博麗霊夢は口寂しい。
いつからかとと問われれば、それは定かではないのだが、恐らくは五日前からだ。
宴会にて八雲紫の持ち込んだスルメが気に入ってしまい、ずっと齧っていたのが本人の心当たりだ。
いや、此処は神社なのだから、縁起良くアタリメとでも表したほうが適切かもしれない。
ともあれ。
あの適度な弾力と酒の進む豊かな風味、何より、噛めば噛むほどに染み出す無限とも思える味に、彼女はすっかり虜になっていた。
今日も今日とて、縁側で茶を飲む日々であり、気が向けば箒で砂利や落ち葉などを片付ける。しかし、いつもならばほぼ無心である彼女の脳内は、イカで味を占めたのか唾液を多めに分泌させている。
最早飲み込むのも億劫である。乙女の最低限の恥じらいとして、なんとか唾を飲み込んではいるが。
限界は近い。空を見上げれば、晴天の下、太陽は未だ昇る最中であった。昼食とするには少々早い。
今の内に内容を決めてしまおうか、霊夢は考えた。米は有る。味噌汁は、今朝作った物がある。残るは付けあわせか。気分としては、味が濃く、口に残る物がいい。例えば・・・
「すっぱい物が食べたいわね・・・」
「御懐妊おめでとうございます!」
「帰れ」
「つきましては取材の方を! いえいえタダでとは申しません、天狗の里より乳幼児に大人気のでんでん太鼓などを進呈しますよ!」
「帰れ」
「それで妊娠何ヶ月目で? お腹も大きくないのでまだまだといったところですか? そういえばおっぱいも全然おおきくなってな」
「アガァァァァアア!!」
「痛ァァァァァアア!?」
博麗霊夢の、噛み付く攻撃。射命丸文は頬に30のダメージ。
振り解こうとするも、巫女の顎は存外に頑丈であった。頭のどこかで、これは接吻の強力版であって実は非常に美味しい状況ではないか、という思考が過ぎったが、それは刹那の幻想すら許されなかった。
とても痛い。頬肉である。柔らかい。痛いのだ。
約20秒程でタップを掛けられ、霊夢はやっと拘束を解いた。真っ赤な歯形と大量の涎を見て、自身の所業に引く。
「これはちょっと酷過ぎやしない?」と言う射命丸に、しつこい上に変なことを言うからだと、きっぱり、そしてはっきりと目を逸らして彼女は突っ返した。
茶柱が立ったが、今日が特にいい日ではないということは既に実証済みである。
内心で溜息をつくと、霊夢は二つの湯呑を持って縁側へ向かう。一つは自分用、もう一つは射命丸の分だ。
縁側では、鴉が日向ぼっこをしていた。歯形は遠目から見ても分かるほどくっきりしているが、もうあまり痛まないのか押さえていない。その彼女に茶を渡し、霊夢は左隣へ。
射命丸は、特に用事があった訳ではなかった。
ただ、風を使って聞き耳を立てると、面白そうな事が流れてきたからというだけである。
それが、この仕打ちだ。
霊夢は謝る気は無い。悪いのは射命丸だと胸を張って言える。
射命丸も謝る気は無い。面白い事はリスキーだと知っている。
平行線。歩み寄る気は、恐らく無い。
初夏の太陽、木漏れ日と緑、蒸散、打ち水の後、湯気の昇る湯呑。
暑いわね、そう言おうと、射命丸は口を開く。
「ところで、なんですっぱい物だったの?」
しかし、出た言葉は違った。まあいいか、と相手に促す。
顔を射命丸から前に戻し、霊夢は答える。視界のやや上方、風で揺れる木漏れ日を視線で追いつつ、彼女は先日のアタリメの事を話した。
宴会には射命丸もいた。だから、その日の霊夢のイカのお気に入り具合は知っている。
あの日、彼女が食したのはアタリメのゲソ、つまりは脚部分だけだったのだが、自然な塩味に独特な食感は確かに美味だと感じた。特に、少し焦げてカリカリになった吸盤部分などは素晴らしいと思ったものだ。
そして、いつも淡白な霊夢が、あそこまで執着する事は珍しいと思ってもいた。しかし、ここまで好きになっているとは予想外であった。
そういえばと、霊夢は話題を修正する。
「あの長い脚のやつ、文は焼いたの食べてたわよね。美味しかった?」
「ああ、美味しいわよ。ちょっと焦げてたけど、そこがまたなかなか。一番太いので私の指くらいだったけど、やっぱり歯ごたえが─────」
そこまで言い、彼女は言葉を止めた。どちらかと言うと、止まったのは思考だろう。眼前の状況が把握出来ない。言葉の風に乗れない。
「・・・・・なにしてんの」
「んむ」
辛うじて出せた射命丸の問いは、霊夢に対してのものだ。奇妙なことに、この巫女はおもむろに彼女の指を銜えていた。人差し指だ。やや歯を立ててるので、このまま食べるのではなかろうかと邪推すらしてしまう。
