「ちーかよーるなー」
夏の日の夜。
神霊がふよふよ舞う命蓮寺墓場の、とある一角。
時間としては丁度亥の時を回ったあたりだろうか。この時間に、決まって墓場では地面から産声があがる。
「ん、お。お? ぷあ」
ずぼっと土が崩れ、中から一人の少女兼ゾンビが出てきた。
ひょっこり出てきた顔にはぺったりと朱のお札が貼られており、赤と青を基調にした中華系の服を身にまとっている。
彼女の名は宮古芳香という。彼女はこの墓場で番をしているキョンシーなのだ。
何故このような辺鄙なところで番をしているかは、まだ分からない。後一ヶ月たてば分かることだが、今回の場合はまだ不明としておく。
とはいえ、本人も大まかにしか覚えていないのだが。
「二十二時になったから起きるぞ。私は番をしないといけないからな!」
誰に言っているのかはさておき、芳香はいつも決まってこの時間帯に起き、朝まで墓場をうろうろしている。
キョンシーは日に弱く、日光に当たると動きが鈍くなるのだ。吸血鬼のように消滅はしないのだが、殆ど動けない状態といってもいい。
芳香としては勿論そんな状態はイヤだし、何より襲われても勝てないので、朝になると地中に潜る。その繰り返しなのだ。
セキュリティーは万全である。ただし夜のみ。
「今日もお墓には誰もいないな。よし、寝るか!」
たまによく分からないことを言うが、気にしないでおこう。
◆◆◆芳香セミナール◆◆◆
「……」
さて、墓の守護をしようと意気揚々に出てきた芳香であったが、その実とても暇である。
こんな夜更けの時間に、墓場なぞ誰も来るわけがないのだ。人間はともかく、妖怪すら殆ど立ち寄りもしない。
ましてや妖怪と人間の平等を謳う命蓮寺が近くにある以上、一部の妖怪にとっても居心地が悪い場所でもあるのだ。
「……おー」
そんなこともつゆ知らず、あまり動かない腕を前に突き出しながら待つ芳香。
そんな彼女には、待ち人ならぬ待ち蝉が付いていた。
芳香があまりにも動かなかったので、木と勘違いしたツチゼミ(セミの幼虫)が服をよじ登ってきたのだ。
こういったことも珍しいため、首だけを動かしその様子を眺める芳香。因みにセミは程良くふくよかな胸についている。うらやまけしからん。
「ちーかよーるなー」
セミなので勿論聞こえるはずもなく。
「ここは我らのお墓だぞー。私以外にもたくさん仲間がいるんだぞー。……あ、セミもたくさん地面にいるんだっけ。負けそう……」
当然勝てないわけはないのだが、セミはたくさん集まると恐ろしやと芳香の数少ない記憶に残っている。
過去に一度、たまたまセミが大量発生した時期に出くわしてしまったのだ。その時の地中はかりかりかりかりと、とにかくひどい目にあった気がする。それ以来芳香はセミにやや恐怖している。
因みにそれが十七年ゼミの集団だったということは、勿論芳香が知るよしもない。
「……しょうがないなー。変なことするなよー?」
また爪でちくちくくすぐったい思いはしたくないので、芳香は一匹のセミの進入を許すことにした。
セミの方も知ってか知らずか、服の繊維に爪をひっかけていた。解れはこの際気にしないことにする。
なおこの間は全く警備をしていなかったのだが、芳香は特に気にかけていなかった。
多分誰も通ってないだろう。多分。
◆
「折角だし腕を曲げる練習でもしよう」
ぎちぎち、ぎちぎちと錆びた間接を折り曲げようと芳香が苦心する中、先ほどからセミが動こうともしない。
時間はそろそろ丑の刻辺りだろうか。時折緩やかな風が吹くが、基本夏の夜はしんと静まり返っている。
ぴょん、ぴょんと飛び跳ねて、芳香は墓石の一つに寄りかかった。こっちの方が腕に集中がいくからである。
「んぐ、う、おお……」
腕は一定のところまではちゃんと動くのだが、そこから先がまた動かないのだ。
下手をすると筋肉痛のように釣ってしまうし、程々にしないと繊維が傷ついてしまう。
本人は特にこの腕でも不自由ないと思っているのだが、「あの方」が言うから動かそうとしているのである。
「んお?」
脂汗をかきつつ、進入を許したセミはどうしているのだろうとふと視線を向けてみた。
すると、茶色なセミの背中が上から下にぱっくりと開いているではないか。
それを見た芳香は、目をぱちくり。地中にいたときは全くこういうセミの状態を見たことがない。初めての出来事である。
暫くわなわなしていた芳香は、開口一番自分の気持ちを叫んだ。思ったことは口に出す性格なのだ。
「お、おまえ! チャックが開いてるぞ!?」
変な子である。
「その姿は仮の姿、本当は中にすごい化け物っぽい姿を隠しているのだなっ! やはりお前は侮れないぞ!」
勝手な思いこみである。
そんな芳香はさておき、セミの方はがんとして動こうとはしない。
割れた背中からはちらと白っぽい何かが見えている。それを確認し、さらに警戒を強くする芳香。
「ああ!」
しかし、芳香は大事なことに気づいてしまった。
「ど、どうしよ。これじゃ私が攻撃出来ない」
相手は胸元にいるのである。
動かない腕は言うまでもなく、自身の主力武器である口も胸元まで後ちょっとのところで届かない。
つまり、セミが何をするにも自由という状態なのである。
おろおろする芳香を尻目に、セミの背中はどんどん開いていく。
やがて、芳香の言うチャックからぬぅっと白い体が姿を現した。その体は、ツチゼミの時よりもふたまわりは大きい。
「お、おおお……!?」
出てきた体に、元々固い身を固くする芳香。
なんということだ。地中にいた時爪でかりかりされたのはまだ序の口だったのだ。
長い間雌伏し、相手の隙が出るのを今か今かと待ちわびていたのか。
そして今、気は熟した。セミは私にとどめを刺そうと、こうして無防備な胸元まで迫っていたのだ!
