Coolier - 新生・東方創想話

永き日常

2005/05/31 08:58:30
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 白玉楼は今日もいつもの朝を迎える。
 そこに変化など無く、いつも通りの平穏な朝。
 そんな平穏で静かな朝の中を、妖夢は主の寝室に向けて歩いていた。
 すでに朝餉の仕度も整い、食材たちも食い意地の張った幽々子の腹に収まるのを待っている。
 
 ――いつもの習慣の中に、妖夢はいた。

 部屋と廊下を遮る障子の前で膝をつき、

「幽々子さま、起きておられますか?」

 いつものように声をかけるも、返事は無い。
 これまたいつものことなので、気にせず障子に手を掛ける。

「失礼します」

 部屋の中には、昨日の夜と変わらぬ光景。敷かれた布団とそこに包まる主の姿が――無かった。

「……あれ?」

 妖夢が声をかける前に起きるなど、魔砲使いが借りたものを素直に返すぐらい珍しい。
 首を傾げながらも、布団を片しておくべく、手を伸ばす。
 可愛らしく描かれた蝶柄の掛け布団を剥ぎ取る。

 と。

「え?」

 そこに小さな『何か』がいた。 
 それには手があり、足があり、頭があった。
 目を閉じて、無くなった布団を探しているのか手が虚空をかいている。

「に、人形?」

 それが人形ならとてつもなく精巧な出来だろう。
 その顔も服も従者たる妖夢には、あまりにも見慣れたものだったから。
 硬直する妖夢を無視して『その人』は、目を開け、いつものように眠たげな笑顔を浮かべた。

「おはよう妖夢」

 さらに、いつものように挨拶をしてのけた。

「おああああぇぁあ」
「妖夢、朝の挨拶はちゃんと……」
「ゆゆゆゆゆゆゆゆゆゆゆこここここ」
「……『ゆ』と『こ』が多すぎるわね」
「みょん!?」

 見覚えのあり過ぎる顔を持つ小さな『何か』の声は、やっぱり聞き覚えのある声で。
 平穏な日常にそぐわない出来事に、生真面目かつ真っ直ぐすぎる半人前はついていけない。

「ほら、落ち着きなさいっ」
「は、はいっ!!」

 未熟ながらも冥界の姫たる彼女の従者。
 主の命に反射的に居住まいを正す。大きく息を吸って、ざわめく心を落ち着かせる。
 何度も吸って、たまに間違えて吐きっぱなしになってたりもしたが。
 明鏡止水には程遠いが、なんとかいつもの心持には辿りつく。

「落ち着いたかしら」
「……はい。取り乱して申し訳ありません」

 無様な姿を謝罪し、意を決して――尋ねた。

「あの、幽々子さまですよ……ね?」
「まぁ大変。その年でボケてしまったの?」
「ボケていませんっ! だってその……」

 すっと息を吸って、認めがたい現実に立ち向かう。
 正座した状態から、土下座するように首を下げる。

 そうしないと、幽々子と目線を合わせられないのだ。

 なぜなら、幽々子は――

「……縮んでますよ」
「あらまあ」

 気の抜けた返事を返した後。
 しばし、考え込むように虚空に眼をやる。
 そして、小さな体に張り詰めた空気を纏わせ、命じる。

「妖夢、由々しき事態だわ」
「――はい」

 背筋を伸ばすと、見下してしまう慣れない構図になった。
 そんなことはお構い無しに、幽々子はその小さな体に威厳をまとわせ。


 ――お腹を鳴らした。


「………」
「………」

 主従の間に、間の抜けた沈黙が訪れる。

「おなかが減ったわ。朝ごはんにしましょう」
「………幽々子さま、もうちょっと動じましょうよ」

 小さくなっても、主の大らかさは変わっていないようだった。



 


「卵焼きをちょうだい」
「はい」

 皿から卵を取り上げ、幽々子の口元に持っていく。
 普段なら一口で終わってしまうものが、少しづつ小さな幽々子の中に消えていく。
 自分の顔とほとんど変わらないそれを平らげてしまうと、

