(一)
妹紅の家は迷いの竹林の中にあって、以前はもう少し人里の近くにあったんだけど、いちど不注意で火事を起こして燃えてしまってから新しく建て替えるときに竹林の奥のほう、それまでよりも永遠亭に近づくような位置に建てた。
妹紅ひとりが寝起きするスペースと、台所とはばかりだけがあればよいので、広さとしては永遠亭の、輝夜の部屋一室にも満たないくらいだ。おおむね竹でできている。家と呼ぶのもためらうくらいの、粗末で貧相な小屋だった。
そこに輝夜がやってきた。
朝起きて、近くに湧き出ている清水で顔を洗って(これの近くに住みたい、というのがそもそもの引越しの目的のひとつだった)、飯を炊くのも面倒なので保存用の干し芋をひとつ腹に入れたところだった。だからまだ朝で、突然の訪問にも驚いたが、輝夜がこんな時間に起きているのも、めずらしいと思った。
妹紅は一応立ち上がると、また殺されに来たのか、と尋ねてみた。
「ちがうわ」
「ちがうか。じゃあ何だ」
「遊びに来たのよ」
遊びに? そうよ遊びに。
妹紅が繰り返して問うと、輝夜はこくんとうなずく。
「えっと、何して遊ぶんだ。竹馬か、あやとりか?」
「もうちょっと色気のあることをしましょう」
「じゃ、そっち行くと池あるから、蛙つかまえて、皮剥いてえさにしてザリガニ釣ろう」
「やーよ。ザリガニ釣ってどうするのよ」
「おいしいのに」
「知らないわよ。えっとね」
「何だよ」
「お話ししましょう?」
「嫌だよ。何でお前なんかと」
「いいから。歌でもうたってさ、昔話に花を咲かせましょう。お酒もあるわよ、と言いたいところだけど、昼間だからお茶っ葉を持ってきました。上物よ」
「ははあ。さては、それを自慢したかったんだな」
「よくおわかりで」
ころころと笑う。
お茶自慢なんてどこぞの巫女みたいだ。良し悪しなんて、妹紅にはわからない。猪とか兎とか狸とか(ザリガニとか)、狩って食べる生き物の味ならまだわかるけど、葉っぱの味のついたお湯の濃さだの薄さだの香りだのとは、とても縁遠い生き方をしてきたのだった。
それもこれもぜんぶ目の前の、夏なのに厚ぼったい着物を着ている変な女のせいであるので、これは私、ぶん殴っても良いんじゃないかな、と妹紅は思ったが、殴り合いならいつもしていて、もうとっくに飽きてしまったし、目を細めて笑う輝夜の顔を見ていると、どうせ暇なんだから、ちょっとは言うとおりにしてやってもいいかな、とも思った。
やかんに水を入れて、かまどにかけて火を点けた。湧くまでの間、輝夜の言うとおり昔の話をした。輝夜が都にいたころ。妹紅が生まれて、住んでいた都。
輝夜はとても美しくて、帝をはじめ、何人もの男が輝夜の愛を勝ち取るためにさまざまな工夫を凝らして難題に立ち向かった。誰も解けなかった。それで、いろいろあって不死になった。何度も後悔した。
人々から追われて、屋根のないところで眠ることが多くなった。眠れない夜もあった。眠れないときは、星の数をかぞえた。夏には夏の星、冬には冬の星。それでそのうち方角とかにもくわしくなって、少しずつ自分なりに、生きるすべを知るようになった。
そういう話をした。それで思い出した。昔は星座の数が、今よりもずっと多かったと思う。
「いつ頃のことかわからないけど……昔は中国の星座を使っていたから、800個も星座があったそうよ」
「へえ」
「星と星とのつながり方も、今とは全然ちがうし、井戸座とか、トイレ座とかもあったんだって」
「くわしいな」
「長生きしてるもの」
「長生きなら私もいっしょだ。でもぜんぜん知らないよ」
「こら。いっしょにしちゃだめよ。もこたんの長生きなんて、私に比べればぜんぜんよ」
「月からも同じ星が見えるの?」
「おんなじ。おーんなーじよ」
「へえ」
「月と地球はとても近くにあるから、星座の星は同じように見えるのよ。彼らはとても遠くにいるの。だから、夜に見る星は、私ももこたんもずっといっしょだったの」
「いっしょなんだ」
「いっしょよ」
「でもさ、たとえば、ペガサス座ってあるだろ。あれ、月ではちがう呼び方だったりしないの?」
「そりゃ、地球の日本の同じ場所でも、時代によって呼び方はちがうくらいだもの。月じゃあ、なんて言ってたかなあ。うさぎ座かなあ」
