「笹ーいかがですかー」
鈴仙・優曇華院・イナバは、下っ端うさぎを従えて、人里の水車の傍で笹を売っていた。
日頃は薬を売り歩いているのだが、七夕の日には薬よりも笹が売れる。元手が零の美味しい商売だ。
「ひひひ、やめられまへんなぁ」
とてゐが隣で真っ黒に笑う。「悲恋さまさまですわぁ。遠いお空でちゅっちゅしてるだけのバカップルに何を期待しているのやら」
「てゐ、営業に差し障りのあることを言わないの。――あ、いらっしゃいませ」
やってきたのは四人連れの子供だった。一人のっぽで後はちびだ。
「うどんげお姉ちゃん、笹ちょうだい」
「うどんげうどんげ」「やっぱりうどん好きなの?」
小さな子供たちは優曇華の響きがおもしろいらしく、事あるごとに連呼してくる。
鈴仙はすっかり慣れてしまっているので、今更腹も立たない。
「はい、一本一文になります。……はい。四文ちょうどいただきました。ありがとね」
兎に一人ずつ笹を渡されると、子供たちはきゃっきゃと喜んで兎を撫で始める。
「微笑ましいいい客寄せだねぇ」と笹の葉噛み噛みてゐが言う。
「だからそういうこと言わないの。あなた、文句を言うだけでちっとも働いてないじゃない。そんなんじゃそのうち姫様になるわよ」
「げげ、それはご勘弁」てゐは商品の笹を見栄えがするように並べ直す。厄介ものが一人いると、組織の労働効率は高まるのである。
「あ、かささぎだぁ!」
のっぽの子供が川べりを指さす。
見ると、そこには立派な図体のかささぎがいた。きょろきょろと周りを見回して、なんだか泥棒のような動きをしている。
「泥棒かささぎだぁ!」
とのっぽが叫ぶと、ちびたちがケタケタと笑い出す。
「ねえねえ、うどんげぇ、あのかささぎ捕まえてくれたら、もう一文出すよ!」とのっぽは目を輝かせて鈴仙に喚く。どうやらいいとこのぼんぼんらしかった。
「うーん、どうしようかな」
「受けろ鈴仙。一文を笑うものは一文に泣くぞ」
「……うーん、ちょっとかわいそうな気がするけど」
「酒、飲みたないんか? とっくりでグイグイやりたないんか? ケチな永琳に付き合ってたらあんた死ぬ前に干からびるでぇ」
「ぐ……」
確かに、この暑いさなかに一日中立っているのだ。仕事終わりに甘酒の一杯でも飲みたいところではある。
「……仕方ない。ごめんねかささぎさん」
鈴仙はふわりと宙に飛んで、遠くから右手の人差し指で狙いをつけた。
「――えい」
泥棒かささぎは驚いて飛び上がったが、それは既に、弾に当たってからのことだった。
「ふう、さすが私」鈴仙は特に気負いもなく一発で仕留めたことに満足しつつ、草むらでびくびくと体を痙攣させているかささぎをそっと両手で持ち上げた。
「麻酔弾です。勘弁してくださいな」
鈴仙が売り場に戻ると、てゐは笹を縛っていた紐を一本かささぎの足に結わえ付けた。
「わー、すごい。ありがとう」と、のっぽはかささぎを赤ん坊のように抱きしめる。
「でもお姉ちゃんパンツ見えてたよ」
「あれはパンツじゃなくてブルマだから恥ずかしくないの」と鈴仙は流した。
「このかささぎ、しばらくは麻酔が効いてるから目を覚ましてもおとなしいだろうけど。日が落ちる頃には麻酔が切れて暴れるわ。危ないから放してあげなさいね」
「えー、ずっと飼いたい」とのっぽは文句を言う。
「ダメよ、かささぎを捕まえたままだと、彦星が織姫のところに行けなくなるでしょう」と鈴仙は優しく諭す。
「あ、そっか。橋が架けられなくなるもんね」とのっぽは顔をほころばせる。「じゃあ、夜になったら放してあげる。僕って優しい?」
「ええ、優しいわ」と鈴仙は微笑む。
「おお優しい優しい」とてゐはおどけてバカにするが、子供には通じていない。
「ずるいー、私もかささぎ欲しい!」
「うどんげー俺にもくれよぉ」