「次は、お味噌汁がいいわ」
「はい。少々お待ちを」

 用意しておいたスプーンで、味噌汁を掬う。
 実に不似合いであるが、これが一番食べさせやすいのだ。
 
「それじゃあ、次は……」

 こうやって、自分の食事もそこそこに幽々子の食事の世話をしている。
 とりあえず朝食を食べることにはなったが、普段どおりにしか料理は作っていない。
 それ以前に、箸を持つことすらかなわぬ大きさである。
 前者に関しては、冥界……いや、幻想郷一の食いしん坊たる彼女の面目躍如というべき平常と
 変わらぬ食欲により解決した。
 後者の方は幽々子が手で食べると主張したことで解決したかに見えた。
 ところが、手で食べるなど言語道断と却下し、こうして、雛鳥にエサをやる母鳥のごとく
 幽々子の食事を手伝っている。

「しかし……」
「?」

 首を傾げる姿はいつもとまったく同じ。
 ただ、その姿が小さすぎる。幼くなったわけでなく、その縮尺が変わってしまっているのだ。

「……原因は何なのでしょう」
「さあ、なにかしらねぇ」
「何か拾い食いとかは?」
「失礼ね。なんでも見境なく食べたりしないわ」
「……この前、庭に生えたキノコをこっそり食べていた方がおっしゃるセリフですか」
「美味しかったわよ」
「…………ホントに、何も食べてませんか?」
「少なくとも、最近は妖夢の作った御飯しか食べてないわねぇ」
「そうですか……」

 悪食が原因と言うことはなさそうだ。
 となると、何者かの陰謀か、はたまた病か。
 色々と可能性を探ってみるが、答えは出ない。そうすると、直す方法も思いつかない。

「原因が分からないとは……」

 悩む従者をよそに、渦中の人……もとい幽霊であるはずの主は、いつもどおり。
 
「幽々子さまは、何か思いつきませんか?」
「そうねぇ」
「………」

 ずいぶんと高くなったように感じるであろう天井何かを探すかのように見つめている。
 ふと、その視線が妖夢に向いた。
 
「ねぇ、妖夢」
「はい」

 何か気づいたことでもあったのだろうかと、身を乗り出す。

「あなた、大きくなったわね」

 ――頭痛がした。
 当然のセリフに、ため息をつきながら返す。

「それは、幽々子さまが小さくなっているのです」
「そうじゃないのよ。ほら、昔はこのぐらいだったでしょ」

 言いながら手を自分の腰辺りで振って見せる。いくらなんでも手のひらサイズの幽々子より
 小さかった時代など妖夢の記憶に無い。
 きっと、普段の幽々子の腰あたりの大きさ。つまり、幼いころの話。
 
「突然、何ですか?」
「あっというまに大きくなるものね。あんなに小さかったのに」

 舞い散る桜を見るような笑みを浮かべながら、主は続ける。
 
「だからね」
「はい」
「そのうち、私も大きくなるんじゃないかしら」

 儚さのようなものを感じたのは一瞬で、いつも通りの幽々子だった。

「……なりませんよ。私のは成長なんですから」
 
 結局、事態は全然進んでいない。幽々子にも原因は分からず、妖夢には見当もつかない。
 けれど、このままにしておくわけにはいかない。
 これが何かの術なら、犯人は幽々子を狙っていることの証明だ。
 それは護衛役として看過できない。
 他にも、悪戯や病が原因なら体への悪影響が心配だ。 
 
 それに。

 人形サイズにまで縮んでしまった主。
 言動にこそ変化は無いが、普段感じる強大な霊力が感じられない。
 つまり。今の幽々子はいつもとは逆に、夜雀に喰われてしまうほどの力しかないのだ。

「……それはまずい」
「そう? 美味しいわよ」
「いえ、そうではなくて……あっ、幽々子さま手で食べるのはおやめくださいっ」
「だって、妖夢が食べさせてくれないんですもの」
「ああもうっ、わかりましたから……どれがいいですか?」
「じゃあ、お魚にするわ」
「……はい」

