里の小料理屋の一角。六畳の部屋に、上は還暦から下は三十まで、裃を着けた男達が緊張した面持ちで詰めていた。
座敷の下座に控えた男達の輪の中には、一枚の新聞が広げられている。
そこには、人里から離れた山の上にある博麗神社がものの見事に倒壊している写真が大きく印刷されおり、『再建するも強度不足が原因か? 博麗神社またもや倒壊』の見出しが付けられていた。
そして、男達にとって問題だったのがその下の記事だった。
男達はその記事を隅から隅まで一言一句、舐めるように読むと、その新聞を男達へと放り投げた相手へと向き直った。
男達の視線の先、座敷の上座には少女が一人、肘掛けにもたれるようにしてくつろいでいた。
その顔は笑えば愛くるしい作りをしていたが、一つだけ特徴的なものがあった。
それは、頭の両側に生えた一対の角。
鬼。
姿こそ少女のような小ささ、愛くるしさであったが、その中身はといえば、この場にいる男達が束になってかかってもびくともしないほどの剛力を持った人外であった。
「さて」
そんな鬼の短い一言で、男達の表情が強張る。
「その天狗の新聞の通り、博麗神社が潰れてね。再建、いや、この場合は、再々建かね? それを、私が、この伊吹萃香が受け持つことになった」
萃香と名乗った鬼の気楽な言葉に反比例して、一層より一層、男達の雰囲気が硬くなり、
「ついちゃあ、手を貸せ」
その一言に、男達に隠せぬ動揺が走った。
下座の動じた空気を感じ、鬼が片眉をつり上げ、
「ん? なんだ? どうかしたのか?」
男達に返答の許しを出す。
その言葉に、男達の先頭、還暦の男が恐れながら、と深々と頭を下げると、
「恐れながら、伊吹萃香様に申し上げます。此度の普請で御座いますが、間違いなく手前共、里の大工衆で受け持ちます故、何卒、何卒普請までの期間を頂けま
「ならん」
萃香は大工衆の頭領の言葉を一言で断ち切ると、
「落成は予定通り、一月後だ。それともお前達は」
萃香はそこで言葉を句切ると、下座の男達をねめつける。
「この伊吹童子に嘘を吐けと言うのか?」
大工衆の頭領が畳に額を擦りつけての願いを萃香は一蹴し、
「出来ぬことを頼んでいるつもりは無い」
と、にべもなく返すと、口直しと脇に立てかけていた瓢箪を手に取り、ぐびり、と酒をあおった。
それは、大工達との用件は済んだと言わんばかりの振る舞いであった。
が、頭領も食い下がる。
「先般の天人様による普請の際に供した材木。あれだけのものをもう一度となりますれば、切り出すことから始めなければなりません。こちらに書かれているような……、一月での再建はとても無理で御座います」
悲鳴のような声で、頭領は萃香に再考を促すが、
「あるだろう、材木など。それとも何か? お前達は芦か藁で倉を建てようとしているのか?」
小馬鹿にした笑みを浮かべると、萃香は大工衆が冬に向けて倉を改築するために用意している材木の存在を知っている、と言外に告げる。
「あれは――」
虎の子の材木を萃香に指摘され、頭領は苦渋を浮かべ、
「あれは、この里がこの冬を乗り切るために必要な倉を修理するための材木で御座います。何卒、その議はお許し下さいませ」
平身低頭、懇願するも、
「材木はあるのか、ないのか。あるなら再建のために協力しろ、と言っているだけだ」
里の都合など知ったことか、と酒を再度あおる。
と、拍子木を打ったような音が下座から響いた。
同時、呆れた男の声が
「まるっきり、恫喝だな。いっそ、建てるのも手じゃねえのか頭領」
下座の頭領へと投げかけられる。
頭領の首が、慌てて下座の右手にある部屋へと巡らせ、
「黙って
頭領が叱責しようと口を開いた矢先。
萃香が不機嫌な表情を浮かべ、上座と下座そして男の声がした部屋とを隔てる柱とふすまを、爪弾きの仕草一つで砕いてしまう。
通した道の先には、頭領と同年らしき初老の男が一人、生成の作務衣を着てあぐら姿で控えていた。
大工衆が鬼の仕草一つで柱を壊すという所行を目の当たりにし、その恐怖をかろうじてかみ殺す中、萃香が不機嫌を声色に滲ませ頭領をなじる。
「躾一つも満足に出来ないのが次の言い訳か?」
が、作務衣の男は至る所に浴びた柱やふすまの破片を不愉快そうに払うと、手にしたキセルに傷がついていないか気にしながら、
「あそこまで言ってるんだ、建てればいいじゃないか」
頭領へと、再度声をかける。
その言葉に、平身低頭していた頭領が堪忍袋の緒が切れたと畳を殴りつけ、男へと怒鳴る。
「言わせておけば好き勝手無責任なことを言いおって、この、余所者が! それで万一、倉が潰れたらどうなる?! 誰になんと申し開きをするつもりだ!!」
「申し開きはしないが、そうだな」
激高した頭領に答えているようで、男の視線は上座にいる萃香にしか向けられていなかった。
男は、一つ思案をしているというようにあごを撫でると、
「死んだら、当てつけにその神社に死体を送りつけるのも悪くないんじゃないか」
余所者と呼ばれた男の余りの返答内容に、下座の頭領が絶句する。
萃香は、そんな頭領の強張った顔を肴に酒に口を付ける。
「しかし、名乗りもせずに、べらべらと口上が過ぎるんじゃないかい」
萃香の眉尻は既につり上がり、歯をむき出しにするように口がつり上がりつつあった。
「里の中なら殺されないとでもタカをくくってるのかい? 余所者」
萃香のいっそ楽しげなその言葉に、真っ赤になった顔を一転、蒼白にした頭領が男の命乞いのために萃香に再度頭を下げようとするよりも早く、
「鬼のあんたのほうこそタカをくくってるんじゃないのか?」
投げやりに男が告げる。
「このやりとりが神社に、博麗の巫女に伝わらない、とタカをくくってないか? 別段、わざわざ博麗の巫女とやらに直訴なんてする必要なんてのはないさ。自然と、その巫女に対する里の連中の接し方が、がらりと変わるだけだ。お前さんが恫喝した分だけ、な」
男はそこで言葉を句切ると、喉を鳴らして笑う。
「そりゃあ見物だろうよ。腫れ物に触るような扱いをある日突然、そうさ巫女にしてみればある日突然されるんだからな。もっとも里の連中にしてみれば、自分の要望をのませるために妖怪神社の巫女が鬼をかり出したんだ、次は何を言われるか何がかり出されるのか、と怯えるのは当然だろ。それともそこまで、そんな恐怖まで止めようがあるのかい? 鬼の腕っ節ってのは」
作務衣の男が口にした、ありうるだろう将来像は、自分の意のままに動かぬ大工衆に半ば激高していた萃香の頭をいっぺんに醒ました。
萃香の頭の中で、ありえる可能性が矢継ぎ早に上げられては消えていった。そして、最終的に作務衣を着た男の説になるだろうことを認めた。それは人にまつわる簡単な事実のせいだった。
「人の口に戸が建てられればいいんだがな」
「そこまで腕の立つ大工は、三千世界探したっていないだろうよ」
男の嘲るような口調に、手にした瓢箪を一度あおると、
「わかった、材木の手当はこちらでつけよう」
と、忌々しげに萃香が折れる。
その言葉に、下座の男達の空気が弛んだ。
「どうせ次は人も同じこと、というつもりなんだろ」
投げやりに言葉を紡ぐと、萃香がため息混じりに酒を飲んだ。
下座奥の部屋で、男がキセルに口を付けてから、煙とともに言葉を吐きだした。
「猫の手を借りるのとは訳が違うからな」
「そうかい。だったら邪魔をしただけだったようだな。それじゃ話は終いだ。帰っとくれ」
無い無い尽くしの大工衆に対して、下がれと手を振る萃香に対し、
「全く手を貸さない、とは言ってないだろう」
早合点はよくないなと、再び口から煙を吐き出した男が呆れた声を出す。
「素人が建てて巫女が下敷きになったとなりゃ、目も当てられない話だろ?」
その言葉に萃香は上座から腰を上げると、自らが蒔き散らかした襖や柱の破片を踏みしめながら男へと近づく。
「欲しいのは口が達者な奴じゃなくて、腕の立つ奴なんだけどね」
「ここじゃあ、老い先短い職人と腕が立つ職人は同義みたいなもんだろう」
「随分と言うねぇ。そうかいだったらあんたが猫の手だ。依存は無いね」
「そっちこそ老い先短くていいんならな」
