――― 梅雨になると、必ずチョコレートが出てくると気付いたのはいつだっただろうか。
食堂、図書館、或いはちょっとしたティータイムのお茶受け。
銀紙に包まれた小さなチョコレート。特にメイドにも大人気で、あっという間に無くなってしまう。
たまたまなのか。旬なのか。誰かの好みか。はたまた、購入者である十六夜咲夜の気まぐれか。
とうとう気になって尋ねてみた所、意外な事実が発覚した。
「これ?実はね、パチュリー様のご要望なのよ。長い雨が続きそうな時は、チョコレートを常備して欲しいって」
――― ますます混乱した。
”お天気とチョコレート”
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「お待たせいたしました~」
ことり、と硬い物同士がぶつかり合う軽い音。それと共に、ふわりと漂う紅茶の香り。
司書見習いの小悪魔が、お盆に乗せたカップをそっとテーブルへ置く。
「ありがとう」
読んでいた本からちら、と顔を上げ、司書のパチュリー・ノーレッジは礼を言った。そしてすぐ本へ視線を戻す。
冷めない内に飲んでほしいなぁ、と思いつつ、小悪魔は自らの分のカップを別の席へ。
それから、同じくお盆に乗せていた大きめの深皿をテーブルへ。そこには山と菓子類が積まれている。
小悪魔がお盆を食堂へ返し、戻って来た時には既に、パチュリーは自分の周囲に空き袋や銀紙のフォーメーションを組み立てつつあった。
本を汚さないように食べるなど、彼女にとっては朝飯前だ。
(お行儀悪い、って怒られるかと思ったけど)
考えながら本を開き、自分もクッキーを一枚つまむ。
場所は、お馴染み紅魔館内大図書館。初夏の香りが漂う六月の終わり。
昼下がりの時間に、いつも通りのティータイム。全くもって変わらない日常が展開されていた。
「あ、お片付けします」
「悪いわね」
溜まりつつある、パチュリーの周りに散らばるゴミを片づけ、小悪魔は一息。
(今日は何だか静かだなぁ。のんびり本でも読もうかな)
紅茶の香りと少々のカビ臭さが、無性に心地良い。自分の居場所はここだと、改めて実感出来る。
お祭り好きの小悪魔だが、こんな静かな日も悪くない。そっと、手にした本を開こうとして―――
「こんにちは~」
ノックと共に不意に静寂を破った、来訪者の声。がたんっ、と騒々しい音を立てて小悪魔は椅子を蹴り、立ち上がる。
「はぁい!今開けま~す!」
どたどたどた、とダッシュで入り口ドアへ。続いてばぁん!と開かれるドア。
「やっぱり大ちゃん!ほら、早く入って!ちょうどお茶いれたんだ」
「お、お邪魔します……」
小悪魔の親友たる湖の大妖精の訪問により、静かな日常はあっけなくいつも通りの騒がしい日常へ。
やれやれ、と本で隠しつつパチュリーはため息をついた。
(ま、あれだけ嬉しそうなのに水を差すのもね……)
そう思い直し、名無し二人の方を見やる。小悪魔がいそいそとカップを用意し、恐縮しつつも嬉しそうな顔の大妖精。
色々と共通点も多く、まるで前世からの盟友の如くに意気投合し、仲の良い二人。
そんな二人を見ていると、何故だか分からないが優しい気持ちになれるのだ。
無性に微笑ましくて、頬が緩んだ所で小悪魔と目が合った。
「あれ。パチュリー様、何かいいコトでもあったんですか?」
「現在進行形よ」
「へ?」
彼女の言う意味が分からず、紅茶のポットと一緒に首を傾ける小悪魔。
そのまま暫し角度を保っていたが、大妖精が不意に叫んだ。
「ちょ、こあちゃん溢れてる溢れてる!」
「え?あっ、わぁ!」
「早くふかなきゃ」
「ふきん取ってくる……あっ、その本どかして!」
首と一緒にポットを傾け続けた結果カップからは紅茶が溢れ出し、我に返った小悪魔は慌てて拭く物を取りに図書館を飛び出していく。
騒がしい足音が遠ざかった所で、パチュリーは陳謝。
「ごめんなさいね、いきなり騒々しくて。あの子ももう少し落ち着きってモノを……ぶつぶつ」
「い、いえいえそんな」
本を膝の上に避難させ、大妖精はまたも恐縮した。
静けさなどあっと言う間に吹き飛んでしまった図書館においてしかし、パチュリーはどことなく嬉しそう。
「ごめんね、すぐに新しいの持ってくるから。お菓子でも食べて待っててよ」
「そうね。ほら、遠慮しないで」
「あ、それじゃ……いただきます」
濡れたカップをお盆に乗せ、小悪魔は再び奥へ。彼女に続いてパチュリーにも勧められ、大妖精はぺこりとお辞儀しつつお菓子の皿に手を伸ばす。
「ん、おいひい」
とりあえず、と手にしたビスケットをくわえ、噛み砕く。舌の上で広がる甘さに、思わず素直な感想が口を突いて出た。
「でしょ?咲夜がいつも買ってきてくれるんだから、ハズれはないわ。作ってくれると、もっといいんだけれど」
「咲夜さんのお菓子がいつでも食べられるって、すごくうらやましいです」
「紅魔館に住まう者の特権ね」
「そうそう、だからさ、大ちゃんもここで一緒に司書やろうよ!いっそ住み込みでさ」
どこか得意気なパチュリー。するといつの間にか帰って来ていた小悪魔が、新しいカップを置きながら大妖精に笑いかける。
「え、えぇ?個人的にはすっごく興味あるし嬉しいんだけど……」
「だったらやろうよ~。私がお仕事教えてあげるから。いいですよね、パチュリー様!」
どうやら小悪魔は割と本気のようで、大妖精の肩に手を置いて軽く揺さぶりながらパチュリーに頼み込む。
懇願の視線を向けられ、彼女は微笑みと苦笑いをブレンドした絶妙なスマイルを浮かべて答えた。
「あなたの気持ちは分かるけれど、本人の事情もあるし、新たに人を雇うならレミィにも相談しないと。
雇用って、そう簡単なモノじゃないのよ。だからすぐには無理ね。定職に就かないと生活出来ない、ってくらいに困窮したなら別だけれど」
「え~、ダメですかぁ。大ちゃんと一緒のお仕事なら、今の数倍は働きますよ、私」
「だったら今から数倍働いて、いざこの子が来たら数十倍働いて頂戴」
「ま、まあまあ……」
唇を尖らせ、ブーたれる小悪魔にパチュリーは肩を竦めた。
頬を染めつつもどうして良いか分からず、二人を宥めるような言葉を口にしながらもう一度皿に手を伸ばした大妖精だったが―――
「……あれ?これって」
手に取った物を示し、尋ねた。金色の銀紙――― と言うと語弊があるが―――に包まれた、小さな直方体のお菓子らしき物。大妖精の指先に、硬い感触を返してくる。
「ああ、それ?チョコレートだけど……どうかした?」
意外そうな表情を浮かべたパチュリーに、大妖精は首を振った。
「あ、いえ。私も好きですよ、チョコ。ただ、今の時期にチョコって珍しいなって」
そう言うその横でパチュリーはチョコレートを一つ摘み上げ、包装紙を剥がして大妖精の口元へ。
「まあまあ、細かい事はいいじゃない。ほら、口開けて」
「は、はひ……んぐ」
素直に口を開けると同時に、ぽいっと口の中へチョコレートを放り込まれた。
じわり、となめらかに溶け出す感触が優しく、心地良い。
「ほら、笑ってる。美味しけりゃ細かいコトはよし。もう一個どう?」
「いただきます……けど、ちょっと待ってくらはい……んっ……」
口の中のチョコレートを先に融かそうと、頬に手を添えて口をモゴモゴ動かす大妖精。傍から見れば実にキュート。
しかし、普段なら穴の開くほど観察してくるであろう小悪魔は、何やら考えを巡らせている様子であった。
(チョコレート、か……やっぱこれって、偶然じゃないよね……)
以前から、薄々気付いてはいた。しかし、今以って確信する。
大妖精は忘れているようだが、毎年この時期 ――― 梅雨頃を含む初夏 ――― になると、必ずチョコレートが出てくるのだ。
去年も、その前の年もそうだったし、そのまた前もそうだった気がする。
暑くなってくる時期、融けやすいチョコレートはあまりおやつに用いられないだろう。しかし、紅魔館においてはその限りで無い。
偶然とは思えず、小悪魔は思案した。
(このナゾ、何とかして解き明かせないかな)
直前まで読んでいた推理小説の影響か、探偵気取りでゆっくり顔を上げる。
梅雨頃になると決まって出てくるチョコレートの謎。どことなくメルヘンを感じさせるその題材に、一人興奮する小悪魔であった。
その真後ろで、パチュリーの手によって次々と口へチョコレートを押し込まれる大妖精。
それを見たら小悪魔はきっと更に興奮してしまうだろう。
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翌日は、朝から雨が降っていた。
とは言え窓も無い図書館では外の天気に左右される事は少なく、至っていつも通り。
強いて言うなら若干湿度が高いので少しばかり本が心配だ。
「結構降ってるわね、雨」
午前中、いつもの仕事をこなしていたらパチュリーに声を掛けられる。
小悪魔は頷き、答えた。
「昨日曇ってましたから、予想はしてたんですけど」
「この分だと、当分止まない気がするわ。梅雨の雨は長いし、嫌になっちゃう」
「本が湿気を吸っちゃうのが怖いですね……パチュリー様、乾燥させる魔法とかできませんか?」
「出来るけど、やりすぎると喘息に響くのよね……」
はぁ、と憂鬱そうなため息。
自分が乾燥させる魔法を習得すれば、強すぎず弱すぎず、適度な湿度に保てそうな気がした。
後で適当な魔導書でも覗いてみよう――― などと考えつつ、小悪魔は仕事に戻る。
「パチュリーさまぁ、お仕事終わりました~」
「ご苦労様、とりあえずしばらくは好きにしてて」
「はぁい」
てきぱきと仕事を片付け、掴み取った自由時間。
今日もテーブルの深皿にはお菓子が山と盛られ、その中にはしっかりとチョコレートもある。
それを一つ手に取り、銀紙を剥がして口に放り込みながら小悪魔は本棚の海へ。
(あま~い)
自然と笑みがこぼれる。それに自分でも気付き、小悪魔は本を探しながらも考えた。
(そんなに難しい問題じゃなくて……普通においしいから、なのかも)
毎年冬にチョコレートが出たとて、誰も疑問には思わないだろう。それと同じで、夏であっても美味しいから毎年出てくるのではないか。
事実、紅魔館に住まうメイドから当主に至るまで大人気だ。単純に出てくる回数が多いから、偶然毎年梅雨の時期に被っただけなのかも知れない。
「でもなあ、それじゃなんだか夢がないよ」
思わず口に出す。有力かつ現実的な仮説を手に入れたが、その通りならあまりに普通過ぎる。
それで納得するのも癪なので、どうせなのだから、きちんと最後まで解き明かしてやろう――― 小悪魔は決意を新たにした。
いくつかの本棚を巡り、やがて食品に関する書物のコーナーへ。料理の本や栄養に関する本、何故か食品サンプルの作り方を記した本まである。
とりあえず、と彼女は栄養学に関する本を手に取り、ぱらりとめくってカカオのページを開く。
「ん~……」
暫しページとにらめっこの小悪魔だったが、あまりピンとくる情報は得られない。
ポリフェノールが健康にいいとか、チョコレート自体がカロリー補給にとても優れているとか、為になる話ではあったのだが。
(健康のため、っていう線もなくはないかもしれないけど……)
小悪魔は暫しの思案。健康というより、含まれる成分の作用を狙ったものか、という仮説を立てる。
しかし、ポリフェノールやカフェインならココアやコーヒーでも摂取可能だ。わざわざチョコレートである必要は無い。
(そもそも健康目的だったとして、何を狙ってるの?とか)
本に指を挟んで閉じ、更に思いを巡らせていた小悪魔は、不意に閃いた。
「あ……そもそもこれって、誰が用意してるんだろう」
そうなのだ。梅雨時に出てくるチョコレートに意図があるとして、誰が出させているのか。
それが分かれば、一気に解明へ近付く――― そんな気がした。
「お菓子の出所か……」
呟くと、彼女は本を棚へ戻す。
「パチュリーさまぁ、ちょっとお外へ出てきます」
「ん」
パチュリーがいるであろう方向へ声を掛け、小さな返事を聞き届けると、小悪魔は図書館の外へ。
湿気を少しばかり吸ったドアが、いつもより重い音を立てて閉まった。
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廊下に靴音を響かせながら、小悪魔は厨房を目指す。
窓の外は、しとしとと梅雨の長雨。非番らしい数人のメイドが、ぼんやりと雨粒の行く末を眺めている。
その後ろを通り、もう少し歩くと厨房へのドア。ノックし、開く。
「失礼します。咲夜さんいますか~?」
「いるわよ~」
間延びした声でメイド長を呼ぶと、同じく間延びした返事が返ってきた。
エプロンを身に着け、手には泡立て器。三角巾まで装備し、いかにも料理中ですと言わんばかりの風貌な咲夜が顔を覗かせた。
「ごめんなさい、お料理中に」
「別にいいわよ。お嬢様のご要望でね、冷たいチョコレートムース作ってたの。もうちょっとで出来るから」
「ありがとうございます……っと。あの、ちょっとお尋ねしたいことが」
「うん?」
ちょいと小首を傾げ、聞く体制の咲夜。
「いつもお茶の時とかに出してるお菓子なんですけど、あれって咲夜さんが買ってるんですよね?」
「ええ、そうよ。忙しい時は手伝ってもらう事もあるけど、基本的に買い出しは私だから」
納得した顔で頷き、小悪魔は続ける。
「ですよね。てことは、お菓子のチョイスとかも?」
「まあ、そうなるんじゃないかしら。結構バランスとか考えてるのよ?」
どうやら、全般的に咲夜が受け持っているらしい。ここだな、と判断し、彼女は核心へと踏み込んだ。
「で、ちょっと気になったんですけど。なんか最近、チョコレートが多いなぁって」
「あれ」
すると咲夜は一瞬驚いた顔をし、
「やっぱり、分かる?」
と尋ね返す。
「あ、なんとなく。で、その……今年だけじゃなくて、去年の今くらいにも……」
「……鋭いじゃない。よく覚えてるわね」
不意に褒められ、小悪魔はちょいとばかし頬を染める。
「あ、ありがとございます」
「そうね、あなたの言う通り。去年もその前もそうなんだけど、初夏から梅雨くらいにはチョコレートを意図的に多く出してるわ」
やっぱり、と彼女は内心で手を打つ。どうやら隠している訳では無いようだと、ストレートに尋ねた。
「そうなんですか。それって、咲夜さんのご判断で?」
「あ、ううん。そうじゃなくて」
すると咲夜は首を振った。今度は小悪魔が面食らう番である。
チョコレートの仕掛け人は、菓子類のチョイスを全て受け持っている咲夜では無い。
「え……じゃあ、誰が?」
率直な質問に、咲夜はふっ、と笑って答えた。
「これ?実はね、パチュリー様のご要望なのよ。長い雨が続きそうな時は、チョコレートを常備して欲しいって」
「……へ?」
疑問符で頭をポカリと叩かれた気分。意外な人物の名前が飛び出し、小悪魔は茫然とするしかなかった。
(……パチュリー様、が?)