子供たちが不平を漏らすが、かささぎなんぞそうそう見つかるものではない。白と黒の対照的な模様をした、どっかの魔法使いみたいな珍しい鳥である。
「見つけることができたらねー」と流して、鈴仙は他の客がいないかと辺りを見回した。
「ん……?」
「あー、泥棒かささぎいたー!」とちびが喚く。
気のせいではない。民家の屋根に止まって、きょろきょろと不振な動きをするかささぎが見える。
「あー、あっちにも!」
別の民家の屋根にも止まっている。
「どういうこと? こんなにかささぎばかり居たかしら?」
「どうでもいいって、鈴仙。ビジネスチャンスだ」てゐは耳をひょこひょこさせた。
「一羽残らず捕まえて、人間共に売りさばくのだ!」
○
――ものすごく、儲かった。
「ふひひ、笑いが、笑いが止まらんわぁ」
てゐは興奮の余り頬を赤らめながら、一文銭を紐でくくって束にしている。
「ボロいのう。幸運にも程があるでぇ」
「……ほんと、どういうこと?」
捕まえたかささぎは、全部で百羽にもなった。もっと捕まえることもできたのだが、需要が尽きたので無益な弾は撃たなかった。
この珍事に里人たちのテンションが上がったらしく、笹も飛ぶように売れて、日が落ちる前に完売した。
「えーっと、こっちが永琳に報告する笹の分で、こっちはあんたらの取り分ね」
てゐは勝手に配分を決め、銭を兎たちに背負わせている。
「これを持って永遠亭に報告に戻りなさい。自分たちのへそくりは、先に隠して置くんだよ。私と鈴仙はちょっと飲んでから帰るね」
兎たちは何度も頷くと、素早い動きで竹林の方に消えていった。
「あの子たち、お金もらっても使わないでしょうに」
「いいんだよ。自分のものがあるってだけで、あの子たちは幸せなんだ」とてゐは言った。「それに、口止め料やっとかへんと、チクられたらかないませんからなぁ」
「相変わらず計算高いわねぇ」と言いつつ、鈴仙も目の前のお金の束にちょっと狂い気味だった。
「何処で飲もうかなぁ。せっかくだから星が見えるところがいいな」
「ってえと、みすちーんとこの屋台かなぁ」とてゐが言う。「里の飲み屋じゃ屋根が邪魔だ」
「そうね。そこにしましょう」と鈴仙は頷く。
ミスティアの経営するヤツメウナギの屋台は、近頃ずいぶんと評判がよくなっている。リグルが共同経営者になったおかげで、虫刺されを気にすることなく落ち着いて飲み食いできる空間に早変わりしたのである。
席も増え、屋台というよりビアガーデンのような雰囲気になっている。酒の持ち込みも可なので、二日に一度は酔っ払いの鬼がやってきて騒ぐのが玉に瑕ではあるが。
「――私も、混ぜてくれないか?」
振り向くと、上白沢慧音がそこにいた。
涼しげな青のワンピースに、いつも通りの堅苦しい帽子。
あ、これは機嫌が悪いときの含み笑いだなと、鈴仙は冷や汗を掻きながら思った。
三人は川沿いの道を下って、少しずつ人里から離れていく。
てゐはさっきから逃げたそうにしているが、そのたびに慧音が牽制するように話しかけるので、逃げられない。
「てゐ」
「う……なんか用?」
「どうしてかささぎが大量発生したんだと思う?」
「知らないよ、そんなの」
ほんとに飲み屋まで付いてくるんだろうかと、鈴仙は暗い気持ちになった。
――なんかこう、騒ぎにくいんだよなぁ、この人がいると。
「大量発生しただけじゃない。他の鳥の姿が、一切見えなくなっていた」
慧音は鋭い考察を兎たちにぶつけた。
「あ、確かに。言われてみればそうですね」と鈴仙は感心する。
「他の鳥は逃げちゃっただけじゃないのー。あんだけ群れられりゃあねぇ」とてゐは茶化す。
「かもしれんがな。もっとこの異変には、もっと現実的な解があるだろう」と慧音は言って、探るように鈴仙を見た。
「……えっと」
鈴仙はうつむく。
うう、苦手だ。
「人里の生き物にだけ、全ての鳥がかささぎに見えていたとしたらどうだ?」
