「人を、世界を、『見て』みたい。」
いつからだろうか、こんなことを思うようになったのは。全部、あの人間のせいだ。
私の目は、何も映さない。先天的に備わった種族的な特徴だ。
私に『見える』のは、私を包む闇色の中にあるものだけ。
私の周りは常に闇色。
昼間だろうと、十五夜の夜だろうと、そこには一切の光は届かない。
私を包む闇色が、目の代わり。私はコウモリみたいに必要な情報を『捉える』。
闇色の中に入ってきたモノが、なんなのか、どんな形をしているのか、
生物か無生物か、食べれるものか、食べれないものか、必要な情報を即時理解できる。
でも、私の周りは闇色一色。
私自身がどういうものなのか、普段食べている人間がどういうものなのか、他の妖怪達がどういうものなのか。
漠然とした形は理解している。
だが、ただ、闇色で包み込んで、その体温や造形を漠然と知っただけ。
故に固体識別はできない。
だけど、リターンより高いリスクが付き纏う生き物、自分より強い生き物などは、一応覚えている。正確には、闇色が。
そういった天敵を闇色が捉えたら、一目散に離脱する。
純粋に生き延びるためのシステムとしては、この上なく良くできていると思う。
そう。問題など無かった。私はただ、このままただの捕食者として淡々と生きていけばよかったのに。
興味を持ってしまった。人間に。ただの食料のはずの、人間に。そして世界に。私を嫌っているはずの世界に。
その日その時、私を叩きのめした人間。
最初闇色が捉えた情報は、サイズは人間の平均を下回り、適度に熟した、かつ最も脂の乗った年頃の人間の女。
格好の捕食相手だと思った。危険だとは微塵も思わなかった。
闇色をたぐって獲物に近づき、頬張ろうとした。
だがそれは適わなかった。
闇色から伝わる情報が複雑に入り乱れる。私の闇色が『見て』きた人間とはどれとも違う。闇色が私に告げた。危険だ、と。
逃げようとした。だがそれは適わない。その時、私は始めて闇色の捉えた情報を疑った。
どの方向も、塞がれていて、逃げ道は無い。
大きな力の接近。堪らず、闇色の捉えた情報を無視して、逃げ出した。
闇色の言った通り、そこには壁があった。方向を変えて逃げる。やはり壁にぶつかった。
ひたすら、壁にぶつかり、方向を変えて飛びまたぶつかり、それを繰り返していた。いつまでたっても、闇色は同じ情報しか寄越さない。無我夢中で逃げているつもりだったが、傍から見れば囲まれた壁の中を無様に跳ね回っていただけなのだろう。
飛ぶ力も失せてきた。闇色から与えられる情報はかわらない。かわらない。かわらない。
混乱している私に、女の声がかかった。
「良薬口に苦しって、知ってる?」
なんのことか、わからなかった。人間の言葉は一応は理解している。
ただ、この期に至って何を言い出すのか、と思った。
「良薬っていっても、飲んでみなけりゃわからないけどね。」
その言葉と同時に、闇色が新たな情報をもってきた。周囲の壁が消えた、と。そしてもう一つ。
女が私にとどめを刺すことも無く、立ち去ろうとしているということ。
なぜ?なぜこの人間は、自分を食べようとした妖怪を、放っておけるのか。
聞きたかった。
日々、泣き叫ぼうと、黙って震えていようと、立ち向かってこようと、祈りを捧げようと、どんな獲物だろうと、私は淡々と捕食し続けていた。
だからこそ聞きたかった。わからなかった。
だが二の句を継ぐことはできなかった。
なにせ相手は何を考えているかわからない手合い。下手に刺激して、せっかく拾った命を再び危機に晒す様なことはしたくなかった。
逃げた。ひたすら、逃げた。途中、簡単に捕食できそうな対象を闇色が捉えたが、脇目も振らず逃げ続けた。
完全に、心の奥底まで、敗北した瞬間だった。
私はその人間を覚えた。普段は危険な相手に関することは、闇色が勝手に覚えてくれるが、この人間だけは自分で覚えておきたかった。
頭の中で整理する。その造形、その息遣い、その体温、その声。
始めて足りないと思った。私の周りは常に夜。
生き延びるためになら、十分な情報。闇色が提供してくれたそれを、初めて、足りないと思った。
『見たい』
もっと正確に知りたい。
私を負かし、私を弄び、私を助けたあの人間の女の顔を、この目で、『見たい』。
あの女だけに限らない。見たい。人間を、見たい。
私が住んでいる、この世界を見たい。目に焼き付けたい。
