*届かぬ思い、されど君は微笑む の続編です。
扉を開けると、人形が並んでいた。私が何処からか集めてきた物、私が作ったもの。どれもこれも貴重な物で、また私の話し相手でもあった。
私はこの森に住む同じ魔法使いとは違い、大事な物はちゃんと保管するようにしていた。それゆえに人形専用の部屋を作ってきちんと管理していた。
しかし、目を凝らして見ると薄っすらと埃が積もっているのが見て取れた。あれだけ大事にしていた人形達が埃を被ぶるまで放置していたからだ。仕方が無いので掃除をすることにした。
ここ最近、あれだけ好きだった人形作りをしなくなった。当初は作る能率が上がらなかっただけなのだが、しだいに人形作りが楽しいと思わなくなり、作ることすらしなくなってしまったのだ。それでも、自分が作った人形たちに対する責任で管理だけはしっかりとするつもりだったのだが、この様だ。だが、この部屋だけに限った話ではなかった。どの部屋も似たような惨状になっている。
ある日を境に、何をしても何も感じなくなった。面白いとも、面倒臭いとも、微塵にも感じなくなってしまった。そして何をするにも無感動な状態が続くうちに、もう何かをしたいとも思わなくなってしまった。
掃除を終え、居間に戻った。ここにも薄っすらと埃が積もっているのが見えるが、今日は何もしない事にした。
窓の傍に置いてある椅子に腰掛けた。窓にはカーテンが敷かれていて、外が見えないようにしていた。むしろ外から中を覗かれないようにしていると言ったほうが正解か。そのお陰でまだ昼だというのに部屋の中が薄暗くて仕方が無かったが、気にすることはしなかった。
椅子に座ると、やるせない気持ちが強くなった。まだ動いていた方が気持ちはまぎれるのだが、何かをしたいという気持ちにはもうなれなかった。
あの日以来、私は自分が嫌になった。自分の全てを否定していると言ってもいいかもしれない。以前の私は、唯魔理沙に好かれたかっただけだった。何とか魔理沙の気を引こうと空回りしていたし、恋敵のパチュリーを憎悪の眼差しで睨んでもいた。
それなのに、魔理沙は私の事を信用してくれていたのに、私は魔理沙の事を信用していなかった。魔理沙に無条件で色々求めていたくせに、私は何も魔理沙に報いる事はしていなかった。殆ど裏切りといっても過言ではない。
あれ以来、魔理沙は何かと私の事を気にかけてくれるようになった。しかし、魔理沙が私に向けてくれる笑顔は私の心を締め付けた。私は魔理沙の笑顔が欲しかった。だけど私にはそれを享受する資格が無かった。
魔理沙は今頃どうしているのだろうか。不意に、そんな思いが頭をよぎった。そして、慌てて頭を振ってその思いを打ち消した。もう、幾度も繰り返している事だった。
私は魔理沙に会いたかった。軽い話をするだけでもいい。それだけで私は何か満たされるような感じになれるかもしれない。
でも、私は自分でそれを禁じた。魔理沙は色々と笑って許してくれるだろうが、私は自分を許す気にはなれなかった。全てを忘れて魔理沙に甘えれるほど、私は器用じゃない。
今頃、きっと紅魔館でパチュリーとよろしくやっているのだと、自分に言い聞かせた。いっそうのこと、早くパチュリーとくっ付いちゃえばいいのに。そうすれば、私もこんな事を考えなくてすむのに。
魔理沙に会いたいのに、会いたくない。この葛藤が自己嫌悪をさらに酷くしていた。
目を閉じ、深いため息を付いた。もう、こんな生活を何日続けているのだろうか。
しばらくして、玄関の扉がノックされた。私の体は強張った。この家に来る物好きなんて、一人しか考えられなかった。
あの日から魔理沙はたまに私の様子を見に家に来る事があった。当初は魔理沙を家の中にいれて接客していたが、魔理沙と一緒にいればいるほど辛くてしょうがなかった。そのうちに、魔理沙と会うことを止めようとした。だからカーテンを家中閉めて居留守を決め込み、魔理沙をやり過ごす事にしていた。今のところこの方法は効果を上げていて、その都度魔理沙諦めて帰っていった。
しかし、実際に魔理沙に来られるとやはり動揺してしまった。扉一枚の距離に魔理沙がいる。その事実は私の心を締め付けた。
精一杯息を殺して、魔理沙をやり過ごす。揺れる心を抑えながら、早く行ってくれることを祈る。
「おーい、アリス。いるんだろー。返事をしてくれよー。」
魔理沙の声が久々に聞こえて、少し嬉しかった。だけど、返事をするわけにはいかなかった。
「おい、アリス。いつまでも客を待たせるものじゃないぜ。」
断腸の思いで、私は返事をしそうになる自分と戦った。魔理沙、お願いだから帰って。
「ちぇ、なんだ、また留守か。仕方が無いな。」
どうやら諦めてくれたようだ。安堵のため息をつきそうになった。
「留守なら、ちょっくら上がらさせて待たせてもらおうかな。」
今回は何やら展開が違っていた。このまま家に勝手に乗り込んでくるつもりなのか。
「鬼のいぬ間の何とやら。ついでにちょっと家宅捜査もさせてもらうぜ。」
何を勝手な事をと思ったが、それどころではなかった。慌てて周囲を見渡し、どこか身を隠せる場所を探した。
「しかしこの扉、結構硬いな。しかたねえ、盛大に吹き飛ばさせてもらうぜ。」
扉に向かって突進した。魔理沙は家ごと玄関を吹き飛ばす気か。
「恋札:マスター」
「ちょっと待って!!」
なりふり構わず、勢いよく扉を開けた。開けた先には何やら勝ち誇った顔をしている魔理沙がいた。
「やっぱり、いるんじゃないか。客を待たすのは良くないぜ。」
どうやら、まんまと嵌められたようだ。怒りよりも疲労感が募り、項垂れながら魔理沙を家に通した。
「うわ、アリス、お前何やっているんだ。」
家に上がった早々、魔理沙は文句を言い始めた。確かに以前とは違って薄汚い。
私は肩を竦めるだけで何も言わず、魔理沙を居間に通した。魔理沙が大人しくテーブルの席に座ったのを確認して、お茶を取りに行った。カップと皿に積もっていた埃を水で洗い流し、丁重に洗浄した。その間に沸かしていた湯をティーポットに注ぎ、紅茶の葉を入れた。周囲を見渡し、まだ人に出せられる物を探し皿に載せた。以前霧雨邸で御馳走になった物とは比べ物にならなかったが、あれ以来何も買い足していないのでこれが限度だった。
どの様に魔理沙と接すればいいのか、模索した。今は魔理沙と会話をする気にはとてもじゃないがなれなかった。どうして私なんかをいつまでも気にしてくれるのだろうか。私は魔理沙と会うたびに、こんなに苦しい思いをしなければならないというのに。
カップとポットと皿をトレーに載せて、居間に戻った。一瞬、眩しさで目がくらんだ。どうやら魔理沙がカーテンを開けたようだ。
「今日は、どうしたのよ。」
テーブルに持って来た物を並べながら聞いた。
「どうしたは、こっちの台詞だぜ。どうして居留守なんて決め込もうとしたんだ。」
「別に。何でもないわよ。」
カップにポットの紅茶を注ぐ。別に用意しておいた皿に、珍しく魔理沙が持って来たお菓子を載せた。
「私は別に、アリスがどうしているかなって思って、ちょっとよってみただけだぜ。お茶まで悪いな。」
「ふうん、思いつきで行動したには、ずいぶんと用意がいい事ね。博麗神社に行くときとは大違いじゃない。」
魔理沙が口ごもるのを横目に、カップに口をつけた。魔理沙もばつが悪そうな顔をしてカップを手に取った。
会いに来てくれたのは凄く嬉しいのだが、今は少しでも早くお帰りを願おう。
「なあ、こんな暗くした家の中にいると、何かこう疲れないか。人間、お日様の光が大事だぜ。」
「別に、私はこの雰囲気が好きだからこうしているだけ。私の性格はよく知っているでしょう。」
またも魔理沙は口ごもった。お互いに少し気まずい空気が流れる。
魔理沙には悪いと思ったが、会話がかみ合わなければ長居は出来まいと思った。