慧音は穏やかな口調でそう言った。
鈴仙は、さっきから自分たちに向けられているプレッシャーの理由がようやくわかった。
「目の錯覚……と言いたいわけですか」
「ご名答」慧音はおもしろくもなさそうに褒めて、立ち止まった。
「さて、ここまで人里から離れれば、弾幕勝負には十分だ」
――うー、疲れてるのに、勝負なんてしたくないよぉ。
鈴仙はなんとか誤解を解けないものかと焦って口を動かす。
「確かに、なんらかの妖怪が錯視を仕掛けた可能性はありますが、私ではありません」
「……説得力がない」と慧音は首を振った。「犯人探しの基本は、事件によって誰が得をするのかを見極めることだ」
「うう……」
確かに、自分たちは得をしている。疑われる資格はありありだ。
「証拠がありまへんなぁ」とてゐは言った。「疑わしきは罰せずが法の精神だろ」
「証拠の見つけようがない」と慧音は落ち着いて答えた。
「――だから、有無を言わさず取り押さえることはしない。弾幕勝負で私に勝てば、その銭ごと見逃してやろう。私に負けたら、詐欺の上がりは置いていけ」
「詐欺じゃないってのに」てゐはぼやいて耳を掻いた。
「まったくこの堅物は。これ以上の会話は無駄だね。やれ、鈴仙! 私たちの銭を守るんだ!」
「私がやるのぉ? ……疲れてるのになぁ」
「私がやったら負けるし、負けたら酒も飲めないぞ」とてゐが正論を吐く。「ちなみに、負けたら半年は根に持つからね」
「うへぇ……ま、仕方がないわね」
鈴仙は右手の人差し指を慧音に向けた。
「降りかかる火の粉は払いましょう!」
「――化さ詐欺(かささぎ)退治、楽しからずや」
互いの間を、最初の光弾が行き交った。
○
「赤眼催眠(マインド・シェイカー)!」
慧音の放った鏡の弾幕を全て躱し、鈴仙は反撃を試みる。
全ての弾が二重にぶれ、二倍の弾となって敵を襲うスペルカード。
だが慧音はその全てをなんなく避けきっている。
「……また、決めきれない」
二人が戦い初めてそろそろ一刻が経とうとしていた。互いに被弾は零。ちょっとどうかと思うぐらいの泥仕合が続いている。
満月でもない今、自力は鈴仙が少し上。だが慧音とは既に何度も戦い、互いの手の内は見せあっている。
ましてや慧音は歴史のスペシャリストだ。「過去に出会った弾幕」を頭の中で再現し、牛のように何度も反芻して慣れきっている。
新技でなければ絶対に食らわないという、「完璧な復習」のスキルこそが上白沢慧音の驚異。
避けるだけなら巫女レベル。攻撃力は温いものの、満月の夜にはその弱点もカバーされる。
一度倒しても満月の夜に必ず「復習」もとい「復讐」にやってくる「ふくしゅう!」の半妖として、ある意味巫女よりも恐れられている相手だ。
――新技、何か新技を。
「って、そんな簡単に思いついたら苦労しませんよぉ!」
鈴仙は疲れた体で、剣の弾幕を躱しつつ、必死で新技の構想に頭を巡らせていた。
「てゐ! ぼーっと金数えてないで、あなたも何か考えて!」
てゐはあんまり退屈だったので銭を数えて悦に入っていたのだが、その一言で我に帰った。
「う、うーん。……そう言われてもなぁ」
「早く! もうなんかほんとしんどくて無理なの。お酒飲みたいの!」
「おうち帰って、みんなとのんびりするかなぁ」
「何諦めてんのよ!」
「冗談だってば」てゐはぴょんと身を起こした。
「あんた錯視家だろ? 慧音の苦手とするものとか、好き過ぎて平常心を失うものとか、弾幕をそういうものに錯覚させればいいじゃないか」
――なるほど。
鈴仙は玉の弾幕を必死でよけつつ頭の隅で考える。
(でも慧音の苦手なものってなに? 好きなものもあんまよく知らないし)
「なんでもいいから試してみろ!」
「くっそー……こうなったら!」
――イメージしろ。
好きなものと言われてイメージするのは誰だって最高のうな重だ!
