※この作品は作品集128にある拙作『 図 書 館 談 話 』の続編的なものです。
が、別に見ていなくても問題はないと思います。
なお、過去について大分勝手な捏造設定が盛り込んでありますので、ご了承ください。
『妖怪の賢者による巫女への問いかけ』
ことの起こりは、下っ端哨戒天狗・犬走椛と山の神様・八坂神奈子による三日間にわたる将棋の勝負を垣間見ていた紫が、久しぶりに私たちも一局指しましょう?と倉に放りっぱなしだった将棋盤と駒を持って現れたことだった。
ここ数年将棋などしていないが、ルールは覚えている。
ヒマだったし特に眠いわけでもなかったので霊夢はつきあうことにした。
駒を各自並べながら、紫が言う。
「そうね、ただの勝負ではつまらないし負けた方が勝った方の言うことを聞くことにしましょう」
霊夢の、香車を並べようと持っていた手が一瞬止まった。
なにがそうね、だ。このスキマ妖怪、はじめからそれが目的だったんじゃといぶかりながらも、のぞむところよ、と受けて立った。
昔は負けてばっかりだったが、それでも成長につれ霊夢が勝つことがないわけでもなかった。
何を自分にさせたいかは知らないが、返り討ちにしてやる。
ちょうど、倉の整理に手伝いが欲しかったところだ。
魔理沙にでもやらせようと思っていたけれど、あの白黒ネズミは文句を言いながらも手伝うのだが、手癖も悪いから油断ならない。
結果は―――負けた。霊夢が紫に。
角を取ったことで勢いづいた霊夢をものともせず、紫があれよあれよと進撃してきて、取った駒をあまり有効活用できず詰まれてしまった。
『終盤は駒の損得より速度』という格言を、終わったあとに思い出していては世話がない。
有利に進められると思っていただけに悔しいことこの上ないが、負けは負けである。
目の前でうふふふふ、と上機嫌に笑っている妖怪に問いかける。
「で?アンタはあたしになにをさせようってのよ?」
「ふふ、そうね。させるっていうか、ちょっと答えてほしいとうか、考えてほしいことがあるの」
「……考えて、ほしいこと?」
「そう。もし霊夢、貴女が『博麗の巫女でなかったら』もしくは『将来的に博麗の巫女でなくなったとしたら』……あなたは何をしているかしら?」
「は?なにそれ、そんなこと」
言いかけの疑問を紫がさえぎる。
「仮定の話よ、霊夢。負けた方が勝った方の言うことを聞く、でしょ?なにも今すぐに答えを出せなんて言わないわ。そうね、何日かしたら答えてもらおうかしら。賭けに負けたんだから、貴女はきちんと考えるのよ」
「なんでそんな……わかったわよ」
「いいこね。では楽しみにしているわ」
そう言うと紫は将棋盤も駒もそのままに、スキマに入って消えてしまった。
いきなり思いもよらなかった質問をされて、呆然としたまま自分の玉を食った紫の成銀をつまはじいた。
役に立たなかった、角もついでに。
二つとも将棋盤から落ちてカラリと乾いた音がした。
「なんなのよ、いったい……」
******
紫と将棋を指した時から丸一日がたった。
境内を箒で掃きながら、霊夢はまだ考えていた。
とりあえず、他の職業について考えてみた。
今までそんなこと考えてみたこともなかったから難儀した。
なんせ、霊夢の知り合いはみな「職業」なんてないような知り合いばかり。
人間がなれそうな、まとも(?)な職業といっても良さそうなのは、メイド、門番、司書、新聞記者、寺子屋の教師、医者、あとは、寺の手伝いをしてそこの世話になる、か。
それ以外の霊夢の知り合いの人妖といったらみな自由人というか、無職というか、ニートか……参考にならない。
博麗の巫女も似たようなものだけれど。
里の店屋などを思い出しながら考える。
八百屋、花屋、甘味処……金儲けが出来る商売は少し興味がないでもないが、接客が自分に向くとは思えなかった。
慧音みたいな寺子屋の先生?いや、向いてない。
習うより慣れろで放任しそうだ。
保護者から行かせてる意味がないと言われるだろう。
