この物語には戦闘描写と、オリジナルの要素として里の少年とオリジナルの妖怪が出てきます。そのようなものが苦手な方は、申し訳ありませんがブラウザバックを推奨します。
また、今までの作品と世界観の繋がりがあります。前作を見なくてもいいように配慮はしたつもりですが、とりあえず、魔理沙が代理の教師をしたということを覚えていただければ、話の流れが掴みやすいと思います。
もし設定が気になった方は前作を流し読みされることをお勧めします。
少年は、自分は幸せなほうであると思っていた。
少なくとも飯を抜かれるほど困窮したような覚えはないし、両親もいまだに健在である。寺子屋の授業はそれなりに面白く、歳の離れた妹の世話もなかなかに楽しい。
少なくとも不満はなかった。だけども少年自身はどこかに、自分自身も何が原因なのかはわからなかったが不満、というよりかは何かしらの物足りなさを感じて生きているのも事実だった。
ある初夏の日のことだった。寺子屋の帰りに仲間たちに誘われ、流れ星を見に行くこととなった。普段とは違う楽しみ。さらに夜は基本的に子供の外出は禁止されている。いけないことをしているという感覚が、少年の首を縦に振らせた。
みんなで見た流れ星はなぜだかとても綺麗で。このとき少年は自分の物足りなさという部分が少しだけ判った気がしたのだ。
その後、家で倒れている慧音を少年たちは発見することとなる。
慧音が倒れているのを発見したとき、自警団に入っていた少年の父親はその時の状況を詳しく話すよう求めた。
少年の言い分を一通り聞き終わった父の顔はいつもより険しく、少年は怒られるのだろうなあと考えていたが、予想に反してお咎めはなかった。だが、男衆たちが里の外へ走っていく様子を見て、少年はこれはただ事ではないと感じた。
同時に、また少しばかりの不快感を感じた。
あくる日、寺子屋には慧音ではなく違う人物たちが代理としてやってきた。人間でありながら魔法を使う少女、人形劇を開く人形遣い。そして、花の大妖であった。
魔法使いたちの授業は楽しかった。慧音先生には悪いと思ったが、少年にとっては非日常な出来事が楽しかったのだ。魔法使いたちとの交流を経て、少年は自分の物足りなさの原因を知る。
少年は刺激がほしいと思ったのだ。
その日の夕食時、少年はあの日のことを咎められた。
少年の心のうちは怒りで一杯だった。確かに自分たちは悪いことをしたのかもしれない。だが、そのおかげで慧音の窮地を救うことができたのだ。それなのになぜ怒られなくてはならないのか。
反論したかったが、少年は生まれてから父親に反抗をしたことがなかった。それは多分に育ててもらっているという事実がひとつの原因になっているのかもしれない。
少年はそのことをわかっていたので例え自分に正義があるとしてもそれを貫こうとは考えなかった。しかし、その日の夕食はまともに喉を通らなかったが。
夜更け、外からかすかに聞こえた物音で目が覚めた。隣の布団では妹が母に抱きつきながら寝ている。寝ていても甘え癖が抜けていないのを見て、少し頬が緩んだ。
窓から月明かりが家の中へと差し込んでいる。庭の木も揺れていない、静かな夜だった。何が音を立てたのか確かめたかったが、先ほど窘められたばかりなのを思い出し、仕方なく少年は布団へともぐりこんだ。
木の葉が少しだけ揺れた。
「よお、茶でも飲んでいかないか?奢ってやるからさ」
慧音が復帰してからしばらくしたある日、近くの団子屋で茶をすすっている魔理沙を少年は発見した。魔理沙も代理教師をしていたので少年とは面識がある。挨拶を交わすとなぜか茶をおごられることとなった。
教師代行の礼として最近寺子屋には霧雨魔法店の立て札が設置された。用件があるものは慧音に頼み、慧音はそれを魔理沙に伝える。可能ならば引き受け、無理な場合は丁重に断る。