うな重が嫌いな生き物なんてこの世にはいない!
「――喰らえ新技・鰻重十人前(ウナギ・ファンタジア)!」
十の弾幕の塊がうな重と化して慧音を襲う。
「愚かな!」
慧音はその全てをなんなく躱し、あまつさえ最後の一つを地面に叩きつけた。
「ああ! なんてもったいない!」
「焼きが甘いのよ。妹紅が焼いたのとは比ぶべくもない!」
「くう……ならばこれでどうだ! 新技:日本酒百杯(ニッポニア・ヒャッパイ)!」
日本酒の徳利を百壺ぶつけるだけの手抜き弾幕が慧音を襲う。
「そんな適当な名前の弾幕、食らってたまるか」
「お酒が飲みたいんですよぉ! もう許して!」
「ダメだ。その金を回収して里の夏祭りの資金にする!」
慧音は三種の神器を繰り出して、次々と波状攻撃を仕掛けてくる。
四六時中体育の授業をこなしている慧音の体力は無尽蔵だ。
「私は理系のインテリうさぎなんですよぉ!」
「いい機会だ、体も鍛えろ!」
鈴仙はゼーハーいいながら必死で弾を避け続ける。そろそろ死ぬ。もういい加減限界だった。
頭の中ではうな重と日本酒がぐるぐると回っている。
――嫌だ、絶対に、諦めない!
必ず、勝つんだ! 勝ってお酒を飲みに行く!
――その時だった。
「子供」執念だけで動いている鈴仙に、てゐが悪魔のように囁きかけた。
「慧音は子供好きだ」
――日頃なら絶対にやらない、外道な錯視。
だが、今の鈴仙は、とっくに良心のリミッターなど振り切れていた。
「これで……どうだ! 新技・友達百人(フジヤマ・アッパーズ)!」
鈴仙は死に際の集中力で、今日笹を売った子供たちの姿を必死に思い出し、弾幕の塊に貼り付けていく。
「せんせー」「せんせー」「せんせー」「せんせー」
「せんせー」「せんせー」「せんせー」「せんせー」
「せんせー」「せんせー」「せんせー」「せんせー」
「む……」慧音は少したじろいだが、それでも無様に当たりに行きはしなかった。
向かってくる子供たちを避けてはいなしつつ、マイペースに反撃を続ける。
「未熟だな。どの子も表情が死んでいるぞ」
「――っくう」
鈴仙の動きが目に見えて鈍った。さっきの大技にほとんどの精神力を使い切ってしまったのだ。
「諦めるな!」とてゐが叫ぶ。
「慧音の好きなものはまだ残ってる」
「……な……何が……早く言って!」
「藤原妹紅」
「!?」
「だ、誰が誰を好きだって!」
動揺した慧音の弾幕が乱れる。
鈴仙はものは試しと弾幕を集め、妹紅の姿を貼り付けてみた。
「新技・不死身系女子(フジワラノモコウ)!」
さっきの教訓を生かして、振っきれたような笑顔である。
「……喝!」
慧音はたじろぎを振り払って、妹紅の抱擁をひらりと躱した。
躱しきって、みせた。
「手品は……もう終わりみたいだな」
空間に三種類の弾幕を集めている。ここで終わらせる気なのだと鈴仙は直感する。
「答えが見えた!」とてゐが叫んだ。
「今までの弾幕、どれ一つとして間違っていない! 鈴仙、あんたにはもう答えが見えてるはずだよな!」
「……ええ、わかったわ、てゐ」
鈴仙はよろりと立ち直り、右手の人差し指を慧音に向けて、弾幕を集めていく。
「これが、本日最後の鈴銃(レイガン)よ。これでダメなら後は倒れるしかないわ」
「――言い残すことはそれだけか」慧音は三首の神器で集めた弾幕を、ついに解き放った。
「……新技」
鈴仙は両目を真っ赤に染め上げて、今までの錯視を全て込めた。
「百万回生きた妹紅(ムゲンノモコタン)!」
――それは、右手にうな重を持ち、左手にとっくりを持った子供の姿の妹紅が、百人単位で襲ってくるという世にも恐ろしい地獄絵図。
「けいねー」「けいねー」「けいねー」「けいねー」