霊夢の場合、やってみたら出来たということがほとんどなので、なぜ出来ないのか、どうやったら出来るはず、というのを考えたり教えるのは苦手だ。
その昔、お互い幼かった頃魔理沙に意地悪しないで教えろよ、と何度迫られたことか。
教えられるものなら教えているというのに。
黙々とした作業をするのは嫌いじゃないから、今のところなんらかの「職人」が候補のトップになっていた。
工芸品やガラス細工など、買うことはないが、いつも綺麗だなと思って見ていた。
ずっと見てても飽きない美しさがそこにあった。
髪飾りや簪なども見るたび、紫がつけたら似合うだろうな、などと思ったりした。
今のところ、考えた中で一番楽しそうだと思えるのは花火師か。
弾幕を花火の玉に込められれば、おもしろいものが作れそうだ。
そんなところを考えたりして煮詰まった頃、魔理沙が遊びにきた。
魔理沙と違って、博麗の巫女じゃなかったら、自分は妖怪退治なんかには首を突っ込んだりしないだろう。
そのことを考えたらなぜだか少し胸がきりり絞られる感じがした。
不思議に思ったが原因がわかるはずもなく、誘われるまま魔理沙と共に紅魔館の図書館へと赴いた。
あそこの、あんなに大きな図書館ならなにか参考になるかもしれないと思ったからだ。
霊夢が来るなんて珍しいな、何かあったのか、と魔理沙が問うてきたので、ちょっと調べ物がしたいと答えた。
具体的な紫からの質問については話さなかった。
悪乗りして余計な職業まで選択肢に入れてきそうだ。
そして紅魔館図書館。
霊夢は仕事や職業の参考になりそうな本を読んでいたが、突如「恋愛の格言」なる本を読んでいた魔理沙の疑問に端を発して、「恋人の条件」ということに話が及んだ。
霊夢はあまり真面目に考えておらず「一に金、二に金、三に金」と答え、最終的に譲れない条件も「金」と答え魔理沙のひんしゅくを買った。
だって、既に自分が心を奪われている相手に、今更どんな条件をつけようというのだ。
「金」やら即物的なことなど、どうにでもなる相手だ。
「誠実」だとか「真面目」だなんて、まさに対極にいる。
あの、スキマ妖怪は。誰からも胡散臭いと評され、ぐうたらで、寝てばかり。
好きなときに現れ、人の弱いところを的確につついたり、人をからかっては楽しんでいる、いろんな意味で悪趣味なやつ。
けれど、霊夢はそのスキマ妖怪である八雲紫にもうとっくのとうに囚われてしまっていた。
悔しいけれど、それは事実。
幾度も幾度も自分の思いを否定したのはもう過去のこと。
霊夢は自分の気持ちをもはや諦観と共に受け入れていた。
好きじゃない、そう思っても、姿が見えなければ恋しかった。
からかわれる煩わしさに閉口しつつも、相手にされないと寂しかった。
冬を前にするといつも少し不安定になった。
冬の間は他の季節よりいっそう集中力がなくなって上の空だった。
いつにもまして、何もしなかった。
何をしても、この時期紫は見てくれていないから。
見ていたとしても、声がかけられることも姿が現れることもない。
春になれば、明日には次の日には、と期待に胸を膨らませていた。
いくら霊夢とて、認めざるを得なかった。
自分にとって、あのスキマ妖怪がなくてはならないということが。
だから霊夢に必要なのは相手へ求める条件などではなく、どうしたら相手が手に入るのか、ということである。
今でも自分が紫に特別扱いされてるという自覚はある。
けれど、だからといって二人の間には今のところ親子のような関係しかなかった。
親とは到底思えないのだが。
むしろ親は藍かもしれない。
霊夢の記憶に残っている紫との初対面は、幼いころの記憶らしくうすぼんやりとしている。
まだ生きていた母親と共に紫に面通しされた。
金色の髪など見たことがなくて、つい触ってしまったのを覚えている。
母は慌てて諌めたが、紫が気にすることはないと好きにさせてくれた。
同じように霊夢のおかっぱ頭の先端辺りを軽く引き、あまり引っ張ってはいたいのよ、とやんわり言われたことは覚えている。