だけどそれは叶わない。生き延びるという事に関して、目よりもずっと優秀なこの闇色が、それを許さない。
「人を、世界を、『見て』みたい。」
叶わない幻想を、ただ呟く。
まだ治りきっていない傷が疼く度思う。私は悶々と日々を過ごしていた。
私は少し痩せてきていた。傷はもうとっくに治ったのに。
一応、襲いはする。だけど、それが言葉を発すれば、その言葉に聞き入ってしまう。
見たい。見たい。どんな顔をしているのか、どんな目をしているのか。
見たい。見たい。叶わぬ願い。
お願い、顔を、見させて。
闇色が、それらを無視して告げる。これは食べてもいい人種だ、と。
そして私は、逃げるように、その場を飛び去る。
そんなことが続いて、私はあれ以来人間を一人も食べていなかった。
そんなある日。
痩せこけた私はそれでも尚、空腹を忘れる程に、渇望していた。
そこに飛び込んできた、人間の呟き。
耳を欹てて、その人間の言葉を聞いていた。
「十五夜に夜回りなんて、ついてない。」
声は、大人の、男に分類される声だ。
「上白沢様ばかりに負担をかけるわけにもいからなぁ。」
知った名前だ。最も危険な、天敵の内の一人。
「何も起こらなけりゃ、いいが。」
声が遠くなっていく。呟きは続いているが、もうまともに聞き取れない。
もっと、もっと近くへ。
だが、焦れて近づきすぎた。闇色が人間を捉える。喰え、とって喰え、とはやし立てる。
男も周囲が闇色に染まり始めていることに気付いたのか、慌しく何事か叫びながら、逃げ出そうとしている。
だが、当然逃さず追いすがる。
待って、逃げないで。食べないから、襲わないから。
走って逃げる人間の速度など知れたもの。簡単に追いつき、その身をがっしと捕まえる。
普段は闇色に任せきりにしている、造形の確認。自分の手で、全身で、確かめる。
男の体中、隅々まで手を這わせる。
ほとんどは闇色に教えられたとおり。だが、それよりもより正確に。
だがやはりそれにも限界はある。見たい。見たい。
男は、先ほどから言葉として聞き取れない悲鳴ばかりしかあげない。
非常に悔しくなってきた。
見たいのに、聞きたいのに、教えて欲しいのに。なんで、なんで。
口から溢れた涎が首筋に伝う。まだ見てない。我慢しないと、でも、我慢できない。
八重歯を、ゆっくりと男の喉下にあてがう。一際弾力を持つ感触。頚動脈。
ここを噛み切れば、もう、獲物は成すがまま。
止まれなかった。意識が、闇色に染まる。
むちゃ・・ ぐち じゅるる
見たい。美味しい。見たい。美味しい。美味しい。
肉を裂き、骨を掻き分け、臓腑を食いちぎり、噴出す血を啜る。
これはもう人間じゃない。ただのお肉だ。いよいよ歯止めが利かなくなる。
「おい。」
そこに声がかかった。聞き覚えがあった。闇色が、騒いでいる。
もぐ じゅぶ ぶち・・
「おい。」
もう一度、すぐ近くから、声が掛かる。闇色が、狂ったように騒いでいる。
「よくも、里の人間を手にかけてくれたな。」
べきっ ぐじゅる・・ ごくん
「下種が。悔やめ。」
「ねえ。」
咀嚼していた肉片を飲み込むと同時に、自分でも驚くほど、自然に声が出た。自分が置かれている状況が、どういう状況なのか、わかっているのに。
相手も驚いたらしい。聞き返す。
「・・・なんだ?これから死に行く者の言葉だ。聞いてやろう。」
そうなのだろう。私は、もうおしまいなのだろう。それにしては酷く落ち着いていた。闇色も、もう何も言わない。何も伝えない。
「・・・見たいの。人を、世界を、『見て』みたい。」
「・・いいだろう。」
「ありがとう。」
間が空く。相手も、私の言動に呆気にとられているようだ。
「私は人間によく似ている。剋目して、見るがいい。」
早く、見せて・・・
「日出づる国の天子!」
焼ける。そう思ったのも一瞬。体の感覚はすぐ無くなった。
闇色が薄れていく。闇色を切り裂いて光が差し込む。
私を守る闇色は完全に消え去った。視界が開ける。
広がる青い空、降り注ぐまばゆい光。そして、その中心にいる、人間。
「ああ・・・きれい・・・」
はじめて、見れた。
そして光が、私を優しく飲み込んで・・・
いつからだろうか、こんなことを思うようになったのは。全部、あの人間のせいだ。
私の目は、何も映さない。先天的に備わった種族的な特徴だ。
私に『見える』のは、私を包む闇色の中にあるものだけ。
私の周りは常に闇色。