 刺身をつまみ、小さな口元に持っていく。

 頭の中で、頼るべき相手を検索しながら。
 いつもとは違う朝食を過ごした。






「それで、妖夢」

 頭の上から声がする。
 半霊が突然言葉を覚えたわけではなく、小さくなった幽々子だ。
 今は、頭の上に乗ってもらっている。
 なにせ、今の彼女はそこらの毛玉に落とされそうな力しかない。
 なるべく近く、剣を振るう際に邪魔にならない場所としてそこにいてもらうことにした。
 幽々子を頭に乗せて、妖夢は空を飛び朝食中に考えた頼るべき相手の家に向かっている。
 
「どこへ向かっているの?」
「はい。色々考えたのですが……紫さまの所です」
「ふーん」

 興味なさげではあるが、いつもこういう感じなので妖夢は気にしない。
 
「あの方なら、何かいい知恵があるかもしれません」
「起きているかしら紫」
「……そのときは叩き起こしてでも。最悪、紫さまが犯人ということもありえますが」

 鞘に収めた剣の柄を強く握る。
 実際、紫ならそういうイタズラをやりかねない。悪意は無いが、迷惑な存在だ。 
 しかも、素直に直してくれそうも無い相手でもある。

「そうだったら……困るわね」

 まったくもって、困ったようには聞こえない声で幽々子がのん気に言う。
 『弾幕ごっこ』となる可能性もあるというのに……

「幽々子さまの身は、この妖夢が命に代えてもお守りします」
「妖夢じゃ紫に勝てないわよ」
「まぁ、たしかにそうですけどね……」
「狐にも勝てないんじゃないの。さすがに猫には勝てるでしょうけど」

 さらりと現実を口にする。
 紫の式とそのまた式は、紫に害なす者には容赦などしないだろう。
 『弾幕ごっこ』になれば、妖夢が藍に勝つのは厳しい。
 
 だが。

「……お守りしますから」
「妖夢?」
「たとえ、この楼観剣で斬れぬモノであろうと必ず」


 『斬れぬ物など、あんまりない』

 
 その言葉すらまだ未熟の証だということに気がついたのはあの春。
 ただ、自分の知る世界の少なさ、小ささを思い知った。
 幻想郷で、妖夢が斬れぬ物など数多いということを教えてもらった。
 自分が井の中の蛙でしかなかったということを今は知っている。

 全てを切り裂く剣となるには程遠い。
 ならば、せめて盾となる。冥界一……いや、幻想郷一固い主のための盾に。

 それこそが、妖夢の立てた誓い。

「幽々子さまはご安心ください」
「……そう」
「はい。あ、もうすぐ着きますよ」

 マヨヒガへの道は聞いてあるので、迷うことなく着いた。
 なんとなく、矛盾する気もするが気にしているといけないことは学習済みだ。
 幻想郷とは、大らかな世界なのである。

「妖夢」
「なんでしょうか?」
「……いえ、なんでもないわ」
「はぁ」

 幽々子の表情は見えない。でも、困った顔をしている気がした。
 原因が何のかは想像もつかなかったが。
 困惑する妖夢の視界に、一軒家が見える。目を閉じ気持ちを切り替える。
 今すべきことは、主を元に戻す方法を知ること。
 
 目を開けたとき、困惑は綺麗にに消え去ってくれていた。

「降ります。捕まっていてくださいね」
「落ちても、飛ぶことぐらいならできるわよ」
「……そうでしょうけど」

 それでも、ゆっくりと慎重にマヨヒガにへと降り立った。





 門を開き、奥まで聞こえるように大声を上げる。
 警戒は解かない。ここは、敵地であるかもしれないからだ。

「御免! 紫さまはご在宅で……」

 妖夢の口上はそこで完全凍結。
 
「まぁ」

 頭上の幽々子ですら、微かな驚きを言葉に乗せている。
 幽界の主従を驚かせたのは、ありえない光景だった。

 玄関先に立つ、ひらひらとした服の塊。いつもどおりに、紫色を身にまとっている。
 驚愕する主従に、拗ねたような流し目を送り、ぼやくように一言。

「その態度は、失礼じゃないかしら」

 そう言われても、硬直から妖夢は抜け出せない。

 なにせ、玄関先に紫が立っていたのだ。式に任せることなく、紫自身が出迎えたのだ。
 
 あの、いつも寝てばかりのスキマ妖怪が。

「ど、どうしましょう幽々子さまっ!? 私、紫さまに出迎えられたの初めてですっ!!」
「どうすればいいかしらねぇ。私もはじめてなのよ~」

 長年の友人すら、初めて経験であることに妖夢は戦慄を覚えた。

(この方のぐーたらぶりは、そこまでっ!?)

