室内をぬるりとした空気が満たしている。そんな夏特有の空気に混じって、うっすらと麹の匂いが紛れていた。
それもそのはず。
大ぶりのとっくりと空になりかけた小鉢を間にして、男二人が部屋の一角に置かれたカウンターで差し向かいで飲んでいるからだ。
一人は紋付き袴をこれと気負うことなく着こなした男。
もう一人は藍で染められた一張羅を七五三の子供のような表情で着た男だった。
男二人だけの宴席は、紋付き袴の男が藍の一張羅を着た男へと、最近の出来事をおもしろおかしく語って聞かせる、という一方通行な形で、誰かがこの光景をみれば片方の男の自慢話かと呆れるものだったが、不思議と聞き役の男の表情に険はなく、むしろ絵本をせがむ子供のような表情で聞き入っていた。
が、それが次の一言で一変する。
「そういや。なあ、霖之助。お前、儲かって」
紋付き袴の男はそこで一度言葉を句切ると、小さく呻く。今までの歯切れの良さはなりを潜め、奥歯に物が挟まったような表情を浮かべる。
が、それを問うことがこの宴の本題だった。
「いや、本当にここで商売してんのか?」
「なんだい、藪から棒に」
霖之助と呼ばれた聞き役だった男はこの日初めて喜楽以外の表情を浮かべる。
問われた男、森近霖之助は、よろず屋香霖堂の店主である。人里離れた場所に店を構えてはいるが、品はいずれも里では手に入らないものばかりを並べているという自負があった。
その看板に対して面と向かって疑問を投げかけられ、手にした杯をカウンターに置いた。
問いを発したのは里一番の大店、霧雨道具店の店主の霧雨。
霖之助に商いのイロハを教えた張本人であった。
その体つきは霖之助と大差無いものでありながら、こちらは一本芯の通った歴戦の商人という雰囲気を体全体から発しており、その気迫が霖之助の軽々しい返答を封じ込めていた。
「独立祝いにくれてやったこの椅子なんだがなあ。いまだに誰かが座った感じがしねえんだよ。それが気になってな」
霧雨は薄暗い室内よりなお黒い、濡れ羽色の袖を大きく振ると座っている椅子の背もたれを二度ほど叩き、乾いた木の音を室内に響かせた。
それが霖之助の舌の錆を取る魔法だったのか、霖之助はぎこちなく、
「君がそんな違いまで見れるとは知らなかった。家具を見ただけで男女の付き合いがあるかないかまで見破るなんて、道具屋の次の仕事は縁組紹介かい?」
茶化してみるが、霧雨は意に介することもなく、空いた手で店から持参していたとっくりを傾ける。
酒を僅かに杯に注ぐと、軽く口を湿らせ、
「そりゃ、もちろん丁稚にやらせた仕事じゃねえんだ、もともと滑らかに決まってんだが、座ったときの衣擦れで出来てくるはずの光沢がねえのがいただけねえな。」
そこで言葉を句切ると、再び口を湿らせると、霖之助を鋭く睨んだ。
「商いをするんなら相手の話を聞かなきゃならん。それも立ち話程度の話じゃなしに、じっくりと、だ。そのためにあつらえた椅子に誰も座った跡がねえってのは、どういう商売をしてんだ?」
霧雨が遠回しに、香霖堂に人が来ていないのではないか、と口にする。そして霧雨の読み通り、香霖堂には誰も来ていなかった。それも何年間もだった。
であるからこそ、霖之助には弁解の言葉など見つかるはずもなく、物言えば唇寒し、さりとて沈黙は何よりの雄弁、そんな言葉が霖之助の頭の中で走馬燈よりなお早く駆け巡った。
それを現実へと引き戻したのは、霧雨の実に短い言葉だった。
「なあ、戻ってくる気はねえか?」
戻ってくる、いや、戻る。
どこへ、がまったく無い霧雨のその言葉に、霖之助ははっきりと首を横に振った。それは先ほどまで舌が回らなかった分の油が首に回っているかのような早さだった。
「折角の話ではあるけど、一度店を出た以上、どのツラ下げて、だよ」
「女房もお前さんが心配だ心配だってなぁ」
「奥方にまで、心配をかけてるのは心苦しいけど」
「やっぱ、ダメか?」
「ああ。すまないね」
「魔理沙のヤツも香霖は戻ってこないのか、香霖はいつ戻ってくるのか、ってなぁ」
店主の言葉に目を伏せ、年に二、三度顔を合わせる少女の顔を思い出し、しかし
「心苦しい限りだよ」
「そうか」
その返事を予想していたのか、霧雨は、もう一度小さくそうかと頷くと、ぴしゃりと酔いを醒ますかのように首筋を手のひらで打つ。
そして、そうかダメか、と念押しのように繰り返した。
霧雨の残念極まりないというその響きから逃げるように、霖之助は注がれた杯に口を付ける。 それを横目に霧雨は思い出したかのように、言葉を続ける。
「ああ、そうそう。その魔理沙だがよ」
「娘さんが、どうかしたのかい?」
「ああ。今度、勘当することにした」
ごふ、という音が広くもない部屋に響く。霧雨のあまりの発言に、飲みかけた酒が気管に入り込んだせいで霖之助は酷くむせながらも、
「ど、どういう事だい?!」
流石に先程まで自分を心配していた人間が家を追い出されると言われては冷静でいることができなかった。
そうしたことに驚くだけの感情が自分の中にまだ残っていることに、霖之助は自分自身で驚きながらも真意を尋ねるが、
「色々あんのさ」
霧雨は短く答え、とっくりを持つ手を僅かに持ち上げることで霖之助に杯を持つよう催促する。
「いや、色々で済ませるような話じゃないだろう?! 一体全体どういう風の吹き回しだい?! 第一、そんな話、奥方だって承服する話じゃないだろう?!」
「女房にゃ言ってあるし、納得はしてねえだろうが、認めさせた」
だからお前さんが四の五の言ったところで家の方針は決まってんのさ、と霧雨は告げる。そして、それでな、と言葉を継ぎ、とっくりを持ち上げると霖之助へと傾ける。
その有無を言わせぬ雰囲気に自然と霖之助が両手で杯を差し出してしまう。そこへ無言のまま霧雨がとっくりをゆっくりと傾けて酒を注ぐ。
宴の始まりの頃、傾ける程度でとっくりから流れ落ちていた酒も、今では水平でも足りずに、 首を下にしてようやく流れる量にまで減っていた。その最後の一滴が注がれる。
「それで。それで、なんだい?」
霖之助が問いを発した瞬間だった。
分厚い桜の一枚板で出来たカウンターにとっくりを荒々しく叩きつける音が響くと同時、霧雨の腕が霖之助へと伸ばされ、両手で杯を抱えたままの霖之助の襟元を掴むと、そのまま荷物かなにかのようにカウンターの上へと霖之助の体を引き摺り上げた。
酒が、と袴に酒がかかったことを気にする霖之助に一切構うことなく、霧雨は親の敵のように藍の一張羅の襟元を握り絞める。
霧雨の目は霖之助を喰い殺せるならそうしたい、という鬼気さえ滲ませたものだった。
そんな内心を落ち着かせるためなのか、霧雨はことさらゆっくりと、しかし平坦な声色で、
「ついちゃあ」
一段と霧雨が襟元を締め上げる力が強くなり、
「ついちゃあ、お前が面倒見ろ」
「――藪から棒に無理難題を言う癖は変わらないね、キミも」
その有無を言わせぬ気配に、霖之助は霧雨を刺激しないよう答えるべきところにも関わらず、 かつて呼んでいた呼び方で霧雨を呼んでしまう。なぜなら霧雨のその雰囲気に、霖之助は思い出すものがあったからだ。
それはまだ霖之助が森近霖之助と名乗る以前、半人半妖であるが故に疎まれ薄暗い小屋の中で誰に知られることなく生活していた日のこと。それは今以上に将来のことが見渡せない、見通す意思すら起きない頃のことだった。
それは暴風のように遠慮無く、自分の夢のために手を貸せと、霖之助の手を引き上げた少年の雰囲気とまったく同じだったからだ。
「ある日突然やってきたかと思えば、自分の嫁取りのために手を貸せ、そう言ったあの頃と、何一つ変わってないね。キミは」
「そうか?」
「ああ。そうだ。そんなことに手を貸してなんになると言った僕を五月蠅いと一喝して、自分のためにさえ生きてないなら誰のために生きようが大差無いだろう、だから手を貸せ、とまで言ったよ?」
かつて、こことは別の場所で、今と同様に霧雨が自分の胸ぐらを掴み上げ、新しい日常へとかり出しに来た日のことを、まるで今さっきのことのように霖之助は思い出し、自然と部屋の外へと続く扉へと視線をやってしまう。
人間でもなければ妖怪でもない、混ざりもの。人から疎まれ、妖怪からは蔑まれ、行き場のない霖之助を、外へと連れ出したのは他ならぬ霧雨だった。
「薄暗い小屋に引き籠もってたのをわざわざ引っ張り出したってのに、また籠もりやがって」
「あの頃のことを蒸し返すのは勘弁してくれないか」
霧雨と共に過ごした目まぐるしくも賑やかな日々。その終止符は霧雨に娘が産まれたことだった。
霧雨の夢の実現、それが霖之助が霧雨の元を離れるきっかけであり、せっかく建てた香霖堂が看板倒れに終わっている理由でもあった。
親に、霧雨に愛される娘の姿を見るたびに、どうしても自分が愛されなかった理由、霧雨が来るまで誰からもその手を取られなかった理由がこびりついて離れなくなってしまったからだった。
自分は誰からも必要とされる存在ではないのではないか、と。
霧雨はそうした霖之助の心の内を読めるだけの商人であり、しかも、それを材料として交渉できる商人であった。
「ああ、蒸し返さない代わりに預かれ」
「……どうして僕なんだ?」
「――それも色々あんのさ」
「あれも聞けないこれも聞けないじゃ受けられるものも受けられないよ」
「まあ、ちげぇねえ」
がたん、と椅子の足が床にぶつかる音が響く。霧雨が腕一本で締め上げカウンターの上へと引き上げていた霖之助を、今度は逆に突き放すようにして押し出すことで椅子に座らせた音だった。
「けど、よ」
無理矢理椅子へと座らされた霖之助は戸惑った表情を浮かべ、霧雨を見上げる。霧雨は袖にかかったままだった酒を払うと乱れた自分の襟を直し、そして笑う。
「なに、お前が小屋から出て損したと思ってなければ受けりゃいいんだよ。それと似たようなことになるのは間違いないからな」
「随分と自信たっぷりだね」
「そりゃあ、な」
「大概は、厄介事だったけどね」
「だが、その手は今んところ空っぽだろ? だったら貸してくれ。利子は付けて必ず返すからよ」
それ以上の会話はなかった。
じゃあな、そういってそのまま霧雨は戸口から出て行ってしまったからだった。
霖之助の手元に残った家一件分と称した螺鈿細工の杯だけが、霧雨とのやりとりが夢幻の類ではないことを示していた。
◆
十畳ほどの部屋の中央、ちゃぶ台を囲み三人の少女が顔をつきあわせ、最近の出来事について花を咲かせていた。その手元には白磁の質素な湯飲みが、申し訳程度に置かれていた。
ちゃぶ台の上の湯飲みはいずれも咲いた話の分だけ減っていたが、そこから離れて畳の上に置かれた湯飲みだけは量が少しも減っていなかった。
それもその筈で、湯飲みの主は畳の上にごろりと仰向けで寝転がっていたからだ。
「さすがに冷めたわよ」
この茶飲み場である博麗神社の巫女、博麗霊夢が仰向けになりその鮮やかな金髪を四方に広げたまま天井を見上げている友人へと声をかけた。
が、寝転がっている相手からの返事は間延びした声だけだった。
「ちょっと魔理沙。わざわざ淹れたお茶が飲めないっての?」
霊夢は髪をかきあげ、頭の熱を逃がすようにしながらも、声に不満を滲ませる。それに反応したのは同じちゃぶ台を囲む二人だった。
「パチュリー、これお茶だったらしいわよ」
「あら、アリス。都会派と名乗ってるのに、流行の博麗茶を知らないの?」
「なによそれ?」
「アメリカンコーヒーの親戚よ」
「アメリカンコーヒーって、コーヒーのお湯割りよね。あ、なに? 神社に人の気配がしないのとお茶の気配がしないのとを引っかけてるの?」
「催促しないとお茶の一杯も出さないんだから渋い話じゃないの。お茶だけに、なのかしらね」
皮肉たっぷり揶揄たっぷりに喋ったのが、吸血鬼が住む館の一角で本とともに生活をしているパチュリー・ノーレッジ。
さすがに出されておいてそこまで言うのはどうなのよと、呆れつつもお茶が薄いことをまったく否定しなかったのが、魔法の森で人形とともに生活をしているアリス・マーガトロイド。
ちなみに、魔理沙と呼ばれた少女は、アリスと同じ魔法の森に居を構える普通の魔法使いである。もっとも普通普通と言っているのは当人だけで周囲の振り回され具合は尋常ではないのだが。
その魔理沙は未だに人間だが、パチュリーとアリスはどちらも人のようで人でなし。正確には人間より遙かに寿命の長い魔法使いであり、その生涯をかたや書籍に、こなた人形に捧げているものだった。もっとも周囲に言わせれば、その愛の方向が若干変わってきているらしい。
そんな人外二人から、神社のうらぶれ具合に言及され不機嫌な表情をにじませた霊夢に、魔理沙がようやく返事を返す。
「どうせなら、冷たいお茶じゃなくて、冷たくない香霖を用意してくれ」
く、とあごを持ち上げ、寝転がったままでちゃぶ台に顔を向けると、魔理沙はそう言った。
あごを上げ反りかえった拍子に暑さに敗けてボタンを外した首元から胸の起伏まで垣間みえるが、それに気にすることなく魔理沙は愚痴る。
「最近、香霖の奴が構ってくれないんだ」
力無げに言うだけ言ってガスが抜けたのか、どたんと音を響かせて魔理沙が畳に再び寝っ転がると、暑いと呟きながら、大きく開いた胸元をふいごのように上下に動かし胸元からお腹へと風を送り込む。