出された物を黙々と食べるイメージしか無かったパチュリーの要望。
しかも、彼女の口ぶりでは、やはり梅雨時に狙って出して貰っているようだ。
「なんで……ですか?」
「それがね、教えて下さらなかったのよ。ひみつ~、って」
ひょい、と肩を竦める咲夜。
出所は分かった。しかし、その答えは小悪魔をますます混乱させるものであった。
『後でおやつ持ってくわね』と言う咲夜に少し力の無い笑顔を返し、彼女は厨房を後にする。
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「む~」
翌日、再び図書館。
テーブルに頬杖をつき、小悪魔は唸る。
夜になっても暫し考えたが、どうしてもパチュリーと梅雨とチョコレートの接点を見つける事が出来ない。
(単純に好きだから、とか。雨が続いて気が滅入るから、好物でまぎらわす……)
そんな推理をしてみる。無理の無い仮説だとは思ったが、すんなりとは納得出来ない。
第一、パチュリーなら本さえ読んでいれば雨なんて気にしない、気がする。
この日もまた、朝から雨。そんなぐずついた空模様をまるで気にする事無く、パチュリーは本の虫。
時折ページを繰る音と紅茶を口に運ぶ音、お菓子の包装紙が立てるカサリという音以外は、静かだ。
(雨で気が滅入ってるようには……見えないや)
お菓子をつまんではいるが、本を読むペースは普段とまるで変わらない。
先の仮説を棄却し、小悪魔は背もたれに寄りかかって天井を仰いだ。ふー、と息をつく。
「わっかんないなぁ……」
「何が?」
思わず漏れた呟きをキャッチされ、パチュリーが不思議そうな視線を向けてくる。
「あ、いえ、その……なんでもないんです」
「そう?ならいいけど」
慌ててそう答えると、頷いて彼女は再び本に戻った。
梅雨時におけるチョコレートの出所がパチュリーと分かった以上、おいそれと悟られる訳にはいかない。
訊けば済む話なのかも知れないが、それは小悪魔のプライドが許さなかった。もう少し探偵を気取ってみたいだけ、とも言う。
それに、教えてくれるとも限らない。現に、買ってくるよう頼んだ咲夜には秘密にしているのだ。何か言えない理由があるのかも知れない。
(もう少し聞き込みとか、しないとなぁ)
現時点での捜査に行き詰まりを感じ、小悪魔は更なる調査を決める。
(そうだ、大ちゃんにも相談してみよっと。二人で考えればきっと何か……)
ふと思い付く。大妖精とはこれまでも色々とイタズラだの共同作業だのを共にこなしてきた仲、きっと協力してくれるだろう。何より二人ならもっと楽しい。
彼女の訪問はここ最近特に頻繁で、二日か三日に一度。そろそろ来る頃合いだと思い、顔を明るくしかけた彼女だった、が。
(……あ。今、雨降ってるんだった……)
梅雨と言うどでかい壁の存在を思い出し、みるみる顔に陰り。
大妖精は、借りた本を濡らしてしまう事を恐れて、雨の日は基本的に来ない。
(まあいいや、来たら相談だ。それまでに情報を集めよう)
思い直し、彼女は席を立つ。もう少し、書籍を漁ってみる事にしたのだ。
行きがけに深皿からチョコレートを二つほど――― 皿に残っていた全てを――― 摘み上げ、口に放り込みながら、小悪魔は本棚の間へと消えていった。
「あっ、チョコがもうない……」
パチュリーが皿を見てそんな呟きを漏らしたのは、彼女が去ってから数分後の事。
――― その日の夕食時、小悪魔が有無を言わさぬ勢いでパチュリーにおかずのミニハンバーグを一つ奪われる運命が定まったのは、恐らくこの時であろう。
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それから二日後。相変わらずの曇天だが、三日間降り続いた雨は止んでいた。
結局、あれからチョコレートの秘密には進展無し。
そしてこの日、朝からしきりに窓の外を見に行き、落ち着かない様子の小悪魔。
「そんなに雨が止んだのが気になるの?」
パチュリーの問いに、はっとした顔を見せる。
「あっ、いえ……そのう……申し訳ありません」
仕事の能率が上がっていないのは彼女自身にも分かっていたので、陳謝してしまう。
そんな彼女の様子に、パチュリーは柔らかい笑みを浮かべた。
「大丈夫よ、今日は夜まで降らないと思うわ。あの子も来るんじゃないかしら」
「え!?あ、う……あうぅ」
小悪魔の心中をドンピシャで射抜いてみせ、焦る彼女をよそにパチュリーは少しばかり得意気な表情で読書に戻る。
「そこにある本を整理してもらったら、今日の仕事はおしまいでいいから。あの子が来る前に、さっさと片付けてしまいなさいな」
「は、はい!ありがとうございます!」
そう付け加えると、俄然張り切った様子で小悪魔は本を片付け始めた。
パチュリーが彼女を始めとした紅魔館の下働き組に慕われるのは、きっとこの辺に理由があるのだろう。
さて、午前中の遅れも取り戻し、昼過ぎには片付けを終えた小悪魔。そわそわと落ち着かない様子で、手にした本を読むペースもゆっくりだ。
そんな彼女の様子を、くすくすと笑いながら見守るパチュリー。静かに過ぎていく図書館の、湿った空気が突き破られたのは午後二時を回った辺り。
こつこつ、という小さなノックの音。本に集中していたら聞き逃していたかも知れない程の音だが、小悪魔は瞬時に反応を見せた。
「こんにち……」
「今開けますッ!」
同じく控えめな挨拶の途中に被せるように応対し、彼女はドアに肉薄。ガチャリという音と共に、外と繋がっているせいか、生暖かい空気が流れ込んでくる。
「えへへ、待ってたよ大ちゃん!さ、早く上がって!」
「あ、ありがとう。お邪魔します」
待ちかねた来客の登場に、小悪魔のテンションも上がりっ放しだ。いざやって来た大妖精も、そんな彼女にやや押され気味ながらも嬉しそうだ。
入り口から聞こえてくるそんなやり取りに、パチュリーは保護者精神ここに極まれりといった様子で笑いを堪えきれない。
そうこうしている内に二人が大テーブルまでやって来たので、彼女は慌てて本で顔を隠した。
「いらっしゃい」
「こんにちは、パチュリーさん」
普段は挨拶に頷きで返す彼女だが、顔を隠していたのでこちらから声を掛けた。大妖精も頭を下げる。
「さ、挨拶はこの辺でさ。こっちこっち」
「え、ちょ……きゃっ」
小悪魔は急かすように大妖精の手を取り、本棚の間へとぐいぐい。不意に引っ張られ、短い悲鳴が上がった。
本棚の間をいくつか抜け、図書館の隅。壁際に積まれた丸椅子を二つ出して並べる。二人でこっそり相談事をする時の指定席だ。
という事は、と大妖精は尋ねる。
「こあちゃん、なんか内緒話?」
「うん、そうなるのかな?いきなりごめんね」
「いいよぉ、そんなの。むしろ楽しみ」
妖精の血は争えないのか、大妖精は言葉通り何かに期待した顔。
思えば、小悪魔が『ごめんね』と言った時、『いいよ』以外の返答を聞いた事が無い、気がする。
「よかった。あのね、前来た時に大ちゃんもチョコレート食べたと思うんだけどさ」
「うんうん」
「それなんだけどね……」
小悪魔は、大妖精に自分自身の抱えている謎を洗いざらい話して聞かせた。ここまでに自分で立てた仮説も付け加えて。
「……というわけでさ、パチュリー様とチョコレートと梅雨!なにか、すっごいナゾが隠れてると思わない?」
「うん!こんな不思議なの、ミステリー小説の中だけだと思ってたけど」
魔法使いとチョコレート。まるで絵本のようなその響きに、大妖精も目をキラキラと輝かせて彼女の話を聞いていた。
小悪魔も自分と同じな彼女の反応に満足したのか、嬉しそうに目を細めて頷く。
「でしょ?だからさ、一緒に考えて欲しいなって」
「もちろん!」
二つ返事での即答。自分がかねてより考えていた事に、大妖精もまた賛同してくれたという事実。
言いようの無い幸せな気分に、思わずため息が漏れた。
「じゃあ早速考えてみよっか。まずさ、梅雨の時期とチョコレートの関連性から探してみようよ」
「そうだね。パチュリーさんとチョコレート、だけならそんなにおかしくない感じだけど、雨とチョコってよく分かんないもんね」
「アメとチョコ、なら分かりやすいんだけど」
「あはは、上手いコト言ったね」
けらけら、と大妖精が笑ってくれたのが嬉しくて、小悪魔もまた笑み。
「こほん……ありがと大ちゃん。では改めまして」
「うん。雨かぁ……湿気?おせんべいとかは湿気でダメになるからとか」
「でも、代替品が必ずチョコっていうのも変な話じゃない?他にもお菓子はあるし……」
「う~ん、そっかぁ。そういえば、前にビスケットとかクッキーも普通に出てたね」
「何かの代わりにチョコ、というよりは、チョコじゃないといけない理由があるんじゃないかなって思うんだけど」
ぎしっ、と椅子の前足を浮かせ、近くの本棚に手を着きつつ上手くバランスを取りながら小悪魔は続けて口を開く。
「チョコレート固有の栄養成分、って何かないかなぁ」
「ポリフェノールだっけ?あれとか身体にいいって聞くけど」
大妖精がポンと手を打つが、残念ながらそこは小悪魔が既に数日前通った道。
その事を告げると、大妖精もまたぎしり、と椅子でバランスを取り始める。
「よっ……と。難しいなぁ。パチュリーさんが健康に気を使ってるとしても、ワインとかのが飲んでそうだしね」
「そうなんだよねぇ。第一、健康に気を使うパチュリー様って想像できないや」
「もう、こあちゃんったら」
彼女が発する上司をネタにしたジョークに、大妖精も思わず苦笑い。だがまあ実際その通りではある。
健康に気を使うなら、本を読むばかりでなく軽い運動の一つでもするだろう。もやしっ娘の名を欲しいままにするパチュリーなのだから、健康面からのアプローチは無さそうだ。
「あれ、そういえば雨とチョコの話だったのに、いつの間にかパチュリー様とチョコの話になってたよ」
「確かに……でもいいんじゃない?分かりやすそうな方から掘り下げてく方が近道だよ、きっと」
「大ちゃんがそう言ってくれるとなぁ」
一度はばつの悪そうな顔をした小悪魔も、大妖精の言葉にふにゃりと照れたような笑顔。
えへへー、と互いに照れたような笑みを浮かべていたが、『あっ、いけない』と大妖精が不意に我に返る。
「本題に戻らなきゃ。パチュリーさんとチョコレート」
「そうだっけ。大ちゃんと話してると、それだけで楽しいからつい」
臆面も無い言い方の小悪魔だが、しっかりと頬を染めていた。
ぺちぺちと頬を叩いて冷まし、大妖精は再び考え出す。小悪魔もそれに倣った。
「この時期に何かバリバリ働いたりとかしてない?疲れた時は甘いものって言うし」
「ん~、別段そんなコトは。年中むきゅーオールウェイズリーディングブックインマイライフだから」
「食欲がなくて、あんまりご飯食べられないからチョコレートでカロリー摂取とかどうかな」
「実は、パチュリー様って意外と食べるんだよ。けどその割にあんまり太らないからうらやましいなぁ」
「栄養吸収率が悪いのかなぁ。んじゃ、チョコ食べ過ぎると鼻血が出るのかを調べてるとか」
「あっ、面白い……けど、梅雨との関連性が説明つかないんだよねぇ」
侃々諤々、議論は白熱するがなかなかこれという仮説に辿り着けない。
ふへー、と息をついた二人の頭上から、ボーンボーンと時計の音。
「あっ、もう四時かぁ。早いね」
「え、もう?」
のんびりと言う小悪魔だったが、それとは対照的に大妖精はどこか慌てた様子で立ち上がった。
「ごめんね、今日はそろそろ帰らなきゃ」
「えっ、もう帰っちゃうの?」
青天の霹靂、と言うには少々オーバーだが、ドアノブから急に襲い来る静電気よりも大きなリアクションで小悪魔は驚いた。
普段なら五時半、遅ければ六時近くまでいるはずの大妖精。彼女も長く居たいのか、段々と帰宅時間が遅くなる傾向があった。
それなのに今日は四時帰宅。想像よりも遥かに早いお別れに、小悪魔は動揺を隠し切れない。
「うん。実はね、前から博麗神社でプチ宴会やるって計画があってさ、わたしもお料理担当で呼ばれてたの。
最近は雨ばっかりでずっと延期だったんだけど、今日は止んだからやろうって話になって。
で、四時半には神社に行かなきゃだから、そろそろ帰って支度しないと……」
「そ、そっかぁ……あっううん。それならしょうがないよね。気にしないで。
今日の続きはまた今度にしよっか。私の方でも、情報集めとくからさ」
「ありがとう。そうだ、今日の本……どうしよっかなぁ」
久々に会ったのにもうお別れ――― 顔中に溢れそうになる残念な気持ちを押し隠し、小悪魔は笑った。
そんな彼女に笑みを返しつつ、大妖精は不意にこの日全く出番の無かった本の事を思い出す。
とりあえず、と中央の大テーブル付近まで戻った二人。大妖精は手近な本棚に歩み寄り、眺め始めた。
「ん~と……そうだな。あっ、これとこれ面白そう」
大妖精は何となく惹かれた二冊の本を抜き取る。どちらも小説で、短編集のようだ。
しかしここで、小悪魔が彼女を止めた。
「あっ、待って。大ちゃん、どうせまたすぐに来るんだし、一冊にしといた方がいいんじゃないかな」
「え、そう?」
意外な言葉に、大妖精は首を傾げる。
「わ、私はそう思うってだけなんだけど。もし早くに読み終わっちゃっても、もう一度頭から読むと違った感じで楽しめたりするし。
一冊の本をちゃんと隅々まで楽しんでから、次の本に移るのが一番楽しめる読み方なんじゃないかなって」
あたふたと弁解する小悪魔に、大妖精は目を細めて頷いた。
「そっかぁ、いいコト言うね。こあちゃんがそう言うなら、今日はこっちだけにしよっと」
無作為に、右手に持っていた方だけを小脇に抱える。もう片方を棚へ戻し、彼女はドアの方へ。
「それでは、失礼致します」
「あら、もう帰るの?」
意外そうな声を上げたのはパチュリー。先に小悪魔にしてみせたのと同じ説明をすると、彼女も納得したように頷いた。
「あなたも大変ね。どうせ霊夢あたりにねだられたんでしょうけど。
あんまりワガママな注文つけてくるようなら、霊夢のリボンでもスライスしてカルパッチョにしてあげなさい」
「そ、そんな。では、お邪魔しましたぁ」
労いながらも、なパチュリーの物言いに苦笑いし、大妖精は図書館を去ろうと一礼。
しかしその時、
「だ、大ちゃん!」
不意に小悪魔が彼女を呼び止めた。
「なぁに?」
別段不審がる事も無く、大妖精は応じた。
「あ、その……つ、次はいつ来れるのかなぁって」
呼び止めてから言葉に詰まった小悪魔は、もじもじと恥ずかしそうにしながらそれだけを尋ねる。
ん~、と少し考える素振りを見せ、大妖精は言葉を返した。
「まだ分かんないなぁ、明日も雨みたいだし。本読み終わったら来るつもりだけど、雨のこともあるから。
具体的にいつかは、ちょっと……」
「そ、そうだよね……あっ、ごめんね。ヘンなコト訊いちゃって」
「いいんだよ、気にしないでってば」
陳謝する小悪魔に、彼女は笑顔を向ける。
すると、今まで本を読みながら一部始終を聞いていたパチュリーが顔を上げた。
「雨が降るかもしれないわね。小悪魔、家まで送ってあげなさい」
「えっ?」
意外な発言に、デュエットで訊き返しの言葉が飛び出した。
「そんな、そこまでして頂かなくても」
大妖精は遠慮がちだが、パチュリーは首を横に振った。
「いいから。何があるか分からないのが幻想郷よ。それに、まだ不完全燃焼みたいだし」
「へ?」
彼女の言う意味がよく分からず、大妖精は首を傾げる。しかしその一方で、小悪魔は目を見開いていた。
「……いいんですか?」
「嘘、って言ってどうするのよ。もうお仕事は終わってるんでしょ?ちゃんと送ってあげるのよ」
「あ、ありがとうございます!大ちゃん、送ってくよ!」
「え、ホントに?それじゃ、えっと……よろしくね」
一気にテンションを盛り返し、小悪魔は大妖精の手を取る。当の彼女もそれ以上遠慮しようとはせず、嬉しそうな顔で頷いた。
揃って頭を下げる二人に頷き、『気を付けてね』の言葉と共にパチュリーは再び本へ視線を戻した。
二人が去っていき、閉じられるドア。それから彼女は、くすくすと笑い出す。
「おせっかい焼きになったわね、私も」
――― 満更でも無さそうな声色だった。
・
・
・
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それから二日後、図書館。
いつものように仕事をこなしながらしかし、小悪魔はパチュリーの方をちらりちらりと気にしていた。
本を棚へ戻し、そのままこっそりと本棚の陰に隠れて彼女の顔を見る。
小悪魔は、前日に聞いたばかりの話を思い出していた。
(間違いない―――!)
