Coolier - 新生・東方創想話

初夏の怨霊、半熟白玉(後編)

2005/06/01 12:00:18
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3日目/

自分の呼吸とは違う、規則正しい異音に意識が目覚める。
ゆっくりと開いた目蓋からは、闇を大分張り付かせたままの部屋がぼんやりと見えた。
まだ日の昇っていない時刻なのだろう。
早々に合点して僕は目を瞑るが、一度意識化に入ってしまった異音は簡単に脳裏から消えてくれない。
延々と耳に沁みこんでくる異音。
……それが単なる雨音であるということを胡乱で鈍重な思考が突き止めるのに途方もない時間を要したような気がする。
もはやどこまでが錯覚なのか布団に包まったままでは結論付けることはできないのだが、少なくとも体内時計の針を大分進める必要があることは確かであった。

雨の日は大抵のモノが外に出ようとはしない。
店を開けたところで来るのは精々雨宿り目当てのモノだろうが、この時間からの雨ならそんな酔狂な客人も現れはしないだろう。
言い訳を頭の中で練り上げながら、僕は意識を沈下させていく。
雨と分かってしまえば、この音も然程気になるものではない。

……だが、胸中あるにどこか釈然としないものが僕の安眠を妨げていた。
未だに本調子ではない思考回路からは、それが何であるのか違和感という抽象的な感覚でしか捉えられない。
思い出せないということは重要じゃないという発想もできるのだが、重要じゃないのなら端から忘れていることにも気付きはしないだろう。
でもまあ、僕が少し惰眠を貪ったところで誰も困りはしないのだから……。
失念していたことは起きてから思い出せば良い。
そう布団に深く潜りこんだところで、『誰も』というフレーズが妙に喉に突き刺さっていることを自覚する。
それだけで十分だった。
記憶なんてものは芋蔓と一緒で、糸口さえ掴んでしまえば追々色々なものが付いてくる。
鮮明なものほど手近なところに実っているもので、昨日の冷水タオルのような感触を思い出して僕は飛び起きた……。

―――ぼむっ
起き上がるのと同時に顔全体を覆う白い影。
霊体だというのに口も鼻も見事に塞がれ、声どころか呼吸すらできない。
数秒間無酸素状態が続いた後、白玉は悠々とした足取り――当然、幽霊に足などありはしないが――で僕の目の前を浮遊する。
「君はわざとやっているだろう?」
今回は間を置かず僕は問いかける。
一応声には労苦を滲ませて見たが、彼女の存在を失念していた辺りでこうなるような気はしていた。
僕の皮肉まじりの問いに、彼女はそれこそわざとらしく顔を背けてみせる。
その動作は少女が単に臍を曲げているというには些か洗練されたものがあった。
僕は背を向けたままの彼女に聞こえるくらいの大きな溜息をついて、彼女の希望に添える。
それに満足したのか彼女はもう一度こちらを振り向き、そのまま障子を突き抜けていった。

大人びているのか幼いのか判断がつかないな……。
僕は部屋の外に聞こえないくらいの軽い嘆息を今度は本当について、しばらく彼女の出て行った障子を見つめる。
ふと僕は昨夜現れた障子越しの幻影のことを思い出していた。
夢現な状態だったこともあり信憑性自体が根本的に怪しいのだが、頭ごなしに否定するよりも取り敢えず肯定する方がここでは理に適っている。
反例ひとつで簡単に覆るような軟弱な世界観など幻想郷は持ち合わせていないのだ。故にあちらの世界で云う『科学』とやらを僕らは持ち合わせていないわけだが……。
障子越しに現れるのは幽霊というのが相場なのであるが、実体を持った幽霊の知り合いはあの少女しか僕にはいない。
しかし、パッと見た印象とあの少女を結び付けようとしても違和感の方が勝ち過ぎて納得できかねていた。
あの少女は勿論のこと霊夢や魔理沙ならもう少し当てもあるだろうが、僕には全く関わりのない話である。
唯一の心当たりは少女が仕えているという亡霊の存在であった。
……まあ、用があるなら今晩再び現れるだろう。
だからといって面識があるわけでもなし、断定を避ける形でそう締め括る。
どう転んでも僕にとって傍迷惑な結果しか待ってはいないだろう、僕は深く考えないことにした。


