私はあまり変わる事の無い毎日を気ままに暮らしていた。
朝起きて朝食を取る前に軽い自己鍛錬を行い、一刻くらい軽い汗を流す。朝食を取り終えた後部下との一応のミーティングを行い、その後持ち場に着く。
仕事はいたって簡単で、この館の門を守るだけでいいし、そもそもこの館に好き好んでやって来る奴なぞ一部例外を除いて殆どいなかった。
お昼の休憩まで適当に門とその周辺をぶらついて、一応仕事をしているような形をとる。真面目に働いていないと後ろからナイフが飛んでくるからだ。
お昼を食べ終えた後は、また同じく門付近の外周警備に戻る。午前中とほぼ同じコースを眠気と戦いながらぶらついて、侵入しようとする奴が来ていないかを一応確認する。一通り見回りが終えたら、門の付近に戻りそのまま夕食の時間までそこの警備を行う。とは言うものの、ただ門の前で突っ立っているだけなのだが。
夕食が終えたら、そのまま夜勤の担当の引継ぎの時間まで門の前でまた突っ立っている。時間が着たら夜勤のスタッフと交代して、自室に引き上げる。
自室に引き上げた後は基本的に労働時間外なので、自己鍛錬を行う。かなり厳しいものを自らに要求し、約四刻の間集中して行う。部屋の中でやってもいいのだが下の階から静かにしろとの苦情が殺到して以来、人気の無い庭の片隅で行っている。
鍛錬を終えている頃にはヘロヘロになっていて、シャワーで汗を流した後はベッドに倒れこむようにして眠りに付く。
これが私の日常であり、全てであった。しかし、どうやら今日は厄日のようだ。それも特大級の。
「なあ、客に対してあからさまに嫌そうな顔をするもんじゃないと思うぜ。」
「そうね、ここは客に対する礼儀を門番に教えていないのかしら。」
私の目の前にいるのは、紅白の巫女と白黒の魔法使い。魔法使いの方は比較的割と勝手に押し入りにくるのだが、巫女の方は珍しい。そして二人揃って来るのは更に珍しい。
「呼んでいない人は、客なんて到底呼べません。いいから大人しく帰ってください。」
「大人しくするのはそっちの方だぜ。黙って道を空けな。」
「そうよ。私たちは貴方に裂く時間なんて持ち合わせてなんかいないんだから。」
ムッとして何か言い返してやろうと思ったが、何とか冷静になろうと勤めた。口の悪を別にして、この二人の実力は侮れない物だったからだ。というか、いまだに勝った事が無いのだが。
「どうしても、帰らないと言うのならば」
「どうするって言うつもりなんだ。」
「まさか、私達を実力で排除しようって言うんじゃないでしょうね。」
笑いながら私に言い返してくる二人に何も言い返せない自分の不甲斐無さを呪いながら、この事態の打開策を必死で模索した。
勝率は元々低い上に、しかも二人ときているので限りなく零に近くなっている。かと言って、すんなりと通したら職務放棄と見なされてナイフ地獄と減俸地獄が待っている。
この状況はまさしく前門の虎、後門の狼だ。昔の人はよく言ったものだなあと感心してしまった。
「ねえ、警備隊長が変な顔しているわよ。」
「そうね、窮地に陥って現実逃避しているのよ。」
部下達の本人に聞こえる陰口が私の心に深々と刺さって、思わず泣き出しそうになった。この頃良いところがまるで無いので、部下達の私に対する株が大暴落を続けているのだ。私の失敗は少なからず部下にも降りかかるので、殺意すら芽生えているのかもしれない。
「ふん、いい部下を持ったな。羨ましいくらいだぜ。」
「本当、皆貴方の事を慕っているみたいだし。よく理解してくれる部下を持つことはとても良い事よ。」
ニヤニヤ笑いながら私の心の傷に塩を塗りこんでくるこの二人を睨みつけた。
「ひ、人を馬鹿にするのもいい加減にしてください。本気で怒りますよ。」
「別にいいじゃないか。どうせ中国の事だし。」
「それに貴方が怒っているところ、見てみたいものね。」
もう、我慢の限界だった。後のことなぞ知った事か。二人との距離を慎重に測りつつ、身構えた。
「あーあ、また警備隊長が安っぽい挑発に乗っちゃっているよ。」
「まったくだわ。これでよくもまあ警備隊長の肩書きが有るものね。」
この人が窮地に立たされても見てみぬ振りをする部下達のことは一先ず頭から締め出すとして、まずどちらを先に叩くべきなのか。
「いい加減、中国と話すのは飽きてきたな。」
「ええ、一撃でさっさと決めてしまいましょう。」
そう言うや否や、二人とも懐からよく知るスペルカードを取り出した。ぎょっとして、慌てて逃げようとした。
「あの世行きだ!!」
本当に行きかねないので、ぜひ止めて貰えないだろうか。でも、多分止めてくれないので全力で逃げる事にしよう。
「諦めなさい。私達に無駄な時間を取らせた貴方を逃がすとでも思ったの。」
思っていないけど、思いたかった。
「霊符:夢想封印 集!!」
ホーミングする光の玉が私に向かって飛んできて、爆発した。
「きゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」
もろに直撃を受けて空高く吹き飛び、意識もまた飛びかけた。
「恋符:マスタースパーク!!」
光の奔流が、身動きの出来ないボロボロの私を捉える。
「何でいつもこうなるのぉぉぉぉ・・・」
光が私を飲み込み、完全に意識を失った。
目が覚めたら、もうあの二人はいなかった。非常に痛む体を起こし、状況を確認する。夕日が沈みかけているのが見えるのだが、確か私が倒されたのは午前中のことだから優に十二刻以上は気絶していた事になるのだろうか。
「隊長、メイド長からの伝言です。気が付いたらすぐにお嬢様の元に出頭するようにとの事です。」
淡々と部下の一人が咲夜さんからの伝言を読み上げ、去って行った。しかし、その目には冷たいものが秘められていた。またしても部下の人望を失ったようだ。
痛む体を引きずりながら、館の玄関を潜る。長い廊下が見えて気が遠くなりそうになったが、それでも気力を振り絞りお嬢様の部屋までたどり着いた。ノックをして訪問を告げると中に入るように指示が扉越しに出された。
「貴方、何故ここに呼ばれたか分かっているわね。」
入るや早々、お嬢様の詰問が私に降りかかった。その口調はどこか揚揚としていて、まるで待っていたかのようだった。と言うか、殆どお嬢様の楽しみにもうすでになっているのかもしれない。
「はい、弁解の余地もございません。申し訳ありませんでした。」
こう言うしかなかった。少しでも異を唱えたり言い訳でもしたら、それを口実にさらに何を言われるか分からないのだ。
「じゃあ、減俸処分ね。これでこの月に入ってから何回目かしら。いい加減しっかり仕事をして欲しい物ね。」
項垂れて頭を下げているしかなかった。
「ああ後、さっき貴方が呑気に寝ていた時間を労働時間からはずしておくから。それと、度重なる失態の罰として今日から貴方だけはこの館の医療道具は有料ね。その怪我の治療をしたかったら、給料から天引きさせて貰うわ。」
怪しい笑みを浮かべながら、更に私に追い討ちをかけてきた。まるで私が困り果てているのを楽しんでいるかのようだ。
これで話は終わりと言うようにお嬢様が手を振り、お嬢様の傍で控えていた咲夜さんが私を扉まで先導した。咲夜さんが扉を開き、私を外へと促した。
「あ、あの、咲夜さん。後で救急箱を使わせてもらえないでしょうか。お給料が減ってしまいますが、さすがに今度の怪我は手当てをしたいものですから。」
咲夜さんは分かったと言うように頷き、そして扉を閉めた。私はそのまま一旦部屋へ帰ろうと思い、来るときよりも二回りくらい重くなった気持ちと体を引きずりながら部屋を目指した。
届けられた救急箱で怪我の処置を終え、まだ破れていない服へと着替えた。そして今日破られた服をそこら辺から集めた布を使って修繕した。もう要らなくなったカーテンや支給されているメイド服を再利用して布を得ていた。だから可能な限り色を揃えるようにしているが、私の服をよく見ると色が斑に成っているのが見て取れた。
度重なる減俸で食べるのがやっとの状態で、新しく服を買うことなど出来る訳が無かった。だから何とか縫いつくろう事でギリギリしのいでいるのだが、近頃は汚さそうだから一緒に洗いたくないと言われて洗濯に出しても拒否されている。仕方がないので空いた時間を見繕って湖に洗濯に行くのだが。