魔法店と銘打ってはいるものの、里の人々からは何でも屋としての印象が強いようである。害虫をどうにかしてほしいという今日の仕事内容からもそれがうかがえる。
奢ってもらった団子を齧りながら少年と魔理沙は雑談に興じる。ほとんどが最近の寺子屋の様子であったり、子供たちの間のなんてことない話だったが、それを魔理沙は微笑みながら聞いていた。
一通りしゃべり終わった後に、少年は魔理沙にいくつかの質問をぶつけた。里の中が世界の全てである少年にとって、その外で暮らしている魔理沙、博麗の巫女、妖怪の山の風祝はまさしく物語の中でしか見ないような存在であったのだ。
「そうだなあ、苦しいことはたくさんあるぜ。魔法の実験をやっている時なんかはおちおち眠ることもできないし、夜に妖怪なんかにあったら、下手すると命のやり取りになることもある」
代理の教師として来ていた花の妖怪は美しい人の姿をしているということもあってか、子供たちの間では人気があったが、それでも恐怖の対象には変わりはないらしい。魔理沙が真剣勝負では負け続けているという話を聞いて、少年はたいそう驚いた。
「でもな、楽しい事だってたくさんあるんだ。空を飛ぶのは気持ちがいいし、妖怪人間入り乱れての宴会なんかひとつの夜じゃあ足りやしないくらいの馬鹿騒ぎさ」
にこやかに笑う魔理沙の顔は、嘘を言っているようには見えないと少年には感じられた。そしてなぜだろうか、少年はその顔を見てなんとも言えない苛立ちを感じたのだ。
自分が欲しがっているものをこの魔女は持っている。それを少年は本能的に理解していたし、これ以上話を聞いていては確実にその苛立ちは顔に表れるだろう。団子のお礼を魔理沙に告げて、少年は団子屋を後にした。小さい拳を硬く握り締めながら。
家に帰った少年を迎えたのは妹の笑顔であった。いつもならば微笑ましいその顔も、今の少年には煩わしいものに感じられてしまい、上手く相手をすることができなかった。
夕飯までの間、妹の相手を放棄して里を散歩することにした。空では烏たちが鳴いている。普段遊びを共にする友人たちも、怒られたということもあるが、さすがにこの時間から遊びに誘うのは気が引ける。
少年は自分は幸せであると思っている。だが何故だろうか、それは何かが違うのだということも感じていたし、先ほどの魔理沙との会話で自分の苛立ちの原因もわかってしまった。
きっと自分は里の外に出たいのだ。大人たちから聞いた話では結界というものに仕切られて決して広くはないこの世界でも、少年にとっては未知の領域ばかりなのだ。魔理沙に抱いた苛立ちは、羨望なのだろう。
なにも力が欲しいわけではない。ただ、話でしか聞いたことのない様々な景色を自分の目で確かめてみたいだけなのだ。それはきっと今の不満を消してくれるに違いないと少年は思っているが、しかし今のままでは外になど出ようものなら生きていられる自信もなかった。
人里の人間に妖怪は手を出してはならないとされているが、なかにはその決まりを守らない妖怪も存在する。ましてや妖怪だけではない、里の外には危険な動物だって存在しているのだ。
どうすれば一人でこの世界を自由に生きることのできる力を身につけられるのか。少年が一番最初に思い浮かべたのは魔理沙の姿であった。直にあの魔法使いが戦っているのを見たことはないが、それでもあれだけ自由に生きているのだ。負けることもあるとはいえ、きっとすごい魔法を使うに違いない。
明日になったら慧音先生に聞いてみよう。そう思ったときに腹の虫が鳴り、もう夕飯の時間だということを思い出して少年は家へと戻るのだった。