と、芳香は考えていた。想像力たくましい子である。
「な、なんと恐ろしいやつ。でも、このままじゃやられるー!」
セミの不意の行動に慌てた芳香は、ひたすら自分の思いつくままの行動をとってみる。もはやなりふり構わずである。
腕をそのままにしてぐるぐる回ってみても効果なし。
言葉をかけても効果なし。
ぴょんぴょん飛んでみたら胸が震えた。
言うまでもなく詰んでいたのだった。
がくりと肩を落とす。もう少し、もう少しだけ腕を曲げれたら。そう芳香は後悔していた。今してもしょうがない話ではあるのだが。
あれこれしている内にも、セミは目の前で着々と変化しはじめている。ぱきぱきと変な音も聞こえてきた。
やがて。
大きく、今の芳香にとって恐怖の存在であるセミの「本体」が、目の前で誕生した。
余談ではあるが、セミは成虫になる際割と勢いよくでてくる。
その姿は全身白く、ついでに6つある足もわきわきしている。それを眼前、しかも胸元でやられたらどうなるだろうか。
「ぴ!?」
答えとしては、変な声が出る。
「やーめーろー! しーぬー!?」
セミに威嚇された形となり、もう半分くらい涙目な芳香。もう勝負がついてしまっている。
どこかの魚を思わせるくらいの無力さを思い知りつつ、自分が相当無防備であることにも気づく。
こんな状態じゃどうしようもないと考えた芳香は、こうなったらそのままでいることに決めたのだった。
どんなことがあっても墓の守りが最優先。感動的である。
「う、あ。はか、お墓守らなきゃ」
とりあえずまだ被害は受けていない以上、芳香としては打つ手がない。
何があっても驚かないよう、警戒は一応ゆるくしておく。
しかし、じっと目は離さない。恐怖半分、興味半分といったところである。
「……お?」
その興味は、芳香にとってセミの新たな一面を発見することとなった。
よく見てみると、意外と綺麗なのだ。人によっては奇怪なものだが、まっさらな状態の虫を見る機会はめったにない。
ましてツチゼミしか間近で見たことがない芳香にとっては、大層好奇心をそそられるものになったのである。
暫く足をばたばたしていたセミは、やがてエビぞりのまま全く動かなくなった。
近くの対象で例えると、芳香の腕と同じくらいである。
「落っこちたりしないのかな。心配だぞ」
攻撃してくる気配もないので、じーっと眺める形でセミを眺める芳香。
間近で見るセミの変化に、興味津々といった様子。こういったことも、ゾンビだからこそ体験出来ることなのかもしれない。
動かない腕でどうにか支えようとしながら、結局見ているしかない芳香。
ふと、自分がこのセミをどうにか助けようとしていることに気付いた。服にひっついてたこともあり、何か放っておけなかったのだ。
変な気分だなーと思いながら、芳香はぼんやり一言だけ呟いた。
「綺麗なものだなー」
相変わらずお札が貼られた顔はもう恐怖ではなく、のほほんとした笑顔になっていた。
ゾンビは頭がやや足りない分、状況の対応もはやいのである。
◆
「飛べるようになってるのか?」
朝焼けが近づいてきた頃、白と薄い緑で構成されていたセミの体は、だんだんと変化していた。
出たときはしわしわだった羽はぱりっと下に伸び、薄く茶色い模様が浮かんでいる。
薄緑だった顔も褐色になり、腹部も黒くなっている。それは芳香も知っているセミの形となっていた。見るのは主に死骸ばかりだったが。
成虫となったセミは足を抜け殻に絡ませ、時折よじよじと移動している。羽がかわくのを待っているのだろうか。
「そういえば、どうして私のそばでこんな風になったんだろう」
そこで、ふとした疑問が芳香の脳裏をよぎる。死んでいても脳が機能しているかは置いておこう。
確かにツチゼミから立派なセミになるのは良い。だが、この変化も時間が大分経過している。無防備すぎるのだ。
羽がまだ機能しておらず、体もまだ柔らかいこの状態。他の虫がこんな絶好の対象を無視するわけがない。
「んー、まあ。私の近くでなったということは、安心出来たということだなっ」
しかし、そんな疑問も芳香にとっては些細なことである。