縫い付け作業をしながら、今日の厄日ぶりを振り返るって落ち込みそうになった。すでにここでの生活はどん底にまで来ているが、どん底だと思うごとに更に下が待っているのだ。でも、きっと明日には良い事が待っているかもしれないので、明日も精一杯頑張ろうと思った。笑う門に何とやらだ。明日は笑顔を忘れないようにしよう。
一通り修繕が終わると軽いストレッチをするためにいつもの場所へ向かった。いつもの日課を変える気はしないのだが、さすがに今日は軽く流そうと思った。
ストレッチを開始する前に、今日の敵に対するイメージトレーニングをしてみた。ここ最近イメージの中では相手の隙が見えるようになってきて、これがいつの日か勝利に結びつくのではないかと思っていた。実際にはイメージ通りに動いてくれるわけではないが。
一通りイメージトレーニングを終えたら、今度こそ軽いストレッチをし、少し体が温まってきたのでもう少し実践的な鍛錬もすることにした。
「給料アップ、給料アップ、お腹いっぱいご飯が食べたいな!!」
悲願実現のために願掛けの意味合いを込めて、このような怪しい掛け声を出すようになったのはいつの頃からだろうか。人にはまず聞かれたくないものだが、何故か止める事が出来ずにいる。
さすがに体が明日に堪えそうになってきたので、切り上げる事にした。屋敷の中に戻ろうとして、地面に綺麗なタオルと飲み水が入ったカップが置かれていることに気が付いた。誰が何のためにここに置いたのかは知らないが、辺りを見渡しても誰もいないのでよろしく頂戴する事にした。
うん、やっぱり良い事があった。明日も良い事がありますように。
あれから一週間、何事もなく過ぎた。私もすっかり傷も癒え、毎日平穏にすごすことが出来た。しかし、夜の鍛錬の時間を倍にした。いい加減これ以上失態を繰り返すと、後が無いからだ。
「精が出ているわね。」
鍛錬に夢中になっていたので、声をかけられるまで人の接近に気が付かなかった。慌てて声の主を探すと、少し離れたところに咲夜さんが立っていた。
「あ、咲夜さん、こんばんわ。どうしたんですか、こんな時間にこんな所へ。」
「別に、ただの散歩よ。お嬢様はもうお眠りになられているから、少し寝る前に気分転換でもと思ったのよ。」
近頃のお嬢様は博麗神社の巫女の生活時間帯に合わせるようになったので、基本的に早寝早起きをする。
「そうですか。咲夜さんは大変ですね、メイド長という地位のお仕事ってハードでしょう。くれぐれもお体を大切にしてくださいね。たまに息抜きをする事も大切ですよ。」
「ありがとう。それにしても本当に精が出ていたわね。なかなか話しかけるタイミングが見つからなかったわ。」
「ああ、そうでしたか。どうやら少しお待たせさせてしまったようですから、すいませんでした。って言うか、じゃあ私が何か言っていたのも聞いていたんですか。」
「そうね、お給料上がるといいわね。」
聞かれていた。私のあの掛け声だけは誰にも聞かれたくなかったのに、よりにもよって咲夜さんに聞かれていたとは。顔が一気に赤面するのが分かったが、ここは何とか言い繕わなければ。
「あ、あれはですね、その、何て言うか・・・」
「別に私が誰かに言い触らす訳じゃないから気にする必要は無いわよ。美鈴の昇給がカットされてから随分とたつ事だしね。」
情け無い気持ちに襲われて、しょげた。何だか急に乗り気がしなくなったので、今日の鍛錬はここで切り上げて部屋に帰ることにした。
「ねえ、美鈴。少し私と付き合ってくれないかしら。」
肩をすくめてトボトボと歩き出そうとした私を咲夜さんが呼び止めた。
「え、ええ、いいですよ。どうせ今日はもう暇ですから。でも私なんかでいいんですか、もっと適役がいるのでは。」
「ご大層な事をするわけじゃないから、美鈴でいいのよ。ここ最近、まともに体を動かしていないから私の鬱憤晴らしに付き合ってもらうだけだから。」
そう言って早くも咲夜さんはナイフを構えた。私は慌てて抗議をしようとしたが、咲夜さんの表情は本気じゃなかったし邪悪なものも感じられなかったので、私も身構えた。恐らく、本当に気晴らしレベルに違いない。
始めてから三刻ぐらいが経過して、お互いに動くのを止めた。さすがの咲夜さんも息が上がっていた。
「ありがとう、美鈴。お陰でいい気分転換になったわ。」
そう言って咲夜さんは自室に引き上げて行った。私も柔軟体操をしてから部屋へ帰った。
寝る前に、明日咲夜さんにお礼を言っておこうと思った。やはり一人の鍛錬では限界と言うものがあり、咲夜さんのお陰でいい経験が出来たのだ。
いい加減目蓋が重くなってきたので、とりあえず心の中で咲夜さんにお礼を言って明日に備えて眠りに付いた。
あれから二週間が経った。咲夜さんは随分鬱憤が溜まっていたらしく、夜になるとよく私と弾幕ごっこしてくれた。しかし、咲夜さんの攻撃は本気なのだが私を仕留めるといった感じのものではなく、どこか私を試すといった感じであった。咲夜さんとしては多分私の程度を計るつもりだったのかもしれないけど、そのお陰で随分と私だけでは気づかなかった事を教えてもらうことになって、感謝の念が絶えなかった。お給料に響かないといいけど。
この咲夜さんとの鍛錬の成果が、今起きている奇跡に繋がったに違いない。なんとあの黒白の魔法使いと対等に渡り合えているのだ。
「くそ、お前本当に中国か!?」
見える、見えるのだ。色々と失礼な事を言う黒白のパンダ色72%黒の魔法使いの弾幕が手に取るように見えるのだ。何だか今日は不思議と負ける気がしなかった。
「はあ、はあ、く、くそ、何故だ、何故なんだ。どうして私の攻撃が当たらないんだ!?」
「日頃の鍛錬の成果です。いつまでも魔理沙さんに負けっぱなしでは私が食べていけませんからね。ハングリー精神を侮ってはいけませんよ。」
「中国、お前あれか。パチュリーの色々と怪しい薬をやっているんだな。止めておけ、今はいいかもしれないけどそのうち絶対にツケが回ってくるから。人間、体が資本だぜ。」
「勝手に人を薬物中毒者にしないでください!!」
そう言って相手を睨み据えた。次の一撃で仕留める為に、全身から力を搾り出し気を集中させた。私の気配を悟ったのか魔理沙さんも身構えて強力な気配を滲み出させてきた。お互いに次の一手で決めるべく、必殺の一撃を放とうとしているのだ。
マスタースパークなら放つまでに一瞬の隙が出来る。その間に私が魔理沙さんの懐に潜りもめれば勝ち、出来なければ私の負けだ。互いに必殺の攻撃なので当たればどうなるか分からないし、運が悪ければ死にも至るだろう。
場に互いの気が満ちてきた。最早いつ静から動に替わってもおかしくない。どんなきっかけでもいい、例えば舞っている木の葉が地面に落ちる事でもいい。
風が吹いた気がしたが、その時私は全力で地面を蹴っていた。魔理沙さんも箒に乗って後退をする。始めからある程度は後退をして距離を稼ぐ事は予測していたが、しかし予想以上の速さで後退をしている。何をしかけてくるつもりかは分からないが、もう既に駆け出しているので止まるわけにはいかなかった。
後五歩の距離。奪幕を展開しつつ右の拳に気を集めた。
後四歩の距離。魔理沙さんの弾幕が幾つか私の体に当たったが、駆け続けた。止まればそこで負けるからだ。
後三歩の距離。身を縮め、必殺の拳を撃ち込むための姿勢をとる。また体に弾幕が当たったが、私の勢いは殺せなかった。
後二歩の距離。急に魔理沙さんの気配が変わった。弾幕を撃つのを止め、強力な力を放ちながら箒ごと回転しながら突っ込んできた。回りには何故か星まで撒き散らしている。
後一歩の距離。私の予測は完全に外れたが、私に出来る事はただ一つしかなかった。全身全霊の気を右の拳に集め、全力で魔理沙さんを迎え撃つ為に拳を繰り出した。
凄まじい衝撃を感じ、次の瞬間視界は暗転した。
意識を取り戻した。急いで魔理沙さんの姿を確認する為に体を起こそうとしたが、激痛に阻まれて再度地面に倒れた。全身が燃えるように痛かったが、何故か右腕からは何も感じなかった。
「よう、中国。お前も起きたんだな。」
そう言って魔理沙さんが私の視界に中に現れた。魔理沙さんもかなりボロボロになっていたが、結局今回も魔理沙さんに軍配が上がったようだ。
何だか無性に悔しくて、涙が出てきてしまった。