その後は母親が妖怪退治などで不在の時に現れては、からかわれたり遊んでもらったりした。
そう、先日の将棋のように。
ハッキリとした記憶に残っているのは、十になってたかなってなかったか、母親が死んだ時のこと。
朝起きたら横で冷たくなっていた。
妖怪に当てられた瘴気のせいで、数日前から臥せっていたが、まさか死ぬとは思っていなかった。
泣くこともせず、母の横にいた私のところへ紫が現れ、藍と共に細々とした雑務を執り行ってくれた。
その後は週に2,3日は紫がくるようになった。
冬の間は藍が紫の代わりになった。
霊夢は妖怪とその式に育てられたといっても過言ではない。
「霊夢ってば!さっきから聞いてるのかよ?」
魔理沙の声で我に帰る。
まだ、魔理沙やアリスと紅魔館から帰っている途中だった。
アリスも訝しげに見ている。
「聞いてたわよ。今日の夕飯についてだっけ?」
「違う!違うにもほどがあるぜ。もーいい。霊夢は知らん」
そう言い捨てると、魔理沙はまたアリスと話し出した。
アリスには悪いが魔理沙の相手はアリスに任せよう。
それにしても、図書館に行く前までは真面目に職業選択について考えていたというのに、今日の恋人の話云々ですっかり頭の中が紫のことで一杯になってしまった。
もはや職人とかどうでもよい。
帰り際の、美鈴が言った言葉が頭の中に残っている。
「咲夜」の部分を紫に変えると、まさに的を得ている。
恋人の条件―――紫であること
これはきっと、変えられないものだ。
刷り込みだろうとなんだろうと、自分を助けたのがたとえ違う人妖だったとしても、現実には紫だけ。
紫だけ、なのだ。
霊夢が手に入れたいのも、手の中に入れて欲しいのも。
「じゃあな、霊夢!なんか知らないけどボーっとしてないで気をつけろよ!」
「霊夢。またね」
いつのまにやら魔法の森上空だったようだ。
魔理沙とアリスと別れる。
職業魔法使いっていうのはないわね、と思いながら手を振る。
遠目に博麗神社が見える。
鳥居と階段と社。私の、神社。
博麗の巫女の神社……。
”博麗の巫女じゃなかったら”そう紫に言われたことを考えるとき、自然と紫が遠くなる気がした。
自分の根幹を否定された気がして少し複雑な気持ちになった。
妖怪退治に関わらなかっただろうと想定した時に感じた胸の痛みも、きっとそれが原因だ。
博麗の巫女じゃなかったら、妖怪退治に関わる私じゃなかったら、アンタは私に見向きもしなかったでしょう?
博麗の巫女じゃなかったら、なんて。
将来的に博麗の巫女じゃなくなったらって、何を考えてるのよ。
私に何をさせたいの。巫女失格?廃業?
巫女じゃなくなった私は、アンタにとってどうなるの……?
考え事をしながら夕飯の支度をし、食べ終わって縁側で一服したところで空間がゆがんで紫が現れる。
その頃には、紫になんと答えるか決めていた。
まるでそれを見越したかのような紫の登場でこいつは人の心の中までスキマでのぞけるんじゃないかと思った。
「どう?霊夢、質問の答えは見つかった?」
「わかんないわよ。というか、わかんなくていいような気がしてきたわ」
「あらそれでは私がつまらないわ」
「あんたがつまるつまらないなんてどうでもいいわよ」
「ふふ、そう。で、答えは?」
「あんたが私になんて言わせたいのか知らないけど」
そこで一呼吸あけて、続ける。
「私が博麗の巫女じゃなかったら、なんて質問無意味だわ。私は博麗の巫女なんだもの。だから、質問の答えは「ない」わ。存在しない」
自分の答えが紫の求めたものではないことは自覚している。
だから紫の目を見ながら言う勇気はなくて、最初からそっぽを向いたままだった。
紫は何も言わない。
それが少し怖くて慌てて言葉を繋げる。
「…っ、いっぱいいっぱい考えたわ!職業とか仕事とか。だけどその職業や仕事をしている自分を考えれば考えるほど、私が私じゃないみたいで……だから私は博麗の巫女であること以外の答えはないのよ」
考えれば考えるほど、寂しくなった、とは言わなかった。
