「あなたは食べてもいい人類?」
「ダメだ」
妖怪からの問いに臆する事無く、藤原妹紅は返答をした。
緊張感も無いし、取り付く島も無い言葉であった。
人間にこの様な身も蓋も畏れも無い言い方をされれば、どんなに温厚な妖怪でも怒り心頭と言う物だ。
しかし、見目麗しい金髪の少女の姿をした妖怪は、
「そうなのかー」
と、それだけ言うと、竹林の奥深い闇へ消えた。
同行していた、人里で商売を営んでいると言う初老の男は妹紅の堂々とした態度に感心しきりだ。
「お見事ですなあ、さすが慧音先生のお知り合いでいらっしゃる」
「はぁ」
「しかし人食いの代表と言って良い、あの恐ろしいルーミアにも全く怯まなかった。何か対策をお持ちなのでしょうか?」
「まあ、コツですね」
歩みも止めず、男の方を振り返ることも無く、ポケットに手を突っ込んだまま、妹紅はそう言った。
妖怪を前にして、一体どのようなコツでどのように相手を退けさせるというのか、男には恐らく万分の一も理解できていないし、そもそも答えにもなっていないであろうが、彼は適当に相槌を打ち、詮索を止めた。
己に理解できない世界だ、と言う事を理解したのだろう。
物理的に食われなかったとは言え、男はルーミアに恐怖した時点でルーミアに食われていたのだ、と言う事を理解しているのは妹紅だけだ。
人は自分の常識で測れない事を「不思議だ」「異常だ」と言い、現実に起こり得る事でも、理解が及ばねば、未知の物理現象、人間がまだ解明していない事、或いはこの世にありえない事、超常現象だと考え、妖怪や霊魂の仕業だ、と言う風にまとめて定義するのだ。
この男の思考は八雲紫の理想通りの世界、理想的な人間の反応ではある。
この男でなくとも人里の人間は概ねこの様な反応であろう。
だからこそ、幻想郷では忘れ去られた、もしくは弱体化した様な妖怪でも生きていく事ができる。
ルーミアは人類が発生してから、いや、もしかすると地球に生き物が発生した頃からいたのかもしれない。
いや、そうであるとして話を進める。
しかし今現在、ルーミアは小妖怪の一端を担うに留まっている。長生きこそが妖怪の力を示す秤になるのは今や常識ではあったが、勿論例外だってあるのだ。
第一の転換点は、やはり人類が発明した『火』であろう。
火は、例え夜でも一部だけとは言え、闇を払う事に成功したのだ。
明るさの確保だけでなく、様々な用途に用いる事ができる、人類最大最高の発明である。
それから先も人間は明るさを、太陽を、光を求め続けた。
ルーミアはその事を苦々しく思ってはいたが、その潮流は止める事など不可能だったのだ。
いつの頃かは本人も忘れたようだが、ルーミアは日本に定住していた。
ある程度の文明が無いと、人間は妖怪を認識しない。しかし、物質文明に染まりすぎても人間は妖怪を信じない。独自に、また独特に発展してきた日本は暮らしやすかった。
が、狭い日本にも海外から様々な物資、情報、科学等が舞い込んで、1800年代にもなると独自の文明、文化を築いていた日本も物質文明に染まりつつあった。
ついにここもダメか、とルーミアは思った。
もはや自分の生きていく所など、この世界から消えてしまうのでは無いかと本気で思案した事もある。
世の不思議を不思議で無くし、世界は光で満たされていく。
本来ならルーミアは滅んでいてもおかしくなかったのであった。
この辺りの問題はあの守矢の神社が現在進行形で抱えていたと言うが、現在ではそこまで切羽詰った話は聞かない。
彼女らも幻想郷に来て第二の人(神)生を歩んでいるのだ。
では、ルーミアの場合はどうだったのか。
夜半、町に点在する火を眺めながら、ルーミアは森の奥に存在する小高い丘で、人間の会話を思い出していた。
『なあに、こんな暗闇など怖くは無いわ』
『ほう? しかしおはんは、夜半に一人じゃかわやにも辿り着けんような童だったと思うが』
『それを言うな。めりけんの船員がこれをわしに預けていったわ』
『ほう、これはえれきてる…のランプ? じゃっどん、こがいに小さいかよ』
『これがあれば例え物の怪が出ても丸見えじゃが。刀の錆にしてくれる』
また少し、ルーミアは自分の力が萎むのがわかった。
そして、ルーミアはそれを否定する事ができない。
そんな時、彼女はこう言って納得するしか無かったのだ。
「……そうなのかー」
いよいよ自分の進退を考える時が来ているのだ、と彼女は考えた。
盛者必衰は世の倣い。妖怪であってもその理から逃れる事はできない。
「何してるの?」
「う?」
白黒のモノトーンの服に美しい金髪、ルーミアに話しかけてきた者がいた。
一体誰が夜中に、しかも妖怪に、何の用があって話しかけたというのか?
