――ザー、ザー
降りしきる雨。
空から落ちる水滴のカーテンは視界を遮り、目の前に広がる景色をぼやけさせる。
天界でバケツをひっくり返したかのような土砂降りの雨の中、少女は淡い黄色の番傘を手に立っていた。
彼女がいるあぜ道から眺めるは水田。まだ背丈が伸びきっていない成長ざかりの若い稲がゆらゆらと揺れ、水面は空からの恵みを喜ぶように波紋を描く。
「……梅雨の夕立」
夏目前である梅雨。山の木々は太陽の光を受けるために枝を伸ばして葉を広げるための準備に勤しみ、地中の蝉は自分がもっとも謳歌する瞬間を心待ちにしている。
生命を爆発させる季節の目前だというのに、彼女のまとう雰囲気はどこか寂しげな季節外れのものであった。
彼女のワンピースは、上から下へと茜色からへ橙黄色へと移り行くグラデーションで染められており、その裾は楓の葉の形をしている。サラッとのびたストレートな髪は鮮やかな夕焼け色をしており、スカートの裾とおなじく楓をモチーフとした髪留めが添えられている。
華奢な彼女を表現するとすれば、それは……“秋”。賑やかな夏を過ぎ、冬という静寂が訪れるのを知らせる季節。
そんな彼女は雨粒をつかもうとするかのように傘の外へと手を伸ばす。雨の具合を確認するかのように、または何かを渡すかのように。
しかし、空からの恵みはただ彼女の手の平を濡らすだけであり、彼女の袖口の色を変えていく。
灰色のフィルターがかかった景色の中、その様子に納得したように小さく頷くと、彼女は視線を横にずらす。
そこには、雨に濡れるのを一向に気にしないかのように、一人の少女が水田の中で踊っていた。
クルクルと、シトシトと。飛んだり跳ねたりするようなものではないが、そのゆっくりとした動きの中に確かな力と思いが詰め込まれている。
しかし、そんな彼女もまた季節外れであった。
薄墨で染めたように淡い黒色のスカートに、くすんだ黄色の上着。その上に橙色を基調とした袖のないエプロンドレスのような服を着ていた。頭の帽子には葡萄のワンポイントが飾られている。
少しだけふっくらとした彼女からはあまり寂しさを感じ取ることはできないが、やはり彼女も“秋”であった。
「この雨ならば……今年も心配ないでしょうね」
傘をさした少女は、空を仰いで少しだけ表情を崩す。雨がなかなか降らなくて心配していたが、どうやら目の前の子たちは元気に育ってくれそうだ。
その時、稲穂の間で踊っていた少女の動きが止まった。ただ前を向き、組み合わせた両手を顔の前に持ち上げている。
「そろそろ終了ね。さて、愛しの妹のためにタオルでも準備しておこうかしら」
やることはすべて終えたのだろうか。水田で踊っていた少女は振り返って傘を差している姉のほうへと走ってきた。
「ふ~、冷たかった」
「お疲れ様、穣子。はい、タオル」
受け取ったタオルで彼女は――秋穣子は――ワシャワシャと髪を乱暴に拭く。髪が痛むからやめなさいと毎回言われているのだけれど、乾くまで悠長に待ってなんていられない。髪が痛んだらその時に考えればよい。何が髪にようのかしらね。椿は……冬だっけ。
「これで今年は最後ね。あとはこの子たちのがんばり次第。いずれは立派に頭をたらしてくれるはずだわ」
タオルで体の水分を拭っている妹に雨が当たらないように傘を調整し、姉は――秋静葉は――稲を眺める。
水の塊が振ってくるかのように錯覚するほどの雨ではあっても、腰を折ることをせず、ただまっすぐ伸びようとする稲。これからの太陽の季節を謳歌し、実りをつけてくれるはずである。
「ふぅ。そいえば、姉さんはもういいの?山の紅葉や銀杏でまだ見て回っていない場所も多いでしょう」