言えなかった。
理由を問いただされてしまったら困る。
博麗の巫女でなかったら紫とも会えてなかったから、なんて言えるわけがない。言いたくない。
「……その回答は、質問の答えとしては零点ね」
やっぱり、と思いつつふてくされた気分で紫の顔を見やるとその言葉とは裏腹に、とてもとても嬉しそうな顔をしていた。
こんなに嬉しそうな紫の顔は、見たことがないかもしれない。
頬が高潮して、心なしか目も潤んでいる気がする。
唖然として、もっと近くから見ようと覗き込もうとしたらそれを察知した紫に抱きすくめられた。
「え、ちょっ、なに!くる、苦しい!」
おふざけで抱きしめられたりすることはあっても、こんなにぎゅうぎゅうと抱きしめられることは滅多にない。
突然の行動と紫の体温が直に感じられて、心臓が跳ね上がる。
自分の体温が上がった気がして、それが紫に気取られないか気にかかった。
いったいいきなりなんなのだろう。
顔を見られるのが嫌だったのだろうか。
暴れても問いかけても、紫が何も言わず抱きしめているので霊夢は諦めてされるがままになっていた。
抱きつかれた瞬間はたいそう慌てたが、紫の温もりや香りに慣れればそこは大変居心地のいい場所だった。
ふと、考えが浮かんで問いかける。
「アンタ、いつの代の博麗の巫女とも、こんなこと、するの」
こんなに近いの。かあさまとも近かったの?
「しないわよ。こんなに干渉してるのは初代と…霊夢、あなたくらいね」
それまで問いかけても苦しいと訴えてもだんまりだった紫が間髪いれずに答えた。
抱きしめていた腕の力を緩め、霊夢の方を見ている。
もう紫の顔はいつものすまし顔だった。
「基本的に私は傍観者の立場だから。次代の巫女が生まれたときの報告と、幼い頃に挨拶を兼ねての紹介。これはあなたも覚えているかしら?あとは新任と後任それぞれ代替わりの時、あとは最後のお別れ……という感じに私と巫女の「ご対面」は決まりごとのようになっていたわけ。妖怪退治や博麗大結界に関することなんかでその回数が代ごとに変わったりなんかはしたけれど、基本巫女の生涯で十回以上会うことなんてなかったかしらね。そもそも基本的に博麗の巫女にはちゃんと保護者、というか世話役がいたもの。だいたい前代の巫女とその夫、つまりは両親だけど、昔々は他にも氏子やらがね。私が出る幕なんてなかったわ」
そこまで言って紫は笑い出す。
「なに笑ってるのよ」
「いえね、ちょっと思い出し笑い。むかしむかし、あなたの高祖母―――おばあさまのおばあさまがね、あなたに似て暴力的で」
「ちょっと?」
「ふふふ。まぁ聞いて。私が冬眠してる間に里のものと大喧嘩。がっつり参拝客が減ったわね。世話をしに来る氏子の数も。まったくあの時は唖然としたわ。冬眠から目覚めて様子を見に行ったら参拝客は少ないわ、お賽銭箱はすっかすか、いつもなら献上されるお野菜やお酒なんかがめっきり減っててどうしたのって聞いてみたら開口「なにかあれば譲って欲しい」ですもの。あの図太さはしっかり霊夢に継がれてたわね。今のここの窮乏はその時のことが原因の一つなのは間違いないと思うわ」
文句めいたことをいいながらもクスクスと楽しそうに言う。当時のことを思い出しているのか、少し間をおいて続ける。
「里のものとも距離ができてしまって、博麗神社はさびしくなってしまったけれど、それでもぱらぱらと参拝にくる人間もいたし、維持に問題はなかったわ。妖怪退治は昔から変わらずあったからその依頼と報酬を受けて博麗の巫女と神社は年を重ねてきたわ。あなたの母親は不幸にも早くに亡くなってしまったけれど、母親の母親、つまりあなたのおばあさまは少なくとも娘の成人、あなたの誕生まで生きていたし。初代とは博麗大結界のことや神社設立のことなんかもあったからそれなりに接してはいたけど、それ以外では霊夢、貴女だけよ」
そんな、”とくべつ”みたいなことを言うから、期待してしまう。
紫にとっては、不幸にも一人ぼっちになってしまった博麗の巫女を放っておけなかっただけなのかもしれないけれど。