「えーと、あ、そうだ。今度博麗神社で宴会を開く事にしたんだが、アリスもどうだ。たまには気分転換も必要だと思うぜ。」
「遠慮させてもらうわ。今は騒ぎたいっていう気分じゃないの。」
「いや、だから、気分転換にだな。」
「大きなお世話よ。ほっといて頂戴。」
魔理沙は目をカップの方に落とす。その表情は明らかに気落ちしていた。場もかなり気まずい雰囲気が漂っていた。
「な、なあ、アリス。」
「早く紅茶を飲まないと、冷めちゃうわよ。まさか、出された物を粗末には扱わないでしょうね。」
魔理沙が弱ったような目をした。その事にかなり罪の意識を感じたが、顔には出さないように注意した。こうなれば、徹底的に魔理沙に嫌われようと思うようになってきた。そうすれば、もう私の事を気にかけてくれる事もなくなるだろう。魔理沙が私の事を気にかけてくれる必要が、何処にも無いのだから。
その後も、気まずい雰囲気が漂い続けた。魔理沙が何かを言おうとしても、私は殆ど取り合わなかった。そのうちに、魔理沙も喋らなくなった。
ポットの中身も、皿の上のお菓子も無くなった。魔理沙は居心地悪そうに身じろぎしているが、もう私の家に居る理由が無かった。
結局、魔理沙はそのまま帰ることになった。玄関の外まで魔理沙を見送る。
「今日は、美味しいお菓子ありがとうね。」
「あ、ああ。あんなんで良かったら、また持ってくるぜ。」
「ご生憎様、私は三時のお茶の習慣は持ち合わしていないの。結構よ。」
魔理沙はかなり落胆していた。私にまるで取り付く島が無いからだ。表情もかなり暗いものになっている。
「な、なあ。私に出来ることがあったら、何でも言ってくれ。出来る限り力になるぜ。」
魔理沙が何か懇願するような目で言ってきた。とても正視することは出来ず、目をそらした。涙がこみ上げて来るのを必死で我慢し、耐えた。私の心は罪悪感で溢れていた。
「そう思うのなら、もう来ないで。魔理沙が家に人を招きたがらないのと同じで、私もあまり人を家に入れたくないの。研究中の物を外気に触れさせるのもどうかと思うし。私は作業に没頭したいの。」
「あ、うん。そうだ、そうだよな。私も調合中に来客はお断りだもんな。悪かったよ。」
「悪く思うのなら、誠意を見せて欲しいわね。」
そう言い残すと、魔理沙に背を向け家に入ろうとした。
「あ、ああ。分かったぜ。じゃあ、アリス。またな。」
私は返事をせずに、扉を閉しめた。もう、次は無いのだ。
扉を閉めると、もう耐えられなかった。目からはどうしようもなく涙が溢れ、その場に崩れ落ちた。
せっかく魔理沙が来てくれたのに。せっかく魔理沙が親切にしてくれたのに。私は何て事を言ってしまったのだろうか。魔理沙は私の為にと思って言ってくれていたのに。
声なき声を上げ、私は自分を責め続けた。
今が昼なのか夜なのか、もう分からなかった。分かろうとも思わなかった。
ベッドの上で身を縮め、自分を責め続けてからどれだけの時間が経ったところで、私にはもう関係の無い事だった。
体は無性に睡眠を求めているのだが、心がそれを拒んだ。何もする気が起きず、睡眠すら取る気になれなかった。水も食べ物も取る事を止めた。もう、私にはどうでもいい事だった。
頭は殆ど靄がかかった感じがして、まともに物事を考える事が出来ない。飢えと渇きで今にも気が狂いそうだ。それでも私の心の自責の念は私を苦しめ続けた。
もう苦しみたくなくて、魔理沙を拒絶した。魔理沙に会えば私は苦しむ事になるからだ。本当は少しでも長く魔理沙の傍に居たいのに、私にそれは許されない。魔理沙の傍という場所を獲得する為に、私は何もしてこなかったからだ。そして、素知らぬ顔をしてただでその場所を享受するには、私はあまりにも不器用すぎた。
たぶん、魔理沙は私の事を嫌いになったに違いない。そして私の事を憎み、そのうちに時が私の全てを忘却の彼方に追いやるだろう。これで良かったはずだし、後はパチュリーがどうにかしてくれるはずだ。
しかし、もっと別にいい方法があったのではないだろうか。魔理沙を傷つけずにすむ方法が。今でも魔理沙のあの傷ついたような目が脳裏に焼きついて離れなかった。
結局、最後まで私は魔理沙に迷惑を掛け続けた。そんな私が堪らなく嫌だった。
ベッドの上で悶々と過ごしているうちに、急に玄関の戸が叩かれた。ハッとして身を強張らす。魔理沙。しかし、頭を振りかぶって、その思いを打ち消した。もう二度と魔理沙が私を訪ねてくることは無いのだから。
「アリス・マーガトロイド。居るのでしょう、出てきなさい。」
何処かで聞いた覚えのある声だった。低く押し殺したような声になっているが、それは間違いなかった。
訝しげな思いが頭をよぎったが、扉を叩く音は続いていた。仕方が無いので、来訪者に会って見る事にしてみた。扉の錠をはずし、玄関を開けた。
パチュリー・ノーレッジ
何故ここに彼女が居るのか。ありえないとしか思えなかった。パチュリーの行動範囲は殆ど局所的と言ってもいいので、まず紅魔館を動く事は無いはずだ。
しかし、彼女の射抜くような視線は尋常じゃなかった。彼女が放つ殺気は私の肌を刺し、粟を立たせた。もう、とりあえず挨拶をするという段階は過ぎているようだ。
私はうろたえながら家から離れ、それでも如何したのかパチュリーに聞こうとした。刹那、頬を何かがかすめた。
「アリス・マーガトロイド」
私を襲う殺気は、一段と膨らみ上がる。今の私はいつも使っている魔道書や人形達を持っていない、完全な丸腰の状態だった。恐怖に負け、自然と足が後ろへと動いた。対抗手段が無ければ逃げるしかない。
弾幕が一斉に放たれ恐怖に駆られながらも、必死でかわしながら逃げ続けた。
「憎い人」
一向にパチュリーとの距離が広がらない。全力で逃げているのに、まるで獲物を確実に追い詰めるかのごとくパチュリーは距離を一定に保ち続けた。私の傍を弾がかすめ、私に少しずつ傷を負わせていく。その気になれば何の反撃手段を持たない私を捉える事は簡単なのに、何故当てようとしないのか。小さな傷で私を弱らせ、最後に恐怖と絶望を刷り込んでから仕留める気なのか。
「私から魔理沙を奪った人」
憎々しく口から漏れたといった感じの言葉が聞こえてきた。しかし、それはまるで見当違いの言葉だ。私は魔理沙を拒絶したはずなのだから。
息が完全に上がり、強烈な目眩と吐き気がしてきた。考えてみれば、私はあの日からずっと一睡もしていないし、水分も栄養もまるで摂取していなかった。体力は衰え、精神力も集中力も尽きている私に勝ち目が有るはずが無かった。それでも全力で飛び続け、命からがら逃げようとして、逆に追い詰められている。もうそんなに長くは飛ぶ事は出来ないだろうし、それをパチュリーは待っているのだろう。
「それなのに、魔理沙を深く傷つけた、憎くてしょうがない人!!」
魔理沙を傷つけた。まるで呪い殺すかのごとく言い放たれた言葉が私の心に突き刺さった。罪の意識が押し寄せ、他に何も考えれなくなってしまった。
魔理沙を・・・傷つけた・・・
私が本来避けるはずだった弾が数発、私を捉えた。もろに直撃を受け、そのまま勢いよく地面に叩きつけられた。あまりの衝撃で、しばらく息が出来なかった。
「魔理沙の心は私から貴方に移って行ったわ。始めは無意識のうちに、だけど時間が立てば経つほど貴方を意識しだした。そして、急に貴方に会えなくなってしまった。その事が逆に魔理沙の心に火をつける事になった。初めのうちは貴方がそのうちに出てきてくれるだろうと考えていたわ。でも、一向に出てくる気配が無いから魔理沙の心は焦れ出した。魔理沙は毎日悩んでいたわよ。どうしたら貴方に会えるのかって。行っても貴方に追い返されるだけだったし。」
パチュリーが地面に降りて来ながら、吐き捨てるように一気にまくし立てた。パチュリーの悲しみや寂しさなどが込められているその言葉は、私の心に更なる追い討ちをかけた。
魔理沙が・・・私の事を・・・?