「まったく、中国がここまでやるとは思わなかったぜ。本当に何をしたらここまで強くなれたんだ。」
涙が更に出てきた。飢えと冷たい目に耐えながら咲夜さんにまで手伝ってもらって頑張ったのに、結局負けてしまった。
「そう落ち込むなよ、中国。お前の敗因を教えてやろうか。」
涙で濡れる目で魔理沙さんを睨みながら、頷いた。それを見て魔理沙さんはニヤリと笑った。
「私を熱くさせた事。それが敗因だぜ。」
全身の痛みは最早感じなくなっていた。ただ何も感じる事が出来なくなっていただけだった。
見上げれば鬱蒼と生い茂る木々の葉が見える。ここで手に入るだろう木の実などを食べれば飢えを凌げるかもしれないが、胃が食べ物を受け付けないのでどうしようもなかった。水だけで当面は凌いでいたが、もう飲む事を止めた。今となってはどうでもいいことだったからだ。
紅魔館に程近いこの森で、私は待つ事にした。恐らく私を追ってきてくれる人を。そして私の運命を。
森の中を風が吹き抜けた。風に煽られて服の右袖がはためくのが見えた。しかし、何度見てもその先に在るはずの右腕は無かった。
魔理沙さんに突き出した右腕は、最早手のつけようが無い程完全に潰れていた。パチュリー様の力なら何とかなったかもしれないが、私が魔理沙さんを傷つけたのでかなりご立腹の様子なので諦めざるをえなかった。しかし、このまま放置しておくわけにはいかないので切り落とす事になってしまったのだ。
風が収まり、また森の中に静寂が訪れた。体はもう限界を超えていて、意識はよく途切れ絶えず荒い呼吸をしている。ここまで来れたのが不思議なくらいだったが、どうやらここが私の死に場所らしい。もう一歩も動く気が起きなかった。
腕が片方無くなった私は、弾幕を張るのもそうだが私の一番の持ち味である接近戦の能力が酷く低下した。それ故に魔理沙さんとの戦闘の直後に隊長格から降格をして平になってしまった。そして今月分の給料は全て治療費と減俸で飛び、食事が取れなくなってしまった。しかし、私は耐えようとした。いつか必ず良い事があると信じて。
だが現実はそう甘くなかった。新たに隊長格になった者が、私を目の敵にしていたからだ。常々実力さえあれば私の方が隊長にふさわしいと愚痴っていて、よく私に反抗的な態度を取っていた。しかし、私はいつの日か分かり合える日が来ると思って常に目を瞑っていたが、どうやら彼女は私が目障りでしょうがなかったらしい。右腕以外にも私の体は酷く傷ついていて満足に身動きもできないというのに、休む暇も与えてくれずに無理難題を私に押し付けてきたのだ。飢えと痛みを我慢しながら精一杯頑張ったが、当然追行できる訳が無かった。
上げていた顔を下ろした。その動作をしただけでも一瞬視界が暗転したが、それでも立っていようと思った。後どれだけ立っていられるか分からないが、私が待つその時まで立っていたかった。
毎日が地獄だった。私は紅魔館での仕事の面でも生活の面でも追い詰められていった。当然私に救いの手を差し伸べてくれる人がいる訳も無く、紅魔館で一人孤立して行った。それでも耐えようと思った。いつか報われる日が来る事を信じて。
気が付くと、小さな足音が聞こえてきた。その足音が確かに私に向かっている事を悟り安堵した。どうやら間に合ってくれたらしい。
昔から紅魔館の労働者は耐え切れずに夜逃げをする事が有ったらしい。しかし、翌日にはこの森でナイフによって磔にされているのを目撃したとの話もよく聞いた事があった。
だが、あえて私は紅魔館を出てこの森に来た。耐えて頑張ろうという気持ちよりも、この森に来たいという衝動の方が日を追うごとに強くなり抑えきれなくなったのだ。
樹の陰からよく知っている人物が現れた。十六夜咲夜。私が待ち望んでいた人だ。
咲夜さんは何も言わずにナイフを構えた。その目には一切の感情の光が灯っておらず、しかしそれに私は安心した。
私の体が死に向かっている事を悟った。無理な体で無理な事をさせられていくうちに、私の体の中で何かが近づいて来るのを感じたのだ。始めはそれとなく、しかし気が付けばすぐそこまで来ていた。
私にできる唯一の事と言えば、自分の死に方を選ぶ事だけだった。だから私はこの最後を選んだ。咲夜さんには悪いと思ったが、私はこの人に人生の幕を引いて貰いたかったのだ。何故咲夜さんなのかは自分でも良く分からない、いつも何処かで咲夜さんの背中を探していたからかもしれない。それも何故だか分からないが。
咲夜さんの体が静かに宙に舞った。目を閉じ、私の望んだ運命を受け入れた。
頬を冷たい何かが掠める感じがしたので、目を開いた。ナイフ。私の顔の横にあった。
「お願いですから、ちゃんと殺してください。」
目の前にいる咲夜さんの表情は変わらなかったが、ナイフを握る手が少し震えている気がした。再度ナイフが振られる。しかし、今度は私の首の直前で止まった。
「何故」
ポツリと言葉を発した咲夜さんの目に、苦悩の色が現れていた。以外だな、と少し場違いな感想を思ったら、急に意識が遠のいた。残っている気力を振り絞って堪えた。二度と覚めぬ眠りは、私が望む最後ではなかった。
「何故」
そう言う咲夜さんの目に更に色んな感情の色が現れた。いつもの咲夜さんは何処へ行ってしまったのだろうか。
「咲夜さん、何故戸惑うのですか。」
「私が、美鈴を、殺したくないから。」
唸るような声を出して、咲夜さんが答えた。
「何故私を殺したくないのですか。」
「美鈴の痛みを、苦しみを理解できるからよ。」
「何故」
今度は私が問う番だった。ナイフを持つ腕が引かれ、咲夜さんが一歩後退した。
「私も同じ経験をした事があるから、美鈴の辛さが分かるの。」
「えっ」
咲夜さんが回りから拒絶されて追い詰められる姿なんてまるで想像できないが、それでも咲夜さんの目は嘘を言っているようには見えなかった。
不意に視界が暗転し、体中の感覚が消えた。再び意識が回復すると、私は咲夜さんの胸の中に居た。どうやら倒れこんだ時に咲夜さんが抱き止めてくれたようだ。
「美鈴は優しすぎるのよ。」
何が、と問おうとしたが、咲夜さんがもう喋るなと言うように顔を横に振る。
「あの状況の中で生きていくには、美鈴は優しすぎたのよ。私は追い詰められた時、周りの人間を殺すという選択を取ったわ。だけど美鈴は自分を殺して耐えようとした。」
そう言われてみると、そうかもしれないと思った。有るかどうか分からない小さな幸せを求めて、自分を騙し続けてきたのだ。それが惨めな私にとってピッタリの生き方だった。
「私を憎んでもくれてもいいわよ、美鈴。いくらお嬢様から止められていたとは言え、美鈴がボロ布の様になっていくのを黙って見ていただけだから。」
嬉しかった。咲夜さんがこんな風に私の事を思ってくれていただけでも、私が生きていた意味があるというものだ。
「咲夜さんが気にすることはありませんよ。私が単に意気地が無かっただけの事ですから。」
「美鈴・・・」
「それに、この結果だって私が単に自分に嘘を付く事に疲れただけの事ですから、私の方こそ咲夜さんにご迷惑をお掛けしていますから。」
咲夜さんが腕に力を込めてきた。しばしの静寂の中、私は咲夜さんの鼓動を感じていた。しかし、もう時間だ。
「咲夜さん、お願いです。勝手な事とは分かっていますが、私を咲夜さんの手で殺してください。せめて、最後くらいは私が特別な感情を持った人の手で・・・」
急に息苦しくなり、これ以上喋る事が出来なくなってしまった。咲夜さんは分かってくれただろうか。しばらく悶絶した後、最後の力を振り絞って私が敬愛する人の名前を呼んだ。
「咲夜さん・・・」
「分かっているわ、美鈴。私が責任を持って美鈴を殺してあげる。だから、もう楽になりなさい。美鈴はもう十分頑張ったから。」
どこか辛そうな声を聞いて、咲夜さんの表情を見なくてすんだ事に感謝をした。最後まで私の心の咲夜さんをこれ以上変えずに済むからだ。
目を瞑り、体を楽にした。私のすぐ傍まで来ていた存在に、ちょっと手を挙げ挨拶をした。
出来る限り人目が付かないように気をつけながら、目的の庵を目指した。時折時を止めつつ、限られた時間を有効に使う。
目的の庵につき、戸をノックする。帰ってきた返事に軽く答え、扉を開ける。上白沢慧音。そして何故かアリス・マーガトロイド。しかし、私が気にしているのはこの二人ではなかった。