いつもであれば、こんなことをすればアリスからはいくらなんでもはしたないからやめなさい という説教と、パチュリーからは見せられるものがないんだから無理に見せようとしなくていいのよ? という皮肉が続くのだが、今日は違っていた。
なにしろ、鴨が葱を背負って、暇を潰してくれと訴えているのだ、楽しまなければ損とアリスが魔理沙に問いかける。
「何? 森近さんが良い商品をかっぱらわせてくれない、って言ってる訳?」
「おいおい、アリス。人をまるで盗っ人みたに言うなよ」
「泥棒でないなら、利子を付けて返すのが筋ってものよね」
パチュリーが、胸元からおへそまで見通しのよい魔理沙の体を眺めながら、書斎から無断で持ち出されている蔵書の返還を要求する。
何しろこの盗っ人による被害状況は深刻で、このままのペースでいくと百年もしないうちに本棚が不要になる、という予測がはじき出せるぐらいの被害を受けているのだから、口調がトゲトゲしくもなろうというものだった。
が、敵もさる者、引っ掻く者。
「あいにくと、利子を付けるのは教会が禁止してるんだぜ」
「教会の流儀に反するのが魔女の本分なんだから、別に幾ら付けてくれても構わないわよ」
「そうか? なら、研究成果と一緒に返せばいいか?」
「その研究とやらはいつになったら終わるのかしら?」
「そうだな、終わるとしたら、お前さんとこのメイドが人間を辞めるって言い出す位の時期じゃないか? たいして長くないだろ?」
「咲夜が、レミィに、ね。ほんと、そうね。たいして長くはないでしょうね」
魔理沙のあっけらかんとした物言いに今度こそはっきりと顔に不機嫌という文字を浮かべパチュリーは魔理沙をに睨みつける。
何しろ魔理沙が引き合いに出した同年代の少女で紅魔館のメイドを勤める十六夜咲夜。
人間でありながら、咲夜の主でありパチュリーの友人でもあるレミィこと吸血鬼のレミリア・スカーレットがいくら懇願しても頑として眷属にはならない、人として死ぬと言う猛者だ。 最近では根負けしたレミリアが死ぬなら死ぬでも猫みたいにある日突然消えたりしないでくれ、などと要求事項を大幅に引き下げていたりするほどの頑固さで、およそ人間を辞める、などと言わない相手を引き合いに出してきたのだ。
言外に、死ぬまで返さない、と言われて機嫌が良くなるハズもない。
そんな空気に構わず、霊夢が気怠げに、しかし律儀に魔理沙へと、
「で、霖之助さんがどうかしたの?」
「おうおう、それだそれ。こないだのクリスマスの一件からこっち、香霖とこに色々入り浸っててな、暮らしにくいったらありゃしないんだ」
「あー、クリスマスのときのアレねー。なに、紫達はまだ霖之助さんにちょっかいだしてたの?」
「香霖堂の女難は相変わらずのようね」
「というか魔理沙。あんた自分の家で生活してないって、ひょっとして、また収集品が?」
霊夢のいうクリスマスの一件とは、吸血鬼のレミリアが主催したクリスマスパーティーで、霖之助がサンタクロース役をこなしたのだが、霊夢や魔理沙のねぎらいの言葉を聞くや、大役を勤めあげた安堵によってか、はたまた過労によってか寝込んでしまったという一件だった。
その一件以降、頻繁に霖之助の周りに野獣が一目散に逃げ出すような美女達が顔を出すようになったのだ。
何かにつけ霖之助が切り盛りする香霖堂を第二の我が家のように利用している魔理沙にしてみれば、勝手知ったる我が家にちょっかいを出す邪魔者達にはご遠慮願いたいという状況であった。
「ようやく、一階を奪還したんだけどなー。それでももうしばらくは霖之助のところに厄介になるから、普通に暮らしたいんだけど、どうしたもんか」
「まだ森近さんにちょっかいを出してたのね」
「ああ。そうなんだよ」
「あら、魔理沙。私が言ったのはあんたのことよ?」
「おいおいアリス。ちょっかいを出すなんて、私と香霖はそんな下世話な関係じゃないぞ」
「あら、そう思ってるのはあんただけじゃないの? 第一、下世話な話は淑女のたしなみらしいわよ? 紅魔館の主曰く、ね」
「レミィが何も考えずに言いそうなセリフね。うちの咲夜に手ほどきをしてほしいものね。下世話な話一つ上がらないもんだから、婚期を逃したらどうするのってレミィがそれはそれは心配してね。たまには休みを取って羽を伸ばせってレミィが言ったら、婚期を逃がしたときは美鈴で手を打つことにしますわとか言ってたぐらいだしねえ」
「ワーカホリックも極まれり、ね」
「ほんと、枯れる枯れない以前のあれを何とかして欲しいものだわ」
そんなパチュリーに苦笑しつつも、アリスが天井を見上げたまま考え込んでいた霊夢へと、問いかける。
「ま、実際のところ、魔理沙と森近さんの関係って年の離れた兄弟、ってところかしらね?霊夢」
「おいおいアリス、私は弟じゃないぞ」
霊夢が口を開くよりも早く、魔理沙の自主申告が響く。が、当然皮肉屋が黙ってこれを見逃す訳もなく、
「どう見たって弟よりたちが悪いわ。レミィと咲夜の関係に近いわね」
友人とその友人の召使いであるはずの二人が、肝心なところは上下逆転しているという奇妙な関係を持ち出して訂正を要求する。
「ということは森近さんは入浴を覗かれたり恥ずかしい下着を着せられたりしてることになるんじゃないかしら?」
「……今度ウチのメイドについての素行調査と世論調査をする必要があるわね」
「どうせなら、回答欄は、そうとしか思っていない、そう思っている、思っているの三択にしたら?」
「――アリス。悪いけど、レミィみたいなバカはするつもりはないわ」
「アンケートをとる時点で大差無いと思うんだけどね」
レミリアが行った自身のカリスマ調査の設問についての回答欄を引き合いに出したアリスに対して、パチュリーは冷たく答えるが、霊夢からさらに冷たい指摘が入る。まあ、アホみたいな話は止めにしようかしらという空気が漂ったそこへ、温くなった風呂を焚き直すように、魔理沙がホットな話題を投入してしまう。
「入浴は覗かれるというか、割と最近まで一緒に入ってたからな。あいつのほくろの位置なら大体分かるぞ」
その言葉にアリスとパチュリーが顔を見合わせる。流石にこれは、と霊夢が魔理沙をたしなめる。
「魔理沙。あんた、そこらへんの慎みは持った方がいいわよ。いらない誤解を招いてもしょうがないでしょうに」
「いいだろ、別に事実は事実なんだし。それに霊夢が知ってる通り、もう香霖の奴が一人で入れるって五月蠅いから最近はしてないしな」
「霖之助さんも気の毒に」
魔理沙に振り回される霖之助を想像したのか、アリスが苦笑いしながらそう呟く。
霊夢は肩をすくめると、
「魔理沙は霖之助さんっ子みたいなもんだしね。仕方ないわよ」
「おいおい霊夢。その言い方は無いんじゃないのか?」
「あら、そうかしら? だって魔理沙ったら霖之助さんのところだと朝から晩まで霖之助さんにべったりじゃない」
「……振り回してる魔理沙じゃなくて、べったりの魔理沙ってのが想像出来ないわね」
「いや、……別にあんなの普通だろ」
「朝は朝で雛鳥みたいに口に運ばせて食べさせるし、昼は昼で猫みたいに膝で寝かせろってせっつくし、夕方は夕方で一人じゃ広すぎるって言って入浴をせがむし、夜は夜でもう少しそっちに詰めろって布団に潜り込むし」
「それは、流石に咲夜でもやらなかったわよ?」
「あら。ほんとにしてなかったのね」
「そうよ。あの子、そこらへんは聞き分けが変によかったからね」
「その反動なんじゃないの? レミリアへのあの偏愛っぷりは」
「愛されたかったように愛してるわけね」
「そこだけ聞くと美談みたいだけど、咲夜のアレは自分の欲望に忠実なだけなんじゃないのかしら?」
パチュリーとアリスがしみじみとうなづきあっているのをジト目で見る霊夢。
そして霊夢は、魔理沙はアリスやパチュリーみたいな枯れた連中の反応をみて普通かどうか判断すること自体が間違ってるのよ、と言葉を重ねる。
脇では、いやその前になんで霊夢はそんなに詳しく知ってるのよというパチュリーの呆れた声が上がるが、さらっと霊夢は無視する。
が、そのジト目を無視できなかった魔理沙が、
「おいおい霊夢、なんだよそれは」
「客観的に聞くと爛れた関係にしか聞こえないからもう少し節度を持ちなさい、ってことよ」
「ブン屋みたいな生活しか送ってないぞ」
「何よそれ」
「清く正しい」
真面目腐った顔でそう答えるが、その答えに霊夢はため息で返事をする。パチュリーも呆れたのか言葉もなかった。そんな中、霊夢の言葉に何か主出したのかアリスが渋い表情を浮かべ、
「……あんたのアレは、朝目を覚ましたら布団に潜り込んでるあのやっかいな癖は昔っからだったのね」
ため息を一つ吐くと、お茶のお湯割りを口にする。
「というか、森近さんが野放しにしてたのが原因なのね」
「香霖は私の生活の一部だからな。だってのに、最近は紫やら永琳やら聖やら衣玖やら幽香がだなあ」
「香霖堂の気を引こうとあれやこれややるせいで、構われなくなって寂しい、ということかしらホームズ」
「そういうことだぜワトソン君」
呆れた表情をそのままに魔理沙の心中を指摘するパチュリーへ、けだるげな表情を浮かべたまま魔理沙が拍手を送る。
贈られた賛辞に対しパチュリーは素っ気なく、そこはミス・マープルが正解よと、告げると、つまりと身も蓋もなく話をまとめてしまう。
「……猫がお気に入りの場所を取られそうになって癇癪を起こしかけてる、ってことでいいみたいね。消極的に黙らせるにはどうしたらいいかしら?」
「猫じゃらし代わりに本棚の中身でもばらまいてストレスの解消にでも努めればいいんじゃないかしら」
「無い袖は振れない、って言葉を知らないのかしら? 都会派ぶっていても袖も知らないとはお里が知れるわね」
「めかしこんでも袖にされてるんじゃ、持ち腐れじゃないかしら? 馬子でもあるまいし」
「貢ぐのが目的化してるんじゃ病気もいいとこね。研究テーマを医者いらずにでも変更したらどうかしら?」
「あら、猫いらずの研究成果があれば事足りるでしょ。ああ、ごめんなさい。それが出来ないから狗を飼ってるのよね」
「したいことだけをするという魔女の本質から外れていないだけよ。他人に影響されてフラフラとテーマを変えてるようじゃ未熟もいいところね」
「言う割にはフラフラと振り回されてるんじゃないかしら? 動き回らないのが売りだったはずなのに、不思議なものね」
アリスとパチュリーの言い合いが続く。それを他所にしばらく天井を見上げて考え込んでいた霊夢が、バタンと大の字に、ちょうど魔理沙の顔の隣に頭が落ちるように引っ繰り返えった。
「うわ、危ないな霊夢」
「あー、ったく。相変わらずあんたってば厄介事を持ち込んでくるわね」
「なんだよ。つれないじゃないか」
「そのにやにや顔を引っ込めなさいよ」
魔理沙の視界で逆さになった霊夢が歯をむき出しにして怒っていた。が、その表情を弛めると、
「で、魔理沙はどうしたいの?」
「そこは、言わずもがな。お察しくださいの世界だぜ?」
「あら、声に出してもいい日本語なんじゃないの?」
「そこはつーかーの仲だろ?」
「親しき仲にもって言うじゃないの」
「今の返事は『あ、うん』を期待してたんだけどな」
「言葉にしなければ伝わらない思いって大事よね」
「言葉に出して言ってる割には、私以外からは賽銭が入らないけどな」
「言ってなさい」
苦笑する霊夢を横目に、しばらく魔理沙は天井を見上げ、深呼吸とそして長い長いため息をついた。そして、ため息の終わりとともに、勢いよく起き上がる。シャツが翻り、スカートが膨らみ、白黒のつむじ風を巻き起こしながら、その体をぐるりと半回転させてちゃぶ台へと向き直ると、
「決まってるだろ。エルサレムの奪還だ」
いつものあの不敵な笑みを魔理沙は浮かべた。
その不敵な笑みから、パチュリーはすぐさま魔理沙が自分たちを勘定に入れて何か計画したんだろうと察すると、実にイヤそうな表情を浮かべ
「エルサレムを奪還しに行った十字軍は、どれもこれも失敗に終わってるわよ」
「だったら、そうだな。北京を取り返すんだぜ」
「コミュニストだったら出来るかも知れないけど、貴女エコノミックアニマルじゃないの」
消極的な牽制をおこなう。実入りの少ない面倒事には関わりたくない、という実にわかりやすいパチュリー行動原理に対し、魔理沙は片手だけで降参のポーズを取る。
「奪われた本を取り返すんだぜ」
「……それが出来ればここまで苦労はしてないわ」
魔理沙が開いた手と言葉の意味を理解し、苦虫を噛み潰したような表情をパチュリーは浮かべる。
パチュリーが魔理沙のセリフに降参だとばかりに、両手を開いて返事をする。アリスは市場のように手だけでやりとりをはじめたパチュリーと魔理沙を見、自分の本を取り返すのに労働という対価を要求されるようになってしまったパチュリーに対し短く、ご愁傷様と告げる。
なにしろ、返却しようにも今の霧雨宅は収集品で埋まっているのだ。今回の件が片付いても、霧雨宅が片付かなければ本は返ってこないのだと失念しているパチュリーが気の毒に思えたからだった。
そんな魔女達の短い攻防が一段落すると、実に霊夢がいい笑顔で尋ねる。
「それでどうやって霖之助さんを奪回するのかしら?」
