鬱蒼とした木々が数限りなく大地に根を下ろす、魔法の森。
並の人間であれば、森そのものから発せられる妖気や魔力に当てられ、足を踏み入れる事すら敵わない。
それも、今の時刻は子の刻……つまりは夜半。異形の存在や妖の者共が、森の中のみならず幻想郷中を我が物顔で跋扈する時分。
そんな頃の、暗い暗い森の奥。深く深く。
ぽっかりと、その周辺だけ木々が生えていない開けた空間があった。
そんな、森の中の草原のような場所。中央の、なだらかな丘となったその頂上に、彼女――自称・普通の魔法使いである霧雨魔理沙は一人佇んでいた。
愛用の箒を傍らに寝かせ、白黒のエプロンドレスといういつもの衣装に身を包んだ魔理沙は、トレードマークの三角帽子を外して手に取り、天を仰ぐようにして空を見上げていた。
この日は新月であり、周囲の森は普段にも増して漆黒の闇に覆われていたが、その分、夜空の星々はいつになく美しく上天にちりばめられていた。魔理沙の瞳に映し出される星の数は、幾千か、それとも幾万か。数える事などそれこそ野暮の極みだろう。
空では、おのおのの星が種々の色を持って輝き、勝手気ままに瞬いて己の存在を主張している。それでいて星々は、まるで統率された一枚絵のように調和し、天球全面に微細な光の濃淡を描いている。そのさまは正に、自然が創り出す随一の芸術作品。人の手では、表現する事など未来永劫敵わない。
そんな星空の下、魔理沙は身動き一つしない。ただただ雄大な自然美を視界に収めているだけのようだった。
幼さを残しつつ、それでいて端整さをも備えた容姿が仄かな星明かりに浮かび上がり、その横顔はどこまでも気品に溢れている。時折その繊細な金色の髪が風に舞うように揺れる様子は、思わず見とれてしまうほどに美しい。
もし仮に、今の瞬間に魔理沙の傍に誰かがいたとしたら、その者は、上天の星空と、彼女の横顔と、どちらに見惚れる事だろうか。もしかしたらいい勝負になるかも知れない。
それほどに端麗な顔立ちでありながら、けれど今魔理沙のその瞳は、どこか憂いの色を帯びていた。
そして神妙な面持ちのまま、魔理沙はゆっくりと瞳を閉ざしていった。まるで、星々が瞬く、その音色に耳を傾けようとするかのように。
魔理沙は生来の負けず嫌いである。
もっと言えば、負けず嫌いである事がバレバレでありながら、そんな負けず嫌いも嫌いといういささか困った性格をしている。
情報がこれだけであったならば何処ぞのいっぱいいっぱいな氷精と似たようなものであるのだが、そんな事をうっかり魔理沙に言おうものなら彼女の魔砲に吹き飛ばされて後には雑草一本残らないだろう。
実際には魔理沙は、負けず嫌いであると同時に大変な努力家でもある。彼女にとっては、その負けず嫌いという性格が努力という方向に昇華され、大いにプラスに働いていると言える。
その努力によって魔理沙は、弾幕ごっこをたしなむ他の少女達にも引けを取らない実力を培ってきた。
ただそれは言い換えれば、大変な努力をする事によってやっと他者に追い付いているという事になるのだが。
魔理沙の周囲は、特異な能力を備えた少女達で溢れている。
七曜を操る魔女。
時間をその手に握る瀟洒なメイド。
運命の糸を繰りそれを弄ぶ吸血鬼。
破壊という行為を純粋に求めるその妹。
そしてそんな誰より、あらゆる力にも屈する事のない、紅白の巫女。
あくまで普通の魔法使いでしかない魔理沙にとっては、そんな彼女達の相手をするのは分が悪いどころの話ではない。
とりわけ、霊夢との勝負では勝敗を数えるまでもなく、魔理沙は負けが込んでいた。
相手が友人であるとは言え、勝負に負けると悔しい。いや、友人であるからこそなおさら悔しいのかも知れない。
負けて、修行をして、それでもまた負けて、更に修行を続けてやっと勝つ事が出来る。魔理沙にとって霊夢は、友人であるとともに強大なライバルでもあった。
魔法の森の奥の開けたこの空間は、魔理沙の秘密の修行場であると同時に、勝負に敗北した際に独り悔しさに打ちひしがれるための、言わば慰めの場でもあるのだった。
