そうそうわいつも通りの朝。天界は常に晴れていて、空気も爽やかだ。何百年ここで朝を迎えても、それは一度も変わることはなかった。
だが今日はちょっと違う気がする。もちろん天気はいつもと一緒。変わって感じるのは、自分の心。
布団から起き出して、いつもの服に着替える。洗顔?水浴び?必要ない。天人の体は清いのだ。
庭に出ると、衣玖が桃の木の下に立っていた。
「御早う御座います、総領娘様」
「おはよう、衣玖。昨日はよく眠れたかしら?」
「はい、寝付けはしたのですが、この通り早くに目が覚めてしまいました。総領娘様はいかがですか?」
「愚問ね。私が緊張なんてするように見える?」
「それもそうですね。天下の総領娘様ともあろうお方が緊張などするわけありませんし」
「そういうこと。さあ、少し早いけどもう行きましょうか。私達の晴れ舞台へ」
目指すは一路、博麗神社。玄雲海を抜けると、眼下に広がるのは朝を迎えたばかりの幻想郷。ひんやりした空気が心地よかった。
掃除をする霊夢を見つけ境内へ降り立つ。
「おはよう、霊夢」
「おはようございます」
「おはよう…って、随分と早いのね。今日は昼からだったでしょ」
「うん、そうだけど上にいても暇だからこっちに来たのよ。少しゆっくりさせてもらうわね」
そう言って拝殿に上がる。昨日のうちに椅子が並べてあり、奥の本殿には四隅に榊の枝が立てられ周囲を囲むように紙垂が張ってある。
その本殿の中心に立って目を閉じる。
「一体いつぶりかしらね…」
天子はひとり、遠い日の記憶を辿っていた。それは酷く朧げな、まだ天子が地子だったときのこと。
(まさか、こんなことになるなんてね…)
「総領娘様?」
衣玖に呼ばれ、はっと我に返る。
「いかがなさいました?」
「何でもないのよ。さあ、居間にでも行きましょうか。その前に衣玖はお茶を淹れてきて。今日は甘茶がいいわ。できるだけ熱いお湯で淹れるのがコツよ。霊夢の分も忘れずにね」
「はい、心得ておりますとも」
そうして天子が居間でくつろいでいると、最初の招待客がやって来た。
「よお天子、随分早くから来てるじゃないか。まだ用意が終わってないのか?」
「まさか魔理沙が一番乗りとは思わなかったわ。もう用意は終わってるわよ。あとは時間になるのを待つだけ」
「そうかい、それは何よりだ。ところでお前、すごい奴らを誘ったんだな。どこに行ってもお前の話を聞いたからびっくりしたぜ」
「そうよ。そうでなければ意味が無いですもの」
「また何か企んでるっぽいな。私は痛いのはまっぴらごめんだぜ」
「今回はそんなのとは違うわよ。細工は流々、仕上げをご覧じろ、てね」
その後も幻想郷のあちこちから、またはそれ以外から、続々と招待客がやって来る。境内で、拝殿で、居間で、裏庭で、思い思いにその時を待つ。
「やほー、天子」
「遅かったじゃない萃香。あれ、その方はどなた?」
「こいつは星熊勇儀。見ての通り私と同じ鬼さ。いつもは地底にいるけど、せっかくだから連れて来たよ。今回の趣旨なら構わないだろ?」
「ええ、もちろん歓迎いたしますわ。初めまして星熊さん。比那名居天子です。わざわざ地底から脚をお運びいただきました。今日はどうぞお楽しみください」
「ああ、そうさせてもらうよ」
(まさかもう一人鬼が来るだなんて。お酒は足りるのかしら?)