 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆


雨の日の店内は昼間だというのに薄暗く、分相応に活気もない。
真上を指す時計の短針が僕に灯りを点けさせることを躊躇わせていた。
その所為で本を読んで過ごす気になれず、ただ椅子に腰掛ける。
少しだけ開けておいた入り口からは、湿り気の匂いがゆったりと流れて込んでいた。
生臭いと評すると良い印象を抱けないが、それ以外に上手い喩えが見当たらない独特の匂い。
それが生暖かい風と共に僕の前を訪れる。
じっとりと汗が浮き出るような季節でもなく、不快というわけでもないので好きにさせておいた。
生臭い匂いと生暖かい風……。
断片的に取り出すと非常に雰囲気のある環境だと言える。
そんなことを取留めもなく考えていると、首筋から背中にかけて悪寒が走り抜けた。
こういう反射的行動はいくら予期しようとも抑えられるわけではない。
刹那に跳ね上がった鼓動を耳にしながら、僕は右肩に視線を向ける。
そこには尾を高々と掲げて、勝ち誇ったようなポーズを取る白玉の姿があった。
「言いたいことはわかるよ。だけど今は昼間であって丑三つ時じゃない。」
僕の言葉に彼女は指を振る要領で尾を左右に揺らして、僕の頭の上に乗り移る。
3日目ともなると取り憑くことすらアバウトになりつつあった。
確かに丑三つ時に幽霊が出ると決めたのは人間であって幽霊ではない。
現に朝一番から幽霊に叩き起こされているのだ。
僕は空いた両肩を軽くすくめて見せた。

時間の経過ほど主観的なものはなく、魔理沙のような音速すら遅く感じてしまう者もいるのと同時に、1刻と1日が等価値である僕のような者も存在する。
1年の半分を寝て過ごす者いれば、時間を止めて休憩をとるような者までいるわけである。
とどのつまり、何が言いたいかというと……
「もう少し落ち着いてくれないかな?」
僕は頭の上と肩の上とを退屈そうに往復している白い物体に話し掛けた。
石にかじりつくような執念で取り憑かれることも困るのだが、これはこれで喧しいのである。
僕の言葉で彼女は漸く肩の上で静止する。
しかし今度は、自分の尾を僕の視界の片隅からちらちらと横切らせて静かなる嫌がらせを繰り返す。
……不満であることは間違いないようだ。
「今日で約束の3日目だけど、君はいつになったら冥界に帰ってくれるんだい?」
僕は彼女の注意を逸らすように問い掛けた。
期待通りに彼女は再び動きを止め、思案するように頭を捻る。
そして、何事もなかったかのように尾の動きを再開させる。
彼女との言語的意思疎通はできないが、そのふてぶてしい様子から少なくとも閉店時間までは解放されないことは察することができた。
もしかしたら少女の言った3日とは3泊4日のことなのかもしれない……。

「そういえば、君は障子越しに夜通し居たのかい?」
思惑通りに彼女の注意が逸らせなかったので、僕は言葉を重ねる。
今度の質問に対して彼女は明快に頭を縦に振ることで答えた。
「それじゃあ、あの晩に君の知り合いか誰かが訪れなかったかな?」
その質問にも彼女は淀みなく頭を横に振ることで答える。
彼女の本職は庭師と同時に身辺警護も兼ねている筈である、記憶違いがあるとは思えなかった。
……昨日の影はやはり見間違いなのだろう。
ひとりで納得していると、事情がよく飲み込めないまま頭部を傾げている彼女の姿が目に入った。
質問が些か穿ち過ぎだったようだ。
「昨晩、障子越しに人影が見えたんだよ。」
僕の言葉に彼女は素早く何度も頷く。
理解を示したというよりも話の続きを促すような動作に、僕は気圧されるように言葉を継いだ。
「まあ、あの場に居た君が見てないというのなら、僕が寝惚けて夢と勘違いしたんだろうから気にしなくても良いさ。」
確かに今はその任に就いていないとはいえ、第三者の接近に気付かなかったのでは彼女の矜持に傷がつくのだろう。
そこまで言うと彼女は安心したように大きくもう一度頷いた。