夕食後、少年は早めに床へと潜り込んだ。どうにも眠くて仕方がないので早めに寝ようと思ったのだが、日を跨ぐか跨がないかの時間帯に少年は目を覚ました。
普段ならば、家族四人で横並びに寝るのだが、何故か父親の姿が見えない。自警団の集まりでもあるのだろうかと考えていると、土間の明かりがともっている。何事かと思ってそろりと覗き込んでみると、父親が土間でなにかをこしらえているのを見た。
父親はその日少年が残したおかずを使って、弁当をこしらえていたのだ。
その顔が、嬉しそうだったのだ。
それが、少年にはたまらなく許せなかった。
自分も将来、こんなふうになってしまうのだろうか。
黒い、どろどろとした感情が自分の中に押し寄せるのを感じて、これ以上見ていられなくなった。
何事もなかったように少年は床へと戻る。
みんなが寝静まるのを待って、少年は静かに布団を抜け出すと、頭の中で思い描いていた計画を実行することに決めた。
三日分程度の食料と竹筒に入った水、少しの着替えと、台所から拝借した包丁が一本入っている。音を立てずに戸を閉めた少年の瞳は、只々怒りに燃えている。
今の時間帯では門には自警団の大人たちが見張りをしているだろう。櫓からも見張られているかもしれない。時間はないと直感的に少年は悟っていた。
家に背を向けて三歩、戸を開く音が聞こえた。ばれたのかと思って振り向くと、そこに立っていたのは妹だった。
今自分は何をしようとしている?もしかしたらとんでもなく馬鹿なことをしようとしているのかもしれない。寝ぼけ眼の妹の姿は、少年の頭を覚ますには充分すぎるものだった。
どこにいくの?
妹の声に、少年は何も答えられない。もし、今足が前に出ようものならきっと妹を抱きしめて、そのまま一緒に家へと戻る自分の姿が容易に想像できた。そして、今のこの感情に蓋をして、きっと生きていく羽目になる。
妹のことは嫌いではない。両親だって嫌いではない。だが、それでも自分を変える機会はここしかないのだ。
星を見に行ってくるよ。
少年はそう言い残すと、妹と家から背を向け走り出した。その姿を見た妹は、いまだに寝ぼけ眼のままだ。
あの父親の顔は、幸せを感じていたのだろうか。それとも、それくらいのことで幸せだと感じてしまう父は不幸なのだろうか。今の少年にはわからない。
そして少年は、里から姿を消した。
「行方知れず、ね」
差し出された麦茶を一息に飲み干して、魔理沙は嘆息する。普段ならば子供たちの声が響き渡る夕方前の寺子屋も、今はただ閑散とした雰囲気しか出していない。
少年が忽然と姿を消してから二日が過ぎた。里の大人たちは大いに慌て、少年の妹は泣きながら兄の名を呼んでいた。
もしかしたら妖怪にさらわれたのかもしれないと考え、慧音はしばらくの間は寺子屋を早めに終わらせることにした。
魔理沙の呟きは、もちろん茶を出してくれた慧音にも聞こえてはいるだろう。しかし、慧音はため息を吐くのみである。
「今度の依頼は迷子の捜索か。先生泣かせだな」
「本当にすまないな。もし妖気などを出さない類の妖怪ならば、まだこの里に潜伏している可能性もある。うかつに私も動くことはできないんだ」
「まあいいさ。短い間だけど私の生徒でもあったしな」
「恩に着る」
それ以上は言葉を交わさず、魔理沙は寺子屋を後にした。妖怪の仕業であるとは断言できないが、それでも里の人間がいなくなったのは事実だ。迷い込んだ外来人では、こうは騒がれないだろう。
あの時、もしかしたら少年は悩んでいたのかもしれない。そう考えると、多少やりきれない気持ちになった。
正直、魔理沙は少年が里から連れ去られたとは考えていない。多分、自分から出て行ったのだと考える。
なぜなら、自分もそうであったから。
そのままの足で、少年の住んでいた家へと向かう。母親の顔はやつれており、妹なのだろう。その顔は泣きすぎによって目の周りが腫れていた。