話しかけて来たのは、やや長身の、自分と同じ洋装をした妙齢の女性……に見えた。
同じ洋装と言っても、少女趣味で、色はややケバい紫色。唇には薄く紅を引いている。
妙齢と言うには若々しい。若いと言うにはやや枯れた雰囲気であった。
年齢不詳とはこの事だ。
それらの事がどうでもよくなる特徴が、その女性は森の木立の『隙間』から上半身だけを出してリラックスしている事である。
その隙間に頬杖などついており、朝に弱そうな感じの、気だるそうな女性。
眉目秀麗どころかどんな男でも見たが最後、一目惚れする事は間違いなかろう。
しかし、それらに増して胡散臭い雰囲気が全てを台無しにしている。
隙間の妖怪、八雲紫であった。
「わぁ、隙間だ」
「あら、私の事を覚えていてくれたなんて妖怪冥利に尽きますわ」
ルーミアは対して驚いていない口調で驚き、紫は謙遜した。
お互いの事を知らぬはずも無い。
能力の差異こそあれ、どちらも妖怪としての質がこれ以上無い程似ていたからである。
闇が恐ろしい、闇の中に何か潜んでいるかも、闇の中には妖怪がいるかも、と言うのは人間の疑心暗鬼の中で、最も根源的な物であろう。
それこそ文明を持つ以前から、人は闇の奥には得体の知れない何かが潜んでいるのでは無いかと恐怖していたのだ。
紫もそうだ。部屋の仕切り、襖、障子、ドア、森、家具、穴、それらの隙間の向こうから何かが、自分を見ているかもしれない。何かが潜んでいるかもしれない。
その恐怖こそが今日の隙間妖怪の根源となったのだ。
「暮らしにくくなったわね」
「うん」
「どこへ?」
「もういいよ」
紫は、「今度はどこへ行くのか?」と聞いたのである。
だとすれば、ルーミアの返答は全てを諦めた、と宣言しているに等しいのではないか。
傍から見ればこれで会話が成り立っているのは奇跡としか言い様があるまい。
だが、似たような恐怖を一身に受ける存在、お互いの考えなど知悉していたのだ。
しかし紫は胡散臭い微笑をルーミアに向けたまま、言った。
「私と一緒に来ませんこと?」
「ことわる」
ルーミアは一言で切って捨てた。
「何故?」
「胡散臭い。あとは気分って感じかな」
「諦めの境地……と言う事かしら」
「『隙間』も見てきたでしょ? ここ最近の人間の進歩スピードは異常に速いし、その流れは一向に絶える気配を見せない。100年後には、不思議な事がいくつ残っているか」
「でも、昼があるなら、絶対に夜はやって来る。闇を完璧に払える訳無いでしょ? 人の心も同じ事。今の不思議が不思議でなくなっても、人はまた何か良く分からない物を妖怪だ幽霊だと言う。私達の役割は終わってはいない」
「私はもう疲れた。新しい不思議は新しい妖怪に任せれば良いよ」
余りの投げ遣りっぷりに呆れ果てたか、紫は嘆息してから強い口調で言った。
「バーカ!」
ご丁寧に嘲笑が浮いており、両手を顔の横で広げた謎のポーズである。
何をするにも彼女は胡散臭かった。
ルーミアは即座に紫の胸倉を掴み首を絞めたものの、両手を掴まれ捕らえられる。
そして紫は地面に隙間を作ると、ルーミアごとその中に飛び込んだのである。
気がつけば、二人は別の場所に放り出されていた。
放り出されたというか、ルーミアが一方的に空中に投げ出された形になる。
紫は相変わらず隙間のフチに肘をついて微笑している。
眼下には、四方を山に囲まれた、人口の少ないであろう里、森や竹林、湖、花畑等が広がっていた。
「妖怪を神隠しに合わせてどうする気なの」
「見なさい」
「もう見たよ」
「私はここに楽園を作る」
「は?」
文句を言いたそうなルーミアは、紫の一言で思考を誘導されたようだった。
楽園を作る? 何の? こんな辺鄙は場所に?