昼間だろうと、十五夜の夜だろうと、そこには一切の光は届かない。
私を包む闇色が、目の代わり。私はコウモリみたいに必要な情報を『捉える』。
闇色の中に入ってきたモノが、なんなのか、どんな形をしているのか、
生物か無生物か、食べれるものか、食べれないものか、必要な情報を即時理解できる。
でも、私の周りは闇色一色。
私自身がどういうものなのか、普段食べている人間がどういうものなのか、他の妖怪達がどういうものなのか。
漠然とした形は理解している。
だが、ただ、闇色で包み込んで、その体温や造形を漠然と知っただけ。
故に固体識別はできない。
だけど、リターンより高いリスクが付き纏う生き物、自分より強い生き物などは、一応覚えている。正確には、闇色が。
そういった天敵を闇色が捉えたら、一目散に離脱する。
純粋に生き延びるためのシステムとしては、この上なく良くできていると思う。
そう。問題など無かった。私はただ、このままただの捕食者として淡々と生きていけばよかったのに。
興味を持ってしまった。人間に。ただの食料のはずの、人間に。そして世界に。私を嫌っているはずの世界に。
その日その時、私を叩きのめした人間。
最初闇色が捉えた情報は、サイズは人間の平均を下回り、適度に熟した、かつ最も脂の乗った年頃の人間の女。
格好の捕食相手だと思った。危険だとは微塵も思わなかった。
闇色をたぐって獲物に近づき、頬張ろうとした。
だがそれは適わなかった。
闇色から伝わる情報が複雑に入り乱れる。私の闇色が『見て』きた人間とはどれとも違う。闇色が私に告げた。危険だ、と。
逃げようとした。だがそれは適わない。その時、私は始めて闇色の捉えた情報を疑った。
どの方向も、塞がれていて、逃げ道は無い。
大きな力の接近。堪らず、闇色の捉えた情報を無視して、逃げ出した。
闇色の言った通り、そこには壁があった。方向を変えて逃げる。やはり壁にぶつかった。
ひたすら、壁にぶつかり、方向を変えて飛びまたぶつかり、それを繰り返していた。いつまでたっても、闇色は同じ情報しか寄越さない。無我夢中で逃げているつもりだったが、傍から見れば囲まれた壁の中を無様に跳ね回っていただけなのだろう。
飛ぶ力も失せてきた。闇色から与えられる情報はかわらない。かわらない。かわらない。
混乱している私に、女の声がかかった。
「良薬口に苦しって、知ってる?」
なんのことか、わからなかった。人間の言葉は一応は理解している。
ただ、この期に至って何を言い出すのか、と思った。
「良薬っていっても、飲んでみなけりゃわからないけどね。」
その言葉と同時に、闇色が新たな情報をもってきた。周囲の壁が消えた、と。そしてもう一つ。
女が私にとどめを刺すことも無く、立ち去ろうとしているということ。
なぜ?なぜこの人間は、自分を食べようとした妖怪を、放っておけるのか。
聞きたかった。
日々、泣き叫ぼうと、黙って震えていようと、立ち向かってこようと、祈りを捧げようと、どんな獲物だろうと、私は淡々と捕食し続けていた。
だからこそ聞きたかった。わからなかった。
だが二の句を継ぐことはできなかった。
なにせ相手は何を考えているかわからない手合い。下手に刺激して、せっかく拾った命を再び危機に晒す様なことはしたくなかった。
逃げた。ひたすら、逃げた。途中、簡単に捕食できそうな対象を闇色が捉えたが、脇目も振らず逃げ続けた。
完全に、心の奥底まで、敗北した瞬間だった。
私はその人間を覚えた。普段は危険な相手に関することは、闇色が勝手に覚えてくれるが、この人間だけは自分で覚えておきたかった。
頭の中で整理する。その造形、その息遣い、その体温、その声。
始めて足りないと思った。私の周りは常に夜。
生き延びるためになら、十分な情報。闇色が提供してくれたそれを、初めて、足りないと思った。
『見たい』
もっと正確に知りたい。
私を負かし、私を弄び、私を助けたあの人間の女の顔を、この目で、『見たい』。
あの女だけに限らない。見たい。人間を、見たい。
私が住んでいる、この世界を見たい。目に焼き付けたい。
だけどそれは叶わない。生き延びるという事に関して、目よりもずっと優秀なこの闇色が、それを許さない。
「人を、世界を、『見て』みたい。」
叶わない幻想を、ただ呟く。
まだ治りきっていない傷が疼く度思う。私は悶々と日々を過ごしていた。