「怨霊として暮らしてみた感想は如何だったのかな?」
そんな様子の彼女を見てふと僕は呟き掛ける。
そこには彼女に鎌をかける意味合いも無意識ではあったが含まれていた。
彼女の本音が窺えたからといって、如何こうしようというつもりはない。
ただ、昨晩の話から連想されただけのことである。
彼女はその言葉に自分の頭部に尾を巻きつけて悩むような仕草を見せた後、唐突に僕の肩からふっと離れて姿を消してしまった。
いくらなんでも、ボディランゲージだけではこの問いには答えられないだろう。
僕の不躾な質問は彼女の気を悪くしたのかもしれない。

少々浅慮だったかなと反省しながら、僕は扉の隙間から降る雨を見つめる。
朝から一定の強さで振り続ける雨によって、風もだんだんと涼しさをましてきていた。
身震いする程ではないにしても、快適とはいえない気温ではある。
戸を閉めようかと立ち上がりかけたところで、僕の目の前に突如湯呑みが出現した。
突然の出来事だった為に反射的に湯呑みを掴んでから、僕は差出人の姿を探す。
まあ、探すといっても差出人は何事もなかったかのように僕の右肩に戻っていたわけだが……。

「その行動は怨霊らしいとは云えないんじゃないかな?」
僕の軽口に彼女は口元に指を立てるように、自らの前に尾を立てて見せた。
それが彼女の提示した答えなのだろう。
僕は素直に礼の言葉を口にして、湯呑みに口をつける。
その1杯の真意が労いなのか、同情なのか、はたまたそれ以外の何者なのか判りはしない。
……それでも、お茶は彼女の体温によって熱くも冷たくもない、飲むには程好い微温さになっていた。


 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆


朝からの長雨も流石に息切れをしたようで、今は雲ひとつない夜空が顔を覗かせている。
今宵は満月なのか、障子を介して差し込んでくる光は今朝のものと比べると大分明るかった。
鬱憤が溜まっているのであろう虫達の鳴き声は、まるで枕元で鳴いているような錯覚を覚える。

やはり、素直に月見と洒落込んだ方が良かったかもしれない……。
布団に横になりながら僕はぼんやりとそう実感する。
本日は他の日に比べて彼女の攻勢は控えめであったし、近日の早寝のお陰で僕は目が冴えてしまっていた。
それにもかかわらず、この場でこうしているのには2つ理由があった。
1つ目は障子にくっきりと映っている白玉の影。
彼女は幽霊でありながら夜更かしを善しとしない性質なのである。
一度部屋を出て月見に誘ったら、有無を言わさず部屋の中に追い遣られてしまった。
2つ目は昨日のアレが現れるのではないかという微かな期待である。
見間違いの可能性が有力であることは重々承知しているが、結論を下すのは折角の機会なので明朝まで延期しても良いだろうと考えていた。

障子ばかり見つめても映るのは白玉のシルエットのみ。
僕は布団の中で寝返りをうって天井を見上げる。
見知らぬ影というのは突然現れるからこそ雰囲気があるのであって、移動中を見てしまうのは双方共にバツが悪い。
天井の木目をなぞるようにして数えながら、僕はそんなことを考えていた。
夜が更けていくごとに蛙の鳴き声が耳につく。
あれは雨の日でも鳴くのだから、今日くらいは他の生き物に場を譲っても幻想郷が滞ってしまうようなことはないだろう。
などと内心で不満を漏らすが、一度意識してしまっただけにその鳴き声が脳裏から離れてくれない。
僕はそれを振り払うように再び障子のほうを向いた。
目を離したのは大した時間ではない筈だが、そこには雰囲気たっぷりに見知らぬ女性の影が浮かんでいた。