アンタにとって、「博麗の巫女」じゃなくて「私」ってなに?心の問いかけを口にはせず、紫の顔を見る。
紫は何かを言おうとして、言いよどんでいるようだった。
その「間」と何か言いたげな紫の目をまともに見てしまい、あまりの今の自分たちの近さに落ち着いてた心臓がまた大きく揺さぶられる。
「いっ、いい加減に!は、なしな、さいよ!」
「あらなんで?霊夢は抱き心地がいいから気持ちいいわ」
先ほど霊夢の回答を聞いた後の紫とはうってかわって、今の紫はいつもの余裕を取り戻している。
嫌がる霊夢におもしろがる紫、といういつもの図式に戻った。
「トイレ!行きたいのよ!さっさと離しなさい!」
「んふふ、じゃあ霊夢。今日泊まっていってもいいかしら」
「なんでよ!?」
「いいじゃない。いいと言うまで離さないわ」
言葉どおり、さらにぎゅうぎゅうと紫に抱きしめられる。
別にそこまでトイレに行きたかったわけではないはずなのに、慌てる心ばかりがじりじりする。
この体勢は嬉しいけれど心がもたない。
「わかった!わかったから!」
別に今までにもたまに紫が泊まることはあった。
それと同じだ。
もう夕ご飯は済んでいるから、布団を並べて眠るだけ。
いつもと同じ。
「うふふ、お世話になりますわ」
にっこりと笑んで紫はやっと霊夢を解放した。
トイレから戻り、布団を並べて交互に風呂に入った。
紅魔館で聞いた話や答えの候補として考えていた職業の話なんかをしているうちにうとうととしてきた。
普段使わない脳みそを二日間フル稼働させたせいかもしれない。
悶々と考えて、昨日はあまり寝付きが良くなかったのもあるだろう。
あんな質問があって、あんな抱擁があったのだから、少しは期待していたのに結局いつもどおりね、と思った。
けれどその一方でいつもどおりでよかったとも思った。
紫がした質問の意図もわからないままだったが、問いただしたところで素直に答えるとは思えない。
零点と言われたけれど、紫のあの顔とその後の行動を省みれば、そんなに間違った答えを自分がしたわけではないことは明らかだった。
そのことに安堵しつつ、布団から伸ばされた紫の手が頭を撫でるのを感じながら、霊夢は意識を手放した。
******
穏やかに眠る霊夢の顔を紫は見ていた。
もうずっと、霊夢が寝てからだいぶ経ってもなおその寝顔を見つめていた。
すぅすぅと規則正しく聞こえる寝息は霊夢が深い眠りについていることを示している。
先ほどのやりとりを思い出す。
本当は、霊夢が「離せ」と言わなければ続けて告げようと思っていたことがあった。
それは、今までに紫が何度も心の中で霊夢に謝っていたことでもあった。
自分が霊夢の保護者のようになったことで、余計神社から人を遠ざけてしまったかもしれない。
博麗神社と紫のつながりは長い。
しかしだからといって、参拝客や氏子には今まで姿を見せたこともなかった。
里の者から見れば、いつのまにか異様な風体の妖怪が居座っているのだから、避けられて当然だったかもしれない。
いくら里のものと博麗神社が疎遠になったとはいえ、孤児の巫女を里のものが放っておくはずはなかった。
母親の生前はそれでも二、三日に一度くらいの参拝客もいたからだ。
紫がしゃしゃり出ずとも霊夢が救い出されるのは時間の問題だっただろう。
けれど生まれて数年しか経たない人間のこどもを、大事な大事な博麗の巫女を、母親の亡骸の側で幾日一人にさせておくことなど、紫には出来なかった。
まして霊夢は紫にとってそれまでの巫女とは違った。
紫好みの鋭く聡い巫女。
そう、まるで初代のような……初めて会ったのは、霊夢がみっつになってたかなってないくらいの幼い頃。
母親の後ろにからだを隠していながらも、目はしっかりとこちらを見ていた。
目が合ってもそらすことなく見返してきた。
母親に挨拶を促された幼子は、舌ったらずな声で言う。
「ぅかり?」
「ゆ・か・り・さ・ま、よ。霊夢」
「かまわないわ。そうよ、ゆかりよ。やくもゆかりというの」