「安心しろ、まだ帰ってくる時間ではない。」
美鈴と約束を交わした後、力なくグッタリとしている美鈴をここまで運んだ。美鈴の命を救う為にはどうしても誰かの助けが必要で、パチュリー様以外の知識人を頼ったという事だ。
全力で時を止めつつ、意識の無い美鈴を連れて一路慧音の家を目指した。幸か不幸かは知らないがその道中、弾幕ごっこを展開している連中と遭遇した。
蓬莱山輝夜と藤原妹紅。そして傍らには八意永琳と慧音が互いに牽制し合い、残る二人の殺し合いの邪魔をさせまいとしていた。
とりあえず永琳と慧音の間に割って入り、急ぎ二人に事情を説明し協力を仰いだ。そのためにはお嬢様以外には滅多に下げた事の無い頭を下げる事もした。その事に驚いたのか二人は無碍に断る事はしなかった。しかし、合意には至らなかった。
その時激化していた弾幕ごっこの流れ弾が私達の方にも来ので、殺し合いをしていた馬鹿二人組みをナイフで強引に黙らせ、その後永琳と慧音を私の美徳とちらつかせたナイフで説得をした。
ギリギリの所で永琳が応急処置を施しとりあえず一命だけは取り留めたので、その場所から一番近かった慧音の庵に美鈴の体を移し、今に至る。
「それはどうも。ところで美鈴のその後の容態は。とりあえず居ないところを見ると、歩き回れるほどには回復したみたいだけど。」
「あの後二月は意識が無かったな。それからは起きられるようになるまでに三月。まあ、八意永琳の薬が無ければ一刻もしないうちに死んでいただろうがな。」
「そう、それは良かった。」
「だが、身体的能力と弾幕展開能力はそうもいかない。はっきり言って今のあの娘はそこら辺の村娘と変わらん。多分、直る見込みも皆無だ。命があるだけでも奇跡なのだからな。」
「そう・・・」
少し重苦しい雰囲気が漂いだしたので、話題を変える事にした。
「ところで、何故ここにアリス・マーガトロイドがいるの。」
「ああ、それは」
「私が説明するわ。慧音から依頼を受けて中国の義手を作ったの。それで今日は義手のメンテの日と言うわけ。なかなか義手って色々と手間がかかるものなのよ。」
「義手?」
「そうよ、中国が片手じゃ可愛そうだからって中国に合う様な義手を作ったのよ。まったく冗談じゃないわよ、何で私が人形使いだからって義手なんて作らなきゃならないのよ。どこぞの人形使いじゃあるまいし、今まで作った事も無かったわ。」
「じゃあ、何で引き受けたの。」
「魔理沙の馬鹿が起こした事の後始末くらい、私がやらなきゃ誰もやらないからよ。肝心の魔理沙は見栄張ってパチュリーから本を借りて来たはいいけど、帰路の途中で倒れて動かなくなっていたし。私がたまたま通りかからなきゃ魔理沙もどうなっていた事か。」
美鈴は負けてはいなかった。ただほんの少し魔理沙の方が見栄っ張りだっただけの事だ。
「それで、魔理沙は。」
「今はリハビリ中よ。肋骨を何本も折っていて本当に危なかったところなの。」
魔理沙の馬鹿がと小声で罵るアリスを、慧音が何やらニヤニヤとした顔で見ていた。そしてさり気なく小声で私に、あれでも付き添いで看病している事を耳打ちしてきた。
「それにな、別にあの娘の為だけにアリスをここに呼んでいる訳ではないぞ。アリスの社会復帰の為でもあるんだ。ここに来る度に村の子供達に人形を使ってちょっとした物を見せているから、子供達の間じゃ受けが良くてな。今じゃあのアリス・マーガトロイドがアリスお姉ちゃんだからな。」
アリスが険しい顔をして慧音を睨んでいるが、当の慧音は素知らぬ顔だ。
そろそろ帰らなければならない時間になった。まだ昼なのでいつまでも人里に居るわけにはいかない。そんな事をすればお嬢様に要らぬ嫌疑を持たせてしまうからだ。
「もう帰っちゃうの。せっかく来たんだから中国に会っていけばいいのに。」
「止めておくわ。私は美鈴に会いに来た訳じゃないから。」
「お前等、ちょっといいか。」
慧音が改まって言って来た。
「今はあの娘の名前は紅美鈴ではない。中国という本名よりも知られている名でもない。そこらへんは注意しくれと前にも言ったはずだがな、アリス。」
「名前を変えたということは」
「ああ、そうだ。お前に言われたとおり、あの娘の記憶を消しておいた。今更だが、本当に良かったのだな。」
「ええ、私は美鈴に約束したのよ、美鈴を殺すって。でも、私は美鈴の息の根を止めたくなかった。だからそれまでの記憶を消す事で美鈴という存在を殺す事にしたの。」
記憶を消し名を変える。これが私に出来る唯一の美鈴の殺し方だった。ナイフで心臓を突くなど、百回試しても百回失敗するだろう。私は美鈴が思っていたほど完璧ではないのだ。
「そうか、じゃあついでに今の名を知っておきたいか。」
「結構よ。知らなければ起きない面倒事だってあるのよ。それに、私には知る資格が無い。」
「ふむ、お前も意外と面倒な奴なんだな。」
その会話を最後に、私は外に出た。そして、可能な限り素早く人目が付かないように時を何度も止めながら移動を開始した。せっかくお嬢様には死亡と報告したのに、ばれて要らぬ悪巧みを考えられては元も子もない。そこら辺は関係者に強く注意をしておいたし、同時に同意も得られた。しかし、このメイド服は目立ってしょうがないので、私が原因になりかねない。
そろそろ人里を出るという時だった。里の門の前に誰かが立っていた。赤髪で碧眼の少女。どうやら昔の週間は抜け切っていないらしい。何をする事も無くボーと立っている少女の脇を抜け、帰路に着こうとした。
「あ、あの」
よく聞きなれた声で、話しかけられた。予想していなかったので内心舌打ちをし、時を止めて行けば良かったと後悔した。
「何かしら、私は忙しいんだけど。」
「あ、すいません。その、見かけない人だったから、つい」
どうやら記憶を失っても本質は変わらないようだ。
「知らない人に声を掛けられても掛けても駄目よ。ただでさえ地に足が着いてなさそうなのに。」
「あ、う、すいません。ところで貴方は。」
「貴方が知らなくてもいい人間よ。」
そう言い捨ててこの場を去ろうとした。
「あの、また会えますか。」
「いいえ、もう二度と会うことは無いでしょうね。」
そう言い残し、時を止めて今度こそこの場を去った。
もう、この里に来るのは止めようと思った。今の美鈴に必要なのは未来であって、私は過去に過ぎない。
一つ仕事が出来た。紅魔館に付く前に、不覚にも出してしまった涙を止める事だ。
朝起きて朝食を取る前に軽い自己鍛錬を行い、一刻くらい軽い汗を流す。朝食を取り終えた後部下との一応のミーティングを行い、その後持ち場に着く。
仕事はいたって簡単で、この館の門を守るだけでいいし、そもそもこの館に好き好んでやって来る奴なぞ一部例外を除いて殆どいなかった。
お昼の休憩まで適当に門とその周辺をぶらついて、一応仕事をしているような形をとる。真面目に働いていないと後ろからナイフが飛んでくるからだ。
お昼を食べ終えた後は、また同じく門付近の外周警備に戻る。午前中とほぼ同じコースを眠気と戦いながらぶらついて、侵入しようとする奴が来ていないかを一応確認する。一通り見回りが終えたら、門の付近に戻りそのまま夕食の時間までそこの警備を行う。とは言うものの、ただ門の前で突っ立っているだけなのだが。
夕食が終えたら、そのまま夜勤の担当の引継ぎの時間まで門の前でまた突っ立っている。時間が着たら夜勤のスタッフと交代して、自室に引き上げる。
自室に引き上げた後は基本的に労働時間外なので、自己鍛錬を行う。かなり厳しいものを自らに要求し、約四刻の間集中して行う。部屋の中でやってもいいのだが下の階から静かにしろとの苦情が殺到して以来、人気の無い庭の片隅で行っている。
鍛錬を終えている頃にはヘロヘロになっていて、シャワーで汗を流した後はベッドに倒れこむようにして眠りに付く。
これが私の日常であり、全てであった。しかし、どうやら今日は厄日のようだ。それも特大級の。
「なあ、客に対してあからさまに嫌そうな顔をするもんじゃないと思うぜ。」
「そうね、ここは客に対する礼儀を門番に教えていないのかしら。」
私の目の前にいるのは、紅白の巫女と白黒の魔法使い。魔法使いの方は比較的割と勝手に押し入りにくるのだが、巫女の方は珍しい。そして二人揃って来るのは更に珍しい。