お願いしますという母親の言葉に、魔理沙は首を縦には振らなかった。安請け合いができるような内容ではないし、もしかしたら、家族にとっては聞きたくない結果になるかもしれない。母親は何も答えない魔理沙の顔を見てうつむいてしまった。
引き戸に手をかけたところで妹が声を上げた。振り返り、その顔を覗き見る。今にもなきそうなのがわかるほどに目に涙を溜める顔がそこにはあった。
おにいちゃんに、あいたい。
涙をこらえながら必死に声を出す少女の姿に、柄にもなく鼻の奥がつんとした。
「……まかせな」
その声を最後に魔理沙は長屋を後にする。直後、少女の泣き声が聞こえてきたことに、なんともいえない気分になった。
ひとまずは、近しい妖怪たちに聞いてみるのが先決だと箒の速度を上げる。霊夢ほどの勘のよさは無いと自分でも認めているが、なんでだろうか、少なくともこの仕事はいい結果にはならないだろうと、心のどこかで魔理沙は感じた。
ここは一体どこなのだろうか。ぼんやりとした意識とともに少年は目を覚ました。身体はうまく動かない。仕方がないので視線だけで周りを見渡してみると、持ってきたはずの風呂敷が見当たらない。そこで今の自分の現状を思い出した。
里を飛び出してから、早々と食料は底をついた。水もあっという間になくなり、川の水を飲みながら少年は飢えと渇きに耐えていた。
道中、得体の知れないものに襲われた。人里で見るような人の姿をした妖怪ではない。自分の頭ほどの肉塊に目玉がついたようなその生き物は、もっと醜悪で、それこそまさに少年の抱く「妖怪」という考えがしっくりと来るような、そんな生物だった。
必死に逃げて、逃げて、途中で浮遊感に包まれたところで少年の記憶は途切れていた。立ち上がると足が痛むということは、もしかしたら転がり落ちて気を失っていたのかもしれない。妖怪に食われないだけましだと少年は胸をなでおろす。
空を見て時間を知ろうにもざわめく木々たちがそれを許してはくれない。少年は同年代の子供たちに比べれば聡い方ではあったが、激情を抑制できるほどには大人ではなかった。その結果が今の状況を招いていることに、涙が出そうになってくる。
段々と重くなる身体を引きずりながら、少年は森を迷い歩く。どれほど歩いただろうか、かすかにだが、川のせせらぐ音を聞いた気がした。否、聞こえた。
なけなしの気力を振り絞って音のするほうへと向かっていく。果たして、そこには確かに川が流れていた。
我を忘れて少年は川面に顔を突っ込む。肌にくる痛みに近い冷たさと、喉を潤す水分が、少年の意識を多少ではあるがはっきりとさせてくれた。
揺れる水面に映る自分の顔を見る。
そこには、自分じゃない何者かの顔が映っていた。
あわてて顔を引き離し、周りを見渡して、もう一度川を覗き込む。しかし、やはり映る顔は変わらず、そこでようやく、少年はこれが自分の顔なのだと理解した。
耳は鋭くとがり、目は自分でも驚くほどにつりあがっている。目を凝らしてみるたびに、その顔が明らかに人間のそれではないということがわかってしまう。
右の掌がむずがゆい。開いてみると、巨大な目玉が少年の掌に埋め込まれていた。絶叫している自分の声がもはや、数日前の自分では考えられない声だということにも気づかないほどに、少年は叫び声を上げる。
目玉は、ぐるりぐるりと瞳を動かしてから、少年に目線を合わせる。そいつは、にやりとした目線を少年に送る。その瞬間、もう自分は人間ではないのだと直感した。
右手を硬く握り締めて、少年は息を必死に整える。
そして、地面を強く蹴り飛ばして、視線を木々に隠れて見えない空へと向ける。視線は枝と葉を突き破り、丸く浮かぶ月を捉えた。
飛べた。
