札がなにやらみょうちきりんさを
引き立ててはいるが、透き通るような白い肌を持つその骸はお燐の喜びが頷けるほどに美しく
可愛らしいものであった。
更に付け加えるなら、娘の死体にはどこか不思議な雰囲気が漂っている。明らかに死んでから
幾許かの時間が経っているのだが、同時に今しがた亡くなったばかり、すぐにでも動き出しそう
でもある。成る程、これは実に興味深い死体だとさとりが大仰に頷いた。
「凄いでしょうさとり様!! まさかこんな死体に出会えるとは夢にも思いませんでした!」
「ふむ。どこかの葬儀会場から……攫ってきたわけではないみたいですね」
さとりの言葉を受けて、お燐の心中に否定の言葉。心象風景は墓場を映し出している。と、すると
わざわざ掘り返してきたのか。
「はぁ。それが驚くことにですね、今しがた自分で墓から出たみたいに横たわってましてね。いやぁ、
普段の行いの良さのおかげですかねー」
けらけらと笑うお燐は、自身の台詞の悪趣味さによってだ。しかし主もそれを咎めるでもなく
くすくすと笑っている。彼女もまた人間の良識とはかけ離れた妖怪だからだ。
「ふふふ。まぁしかしこんな死体もめったにないですね。さて、どうしましょうお燐。このままお空の
元に運んで燃してしまうつもりはないのでしょう?」
「当然です! さとり様がよければ地霊殿のエントランスにでも飾ろうかな、と思ってるんですが」
「たらふく食べられるならどこでもいいぞー」
「はぁ。死体に何を食べさせるというのですか、お燐」
「へ? 私は何も言っても思ってもいませんよ?」
「え? だってあなた今たらふく食べられるならどうだのこうだの」
「おー。確かに言った。言ったのか? 私」
その言葉に顔を見合わせる主従。ふたりの口は閉じられていた。錆付いたぜんまい仕掛け人形
よろしく、ぎぎ、ぎ、と猫車の中に視線を移す。
「見つめあうと素直にお喋りできないのだぞ」
「「うわァァァァアアアア!! しゃべったァァァァアアアア!?」」
ぱちくりと夜闇のように黒い眼を見開き、死体が喋った。驚愕して思わず叫びお互いの身体を
かき抱く地霊殿の主従。それをよそにとばかり、あろうことか死体娘は腕をピーンと前に差し出す
とともに、ぴょん、とバネ仕掛けの玩具の如く猫車から飛び出した!
「どっこいせー」
「「うわァァァァアアアア!! またしゃべったァァァァアアアア!! &動いたァァァァアアアア!?」」
「うむー。喋るぞ。動くぞ。どうだすごいだろう。コレでお値段据え置き……すえおき?」
腕を前に突き出したまま、死体娘が意気揚々。果たして本当に死体なのであろうか。
「わわわわわわ、うごうごうごうご、したしたしたした」
「ああああああ、あなあなあなあな、なんなんなんなん」
「う? お? よくわからん。日本語でおーけー」
わななく主従の唇はなかなか日本語を紡がない。死体娘は小首を傾げたまま、あるいは首が
座ってないだけかもしれないが、ともあれ待つだけの優しさはあるようだ。それに甘えたさとり、
どうにかこうにか落ち着いたのか声を投げかける。
「あ、あなたは何者なんですか」
「お? 私か、私は……」
沈黙。
「あ、あの」
「おい」
耐え切れぬさとりに、返す言葉は刃の冷気。何かやらかしたのかとたじろげば、更なる追撃。
「自己紹介をする時はーぁー、そちらからするのが礼儀ーだぁーろぉーうぅー」
やたらと大仰に芝居がかった声に、さとりとお燐が固まる。そしてまた、沈黙。
「え、そ、それだけ?」
「うん」
死体娘からは今にも地霊殿を爆砕しそうなほどの暗黒オーラが漂っていたのに、理由があまり
にも些細に過ぎ呆気に取られる。ともあれ死体の考えることはよく分からん、と思い直し地霊殿の
主として相応しい威厳を取り戻して自己紹介を始める。今更もう遅い感はあるというの本人には
内緒だ。
「では。私は古明地さとり。ここ旧地獄の管理を一手に引き受けている地霊殿の主です。この子は
火焔猫燐。本人はその名で呼ばれるのをあまり好いてはいませんからね、お燐、と呼んであげて
ください。私のペットの火車。まぁ……つまり、若干の手違いですが、あなたをここに連れてきた