「呼んでいない人は、客なんて到底呼べません。いいから大人しく帰ってください。」
「大人しくするのはそっちの方だぜ。黙って道を空けな。」
「そうよ。私たちは貴方に裂く時間なんて持ち合わせてなんかいないんだから。」
ムッとして何か言い返してやろうと思ったが、何とか冷静になろうと勤めた。口の悪を別にして、この二人の実力は侮れない物だったからだ。というか、いまだに勝った事が無いのだが。
「どうしても、帰らないと言うのならば」
「どうするって言うつもりなんだ。」
「まさか、私達を実力で排除しようって言うんじゃないでしょうね。」
笑いながら私に言い返してくる二人に何も言い返せない自分の不甲斐無さを呪いながら、この事態の打開策を必死で模索した。
勝率は元々低い上に、しかも二人ときているので限りなく零に近くなっている。かと言って、すんなりと通したら職務放棄と見なされてナイフ地獄と減俸地獄が待っている。
この状況はまさしく前門の虎、後門の狼だ。昔の人はよく言ったものだなあと感心してしまった。
「ねえ、警備隊長が変な顔しているわよ。」
「そうね、窮地に陥って現実逃避しているのよ。」
部下達の本人に聞こえる陰口が私の心に深々と刺さって、思わず泣き出しそうになった。この頃良いところがまるで無いので、部下達の私に対する株が大暴落を続けているのだ。私の失敗は少なからず部下にも降りかかるので、殺意すら芽生えているのかもしれない。
「ふん、いい部下を持ったな。羨ましいくらいだぜ。」
「本当、皆貴方の事を慕っているみたいだし。よく理解してくれる部下を持つことはとても良い事よ。」
ニヤニヤ笑いながら私の心の傷に塩を塗りこんでくるこの二人を睨みつけた。
「ひ、人を馬鹿にするのもいい加減にしてください。本気で怒りますよ。」
「別にいいじゃないか。どうせ中国の事だし。」
「それに貴方が怒っているところ、見てみたいものね。」
もう、我慢の限界だった。後のことなぞ知った事か。二人との距離を慎重に測りつつ、身構えた。
「あーあ、また警備隊長が安っぽい挑発に乗っちゃっているよ。」
「まったくだわ。これでよくもまあ警備隊長の肩書きが有るものね。」
この人が窮地に立たされても見てみぬ振りをする部下達のことは一先ず頭から締め出すとして、まずどちらを先に叩くべきなのか。
「いい加減、中国と話すのは飽きてきたな。」
「ええ、一撃でさっさと決めてしまいましょう。」
そう言うや否や、二人とも懐からよく知るスペルカードを取り出した。ぎょっとして、慌てて逃げようとした。
「あの世行きだ!!」
本当に行きかねないので、ぜひ止めて貰えないだろうか。でも、多分止めてくれないので全力で逃げる事にしよう。
「諦めなさい。私達に無駄な時間を取らせた貴方を逃がすとでも思ったの。」
思っていないけど、思いたかった。
「霊符:夢想封印 集!!」
ホーミングする光の玉が私に向かって飛んできて、爆発した。
「きゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」
もろに直撃を受けて空高く吹き飛び、意識もまた飛びかけた。
「恋符:マスタースパーク!!」
光の奔流が、身動きの出来ないボロボロの私を捉える。
「何でいつもこうなるのぉぉぉぉ・・・」
光が私を飲み込み、完全に意識を失った。
目が覚めたら、もうあの二人はいなかった。非常に痛む体を起こし、状況を確認する。夕日が沈みかけているのが見えるのだが、確か私が倒されたのは午前中のことだから優に十二刻以上は気絶していた事になるのだろうか。
「隊長、メイド長からの伝言です。気が付いたらすぐにお嬢様の元に出頭するようにとの事です。」
淡々と部下の一人が咲夜さんからの伝言を読み上げ、去って行った。しかし、その目には冷たいものが秘められていた。またしても部下の人望を失ったようだ。
痛む体を引きずりながら、館の玄関を潜る。長い廊下が見えて気が遠くなりそうになったが、それでも気力を振り絞りお嬢様の部屋までたどり着いた。ノックをして訪問を告げると中に入るように指示が扉越しに出された。
「貴方、何故ここに呼ばれたか分かっているわね。」
入るや早々、お嬢様の詰問が私に降りかかった。その口調はどこか揚揚としていて、まるで待っていたかのようだった。と言うか、殆どお嬢様の楽しみにもうすでになっているのかもしれない。
「はい、弁解の余地もございません。申し訳ありませんでした。」
こう言うしかなかった。少しでも異を唱えたり言い訳でもしたら、それを口実にさらに何を言われるか分からないのだ。
「じゃあ、減俸処分ね。これでこの月に入ってから何回目かしら。いい加減しっかり仕事をして欲しい物ね。」
項垂れて頭を下げているしかなかった。
「ああ後、さっき貴方が呑気に寝ていた時間を労働時間からはずしておくから。それと、度重なる失態の罰として今日から貴方だけはこの館の医療道具は有料ね。その怪我の治療をしたかったら、給料から天引きさせて貰うわ。」
怪しい笑みを浮かべながら、更に私に追い討ちをかけてきた。まるで私が困り果てているのを楽しんでいるかのようだ。
これで話は終わりと言うようにお嬢様が手を振り、お嬢様の傍で控えていた咲夜さんが私を扉まで先導した。咲夜さんが扉を開き、私を外へと促した。
「あ、あの、咲夜さん。後で救急箱を使わせてもらえないでしょうか。お給料が減ってしまいますが、さすがに今度の怪我は手当てをしたいものですから。」
咲夜さんは分かったと言うように頷き、そして扉を閉めた。私はそのまま一旦部屋へ帰ろうと思い、来るときよりも二回りくらい重くなった気持ちと体を引きずりながら部屋を目指した。
届けられた救急箱で怪我の処置を終え、まだ破れていない服へと着替えた。そして今日破られた服をそこら辺から集めた布を使って修繕した。もう要らなくなったカーテンや支給されているメイド服を再利用して布を得ていた。だから可能な限り色を揃えるようにしているが、私の服をよく見ると色が斑に成っているのが見て取れた。
度重なる減俸で食べるのがやっとの状態で、新しく服を買うことなど出来る訳が無かった。だから何とか縫いつくろう事でギリギリしのいでいるのだが、近頃は汚さそうだから一緒に洗いたくないと言われて洗濯に出しても拒否されている。仕方がないので空いた時間を見繕って湖に洗濯に行くのだが。
縫い付け作業をしながら、今日の厄日ぶりを振り返るって落ち込みそうになった。すでにここでの生活はどん底にまで来ているが、どん底だと思うごとに更に下が待っているのだ。でも、きっと明日には良い事が待っているかもしれないので、明日も精一杯頑張ろうと思った。笑う門に何とやらだ。明日は笑顔を忘れないようにしよう。
一通り修繕が終わると軽いストレッチをするためにいつもの場所へ向かった。いつもの日課を変える気はしないのだが、さすがに今日は軽く流そうと思った。
ストレッチを開始する前に、今日の敵に対するイメージトレーニングをしてみた。ここ最近イメージの中では相手の隙が見えるようになってきて、これがいつの日か勝利に結びつくのではないかと思っていた。実際にはイメージ通りに動いてくれるわけではないが。
一通りイメージトレーニングを終えたら、今度こそ軽いストレッチをし、少し体が温まってきたのでもう少し実践的な鍛錬もすることにした。
「給料アップ、給料アップ、お腹いっぱいご飯が食べたいな!!」
悲願実現のために願掛けの意味合いを込めて、このような怪しい掛け声を出すようになったのはいつの頃からだろうか。人にはまず聞かれたくないものだが、何故か止める事が出来ずにいる。
さすがに体が明日に堪えそうになってきたので、切り上げる事にした。屋敷の中に戻ろうとして、地面に綺麗なタオルと飲み水が入ったカップが置かれていることに気が付いた。誰が何のためにここに置いたのかは知らないが、辺りを見渡しても誰もいないのでよろしく頂戴する事にした。
うん、やっぱり良い事があった。明日も良い事がありますように。
あれから一週間、何事もなく過ぎた。私もすっかり傷も癒え、毎日平穏にすごすことが出来た。しかし、夜の鍛錬の時間を倍にした。いい加減これ以上失態を繰り返すと、後が無いからだ。
