窓から店内に風が吹いた。通常であれば爽やかさや涼しさを伴うはずの微風だが、今は蒸し暑さを促進させる気持ちの悪いものでしかない。
生温い風なんて受けても嬉しくない。かといって窓を閉めきって蒸し風呂を味わうほど物好きでもない僕は観念して手製の扇ではたはたと自分の顔を仰ぐ。
梅雨入りもそこそこ、一足早い夏の到来を告げるように幻想郷は日に日に熱を増していた。もうひと月もすればセミの鳴き声も香霖堂に訪れることだろう。商人としては訪れるのは道具を購入してくれる人物であって欲しいが、十年以上経っても中々上手くいかない。夢や希望どころか客もお客もありゃしない。
少し気分を切り替えるべく何かの作業に没頭でもしようかな、と僕は肌から眼鏡に伝う汗を専用の布で拭いながら思案する。
発汗する体を考えると読書という選択は除外される。誰だってふやけて質が低下した本を読もうとは思わない。ヘタをすればページも破れてしまう。
そうだな、細工でもするか。集中していれば時間も経過するだろうし、この間拾ってきた鉄くずを道具にしてやれる。
以前魔理沙にも言ったことがあるが、たとえ緋々色金ほどの金属でも使わなければ鉄くずと変わりない。ずっと飾って置くよりは有効に成仏させてやるのが道具屋としての正しいあり方である。
善は急げと言うし、早速作業に取り掛かるか。
折角だからと、溜まった道具を成仏させようと思いついたのがいけなかったのかもしれない。
以前霊夢がツケの徴収の一環として置いていった金メッキのくずや、魔理沙からは引き取った鉄くずなど、一度動けば必要以上に加工する素材を集めてしまったのだ。
目的の分はすでに完成させてしまったのだが、余った鉄くずから有用なもの――今回は金塊――を取り出したりと、作業は止まることなく続けられ、自分が何をしているのかに気づいてようやく手を止めることが出来たのはそれから数時間後。
暑さを忘れるために作業をしていたというのに、感じるのは熱に加えて苦労による負担とはいかがなものか。
流石に疲れたので上着を脱いで黒いインナーをはだけさせる。布一枚分だが面積が薄くなったおかげか多少の涼しさが実感できる。本当に多少、であるが。
作業で凝った体を解していると、ドアのカウベルが鳴り入口の扉が開いた。
――カランカラン。
お客でありますようにと首を巡らせると、珍しく僕の願いは叶ったかもしれなかった。
扉をくぐってきたのは、いつも勝手な巫女でも大体勝手な魔法使いでもなく、見たことのない相手だったからだ。
入店して間もなく、彼女はきょろきょろと店内を見回している。初見のお客さんだし、初来店する客はほとんど同じリアクションをするものだ。
訪れたのは歳若い女性。薄紅色の頭髪にはシニョンキャップが飾られ、白いチュニックの上はコサージュに彩られた前掛けを羽織っている。だが何よりも目を引いたのは、怪我でもしているのかその右腕を覆う白い包帯だ。
怪我人なら大人しく家で休んでいれば良いものを、と思ったが振って湧いた商売のチャンスに僕はいらっしゃいませと口を開こうとする。だが、彼女は僕を気に留めず先ほど鉄くずから抽出した小さな金塊に手を伸ばした。
あまりの唐突さに出鼻を挫かれて硬直した僕は、しげしげと金塊を眺める彼女をしばし見据え、ようやく我を取り戻して声をかけた。
「金をお求めですか? そのままを購入されるより、何かしらの細工を施して装飾品に加工してからのほうが…………」
「貴方ですか? こんな人里離れたこんな僻地で金を作っているというのは」
「はあ?」
突拍子も無いことを言われて沈黙を返すことはなかったが、代わりに出てきたのは呆然である。
続ける言葉がないと知った彼女は、金塊を元の場所に戻しながら意図の掴めぬ台詞を紡いでいく。
「魔理沙から聞きましたよ、貴方が何らかの技術を有し金を生み出していると」
ちらりと金塊を一瞥する女性。ますますその行動の真意が掴めず、言葉を失うばかり。僕の沈黙を埋めるように、彼女の口から止まることなく動き続ける。
「溶かしたり抽出したりするとのことですが、地獄の釜を所有しているのではないのですか?」
「あー……魔理沙に何を吹きこまれたか知りませんが、えーっと」
「失礼。私、茨華仙と申す行者です。一応仙人をしています」
「仙人ですか。僕は森近霖之助、と一応名乗り返しておくよ」
客ではないようなので、僕は敬語を使うのを止めて改めて華仙と名乗る女性を見やる。何を目的に来店したか知らないが、遠回しよりは直接用件を聞いたほうが早そうだ。
「それで茨さん、何か御用で? 残念ながら道具を買うお客ではないようだが」
「貴方が拾い物の金塊を溜め込んでいると聞いたので、それを元の場所へ捨てさせるためというのが一つ。もう一つは、地獄の釜を地獄に――」
「ストップ、ちょっと話を整理させてくれ」
頭が痛くなってきた。避暑はどうにも無理だなと諦観しつつ、僕はこの女性に指摘するべき言葉を練っていく。
魔理沙に吹きこまれて香霖堂に来て、商品のことも聞かずに僕に文句を言う時点でだいたいの察しはつく。今度来たら魔理沙にはきちんと言っておかないとな。
「拾い物の金塊というのがまず一つ。悪いが金塊なんて拾った覚えはないよ」
「そこにあるのは何ですか? どう見ても金塊でしょう。怨霊を溶かして作ったんじゃないんですか?」
「何を言ってるのかわからないけど、そもそも怨霊なんてものはウチにはいないよ」
幽霊はいたけどね。
「確かにこの場にはいませんね。少し奥を拝見してもよろしいですか?」
「君は初対面の相手の家を家探しする趣味でもあるのか?」
「そんな趣味はありません。しかしそう思われるのもしゃくですから、無難に質問に切り替えましょう」
僕には必要ないのだが。
いつまで続くんだこのやり取りは。
「プライベートを暴くのは天狗だけでお腹いっぱいだよ」
「聞くところによれば、奥に工房があるとのことですが」
「物作りもしているからね。霊夢の服や魔理沙のミニ八卦炉なんかは僕が作ったものだ」
「それは存じています。私が聞きたいのは、その金塊を得たやり方です」
「金が含まれている鉄くずを溶かして、そこから目的のものを取り出してひとまとめにしただけだよ」
「やっぱり溶かして取り出しているのね。地獄の釜なんて一体どこで――」
「微細でも金が入っている鉄くずから金を取り出してひとまとめにしたものだ。拾い物のが混じっているかもしれないが、加工して取り出しているんだから問題ない」
え? という顔をしたのもつかの間、何か考え込むように口に手を当てる華仙。聞いていた話と違う、と言わずとも顔に書いてある。そもそもあのあまのじゃくの言う事を素直に信じているからそんな目にあう。