「ここには閻魔と契約を交わす事により、先祖代々妖怪と交流を持ち続けている家がある」
「珍しいね」
あの閻魔大王と人間の間にそんな約束が取り交わされていると知れば、人間でなくとも大なり小なり驚くであろうが、ルーミアの反応は淡白な物であった。
「語り甲斐がありませんわね」
「性分で」
ルーミアが適当に言い訳をすると、紫は気を取り直して考えを述べた。
「私はここに楽園を作る」
「それも聞いた、回りくどいなあ。老人の話みたいだ」
「うるさいわね! ……コホン、現在、この界隈には既に多くの妖怪が移住していますわ」
「はぁ」
「人間と妖怪が今の状態をずっとに保っていけるなら、そこは楽園だと思わない?」
「ムリだね。何年後になるかはわからないが、人間は恐らく空をも制するよ、間違いない。空から見たら、いくら僻地でも丸見えだ」
「だから、私はこの地を結界で隔離する。文明は現在の形を保ち、人間も妖怪も今の状態で生きていける。天狗や鬼にも話はつけてある」
「無茶だ。動物ならともかく本能以外に、知性を備えてしまった人間は、停滞したらゆっくりと死んでいく」
「そこは私が調整しますわ」
「調整と言っても、便利な道具が残っていたら、入ってきたら、また人間は妖怪を否定する材料を見つけてしまうよ」
「だから、調整するのです。道具は道具、文化は文化。そして、妖怪は妖怪。どれも受け入れてしまう土壌があれば問題ありませんわ」
「それが難しいから無茶だと言ってる」
「いくら火が闇を払うとしても、明るくなった所に、本当に物の怪がいたら、どう思う? それだけならまだ良い。その物の怪が、本当に人間に襲い掛かってきたらどうなる?」
「おっかないね」
「そしたら人間は、火や道具で得た明るさとは別に、妖怪は恐ろしいと言う認識を得る。ほら、何も難しくないと思いません?」
「そしたら人間はいつかいなくなる。私達は人間に認識されないと存在しているかどうかもわからない様な物なんだよ?」
「ごもっとも。人間に観測されない限り、存在しているかどうか不明瞭な存在……不確定性原理、とでも名づけましょうか?」
「名前はどうでも良い。やっぱり無理じゃないか」
「本気で襲わなくても良い。ただ、『妖怪はポーズだけで人間を食わない』なんて噂が立ったら本当に私達は消えちゃうかもしれないから、適度に襲う。ただし、襲って良い人間は私が連れてくる」
「例えば?」
「世の中には命を自ら捨てる人間が山ほどいる」
それはルーミアも見てきた。
ただ希望を持って生きていくだけの人間等いない。
絶望に負けた人間は自ら命を絶つ事もあるのだった。
「彼らを食い散らかして、人間にわざと見せてやる。ああ、妖怪は恐ろしい、となる訳ですわ」
「なんだか面倒だなぁ」
「そう、途方も無く面倒ね。でも、このシステム――段取りが成立するならば、私達はずっと同じように、同じ場所で、生きていける事になる」
「他にも問題は――」
次の瞬間、光り輝く壁の様な物が、見ている風景を取り囲んだ。
今現在、この地にあるただ一つの神社で、紅白の巫女が力を尽くして結界を張っているのだ。
「これは……!?」
「そうね、博霊大結界、とでも言おうかしら。そこに私の境界をプラスして、虚実の壁を作る。外界の常識に縛られている人間や機械から見て、この地は存在しない事になる。そこにあると認識されていなければそこにあるとは気づかない」
「ちょ、私は?」
「もう逃げられないわね」
「何してくれてんの」
「ごめりんこ」
紫は舌をペロッと出して、可愛らしく謝ったが「その舌引っこ抜くぞ」とケンカを売られると、自分ともう一人の人間の一存で出入りは自由だと白状した。
「で、この地が隙間、あなたの楽園(予定地)になるのはわかったよ」
「予定地って言わないでよ! 私も不安なのよ!」