ただ単純に自分が木の役割だったという結論に至ることなく終えたのだった。仮に気づいたとしても落ち込むことはないだろう。
死ぬよりマイナスな方向はないからだ。
ぱたたっ。
「おお?」
セミの羽が動いた。羽も乾き、今にも飛びたとうとしているようだ。
これまでの過程を一部始終見てきた芳香は、僅かな感慨を覚えていた。どことなく行かないで欲しいような、しっかりと飛んでほしいような、あやふやな気持ちになる。
だが、こんなところで留まらせるわけにもいかない。彼(彼女?)にはこれから短い生涯を全て使い、鳴き声という形で相手に求愛をするのだ。
既に死した芳香には、縁のない話なのかもしれない。
しかし、彼女は彼女なりにこれから行くセミを送ってやろうと考えたのだ。それはたった一言で十分である。
死者が送る、生者へのメッセージ。
「悔いが残らないように、しっかりやれよー」
セミの羽が軽く動いた。
その言葉が届いたかは知らないが、羽の動きが大きくなっていく。
そして、動いたと思えば瞬く間に、セミの足が殻から離れ、一気に芳香を離れた。
まだ多少はふらふらしているものの、後は全てあのセミ次第。
芳香はその姿に、今度は羨望を覚えた。自分がどうやって死んだかは分からないが、果たしてああいう時期があったのだろうか。
胸元を見ると、抜け殻となったツチゼミの殻が未だに芳香の胸に残っていたのだった。
◆
数日後。
今日も決まった時間に墓場から声があがる。しかし、今回は様子が違う。
「ちーかよーるなー」
「今日こそ、今日こそこの墓地を取り戻してみせるんだから!」
「がぶ」
「いだだだだ!?」
最近墓地によくやってくる小傘が来ているのである。
とはいっても、決して友好的な意味ではない。彼女は元々この墓場にいた元住人なのだ。
墓場から復活した芳香がその時に追い出したものの、小傘はどうしても諦めきれないらしい。今でもたまに芳香に勝負を挑んでいるのだ。
因みに結果は、毎回芳香がタイムオーバーで判定勝利になるのだが。
「やめて! 茄子ちゃんかじるのはやめてー!」
「……まずい。これ茄子の味しないんだな」
「するわけないでしょうが! もししたら毎日コオロギが集まってくるでしょ!」
「楽しそうじゃないかー」
二人の会話はなかなか噛み合わない。
むしろ本来敵同士のはずなのだが、こうして和やかに会話をしていたりもする。
実際勝負といっても最初のうちは割と苛烈だったのだが、最近は小傘も半ば諦めているのか緩やかなものとなっているのだ。
「楽しいかはともかく……ん?」
「どうかしたか?」
「いや、胸に何か茶色っぽいものがついてるなって」
「ん、ああ。これかー」
芳香の胸元には、あのセミの抜け殻。腕が曲がらないので、そのまま放っておかれたのだ。
数日たっていても、未だに服の繊維にひっかかっていたのである。
「もうセミはいないみたいだし、とってあげようか?」
「ん? その心配は無用だぞ」
「どうして?」
とろうと手を伸ばす小傘に、芳香はぴょんと後ろに避ける。
そして胸元の殻を見た後、芳香はにこりと笑ったのだった。
「このセミも、ある意味私と同じだからな!」
「むう? 私のこの茄子ちゃんみたいってことなのかな」
「まあそんなことはどうでもいいな。墓地を取り戻すんだったっけか」
「あ、そうそう! こんな話してる場合じゃ」
「がぶ」
「あ――っ!?」
どうやら今宵の墓場は、少し賑やかになりそうだ。
いやキョンシーか
セミの抜け殻をゾンビと引っ掛ける発想が素晴らしい
キュートな芳香ちゃんを堪能させていただきました
正直こんなに芳香ちゃんかわいいと思ったのは初めてかもしれない。
いいお話を読ませてもらいました。
これから毎日芳香ちゃんを書こうぜ!
あいつら芳香ちゃんにくっつくために幻想入りしてたのか
とうとう自分で言っちゃったw
製品版が待ち遠しい
>>羽はぱりっとと下に伸び
多分、「と」がひとつ余計です。
誤字報告
>>これまでの課程→過程
いやしかし、タイトルがセミナーであるということを考えると、必ずしも間違いというわけではないのかもしれない。