全てを疑えというつもりはないが、性格を察せないということは付き合いがまだ浅いのだろう。何かアドバイスでもくれてやろうと思ったが、それより早く華仙は考えから復帰した。
「鉄くずから取り出した、というのは…………?」
「金細工の装飾品らがどんな課程で作られているかを考えれば、おのずとわかると思うが」
「……あー……純粋な技術?」
「逆に、それ以外でどう取り出しているのか知りたいものだ」
「えっと、怨霊の欲望の一つから、金が生まれまして」
「今の時期なら幽霊は歓迎するけど、怨霊なんて傍迷惑なものを傍に置く気がしれないな」
「そう、よね?」
「疑わなくてもそうだよ」
そう言って、あははと気恥ずかしげに包帯をした手で頬を掻く。顔を赤くしてそっぽを向いて僕と視線を合わせないのは、自分の勘違いに気づいたからだろう。だが、いやいやと首を振って改めてこちらに向き直る。何か浮かんだようだが、そろそろ降伏してくれないかと切実に思う。何なら僕が無条件降伏するから大人しく帰ってくれないかな。
「で、でもミニ八卦炉には特別な技法を用いたんでしょ? あれほどのマジックアイテムを作れるなら、同じくらいのマジックアイテムを扱うくらい造作もないはず」
ぴくり、と自分の耳が大きくなる錯覚がした。
どうやら彼女は騙されやすいようだが道具を見る目はあるようだ。……なんだか矛盾しているような気がしないでもないが、良くなった気分の前ではどうでもよかった。
「確かに色々溶かして混ぜ込んだけど。趣味の範囲さ」
「そう、そこ! 溶かして混ぜるというのは、一体?」
「一体と言われても、技術の賜物としか。仙人だって仙薬の製法や多種多様の術に通じているだろう? 似たようなものさ」
「霊夢からも変な実験をして変なのを作ったから怪しいものだと」
「どんな理由で僕を指摘するのか知らないけど、全て勘違いだろうな。大方、あいつらに上手く言いくるめられでもしたんじゃないか? 前提としての根拠があの二人の発言からして、信ぴょう性に欠ける。子供の言うことを全て真に受けるのは大人としてどうかと思うよ」
僕の物言いが不満だったのか唸り声でも上げそうに、けど理性で我慢して口を引き結んで言葉を閉じ込める華仙。乱暴な口調かもしれないが、こちらも変な言いがかりを受けている身なのだ。それくらい平静に受け流して欲しいものである。……顔がさっきよりも赤い。そんなに怒っているのだろうか。
大方、彼女に絡まれて厄介になりそうだから矛先を僕に向けたのだろうが、巻き込まれる身としてはたまったものじゃない。
会話を挟んで集中が途切れたせいか、じんわりと肌に汗を感じるようになってきた。早く作業に戻らないと。
でも彼女がいるし……ああ、そうだ。こうするか。
「しかし、このままでは納得しないだろう? だったら僕の製作作業を見て清廉潔白っぷりを見ていけばいい。そうすれば納得するはずだ。最も、作業現場を見る気があるなら、だが。自分で言うのも何だが、見ている側に興味がないとつまらないと感じること間違いなしだ」
「……いえ、ここはお言葉に甘えましょうか」
「そうしてくれると助かる。……ああそうだ」
「何ですか?」
「仙人なら、部屋の暑さを和らげる術でも持ってないか? 持ってるなら使ってくれると嬉し」
「いいからさっさと作業とやらを見せなさい!」
きーん、と耳鳴りでも起こりそうな声量に思わず目眩がする。暑さに参ったから助けを求めたというのに、何が気に障ったのやら。
「霊夢といい、利用することしか考えないなんて……人をなんだと……自然を受け入れて我慢するくらいの……」
触らぬ神に祟りなし。
僕は華仙の恨み言のような呪言を右から左へ流れるようにスルーしつつ、僕は彼女に自分の腕を魅せつけるべく、作業場へ足を運んだ。
「…………ありがとう、ございます」
「どういたしまして」
麦茶をうなだれる華仙の手に握らせてやりながら、僕は真新しい布をいくつかカウンターの上に置いていく。
これは秋に霊夢が着る巫女服につけるタイを止める、リボン型ブローチを作るためだ。夏明けにするより、今のうちに作って面倒事を処理しておこうという魂胆である。
今回の秋服は、リボンやフリルの多めな巫女服にでもしようと思っている。今年は薄手で短めのポンチョをつけるのも良いだろう。
夏用はすでに作り終えて霊夢に渡すだけなので、別に今作らずとも良いのだがついでというやつだ。
そんな風にリボンに使う布の選定をしていると、生温い風とは違う淀んだ空気を察知する。横目に来訪者を見れば麦茶を口につけないまま、どんよりとした空気を放ちながら顔を俯かせる華仙がそこにいる。
よくわからない勘違いを理解してくれたようだが、その分自分の行動を顧みて反省しているらしい。それはとても素晴らしいことだが正直他所でやって欲しい。もし今店に誰かやってきて彼女の様子を見て回れ右をしてしまう可能性だってあるのだから。
作業場を見せた目論見が少し外れたことを残念に思いつつ、なら邪魔だからさっさと帰ってもらうために僕は華仙に話しかける。
「早く飲まないとお茶がぬるくなるぞ。こんな暑い季節に熱いお茶を飲むヤツもいるが、生温いお茶はそいつだってきっと飲まない……と、思う」
やはり顔は俯いたままだが、湯のみを口に持っていったところを見るに一応話は聞こえているらしい。……飲みにくくないか、その姿勢。
話しながらも布の選別を終えた僕は、次に針の穴に糸を通していく。慣れないうちや空間把握能力が低いと穴に通すことすら困難なものであるが、もう何年と繰り返してきた僕には朝飯前、息を吸って吐くくらい簡単だ。
針に糸を通したことを確認し、改めて秋用の巫女服につける装飾品の製作に取り掛かろうとする僕に、麦茶を飲み終えた華仙がぽつりとつぶやいた。
「すみません、おかわりありますか?」
「……もう飲んだのか」
「なんだかすごく冷たくて気持ちいいんです」
「案外、勘違いしたのも暑さで気が動転していたからじゃないか? ま、少し待っててくれ」
「そうかもしれませんね。……………ありがとうございます」
追加の麦茶を入れてやり、それをぐいっとあおる華仙。良い飲みっぷりである。案外、暑さで思考朦朧していたというのも本当かもしれない。その証拠に、顔色も赤さが引いて元の白さを取り戻しているようにも見える。
落ち着いて周りを見る余裕が出てきたのか、華仙は僕の手元にある道具を一瞥して尋ねてくる。
「それは、霊夢の?」
「ああ。夏用はもう作ったから、今は秋用だね」
「色々と手に職を持っているのね」