のはこの子というわけです」
ぺこり、と一礼をしてさとりが死体娘の光のない目を見る。次はそちらだ、という合図だ。しかし
死体娘はぼさっと突っ立っているだけ。怪訝に思い声をかけようとして、ようやく何か合点でも
いったかのように口を動いた。
「おー。うー。あー。よくわからんけど分かったぞ。よしよし。えーと、お前がサトシでそっちが燐カチュウだな」
「いけおりん! かえんぐるまだ! ってなんでですか!! 私はバケモンマスター……みたいなもの
かもしれませんがちょっとだけ違います!! お、お燐もなんか言ってやってください!」
「りかちゅー」
「ノるな!」
あまりの展開にお燐が口をオメガの小文字、つまりωみたいな感じにして頬を赤くし、あまつさえ
普段狩っている獣の真似をし始めた。ξ(○・ω・) <リカチュー
「さとり! 私はさとりです!!」
「サポシ?」
「さとり!」
「那覇市?」
「さとり!」
「パンケーキ?」
「さ、さとりですってばどんどん違う方向に!」
どうやら脳まで腐っているのか名前が認識されない。頭が痛くなってきたさとり、対処を決める。
「はぁまぁもう私がさとりでもちゆりでもパパスでもポメガでも、もはや何でもいいです」
諦めた。
「こちらは斯くの如く自己紹介は致しましたよ、と。では、そちらの番です」
「うむわかったぞ、さとりとやら」
「わかってんじゃん!! いや分かってくれたほうが都合がいいんですけどあぁもうなんか調子狂う!」
「お、おー? 何を怒ったのだ? うむ、わからん。牛乳飲んだらイライラしない、らしいぞー」
「飲んでますよ毎日飲んでますよ背とかいろいろ伸びるんじゃないかって期待して毎日飲んでますよ
そして悉くその期待を裏切られ続けてはや数百年ですよ! ああああぁ、もうなんでそんな能天気に
ひとのトラウマほじくりかえしてくるんですかこのやろう!!」
「さ、さとり様落ち着いてください! 死体のペースにまともに付き合っちゃダメですってば」
珍しく怒気をあらわにして今にもへなちょこパンチを放ちそうなところを羽交い絞めで留める
リカチュウもといお燐。愛するペットになだめられてようやく本気でいろいろ諦めたさとり。目の前の
死体娘は何が起きたのか分からずに、あるいは何も考えてないからか硬直姿勢のままだ。
「で、あんたは何者なのさ?!」
脱力した主の代わりにお燐が聞く。
「うー? うむ。何者か、と尋ねたな。ならば教えてやろう。私は、私は――」
重大な秘密が明かされる、そんな気配を周囲に拡散しつつ、死体娘が大仰に口を開く。
「私は――。……誰だっけ?」
「はぁ、そんなオチだとは思いましたけど」
お燐にかき抱かれぐったりとしたさとりがぐったりした声で言う。
「さとり様。あいつキョンシーですよ」
「ほう?」
「大陸の動く死体ですね。間違いないです」
死体のオーソリティである火車ゆえに、そちら方面の知識は主よりもはるかに豊富だ。正体が
わかったというに、しかしお燐は怪訝な表情である。
「しかし普通は自分で動き出すことはないと思うんですがね……。大体導師とかそういう連中に
引き連れられてるものなんですが。あの、さとり様」
「はい」
「あいつの心読めないんですか?」
ここでお燐が気づく。普段なら何より早く相手の思考をいらんところまで読み取り、いらんこと
3割り増しで相手に言葉で突っ返す。相手の心を思うがままに読み取れるからでこその覚り妖怪
であり、古明地さとりという存在を存在たらしめているのだが、今は余裕なくキョンシー娘に翻弄
されるままである。疲れきった顔が上を向いた。
「さっきのあなたが言ってたように、死体、ってのは通常の思考形態と違うんですよ。暗闇の中に
断片的な思考が脈絡なく浮き出ては消え、消えては浮き出するのです。読むもへったくれもないん
ですよ。そしてあなたの言葉で合点がいきました。なるほど、キョンシーというのは誰かに操られて
いるものなのですね」
「普通はそうですが、何か?」
「えぇ。己の意思に他人の命令が覆い被さっている存在、例えば八雲の式なんぞがそうですが、
そういったものの思考を読もうとすると、落丁を起こした小説のように、あるいは音飛びした