僕は息を潜めてその影をしばらく観察する。
件の影が現れたからといって、何か行動を起こそうなんて毛頭考えていなかった。
通り過ぎてくれるかもしれないトラブルをわざわざ呼び止める必要はないし、何よりも今は営業時間外なのである。
幽霊らしく横向きで映る影は、腰にまで届くような長髪と、肩から角のような突起物を生やしていた。
足の有無は確認できないが、瞬時にそこに注目しても意味のないことを思い出す。
幽霊画に描かれている幽霊の足は元来、障子からでは下半身が覗えない為、あのような形状を採ったものなのである。
まあ、現実問題として両方と実在するのだから、今では単に見えないものは気にするなという教訓でしかない。
余計なことを考えていると、横を向いたままの影が突然正面を向き始めていた。
障子越しとはいえ、僕はあの影と目が合ったような気がして慌てて天井と見上げるように体勢を変える。
……正真正銘の狸寝入りという奴である。
昨夜もアレが僕の寝室に入ってきたのかどうか記憶にないが、少なくとも僕が認識できる範囲で無事だったという結果だけは確かであった。
今夜もそれで乗り切れるか定かではないが、これが現状で採り得る最良の手段のように思えた。

目を閉じ、視界は完全に闇の中に沈む。
自分と他の物の境界が次第に曖昧となっていく中、耳だけが取り残されたかのように絶えずいろいろな音を拾い集めていく。
虫の音、蛙の声、野犬の遠吠え、梟の夜啼き、心臓の鼓動、……畳の擦れる音。
障子戸を開けた音がしなかったにもかかわらず、足音は僕の方へとゆっくりと近づいてきていた。
僕は規則正しい呼吸を意識しながら、ただ音が何事もなく通り過ぎてくれることを願う。
一定のリズムで聞こえてきた足音は僕の耳元を過ぎ、数歩進んだところでピタリとしなくなった。
目を瞑っているので断定はできないが、おそらくは幽霊らしく枕元に立っているのだろう。

「……霖之助さん、……霖之助さん。」
鈴を転がすような声が案の定、僕の額に向かって囁き掛けられる。
その瑞々しく落ち着いた声は霊夢や魔理沙のものではなく、無論、あの少女のものでもなかった。

「……霖之助さん、……霖之助さん。」
再び僕の名が呼ばれる。
僕は狸寝入りのまま、それを無視し続けた。
声からは悪意や敵意というものを感じはしなかったが、だからといってそれが心を許してよい確証にはならない。いつの世でも鮟鱇の提灯は存在するのである。

「しょうがない……。」
僕が一向に目を覚ます気配がないことに呆れたのか、溜息混じりに彼女はそう独り言ちた。
僕は内心で諦めてそのまま帰ってくれることを希求する。

……しかしながら、その願いも
「えいっ」
という掛け声と共に儚く砕けてしまったのである。

突然、ひんやりと冷たく柔らかいモノが僕の鼻と口に当てられる。
はじめはそれが何であるのか判別できなかったが、少し冷静になって状況を分析をすると、それはなんてことのない単なる手であった。
だが、冷静になると同時に呼吸ができないという現状も把握してしまい、僕は慌てて何度も彼女の手をタップする。
僕の行動にわりと素直に彼女は手を離した。
僕はすぐさま布団から身を起こして、彼女と相対するように距離をとる。
心臓は驚きやら危機感で張り裂けんばかりに脈打っていた。
月明かりによってうっすらと浮き上がる女性は、そんな僕の行動にも軽く微笑むだけで動こうとはしなかった。

「目が覚めましたか?」
僕の鼓動が収まったところを見計らって、彼女はにこりとそう告げる。
首を傾げるような動作に従って、腰まで伸びた白髪が銀糸のように煌いて見えた。
背丈ほどの長刀と腰くらいの短刀、上下の緑色の服――こちらはロングスカートであったが――に見覚えがないわけではない。
しかし、そんな手掛かり以上に僕はこんなことをする人物に心当たりがあった、
「君に息を止められたのはこれで3度目だよ。何か僕に恨みではあるのかい?」
「さあ? 一応、怨霊ですから。」
僕の言葉に彼女は嬉しそうに怨霊らしからぬ満面の笑みを浮かべた。