「お前今適当に言っただろ」
「えへへ。お湯湧いたわよ」
水が沸騰して、やかんの口から湯気がしゅんしゅん出ていた。取っ手を持つとき、あちち、と声を出すと、もこたんでも熱がるのね、と言ってまた笑う。そりゃそうだ、と言って妹紅も笑った。
少し冷まして、お茶っ葉を入れた急須にお湯を注いで、お茶の葉が開くまで待って、ふたつの湯のみに注いだ。いい匂いがした。天気がいいので外に出て、用意していた平らな石に湯のみを置いて、家から引っ張り出してきた筵を敷いてその上に座った。さて、とふたりは同時に声を出した。
「飲みましょう」
「そうね。ところで輝夜」
「なに」
「これ、毒が入ってるんだろ?」
「よくおわかりで」
お茶の色は黄緑色よりもやや黄色が強い色で、春に咲く山吹みたいな、ふくよかな感じの色だった。お湯を入れる前のお茶っ葉は針のように細かったし、浅蒸しの高価なお茶なのはたしかで、たくさんしゃべって喉が乾いていたからすぐにも飲みたかったが、
「飲むとどうなるの?」
「死なない程度に苦しみます。三日くらい」
「永琳が作ったのか」
「そうよ。なんでも作れるのよ」
「ただの毒じゃない。薬師が毒を作るなんて、お里が知れるよ」
「馬鹿。蓬莱人に効く毒なんて、そんなにないんだからね。特別製なのよ」
輝夜は頬をふくらませた。ちょっと怒ったみたいだった。
妹紅は手のひらを上に向けると、そこから少し浮かんだところに炎の不死鳥を形づくった。いつものように、輝夜にそれを思い切りぶつけようと振りかぶったが、ふと、何だか馬鹿らしくなって、やめてしまった。
「ふむ」
「ん?」
腕を組んで輝夜を見つめると、眉根に皺を寄せて、訝しげな顔をしていた。悪戯心が湧いてきた。
湯のみを手に取り、お茶に唇をつけてぐいっと口の中に入れた。おおーっ、と、輝夜が拍手をする。
「何だかわからないけど、もこたん、えらい、度胸ある」
目を大きく見開いて、感心している。妹紅は思わず笑いそうになった。
妹紅は立ち上がると、ずずっと輝夜のそばに寄って、驚いている輝夜の腰を抱き寄せ、強引に唇を奪った。
舌を輝夜の口の中にねじ込んで、道を作った。その道から、口の中に含んでいたお茶を流しこんでやる。
「んむむむむーっ」
変な声を出して、輝夜はじたばたもがいた。が、妹紅のほうが力が強いので、なかなか引き剥がせなかった。
ようやく、ちゅぽん、と音を立てて、口と口が離れると、輝夜は妹紅に平手打ちをした。ばちん、と音がひびいた。輝夜はちょっと泣いていた。
妹紅は大笑いした。
「ははは!」
「なっ……何するのよー!」
「ざまあみろ! 馬ー鹿!」
「馬鹿! ばかあ!」
ぽかぽか殴り合いをしているうちに、目の前に靄がかかって、意識が遠くなってきた。これはまずいな、と思っているうちに、輝夜が前のめりに倒れて、地面に突っぶした。それを見ながら、妹紅もまた倒れてしまった。
(二)
起きると布団に入っていた。自分の家の、今にも崩れ落ちそうな天井とはちがって、太い木と厚い板でできた、とても頑丈そうな天井だった。永遠亭にいるんだな、と妹紅は思った。
首を曲げて横を見ると、八意永琳が正座して座っていた。はじめは膝が目に入った。それから赤と青の服を上にたどって、顔を見ると、目と目が合った。つまらなそうな顔つきで、でもちょっと、睨んでいるようだった。寝かせてくれたことについてお礼を言えばいいのか、毒を盛られたことについて文句を言えばいいのか、よくわからなかった。
少しの間、そうして見つめ合っていたが、やがて体を起こすと、着替えまでさせられているのに気づいた。やっぱり文句を言おうと口を開きかけると、
「おはよう」
「お、おはよう」
挨拶をされたので、ついつい返してしまった。毒気を抜かれたようだった。体からも、心からも。
永琳はどうも苦手な相手だった。輝夜の従者で、蓬莱の薬を作った張本人なんだから、憎んでもいいはずだったが、なんとなくそんな気になれない。
布団貸してくれてありがとさん、二度とここでは眠らないようにしたいよ、と言いながら立ち上がろうとすると、ぺしっと額をはたかれた。
「まだ寝てなさい。本調子じゃないんだから」
「あんたが毒なんか作るからだろ」