レコードを聞くように、要領の得ないものとなるのです」
なんという衝撃の事実! ふむ、とお燐がひとつ息を吐く。
「意外とさとり様も使えませんね」
ストレートな言葉がドグッサァとサードアイに突き立ち、ぐったりさとりがへんにゃりさとりと
グレードダウンする。それをよそにようやくキョンシー娘が我が意を得た、そんな風合いの顔を
した。
「おお。そうとも、我は我こと宮古芳香はキョンシーなるぞ。つまりゾンビか? ゾンビでーす。
おお凄いなよくわかったなほめてやろう」
「はぁ」
「この墓地に入るものは誰であれ追い返すのが我々の使命なのだー。さぁ、わかったらさっさと
立ち去れー」
「ここ墓場じゃないよ」
「お。……ぅ? うぉー?」
お燐の当然のツッコミに再度硬直。
「あれは命令に従って喋ってるに過ぎません。で、墓場の守備という命令においてここが墓場で
ないと認識した。そのせいで思考が混乱したのですね。お燐、少しは見直しましたか」
「はぁ」
へんにゃりした主がなんか言ったので適当に相槌を打つお燐。その適当さにまた精神的ダメージ
を受けつつ、なんとか威厳を回復しようと自立し、芳香の方へと向かう。
「で、誰があなたに命を下したのですか」
「う、お、おう。えっと……。おー……誰……だっけ?」
「……ふむ。この様子では誰が蘇らせたか聞きだすのも一苦労ですね」
あいもかわらず芳香は何も考えてなさそうな、事実何も考えてない弛緩した笑顔をさとりに
向けている。頭の具合はともあれその白い肌と可愛らしい相貌はさとりの庇護欲やら支配欲
やらをかきたてる。
「この子、こっそりここで飼ってみましょうか。主とやらが現れたら知らないフリして返せばいいだけ
の話です」
「え」
ろくでもない企みに薄暗く微笑むさとり。困った顔のお燐を放っておいて、腕を前に差し出す。
「お手」
ひどいことをやり始めたところに、お燐の思考が流れ込む。『犬じゃないですよ』。ほぼ同時に
『あ、待ってくださいそれはマズイ』とも。感知したさとりがお燐の方を向く。
「なにがまずいんですか」
ぱくっ。
「そうだぞわりと美味しいぞ」
「ほら……。え?」
差し出された手をもぐもぐする芳香。
「……ッ、痛――――――――――ッ!?」
「さとり様!? こ、こいつぅー!!」
即座に駆け寄り放たれる火焔猫式高空ドロップキック。一度猫車を踏み台にするのが技としての
オリジナリティである。揃えられた靴底は見事に芳香の横っ面に叩き込まれ、あえなくご馳走から
口を離し吹っ飛びダウンする。
「大丈夫ですかさとり様!?」
「あわ、あわ、あわわわ。お、お燐。手、手が。右手が」
「落ち着いてくださいさとり様それはもとからです!!」
「あなたが何をか言わんとしたのは重々承知していますがそれについて問責するのはやめておきます。
そ、そんなことよりですね」
「あ、あちゃー」
差し出す掌にはばっちりくっきり歯型が刻まれ、哀れ血が滲み始めていた。
「わ、私死ぬんでしょうか」
「いや、いくらさとり様とはいえ一応腐っても妖怪の端くれなんですしきっと恐らくその程度で死ぬこと
はギリギリないんでしょうけど」
「なんだかお燐の言葉の端々から愛を感じないのですが、それはともあれ何かまずい事があるのですね」
「え、はい。それは……」
お燐の言葉に耳を傾けていたさとりの体が急に硬直する。
「お、おぉ、おり……ん……!?」
「あぁー。はじまっちまいましたね。キョンシーに食われちまった者もキョンシーになっちまうんですよ」
「あ、あ、お」
もはや返事もままならない主に心の声を送るお燐。
『まぁ、ひと齧りされただけですし、すぐ回復できると思いますよ。たぶん』
若干投げやりな声は届いてはいるのだろうが、最早言葉を返すこともできない。表情は消え去り、
すっ、と両手を前に差し出すその姿はまさに芳香と同じもの。その加害者は倒れた状態から糸で
引っ張り挙げられたかのように硬直したままの身体を起き上がらせる。不自然に両足を揃えたまま
跳ねて近づき、さとりを従える。
「おぉ、どうやらお前も我々の仲間になったかー。実に喜ばしいぞ。はっはー」
