「妖怪はどうやって死ぬと思う?」
いつもの如く、問い掛けは突然だった。
振り返った先にあるのはこれまたいつもの胡散臭い笑み。
見慣れてしまった金の髪に紫色の双眸。胡散臭さを助長する道士服。
始めからそうであったという体で彼女はちゃぶ台の向こうに座っている。
「お茶うけは出さないわよ」
「残念。戸棚の羊羹おいしそうだったのに」
なんで我が家の食料配置を知ってるんだこいつ。
「それで、今日は何の用? ここ最近はこれといった異変も無かった筈だけど」
ついさっきまで誰も居なかった筈の席で、紫は微笑む。
「驚かなくなったわねぇ、霊夢」
いちいち驚いていられるか。付き合いも長いし、八雲紫はそういう妖怪なのだし。
この妙に甘ったるく聞こえる声に限定すれば夜闇から突然語りかけられたとしても驚かない。
驚かせたいんなら魔理沙の所でも早苗の所でも行けばいい。あいつらなら驚いてくれるだろう。
そもそもこいつは私に何を求めてるというのか。驚かせるというのならお門違い。
妖怪退治を生業としているこの私に求めるものじゃない。
花よりも濃い熟れた果実の甘い香りを思わせる笑みを睨む。
「からかいたいんなら、まり」
「それ以上言っちゃダメ」
中空から生えた手が、指を伸ばして私の口を塞いでいた。
「私はあなたに会いに来ているのよ霊夢。他の誰でもない博麗霊夢。代わりは居ないわ」
笑顔のままだったけれど、声に含まれる甘さは薄れていた。
紫が私にお説教する時の声。でも、笑みの形で閉じられた口は開かれない。
これ以上言うことはないというのか。それだけで察しろなんて、無理難題を――
「…………」
紫は、決して出来ないことを要求しない。
私なら解答に至れると確信して言葉を切ったのだ。
見透かされているようで、言い気分ではないけれど。
このまま考えもしないというのは負けたみたいで、もっと嫌だった。
考える。何故怒られたのか。魔理沙の名を出そうとしたら止められた。こいつと魔理沙は別に仲が悪いってこともないし、魔理沙の名を聞きたくなかったというわけじゃないだろう。むしろ、仲は良い方だと思う。魔理沙は物怖じしないから、紫はそんなところを気に入ってるみたいで――?
……うん? 魔理沙は関係ない? でも、確かに魔理沙の名を出すのを止めて……
「思い悩む顔も可愛いわねぇ」
変わらぬ笑み。彼女の心の内は何も動いていない。
怒ってない? 変わったのは声だけ? それは、つまり――
「私をからかっても面白くないわよ、この陰険妖怪」
悪態は、我ながら説得力に欠けていた。
彼女は十分に楽しんだだろう。癪に障るがいくら否定しても意味がない。
忌々しい。私は何時までこいつに遊ばれ続けるというのか。
「卑下されるとこちらまで気分が悪くなるわ。あなたは可愛いんだから」
――こういう言葉で動揺するから、遊ばれるのだとわかっているのに。
唇を噛みそうになって、こいつに見せればより楽しまれると思いとどまる。
羞恥心を押し殺し真っ直ぐに見返す。
「嘘にしても冗談にしても出来が悪いわ」
「あら、私の審美眼が信じられない?」
「あんたを信じるなんてあり得ない」
「そうかしら」
紫色の瞳は揺れることなく笑みの形に歪んでいた。
私は、この紫色が、嫌いだ。
曖昧で、胡散臭くて、真意が見通せない色。
なんでも見透かしたような、赤が濁ったような――嫌いな色。
「……そうよ」
私はこいつの手の平の上になんか居ない。
こいつにからかわれて、素直な反応を返せる魔理沙や早苗に嫉妬なんかしていない。
こいつと一緒に居る時だけ、ごちゃごちゃした考えが頭を埋め尽くしてなんかいない。
そんなの全部この紫色の瞳に見抜かれていることなんて、認めない。
「頑固ねぇ――霊夢は」
笑みが柔らかく変わる。紫は微笑む。
暖簾に腕押し。糠に釘。噛みついているのに、これじゃ一人相撲だ。
こいつは、本当に癪に障る。
ふいと視線を外す。
「それで、なんだっけ。妖怪がどうやって死ぬかって?」
一秒でも早くこの空気から脱したくて紫の誘導に乗る。
そんなの見抜かれているどころか策の内だろうけれど、他の選択肢なんてなかった。
「死んでも生き返るような連中のこと訊かれてもね。答えなんて無い、が答えでしょ?」
「残念大外れ。妖怪も死ぬのよ」
声音が変わる。表情は……変わっているのだろうか。
逸らしたまま戻せない視線は彷徨うだけで、紫の指先さえ映らない。
ただ、この声は知っている。怒るでもなく諭すでもなく、事実を告げる淡々とした声。
「二度と生き返らない」
生き返らない? 二度と……?