背中から生えている翼をはためかせ、少年は慣れない動きで夜空を飛んだ。
初めて空を飛んだ感動は、しかし少年の心には響かない。
寺子屋で一緒の少女が、以前魔理沙とアリスに連れられて空を飛びながら幻想郷を見たと言っていた。
その顔は、余程に嬉しかったのだろう。少女が見た幻想郷は、美しく、壮大で、きっと何か響くものがあったのだろう。普段の物静かな態度からは考え付かないほどに、少女は生き生きと、楽しそうに喋っていた。
自分の求めていたものとは、刺激とは、こういうことだったのか?自分でもわからないし、誰も答えてはくれない。
眼下には鬱蒼と茂る生き物のような森。頭上では気持ち悪いくらい大きな月が丸く輝いている。自分は、こんなものを見たかったのだろうか。仲間たちと見た流れ星は、もっと綺麗で美しかったはずなのに。
泣いた。否、鳴いた。
ひとしきり叫ぶと、多少は気持ちが晴れた気がした。
「夜更かしは肌に悪いって言うのに。素敵な声で眠気がどこかに行ってしまったじゃない」
振り向く。月の光が、相手の差している白い傘を輝かせる。少年は知っている。傘からちらりとのぞく鮮やかな緑の髪を。
しかし、あの時と決定的に違うのは、目の前の人物から「何か」が噴出していることだ。威圧感なのか、それとも妖気なのか。少年には判断ができないが、それが自分の身体を縛りつけていることだけはわかる。
かさをくるりくるりと回しながら、大妖――風見幽香の視線が少年を捉えた。
「あら、貴方……やめちゃったのね。人間」
何もない中空を、幽香は一歩一歩と歩きながら接近してくる。
人の存在から足を踏み外したからなのだろうか。その優雅な動きも、月光に照らされた美しい姿も、そして宝石のような赤い瞳も。全てが少年の本能を駆り立てる。
逃げられない。
幽香の手が、少年の視界を覆う。甘い、砂糖菓子よりも甘い香りが、少年のいる一帯を包んだ。
「大丈夫、痛くはないから」
少しずつ、意識が遠のいていく。このとき、少年は初めて風見幽香の恐ろしさを知った。もう手遅れだと思いながら。
「あの子は自ら望んで里を出たと。そう言いたいわけね」
「わけねも何も、私は最初っからそう言ってるぜ」
夜も更けてそろそろ日を跨ごうかという時間帯。魔理沙はアリスの家で今回の事件について話していた。どうやらアリスの耳にも入っていたらしく、情報を集めているらしい。
「私の教え子だもの、生徒の悩みを聞くのも、教師の役目だと思わない?」
「私”たち”だろうが。まあ、悩み相談には賛成だな。手引いてやる気にはなれんが」
「あら、意外と冷たいのね」
「男なんだ。家だって出たくなるさ。見つかったら、今回は拳骨くらいで済ませてやろう」
「見つかったら、ね」
言葉がなくなる。アリスが発したその言葉の意味を魔理沙は十二分に理解していたし、現実としてそうなる可能性もある。幻想郷とは、そういう世界なのだ。
「もう一杯、もらっていいか?」
「仕方ないわね」
アリスがキッチンへと向かったのを確認して、魔理沙は数刻前の出来事を思い返す。
里を後にした魔理沙は、情報収集がてらに紅魔館へ足を伸ばした。道中で見つかればいいとは思っていたが、そんなこともあるはずなく、仕方なしに近くにいた氷精や宵闇の妖怪に聞いてみたが、思っていたような情報は得られなかった。
無駄足だとは思いながらも、紅魔館の前で美鈴に聞いてみたが、やはり回答は色よいものではなかった。
『また何かあったの?人生のスパイスに事欠かないわね』
『今回の香辛料は私の口には合わないがな』
美鈴に促され、今回の事件についてを一通り話すことにした。有力な情報は持ってはいなかったが、帰り際に美鈴の言った台詞が思い出される。