どうやら大いに喜んでいるらしく、そのままぴょこたんぴょこたん跳ね回る。操られているらしく、
さとりも同様にぴょこたんぴょこたん。並んでぴょこたん楽しくぴょこたん、ぴょこたんぴょこたん
日が暮れる。それを見ながらお燐は一つあくびをして、うずくまって寝息を立て始めた。諦めた
のである。
「お、おりん」
死にそうな声が上から降ってきて、瞼をあげる。案の定過労死しそうな主の姿がそこにあった。
「お疲れ様ですさとり様。一時間くらいぴょこたんですか」
「……じゅ、じゅ」
「え、十時間!? あたいそんなに寝たつもりは……」
「じゅうごふん」
「……さとり様はもっと身体を鍛えるべきだと思います」
そう言いつつ自身は軽く首跳ね起きなどかまして運動能力の差を見せ付けつつ向き合う。すでに
操られてはいないのに両腕を前に突き出したままなのは筋肉が硬直しているせいである。運動不足
が甚だし過ぎた。ちなみにその原因はと言えば、哀れな犠牲者が脱落しているにもかかわらず何にも
考えてなさそうな顔でぴょこたんぴょこたん円を描いていた。
「で、どうします、アレ?」
すでにアレ扱いの動く死体を指差すお燐。間髪入れずさとりは言う。
「もとあった場所に捨ててきなさい」
「え、いいんですか?」
「ことあるごとに齧られて、こんなはめになるようなペットならいりません。アレの主にバレる前に、
とっとと返してきなさい」
「……はぁーい」
多少は惜しい気持ちもあるお燐だが、そう言われては仕方ない。若干ふてくされた様子で猫車を
転がし、ぴょこたん軌道上で待ち構える。やがてやって来た芳香に素晴らしい切れ味の足払いを
かまし、宙に浮いた身体を引っ掴み猫車内にダンクシュート! 驚くべき身のこなし、その膂力で
ある。犠牲者は何をされたかわからず硬直したまま目をぱちくり。その様になおさら惜しいと思い
つつ、お燐は地を蹴り一直線に高く地上へ。
「え。あ。お燐。しまった。まず私をベッドに、ってあ痛ァ―――――っ!? 攣った攣った腕が攣りま、
し、足もなんか攣ってきましたァ―――――ッッッ!? たたた、たす、助け、ひぎゃ―――――」
悲壮な主の声は、もう、届かない。
「はぁ、あんたを捨てるのは、流石に惜しいねぇ」
「そうかー。私もなんだか寂しい気がしてきたぞ」
「はいはい」
恐らくは適当なことを喋っている芳香に同じく適当極まる返事。命蓮寺裏墓地上空、芳香を発見
したその場所である。いまだ後ろ髪を引かれる思いはあれど、これも定めとお燐は嘆息する。
「じゃぁまぁ、あんたの主とやらによろしく……しないでもいいや」
「主にか。うむ……誰だっけ」
「……そっちの主殿は大変そうだね。ま、あんたが使命とやらを終えたらあたいが掻っ攫ってやっても
いいんだけどねぇ」
「そうか。よきにはからえ?」
「はいはい。じゃあその日まで、あんたもよきにはからってな」
「お。おー? お―――――」
頭の痛くなりそうな会話を、猫車をひっくり返す事で終了させる。もちろん芳香はまっ逆さまで
ある。一度だけそちらをちらりと見て、お燐は空中で踵を返した。こうして奇遇な邂逅は、幕を
閉じたのである。
一方その頃。
「やったー! 私すごーい! びくとりー! あーんど、のっとはんぐりー!!」
『多々良小傘』は大喜びである。流れ流れて墓地に辿り着き、すきっ腹抱えてうらめしやぁ。
ところがこれが大当たりで、来る人間来る人間皆大驚きで小傘は大満腹。最早我が辞書に空腹の
二文字はないと我が世の春ここに来たれり、とこんな感じである。さて今日もまた哀れな人間は居や
しないかと不埒にも墓石に腰掛け人待ち顔。もちろん、彼女は気付いていない。
今後何度も辛酸を味わされ、辞書にもう一度空腹の二文字を叩き込んできた憎き安寧の簒奪者、
中華風の少女の姿を取った悪意の塊、不倒不死のキョンシー宮古芳香の頭が、小傘の頭てっぺん
めがけて鉄槌の如く落ちてくることには。
やたらに元気で嬉しそうな声が響く。ここは地の底地霊殿。その主であり今、名を呼ばれた
『古明地さとり』は顔を上げた。執務室の扉が勢いよくばぁんと開かれれば、ペットである火車
『火焔猫燐』が普段あまり見せないキラキラとした表情で転がり込んでくる。さとりの第三の目