自然と興奮するのが自分でも分かる。だが無理も無い。
何故なら彼女は、とうとう例の謎に関する有力な情報を掴んだのだ。
そこから導き出された、確信に近い仮説。
(パチュリー様は……)
ごくり、と喉が鳴った。
――― 話はその前日に遡る。
大妖精がやって来たその翌日から再び雨が降り出し、じめじめした空気の紅魔館。
半日ほど本を漁ってみるものの、なかなか有力な情報を掴めない小悪魔。
しかし大妖精に約束もした手前、簡単には投げ出せない。それに自分でも非常に気になる。
手にしていた”MILK CHOCOLATE STRIKER”というタイトルの伝記小説を棚へ戻し、彼女はため息。小説ではあまり情報にはならないだろう。
しかもその本がやたら面白く、最後まで読んでしまった為に時刻はもう夕方。
(長いこと、ここで見習いやってるけど……今でも、パチュリー様って結構分かんない所多いからなぁ)
思い返す。魔法使いとは得てして謎多き存在、簡単にその心は読み解けない。まあ自分だって悪魔なのだが。
う~、と小さく唸って天井を仰ぐ。
(パチュリー様の考えるコトが、よく分かってそうな人とか……)
「あ、そうだ!」
そこまで考え、光明。ポンと手を打つと、彼女はばたばたと図書館を出、廊下を駆ける。
暫く走って、他とは明らかに雰囲気の違う装飾が施されたドアの前。
走って乱れた息を深呼吸一つして整え、ノックした。
「なぁ~にぃ~?」
妙に間延びした返事が帰って来て、小悪魔は思わずつんのめる。一応、この紅き館の主の部屋なのだが。
「も、申し訳ありません。ちょっと、お伺いしたい事がありまして」
「ん~、いいわよ」
「失礼致します」
がちゃり、とゆっくりドアを開ける。途端に廊下へ流れ込んでくる、むわっとした熱気。
何事か、と小悪魔は身構えつつそっと足を踏み入れると、部屋の中央でレミリア・スカーレットが華麗なV字バランスを決めていた。
額から汗が頬を伝い、服の襟元へと流れ込んでいく。
「お、お嬢様?」
「あ、ああ。ごめんなさいね、ちょっとストレッチマンを」
言いながらレミリアは、ころりとカーペットの上に横向きで寝そべり、足をぱたぱたと開閉させてカニの動き。スカート着用でその体操はどうかと。
「すごい熱気ですよ、暑くないんですか?」
「いやいや小悪魔。この蒸し暑い中でストレッチマンに励んで、大汗かいてからシャワーを浴びるのがステキなんじゃない」
「は、はぁ」
吸血鬼がシャワー浴びて平気なのか、と問おうと思ったがやめた。そんなコトを訊けば、
『あのレミリア・スカーレットがお風呂嫌いなんて誤解されたら大変じゃないの!最近やっとシャンプーハットが外れたのに!』
とか言われるに決まってる。
面倒なので、マンの部分も訂正しない。追求すれば、パー○ンをパーと呼ぶなんてヒーローに対する冒涜だ、とか言われるに決まってる。
「ふぅ。それで、何が訊きたいって?」
首から下げたタオルで首筋の汗を拭き、レミリアは実に爽やかな笑顔で問うた。何だかんだ言って、運動とは気持ちの良い物である。
「あ、その。パチュリー様についてなんですけれども」
「パチェの?運動不足だから何とかしてほしいとか?最近、どうもより一層お肉がついてる気がするのよねぇ。
でも見た目には変わらないばかりか、スリーサイズ向上に繋がってるのが許しがたいわね。あのお肉、ちょっと分けてくれないかしら」
「い、いえ、そうではなくて」
一人悔しそうに頬を膨らませるレミリア。そんな彼女を押し留め、小悪魔は本題を切り出す事に。
「あのう、パチュリー様とチョコレートって、何か関係があったりしますか?」
「はい?」
――― 見事に尋ね返されてしまった。
慌てて、彼女は付け加える。
「あ、えっと。実は、毎年この時期になるとパチュリー様が、必ずお菓子にチョコレートを入れてもらっているというお話を聞きまして。
何か理由があるのかなって思いまして、お嬢様なら何かご存じではないかなと思ったのですが……」
パチュリーの親友として付き合いの長いレミリアなら、何か知っているのでは無いか。そう思っての質問だった。
すると彼女は、ぱたぱたとスカートの裾を煽ぐようにして涼みながら、何事か考え始める。
「ん~、パチェとチョコレートね……おまけに梅雨、か……ああ、そういえば」
「な、何かご存じなんですか?」
不意に何かを思い出したらしいレミリアの様子に、小悪魔はずいっと距離を詰める。
するとレミリアは、頬を伝った汗をぴっと指で払い、ふむ、と一息ついてから話し始めた。
「そうね。もう時効でしょうし、話しちゃってもいいかしら。あなたが来る前の話なんだけれど」
「は、はい」
「私がちょっと出かけた時に、大雨に降られちゃって。その時は適当な場所で雨宿りしてたんだけど、全然止まなかったの。
ほら、今は割と根性でどうにかなってきたけど、当時は私も未熟で。雨に打たれたら大変な事になっちゃうじゃない」
「ええ、まあ」
今は根性でどうにかしているらしい。まあ、シャワーを平気で浴びるくらいなのだから大丈夫なのだろう。
「私はその日、雨宿りしながら外で一夜を明かしたのよ。誰かに迎えに来させようかとも思ったけど、たまには外で寝るのも悪くないかなって。
けどね、私がいないからってフランが泣いて泣いて。寂しかったのね。もう、あの子ったら……」
当時を思い出したらしく、レミリアは頬に手を当てて何やら照れている。
今は少々マシになったものの、情緒不安定なフランドールの事だ。普段傍にいる者がいないだけで、精神的に錯乱してもおかしくは無い。ましてや一番近しい存在の姉がいないとすれば。
「あ、あの。お嬢様……」
「おっと、ごめんなさいね。で、フランが泣きながら暴れそうになって。完全に駄々っ子ね。
もうちょっとで紅魔館が物理的に危ないって所で、パチェが止めてくれたのよ。何したと思う?」
「う~ん……」
小悪魔は悩んでしまう。そこで、レミリアはすっと人差し指を伸ばして答えた。
「チョコレートよ。フランにひたすら、チョコレートを食べさせたの。あの子も好きだから。
食べてる間は、ニコニコ笑ってたんだって。寂しさを紛らわせる事が出来たんでしょうね」
「へぇ……」
なるほど、と小悪魔は感心していた。しかし同時に、ある事に気付く。
「え。それじゃあ、今回のもひょっとして?」
「パチェね、私が帰ってきた後に言ってたわ。長雨が続くなら、チョコレートを置きなさいって。
それを食べてる間は、大切な人に会えない寂しさを紛らわせる事が出来るから、って。結構ロマンチストでしょ?パチェのくせにさ。
だから、パチェと雨とチョコレートと言えば、その辺に理由があるんじゃないかなって。詳細までは分からないけど」
くすりと笑うレミリアの顔を、小悪魔は茫然と眺めていた。
(それって、つまり……)
――― そして、翌日。
(パチュリー様は……)
昨日、レミリアから聞いた話によって生まれた有力な仮説。本棚の陰で、それをもう一度確かめる。
(――― パチュリー様は、恋をしているッ!)
どどーん、と脳内で轟く雷鳴。割れる大波。羽ばたくカモメ。でかでかと映し出される”東方”のロゴ。
彼女の仮説――― レミリアの話を聞く限り、パチュリーが梅雨の時期にチョコレートを常備させるのは、雨の所為で誰かに会えない寂しさを紛らわす為。
それはつまり、誰か好きな人に会いたくとも会えない、そんな悩みを抱えているという事。つまり、パチュリーは今まさに恋をしているのだ。
あの(少なくとも見た目は)無愛想なパチュリーが、誰かに恋焦がれている。その仮説はあまりに甘くスパイシーで、小悪魔のゴシップめいたイタズラ心にどばどばとエネルギーを注いでくれた。
(だだだ、誰だろう……男の人ってめったに来ないし、やっぱ知り合いの誰かかなぁ……)
小悪魔も知る男性の知り合いと言えば古道具屋店主・森近霖之助くらいだ。しかし、善人ではあるがとても色恋沙汰とは縁が無さそうな人物。
とすれば、同じ女性と考えるのが自然。このような考え方にすぐ及ぶのも、常識に囚われない幻想郷ならではか。
(パチュリー様と仲がいい人……魔理沙さんとか、アリスさんとか……いやいや、もしかしたら館内の誰か?お嬢様とか)
自分の事では無いのにどきどきと胸が高鳴り、顔が自然と紅潮する。女の子とは得てして、こういう噂話が大好きなもの。
(あ、でも雨で会えなくなっちゃうなら、館の外の人かなぁやっぱ。どうしよう、何だかすっごくステキなお話の予感……)
「……まー?小悪魔ー?ちょっといいかしら」
「ひ、ひゃい!?」
妄想を燻らせていたら、不意にその妄想の渦中にいた人物に声を掛けられ、小悪魔は声がひっくり返ってしまった。
「どうしたの?そんなに慌てて。なんか本を破いて、慌てて直してたとか?」
「いいい、いえ!そういうワケじゃないんです!何が御用ですか?」
割と近くの本棚から飛び出してきた彼女の様子に首を傾げるパチュリー。
大慌てで云われ無き嫌疑を否定すると、まあ元より冗談だったのもあってあっさり頷く。
「まあいいわ。ところで、悪いんだけれどお茶持ってきてもらってもいいかしら。無くなっちゃったの」
「はい、すぐに!」
空っぽのポットをお盆に乗せ、そそくさと小悪魔は図書館を出、一路厨房へ。
新しく淹れ直し、ついでに深皿に菓子類も盛って数分で帰還。
「お待たせいたしましたぁ」
「ありがとう」
きちんとカップに紅茶を注いでから渡す。ついでに深皿も一緒に置いた。見やれば、しっかりとチョコレートの区間が出来上がっている。
咲夜に頼んで、少し増やしてもらったのだ。
(チョコを食べてれば、か……応援してますよ、パチュリー様!)
「……?どうしたの、私の顔に何かついてる?」
「い、いえ!なんでもありません!」
ニヤニヤとした笑みを堪えきれないでいたら、パチュリーに見つかって慌てて首を振る。
そのまま彼女もチョコレートを一つ摘み上げ、口に入れながら本棚の方へと戻った。
(これはいい仮説を立てたよ、我ながら。これで、いつ大ちゃんが来ても大丈夫!)
大妖精と二人で、パチュリーの”お相手”についてのオンナノコ議論に花を咲かせる。それが早くも楽しみでたまらない。
鼻歌交じりに、小悪魔は本を探し始めた。
・
・
・
・
翌日も、雨。豪雨では無いが、絶え間無く白いスクリーンを張り続ける梅雨の長雨。
ふと通った廊下の窓から空を見上げると、ハイスピードで流れていく黒い雲が頭上を覆っている。
(あんだけ速く流れてるなら、すぐに晴れてもよさそうなのにね)
心の中でぼやき、小悪魔は図書館へ戻った。
廊下よりマシなものの、やや湿度の高い空間。本を読みながら、ふと摘んだ自分の髪が、妙に重たい。
(雨はキライじゃないけど、やっぱこんだけ長いとなぁ……)
ドアの向こう、廊下を挟んでそのまた向こうにある窓の外。そこからの雨音すら聞こえてきそうなくらい、静かな図書館。
やたら長い一日は、ゆっくり過ぎていった。
「これで三日連続ね。いつまで降るのかしら」
夕食の席で、パチュリーがぼやいていた事を思い出す。
自室に戻り、窓の外を見る。真っ暗な視界の向こうにも、しっかりと雨粒のスクリーンが張られているのが分かった。
湿った空気を吸い込み、吐き出す。当たり前ではあるけれど、雨の匂いがした。
「明日はどうなるかな……」
ベッドの中でも呟きながら、眠りの世界へドロップアウト。
夢を見る事無く眠り続け、迎えたその翌日。雨は止んでいた。
「あ、降ってない!」
朝起きて、小悪魔の第一声はそれだった。
(やっと、大ちゃんとお話の続きができるかも……)
淡い期待を胸に食堂へ。
だがしかし、朝食の席でパチュリーから『また降ってきたわね』との報告を受け、ため息。
食べ終えた後で廊下の窓から空を見上げる。ぽつ、ぽつと雨粒をこぼす灰色の空。
(ストップ、ストップ……ここらで止んでー)
念じた瞬間、雨の密度は十倍に。昨日と同じ窓の外。再びため息をつき、彼女はとぼとぼと図書館へと足を向けた。
雨が降るようになってから、ため息の回数が増えた気がする。湿気が頭をふやけさせてしまったのだろうか。
「まあ、しょうがないよね……」
わざと声に出して言い、それから彼女はいつもの仕事に戻った。
その日一日は特に何も起きず、例の謎に関しても強力な仮説を手にしたのでそれ以上の推理の余地が無く。
本を並べて、整理して、読んで、お茶淹れて、時折なかなか来れない親友に思いを馳せて。
(……退屈だなぁ)
お預けを食らった気分で、小悪魔はぼんやりと消化の遅い午後を過ごした。
彼女の願いに反し、そのまた翌日も朝から雨模様。
(今日も、大ちゃん来れないのか……)
これで五日連続だ。
手持ち無沙汰で、特に何もする気が起きなくて。とりあえず、と皿からチョコレートを摘むまま。
「パチュリー様、お仕事終わりましたぁ」
「ご苦労様……って今?随分と時間かかったのね」
その日の仕事を終え、報告するとパチュリーからは以外そうな声が上がる。
え、と呟いて時計を見やれば、既に午後三時を回っていた。
確か、午前中のいつからかやっていた筈なのだが。それに、いつも通りの業務なので時間もさしてかからない――― 今までなら。
「も、申し訳ありません」
「いやまあ、別に時間制限なんてないから自分のペースでやってくれていいのだけれど。
いつものあなたに比べて、随分と遅かったからちょっとね。怒ってるワケじゃないの」
頭を下げる小悪魔に、パチュリーはそうフォローした。
仕事を終え、ここからは自由時間。なのだが、どこか落胆した様子で本棚群へ背中を溶け込ませていく小悪魔の様子に、彼女は何事かを考える。
「………」
雨は、まだ止まない。
・
・
・
・
止まない雨が続くにつれ、小悪魔の顔に見える陰りも濃くなりつつある。
「今日は、これお願いね」
「分かりました」
パチュリーに示された本の山を、きちんと整理して本棚へ戻す作業。
いつもの彼女であれば、小一時間で終わるような簡単な仕事だ。
数冊の本を抱え、とある区間の本棚へ。
(これと、これと……)
最初はひょいひょいと本を仕分けていた彼女であったが、単純作業には雑念が付き纏う。
(あ、これ……)
積んでいた本の中にふと、先日自分も読んだばかりのチョコレートを冠したタイトルの小説を発見。
偶然、パチュリーも読んだらしい。
(そういえば結局、パチュリー様の好きな人って誰なんだろう。大ちゃんに相談できればなぁ)
その本を手にしたまま、黙考。先日までの、情報集めに奔走していた日々。そして、そのもう少し前の、大妖精とお喋り議論に花を咲かせたあの日を思い出す。
(もう、ずっと来てないんだなぁ……大ちゃん。いつ来てくれるのかな)
長く降り続く雨に、大妖精の訪問もすっかりご無沙汰。小悪魔としては、積もる話はいくらでもあるのだから、とにかく会って話したい。
別にそれが無くとも、毎週の楽しみだった親友と過ごす時間がずっと得られず、寂しいと明確に感じている事を否定するつもりは無かった。
(あの時、わざわざ止めずに二冊とも持ってってもらえばよかったかな。こんなに長く続くなんて思わなかったし。
そうだ、チョコレートに関する本を探してる時に面白い本も見つけたんだった。
大ちゃんにも読んでもらいたいけど……あ、そういえば大ちゃんがこないだ……)
「………」
気付けば、大妖精の事を考えたまま完全にフリーズ。我に返った頃には、一時間近い時間が経過していた。
「お、終わりました~」
「また随分かかったわね……そんな顔しないで、怒ってないってば。とりあえずご苦労様」
慌てて残りを片付けたが、パチュリーにまた同じような事を言われてしまった。
落胆しつつ、彼女は椅子に腰かけて頬杖。
(早く雨止まないかな……こんな調子じゃ、また怒られちゃうよ)
怒ってない、というパチュリーの言葉は、どうやら頭に入らなかったようだ。
分かってはいても、別の事――― 大妖精の事――― をふとした拍子に考えてしまう、その癖はどうにも抜けそうになくて。
雨は、まだまだ止まない。
・
・
・
・
・
「はぁ~あ……」
もう何度目か分からない、ずっしりと重いため息。
それから三日経って尚、雨が止む気配は無かった。
厳密にはずっと降り続いている訳では無いのだが、一度止むのが夜中だったり、小一時間程度で再び降り出すのだから結果的には変わらない。
その日も朝からしとしと。小悪魔は窓枠に肘をつき、全力投球中の雨雲を恨めしく見上げる。昨日より、少しばかり空は明るいかも知れないが。
前述したが、雨は決して嫌いでは無い。問題は、その雨が阻むもの。
(大ちゃん……)
かれこれもう、一週間以上会っていない親友の存在。日数にすれば短いけれど、彼女にとってはあまりに長い一週間。
(いつ来れるか分からない、とは言ってたけど。まさか、こんなに長いなんてさ)
平気だと思ってた。だが、いざ会わなくなってみれば一日があまりに長く感じられる。
チョコレートの謎についても、せっかく有力な情報を掴んだのだから共有したいし、その話題で盛り上がりたい。
いつもの事になっていたけれども、一緒に本を読んで過ごす時間がいかに大切だったかも。
全ては、会わなくなってみて気付く。
(大ちゃんに会いたいなぁ……)
一人でいると、すぐにその思いが脳裏を過って、手が止まる。
現に今も、図書館から抜け出して、今すぐにでも雨が止まないかと待っている自分がいる。
どれくらい、そうしていただろうか。思いを募らせる小悪魔の背後に、影。
「何してるのよ、こんな所で」
「ひゃああ!?」
デジャヴを感じるシチュエーション。不意に背中をポンと叩かれて、思わず口を突いて出た悲鳴が廊下中に木霊した。
慌てて振り返れば、パチュリーの姿。どこか困ったように眉を垂れて、ふぅ、と一息。
「あっ、その……ご、ごめんなさい!」
「呼んでもいないから、どこに行ったのかと思ったわ。ほら、口開けて」
「はい?」
「いいから口を開く。はい、あ~ん」
「あ、あ~」
かと思えば、口を開くよう要求された。訳の分からないまま、小悪魔はぱかっと口を開ける。
次の瞬間、ぴしっ、とパチュリーは指で弾くようにして、彼女の口の中へ何かを放り込んだ。
「あむ」
反射的に口を閉じる小悪魔。口の中に広がる、優しい甘さ。
(……チョコレート?)