『あんたは、その子の教師なんでしょう?なら、話を聴いて、思いっきり拳骨をして。最後に抱きしめるのがあんたの仕事よ』
その言葉に、少し、魔理沙の胸は軽くなった気がした。
「邪魔するわよ」
突然の来客に、魔理沙の思考は中断される。聞いたことのあるその声は、やはり風見幽香だった。
「珍しいな。茶か?」
「行方不明の子供、見つけたわよ」
キッチンから足音を響かせて、アリスが現れる。アリスの顔は驚きの表情を浮かべており、魔理沙も声こそは出さなかったが、その目は大きく見開かれていた。
アリスが編み物などで使う安楽椅子に身体を沈めて、幽香は身体を揺らす。突然の事実に言葉を失ったままの二人だったが、思い出したようにアリスが少年の居場所を問いただすと、幽香は自分の家で寝ているとだけ答えた。
思わぬところからの事件解決に、魔理沙は軽くため息をついた。どうやら自分の勘は当てにならないらしい。それがいいことなのか悪いことなのかはわからないが、それでも今回はいい方向に転がった。だがそのせいで、
「魔理沙、あの”妖怪”を殺しなさい」
その言葉の意味を理解するのにしばらくの時間を要することになってしまった。
「なるほど、ね」
道中、月の光を頼りにしながら魔理沙は太陽の畑を目指しながら幽香から事の次第を聞いた。聞きなれない叫び声を聞いたので夜の散歩へとしゃれ込んだこと。その叫び声をあげていたのがうわさの少年だったこと。そして、発見した時にはすでに人外の姿になっていたこと。
「そんな……助けることは」
「さあ?私は医者でも退魔師でもないもの」
アリスの呟きを、幽香は非情に返す。そのまま、アリスは口を閉ざした。
「なんで、私なんだ」
「貴女が一番適任でしょう」
幽香の言う適任の意味がいまいち魔理沙は理解ができない。しかし、理解をしようとするよりも先に幽香が口を開いた。
「人の身でありながら人の道を踏み外し、人の身でありながら人を超えた力を持つ。似てるじゃない。あの子と貴女」
確かにそうだと魔理沙は考える。もし、師の前に妖怪と出会っていたらと考えると、確かに幽香の言うように似ているのかもしれない。
「少なくとも人間か、それに近いものじゃないとあの子の気持ちは汲んでやれないわ。霊夢は人間でありながら人間という存在に縛られていない。里の半獣はきっとあの子に情けをかけるでしょう。だから、貴女が適役なのよ」
幽香の家に到着したときには、すでにその上空で少年だったものが佇んでいた。かすかに見える顔の輪郭が、すでに少年が人ではないものになりつつあることを如実に物語っていた。
「どうやら、丁度花の香気が切れたみたいね」
アリスが絶句する。少年と過ごした寺子屋での日々を思い出したのだろうか。口の端から大量によだれをたらすその姿に、もはやあの時の面影は見られない。
不鮮明な呻き声。その声を聞きながら、魔理沙は大きく息を吐いて、吸った。
「魔理沙。もう一度言うわ。あの”妖怪”を殺しなさい」
始まりは一瞬。
少年だったものが突如として魔理沙に襲い掛かる。振り上げた右の手には、巨大な目玉が見えていた。
「……そういうことか」
幽香は人形たちを操ろうとするアリスの首根っこを引っつかみ、二人の姿が豆粒程度になるまで距離をとった。
「何するのよ!私も」
「貴女じゃ無理よ、アリス。だって貴女は」
「っ、人間じゃない、から」
「わかっているじゃない」
二人の言葉は続かない。前方では、魔理沙が攻撃を受けた状態のままで固まっていた。
「前に化け熊にやられたときは腕が吹っ飛びそうになったが、ま、あんときゃ酔ってたからな」
少年の爪を、魔理沙の腕はしっかりと防いでいた。空いた片腕の拳を握り締める。その拳は、星の光を帯びていた。鞠のように少年の身体が舞う。翼を翻して体勢を整えた少年の眼前には、光り輝く両腕を組む魔理沙の姿が映っていた。