「あ、慧音」
「やあ天子。紹介するよ、藤原妹紅だ」
「初めまして。比那名居天子です。今日はお越しいただいて嬉しいわ。どうぞご存分にお楽しみくださいませ」
「初めまして、妹紅です。てか慧音、話してたのと何か違くない?」
「ちょ、妹紅…」
「はぁ?」
「あ、やばかったかな?」
「ちょっと慧音…貴方一体私のことをどう言ってるのかしら?」
「いや、天子、これは…」
「まあいいわ。せっかくの晴れの日ですから。よろしくね、妹紅さん」
「ええ、よろしく」
「はは…」
(あれが慧音の友達かぁ…友達って普段、どんなことしてるのかしら)
「毎度お馴染み射命丸です。今日の主役に一言いただこうと思います」
「出たわね天狗。そうね、これだけ集まってもらったんだから、皆様には今日はしっかりと満足してもらいますわ。貴方もしっかりと記事にしてちょうだいね」
「もちろんですとも。これは他の新聞には真似できない大スクープですからね。私も気合いを入れて取材しますとも」
「ふふ、出来栄えには期待してるわよ」
「総領娘様、粗方集まりましたので、私どもも用意を致しましょう」
「わかったわ。先に中に行ってるから、萃香にもう少ししたら皆に入ってもらうように言ってきて」
「かしこまりました。」
居間を人払いして天子は道具箱と大きな桐箱を傍らに置く。服を脱いで青いリボンで髪を後ろで一つに纏め、手鏡を見ながら刷毛を使って慣れた手付きで顔から首回り、うなじ、鎖骨まで白粉を施す。筆を取り出し、その薄い唇に丁寧に紅を引いた。
鏡から目を外すと、天子を向いて固まった衣玖の姿があった。
「ちょっと衣玖、なにぼーっとしてるの?」
「え、ああ、はい。ただいま私も」
実際のところ、衣玖は天子に見とれていた。天子が下着だけを身に付けて行うその所作が、とても艶かしいものに感じたのだ。と同時に衣玖の知らない天子の天界での日常の姿をそこに垣間見ていた。少し慌てながら衣玖も服を脱ぎ、ちょっと不器用に化粧を施す。その間に天子は桐箱から出した巫女装束に実を包み、その上から水干を重ね、冠を被る。
天子と衣玖が着替え終わるのとほぼ同時に、萃香が二人のもとにやって来た。
「天子ー、もう全員集まって座ってるよ。って、へぇ、変われば変わるもんだねぇ」
「なんだかその言い方だといつもはよくないみたいに受け取れるわね…まあ今は気にしないでおきましょう。そろそろ始めるから、萃香も座って待ってて」
「おう、行ってるよ。じゃ頑張ってね、天子」
「いよいよなのですね、総領娘様」
いつになく強張った表情で衣玖が口を開く。既に肩から太鼓を下げ準備万端といった出で立ちだ。
「そうね。今日で全て終わりかと思うと少し寂しくもあるけど」
話をしながら天子は細長い箱を開けた。中にはもちろん、緋想の剣が収まっている。黒く沈んでいたその刀身は、天子が柄を握った途端に炎のような輝きを帯びはじめる。
「さあ、行きましょう」
ートンッ
ートンッ
ートンッ
衣玖が短く三度太鼓を打ち鳴らし、歩き始める。高く澄んだ音が神社に響き渡った。衣玖に続いて天子も廊下へと進み出る。ゆっくりゆっくりとした歩調で進みながら、衣玖は四歩ごとに音を響かせる。本殿と拝殿脇の廊下を通り、突き当たりを右へ。数歩進んだところで、拝殿の入り口に差し掛かる。衣玖は先に中に入り、戸の傍で天子を待つ。そして姿を表した天子に、全ての視線が集中した。衣擦れの音をさせながら、拝殿をまっすぐ進み本殿へと上がる。続いて衣玖も本殿の奥へ上がり、立膝をついて太鼓を構える。
天子は両膝を床につき、鈴と剣を胸の前に構えた。
刹那の沈黙の後…
『トンーーー
トンーー
トンー
トンー
トンー
トンッ
トンッ
トンッ
トトトトトトトトトトトトトッ』
『シャン!』
鳴らされた音は開演の合図。目を閉じ、ゆっくり両手を水平に広げてゆく。膝をついたまま右へ回り、踏み出してまた逆に回る。
『トンッー、トトト、トンッー』
小さく剣を振りながら、小刻みに鈴を鳴らす。小さな範囲で右へ左へ、時にゆっくりと、時に跳ねるように、くるくるくると。纏わり付くように短く鳴らされる太鼓の音に乗りながら、何度も何度も。