彼女が持っていたのはチョコレートだった。
もぐもぐと口を動かしながらその行動の真意を探ろうと思ったが、その前にパチュリー自身が答えを提示してくれた。
「おいしい?少しは憂鬱な気分も紛れたでしょ。さ、お仕事お願いね」
「わ……わかりまひた。んぐ」
「ほらほら、戻るわよ」
何とか返事を返すとパチュリーも頷き、小悪魔の背中を押していく。
いざ図書館へ戻ると、チョコレートを更にいくつか渡された。
「これ食べながらでいいわ。また頻繁に手を止められると、あなたの自由時間も少なくなっちゃうわよ」
「は、はい」
くすりと笑って、彼女はいつものテーブルへと戻っていった。
流石に直接言われた手前、手を止める訳にもいかない。勧め通りチョコレートをかじりつつ、小悪魔は蔵書整理を開始。
昨日までとは打って変わり、彼女の作業ペースは実に順調だった。
(これって、チョコレート効果かな?)
そんな冗談めいた思いが浮かぶ。とその時、本をスポスポ棚へ戻していた小悪魔の手が止まった。
(……あれ?)
ふと脳裏を過る、既視感。
その原因を脳内で辿っていく。さっきの話?違う。昨日?一昨日?いやそれも違う。
そう、それはレミリアとの会話―――
「ぱ、パチュリー様!」
それに気付いた時、小悪魔は残りの本をその場に置き、テーブルへと駆け出していた。
「どうしたの、そんなに慌てて」
パチュリーは急に飛び出してきた彼女の様子に、首を傾げて応えた。
そんな彼女の視線を正面から受け止めたまま、小悪魔は深呼吸。
気持ちが落ち着くと、その目をしっかり見据えながら彼女は意を決して切り出す。
「あの、質問なんですが……」
「何かしら?」
「パチュリー様は、どうして雨の時期になるとチョコレートを出させるんですか?」
・
・
・
・
ただでさえ静かな図書館が、静寂を極める。
しぃん、とした空気を破ったのはパチュリー。
「……やっと気付いた?」
「いえ、もう少し前から。でも、理由が分かりかけたのはついさっきです」
「そう。まあ、あなたの仮説もなかなか面白いと思うわよ」
「え、え!?」
びくり、と小悪魔は肩を竦ませた。その様子を、実に楽しそうな表情でパチュリーは見つめている。
「なんてね。やっぱり何か考えてたのね?」
「な、な、何でそんな」
「あなた、こないだからチョコレートってつく本ばっかり読んでるんですもの。あ、気付いたんだなって。
すぐに訊きに来なかったのも、大方予想済み。そういうの好きそうだし」
完全にパチュリーに読まれていたようで、少々恥ずかしさが込み上げる。染まる頬。
「で、あなたはどんな仮説を?」
「あ、え、いや、その、えっとぉ」
「言うのが恥ずかしいような仮説なのね?ひどいわ。この辺は悪魔というか何というか」
「うぅ~……」
そう言って小悪魔をからかうパチュリーは、本当に楽しそうだ。
一しきり笑って、彼女は少しばかり真顔に戻る。
「いやいや、別にあなたをいじめるつもりはないのよ。理由を、私の口から聞きたいんでしょ?」
「は、はい」
真っ赤な顔が未だ戻らない小悪魔がそう返すと、うん、と頷いて彼女は背筋を伸ばした。
「こないだ確認したんだけど、レミィに聞いたんだって?昔の話」
「ええ、まあ。妹様をチョコレートでっていうお話は伺いました」
「なるほど、それなら話は早いわね。理由はそこにあるの。そこまでは推理してたんでしょう?」
「はい。当初の仮説と、今しがた思いついた仮説。方向性は大分違いますけど、どちらもそこを介しています」
「えらいっ。なかなかいい着眼点ね」
褒められれば悪い気はしない。頬が緩む小悪魔に、パチュリーは続けた。
「さて、それじゃあお話しましょうか。なんで毎年、梅雨にチョコレートを出させたのか。
毎年とは言っても、私がここに住むようになった当初からじゃないわ。かと言って、あなたが来てからでもない。
いつからか……分かる?あなたの仮説が正しいかは、そこ次第ね」
「い、言わなきゃダメですか?」
「もちろん」
またしても頬を染める小悪魔と、やっぱり楽しそうなパチュリー。
暫しもじもじと下を向いていた彼女は、ようやく顔を上げた。
「えぇっと……私と……だ、大ちゃんが仲良くなってから、ですか?」
「ご名答。もう分かってるみたいね」
大きく頷き、パチュリーは口を開く。
「あなたと湖の大妖精。いつの間にか仲良くなって、今ではすっかり親友……いえ、それ以上の関係かしら?パートナーとでも言うべきな。
あの子の訪問間隔も、以前に比べてかなり短くなった。この図書館における、紅魔館外の人物では一番の常連よ。
今では二日か三日に一度かしら。もっとも、あなたがそうさせてる節もあるけれど」
「へ?」
「あなた、こないだ一冊しか本貸さなかったわよね。
あれは言わば”回転率”を上げる為ね?またすぐに、あの子がここへ来るように」
「………」
「それが悪いとは言わないわ。あの子も、あなたに会うのを楽しみにしてる。分かるもの。
まあ、訪問間隔の短縮はそれだけじゃなくて、単にあなたとあの子の距離が縮まった事を表している」
どこか得意気な様子でパチュリーは語る。
「で。あなたの方が知ってるとは思うけれど、あの子は随分と几帳面で丁寧よね。
借りた本を汚すような、或いはその危険が及ぶような真似は決してしない。ここでお茶を飲む時も、本をちゃんと閉じて隅に寄せてる。
だからあの子は、雨の日はここへ来ない」
ふとした拍子に本が濡れる事を恐れて、傘を使うという手段も取らない。
「ただの雨なら一日や二日で止むからいいけれど、梅雨ともなればそうはいかない。
平気で一週間降り続く事だってあるわ。そうなれば、その間はここに誰も来ない。
あの子だって例外じゃない。その間、あなたは親友に会えない日々を過ごす事となる」
小悪魔はずっと黙って彼女の話を聞いている。『あの子』という言葉が出る度に、微かに視線が揺れた。
「普段のあなたはよくやってくれてるわ。けど、梅雨になるとどうもね。寂しいからか、何も手に着かない。
頭の中はあの子の事でいっぱい、仕事も上の空。子供みたいね……っと、まだ子供か。
あなたのその勤務態度を責めるつもりはない。好きな人がいるって、とっても素敵な事ですもの」
当初の自分の仮説を思い出し、何となく安堵する小悪魔。パチュリーも、人を好きになった事があるのだろうか。
彼女の話を聞くのに一杯一杯で、小悪魔は彼女が発した『好きな人』という言葉に注意を払えなかった。
「でもまあ、お仕事はちゃんとやってもらわなくちゃってコトで。そこでチョコレートの出番って訳。
過去に泣いてる妹様ですら笑顔に変えたこの甘い魔法なら、きっとあなたを癒す事も出来るんじゃないかってね」
小悪魔は、先まで着手していた仕事を思い出す。ここ最近は手に着かなかったいつもの業務が、今日は順調だった。
「とまあ、これが真相よ。
何故梅雨にチョコレートを出すのか?それは大好きな人に会えなくて泣きそうな、寂しんぼな半人前悪魔の強壮剤。
……こんな所でどうかしら?」
言い終え、パチュリーは小悪魔の反応を待つ。
彼女は暫し茫然とその顔を見つめていたが、不意に口をゆっくりと開いた。
「――― ありがとうございます、と言いますか……申し訳ありません、と言いますか……えっとぉ……」
「どうしたの?」
口ごもる彼女の様子に、パチュリーはそう尋ねる。
「その、パチュリー様が私の事を考えて下さってた、という事が、本当に嬉しいんですけど……。
でも、それってつまり私がちゃんとお仕事が出来てないって事ですし……それが申し訳なくて……」
上手く言えない、といった様子の小悪魔だったが、パチュリーは首を横に振った。
「そんな事ない。さっきも言ったじゃない、あなたが悪いと思った事はないって」
そう前置きし、パチュリーもまた、その素直な心情を吐露した。
「正直に言ってあげると、あの子の訪問を私も楽しみにしてるのよ。
いつも仲良しなあなた達を見てると、何だかとっても素直で、優しい気持ちになれるの。
直接なんて恥ずかしくて出来ないし、私にカウンセラーの素質はない。だけど、何とかあなたを応援してあげたくて。
だから、こんな回りくどい方法を取ったのよ。ま、単に私も館の皆も食べたがってるっていうのもあるけれど」
先の意地悪なものとは違う、見守るような優しい笑みでそう語った。
「今の発言は、忘れてね。それか心にちゃんとしまって厳重に施錠する事。誰かに話したりしたら、あなたをチョコレート風呂につけて固めるわよ」
「い、言いませんってば……」
すぐにジト目に戻るパチュリーに、焦って答えつつも小悪魔は思わず笑ってしまった。
二人で笑っていると、不意にドアの開く音。
「失礼致します」
入って来たのは咲夜だった。手にはお盆、その上には菓子類がてんこ盛り。
「どうしたの?」
「安売りの関係で、沢山お菓子が手に入りましたので……追加でもと思いまして。宜しければ、召し上がって下さい」
「ありがとう、頂くわ」
「あ、それと……小悪魔、ちょっといい?」
「私ですか?」
テーブルにお盆を置きながら、不意に彼女は小悪魔の方を向いた。
「お嬢様から、あなたに伝えるよう言われたんだけれど……外。雨がもう止みそうだって」
「ほ、ホントですか!?」
「ええ。雲も結構切れてきてるし、そろそろ梅雨も明けるのかしらね。じゃ、伝えたわよ」
ぽん、と彼女の頭に手を置き、深々と一礼してから咲夜は去っていった。
ドアが閉まる音。その一拍後で、小悪魔もまた駆け出した。
少し重い図書館のドアを開け、廊下へ飛び出す。数人のメイドが固まっている、その横の窓から空を見上げた。
あれ程長く続いていた霧雨は、気付けばもう小降りを通り越して、ぽつぽつ程度。もう傘無しでも外へ出れそうなくらいだ。
垂れ込めていた灰色の雲も、所々が切れて久しぶりの青空が覗いていた。遠くの空には、もう雲がかかっていない。
「これ以上ないくらいのベストタイミングね」
いつの間にか背後にいたパチュリーがそう呟くと、後ろから小悪魔の肩に手を置く。
「まさか、あんなに恥ずかしい事言わせておいて、何もしないなんて言わないわよね」
「え?そ、それって」
「お仕事の続きは明日で……ううん、私がやっておくわ。だから、行ってきなさい」
驚いて振り返る。『気が変わるわよ?』と、冗談めかして笑うパチュリーがそこにいた。
「は……はい!ありがとうございます!」
勢い良く頭を下げ、小悪魔は駆け出した。廊下は走るな、とは敢えて注意しなかった。
玄関へ向かう前に、厨房へ寄り道。袋を片手に、彼女は玄関を思いっきり開け放った。
(――― もう、すぐ。すぐに、雨は止むから)
雨上がりの匂いを胸一杯に吸い込んで、小悪魔は地面を蹴った。
(待っててね、大ちゃん!)
――― ほんの少し。飛べばほんの数分。
湖もあっと言う間に飛び越えられる。もうすぐに、あなたの下へ行くから―――
「うわぁっ!?」
「きゃっ!?」
湖のほとり。ひたすらに飛ぶ事だけを考えていた小悪魔の目の前に、霧に紛れて突如現れた人影。
低空で転びそうになり、互いに上がる悲鳴。だが、その声を彼女は聞き逃さなかった。
「え……だ、大ちゃん?」
「こあちゃん、なの?」
聞き間違える筈も無い、八日ぶりの声が聞こえた。
風が吹く。雲が流れて、ずっと覆い隠していた太陽の光をとうとう零した。
同時に、霧を少しだけ吹き飛ばす。
「あ……」
不意に差し込んだ陽光を、まるで夏風に揺れる向日葵のようなグリーンの髪が反射する。
穏やかな風に、揺れるサイドテール。透き通った薄氷にも似た羽。
この一週間、あれ程待ち焦がれた親友がそこにいた。
「えへへ、久しぶりだね。ずっと雨が降ってて、なかなか会いに行けないから寂しかったんだ。
でも、何だかやっと晴れそうだったから、つい家を飛び出して来ちゃった。本当に晴……」
「だ……大ちゃんだ!ホントに大ちゃんだぁ!!」
「きゃあ!」
もう自分でも制御が効かなくて、小悪魔は全力で大妖精に抱きついていた。
がっちりと首から肩に組み付いた腕はそう簡単には外れそうにない。
「あ、え、えっと……わ、わたしも嬉しいな……」
控えめに、彼女もまた小悪魔の背中へ腕を回し、ぎゅ、と力を込めた。
(は、恥ずかしいけど……)
こうしていたい、という思いがはっきりあった。
しかし、いつしかさんさんと夏の太陽が照りつけ始めた湖上。暑くなってきて、互いに名残惜しそうながらも身体を離す。
「ご、ごめんね!いきなり……その、久しぶりだったから嬉しくて」
「い、いいんだよ……わたしだって、おんなじことしてた……と思う……」
上気した顔は暑さのせいじゃない。
恥ずかしさに耐えかねて、大妖精は話題を変えた。
「そ、それで。こあちゃんはどうしてまた?」
「パチュリー様がね、大ちゃんに会いに行っていいって言ってくれたの。だから嬉しくって……」
「あ、じゃあ今からうちに来る?せっかく来てくれたんだし、たまにはさ」
「いいの?じゃあお邪魔しちゃおうかな」
「うん!それじゃ、こっち」
連れ立って、湖の外周に沿って飛ぶ。すぐに大妖精の小さな家が見えた。
その玄関前で、小悪魔は不意に手にしていた袋を示す。
「そうだ。大ちゃん、お土産にチョコレートいっぱい持ってきたんだ!一緒に食べよ?」
「ありがとう!じゃ、わたしお茶いれるね」
紅魔館を飛び出す前に、咲夜に頼んで貰ってきたものだ。袋にぎっしりと、数種類のチョコレートが詰まっている。
その内一つを取り出し、待ち切れないとばかりに彼女は包装紙を剥がした、が。
「あり、ちっと融けちゃってる」
包装紙の内側に、融けたチョコレートが少しだけ付着。それ自体もやや柔らかくなっていた。
「雨止んで、急に暑くなったからね。しょうがないよ」
大妖精はそう言いながら玄関を開け、中を示しながら笑った。
「こうしてお話できるの、ずっと楽しみにしてたんだよ。さ、どうぞ上がって!」
心からの嬉しそうな笑顔を向けられ、小悪魔の興奮もピーク。
(あ~、大ちゃん……もう私、だめかも)
もう何も考えられない。今の自分は、まるで日向で融けるチョコレート。
袋の中のチョコレートは、さんさんと注ぐ夏の太陽で融け出している。
そして、今の小悪魔もおんなじ。融けてしまいそうな程の幸せな気分。
目の前にいる大妖精の眩しい笑顔を見て、自分でも納得出来た。
――― こんなにも明るい太陽が目の前にあったら、どんなチョコレートでも融けちゃうよ。
お天気とチョコレートの、不思議な関係。
食堂、図書館、或いはちょっとしたティータイムのお茶受け。
銀紙に包まれた小さなチョコレート。特にメイドにも大人気で、あっという間に無くなってしまう。