「それで、君は僕を起こしてまで何を伝えにきたんだい?」
珍しく身体を緊張させた所為で、へたり込むような形で僕は彼女に問いかける。
「夜が明けるころには私は冥界に帰るので、お別れを言いにきました。」
「お別れを言うだけなら何もその姿で現れる必要はないじゃないか。」
「確かにそうですが……」
僕の淡白な言葉に、彼女は苦笑まじりの口調で応えた。
満面の笑みなら雰囲気でわかるが、この薄暗がりからでは微妙な表情は読み取れないのである。
「昼間みたいな一方的な会話のままお別れというのも味気ないですよ。」
言葉の語末と共に彼女は掌から鬼火を生み出して、部屋をほんのりと照らし出す。
鬼火によって鮮明に現れる彼女の容貌はあの少女の面影を残しながらも、女性の持つ品格を微かではあるが漂わせていた。
「昼間の話かい? ……ああ、君が嘘をついた。」
「嘘とは心外ですね。私は真実しか答えてませんよ?」
眉を顰めながら、彼女は人差し指を教鞭のように立てたまま続ける。
「あの晩私はあの場所から動きませんでしたし、知り合いも誰も訪れませんでした。霖之助さんが『その影に心当たりがあるかい?』と尋ねたのなら話は別ですけれど。」
「それは……失言だったようだね。」
彼女の静かな迫力に気圧されるように僕はあっさり自己の非を認めた。
生真面目に反論するところはあの少女と同じなのだが、こちらの方は幾分か狡猾さを会得したようである。

「それで、話というのは怨霊として暮らしてみての感想の方かい?」
「ええ、……改めて訊かれるとなんとなく答えにくいですね。」
照れくさいのか、彼女は頬に手を添えてやんわりと表情を隠す。
「それなら先に僕の疑問に答えてくれないかな?」
「そうですね、そうしましょうか。」
結果的に言えば途切れそうになった会話を僕がフォローしたということになるのだろうか?
彼女は表情を輝かせて僕の言葉に乗ってきた。

「君はこの姿と普段の姿、どちらが本物なんだい?」
「あの幽霊の方ですよ。今はあの子が眠っている間に魂符を使ってこの姿をとっているんです。もっとも、この姿が単なる仮初というわけでもありませんが……。」
両手を胸に軽く重ねるようにして、彼女は意味深に微笑む。
言葉の端々から垣間見える仕草、機微を孕んだ表情はその外見に十分見合ったものであった。
「……ちなみに昨晩のアレは、久々だったものでちょっと練習していたんです。まさかあの雲模様で月が出てくるとは思いませんでしたけど。」
自分で告白しておきながら、彼女は恥ずかしそうに笑って誤魔化そうとする。
先程とは打って変わってその笑みからは無邪気さと溌剌さがにじみ出ているが、だからといって違和感を覚えるということはない。
そして、今更ながら僕そんな彼女の姿を最初から受け入れていたのであった。

「つまり、君のこの姿は自分の歳相応のものであるということかな?」
漠然と感じていたことを確信がないまま口にする。
人間と幽霊で分かれていたとしても『魂魄妖夢』という人物は1人の筈である。
そのようなことが実際にあるのか判りはしない。
ただ、それ以外に僕の感じていた疑問を明快に解決してくれるものはないのである。
僕はあくまでも自然体を装いながら、彼女の方を窺い見る。
彼女は隠すことなく僕に驚いた表情を向けていた。
「御明察です。」
「何故?」
僕も驚きのあまり、ついそんな言葉を発してしまう。
彼女は僕の驚きに不思議そうな表情を浮かべながらも、素直に答えてくれた。
「あの子が人間だからですよ。霊夢や魔理沙と同じように人間でありながら、あの子は彼女のたちの数倍もの長い時を生きている。」
「君があの少女の時間を引き受けているということかい?」
「ええ、その通りです……。」
僕の矢継ぎ早の問いに、彼女は苦笑を浮かべながら頷く。

時間の経過は主観的ではあるが、時間の蓄積というものには偏りがない。
人間の寿命などここでは精々が60年といったところであろう。
その寿命を無視することなど人間にはできはしない。
それこそ蓬莱の薬か、時間を止めるくらいなものであろう。
……または、彼女のようなモノが砂時計の口を直接塞ぐしかない。

「彼女自身は知っているのかな?」
「……いいえ、まだあの子は知らないでしょう。」
先程から歯切れの悪い印象を受けたのはそのためなのだろう。
「ほら、あの子は自分が未熟なことをいつも悩んでいますからね、私が成長を止めていたと知られたらそれこそ怨まれてしまう。」
吹っ切れたというより、取り繕うように彼女は「たはは」と笑う。
その様子に彼女もまた未熟なのだと僕はなんとなく理解した。