頭は殆どパニック状態だった。おかげで生存本能も働かず、パチュリーの接近も気にならなかった。
「悲しかったわ。魔理沙の心が私から離れていったのは。でも、魔理沙が決めた事だし、私が魔理沙に嫌われた訳じゃなかったから、頑張って納得しようとしたわ。今までにこれほど自分に嘘をついたことは無かった。それでも魔理沙の為にと思って、色々と知恵を貸したわ。」
私を見下ろすパチュリーの目には、憎しみと同時に悲しみの光が灯っていた。そこには私には計り知れない葛藤が秘められているのだろう。
もう、何も考える事が出来なかった。私は魔理沙だけでなく、パチュリーまでも裏切ってしまったのか。
「それなのに、貴方は魔理沙を拒絶した。魔理沙は酷く傷ついていたわ。それなのに、魔理沙は少し落ち込んだだけっていう感じで私のところに来た。そして、こう言ったわ。私は何かアリスに嫌われるような事をしたのだろうか。それともアリスは元々私の事をどうとも思っていなくて、この間の事は少し気の迷いが生じただけで、ただ私が思い違いをしていただけなのだろうかって。」
そんな事は無い。私は魔理沙のことが好きだ。だけど私には魔理沙の傍に居る資格が無いだけの話なのだ。
しかし、魔理沙が私の事をそんな風に思っていてくれたなんて夢にも思わなかった。だけど、喜ぶにはもう遅すぎた。私は魔理沙の気持ちを露にも考えず、ただ拒絶してしまっただけなのだから。
「私には分かったわ。魔理沙は表情にこそ出しはしなかったけど、魔理沙が心で泣いている事を。だから私は貴方を許さない。貴方が何を考えているのかは知らないし、分かりたいとも思わない。だけど、魔理沙の思いを冷たくあしらい、魔理沙の心を踏みにじった貴方を私は絶対に許す事が出来ない。」
パチュリーの目から悲しみの色が消え、憎しみと怒りが色濃くなった。恐らく次の一撃で全てを終わらせる気だろう。
パチュリーから圧倒的な魔力が放たれた。しかし、私はもう避けようとは思わなかった。
私が魔理沙を傷つけ、その事に憤慨したパチュリーが私を殺そうとすることが、何か当たり前というような気がしてならなかった。私も、パチュリーに殺されるならと思ってもいた。パチュリー一人に後のことを全て押し付けるのは少々酷な事だと思ったが、魔理沙の事をこれだけ思ってくれているのだから任せていいと思った。
私を滅ぼす強力な弾幕を見つめた。後数秒もしないうちにその目的は果たされるだろうが、私は心のどこかでこうなる事を望んでいたのかもしれない。
死が、優しく微笑んでくれた気がした。
刹那、閃光の奔流が迸った。あまりの眩しさに目を覆ったが、何が起きたのかは分からなかった。目を開くと、私に迫っていた奪幕が全て消えていた。辺りを急いで見回す。
魔理沙。マスタースパークを放った姿勢で、私達を見ていた。
「止めてくれ、パチュリー。」
魔理沙が私の元に駆け寄って来た。
何故、魔理沙がここに居るのか。
「頼むから、止めてくれ。こんな馬鹿げた事、するもんじゃないぜ。」
私の前に魔理沙が立ち、パチュリーと向き合った。
何故、魔理沙は私を庇うのか。
「そう、やっぱり魔理沙はそっち側に立つのね。」
酷く悲しげにパチュリーが呟いた。しかし、こうなる事を予測していたのか、どこか諦めに似た響きも聞き取れた。
何故、魔理沙は、私を・・・
「私は、パチュリーを撃ちたくない。だから、頼むから退いてくれ。」
何故、と声をかけようとして、止めた。魔理沙が、泣いていた。パチュリーと向かい合いながら、両手をパチュリーに向けながら、魔理沙は涙を流していた。
何故、魔理沙はそこまでして私を選ぶのか。
分からなかった。私が拒絶し深く傷つけたにも関わらず、魔理沙が私を庇い、パチュリーと睨み合い、涙を流す理由が分からなかった。もう、何も分からなくなってきた。
パチュリーの殺気が治まった。そのまま深い悲しみを目に湛えながら、逃げるようにこの場を去ろうとした。
「パチュリー!!」
パチュリーが空中でバランスを崩し、そのまま落ちてきた。慌てて飛びついた魔理沙がギリギリのところで受け止め、事なき事を得た。
「馬鹿やろう、唯でさえ病弱なんだから大人しくしていろってんだ。」
パチュリーは苦しそうに胸を上下させているが、魔理沙の反応からすると大丈夫のようだ。
そのままパチュリーを箒の後ろに乗せ、魔理沙は近寄ってきた。
「大丈夫か、アリス。怪我は酷くないのか。」
「大丈夫よ、魔理沙。このくらいなら・・・」
そう言って立ち上がろうとしたら、全身に激痛が走りとてもじゃないが動けなかった。そう言えば、パチュリーの攻撃を数発もろに受けたんだったっけ。
「何が大丈夫だ。それに結構出血が酷いぜ。早く手当てを」
「私はいいから、パチュリーを紅魔館に運んであげて。私の事はどうでもいいから。」
一瞬、魔理沙の表情に陰りが増した。私も、自分で言って後悔した。私はどうして魔理沙を傷つけてしまうのか。
魔理沙は頭を振りかぶってずかずかと私に近寄り、私を抱き上げた。
「な、何をするの。私は、」
「ああ、もう。今は私の好きにさせてくれ。怪我人は大人しく言う事を聞くもんだぜ。」
そう言うや否や、魔理沙は素早く宙に浮いていた箒に跨り、空に舞い上がった。
「パチュリーは一旦何処かで休ませた方がいいな。ここからだとアリスの家が一番近いから、アリスは嫌かもしれないけどパチュリーを休ませてやってくれ。パチュリーが暴れださないように私が責任を持つから。」
私は何も言わなかった。それでも私の沈黙を了解と受け取ったのか、魔理沙は私の家に向かって飛ばした。実際、私が拒む理由は探せばいくつでも見つかるが、何故か拒む気にはれなかった。
魔理沙が全力で飛んでいる中、私の意識は薄れていった。魔理沙の腕の中で、体が酷く痛むにもかかわらず魔理沙の温もりを感じて荒ぶっていた神経が緊張感を失ったのだろう。このままじゃいけないと思いながらも、私の意識は私の求めていた、そして遠ざけようとしていた温もりの中に溶けていった。
目が覚めると、暗い部屋の中に寝ていた。起きようとして体中に激痛が走り、そのおかげでハッキリしていなかった頭が活性化された。どうやらここは私の家の中で、私はソファーで寝ていたようだ。
薄っすらと光が入り込んでいる窓の外を見た。魔理沙がカーテンを全て開けて回ったらしく、窓の外に月が出ているのが見て取れた。どうやらあれから何時間か眠っていたらしく、今は大分夜がふけていた。
何となく予感があったので椅子の上で眠りこけている魔理沙を後に、体を引きずりながら居間を出て私の寝室に向かった。パチュリーが私のベッドで上半身を起こし、横にある窓の外を見ているのを発見した。
「やっぱり、来たのね。昼間にあれだけ散々にされたというのに。」
パチュリーは窓の方から視線を戻さなかった。それでもガラスに映るパチュリーの目には底の知れない暗い光が秘められていた。
「やっぱり私は貴方が憎いわ。でも、貴方を殺せば魔理沙はとても悲しむでしょうね。だから、私は貴方を殺すことは止める事にするわ。」
パチュリーはどこまでも魔理沙に一途だった。何故魔理沙はこんなパチュリーを選ばなかったのか。
それで、用件は。そう言ってパチュリーは私に先を促してきた。
「私には、分からないわ。」
私が口を開いても、パチュリーは窓の外から目を離さなかった。それでも私は先を続けた。
「魔理沙は少し前まではパチュリーに確かに気があったはずなのに、何故こんな事になったのかが。」