弾幕ごっこに勝つために様々な手段を行使する魔理沙は、時として誰かの弾幕を模倣する事さえも辞さない。
それはともすれば「盗み」なのだが、たとえそう揶揄されようとも魔理沙は気に留める事はない。良いものだからこそ盗まれるんじゃないか、何が悪い? というのが彼女の言い分である。もちろん、某図書館の主にしてみれば、本を持ってかれるわ弾幕は模倣されるわで、たまったものではないのだが。
それに魔理沙は、ただ弾幕を模倣するだけで終わりにするつもりなど微塵も無かった。
自分なりに考えて、盗んだ弾幕に何らかのアレンジを加え、それを自身のスペルカードとする。つまりは弾幕の改良を行なうつもりなのである。弾幕を模倣する事は、魔理沙にしてみれば新たなスペルカードを生み出すひとつの布石に過ぎないのだ。
それはそれで、ゼロから自分でスペルカードを創り出せと言われそうなものだが、それこそ魔理沙は気にしない。
おしなべて、創造は模倣から始まる。そのことを彼女は知っているのだ。だから今の段階では、まだ模倣でも構わない。本当にゼロからイチを創り出せる者など殆どいやしないのだから。
ただ魔理沙は、誰かの弾幕の物真似をするだけで満足が出来るような性格はしていなかった。
どうせ模倣するのなら、もっと壮大なもの――天を飾りし数多の星々を真似てみようじゃないか。誰もが見上げ、そして誰をも魅了してやまないあの星空を。魔理沙はそう決意するに至るのだった。
魔理沙はすでに、星を象ったスペルカード、スターダストレヴァリエを所有していたが、これは、カッコ良さそうだから、という理由だけで魔砲とは別に作ってみたスペルカードだった。今になってみれば、スペルカードに星という素材を選択したその時の思いは正しかったと、魔理沙は思うのだった。
――普通のやつが普通じゃないやつに勝つなんて、凄い事だろう?
何故魔理沙はこれほどまでに勝ちにこだわるのか。その問いへの答えがこれである。
凄いか凄くないか。それだけの事なのかも知れないが、そんな事にこだわるのが、魔理沙らしいと言うべきか。
普通でない者たちが溢れる幻想郷の中で、あくまで「普通の魔法使い」である事。それが魔理沙の矜持であるのだった。
「……よしっ」
一人頷いて、魔理沙は目を開ける。
そこには、先程までのどこか陰りのある面持ちは拭い去られていて、勝ち気に溢れたいつもの魔理沙の表情があった。きらきらと輝く瞳は、恋を夢見る少女と言うよりは、むしろ好奇心に満ちた少年のそれ。
帽子をぽんと頭に載せ、空をにらみつける。その視線の先にあるのは、上天に架かる光の帯。
「やってやるぜ」
一瞬、口元をニヤリと綻ばせ、魔理沙は意識を集中させる。
その右手に握られるは、何も描かれていない一枚の符。
次第に高まる魔力と同時に、意識下で構築されてゆく、星々が夜空を駆けるイメージ。
魔理沙を取り巻きそして溢れる魔力に、彼女の髪が、足元の草花が、周囲の木々がざわめくように震える。
魔力が限界まで高められ、そして彼女の中の星々のイメージと同調し――
「さあ――――行けっ!!」
掛け声とともに符を天高く掲げ、限界を超えた魔力を魔理沙は解放した。
轟音とともに魔理沙から放たれたのは、イメージから具現化された、星を象った大量の魔弾。
その星々の奔流が闇夜を真っ直ぐ貫き、周囲の森に白日の光をもたらす。同時に、星屑と光芒を散らせながら、次々と夜空へと駆けて行く。まるで、地上と天とを結ぶ光の橋を架けようとするかのように。
そして魔力の消耗と共に魔弾の放出は止み、放たれた星々は上天の星々の中へと同化していった。
やがて森は、静寂と暗闇に満たされたもとの表情を取り戻す。
その中で魔理沙は、自らが発現した魔法の余韻に浸る。星を象る魔弾のイメージ、身体に残る魔力の感覚、天へと伸びる星々の道筋。その全てをひとかけらも残さずに胸の中へ収めるために。
「へへ、こいつは最高、だぜ」
ドサッと、仰向けのかたちで草の絨毯へと倒れこむ。視界が全面、星空で埋まる。
魔力を最大限まで解放した興奮からいまだ覚めぬ中、魔理沙はそう一人ごちた。
魔理沙にとっての新たなスペルカード――ミルキーウェイが誕生した瞬間である。