「あぁ、残っている子はもうちょっとしたら見に行くわ。あの子たちはのんびりしているから、今行くと『早すぎる』ってすねちゃうのよ」
「姉さんも大変だね」
「穣子ほどじゃないわ。ほら、ちゃんと髪を梳かさないと痛むわよ。もう」
腰につけていたポシェットを開け櫛を取り出す。その櫛はどこにでもあるような変哲にないものだった。
「もう、自分でするってば」
櫛を奪い取ろうとする穣子の手をパシッとはじき、静葉はグイッっと顔を近づける。
「ダーメ。いっつもそう言うけれど、ちゃんと梳かした試しがないじゃない。私が梳かしてあげるから」
そう言うと、静葉は穣子の両肩をつかみ、背中を向けさせる。
「穣子は自覚がないのよ。また髪の毛をグシャグシャにして。いくら神様だといっても身だしなみには気をつけることね。それは神様だとか以前の問題で」
「“女の子としての問題”でしょ。ちゃんと家に帰ったら手入れをしているじゃない」
「それじゃあ遅いの。いつでも、どこでも、手早く手入れする。これが大切なのよ。ほら、動かないで」
髪に櫛を入れ、スー、スッ、っと髪を梳かす。その音を聞いて、穣子の頬が緩んだ。
いつも口うるさく、たまにうっとおしく感じるが、とてもやさしい姉。それは自身を可愛がっており、また心配しているからだということを穣子はとても嬉しく感じていた。
特に、こうやって髪を梳かしてもらうのは一番のお気に入りだ。どれくらいかといえば、雨に降られた後にわざと髪の毛をほったらかしにするくらいに。
「よし、これで大丈夫ね」
満足げな声で静葉は終了を告げた。静葉がポシェットから取り出した鏡を覗き込むと、そこには雨に打たれる前の、いや、打たれる前よりもきれいになった自分がいた。
「えへへ、ありがとね。姉さん」
「どういたしまして。それじゃあ帰ろうか。暖かい紅茶を入れてあげるわ」
「は~い。そうそう、姉さんが留守だった間に焼いたクッキーがあるのだけれど、食べてくれない?」
「あらそれは楽しみね。私も張り切って紅茶を入れないとね」
一つの傘に入っている姉妹は、お互いに笑顔を浮かべながら山へと帰っていく。
――■――
季節は秋。田の稲穂は金色に光り輝く頭を収穫され、米俵につめられる。
今年も豊作。雨がなかなか降らなくて心配ではあったが、それは杞憂で終わったようだ。
「今年もありがとうございます」
「いえいえ、とんでもないですよ。そこまで感謝しないでください」
収穫祭に呼ばれた穣子は多くの里の人から感謝の言葉をかけられる。穣子としては当然のことをやったまでであり、半分くらいは自分のためである。だから、これほど感謝されるとどう対応していいのかわからない。
「ですから、私は自分がやりたいから豊作にしただけで……」
「いえいえ、そんなご謙遜を。我々がこの冬を乗り越えられるのも、全ては穣子様のおかげです」
何度も頭を下げる村長に、穣子は頬を掻いてしまう。本当に、どう対応したらいいのだろうか。
その時、ふと横を見ると奉納品の中にきれいな櫛が置かれているのが見えた。
手にとってみると、その櫛には細かな細工が施されており、目を張るものがあった。里の人がどれだけこの豊作に感謝しているかが伺える。
「さすが穣子様、お目が高い。それは……」
なにやら村長が話かけてきたが、その内容がまったく頭に入らない。それほど、穣子はその櫛に見とれていた。
銀杏のような淡い黄色を下地ししたもので、茜色の紅葉がアクセントを加えている。
しかし、それ以上に気に入ったのは、紅葉の葉のすぐ横に葡萄の房が描かれていることだった。
「これ……頂いてもいいかしら?」
「勿論です。どうぞどうぞ」
穣子は笑顔で懐に櫛をしまう。
次の梅雨が……いや、次に髪を梳かしてもらうのが楽しみでしょうがない、とでも言うように。