「香霖の奴に自分が誰の物かを思い出させるに決まってるじゃないか」
「どこまでする気なのかしら?」
「必要とあれば昔話でもするさ」
「あら、それは楽しみね」
霊夢の嫌に積極的に焚き付けるセリフにアリスが眉をひそめる。
「……霊夢、あんた焚きつけるだけ焚きつけて、どうする気よ」
「イヤね、アリス。修羅場と愁嘆場は傍から眺めて楽しむのが相場と決まってるじゃない」
「……このどたばたは誰に言えば無かったことに出来るのかしらね?」
「いい加減、霖之助さんに年貢を納めさせてもいいとは思うんだけどね」
「年貢の納め具合によっちゃあ、一揆が始まるんじゃないの?」
「それは霖之助さんの甲斐性次第でしょ」
「霊夢の口から甲斐性なんて出てくるようじゃどんな雨が降るかわかったものじゃないわね。しばらくはおとなしく家に籠もってるわ」
「あら、案外と枯れてるのね」
「慎みがあると言って頂戴。欲にかられて皮算用を始めない程度には慎みがある、とね」
「あ――」
アリスのセリフで、多少の協力をネタに希少本十冊も回収できるんなら楽な話ね、とほくそ笑んでいたパチュリーの顔に影が差す。それを見て、アリスはしてやったりと笑いながら、湯飲みに入ったぬるま湯を飲み干したのだった。
◆
ひばりの鳴く声が室内に響いた。中天をややすぎた太陽が、閑古鳥の鳴く香霖堂へと差し込む。
カウンターでは店主の霖之助が、日差しを避けるようにカウンターに何十冊もの本を積み上げて、ひばりとは対照的に黙々と本を読んでいた。そのペースは規則的でメトロノームがページをめくっているのかと疑うほどのものだった。
不意に、ページを捲る音とひばりの鳴き声以外しなかった室内に、こもった金属音が響いた。
音の出処はカウンターの正面、店の入り口からであった。音は牛が辺りを見回す際にカウベルが立てる程度の実に控えめなものだったが、その音に反応してか霖之助と本の間の距離が心なし近づいた。
「ごめんください」
声とともに、陽光が薄暗い室内に差し込み、室内へと細い三人分の影を落とす。
部屋に静かに響き渡る挨拶に対して、部屋の主は左手で抱くように持った本をそのままに、ページをめくっていた右手をわずかに持ち上げ手の平を見せることで返事とした。それは、挨拶のようでもあり、本の世界から呼び戻されたくないから黙れ、と会話を制止しているようでもあった。
が、相手はそんな仕草を見て見ぬふりをすると、手にした桜色のレースの日傘を折りたたみながら近づき、
「お久しぶりね、霖之助さん」
その手を絡めとるように握り締める。指まで絡めたその握り方は、握った相手が野獣が逃げ出す美女でなければ羨ましがられるのは間違いない光景だった。
そしてもう一つ問題があるとすれば、絡められた手が二本分あるということだろうか。椅子取りゲームのように親指と人差し指を久しぶりと言った美女が、中指から小指までを生成り色の日傘を差したままの美女が絡め取っていた。
腕一本分の陣取り合戦によって人差し指と中指が泣き別れるのを避けるべく霖之助は渋々顔を上げると、
「……半日振りを久し振りというなら、確かにそうだろうね」
ため息混じりにそう返しながら相手を見る。
霖之助の視線の先にいたのは、三人の美女であった。
一人はなにをしても胡散臭さしか感じられないがその鬼謀で妖怪の賢者と恐れられる八雲紫、もう一人は治せぬものなどあんまりのないと評判の名医八意永琳、最後の一人が耕せぬ土地など全くないと最近人気急上昇中の風見幽香であった。
これに加えて、安らぎを貴方にのキャッチコピーで営業活動中の聖白蓮が顔を出す場合もあり、里の男であれば誰しもが羨ましがる光景だった。
ただし、誰も彼もが口を揃えるのは、当事者だけにはなりたくない、ということだった。
なにしろ、この面々の関係は、恋のさや当てなどという可愛げのある言葉では収まらず、つばぜり合い、しのぎを削る、といった様相を呈していたからだ。
「一日千秋の思いというのを共有できるなんて、素敵なことだと思いませんか」
「千秋一日みたいな華もない枯れた竹みたいのが言っても説得力がないわね」
回診ですわ、と霖之助の脈を取ろうとする永琳に対して、幽香がそっけなくそう返す。そこへ紫が、
「枯れ時を知らない向日葵も、死に時を知らない人間と似たようなものじゃないのかしら?」
「年輪みたいに面の皮だけ厚くなっても仕方ありませんからね。その点、妖怪は良いですわね。化けて誤魔化せるんですから」
嫌みを言えば、永琳が二人に対してまとめて斬り返す。平穏とかのどかとは無縁な世界が築かれていた。
ここまでであれば小鳥と男が逃げ出すのがせいぜいだがこの会話と並行して、脈を測ろうと霖之助の頸動脈にしなだれかかるようにして腕を絡めようとする永琳に、その永琳の顎めがけて紫が日傘を跳ね上げたり、跳ね上げながらも霖之助と指を絡めたままの紫の腕を切り落とそうと幽香が折り畳みながら日傘を振り下したりとしているのだから、野獣と婚期が逃げ出すのも当然だった。
そんな人知を超えた攻防を目の前で繰り広げられ、霖之助は眼鏡を外して目頭を揉み解してなんとか気を落ち着ける。
「まったくもって、次の平穏な時間が半日後だっていうのが千秋の思いだよ」
霖之助の言葉に、薬箱から薬を取り出す動作とともに繰り出された永琳の裏拳を、靴紐を結び直す仕草でさりげなくかわしつつ幽香へと足払いをしかけている紫が、
「あら、夜こそ妖怪の本分じゃありませんか」
「生憎と半分は昼間が必要な人間だからね、僕は。」
「あら、口ではそんな事をおっしゃっても体は正直ではなくて?」
色々と含まれた笑みを浮かべる。
視界の端で永琳が薬箱から滋養強壮と書かれた小瓶を取り出していたり、幽香がにんじんのような根っこを取り出しているのを、霖之助はあえて無視しながら
「それこそ生憎と肉欲は天寿を全うしたみたいでね」
会話を逸らそうと努力してみるが、幽香が、
「精も魂も尽き果てた、なんて、いうのは枯れ竹ぐらいよ」
「勃ちあがれ若人、二十四回がんばれますか、赤玉をもう一度、とかありますけど、どれを処方しましょうか?どうせですし、全部にしましょうか?」
「それは医者が言うセリフなのか、というか随分と即物的な品名だね、それは」
「うさぎ小屋に住んでると、そういうところは慎みというのが無くなるのかしらね。自称高貴、みたいな感じで滑稽ね」
さらには紫が永琳が持ち出した薬にケチをつける。
これが、こんなやりとりが霖之助の最近の日課だった。
「本当に、平穏な日々が待ち遠しいもんだよ」
実に枯れた願望を苦笑とともに漏らした。
それと、ほぼ同時。
それは扉を開ける、ではなく文字通り扉を叩きつける、だった。
一息で壁へとぶつかったカウベルは最後の務めとしてひしゃげた音を立てることで家の主へと嵐が訪れたことを告げる。
が、残念なことに家が嵐から逃げられないのと同様に主もまたこの来客から逃げることは出来なかった。
何事かと霖之助が視線を送った入り口には、三角帽子を被って仁王立ちした人影があった。
「おいおい香霖、いつからそんなに爺むさくなったんだ?」
「年齢だけで言えば、紅魔館の吸血鬼がこっちに渡ってきてからの騒動はライブで知ってる程度には年を取ってるつもりだけどね」
「なんだ、やっぱり若作りだったのか。なら、やっぱり冷や水はよくないな。次からは注意しないとまた吐血しちまうな」
「適度な休養と労りをくれればそれでいいんだけど?」
「敬老精神を要求するようになるなんて、急に老け込んだなあ香霖」
「あら。老け込んだのは少なくともここ数日の話では無いわよ」
魔理沙の問いに対して答えたのは本十冊の返却で手を打ったパチュリーだった。その後ろには霊夢が控えていることに気がつき、霖之助は天井を仰ぐ。
「なんだってこうも次から次へと……」
が、そんな嘆きに対する救いの手はどこからも現れることなく、さらに被害は加速する。
「えーっと、適当な報告書によるここ最近の香霖堂の生活はというと……、自称少女が布団に潜り込んだが三件。潜り込むだけなら橙さんのほうが可愛げがありました。第一、潜り込むだけでお終いなんて、どこのチキンかもやしですか。あ、パチュリー様潜り込めるように今度ベッドをセミダブルにしてください」
パチュリーの読み上げる内容に、胡散臭いものを見る目つきで霊夢が紫を見、
「自称最強が風呂に入っているのに出くわしたが一件。意外と悲鳴が可愛かったです。ただ、悲鳴を上げながらもあそこまで寄せて上げてのグランドキャニオンができるのはあざといを通り越して妬ましさしか感じられません」
あり得ないものを見る目つきで霊夢が幽香の胸元を見、
「起きたら坊主の膝枕が二件。熟年夫婦みたいでいつか私もパチュリー様とこんな感じになりたいものですが、これで一緒に寝た仲ですね、ってどんなウブなねんねですかね」
柱の影から飛び出してきたブルータスを見るような目つきで霊夢が窓の外、里の方角を見る。
「振り返ると医者がセクシーポーズ数知れず。今度真似してみますが下着の色は黒がお好みですか、ってちょっと小悪魔!! この報告書はなんなのよ?!」
可哀想なものを見るような目つきで魔理沙がパチュリーを見る。
「それを事前に読みもせずにいたお前もなんなんだ一体」
「小悪魔を貼り付けてみたのよ。だから大丈夫だと」
「人選の時点でダメだろ、それ」
魔理沙がその事実を指摘すると、パチュリーはポケットから目薬を取り出すと左右二回差して眼を十分に潤ませると、そのまま顔を両手で覆い嗚咽を始める。そして棒読みで、
「ウチには後は門番みたいな眠り猫と、紳士という名のメイドと、主みたいな幼女しかいないのよ?!」
「魔法使いみたいな引き籠もりも付け加えたらいいんじゃないかしら」
「そりゃあ、どっちのことだ、霊夢」
「どっちも、かしらね」
「役に立たない、なら特定余裕だぜ」
「あら、あっちのほうは役に立ったかしら?」
パチュリーの芝居をさらりと無視し、霊夢と魔理沙がそんな軽口を叩きながら、三人は香霖堂の中に踏み込む。そんな三人に対しての返事は霖之助からのものではなく、先に店内に陣取っていた三人からの刺すような、空気を読めない子供に呆れるような視線だった。
「……それで、お子様達が揃いも揃ってどういったご用件かしら?」
「あら、紫。ウインドウショッピングって言葉は知らないのかしら?」
「ああ。冷やかしね」
「そうね。付き合う気がないのにアプローチをかけるようなものかしら」
「そうね本当に。遊びでお仕事の邪魔はしてほしくないものよねえ」
「別に仕事、の邪魔はしてないんじゃないかしら?」
「あら、霊夢。それは相手の認識の問題よ」
紫はゆったりとふくらんだ白い袖口から一本の扇子を取り出しながら眼を細めると、ゆっくりと口元を隠して笑う。鈴を転がすような忍び笑いが薄暗い室内に木霊した。もしも使役されている九尾の狐がその様を見たならば裸足で逃げ出すことを選ぶほどに紫が怒り狂っていることが察知出来たのだろうが、霊夢は頓着することなくため息混じりに切り返す。
「そうね。相手が仕事かどうか自覚しているかの問題ね」
「いやね、霊夢ったら、さっきからトゲトゲしくて。まさか――」
その返しに、紫は広げていた扇子をゆっくりと閉じ、僅かに小首を傾げる。
「――霖之助さんがお義父さんじゃ不服なの?」
「あんたはいつから私の母親になった?!」
「そんな?!」
信じられない言葉を聞いたとばかりに紫が仰け反り、
「親子の仲を深めるために竹林にも行けば、地底にだって行ったのに?!」
「仲を深めるっていうのは、強盗を働く、の隠語かしら?」
と、永琳が首を捻り魔理沙へと問う。
「ねえ、どうなのかしら泥棒さん」
が、問われた泥棒さんはそれどころではなかった。
「……魔理沙。私貴女の娘らしいわ。それに、あの理屈でいくと、……いっぺんに三人も子供を認知する必要があるなんて大変ねお義母さん」
肩をすくめつつも、にやにやとした笑みを浮かべたパチュリーに肩を叩かれていたからだ。
「そこは紫みたいに、アリスとにとりと三人でお義父さんとお義母さんの席を仲良く奪い合うって選択肢を選んでくれないか?」
あっちみたいに、と霊夢に詰め寄られる紫を指さすと、それにと続け、
「私の養子は香霖一人で十分だからな」
途端、魔理沙の発言に室内が静かになる。一人、魔理沙だけが笑って肩をすくめ、その衣擦れの音だけが店に響くほどだった。
ようやく魔理沙の発言の衝撃から立ち直った幽香が
「誰が、誰の子供、ですって?」
と、至極真っ当な確認をするが、魔理沙は霖之助を指さし、そして自分を指さして返事とする。その仕草に霖之助と霊夢を除く全員がつられるようにして視線を動かし、ため息を付くと笑った。
「……物知らずは恥をかくわよ魔理沙。子を養う、と書いて養子よ。どこをどうしたらそんなおかしなセリフに繋がるのかしらね」
「おいおい幽香。文字通り、子を養ったろうが」
魔理沙の反論に幽香は呆れたを通り越した表情を浮かべ、紫は気の毒そうな表情を浮かべると、
「……霊夢、貴女の大事なお友達が、霖之助さんを育てたなんて妄想を言い出してるけど?」
「そうね」
霊夢はそっけなく、答えるのもめんどくさいという雰囲気を漂わせて返事を返す。