「簡単なアクセサリなら見繕っても良いが? もちろん、報酬はきっちりもらうけど」
「いえ、結構。でも霊夢がわざわざ頼むというのも珍しいわね。こう言ってはなんだけど、オーダーメイドより安い古着のほうが、とか言いそうだし。やっぱ女の子なのね。多少高くついても、着飾りたい意識ってやつかしら」
苦笑しているところを見ると、少しは気分が戻ってきたようだ。それとも女性というのは子供も大人も関係なくお洒落には食いつくというのだろうか。いや、例えそうだとしても酒が美味しく飲めて退屈しないというのが共通の楽しみに決まっている。
「高くつく、ね。依頼は全部ツケだから値段の上下はきっと気にしてないだろうね」
「ツケ?」
「そう、ツケ。金銭をもらったことは一度もないし、いつの間にか店の茶葉を拝借してることもある。頻度こそ違えど魔理沙も大体はツケだね」
「それ単なる泥棒じゃない!」
鎮痛だった表情もどこへやら、両手を広げた崩し顔による百面相が展開されていく。感情が豊富というか躁鬱の激しいというか、どう表現すればいいのやら。とりあえず思ったことを言うならば、飲みかけの麦茶が飛び散るからさっさと飲むかどこかに置いてくれ。
「どうして? 一度くらいならともかく、今まで全部って商い以前の問題だわ」
「言っても聞かないからね。ま、その分の対価が全くないわけじゃあない」
「でも天下の博麗の巫女がそれではいけません。もっとマシな人間になれるようアドバイスしないとね。それに貴方も拾い物をしなくても食べられるよう、きっちりお金をもらう必要があるわ。何なら、今回迷惑かけた分私が徴収してきますよ」
「あー…………」
胸に手を当てて得意気に鼻を鳴らす華仙。今回のお返しが出来るチャンスと思っているようだ。
願ってもない話ではあるが、素直に霊夢がお金を渡してくれるとも思えない。むしろ彼女はやや勘違いする傾向もあるようだし、面倒なことになりそうな予感もする。僕はどうしたら華仙が納得して帰宅してくれるかに考えを切り替え、頭を巡らせることにした。
「いや、いいよ。いくら口で言い聞かせてもずっと矯正されるわけじゃないだろうし」
「でも聞いている間はツケが返ってくると思うけど?」
「…………我というものを忘れる。即ち忘我の境にはいる。三昧である。ここに純粋な自分の姿を見る」
「人牛倶忘(にんぎゅうぐぼう)の解釈の一節ね。それがどうかした?」
「その言葉を知ってるなら話が早い。霊夢はそれと似たようなものだ」
「あれが悟りを開いているとは、到底思えないのだけど…………」
「『似たようなもの』だって言ったろ。僕だって霊夢が悟りを開いているとは思ってない。ただ、悟りを開いた後にある無我というか無垢というか、無邪気というか……まあ他者に干渉されないという意味ではそんなものだと思うよ」
「…………迷いも悟りも超越した時、そこには絶対的な空がある。 空を飛ぶ霊夢の本質は、つまりそこにある、ってことかしら」
「良い解釈と思わないか?」
「さて、どうかしら。……何年も修行してきたけど、まだまだ知らないことはいっぱいね」
あーあ、とどこか反省するように目を閉じながら顔を上げる華仙。やれやれと言った具合からして、気分は天気同様に快晴に向かった様子。ついでに言うと、この解釈は単に華仙を納得させる文句みたいなもので、教授するほどありがたいものではないと思うのだが、お互い納得しているならそれで良いと思う。
「ここは幻想郷。世の中の不思議なことが全て詰まっているのだから知らないことが多いのも当然さ」
くすりと笑う華仙。気分どころか重力まで感じそうな暗さはもう見当たらない。さて、もう少しってとこか。そうだ、どうせならあれも聞いてみるか。
そう思った僕は少し気になることがあったので、麦茶を飲み終えた頃を見計らい、改めて香霖堂に来た理由を聞いてみることにする。
「そういえば地獄の釜がどうとか言っていたが、結局あれはどういうことだったんだ?」
「あー……その、えっと」
そっぽを向きながら、両手の人差し指を合わせながらもじもじする華仙。しばし中空を漂っていた指が迷走から戻ってきた頃に、気恥ずかしげに華仙は答えた。
「地獄では、地獄の釜で怨霊を溶かしその欲望を錬金してやりくりしてまして。だから金塊を持っていて、溶かす技術を持っていると聞いた時にもしや、と思ったのがきっかけです。地獄の釜は普通の使い方では扱えませんからね。ミニ八卦炉の製作者でマジックアイテムを扱う店の主なら、使うのもわけがないと」
「魔理沙から聞いた、ってことか」
「…………まあ、そうなりますね」
こほん、とわざとらしく咳をして誤魔化しているが、勘違いした事実は変わらない。ここでそれを指摘しても良いが、薮をつついて蛇を出す趣味はないので流すことにする。
にしても地獄の錬金は随分と豪快なものだ。錬金術を嗜む身として、賢者の石という言葉が安く感じてしまう。まあ賢者の石による黄金錬成はあくまで力の一部でしかないんだが。
「ついでに言えば、霊夢が貴方に金塊を渡したということも聞きまして。彼女は以前、今しがた言った怨霊を溶かして作った金塊を拾った前科があります。捨てたフリをして、ここで預かってもらってる、とも考えたのですが…………」
「金は金でもメッキ入り、と」
「そうなります。もし本当にあの金塊なら怨霊の残りカスみたいな気配があると思ったけど、詳しく調べてもそれもなかった」
「僕としては身の潔白が証明できて何よりだ」
「拾ったものを自分のものと言い張り、落とした持ち主に売りつけたりするとも聞いていたのですが」
「さあ? 何のことだかわからないな。噂は怖いね」
それにしても地獄の釜か。機会があれば見てみたいものだ。叶うなら非売品として倉庫にでも放りこんでおきたいものだが、今回の華仙のように持っているだけで面倒事が湧いてくるなら素直に手に入れたいと思えない。
「地獄の規模を縮小して引っ越した理由は、予算不足や旧地獄の鬼と死者の癒着が原因だと聞く。怨霊を溶かしたことで金を生むなら、癒着が激しいのも当然か。鬼も随分と俗っぽくなったものだ」
「っ……………………」
地獄という単語を出した瞬間、華仙の表情に陰りが見えた、気がした。今見れば特筆するところはないのだが……気のせいか。
「しかし、仮にそうだとしても仙人の領域ではないと思うが? もし本当に地獄の釜を使っているなら、地獄の関係者か死神が来るのが筋だろう」
「仙人だから、よ。金を生むと言っても、溶かして出るのはそれだけじゃない。生きる欲望は水銀、人を殺める欲望はヒ素というように、余分なものまで出てきてしまう。もしそんな毒物とも言える金が流通したら大変でしょう?」