たまたまなのか。旬なのか。誰かの好みか。はたまた、購入者である十六夜咲夜の気まぐれか。
とうとう気になって尋ねてみた所、意外な事実が発覚した。
「これ?実はね、パチュリー様のご要望なのよ。長い雨が続きそうな時は、チョコレートを常備して欲しいって」
――― ますます混乱した。
”お天気とチョコレート”
・
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「お待たせいたしました~」
ことり、と硬い物同士がぶつかり合う軽い音。それと共に、ふわりと漂う紅茶の香り。
司書見習いの小悪魔が、お盆に乗せたカップをそっとテーブルへ置く。
「ありがとう」
読んでいた本からちら、と顔を上げ、司書のパチュリー・ノーレッジは礼を言った。そしてすぐ本へ視線を戻す。
冷めない内に飲んでほしいなぁ、と思いつつ、小悪魔は自らの分のカップを別の席へ。
それから、同じくお盆に乗せていた大きめの深皿をテーブルへ。そこには山と菓子類が積まれている。
小悪魔がお盆を食堂へ返し、戻って来た時には既に、パチュリーは自分の周囲に空き袋や銀紙のフォーメーションを組み立てつつあった。
本を汚さないように食べるなど、彼女にとっては朝飯前だ。
(お行儀悪い、って怒られるかと思ったけど)
考えながら本を開き、自分もクッキーを一枚つまむ。
場所は、お馴染み紅魔館内大図書館。初夏の香りが漂う六月の終わり。
昼下がりの時間に、いつも通りのティータイム。全くもって変わらない日常が展開されていた。
「あ、お片付けします」
「悪いわね」
溜まりつつある、パチュリーの周りに散らばるゴミを片づけ、小悪魔は一息。
(今日は何だか静かだなぁ。のんびり本でも読もうかな)
紅茶の香りと少々のカビ臭さが、無性に心地良い。自分の居場所はここだと、改めて実感出来る。
お祭り好きの小悪魔だが、こんな静かな日も悪くない。そっと、手にした本を開こうとして―――
「こんにちは~」
ノックと共に不意に静寂を破った、来訪者の声。がたんっ、と騒々しい音を立てて小悪魔は椅子を蹴り、立ち上がる。
「はぁい!今開けま~す!」
どたどたどた、とダッシュで入り口ドアへ。続いてばぁん!と開かれるドア。
「やっぱり大ちゃん!ほら、早く入って!ちょうどお茶いれたんだ」
「お、お邪魔します……」
小悪魔の親友たる湖の大妖精の訪問により、静かな日常はあっけなくいつも通りの騒がしい日常へ。
やれやれ、と本で隠しつつパチュリーはため息をついた。
(ま、あれだけ嬉しそうなのに水を差すのもね……)
そう思い直し、名無し二人の方を見やる。小悪魔がいそいそとカップを用意し、恐縮しつつも嬉しそうな顔の大妖精。
色々と共通点も多く、まるで前世からの盟友の如くに意気投合し、仲の良い二人。
そんな二人を見ていると、何故だか分からないが優しい気持ちになれるのだ。
無性に微笑ましくて、頬が緩んだ所で小悪魔と目が合った。
「あれ。パチュリー様、何かいいコトでもあったんですか?」
「現在進行形よ」
「へ?」
彼女の言う意味が分からず、紅茶のポットと一緒に首を傾ける小悪魔。
そのまま暫し角度を保っていたが、大妖精が不意に叫んだ。
「ちょ、こあちゃん溢れてる溢れてる!」
「え?あっ、わぁ!」
「早くふかなきゃ」
「ふきん取ってくる……あっ、その本どかして!」
首と一緒にポットを傾け続けた結果カップからは紅茶が溢れ出し、我に返った小悪魔は慌てて拭く物を取りに図書館を飛び出していく。
騒がしい足音が遠ざかった所で、パチュリーは陳謝。
「ごめんなさいね、いきなり騒々しくて。あの子ももう少し落ち着きってモノを……ぶつぶつ」
「い、いえいえそんな」
本を膝の上に避難させ、大妖精はまたも恐縮した。
静けさなどあっと言う間に吹き飛んでしまった図書館においてしかし、パチュリーはどことなく嬉しそう。
「ごめんね、すぐに新しいの持ってくるから。お菓子でも食べて待っててよ」
「そうね。ほら、遠慮しないで」
「あ、それじゃ……いただきます」
濡れたカップをお盆に乗せ、小悪魔は再び奥へ。彼女に続いてパチュリーにも勧められ、大妖精はぺこりとお辞儀しつつお菓子の皿に手を伸ばす。
「ん、おいひい」
とりあえず、と手にしたビスケットをくわえ、噛み砕く。舌の上で広がる甘さに、思わず素直な感想が口を突いて出た。
「でしょ?咲夜がいつも買ってきてくれるんだから、ハズれはないわ。作ってくれると、もっといいんだけれど」
「咲夜さんのお菓子がいつでも食べられるって、すごくうらやましいです」
「紅魔館に住まう者の特権ね」
「そうそう、だからさ、大ちゃんもここで一緒に司書やろうよ!いっそ住み込みでさ」
どこか得意気なパチュリー。するといつの間にか帰って来ていた小悪魔が、新しいカップを置きながら大妖精に笑いかける。
「え、えぇ?個人的にはすっごく興味あるし嬉しいんだけど……」
「だったらやろうよ~。私がお仕事教えてあげるから。いいですよね、パチュリー様!」
どうやら小悪魔は割と本気のようで、大妖精の肩に手を置いて軽く揺さぶりながらパチュリーに頼み込む。
懇願の視線を向けられ、彼女は微笑みと苦笑いをブレンドした絶妙なスマイルを浮かべて答えた。
「あなたの気持ちは分かるけれど、本人の事情もあるし、新たに人を雇うならレミィにも相談しないと。
雇用って、そう簡単なモノじゃないのよ。だからすぐには無理ね。定職に就かないと生活出来ない、ってくらいに困窮したなら別だけれど」
「え~、ダメですかぁ。大ちゃんと一緒のお仕事なら、今の数倍は働きますよ、私」
「だったら今から数倍働いて、いざこの子が来たら数十倍働いて頂戴」
「ま、まあまあ……」
唇を尖らせ、ブーたれる小悪魔にパチュリーは肩を竦めた。
頬を染めつつもどうして良いか分からず、二人を宥めるような言葉を口にしながらもう一度皿に手を伸ばした大妖精だったが―――
「……あれ?これって」
手に取った物を示し、尋ねた。金色の銀紙――― と言うと語弊があるが―――に包まれた、小さな直方体のお菓子らしき物。大妖精の指先に、硬い感触を返してくる。
「ああ、それ?チョコレートだけど……どうかした?」
意外そうな表情を浮かべたパチュリーに、大妖精は首を振った。
「あ、いえ。私も好きですよ、チョコ。ただ、今の時期にチョコって珍しいなって」
そう言うその横でパチュリーはチョコレートを一つ摘み上げ、包装紙を剥がして大妖精の口元へ。
「まあまあ、細かい事はいいじゃない。ほら、口開けて」
「は、はひ……んぐ」
素直に口を開けると同時に、ぽいっと口の中へチョコレートを放り込まれた。
じわり、となめらかに溶け出す感触が優しく、心地良い。
「ほら、笑ってる。美味しけりゃ細かいコトはよし。もう一個どう?」
「いただきます……けど、ちょっと待ってくらはい……んっ……」
口の中のチョコレートを先に融かそうと、頬に手を添えて口をモゴモゴ動かす大妖精。傍から見れば実にキュート。
しかし、普段なら穴の開くほど観察してくるであろう小悪魔は、何やら考えを巡らせている様子であった。
(チョコレート、か……やっぱこれって、偶然じゃないよね……)
以前から、薄々気付いてはいた。しかし、今以って確信する。
大妖精は忘れているようだが、毎年この時期 ――― 梅雨頃を含む初夏 ――― になると、必ずチョコレートが出てくるのだ。
去年も、その前の年もそうだったし、そのまた前もそうだった気がする。
暑くなってくる時期、融けやすいチョコレートはあまりおやつに用いられないだろう。しかし、紅魔館においてはその限りで無い。
偶然とは思えず、小悪魔は思案した。
(このナゾ、何とかして解き明かせないかな)
直前まで読んでいた推理小説の影響か、探偵気取りでゆっくり顔を上げる。
梅雨頃になると決まって出てくるチョコレートの謎。どことなくメルヘンを感じさせるその題材に、一人興奮する小悪魔であった。
その真後ろで、パチュリーの手によって次々と口へチョコレートを押し込まれる大妖精。
それを見たら小悪魔はきっと更に興奮してしまうだろう。
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翌日は、朝から雨が降っていた。
とは言え窓も無い図書館では外の天気に左右される事は少なく、至っていつも通り。
強いて言うなら若干湿度が高いので少しばかり本が心配だ。
「結構降ってるわね、雨」
午前中、いつもの仕事をこなしていたらパチュリーに声を掛けられる。
小悪魔は頷き、答えた。
「昨日曇ってましたから、予想はしてたんですけど」
「この分だと、当分止まない気がするわ。梅雨の雨は長いし、嫌になっちゃう」
「本が湿気を吸っちゃうのが怖いですね……パチュリー様、乾燥させる魔法とかできませんか?」
「出来るけど、やりすぎると喘息に響くのよね……」
はぁ、と憂鬱そうなため息。
自分が乾燥させる魔法を習得すれば、強すぎず弱すぎず、適度な湿度に保てそうな気がした。
後で適当な魔導書でも覗いてみよう――― などと考えつつ、小悪魔は仕事に戻る。
「パチュリーさまぁ、お仕事終わりました~」
「ご苦労様、とりあえずしばらくは好きにしてて」
「はぁい」
てきぱきと仕事を片付け、掴み取った自由時間。
今日もテーブルの深皿にはお菓子が山と盛られ、その中にはしっかりとチョコレートもある。
それを一つ手に取り、銀紙を剥がして口に放り込みながら小悪魔は本棚の海へ。
(あま~い)
自然と笑みがこぼれる。それに自分でも気付き、小悪魔は本を探しながらも考えた。
(そんなに難しい問題じゃなくて……普通においしいから、なのかも)
毎年冬にチョコレートが出たとて、誰も疑問には思わないだろう。それと同じで、夏であっても美味しいから毎年出てくるのではないか。
事実、紅魔館に住まうメイドから当主に至るまで大人気だ。単純に出てくる回数が多いから、偶然毎年梅雨の時期に被っただけなのかも知れない。
「でもなあ、それじゃなんだか夢がないよ」
思わず口に出す。有力かつ現実的な仮説を手に入れたが、その通りならあまりに普通過ぎる。
それで納得するのも癪なので、どうせなのだから、きちんと最後まで解き明かしてやろう――― 小悪魔は決意を新たにした。
いくつかの本棚を巡り、やがて食品に関する書物のコーナーへ。料理の本や栄養に関する本、何故か食品サンプルの作り方を記した本まである。
とりあえず、と彼女は栄養学に関する本を手に取り、ぱらりとめくってカカオのページを開く。
「ん~……」
暫しページとにらめっこの小悪魔だったが、あまりピンとくる情報は得られない。
ポリフェノールが健康にいいとか、チョコレート自体がカロリー補給にとても優れているとか、為になる話ではあったのだが。
(健康のため、っていう線もなくはないかもしれないけど……)
小悪魔は暫しの思案。健康というより、含まれる成分の作用を狙ったものか、という仮説を立てる。
しかし、ポリフェノールやカフェインならココアやコーヒーでも摂取可能だ。わざわざチョコレートである必要は無い。
(そもそも健康目的だったとして、何を狙ってるの?とか)
本に指を挟んで閉じ、更に思いを巡らせていた小悪魔は、不意に閃いた。
「あ……そもそもこれって、誰が用意してるんだろう」
そうなのだ。梅雨時に出てくるチョコレートに意図があるとして、誰が出させているのか。
それが分かれば、一気に解明へ近付く――― そんな気がした。
「お菓子の出所か……」
呟くと、彼女は本を棚へ戻す。
「パチュリーさまぁ、ちょっとお外へ出てきます」
「ん」
パチュリーがいるであろう方向へ声を掛け、小さな返事を聞き届けると、小悪魔は図書館の外へ。
湿気を少しばかり吸ったドアが、いつもより重い音を立てて閉まった。
・
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廊下に靴音を響かせながら、小悪魔は厨房を目指す。
窓の外は、しとしとと梅雨の長雨。非番らしい数人のメイドが、ぼんやりと雨粒の行く末を眺めている。
その後ろを通り、もう少し歩くと厨房へのドア。ノックし、開く。
「失礼します。咲夜さんいますか~?」
「いるわよ~」
間延びした声でメイド長を呼ぶと、同じく間延びした返事が返ってきた。
エプロンを身に着け、手には泡立て器。三角巾まで装備し、いかにも料理中ですと言わんばかりの風貌な咲夜が顔を覗かせた。
「ごめんなさい、お料理中に」
「別にいいわよ。お嬢様のご要望でね、冷たいチョコレートムース作ってたの。もうちょっとで出来るから」
「ありがとうございます……っと。あの、ちょっとお尋ねしたいことが」
「うん?」
ちょいと小首を傾げ、聞く体制の咲夜。
「いつもお茶の時とかに出してるお菓子なんですけど、あれって咲夜さんが買ってるんですよね?」
「ええ、そうよ。忙しい時は手伝ってもらう事もあるけど、基本的に買い出しは私だから」
納得した顔で頷き、小悪魔は続ける。
「ですよね。てことは、お菓子のチョイスとかも?」
「まあ、そうなるんじゃないかしら。結構バランスとか考えてるのよ?」
どうやら、全般的に咲夜が受け持っているらしい。ここだな、と判断し、彼女は核心へと踏み込んだ。
「で、ちょっと気になったんですけど。なんか最近、チョコレートが多いなぁって」
「あれ」
すると咲夜は一瞬驚いた顔をし、
「やっぱり、分かる?」
と尋ね返す。
「あ、なんとなく。で、その……今年だけじゃなくて、去年の今くらいにも……」
「……鋭いじゃない。よく覚えてるわね」
不意に褒められ、小悪魔はちょいとばかし頬を染める。
「あ、ありがとございます」
「そうね、あなたの言う通り。去年もその前もそうなんだけど、初夏から梅雨くらいにはチョコレートを意図的に多く出してるわ」
やっぱり、と彼女は内心で手を打つ。どうやら隠している訳では無いようだと、ストレートに尋ねた。
「そうなんですか。それって、咲夜さんのご判断で?」
「あ、ううん。そうじゃなくて」
すると咲夜は首を振った。今度は小悪魔が面食らう番である。
チョコレートの仕掛け人は、菓子類のチョイスを全て受け持っている咲夜では無い。
「え……じゃあ、誰が?」
率直な質問に、咲夜はふっ、と笑って答えた。
「これ?実はね、パチュリー様のご要望なのよ。長い雨が続きそうな時は、チョコレートを常備して欲しいって」
「……へ?」
疑問符で頭をポカリと叩かれた気分。意外な人物の名前が飛び出し、小悪魔は茫然とするしかなかった。
(……パチュリー様、が?)