 同時に、彼女に扱き使われている式に同情も覚えたりもした。
 今度、油揚げでも差し入れようと思う。

(ああ、そういえば)

 思い当たって、ありえざる存在に尋ねる。少し、勇気が必要だったけど。

「藍殿はいないのですか?」
「今、お使いを頼んでいるのよ」
「……なるほど」
「霊夢にお賽銭っぽいものを送ろうと思ってね」
「はぁ」

 っぽい、ってなんだろうと思う。
 その疑問には、頭上の主がのほほんと答えた。

「……どんなイタズラを仕込んだの」
「ふふ。賽銭箱に入れると、カエルに変身して飛び出してくるのよ」
「まぁ、それは面白そうね」
「………」

 今頃、藍はキレた巫女に襲われているであろう。差し入れる油揚げは最高級品に決定。
 
 藍の冥福を祈る一方、紫が出てきた理由がわかったことに、安心した。
 たまたま藍も橙もいなくて、たまたま紫は起きていて、たまたま気が向いたのだろう。
 自身を納得させることにやっと成功した。
 
「それで2人とも、我が家に何の御用かしら?」
「あ、はい。幽々子さまのことで……」

 犯人という可能性もある。念のため、幽々子を頭の上から下ろし、剣に手を掛けた。
 
「縮めたのは私じゃないわよ」

 警戒する妖夢を他所に、紫は気だるげに投げやりに言い捨てる。

「そ、そうですか」
「ええ。私ならもう少し面白くなるようにするから」

 紫の考える面白いことは気になるが、聞いたとたんに試されても困るので突っ込まない。
 それ以上に、妖夢が気にすべきことは1つだけ。

「では、直し方をご存知では……?」
「そうね……ちょっと見てみないと」

 ふよふよとあたりを漂っていた幽々子を手のひらに乗せ、紫の方に差し出す。
 そのまま握りつぶせてしまいそうな力しかない主。
 幻想郷でも強大な大妖怪と小さく弱い幽霊。
 それでも、2人は平常どおりに話し始めた。あたりまえのように。

「可愛らしくなったわね。幽々子?」
「そう?」
「ええ。まるで昔の藍みたい」

 指で頭を撫でられて、幽々子の頭が揺れる。

「ふーん。あの狐さんにもこんなに小さなころがあったの?」
「今のあなたに比べたら、大きく感じるわね。
 それに、あっというまに口うるさくなっちゃったのよ」
(それは、主のせいです)

 心の中で、藍の弁護を口にする。でも言葉には乗せない。
 
「……ほんと、あっという間よ」

 ぽつり、と。
 その言葉を発した紫を見上げる。
 扇を広げて、口元を隠したので、どんな表情かは見えなかった。
 声も平常と変わらず。ただ、その目が少し……寂しげに妖夢には見えた。

「紫さま?」
「魂魄、妖夢」
「は、はいっ」
「あなたも大きくなったわね」
「そうでしょうか……?」

 幽々子にも同じことを言われたのを思い出す。
 手のひらを見ると、幽々子は寝そべっていて顔が見えない。

「人であろうと妖怪であろうと、時の流れには身を任せるしかない。
 成長であろうと老いであろうと、それは絶対。
 在ったものはいつか失われ、生きるものにはいつか死が来る」