萃香は足下にある柱の欠片を二つ、拾うと無造作に指で穴を開ける。
そして、片方を男へと持たせると、瓢箪から酒を注ぐ。
「なら、契約だ」
萃香の声とともに、鈍い木の音が下座に響いた。
■方針を変更。十包処方
◆
博麗神社予定地、とそっけなく書かれた看板を前にして、余所者と呼ばれていた大工がつるりと禿げ上がった頭を撫でて唸っていた。
先日の一件で鬼と大工の契約は、僅かに三つ。
一つ、材料その他は鬼のつてを頼りに大工が調達交渉し、里に負担は求めないこと。
一つ、普請は大工が指図すること。
一つ、落成は一月以内であること。
大工とすれば、すべてを一から用意をするのではなく、潰れた神社の使える部分を使い回してしまうことで、伐採から採寸、切断、加工といった手間を省く腹づもりでいた。
そのため、どこまで使い物になる部材があるのかを確かめるために、獣道をかき分けて人里から離れた博麗神社まで足を運んだのだが、肝心の潰れた神社の梁や柱が境内のどこにも見あたらなかった。
里であれば建屋が不慮で壊れても使える部材を取るまでは捨てるなどということはしないため、大工は一体誰が面倒なことをしてくれた、とキセルを歯がみして考え込んでいた。
と、不意から音と匂いが消え、氷柱を背中に差し込まれたような悪寒、そして首筋を何かが締め上げるような窒息感が大工の五感を襲った。
そして気がつくと、目の前に、薄紫の日傘を差した女が立っていた。
大工がいつの間に、と驚き口を開きかけた瞬間、噛んでいたキセルががちがちと暴れ始めた。
それが、自分の口が痙攣を起こしたように震えているせいだと、大工は気がつくが、どうにも止めようがなかった。
女が日傘をまわしながら一歩踏み出しただけで、至ることから脂汗が滲み、大工のあごからは泣いたような勢いで脂汗が滴り落ちる。
女が次の一歩を踏み出した瞬間、自分は死ぬのではないかと大工は覚悟した。
その一歩を女が踏みだそうとした瞬間、まるで銅鑼が耳元で鳴らされたかのように、一斉に音と匂いが戻り、そして、その耳に鬼の声が響いた。
「なんの用だい、紫」
通り雨に降られたようにぐっしょりと濡れた大工の背後に、いつの間にやら鬼が虚空に頬杖をつくような姿で浮かんでいた。
紫、と呼ばれた女がにたりと笑う。
その名前に大工はある妖怪を思い出していた。
八雲紫。
この幻想郷を作った張本人にして、関わり合いになってはならない筆頭格の妖怪の名前を。
「あら。萃香こそ、火事場泥棒を連れて神社に来るなんて、一体どういう風の吹き回しかしら?」
「再建の下調べだよ」
「あら、あの窓拭き紙の記事、珍しく本当だったのね。それにしても随分と、あの霊夢に甘いんじゃないかしら」
「そっちこそ、再建まで霊夢を自分家に囲い込もうなんて、甘いんじゃない?」
「鍛えるには手元においておくのが一番なのよ。霊夢のあの鈍りよう、来年の今ぐらいにようやく以前の強さに戻るぐらいじゃないかしら。あそこまで鈍ってるとは思いませんでしたわ」
「おいおい、鬼に約束を反故にさせようってのかい?」
「反故にしろ、とは言わないけど」
萃香と会話を楽しんでいた紫の目がすっと細められると、白魚のような冷たい指が大工を差し
「現実と幻想の境に建つ神社は幻想の住人が建てるべきですわ」
と、外の人間が神社を建てることに難色を示した。
大工がキセルから口を離すと、
「――つま」
「ええ、その通りですわ。貴方のような外の人間が建てるべきではない、と言っているのです。分かったら、お引き取りくださるかしら?」
会話をする気など毛頭無い、という雰囲気のまま紫は言葉を紡ぐ。
唐突にクビを宣告された形になった大工は、咥えていたキセルを口から落とさないよう右手に持ち、僅かに指先で揺らすと紫に切り出す。
「はい、そうですか、と言うにもな」
「あら、別段『お願い』をしているわけではありませんわよ?」
一回し二回し。紫が日傘を回すに従い段々と周囲から気配が消え気温が下がっていった。
大工は下腹を空いた手で掴み、自分自身に活を入れると、震えを隠さぬまま紫に問う。
「それこそ、鬼との約束を反故にしろって訳か」
「別段、元から履行できない内容なんですから、破るもなにもないでしょう」
その紫の言葉に、大工は僅かな突破口を見いだす。
「ちゃんと知らないようだ。俺はこの鬼から『神社を再々建立したい。ついちゃあ協力してほしい』と言われて、手を貸すことにした」
「で?」
つまらない言い訳を聞いているような表情で紫は大工へと問い返す。
「普請は俺が指図すること、という契約だ。俺は指示するだけで、つまり建てるのはここの住人、鬼だ」
その返答に紫は細めた眼を僅かに見開く。
「あら、随分と強情っぱりな人間ですわね」
そして、さらに眼を見開くと、まるで大工の過去を覗き込むような目つきで問いかける。
「そこまで強情で、どうしてこちらにいるのかしらね?」
「さてな。風が吹いて飛ばされたからかもな。ここにあるはずの廃材とかと同じでな」
「邪魔になるものを残してもしょうがないでしょ?」
その言葉に大工が反応する。
「どこに捨てた?」
「さて、あの天人が最初の神社の廃材を捨てたのと同じ場所に捨てた記憶はありますが、探すのかしら? そんな体で?」
紫の嘲るような声が大工へと投げかけられる。
「人間の体は簡単にガタが来るんだよ。精々、巫女さんの養生に付き合ってやればいいさ」
鬼の神社があったぞという声が境内に木霊するなか、大工はそれだけ言い残すときびすを返し、声のする斜面を駆け下りるべく、藪へと分け入った。
紫はその後ろ姿を眺めると、現れた時と同様に、唐突に姿を消した。
そんな背後の事など構わずに藪から斜面を覗き込んだ大工の目に飛び込んできたのは、分け入った先の斜面の下あるくすんだ柱と真新しい柱の小山だった。
それを眼にした途端、大工は藪に腕を脚を引っかけても構わず、一目散に材木の小山めがけて駆け下りた。
背後から萃香が驚いたような声を上げる。
「おいおい、随分とはしゃいでるじゃないか」
「こちとら宮大工が本職じゃないんだ。前に建てたやつを手本に、真似事をするしかないからな」
荒い息も、藪で切った頬も構うことなく、転がり落ちるような早さで斜面を駆け下りながら大工が萃香に答える。
「だから、さっさと引き上げないと、柱や梁が傷んじまって使い物にならなくなっちゃまずいんだよ」
「前の柱があるとして、こんな場所だ。そこそこ腐ってるかもね。そしたらどうするんだい?」
鬼の言葉ににべもなく大工が答えた。
「別にどうも。ここは夢と魔法がある世界なんだろ」
「そういや、そうだった。直そうと思えば直せるか。」
萃香はそういうと、大工の頭を指差すと
「そういや直せるで思い出したが、その禿頭はどうしたんだ?」
「何言ってんだ。神社の普請なんだぞ? 精進潔斎して臨むのが当然だろうが」
大工のその言葉に、まさかと萃香の表情が露骨に曇る。
「ってことは、私も――」
「頑張れば頑張った分、また酒が飲めるようになるんだから、気楽なもんだろ」
■成分を変更。十包処方
◆
高下駄が岩を踏む音が響いた。
岩の上に立った天狗が団扇で見下ろした斜面の先を指すと
「ここいら一帯の木であればお好きなだけ持っていって頂いてかまいません」
そう告げた。
そこは、山の中腹に位置した日当たりの良い斜面。材木を取るには絶好の場所であり、そこに植えられている杉はその好条件を最大限生かすために太く真っ直ぐなものだけが選び残されていた。
そんな場所を烏天狗の射命丸文は差していた。
その斜面を見て、鬼が感心した声をあげた。
「随分と手入れがされてるもんだ」
「私達だって家に住むんです。そのために良い木材の家で建てたいと思っても不思議ではないでしょう」
文が萃香に答える。
「それじゃあ、約束通りに貰ってくよ」
「まさかリップサービスを鵜呑みにして山まで来られるとは思いませんでしたよ」
「鬼相手に口約束なんかで済むと思ってるほうが可笑しいんだよ」
呆れた声の文に対し、萃香が八重歯をのぞかせ、それとも、と言葉を続け、
「今更くれてやれない、とでも言うつもりかい?」