重い沈黙が、場を占めた。パチュリーにこんな事を聞くのはどうかと思ったが、これが今の私の胸中の叫びだった。魔理沙とパチュリーが幸せになれば、私は諦めがつき苦しまなくてすむかもしれないと思っていたのだから。
「私が思うに、魔理沙の心を動かすのは理屈じゃなかったのよ。魔理沙が真に出会うべき人と結ばれるには理屈じゃなくて、きっかけが大事だった。それまでがどうであろうとも、一度その人ときっかけが出来てしまうと、後は磁石がくっ付くように惹かれて行ってしまった。魔理沙って一度燃え出すと、周りが見えなくなるから。」
「でも私、魔理沙とはそれなりに長い付き合いだったけど、きっかけらしいきっかけなんて無かったわ。」
「どんな事でも良かったのよ、魔理沙が貴方を意識するようになるには。貴方を心配したり、憎んだり、そういった特別な感情を持つだけでもいい。何か貴方を特別に意識する事があれば、それがきっかけになり得たのよ。」
この間の出来事だろうか。私が普段と違った行動を取ったと言えば、それぐらいしか思いつかなかった。確かに、あの時の魔理沙は私の事を色々と世話をしてくれた。
「でも、私は魔理沙の気持ちが分からなかった。魔理沙の心の中を最後まで知る事が出来が出来なかった。それに、元々私には魔理沙の傍にいる資格が無かった。それなのに、どうして魔理沙は、私の事を・・・」
パチュリーに言うのはお門違いだったが、もう自分でも止められなかった。いつの間にか、涙まで流して喋っていた。
喋り終えた後、急に罪悪感で胸が一杯になった。パチュリーだって魔理沙の事を真剣に思っていたのだ。自分のあまりの愚かさに対する悔しさで、パチュリーを直視できず俯いた。
「ご、御免なさい。私、パチュリーの事を」
いいわよ、と嘆息交じりの声で、パチュリーは呟いた。
「結局、貴方達はお互いに甘えすぎていたのね。相手なら分かってくれるだろう、相手ならきっとこうしてくれるだろうって。だから貴方達はお互いに意思疎通ができていなかったのよ。言葉で表さなければ分からないことだってあるわ。貴方は自分の気持ちをきちんと魔理沙に伝えた事はあるの。」
そう言われて、何も答えられなかった。考えてみれば、私は魔理沙の気を引く事しかしていなかったし、その後は遠ざけようとしていただけだ。魔理沙にも具体的に何か言われた事は無かった。
だけど、いくら魔理沙の気持ちが分かったとしても、もう後の祭りだ。私は魔理沙を苦しめ、泣かしたのだ。許してくれるはずが無いとしか思えなかった。
私が俯いて唇をかみ締めていると、いつの間にかパチュリーが私のほうを向いていた。
「そんなに暗い顔をしないで。確かに貴方達は率直にお互いを求め合うには色々有ったけど、お互いに素直になればきっとどうにか乗り越えられるわよ。だから、貴方はもっと素直になりなさい。色々面倒くさい事を考えるのは止めにして、素のままの状態で魔理沙に接するべきよ。」
「でも、パチュリーはどうするの。」
「あの時、魔理沙は貴方を選んだ。もう、覆る事はたぶん無いでしょうね。だから私は魔理沙の為に身を引くわ。」
「パ、パチュリー・・・」
「これは魔理沙の為であって、貴方の為では無い。貴方も私の事を気にするなら、魔理沙を大事にしなさい。」
これで終わりだと言うように、パチュリーはベッドに身を預け、布団を被ってしまった。仕方が無いので、私は退散する事にした。
「アリス、これだけは約束して。もう絶対に魔理沙を悲しませないで。また魔理沙が泣く事があったら、今度こそ私は貴方を許さないから。」
私はその言葉を背に、無言で部屋を後にした。
次の日、パチュリーは帰っていった。それを見届けた後、魔理沙もまた帰っていった。魔理沙は何か言いたそうだったが、結局何も言わずに行ってしまった。
私はあれからずっとパチュリーに言われた事を考え続けていた。もっと素直になれ。色々難しい事は考えるな。もっとお互いの幸せのために尽くせ。
私は、もう迷わなかった。もしまだ私が許されるのならば、今度こそちゃんと私の気持ちを魔理沙に伝えようと思った。
魔理沙が帰った午前中は、ずっと素直に成る為の練習に費やした。鏡の前や魔理沙人形の前で、ひたすら笑顔で自分の気持ちを伝える為に、あれこれやってみた。
けれど、何時までたっても上達しない自分に業を煮やし、辺りに有った物に当り散らしてしまった。
このままじゃ埒が明かないので、こうなればぶっつけ本番をと思い霧雨邸に向かう事にした。
霧雨邸の前まで来て、また尻込みをしないかと不安な気持ちで一杯になった。深呼吸をし、素直な自分を出す為にイメージトレーニングをした。
魔理沙の事を思いながら、イメージした通りに玄関の扉を叩いた。今度はノックをすることが出来、中から誰何の声が聞こえてきた。
私が訪問を伝えると、少し慌てた感じの足音がして扉が開いた。
「アリス、どうしたんだ急に。」
魔理沙が聞いてきた。謝ろうと思っていたことを言おうとしたが、頭が真っ白になり何も口から出てこなかった。あまりの気まずさに、つい下を向いて俯いてしまった。
「アリス・・・」
魔理沙の気を使うような声が聞こえてきた。やっぱり魔理沙はがさつで無礼者だが、しかしそこに私がいつの間にか求めていた温もりがあった。頭では何と考えようとも、私は魔理沙が恋しくてしょうがなかった。
しかし、魔理沙は許してくれるだろうか。私にもう一度笑顔を向けてくれるだろうか。
不安だった。自分の都合でしかなかった。今まで散々魔理沙を私の我侭で振り回してきたのに、結局最後まで私は魔理沙を我侭に付き合せようとしているのだ。
それでも、私は謝りたかった。私がした事を許してもらえるとは思っていないが、それでも私は謝りたかった。謝る事だけはしなければならないと思うからだ。
「御免なさい。」
ポツリとようやく私の口から掠れた声が出た。それでも感情が溢れてきて、目からは涙が止まらなくなった。
「御免なさい。本当に御免なさい。私、私・・・御免・・・なさい・・・」
「別に、私は何も気にしていないぜ。だから、もう泣くなよ。」
魔理沙は優しく微笑んだ。その屈託の無い笑顔は、確かに私に向けられていた。
遂に感情が堰を切ったように溢れ出して、もう止められなくなった。言葉を発しようにも、どうにも手が付けられない状態だった。ただ、御免なさいと繰り返し言っているだけだ。
急に体が引き寄せられ、気が付けば魔理沙の腕の中に居た。魔理沙の体重や温もり、存在感などを感じて、いよいよ自分の感情が手に付けられない物と化す。大声を上げて魔理沙の胸で泣き始めてしまった。しかし、その間中魔理沙の温もりをずっと肌で感じ続けていた。
魔理沙の温もりは、どこまでも暖かかった。
扉を開けると、人形が並んでいた。私が何処からか集めてきた物、私が作ったもの。どれもこれも貴重な物で、また私の話し相手でもあった。
私はこの森に住む同じ魔法使いとは違い、大事な物はちゃんと保管するようにしていた。それゆえに人形専用の部屋を作ってきちんと管理していた。
しかし、目を凝らして見ると薄っすらと埃が積もっているのが見て取れた。あれだけ大事にしていた人形達が埃を被ぶるまで放置していたからだ。仕方が無いので掃除をすることにした。
ここ最近、あれだけ好きだった人形作りをしなくなった。当初は作る能率が上がらなかっただけなのだが、しだいに人形作りが楽しいと思わなくなり、作ることすらしなくなってしまったのだ。それでも、自分が作った人形たちに対する責任で管理だけはしっかりとするつもりだったのだが、この様だ。だが、この部屋だけに限った話ではなかった。どの部屋も似たような惨状になっている。