出された物を黙々と食べるイメージしか無かったパチュリーの要望。
しかも、彼女の口ぶりでは、やはり梅雨時に狙って出して貰っているようだ。
「なんで……ですか?」
「それがね、教えて下さらなかったのよ。ひみつ~、って」
ひょい、と肩を竦める咲夜。
出所は分かった。しかし、その答えは小悪魔をますます混乱させるものであった。
『後でおやつ持ってくわね』と言う咲夜に少し力の無い笑顔を返し、彼女は厨房を後にする。
・
・
・
・
「む~」
翌日、再び図書館。
テーブルに頬杖をつき、小悪魔は唸る。
夜になっても暫し考えたが、どうしてもパチュリーと梅雨とチョコレートの接点を見つける事が出来ない。
(単純に好きだから、とか。雨が続いて気が滅入るから、好物でまぎらわす……)
そんな推理をしてみる。無理の無い仮説だとは思ったが、すんなりとは納得出来ない。
第一、パチュリーなら本さえ読んでいれば雨なんて気にしない、気がする。
この日もまた、朝から雨。そんなぐずついた空模様をまるで気にする事無く、パチュリーは本の虫。
時折ページを繰る音と紅茶を口に運ぶ音、お菓子の包装紙が立てるカサリという音以外は、静かだ。
(雨で気が滅入ってるようには……見えないや)
お菓子をつまんではいるが、本を読むペースは普段とまるで変わらない。
先の仮説を棄却し、小悪魔は背もたれに寄りかかって天井を仰いだ。ふー、と息をつく。
「わっかんないなぁ……」
「何が?」
思わず漏れた呟きをキャッチされ、パチュリーが不思議そうな視線を向けてくる。
「あ、いえ、その……なんでもないんです」
「そう?ならいいけど」
慌ててそう答えると、頷いて彼女は再び本に戻った。
梅雨時におけるチョコレートの出所がパチュリーと分かった以上、おいそれと悟られる訳にはいかない。
訊けば済む話なのかも知れないが、それは小悪魔のプライドが許さなかった。もう少し探偵を気取ってみたいだけ、とも言う。
それに、教えてくれるとも限らない。現に、買ってくるよう頼んだ咲夜には秘密にしているのだ。何か言えない理由があるのかも知れない。
(もう少し聞き込みとか、しないとなぁ)
現時点での捜査に行き詰まりを感じ、小悪魔は更なる調査を決める。
(そうだ、大ちゃんにも相談してみよっと。二人で考えればきっと何か……)
ふと思い付く。大妖精とはこれまでも色々とイタズラだの共同作業だのを共にこなしてきた仲、きっと協力してくれるだろう。何より二人ならもっと楽しい。
彼女の訪問はここ最近特に頻繁で、二日か三日に一度。そろそろ来る頃合いだと思い、顔を明るくしかけた彼女だった、が。
(……あ。今、雨降ってるんだった……)
梅雨と言うどでかい壁の存在を思い出し、みるみる顔に陰り。
大妖精は、借りた本を濡らしてしまう事を恐れて、雨の日は基本的に来ない。
(まあいいや、来たら相談だ。それまでに情報を集めよう)
思い直し、彼女は席を立つ。もう少し、書籍を漁ってみる事にしたのだ。
行きがけに深皿からチョコレートを二つほど――― 皿に残っていた全てを――― 摘み上げ、口に放り込みながら、小悪魔は本棚の間へと消えていった。
「あっ、チョコがもうない……」
パチュリーが皿を見てそんな呟きを漏らしたのは、彼女が去ってから数分後の事。
――― その日の夕食時、小悪魔が有無を言わさぬ勢いでパチュリーにおかずのミニハンバーグを一つ奪われる運命が定まったのは、恐らくこの時であろう。
・
・
・
・
それから二日後。相変わらずの曇天だが、三日間降り続いた雨は止んでいた。
結局、あれからチョコレートの秘密には進展無し。
そしてこの日、朝からしきりに窓の外を見に行き、落ち着かない様子の小悪魔。
「そんなに雨が止んだのが気になるの?」
パチュリーの問いに、はっとした顔を見せる。
「あっ、いえ……そのう……申し訳ありません」
仕事の能率が上がっていないのは彼女自身にも分かっていたので、陳謝してしまう。
そんな彼女の様子に、パチュリーは柔らかい笑みを浮かべた。
「大丈夫よ、今日は夜まで降らないと思うわ。あの子も来るんじゃないかしら」
「え!?あ、う……あうぅ」
小悪魔の心中をドンピシャで射抜いてみせ、焦る彼女をよそにパチュリーは少しばかり得意気な表情で読書に戻る。
「そこにある本を整理してもらったら、今日の仕事はおしまいでいいから。あの子が来る前に、さっさと片付けてしまいなさいな」
「は、はい!ありがとうございます!」
そう付け加えると、俄然張り切った様子で小悪魔は本を片付け始めた。
パチュリーが彼女を始めとした紅魔館の下働き組に慕われるのは、きっとこの辺に理由があるのだろう。
さて、午前中の遅れも取り戻し、昼過ぎには片付けを終えた小悪魔。そわそわと落ち着かない様子で、手にした本を読むペースもゆっくりだ。
そんな彼女の様子を、くすくすと笑いながら見守るパチュリー。静かに過ぎていく図書館の、湿った空気が突き破られたのは午後二時を回った辺り。
こつこつ、という小さなノックの音。本に集中していたら聞き逃していたかも知れない程の音だが、小悪魔は瞬時に反応を見せた。
「こんにち……」
「今開けますッ!」
同じく控えめな挨拶の途中に被せるように応対し、彼女はドアに肉薄。ガチャリという音と共に、外と繋がっているせいか、生暖かい空気が流れ込んでくる。
「えへへ、待ってたよ大ちゃん!さ、早く上がって!」
「あ、ありがとう。お邪魔します」
待ちかねた来客の登場に、小悪魔のテンションも上がりっ放しだ。いざやって来た大妖精も、そんな彼女にやや押され気味ながらも嬉しそうだ。
入り口から聞こえてくるそんなやり取りに、パチュリーは保護者精神ここに極まれりといった様子で笑いを堪えきれない。
そうこうしている内に二人が大テーブルまでやって来たので、彼女は慌てて本で顔を隠した。
「いらっしゃい」
「こんにちは、パチュリーさん」
普段は挨拶に頷きで返す彼女だが、顔を隠していたのでこちらから声を掛けた。大妖精も頭を下げる。
「さ、挨拶はこの辺でさ。こっちこっち」
「え、ちょ……きゃっ」
小悪魔は急かすように大妖精の手を取り、本棚の間へとぐいぐい。不意に引っ張られ、短い悲鳴が上がった。
本棚の間をいくつか抜け、図書館の隅。壁際に積まれた丸椅子を二つ出して並べる。二人でこっそり相談事をする時の指定席だ。
という事は、と大妖精は尋ねる。
「こあちゃん、なんか内緒話?」
「うん、そうなるのかな?いきなりごめんね」
「いいよぉ、そんなの。むしろ楽しみ」
妖精の血は争えないのか、大妖精は言葉通り何かに期待した顔。
思えば、小悪魔が『ごめんね』と言った時、『いいよ』以外の返答を聞いた事が無い、気がする。
「よかった。あのね、前来た時に大ちゃんもチョコレート食べたと思うんだけどさ」
「うんうん」
「それなんだけどね……」
小悪魔は、大妖精に自分自身の抱えている謎を洗いざらい話して聞かせた。ここまでに自分で立てた仮説も付け加えて。
「……というわけでさ、パチュリー様とチョコレートと梅雨!なにか、すっごいナゾが隠れてると思わない?」
「うん!こんな不思議なの、ミステリー小説の中だけだと思ってたけど」
魔法使いとチョコレート。まるで絵本のようなその響きに、大妖精も目をキラキラと輝かせて彼女の話を聞いていた。
小悪魔も自分と同じな彼女の反応に満足したのか、嬉しそうに目を細めて頷く。
「でしょ?だからさ、一緒に考えて欲しいなって」
「もちろん!」
二つ返事での即答。自分がかねてより考えていた事に、大妖精もまた賛同してくれたという事実。
言いようの無い幸せな気分に、思わずため息が漏れた。
「じゃあ早速考えてみよっか。まずさ、梅雨の時期とチョコレートの関連性から探してみようよ」
「そうだね。パチュリーさんとチョコレート、だけならそんなにおかしくない感じだけど、雨とチョコってよく分かんないもんね」
「アメとチョコ、なら分かりやすいんだけど」
「あはは、上手いコト言ったね」
けらけら、と大妖精が笑ってくれたのが嬉しくて、小悪魔もまた笑み。
「こほん……ありがと大ちゃん。では改めまして」
「うん。雨かぁ……湿気?おせんべいとかは湿気でダメになるからとか」
「でも、代替品が必ずチョコっていうのも変な話じゃない?他にもお菓子はあるし……」
「う~ん、そっかぁ。そういえば、前にビスケットとかクッキーも普通に出てたね」
「何かの代わりにチョコ、というよりは、チョコじゃないといけない理由があるんじゃないかなって思うんだけど」
ぎしっ、と椅子の前足を浮かせ、近くの本棚に手を着きつつ上手くバランスを取りながら小悪魔は続けて口を開く。
「チョコレート固有の栄養成分、って何かないかなぁ」
「ポリフェノールだっけ?あれとか身体にいいって聞くけど」
大妖精がポンと手を打つが、残念ながらそこは小悪魔が既に数日前通った道。
その事を告げると、大妖精もまたぎしり、と椅子でバランスを取り始める。
「よっ……と。難しいなぁ。パチュリーさんが健康に気を使ってるとしても、ワインとかのが飲んでそうだしね」
「そうなんだよねぇ。第一、健康に気を使うパチュリー様って想像できないや」
「もう、こあちゃんったら」
彼女が発する上司をネタにしたジョークに、大妖精も思わず苦笑い。だがまあ実際その通りではある。
健康に気を使うなら、本を読むばかりでなく軽い運動の一つでもするだろう。もやしっ娘の名を欲しいままにするパチュリーなのだから、健康面からのアプローチは無さそうだ。
「あれ、そういえば雨とチョコの話だったのに、いつの間にかパチュリー様とチョコの話になってたよ」
「確かに……でもいいんじゃない?分かりやすそうな方から掘り下げてく方が近道だよ、きっと」
「大ちゃんがそう言ってくれるとなぁ」
一度はばつの悪そうな顔をした小悪魔も、大妖精の言葉にふにゃりと照れたような笑顔。
えへへー、と互いに照れたような笑みを浮かべていたが、『あっ、いけない』と大妖精が不意に我に返る。
「本題に戻らなきゃ。パチュリーさんとチョコレート」
「そうだっけ。大ちゃんと話してると、それだけで楽しいからつい」
臆面も無い言い方の小悪魔だが、しっかりと頬を染めていた。
ぺちぺちと頬を叩いて冷まし、大妖精は再び考え出す。小悪魔もそれに倣った。
「この時期に何かバリバリ働いたりとかしてない?疲れた時は甘いものって言うし」
「ん~、別段そんなコトは。年中むきゅーオールウェイズリーディングブックインマイライフだから」
「食欲がなくて、あんまりご飯食べられないからチョコレートでカロリー摂取とかどうかな」
「実は、パチュリー様って意外と食べるんだよ。けどその割にあんまり太らないからうらやましいなぁ」
「栄養吸収率が悪いのかなぁ。んじゃ、チョコ食べ過ぎると鼻血が出るのかを調べてるとか」
「あっ、面白い……けど、梅雨との関連性が説明つかないんだよねぇ」
侃々諤々、議論は白熱するがなかなかこれという仮説に辿り着けない。
ふへー、と息をついた二人の頭上から、ボーンボーンと時計の音。
「あっ、もう四時かぁ。早いね」
「え、もう?」
のんびりと言う小悪魔だったが、それとは対照的に大妖精はどこか慌てた様子で立ち上がった。
「ごめんね、今日はそろそろ帰らなきゃ」
「えっ、もう帰っちゃうの?」
青天の霹靂、と言うには少々オーバーだが、ドアノブから急に襲い来る静電気よりも大きなリアクションで小悪魔は驚いた。
普段なら五時半、遅ければ六時近くまでいるはずの大妖精。彼女も長く居たいのか、段々と帰宅時間が遅くなる傾向があった。
それなのに今日は四時帰宅。想像よりも遥かに早いお別れに、小悪魔は動揺を隠し切れない。
「うん。実はね、前から博麗神社でプチ宴会やるって計画があってさ、わたしもお料理担当で呼ばれてたの。
最近は雨ばっかりでずっと延期だったんだけど、今日は止んだからやろうって話になって。
で、四時半には神社に行かなきゃだから、そろそろ帰って支度しないと……」
「そ、そっかぁ……あっううん。それならしょうがないよね。気にしないで。
今日の続きはまた今度にしよっか。私の方でも、情報集めとくからさ」
「ありがとう。そうだ、今日の本……どうしよっかなぁ」
久々に会ったのにもうお別れ――― 顔中に溢れそうになる残念な気持ちを押し隠し、小悪魔は笑った。
そんな彼女に笑みを返しつつ、大妖精は不意にこの日全く出番の無かった本の事を思い出す。
とりあえず、と中央の大テーブル付近まで戻った二人。大妖精は手近な本棚に歩み寄り、眺め始めた。
「ん~と……そうだな。あっ、これとこれ面白そう」
大妖精は何となく惹かれた二冊の本を抜き取る。どちらも小説で、短編集のようだ。
しかしここで、小悪魔が彼女を止めた。
「あっ、待って。大ちゃん、どうせまたすぐに来るんだし、一冊にしといた方がいいんじゃないかな」
「え、そう?」
意外な言葉に、大妖精は首を傾げる。
「わ、私はそう思うってだけなんだけど。もし早くに読み終わっちゃっても、もう一度頭から読むと違った感じで楽しめたりするし。
一冊の本をちゃんと隅々まで楽しんでから、次の本に移るのが一番楽しめる読み方なんじゃないかなって」
あたふたと弁解する小悪魔に、大妖精は目を細めて頷いた。
「そっかぁ、いいコト言うね。こあちゃんがそう言うなら、今日はこっちだけにしよっと」
無作為に、右手に持っていた方だけを小脇に抱える。もう片方を棚へ戻し、彼女はドアの方へ。
「それでは、失礼致します」
「あら、もう帰るの?」
意外そうな声を上げたのはパチュリー。先に小悪魔にしてみせたのと同じ説明をすると、彼女も納得したように頷いた。
「あなたも大変ね。どうせ霊夢あたりにねだられたんでしょうけど。
あんまりワガママな注文つけてくるようなら、霊夢のリボンでもスライスしてカルパッチョにしてあげなさい」
「そ、そんな。では、お邪魔しましたぁ」
労いながらも、なパチュリーの物言いに苦笑いし、大妖精は図書館を去ろうと一礼。
しかしその時、
「だ、大ちゃん!」
不意に小悪魔が彼女を呼び止めた。
「なぁに?」
別段不審がる事も無く、大妖精は応じた。
「あ、その……つ、次はいつ来れるのかなぁって」
呼び止めてから言葉に詰まった小悪魔は、もじもじと恥ずかしそうにしながらそれだけを尋ねる。
ん~、と少し考える素振りを見せ、大妖精は言葉を返した。
「まだ分かんないなぁ、明日も雨みたいだし。本読み終わったら来るつもりだけど、雨のこともあるから。
具体的にいつかは、ちょっと……」
「そ、そうだよね……あっ、ごめんね。ヘンなコト訊いちゃって」
「いいんだよ、気にしないでってば」
陳謝する小悪魔に、彼女は笑顔を向ける。
すると、今まで本を読みながら一部始終を聞いていたパチュリーが顔を上げた。
「雨が降るかもしれないわね。小悪魔、家まで送ってあげなさい」
「えっ?」
意外な発言に、デュエットで訊き返しの言葉が飛び出した。
「そんな、そこまでして頂かなくても」
大妖精は遠慮がちだが、パチュリーは首を横に振った。
「いいから。何があるか分からないのが幻想郷よ。それに、まだ不完全燃焼みたいだし」
「へ?」
彼女の言う意味がよく分からず、大妖精は首を傾げる。しかしその一方で、小悪魔は目を見開いていた。
「……いいんですか?」
「嘘、って言ってどうするのよ。もうお仕事は終わってるんでしょ?ちゃんと送ってあげるのよ」
「あ、ありがとうございます!大ちゃん、送ってくよ!」
「え、ホントに?それじゃ、えっと……よろしくね」
一気にテンションを盛り返し、小悪魔は大妖精の手を取る。当の彼女もそれ以上遠慮しようとはせず、嬉しそうな顔で頷いた。
揃って頭を下げる二人に頷き、『気を付けてね』の言葉と共にパチュリーは再び本へ視線を戻した。
二人が去っていき、閉じられるドア。それから彼女は、くすくすと笑い出す。
「おせっかい焼きになったわね、私も」
――― 満更でも無さそうな声色だった。
・
・
・
・
・
それから二日後、図書館。
いつものように仕事をこなしながらしかし、小悪魔はパチュリーの方をちらりちらりと気にしていた。
本を棚へ戻し、そのままこっそりと本棚の陰に隠れて彼女の顔を見る。
小悪魔は、前日に聞いたばかりの話を思い出していた。
(間違いない―――!)
自然と興奮するのが自分でも分かる。だが無理も無い。
何故なら彼女は、とうとう例の謎に関する有力な情報を掴んだのだ。
そこから導き出された、確信に近い仮説。
(パチュリー様は……)
ごくり、と喉が鳴った。
――― 話はその前日に遡る。
大妖精がやって来たその翌日から再び雨が降り出し、じめじめした空気の紅魔館。
半日ほど本を漁ってみるものの、なかなか有力な情報を掴めない小悪魔。
しかし大妖精に約束もした手前、簡単には投げ出せない。それに自分でも非常に気になる。
手にしていた”MILK CHOCOLATE STRIKER”というタイトルの伝記小説を棚へ戻し、彼女はため息。小説ではあまり情報にはならないだろう。
しかもその本がやたら面白く、最後まで読んでしまった為に時刻はもう夕方。
(長いこと、ここで見習いやってるけど……今でも、パチュリー様って結構分かんない所多いからなぁ)
思い返す。魔法使いとは得てして謎多き存在、簡単にその心は読み解けない。まあ自分だって悪魔なのだが。
う~、と小さく唸って天井を仰ぐ。
(パチュリー様の考えるコトが、よく分かってそうな人とか……)
「あ、そうだ!」
そこまで考え、光明。ポンと手を打つと、彼女はばたばたと図書館を出、廊下を駆ける。
暫く走って、他とは明らかに雰囲気の違う装飾が施されたドアの前。
走って乱れた息を深呼吸一つして整え、ノックした。
「なぁ~にぃ~?」
妙に間延びした返事が帰って来て、小悪魔は思わずつんのめる。一応、この紅き館の主の部屋なのだが。
「も、申し訳ありません。ちょっと、お伺いしたい事がありまして」
「ん~、いいわよ」
「失礼致します」
がちゃり、とゆっくりドアを開ける。途端に廊下へ流れ込んでくる、むわっとした熱気。
何事か、と小悪魔は身構えつつそっと足を踏み入れると、部屋の中央でレミリア・スカーレットが華麗なV字バランスを決めていた。
額から汗が頬を伝い、服の襟元へと流れ込んでいく。
「お、お嬢様?」
「あ、ああ。ごめんなさいね、ちょっとストレッチマンを」
言いながらレミリアは、ころりとカーペットの上に横向きで寝そべり、足をぱたぱたと開閉させてカニの動き。スカート着用でその体操はどうかと。
「すごい熱気ですよ、暑くないんですか?」
「いやいや小悪魔。この蒸し暑い中でストレッチマンに励んで、大汗かいてからシャワーを浴びるのがステキなんじゃない」
「は、はぁ」
吸血鬼がシャワー浴びて平気なのか、と問おうと思ったがやめた。そんなコトを訊けば、
『あのレミリア・スカーレットがお風呂嫌いなんて誤解されたら大変じゃないの!最近やっとシャンプーハットが外れたのに!』
とか言われるに決まってる。
面倒なので、マンの部分も訂正しない。追求すれば、パー○ンをパーと呼ぶなんてヒーローに対する冒涜だ、とか言われるに決まってる。
「ふぅ。それで、何が訊きたいって?」
首から下げたタオルで首筋の汗を拭き、レミリアは実に爽やかな笑顔で問うた。何だかんだ言って、運動とは気持ちの良い物である。
「あ、その。パチュリー様についてなんですけれども」
「パチェの?運動不足だから何とかしてほしいとか?最近、どうもより一層お肉がついてる気がするのよねぇ。
でも見た目には変わらないばかりか、スリーサイズ向上に繋がってるのが許しがたいわね。あのお肉、ちょっと分けてくれないかしら」
「い、いえ、そうではなくて」
一人悔しそうに頬を膨らませるレミリア。そんな彼女を押し留め、小悪魔は本題を切り出す事に。
「あのう、パチュリー様とチョコレートって、何か関係があったりしますか?」
「はい?」
――― 見事に尋ね返されてしまった。
慌てて、彼女は付け加える。
「あ、えっと。実は、毎年この時期になるとパチュリー様が、必ずお菓子にチョコレートを入れてもらっているというお話を聞きまして。
何か理由があるのかなって思いまして、お嬢様なら何かご存じではないかなと思ったのですが……」
パチュリーの親友として付き合いの長いレミリアなら、何か知っているのでは無いか。そう思っての質問だった。
すると彼女は、ぱたぱたとスカートの裾を煽ぐようにして涼みながら、何事か考え始める。
「ん~、パチェとチョコレートね……おまけに梅雨、か……ああ、そういえば」
「な、何かご存じなんですか?」
不意に何かを思い出したらしいレミリアの様子に、小悪魔はずいっと距離を詰める。
するとレミリアは、頬を伝った汗をぴっと指で払い、ふむ、と一息ついてから話し始めた。
「そうね。もう時効でしょうし、話しちゃってもいいかしら。あなたが来る前の話なんだけれど」
「は、はい」
「私がちょっと出かけた時に、大雨に降られちゃって。その時は適当な場所で雨宿りしてたんだけど、全然止まなかったの。
ほら、今は割と根性でどうにかなってきたけど、当時は私も未熟で。雨に打たれたら大変な事になっちゃうじゃない」
「ええ、まあ」
今は根性でどうにかしているらしい。まあ、シャワーを平気で浴びるくらいなのだから大丈夫なのだろう。
「私はその日、雨宿りしながら外で一夜を明かしたのよ。誰かに迎えに来させようかとも思ったけど、たまには外で寝るのも悪くないかなって。
けどね、私がいないからってフランが泣いて泣いて。寂しかったのね。もう、あの子ったら……」
当時を思い出したらしく、レミリアは頬に手を当てて何やら照れている。
今は少々マシになったものの、情緒不安定なフランドールの事だ。普段傍にいる者がいないだけで、精神的に錯乱してもおかしくは無い。ましてや一番近しい存在の姉がいないとすれば。
「あ、あの。お嬢様……」
「おっと、ごめんなさいね。で、フランが泣きながら暴れそうになって。完全に駄々っ子ね。
もうちょっとで紅魔館が物理的に危ないって所で、パチェが止めてくれたのよ。何したと思う?」
「う~ん……」
小悪魔は悩んでしまう。そこで、レミリアはすっと人差し指を伸ばして答えた。
「チョコレートよ。フランにひたすら、チョコレートを食べさせたの。あの子も好きだから。
食べてる間は、ニコニコ笑ってたんだって。寂しさを紛らわせる事が出来たんでしょうね」
「へぇ……」
なるほど、と小悪魔は感心していた。しかし同時に、ある事に気付く。
「え。それじゃあ、今回のもひょっとして?」
「パチェね、私が帰ってきた後に言ってたわ。長雨が続くなら、チョコレートを置きなさいって。
それを食べてる間は、大切な人に会えない寂しさを紛らわせる事が出来るから、って。結構ロマンチストでしょ?パチェのくせにさ。
だから、パチェと雨とチョコレートと言えば、その辺に理由があるんじゃないかなって。詳細までは分からないけど」
くすりと笑うレミリアの顔を、小悪魔は茫然と眺めていた。
(それって、つまり……)
――― そして、翌日。
(パチュリー様は……)
昨日、レミリアから聞いた話によって生まれた有力な仮説。本棚の陰で、それをもう一度確かめる。
(――― パチュリー様は、恋をしているッ!)