「いえいえ。それについては、山に口出しされない事を条件にしているので結構です。まあ、育つのにまた干支一回りは待つ必要があるのかと思うとなかなか」
後の始末が面倒です、と建てられるはずだった家が建てられなくなる天狗達による不平不満をどうなだめるかと文はぼやいた。
そこへ、
「なあ、後で東西それと北の斜面の木も見せてくれないか?」
萃香との会話を遮るように出された大工の言葉に、文が眉を潜めた。
「ここにある木じゃダメなのか?」
萃香が、手近な木を優しく叩く。その音が斜面に一杯に木霊するのを聞きながら、
「母屋の北側には山の北側の木を使え、って話があってな。それなりの神社だったら、再建用に自分のとこの山で木を育てるんだけどな」
「そしたら、あそこの山の木で良かったのか?」
「いや、部材を引き上げる際に見た感じじゃ、あそこの神社の山は手入れなんて碌にされてないし、あんな細いのを使うのは無理があるんだよ」
「あー。霊夢もそんなことは知らないだろうからなあ」
下生えが生え放題、枯れた枝が至るところで木々の間に橋を架けるような、薄暗く手入れなどされていない斜面を思い出し萃香は首を横に振った。
「その点、ここなら、北面だろうとかなり手入れはしてあるんだろうと思ってな」
「別に無理に拘る必要はないでしょう」
大工の期待を含んだ言葉に、にべもなく文が答える。
「いや、他の斜面の木を使えばその分ここの斜面から持ち出す本数が減るから、そっちにとっても悪い話じゃないだろ?」
「ただの人間にうろつかれるのが面倒なんですよ」
めんどくさいという表情そのままに話を打ち切ろうとした文だったが、
「山の木を、とは言われたが」
「ああ、はいはい。わかりましたわかりました。お連れしますよ斜面であればどこへなりとも」
暗に脅しにかかった萃香に、文は降参と手を上げると腹立たしげに大工を睨みつけた。
それからしばらくして、萃香達一行が四方の斜面を見終わると、萃香と大工は候補にした木で部材が賄えるか確認するため、一旦南の斜面に建てられた天狗達の見張り小屋で資料の整理を始めた。
二人は、先ほどまで台帳に書き込んだ木の名前、太さ、大まかな姿形と、先日廃材から書き起こした神社の設計図とを付け合わせていき、部材に不足がないかを付け合わせていく。そんな中、大工が広げた図面を前に、水筒の水を口に含みながら文に問いかける。
「この山、池はどこかにないのか?」
「飲み水が欲しければ、里に戻ればいいんじゃないですか?」
「切り出した木をしばらく漬けとくんだよ」
大工の言葉に文の形のよい眉が歪む。
「わざわざ腐らせるつもりですか?」
意図が理解できない、と馬鹿を見る眼を大工に向ける文に対して、大工はそうじゃない、と手を降る。
そして、見張り小屋の柱を指差すと、
「ここみたいに柱が割れたりするのは、木を上手く乾燥させられないからなんだが、水につけとくとうまい具合に後で乾いてくれるんだよ」
「へえ。そうなのか」
萃香が感心した声をあげる。
別段俺の知恵じゃないんだけどな、と大工が頭をかく。
それに対して文は興味無さそうに、池ならいくつかありますがどれも木を浮かべるには小さいですよ、とそっけなく答え、そして萃香の空になった湯のみにお茶を汲むために炊事場に引っ込んでしまった。
大工は、ぼそりと
「里じゃあも少し愛想がよかったんだけどなあ、あの姉ちゃん」
「あ? ああ。天狗なんてのは、みんな外面がいい連中だからね。で、切る木は決まったかい?」
「ほとんど、な。後はここの部材を取るための木をどっちにするかなんだが、木の上のほうを見てきてくれ。うまい具合に根元と同じ方向に反ってればその木を切るし、ダメなら太い方を切ることにする。それで部材は揃う」
大工はそう言うと、北と東の斜面の二本を萃香に確認してくるよう告げた。
わかった、と萃香が短く答えるや、その姿が人の姿をした霞になったかと思えば、不意に消えてしまった。
小屋には、文と大工の二人だけが残される。
炊事場から戻ってきた文は萃香が居なくなったことに気がつくと口をへの字に結び鬼に出すハズだった湯のみを大工が図面を広げた机に置いくと、大工とは口をきくつもりが無いのか、頬杖をついて窓の外を眺めて暇を潰し始める。
大工はそんな文に苦笑しつつ、組み立てから入居までの日程を再確認していた。そして、家財の運び込みの段で、ふと、思い出したように面をあげると、文に尋ねた。
「ああ、そうだ。あそこの写真があるんならちょいと見せてくれねえか? 細かい間取りを確認してたいんだ」
不意に大工が自分に声をかけたことにうろんな表情を浮かべ、しかし、
「間取りなら自分で引いた図面でも見ればいいじゃないですか。さもなければ、鬼を利用してまた神社に行けばいいじゃないですか」
と、にべもなく答えを返す。その口調には、鬼を利用して山に踏み込んだ人間、そう見下した色がはっきりと含まれていた。
が、大工は文の返事が聞こえていなかったかのように、
「まるっきり同じもん建てても不便さまで前と同じじゃ能がねえだろう」
と、同意を求める。
が、大工の言葉に文は鼻を鳴らしてせせら笑う。
「まるっきり同じものが建てられない言い訳ですか?」
「建てて喜ばれんのは初日だけだぜ、んな建物は。わざわざイヤミ言われて建てるのが、そんなしょうもないことをするのはアホウのすることだろ」
「だったらなんで写真なんか見るんですか?」
「暮らしてた人間の知恵が見たいんだよ。」
大工は図面から顔を起こすと、潰れる前の神社を正確に再現した図面を指差し
「こんな勝手の悪い建物を、子供が一人で切り盛りしてるんだ。不自由があるに決まってる。それをどうにかして暮らしてたハズだろ? そいつをなんとかした建物建てるのが仕事ってもんだろ」
「だったら――」
大工の言葉に、文が懐から取り出した写真を片手に条件を切り出す。
「だったら、これらの写真を提供する代わりに、私が刷る新聞には彼方のことは一切載せずに済ませるという条件をのみなさい。この条件がのめるなら、私が今まで撮りためた写真を提供しましょう」
「ずいぶんと、変な条件もあったもんだな」
「我々にも立場というものがあるんですよ」
文が細めた眼で大工を忌々しげに睨んだ。
文達、天狗の事情とは、詰まるところ、山に人間が入り込んだという一点に尽きた。
長く山は余所者を排除することで平穏を保っていた。その平穏をこともあろうに、人間が鬼を利用して土足で踏み入ったという事実はなんとしても無かったことにする必要があった。
そうでなければ、鬼を利用さえすれば山に入れると人間が思い上がると思っていたからだった。
そこで文は、鬼の神社の再建に人間の大工など関わっていなかったことにすることで、自分達の山に人間が土足で踏み込んだことも無かったことにしようと目論んでいた。
そんな文の、天狗達の腹づもりを知ってか知らずか、大工は天井を見上げると、一思案すると、そうだな、と応じた。
「それで仕事が出来るんならそれでいい」
大工はそう言って、文から写真を受け取った。
■濃度を変更。十包処方
◆
大工にとって、山で材料が揃ってからの日々は、飛ぶように過ぎ去った。
まず山で鬼が切り出した木材を川に漬け込み、引き上げた後は乾燥を手短に済ませるために河童達に木材の芯から水をはき出させたり、普請の手順を後世に残すために書き上げた図面を痛まないよう加工させるために紅魔館の魔女の元を訪れたり、欄間や紋様を彫らせるために森の人形遣いを訪ねたり、床下に敷くための炭を竹林の道案内人から調達したり、と慌ただしい日々を過ごし、いよいよ地鎮祭を明日に控えるところまで漕ぎつけていた。
「そういや、地鎮祭のための御神酒がないな」
その日の午後、部材を境内に山と並べ遅れている材木の加工に精を出す萃香の群体を見ながら、ふと思い出したように大工はぼやいた。
「別に、私のコレでいいんじゃないか?」
その言葉を聞いた大工に最も近い萃香は、呑まないのに腰に括り付けたままの瓢箪をちゃぽりと揺らす。
「鬼の酒なんか捧げたら、鎮めるどころか昂るんじゃないのか?」