ある日を境に、何をしても何も感じなくなった。面白いとも、面倒臭いとも、微塵にも感じなくなってしまった。そして何をするにも無感動な状態が続くうちに、もう何かをしたいとも思わなくなってしまった。
掃除を終え、居間に戻った。ここにも薄っすらと埃が積もっているのが見えるが、今日は何もしない事にした。
窓の傍に置いてある椅子に腰掛けた。窓にはカーテンが敷かれていて、外が見えないようにしていた。むしろ外から中を覗かれないようにしていると言ったほうが正解か。そのお陰でまだ昼だというのに部屋の中が薄暗くて仕方が無かったが、気にすることはしなかった。
椅子に座ると、やるせない気持ちが強くなった。まだ動いていた方が気持ちはまぎれるのだが、何かをしたいという気持ちにはもうなれなかった。
あの日以来、私は自分が嫌になった。自分の全てを否定していると言ってもいいかもしれない。以前の私は、唯魔理沙に好かれたかっただけだった。何とか魔理沙の気を引こうと空回りしていたし、恋敵のパチュリーを憎悪の眼差しで睨んでもいた。
それなのに、魔理沙は私の事を信用してくれていたのに、私は魔理沙の事を信用していなかった。魔理沙に無条件で色々求めていたくせに、私は何も魔理沙に報いる事はしていなかった。殆ど裏切りといっても過言ではない。
あれ以来、魔理沙は何かと私の事を気にかけてくれるようになった。しかし、魔理沙が私に向けてくれる笑顔は私の心を締め付けた。私は魔理沙の笑顔が欲しかった。だけど私にはそれを享受する資格が無かった。
魔理沙は今頃どうしているのだろうか。不意に、そんな思いが頭をよぎった。そして、慌てて頭を振ってその思いを打ち消した。もう、幾度も繰り返している事だった。
私は魔理沙に会いたかった。軽い話をするだけでもいい。それだけで私は何か満たされるような感じになれるかもしれない。
でも、私は自分でそれを禁じた。魔理沙は色々と笑って許してくれるだろうが、私は自分を許す気にはなれなかった。全てを忘れて魔理沙に甘えれるほど、私は器用じゃない。
今頃、きっと紅魔館でパチュリーとよろしくやっているのだと、自分に言い聞かせた。いっそうのこと、早くパチュリーとくっ付いちゃえばいいのに。そうすれば、私もこんな事を考えなくてすむのに。
魔理沙に会いたいのに、会いたくない。この葛藤が自己嫌悪をさらに酷くしていた。
目を閉じ、深いため息を付いた。もう、こんな生活を何日続けているのだろうか。
しばらくして、玄関の扉がノックされた。私の体は強張った。この家に来る物好きなんて、一人しか考えられなかった。
あの日から魔理沙はたまに私の様子を見に家に来る事があった。当初は魔理沙を家の中にいれて接客していたが、魔理沙と一緒にいればいるほど辛くてしょうがなかった。そのうちに、魔理沙と会うことを止めようとした。だからカーテンを家中閉めて居留守を決め込み、魔理沙をやり過ごす事にしていた。今のところこの方法は効果を上げていて、その都度魔理沙諦めて帰っていった。
しかし、実際に魔理沙に来られるとやはり動揺してしまった。扉一枚の距離に魔理沙がいる。その事実は私の心を締め付けた。
精一杯息を殺して、魔理沙をやり過ごす。揺れる心を抑えながら、早く行ってくれることを祈る。
「おーい、アリス。いるんだろー。返事をしてくれよー。」
魔理沙の声が久々に聞こえて、少し嬉しかった。だけど、返事をするわけにはいかなかった。
「おい、アリス。いつまでも客を待たせるものじゃないぜ。」
断腸の思いで、私は返事をしそうになる自分と戦った。魔理沙、お願いだから帰って。
「ちぇ、なんだ、また留守か。仕方が無いな。」
どうやら諦めてくれたようだ。安堵のため息をつきそうになった。
「留守なら、ちょっくら上がらさせて待たせてもらおうかな。」
今回は何やら展開が違っていた。このまま家に勝手に乗り込んでくるつもりなのか。
「鬼のいぬ間の何とやら。ついでにちょっと家宅捜査もさせてもらうぜ。」
何を勝手な事をと思ったが、それどころではなかった。慌てて周囲を見渡し、どこか身を隠せる場所を探した。
「しかしこの扉、結構硬いな。しかたねえ、盛大に吹き飛ばさせてもらうぜ。」
扉に向かって突進した。魔理沙は家ごと玄関を吹き飛ばす気か。
「恋札:マスター」
「ちょっと待って!!」
なりふり構わず、勢いよく扉を開けた。開けた先には何やら勝ち誇った顔をしている魔理沙がいた。
「やっぱり、いるんじゃないか。客を待たすのは良くないぜ。」
どうやら、まんまと嵌められたようだ。怒りよりも疲労感が募り、項垂れながら魔理沙を家に通した。
「うわ、アリス、お前何やっているんだ。」
家に上がった早々、魔理沙は文句を言い始めた。確かに以前とは違って薄汚い。
私は肩を竦めるだけで何も言わず、魔理沙を居間に通した。魔理沙が大人しくテーブルの席に座ったのを確認して、お茶を取りに行った。カップと皿に積もっていた埃を水で洗い流し、丁重に洗浄した。その間に沸かしていた湯をティーポットに注ぎ、紅茶の葉を入れた。周囲を見渡し、まだ人に出せられる物を探し皿に載せた。以前霧雨邸で御馳走になった物とは比べ物にならなかったが、あれ以来何も買い足していないのでこれが限度だった。
どの様に魔理沙と接すればいいのか、模索した。今は魔理沙と会話をする気にはとてもじゃないがなれなかった。どうして私なんかをいつまでも気にしてくれるのだろうか。私は魔理沙と会うたびに、こんなに苦しい思いをしなければならないというのに。
カップとポットと皿をトレーに載せて、居間に戻った。一瞬、眩しさで目がくらんだ。どうやら魔理沙がカーテンを開けたようだ。
「今日は、どうしたのよ。」
テーブルに持って来た物を並べながら聞いた。
「どうしたは、こっちの台詞だぜ。どうして居留守なんて決め込もうとしたんだ。」
「別に。何でもないわよ。」
カップにポットの紅茶を注ぐ。別に用意しておいた皿に、珍しく魔理沙が持って来たお菓子を載せた。
「私は別に、アリスがどうしているかなって思って、ちょっとよってみただけだぜ。お茶まで悪いな。」
「ふうん、思いつきで行動したには、ずいぶんと用意がいい事ね。博麗神社に行くときとは大違いじゃない。」
魔理沙が口ごもるのを横目に、カップに口をつけた。魔理沙もばつが悪そうな顔をしてカップを手に取った。
会いに来てくれたのは凄く嬉しいのだが、今は少しでも早くお帰りを願おう。
「なあ、こんな暗くした家の中にいると、何かこう疲れないか。人間、お日様の光が大事だぜ。」
「別に、私はこの雰囲気が好きだからこうしているだけ。私の性格はよく知っているでしょう。」
またも魔理沙は口ごもった。お互いに少し気まずい空気が流れる。
魔理沙には悪いと思ったが、会話がかみ合わなければ長居は出来まいと思った。
「えーと、あ、そうだ。今度博麗神社で宴会を開く事にしたんだが、アリスもどうだ。たまには気分転換も必要だと思うぜ。」
「遠慮させてもらうわ。今は騒ぎたいっていう気分じゃないの。」
「いや、だから、気分転換にだな。」
「大きなお世話よ。ほっといて頂戴。」
魔理沙は目をカップの方に落とす。その表情は明らかに気落ちしていた。場もかなり気まずい雰囲気が漂っていた。
「な、なあ、アリス。」