どどーん、と脳内で轟く雷鳴。割れる大波。羽ばたくカモメ。でかでかと映し出される”東方”のロゴ。
彼女の仮説――― レミリアの話を聞く限り、パチュリーが梅雨の時期にチョコレートを常備させるのは、雨の所為で誰かに会えない寂しさを紛らわす為。
それはつまり、誰か好きな人に会いたくとも会えない、そんな悩みを抱えているという事。つまり、パチュリーは今まさに恋をしているのだ。
あの(少なくとも見た目は)無愛想なパチュリーが、誰かに恋焦がれている。その仮説はあまりに甘くスパイシーで、小悪魔のゴシップめいたイタズラ心にどばどばとエネルギーを注いでくれた。
(だだだ、誰だろう……男の人ってめったに来ないし、やっぱ知り合いの誰かかなぁ……)
小悪魔も知る男性の知り合いと言えば古道具屋店主・森近霖之助くらいだ。しかし、善人ではあるがとても色恋沙汰とは縁が無さそうな人物。
とすれば、同じ女性と考えるのが自然。このような考え方にすぐ及ぶのも、常識に囚われない幻想郷ならではか。
(パチュリー様と仲がいい人……魔理沙さんとか、アリスさんとか……いやいや、もしかしたら館内の誰か?お嬢様とか)
自分の事では無いのにどきどきと胸が高鳴り、顔が自然と紅潮する。女の子とは得てして、こういう噂話が大好きなもの。
(あ、でも雨で会えなくなっちゃうなら、館の外の人かなぁやっぱ。どうしよう、何だかすっごくステキなお話の予感……)
「……まー?小悪魔ー?ちょっといいかしら」
「ひ、ひゃい!?」
妄想を燻らせていたら、不意にその妄想の渦中にいた人物に声を掛けられ、小悪魔は声がひっくり返ってしまった。
「どうしたの?そんなに慌てて。なんか本を破いて、慌てて直してたとか?」
「いいい、いえ!そういうワケじゃないんです!何が御用ですか?」
割と近くの本棚から飛び出してきた彼女の様子に首を傾げるパチュリー。
大慌てで云われ無き嫌疑を否定すると、まあ元より冗談だったのもあってあっさり頷く。
「まあいいわ。ところで、悪いんだけれどお茶持ってきてもらってもいいかしら。無くなっちゃったの」
「はい、すぐに!」
空っぽのポットをお盆に乗せ、そそくさと小悪魔は図書館を出、一路厨房へ。
新しく淹れ直し、ついでに深皿に菓子類も盛って数分で帰還。
「お待たせいたしましたぁ」
「ありがとう」
きちんとカップに紅茶を注いでから渡す。ついでに深皿も一緒に置いた。見やれば、しっかりとチョコレートの区間が出来上がっている。
咲夜に頼んで、少し増やしてもらったのだ。
(チョコを食べてれば、か……応援してますよ、パチュリー様!)
「……?どうしたの、私の顔に何かついてる?」
「い、いえ!なんでもありません!」
ニヤニヤとした笑みを堪えきれないでいたら、パチュリーに見つかって慌てて首を振る。
そのまま彼女もチョコレートを一つ摘み上げ、口に入れながら本棚の方へと戻った。
(これはいい仮説を立てたよ、我ながら。これで、いつ大ちゃんが来ても大丈夫!)
大妖精と二人で、パチュリーの”お相手”についてのオンナノコ議論に花を咲かせる。それが早くも楽しみでたまらない。
鼻歌交じりに、小悪魔は本を探し始めた。
・
・
・
・
翌日も、雨。豪雨では無いが、絶え間無く白いスクリーンを張り続ける梅雨の長雨。
ふと通った廊下の窓から空を見上げると、ハイスピードで流れていく黒い雲が頭上を覆っている。
(あんだけ速く流れてるなら、すぐに晴れてもよさそうなのにね)
心の中でぼやき、小悪魔は図書館へ戻った。
廊下よりマシなものの、やや湿度の高い空間。本を読みながら、ふと摘んだ自分の髪が、妙に重たい。
(雨はキライじゃないけど、やっぱこんだけ長いとなぁ……)
ドアの向こう、廊下を挟んでそのまた向こうにある窓の外。そこからの雨音すら聞こえてきそうなくらい、静かな図書館。
やたら長い一日は、ゆっくり過ぎていった。
「これで三日連続ね。いつまで降るのかしら」
夕食の席で、パチュリーがぼやいていた事を思い出す。
自室に戻り、窓の外を見る。真っ暗な視界の向こうにも、しっかりと雨粒のスクリーンが張られているのが分かった。
湿った空気を吸い込み、吐き出す。当たり前ではあるけれど、雨の匂いがした。
「明日はどうなるかな……」
ベッドの中でも呟きながら、眠りの世界へドロップアウト。
夢を見る事無く眠り続け、迎えたその翌日。雨は止んでいた。
「あ、降ってない!」
朝起きて、小悪魔の第一声はそれだった。
(やっと、大ちゃんとお話の続きができるかも……)
淡い期待を胸に食堂へ。
だがしかし、朝食の席でパチュリーから『また降ってきたわね』との報告を受け、ため息。
食べ終えた後で廊下の窓から空を見上げる。ぽつ、ぽつと雨粒をこぼす灰色の空。
(ストップ、ストップ……ここらで止んでー)
念じた瞬間、雨の密度は十倍に。昨日と同じ窓の外。再びため息をつき、彼女はとぼとぼと図書館へと足を向けた。
雨が降るようになってから、ため息の回数が増えた気がする。湿気が頭をふやけさせてしまったのだろうか。
「まあ、しょうがないよね……」
わざと声に出して言い、それから彼女はいつもの仕事に戻った。
その日一日は特に何も起きず、例の謎に関しても強力な仮説を手にしたのでそれ以上の推理の余地が無く。
本を並べて、整理して、読んで、お茶淹れて、時折なかなか来れない親友に思いを馳せて。
(……退屈だなぁ)
お預けを食らった気分で、小悪魔はぼんやりと消化の遅い午後を過ごした。
彼女の願いに反し、そのまた翌日も朝から雨模様。
(今日も、大ちゃん来れないのか……)
これで五日連続だ。
手持ち無沙汰で、特に何もする気が起きなくて。とりあえず、と皿からチョコレートを摘むまま。
「パチュリー様、お仕事終わりましたぁ」
「ご苦労様……って今?随分と時間かかったのね」
その日の仕事を終え、報告するとパチュリーからは以外そうな声が上がる。
え、と呟いて時計を見やれば、既に午後三時を回っていた。
確か、午前中のいつからかやっていた筈なのだが。それに、いつも通りの業務なので時間もさしてかからない――― 今までなら。
「も、申し訳ありません」
「いやまあ、別に時間制限なんてないから自分のペースでやってくれていいのだけれど。
いつものあなたに比べて、随分と遅かったからちょっとね。怒ってるワケじゃないの」
頭を下げる小悪魔に、パチュリーはそうフォローした。
仕事を終え、ここからは自由時間。なのだが、どこか落胆した様子で本棚群へ背中を溶け込ませていく小悪魔の様子に、彼女は何事かを考える。
「………」
雨は、まだ止まない。
・
・
・
・
止まない雨が続くにつれ、小悪魔の顔に見える陰りも濃くなりつつある。
「今日は、これお願いね」
「分かりました」
パチュリーに示された本の山を、きちんと整理して本棚へ戻す作業。
いつもの彼女であれば、小一時間で終わるような簡単な仕事だ。
数冊の本を抱え、とある区間の本棚へ。
(これと、これと……)
最初はひょいひょいと本を仕分けていた彼女であったが、単純作業には雑念が付き纏う。
(あ、これ……)
積んでいた本の中にふと、先日自分も読んだばかりのチョコレートを冠したタイトルの小説を発見。
偶然、パチュリーも読んだらしい。
(そういえば結局、パチュリー様の好きな人って誰なんだろう。大ちゃんに相談できればなぁ)
その本を手にしたまま、黙考。先日までの、情報集めに奔走していた日々。そして、そのもう少し前の、大妖精とお喋り議論に花を咲かせたあの日を思い出す。
(もう、ずっと来てないんだなぁ……大ちゃん。いつ来てくれるのかな)
長く降り続く雨に、大妖精の訪問もすっかりご無沙汰。小悪魔としては、積もる話はいくらでもあるのだから、とにかく会って話したい。
別にそれが無くとも、毎週の楽しみだった親友と過ごす時間がずっと得られず、寂しいと明確に感じている事を否定するつもりは無かった。
(あの時、わざわざ止めずに二冊とも持ってってもらえばよかったかな。こんなに長く続くなんて思わなかったし。
そうだ、チョコレートに関する本を探してる時に面白い本も見つけたんだった。
大ちゃんにも読んでもらいたいけど……あ、そういえば大ちゃんがこないだ……)
「………」
気付けば、大妖精の事を考えたまま完全にフリーズ。我に返った頃には、一時間近い時間が経過していた。
「お、終わりました~」
「また随分かかったわね……そんな顔しないで、怒ってないってば。とりあえずご苦労様」
慌てて残りを片付けたが、パチュリーにまた同じような事を言われてしまった。
落胆しつつ、彼女は椅子に腰かけて頬杖。
(早く雨止まないかな……こんな調子じゃ、また怒られちゃうよ)
怒ってない、というパチュリーの言葉は、どうやら頭に入らなかったようだ。
分かってはいても、別の事――― 大妖精の事――― をふとした拍子に考えてしまう、その癖はどうにも抜けそうになくて。
雨は、まだまだ止まない。
・
・
・
・
・
「はぁ~あ……」
もう何度目か分からない、ずっしりと重いため息。
それから三日経って尚、雨が止む気配は無かった。
厳密にはずっと降り続いている訳では無いのだが、一度止むのが夜中だったり、小一時間程度で再び降り出すのだから結果的には変わらない。
その日も朝からしとしと。小悪魔は窓枠に肘をつき、全力投球中の雨雲を恨めしく見上げる。昨日より、少しばかり空は明るいかも知れないが。
前述したが、雨は決して嫌いでは無い。問題は、その雨が阻むもの。
(大ちゃん……)
かれこれもう、一週間以上会っていない親友の存在。日数にすれば短いけれど、彼女にとってはあまりに長い一週間。
(いつ来れるか分からない、とは言ってたけど。まさか、こんなに長いなんてさ)
平気だと思ってた。だが、いざ会わなくなってみれば一日があまりに長く感じられる。
チョコレートの謎についても、せっかく有力な情報を掴んだのだから共有したいし、その話題で盛り上がりたい。
いつもの事になっていたけれども、一緒に本を読んで過ごす時間がいかに大切だったかも。
全ては、会わなくなってみて気付く。
(大ちゃんに会いたいなぁ……)
一人でいると、すぐにその思いが脳裏を過って、手が止まる。
現に今も、図書館から抜け出して、今すぐにでも雨が止まないかと待っている自分がいる。
どれくらい、そうしていただろうか。思いを募らせる小悪魔の背後に、影。
「何してるのよ、こんな所で」
「ひゃああ!?」
デジャヴを感じるシチュエーション。不意に背中をポンと叩かれて、思わず口を突いて出た悲鳴が廊下中に木霊した。
慌てて振り返れば、パチュリーの姿。どこか困ったように眉を垂れて、ふぅ、と一息。
「あっ、その……ご、ごめんなさい!」
「呼んでもいないから、どこに行ったのかと思ったわ。ほら、口開けて」
「はい?」
「いいから口を開く。はい、あ~ん」
「あ、あ~」
かと思えば、口を開くよう要求された。訳の分からないまま、小悪魔はぱかっと口を開ける。
次の瞬間、ぴしっ、とパチュリーは指で弾くようにして、彼女の口の中へ何かを放り込んだ。
「あむ」
反射的に口を閉じる小悪魔。口の中に広がる、優しい甘さ。
(……チョコレート?)
彼女が持っていたのはチョコレートだった。
もぐもぐと口を動かしながらその行動の真意を探ろうと思ったが、その前にパチュリー自身が答えを提示してくれた。
「おいしい?少しは憂鬱な気分も紛れたでしょ。さ、お仕事お願いね」
「わ……わかりまひた。んぐ」
「ほらほら、戻るわよ」
何とか返事を返すとパチュリーも頷き、小悪魔の背中を押していく。
いざ図書館へ戻ると、チョコレートを更にいくつか渡された。
「これ食べながらでいいわ。また頻繁に手を止められると、あなたの自由時間も少なくなっちゃうわよ」
「は、はい」
くすりと笑って、彼女はいつものテーブルへと戻っていった。
流石に直接言われた手前、手を止める訳にもいかない。勧め通りチョコレートをかじりつつ、小悪魔は蔵書整理を開始。
昨日までとは打って変わり、彼女の作業ペースは実に順調だった。
(これって、チョコレート効果かな?)
そんな冗談めいた思いが浮かぶ。とその時、本をスポスポ棚へ戻していた小悪魔の手が止まった。
(……あれ?)