にも喜悦の感情がぼろぼろと流れ込んできた。
「あぁ、どうしたのですかお燐」
あまりのはしゃぎっぷりにそう問うてみる。いくら心が読めるといっても、強烈で断片的な思考
から全てを知ることは難しいのである。
「さとりっ様っ!! いやぁ、久しぶりに地上でいいものを見つけましてね! それでつい!」
猫化した時よろしくさとりの足にじゃれつきつつ、瞳にハートマークなんぞを宿しそうなほど
喜色満面のお燐。その頭を優しく撫でながら思考を読む。もっともお燐が喜ぶいいものと
いえば相場は決まっているし、事実その通りであった。
「死体ですか」
「はい!!」
今更言うのも多少は憚られるが、お燐は火車。死体を掻っ攫う悪行妖怪。だからこそ忌まわしき
もの集う地底でさとりを主と仰いで暮らしているのだ。そして悪霊たちの管理をしながら日々を
のんびりすごしているのだが、妖怪としての性はどうやっても消えぬもの。退治される危険を冒して
でも死体漁りはやめられないのである。むろんさとりも咎めるつもりはない。
しかし長年火車として生を繋げたお燐がここまで狂喜する死体とはどのようなものであろうかと、
さとりですら興味津々である。いいかげん地霊殿管理のうっとおしい書類仕事に飽き飽きしていた
ところだった。
「ふむ……お燐、もしよければその死体を見せてもらえませんか。あなたがそんなに喜ぶなんて、
どれだけのものやら」
「いいですよさとり様! 見たらびっくりしますよ。地霊殿の玄関に猫車に載せてますから一緒に
見に行きましょう!!」
「ほう、これはこれは」
さとりの覗き込む先、猫車の中には確かに少女の骸が寝かされていた。赤い上着に黒いスリット
入りのスカートは、どこか満州風の装飾がされてあり、艶やかさは幾分失われている黒髪の上に
ちょこんと乗っているのも中華帽のようである。額に張られた札がなにやらみょうちきりんさを
引き立ててはいるが、透き通るような白い肌を持つその骸はお燐の喜びが頷けるほどに美しく
可愛らしいものであった。
更に付け加えるなら、娘の死体にはどこか不思議な雰囲気が漂っている。明らかに死んでから
幾許かの時間が経っているのだが、同時に今しがた亡くなったばかり、すぐにでも動き出しそう
でもある。成る程、これは実に興味深い死体だとさとりが大仰に頷いた。
「凄いでしょうさとり様!! まさかこんな死体に出会えるとは夢にも思いませんでした!」
「ふむ。どこかの葬儀会場から……攫ってきたわけではないみたいですね」
さとりの言葉を受けて、お燐の心中に否定の言葉。心象風景は墓場を映し出している。と、すると
わざわざ掘り返してきたのか。
「はぁ。それが驚くことにですね、今しがた自分で墓から出たみたいに横たわってましてね。いやぁ、
普段の行いの良さのおかげですかねー」
けらけらと笑うお燐は、自身の台詞の悪趣味さによってだ。しかし主もそれを咎めるでもなく
くすくすと笑っている。彼女もまた人間の良識とはかけ離れた妖怪だからだ。
「ふふふ。まぁしかしこんな死体もめったにないですね。さて、どうしましょうお燐。このままお空の
元に運んで燃してしまうつもりはないのでしょう?」
「当然です! さとり様がよければ地霊殿のエントランスにでも飾ろうかな、と思ってるんですが」
「たらふく食べられるならどこでもいいぞー」
「はぁ。死体に何を食べさせるというのですか、お燐」
「へ? 私は何も言っても思ってもいませんよ?」
「え? だってあなた今たらふく食べられるならどうだのこうだの」
「おー。確かに言った。言ったのか? 私」
その言葉に顔を見合わせる主従。ふたりの口は閉じられていた。錆付いたぜんまい仕掛け人形
よろしく、ぎぎ、ぎ、と猫車の中に視線を移す。
「見つめあうと素直にお喋りできないのだぞ」
「「うわァァァァアアアア!! しゃべったァァァァアアアア!?」」
ぱちくりと夜闇のように黒い眼を見開き、死体が喋った。驚愕して思わず叫びお互いの身体を
かき抱く地霊殿の主従。それをよそにとばかり、あろうことか死体娘は腕をピーンと前に差し出す
とともに、ぴょん、とバネ仕掛けの玩具の如く猫車から飛び出した!