「それもそうか」
大工の言葉に、かといって一度潰れてまた潰れてで、この神社には酒がないよ、と爪だけでホゾ穴を開けている萃香が返答する。
と、その言葉に大工は予想していたのか、実はいい酒がある、と告げた。
「竹林の医者の所で、結構イケる酒が作られてるんだよ」
「ああ、永遠亭の連中か。あそこは確かに色々やってるからね」
以前の宴会で呑んだ酒の味を思い出したのか、境内にいる萃香が一斉に喉を鳴らす。
が、残念そうな表情を浮かべる。
「とは言え、これ以上は割ける余裕が無いよ」
境内で部材を加工している萃香達が一斉にお手上げと手を上げた。竹林まで行って帰っての道中、大工の無事を保証するために割ける萃香が用意できないと答えた。
そこへ声が混ざる。
「それでしたら、お手伝いしましょうか?」
声の主は八雲紫だった。
「紫か」
文字通り猫の手も借りたい状況だったが、萃香は以前の紫と大工とのやりとりを思い出し、渋るような声を出す。
「あら、仲良くできるとおもいますわ。それとも、私がとって喰うとでも?」
紫が含んだ笑いを向ける。
と、萃香が心底うんざりした表情を浮かべる。
「紫、前々から言おうと思ってたんだけど。ため息を吐くと幸せが逃げるっていうが、紫の場合は、口を開くだけで婚期が逃げるんだよ」
「あら、ずいぶんと、嫌われたものね」
「その性格で好かれたことがあるのかい?」
大工が呆れた声を出す。
「あら、嫌よ嫌よも好きのうちってご存知無いかしら?」
「生憎とそれが本当かどうかは、結局知る機会に恵まれなかったな」
「彼方、もの知らずですものね。その割に、地鎮祭の御神酒にあそこの連中の酒を選ぶとは、無知とはいえ大した選択ですわ」
大工の選択に、何故か賢者は呆れ返っていた。
「その選択に免じてお手伝いして差し上げますわ」
くるりと、いつぞや大工を恫喝した際に持っていた傘を取り出し回した。
大工は、紫の言葉にほっとこれで懸念が無くなったと、一つ息を吐いた。
「そうかい。それじゃ、あんたにとっちゃ短いだろうが、道中よろしく頼む」
大工が深々と頭を下げた。
それを見て紫は僅かに笑って、それでは参りましょうか、と返事をした。
■処方不要
◆
大工が頭を下げてから僅か半月後。
神社の境内には巫女の感嘆の声が響いていた。
声の主はそのまま、神社とその脇の家の中へと入り、更に感嘆の声を上げる。
その声は、神社から玄関へ、玄関から居間へ、居間から炊事場へ、炊事場から風呂場へ、風呂場から納戸へ、そしてまた居間へと、まるで珍しいオモチャに目移りする子供のように、神社と家の中を行ったり来たりしていた。
萃香はそれを眩しそうに目を細めて参道から眺めていた。
「凄いじゃない! こんなことまで?! 萃香、あんた大したものね!」
霊夢が参道の萃香へと叫ぶと、また家の中へと引っ込み新居の冒険を再開する。
その巫女の様子に、萃香はおう、と機嫌良く片手を挙げて返事を返す。
と、背後に玉砂利を踏みしめて近づくものがいた。
「見なよ。あのはしゃぎっぷり。まるっきり子供だね」
弾幕ごっこでの軍神もかくやと恐れられる巫女のはしゃぎように萃香はあごをしゃくって、背後の大工へと同意を求める。
「そりゃ、何よりだな」
大工は短く答えると、普請の契約以来控えていたキセルを懐から取り出す。
「これでお役御免か?」
精進潔斎の必要が無くなったと大工も考えていたことに萃香は苦笑すると、腰に付けていた瓢箪を外し口をつける。
そして、一月ぶりの酒を味わうと、
「ああ、ご苦労さん」
短く礼を言った。
と、背後で石畳に金属が落ちる音が響く。
「おいおい、感動で手が震えたかい?」
二口目を味わいながら背後を振り返った萃香の姿勢の先には、石畳に落ちたキセルしかなかった。
慌てて立ち上がろうとした萃香より早く、大工のキセルを拾う人影があった。
「閻魔?」
萃香の訝しげな声を無視すると、拾い上げたキセルを弄びながら、閻魔と呼ばれた女は神社を眺めた。
ひとしきり神社と家を眺めると、
「これが貴女が大言壮語して建てた神社ですか」
と、萃香を見る。
閻魔のもう一方の手には、天狗の文が発行している新聞があり、その一面には鬼が建てた神社もう落成式と書かれていた。
閻魔の問いかけに、しかし萃香は何も言わず、睨みつけることでなぜ閻魔のお前がここにいるのか、と問うた。
が、閻魔は並の妖怪であれば裸足で逃げ出すその視線を意にも解さず、
「そして、最後にあの大工が手がけた仕事ですね」
と、言葉を重ねた。
その言葉に萃香が噛み付いた。
「最後ってのは、どういうことだ?」
その問いに、出来の悪い子供に諭すような口調で閻魔は答える。
「あの大工は貴女との仕事の最中に死んでいるんですよ」
「じゃあ、さっきまでいたあいつは――」
「あそこまで見事な傀儡だと、傀儡と知っていなければ気がつきようがないでしょうね。実際、延命について相談に乗っていたつもりの森の人形遣いも図書館の魔女も途中からあれが傀儡と入れ替わったことに気がついていませんでしたからね」
さらりと告げた。
あまりの内容に絶句する萃香を更に諭すように閻魔は続ける。
「八雲によれば、あれは地鎮祭の前に既に死んでいるんですよ」
「よれば? よれば、っていうのはどういうことだ」
幻想郷の死者の裁きが管轄である閻魔の言葉に、萃香は訝しげに眉を潜める。
が、閻魔はその言葉を無視し、自分の言葉を並べる。
「貴女の隣に先ほどまでいたのは、あの八雲がこしらえた式神を基に竹林の医者が体臭などを加工した傀儡です。もちろん、大工の知識を詰め込んで、ですね」
「聴いてるのはそんなことじゃない」
手品の種明かしをするかのように、話す閻魔に萃香は声を荒げる。
「私のところに来ていないから、それ以上のことを聞かれても答えようがありません」
閻魔がようやく萃香の問いに答える。それとも、と閻魔が薄く笑い、
「こんな世界に転がり込んでくる人間に、三途の河が越えられるとでも思いましたか?」
当たり前のことを告げる。
三途の河が越えられない、それは魂が消滅したことを意味していた。
そしてそれは、大工は輪廻の輪から外れ、救いの対象にならなくなったことを意味していた。
キセルを筆のようにくるくると回しながら、閻魔は大工についての顛末を語った。
「八雲が聞いたところでは、虎が死んで皮を残すように、神社を残すことで名を残したかったそうですが」
閻魔はここで言葉を区切ると、大工のことなどどこにも書かれていない新聞を軽く持ち上げ、
「叶わぬ夢だったようですね」
現実を告げる。
そして、口を開き反論しようとした萃香に対して、冷たい眼で問いかけた。
「伊吹童子に問いましょう。存在すらしないもののために言葉を費やすのに何の価値があるのでしょうか。『一将功成りて万骨枯る』、鬼とは踏みにじり生きるものと自覚しなさい。それが」
閻魔の言葉に、堪らず萃香が立ち上がると更に声を荒げた。
「それが、私にできる善行だって?」
「結構」
「私の気持ちはどうなる」
と、萃香は掴みかからんばかりに表情を歪めた。
「鬼を踏みにじるのもまた一つ、仏の姿でしょう」
「救いの手から漏れたものなど無かったことが、仏のすることか」
「上手の手から水が漏れることもあるのが世の常。とはいえ、知らぬが仏ですよ、そんな事実は」
それだけ言うと、閻魔は巫女の喜びに水をさすのもつまらないですからね、と言い残すと、大工の遺品となったキセルを折り捨て、用済みの新聞を萃香に押しつけと、いずこともなく飛び去っていった。
後には、大工の大の字すら無い新聞を手に立ち尽くす萃香と、喜色満面で新居を眺めてまわる霊夢だけが残された。
◆
――虎は死んで皮を残し、人は死んで名を残す。神社を再建することで名を残そうとでも?
――名が残んのも伝える相手があってこそだからなあ。俺みたいな、人との繋がりが無いからここに転がりこんじまった人間には土台無理な話だろ?
――今際の際にようやく悟ったのかしら?
――あの鬼は死んだら、何を残すと思う?
――あれが死ぬなど想像もつきませんが、万が一にもそうなったとして、伝説以外に何が残ると?