 じっと妖夢を見ながら、永き時を過ごす妖怪は、言葉を続ける。

「時が進む限り人は変わる。けれど、幽霊は変わらない。なぜなら、もう終わっているから。
 生きていない代償に、時間が与えられ。死んでいる代償として、成長を失くす」

 淡々と、言葉を紡ぐ。
 その目は、しっかりと妖夢を捉えて離さない。
 物心ついたときから変わらない、普遍の存在がそこにいた。

「なら、あなたはどうかしら。人と幽霊が半分づつのあなた。
 現世と来世の中間に位置する者。
 永き時間を得ながら、成長を失くしていないあなた」

 自分と言う存在。
 そこまで、考えたことなど無かった。半人半霊というものに意味など見出すことも無く。
 
「あなたはその時間を何のために使うのかしら?」

 紫の言葉を咀嚼し、考える。何のために使うのか――生きるのか。

 けれど。

 妖夢にそんなこと考える時間は、必要無かった。もう、すでに決まっていることだから。
 きっぱりと宣誓するように告げる。

「幽々子さまをお守りするために、です」
「ふーん。どうして?」
「どうしてって……」

 理由。

 師であり、祖父であった妖忌から引き継いだと言う理由がある。
 ずっと続けていたからと言う理由がある。
 幽々子を守ると言うことが、当たり前となっていると言う理由がある。

 でも、本当の理由はもっと単純。

「私が、そうしたいからです」
「妖夢……?」

 手のひらの上で、幽々子がこちらを向く。
 実に頼りない姿の主。力を取り戻しても、カリスマ性など感じないゆるい主。
 わがままに我が道をのんびり進む、そんな主。

 そんな人だから、従者は苦労ばかり背負わされる。
 
 でも。

 妖夢は、この仕事を辞めようなどとは思わない。

「私は、ずっと幽々子さまに仕えていたいと、そう思っています」

 誰よりも、何よりも。
 ――幽々子のことが、大切で大好きなのだから。 
 恥ずかしくて、面と向かっていえる言葉じゃないけれど。

 幽々子は、何を考えているのかよくわからない顔で、黙って妖夢を見上げている。
 じっと見上げる目に考えていたことを見透かされた気がして、照れくさくて目を逸らす。

 そんな主従を見ながら、紫が口を開く。

「半分人であるがゆえに成長し、半分人で無いがゆえに変化しない。
 ホント、理想的かもしれないわね。半人半霊というのは……ふぁあ」

 あくびして、踵を返し奥へ歩いていく。

「あ、紫さまっ!」
「なぁに、こんな時間から起きてたから眠いんだけど」
「もう、お昼はとっくに……じゃなくて、幽々子さまの体を……」
「ああ、それね」

 めんどくさそうに、幽々子を見る。
 おもむろに、頭に手を載せ、ぐりぐりと撫でる。

「あら~」
「な、なにを……」
「はい。終わり」
「えっ!?」
「これで、明日には直ってるわよ」
「そ、そうなのですか!?」
「そうでしょ、幽々子?」

 妖夢も視線を追って、主に向ける。

「そうね。そんな気がするわ」
「はぁ」

 お気楽に答えた。
 従者としては気が気でないが。

「直らなかったら、私以外に見せなさい……明日は起きないから」
「は、はいっ ありがとうございます紫さま」
「お礼はいいわ。それより……」

 首だけをこちらに向けて、

「……満足したかしら?」

 ただ、それだけを言って奥へと引っ込んだ。
 何を言いたいのか、妖夢には理解できなかった。

「妖夢、帰りましょう」
「……そうですね」

 悩みを振り払い、気を引き締める。
 今、この力なき主を護れるのは自分だけだ。

「では、幽々子さま。私の頭の上に」
「ええ」

 行きと同様に、幽々子を乗せて大地を蹴る。
 
「……ごめんね」
「え? 幽々子さま、何か?」
「なんで、こんなことをしたのかしら」
「……はい?」
「こんなことに意味など無いのに。ただ、妖夢を困らせるだけなのに……」
「そういえば犯人、わかりませんでしたね」
「いつか、犯人がわかったら教えてね」
「はい。切り潰してご覧に入れます」
「そう……それをあなたが選ぶのなら悪くないわね」
「え?」

 頭の上で、くすくすと言う声が聞こえる。
 首を傾げると幽々子が落ちてしまうので、半身の首をひねってみた。
 主の言動に混乱する妖夢などお構いなく、幽々子は命じる。