「いえいえ、輝夜に渡したのは、ただの眠り薬よ。毒なんか作るもんですか」
「なんだ」
と言うと、そこで言葉が途切れて、気まずくなった。妹紅はまた布団に潜った。
私が起きるまで、そこで待ってたのか、と訊いた。そうよ、とのことだった。
「何で」
「訊きたいことがあったの」
「へえ。お前が私に? 意外なこともあるもんだな」
「ええ。輝夜の唇は、どんな味だった?」
「ええと……」
やわらかくて、あたたかくて、口の中は濡れていた。舌は自分の舌とはちがう味がした。
眠る直前のことだったから、はっきりと思い出せた。昔の星のかたちを思い出すよりも鮮やかで、くっきりと意識の真ん中に浮かんでくるような感じだった。
「お父さんのこと、思い出した?」
「あん?」
「輝夜がお父さんとキスをしたと思って、あなたは輝夜にキスしたんでしょう」
「……まったく考えなかったな」
「そういうことにしときなさい。そのほうがいいの」
「何が」
「輝夜は、お父さんとキスしてないわよ」
「関係ないって」
「お父さんの顔、もう、思い出せないんでしょう」
「……」
生まれた都で見た星のこと。父親のことを考えて、眠れない夜を過ごしたこと。
すべてが輝夜に塗りつぶされていくようだった。輝夜は泣いていた。
いつからだろうか。輝夜といっしょにいても、笑えるようになってしまったのは。
妹紅は跳ね起きると、拳を固めて永琳をぶん殴った。炎の力も使ったから、打たれた永琳の頬が焼けて、肉が溶けてぐちゃぐちゃになった。けれどすぐに治った。
「あなたは長く生き過ぎたのね。だから、あんな大それた真似をする」
永琳は妹紅の額を押さえて、もう一度ぺしっと叩いた。すると力が抜けて、妹紅は体を起こしていることができなくなってしまった。べしゃりと潰れて、畳の上にうつぶせになった。鼻を打った。顔を動かせない。呼吸が苦しくて、目も動かせないから、背中の上から聞こえる永琳の声を、ただ聞いているだけだった。
「寝てなさい」
同じ言葉だったが、先程よりも恐ろしく聞こえた。背中に手を当てられたのがわかった。薄手の寝間着を通して、永琳の体温が伝わってきた。寝起きの自分よりも、ひんやりした手のひらだった。
障子が開く音がした。閉じる音がした。
「そのへんにしときなさい。もこたんをいじめちゃだめよ」
輝夜が入ってきたのがわかった。背中から手が外れた。このくらいしてやらないと、と永琳の声が聞こえて、永琳のこのくらいは度を越してるのよ、と輝夜の声が聞こえた。両脇の下に手を入れられて、ぐいっと引っ張り上げられた。輝夜の顔が見えた。永琳は自分を支えながら、耳元でぶつぶつ言っている。
「もこたんさあ」
「何だよ。謝らないぞ」
「けっこうよ。今度は私からキスしてあげようか?」
「馬鹿」
「あら、もこたんびびってるじゃない。だめね永琳」
と言うと、輝夜は両手を妹紅の頬に当てた。それから指をすべらせて、妹紅の額に人差し指と中指と薬指の腹を当てた。ないない、と言いながらさすると、妹紅の体に力が戻った。
三人で星見をしよう、と輝夜が言った。
「もこたんは寝てたからわからないだろうけど、今は夜で、たくさんの星が橋みたいになって夜空にかかっているわ。月は新月で、まるで真っ黒いこうもり傘がころころと星のなかを転がっていくみたいになってる――月のない夜もしゃれたものよ。お茶は鈴仙に用意させるわ。毒も眠り薬も入っていないから、安心してね。
永琳には言いたいことがたくさんあります。毒って言ったのに、何でちがうものを渡すんだか。でも、あなたに言いたいことは、ずっと先までとっておくわ。今はもこたんの話を聞きたいの。眠れない夜に、星をいくつまで数えたの? 私もそうしていたの。同じ星を見て、同じ星を数えていたんだから、答え合わせができるはずよ。私のほうがずっと長生きだから、ずっと多く数えていると思うけどね。
今夜は風がいいし、雨の気配もないし、朝まで起きていても退屈することはないわ。さあ外に出て――それで、恋人同士みたいに三人で寄り添って、上を向くの。星座を作る遊びをしてもいいわ。朝になれば日が昇って、星はそれぞれ、てんでちがうところへ去っていってしまうように見える。でも、夜になればまた戻ってくる。雨が降らないかぎりね。私も今度は、泣かないからさ」