それはやがて、見物人たちの意識を混沌に染め上げる。天子が紡ぐのは、何もない原初の世界。それは万物が形をなすより昔の、この世の卵。
緋想の剣は天子の意志により、少しづつ気質を吸い上げはじめる。生の気質はいったん天子の中に入り、天の属性に変換されて剣に蓄えられる。
太鼓が一際大きな音を響かせると、それに応じるように鈴を鳴らし、ようやく天子は目を開き立ち上がる。
~それはある国の神話に語られる、ある男の誕生~
両手を一番上まで振り上げ、鈴を鳴らしながら胸の前まで降ろす。続いて緋想の剣で大きな円を宙空に何度も描きながら、天子自信も体を回す。まるで氷の上を滑るかのように、優雅に、淀みなく、時に激しく…どれほど動こうと、全く鈴は鳴らさずに。
衣玖は澄んだ音を目一杯長く響かせ、天子の舞と共に天の創造を彩る。
~それに続くは地の創造~
再び膝を床につき、剣を逆手に持ち替え刃を後方に。鈴を短く鳴らし何度も頭上から足元へ。それはやがて大地を形作る、不浄な澱みが積もりゆく様。
天のときとはうってかわってドロドロと鳴る太鼓の音が、鈴の音に幾重にも絡みついてゆく。天子はすっと立ち上がり、ゆっくりゆっくり螺旋を描いて歩を進める。澱みが積もるその地が、徐々に徐々に広がるように。
~澱みは終に広大な地面となり、『彼』は天地開闢を成し遂げた~
その間にも緋想の剣は貪欲に気質を吸い上げてゆく。『あの時』とは違い、本の僅かも漏らさずに。『あの時』に匹敵する膨大な気質を、ほんの短時間で掻き集めるために。
それを持つ天子の意識は恐ろしく冴えていた。極限まで高まった集中力により、舞いながらも見物客一人一人の鼓動の音まで聞こえるかのよう。自らの肉体も、髪の毛一本の先端まで神経が通っている様にすら感じる。こうあれと思えば体の全てがそう動く。思考と動作が直結している。
中腰で左手を頭上に掲げ、生まれたばかりの天を支える。緋想の剣で赤い弧を宙に描きながら、一振りごとに少しづつ腰を上げてゆく。それに合わせて太鼓の音も徐々に高く、そして大きく。『彼』が成長しながら、天を高く高くに持ち上げた一万と八千年を、十回の軌跡に集約して。
見物客はもはや神も妖怪も鬼も人も等しく全て、舞い続ける天子に釘付けだ。その動きには寸分の無駄も狂いもなく、時折見せる足捌きは常人のこなせる範囲を逸脱したものだ。細やかな動作の一つ一つが意味を持ち、見るものの視線を惹きつける。歌い踊り日々を過ごす天人が、数百年の間その歌と踊りに興じ続けて辿り着いた境地がそこにあった。
~天地は完全に分かたれ、彼の命はその役目と共に終焉を迎える~
まっすぐ頭上に突き出した刀身を、指だけで逆手に持ち替える。
(よし、これで充分!)
緋想の剣が必要なだけの気質を集めたのは、舞の中でのそのタイミングと完全に一致した。
緋想の剣を垂直に振り下ろし、床に突き立てる。ここに『彼』の巨躯は斃れ逝った。
そして、突き立てた剣の先には地面に刺さった要石。
(気符「天啓気象の剣」!!)
膨大な量の気質が、細く集約され要石へ向けて放たれた。地中深く伸びた要石を伝い、大地に広がりながらそこにあった気質と混ざりあい中和してゆく。一度だけズゥンと地鳴りがして、僅かに地面が揺れた。
成功を確認し、天子は舞を続ける。今の地鳴りの本当の意味を知る者は、この場に数人のみ。
何もない世界に、『彼』の亡骸から太陽、月、星、風……あらゆるものへと変わりゆく様を、天子の舞が描き出す。終劇へ向け、より伸びやかに。この世が形作られる喜びで、その狭い空間を満たしながら。太鼓と鈴の音が交互に、高らかに響いてゆく。音の間隔は徐々に短くなり、やがて一つに混ざりあう。天子はいつしか舞を止め、直立したまま胸の前で鈴を大きく振り続ける。
『トーーーーーーン!』
この日衣玖の鳴らした一番大きな音が、物語の終わりを告げた。天子は動きを止め、深々と四方に礼をする。半刻と少しの時を舞い続けたにもかかわらず、息一つ乱さずに。
そして降り注ぐ、拍手の雨。