――だよなぁ。そんな鬼の口から語り継がれるなんざ、最高の冥利じゃねぇか
座敷の下座に控えた男達の輪の中には、一枚の新聞が広げられている。
そこには、人里から離れた山の上にある博麗神社がものの見事に倒壊している写真が大きく印刷されおり、『再建するも強度不足が原因か? 博麗神社またもや倒壊』の見出しが付けられていた。
そして、男達にとって問題だったのがその下の記事だった。
男達はその記事を隅から隅まで一言一句、舐めるように読むと、その新聞を男達へと放り投げた相手へと向き直った。
男達の視線の先、座敷の上座には少女が一人、肘掛けにもたれるようにしてくつろいでいた。
その顔は笑えば愛くるしい作りをしていたが、一つだけ特徴的なものがあった。
それは、頭の両側に生えた一対の角。
鬼。
姿こそ少女のような小ささ、愛くるしさであったが、その中身はといえば、この場にいる男達が束になってかかってもびくともしないほどの剛力を持った人外であった。
「さて」
そんな鬼の短い一言で、男達の表情が強張る。
「その天狗の新聞の通り、博麗神社が潰れてね。再建、いや、この場合は、再々建かね? それを、私が、この伊吹萃香が受け持つことになった」
萃香と名乗った鬼の気楽な言葉に反比例して、一層より一層、男達の雰囲気が硬くなり、
「ついちゃあ、手を貸せ」
その一言に、男達に隠せぬ動揺が走った。
下座の動じた空気を感じ、鬼が片眉をつり上げ、
「ん? なんだ? どうかしたのか?」
男達に返答の許しを出す。
その言葉に、男達の先頭、還暦の男が恐れながら、と深々と頭を下げると、
「恐れながら、伊吹萃香様に申し上げます。此度の普請で御座いますが、間違いなく手前共、里の大工衆で受け持ちます故、何卒、何卒普請までの期間を頂けま
「ならん」
萃香は大工衆の頭領の言葉を一言で断ち切ると、
「落成は予定通り、一月後だ。それともお前達は」
萃香はそこで言葉を句切ると、下座の男達をねめつける。
「この伊吹童子に嘘を吐けと言うのか?」
大工衆の頭領が畳に額を擦りつけての願いを萃香は一蹴し、
「出来ぬことを頼んでいるつもりは無い」
と、にべもなく返すと、口直しと脇に立てかけていた瓢箪を手に取り、ぐびり、と酒をあおった。
それは、大工達との用件は済んだと言わんばかりの振る舞いであった。
が、頭領も食い下がる。
「先般の天人様による普請の際に供した材木。あれだけのものをもう一度となりますれば、切り出すことから始めなければなりません。こちらに書かれているような……、一月での再建はとても無理で御座います」
悲鳴のような声で、頭領は萃香に再考を促すが、
「あるだろう、材木など。それとも何か? お前達は芦か藁で倉を建てようとしているのか?」
小馬鹿にした笑みを浮かべると、萃香は大工衆が冬に向けて倉を改築するために用意している材木の存在を知っている、と言外に告げる。
「あれは――」
虎の子の材木を萃香に指摘され、頭領は苦渋を浮かべ、
「あれは、この里がこの冬を乗り切るために必要な倉を修理するための材木で御座います。何卒、その議はお許し下さいませ」
平身低頭、懇願するも、
「材木はあるのか、ないのか。あるなら再建のために協力しろ、と言っているだけだ」
里の都合など知ったことか、と酒を再度あおる。
と、拍子木を打ったような音が下座から響いた。
同時、呆れた男の声が
「まるっきり、恫喝だな。いっそ、建てるのも手じゃねえのか頭領」
下座の頭領へと投げかけられる。
頭領の首が、慌てて下座の右手にある部屋へと巡らせ、
「黙って
頭領が叱責しようと口を開いた矢先。
萃香が不機嫌な表情を浮かべ、上座と下座そして男の声がした部屋とを隔てる柱とふすまを、爪弾きの仕草一つで砕いてしまう。
通した道の先には、頭領と同年らしき初老の男が一人、生成の作務衣を着てあぐら姿で控えていた。
大工衆が鬼の仕草一つで柱を壊すという所行を目の当たりにし、その恐怖をかろうじてかみ殺す中、萃香が不機嫌を声色に滲ませ頭領をなじる。
「躾一つも満足に出来ないのが次の言い訳か?」
が、作務衣の男は至る所に浴びた柱やふすまの破片を不愉快そうに払うと、手にしたキセルに傷がついていないか気にしながら、
「あそこまで言ってるんだ、建てればいいじゃないか」
頭領へと、再度声をかける。
その言葉に、平身低頭していた頭領が堪忍袋の緒が切れたと畳を殴りつけ、男へと怒鳴る。
「言わせておけば好き勝手無責任なことを言いおって、この、余所者が! それで万一、倉が潰れたらどうなる?! 誰になんと申し開きをするつもりだ!!」
「申し開きはしないが、そうだな」
激高した頭領に答えているようで、男の視線は上座にいる萃香にしか向けられていなかった。
男は、一つ思案をしているというようにあごを撫でると、
「死んだら、当てつけにその神社に死体を送りつけるのも悪くないんじゃないか」
余所者と呼ばれた男の余りの返答内容に、下座の頭領が絶句する。
萃香は、そんな頭領の強張った顔を肴に酒に口を付ける。
「しかし、名乗りもせずに、べらべらと口上が過ぎるんじゃないかい」
萃香の眉尻は既につり上がり、歯をむき出しにするように口がつり上がりつつあった。
「里の中なら殺されないとでもタカをくくってるのかい? 余所者」
萃香のいっそ楽しげなその言葉に、真っ赤になった顔を一転、蒼白にした頭領が男の命乞いのために萃香に再度頭を下げようとするよりも早く、
「鬼のあんたのほうこそタカをくくってるんじゃないのか?」
投げやりに男が告げる。
「このやりとりが神社に、博麗の巫女に伝わらない、とタカをくくってないか? 別段、わざわざ博麗の巫女とやらに直訴なんてする必要なんてのはないさ。自然と、その巫女に対する里の連中の接し方が、がらりと変わるだけだ。お前さんが恫喝した分だけ、な」
男はそこで言葉を句切ると、喉を鳴らして笑う。
「そりゃあ見物だろうよ。腫れ物に触るような扱いをある日突然、そうさ巫女にしてみればある日突然されるんだからな。もっとも里の連中にしてみれば、自分の要望をのませるために妖怪神社の巫女が鬼をかり出したんだ、次は何を言われるか何がかり出されるのか、と怯えるのは当然だろ。それともそこまで、そんな恐怖まで止めようがあるのかい? 鬼の腕っ節ってのは」
作務衣の男が口にした、ありうるだろう将来像は、自分の意のままに動かぬ大工衆に半ば激高していた萃香の頭をいっぺんに醒ました。
萃香の頭の中で、ありえる可能性が矢継ぎ早に上げられては消えていった。そして、最終的に作務衣を着た男の説になるだろうことを認めた。それは人にまつわる簡単な事実のせいだった。
「人の口に戸が建てられればいいんだがな」
「そこまで腕の立つ大工は、三千世界探したっていないだろうよ」
男の嘲るような口調に、手にした瓢箪を一度あおると、
「わかった、材木の手当はこちらでつけよう」
と、忌々しげに萃香が折れる。
その言葉に、下座の男達の空気が弛んだ。
「どうせ次は人も同じこと、というつもりなんだろ」
投げやりに言葉を紡ぐと、萃香がため息混じりに酒を飲んだ。
下座奥の部屋で、男がキセルに口を付けてから、煙とともに言葉を吐きだした。
「猫の手を借りるのとは訳が違うからな」
「そうかい。だったら邪魔をしただけだったようだな。それじゃ話は終いだ。帰っとくれ」
無い無い尽くしの大工衆に対して、下がれと手を振る萃香に対し、
「全く手を貸さない、とは言ってないだろう」
早合点はよくないなと、再び口から煙を吐き出した男が呆れた声を出す。
「素人が建てて巫女が下敷きになったとなりゃ、目も当てられない話だろ?」
その言葉に萃香は上座から腰を上げると、自らが蒔き散らかした襖や柱の破片を踏みしめながら男へと近づく。
「欲しいのは口が達者な奴じゃなくて、腕の立つ奴なんだけどね」
「ここじゃあ、老い先短い職人と腕が立つ職人は同義みたいなもんだろう」
「随分と言うねぇ。そうかいだったらあんたが猫の手だ。依存は無いね」
「そっちこそ老い先短くていいんならな」
萃香は足下にある柱の欠片を二つ、拾うと無造作に指で穴を開ける。
そして、片方を男へと持たせると、瓢箪から酒を注ぐ。
「なら、契約だ」
萃香の声とともに、鈍い木の音が下座に響いた。
■方針を変更。十包処方
◆
博麗神社予定地、とそっけなく書かれた看板を前にして、余所者と呼ばれていた大工がつるりと禿げ上がった頭を撫でて唸っていた。
先日の一件で鬼と大工の契約は、僅かに三つ。
一つ、材料その他は鬼のつてを頼りに大工が調達交渉し、里に負担は求めないこと。