「どっこいせー」
「「うわァァァァアアアア!! またしゃべったァァァァアアアア!! &動いたァァァァアアアア!?」」
「うむー。喋るぞ。動くぞ。どうだすごいだろう。コレでお値段据え置き……すえおき?」
腕を前に突き出したまま、死体娘が意気揚々。果たして本当に死体なのであろうか。
「わわわわわわ、うごうごうごうご、したしたしたした」
「ああああああ、あなあなあなあな、なんなんなんなん」
「う? お? よくわからん。日本語でおーけー」
わななく主従の唇はなかなか日本語を紡がない。死体娘は小首を傾げたまま、あるいは首が
座ってないだけかもしれないが、ともあれ待つだけの優しさはあるようだ。それに甘えたさとり、
どうにかこうにか落ち着いたのか声を投げかける。
「あ、あなたは何者なんですか」
「お? 私か、私は……」
沈黙。
「あ、あの」
「おい」
耐え切れぬさとりに、返す言葉は刃の冷気。何かやらかしたのかとたじろげば、更なる追撃。
「自己紹介をする時はーぁー、そちらからするのが礼儀ーだぁーろぉーうぅー」
やたらと大仰に芝居がかった声に、さとりとお燐が固まる。そしてまた、沈黙。
「え、そ、それだけ?」
「うん」
死体娘からは今にも地霊殿を爆砕しそうなほどの暗黒オーラが漂っていたのに、理由があまり
にも些細に過ぎ呆気に取られる。ともあれ死体の考えることはよく分からん、と思い直し地霊殿の
主として相応しい威厳を取り戻して自己紹介を始める。今更もう遅い感はあるというの本人には
内緒だ。
「では。私は古明地さとり。ここ旧地獄の管理を一手に引き受けている地霊殿の主です。この子は
火焔猫燐。本人はその名で呼ばれるのをあまり好いてはいませんからね、お燐、と呼んであげて
ください。私のペットの火車。まぁ……つまり、若干の手違いですが、あなたをここに連れてきた
のはこの子というわけです」
ぺこり、と一礼をしてさとりが死体娘の光のない目を見る。次はそちらだ、という合図だ。しかし
死体娘はぼさっと突っ立っているだけ。怪訝に思い声をかけようとして、ようやく何か合点でも
いったかのように口を動いた。
「おー。うー。あー。よくわからんけど分かったぞ。よしよし。えーと、お前がサトシでそっちが燐カチュウだな」
「いけおりん! かえんぐるまだ! ってなんでですか!! 私はバケモンマスター……みたいなもの
かもしれませんがちょっとだけ違います!! お、お燐もなんか言ってやってください!」
「りかちゅー」
「ノるな!」
あまりの展開にお燐が口をオメガの小文字、つまりωみたいな感じにして頬を赤くし、あまつさえ
普段狩っている獣の真似をし始めた。ξ(○・ω・) <リカチュー
「さとり! 私はさとりです!!」
「サポシ?」
「さとり!」
「那覇市?」
「さとり!」
「パンケーキ?」
「さ、さとりですってばどんどん違う方向に!」
どうやら脳まで腐っているのか名前が認識されない。頭が痛くなってきたさとり、対処を決める。
「はぁまぁもう私がさとりでもちゆりでもパパスでもポメガでも、もはや何でもいいです」
諦めた。
「こちらは斯くの如く自己紹介は致しましたよ、と。では、そちらの番です」
「うむわかったぞ、さとりとやら」
「わかってんじゃん!! いや分かってくれたほうが都合がいいんですけどあぁもうなんか調子狂う!」
「お、おー? 何を怒ったのだ? うむ、わからん。牛乳飲んだらイライラしない、らしいぞー」
「飲んでますよ毎日飲んでますよ背とかいろいろ伸びるんじゃないかって期待して毎日飲んでますよ
そして悉くその期待を裏切られ続けてはや数百年ですよ! ああああぁ、もうなんでそんな能天気に
ひとのトラウマほじくりかえしてくるんですかこのやろう!!」
「さ、さとり様落ち着いてください! 死体のペースにまともに付き合っちゃダメですってば」
珍しく怒気をあらわにして今にもへなちょこパンチを放ちそうなところを羽交い絞めで留める
リカチュウもといお燐。愛するペットになだめられてようやく本気でいろいろ諦めたさとり。目の前の
死体娘は何が起きたのか分からずに、あるいは何も考えてないからか硬直姿勢のままだ。
「で、あんたは何者なのさ?!」
脱力した主の代わりにお燐が聞く。
「うー? うむ。何者か、と尋ねたな。ならば教えてやろう。私は、私は――」
重大な秘密が明かされる、そんな気配を周囲に拡散しつつ、死体娘が大仰に口を開く。
「私は――。……誰だっけ?」
「はぁ、そんなオチだとは思いましたけど」
お燐にかき抱かれぐったりとしたさとりがぐったりした声で言う。
「さとり様。あいつキョンシーですよ」
「ほう?」
「大陸の動く死体ですね。間違いないです」
死体のオーソリティである火車ゆえに、そちら方面の知識は主よりもはるかに豊富だ。正体が