降りしきる雨。
空から落ちる水滴のカーテンは視界を遮り、目の前に広がる景色をぼやけさせる。
天界でバケツをひっくり返したかのような土砂降りの雨の中、少女は淡い黄色の番傘を手に立っていた。
彼女がいるあぜ道から眺めるは水田。まだ背丈が伸びきっていない成長ざかりの若い稲がゆらゆらと揺れ、水面は空からの恵みを喜ぶように波紋を描く。
「……梅雨の夕立」
夏目前である梅雨。山の木々は太陽の光を受けるために枝を伸ばして葉を広げるための準備に勤しみ、地中の蝉は自分がもっとも謳歌する瞬間を心待ちにしている。
生命を爆発させる季節の目前だというのに、彼女のまとう雰囲気はどこか寂しげな季節外れのものであった。
彼女のワンピースは、上から下へと茜色からへ橙黄色へと移り行くグラデーションで染められており、その裾は楓の葉の形をしている。サラッとのびたストレートな髪は鮮やかな夕焼け色をしており、スカートの裾とおなじく楓をモチーフとした髪留めが添えられている。
華奢な彼女を表現するとすれば、それは……“秋”。賑やかな夏を過ぎ、冬という静寂が訪れるのを知らせる季節。
そんな彼女は雨粒をつかもうとするかのように傘の外へと手を伸ばす。雨の具合を確認するかのように、または何かを渡すかのように。
しかし、空からの恵みはただ彼女の手の平を濡らすだけであり、彼女の袖口の色を変えていく。
灰色のフィルターがかかった景色の中、その様子に納得したように小さく頷くと、彼女は視線を横にずらす。
そこには、雨に濡れるのを一向に気にしないかのように、一人の少女が水田の中で踊っていた。
クルクルと、シトシトと。飛んだり跳ねたりするようなものではないが、そのゆっくりとした動きの中に確かな力と思いが詰め込まれている。
しかし、そんな彼女もまた季節外れであった。
薄墨で染めたように淡い黒色のスカートに、くすんだ黄色の上着。その上に橙色を基調とした袖のないエプロンドレスのような服を着ていた。頭の帽子には葡萄のワンポイントが飾られている。
少しだけふっくらとした彼女からはあまり寂しさを感じ取ることはできないが、やはり彼女も“秋”であった。
「この雨ならば……今年も心配ないでしょうね」
傘をさした少女は、空を仰いで少しだけ表情を崩す。雨がなかなか降らなくて心配していたが、どうやら目の前の子たちは元気に育ってくれそうだ。
その時、稲穂の間で踊っていた少女の動きが止まった。ただ前を向き、組み合わせた両手を顔の前に持ち上げている。
「そろそろ終了ね。さて、愛しの妹のためにタオルでも準備しておこうかしら」
やることはすべて終えたのだろうか。水田で踊っていた少女は振り返って傘を差している姉のほうへと走ってきた。
「ふ~、冷たかった」
「お疲れ様、穣子。はい、タオル」
受け取ったタオルで彼女は――秋穣子は――ワシャワシャと髪を乱暴に拭く。髪が痛むからやめなさいと毎回言われているのだけれど、乾くまで悠長に待ってなんていられない。髪が痛んだらその時に考えればよい。何が髪にようのかしらね。椿は……冬だっけ。
「これで今年は最後ね。あとはこの子たちのがんばり次第。いずれは立派に頭をたらしてくれるはずだわ」
タオルで体の水分を拭っている妹に雨が当たらないように傘を調整し、姉は――秋静葉は――稲を眺める。
水の塊が振ってくるかのように錯覚するほどの雨ではあっても、腰を折ることをせず、ただまっすぐ伸びようとする稲。これからの太陽の季節を謳歌し、実りをつけてくれるはずである。
「ふぅ。そいえば、姉さんはもういいの?山の紅葉や銀杏でまだ見て回っていない場所も多いでしょう」
「あぁ、残っている子はもうちょっとしたら見に行くわ。あの子たちはのんびりしているから、今行くと『早すぎる』ってすねちゃうのよ」
