ごうごうと、雷鳴が轟く夜だった。
「…………」
私は自分の部屋で一人、窓越しに、時折稲光が走る空を眺めていた。
雨は苦手だが、雷はきらいじゃない。
「ん?」
ふいに、扉が軋む音がした。
椅子に腰かけたまま、首だけで振り返る。
見ると、半分ほど開いた扉から覗く、小さな影があった。
私は、反射的にその名を呼ぶ。
「咲夜」
「……おじょうさま……」
それはそれは申し訳なさそうに。
あるいは、縋るように。
咲夜は大きな枕を抱きかかえたまま、じっと私を見つめていた。
「……眠れないの?」
「…………」
咲夜はこくり、と大きく頷く。
その仕草が余りにも可愛らしくて、私は思わず笑みを零してしまう。
「いいよ。おいで」
「!」
私のその一言で、咲夜の顔が一気に明るくなった。
扉を勢いよく開け放ち、とてててっと駆け寄ってくる。
「おじょうさまー」
「わっ」
咲夜のダイブを真正面から受けた私は、危うく椅子ごと後ろに倒れそうになった。
「もう、危ないでしょ」
「えへへ。ごめんなさい」
咲夜は、心底幸せそうな表情で私の胸に顔をうずめている。
まったく、仕方のない子ね。
ひとしきり咲夜を抱きしめた後、ゆっくりと身体を離す。
「……さて。じゃあもう寝ましょうか。子供が夜更かしするものじゃないわ」
「はあい」
咲夜の手を引き、一緒にベッドに入る。
二人で肩まで掛け布団をかぶり、向き合う形になるや、咲夜はもぞもぞと私の方に寄ってきた。
「咲夜。あんまりくっつくと暑いわ」
「えへへ」
まるで聞いちゃいない。
咲夜は身体の位置を少し下にずらし、さっきまでそうしていたのと同じように、またも私の胸あたりに自分の顔をもってきた。
体勢上仕方なく、私はその小さな頭を撫でてやる。
「……もう。早く寝なさいよ」
「はあい……きゃっ!」
―――ドゴン、と大きな落雷音。
その大きさから察するに、かなり近くに落ちたようだ。
「うぅう……」
ふるふると震える咲夜を、私はそっと抱き寄せる。
「ほら、大丈夫だから。ね? 咲夜」
「おじょうさま……」
瞳に涙を浮かべながら、じっと私を見上げる咲夜。
その雫をそっと拭いながら、私はいう。
「大丈夫。大丈夫よ、咲夜」
「…………」
「ずっとこうして、傍にいてあげるから」
「…………」
「だから今は、安心してお休みなさい」
「はい……」
すっかり安堵したのか、咲夜は目を閉じると、すぐに健やかな寝息を立て始めた。
私もその銀の髪を梳きながら、緩やかに眠りに落ちていった。
―――それから、長い年月が過ぎた。
窓越しに、稲光が走る空を眺めながら、私は独り言のように呟く。
「……あの頃の貴女を、思い出すわね」
今日みたいに、あの日みたいに。ごうごうと、雷鳴が轟く夜には。
どうしても、想起せずにはいられない。
「……あの頃の貴女は、小さくて、か弱くて。……一人じゃ、何もできなかった」
鏡台の引き出しから、一枚の写真を取り出す。
今は昔、取材を申し込んできた鴉天狗に、それを受ける対価として撮らせたものだ。
「……咲夜」
そこに写るは、小さくてあどけない、あの頃の少女の姿。
初めて、自分専用のメイド服を着た日の記念。
「……貴女はもう、雷は平気になったのかしら?」
はにかむようなその笑顔に視線を落としたまま、私は語るのをやめない。
「……きっともう、立派で素敵なメイドになって、雷なんて、ものともしなくなったのでしょうね」
寂しいような、嬉しいような。
そんな微妙な感傷を織り交ぜた言葉を紡いでいると、
「……あのー、お嬢様?」
「あら咲夜。いたの?」