私は少し痩せてきていた。傷はもうとっくに治ったのに。
一応、襲いはする。だけど、それが言葉を発すれば、その言葉に聞き入ってしまう。
見たい。見たい。どんな顔をしているのか、どんな目をしているのか。
見たい。見たい。叶わぬ願い。
お願い、顔を、見させて。
闇色が、それらを無視して告げる。これは食べてもいい人種だ、と。
そして私は、逃げるように、その場を飛び去る。
そんなことが続いて、私はあれ以来人間を一人も食べていなかった。
そんなある日。
痩せこけた私はそれでも尚、空腹を忘れる程に、渇望していた。
そこに飛び込んできた、人間の呟き。
耳を欹てて、その人間の言葉を聞いていた。
「十五夜に夜回りなんて、ついてない。」
声は、大人の、男に分類される声だ。
「上白沢様ばかりに負担をかけるわけにもいからなぁ。」
知った名前だ。最も危険な、天敵の内の一人。
「何も起こらなけりゃ、いいが。」
声が遠くなっていく。呟きは続いているが、もうまともに聞き取れない。
もっと、もっと近くへ。
だが、焦れて近づきすぎた。闇色が人間を捉える。喰え、とって喰え、とはやし立てる。
男も周囲が闇色に染まり始めていることに気付いたのか、慌しく何事か叫びながら、逃げ出そうとしている。
だが、当然逃さず追いすがる。
待って、逃げないで。食べないから、襲わないから。
走って逃げる人間の速度など知れたもの。簡単に追いつき、その身をがっしと捕まえる。
普段は闇色に任せきりにしている、造形の確認。自分の手で、全身で、確かめる。
男の体中、隅々まで手を這わせる。
ほとんどは闇色に教えられたとおり。だが、それよりもより正確に。
だがやはりそれにも限界はある。見たい。見たい。
男は、先ほどから言葉として聞き取れない悲鳴ばかりしかあげない。
非常に悔しくなってきた。
見たいのに、聞きたいのに、教えて欲しいのに。なんで、なんで。
口から溢れた涎が首筋に伝う。まだ見てない。我慢しないと、でも、我慢できない。
八重歯を、ゆっくりと男の喉下にあてがう。一際弾力を持つ感触。頚動脈。
ここを噛み切れば、もう、獲物は成すがまま。
止まれなかった。意識が、闇色に染まる。
むちゃ・・ ぐち じゅるる
見たい。美味しい。見たい。美味しい。美味しい。
肉を裂き、骨を掻き分け、臓腑を食いちぎり、噴出す血を啜る。
これはもう人間じゃない。ただのお肉だ。いよいよ歯止めが利かなくなる。
「おい。」
そこに声がかかった。聞き覚えがあった。闇色が、騒いでいる。
もぐ じゅぶ ぶち・・
「おい。」
もう一度、すぐ近くから、声が掛かる。闇色が、狂ったように騒いでいる。
「よくも、里の人間を手にかけてくれたな。」
べきっ ぐじゅる・・ ごくん
「下種が。悔やめ。」
「ねえ。」
咀嚼していた肉片を飲み込むと同時に、自分でも驚くほど、自然に声が出た。自分が置かれている状況が、どういう状況なのか、わかっているのに。
相手も驚いたらしい。聞き返す。
「・・・なんだ?これから死に行く者の言葉だ。聞いてやろう。」
そうなのだろう。私は、もうおしまいなのだろう。それにしては酷く落ち着いていた。闇色も、もう何も言わない。何も伝えない。
「・・・見たいの。人を、世界を、『見て』みたい。」
「・・いいだろう。」
「ありがとう。」
間が空く。相手も、私の言動に呆気にとられているようだ。
「私は人間によく似ている。剋目して、見るがいい。」
早く、見せて・・・
「日出づる国の天子!」
焼ける。そう思ったのも一瞬。体の感覚はすぐ無くなった。
闇色が薄れていく。闇色を切り裂いて光が差し込む。
私を守る闇色は完全に消え去った。視界が開ける。
広がる青い空、降り注ぐまばゆい光。そして、その中心にいる、人間。
「ああ・・・きれい・・・」
はじめて、見れた。
そして光が、私を優しく飲み込んで・・・
もうちょっと長めで読んでみたいとも思いましたね
そう思わせてくれた作品でした
ルーミア扱った作品としては珍しい部類だと思います。わたしが読んでいないだけかもしれませんが・・・・・・
こういう終わり方は珍しいほうだと思いましたね。個人的には好きです
しかし本能に勝てず、ついに自らを破滅に追いやる。
そんなどこにでもありそうな逸話、幻想郷の歴史の隅にひっそり記されてるような話。
だけど、それがいいです。
その辺ご都合主義にも思えますが、良いルーミアを見せてもらえたので満足。