「だからその前に犯人と道具を見つけて死神にでも渡す、と。でも仮にその計画を立てたとして、流通するとは思えないな。金を作るだけで満足するんじゃないか?」
「お金なんて、流通させなければ価値はないわ。作るだけで満足するなんて、そんな変人が居たら是非見てみたいものだわ」
「……あー、そうだ、ね」
なんとなく込み上がるものを感じたが、僕はなんとか自制する。別に自分のことを言われているわけではないのだ。怒る理由など、ない。ないったらない。
「ともかく事情はわかったよ。仙人の本分とやらに則って、死神に良いとこ見せて点数稼ぎにやって来たと」
「て、点数稼ぎだなんて考えてません!」
「それが死神撃退の方法の一つにでもなるのなら、やる価値はあるだろうね」
「話を聞きなさい! それに、そんな俗っぽいことは考えてません。寿命を伸ばしたいなら己の腕でやればいい話です」
「それはまた、随分と」
「そこで区切らないで。随分と、何?」
「いや、別に」
「話を切られたら気になるでしょう!? 思わせぶりに話して人を混乱させるのは良くないと思うわ」
「混乱させるつもりはない。ただ、先の言葉が思いつかなかっただけだ」
「しらを切るつもり!?」
「切ってるつもりもないよ。随分と気になるようだが、それは自分がやましいことをしていると自覚している証拠じゃないのか?」
「そんなことはありません」
「本当に?」
「……………ありません!」
「ならそういうことにしておくよ」
「ないって言ってるでしょう!?」
声を荒らげて喚く華仙。もう少し声量を抑えても罰は当たらないと思う。ただでさえ暑いんだから、自分から体温を上げる必要もなかろうに。
「確かにこの度は私の早とちりで貴方に迷惑をかけてしまいましたが、だからと言って必要以上に弱みにつけ込む真似は感心しないわ。そんなことばかり続けていると、いずれ手痛いしっぺ返しを受けることになりますよ」
「お礼参りでも考えているのか?」
「だーかーらー!……ごめんなさいしますから、いい加減話を元に戻しましょう」
「元に戻すと言っても、誤解も解けたならすでに君の用件は済んだと思うのだが」
「貴方に対しての謝罪がまだ終わっていません」
「それは殊勝な心がけだ。これからは話を鵜呑みにしたり、先走りから来る短絡的な行動をしないよう気をつけるといい」
その言葉を聞いた僕は、道具でも買っていってもらおうかなと適当に何か見繕うとするのだが、華仙の口から漏れたのは僕の予想とは異なるものであった。
「……………ええ、そうね。だから、貴方をちゃんとした性格にするアドバイスを送ろうと思います」
「………………………………いや、別にいらな」
「リサイクルという言葉があるように、拾い物をの鉄くずをまともに使える道具にするのは良い心がけだと思います。実際技術もある。けど、まずこの店は見栄えが悪い。ごちゃごちゃと乱雑で無造作に置かれた道具をきちんと整理すれば、それだけで印象も変わるわ」
「古道具屋だから、古めかしさも大事であって」
「懐古趣味を否定するつもりはありません。貴方のように、そこにカタルシスを感じる人妖もいるし。けど、カタルシスの与え方が悪い。この辺は博麗神社の信仰の無さにも似ているわね。霊夢達がたまに入り浸るそうだけど、雰囲気とかに共感しているのかしら」
「善意の押し売りを買取る趣味は」
「あと非売品も多いそうね。道具を愛でると言えば聞こえはいいけど――」
まるで話を聞いていない。いや、意図的に無視していると言ったほうが良いかもしれない。……これはなんだ、先程の意趣返しというやつだろうか。随分と活き活きしている様子から、アドバイスというより説教好きなのかもしれない。
多分前者なんだろうなと思いため息をつく。華仙を慰めて道具を購入してもらおうとした目論見があっさり壊れたことを嘆きながら、さっさと帰ってもらうべきだったと反省するのであった。
――カランカラン。
「聞いたぜ香霖。お前もあの仙人の餌食になったらしいな」
「食わせたやつが何を言うやら」
痛み分けとも言える華仙来店から数日、彼女がここに来る元凶の一人である魔理沙がやって来た。
話を聞けばなんて事はない。この暑さにだらけきっていたところに訪れた華仙に、暑さをなくしてくれと頼んで怒らせたらしい。
ただでさえ暑いのにじっとして説教を聞いていて身が持たなかったから、先の金塊の話を思い出して僕のことを話したようだ。
「でも思った以上に効果があって逆にびっくりしたぜ。結局あのあとも暑いままだったし、意味なかったけどな」
「まったく、こっちは良い迷惑だ」
「あっちもヒドイ目にあったって言ってたけどな。何したんだよ」
「別に、何も」
「ま、そういうことにしといてやるよ」
「そういうことなんだよ」
適当に魔理沙の相手をしていると、彼女は喉が渇いたとお勝手を漁り始めていく。反省が微塵もないことに呆れつつ、麦茶を頼むと声をかける。
任せとけー、と元気な声が内から返って来ると同時、外から「ばかものー!!」という謎の声が香霖堂の壁を貫いた。なんとなく最近聞いた声に似ていたのは気のせいか。気のせいであって欲しい。
僕も魔理沙も、謎の言葉に思わず沈黙。若干の静寂が訪れて間もなく、店のカウベルが鳴った。
「り、霖之助さん、いるかしら。夏用の服、取りに来たんだけど…………その前に、お茶頂戴」
若干疲れた様子の霊夢がそう言いながら現れる。一体どうした、と声をかけても霊夢からの返事はない。来て早々に手頃な椅子に座り込むところを見ると、若干どころか盛大に疲れている様子だ。
「魔理沙、麦茶をみっ……………いや、四つ頼む」
僕は眉をひそめながら魔理沙に麦茶の追加注文をしようとして、訂正する。
なんとなしに注がれた視線の先。開け放たれた店の扉に、包帯の巻かれた手が添えられていたからだ。ゆっくりとその姿を見せていく、シニョンキャップと薄紅色の頭髪。そして現れる、怒り心頭と言わんばかりな茨華仙。
香霖堂は静かなままでいられるかな、と遠い目をしながら絶対無理だなと悟る。静寂は一秒と持たなかった。静寂なんて、あるわけない。
だから僕は来るべき怒号に備え、ゆっくりと耳に両手を添えるのだった。
<了>
生温い風なんて受けても嬉しくない。かといって窓を閉めきって蒸し風呂を味わうほど物好きでもない僕は観念して手製の扇ではたはたと自分の顔を仰ぐ。
梅雨入りもそこそこ、一足早い夏の到来を告げるように幻想郷は日に日に熱を増していた。もうひと月もすればセミの鳴き声も香霖堂に訪れることだろう。商人としては訪れるのは道具を購入してくれる人物であって欲しいが、十年以上経っても中々上手くいかない。夢や希望どころか客もお客もありゃしない。