霊夢のあまりの素っ気なさに、紫は折り畳んだ扇子を額に当てて僅かに首を振る仕草を見せるが、気を取り直すと、
「ほら、霊夢もこう言ってるんだし、少しは頭を冷やしたらどうかしら?」
と、魔理沙に促したが、今度は紫のこの言葉を聞いて、霊夢が紫のように小首を傾げ、
「ん? イヤね紫。魔理沙の言う通り、霖之助さんは魔理沙が育てた、って答えたつもりだけど?」
霊夢の予想外の返事に紫があっけにとられた表情でその顔を見つめる。紫の見つめ具合は酷く、あまりにまじまじと見つめるものだから、霊夢は嫌そうに眉をひそめてそっぽを向いたほどだった。
その驚きは他の二人、永琳と幽香も同様だったようで、どちらも目を丸くして魔理沙と霊夢を交互に見るほどだった。
「……魔理沙に霊夢、君達に子供呼ばわりされるほど僕は落ちぶれてはないよ? そこのところは是非とも思い出して貰いたいんだが」
流石に、これを放置しては沽券に関わると、苦虫を噛み潰したように眉間に盛大に皺を寄せて、霖之助は苛立ちも露わに釘を刺す。が、当の二人はその言葉に眉をつり上げると、感心したような声を上げて顔を見合わせる。
「ふうん。あの『霖之助さん』がね。そこまで言うようになるとわね」
「……物事には限度があるよ?」
霖之助のひやりとした物言いが、昼日中のはずの室温を下げる。
霊夢は肩をすくめると、魔理沙へと目配せをする。と、魔理沙は諦めたのかため息をつくと降参だというジェスチャーとともに、霊夢へと向き直る。
それを合図として霊夢が両手を広げてくるりと一回転、ふわりとふくらんだスカートがしぼむと同時、
「『あら、無愛想の塊みたいね、森近さんって。とてもじゃないけど、商売人には見えないわ』」
「なにを
「『おいおい、霊夢。どうせ呼ぶなら、こいつのことは親しみを込めて霖之助さんと読んでやってくれよ』」
言っているんだいと声を上げようとした霖之助を遮るように魔理沙が芝居がかった返事を返し、
「『あら、名前で呼んだら何か安くしてくれるのかしら?』」
「『ああ。スマイルが、なんと今ならゼロ円だ』」
「『タダより高い物はない、って魔理沙は知らないのかしら?』」
「『タダで人の縁が手に入るなら儲け物。閻魔だって言ってるだろ。渡し賃位自分で稼ぎなさい、ってな』」
主演女優が被る黒い黒い三角帽子のつばの向こうから愛嬌のあるそれでいて真っ直ぐな視線が霖之助へと注がれる。
霊夢がそれを横目に呆れたような表情を浮かべて肩をすくめると、
「『笑うだけで渡し賃が手に入るんだったら、今頃三途の渡しは廃業ね』」
「『分かってないなあ、霊夢は。笑う門には福来たる、って言葉が思い浮かばないんじゃ、いつまで経っても神社の賽銭箱は空っぽのまんまだぜ』」
「『あら、随分と御挨拶ね』」
「『おいおい、負けを負けと認めるのも大人のすることだぜ』」
「『そうね。森近、いえ。霖之助さんはどう思うかしら?』」
「『そうだな。香霖はどう思う?』」
その注がれた量に比例してかみるみる霖之助のうなじが赤く染まっていく。それは大人ぶった振る舞いをしているのに、子供時代の醜態を親に話されてしまったような、そんなばつの悪さからくるものだった。
その様はパチュリーをして、店主がそこまで真っ赤になったのは初めて見たわ、と言わしめるほど見事な染まりようで、
「ああ、いや、うん。なんでもない。いや、思い出さなくても結構だよ」
思わず霖之助が白旗を掲げるほどの威力だった。
芝居は、霖之助がこの香霖堂に人付き合いの疎ましさから籠もっていた時期のこと。そして初めて魔理沙が霊夢を連れて来た日のことだった。
「あら、残念ね。どうせなら魔理沙が白旗を振ったところまで思い出してくれても良いのに」
「おいおい、霊夢。くどいようだが負けを負けと認めるのも大人のすることだぜ? まあ、昔を思い出してもらえてなによりだ、と言うところだな、うん」
「よかったわねえ。お義母さん」
「おいおい霊夢。そこはお義父さんにしてくれないか?」
「あら? なんでよ?」
「そりゃあ、『お宅の息子さんを私の婿に下さい』って言われるのが夢でなあ」
そんな魔理沙と霊夢の軽口は既に、紫達の耳には入っていなかった。
自分たちがあれだけ手練手管を駆使して迫ったにもかかわらず、顔色一つ変えずに済ませたあの霖之助がここまで表情を変えるということに驚き、口を動かすことすらままならなかったからだ。
そのショックからようやく紫が立ち直ると、
「つまり――」
「だーかーら、な」
紫や幽香、永琳の視線を浴びながら、それに動じることなく店の入り口から奥へと歩いていくと、店主の真向かい、カウンターの真向かいにある椅子を引く馬のように跨る。
ばさりとスカートを翻しながら跨ったその姿は、まるでおとぎ話の一幕。姫の危難に駆けつける騎士のような雰囲気を醸し出していた。
もっとも騎士というには、口の端をつり上げながら笑う様が魔女の外のなにものでもなかったが。
「霖之
「霖之助さんってば霧雨道具店を辞めてから、ここに引き籠もってばっかりだったからね。世間付き合いってものをすっかり忘れてたのよ。それをなんとかしたのが魔理沙、ってこと。言ってみれば第二の育ての親かしら?」
魔理沙が二の句を継ごうとした瞬間、それに被せるようにして霊夢が言葉を紡ぐ。霊夢に見事に見栄をきる瞬間を外されて、金魚のように口を動かす事になった魔理沙は顔を椅子の背に付けてうなだれる。
「……ここは私の見せ場だったハズなんだけどな?」
悪かったわね、と謝意の欠片もない投げやりな霊夢の返事に、覚えてろよ、捨て台詞のような言葉を返すと、気持ちを落ち着けるためかその黒い帽子の中に手をやり二度三度と髪を手で梳き、まあ、と口を開き直し、
「魔理沙的にはここまで育てた親に断りもなく交際するな、ってことね」
今度はパチュリーにセリフを持って行かれる。
「あとはそうね。味噌汁の一つも満足に出さないような奴が香霖堂に唾付けようとするな、ってところかしらね。分かるわその気持ち。私も咲夜が誰か連れて来たらそういうつもりだしねえ」
「という感じで姑が言いたいみたいけど、どうする? ここんところ、魔理沙ったらこの件でうだうだ言い過ぎてうっとうしいから、味噌汁の一杯で手を打って欲しいんだけど。ダメならぶっ飛ばしてさっぱりさせる、って手を考えてるんだけどどうかしらね」
言いたいセリフをすべて霊夢とパチュリーに横取りされてしまい、口を金魚のように動かすだけになってしまった魔理沙を尻目に、暗に弾幕でケリをつけるか? と博麗の巫女が真顔で言い出したのだから、言われた方からすれば堪ったものではなかった。
紫は呼吸を一つ入れ、諭すように声をかける。
「……馬に、蹴られるわよ?」
「草津の湯でも治せない、って? そこに藪よりは腕の立つ医者が居るんだし、治せるんじゃないかしら?」
「これを治すだなんてとんでもない」
いやいや、と首を横に振る紫と永琳を他所に、
「医者が言うセリフかしらね。まあ、いいわ。魔理沙。あんたを納得させればいいわけね」
と、呆れた声を出しながら幽香が魔理沙に確認を取る。ここでこれ以上ごねても損にしかならないと判断したのか紫も同様に頷く。
「霊夢のためにもお味噌汁の一つで姑を納得させるとしましょうか」
「だから、何時私があんたの娘になった?!」
詰め寄ろうとする霊夢に対し、僅かに傘の石突きを持ち上げるようにして向けると、そのまま霖之助へと背を向けるようにして体を振る。
その動作で傘の石突きで足を払われそうになった霊夢は舌打ちとともに一歩後ろへと下がりそれを避ける。紫、と抗議の声を上げようと霊夢が顔を上げた時点で、既に紫は店の外で傘を広げてこちらへと薄い笑みを浮かべていた。
気がつけば、幽香も永琳も同様に店の入り口に集まっていた。
「それでは霖之助さん、材料を用意しなければなりませんので、今日のところはこのへんで失礼いたしますわ」
「ええ。ではまた明日」
「……ああ。また」
その後ろ姿に向かって、最後の最後まで良いとこなしの魔理沙がかなりふてくされた声を入り口の外へと飛ばした。
「塩っ辛すぎたら嫌みを言うのは姑の特権だからな!」
◆
「……随分と拍子抜けね。奪還なんて、大層なこと言ってたわりには随分とあっさりしたものじゃないの。魔理沙のことだし、てっきりスペルカードを使って叩き出すのかと思ってたんだけど」
「恋路を邪魔しちゃ、恋符使いは名乗れないぜ」
なあ香霖、と霖之助に同意を求めようとするが、霖之助は店の奥で机に突っ伏したままぴくりとも動かなかった。それを見て霊夢はしょうがないとだけ呟くと、
「……まあ、念のためにちゃんと紫達が帰ったかパチュリーと確認するからあんたは適当にやってなさい」
「……ん。そうだな。悪いがそうさせてくれ」
霊夢の苦笑いを浮かべたまま店から出て行くのを、同じような笑みを浮かべて魔理沙は手を挙げて見送った。
そして、魔理沙が首だけで振り返ると、霖之助は空気がなくなった風船のようにあるいは自重に耐えられなくなった古木のように、くたりとその体を机へと倒れこませていた。そしてその表情が他人に読まれないように真っ直ぐに机に伏せたせいで、普段からやや猫背気味な背中がまるで海老のように折れ曲がって机に抱きとめられていた。
「おいおい、香霖。どうした。どっと老けたみたいなため息で」
「いや、どっと疲れただけだよ」
「そこは助けてくれてありがとう、が抜けてるんじゃないのか?」
「昔っから、って付ければ合格点かい?」
「その通りだな」
僅かに響いた鼻息だけで、霖之助は魔理沙が達観したような笑みを浮かべているのだろう、と想像した。
そう、昔から助けられていたのだろう、と霖之助は俯いたまま苦笑した。
「まったくキミと
きたら、そう言葉を続けようとした霖之助の脳裏に魔理沙とある姿が重なったからだ。
それは少年の姿をしていた。
「どうした?」
霖之助を振り返り笑う少女の顔に少年の顔がダブついた。
まさか、と頭の中で否定しても腹の中ではそれが事実なのだろうと得心してしまった答えを、霖之助は吐き出す。
「『キミ』はひょっとして、世襲なのか?」
「『なんだい、藪から棒に』」
魔理沙のその言葉に、霖之助は魂が抜けるような長い長いため息をついた。
本当に今更だ、そう呻く。
そしてゆっくりと首を振りながら霖之助は、あの日霧雨が言っていた利子の意味を理解したことを魔理沙に白状した。
「ようやく、利子の意味がわかったよ。魔理沙」
「そうなのか?」
「君は、後悔してないのか?」
「ん? 変なことをいうな。後悔はしてもしなくても、どっちにしろするもんだろ? なんだ、香霖はなにか後悔してるのか?」
少年のように快活に、それでいて少女の柔らかい笑みを浮かべる魔理沙をみて、霖之助は胸中に浮かんだ言葉が今言うべき言葉ではないことに気づくと、苦笑とともに、
「ああ。年下にやり込められるような日々に後悔してるところさ」
「そりゃ、難儀なこって」
霖之助の言葉に、魔理沙はひさしの両脇を引っ張り帽子の形を整えると、整えた形を崩さないように、ゆっくりと帽子を脱いだ。
帽子の中で蒸れて頭をサッパリさせるためにばさりばさりと髪を左右に一度振ると、それだけで帽子で潰れていた髪が緩やかな曲線を取り戻していた。
「まったく『キミ』達ときたら。いつもこれだ。自分の都合で散々っぱら振り回してくれて、一体全体僕の平穏はどこにあるんだろうね」
「そりゃ、決まってるだろ。そんなことも分からないから香霖はダメなんだよ」
魔理沙は分かりきった答えをせがむ子供を見るような目で霖之助を見るが、
「生憎とさっぱりでね。君の考えを聞かせてもらってもいいかい?」
「ヒトの輪の中」
駄々をこねる子供のような霖之助の問いに、短く魔理沙が答える。そのまま机に突っ伏し続けている霖之助へと歩み寄る。
帽子の内側に左手を入れるととんがりの先端に人差し指をあてがい、くるりと回し、目に付いた折ジワや鉾を丁寧に取っていく。くたびれた魔女帽が時計の針を逆回しにするように綺麗になる。その出来に満足すると、そっと、気がつかれないよう、誰にも今の霖之助を見られないようにと被せた。
「ま、別に妖怪でもいいんだろうけどな」
「お陰でてんてこ舞いだ」
帽子を被せたせいか霖之助の返事が僅かにくぐもって聞こえ、
「まあでも、これで『私ら』が居なくなっても退屈しないだろ?」
その言葉に、霖之助はかすかに肩を震わせる。
「まさか、まさか『キミ』が。『キミ』が『キミ』を勘当したのは」
「仕込みの苦労を売りにするようじゃ商売人失格だぜ?」
「あんな一言のために。君ら親子は本当に……」
「その手を取った以上は最後まで契約を果たす。それが商売人ってもんだぜ」
魔理沙の言葉に、霖之助ははっきりとわかるほどに肩を震わせはじめる。
その姿に魔理沙は慰めの手をかけようとした。
しかし声をあげず堪えた霖之助のその姿勢に慰めはその心意気を無駄にすると感じ、とっさに伸ばしてしまった手を宙で彷徨わせた。
そして伸ばした手を一度引っ込めると、前髪を弄り心を落ち着ける。
深呼吸一つ分の間を空けると、改めて霖之助へと手を伸ばすと、軽く手の甲でその肩を叩いた。
一人じゃないと、知らせるために。
いずれ誰かがその手を取ると、教えるために。
それもそのはず。