一つ、普請は大工が指図すること。
一つ、落成は一月以内であること。
大工とすれば、すべてを一から用意をするのではなく、潰れた神社の使える部分を使い回してしまうことで、伐採から採寸、切断、加工といった手間を省く腹づもりでいた。
そのため、どこまで使い物になる部材があるのかを確かめるために、獣道をかき分けて人里から離れた博麗神社まで足を運んだのだが、肝心の潰れた神社の梁や柱が境内のどこにも見あたらなかった。
里であれば建屋が不慮で壊れても使える部材を取るまでは捨てるなどということはしないため、大工は一体誰が面倒なことをしてくれた、とキセルを歯がみして考え込んでいた。
と、不意から音と匂いが消え、氷柱を背中に差し込まれたような悪寒、そして首筋を何かが締め上げるような窒息感が大工の五感を襲った。
そして気がつくと、目の前に、薄紫の日傘を差した女が立っていた。
大工がいつの間に、と驚き口を開きかけた瞬間、噛んでいたキセルががちがちと暴れ始めた。
それが、自分の口が痙攣を起こしたように震えているせいだと、大工は気がつくが、どうにも止めようがなかった。
女が日傘をまわしながら一歩踏み出しただけで、至ることから脂汗が滲み、大工のあごからは泣いたような勢いで脂汗が滴り落ちる。
女が次の一歩を踏み出した瞬間、自分は死ぬのではないかと大工は覚悟した。
その一歩を女が踏みだそうとした瞬間、まるで銅鑼が耳元で鳴らされたかのように、一斉に音と匂いが戻り、そして、その耳に鬼の声が響いた。
「なんの用だい、紫」
通り雨に降られたようにぐっしょりと濡れた大工の背後に、いつの間にやら鬼が虚空に頬杖をつくような姿で浮かんでいた。
紫、と呼ばれた女がにたりと笑う。
その名前に大工はある妖怪を思い出していた。
八雲紫。
この幻想郷を作った張本人にして、関わり合いになってはならない筆頭格の妖怪の名前を。
「あら。萃香こそ、火事場泥棒を連れて神社に来るなんて、一体どういう風の吹き回しかしら?」
「再建の下調べだよ」
「あら、あの窓拭き紙の記事、珍しく本当だったのね。それにしても随分と、あの霊夢に甘いんじゃないかしら」
「そっちこそ、再建まで霊夢を自分家に囲い込もうなんて、甘いんじゃない?」
「鍛えるには手元においておくのが一番なのよ。霊夢のあの鈍りよう、来年の今ぐらいにようやく以前の強さに戻るぐらいじゃないかしら。あそこまで鈍ってるとは思いませんでしたわ」
「おいおい、鬼に約束を反故にさせようってのかい?」
「反故にしろ、とは言わないけど」
萃香と会話を楽しんでいた紫の目がすっと細められると、白魚のような冷たい指が大工を差し
「現実と幻想の境に建つ神社は幻想の住人が建てるべきですわ」
と、外の人間が神社を建てることに難色を示した。
大工がキセルから口を離すと、
「――つま」
「ええ、その通りですわ。貴方のような外の人間が建てるべきではない、と言っているのです。分かったら、お引き取りくださるかしら?」
会話をする気など毛頭無い、という雰囲気のまま紫は言葉を紡ぐ。
唐突にクビを宣告された形になった大工は、咥えていたキセルを口から落とさないよう右手に持ち、僅かに指先で揺らすと紫に切り出す。
「はい、そうですか、と言うにもな」
「あら、別段『お願い』をしているわけではありませんわよ?」
一回し二回し。紫が日傘を回すに従い段々と周囲から気配が消え気温が下がっていった。
大工は下腹を空いた手で掴み、自分自身に活を入れると、震えを隠さぬまま紫に問う。
「それこそ、鬼との約束を反故にしろって訳か」
「別段、元から履行できない内容なんですから、破るもなにもないでしょう」
その紫の言葉に、大工は僅かな突破口を見いだす。
「ちゃんと知らないようだ。俺はこの鬼から『神社を再々建立したい。ついちゃあ協力してほしい』と言われて、手を貸すことにした」
「で?」
つまらない言い訳を聞いているような表情で紫は大工へと問い返す。
「普請は俺が指図すること、という契約だ。俺は指示するだけで、つまり建てるのはここの住人、鬼だ」
その返答に紫は細めた眼を僅かに見開く。
「あら、随分と強情っぱりな人間ですわね」
そして、さらに眼を見開くと、まるで大工の過去を覗き込むような目つきで問いかける。
「そこまで強情で、どうしてこちらにいるのかしらね?」
「さてな。風が吹いて飛ばされたからかもな。ここにあるはずの廃材とかと同じでな」
「邪魔になるものを残してもしょうがないでしょ?」
その言葉に大工が反応する。
「どこに捨てた?」
「さて、あの天人が最初の神社の廃材を捨てたのと同じ場所に捨てた記憶はありますが、探すのかしら? そんな体で?」
紫の嘲るような声が大工へと投げかけられる。
「人間の体は簡単にガタが来るんだよ。精々、巫女さんの養生に付き合ってやればいいさ」
鬼の神社があったぞという声が境内に木霊するなか、大工はそれだけ言い残すときびすを返し、声のする斜面を駆け下りるべく、藪へと分け入った。
紫はその後ろ姿を眺めると、現れた時と同様に、唐突に姿を消した。
そんな背後の事など構わずに藪から斜面を覗き込んだ大工の目に飛び込んできたのは、分け入った先の斜面の下あるくすんだ柱と真新しい柱の小山だった。
それを眼にした途端、大工は藪に腕を脚を引っかけても構わず、一目散に材木の小山めがけて駆け下りた。
背後から萃香が驚いたような声を上げる。
「おいおい、随分とはしゃいでるじゃないか」
「こちとら宮大工が本職じゃないんだ。前に建てたやつを手本に、真似事をするしかないからな」
荒い息も、藪で切った頬も構うことなく、転がり落ちるような早さで斜面を駆け下りながら大工が萃香に答える。
「だから、さっさと引き上げないと、柱や梁が傷んじまって使い物にならなくなっちゃまずいんだよ」
「前の柱があるとして、こんな場所だ。そこそこ腐ってるかもね。そしたらどうするんだい?」
鬼の言葉ににべもなく大工が答えた。
「別にどうも。ここは夢と魔法がある世界なんだろ」
「そういや、そうだった。直そうと思えば直せるか。」
萃香はそういうと、大工の頭を指差すと
「そういや直せるで思い出したが、その禿頭はどうしたんだ?」
「何言ってんだ。神社の普請なんだぞ? 精進潔斎して臨むのが当然だろうが」
大工のその言葉に、まさかと萃香の表情が露骨に曇る。
「ってことは、私も――」
「頑張れば頑張った分、また酒が飲めるようになるんだから、気楽なもんだろ」
■成分を変更。十包処方
◆
高下駄が岩を踏む音が響いた。
岩の上に立った天狗が団扇で見下ろした斜面の先を指すと
「ここいら一帯の木であればお好きなだけ持っていって頂いてかまいません」
そう告げた。
そこは、山の中腹に位置した日当たりの良い斜面。材木を取るには絶好の場所であり、そこに植えられている杉はその好条件を最大限生かすために太く真っ直ぐなものだけが選び残されていた。
そんな場所を烏天狗の射命丸文は差していた。
その斜面を見て、鬼が感心した声をあげた。
「随分と手入れがされてるもんだ」
「私達だって家に住むんです。そのために良い木材の家で建てたいと思っても不思議ではないでしょう」
文が萃香に答える。
「それじゃあ、約束通りに貰ってくよ」
「まさかリップサービスを鵜呑みにして山まで来られるとは思いませんでしたよ」
「鬼相手に口約束なんかで済むと思ってるほうが可笑しいんだよ」
呆れた声の文に対し、萃香が八重歯をのぞかせ、それとも、と言葉を続け、
「今更くれてやれない、とでも言うつもりかい?」
「いえいえ。それについては、山に口出しされない事を条件にしているので結構です。まあ、育つのにまた干支一回りは待つ必要があるのかと思うとなかなか」
後の始末が面倒です、と建てられるはずだった家が建てられなくなる天狗達による不平不満をどうなだめるかと文はぼやいた。
そこへ、
「なあ、後で東西それと北の斜面の木も見せてくれないか?」
萃香との会話を遮るように出された大工の言葉に、文が眉を潜めた。
「ここにある木じゃダメなのか?」
萃香が、手近な木を優しく叩く。その音が斜面に一杯に木霊するのを聞きながら、
「母屋の北側には山の北側の木を使え、って話があってな。それなりの神社だったら、再建用に自分のとこの山で木を育てるんだけどな」
「そしたら、あそこの山の木で良かったのか?」
「いや、部材を引き上げる際に見た感じじゃ、あそこの神社の山は手入れなんて碌にされてないし、あんな細いのを使うのは無理があるんだよ」