「精が出ているわね。」
鍛錬に夢中になっていたので、声をかけられるまで人の接近に気が付かなかった。慌てて声の主を探すと、少し離れたところに咲夜さんが立っていた。
「あ、咲夜さん、こんばんわ。どうしたんですか、こんな時間にこんな所へ。」
「別に、ただの散歩よ。お嬢様はもうお眠りになられているから、少し寝る前に気分転換でもと思ったのよ。」
近頃のお嬢様は博麗神社の巫女の生活時間帯に合わせるようになったので、基本的に早寝早起きをする。
「そうですか。咲夜さんは大変ですね、メイド長という地位のお仕事ってハードでしょう。くれぐれもお体を大切にしてくださいね。たまに息抜きをする事も大切ですよ。」
「ありがとう。それにしても本当に精が出ていたわね。なかなか話しかけるタイミングが見つからなかったわ。」
「ああ、そうでしたか。どうやら少しお待たせさせてしまったようですから、すいませんでした。って言うか、じゃあ私が何か言っていたのも聞いていたんですか。」
「そうね、お給料上がるといいわね。」
聞かれていた。私のあの掛け声だけは誰にも聞かれたくなかったのに、よりにもよって咲夜さんに聞かれていたとは。顔が一気に赤面するのが分かったが、ここは何とか言い繕わなければ。
「あ、あれはですね、その、何て言うか・・・」
「別に私が誰かに言い触らす訳じゃないから気にする必要は無いわよ。美鈴の昇給がカットされてから随分とたつ事だしね。」
情け無い気持ちに襲われて、しょげた。何だか急に乗り気がしなくなったので、今日の鍛錬はここで切り上げて部屋に帰ることにした。
「ねえ、美鈴。少し私と付き合ってくれないかしら。」
肩をすくめてトボトボと歩き出そうとした私を咲夜さんが呼び止めた。
「え、ええ、いいですよ。どうせ今日はもう暇ですから。でも私なんかでいいんですか、もっと適役がいるのでは。」
「ご大層な事をするわけじゃないから、美鈴でいいのよ。ここ最近、まともに体を動かしていないから私の鬱憤晴らしに付き合ってもらうだけだから。」
そう言って早くも咲夜さんはナイフを構えた。私は慌てて抗議をしようとしたが、咲夜さんの表情は本気じゃなかったし邪悪なものも感じられなかったので、私も身構えた。恐らく、本当に気晴らしレベルに違いない。
始めてから三刻ぐらいが経過して、お互いに動くのを止めた。さすがの咲夜さんも息が上がっていた。
「ありがとう、美鈴。お陰でいい気分転換になったわ。」
そう言って咲夜さんは自室に引き上げて行った。私も柔軟体操をしてから部屋へ帰った。
寝る前に、明日咲夜さんにお礼を言っておこうと思った。やはり一人の鍛錬では限界と言うものがあり、咲夜さんのお陰でいい経験が出来たのだ。
いい加減目蓋が重くなってきたので、とりあえず心の中で咲夜さんにお礼を言って明日に備えて眠りに付いた。
あれから二週間が経った。咲夜さんは随分鬱憤が溜まっていたらしく、夜になるとよく私と弾幕ごっこしてくれた。しかし、咲夜さんの攻撃は本気なのだが私を仕留めるといった感じのものではなく、どこか私を試すといった感じであった。咲夜さんとしては多分私の程度を計るつもりだったのかもしれないけど、そのお陰で随分と私だけでは気づかなかった事を教えてもらうことになって、感謝の念が絶えなかった。お給料に響かないといいけど。
この咲夜さんとの鍛錬の成果が、今起きている奇跡に繋がったに違いない。なんとあの黒白の魔法使いと対等に渡り合えているのだ。
「くそ、お前本当に中国か!?」
見える、見えるのだ。色々と失礼な事を言う黒白のパンダ色72%黒の魔法使いの弾幕が手に取るように見えるのだ。何だか今日は不思議と負ける気がしなかった。
「はあ、はあ、く、くそ、何故だ、何故なんだ。どうして私の攻撃が当たらないんだ!?」
「日頃の鍛錬の成果です。いつまでも魔理沙さんに負けっぱなしでは私が食べていけませんからね。ハングリー精神を侮ってはいけませんよ。」
「中国、お前あれか。パチュリーの色々と怪しい薬をやっているんだな。止めておけ、今はいいかもしれないけどそのうち絶対にツケが回ってくるから。人間、体が資本だぜ。」
「勝手に人を薬物中毒者にしないでください!!」
そう言って相手を睨み据えた。次の一撃で仕留める為に、全身から力を搾り出し気を集中させた。私の気配を悟ったのか魔理沙さんも身構えて強力な気配を滲み出させてきた。お互いに次の一手で決めるべく、必殺の一撃を放とうとしているのだ。
マスタースパークなら放つまでに一瞬の隙が出来る。その間に私が魔理沙さんの懐に潜りもめれば勝ち、出来なければ私の負けだ。互いに必殺の攻撃なので当たればどうなるか分からないし、運が悪ければ死にも至るだろう。
場に互いの気が満ちてきた。最早いつ静から動に替わってもおかしくない。どんなきっかけでもいい、例えば舞っている木の葉が地面に落ちる事でもいい。
風が吹いた気がしたが、その時私は全力で地面を蹴っていた。魔理沙さんも箒に乗って後退をする。始めからある程度は後退をして距離を稼ぐ事は予測していたが、しかし予想以上の速さで後退をしている。何をしかけてくるつもりかは分からないが、もう既に駆け出しているので止まるわけにはいかなかった。
後五歩の距離。奪幕を展開しつつ右の拳に気を集めた。
後四歩の距離。魔理沙さんの弾幕が幾つか私の体に当たったが、駆け続けた。止まればそこで負けるからだ。
後三歩の距離。身を縮め、必殺の拳を撃ち込むための姿勢をとる。また体に弾幕が当たったが、私の勢いは殺せなかった。
後二歩の距離。急に魔理沙さんの気配が変わった。弾幕を撃つのを止め、強力な力を放ちながら箒ごと回転しながら突っ込んできた。回りには何故か星まで撒き散らしている。
後一歩の距離。私の予測は完全に外れたが、私に出来る事はただ一つしかなかった。全身全霊の気を右の拳に集め、全力で魔理沙さんを迎え撃つ為に拳を繰り出した。
凄まじい衝撃を感じ、次の瞬間視界は暗転した。
意識を取り戻した。急いで魔理沙さんの姿を確認する為に体を起こそうとしたが、激痛に阻まれて再度地面に倒れた。全身が燃えるように痛かったが、何故か右腕からは何も感じなかった。
「よう、中国。お前も起きたんだな。」
そう言って魔理沙さんが私の視界に中に現れた。魔理沙さんもかなりボロボロになっていたが、結局今回も魔理沙さんに軍配が上がったようだ。
何だか無性に悔しくて、涙が出てきてしまった。
「まったく、中国がここまでやるとは思わなかったぜ。本当に何をしたらここまで強くなれたんだ。」
涙が更に出てきた。飢えと冷たい目に耐えながら咲夜さんにまで手伝ってもらって頑張ったのに、結局負けてしまった。
「そう落ち込むなよ、中国。お前の敗因を教えてやろうか。」
涙で濡れる目で魔理沙さんを睨みながら、頷いた。それを見て魔理沙さんはニヤリと笑った。
「私を熱くさせた事。それが敗因だぜ。」
全身の痛みは最早感じなくなっていた。ただ何も感じる事が出来なくなっていただけだった。
見上げれば鬱蒼と生い茂る木々の葉が見える。ここで手に入るだろう木の実などを食べれば飢えを凌げるかもしれないが、胃が食べ物を受け付けないのでどうしようもなかった。水だけで当面は凌いでいたが、もう飲む事を止めた。今となってはどうでもいいことだったからだ。
紅魔館に程近いこの森で、私は待つ事にした。恐らく私を追ってきてくれる人を。そして私の運命を。
森の中を風が吹き抜けた。風に煽られて服の右袖がはためくのが見えた。しかし、何度見てもその先に在るはずの右腕は無かった。
魔理沙さんに突き出した右腕は、最早手のつけようが無い程完全に潰れていた。パチュリー様の力なら何とかなったかもしれないが、私が魔理沙さんを傷つけたのでかなりご立腹の様子なので諦めざるをえなかった。しかし、このまま放置しておくわけにはいかないので切り落とす事になってしまったのだ。
風が収まり、また森の中に静寂が訪れた。体はもう限界を超えていて、意識はよく途切れ絶えず荒い呼吸をしている。ここまで来れたのが不思議なくらいだったが、どうやらここが私の死に場所らしい。もう一歩も動く気が起きなかった。