「で、私を連れてきた理由は?」
「あなたに、人を襲う妖怪の代表となって欲しい」
「それはそれは」
「意外と乗り気なのかしら?」
「確かに、さっきの結界でこの地は虚実入り混じった土地となった。今までの常識は非常識に、非常識が常識になるかもしれない。そこには当然、『妖怪は存在する』と言う常識も含まれる」
「わかってくれたのね! ゆかりん嬉しい!」
「何が『ゆかりん』なのさ、気持ち悪い」
紫に正面から物を言ってくる妖怪は意外と少ない。
その少数の妖怪でも、友人だったり、表面的な当たり障りのない付き合いっだたりして、こうして否定の言葉を直接浴びせられるという経験は無かった。
つまる所、紫はルーミアの物言いにショックを受けたらしい。
そして、涙目を見せない為に、隙間に顔を突っ込んだ。
一応、その手のプライドはあるらしかった。
「いいよ」
「うぇ?」
「ここに住んでやってもいい」
ルーミアの言葉に、紫は隙間から再び顔を出した。
一応、紫の目論見通りであった。ルーミアを引き入れる事が目的だったのだから。
「メチャクチャありがたいけど、良いのね?」
「ちらっと見ただけだけど、この結界は人間と協力して、しかも維持が必要な物なんだよね」
「そうね」
「だったらあんたの出番は減る。隙間を畏れる人間も減ってしまうかもしれない。それは困る。暗闇と隙間の相性は抜群だからね」
確かに、隙間の向こうが暗闇なら恐怖感は増すし、暗闇の中に隙間があっても同じ事だ。
ルーミアは同属として、紫のサポートをしてやろうと言う話なのだろう。
そしてそれは、二人が妖怪としてこの先も生き続ける事を意味する。
「人間に恐怖を与える役割は最初の内は私がまとめて引き受けても良い。でも、どの人間なら襲って良いのやら、私じゃさっぱりわからない」
「聞けば良いじゃない」
「人間に?」
「ええ」
「阿呆か」
「え?」
「いや、何でも。涙で化粧が剥がれて並の妖怪より恐ろしい顔になってるな、と」
紫は手鏡を見て、再び涙した。
こうして、場当たり的なプランではあったが、幻想郷は始まった。
だが、それが事のほか上手く機能したのだ。
普通に「食べても良い」かどうか問いかけると、幻想郷に住まう人間は大抵恐怖を覚える。
そうすればもう仕事は終わった様な物だ。
そこで恐怖を覚えない人間は、物質文明に染まっているか、死んでも良いと考えている様な人間だから、紫が引き入れた人間だ。普通に食べ散らかして、人里の周りに撒いておけば良い。
だから、ルーミアはずっと問いかけてきた。
今現在では、ルーミアと言う妖怪が、まず最初に食べても良いかどうかを訪ねて来ると言う伝説に話は摩り替わっていた。
もはや、そう尋ねられるという事が妖怪との遭遇を示唆し、それはルーミアの存在が『常識』の側になったと言う事だ。
これからも幻想郷が続く限り、彼女は問い続けるのであろう。
「あなたは、食べても良い人類?」
「ダメだ」
妖怪からの問いに臆する事無く、藤原妹紅は返答をした。
緊張感も無いし、取り付く島も無い言葉であった。
人間にこの様な身も蓋も畏れも無い言い方をされれば、どんなに温厚な妖怪でも怒り心頭と言う物だ。
しかし、見目麗しい金髪の少女の姿をした妖怪は、
「そうなのかー」
と、それだけ言うと、竹林の奥深い闇へ消えた。
同行していた、人里で商売を営んでいると言う初老の男は妹紅の堂々とした態度に感心しきりだ。
「お見事ですなあ、さすが慧音先生のお知り合いでいらっしゃる」
「はぁ」
「しかし人食いの代表と言って良い、あの恐ろしいルーミアにも全く怯まなかった。何か対策をお持ちなのでしょうか?」
「まあ、コツですね」
歩みも止めず、男の方を振り返ることも無く、ポケットに手を突っ込んだまま、妹紅はそう言った。