「あー。霊夢もそんなことは知らないだろうからなあ」
下生えが生え放題、枯れた枝が至るところで木々の間に橋を架けるような、薄暗く手入れなどされていない斜面を思い出し萃香は首を横に振った。
「その点、ここなら、北面だろうとかなり手入れはしてあるんだろうと思ってな」
「別に無理に拘る必要はないでしょう」
大工の期待を含んだ言葉に、にべもなく文が答える。
「いや、他の斜面の木を使えばその分ここの斜面から持ち出す本数が減るから、そっちにとっても悪い話じゃないだろ?」
「ただの人間にうろつかれるのが面倒なんですよ」
めんどくさいという表情そのままに話を打ち切ろうとした文だったが、
「山の木を、とは言われたが」
「ああ、はいはい。わかりましたわかりました。お連れしますよ斜面であればどこへなりとも」
暗に脅しにかかった萃香に、文は降参と手を上げると腹立たしげに大工を睨みつけた。
それからしばらくして、萃香達一行が四方の斜面を見終わると、萃香と大工は候補にした木で部材が賄えるか確認するため、一旦南の斜面に建てられた天狗達の見張り小屋で資料の整理を始めた。
二人は、先ほどまで台帳に書き込んだ木の名前、太さ、大まかな姿形と、先日廃材から書き起こした神社の設計図とを付け合わせていき、部材に不足がないかを付け合わせていく。そんな中、大工が広げた図面を前に、水筒の水を口に含みながら文に問いかける。
「この山、池はどこかにないのか?」
「飲み水が欲しければ、里に戻ればいいんじゃないですか?」
「切り出した木をしばらく漬けとくんだよ」
大工の言葉に文の形のよい眉が歪む。
「わざわざ腐らせるつもりですか?」
意図が理解できない、と馬鹿を見る眼を大工に向ける文に対して、大工はそうじゃない、と手を降る。
そして、見張り小屋の柱を指差すと、
「ここみたいに柱が割れたりするのは、木を上手く乾燥させられないからなんだが、水につけとくとうまい具合に後で乾いてくれるんだよ」
「へえ。そうなのか」
萃香が感心した声をあげる。
別段俺の知恵じゃないんだけどな、と大工が頭をかく。
それに対して文は興味無さそうに、池ならいくつかありますがどれも木を浮かべるには小さいですよ、とそっけなく答え、そして萃香の空になった湯のみにお茶を汲むために炊事場に引っ込んでしまった。
大工は、ぼそりと
「里じゃあも少し愛想がよかったんだけどなあ、あの姉ちゃん」
「あ? ああ。天狗なんてのは、みんな外面がいい連中だからね。で、切る木は決まったかい?」
「ほとんど、な。後はここの部材を取るための木をどっちにするかなんだが、木の上のほうを見てきてくれ。うまい具合に根元と同じ方向に反ってればその木を切るし、ダメなら太い方を切ることにする。それで部材は揃う」
大工はそう言うと、北と東の斜面の二本を萃香に確認してくるよう告げた。
わかった、と萃香が短く答えるや、その姿が人の姿をした霞になったかと思えば、不意に消えてしまった。
小屋には、文と大工の二人だけが残される。
炊事場から戻ってきた文は萃香が居なくなったことに気がつくと口をへの字に結び鬼に出すハズだった湯のみを大工が図面を広げた机に置いくと、大工とは口をきくつもりが無いのか、頬杖をついて窓の外を眺めて暇を潰し始める。
大工はそんな文に苦笑しつつ、組み立てから入居までの日程を再確認していた。そして、家財の運び込みの段で、ふと、思い出したように面をあげると、文に尋ねた。
「ああ、そうだ。あそこの写真があるんならちょいと見せてくれねえか? 細かい間取りを確認してたいんだ」
不意に大工が自分に声をかけたことにうろんな表情を浮かべ、しかし、
「間取りなら自分で引いた図面でも見ればいいじゃないですか。さもなければ、鬼を利用してまた神社に行けばいいじゃないですか」
と、にべもなく答えを返す。その口調には、鬼を利用して山に踏み込んだ人間、そう見下した色がはっきりと含まれていた。
が、大工は文の返事が聞こえていなかったかのように、
「まるっきり同じもん建てても不便さまで前と同じじゃ能がねえだろう」
と、同意を求める。
が、大工の言葉に文は鼻を鳴らしてせせら笑う。
「まるっきり同じものが建てられない言い訳ですか?」
「建てて喜ばれんのは初日だけだぜ、んな建物は。わざわざイヤミ言われて建てるのが、そんなしょうもないことをするのはアホウのすることだろ」
「だったらなんで写真なんか見るんですか?」
「暮らしてた人間の知恵が見たいんだよ。」
大工は図面から顔を起こすと、潰れる前の神社を正確に再現した図面を指差し
「こんな勝手の悪い建物を、子供が一人で切り盛りしてるんだ。不自由があるに決まってる。それをどうにかして暮らしてたハズだろ? そいつをなんとかした建物建てるのが仕事ってもんだろ」
「だったら――」
大工の言葉に、文が懐から取り出した写真を片手に条件を切り出す。
「だったら、これらの写真を提供する代わりに、私が刷る新聞には彼方のことは一切載せずに済ませるという条件をのみなさい。この条件がのめるなら、私が今まで撮りためた写真を提供しましょう」
「ずいぶんと、変な条件もあったもんだな」
「我々にも立場というものがあるんですよ」
文が細めた眼で大工を忌々しげに睨んだ。
文達、天狗の事情とは、詰まるところ、山に人間が入り込んだという一点に尽きた。
長く山は余所者を排除することで平穏を保っていた。その平穏をこともあろうに、人間が鬼を利用して土足で踏み入ったという事実はなんとしても無かったことにする必要があった。
そうでなければ、鬼を利用さえすれば山に入れると人間が思い上がると思っていたからだった。
そこで文は、鬼の神社の再建に人間の大工など関わっていなかったことにすることで、自分達の山に人間が土足で踏み込んだことも無かったことにしようと目論んでいた。
そんな文の、天狗達の腹づもりを知ってか知らずか、大工は天井を見上げると、一思案すると、そうだな、と応じた。
「それで仕事が出来るんならそれでいい」
大工はそう言って、文から写真を受け取った。
■濃度を変更。十包処方
◆
大工にとって、山で材料が揃ってからの日々は、飛ぶように過ぎ去った。
まず山で鬼が切り出した木材を川に漬け込み、引き上げた後は乾燥を手短に済ませるために河童達に木材の芯から水をはき出させたり、普請の手順を後世に残すために書き上げた図面を痛まないよう加工させるために紅魔館の魔女の元を訪れたり、欄間や紋様を彫らせるために森の人形遣いを訪ねたり、床下に敷くための炭を竹林の道案内人から調達したり、と慌ただしい日々を過ごし、いよいよ地鎮祭を明日に控えるところまで漕ぎつけていた。
「そういや、地鎮祭のための御神酒がないな」
その日の午後、部材を境内に山と並べ遅れている材木の加工に精を出す萃香の群体を見ながら、ふと思い出したように大工はぼやいた。
「別に、私のコレでいいんじゃないか?」
その言葉を聞いた大工に最も近い萃香は、呑まないのに腰に括り付けたままの瓢箪をちゃぽりと揺らす。
「鬼の酒なんか捧げたら、鎮めるどころか昂るんじゃないのか?」
「それもそうか」
大工の言葉に、かといって一度潰れてまた潰れてで、この神社には酒がないよ、と爪だけでホゾ穴を開けている萃香が返答する。
と、その言葉に大工は予想していたのか、実はいい酒がある、と告げた。
「竹林の医者の所で、結構イケる酒が作られてるんだよ」
「ああ、永遠亭の連中か。あそこは確かに色々やってるからね」
以前の宴会で呑んだ酒の味を思い出したのか、境内にいる萃香が一斉に喉を鳴らす。
が、残念そうな表情を浮かべる。
「とは言え、これ以上は割ける余裕が無いよ」
境内で部材を加工している萃香達が一斉にお手上げと手を上げた。竹林まで行って帰っての道中、大工の無事を保証するために割ける萃香が用意できないと答えた。
そこへ声が混ざる。
「それでしたら、お手伝いしましょうか?」
声の主は八雲紫だった。
「紫か」
文字通り猫の手も借りたい状況だったが、萃香は以前の紫と大工とのやりとりを思い出し、渋るような声を出す。
「あら、仲良くできるとおもいますわ。それとも、私がとって喰うとでも?」
紫が含んだ笑いを向ける。
と、萃香が心底うんざりした表情を浮かべる。
「紫、前々から言おうと思ってたんだけど。ため息を吐くと幸せが逃げるっていうが、紫の場合は、口を開くだけで婚期が逃げるんだよ」
「あら、ずいぶんと、嫌われたものね」
「その性格で好かれたことがあるのかい?」
大工が呆れた声を出す。