いや、鵜呑みにするな。こいつが嘘吐きだってよく知ってるだろう、私は。
信用出来ないのだ――八雲紫は。
「……何度退治されても甦るじゃない。そういう伝承だって」
「あるわねぇ。でもそれは正確に言えば死んでないの」
矛盾した言葉。
「首を切られた。八つ裂きにされた。灰にされた。塵も残らず消し飛んだ。人間の視点からならどう見ても死んでいても、死んでない。妖怪はしぶといのよ」
死なないではなく、死んでない。
手にした湯呑に視線が落ちる。でもそれは、同じことではないのか?
そこまでやって死んでいないのなら、それは死なないのと変わらない。
なのに妖怪は死ぬと言われても納得はおろか理解にさえ至らない。
「ま、中には殺されて終わっちゃう妖怪もいるけど。それはしょうがないわよねぇ」
嘲る笑いが含まれた声。
「だけどそれは死ぬ理由じゃない。殺された理由。自然死じゃあ、ないわねぇ」
しかしそれはほんの一瞬。すぐに真面目にしか聞こえない声に戻る。
自然死? 自然死の理由? それこそ理由なんて要らないと思うけれど。
からかわれているかという疑問は浮かんですぐに流される。こいつは嘘ばかりだけど答えの無い問いなど決してしない。信用はしないけれど、確信はある。少なくとも八雲紫が答えだと断ずる理由が何かある筈なのだ。
「あー……あれ? 退屈はなんとかを殺すとか、そういうの」
「退屈で死ぬのなんてそうはいないと思うけど。だって退屈なら面白いことを探すのに必死になるでしょ? 退屈だ退屈だと言いながらも結果的に退屈じゃなくなるわよ」
ぱたりと扇子の閉じられる音がした。
それは、そうか。退屈なら娯楽を求めるだろう。なら……?