妖怪を前にして、一体どのようなコツでどのように相手を退けさせるというのか、男には恐らく万分の一も理解できていないし、そもそも答えにもなっていないであろうが、彼は適当に相槌を打ち、詮索を止めた。
己に理解できない世界だ、と言う事を理解したのだろう。
物理的に食われなかったとは言え、男はルーミアに恐怖した時点でルーミアに食われていたのだ、と言う事を理解しているのは妹紅だけだ。
人は自分の常識で測れない事を「不思議だ」「異常だ」と言い、現実に起こり得る事でも、理解が及ばねば、未知の物理現象、人間がまだ解明していない事、或いはこの世にありえない事、超常現象だと考え、妖怪や霊魂の仕業だ、と言う風にまとめて定義するのだ。
この男の思考は八雲紫の理想通りの世界、理想的な人間の反応ではある。
この男でなくとも人里の人間は概ねこの様な反応であろう。
だからこそ、幻想郷では忘れ去られた、もしくは弱体化した様な妖怪でも生きていく事ができる。
ルーミアは人類が発生してから、いや、もしかすると地球に生き物が発生した頃からいたのかもしれない。
いや、そうであるとして話を進める。
しかし今現在、ルーミアは小妖怪の一端を担うに留まっている。長生きこそが妖怪の力を示す秤になるのは今や常識ではあったが、勿論例外だってあるのだ。
第一の転換点は、やはり人類が発明した『火』であろう。
火は、例え夜でも一部だけとは言え、闇を払う事に成功したのだ。
明るさの確保だけでなく、様々な用途に用いる事ができる、人類最大最高の発明である。
それから先も人間は明るさを、太陽を、光を求め続けた。
ルーミアはその事を苦々しく思ってはいたが、その潮流は止める事など不可能だったのだ。
いつの頃かは本人も忘れたようだが、ルーミアは日本に定住していた。
ある程度の文明が無いと、人間は妖怪を認識しない。しかし、物質文明に染まりすぎても人間は妖怪を信じない。独自に、また独特に発展してきた日本は暮らしやすかった。
が、狭い日本にも海外から様々な物資、情報、科学等が舞い込んで、1800年代にもなると独自の文明、文化を築いていた日本も物質文明に染まりつつあった。
ついにここもダメか、とルーミアは思った。
もはや自分の生きていく所など、この世界から消えてしまうのでは無いかと本気で思案した事もある。
世の不思議を不思議で無くし、世界は光で満たされていく。
本来ならルーミアは滅んでいてもおかしくなかったのであった。
この辺りの問題はあの守矢の神社が現在進行形で抱えていたと言うが、現在ではそこまで切羽詰った話は聞かない。
彼女らも幻想郷に来て第二の人(神)生を歩んでいるのだ。
では、ルーミアの場合はどうだったのか。
夜半、町に点在する火を眺めながら、ルーミアは森の奥に存在する小高い丘で、人間の会話を思い出していた。
『なあに、こんな暗闇など怖くは無いわ』
『ほう? しかしおはんは、夜半に一人じゃかわやにも辿り着けんような童だったと思うが』
『それを言うな。めりけんの船員がこれをわしに預けていったわ』
『ほう、これはえれきてる…のランプ? じゃっどん、こがいに小さいかよ』
『これがあれば例え物の怪が出ても丸見えじゃが。刀の錆にしてくれる』
また少し、ルーミアは自分の力が萎むのがわかった。
そして、ルーミアはそれを否定する事ができない。
そんな時、彼女はこう言って納得するしか無かったのだ。
「……そうなのかー」
いよいよ自分の進退を考える時が来ているのだ、と彼女は考えた。
盛者必衰は世の倣い。妖怪であってもその理から逃れる事はできない。
「何してるの?」
「う?」
白黒のモノトーンの服に美しい金髪、ルーミアに話しかけてきた者がいた。
一体誰が夜中に、しかも妖怪に、何の用があって話しかけたというのか?