「星を見に行くって言ったらしいじゃないか。見せてやるぜ。ただし、目の前で回る星だ。見るのはすげえ痛ったいぜ。死ぬほどな」
雄叫びを上げながら突っ込んでくる少年に、しかし魔理沙は動じない。渾身の力を込めた体当たりでも、普段からそれ以上の化け物たちと戦っている魔理沙には、子供が取る相撲と大差は無かった。
両の腕で身体を受け止め、力の限り放り投げる。身体強化の魔法がかかったその力は、少年の身体を強く地面に叩きつけた。追って、魔理沙も地面へと降り立つ。そして、箒を投げ捨てた。
呻き声に水気が混じる。吐き出される吐瀉物を拭おうともせずに、少年は三度魔理沙へと突っ込んだ。
憎しみなのか、怒りなのか、もはや何の感情かもわからない。そもそもなぜこんな感情を抱いたのか。きっと、我慢することもできたろう。妹の笑顔が黒く歪む視界の端に思い返される。
だが、どうしてもこの魔法使いだけは許せなかった。
里を出て、何度も死に掛けた。いや、きっと自分は死んだのだろう。だからこんな身体になっている。それなのに、この魔女はきっと、そんな自分が憧れたあの星空を、何の苦も無く悠々自適に飛び回るのだ。
不条理だ。理不尽だ。
拳が、魔理沙の顔面を捉える。その身体は、二、三度バウンドしながら森の中へと消えていった。
生まれてこの方喧嘩なぞ縁のなかった少年にとって、その感触はあまりに心地よく、しかし、森の中から悠然と出てくる魔理沙の姿を見て、その気持ちは霧散した。
飛び掛り、もう一度顔面を打ち抜くはずだった拳は、難なく魔理沙の左手にさえぎられる。
突如、腹部が爆ぜた。爆発のエネルギーを殺しきれず、少年は後方へと吹っ飛んでいく。
「気は済んだか」
魔方陣を展開しながら、魔理沙は少年へと歩み寄っていく。その頬は皮が擦り切れ痛々しく晴れ上がっているが、瞳は一片の感情すらも表してはいなかった。
殴り飛ばされる。そのたびに魔理沙は大股で歩み寄り、また殴り飛ばした。何度も、何度も。
「お前の妹は、泣いていたんだ。聞いてるこっちが泣きたくなるぐらい。おにいちゃん、おにいちゃんってな」
もう一度殴られる。もう、立ち上がる気力すら少年には残っていなかった。魔理沙は少年の胸倉をつかみ上げて、無理やりに立たせる。
「歯あ食い縛れ」
今までとは桁違いの衝撃とともに、少年の身体は宙を舞う。最後に見えた光景は、唇を動かす魔理沙の姿。
何を言ったのか少年にはわからなかった。
少年の視界は、白に染まった。
「……絶対安静の次は乙女の顔を傷つけてくるなんて、阿呆ね。はい、おわり。今日一日は剥がさないように」
翌日、日の出とともに魔理沙たちは永遠亭を訪れた。永淋は魔理沙たちを見ると、顔色を変えて治療を開始した。曰く、妖怪につけられた傷は身体への影響が大きいらしい。薬を塗りたくった湿布を張り手よろしく張りつけて、現在に至る。
「治療は終わったけど、どうする?」
「ん、病室見て行っていいか」
その言葉に永淋は頷き、病室へと案内する。その部屋には先に来ていた幽香とアリス。そして、人の姿を取り戻した少年が、ベッドに横たわっていた。片腕だけを布団から出して。
「右腕は?」
「肘から下は、ってところね。きちんと通院と投薬をすれば数年の内に生えるでしょうけど」
「変態医師ね」
「名医、と呼んで頂戴」
アリスの言葉に永淋は得意げなを浮かべる。魔理沙が見た少年は、昨夜の姿が嘘のようにその姿は人間の姿に戻っている。妖怪化した原因は、どうやら右腕にあったらしい。
「幻想郷じゃない世界にいた頃に見たことがあったのよ。他者に寄生してその身体を乗っ取る妖怪をね」
「だからあの”妖怪”を殺せってか。もし私がこいつごと吹き飛ばしたらどうする気だったんだ?」