拍手と共に、紫ですら顔を上気させ、霊夢は口をぽかんと開けたまま。白蓮は人目をはばからずむせび泣き、早苗は引き攣った顔で奥歯をぎりぎりと鳴らしている。
拍手に包まれながら、本殿を後にする。天子の後ろに衣玖も従い、来たときと同じくゆっくりした歩調で廊下を歩いてゆく。
(こういうのも、悪くはないものなのね…)
天子の胸に灯るのは、今までに感じたことのない満足感。なぜならどんなに美しく舞を舞おうとも、天界の住人たちはただ微笑するのみだったのだから。天子も別にそれでよかったのだが、このようにして自分が他人を感動させ得るのだと、このとき初めて気付いたのだ。
「はあ、やっと終わりなんですね。こんなに疲れるものとは思いませんでした」
居間に戻るなり、衣玖はそう言ってへたり込んでしまった。
「お疲れ様、衣玖。上出来だったわ」
「総領娘様のお役に立てたのなら光栄です。もう一生懸命でしたから」
「ふふ、それでこそ練習した甲斐があったってものね。お陰でいい舞台になったわ」
「はい、それはもうお見事でした。あの拍手が何よりの証拠ですね」
「うぉおおおお天子ぃーー!」
「きゃっ?!ちょっとなんなのよ萃香!」
天子の名を叫びながら萃香が飛び込んできた。萃香に飛びかかられた天子は支えきれずに尻餅をついてしまう。
「凄いよ天子!私もいろいろ舞とか見てきたけどさ、こんなの初めて見たよ!もう居ても立ってもいられなくてさ」
「いたた…それはどうも。ま、あれくらいはできて当たり前ですけどね。でもみんなにも喜んでもらえてよかったわ」
「いやもう、私も協力した甲斐があったよ。さっそく宴会の準備に取り掛かるよ。今日はいい酒が飲めそうだ」
「ええ、よろしくお願いするわ」
西の空が赤く染まり、うっすらと暗くなり始める。境内には萃香の用意した豪勢な料理が所狭しと並べられ、次から次へと酒が振舞われる。それを運ぶのは、天子が呼び寄せた五人の天女たち。
宴の開始から、天子のもとには入れ替わり立ち替わり人が訪れ、盃を交わしながら彼女を讃えた。
天子はそのうち相手をするのが面倒になってしまい、その場を衣玖に任せて席を外すと、端の方に二人でいた慧音と妹紅を見つけた。
「あらお二人さん、仲のよろしいこと。私も混ぜていただいていいかしら?」
「おやおや、今日の主役じゃないか。こんな隅にいていいのかな?」
「いやまあ、ちょっと面倒になったものですから。それで慧音、一応報告させてもらうけど、例の件は成功したわよ。これでもう、里の異変も起こらなくなるわ。ついでに大地震が起きることも無くなったわね。これで何も心配しなくて大丈夫よ」
「そうか、それはよかった。私も肩の荷が下りるってわけだ。今日はいいものも見せてもらったし、妹紅も来てよかっただろ?」
「うん、慧音から力は凄いけどとんでもない我儘娘だって聞かされてたから心配だったけど、あんなに舞が上手いなんて思わなかったよ。こうして美味しい食事とお酒も…て、あれ?」
妹紅が二人に目をやると、慧音は目を両手で覆い、天子は笑顔のままこめかみを引きつらせている。
「けーいーねー、さっきは流しちゃったけど、一体どういうことか説明してもらいましょうか」
「妹紅ったら、何でこの期に及んで蒸し返しちゃうかなぁ…」
「あ、いや天子、慧音に悪気は無いよ?きっと。多分。根は素直だとも言ってたし」
「そうそう、それに今日は私も天子を見直したし、それについてはすまないと思っていたんだよ」
苦笑しながらバツが悪そうに妹紅と慧音が言う。天子はふぅっ、と大く息を一つ吐き出し、盃をぐびっと一気にあおる。
「まあいいわ。ここで怒ったら慧音の言う通りになっちゃうし」
「はは、ほらほらもう一杯飲みなよ」
妹紅の差し出した徳利に盃を向けながら、天子は言う。
「それにしても仲いいのね、貴方達。今日もずっと二人でいるし、友達ってそういうものなの?」
「ん?そういうもの…と言うか、もしかして天子は友達いないの?」
妹紅に問い返され、天子は俯きながら小声で話す。
「ええ、私は元は人間だったのだけど、ずっと昔にお父様と天界に来たの。天界の連中は他人には無関心だし、私達のことを馬鹿にはしても、仲良くなんてなれなかったわ。だからずっと一人で好き勝手に生きてきたから、友達ってよくわからないの」