話しかけて来たのは、やや長身の、自分と同じ洋装をした妙齢の女性……に見えた。
同じ洋装と言っても、少女趣味で、色はややケバい紫色。唇には薄く紅を引いている。
妙齢と言うには若々しい。若いと言うにはやや枯れた雰囲気であった。
年齢不詳とはこの事だ。
それらの事がどうでもよくなる特徴が、その女性は森の木立の『隙間』から上半身だけを出してリラックスしている事である。
その隙間に頬杖などついており、朝に弱そうな感じの、気だるそうな女性。
眉目秀麗どころかどんな男でも見たが最後、一目惚れする事は間違いなかろう。
しかし、それらに増して胡散臭い雰囲気が全てを台無しにしている。
隙間の妖怪、八雲紫であった。
「わぁ、隙間だ」
「あら、私の事を覚えていてくれたなんて妖怪冥利に尽きますわ」
ルーミアは対して驚いていない口調で驚き、紫は謙遜した。
お互いの事を知らぬはずも無い。
能力の差異こそあれ、どちらも妖怪としての質がこれ以上無い程似ていたからである。
闇が恐ろしい、闇の中に何か潜んでいるかも、闇の中には妖怪がいるかも、と言うのは人間の疑心暗鬼の中で、最も根源的な物であろう。
それこそ文明を持つ以前から、人は闇の奥には得体の知れない何かが潜んでいるのでは無いかと恐怖していたのだ。
紫もそうだ。部屋の仕切り、襖、障子、ドア、森、家具、穴、それらの隙間の向こうから何かが、自分を見ているかもしれない。何かが潜んでいるかもしれない。
その恐怖こそが今日の隙間妖怪の根源となったのだ。
「暮らしにくくなったわね」
「うん」
「どこへ?」
「もういいよ」
紫は、「今度はどこへ行くのか?」と聞いたのである。
だとすれば、ルーミアの返答は全てを諦めた、と宣言しているに等しいのではないか。
傍から見ればこれで会話が成り立っているのは奇跡としか言い様があるまい。
だが、似たような恐怖を一身に受ける存在、お互いの考えなど知悉していたのだ。
しかし紫は胡散臭い微笑をルーミアに向けたまま、言った。
「私と一緒に来ませんこと?」
「ことわる」
ルーミアは一言で切って捨てた。
「何故?」
「胡散臭い。あとは気分って感じかな」
「諦めの境地……と言う事かしら」
「『隙間』も見てきたでしょ? ここ最近の人間の進歩スピードは異常に速いし、その流れは一向に絶える気配を見せない。100年後には、不思議な事がいくつ残っているか」
「でも、昼があるなら、絶対に夜はやって来る。闇を完璧に払える訳無いでしょ? 人の心も同じ事。今の不思議が不思議でなくなっても、人はまた何か良く分からない物を妖怪だ幽霊だと言う。私達の役割は終わってはいない」
「私はもう疲れた。新しい不思議は新しい妖怪に任せれば良いよ」
余りの投げ遣りっぷりに呆れ果てたか、紫は嘆息してから強い口調で言った。
「バーカ!」
ご丁寧に嘲笑が浮いており、両手を顔の横で広げた謎のポーズである。
何をするにも彼女は胡散臭かった。
ルーミアは即座に紫の胸倉を掴み首を絞めたものの、両手を掴まれ捕らえられる。
そして紫は地面に隙間を作ると、ルーミアごとその中に飛び込んだのである。
気がつけば、二人は別の場所に放り出されていた。
放り出されたというか、ルーミアが一方的に空中に投げ出された形になる。
紫は相変わらず隙間のフチに肘をついて微笑している。
眼下には、四方を山に囲まれた、人口の少ないであろう里、森や竹林、湖、花畑等が広がっていた。
「妖怪を神隠しに合わせてどうする気なの」
「見なさい」
「もう見たよ」
「私はここに楽園を作る」
「は?」
文句を言いたそうなルーミアは、紫の一言で思考を誘導されたようだった。
楽園を作る? 何の? こんな辺鄙は場所に?