少し気分を切り替えるべく何かの作業に没頭でもしようかな、と僕は肌から眼鏡に伝う汗を専用の布で拭いながら思案する。
発汗する体を考えると読書という選択は除外される。誰だってふやけて質が低下した本を読もうとは思わない。ヘタをすればページも破れてしまう。
そうだな、細工でもするか。集中していれば時間も経過するだろうし、この間拾ってきた鉄くずを道具にしてやれる。
以前魔理沙にも言ったことがあるが、たとえ緋々色金ほどの金属でも使わなければ鉄くずと変わりない。ずっと飾って置くよりは有効に成仏させてやるのが道具屋としての正しいあり方である。
善は急げと言うし、早速作業に取り掛かるか。
折角だからと、溜まった道具を成仏させようと思いついたのがいけなかったのかもしれない。
以前霊夢がツケの徴収の一環として置いていった金メッキのくずや、魔理沙からは引き取った鉄くずなど、一度動けば必要以上に加工する素材を集めてしまったのだ。
目的の分はすでに完成させてしまったのだが、余った鉄くずから有用なもの――今回は金塊――を取り出したりと、作業は止まることなく続けられ、自分が何をしているのかに気づいてようやく手を止めることが出来たのはそれから数時間後。
暑さを忘れるために作業をしていたというのに、感じるのは熱に加えて苦労による負担とはいかがなものか。
流石に疲れたので上着を脱いで黒いインナーをはだけさせる。布一枚分だが面積が薄くなったおかげか多少の涼しさが実感できる。本当に多少、であるが。
作業で凝った体を解していると、ドアのカウベルが鳴り入口の扉が開いた。
――カランカラン。
お客でありますようにと首を巡らせると、珍しく僕の願いは叶ったかもしれなかった。
扉をくぐってきたのは、いつも勝手な巫女でも大体勝手な魔法使いでもなく、見たことのない相手だったからだ。
入店して間もなく、彼女はきょろきょろと店内を見回している。初見のお客さんだし、初来店する客はほとんど同じリアクションをするものだ。
訪れたのは歳若い女性。薄紅色の頭髪にはシニョンキャップが飾られ、白いチュニックの上はコサージュに彩られた前掛けを羽織っている。だが何よりも目を引いたのは、怪我でもしているのかその右腕を覆う白い包帯だ。
怪我人なら大人しく家で休んでいれば良いものを、と思ったが振って湧いた商売のチャンスに僕はいらっしゃいませと口を開こうとする。だが、彼女は僕を気に留めず先ほど鉄くずから抽出した小さな金塊に手を伸ばした。
あまりの唐突さに出鼻を挫かれて硬直した僕は、しげしげと金塊を眺める彼女をしばし見据え、ようやく我を取り戻して声をかけた。
「金をお求めですか? そのままを購入されるより、何かしらの細工を施して装飾品に加工してからのほうが…………」
「貴方ですか? こんな人里離れたこんな僻地で金を作っているというのは」
「はあ?」
突拍子も無いことを言われて沈黙を返すことはなかったが、代わりに出てきたのは呆然である。
続ける言葉がないと知った彼女は、金塊を元の場所に戻しながら意図の掴めぬ台詞を紡いでいく。
「魔理沙から聞きましたよ、貴方が何らかの技術を有し金を生み出していると」
ちらりと金塊を一瞥する女性。ますますその行動の真意が掴めず、言葉を失うばかり。僕の沈黙を埋めるように、彼女の口から止まることなく動き続ける。
「溶かしたり抽出したりするとのことですが、地獄の釜を所有しているのではないのですか?」
「あー……魔理沙に何を吹きこまれたか知りませんが、えーっと」
「失礼。私、茨華仙と申す行者です。一応仙人をしています」
「仙人ですか。僕は森近霖之助、と一応名乗り返しておくよ」
客ではないようなので、僕は敬語を使うのを止めて改めて華仙と名乗る女性を見やる。何を目的に来店したか知らないが、遠回しよりは直接用件を聞いたほうが早そうだ。
「それで茨さん、何か御用で? 残念ながら道具を買うお客ではないようだが」
「貴方が拾い物の金塊を溜め込んでいると聞いたので、それを元の場所へ捨てさせるためというのが一つ。もう一つは、地獄の釜を地獄に――」
「ストップ、ちょっと話を整理させてくれ」
頭が痛くなってきた。避暑はどうにも無理だなと諦観しつつ、僕はこの女性に指摘するべき言葉を練っていく。
魔理沙に吹きこまれて香霖堂に来て、商品のことも聞かずに僕に文句を言う時点でだいたいの察しはつく。今度来たら魔理沙にはきちんと言っておかないとな。
「拾い物の金塊というのがまず一つ。悪いが金塊なんて拾った覚えはないよ」
「そこにあるのは何ですか? どう見ても金塊でしょう。怨霊を溶かして作ったんじゃないんですか?」
「何を言ってるのかわからないけど、そもそも怨霊なんてものはウチにはいないよ」
幽霊はいたけどね。
「確かにこの場にはいませんね。少し奥を拝見してもよろしいですか?」
「君は初対面の相手の家を家探しする趣味でもあるのか?」
「そんな趣味はありません。しかしそう思われるのもしゃくですから、無難に質問に切り替えましょう」
僕には必要ないのだが。
いつまで続くんだこのやり取りは。
「プライベートを暴くのは天狗だけでお腹いっぱいだよ」
「聞くところによれば、奥に工房があるとのことですが」
「物作りもしているからね。霊夢の服や魔理沙のミニ八卦炉なんかは僕が作ったものだ」
「それは存じています。私が聞きたいのは、その金塊を得たやり方です」
「金が含まれている鉄くずを溶かして、そこから目的のものを取り出してひとまとめにしただけだよ」
「やっぱり溶かして取り出しているのね。地獄の釜なんて一体どこで――」
「微細でも金が入っている鉄くずから金を取り出してひとまとめにしたものだ。拾い物のが混じっているかもしれないが、加工して取り出しているんだから問題ない」
え? という顔をしたのもつかの間、何か考え込むように口に手を当てる華仙。聞いていた話と違う、と言わずとも顔に書いてある。そもそもあのあまのじゃくの言う事を素直に信じているからそんな目にあう。
全てを疑えというつもりはないが、性格を察せないということは付き合いがまだ浅いのだろう。何かアドバイスでもくれてやろうと思ったが、それより早く華仙は考えから復帰した。
「鉄くずから取り出した、というのは…………?」
「金細工の装飾品らがどんな課程で作られているかを考えれば、おのずとわかると思うが」
「……あー……純粋な技術?」
「逆に、それ以外でどう取り出しているのか知りたいものだ」
「えっと、怨霊の欲望の一つから、金が生まれまして」