ふと脳裏を過る、既視感。
その原因を脳内で辿っていく。さっきの話?違う。昨日?一昨日?いやそれも違う。
そう、それはレミリアとの会話―――
「ぱ、パチュリー様!」
それに気付いた時、小悪魔は残りの本をその場に置き、テーブルへと駆け出していた。
「どうしたの、そんなに慌てて」
パチュリーは急に飛び出してきた彼女の様子に、首を傾げて応えた。
そんな彼女の視線を正面から受け止めたまま、小悪魔は深呼吸。
気持ちが落ち着くと、その目をしっかり見据えながら彼女は意を決して切り出す。
「あの、質問なんですが……」
「何かしら?」
「パチュリー様は、どうして雨の時期になるとチョコレートを出させるんですか?」
・
・
・
・
ただでさえ静かな図書館が、静寂を極める。
しぃん、とした空気を破ったのはパチュリー。
「……やっと気付いた?」
「いえ、もう少し前から。でも、理由が分かりかけたのはついさっきです」
「そう。まあ、あなたの仮説もなかなか面白いと思うわよ」
「え、え!?」
びくり、と小悪魔は肩を竦ませた。その様子を、実に楽しそうな表情でパチュリーは見つめている。
「なんてね。やっぱり何か考えてたのね?」
「な、な、何でそんな」
「あなた、こないだからチョコレートってつく本ばっかり読んでるんですもの。あ、気付いたんだなって。
すぐに訊きに来なかったのも、大方予想済み。そういうの好きそうだし」
完全にパチュリーに読まれていたようで、少々恥ずかしさが込み上げる。染まる頬。
「で、あなたはどんな仮説を?」
「あ、え、いや、その、えっとぉ」
「言うのが恥ずかしいような仮説なのね?ひどいわ。この辺は悪魔というか何というか」
「うぅ~……」
そう言って小悪魔をからかうパチュリーは、本当に楽しそうだ。
一しきり笑って、彼女は少しばかり真顔に戻る。
「いやいや、別にあなたをいじめるつもりはないのよ。理由を、私の口から聞きたいんでしょ?」
「は、はい」
真っ赤な顔が未だ戻らない小悪魔がそう返すと、うん、と頷いて彼女は背筋を伸ばした。
「こないだ確認したんだけど、レミィに聞いたんだって?昔の話」
「ええ、まあ。妹様をチョコレートでっていうお話は伺いました」
「なるほど、それなら話は早いわね。理由はそこにあるの。そこまでは推理してたんでしょう?」
「はい。当初の仮説と、今しがた思いついた仮説。方向性は大分違いますけど、どちらもそこを介しています」
「えらいっ。なかなかいい着眼点ね」
褒められれば悪い気はしない。頬が緩む小悪魔に、パチュリーは続けた。
「さて、それじゃあお話しましょうか。なんで毎年、梅雨にチョコレートを出させたのか。
毎年とは言っても、私がここに住むようになった当初からじゃないわ。かと言って、あなたが来てからでもない。
いつからか……分かる?あなたの仮説が正しいかは、そこ次第ね」
「い、言わなきゃダメですか?」
「もちろん」
またしても頬を染める小悪魔と、やっぱり楽しそうなパチュリー。
暫しもじもじと下を向いていた彼女は、ようやく顔を上げた。
「えぇっと……私と……だ、大ちゃんが仲良くなってから、ですか?」
「ご名答。もう分かってるみたいね」
大きく頷き、パチュリーは口を開く。
「あなたと湖の大妖精。いつの間にか仲良くなって、今ではすっかり親友……いえ、それ以上の関係かしら?パートナーとでも言うべきな。
あの子の訪問間隔も、以前に比べてかなり短くなった。この図書館における、紅魔館外の人物では一番の常連よ。
今では二日か三日に一度かしら。もっとも、あなたがそうさせてる節もあるけれど」
「へ?」
「あなた、こないだ一冊しか本貸さなかったわよね。
あれは言わば”回転率”を上げる為ね?またすぐに、あの子がここへ来るように」
「………」
「それが悪いとは言わないわ。あの子も、あなたに会うのを楽しみにしてる。分かるもの。
まあ、訪問間隔の短縮はそれだけじゃなくて、単にあなたとあの子の距離が縮まった事を表している」
どこか得意気な様子でパチュリーは語る。
「で。あなたの方が知ってるとは思うけれど、あの子は随分と几帳面で丁寧よね。
借りた本を汚すような、或いはその危険が及ぶような真似は決してしない。ここでお茶を飲む時も、本をちゃんと閉じて隅に寄せてる。
だからあの子は、雨の日はここへ来ない」
ふとした拍子に本が濡れる事を恐れて、傘を使うという手段も取らない。
「ただの雨なら一日や二日で止むからいいけれど、梅雨ともなればそうはいかない。
平気で一週間降り続く事だってあるわ。そうなれば、その間はここに誰も来ない。
あの子だって例外じゃない。その間、あなたは親友に会えない日々を過ごす事となる」
小悪魔はずっと黙って彼女の話を聞いている。『あの子』という言葉が出る度に、微かに視線が揺れた。
「普段のあなたはよくやってくれてるわ。けど、梅雨になるとどうもね。寂しいからか、何も手に着かない。
頭の中はあの子の事でいっぱい、仕事も上の空。子供みたいね……っと、まだ子供か。
あなたのその勤務態度を責めるつもりはない。好きな人がいるって、とっても素敵な事ですもの」
当初の自分の仮説を思い出し、何となく安堵する小悪魔。パチュリーも、人を好きになった事があるのだろうか。
彼女の話を聞くのに一杯一杯で、小悪魔は彼女が発した『好きな人』という言葉に注意を払えなかった。
「でもまあ、お仕事はちゃんとやってもらわなくちゃってコトで。そこでチョコレートの出番って訳。
過去に泣いてる妹様ですら笑顔に変えたこの甘い魔法なら、きっとあなたを癒す事も出来るんじゃないかってね」
小悪魔は、先まで着手していた仕事を思い出す。ここ最近は手に着かなかったいつもの業務が、今日は順調だった。
「とまあ、これが真相よ。
何故梅雨にチョコレートを出すのか?それは大好きな人に会えなくて泣きそうな、寂しんぼな半人前悪魔の強壮剤。
……こんな所でどうかしら?」
言い終え、パチュリーは小悪魔の反応を待つ。
彼女は暫し茫然とその顔を見つめていたが、不意に口をゆっくりと開いた。
「――― ありがとうございます、と言いますか……申し訳ありません、と言いますか……えっとぉ……」
「どうしたの?」
口ごもる彼女の様子に、パチュリーはそう尋ねる。
「その、パチュリー様が私の事を考えて下さってた、という事が、本当に嬉しいんですけど……。
でも、それってつまり私がちゃんとお仕事が出来てないって事ですし……それが申し訳なくて……」
上手く言えない、といった様子の小悪魔だったが、パチュリーは首を横に振った。
「そんな事ない。さっきも言ったじゃない、あなたが悪いと思った事はないって」
そう前置きし、パチュリーもまた、その素直な心情を吐露した。
「正直に言ってあげると、あの子の訪問を私も楽しみにしてるのよ。
いつも仲良しなあなた達を見てると、何だかとっても素直で、優しい気持ちになれるの。
直接なんて恥ずかしくて出来ないし、私にカウンセラーの素質はない。だけど、何とかあなたを応援してあげたくて。
だから、こんな回りくどい方法を取ったのよ。ま、単に私も館の皆も食べたがってるっていうのもあるけれど」
先の意地悪なものとは違う、見守るような優しい笑みでそう語った。
「今の発言は、忘れてね。それか心にちゃんとしまって厳重に施錠する事。誰かに話したりしたら、あなたをチョコレート風呂につけて固めるわよ」
「い、言いませんってば……」
すぐにジト目に戻るパチュリーに、焦って答えつつも小悪魔は思わず笑ってしまった。
二人で笑っていると、不意にドアの開く音。
「失礼致します」
入って来たのは咲夜だった。手にはお盆、その上には菓子類がてんこ盛り。
「どうしたの?」
「安売りの関係で、沢山お菓子が手に入りましたので……追加でもと思いまして。宜しければ、召し上がって下さい」
「ありがとう、頂くわ」
「あ、それと……小悪魔、ちょっといい?」
「私ですか?」
テーブルにお盆を置きながら、不意に彼女は小悪魔の方を向いた。
「お嬢様から、あなたに伝えるよう言われたんだけれど……外。雨がもう止みそうだって」
「ほ、ホントですか!?」
「ええ。雲も結構切れてきてるし、そろそろ梅雨も明けるのかしらね。じゃ、伝えたわよ」
ぽん、と彼女の頭に手を置き、深々と一礼してから咲夜は去っていった。
ドアが閉まる音。その一拍後で、小悪魔もまた駆け出した。
少し重い図書館のドアを開け、廊下へ飛び出す。数人のメイドが固まっている、その横の窓から空を見上げた。
あれ程長く続いていた霧雨は、気付けばもう小降りを通り越して、ぽつぽつ程度。もう傘無しでも外へ出れそうなくらいだ。
垂れ込めていた灰色の雲も、所々が切れて久しぶりの青空が覗いていた。遠くの空には、もう雲がかかっていない。
「これ以上ないくらいのベストタイミングね」
いつの間にか背後にいたパチュリーがそう呟くと、後ろから小悪魔の肩に手を置く。
「まさか、あんなに恥ずかしい事言わせておいて、何もしないなんて言わないわよね」
「え?そ、それって」
「お仕事の続きは明日で……ううん、私がやっておくわ。だから、行ってきなさい」
驚いて振り返る。『気が変わるわよ?』と、冗談めかして笑うパチュリーがそこにいた。
「は……はい!ありがとうございます!」
勢い良く頭を下げ、小悪魔は駆け出した。廊下は走るな、とは敢えて注意しなかった。
玄関へ向かう前に、厨房へ寄り道。袋を片手に、彼女は玄関を思いっきり開け放った。
(――― もう、すぐ。すぐに、雨は止むから)
雨上がりの匂いを胸一杯に吸い込んで、小悪魔は地面を蹴った。
(待っててね、大ちゃん!)
――― ほんの少し。飛べばほんの数分。
湖もあっと言う間に飛び越えられる。もうすぐに、あなたの下へ行くから―――
「うわぁっ!?」
「きゃっ!?」
湖のほとり。ひたすらに飛ぶ事だけを考えていた小悪魔の目の前に、霧に紛れて突如現れた人影。
低空で転びそうになり、互いに上がる悲鳴。だが、その声を彼女は聞き逃さなかった。
「え……だ、大ちゃん?」
「こあちゃん、なの?」
聞き間違える筈も無い、八日ぶりの声が聞こえた。
風が吹く。雲が流れて、ずっと覆い隠していた太陽の光をとうとう零した。
同時に、霧を少しだけ吹き飛ばす。
「あ……」
不意に差し込んだ陽光を、まるで夏風に揺れる向日葵のようなグリーンの髪が反射する。
穏やかな風に、揺れるサイドテール。透き通った薄氷にも似た羽。
この一週間、あれ程待ち焦がれた親友がそこにいた。
「えへへ、久しぶりだね。ずっと雨が降ってて、なかなか会いに行けないから寂しかったんだ。
でも、何だかやっと晴れそうだったから、つい家を飛び出して来ちゃった。本当に晴……」
「だ……大ちゃんだ!ホントに大ちゃんだぁ!!」
「きゃあ!」
もう自分でも制御が効かなくて、小悪魔は全力で大妖精に抱きついていた。
がっちりと首から肩に組み付いた腕はそう簡単には外れそうにない。
「あ、え、えっと……わ、わたしも嬉しいな……」
控えめに、彼女もまた小悪魔の背中へ腕を回し、ぎゅ、と力を込めた。
(は、恥ずかしいけど……)
こうしていたい、という思いがはっきりあった。
しかし、いつしかさんさんと夏の太陽が照りつけ始めた湖上。暑くなってきて、互いに名残惜しそうながらも身体を離す。
「ご、ごめんね!いきなり……その、久しぶりだったから嬉しくて」
「い、いいんだよ……わたしだって、おんなじことしてた……と思う……」
上気した顔は暑さのせいじゃない。
恥ずかしさに耐えかねて、大妖精は話題を変えた。
「そ、それで。こあちゃんはどうしてまた?」
「パチュリー様がね、大ちゃんに会いに行っていいって言ってくれたの。だから嬉しくって……」
「あ、じゃあ今からうちに来る?せっかく来てくれたんだし、たまにはさ」
「いいの?じゃあお邪魔しちゃおうかな」
「うん!それじゃ、こっち」
連れ立って、湖の外周に沿って飛ぶ。すぐに大妖精の小さな家が見えた。
その玄関前で、小悪魔は不意に手にしていた袋を示す。
「そうだ。大ちゃん、お土産にチョコレートいっぱい持ってきたんだ!一緒に食べよ?」
「ありがとう!じゃ、わたしお茶いれるね」
紅魔館を飛び出す前に、咲夜に頼んで貰ってきたものだ。袋にぎっしりと、数種類のチョコレートが詰まっている。
その内一つを取り出し、待ち切れないとばかりに彼女は包装紙を剥がした、が。
「あり、ちっと融けちゃってる」
包装紙の内側に、融けたチョコレートが少しだけ付着。それ自体もやや柔らかくなっていた。
「雨止んで、急に暑くなったからね。しょうがないよ」
大妖精はそう言いながら玄関を開け、中を示しながら笑った。
「こうしてお話できるの、ずっと楽しみにしてたんだよ。さ、どうぞ上がって!」
心からの嬉しそうな笑顔を向けられ、小悪魔の興奮もピーク。
(あ~、大ちゃん……もう私、だめかも)
もう何も考えられない。今の自分は、まるで日向で融けるチョコレート。
袋の中のチョコレートは、さんさんと注ぐ夏の太陽で融け出している。
そして、今の小悪魔もおんなじ。融けてしまいそうな程の幸せな気分。
目の前にいる大妖精の眩しい笑顔を見て、自分でも納得出来た。
――― こんなにも明るい太陽が目の前にあったら、どんなチョコレートでも融けちゃうよ。
お天気とチョコレートの、不思議な関係。
とても良いお話でした!
とても癒される、いい話でした。
ひねくれたところのない、どこまでも素直な2人は見てて幸せな気持ちになれます。
そしてパチュリーお姉さんも優しいなあ。チョコの魔法が2人のためというのはこあと同じタイミングで気づきました。
BlueなRainを吹き飛ばせ!
最高じゃないですか!
いろいろとたまりませんでした!
もちろん小悪魔と大妖精も可愛らしい…
チョコレートの効果で融けてしまえっ!
チョコレートよりあまいよ!
題名とチョコレート繋がりでBITTERチョコがくるかと思いきやミルクチョコに…まいりました(笑)
そしてネコロビヤオキさんの大こぁもいつものようにとっても甘い!これでこぁはもう梅雨明けしましたね^^
でもやっぱりパチュリーのロイヤルフレアな母性(なんだそれ)が一番炸裂してるかなーと言った感じでしたb
そしてパチュリーさんは良い保護者。
ネコロビヤオキさんが描くこの幻想郷の暖かい空気感に癒されます。
今回もいい糖分過剰摂取なお話でした
>>1様
じめじめしてイヤな季節でも愛して貰えるようになりそうな、そんなお話を目指してみました。
毎年梅雨になると、どこかでこんなトキメキが生まれてると考えれば少しは6月が好きになれる……かも。
>>2様
何故か自分の作品はそのテの誤解を受けてしまいがちです。でもそっちの方が面白そう?
コメディものに走る際はパロネタ全開だしなぁ。でもお気に召したようで何より。
>>奇声を発する程度の能力様
いやすよ!('(゚∀゚∩
ココロのスキマを埋められる、そんな作品を書く人間でありたい。
>>12様
作中のキャラと一緒にナゾを解いて頂けたとあれば、最も楽しめる読み方をして頂けたというコト。
個人的にとっても嬉しいのです。感情移入って大事ですよネ。
>>13様
自分の作品では過去最高の糖度を記録したと思われます。かなりストレート。
これって百合作品になるのかしら?
>>14様
いつものアナタですね、どうも有難う御座います。
この二人のキャラとか関係とかがすっかり頭の中に構築されてます。一番スラスラ書けるコンビです。
まあそれだけ好きってコトで。パチュリー様の出番ももっと増やしたいなァ。
>>15様
真理です。大ちゃんとこぁを眺めてれば幸せになれる、そんな世界ってステキじゃありませんこと?
>>17様
八意、じゃなくて親心炸裂。ぱちぇさんは部下に優しいと思うの。
でもそれを指摘すると顔真っ赤にして本の角で叩かれます。ご注意を。
>>19様
七曜の魔女、ってステキな響きじゃないですか。ロマンだらけ。占いとか好きそう。特に花占い。
日向に置いたチョコレートみたいにとろ~りとろけるお話にしてみたかった。
>>21様
普段よりストレートとは言え、いつも通り仲良しさんな二人を描いたつもりではありましたが……。
甘い、という感想を沢山頂けてうれしはずかし。そんなに甘く感じられるのは、やはりチョコレート効果か。
>>22様
誰かブラックコーヒー持ってきてー!あと歯磨き忘れないでね!
>>24様
ジト目でぶっきらぼうな上司に見えて、ふと気付いたら優しくしてくれてる。こんな人の下で働きたい。
>>キャリー様
いつも有難う御座います。パロですが、そのまんまじゃなくて捻ってみた。
こぁのココロはもう快晴日本晴れだよ!一緒にお日様の下をお散歩して幸せそう。
ぱちぇさんが人気で嬉しい。紅魔では出番がかなり多い方ですが、もっと出したいと思う次第です。
>>ユウ様
先日に引き続き有難う御座います。純粋に可愛いと思える、そんなキャラを描けるようになりたいなぁと日々思っております。
十人十色百人百様、人の数だけ幻想郷。ネコロビヤオキの描く幻想郷のテーマはやっぱ『優しく切なく温かく』かなぁ。
>>30様
これまた、いつも有難う御座います。引き続いて読んで下さる方が多くてとっても嬉しい。
たまには角砂糖大量に入れたコーヒー飲みたくなるじゃないですか。よく分かんないけど、そんな感じで今回は甘いアレで。