「早く紅茶を飲まないと、冷めちゃうわよ。まさか、出された物を粗末には扱わないでしょうね。」
魔理沙が弱ったような目をした。その事にかなり罪の意識を感じたが、顔には出さないように注意した。こうなれば、徹底的に魔理沙に嫌われようと思うようになってきた。そうすれば、もう私の事を気にかけてくれる事もなくなるだろう。魔理沙が私の事を気にかけてくれる必要が、何処にも無いのだから。
その後も、気まずい雰囲気が漂い続けた。魔理沙が何かを言おうとしても、私は殆ど取り合わなかった。そのうちに、魔理沙も喋らなくなった。
ポットの中身も、皿の上のお菓子も無くなった。魔理沙は居心地悪そうに身じろぎしているが、もう私の家に居る理由が無かった。
結局、魔理沙はそのまま帰ることになった。玄関の外まで魔理沙を見送る。
「今日は、美味しいお菓子ありがとうね。」
「あ、ああ。あんなんで良かったら、また持ってくるぜ。」
「ご生憎様、私は三時のお茶の習慣は持ち合わしていないの。結構よ。」
魔理沙はかなり落胆していた。私にまるで取り付く島が無いからだ。表情もかなり暗いものになっている。
「な、なあ。私に出来ることがあったら、何でも言ってくれ。出来る限り力になるぜ。」
魔理沙が何か懇願するような目で言ってきた。とても正視することは出来ず、目をそらした。涙がこみ上げて来るのを必死で我慢し、耐えた。私の心は罪悪感で溢れていた。
「そう思うのなら、もう来ないで。魔理沙が家に人を招きたがらないのと同じで、私もあまり人を家に入れたくないの。研究中の物を外気に触れさせるのもどうかと思うし。私は作業に没頭したいの。」
「あ、うん。そうだ、そうだよな。私も調合中に来客はお断りだもんな。悪かったよ。」
「悪く思うのなら、誠意を見せて欲しいわね。」
そう言い残すと、魔理沙に背を向け家に入ろうとした。
「あ、ああ。分かったぜ。じゃあ、アリス。またな。」
私は返事をせずに、扉を閉しめた。もう、次は無いのだ。
扉を閉めると、もう耐えられなかった。目からはどうしようもなく涙が溢れ、その場に崩れ落ちた。
せっかく魔理沙が来てくれたのに。せっかく魔理沙が親切にしてくれたのに。私は何て事を言ってしまったのだろうか。魔理沙は私の為にと思って言ってくれていたのに。
声なき声を上げ、私は自分を責め続けた。
今が昼なのか夜なのか、もう分からなかった。分かろうとも思わなかった。
ベッドの上で身を縮め、自分を責め続けてからどれだけの時間が経ったところで、私にはもう関係の無い事だった。
体は無性に睡眠を求めているのだが、心がそれを拒んだ。何もする気が起きず、睡眠すら取る気になれなかった。水も食べ物も取る事を止めた。もう、私にはどうでもいい事だった。
頭は殆ど靄がかかった感じがして、まともに物事を考える事が出来ない。飢えと渇きで今にも気が狂いそうだ。それでも私の心の自責の念は私を苦しめ続けた。
もう苦しみたくなくて、魔理沙を拒絶した。魔理沙に会えば私は苦しむ事になるからだ。本当は少しでも長く魔理沙の傍に居たいのに、私にそれは許されない。魔理沙の傍という場所を獲得する為に、私は何もしてこなかったからだ。そして、素知らぬ顔をしてただでその場所を享受するには、私はあまりにも不器用すぎた。
たぶん、魔理沙は私の事を嫌いになったに違いない。そして私の事を憎み、そのうちに時が私の全てを忘却の彼方に追いやるだろう。これで良かったはずだし、後はパチュリーがどうにかしてくれるはずだ。
しかし、もっと別にいい方法があったのではないだろうか。魔理沙を傷つけずにすむ方法が。今でも魔理沙のあの傷ついたような目が脳裏に焼きついて離れなかった。
結局、最後まで私は魔理沙に迷惑を掛け続けた。そんな私が堪らなく嫌だった。
ベッドの上で悶々と過ごしているうちに、急に玄関の戸が叩かれた。ハッとして身を強張らす。魔理沙。しかし、頭を振りかぶって、その思いを打ち消した。もう二度と魔理沙が私を訪ねてくることは無いのだから。
「アリス・マーガトロイド。居るのでしょう、出てきなさい。」
何処かで聞いた覚えのある声だった。低く押し殺したような声になっているが、それは間違いなかった。
訝しげな思いが頭をよぎったが、扉を叩く音は続いていた。仕方が無いので、来訪者に会って見る事にしてみた。扉の錠をはずし、玄関を開けた。
パチュリー・ノーレッジ
何故ここに彼女が居るのか。ありえないとしか思えなかった。パチュリーの行動範囲は殆ど局所的と言ってもいいので、まず紅魔館を動く事は無いはずだ。
しかし、彼女の射抜くような視線は尋常じゃなかった。彼女が放つ殺気は私の肌を刺し、粟を立たせた。もう、とりあえず挨拶をするという段階は過ぎているようだ。
私はうろたえながら家から離れ、それでも如何したのかパチュリーに聞こうとした。刹那、頬を何かがかすめた。
「アリス・マーガトロイド」
私を襲う殺気は、一段と膨らみ上がる。今の私はいつも使っている魔道書や人形達を持っていない、完全な丸腰の状態だった。恐怖に負け、自然と足が後ろへと動いた。対抗手段が無ければ逃げるしかない。
弾幕が一斉に放たれ恐怖に駆られながらも、必死でかわしながら逃げ続けた。
「憎い人」
一向にパチュリーとの距離が広がらない。全力で逃げているのに、まるで獲物を確実に追い詰めるかのごとくパチュリーは距離を一定に保ち続けた。私の傍を弾がかすめ、私に少しずつ傷を負わせていく。その気になれば何の反撃手段を持たない私を捉える事は簡単なのに、何故当てようとしないのか。小さな傷で私を弱らせ、最後に恐怖と絶望を刷り込んでから仕留める気なのか。
「私から魔理沙を奪った人」
憎々しく口から漏れたといった感じの言葉が聞こえてきた。しかし、それはまるで見当違いの言葉だ。私は魔理沙を拒絶したはずなのだから。
息が完全に上がり、強烈な目眩と吐き気がしてきた。考えてみれば、私はあの日からずっと一睡もしていないし、水分も栄養もまるで摂取していなかった。体力は衰え、精神力も集中力も尽きている私に勝ち目が有るはずが無かった。それでも全力で飛び続け、命からがら逃げようとして、逆に追い詰められている。もうそんなに長くは飛ぶ事は出来ないだろうし、それをパチュリーは待っているのだろう。
「それなのに、魔理沙を深く傷つけた、憎くてしょうがない人!!」
魔理沙を傷つけた。まるで呪い殺すかのごとく言い放たれた言葉が私の心に突き刺さった。罪の意識が押し寄せ、他に何も考えれなくなってしまった。
魔理沙を・・・傷つけた・・・
私が本来避けるはずだった弾が数発、私を捉えた。もろに直撃を受け、そのまま勢いよく地面に叩きつけられた。あまりの衝撃で、しばらく息が出来なかった。
「魔理沙の心は私から貴方に移って行ったわ。始めは無意識のうちに、だけど時間が立てば経つほど貴方を意識しだした。そして、急に貴方に会えなくなってしまった。その事が逆に魔理沙の心に火をつける事になった。初めのうちは貴方がそのうちに出てきてくれるだろうと考えていたわ。でも、一向に出てくる気配が無いから魔理沙の心は焦れ出した。魔理沙は毎日悩んでいたわよ。どうしたら貴方に会えるのかって。行っても貴方に追い返されるだけだったし。」
パチュリーが地面に降りて来ながら、吐き捨てるように一気にまくし立てた。パチュリーの悲しみや寂しさなどが込められているその言葉は、私の心に更なる追い討ちをかけた。
魔理沙が・・・私の事を・・・?