もごもご、紅白がのたまう。当然、指を銜えたままなので聞き取れない。
もう一度、どうして私の指を銜えてるのかと、射命丸が問うた。霊夢の眉間に皴が刻まれる。どうして分からないのか、という非難の目だ。鴉の眉根も寄る。分かるわけがないという意思表示。
仕方が無いと、霊夢は指から口を離す。ただし、獲物を放すまいと両手でがっしりと掴んでいるが。
「文が言ってたじゃない、イカの脚の太さ位だって」
「・・・それで、銜えたの?」
「想像できるかなって」
「できたの?」
「まだ始めたばかりよ、わからないわ」
とても真剣な、真っ直ぐな目で、霊夢は再び指を銜える。
射命丸は抵抗しない。彼女は非常に利発で、霊夢の説明の間に状況の把握も済んでいる。つまり、霊夢の口内を独占している。非常に美味しいということだ。
そして改めて彼女が思うのは、指の感触が面白いということだろう。舌が這い、歯の感触が指の腹と甲から伝わる。犬歯の感触が無いことから、霊夢なりに気を使っているのかもしれない。
コリコリと、食感を楽しむように噛まれている。
しかし、いつまでも受身と言うのは射命丸の性格ではない。ついつい、指を動かしてしまう。
巫女と鴉の目が合った。巫女の目は細まり、からすの目はいたずらに光る。
先手は既に指が取っていた。マウントポジション、舌を押さえつけようとする。
ぬらりと抜け出、舌は動く。口の中は舌の領域、指如きに遅れは取らない。指は関節があり、動きは飽くまで直線的で、縦横無尽に行動できる舌には中々追いつけない。
高速には高速。追随すべく、指もその動きを早くする。様子を見、フェイントを掛け、猛禽の如く遅い掛かる。
多角と曲線。二人の性格を表したような攻防が、霊夢の口内で繰り広げられる。舌の唾液弾幕と指の押さえつける攻防は、無限とも思われるパターン。二人の目は本気だ。
開かない埒をこじ開けるべく、射命丸は次の手を打った。質が駄目ならば量で行く。指は数あるのだ。
二本目を入れた。
霊夢の顔が焦りと批難に染まる様を見、猛禽の笑みが深まる。自身の優位を知った笑み。
口内は二対一。霊夢の小さな口に指二本では、いかに柔軟に動く舌も観念するしかない。苦しそうに呻いて霊夢は抵抗するが、それもいつまで続くだろうか。
それでも、舌は強敵である。骨のような芯もなく、引っ掛かりもない。指は既に二本あるが、簡単に挟めるものではないのだ。
だから射命丸は、二本の指をより奥へと向かわせる。根元を掴めば、最早逃げようは無い。
刺激で、霊夢の目に涙が浮かぶんだ。どこかで彼女の良心が痛んだが、それよりも、止めてくれと懇願する様に見える霊夢の表情を網膜に焼き付けることに集中していた。
こんな事は滅多に無い。テンションは上がり、体温は上がり、彼女はクックと喉を鳴らした。
最早逃げ道は無く、猛禽は獲物を掴むのみ。勝利を確信し、射命丸は叫んだ。
「とったぁぁぁぁああ!!」
「ウガァァァァアア!!」
「痛ァァァァァアア!?」
博麗霊夢の、噛み付く攻撃。射命丸文の人差し指に50のダメージ。射命丸文の中指に50のダメージ。射命丸文は倒れた。
「調子に乗るからよ」
右手を押さえてうずくまる敗者に、冷ややかな目と共に勝利者が吐き捨てた。
口直しに、霊夢は茶を啜る。唾液と汗の酸味を洗い流し、茶葉の香りを堪能する。
一方、ふらふらと射命丸は腰を上げ、ずり落ちた縁側に座り直す。指の根元は、赤い。
千切れたらどうするのだと射命丸は批難した。あの痛み、そしてそのときの巫女に表情は本気だった。下手をすれば、食いちぎられていたかもしれない。
「噛み千切ったら鶏肉の味なのかしら」
鴉の頬が引き攣った。
ちなみに、
「・・・想像できた?」
「無理だったわ」
「さいで」
齧っておいてこれだ。溜息をつく霊夢を見て、射命丸は内心で巫女よりも深く嘆息する。
しかし、切り替えも早い。事実、収穫はあったのだ。
表層にでてきた嘆息を深呼吸に変え、さてと彼女は立ち上がる。お暇しようというのだ。
待ちなさい。霊夢が言った。
「記事にするつもりは無いわよね?」
返答は、言葉ではなく笑顔。この鴉はカメラを取り出してはいない。しかし嫌な予感。気配。予想は天狗だ。
笑顔には笑顔で返す。しかし、友好のそれとは限らない。
射命丸も感づいたのか、縁側からじりじりと遠ざかる。
頷き、霊夢はスペルカードを取り出す。
「夢想天生」だ。
烏賊が鷲さが出て素晴らしかったです。
夢想転生×夢想天生○
かみつくだけってw