母や自分と異なる金の髪が気になるのか怖気づくこともなく紫の髪に触れてきた。
逆に紫からも霊夢の髪の末端を軽く引いてやると驚いたか目をまん丸にしていたのが印象的だった。
時折博麗の巫女を「観察」するのは紫の長年の習慣のようなものだ。
別にだからといって何をするでもない。
ただ、見ているだけ。
手出しをすることも話しかけることもなかった。
たとえ命の危機にさらされようとしていた場合にも、それが運命だったのだと見過ごした。
紫にとっては博麗大結界に異常がないことと、次代の博麗の巫女さえいれば、それで問題はなかった。
―――霊夢との出会いまでは。
初対面後、冬眠から目覚めた紫は神社へと向かった。
人間の子どもの成長は早い。
少しは大きくなっているだろうか。
境内に面した樹木に身を隠して見ていると、なにやら遊んでいた霊夢が何かに気付いたかのようにパッと顔をあげると紫が隠れている木の方へやってきて、首を傾げて
「ゆかり?」
と問いかける。半年前に一度会った自分の気配を覚えていることや、霊夢からの思わぬ問いかけに驚きつつも、隙間をあけて
「よくわかったわね、霊夢」
と声をかければ嬉しそうに笑った。
そんなことが何度もあった。
紫が返事をせず黙っていれば気のせいか、と首を傾げて戻っていく。
けれど、正解だと応えてやる紫の顔を見て、嬉しそうな顔をしてくれるのだ。
その顔を見たいと思うのは自然な流れだった。
今までのように、見ているだけに徹することが出来なかった。
こうしたかくれんぼは時折おこなわれた。
いつも突然始まるかくれんぼ。
霊夢は優秀な鬼。
よほど紫が何十にも結界を張らない限りは正確に紫の来訪を言い当てた。
しかしどうしたことだろう。
今までの巫女たちは気付いてなかったのに。
こうも霊夢が敏感に察知するのを見ていると、実は過去の巫女たちは気付いていながら知らん顔をしていたんじゃないかとすら思えてくる。
今までの巫女と異なることがわかるたび、ますます霊夢が特別に感じられた。
「そこにいるでしょ、ゆかり」
「よくわかったわね、霊夢」
月日は流れ、霊夢の話し方も大分ハッキリしてき始めた。
もはや紫が顔を出したからといって嬉しい顔を素直にあらわにすることはなくなっていたが、褒めると得意げに当たり前でしょ、と言うこの人間の子どもが紫はかわいくていとしくて仕方がなくなっていた。
「……だから霊夢、私は自分のエゴであなたの側にいたかったのよ。ごめんなさいね」
霊夢が寝ているのを確かめて、そう紫は呟いた。
そうして意識を先日の山の神と哨戒天狗の将棋勝負の折に風祝の巫女との会話を思い出していた。
山の神である八坂神奈子がうんうんと唸っているのを見た早苗が一人笑っていたのをどうしたの、と問いかけたのが始まりだった。
「私が子どもの頃、八坂様から将棋の手ほどを受けて、早苗は素質があるってプロの将棋の棋士になったらどうか、なんて。親ばかですけど。あちらの世界では、将棋のプロになるとけっこういいお金がもらえるんです。もちろん、なるまでだって大変で、なってからだって大変なんですけど。私は八坂様が喜んでくれるなら、ってためしに将棋教室に通ってみたんですが、いじめっ子な男の子がいて、やめちゃいました。で、私は知らなかったんですけどどうも諏訪子様がしっかりその男の子に”仕返し”をしてくれたみたいで。そのことを思い出してつい笑ってしまって」
「ぷろのきし……よく、わからないけど貴女はあちらの世界にいたときも巫女だったのでは、ないの…?」
「私が現人神の巫女っていうことは、子どもの頃から決まっていたのですけれど、父も母も神様お二人も、それを強制させるようなことはなかったですから。だから子どもの頃は、ケーキ屋さんとかお花屋さん、とか可愛いこと考えてましたねー。他の子の影響受けまくりですけど。子どもの頃は欲張りで、両方やるって思ってましたし。神奈子様がこちらに来るって言われなければ、私は大学に行って普通にOLさんにでもなってたかも。あ、大学とかOLなんて知りませんよね」