「けいねー」「けいねー」「けいねー」「けいねー」
「けいねー」「けいねー」「けいねー」「けいねー」
鈴仙は力尽き、地に倒れ伏せる。
「な、これは、っく」慧音は動揺し、攻撃を中断してしまう。
「こ、こんなもの……こ、こんな、か……可愛くてよけられない!」
ピチュウウウウウウウン――
夕暮れの川べりに、決着をつける音が鳴り響く。
「鈴仙、鈴仙!」
「う、ううん」鈴仙は頬を叩かれ、短い気絶から蘇った。
「……勝敗は、どうなったの?」
「あれを見ろ」とてゐが言う。
指さした先には、「も……もこたん……もこたんかわいいよ……」とくねくねしながら幻と戯れている慧音の姿があった。
「……そう、私、勝てたのね」
「あんたはすごい女だよ、鈴仙」
「……これで、やっと、お酒飲める」
鈴仙の真っ赤な瞳から、熱い涙が溢れてきた。
「ふ……ふぇ、お酒飲めるよぉ!」
「よしよし、よかったな、鈴仙。私もとても幸運だ」
てゐは鈴仙の肩をしっかりと抱きながら、――ふう、酒を飲むのも楽じゃないなと思った。
大きな夕日は沈みかけ、そろそろ星が出る頃だった。
○
四半刻後。ミスティアの屋台、「炉尾礪来」。
「美味しいよお、美味しいよお」
鈴仙は四人がけのテーブル席で日本酒を飲みながら、まだ泣いている。
「しかし不思議だ」と、隣の席で慧音が言った。「本当にお前たちじゃないとしたら、いったい誰の仕業だろう」
「って、あんたも来るのかい!」とてゐが向かいの席で突っ込む。
「自分の金だ。文句はあるまい」慧音はポケットの中の財布を撫でて言った。
「文句はないけど、もこたん恋しさならカウンター席に行けよ」
件の妹紅はカウンターの向こうでヤツメウナギを焼いている。
バイト姿がよくなじむ女だった。
「あいつも仕事中だ。今行っても迷惑だろうしな」と慧音は咳払いをする。
「まったく牛を引き連れて。私らまるで牽牛だね」とてゐはクスクス笑った。
「牛と白澤は全然違うぞ」慧音は口を尖らせ、日本酒を啜る。
「……ん、冷えてるな」
「夏はチルノも臨時に雇うんだと」
「なるほど」と慧音は頷いた。「一見役立たずなものたちでも、集まって商売をやればそれなりに役に立つのか」
「あ、今のセリフ、もこたんにチクっちゃおうかな」
「妹紅はそれぐらいでは怒らんよ」
「どうかねぇ」
「日本酒、日本酒美味しいよぉ」と鈴仙はむせび泣く。
「へい、うな重お待ち」と妹紅が人数分のうな重を持ってくる。
「慧音がここに来るなんて、珍しいな」
「……来ちゃった」と慧音は恥じ入っている。
「今ね、私ら牽牛だねって話をしてたんだけど」とてゐが妹紅の袖を引く。
「ん? 牽牛って……。そういや今夜は七夕か」
妹紅は星空を見上げる。「よく晴れてるが、どの星がどれだかわかんねぇな」
「あれが牽牛で、あれが織姫だ」と慧音が夜空を指さすが、遠すぎてよくわからない。
「そうそう、慧音が牛で私らが牽牛。ってことは、ポジション的に、あんたが織姫になっちゃうんだよね」とてゐが茶化す。
「姫だぁ?」妹紅は不満げに頭を掻いた。「やめてくれ、嫌な奴の面を思い出す」
「やっぱそうなるよねぇ」とクスクス笑って、てゐは何気なく夜空を見上げた。
「――あ!」
てゐはそのまま後ろに転げ落ち、くるりと起き上がると、三歩走って高く飛び、木のてっぺんによじ登る。
「なんだ」「……何か見えたのか」
妹紅と慧音は顔を見合わせて、てゐの後を追って空に飛び上がる。
「うな重、美味しいよお」鈴仙はがつがつと食らっている。
「ほら、見てよあれ!」
てゐの指さした夜空には。
虹かと見紛うほどに大きな、星空も霞むほど純白に光るアーチが架かっていた。