頭は殆どパニック状態だった。おかげで生存本能も働かず、パチュリーの接近も気にならなかった。
「悲しかったわ。魔理沙の心が私から離れていったのは。でも、魔理沙が決めた事だし、私が魔理沙に嫌われた訳じゃなかったから、頑張って納得しようとしたわ。今までにこれほど自分に嘘をついたことは無かった。それでも魔理沙の為にと思って、色々と知恵を貸したわ。」
私を見下ろすパチュリーの目には、憎しみと同時に悲しみの光が灯っていた。そこには私には計り知れない葛藤が秘められているのだろう。
もう、何も考える事が出来なかった。私は魔理沙だけでなく、パチュリーまでも裏切ってしまったのか。
「それなのに、貴方は魔理沙を拒絶した。魔理沙は酷く傷ついていたわ。それなのに、魔理沙は少し落ち込んだだけっていう感じで私のところに来た。そして、こう言ったわ。私は何かアリスに嫌われるような事をしたのだろうか。それともアリスは元々私の事をどうとも思っていなくて、この間の事は少し気の迷いが生じただけで、ただ私が思い違いをしていただけなのだろうかって。」
そんな事は無い。私は魔理沙のことが好きだ。だけど私には魔理沙の傍に居る資格が無いだけの話なのだ。
しかし、魔理沙が私の事をそんな風に思っていてくれたなんて夢にも思わなかった。だけど、喜ぶにはもう遅すぎた。私は魔理沙の気持ちを露にも考えず、ただ拒絶してしまっただけなのだから。
「私には分かったわ。魔理沙は表情にこそ出しはしなかったけど、魔理沙が心で泣いている事を。だから私は貴方を許さない。貴方が何を考えているのかは知らないし、分かりたいとも思わない。だけど、魔理沙の思いを冷たくあしらい、魔理沙の心を踏みにじった貴方を私は絶対に許す事が出来ない。」
パチュリーの目から悲しみの色が消え、憎しみと怒りが色濃くなった。恐らく次の一撃で全てを終わらせる気だろう。
パチュリーから圧倒的な魔力が放たれた。しかし、私はもう避けようとは思わなかった。
私が魔理沙を傷つけ、その事に憤慨したパチュリーが私を殺そうとすることが、何か当たり前というような気がしてならなかった。私も、パチュリーに殺されるならと思ってもいた。パチュリー一人に後のことを全て押し付けるのは少々酷な事だと思ったが、魔理沙の事をこれだけ思ってくれているのだから任せていいと思った。
私を滅ぼす強力な弾幕を見つめた。後数秒もしないうちにその目的は果たされるだろうが、私は心のどこかでこうなる事を望んでいたのかもしれない。
死が、優しく微笑んでくれた気がした。
刹那、閃光の奔流が迸った。あまりの眩しさに目を覆ったが、何が起きたのかは分からなかった。目を開くと、私に迫っていた奪幕が全て消えていた。辺りを急いで見回す。
魔理沙。マスタースパークを放った姿勢で、私達を見ていた。
「止めてくれ、パチュリー。」
魔理沙が私の元に駆け寄って来た。
何故、魔理沙がここに居るのか。
「頼むから、止めてくれ。こんな馬鹿げた事、するもんじゃないぜ。」
私の前に魔理沙が立ち、パチュリーと向き合った。
何故、魔理沙は私を庇うのか。
「そう、やっぱり魔理沙はそっち側に立つのね。」
酷く悲しげにパチュリーが呟いた。しかし、こうなる事を予測していたのか、どこか諦めに似た響きも聞き取れた。
何故、魔理沙は、私を・・・
「私は、パチュリーを撃ちたくない。だから、頼むから退いてくれ。」
何故、と声をかけようとして、止めた。魔理沙が、泣いていた。パチュリーと向かい合いながら、両手をパチュリーに向けながら、魔理沙は涙を流していた。
何故、魔理沙はそこまでして私を選ぶのか。
分からなかった。私が拒絶し深く傷つけたにも関わらず、魔理沙が私を庇い、パチュリーと睨み合い、涙を流す理由が分からなかった。もう、何も分からなくなってきた。
パチュリーの殺気が治まった。そのまま深い悲しみを目に湛えながら、逃げるようにこの場を去ろうとした。
「パチュリー!!」
パチュリーが空中でバランスを崩し、そのまま落ちてきた。慌てて飛びついた魔理沙がギリギリのところで受け止め、事なき事を得た。
「馬鹿やろう、唯でさえ病弱なんだから大人しくしていろってんだ。」
パチュリーは苦しそうに胸を上下させているが、魔理沙の反応からすると大丈夫のようだ。
そのままパチュリーを箒の後ろに乗せ、魔理沙は近寄ってきた。
「大丈夫か、アリス。怪我は酷くないのか。」
「大丈夫よ、魔理沙。このくらいなら・・・」
そう言って立ち上がろうとしたら、全身に激痛が走りとてもじゃないが動けなかった。そう言えば、パチュリーの攻撃を数発もろに受けたんだったっけ。
「何が大丈夫だ。それに結構出血が酷いぜ。早く手当てを」
「私はいいから、パチュリーを紅魔館に運んであげて。私の事はどうでもいいから。」
一瞬、魔理沙の表情に陰りが増した。私も、自分で言って後悔した。私はどうして魔理沙を傷つけてしまうのか。
魔理沙は頭を振りかぶってずかずかと私に近寄り、私を抱き上げた。
「な、何をするの。私は、」
「ああ、もう。今は私の好きにさせてくれ。怪我人は大人しく言う事を聞くもんだぜ。」
そう言うや否や、魔理沙は素早く宙に浮いていた箒に跨り、空に舞い上がった。
「パチュリーは一旦何処かで休ませた方がいいな。ここからだとアリスの家が一番近いから、アリスは嫌かもしれないけどパチュリーを休ませてやってくれ。パチュリーが暴れださないように私が責任を持つから。」
私は何も言わなかった。それでも私の沈黙を了解と受け取ったのか、魔理沙は私の家に向かって飛ばした。実際、私が拒む理由は探せばいくつでも見つかるが、何故か拒む気にはれなかった。
魔理沙が全力で飛んでいる中、私の意識は薄れていった。魔理沙の腕の中で、体が酷く痛むにもかかわらず魔理沙の温もりを感じて荒ぶっていた神経が緊張感を失ったのだろう。このままじゃいけないと思いながらも、私の意識は私の求めていた、そして遠ざけようとしていた温もりの中に溶けていった。
目が覚めると、暗い部屋の中に寝ていた。起きようとして体中に激痛が走り、そのおかげでハッキリしていなかった頭が活性化された。どうやらここは私の家の中で、私はソファーで寝ていたようだ。
薄っすらと光が入り込んでいる窓の外を見た。魔理沙がカーテンを全て開けて回ったらしく、窓の外に月が出ているのが見て取れた。どうやらあれから何時間か眠っていたらしく、今は大分夜がふけていた。
何となく予感があったので椅子の上で眠りこけている魔理沙を後に、体を引きずりながら居間を出て私の寝室に向かった。パチュリーが私のベッドで上半身を起こし、横にある窓の外を見ているのを発見した。
「やっぱり、来たのね。昼間にあれだけ散々にされたというのに。」
パチュリーは窓の方から視線を戻さなかった。それでもガラスに映るパチュリーの目には底の知れない暗い光が秘められていた。
「やっぱり私は貴方が憎いわ。でも、貴方を殺せば魔理沙はとても悲しむでしょうね。だから、私は貴方を殺すことは止める事にするわ。」
パチュリーはどこまでも魔理沙に一途だった。何故魔理沙はこんなパチュリーを選ばなかったのか。
それで、用件は。そう言ってパチュリーは私に先を促してきた。
「私には、分からないわ。」
私が口を開いても、パチュリーは窓の外から目を離さなかった。それでも私は先を続けた。