腕が片方無くなった私は、弾幕を張るのもそうだが私の一番の持ち味である接近戦の能力が酷く低下した。それ故に魔理沙さんとの戦闘の直後に隊長格から降格をして平になってしまった。そして今月分の給料は全て治療費と減俸で飛び、食事が取れなくなってしまった。しかし、私は耐えようとした。いつか必ず良い事があると信じて。
だが現実はそう甘くなかった。新たに隊長格になった者が、私を目の敵にしていたからだ。常々実力さえあれば私の方が隊長にふさわしいと愚痴っていて、よく私に反抗的な態度を取っていた。しかし、私はいつの日か分かり合える日が来ると思って常に目を瞑っていたが、どうやら彼女は私が目障りでしょうがなかったらしい。右腕以外にも私の体は酷く傷ついていて満足に身動きもできないというのに、休む暇も与えてくれずに無理難題を私に押し付けてきたのだ。飢えと痛みを我慢しながら精一杯頑張ったが、当然追行できる訳が無かった。
上げていた顔を下ろした。その動作をしただけでも一瞬視界が暗転したが、それでも立っていようと思った。後どれだけ立っていられるか分からないが、私が待つその時まで立っていたかった。
毎日が地獄だった。私は紅魔館での仕事の面でも生活の面でも追い詰められていった。当然私に救いの手を差し伸べてくれる人がいる訳も無く、紅魔館で一人孤立して行った。それでも耐えようと思った。いつか報われる日が来る事を信じて。
気が付くと、小さな足音が聞こえてきた。その足音が確かに私に向かっている事を悟り安堵した。どうやら間に合ってくれたらしい。
昔から紅魔館の労働者は耐え切れずに夜逃げをする事が有ったらしい。しかし、翌日にはこの森でナイフによって磔にされているのを目撃したとの話もよく聞いた事があった。
だが、あえて私は紅魔館を出てこの森に来た。耐えて頑張ろうという気持ちよりも、この森に来たいという衝動の方が日を追うごとに強くなり抑えきれなくなったのだ。
樹の陰からよく知っている人物が現れた。十六夜咲夜。私が待ち望んでいた人だ。
咲夜さんは何も言わずにナイフを構えた。その目には一切の感情の光が灯っておらず、しかしそれに私は安心した。
私の体が死に向かっている事を悟った。無理な体で無理な事をさせられていくうちに、私の体の中で何かが近づいて来るのを感じたのだ。始めはそれとなく、しかし気が付けばすぐそこまで来ていた。
私にできる唯一の事と言えば、自分の死に方を選ぶ事だけだった。だから私はこの最後を選んだ。咲夜さんには悪いと思ったが、私はこの人に人生の幕を引いて貰いたかったのだ。何故咲夜さんなのかは自分でも良く分からない、いつも何処かで咲夜さんの背中を探していたからかもしれない。それも何故だか分からないが。
咲夜さんの体が静かに宙に舞った。目を閉じ、私の望んだ運命を受け入れた。
頬を冷たい何かが掠める感じがしたので、目を開いた。ナイフ。私の顔の横にあった。
「お願いですから、ちゃんと殺してください。」
目の前にいる咲夜さんの表情は変わらなかったが、ナイフを握る手が少し震えている気がした。再度ナイフが振られる。しかし、今度は私の首の直前で止まった。
「何故」
ポツリと言葉を発した咲夜さんの目に、苦悩の色が現れていた。以外だな、と少し場違いな感想を思ったら、急に意識が遠のいた。残っている気力を振り絞って堪えた。二度と覚めぬ眠りは、私が望む最後ではなかった。
「何故」
そう言う咲夜さんの目に更に色んな感情の色が現れた。いつもの咲夜さんは何処へ行ってしまったのだろうか。
「咲夜さん、何故戸惑うのですか。」
「私が、美鈴を、殺したくないから。」
唸るような声を出して、咲夜さんが答えた。
「何故私を殺したくないのですか。」
「美鈴の痛みを、苦しみを理解できるからよ。」
「何故」
今度は私が問う番だった。ナイフを持つ腕が引かれ、咲夜さんが一歩後退した。
「私も同じ経験をした事があるから、美鈴の辛さが分かるの。」
「えっ」
咲夜さんが回りから拒絶されて追い詰められる姿なんてまるで想像できないが、それでも咲夜さんの目は嘘を言っているようには見えなかった。
不意に視界が暗転し、体中の感覚が消えた。再び意識が回復すると、私は咲夜さんの胸の中に居た。どうやら倒れこんだ時に咲夜さんが抱き止めてくれたようだ。
「美鈴は優しすぎるのよ。」
何が、と問おうとしたが、咲夜さんがもう喋るなと言うように顔を横に振る。
「あの状況の中で生きていくには、美鈴は優しすぎたのよ。私は追い詰められた時、周りの人間を殺すという選択を取ったわ。だけど美鈴は自分を殺して耐えようとした。」
そう言われてみると、そうかもしれないと思った。有るかどうか分からない小さな幸せを求めて、自分を騙し続けてきたのだ。それが惨めな私にとってピッタリの生き方だった。
「私を憎んでもくれてもいいわよ、美鈴。いくらお嬢様から止められていたとは言え、美鈴がボロ布の様になっていくのを黙って見ていただけだから。」
嬉しかった。咲夜さんがこんな風に私の事を思ってくれていただけでも、私が生きていた意味があるというものだ。
「咲夜さんが気にすることはありませんよ。私が単に意気地が無かっただけの事ですから。」
「美鈴・・・」
「それに、この結果だって私が単に自分に嘘を付く事に疲れただけの事ですから、私の方こそ咲夜さんにご迷惑をお掛けしていますから。」
咲夜さんが腕に力を込めてきた。しばしの静寂の中、私は咲夜さんの鼓動を感じていた。しかし、もう時間だ。
「咲夜さん、お願いです。勝手な事とは分かっていますが、私を咲夜さんの手で殺してください。せめて、最後くらいは私が特別な感情を持った人の手で・・・」
急に息苦しくなり、これ以上喋る事が出来なくなってしまった。咲夜さんは分かってくれただろうか。しばらく悶絶した後、最後の力を振り絞って私が敬愛する人の名前を呼んだ。
「咲夜さん・・・」
「分かっているわ、美鈴。私が責任を持って美鈴を殺してあげる。だから、もう楽になりなさい。美鈴はもう十分頑張ったから。」
どこか辛そうな声を聞いて、咲夜さんの表情を見なくてすんだ事に感謝をした。最後まで私の心の咲夜さんをこれ以上変えずに済むからだ。
目を瞑り、体を楽にした。私のすぐ傍まで来ていた存在に、ちょっと手を挙げ挨拶をした。
出来る限り人目が付かないように気をつけながら、目的の庵を目指した。時折時を止めつつ、限られた時間を有効に使う。
目的の庵につき、戸をノックする。帰ってきた返事に軽く答え、扉を開ける。上白沢慧音。そして何故かアリス・マーガトロイド。しかし、私が気にしているのはこの二人ではなかった。
「安心しろ、まだ帰ってくる時間ではない。」
美鈴と約束を交わした後、力なくグッタリとしている美鈴をここまで運んだ。美鈴の命を救う為にはどうしても誰かの助けが必要で、パチュリー様以外の知識人を頼ったという事だ。
全力で時を止めつつ、意識の無い美鈴を連れて一路慧音の家を目指した。幸か不幸かは知らないがその道中、弾幕ごっこを展開している連中と遭遇した。
蓬莱山輝夜と藤原妹紅。そして傍らには八意永琳と慧音が互いに牽制し合い、残る二人の殺し合いの邪魔をさせまいとしていた。
とりあえず永琳と慧音の間に割って入り、急ぎ二人に事情を説明し協力を仰いだ。そのためにはお嬢様以外には滅多に下げた事の無い頭を下げる事もした。その事に驚いたのか二人は無碍に断る事はしなかった。しかし、合意には至らなかった。
その時激化していた弾幕ごっこの流れ弾が私達の方にも来ので、殺し合いをしていた馬鹿二人組みをナイフで強引に黙らせ、その後永琳と慧音を私の美徳とちらつかせたナイフで説得をした。
ギリギリの所で永琳が応急処置を施しとりあえず一命だけは取り留めたので、その場所から一番近かった慧音の庵に美鈴の体を移し、今に至る。
「それはどうも。ところで美鈴のその後の容態は。とりあえず居ないところを見ると、歩き回れるほどには回復したみたいだけど。」
「あの後二月は意識が無かったな。それからは起きられるようになるまでに三月。まあ、八意永琳の薬が無ければ一刻もしないうちに死んでいただろうがな。」
「そう、それは良かった。」
「だが、身体的能力と弾幕展開能力はそうもいかない。はっきり言って今のあの娘はそこら辺の村娘と変わらん。多分、直る見込みも皆無だ。命があるだけでも奇跡なのだからな。」
「そう・・・」