「今の時期なら幽霊は歓迎するけど、怨霊なんて傍迷惑なものを傍に置く気がしれないな」
「そう、よね?」
「疑わなくてもそうだよ」
そう言って、あははと気恥ずかしげに包帯をした手で頬を掻く。顔を赤くしてそっぽを向いて僕と視線を合わせないのは、自分の勘違いに気づいたからだろう。だが、いやいやと首を振って改めてこちらに向き直る。何か浮かんだようだが、そろそろ降伏してくれないかと切実に思う。何なら僕が無条件降伏するから大人しく帰ってくれないかな。
「で、でもミニ八卦炉には特別な技法を用いたんでしょ? あれほどのマジックアイテムを作れるなら、同じくらいのマジックアイテムを扱うくらい造作もないはず」
ぴくり、と自分の耳が大きくなる錯覚がした。
どうやら彼女は騙されやすいようだが道具を見る目はあるようだ。……なんだか矛盾しているような気がしないでもないが、良くなった気分の前ではどうでもよかった。
「確かに色々溶かして混ぜ込んだけど。趣味の範囲さ」
「そう、そこ! 溶かして混ぜるというのは、一体?」
「一体と言われても、技術の賜物としか。仙人だって仙薬の製法や多種多様の術に通じているだろう? 似たようなものさ」
「霊夢からも変な実験をして変なのを作ったから怪しいものだと」
「どんな理由で僕を指摘するのか知らないけど、全て勘違いだろうな。大方、あいつらに上手く言いくるめられでもしたんじゃないか? 前提としての根拠があの二人の発言からして、信ぴょう性に欠ける。子供の言うことを全て真に受けるのは大人としてどうかと思うよ」
僕の物言いが不満だったのか唸り声でも上げそうに、けど理性で我慢して口を引き結んで言葉を閉じ込める華仙。乱暴な口調かもしれないが、こちらも変な言いがかりを受けている身なのだ。それくらい平静に受け流して欲しいものである。……顔がさっきよりも赤い。そんなに怒っているのだろうか。
大方、彼女に絡まれて厄介になりそうだから矛先を僕に向けたのだろうが、巻き込まれる身としてはたまったものじゃない。
会話を挟んで集中が途切れたせいか、じんわりと肌に汗を感じるようになってきた。早く作業に戻らないと。
でも彼女がいるし……ああ、そうだ。こうするか。
「しかし、このままでは納得しないだろう? だったら僕の製作作業を見て清廉潔白っぷりを見ていけばいい。そうすれば納得するはずだ。最も、作業現場を見る気があるなら、だが。自分で言うのも何だが、見ている側に興味がないとつまらないと感じること間違いなしだ」
「……いえ、ここはお言葉に甘えましょうか」
「そうしてくれると助かる。……ああそうだ」
「何ですか?」
「仙人なら、部屋の暑さを和らげる術でも持ってないか? 持ってるなら使ってくれると嬉し」
「いいからさっさと作業とやらを見せなさい!」
きーん、と耳鳴りでも起こりそうな声量に思わず目眩がする。暑さに参ったから助けを求めたというのに、何が気に障ったのやら。
「霊夢といい、利用することしか考えないなんて……人をなんだと……自然を受け入れて我慢するくらいの……」
触らぬ神に祟りなし。
僕は華仙の恨み言のような呪言を右から左へ流れるようにスルーしつつ、僕は彼女に自分の腕を魅せつけるべく、作業場へ足を運んだ。
「…………ありがとう、ございます」
「どういたしまして」
麦茶をうなだれる華仙の手に握らせてやりながら、僕は真新しい布をいくつかカウンターの上に置いていく。
これは秋に霊夢が着る巫女服につけるタイを止める、リボン型ブローチを作るためだ。夏明けにするより、今のうちに作って面倒事を処理しておこうという魂胆である。
今回の秋服は、リボンやフリルの多めな巫女服にでもしようと思っている。今年は薄手で短めのポンチョをつけるのも良いだろう。
夏用はすでに作り終えて霊夢に渡すだけなので、別に今作らずとも良いのだがついでというやつだ。
そんな風にリボンに使う布の選定をしていると、生温い風とは違う淀んだ空気を察知する。横目に来訪者を見れば麦茶を口につけないまま、どんよりとした空気を放ちながら顔を俯かせる華仙がそこにいる。
よくわからない勘違いを理解してくれたようだが、その分自分の行動を顧みて反省しているらしい。それはとても素晴らしいことだが正直他所でやって欲しい。もし今店に誰かやってきて彼女の様子を見て回れ右をしてしまう可能性だってあるのだから。
作業場を見せた目論見が少し外れたことを残念に思いつつ、なら邪魔だからさっさと帰ってもらうために僕は華仙に話しかける。
「早く飲まないとお茶がぬるくなるぞ。こんな暑い季節に熱いお茶を飲むヤツもいるが、生温いお茶はそいつだってきっと飲まない……と、思う」
やはり顔は俯いたままだが、湯のみを口に持っていったところを見るに一応話は聞こえているらしい。……飲みにくくないか、その姿勢。
話しながらも布の選別を終えた僕は、次に針の穴に糸を通していく。慣れないうちや空間把握能力が低いと穴に通すことすら困難なものであるが、もう何年と繰り返してきた僕には朝飯前、息を吸って吐くくらい簡単だ。
針に糸を通したことを確認し、改めて秋用の巫女服につける装飾品の製作に取り掛かろうとする僕に、麦茶を飲み終えた華仙がぽつりとつぶやいた。
「すみません、おかわりありますか?」
「……もう飲んだのか」
「なんだかすごく冷たくて気持ちいいんです」
「案外、勘違いしたのも暑さで気が動転していたからじゃないか? ま、少し待っててくれ」
「そうかもしれませんね。……………ありがとうございます」
追加の麦茶を入れてやり、それをぐいっとあおる華仙。良い飲みっぷりである。案外、暑さで思考朦朧していたというのも本当かもしれない。その証拠に、顔色も赤さが引いて元の白さを取り戻しているようにも見える。
落ち着いて周りを見る余裕が出てきたのか、華仙は僕の手元にある道具を一瞥して尋ねてくる。
「それは、霊夢の?」
「ああ。夏用はもう作ったから、今は秋用だね」
「色々と手に職を持っているのね」
「簡単なアクセサリなら見繕っても良いが? もちろん、報酬はきっちりもらうけど」
「いえ、結構。でも霊夢がわざわざ頼むというのも珍しいわね。こう言ってはなんだけど、オーダーメイドより安い古着のほうが、とか言いそうだし。やっぱ女の子なのね。多少高くついても、着飾りたい意識ってやつかしら」
苦笑しているところを見ると、少しは気分が戻ってきたようだ。それとも女性というのは子供も大人も関係なくお洒落には食いつくというのだろうか。いや、例えそうだとしても酒が美味しく飲めて退屈しないというのが共通の楽しみに決まっている。