大ぶりのとっくりと空になりかけた小鉢を間にして、男二人が部屋の一角に置かれたカウンターで差し向かいで飲んでいるからだ。
一人は紋付き袴をこれと気負うことなく着こなした男。
もう一人は藍で染められた一張羅を七五三の子供のような表情で着た男だった。
男二人だけの宴席は、紋付き袴の男が藍の一張羅を着た男へと、最近の出来事をおもしろおかしく語って聞かせる、という一方通行な形で、誰かがこの光景をみれば片方の男の自慢話かと呆れるものだったが、不思議と聞き役の男の表情に険はなく、むしろ絵本をせがむ子供のような表情で聞き入っていた。
が、それが次の一言で一変する。
「そういや。なあ、霖之助。お前、儲かって」
紋付き袴の男はそこで一度言葉を句切ると、小さく呻く。今までの歯切れの良さはなりを潜め、奥歯に物が挟まったような表情を浮かべる。
が、それを問うことがこの宴の本題だった。
「いや、本当にここで商売してんのか?」
「なんだい、藪から棒に」
霖之助と呼ばれた聞き役だった男はこの日初めて喜楽以外の表情を浮かべる。
問われた男、森近霖之助は、よろず屋香霖堂の店主である。人里離れた場所に店を構えてはいるが、品はいずれも里では手に入らないものばかりを並べているという自負があった。
その看板に対して面と向かって疑問を投げかけられ、手にした杯をカウンターに置いた。
問いを発したのは里一番の大店、霧雨道具店の店主の霧雨。
霖之助に商いのイロハを教えた張本人であった。
その体つきは霖之助と大差無いものでありながら、こちらは一本芯の通った歴戦の商人という雰囲気を体全体から発しており、その気迫が霖之助の軽々しい返答を封じ込めていた。
「独立祝いにくれてやったこの椅子なんだがなあ。いまだに誰かが座った感じがしねえんだよ。それが気になってな」
霧雨は薄暗い室内よりなお黒い、濡れ羽色の袖を大きく振ると座っている椅子の背もたれを二度ほど叩き、乾いた木の音を室内に響かせた。
それが霖之助の舌の錆を取る魔法だったのか、霖之助はぎこちなく、
「君がそんな違いまで見れるとは知らなかった。家具を見ただけで男女の付き合いがあるかないかまで見破るなんて、道具屋の次の仕事は縁組紹介かい?」
茶化してみるが、霧雨は意に介することもなく、空いた手で店から持参していたとっくりを傾ける。
酒を僅かに杯に注ぐと、軽く口を湿らせ、
「そりゃ、もちろん丁稚にやらせた仕事じゃねえんだ、もともと滑らかに決まってんだが、座ったときの衣擦れで出来てくるはずの光沢がねえのがいただけねえな。」
そこで言葉を句切ると、再び口を湿らせると、霖之助を鋭く睨んだ。
「商いをするんなら相手の話を聞かなきゃならん。それも立ち話程度の話じゃなしに、じっくりと、だ。そのためにあつらえた椅子に誰も座った跡がねえってのは、どういう商売をしてんだ?」
霧雨が遠回しに、香霖堂に人が来ていないのではないか、と口にする。そして霧雨の読み通り、香霖堂には誰も来ていなかった。それも何年間もだった。
であるからこそ、霖之助には弁解の言葉など見つかるはずもなく、物言えば唇寒し、さりとて沈黙は何よりの雄弁、そんな言葉が霖之助の頭の中で走馬燈よりなお早く駆け巡った。
それを現実へと引き戻したのは、霧雨の実に短い言葉だった。
「なあ、戻ってくる気はねえか?」
戻ってくる、いや、戻る。
どこへ、がまったく無い霧雨のその言葉に、霖之助ははっきりと首を横に振った。それは先ほどまで舌が回らなかった分の油が首に回っているかのような早さだった。
「折角の話ではあるけど、一度店を出た以上、どのツラ下げて、だよ」
「女房もお前さんが心配だ心配だってなぁ」
「奥方にまで、心配をかけてるのは心苦しいけど」
「やっぱ、ダメか?」
「ああ。すまないね」
「魔理沙のヤツも香霖は戻ってこないのか、香霖はいつ戻ってくるのか、ってなぁ」
店主の言葉に目を伏せ、年に二、三度顔を合わせる少女の顔を思い出し、しかし
「心苦しい限りだよ」
「そうか」
その返事を予想していたのか、霧雨は、もう一度小さくそうかと頷くと、ぴしゃりと酔いを醒ますかのように首筋を手のひらで打つ。
そして、そうかダメか、と念押しのように繰り返した。
霧雨の残念極まりないというその響きから逃げるように、霖之助は注がれた杯に口を付ける。 それを横目に霧雨は思い出したかのように、言葉を続ける。
「ああ、そうそう。その魔理沙だがよ」
「娘さんが、どうかしたのかい?」
「ああ。今度、勘当することにした」
ごふ、という音が広くもない部屋に響く。霧雨のあまりの発言に、飲みかけた酒が気管に入り込んだせいで霖之助は酷くむせながらも、
「ど、どういう事だい?!」
流石に先程まで自分を心配していた人間が家を追い出されると言われては冷静でいることができなかった。
そうしたことに驚くだけの感情が自分の中にまだ残っていることに、霖之助は自分自身で驚きながらも真意を尋ねるが、
「色々あんのさ」
霧雨は短く答え、とっくりを持つ手を僅かに持ち上げることで霖之助に杯を持つよう催促する。
「いや、色々で済ませるような話じゃないだろう?! 一体全体どういう風の吹き回しだい?! 第一、そんな話、奥方だって承服する話じゃないだろう?!」
「女房にゃ言ってあるし、納得はしてねえだろうが、認めさせた」
だからお前さんが四の五の言ったところで家の方針は決まってんのさ、と霧雨は告げる。そして、それでな、と言葉を継ぎ、とっくりを持ち上げると霖之助へと傾ける。
その有無を言わせぬ雰囲気に自然と霖之助が両手で杯を差し出してしまう。そこへ無言のまま霧雨がとっくりをゆっくりと傾けて酒を注ぐ。
宴の始まりの頃、傾ける程度でとっくりから流れ落ちていた酒も、今では水平でも足りずに、 首を下にしてようやく流れる量にまで減っていた。その最後の一滴が注がれる。
「それで。それで、なんだい?」
霖之助が問いを発した瞬間だった。
分厚い桜の一枚板で出来たカウンターにとっくりを荒々しく叩きつける音が響くと同時、霧雨の腕が霖之助へと伸ばされ、両手で杯を抱えたままの霖之助の襟元を掴むと、そのまま荷物かなにかのようにカウンターの上へと霖之助の体を引き摺り上げた。
酒が、と袴に酒がかかったことを気にする霖之助に一切構うことなく、霧雨は親の敵のように藍の一張羅の襟元を握り絞める。
霧雨の目は霖之助を喰い殺せるならそうしたい、という鬼気さえ滲ませたものだった。
そんな内心を落ち着かせるためなのか、霧雨はことさらゆっくりと、しかし平坦な声色で、
「ついちゃあ」
一段と霧雨が襟元を締め上げる力が強くなり、
「ついちゃあ、お前が面倒見ろ」
「――藪から棒に無理難題を言う癖は変わらないね、キミも」
その有無を言わせぬ気配に、霖之助は霧雨を刺激しないよう答えるべきところにも関わらず、 かつて呼んでいた呼び方で霧雨を呼んでしまう。なぜなら霧雨のその雰囲気に、霖之助は思い出すものがあったからだ。
それはまだ霖之助が森近霖之助と名乗る以前、半人半妖であるが故に疎まれ薄暗い小屋の中で誰に知られることなく生活していた日のこと。それは今以上に将来のことが見渡せない、見通す意思すら起きない頃のことだった。
それは暴風のように遠慮無く、自分の夢のために手を貸せと、霖之助の手を引き上げた少年の雰囲気とまったく同じだったからだ。
「ある日突然やってきたかと思えば、自分の嫁取りのために手を貸せ、そう言ったあの頃と、何一つ変わってないね。キミは」
「そうか?」
「ああ。そうだ。そんなことに手を貸してなんになると言った僕を五月蠅いと一喝して、自分のためにさえ生きてないなら誰のために生きようが大差無いだろう、だから手を貸せ、とまで言ったよ?」
かつて、こことは別の場所で、今と同様に霧雨が自分の胸ぐらを掴み上げ、新しい日常へとかり出しに来た日のことを、まるで今さっきのことのように霖之助は思い出し、自然と部屋の外へと続く扉へと視線をやってしまう。
人間でもなければ妖怪でもない、混ざりもの。人から疎まれ、妖怪からは蔑まれ、行き場のない霖之助を、外へと連れ出したのは他ならぬ霧雨だった。
「薄暗い小屋に引き籠もってたのをわざわざ引っ張り出したってのに、また籠もりやがって」
「あの頃のことを蒸し返すのは勘弁してくれないか」
霧雨と共に過ごした目まぐるしくも賑やかな日々。その終止符は霧雨に娘が産まれたことだった。
霧雨の夢の実現、それが霖之助が霧雨の元を離れるきっかけであり、せっかく建てた香霖堂が看板倒れに終わっている理由でもあった。
親に、霧雨に愛される娘の姿を見るたびに、どうしても自分が愛されなかった理由、霧雨が来るまで誰からもその手を取られなかった理由がこびりついて離れなくなってしまったからだった。
自分は誰からも必要とされる存在ではないのではないか、と。
霧雨はそうした霖之助の心の内を読めるだけの商人であり、しかも、それを材料として交渉できる商人であった。
「ああ、蒸し返さない代わりに預かれ」
「……どうして僕なんだ?」
「――それも色々あんのさ」
「あれも聞けないこれも聞けないじゃ受けられるものも受けられないよ」
「まあ、ちげぇねえ」
がたん、と椅子の足が床にぶつかる音が響く。霧雨が腕一本で締め上げカウンターの上へと引き上げていた霖之助を、今度は逆に突き放すようにして押し出すことで椅子に座らせた音だった。
「けど、よ」
無理矢理椅子へと座らされた霖之助は戸惑った表情を浮かべ、霧雨を見上げる。霧雨は袖にかかったままだった酒を払うと乱れた自分の襟を直し、そして笑う。
「なに、お前が小屋から出て損したと思ってなければ受けりゃいいんだよ。それと似たようなことになるのは間違いないからな」
「随分と自信たっぷりだね」
「そりゃあ、な」
「大概は、厄介事だったけどね」
「だが、その手は今んところ空っぽだろ? だったら貸してくれ。利子は付けて必ず返すからよ」
それ以上の会話はなかった。
じゃあな、そういってそのまま霧雨は戸口から出て行ってしまったからだった。
霖之助の手元に残った家一件分と称した螺鈿細工の杯だけが、霧雨とのやりとりが夢幻の類ではないことを示していた。
◆
十畳ほどの部屋の中央、ちゃぶ台を囲み三人の少女が顔をつきあわせ、最近の出来事について花を咲かせていた。その手元には白磁の質素な湯飲みが、申し訳程度に置かれていた。
ちゃぶ台の上の湯飲みはいずれも咲いた話の分だけ減っていたが、そこから離れて畳の上に置かれた湯飲みだけは量が少しも減っていなかった。
それもその筈で、湯飲みの主は畳の上にごろりと仰向けで寝転がっていたからだ。
「さすがに冷めたわよ」
この茶飲み場である博麗神社の巫女、博麗霊夢が仰向けになりその鮮やかな金髪を四方に広げたまま天井を見上げている友人へと声をかけた。
が、寝転がっている相手からの返事は間延びした声だけだった。
「ちょっと魔理沙。わざわざ淹れたお茶が飲めないっての?」
霊夢は髪をかきあげ、頭の熱を逃がすようにしながらも、声に不満を滲ませる。それに反応したのは同じちゃぶ台を囲む二人だった。
「パチュリー、これお茶だったらしいわよ」
「あら、アリス。都会派と名乗ってるのに、流行の博麗茶を知らないの?」
「なによそれ?」
「アメリカンコーヒーの親戚よ」
「アメリカンコーヒーって、コーヒーのお湯割りよね。あ、なに? 神社に人の気配がしないのとお茶の気配がしないのとを引っかけてるの?」
「催促しないとお茶の一杯も出さないんだから渋い話じゃないの。お茶だけに、なのかしらね」
皮肉たっぷり揶揄たっぷりに喋ったのが、吸血鬼が住む館の一角で本とともに生活をしているパチュリー・ノーレッジ。
さすがに出されておいてそこまで言うのはどうなのよと、呆れつつもお茶が薄いことをまったく否定しなかったのが、魔法の森で人形とともに生活をしているアリス・マーガトロイド。
ちなみに、魔理沙と呼ばれた少女は、アリスと同じ魔法の森に居を構える普通の魔法使いである。もっとも普通普通と言っているのは当人だけで周囲の振り回され具合は尋常ではないのだが。
その魔理沙は未だに人間だが、パチュリーとアリスはどちらも人のようで人でなし。正確には人間より遙かに寿命の長い魔法使いであり、その生涯をかたや書籍に、こなた人形に捧げているものだった。もっとも周囲に言わせれば、その愛の方向が若干変わってきているらしい。
そんな人外二人から、神社のうらぶれ具合に言及され不機嫌な表情をにじませた霊夢に、魔理沙がようやく返事を返す。
「どうせなら、冷たいお茶じゃなくて、冷たくない香霖を用意してくれ」
く、とあごを持ち上げ、寝転がったままでちゃぶ台に顔を向けると、魔理沙はそう言った。
あごを上げ反りかえった拍子に暑さに敗けてボタンを外した首元から胸の起伏まで垣間みえるが、それに気にすることなく魔理沙は愚痴る。
「最近、香霖の奴が構ってくれないんだ」
力無げに言うだけ言ってガスが抜けたのか、どたんと音を響かせて魔理沙が畳に再び寝っ転がると、暑いと呟きながら、大きく開いた胸元をふいごのように上下に動かし胸元からお腹へと風を送り込む。