少し重苦しい雰囲気が漂いだしたので、話題を変える事にした。
「ところで、何故ここにアリス・マーガトロイドがいるの。」
「ああ、それは」
「私が説明するわ。慧音から依頼を受けて中国の義手を作ったの。それで今日は義手のメンテの日と言うわけ。なかなか義手って色々と手間がかかるものなのよ。」
「義手?」
「そうよ、中国が片手じゃ可愛そうだからって中国に合う様な義手を作ったのよ。まったく冗談じゃないわよ、何で私が人形使いだからって義手なんて作らなきゃならないのよ。どこぞの人形使いじゃあるまいし、今まで作った事も無かったわ。」
「じゃあ、何で引き受けたの。」
「魔理沙の馬鹿が起こした事の後始末くらい、私がやらなきゃ誰もやらないからよ。肝心の魔理沙は見栄張ってパチュリーから本を借りて来たはいいけど、帰路の途中で倒れて動かなくなっていたし。私がたまたま通りかからなきゃ魔理沙もどうなっていた事か。」
美鈴は負けてはいなかった。ただほんの少し魔理沙の方が見栄っ張りだっただけの事だ。
「それで、魔理沙は。」
「今はリハビリ中よ。肋骨を何本も折っていて本当に危なかったところなの。」
魔理沙の馬鹿がと小声で罵るアリスを、慧音が何やらニヤニヤとした顔で見ていた。そしてさり気なく小声で私に、あれでも付き添いで看病している事を耳打ちしてきた。
「それにな、別にあの娘の為だけにアリスをここに呼んでいる訳ではないぞ。アリスの社会復帰の為でもあるんだ。ここに来る度に村の子供達に人形を使ってちょっとした物を見せているから、子供達の間じゃ受けが良くてな。今じゃあのアリス・マーガトロイドがアリスお姉ちゃんだからな。」
アリスが険しい顔をして慧音を睨んでいるが、当の慧音は素知らぬ顔だ。
そろそろ帰らなければならない時間になった。まだ昼なのでいつまでも人里に居るわけにはいかない。そんな事をすればお嬢様に要らぬ嫌疑を持たせてしまうからだ。
「もう帰っちゃうの。せっかく来たんだから中国に会っていけばいいのに。」
「止めておくわ。私は美鈴に会いに来た訳じゃないから。」
「お前等、ちょっといいか。」
慧音が改まって言って来た。
「今はあの娘の名前は紅美鈴ではない。中国という本名よりも知られている名でもない。そこらへんは注意しくれと前にも言ったはずだがな、アリス。」
「名前を変えたということは」
「ああ、そうだ。お前に言われたとおり、あの娘の記憶を消しておいた。今更だが、本当に良かったのだな。」
「ええ、私は美鈴に約束したのよ、美鈴を殺すって。でも、私は美鈴の息の根を止めたくなかった。だからそれまでの記憶を消す事で美鈴という存在を殺す事にしたの。」
記憶を消し名を変える。これが私に出来る唯一の美鈴の殺し方だった。ナイフで心臓を突くなど、百回試しても百回失敗するだろう。私は美鈴が思っていたほど完璧ではないのだ。
「そうか、じゃあついでに今の名を知っておきたいか。」
「結構よ。知らなければ起きない面倒事だってあるのよ。それに、私には知る資格が無い。」
「ふむ、お前も意外と面倒な奴なんだな。」
その会話を最後に、私は外に出た。そして、可能な限り素早く人目が付かないように時を何度も止めながら移動を開始した。せっかくお嬢様には死亡と報告したのに、ばれて要らぬ悪巧みを考えられては元も子もない。そこら辺は関係者に強く注意をしておいたし、同時に同意も得られた。しかし、このメイド服は目立ってしょうがないので、私が原因になりかねない。
そろそろ人里を出るという時だった。里の門の前に誰かが立っていた。赤髪で碧眼の少女。どうやら昔の週間は抜け切っていないらしい。何をする事も無くボーと立っている少女の脇を抜け、帰路に着こうとした。
「あ、あの」
よく聞きなれた声で、話しかけられた。予想していなかったので内心舌打ちをし、時を止めて行けば良かったと後悔した。
「何かしら、私は忙しいんだけど。」
「あ、すいません。その、見かけない人だったから、つい」
どうやら記憶を失っても本質は変わらないようだ。
「知らない人に声を掛けられても掛けても駄目よ。ただでさえ地に足が着いてなさそうなのに。」
「あ、う、すいません。ところで貴方は。」
「貴方が知らなくてもいい人間よ。」
そう言い捨ててこの場を去ろうとした。
「あの、また会えますか。」
「いいえ、もう二度と会うことは無いでしょうね。」
そう言い残し、時を止めて今度こそこの場を去った。
もう、この里に来るのは止めようと思った。今の美鈴に必要なのは未来であって、私は過去に過ぎない。
一つ仕事が出来た。紅魔館に付く前に、不覚にも出してしまった涙を止める事だ。
淡々としているのがよかったかな。
ああ、悲しいかな幻想郷は。
お話は面白かったです。
あとは紅魔館の面々があまりに冷酷だよなーと。最後の最後まで放置している咲夜といい(タオルと水は咲夜が置いたものじゃないんですか?)、部下いびりを楽しみにしている(美鈴の主観なので断言は出来ませんが)レミリアといい、警備隊もパチュリーも……。
人の数だけ幻想郷があるとは分かっていますが、それでもこの紅魔館はどうしても受け入れられません。強い想いに溢れたあなたの世界は好きです。次回を期待しています。
可変時刻なのでぴったり2時間というわけでは無いですが。
つまり十二刻だと24時間になるわけで。
ちょっと、チョコッとだけ読後感が悪く感じてしまいました。
…当事者である魔理沙がちょっと無責任すぎる風だからかなぁ?
でも文体自体は読みやすくて良い物だと思います。
つーか美鈴の後釜は門番業務をきちんとこなしているのでしょうか。魔理沙が重傷だから案外大過なくこなしているのかも・・・。ぐふぅ・・・これが現実なのかー。
>実力さえあれば私の方が隊長にふさわしい~
それって当たり前のことなんでは・・・?
でも、通しで読んだ後は、やはり良いSSであったと思います。願わくば普通の村娘、旧名美鈴に幸多からんことを。ってことでゴールして良いよね?
でも、表現の違いはあるものの、実際にはこれが”美鈴弄り”の本質なんだよなあと思ってみたりしました。
美鈴の扱いを再考する今日このごろ。
主と友人が好感を持ってる人間を通しても減法、孤立、ちうごくへの信頼の低下。
腕が無くなる程、身を呈して門を護れても、何も無し、どころか魔理沙に後遺症が残る程ダメージを与えていたらどうなってたんだか判らないですね。
とことんまで突き詰めた美鈴いじりだと思いました。レミリア式玩具の遊び方ってこんな感じなのかな、と思わされました。一側面としての。
咲夜が美鈴に対して想いを持っている分だけ、余計切なさが出てぐっと来ました。
本当に本名を失った妖怪娘に平凡な毎日の幸せを祈りたいです。
吸血鬼も魔女も怖い存在だ。
魔理沙もこれくらいでないと無重力の友人なんてやってられないのかも。
紅魔館でできるぎりぎりまで優しい咲夜さんが素敵です。
心に残るお話でした。
いくら重症を負ったとはいえ、その後、傷か癒えた状態の魔法使いに新しく隊長各になった少女が耐え切れるとは思いませんし、それに、何れは同じ末路をたどるように思えます。
正直、前半分は読んでて辛かった。霊夢も魔理沙もレミリアも冷酷というより
陰険で不快感を覚えた。だけど……
この馬鹿みたいに優しすぎる美鈴と、本音と建前の狭間で揺らぐ咲夜に涙が出ました。
シビアと捉えれば読めますが、あまり良い読後感ではありません
パチェが酷いように思えるけれど、妖怪だし、自分のお気に入りの存在を傷つけられたら…どう思うかな、と。紅魔館の主の友人に過ぎないわけで、治療する義務も無いし。
魔理沙は怪我で動けないのかも知れないけれど、今後どう対応するんでしょうね、新たな警備隊長に。
アリスが人間みたいに優しくて、ちょっと嬉しく思いました。
咲夜さんは忠実すぎるくせに、諦めが悪いですね。そこが魅力でした。
後、文章自体はスラスラと読みやすかったです。
いくら固有名詞があるといえど、そこらの妖怪には違いないわけで・・・。
実際に弱かったらこの扱いもあるということではないかと勝手に脳内解釈してみました。
使えない部下は切り捨てる。これは、実際にある話ですからね。
レミリアが暴君ならばなおさらのことですしね。
決して虐められてる美鈴に興奮したりはしてn(殺人ドール