わかったというに、しかしお燐は怪訝な表情である。
「しかし普通は自分で動き出すことはないと思うんですがね……。大体導師とかそういう連中に
引き連れられてるものなんですが。あの、さとり様」
「はい」
「あいつの心読めないんですか?」
ここでお燐が気づく。普段なら何より早く相手の思考をいらんところまで読み取り、いらんこと
3割り増しで相手に言葉で突っ返す。相手の心を思うがままに読み取れるからでこその覚り妖怪
であり、古明地さとりという存在を存在たらしめているのだが、今は余裕なくキョンシー娘に翻弄
されるままである。疲れきった顔が上を向いた。
「さっきのあなたが言ってたように、死体、ってのは通常の思考形態と違うんですよ。暗闇の中に
断片的な思考が脈絡なく浮き出ては消え、消えては浮き出するのです。読むもへったくれもないん
ですよ。そしてあなたの言葉で合点がいきました。なるほど、キョンシーというのは誰かに操られて
いるものなのですね」
「普通はそうですが、何か?」
「えぇ。己の意思に他人の命令が覆い被さっている存在、例えば八雲の式なんぞがそうですが、
そういったものの思考を読もうとすると、落丁を起こした小説のように、あるいは音飛びした
レコードを聞くように、要領の得ないものとなるのです」
なんという衝撃の事実! ふむ、とお燐がひとつ息を吐く。
「意外とさとり様も使えませんね」
ストレートな言葉がドグッサァとサードアイに突き立ち、ぐったりさとりがへんにゃりさとりと
グレードダウンする。それをよそにようやくキョンシー娘が我が意を得た、そんな風合いの顔を
した。
「おお。そうとも、我は我こと宮古芳香はキョンシーなるぞ。つまりゾンビか? ゾンビでーす。
おお凄いなよくわかったなほめてやろう」
「はぁ」
「この墓地に入るものは誰であれ追い返すのが我々の使命なのだー。さぁ、わかったらさっさと
立ち去れー」
「ここ墓場じゃないよ」
「お。……ぅ? うぉー?」
お燐の当然のツッコミに再度硬直。
「あれは命令に従って喋ってるに過ぎません。で、墓場の守備という命令においてここが墓場で
ないと認識した。そのせいで思考が混乱したのですね。お燐、少しは見直しましたか」
「はぁ」
へんにゃりした主がなんか言ったので適当に相槌を打つお燐。その適当さにまた精神的ダメージ
を受けつつ、なんとか威厳を回復しようと自立し、芳香の方へと向かう。
「で、誰があなたに命を下したのですか」
「う、お、おう。えっと……。おー……誰……だっけ?」
「……ふむ。この様子では誰が蘇らせたか聞きだすのも一苦労ですね」
あいもかわらず芳香は何も考えてなさそうな、事実何も考えてない弛緩した笑顔をさとりに
向けている。頭の具合はともあれその白い肌と可愛らしい相貌はさとりの庇護欲やら支配欲
やらをかきたてる。
「この子、こっそりここで飼ってみましょうか。主とやらが現れたら知らないフリして返せばいいだけ
の話です」
「え」
ろくでもない企みに薄暗く微笑むさとり。困った顔のお燐を放っておいて、腕を前に差し出す。
「お手」
ひどいことをやり始めたところに、お燐の思考が流れ込む。『犬じゃないですよ』。ほぼ同時に
『あ、待ってくださいそれはマズイ』とも。感知したさとりがお燐の方を向く。
「なにがまずいんですか」
ぱくっ。
「そうだぞわりと美味しいぞ」
「ほら……。え?」
差し出された手をもぐもぐする芳香。
「……ッ、痛――――――――――ッ!?」
「さとり様!? こ、こいつぅー!!」
即座に駆け寄り放たれる火焔猫式高空ドロップキック。一度猫車を踏み台にするのが技としての
オリジナリティである。揃えられた靴底は見事に芳香の横っ面に叩き込まれ、あえなくご馳走から
口を離し吹っ飛びダウンする。
「大丈夫ですかさとり様!?」
「あわ、あわ、あわわわ。お、お燐。手、手が。右手が」
「落ち着いてくださいさとり様それはもとからです!!」
「あなたが何をか言わんとしたのは重々承知していますがそれについて問責するのはやめておきます。
そ、そんなことよりですね」
「あ、あちゃー」
差し出す掌にはばっちりくっきり歯型が刻まれ、哀れ血が滲み始めていた。
「わ、私死ぬんでしょうか」
「いや、いくらさとり様とはいえ一応腐っても妖怪の端くれなんですしきっと恐らくその程度で死ぬこと
はギリギリないんでしょうけど」
「なんだかお燐の言葉の端々から愛を感じないのですが、それはともあれ何かまずい事があるのですね」
「え、はい。それは……」
お燐の言葉に耳を傾けていたさとりの体が急に硬直する。
「お、おぉ、おり……ん……!?」
「あぁー。はじまっちまいましたね。キョンシーに食われちまった者もキョンシーになっちまうんですよ」
「あ、あ、お」