「高くつく、ね。依頼は全部ツケだから値段の上下はきっと気にしてないだろうね」
「ツケ?」
「そう、ツケ。金銭をもらったことは一度もないし、いつの間にか店の茶葉を拝借してることもある。頻度こそ違えど魔理沙も大体はツケだね」
「それ単なる泥棒じゃない!」
鎮痛だった表情もどこへやら、両手を広げた崩し顔による百面相が展開されていく。感情が豊富というか躁鬱の激しいというか、どう表現すればいいのやら。とりあえず思ったことを言うならば、飲みかけの麦茶が飛び散るからさっさと飲むかどこかに置いてくれ。
「どうして? 一度くらいならともかく、今まで全部って商い以前の問題だわ」
「言っても聞かないからね。ま、その分の対価が全くないわけじゃあない」
「でも天下の博麗の巫女がそれではいけません。もっとマシな人間になれるようアドバイスしないとね。それに貴方も拾い物をしなくても食べられるよう、きっちりお金をもらう必要があるわ。何なら、今回迷惑かけた分私が徴収してきますよ」
「あー…………」
胸に手を当てて得意気に鼻を鳴らす華仙。今回のお返しが出来るチャンスと思っているようだ。
願ってもない話ではあるが、素直に霊夢がお金を渡してくれるとも思えない。むしろ彼女はやや勘違いする傾向もあるようだし、面倒なことになりそうな予感もする。僕はどうしたら華仙が納得して帰宅してくれるかに考えを切り替え、頭を巡らせることにした。
「いや、いいよ。いくら口で言い聞かせてもずっと矯正されるわけじゃないだろうし」
「でも聞いている間はツケが返ってくると思うけど?」
「…………我というものを忘れる。即ち忘我の境にはいる。三昧である。ここに純粋な自分の姿を見る」
「人牛倶忘(にんぎゅうぐぼう)の解釈の一節ね。それがどうかした?」
「その言葉を知ってるなら話が早い。霊夢はそれと似たようなものだ」
「あれが悟りを開いているとは、到底思えないのだけど…………」
「『似たようなもの』だって言ったろ。僕だって霊夢が悟りを開いているとは思ってない。ただ、悟りを開いた後にある無我というか無垢というか、無邪気というか……まあ他者に干渉されないという意味ではそんなものだと思うよ」
「…………迷いも悟りも超越した時、そこには絶対的な空がある。 空を飛ぶ霊夢の本質は、つまりそこにある、ってことかしら」
「良い解釈と思わないか?」
「さて、どうかしら。……何年も修行してきたけど、まだまだ知らないことはいっぱいね」
あーあ、とどこか反省するように目を閉じながら顔を上げる華仙。やれやれと言った具合からして、気分は天気同様に快晴に向かった様子。ついでに言うと、この解釈は単に華仙を納得させる文句みたいなもので、教授するほどありがたいものではないと思うのだが、お互い納得しているならそれで良いと思う。
「ここは幻想郷。世の中の不思議なことが全て詰まっているのだから知らないことが多いのも当然さ」
くすりと笑う華仙。気分どころか重力まで感じそうな暗さはもう見当たらない。さて、もう少しってとこか。そうだ、どうせならあれも聞いてみるか。
そう思った僕は少し気になることがあったので、麦茶を飲み終えた頃を見計らい、改めて香霖堂に来た理由を聞いてみることにする。
「そういえば地獄の釜がどうとか言っていたが、結局あれはどういうことだったんだ?」
「あー……その、えっと」
そっぽを向きながら、両手の人差し指を合わせながらもじもじする華仙。しばし中空を漂っていた指が迷走から戻ってきた頃に、気恥ずかしげに華仙は答えた。
「地獄では、地獄の釜で怨霊を溶かしその欲望を錬金してやりくりしてまして。だから金塊を持っていて、溶かす技術を持っていると聞いた時にもしや、と思ったのがきっかけです。地獄の釜は普通の使い方では扱えませんからね。ミニ八卦炉の製作者でマジックアイテムを扱う店の主なら、使うのもわけがないと」
「魔理沙から聞いた、ってことか」
「…………まあ、そうなりますね」
こほん、とわざとらしく咳をして誤魔化しているが、勘違いした事実は変わらない。ここでそれを指摘しても良いが、薮をつついて蛇を出す趣味はないので流すことにする。
にしても地獄の錬金は随分と豪快なものだ。錬金術を嗜む身として、賢者の石という言葉が安く感じてしまう。まあ賢者の石による黄金錬成はあくまで力の一部でしかないんだが。
「ついでに言えば、霊夢が貴方に金塊を渡したということも聞きまして。彼女は以前、今しがた言った怨霊を溶かして作った金塊を拾った前科があります。捨てたフリをして、ここで預かってもらってる、とも考えたのですが…………」
「金は金でもメッキ入り、と」
「そうなります。もし本当にあの金塊なら怨霊の残りカスみたいな気配があると思ったけど、詳しく調べてもそれもなかった」
「僕としては身の潔白が証明できて何よりだ」
「拾ったものを自分のものと言い張り、落とした持ち主に売りつけたりするとも聞いていたのですが」
「さあ? 何のことだかわからないな。噂は怖いね」
それにしても地獄の釜か。機会があれば見てみたいものだ。叶うなら非売品として倉庫にでも放りこんでおきたいものだが、今回の華仙のように持っているだけで面倒事が湧いてくるなら素直に手に入れたいと思えない。
「地獄の規模を縮小して引っ越した理由は、予算不足や旧地獄の鬼と死者の癒着が原因だと聞く。怨霊を溶かしたことで金を生むなら、癒着が激しいのも当然か。鬼も随分と俗っぽくなったものだ」
「っ……………………」
地獄という単語を出した瞬間、華仙の表情に陰りが見えた、気がした。今見れば特筆するところはないのだが……気のせいか。
「しかし、仮にそうだとしても仙人の領域ではないと思うが? もし本当に地獄の釜を使っているなら、地獄の関係者か死神が来るのが筋だろう」
「仙人だから、よ。金を生むと言っても、溶かして出るのはそれだけじゃない。生きる欲望は水銀、人を殺める欲望はヒ素というように、余分なものまで出てきてしまう。もしそんな毒物とも言える金が流通したら大変でしょう?」
「だからその前に犯人と道具を見つけて死神にでも渡す、と。でも仮にその計画を立てたとして、流通するとは思えないな。金を作るだけで満足するんじゃないか?」
「お金なんて、流通させなければ価値はないわ。作るだけで満足するなんて、そんな変人が居たら是非見てみたいものだわ」
「……あー、そうだ、ね」
なんとなく込み上がるものを感じたが、僕はなんとか自制する。別に自分のことを言われているわけではないのだ。怒る理由など、ない。ないったらない。