いつもであれば、こんなことをすればアリスからはいくらなんでもはしたないからやめなさい という説教と、パチュリーからは見せられるものがないんだから無理に見せようとしなくていいのよ? という皮肉が続くのだが、今日は違っていた。
なにしろ、鴨が葱を背負って、暇を潰してくれと訴えているのだ、楽しまなければ損とアリスが魔理沙に問いかける。
「何? 森近さんが良い商品をかっぱらわせてくれない、って言ってる訳?」
「おいおい、アリス。人をまるで盗っ人みたに言うなよ」
「泥棒でないなら、利子を付けて返すのが筋ってものよね」
パチュリーが、胸元からおへそまで見通しのよい魔理沙の体を眺めながら、書斎から無断で持ち出されている蔵書の返還を要求する。
何しろこの盗っ人による被害状況は深刻で、このままのペースでいくと百年もしないうちに本棚が不要になる、という予測がはじき出せるぐらいの被害を受けているのだから、口調がトゲトゲしくもなろうというものだった。
が、敵もさる者、引っ掻く者。
「あいにくと、利子を付けるのは教会が禁止してるんだぜ」
「教会の流儀に反するのが魔女の本分なんだから、別に幾ら付けてくれても構わないわよ」
「そうか? なら、研究成果と一緒に返せばいいか?」
「その研究とやらはいつになったら終わるのかしら?」
「そうだな、終わるとしたら、お前さんとこのメイドが人間を辞めるって言い出す位の時期じゃないか? たいして長くないだろ?」
「咲夜が、レミィに、ね。ほんと、そうね。たいして長くはないでしょうね」
魔理沙のあっけらかんとした物言いに今度こそはっきりと顔に不機嫌という文字を浮かべパチュリーは魔理沙をに睨みつける。
何しろ魔理沙が引き合いに出した同年代の少女で紅魔館のメイドを勤める十六夜咲夜。
人間でありながら、咲夜の主でありパチュリーの友人でもあるレミィこと吸血鬼のレミリア・スカーレットがいくら懇願しても頑として眷属にはならない、人として死ぬと言う猛者だ。 最近では根負けしたレミリアが死ぬなら死ぬでも猫みたいにある日突然消えたりしないでくれ、などと要求事項を大幅に引き下げていたりするほどの頑固さで、およそ人間を辞める、などと言わない相手を引き合いに出してきたのだ。
言外に、死ぬまで返さない、と言われて機嫌が良くなるハズもない。
そんな空気に構わず、霊夢が気怠げに、しかし律儀に魔理沙へと、
「で、霖之助さんがどうかしたの?」
「おうおう、それだそれ。こないだのクリスマスの一件からこっち、香霖とこに色々入り浸っててな、暮らしにくいったらありゃしないんだ」
「あー、クリスマスのときのアレねー。なに、紫達はまだ霖之助さんにちょっかいだしてたの?」
「香霖堂の女難は相変わらずのようね」
「というか魔理沙。あんた自分の家で生活してないって、ひょっとして、また収集品が?」
霊夢のいうクリスマスの一件とは、吸血鬼のレミリアが主催したクリスマスパーティーで、霖之助がサンタクロース役をこなしたのだが、霊夢や魔理沙のねぎらいの言葉を聞くや、大役を勤めあげた安堵によってか、はたまた過労によってか寝込んでしまったという一件だった。
その一件以降、頻繁に霖之助の周りに野獣が一目散に逃げ出すような美女達が顔を出すようになったのだ。
何かにつけ霖之助が切り盛りする香霖堂を第二の我が家のように利用している魔理沙にしてみれば、勝手知ったる我が家にちょっかいを出す邪魔者達にはご遠慮願いたいという状況であった。
「ようやく、一階を奪還したんだけどなー。それでももうしばらくは霖之助のところに厄介になるから、普通に暮らしたいんだけど、どうしたもんか」
「まだ森近さんにちょっかいを出してたのね」
「ああ。そうなんだよ」
「あら、魔理沙。私が言ったのはあんたのことよ?」
「おいおいアリス。ちょっかいを出すなんて、私と香霖はそんな下世話な関係じゃないぞ」
「あら、そう思ってるのはあんただけじゃないの? 第一、下世話な話は淑女のたしなみらしいわよ? 紅魔館の主曰く、ね」
「レミィが何も考えずに言いそうなセリフね。うちの咲夜に手ほどきをしてほしいものね。下世話な話一つ上がらないもんだから、婚期を逃したらどうするのってレミィがそれはそれは心配してね。たまには休みを取って羽を伸ばせってレミィが言ったら、婚期を逃がしたときは美鈴で手を打つことにしますわとか言ってたぐらいだしねえ」
「ワーカホリックも極まれり、ね」
「ほんと、枯れる枯れない以前のあれを何とかして欲しいものだわ」
そんなパチュリーに苦笑しつつも、アリスが天井を見上げたまま考え込んでいた霊夢へと、問いかける。
「ま、実際のところ、魔理沙と森近さんの関係って年の離れた兄弟、ってところかしらね?霊夢」
「おいおいアリス、私は弟じゃないぞ」
霊夢が口を開くよりも早く、魔理沙の自主申告が響く。が、当然皮肉屋が黙ってこれを見逃す訳もなく、
「どう見たって弟よりたちが悪いわ。レミィと咲夜の関係に近いわね」
友人とその友人の召使いであるはずの二人が、肝心なところは上下逆転しているという奇妙な関係を持ち出して訂正を要求する。
「ということは森近さんは入浴を覗かれたり恥ずかしい下着を着せられたりしてることになるんじゃないかしら?」
「……今度ウチのメイドについての素行調査と世論調査をする必要があるわね」
「どうせなら、回答欄は、そうとしか思っていない、そう思っている、思っているの三択にしたら?」
「――アリス。悪いけど、レミィみたいなバカはするつもりはないわ」
「アンケートをとる時点で大差無いと思うんだけどね」
レミリアが行った自身のカリスマ調査の設問についての回答欄を引き合いに出したアリスに対して、パチュリーは冷たく答えるが、霊夢からさらに冷たい指摘が入る。まあ、アホみたいな話は止めにしようかしらという空気が漂ったそこへ、温くなった風呂を焚き直すように、魔理沙がホットな話題を投入してしまう。
「入浴は覗かれるというか、割と最近まで一緒に入ってたからな。あいつのほくろの位置なら大体分かるぞ」
その言葉にアリスとパチュリーが顔を見合わせる。流石にこれは、と霊夢が魔理沙をたしなめる。
「魔理沙。あんた、そこらへんの慎みは持った方がいいわよ。いらない誤解を招いてもしょうがないでしょうに」
「いいだろ、別に事実は事実なんだし。それに霊夢が知ってる通り、もう香霖の奴が一人で入れるって五月蠅いから最近はしてないしな」
「霖之助さんも気の毒に」
魔理沙に振り回される霖之助を想像したのか、アリスが苦笑いしながらそう呟く。
霊夢は肩をすくめると、
「魔理沙は霖之助さんっ子みたいなもんだしね。仕方ないわよ」
「おいおい霊夢。その言い方は無いんじゃないのか?」
「あら、そうかしら? だって魔理沙ったら霖之助さんのところだと朝から晩まで霖之助さんにべったりじゃない」
「……振り回してる魔理沙じゃなくて、べったりの魔理沙ってのが想像出来ないわね」
「いや、……別にあんなの普通だろ」
「朝は朝で雛鳥みたいに口に運ばせて食べさせるし、昼は昼で猫みたいに膝で寝かせろってせっつくし、夕方は夕方で一人じゃ広すぎるって言って入浴をせがむし、夜は夜でもう少しそっちに詰めろって布団に潜り込むし」
「それは、流石に咲夜でもやらなかったわよ?」
「あら。ほんとにしてなかったのね」
「そうよ。あの子、そこらへんは聞き分けが変によかったからね」
「その反動なんじゃないの? レミリアへのあの偏愛っぷりは」
「愛されたかったように愛してるわけね」
「そこだけ聞くと美談みたいだけど、咲夜のアレは自分の欲望に忠実なだけなんじゃないのかしら?」
パチュリーとアリスがしみじみとうなづきあっているのをジト目で見る霊夢。
そして霊夢は、魔理沙はアリスやパチュリーみたいな枯れた連中の反応をみて普通かどうか判断すること自体が間違ってるのよ、と言葉を重ねる。
脇では、いやその前になんで霊夢はそんなに詳しく知ってるのよというパチュリーの呆れた声が上がるが、さらっと霊夢は無視する。
が、そのジト目を無視できなかった魔理沙が、
「おいおい霊夢、なんだよそれは」
「客観的に聞くと爛れた関係にしか聞こえないからもう少し節度を持ちなさい、ってことよ」
「ブン屋みたいな生活しか送ってないぞ」
「何よそれ」
「清く正しい」
真面目腐った顔でそう答えるが、その答えに霊夢はため息で返事をする。パチュリーも呆れたのか言葉もなかった。そんな中、霊夢の言葉に何か主出したのかアリスが渋い表情を浮かべ、
「……あんたのアレは、朝目を覚ましたら布団に潜り込んでるあのやっかいな癖は昔っからだったのね」
ため息を一つ吐くと、お茶のお湯割りを口にする。
「というか、森近さんが野放しにしてたのが原因なのね」
「香霖は私の生活の一部だからな。だってのに、最近は紫やら永琳やら聖やら衣玖やら幽香がだなあ」
「香霖堂の気を引こうとあれやこれややるせいで、構われなくなって寂しい、ということかしらホームズ」
「そういうことだぜワトソン君」
呆れた表情をそのままに魔理沙の心中を指摘するパチュリーへ、けだるげな表情を浮かべたまま魔理沙が拍手を送る。
贈られた賛辞に対しパチュリーは素っ気なく、そこはミス・マープルが正解よと、告げると、つまりと身も蓋もなく話をまとめてしまう。
「……猫がお気に入りの場所を取られそうになって癇癪を起こしかけてる、ってことでいいみたいね。消極的に黙らせるにはどうしたらいいかしら?」
「猫じゃらし代わりに本棚の中身でもばらまいてストレスの解消にでも努めればいいんじゃないかしら」
「無い袖は振れない、って言葉を知らないのかしら? 都会派ぶっていても袖も知らないとはお里が知れるわね」
「めかしこんでも袖にされてるんじゃ、持ち腐れじゃないかしら? 馬子でもあるまいし」
「貢ぐのが目的化してるんじゃ病気もいいとこね。研究テーマを医者いらずにでも変更したらどうかしら?」
「あら、猫いらずの研究成果があれば事足りるでしょ。ああ、ごめんなさい。それが出来ないから狗を飼ってるのよね」
「したいことだけをするという魔女の本質から外れていないだけよ。他人に影響されてフラフラとテーマを変えてるようじゃ未熟もいいところね」
「言う割にはフラフラと振り回されてるんじゃないかしら? 動き回らないのが売りだったはずなのに、不思議なものね」
アリスとパチュリーの言い合いが続く。それを他所にしばらく天井を見上げて考え込んでいた霊夢が、バタンと大の字に、ちょうど魔理沙の顔の隣に頭が落ちるように引っ繰り返えった。
「うわ、危ないな霊夢」
「あー、ったく。相変わらずあんたってば厄介事を持ち込んでくるわね」
「なんだよ。つれないじゃないか」
「そのにやにや顔を引っ込めなさいよ」
魔理沙の視界で逆さになった霊夢が歯をむき出しにして怒っていた。が、その表情を弛めると、
「で、魔理沙はどうしたいの?」
「そこは、言わずもがな。お察しくださいの世界だぜ?」
「あら、声に出してもいい日本語なんじゃないの?」
「そこはつーかーの仲だろ?」
「親しき仲にもって言うじゃないの」
「今の返事は『あ、うん』を期待してたんだけどな」
「言葉にしなければ伝わらない思いって大事よね」
「言葉に出して言ってる割には、私以外からは賽銭が入らないけどな」
「言ってなさい」
苦笑する霊夢を横目に、しばらく魔理沙は天井を見上げ、深呼吸とそして長い長いため息をついた。そして、ため息の終わりとともに、勢いよく起き上がる。シャツが翻り、スカートが膨らみ、白黒のつむじ風を巻き起こしながら、その体をぐるりと半回転させてちゃぶ台へと向き直ると、
「決まってるだろ。エルサレムの奪還だ」
いつものあの不敵な笑みを魔理沙は浮かべた。
その不敵な笑みから、パチュリーはすぐさま魔理沙が自分たちを勘定に入れて何か計画したんだろうと察すると、実にイヤそうな表情を浮かべ
「エルサレムを奪還しに行った十字軍は、どれもこれも失敗に終わってるわよ」
「だったら、そうだな。北京を取り返すんだぜ」
「コミュニストだったら出来るかも知れないけど、貴女エコノミックアニマルじゃないの」
消極的な牽制をおこなう。実入りの少ない面倒事には関わりたくない、という実にわかりやすいパチュリー行動原理に対し、魔理沙は片手だけで降参のポーズを取る。
「奪われた本を取り返すんだぜ」
「……それが出来ればここまで苦労はしてないわ」
魔理沙が開いた手と言葉の意味を理解し、苦虫を噛み潰したような表情をパチュリーは浮かべる。
パチュリーが魔理沙のセリフに降参だとばかりに、両手を開いて返事をする。アリスは市場のように手だけでやりとりをはじめたパチュリーと魔理沙を見、自分の本を取り返すのに労働という対価を要求されるようになってしまったパチュリーに対し短く、ご愁傷様と告げる。
なにしろ、返却しようにも今の霧雨宅は収集品で埋まっているのだ。今回の件が片付いても、霧雨宅が片付かなければ本は返ってこないのだと失念しているパチュリーが気の毒に思えたからだった。
そんな魔女達の短い攻防が一段落すると、実に霊夢がいい笑顔で尋ねる。
「それでどうやって霖之助さんを奪回するのかしら?」
「香霖の奴に自分が誰の物かを思い出させるに決まってるじゃないか」
「どこまでする気なのかしら?」