「その時は、貴女が殺人者になっていただけよ」
幽香がぽつりと言った台詞に嘆息する。アリスは会話には入らずに少年の額にタオルを乗せていた。その刺激が、少年は意識を覚醒させる。最初は今の状況を把握できていないようだったが、しばらくすると自分の左腕を見て安堵の表情を見せ、右腕を見て無表情になった。
「目、覚めたか」
魔理沙の視線と少年の視線が合わさる。しばらく逡巡した後に首肯した。
そのまま魔理沙は少年の下へと歩み寄る。あの時の記憶がよみがえったのか、一瞬身を強張らせた。何かされるのだろうかと考えていた少年の頭に、魔理沙の手が乗せられる。
「心配かけさせやがって」
その言葉を聞いて、少年は涙を零した。ひとしきり泣いた後に、少年は自分の心の内を明かした。
刺激が欲しいと思ったこと。
里の外に出てみたいと思ったこと。
父親に対する怒り。
そして、魔理沙に対する羨望と憎しみを。
ひとしきりの内容を聞き終えて、魔理沙は応える内容を考え込む。二人以外は既に退室しており、太陽はその高度を上げていた。
「私もな、最初からこんなに力があったわけじゃない。妖怪に会ったらなきながら逃げたことだってあるし、さっきまでいたアリスや幽香の力に嫉妬したことだってある。お前の感情は、なにも悪いことじゃない。きっと自然なことなんだ」
お前は大人になってるんだよ、と魔理沙は優しく諭した。一つ咳払いをして魔理沙はさらに言葉を続ける。
「右腕は、すまなかった。そうしないとお前を戻せなかった。医者に見せてみたら数年で元には戻るらしいが、それでもお前の身体の一部を吹き飛ばしたことは事実だ。すまない」
魔理沙が頭を下げる姿を見て少年は、いいんですと応えた。妖怪になりたかったわけではありませんから。その言葉を言いながら、少年自身もどこか吹っ切れた気持ちを抱いていることに気づいた。
「本当なら、お前を送り届けることが私の依頼なんだが、その前に一つ聞きたいんだ」
頭を上げた魔理沙の問いかけに、少年は何ですかと返す。
「お前は、何をしてみたいんだ?」
少年の頭に思い起こされたのは、みんなで見た流れ星だった。
空を飛んでみたいです。人間のまま。
「で、その男の子は結局どうしたのよ」
博麗神社の境内で、箒を掃く手を休めて霊夢は魔理沙に問いかけた。
「紅魔館に雇ってもらったよ。住み込みでな」
「よかったじゃない」
「大変だったんだぜ。生きてはいるけどしばらく会えないって言ったら妹は大泣きするし、それを見て慧音は連れて来いって角生やすし」
縁側に場所を移し、霊夢が淹れた茶を啜る。
「面白いのがさ、パチュリーの奴に弟子入りを頼み込んだわけなんだが、あいつ、まんざらでもないらしくてさ。最近なんか講義を開いてんだぜ。笑っちまうよ」
「実を言うと、うらやましいんじゃないの、あんた」
だーれがと返しながら、魔理沙は縁側から腰を上げる。その手には、一枚の手紙が握られていた。
「さて、これを紅魔館に運んだら今回の依頼も終了だ。金額は掛け蕎麦二杯分。という訳でだ霊夢、飯でも食いにいかないか?紅魔館まで着いてきたら奢ってやるぜ」
霊夢は何も言わずに腰を上げる。何をするのかと魔理沙が見ていると、洗濯物を取り込み始めた。
「何をしてるんだ」
「魔理沙がそんなこと言うなんて、雨が降るかもしれないじゃない」
その言葉を聞いて、魔理沙は久しぶりに笑った。
誰かを認めてあげながら、霧雨魔理沙は今日も幻想郷を生きていく。
小悪魔
最後どうなるかと思ったけど、良かった良かった
また、こんなのがみたいですね
この少年は、紅魔館で人間として最後を迎えるのか、それとも捨虫でも使って永らえるのか。
たぶん、前者なんでしょうね。魔理沙に似て。
まあまだ子供ですし、今後が楽しみな子ですね