ふいに、間の抜けた声で水を差された。
振り返ると、大きな枕をぎゅっと抱きしめ、むすっとした表情で私のベッドの上に座りこんでいる咲夜がいた。
「……いましたよ。お嬢様がノスタルジックなポエムを謳いだす二分十五秒ほど前から」
「あらぁ、そうだったの。全然気付かなかったわー」
私がわざとらしいリアクションを取ると、咲夜はむぅっと頬を膨らませ、じとっとした目で私を睨んだ。
「……ノックもしましたし、声まで掛けたんですけど」
「いやぁ、歳を取ると耳が遠くなってねぇ」
からからと笑いながら歩み寄ると、咲夜はへの字口を作って言った。
「……ふん。どうせ、私はダメなメイドですよ」
「拗ねない拗ねない。いいじゃないの。雷が怖いメイドがいたって」
言いながら、よしよしと頭を撫でてやる。
咲夜は憮然とした表情のままだが、私の手を払いのけるようなことはしない。
「……じゃあ、今の皮肉じみたポエムは何だったんですか。昔の写真まで取り出したりして」
「ああ、それは単に咲夜をいじめてみたくなっただけ」
「…………」
きっぱりと言い切ると、咲夜はますます頬を膨らませて横を向いた。
雷雨の夜、一人じゃ眠れない咲夜が私の部屋を訪ねてくるのは、あの頃からまったく変わっていない、二人の間のお約束のようなものだった。
「じゃあ寝ましょうか。怖がりな咲夜ちゃんと一緒に」
「…………」
咲夜はむすっとしたままだったが、私がベッドに足を掛けると、いそいそと布団の中に潜った。
そこから少しだけはみ出た銀の髪に苦笑しながら、私も掛け布団をめくり、その中に入る。
「おやすみ、咲夜」
「……おやすみなさい」
私は頭を布団から出しているので、ほぼ完全に布団の中に潜っている咲夜の頭は、ちょうど私の胸のあたりに位置している。
もっとも、かつてのように密着した距離ではないが。
そんなことも思い出しながら、私はまたもからかい混じりに言ってみた。
「咲夜ちゃん? もっとこっち来てもいいのよ?」
「…………」
返事はなかった。
これ以上やると、次の瞬間には銀の刃が眉間に刺さってたりするかもね―――なんて、ぞっとしない光景を想像した、その瞬間。
―――カッ、と部屋全体が明るく照らされた。
これはでかいぞ、そう思ったときには、
―――ドッゴォン、とダイナマイトばりの落雷音が響き渡った。
私の眼前の、銀が少しはみ出た布団の塊が、よく見ないでもびくん、と大きく跳ねたのが解った。
「…………」
「…………」
あえて沈黙を維持してみる私。
が、それも流石に意地悪が過ぎると思い、
「咲夜」
「…………」
「こっちおいで」
「…………」
もぞもぞと、布団の中の塊が移動してくる。
そしてぴたっと、私の胸のあたりに何かがくっついた。
私はそれを布団の中で撫でながら、囁くように言った。
「大丈夫。大丈夫よ、咲夜」
「…………」
「ずっとこうして、傍にいてあげるから」
「…………」
「だから今は、安心してお休みなさい」
「…………」
あのときと違って、顔は見えないし、声も返ってこなかったけど。
でもすぐに聞こえてきた健やかな寝息だけは、あのときのそれと同じだった。
了
レミリアお母さんは幸せ者ですね。
咲夜さんが可愛すぎる!
今回も素敵でした…!
雷、苦手な人は本当に寝れないらしいですので、
咲夜ドンマイ
そしてそれを描ける貴方に100点。
でも無情かな100点までしか入れられない……!
最高でした!
まりまりささんの才能には嫉妬しますね(笑)
癒されましたー
いつまでも咲夜さんを抱きしめてあげて
いいお話でした。