「さあ、かえってご飯にしましょう」

 主はいつもどおり。
 苦笑して、従者もいつもどおりを実行する。

「はい、お任せを」
「妖夢、食べさせてね」
「ええ、お世話させていただきます」

 幽々子を乗せて、妖夢は空を駆けて帰るべき家へと飛んだ。






 翌朝。
 白玉楼は今日もいつもの朝を迎える。
 そこに変化など無く、いつも通りの平穏な朝。
 平穏で静かな朝の中を、妖夢は主の寝室に向けて歩いていた。
 すでに朝餉の仕度も整い、食材たちも食い意地の張った幽々子の腹に収まるのを待っている。
 
 そんないつもの習慣の中に、妖夢はいた。

 障子の前で膝をつき、

「幽々子さま、起きておられますか?」

 いつものように声をかけるも、返事は無い。
 これまたいつものことなので、気にせず障子に手を掛ける。

「失礼します」

 部屋の中には、昨日の朝とは違う風景。つまり、いつも通りの光景。
 布団の上で静かに寝息を立てる――妖夢の見慣れた大きさの幽々子。
 
 そのことに安堵して、昨日はできなかった日常を続ける。

「幽々子さま、朝食の支度が整いました」

 いつものように、その言葉でゆっくりと目を開けた。
 枕元で、正座をしたままその目の焦点が合うのを待つ。
 寝起きのいい主は、その瞳に従者を写した。

「おはよう、妖夢」
「おはようございます、幽々子さま」

 むくりと、その身を起こす。

「今日のごはんは何かしら?」
「はい。今日は新鮮なサケの幽霊が手に入りましたので、焼き魚にしました」
「そう、それは楽しみね」

 それに誘われるように、さっさと布団から這い出ると、控えている従者をおいて歩き出す。
 そのいつも通りに、少し安心して布団を片す。

「妖夢」

 声に顔を上げる。
 いつもなら、さっさと行ってしまう主がそこにいた。

「早くしなさい。ご飯が冷めてしまうわ」
「はい、ただいま!」

 今日も変わらぬ、白玉楼の一日が始まる。
 

 




 その日から何度目か数えるのも億劫なぐらい桜を見た。
 もう遠すぎでわからない、思い出となった非日常。

 それでも妖夢は、時折あの1日を思い出す。
 
 たとえば、博麗の巫女が代替わりした日に。
 たとえば、主の背を追い越した日に。
 たとえば、式の式に、これまた式ができた日に。
 たとえば、主を斬れる程度の力を身につけた日に。
 
 変わり行くものを知り、変わらざるをえない自分に気づいた日に。
 変わることのできない、そんな者がいることに気づいた日に。
 

 ――妖夢は、あの小さくなった主を思い出す。


 幼かった自分に苦笑し、主の想いを気づけなかったことに拳を握る。
 未だに、あの犯人を切り潰していない。そんな選択を取ることができなかった。
 可能であっても、する必要もその気も無い。


 だから、白玉楼は今日もいつもの朝を迎える。


「幽々子さま、起きておられますか?」
「ええ」

 主は変わらない。いや、変わることができない。

「今日のごはんは何かしら?」
「フレンチトーストにしてみました」
「それは楽しみだわ。妖夢の洋食は美味しいものね」

 従者は変わる。いや、変わらざるをえない。

 けれど。

「ああ、忘れていたわ」
「はい?」
「おはよう、妖夢」
「おはようございます、幽々子さま」

 変える必要が無いこと、変わらないことはきっとある。



 今日も冥界で、いつもの日常が始まる。 

 
 
 







はじめまして、東方ss初挑戦のdenです。
絵板の幼女化を見ながら、「ぷち」化も可愛いんじゃないかと思い書いてみました。
固い話になってしまいましたが、楽しんでいただければ幸いです。

では、また機会がありましたら。
den
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コメント



0.3320簡易評価
1.80シュウ削除
個人的には好きですねこういう話。

半分人間であるから成長し、半分幽霊であるから変化しない。
主を守るために成長して行き、決して変わらぬ主への忠誠。
そんなふうに感じました。
12.90名前が無い程度の能力削除
変わるものもあるが、変わらないものもある。
いいですね。
27.70名前が無い程度の能力削除
固いなんてとんでもない。これは、とても暖かい話です。


そしてぜひともゆゆこ様をお持ち帰(現世斬
75.100名前が無い程度の能力削除
良い話だなぁ
しみじみします