「必要とあれば昔話でもするさ」
「あら、それは楽しみね」
霊夢の嫌に積極的に焚き付けるセリフにアリスが眉をひそめる。
「……霊夢、あんた焚きつけるだけ焚きつけて、どうする気よ」
「イヤね、アリス。修羅場と愁嘆場は傍から眺めて楽しむのが相場と決まってるじゃない」
「……このどたばたは誰に言えば無かったことに出来るのかしらね?」
「いい加減、霖之助さんに年貢を納めさせてもいいとは思うんだけどね」
「年貢の納め具合によっちゃあ、一揆が始まるんじゃないの?」
「それは霖之助さんの甲斐性次第でしょ」
「霊夢の口から甲斐性なんて出てくるようじゃどんな雨が降るかわかったものじゃないわね。しばらくはおとなしく家に籠もってるわ」
「あら、案外と枯れてるのね」
「慎みがあると言って頂戴。欲にかられて皮算用を始めない程度には慎みがある、とね」
「あ――」
アリスのセリフで、多少の協力をネタに希少本十冊も回収できるんなら楽な話ね、とほくそ笑んでいたパチュリーの顔に影が差す。それを見て、アリスはしてやったりと笑いながら、湯飲みに入ったぬるま湯を飲み干したのだった。
◆
ひばりの鳴く声が室内に響いた。中天をややすぎた太陽が、閑古鳥の鳴く香霖堂へと差し込む。
カウンターでは店主の霖之助が、日差しを避けるようにカウンターに何十冊もの本を積み上げて、ひばりとは対照的に黙々と本を読んでいた。そのペースは規則的でメトロノームがページをめくっているのかと疑うほどのものだった。
不意に、ページを捲る音とひばりの鳴き声以外しなかった室内に、こもった金属音が響いた。
音の出処はカウンターの正面、店の入り口からであった。音は牛が辺りを見回す際にカウベルが立てる程度の実に控えめなものだったが、その音に反応してか霖之助と本の間の距離が心なし近づいた。
「ごめんください」
声とともに、陽光が薄暗い室内に差し込み、室内へと細い三人分の影を落とす。
部屋に静かに響き渡る挨拶に対して、部屋の主は左手で抱くように持った本をそのままに、ページをめくっていた右手をわずかに持ち上げ手の平を見せることで返事とした。それは、挨拶のようでもあり、本の世界から呼び戻されたくないから黙れ、と会話を制止しているようでもあった。
が、相手はそんな仕草を見て見ぬふりをすると、手にした桜色のレースの日傘を折りたたみながら近づき、
「お久しぶりね、霖之助さん」
その手を絡めとるように握り締める。指まで絡めたその握り方は、握った相手が野獣が逃げ出す美女でなければ羨ましがられるのは間違いない光景だった。
そしてもう一つ問題があるとすれば、絡められた手が二本分あるということだろうか。椅子取りゲームのように親指と人差し指を久しぶりと言った美女が、中指から小指までを生成り色の日傘を差したままの美女が絡め取っていた。
腕一本分の陣取り合戦によって人差し指と中指が泣き別れるのを避けるべく霖之助は渋々顔を上げると、
「……半日振りを久し振りというなら、確かにそうだろうね」
ため息混じりにそう返しながら相手を見る。
霖之助の視線の先にいたのは、三人の美女であった。
一人はなにをしても胡散臭さしか感じられないがその鬼謀で妖怪の賢者と恐れられる八雲紫、もう一人は治せぬものなどあんまりのないと評判の名医八意永琳、最後の一人が耕せぬ土地など全くないと最近人気急上昇中の風見幽香であった。
これに加えて、安らぎを貴方にのキャッチコピーで営業活動中の聖白蓮が顔を出す場合もあり、里の男であれば誰しもが羨ましがる光景だった。
ただし、誰も彼もが口を揃えるのは、当事者だけにはなりたくない、ということだった。
なにしろ、この面々の関係は、恋のさや当てなどという可愛げのある言葉では収まらず、つばぜり合い、しのぎを削る、といった様相を呈していたからだ。
「一日千秋の思いというのを共有できるなんて、素敵なことだと思いませんか」
「千秋一日みたいな華もない枯れた竹みたいのが言っても説得力がないわね」
回診ですわ、と霖之助の脈を取ろうとする永琳に対して、幽香がそっけなくそう返す。そこへ紫が、
「枯れ時を知らない向日葵も、死に時を知らない人間と似たようなものじゃないのかしら?」
「年輪みたいに面の皮だけ厚くなっても仕方ありませんからね。その点、妖怪は良いですわね。化けて誤魔化せるんですから」
嫌みを言えば、永琳が二人に対してまとめて斬り返す。平穏とかのどかとは無縁な世界が築かれていた。
ここまでであれば小鳥と男が逃げ出すのがせいぜいだがこの会話と並行して、脈を測ろうと霖之助の頸動脈にしなだれかかるようにして腕を絡めようとする永琳に、その永琳の顎めがけて紫が日傘を跳ね上げたり、跳ね上げながらも霖之助と指を絡めたままの紫の腕を切り落とそうと幽香が折り畳みながら日傘を振り下したりとしているのだから、野獣と婚期が逃げ出すのも当然だった。
そんな人知を超えた攻防を目の前で繰り広げられ、霖之助は眼鏡を外して目頭を揉み解してなんとか気を落ち着ける。
「まったくもって、次の平穏な時間が半日後だっていうのが千秋の思いだよ」
霖之助の言葉に、薬箱から薬を取り出す動作とともに繰り出された永琳の裏拳を、靴紐を結び直す仕草でさりげなくかわしつつ幽香へと足払いをしかけている紫が、
「あら、夜こそ妖怪の本分じゃありませんか」
「生憎と半分は昼間が必要な人間だからね、僕は。」
「あら、口ではそんな事をおっしゃっても体は正直ではなくて?」
色々と含まれた笑みを浮かべる。
視界の端で永琳が薬箱から滋養強壮と書かれた小瓶を取り出していたり、幽香がにんじんのような根っこを取り出しているのを、霖之助はあえて無視しながら
「それこそ生憎と肉欲は天寿を全うしたみたいでね」
会話を逸らそうと努力してみるが、幽香が、
「精も魂も尽き果てた、なんて、いうのは枯れ竹ぐらいよ」
「勃ちあがれ若人、二十四回がんばれますか、赤玉をもう一度、とかありますけど、どれを処方しましょうか?どうせですし、全部にしましょうか?」
「それは医者が言うセリフなのか、というか随分と即物的な品名だね、それは」
「うさぎ小屋に住んでると、そういうところは慎みというのが無くなるのかしらね。自称高貴、みたいな感じで滑稽ね」
さらには紫が永琳が持ち出した薬にケチをつける。
これが、こんなやりとりが霖之助の最近の日課だった。
「本当に、平穏な日々が待ち遠しいもんだよ」
実に枯れた願望を苦笑とともに漏らした。
それと、ほぼ同時。
それは扉を開ける、ではなく文字通り扉を叩きつける、だった。
一息で壁へとぶつかったカウベルは最後の務めとしてひしゃげた音を立てることで家の主へと嵐が訪れたことを告げる。
が、残念なことに家が嵐から逃げられないのと同様に主もまたこの来客から逃げることは出来なかった。
何事かと霖之助が視線を送った入り口には、三角帽子を被って仁王立ちした人影があった。
「おいおい香霖、いつからそんなに爺むさくなったんだ?」
「年齢だけで言えば、紅魔館の吸血鬼がこっちに渡ってきてからの騒動はライブで知ってる程度には年を取ってるつもりだけどね」
「なんだ、やっぱり若作りだったのか。なら、やっぱり冷や水はよくないな。次からは注意しないとまた吐血しちまうな」
「適度な休養と労りをくれればそれでいいんだけど?」
「敬老精神を要求するようになるなんて、急に老け込んだなあ香霖」
「あら。老け込んだのは少なくともここ数日の話では無いわよ」
魔理沙の問いに対して答えたのは本十冊の返却で手を打ったパチュリーだった。その後ろには霊夢が控えていることに気がつき、霖之助は天井を仰ぐ。
「なんだってこうも次から次へと……」
が、そんな嘆きに対する救いの手はどこからも現れることなく、さらに被害は加速する。
「えーっと、適当な報告書によるここ最近の香霖堂の生活はというと……、自称少女が布団に潜り込んだが三件。潜り込むだけなら橙さんのほうが可愛げがありました。第一、潜り込むだけでお終いなんて、どこのチキンかもやしですか。あ、パチュリー様潜り込めるように今度ベッドをセミダブルにしてください」
パチュリーの読み上げる内容に、胡散臭いものを見る目つきで霊夢が紫を見、
「自称最強が風呂に入っているのに出くわしたが一件。意外と悲鳴が可愛かったです。ただ、悲鳴を上げながらもあそこまで寄せて上げてのグランドキャニオンができるのはあざといを通り越して妬ましさしか感じられません」
あり得ないものを見る目つきで霊夢が幽香の胸元を見、
「起きたら坊主の膝枕が二件。熟年夫婦みたいでいつか私もパチュリー様とこんな感じになりたいものですが、これで一緒に寝た仲ですね、ってどんなウブなねんねですかね」
柱の影から飛び出してきたブルータスを見るような目つきで霊夢が窓の外、里の方角を見る。
「振り返ると医者がセクシーポーズ数知れず。今度真似してみますが下着の色は黒がお好みですか、ってちょっと小悪魔!! この報告書はなんなのよ?!」
可哀想なものを見るような目つきで魔理沙がパチュリーを見る。
「それを事前に読みもせずにいたお前もなんなんだ一体」
「小悪魔を貼り付けてみたのよ。だから大丈夫だと」
「人選の時点でダメだろ、それ」
魔理沙がその事実を指摘すると、パチュリーはポケットから目薬を取り出すと左右二回差して眼を十分に潤ませると、そのまま顔を両手で覆い嗚咽を始める。そして棒読みで、
「ウチには後は門番みたいな眠り猫と、紳士という名のメイドと、主みたいな幼女しかいないのよ?!」
「魔法使いみたいな引き籠もりも付け加えたらいいんじゃないかしら」
「そりゃあ、どっちのことだ、霊夢」
「どっちも、かしらね」
「役に立たない、なら特定余裕だぜ」
「あら、あっちのほうは役に立ったかしら?」
パチュリーの芝居をさらりと無視し、霊夢と魔理沙がそんな軽口を叩きながら、三人は香霖堂の中に踏み込む。そんな三人に対しての返事は霖之助からのものではなく、先に店内に陣取っていた三人からの刺すような、空気を読めない子供に呆れるような視線だった。
「……それで、お子様達が揃いも揃ってどういったご用件かしら?」
「あら、紫。ウインドウショッピングって言葉は知らないのかしら?」
「ああ。冷やかしね」
「そうね。付き合う気がないのにアプローチをかけるようなものかしら」
「そうね本当に。遊びでお仕事の邪魔はしてほしくないものよねえ」
「別に仕事、の邪魔はしてないんじゃないかしら?」
「あら、霊夢。それは相手の認識の問題よ」
紫はゆったりとふくらんだ白い袖口から一本の扇子を取り出しながら眼を細めると、ゆっくりと口元を隠して笑う。鈴を転がすような忍び笑いが薄暗い室内に木霊した。もしも使役されている九尾の狐がその様を見たならば裸足で逃げ出すことを選ぶほどに紫が怒り狂っていることが察知出来たのだろうが、霊夢は頓着することなくため息混じりに切り返す。
「そうね。相手が仕事かどうか自覚しているかの問題ね」
「いやね、霊夢ったら、さっきからトゲトゲしくて。まさか――」
その返しに、紫は広げていた扇子をゆっくりと閉じ、僅かに小首を傾げる。
「――霖之助さんがお義父さんじゃ不服なの?」
「あんたはいつから私の母親になった?!」
「そんな?!」
信じられない言葉を聞いたとばかりに紫が仰け反り、
「親子の仲を深めるために竹林にも行けば、地底にだって行ったのに?!」
「仲を深めるっていうのは、強盗を働く、の隠語かしら?」
と、永琳が首を捻り魔理沙へと問う。
「ねえ、どうなのかしら泥棒さん」
が、問われた泥棒さんはそれどころではなかった。
「……魔理沙。私貴女の娘らしいわ。それに、あの理屈でいくと、……いっぺんに三人も子供を認知する必要があるなんて大変ねお義母さん」
肩をすくめつつも、にやにやとした笑みを浮かべたパチュリーに肩を叩かれていたからだ。
「そこは紫みたいに、アリスとにとりと三人でお義父さんとお義母さんの席を仲良く奪い合うって選択肢を選んでくれないか?」
あっちみたいに、と霊夢に詰め寄られる紫を指さすと、それにと続け、
「私の養子は香霖一人で十分だからな」
途端、魔理沙の発言に室内が静かになる。一人、魔理沙だけが笑って肩をすくめ、その衣擦れの音だけが店に響くほどだった。
ようやく魔理沙の発言の衝撃から立ち直った幽香が
「誰が、誰の子供、ですって?」
と、至極真っ当な確認をするが、魔理沙は霖之助を指さし、そして自分を指さして返事とする。その仕草に霖之助と霊夢を除く全員がつられるようにして視線を動かし、ため息を付くと笑った。
「……物知らずは恥をかくわよ魔理沙。子を養う、と書いて養子よ。どこをどうしたらそんなおかしなセリフに繋がるのかしらね」
「おいおい幽香。文字通り、子を養ったろうが」
魔理沙の反論に幽香は呆れたを通り越した表情を浮かべ、紫は気の毒そうな表情を浮かべると、
「……霊夢、貴女の大事なお友達が、霖之助さんを育てたなんて妄想を言い出してるけど?」
「そうね」
霊夢はそっけなく、答えるのもめんどくさいという雰囲気を漂わせて返事を返す。
霊夢のあまりの素っ気なさに、紫は折り畳んだ扇子を額に当てて僅かに首を振る仕草を見せるが、気を取り直すと、