「だいがく」も「おーえる」も聞いたことがあるような気もしたが、そこは知らないと答えた。
それで早苗との会話は終わった。
ちょうど山の神が長考していた一手を指したところでもあった。
早苗には巫女以外の選択肢もあったのね…と思った。
幻想郷で巫女といったら霊夢と早苗だ。
霊夢はどうなんだろう?霊夢も博麗の巫女以外のなにかになりたいと願ったことはあっただろうか。
博麗の巫女の始まりに紫は立ち会っている。
実は巫女が世襲になったのは紫が原因の一つといっても過言ではなかった。
その昔、初代とのやりとりに端を発している。
自分が死んだらどうするかという話になったときに、どこかから連れてくるから問題ないと紫は応えた。
「神隠し」で事足りると思っていた。
それを聞いた初代は憤慨し、そんなことは許さないと言った。
ならば自分の子孫にその役割を任せると。
いきなり親から引き離される子どもの心を、突然子を失う親の悲しみをなんだと思っているのだと。
そう言われても、紫にはピンとこなかった。
世襲にする、という初代の言にも「そう」とだけ答えた。
その重さも巫女たちの因縁も考えもせず。
ただ「博麗の巫女」という存在さえあれば紫に不満はなかった。
今ならわかる。初代の言っていたことが。
もし今突然霊夢がいなくなってしまったら、紫はそれこそ狂ったように探し回ることだろう。
紫の一言がなければ、博麗の巫女は今の霊夢ではなかったかもしれない。
博麗の巫女でなければ、霊夢の母親が早世することもなかった。
霊夢が孤児になることも。
そんなことを考えていたら柄にもなく、不安になったのだ。
霊夢に対して持っていたかねてからの罪悪感に加え、早苗との会話が今回の『博麗の巫女でなかったら』と霊夢に問いかけた事の引き金でもあった。
霊夢の答えによっては、将来的に博麗の巫女の任を解くことさえ考えた。
けれど。
考えたと、言っていた。いっぱいいっぱい考えたって。
考えた上でのあの回答だったのなら、紫にとってこんなに嬉しいことはなかった。
霊夢にはわかるだろうか、どれだけ感激したか。
こんな、自分の爪の先ほども生きていないような人間の子どもにこんなに喜ばせられるなど思ってもいなかった。
少なくとも霊夢は博麗の巫女であることを嫌だと思ってはいない。
それがわかっただけでも、ここ数年ずっと紫の心に重くのしかかっていた重しが軽くなった気がした。
それが嬉しくて、浮ついた気持ちのまま泊まりたいと申し出たのだ。
ただもっとそばにいたかった。気の済むまで霊夢の顔を見ていたかった。
起こさないように注意しながら霊夢の髪をすき、頭を撫でる。
衝動が抑えきれず、自らの唇を霊夢のそれに寄せる。
軽く触れて、すぐに離れる。
紫のこぼれた前髪が霊夢の頬をくすぐったようで、むずがるような声が発せられたが起きることはなかった。
もう幾度、眠る霊夢に口付けただろうか。
卑怯だと思いつつも、一度その唇の柔らかさを知ってしまえば、こらえることができなかった。
いつまで自分は、この程度の触れあいで我慢できるだろう。
もう少し、もう少し、霊夢が大人になるまで。
霊夢の気持ちが、もう少し育つまで。
そう考えながら、紫はまた霊夢の寝顔を見つめ続けた。
End
二人の今後が気になりますね。
だがそれもいい
それぞれ興味深いし、なかなか面白い解釈もできているんですが
詰め込みすぎてあまり整理されていないのが残念に思います。
3、4本の話を無理に一つの話にされてしまったかのような印象です。
続編希望です。
しかし紫さん。もう積極的になるべきです。
霊夢さんやきもきしてます。
やはり霊夢と紫は親子のようでそうでもなく。
少なくとも霊夢にとって限りなく近しい相手なのは確実なのかなーと。
はやくくっついちゃいなYO
ただ、気になる箇所が。
紫は香霖堂で、iPodやDSを知っていたので、
いくらなんでも大学やOLを知らないなんてことは……
たがそれがいい