「お馬鹿な霊夢に問題を変えてあげましょう。生物はなんで生きていると思う?」
何故死ぬか、から何故生きるか? 逆の問い。逆なのならそれを反転させて答えに至れというのか。
表裏一体の理由。しかし、死ぬ理由が見つからないように生きる理由も見つからない。
生きているのだからあれをやろうこれをやろうとは考えるがそれは理由なのだろうか。
一言で表せる理由、ではない。
「時間切れ」
……時間制限があるなんて聞いてないんだけど。
羞恥心よりも苛立ちが勝り紫の胡散臭い笑みを睨みつける。
「文句言っていい?」
「いいけど、その代わり答えはおあずけよ」
相変わらず、選択肢を与えるふりをして奪う奴だ。
ここまで考え込まされて答えわからないままなんて気持ちが悪くてしょうがない。ずっと考え続ければ答えに至れる可能性はあるが、こいつが教えないといった以上その答えが正しいのか確かめる術が失われる。答えを聞かせて反応から読み取る、というのもこいつには不可能だろうし。
既に八方ふさがり。紫の狙い通りに追い込まれている。
負けを認めてさせたいようにさせるしかない。
「はあ……」
ほんと、なんでこんなめんどくさい奴に付き合ってるんだか。
「降参。答え教えて」
「はいはい。素直なのが一番可愛いわよ霊夢」
見透かしたような言葉に声が詰まる。
動揺したって、楽しまれるだけ。こいつの真意なんてわかりはしないのに。
追い出してしまいたい。隙だらけの顔にお札でも叩きつけてやろうか。
「それじゃ答えね」
剣呑な考えを読まれたのか、タイミング良く彼女は口を開く。
「生き物は須らく飢えているから生きているのよ」
また、紫の表情は変わっていた。
口元は微笑んだまま。しかし目は何の感情も示さない空虚なカタチ。
「ご飯を食べたい。面白いことを知りたい。好きなものを手に入れたい」
飢え――欲望。
「そんな飢えに衝き動かされて生き物は走り続ける。生というレールの上をぶれることなく」
ここまでは納得できる話だ。欲が生き物を動かす。
哲学的なようで原始的な行動理念。だけど、まだそれを裏返すには足らない。
妖怪が何故死ぬのかという問いの答えには至らない。
「もちろん終点はあるわ。道に限りがあるのはどんな生き物でも逃れられない決定事項。人間だって妖怪だって蚯蚓だって螻蛄だって水黽だって。――終点はある」
「終点……?」
レールの上、と彼女は例えた。
汽車なんて幻想郷の外れに落ちてるのや、紫のスペルでしか見たことないけれど一応知っている。
それが走る道も知っている。あれには明確な限りがあると聞く。どこまでも続いているようでいつかは途切れる道。それとは違い道祖神もないけれど切り取られたようにぷつんと途切れる汽車の道。レール……終点? そんな、はっきりとした終わりが欲にあるというのか?
「飢え続けるのなら、終点なんて」
「あるわよ。この世に無限なんて存在しない。この世のコトワリから外れない限り無限なんてただの比喩だわ。飢えはいつか満たされる」
彼女は断言する。まるでそれを知っているかのように。
「だからね、妖怪が死ぬ理由なんて、一つしかないのよ」
いつの間にか紫と私を隔てていたちゃぶ台が消えていた。
紫は目の前に居て、絹の手袋に覆われた指が私の頬を撫ぜる。
「ああ、もういいや」
たましいが抜けてしまうような声だった。
艶やかに微笑む彼女の顔が落とせば割れてしまうビスクドールのものに見える錯覚。
死ぬ理由を自身で証明したかと、怯えてしまうような、空虚な声だった。
「――ゆ……」
「限りある飢えが満たされて、満足しちゃって、止まっちゃう」
私の声は遮られる。解答を続ける声に押し殺される。
「子供が産まれたり、追い求めた道を極めたり、おなかいっぱいに食べたり。心の底から満足したら止まるの。もう歩かなくていいやって。これ以上は望まないって。そんな生物はあり得ない。足を止めた生き物に先なんてありはしない。だからそれは死なのよ」
満足すると死ぬ? 満ち足りる為に走ったのに、それを成したら死ぬ?