「ともかく事情はわかったよ。仙人の本分とやらに則って、死神に良いとこ見せて点数稼ぎにやって来たと」
「て、点数稼ぎだなんて考えてません!」
「それが死神撃退の方法の一つにでもなるのなら、やる価値はあるだろうね」
「話を聞きなさい! それに、そんな俗っぽいことは考えてません。寿命を伸ばしたいなら己の腕でやればいい話です」
「それはまた、随分と」
「そこで区切らないで。随分と、何?」
「いや、別に」
「話を切られたら気になるでしょう!? 思わせぶりに話して人を混乱させるのは良くないと思うわ」
「混乱させるつもりはない。ただ、先の言葉が思いつかなかっただけだ」
「しらを切るつもり!?」
「切ってるつもりもないよ。随分と気になるようだが、それは自分がやましいことをしていると自覚している証拠じゃないのか?」
「そんなことはありません」
「本当に?」
「……………ありません!」
「ならそういうことにしておくよ」
「ないって言ってるでしょう!?」
声を荒らげて喚く華仙。もう少し声量を抑えても罰は当たらないと思う。ただでさえ暑いんだから、自分から体温を上げる必要もなかろうに。
「確かにこの度は私の早とちりで貴方に迷惑をかけてしまいましたが、だからと言って必要以上に弱みにつけ込む真似は感心しないわ。そんなことばかり続けていると、いずれ手痛いしっぺ返しを受けることになりますよ」
「お礼参りでも考えているのか?」
「だーかーらー!……ごめんなさいしますから、いい加減話を元に戻しましょう」
「元に戻すと言っても、誤解も解けたならすでに君の用件は済んだと思うのだが」
「貴方に対しての謝罪がまだ終わっていません」
「それは殊勝な心がけだ。これからは話を鵜呑みにしたり、先走りから来る短絡的な行動をしないよう気をつけるといい」
その言葉を聞いた僕は、道具でも買っていってもらおうかなと適当に何か見繕うとするのだが、華仙の口から漏れたのは僕の予想とは異なるものであった。
「……………ええ、そうね。だから、貴方をちゃんとした性格にするアドバイスを送ろうと思います」
「………………………………いや、別にいらな」
「リサイクルという言葉があるように、拾い物をの鉄くずをまともに使える道具にするのは良い心がけだと思います。実際技術もある。けど、まずこの店は見栄えが悪い。ごちゃごちゃと乱雑で無造作に置かれた道具をきちんと整理すれば、それだけで印象も変わるわ」
「古道具屋だから、古めかしさも大事であって」
「懐古趣味を否定するつもりはありません。貴方のように、そこにカタルシスを感じる人妖もいるし。けど、カタルシスの与え方が悪い。この辺は博麗神社の信仰の無さにも似ているわね。霊夢達がたまに入り浸るそうだけど、雰囲気とかに共感しているのかしら」
「善意の押し売りを買取る趣味は」
「あと非売品も多いそうね。道具を愛でると言えば聞こえはいいけど――」
まるで話を聞いていない。いや、意図的に無視していると言ったほうが良いかもしれない。……これはなんだ、先程の意趣返しというやつだろうか。随分と活き活きしている様子から、アドバイスというより説教好きなのかもしれない。
多分前者なんだろうなと思いため息をつく。華仙を慰めて道具を購入してもらおうとした目論見があっさり壊れたことを嘆きながら、さっさと帰ってもらうべきだったと反省するのであった。
――カランカラン。
「聞いたぜ香霖。お前もあの仙人の餌食になったらしいな」
「食わせたやつが何を言うやら」
痛み分けとも言える華仙来店から数日、彼女がここに来る元凶の一人である魔理沙がやって来た。
話を聞けばなんて事はない。この暑さにだらけきっていたところに訪れた華仙に、暑さをなくしてくれと頼んで怒らせたらしい。
ただでさえ暑いのにじっとして説教を聞いていて身が持たなかったから、先の金塊の話を思い出して僕のことを話したようだ。
「でも思った以上に効果があって逆にびっくりしたぜ。結局あのあとも暑いままだったし、意味なかったけどな」
「まったく、こっちは良い迷惑だ」
「あっちもヒドイ目にあったって言ってたけどな。何したんだよ」
「別に、何も」
「ま、そういうことにしといてやるよ」
「そういうことなんだよ」
適当に魔理沙の相手をしていると、彼女は喉が渇いたとお勝手を漁り始めていく。反省が微塵もないことに呆れつつ、麦茶を頼むと声をかける。
任せとけー、と元気な声が内から返って来ると同時、外から「ばかものー!!」という謎の声が香霖堂の壁を貫いた。なんとなく最近聞いた声に似ていたのは気のせいか。気のせいであって欲しい。
僕も魔理沙も、謎の言葉に思わず沈黙。若干の静寂が訪れて間もなく、店のカウベルが鳴った。
「り、霖之助さん、いるかしら。夏用の服、取りに来たんだけど…………その前に、お茶頂戴」
若干疲れた様子の霊夢がそう言いながら現れる。一体どうした、と声をかけても霊夢からの返事はない。来て早々に手頃な椅子に座り込むところを見ると、若干どころか盛大に疲れている様子だ。
「魔理沙、麦茶をみっ……………いや、四つ頼む」
僕は眉をひそめながら魔理沙に麦茶の追加注文をしようとして、訂正する。
なんとなしに注がれた視線の先。開け放たれた店の扉に、包帯の巻かれた手が添えられていたからだ。ゆっくりとその姿を見せていく、シニョンキャップと薄紅色の頭髪。そして現れる、怒り心頭と言わんばかりな茨華仙。
香霖堂は静かなままでいられるかな、と遠い目をしながら絶対無理だなと悟る。静寂は一秒と持たなかった。静寂なんて、あるわけない。
だから僕は来るべき怒号に備え、ゆっくりと耳に両手を添えるのだった。
<了>
いつでも最終回をお待ちしています。
面白かったです
しかしなにより鳩さん作品に魔理沙が登場した事に驚いた。
最終回はあみんの如く待ちます。いつまでも待ちます。
話の長さもテンポも丁度よかったです
この二人なかなかいい組み合わせですね。
華扇さんの正体を単純に鬼と決め付けない回りくどさがなんだか東方らしくて鳩さんらしいです
やっぱりこの二人の組み合わせはいいなあ・・・茨歌仙で霖之助さんが出ないかしら
最終回ものんびり執筆して下さいませ 待ってます
原作っぽい雰囲気の中にも鳩さんの霖之助らしさがあって安定してスラスラと読めました。
最終回いつでもお待ちしています!
完全に空回りした上に感染に霖之助に言いまかされてる華扇がいい感じでした。
何かが俺の中で弾けて混ざった!!
相変わらずの鳩霖で安心供給ですね、分かります
最終回はいつまでも待ちますよ、2008年春を超えられた俺たちに死角は無い!!
そして最終回が待ち遠しいw