「ここには閻魔と契約を交わす事により、先祖代々妖怪と交流を持ち続けている家がある」
「珍しいね」
あの閻魔大王と人間の間にそんな約束が取り交わされていると知れば、人間でなくとも大なり小なり驚くであろうが、ルーミアの反応は淡白な物であった。
「語り甲斐がありませんわね」
「性分で」
ルーミアが適当に言い訳をすると、紫は気を取り直して考えを述べた。
「私はここに楽園を作る」
「それも聞いた、回りくどいなあ。老人の話みたいだ」
「うるさいわね! ……コホン、現在、この界隈には既に多くの妖怪が移住していますわ」
「はぁ」
「人間と妖怪が今の状態をずっとに保っていけるなら、そこは楽園だと思わない?」
「ムリだね。何年後になるかはわからないが、人間は恐らく空をも制するよ、間違いない。空から見たら、いくら僻地でも丸見えだ」
「だから、私はこの地を結界で隔離する。文明は現在の形を保ち、人間も妖怪も今の状態で生きていける。天狗や鬼にも話はつけてある」
「無茶だ。動物ならともかく本能以外に、知性を備えてしまった人間は、停滞したらゆっくりと死んでいく」
「そこは私が調整しますわ」
「調整と言っても、便利な道具が残っていたら、入ってきたら、また人間は妖怪を否定する材料を見つけてしまうよ」
「だから、調整するのです。道具は道具、文化は文化。そして、妖怪は妖怪。どれも受け入れてしまう土壌があれば問題ありませんわ」
「それが難しいから無茶だと言ってる」
「いくら火が闇を払うとしても、明るくなった所に、本当に物の怪がいたら、どう思う? それだけならまだ良い。その物の怪が、本当に人間に襲い掛かってきたらどうなる?」
「おっかないね」
「そしたら人間は、火や道具で得た明るさとは別に、妖怪は恐ろしいと言う認識を得る。ほら、何も難しくないと思いません?」
「そしたら人間はいつかいなくなる。私達は人間に認識されないと存在しているかどうかもわからない様な物なんだよ?」
「ごもっとも。人間に観測されない限り、存在しているかどうか不明瞭な存在……不確定性原理、とでも名づけましょうか?」
「名前はどうでも良い。やっぱり無理じゃないか」
「本気で襲わなくても良い。ただ、『妖怪はポーズだけで人間を食わない』なんて噂が立ったら本当に私達は消えちゃうかもしれないから、適度に襲う。ただし、襲って良い人間は私が連れてくる」
「例えば?」
「世の中には命を自ら捨てる人間が山ほどいる」
それはルーミアも見てきた。
ただ希望を持って生きていくだけの人間等いない。
絶望に負けた人間は自ら命を絶つ事もあるのだった。
「彼らを食い散らかして、人間にわざと見せてやる。ああ、妖怪は恐ろしい、となる訳ですわ」
「なんだか面倒だなぁ」
「そう、途方も無く面倒ね。でも、このシステム――段取りが成立するならば、私達はずっと同じように、同じ場所で、生きていける事になる」
「他にも問題は――」
次の瞬間、光り輝く壁の様な物が、見ている風景を取り囲んだ。
今現在、この地にあるただ一つの神社で、紅白の巫女が力を尽くして結界を張っているのだ。
「これは……!?」
「そうね、博霊大結界、とでも言おうかしら。そこに私の境界をプラスして、虚実の壁を作る。外界の常識に縛られている人間や機械から見て、この地は存在しない事になる。そこにあると認識されていなければそこにあるとは気づかない」
「ちょ、私は?」
「もう逃げられないわね」
「何してくれてんの」
「ごめりんこ」
紫は舌をペロッと出して、可愛らしく謝ったが「その舌引っこ抜くぞ」とケンカを売られると、自分ともう一人の人間の一存で出入りは自由だと白状した。
「で、この地が隙間、あなたの楽園(予定地)になるのはわかったよ」