「うわあ……」妹紅は瞳を輝かせる。
「あれは……鳥? まさかかささぎか!」
慧音はからくりを見破って、ごくりとつばを飲み込んだ。
「よくもまあ、集めも集めたり数千羽。いや、数万羽か? すごい数の鳥だ」
「あれが全部かささぎ?」妹紅が楽しげに顎をさする。「誰がやったのか知らないが、ずいぶん粋なことをするじゃないか」
「誰が……そうか」慧音がパンと両手を合わせた。
「あの方角は命蓮寺。――あの大橋、人里と命蓮寺を繋いでるんだ」
てゐもその言葉でようやく気づいた。
つまりこれは、あの尼さんの仕掛けなのか。
「命蓮寺って、最近新しくできた寺だよな。私はよく知らないが」と妹紅が言う。
「ああ。人間も妖怪も分け隔てなくという、理想主義的なお寺だよ」と慧音が言った。「私とは相容れない考え方だが、害のある連中じゃない」
「でも、どうしてお寺が七夕ごっこ?」とてゐが首をひねる。
「……推測だが。おそらく鈴仙よりももっと大きな力を持った錯覚使いの妖怪を、匿っているんだろう」と慧音は言った。
「幻想郷中の鳥をかささぎにして、しかも言うことを聞かせられるんだ。外からはかささぎに見えるように、鳥たちには自分が「親」であるかのように。刷り込みを利用したな」
「そんなの、対象範囲が広すぎる。本当に鈴仙と同じ力なの?」とてゐが訝しむ。
「星蓮船のUFO騒ぎ……。あれだけ広範囲に観測されたUFOは、実は一人の妖怪が錯覚させたものと聞いている。――他に考えようもない。狙いは、その妖怪の人里デビューだ」
「人里デビュー?」
「そうだ。おそらく見てくれが恐ろしいか、なんらかの理由で人間には好かれない妖怪なのだろう。だが、今回の一件で評価が変わる。あの妖怪はなんですかと聞かれたら、「かささぎで橋を作ったステキな妖怪です」と答えればいい。それだけで、人間なら誰でも心を許してしまう」
「……うーん」とてゐは唸った。「よく考えてるなぁ」
「なるほど、いい奴らじゃないか」と妹紅はさっそく気を許したらしい。「お前んとこの陰険な姫とは大違いだな、兎公」
「アレと比べたらなんだってマシになる」とてゐはクスクス笑った。
ぴょんと木を飛び降りて、鈴仙のテーブル席に戻る。
しばらくうな重を食べながら待っていたが、どうやら慧音と妹紅は光る橋を眺めることに決めたらしい。
仕事中にいいのだろうかとミスティアをチラ見すると、彼女は「しーっ」と唇に手を当てて朗らかに笑った。バイトの恋路はOKな方針なのだ。
「やれやれ私ったら、ただ生きてるだけで全方位に幸運をばらまくんだから、困ったものだよ」と満足げに独り言を言って、てゐはぐいっと日本酒を煽る。
「美味しいねぇ、てゐ。美味しいねぇ」
「いつまで壊れてんの、鈴仙」
とケタケタ笑う傍から、災厄が忍び寄ってきた。
「あら、夜食にうな重なんて、いいご身分ね、イナバども」
暗闇の中から黒髪の乙女が現れる。
「え、ちょ、輝夜様!」
てゐは驚き呆れて杯を落としてしまった。
「なんでこんなところに!」
「んー、なんかねぇ、七夕でしょう。どっかの妹紅ちゃんが幸せそーなオーラをぷんぷん振りまいてるような気がして」と輝夜は意地悪く笑った。
「なんか、想像するだけでうざいから邪魔してやろっかなーって」
うざいのはどう考えてもお前だと喉まででかかった言葉を飲み込み、てゐは作り笑いを浮かべた。
「あ、あらそう。それはよござんしたね」
「あ、妹紅だ。やっぱり幸せそうだねぇ。念の為に来てよかったよぉ。おーいいちゃついてんじゃねーぞぉ。下りてきなー。けけけけ」
――この人はこれで幸せだからどうしようもないんだよなぁと、てゐは深いため息をつく。