「そうかい、そんな過去がねぇ。ねえ慧音、なんだか天子って」
「ああ、似てるね、昔の妹紅に。」
「えっ?それってどんな?」
天子は驚いて顔を上げ、妹紅を見る。
「うん、私も実はとあるいきさつで不老不死になったおかげで、どこに行っても長くは居られなかったんだ。人間から迫害されたりしながら長い間一人だけで生きてきて、ここに辿り着いたのさ」
「そして私と出会って友達になった、ということさ」
「そっかぁ、確かに似てるかもしれないわね。じゃあ教えて。友達ってどんな関係なの?どうやったらなれるの?」
「それは私が教えてあげるよ!」
天子の背中から、萃香が顔を出した。衣玖と霊夢も一緒にいる。
「萃香…?」
「天子さ、今回私達に頼みごとするとき、お礼するって言ってたじゃない?」
「ええ、何かしてもらうときにお返しするのは当然だもの」
「うん、天子はそうだろうねぇ。でもそんなもの必要ないのが友達なのさ」
「え…。」
天子は絶句し、萃香を見たまま固まってしまった。
「ついでに言うと、相手が助けてほしいときは黙って手を貸すのさ。いけないことしようとしたら止めるし、嬉しいことがあったら一緒に喜びあえる。それが友達ってもんだよ。」
「そう…そうなの…?私、ずっと一人で、他の奴らは私のことなんて見てなくて、だからせめて誰にも負けないって思って…そんな関係があるなんてわからなくて…。」
「私は天子のこと友達だって思ってたんだよ。どつきあって、酒飲んだらそれだけでいいのさ。でも天子はわかってないって思ってた。いつか自分で気が付けばって思ってたけど、ちょうどいい機会だったからさ」
「萃香…ねぇ霊夢、霊夢はどうなの?友達だったら何もなくても神社貸してくれるの?」
「あー、まあ友達の頼みとなれば断る理由はないわね。わけくらいは聞くけど」
「それが…友達なのね…。いっぱい本も読んでも、どれだけ力を持っても、歌って踊ってても、いつも何か足りなかった…きっと、きっとこれだったんだ。私、友達が欲しかったんだ…」
(あ、え、何これ?)
天子の目からは大粒の涙が流れ出していた。彼女の感じていた数百年の退屈は、数百年の孤独と同じ意味をもつ。その間自分でも気付くことのなかった、でも大きな心の隙間を埋めるもの。それが今、天子にははっきりと分かったのだ。
「あややや、これは思いもかけぬ光景に巡り会いましたねぇ」
霊夢と衣玖の間から、ひょっこり文が顔を出す。
「おい、天子のこんなとこ記事にするってなら、私が承知しないよ?」
「まあまあ伊吹様、いくら私でもそこまで無粋ではありません。もう記事のネタなら充分いただきましたから、お腹いっぱいですってば」
萃香に凄まれ肩をすくめる文に、涙を目いっぱいに溜めた天子が問いかける。
「ねえ天狗…あ、文、文は友達だったら、取材できなくても招待状届けてくれるの?」
「ふむ…まあネタは惜しいですが、友達の頼みなら断れませんねぇ。記事はいくらでも書けますが、友達はそうそうできませんから。」
「そうなんだ…友達って、すごく大事なものなのね。私…私、みんなと友達になりたい!」
「おお、とりあえずこの四人は天子の友達だよ!」
霊夢、衣玖、文を両手で囲って、萃香が大声で宣言する。
「ま、こんな姿見せられちゃ仕方ないわね」
「私も、ですか。まあ友達はいくらいてもいいですからね」
「本来なら私ごとき龍宮の使いが天人様と友達などとは畏れ多いですが、総領娘様ならものすごく天人らしくないですから大丈夫でしょうね」
それを聞いてますます天子の涙は勢いを増す。天子は泣きじゃくりながら、にじむ視界の先に慧音を探した。
「慧音、私酷いことしたけど、友達になってくれる?」
「はは、友達っていうのはそうじゃなくて、お互いが友達と思えば友達なのさ。もう過ぎたことにはこだわらないから、これから仲良くしていこうじゃないか」
「慧音…ありがとう。ねぇ、妹紅は?」
「ああ、似た境遇同士、私と天子は解りあえるような気がするよ。今度二人で、友達としてじっくり語り合いたいねえ」