「姉さんも大変だね」
「穣子ほどじゃないわ。ほら、ちゃんと髪を梳かさないと痛むわよ。もう」
腰につけていたポシェットを開け櫛を取り出す。その櫛はどこにでもあるような変哲にないものだった。
「もう、自分でするってば」
櫛を奪い取ろうとする穣子の手をパシッとはじき、静葉はグイッっと顔を近づける。
「ダーメ。いっつもそう言うけれど、ちゃんと梳かした試しがないじゃない。私が梳かしてあげるから」
そう言うと、静葉は穣子の両肩をつかみ、背中を向けさせる。
「穣子は自覚がないのよ。また髪の毛をグシャグシャにして。いくら神様だといっても身だしなみには気をつけることね。それは神様だとか以前の問題で」
「“女の子としての問題”でしょ。ちゃんと家に帰ったら手入れをしているじゃない」
「それじゃあ遅いの。いつでも、どこでも、手早く手入れする。これが大切なのよ。ほら、動かないで」
髪に櫛を入れ、スー、スッ、っと髪を梳かす。その音を聞いて、穣子の頬が緩んだ。
いつも口うるさく、たまにうっとおしく感じるが、とてもやさしい姉。それは自身を可愛がっており、また心配しているからだということを穣子はとても嬉しく感じていた。
特に、こうやって髪を梳かしてもらうのは一番のお気に入りだ。どれくらいかといえば、雨に降られた後にわざと髪の毛をほったらかしにするくらいに。
「よし、これで大丈夫ね」
満足げな声で静葉は終了を告げた。静葉がポシェットから取り出した鏡を覗き込むと、そこには雨に打たれる前の、いや、打たれる前よりもきれいになった自分がいた。
「えへへ、ありがとね。姉さん」
「どういたしまして。それじゃあ帰ろうか。暖かい紅茶を入れてあげるわ」
「は~い。そうそう、姉さんが留守だった間に焼いたクッキーがあるのだけれど、食べてくれない?」
「あらそれは楽しみね。私も張り切って紅茶を入れないとね」
一つの傘に入っている姉妹は、お互いに笑顔を浮かべながら山へと帰っていく。
――■――
季節は秋。田の稲穂は金色に光り輝く頭を収穫され、米俵につめられる。
今年も豊作。雨がなかなか降らなくて心配ではあったが、それは杞憂で終わったようだ。
「今年もありがとうございます」
「いえいえ、とんでもないですよ。そこまで感謝しないでください」
収穫祭に呼ばれた穣子は多くの里の人から感謝の言葉をかけられる。穣子としては当然のことをやったまでであり、半分くらいは自分のためである。だから、これほど感謝されるとどう対応していいのかわからない。
「ですから、私は自分がやりたいから豊作にしただけで……」
「いえいえ、そんなご謙遜を。我々がこの冬を乗り越えられるのも、全ては穣子様のおかげです」
何度も頭を下げる村長に、穣子は頬を掻いてしまう。本当に、どう対応したらいいのだろうか。
その時、ふと横を見ると奉納品の中にきれいな櫛が置かれているのが見えた。
手にとってみると、その櫛には細かな細工が施されており、目を張るものがあった。里の人がどれだけこの豊作に感謝しているかが伺える。
「さすが穣子様、お目が高い。それは……」
なにやら村長が話かけてきたが、その内容がまったく頭に入らない。それほど、穣子はその櫛に見とれていた。
銀杏のような淡い黄色を下地ししたもので、茜色の紅葉がアクセントを加えている。
しかし、それ以上に気に入ったのは、紅葉の葉のすぐ横に葡萄の房が描かれていることだった。
「これ……頂いてもいいかしら?」
「勿論です。どうぞどうぞ」
穣子は笑顔で懐に櫛をしまう。
次の梅雨が……いや、次に髪を梳かしてもらうのが楽しみでしょうがない、とでも言うように。
秋姉妹の秋意外での活動が良かった