「てめぇ、輝夜、何しに来やがった」
妹紅がさっそくマジギレモードで天の河から降りてくる。
「あぁん? 相変わらず偉そうねぇ、もこたーん」
「もこたん言うな!」
「撤収! 撤収!」店が破壊されるのを恐れたミスティアがさっそく店じまいの準備にかかる。
てゐも手伝うことにした。ふと鈴仙を見ると、何かを達観したようなふんわかした瞳で、輝夜と妹紅の言い争いを眺めている。
「そうだよねぇ……織姫もたまには自分から迎えにいかないと……」
「何訳のわかんないこと言ってんの。ほら行くぞ!」
てゐはへべれけの鈴仙を抱えて。
夜空に橋がかかろうと、どうやら大して関係もない我が身の色気のなさを笑った。
○
同刻。永遠亭の客間。
「と、言うわけでございまして」
ナズーリンは永琳と差し向かいで座って、異変の説明のまとめにかかっていた。
「かささぎのようでいて、夜になると眩く光るという「未知」を、幻想郷中の鳥に仕掛けたんです。天狗にも協力してもらって、下準備に数ヶ月はかかりましたねぇ。いやあ大変でした」
「とてもおもしろい試みね」と、永琳はにっこり笑って評価する。
「鳥にはどうやって言うことを聞かせたの?」
「かささぎはカラス科の生き物ですから、能力を発現させて姿を変えた後なら鴉天狗の言うことを聞きます。見返りは独占取材と、制作過程のドキュメンタリーへの出演でした。ま、安いものですよ」
「ちょっと珍しいものにならなんにでも食いつくのねぇ、天狗って」
永琳はにこにこしているが、言葉尻から機嫌の悪さがひしひしと伝わってくる。
「で? それをどうして永遠亭に説明に来るのかしら」
「実はですね」ナズーリンはつばを飲み込んで話を続ける。
「おたくの兎さんが、人里でかささぎを捕まえて商売をしていたらしいんですね。うちとしては特に問題がない些事なんですが、いずれはうちの仕掛けとバレる以上、きちんと説明しておいた方がいいかなと思いまして。私の独断でございます。金銭的なトラブルは鬱陶しいですからね」
「なるほど。賢明です」と永琳はにっこり笑った。
「使える部下を持って、聖さんは幸せね。……それに引き換え、うちの兎はかささぎの儲けをきちんと私に報告しないし、そのお金で遊んでいるのか、未だに帰ってきやしません。作った晩ご飯が無駄になってしまって。ねえ? 別にこれぐらいのことで怒りは……しませんが。ねえ?」
「いや、ははは」ナズーリンは、他人事なのに背筋が凍りついていた。
「いやほんとね。後三十秒で帰って来なかったら耳の毛を削ぎとってやろうかなんて、全然思ってはいないのよ」
「は、はあ……」
帰りたい。
早く、早く帰ってこい兎たち!
「姫様まで何処かに消えてしまうし。いったいどうしたらいいのかしらね」
「その……探しに行きませんか? 私、探しものが得意だったりしまして」
ナズーリンがさっさと帰りたいがために放った言葉は。
「あら、それはいいことを聞いたわ」
永琳の心の奥深くを捕えた。
「ちょっと待っててね。弓矢を持ってくるから――」ゆらりと立ち上がり、永琳は奥の間へと姿を消す。
「は、はい……」どうして弓矢が必要なのかなぁと、ナズーリンはあまり考えたくもないことを考える。
こうして、兎たちにとっての、長い長い七夕が始まった――。
うどんげのイカレっぷりも素晴らしい。
王道ネタかと思いきや、と。
>>うっとおしいですからね
うっとうしい
鈴仙は不憫。
永琳おかんが夕飯作って待っているというのに、この兎達ときたら
まぁ慧音のこともあったけどさ
もっとこんな雰囲気の話が読みたい。
鈴仙がこの世界に馴染んでてすごくいい感じ。頭を撫でてあげたいくらい可愛いですな。