もはや返事もままならない主に心の声を送るお燐。
『まぁ、ひと齧りされただけですし、すぐ回復できると思いますよ。たぶん』
若干投げやりな声は届いてはいるのだろうが、最早言葉を返すこともできない。表情は消え去り、
すっ、と両手を前に差し出すその姿はまさに芳香と同じもの。その加害者は倒れた状態から糸で
引っ張り挙げられたかのように硬直したままの身体を起き上がらせる。不自然に両足を揃えたまま
跳ねて近づき、さとりを従える。
「おぉ、どうやらお前も我々の仲間になったかー。実に喜ばしいぞ。はっはー」
どうやら大いに喜んでいるらしく、そのままぴょこたんぴょこたん跳ね回る。操られているらしく、
さとりも同様にぴょこたんぴょこたん。並んでぴょこたん楽しくぴょこたん、ぴょこたんぴょこたん
日が暮れる。それを見ながらお燐は一つあくびをして、うずくまって寝息を立て始めた。諦めた
のである。
「お、おりん」
死にそうな声が上から降ってきて、瞼をあげる。案の定過労死しそうな主の姿がそこにあった。
「お疲れ様ですさとり様。一時間くらいぴょこたんですか」
「……じゅ、じゅ」
「え、十時間!? あたいそんなに寝たつもりは……」
「じゅうごふん」
「……さとり様はもっと身体を鍛えるべきだと思います」
そう言いつつ自身は軽く首跳ね起きなどかまして運動能力の差を見せ付けつつ向き合う。すでに
操られてはいないのに両腕を前に突き出したままなのは筋肉が硬直しているせいである。運動不足
が甚だし過ぎた。ちなみにその原因はと言えば、哀れな犠牲者が脱落しているにもかかわらず何にも
考えてなさそうな顔でぴょこたんぴょこたん円を描いていた。
「で、どうします、アレ?」
すでにアレ扱いの動く死体を指差すお燐。間髪入れずさとりは言う。
「もとあった場所に捨ててきなさい」
「え、いいんですか?」
「ことあるごとに齧られて、こんなはめになるようなペットならいりません。アレの主にバレる前に、
とっとと返してきなさい」
「……はぁーい」
多少は惜しい気持ちもあるお燐だが、そう言われては仕方ない。若干ふてくされた様子で猫車を
転がし、ぴょこたん軌道上で待ち構える。やがてやって来た芳香に素晴らしい切れ味の足払いを
かまし、宙に浮いた身体を引っ掴み猫車内にダンクシュート! 驚くべき身のこなし、その膂力で
ある。犠牲者は何をされたかわからず硬直したまま目をぱちくり。その様になおさら惜しいと思い
つつ、お燐は地を蹴り一直線に高く地上へ。
「え。あ。お燐。しまった。まず私をベッドに、ってあ痛ァ―――――っ!? 攣った攣った腕が攣りま、
し、足もなんか攣ってきましたァ―――――ッッッ!? たたた、たす、助け、ひぎゃ―――――」
悲壮な主の声は、もう、届かない。
「はぁ、あんたを捨てるのは、流石に惜しいねぇ」
「そうかー。私もなんだか寂しい気がしてきたぞ」
「はいはい」
恐らくは適当なことを喋っている芳香に同じく適当極まる返事。命蓮寺裏墓地上空、芳香を発見
したその場所である。いまだ後ろ髪を引かれる思いはあれど、これも定めとお燐は嘆息する。
「じゃぁまぁ、あんたの主とやらによろしく……しないでもいいや」
「主にか。うむ……誰だっけ」
「……そっちの主殿は大変そうだね。ま、あんたが使命とやらを終えたらあたいが掻っ攫ってやっても
いいんだけどねぇ」
「そうか。よきにはからえ?」
「はいはい。じゃあその日まで、あんたもよきにはからってな」
「お。おー? お―――――」
頭の痛くなりそうな会話を、猫車をひっくり返す事で終了させる。もちろん芳香はまっ逆さまで
ある。一度だけそちらをちらりと見て、お燐は空中で踵を返した。こうして奇遇な邂逅は、幕を
閉じたのである。
一方その頃。
「やったー! 私すごーい! びくとりー! あーんど、のっとはんぐりー!!」
『多々良小傘』は大喜びである。流れ流れて墓地に辿り着き、すきっ腹抱えてうらめしやぁ。
ところがこれが大当たりで、来る人間来る人間皆大驚きで小傘は大満腹。最早我が辞書に空腹の
二文字はないと我が世の春ここに来たれり、とこんな感じである。さて今日もまた哀れな人間は居や
しないかと不埒にも墓石に腰掛け人待ち顔。もちろん、彼女は気付いていない。
今後何度も辛酸を味わされ、辞書にもう一度空腹の二文字を叩き込んできた憎き安寧の簒奪者、
中華風の少女の姿を取った悪意の塊、不倒不死のキョンシー宮古芳香の頭が、小傘の頭てっぺん
めがけて鉄槌の如く落ちてくることには。
芳香ちゃん可愛いよ!
芳香ちゃんかわいいよ! さとりさんもかわいいよ!
ごちそうさまでした。
さとりとお燐のコンビがテンポよく絡んできて前夜の一幕としてすんなり入ってきました。
色々合間に差し込まれた小ネタにも笑うことしばしば。でした。
ノリツッコミのノリが良かった