「何故、そんな重大な秘密を僕に教えてくれんだい?」
思っていることとは違う疑問を口にする。
彼女は小首を傾げる形で、じっと鬼火を見つめた。
上手い言葉が見当たらないのか、彼女はしばらく動かない。
「3泊3日の恩ですかね? 装飾品も貰いましたし……。」
結局見当たらなかったのか、曖昧な語尾で彼女は述べた。
妙な口調になったことが気に入らないのか、先の発言を振り払うように、彼女は腰に下げている短刀の柄を掲げて見せる。
短刀の下げ緒部分には猫目石と勾玉がほどほどに輝きを見せていた。
間違いなくこの装飾品の第2の人生は酷く過酷なものになるだろう……。
紐が千切れないよう、僕は心の内でこれ自体への強運の加護を願っていた。

僕が不謹慎なことを考えている間も彼女は更なる言葉を模索中のようで、僕の方を見て口を開きかけては下を向くという動作を繰り返す。
幽霊の状態では会話経験が少ないのだろう、その様子はあの少女よりも幼く拙く感じられた。
「……私とあの子がこんなに長い間離れたのは初めてのことだったのではじめのうちは戸惑いました。でも、巫山戯てみたり、意地悪してみたり、気紛れを起こしてみたり、他にも色々やれて……楽しかったんだと思います。」
「君にとって僕に取り憑いたことはちょっとした休暇だったわけだ。」
「そうですね~。」
僕の皮肉に、彼女は爽やかに笑ってみせる。
彼女の言葉は確かに拙いものであったが、僕は自然と笑みを返していた。
わざわざ人型になった彼女には申し訳ないが、彼女のこういう仕草の方が心情を理解しやすいのである。

ひとしきり笑みを交えたあと、彼女は頃合だと示すように身なりを整え始めた。
「私はあの子の半身であり、あの子の姉。そして……影。だけど、この3日間は日の光を浴びてゆっくり羽を伸ばせました。」
「最後に1つだけ、訊いてもいいかな?」
彼女が立ち去ろうと一礼する前に、僕は言葉を挟む。
返事の代わりに彼女は僕の方を向いて小首を傾げた。
「君はあの少女が好きかい?」
「ええ、勿論。」
「なら、いいんだ。」
不思議そうな表情の彼女に、僕は手をひらひらさせて答える。
その僕の行動に彼女は暫く釈然としない表情であったが、軽い溜息と苦笑を浮べて改めて姿勢を正す。
僕もこれ以上質問することはなかったし、彼女も深く追求しないことにしたようだった。
「では、またの御縁を……。」
どこで覚えたのか、彼女はスカートの裾を軽く持ち上げて優雅に一礼する。
そして、その格好のまま、すうっと霞が晴れたかのように彼女の姿は掻き消えてしまった。


部屋に残ったのは彼女が生み出した鬼火のみ。
鬼火といっても光を放つだけで、決して熱くはない。
月光や蛍光と同じように、部屋の中央に鎮座して冷たい光を放っていた。
不規則にゆらゆらと揺れる火の玉を見つめていると、ふとしたことであの白玉と重なって見える。
……あの少女よりは成熟して、未だ半熟といったところであろうか。
なんとなく彼女に見られているような気分になって、僕は炎を吹き消した。
途端、部屋はどん帳を下ろしたかのように暗く、障子越しの月明かりだけが仄かに眩しい。
今は虚空となった部屋の中央を向いたまま、僕は彼女に気付かれないよう、そっと彼女へ言葉を贈る。

「君が彼女を好きというのなら、彼女が君を嫌いになる筈がないじゃないか……。」

それはあのとき僕が彼女に伝えなかった言葉。そして半熟たる所以。
伝えたところで他人の口からでは納得できないだろうし、……何より、それが僕からのささやかなる意趣返しなのであった。