「魔理沙は少し前まではパチュリーに確かに気があったはずなのに、何故こんな事になったのかが。」
重い沈黙が、場を占めた。パチュリーにこんな事を聞くのはどうかと思ったが、これが今の私の胸中の叫びだった。魔理沙とパチュリーが幸せになれば、私は諦めがつき苦しまなくてすむかもしれないと思っていたのだから。
「私が思うに、魔理沙の心を動かすのは理屈じゃなかったのよ。魔理沙が真に出会うべき人と結ばれるには理屈じゃなくて、きっかけが大事だった。それまでがどうであろうとも、一度その人ときっかけが出来てしまうと、後は磁石がくっ付くように惹かれて行ってしまった。魔理沙って一度燃え出すと、周りが見えなくなるから。」
「でも私、魔理沙とはそれなりに長い付き合いだったけど、きっかけらしいきっかけなんて無かったわ。」
「どんな事でも良かったのよ、魔理沙が貴方を意識するようになるには。貴方を心配したり、憎んだり、そういった特別な感情を持つだけでもいい。何か貴方を特別に意識する事があれば、それがきっかけになり得たのよ。」
この間の出来事だろうか。私が普段と違った行動を取ったと言えば、それぐらいしか思いつかなかった。確かに、あの時の魔理沙は私の事を色々と世話をしてくれた。
「でも、私は魔理沙の気持ちが分からなかった。魔理沙の心の中を最後まで知る事が出来が出来なかった。それに、元々私には魔理沙の傍にいる資格が無かった。それなのに、どうして魔理沙は、私の事を・・・」
パチュリーに言うのはお門違いだったが、もう自分でも止められなかった。いつの間にか、涙まで流して喋っていた。
喋り終えた後、急に罪悪感で胸が一杯になった。パチュリーだって魔理沙の事を真剣に思っていたのだ。自分のあまりの愚かさに対する悔しさで、パチュリーを直視できず俯いた。
「ご、御免なさい。私、パチュリーの事を」
いいわよ、と嘆息交じりの声で、パチュリーは呟いた。
「結局、貴方達はお互いに甘えすぎていたのね。相手なら分かってくれるだろう、相手ならきっとこうしてくれるだろうって。だから貴方達はお互いに意思疎通ができていなかったのよ。言葉で表さなければ分からないことだってあるわ。貴方は自分の気持ちをきちんと魔理沙に伝えた事はあるの。」
そう言われて、何も答えられなかった。考えてみれば、私は魔理沙の気を引く事しかしていなかったし、その後は遠ざけようとしていただけだ。魔理沙にも具体的に何か言われた事は無かった。
だけど、いくら魔理沙の気持ちが分かったとしても、もう後の祭りだ。私は魔理沙を苦しめ、泣かしたのだ。許してくれるはずが無いとしか思えなかった。
私が俯いて唇をかみ締めていると、いつの間にかパチュリーが私のほうを向いていた。
「そんなに暗い顔をしないで。確かに貴方達は率直にお互いを求め合うには色々有ったけど、お互いに素直になればきっとどうにか乗り越えられるわよ。だから、貴方はもっと素直になりなさい。色々面倒くさい事を考えるのは止めにして、素のままの状態で魔理沙に接するべきよ。」
「でも、パチュリーはどうするの。」
「あの時、魔理沙は貴方を選んだ。もう、覆る事はたぶん無いでしょうね。だから私は魔理沙の為に身を引くわ。」
「パ、パチュリー・・・」
「これは魔理沙の為であって、貴方の為では無い。貴方も私の事を気にするなら、魔理沙を大事にしなさい。」
これで終わりだと言うように、パチュリーはベッドに身を預け、布団を被ってしまった。仕方が無いので、私は退散する事にした。
「アリス、これだけは約束して。もう絶対に魔理沙を悲しませないで。また魔理沙が泣く事があったら、今度こそ私は貴方を許さないから。」
私はその言葉を背に、無言で部屋を後にした。
次の日、パチュリーは帰っていった。それを見届けた後、魔理沙もまた帰っていった。魔理沙は何か言いたそうだったが、結局何も言わずに行ってしまった。
私はあれからずっとパチュリーに言われた事を考え続けていた。もっと素直になれ。色々難しい事は考えるな。もっとお互いの幸せのために尽くせ。
私は、もう迷わなかった。もしまだ私が許されるのならば、今度こそちゃんと私の気持ちを魔理沙に伝えようと思った。
魔理沙が帰った午前中は、ずっと素直に成る為の練習に費やした。鏡の前や魔理沙人形の前で、ひたすら笑顔で自分の気持ちを伝える為に、あれこれやってみた。
けれど、何時までたっても上達しない自分に業を煮やし、辺りに有った物に当り散らしてしまった。
このままじゃ埒が明かないので、こうなればぶっつけ本番をと思い霧雨邸に向かう事にした。
霧雨邸の前まで来て、また尻込みをしないかと不安な気持ちで一杯になった。深呼吸をし、素直な自分を出す為にイメージトレーニングをした。
魔理沙の事を思いながら、イメージした通りに玄関の扉を叩いた。今度はノックをすることが出来、中から誰何の声が聞こえてきた。
私が訪問を伝えると、少し慌てた感じの足音がして扉が開いた。
「アリス、どうしたんだ急に。」
魔理沙が聞いてきた。謝ろうと思っていたことを言おうとしたが、頭が真っ白になり何も口から出てこなかった。あまりの気まずさに、つい下を向いて俯いてしまった。
「アリス・・・」
魔理沙の気を使うような声が聞こえてきた。やっぱり魔理沙はがさつで無礼者だが、しかしそこに私がいつの間にか求めていた温もりがあった。頭では何と考えようとも、私は魔理沙が恋しくてしょうがなかった。
しかし、魔理沙は許してくれるだろうか。私にもう一度笑顔を向けてくれるだろうか。
不安だった。自分の都合でしかなかった。今まで散々魔理沙を私の我侭で振り回してきたのに、結局最後まで私は魔理沙を我侭に付き合せようとしているのだ。
それでも、私は謝りたかった。私がした事を許してもらえるとは思っていないが、それでも私は謝りたかった。謝る事だけはしなければならないと思うからだ。
「御免なさい。」
ポツリとようやく私の口から掠れた声が出た。それでも感情が溢れてきて、目からは涙が止まらなくなった。
「御免なさい。本当に御免なさい。私、私・・・御免・・・なさい・・・」
「別に、私は何も気にしていないぜ。だから、もう泣くなよ。」
魔理沙は優しく微笑んだ。その屈託の無い笑顔は、確かに私に向けられていた。
遂に感情が堰を切ったように溢れ出して、もう止められなくなった。言葉を発しようにも、どうにも手が付けられない状態だった。ただ、御免なさいと繰り返し言っているだけだ。
急に体が引き寄せられ、気が付けば魔理沙の腕の中に居た。魔理沙の体重や温もり、存在感などを感じて、いよいよ自分の感情が手に付けられない物と化す。大声を上げて魔理沙の胸で泣き始めてしまった。しかし、その間中魔理沙の温もりをずっと肌で感じ続けていた。
魔理沙の温もりは、どこまでも暖かかった。
切ないよ~。
ドロドロだけど、こんなアリスが好き
この作品の場合、パチュリーがその役柄になるわけですが
いささか彼女の心情表現が性急すぎで、単なる悪者になってしまい
事後の魔理沙やアリスの、彼女への対応が淡白すぎて少々薄情な気がします。
そして、一番良くない点は作中主人公のアリスが、状況に流されっぱなしのまま終わったことですね。心の成長無くしてハッピーエンドのカタルシスは無い、と思います。