「予定地って言わないでよ! 私も不安なのよ!」
「で、私を連れてきた理由は?」
「あなたに、人を襲う妖怪の代表となって欲しい」
「それはそれは」
「意外と乗り気なのかしら?」
「確かに、さっきの結界でこの地は虚実入り混じった土地となった。今までの常識は非常識に、非常識が常識になるかもしれない。そこには当然、『妖怪は存在する』と言う常識も含まれる」
「わかってくれたのね! ゆかりん嬉しい!」
「何が『ゆかりん』なのさ、気持ち悪い」
紫に正面から物を言ってくる妖怪は意外と少ない。
その少数の妖怪でも、友人だったり、表面的な当たり障りのない付き合いっだたりして、こうして否定の言葉を直接浴びせられるという経験は無かった。
つまる所、紫はルーミアの物言いにショックを受けたらしい。
そして、涙目を見せない為に、隙間に顔を突っ込んだ。
一応、その手のプライドはあるらしかった。
「いいよ」
「うぇ?」
「ここに住んでやってもいい」
ルーミアの言葉に、紫は隙間から再び顔を出した。
一応、紫の目論見通りであった。ルーミアを引き入れる事が目的だったのだから。
「メチャクチャありがたいけど、良いのね?」
「ちらっと見ただけだけど、この結界は人間と協力して、しかも維持が必要な物なんだよね」
「そうね」
「だったらあんたの出番は減る。隙間を畏れる人間も減ってしまうかもしれない。それは困る。暗闇と隙間の相性は抜群だからね」
確かに、隙間の向こうが暗闇なら恐怖感は増すし、暗闇の中に隙間があっても同じ事だ。
ルーミアは同属として、紫のサポートをしてやろうと言う話なのだろう。
そしてそれは、二人が妖怪としてこの先も生き続ける事を意味する。
「人間に恐怖を与える役割は最初の内は私がまとめて引き受けても良い。でも、どの人間なら襲って良いのやら、私じゃさっぱりわからない」
「聞けば良いじゃない」
「人間に?」
「ええ」
「阿呆か」
「え?」
「いや、何でも。涙で化粧が剥がれて並の妖怪より恐ろしい顔になってるな、と」
紫は手鏡を見て、再び涙した。
こうして、場当たり的なプランではあったが、幻想郷は始まった。
だが、それが事のほか上手く機能したのだ。
普通に「食べても良い」かどうか問いかけると、幻想郷に住まう人間は大抵恐怖を覚える。
そうすればもう仕事は終わった様な物だ。
そこで恐怖を覚えない人間は、物質文明に染まっているか、死んでも良いと考えている様な人間だから、紫が引き入れた人間だ。普通に食べ散らかして、人里の周りに撒いておけば良い。
だから、ルーミアはずっと問いかけてきた。
今現在では、ルーミアと言う妖怪が、まず最初に食べても良いかどうかを訪ねて来ると言う伝説に話は摩り替わっていた。
もはや、そう尋ねられるという事が妖怪との遭遇を示唆し、それはルーミアの存在が『常識』の側になったと言う事だ。
これからも幻想郷が続く限り、彼女は問い続けるのであろう。
「あなたは、食べても良い人類?」
ただ、1つ疑問があるのが、ラスト近くに『そこで恐怖を覚えない人間は、物質文明に染まっているか、死んでも良いと考えている様な人間だから、紫が引き入れた人間だ。普通に食べ散らかして、人里の周りに撒いておけば良い。』とあるのに、冒頭にはもこたんが「恐怖を覚えないこと」を食べられないためのコツであるかのように言ってることです。当初の役割と幻想郷が安定した後の役割が違うのかもしれませんが、その辺の描写もないので矛盾しているように感じられました。
むしろ誇れ。
さすがだ
お話もなかなか興味をそそられるものでした。この解釈は面白い。
あの印象深いセリフを上手く掘り下げてますね。
ルーミア好きにはこりゃたまらんわ。