 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆


外の天気は昨日と変わらずの雨。
止まない雨はないとしても、どうやらそれは今日の話ではないらしい。
まあ、昨日のような地雨とは違い、今は小糠雨程度の強さである。
僕にとっては店から出ることがないので両方とも『雨』で良いのだが、頻繁に出かける者にとってこれは『雨』ではないのだろう。
「どうした、香霖? 風邪でもひいたのか?」
「いいや、そんなことはないよ。」
こういう日の常連である魔理沙が、椅子の上で寛ぎながら声をかける。
あの大きな黒帽子が雨具の役割を果たしているのか、魔理沙の衣服には濡れた形跡が見られない。……なかなかの優れものである。
「それなら、単に姿勢が悪いんだな。」
「何のことだい?」
僕の方を見ながら魔理沙はひとりで勝手に納得している。
魔理沙が何に納得しているのか見当がつかない僕は、そう問いかけた。
「こういうのは癖になりやすいから注意した方が良いぜ。 ……それにしても、いつの間にそんな癖を身につけたんだ?」
言葉の内容だけは気遣わしげであるが、口調は明らかに楽しんでいる。
「だから、何がだい?」
僕は重ねて問いかける。
魔理沙の言葉は回りくどい。意図的なのか天然なのか、……おそらく両方なのだろう。
「香霖の右肩が下がっているんだよ。右に傾いている自覚はないのか?」
「えっ?」
僕は近くにあった鏡で自分の姿を覗きこんだ。
……確かに右肩が下がっている。
鏡を見ながら何度も姿勢を調整するのだが、気を抜くとすぐに右肩が下がってしまう。
その姿がなんとも滑稽で、自然と笑いがこみ上げてきそうになる。
原因を知っているからこそ、この手段を採りたくはなかったのだが……。
仕方なく、僕は右手を腰に添えるような格好で肩を大きく張らせた。
その姿勢をとった瞬間から、僕の肩はきちんと地面と平行線を描く。
まるで、欠けたピースがしっかりと収まるかのようであった。

「おっ、姿勢が戻ったな。」
鏡の前での死闘を一部始終見ていたのだろう、魔理沙の口元には底意地の悪い笑みが張り付いている。
僕はその一切を無視して、たった今、痛感したことを口にした。
「魔理沙、君は憑き物が落ちた気持ちってわかるかい?」
「さあな、私は体験したことがないからわからないぜ。香霖はあるのか?」
魔理沙の返事はにべも無い。
だからこそ、僕もほんの少しだけ自己の未熟さを認める気になったのかもしれない……。
「こういうことなんだと思うよ。」
腰に添えられた右手を見て、僕はただ、なんともいえない笑みを浮かべるのであった。




霊「あんた達の関係ってさ……。」
妖「うん?」
霊「つまり、砂沙美と津名魅ってこ…もぎょ!」
魔「だーかーら、そうなると香霖の役がアレになるだろ! 幻想郷の危機だぜ?」

というわけで、後編です。
ちょっと趣味全開になってしまったので、正直反応が怖いですね。
妖夢の人間部分と幽霊部分の役割を考えていたらこうなんじゃないのかなぁと、思いつくままに書かせてもらいました。
まあ、アイデアの根幹は上記のアレだと思うのですが……。

想像以上の長編になってしまいましたが、ここまでお付き合いしてくださってありがとうございます。
この作品が妖夢の半身書き忘れ防止に微力でも一役買ってくれれば、これを書いた甲斐があるというものです。

葉爪
[email protected]
http://www2.accsnet.ne.jp/~kohaze/
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コメント



0.2360簡易評価
3.70名前が無い程度の能力削除
もうちょっと承が欲しい気もしましたが、とても美しい文体と結の瀟洒さ。
それに、時を預かるという斬新な新説…ながらにして納得。
素晴らしいです。

でも正直な話、最後まで白玉だった方が嬉しかったワナ。
白玉可愛いよ白玉。
34.60名無し毛玉削除
なんか『鶴の恩返し』思い出しました…あんまし接点無いのに。
38.80七死削除
落とし方が秀逸。
多言必要とせず、すべてそこに集約してきましたか。

お見事。

読み終わるのの遅くなりました。
作者殿にこの声伝わるか不安ですが、何卒お話を楽しめた事に対する御礼お受け取りくださいませ~。
46.70名前が無い程度の能力削除
かわいいな白玉かわいい