「あら、嫌よ嫌よも好きのうちってご存知無いかしら?」
「生憎とそれが本当かどうかは、結局知る機会に恵まれなかったな」
「彼方、もの知らずですものね。その割に、地鎮祭の御神酒にあそこの連中の酒を選ぶとは、無知とはいえ大した選択ですわ」
大工の選択に、何故か賢者は呆れ返っていた。
「その選択に免じてお手伝いして差し上げますわ」
くるりと、いつぞや大工を恫喝した際に持っていた傘を取り出し回した。
大工は、紫の言葉にほっとこれで懸念が無くなったと、一つ息を吐いた。
「そうかい。それじゃ、あんたにとっちゃ短いだろうが、道中よろしく頼む」
大工が深々と頭を下げた。
それを見て紫は僅かに笑って、それでは参りましょうか、と返事をした。
■処方不要
◆
大工が頭を下げてから僅か半月後。
神社の境内には巫女の感嘆の声が響いていた。
声の主はそのまま、神社とその脇の家の中へと入り、更に感嘆の声を上げる。
その声は、神社から玄関へ、玄関から居間へ、居間から炊事場へ、炊事場から風呂場へ、風呂場から納戸へ、そしてまた居間へと、まるで珍しいオモチャに目移りする子供のように、神社と家の中を行ったり来たりしていた。
萃香はそれを眩しそうに目を細めて参道から眺めていた。
「凄いじゃない! こんなことまで?! 萃香、あんた大したものね!」
霊夢が参道の萃香へと叫ぶと、また家の中へと引っ込み新居の冒険を再開する。
その巫女の様子に、萃香はおう、と機嫌良く片手を挙げて返事を返す。
と、背後に玉砂利を踏みしめて近づくものがいた。
「見なよ。あのはしゃぎっぷり。まるっきり子供だね」
弾幕ごっこでの軍神もかくやと恐れられる巫女のはしゃぎように萃香はあごをしゃくって、背後の大工へと同意を求める。
「そりゃ、何よりだな」
大工は短く答えると、普請の契約以来控えていたキセルを懐から取り出す。
「これでお役御免か?」
精進潔斎の必要が無くなったと大工も考えていたことに萃香は苦笑すると、腰に付けていた瓢箪を外し口をつける。
そして、一月ぶりの酒を味わうと、
「ああ、ご苦労さん」
短く礼を言った。
と、背後で石畳に金属が落ちる音が響く。
「おいおい、感動で手が震えたかい?」
二口目を味わいながら背後を振り返った萃香の姿勢の先には、石畳に落ちたキセルしかなかった。
慌てて立ち上がろうとした萃香より早く、大工のキセルを拾う人影があった。
「閻魔?」
萃香の訝しげな声を無視すると、拾い上げたキセルを弄びながら、閻魔と呼ばれた女は神社を眺めた。
ひとしきり神社と家を眺めると、
「これが貴女が大言壮語して建てた神社ですか」
と、萃香を見る。
閻魔のもう一方の手には、天狗の文が発行している新聞があり、その一面には鬼が建てた神社もう落成式と書かれていた。
閻魔の問いかけに、しかし萃香は何も言わず、睨みつけることでなぜ閻魔のお前がここにいるのか、と問うた。
が、閻魔は並の妖怪であれば裸足で逃げ出すその視線を意にも解さず、
「そして、最後にあの大工が手がけた仕事ですね」
と、言葉を重ねた。
その言葉に萃香が噛み付いた。
「最後ってのは、どういうことだ?」
その問いに、出来の悪い子供に諭すような口調で閻魔は答える。
「あの大工は貴女との仕事の最中に死んでいるんですよ」
「じゃあ、さっきまでいたあいつは――」
「あそこまで見事な傀儡だと、傀儡と知っていなければ気がつきようがないでしょうね。実際、延命について相談に乗っていたつもりの森の人形遣いも図書館の魔女も途中からあれが傀儡と入れ替わったことに気がついていませんでしたからね」
さらりと告げた。
あまりの内容に絶句する萃香を更に諭すように閻魔は続ける。
「八雲によれば、あれは地鎮祭の前に既に死んでいるんですよ」
「よれば? よれば、っていうのはどういうことだ」
幻想郷の死者の裁きが管轄である閻魔の言葉に、萃香は訝しげに眉を潜める。
が、閻魔はその言葉を無視し、自分の言葉を並べる。
「貴女の隣に先ほどまでいたのは、あの八雲がこしらえた式神を基に竹林の医者が体臭などを加工した傀儡です。もちろん、大工の知識を詰め込んで、ですね」
「聴いてるのはそんなことじゃない」
手品の種明かしをするかのように、話す閻魔に萃香は声を荒げる。
「私のところに来ていないから、それ以上のことを聞かれても答えようがありません」
閻魔がようやく萃香の問いに答える。それとも、と閻魔が薄く笑い、
「こんな世界に転がり込んでくる人間に、三途の河が越えられるとでも思いましたか?」
当たり前のことを告げる。
三途の河が越えられない、それは魂が消滅したことを意味していた。
そしてそれは、大工は輪廻の輪から外れ、救いの対象にならなくなったことを意味していた。
キセルを筆のようにくるくると回しながら、閻魔は大工についての顛末を語った。
「八雲が聞いたところでは、虎が死んで皮を残すように、神社を残すことで名を残したかったそうですが」
閻魔はここで言葉を区切ると、大工のことなどどこにも書かれていない新聞を軽く持ち上げ、
「叶わぬ夢だったようですね」
現実を告げる。
そして、口を開き反論しようとした萃香に対して、冷たい眼で問いかけた。
「伊吹童子に問いましょう。存在すらしないもののために言葉を費やすのに何の価値があるのでしょうか。『一将功成りて万骨枯る』、鬼とは踏みにじり生きるものと自覚しなさい。それが」
閻魔の言葉に、堪らず萃香が立ち上がると更に声を荒げた。
「それが、私にできる善行だって?」
「結構」
「私の気持ちはどうなる」
と、萃香は掴みかからんばかりに表情を歪めた。
「鬼を踏みにじるのもまた一つ、仏の姿でしょう」
「救いの手から漏れたものなど無かったことが、仏のすることか」
「上手の手から水が漏れることもあるのが世の常。とはいえ、知らぬが仏ですよ、そんな事実は」
それだけ言うと、閻魔は巫女の喜びに水をさすのもつまらないですからね、と言い残すと、大工の遺品となったキセルを折り捨て、用済みの新聞を萃香に押しつけと、いずこともなく飛び去っていった。
後には、大工の大の字すら無い新聞を手に立ち尽くす萃香と、喜色満面で新居を眺めてまわる霊夢だけが残された。
◆
――虎は死んで皮を残し、人は死んで名を残す。神社を再建することで名を残そうとでも?
――名が残んのも伝える相手があってこそだからなあ。俺みたいな、人との繋がりが無いからここに転がりこんじまった人間には土台無理な話だろ?
――今際の際にようやく悟ったのかしら?
――あの鬼は死んだら、何を残すと思う?
――あれが死ぬなど想像もつきませんが、万が一にもそうなったとして、伝説以外に何が残ると?
――だよなぁ。そんな鬼の口から語り継がれるなんざ、最高の冥利じゃねぇか
すごい好みな文体で、内容もよかっただけに、そこだけが不足で悔やまれる。
あと、冒頭付近で「頭領」という単語が出ますが、「棟梁」じゃなくて良いんですか?
あえていうなら最後のやりとりはあったほうが良いのか、ないほうがスッキリしているのかって考えました。
人間と妖怪の距離間とか凄く物語に合っていてとても面白かったです。
それぞれの都合を掻い潜る中で、
大工のセリフ1つ1つに何かを選び捨てる覚悟が見え隠れするが何とも言えません。
紫も、大工が名を残さず死ぬ覚悟が出来たから手伝ったのでしょう。
それだけに最後の一文が胸にくる。
変な話ですが、こう生きたい、と思えるような人物でした。
お見事でした。作者に感謝を。
そして幻想郷の黒い面を描いた作品も好きです。
良い話をありがとうございました。
ただ、物語としてちょっと展開が急で、背景や心情など分かりにくい感じがしました
たしかに色々描写不足だと感じましたが、意地を張る・貫く系統の話は大好きなのでまたこのような話を読み
たいです。
文量的にはこの二倍はあってもいいかも(と無責任に言ってみる)
内容はとても面白いと思いました。妖怪が身勝手すぎてムカつきましたが、よく考えるとこんな奴らですよね(笑)
主人公がビビりながらも交渉していくのは読んでいてかっこいいなあと感じました。
あんまりにも自然に外来人との話が出てきたので、続きものかと思ってしまいましたが。
妖怪連中がまた自分勝手で恐ろしいのがぴったりです
そして妖怪が怖いのも良いね。
妖怪は人間に恐れられてなんぼだしね。
それを誇るでもなく、何も言わずに神社だけ残して死んでいったのも潔い。
無心に喜ぶ霊夢が話の大きな救いで、名もなき大工のためにも、今後神社が倒壊するようなことがなく
無事に末永く建ちつづけて欲しいと感じました。