「…何だかこの私を差し置いて、随分と面白そうなことになっていますわね」
「あ、紫…私、幻想郷に迷惑かけようとした…」
「それはもう貴方が自分で落とし前をつけたのでしょう?」
「おや、やっぱり気が付いてたか。」
「当たり前ですわ、萃香。あんなに大っぴらにやって私が気づかないとでも?」
「だよね、はは」
「まあ、私と萃香は友人ですから、萃香の友人ということは私の友人でもありますわね」
「え…紫…、それって…」
「貴方の今日の素晴らしき舞と、その涙。それを私への桃として受け取りましょう。そして、これが私の貴方への李ですわ」
そう言って紫は天子を胸の中にそっと包み込む。
(ああ、すごくあたたかくて、優しい…)
「おい紫、抜け駆けはずるいよ」
「あら、先を越されちゃいましたか」
「衣玖がモタモタしてるからよ」
「でも美しい光景ですねぇ。私も柄になくジーンと来ちゃいます」
紫の胸に顔をうずめたまま、天子はなおも泣き続ける。永年の孤独を、全て洗い流すかのように。そんな彼女の頭を、紫は何も言わずに優しく撫でていた。
「ひぐっ…ぐすっ…あ……」
「天子、どうしましたの?」
「ごめんなさい、みんな、宴会の途中なのに…私のせいで…その…食べたり飲んだりできなくて…」
「別に天子のせいじゃないさ。私達は自分の意思でこうしてるからね」
「萃香…でも、この宴会は私の主催だから、みんなに楽しんでもらわなくちゃ」
「なら天子、なんか芸やってよ」
「え?」
「ああ、それいいわね、それで仕切り直しといきましょう」
「だそうですわよ。大丈夫かしら?」
天子は右手で涙を拭い、紫から離れて立ち上がった。くしゃくしゃになった笑顔の、その目の周りを腫らしたまま。
「よし、一丁やってやりますか!」
小走りで神社の中に走っていき、緋想の剣を持って帰ってきた。賽銭箱の奥に立ち、声を張り上げる。
「さあさあ皆様、今宵はお集まりいただき心より感謝致します!まだまだ酒も食事もたくさんございます。ここで宴を催しましたこの私が、皆様の酒の肴に一興つかまつりましょう!」
「おー、いいぞ天子!」
「やれやれー!」
あちこちから声が飛んできた。天子は緋想の剣を両手で構え、天に向かって突き上げる。大きく息を吸い込み、剣に自らの気質をー
「はい皆様!後ろの空をご覧ください!!」
天子の声と共に、皆が一斉に後ろを振り向いて見上げた先には…
「おお…」
「うわぁ…」
「きれい…」
漆黒の天蓋に、光の帯が広がっていた。天子が目一杯の気質を込めて発動させたオーロラが、幻想郷の夜空を色鮮やかに照らし出す。赤、緑、青、ピンクと次々色を変えながら、ゆっくりと揺れ動く。
オーロラはあくまでも美しく、とどまることなく形を変え、色を変え、人の目を惹きつけてやむことはない。それはまるで、天子そのもののように。
一度だけこぼれそうになった涙を今度はぐっとこらえ、天子は踊るように宴の輪へと飛び込んでいった。
この日、かつて幻想郷全体を巻き込んだ異変の最中に博麗神社へと打ち込まれた要石は、ひとまずその役目を終えた。
代わりに天子が打ち込んだのは、絆と言う名の要石。天子の心から、人の心へ。
『揺るげども よもや抜けじの 要石
比那の天子の 在らん限りは』
ー終ー
登場人物全員への愛が感じられますが、物語のヤマはあまりなかったですね。
文章に残酷なことが起こりそうにない安心感があるので、癒されたい人向けだと思いました。
ただし良い方にも悪い方にも
最初から最後までとても楽しめました。
正直今回の話でヤマを作ろうとすると私には天子が失敗するくらいしか思いつきませんがそれはキャラ像とずれますので。
>>2様
私もそう思います。天子のハイスペックぶりを書けたらなと思ってます。
>>5様
そこに着目していただけて嬉しいです。ある意味この話を書く出発点でしたので。
>>7様
表現の技術がない分せめて描写を丁寧にと思っていました。ありがとうございます。
>>8様、12様、14様
お読みいただき本当にありがとうございました。次回も頑張ります。