理解できても納得できない。したくない。死ぬ為に走っているなんて認めたくない。
感情的な反発も彼女の掌の上なのか、紫は動揺することなく答えを言い切った。
「妖怪はそうして死ぬの。万象一切例外なく、止まれば死ぬ」
その答えに準ずるつもりはないけれど、満足できない答えだった。
すとんと胸に落ちて納得できるものじゃない。理解はできる。
だけど、納得できない。理解もしたくない。もしそれが本当なら、長きを生きた彼女は。
「……妖怪の欲なんて」
「すぐ満たされると思う?」
優しく、紫は私をあやすように微笑んでいる。
心を蝕む不安を拭うように、私の頬を撫ぜる。
「よくあるわよね、人間ほど欲深い生き物はいないとか、人間の欲深さに恐れ戦くお化けの話。あれ、嘘だから。生きてるんだもの、妖怪だって欲深い。私だって強欲よ?」
悪戯っぽく、胡散臭い、いつもの紫の笑み。
死を微塵も感じさせない、生きている者の笑み。
「……強欲、なんだ」
「どこぞの神様が定めた七つの大罪で私に当てはまるのは、間違いなく強欲ね」
過ぎたる欲望。馴染みのないそれが今は愛おしくさえある。
強欲なのなら満たされない。満たされないのなら止まることはない。
渇き飢えても……死ぬよりはましな筈。不安と恐れは、消えていた。
「妖怪も人並に欲深いの」
……妖怪が、人並に。ね。
皮肉にしか聞こえない。遠回しに人間の欲深さを糾弾してるんじゃないかって勘ぐってしまう。
でもそれくらい小憎らしい方が紫らしい。偉そうで威張ってて見下してくるいつもの彼女。
どれだけ求めても決して満たされること無き欲望を向けてしまう、私の――
絹の指が私の髪を梳く。
「いたっ……」
紫にしては雑だった。指に絡まった髪が引っ張られて痛い。
愛でるような、咎めるような、虐めるような、行為。
何をするのかと顔を上げる。
笑みが、消えていた。
「紫?」
全くの無表情。
ただ、空というわけではない。いろんな感情が綯い交ぜになって結局一色に染まったような、無色ではない無表情。切り取られた夕暮れのような――死から程遠い、むらさきいろ。
「ええ、私は欲深いの。簡単には満たされない。だけどね」
機械的に紡がれる言葉。感情を滲ませない、しかし無色ではない声。
紫はまっすぐに私の目を見て。
「――あなたといっしょに居ると、死んじゃいそう」
そんなことを、口にした。
死ぬ。妖怪の紫が。満たされて、満足して、死ぬ。
私といっしょに居るから? 私のせいで? 私が、彼女を殺す?
「ええ――」
表情を無くした彼女と対になるように、私の顔は笑みへと歪む。
顔を歪めるのは歓喜。これを喜ばずして何を喜べというのか。
彼女がそうであるように――私も、彼女を満たせるだなんて。
私が消えた後に彼女だけが生き続けることはないだなんて。
永遠に彼女を私だけのものにできるだなんて。
それは、なんて素敵なことなんだろう。
「いつか殺してあげるわ、八雲紫」
私も、いつか彼女に殺される。
博麗霊夢の欲は八雲紫に満たされる。
だけどその逆もあると彼女は言った。
私が、神にも等しい力を持つこの大妖怪を殺せる。
他の誰かに奪われる可能性さえも叩き潰して八雲紫を独占できる。
博麗霊夢を誰より縛り支配し独占する彼女と同じように。
口の端が吊り上がったまま戻らない。
嬉しくて楽しくて、しょうがない。
「あら怖い。怖いから――先んじて殺してあげようかしら」
「ふん。そんなのよくて相打ちよ」
私たちは同じ表情を浮かべた。獲物を前にした獣の如き笑み。
一分の隙もない笑みを浮かべ、そっと近寄る。
彼女が私の左腕を掴んで。
私が彼女の右肩を掴んだ。
「悪くて――――道連れだわ」
互いの喉元に喰らいつくように、くちづけを交わす。
「紫」
どちらの欲が強いかなんてわからない。
どちらの欲が先に尽きるのかなんてわからない。
だけど、私の想いだけは決まっている。
「絶対に、あなたを殺してやる」
でも満ち足りてるのだと思う
「歳をとると欲がなくなる」とか「ストレスがないと生きていけない」とか
二人は満たされて爆発しろ
しかし、幻想郷やら結界やらのことを考えると、妖怪の賢者と博麗の巫女はこのくらい深くつながっているのかも。
貴女がいると生全てに満足できるって、なんとも深い深い情ですな。
蓋を開けてみれば惚気けてるだけだった
ありがとうございました。
なるほど!確かにこれ惚気話だ!
これからも頑張ってください
霊夢の独占欲を目覚めさせるなんて紫まじ業が深い。