「ほら、霊夢もこう言ってるんだし、少しは頭を冷やしたらどうかしら?」
と、魔理沙に促したが、今度は紫のこの言葉を聞いて、霊夢が紫のように小首を傾げ、
「ん? イヤね紫。魔理沙の言う通り、霖之助さんは魔理沙が育てた、って答えたつもりだけど?」
霊夢の予想外の返事に紫があっけにとられた表情でその顔を見つめる。紫の見つめ具合は酷く、あまりにまじまじと見つめるものだから、霊夢は嫌そうに眉をひそめてそっぽを向いたほどだった。
その驚きは他の二人、永琳と幽香も同様だったようで、どちらも目を丸くして魔理沙と霊夢を交互に見るほどだった。
「……魔理沙に霊夢、君達に子供呼ばわりされるほど僕は落ちぶれてはないよ? そこのところは是非とも思い出して貰いたいんだが」
流石に、これを放置しては沽券に関わると、苦虫を噛み潰したように眉間に盛大に皺を寄せて、霖之助は苛立ちも露わに釘を刺す。が、当の二人はその言葉に眉をつり上げると、感心したような声を上げて顔を見合わせる。
「ふうん。あの『霖之助さん』がね。そこまで言うようになるとわね」
「……物事には限度があるよ?」
霖之助のひやりとした物言いが、昼日中のはずの室温を下げる。
霊夢は肩をすくめると、魔理沙へと目配せをする。と、魔理沙は諦めたのかため息をつくと降参だというジェスチャーとともに、霊夢へと向き直る。
それを合図として霊夢が両手を広げてくるりと一回転、ふわりとふくらんだスカートがしぼむと同時、
「『あら、無愛想の塊みたいね、森近さんって。とてもじゃないけど、商売人には見えないわ』」
「なにを
「『おいおい、霊夢。どうせ呼ぶなら、こいつのことは親しみを込めて霖之助さんと読んでやってくれよ』」
言っているんだいと声を上げようとした霖之助を遮るように魔理沙が芝居がかった返事を返し、
「『あら、名前で呼んだら何か安くしてくれるのかしら?』」
「『ああ。スマイルが、なんと今ならゼロ円だ』」
「『タダより高い物はない、って魔理沙は知らないのかしら?』」
「『タダで人の縁が手に入るなら儲け物。閻魔だって言ってるだろ。渡し賃位自分で稼ぎなさい、ってな』」
主演女優が被る黒い黒い三角帽子のつばの向こうから愛嬌のあるそれでいて真っ直ぐな視線が霖之助へと注がれる。
霊夢がそれを横目に呆れたような表情を浮かべて肩をすくめると、
「『笑うだけで渡し賃が手に入るんだったら、今頃三途の渡しは廃業ね』」
「『分かってないなあ、霊夢は。笑う門には福来たる、って言葉が思い浮かばないんじゃ、いつまで経っても神社の賽銭箱は空っぽのまんまだぜ』」
「『あら、随分と御挨拶ね』」
「『おいおい、負けを負けと認めるのも大人のすることだぜ』」
「『そうね。森近、いえ。霖之助さんはどう思うかしら?』」
「『そうだな。香霖はどう思う?』」
その注がれた量に比例してかみるみる霖之助のうなじが赤く染まっていく。それは大人ぶった振る舞いをしているのに、子供時代の醜態を親に話されてしまったような、そんなばつの悪さからくるものだった。
その様はパチュリーをして、店主がそこまで真っ赤になったのは初めて見たわ、と言わしめるほど見事な染まりようで、
「ああ、いや、うん。なんでもない。いや、思い出さなくても結構だよ」
思わず霖之助が白旗を掲げるほどの威力だった。
芝居は、霖之助がこの香霖堂に人付き合いの疎ましさから籠もっていた時期のこと。そして初めて魔理沙が霊夢を連れて来た日のことだった。
「あら、残念ね。どうせなら魔理沙が白旗を振ったところまで思い出してくれても良いのに」
「おいおい、霊夢。くどいようだが負けを負けと認めるのも大人のすることだぜ? まあ、昔を思い出してもらえてなによりだ、と言うところだな、うん」
「よかったわねえ。お義母さん」
「おいおい霊夢。そこはお義父さんにしてくれないか?」
「あら? なんでよ?」
「そりゃあ、『お宅の息子さんを私の婿に下さい』って言われるのが夢でなあ」
そんな魔理沙と霊夢の軽口は既に、紫達の耳には入っていなかった。
自分たちがあれだけ手練手管を駆使して迫ったにもかかわらず、顔色一つ変えずに済ませたあの霖之助がここまで表情を変えるということに驚き、口を動かすことすらままならなかったからだ。
そのショックからようやく紫が立ち直ると、
「つまり――」
「だーかーら、な」
紫や幽香、永琳の視線を浴びながら、それに動じることなく店の入り口から奥へと歩いていくと、店主の真向かい、カウンターの真向かいにある椅子を引く馬のように跨る。
ばさりとスカートを翻しながら跨ったその姿は、まるでおとぎ話の一幕。姫の危難に駆けつける騎士のような雰囲気を醸し出していた。
もっとも騎士というには、口の端をつり上げながら笑う様が魔女の外のなにものでもなかったが。
「霖之
「霖之助さんってば霧雨道具店を辞めてから、ここに引き籠もってばっかりだったからね。世間付き合いってものをすっかり忘れてたのよ。それをなんとかしたのが魔理沙、ってこと。言ってみれば第二の育ての親かしら?」
魔理沙が二の句を継ごうとした瞬間、それに被せるようにして霊夢が言葉を紡ぐ。霊夢に見事に見栄をきる瞬間を外されて、金魚のように口を動かす事になった魔理沙は顔を椅子の背に付けてうなだれる。
「……ここは私の見せ場だったハズなんだけどな?」
悪かったわね、と謝意の欠片もない投げやりな霊夢の返事に、覚えてろよ、捨て台詞のような言葉を返すと、気持ちを落ち着けるためかその黒い帽子の中に手をやり二度三度と髪を手で梳き、まあ、と口を開き直し、
「魔理沙的にはここまで育てた親に断りもなく交際するな、ってことね」
今度はパチュリーにセリフを持って行かれる。
「あとはそうね。味噌汁の一つも満足に出さないような奴が香霖堂に唾付けようとするな、ってところかしらね。分かるわその気持ち。私も咲夜が誰か連れて来たらそういうつもりだしねえ」
「という感じで姑が言いたいみたいけど、どうする? ここんところ、魔理沙ったらこの件でうだうだ言い過ぎてうっとうしいから、味噌汁の一杯で手を打って欲しいんだけど。ダメならぶっ飛ばしてさっぱりさせる、って手を考えてるんだけどどうかしらね」
言いたいセリフをすべて霊夢とパチュリーに横取りされてしまい、口を金魚のように動かすだけになってしまった魔理沙を尻目に、暗に弾幕でケリをつけるか? と博麗の巫女が真顔で言い出したのだから、言われた方からすれば堪ったものではなかった。
紫は呼吸を一つ入れ、諭すように声をかける。
「……馬に、蹴られるわよ?」
「草津の湯でも治せない、って? そこに藪よりは腕の立つ医者が居るんだし、治せるんじゃないかしら?」
「これを治すだなんてとんでもない」
いやいや、と首を横に振る紫と永琳を他所に、
「医者が言うセリフかしらね。まあ、いいわ。魔理沙。あんたを納得させればいいわけね」
と、呆れた声を出しながら幽香が魔理沙に確認を取る。ここでこれ以上ごねても損にしかならないと判断したのか紫も同様に頷く。
「霊夢のためにもお味噌汁の一つで姑を納得させるとしましょうか」
「だから、何時私があんたの娘になった?!」
詰め寄ろうとする霊夢に対し、僅かに傘の石突きを持ち上げるようにして向けると、そのまま霖之助へと背を向けるようにして体を振る。
その動作で傘の石突きで足を払われそうになった霊夢は舌打ちとともに一歩後ろへと下がりそれを避ける。紫、と抗議の声を上げようと霊夢が顔を上げた時点で、既に紫は店の外で傘を広げてこちらへと薄い笑みを浮かべていた。
気がつけば、幽香も永琳も同様に店の入り口に集まっていた。
「それでは霖之助さん、材料を用意しなければなりませんので、今日のところはこのへんで失礼いたしますわ」
「ええ。ではまた明日」
「……ああ。また」
その後ろ姿に向かって、最後の最後まで良いとこなしの魔理沙がかなりふてくされた声を入り口の外へと飛ばした。
「塩っ辛すぎたら嫌みを言うのは姑の特権だからな!」
◆
「……随分と拍子抜けね。奪還なんて、大層なこと言ってたわりには随分とあっさりしたものじゃないの。魔理沙のことだし、てっきりスペルカードを使って叩き出すのかと思ってたんだけど」
「恋路を邪魔しちゃ、恋符使いは名乗れないぜ」
なあ香霖、と霖之助に同意を求めようとするが、霖之助は店の奥で机に突っ伏したままぴくりとも動かなかった。それを見て霊夢はしょうがないとだけ呟くと、
「……まあ、念のためにちゃんと紫達が帰ったかパチュリーと確認するからあんたは適当にやってなさい」
「……ん。そうだな。悪いがそうさせてくれ」
霊夢の苦笑いを浮かべたまま店から出て行くのを、同じような笑みを浮かべて魔理沙は手を挙げて見送った。
そして、魔理沙が首だけで振り返ると、霖之助は空気がなくなった風船のようにあるいは自重に耐えられなくなった古木のように、くたりとその体を机へと倒れこませていた。そしてその表情が他人に読まれないように真っ直ぐに机に伏せたせいで、普段からやや猫背気味な背中がまるで海老のように折れ曲がって机に抱きとめられていた。
「おいおい、香霖。どうした。どっと老けたみたいなため息で」
「いや、どっと疲れただけだよ」
「そこは助けてくれてありがとう、が抜けてるんじゃないのか?」
「昔っから、って付ければ合格点かい?」
「その通りだな」
僅かに響いた鼻息だけで、霖之助は魔理沙が達観したような笑みを浮かべているのだろう、と想像した。
そう、昔から助けられていたのだろう、と霖之助は俯いたまま苦笑した。
「まったくキミと
きたら、そう言葉を続けようとした霖之助の脳裏に魔理沙とある姿が重なったからだ。
それは少年の姿をしていた。
「どうした?」
霖之助を振り返り笑う少女の顔に少年の顔がダブついた。
まさか、と頭の中で否定しても腹の中ではそれが事実なのだろうと得心してしまった答えを、霖之助は吐き出す。
「『キミ』はひょっとして、世襲なのか?」
「『なんだい、藪から棒に』」
魔理沙のその言葉に、霖之助は魂が抜けるような長い長いため息をついた。
本当に今更だ、そう呻く。
そしてゆっくりと首を振りながら霖之助は、あの日霧雨が言っていた利子の意味を理解したことを魔理沙に白状した。
「ようやく、利子の意味がわかったよ。魔理沙」
「そうなのか?」
「君は、後悔してないのか?」
「ん? 変なことをいうな。後悔はしてもしなくても、どっちにしろするもんだろ? なんだ、香霖はなにか後悔してるのか?」
少年のように快活に、それでいて少女の柔らかい笑みを浮かべる魔理沙をみて、霖之助は胸中に浮かんだ言葉が今言うべき言葉ではないことに気づくと、苦笑とともに、
「ああ。年下にやり込められるような日々に後悔してるところさ」
「そりゃ、難儀なこって」
霖之助の言葉に、魔理沙はひさしの両脇を引っ張り帽子の形を整えると、整えた形を崩さないように、ゆっくりと帽子を脱いだ。
帽子の中で蒸れて頭をサッパリさせるためにばさりばさりと髪を左右に一度振ると、それだけで帽子で潰れていた髪が緩やかな曲線を取り戻していた。
「まったく『キミ』達ときたら。いつもこれだ。自分の都合で散々っぱら振り回してくれて、一体全体僕の平穏はどこにあるんだろうね」
「そりゃ、決まってるだろ。そんなことも分からないから香霖はダメなんだよ」
魔理沙は分かりきった答えをせがむ子供を見るような目で霖之助を見るが、
「生憎とさっぱりでね。君の考えを聞かせてもらってもいいかい?」
「ヒトの輪の中」
駄々をこねる子供のような霖之助の問いに、短く魔理沙が答える。そのまま机に突っ伏し続けている霖之助へと歩み寄る。
帽子の内側に左手を入れるととんがりの先端に人差し指をあてがい、くるりと回し、目に付いた折ジワや鉾を丁寧に取っていく。くたびれた魔女帽が時計の針を逆回しにするように綺麗になる。その出来に満足すると、そっと、気がつかれないよう、誰にも今の霖之助を見られないようにと被せた。
「ま、別に妖怪でもいいんだろうけどな」
「お陰でてんてこ舞いだ」
帽子を被せたせいか霖之助の返事が僅かにくぐもって聞こえ、
「まあでも、これで『私ら』が居なくなっても退屈しないだろ?」
その言葉に、霖之助はかすかに肩を震わせる。
「まさか、まさか『キミ』が。『キミ』が『キミ』を勘当したのは」
「仕込みの苦労を売りにするようじゃ商売人失格だぜ?」
「あんな一言のために。君ら親子は本当に……」
「その手を取った以上は最後まで契約を果たす。それが商売人ってもんだぜ」
魔理沙の言葉に、霖之助ははっきりとわかるほどに肩を震わせはじめる。
その姿に魔理沙は慰めの手をかけようとした。
しかし声をあげず堪えた霖之助のその姿勢に慰めはその心意気を無駄にすると感じ、とっさに伸ばしてしまった手を宙で彷徨わせた。
そして伸ばした手を一度引っ込めると、前髪を弄り心を落ち着ける。
深呼吸一つ分の間を空けると、改めて霖之助へと手を伸ばすと、軽く手の甲でその肩を叩いた。
一人じゃないと、知らせるために。
いずれ誰かがその手を取ると、教えるために。
肝心の弾幕はなかったけど
幻想郷の男性たる霖之助も、振り回されるのは仕方がないね
ってか、おじいちゃん呼ばわりで吐血した時空まだ続いてたのw