湖の畔に佇む悪魔の館、紅魔館。
まるで血のように赤い奇抜な外観の洋館には、恐るべき住人たちが棲んでいる。
紅魔館の主、レミリア・スカーレット。
その妹、フランドール。
唯一人間の身でありながら、メイド衆を取り仕切る十六夜咲夜。
他を寄せ付けない知識量を誇る魔女、パチュリー・ノーレッジ。
外敵の侵入を決して許さない門番、紅美鈴。
もふもふした尻尾とクリッとした目が愛らしい、犬。
「わんわん」
「‥‥‥‥」
「わんわん」
「‥‥美鈴」
「はい」
「何それ」
「犬です」
「うん、それは知ってる」
いつものように時間を持て余したレミリアが庭を訪ねると、門に立っている筈の美鈴が実に楽しそうに犬と戯れていたのだ。
「私が聞いてるのは、その犬がどうしてこんなところにいるのかって事なの」
「可愛いでしょう?」
「いやいやいや」
目の前にいる門番は、どうやらレミリアの質問よりも、犬と遊ぶ方が大切らしい。
その証拠に、先ほどから一度も目が合っていない。
「‥‥あのねえ、ここは吸血鬼の住む、悪魔の館なの。わかる?」
「はい」
「頭が三つあったり、神を一呑みにできるような獣なら、この館に相応しいと言えるわね」
「はあ」
「見たところ、そいつには頭も一つだし」
「一つです。三つもあったらおっかないじゃないですか」
「神どころか、ハムの一切れでお腹が満たされそうな見た目じゃない」
「まだ子犬ですからね。今に大きくなりますよ」
「‥‥‥‥」
「私が仕事してたら、どこからかやって来たんですよ。周りに親はいないようだったし、飼い主も見当たりませんでした。可哀想でしょう?」
レミリアの言葉を聞き流し、美鈴はふにゃふにゃとした笑顔で子犬を撫でている。
どうやら完全に飼う気でいるようだった。
「‥‥ま、いいわ。でもね美鈴。私はともかくとして、咲夜が何て言うかしらね?」
「咲夜さんですか?」
「あの子は私以上に館内の規律に厳しいわ。それに、犬が住み着くとなると色々と手間も増える。せいぜい見つからないように‥‥」
「美りーん、ミルク持ってきたわよ。言われた通り、ちゃんと人肌に‥‥あ」
「え? あ‥‥」
温かいミルクの入った皿を手に、嬉しそうに駆けて来るのは、規律に厳しい筈のメイド長その人であった。
「と、いうわけで‥‥今日から紅魔館に仲間が増えました!」
「わあ! かわいい!」
「子犬‥‥見たところ雑種みたいね」
「そうみたいです」
「けほっ、けほっ‥‥」
「あ、パチュリー様。動物の毛は喘息によくないと聞きますが‥‥」
「こ、これくらいなら大丈夫よ‥‥」
館内に戻った美鈴は、フランドールとパチュリーに子犬をお披露目していた。
幸いな事に、両者とも犬嫌いでは無いらしい。
特にパチュリーに至っては、ぜえぜえと喉を枯らしながらも子犬に触れている。
「‥‥‥‥」
一方、レミリアは憮然とした表情で座っていた。
レミリアとて、別段犬が嫌いなわけでは無い。
ただ、世の中には順序というものがある。
この紅魔館で物事を決める以上、当主である自分の許可を得るのが何よりも先に為されるべき筈ではないか。
それがどうだ。
美鈴は最初から飼うつもりでいるし、咲夜も喜んでミルクなぞ温めている。
フランドールもパチュリーも、実に楽しそうに犬と戯れている。
この時まで誰一人として『お嬢様、犬を飼ってもいいでしょうか』の言葉を発していないのだ。
皆浮かれすぎでは無いか。
「あ、そうだ。お嬢様」
そんなレミリアに、何かを思い出したような口調で美鈴が声をかける。
「何かしら?」
少しばかり遅かったが、まあ許してやろう。
私は心が広いのだ。
「この犬なんですが‥‥」
「うんうん」
「名前は何にしましょうか?」
「そうじゃないだろ!」
レミリアの怒声が響き、その場にいる全員の視線が集まる。
「お、お嬢様?」
「あんたらねえ‥‥犬の名前がどうとか考える前に、何か忘れているでしょう?」
「え、ええと‥‥」
「ここは誰の館なの? ここの主人は誰?」
「あ」
ここに来て漸く考えが至る。
愛くるしい子犬を前にし、少々浮ついていたようだ。
美鈴と咲夜はピシッと姿勢を正し、主の前に歩み出る。
「お嬢様。大変失礼致しました」
「今更ではありますが、この子を紅魔館に置いてやってもいいでしょうか?」
「いいよ!」
言うが早いか、レミリアは子犬の下へすっ飛んで行く。
「へ?」
「あ、あの‥‥」
「おうおう、ふかふかじゃないか。愛い奴め」
要は、レミリア自身、早く一緒に遊びたくて仕方が無かったのだ。
こうして紅魔館に住人が増えたのであった。
「で、お姉様。この子の名前は?」
「そうねえ。何がいいかしら」
子犬の脇腹を撫でながら、レミリアは考える。
「‥‥よし! 浮かんだわ。紅魔館の一員になるのだから、それらしい名前じゃないとね」
この時点で、レミリアを除く面々の脳裏には嫌な予感しか存在しなかった。
「よく聞きなさい、はぐれ犬。あなたは今日から『デスクリムゾン』よ!」
「うわ‥‥」
「う、うーん‥‥」
「お姉様、それはちょっと‥‥」
「ダッサ‥‥」
四者四様の反応に、レミリアはグルンと振り向く。
「な、何よ。じゃああなた達、何かいい案はあるの? 特にパチェ! ダサいだなんて言うからには、それはそれは素敵なアイデアがあるんでしょうね!」
「え!? え、ええと‥‥その‥‥」
「ほら! 早く言いなさいよ!」
パチュリーは答えに詰まる。
他にアイデアがあるわけでは無いが、思わず口から出てしまっていた。
それほどあんまりな命名だったのだ。
「さあ! さあ!」
「え、その‥‥じゃあ『ペロ』なんていうのはどうかしら‥‥」
「‥‥‥‥」
「‥‥何よ」
「ふっつ~ねえ」
「な、名前なんて普通でいいじゃないの!」
七曜の魔女のネーミングセンス。
その凡庸さが明るみに出た瞬間であった。
「で、他には? 何か案はあるの? 美鈴は?」
「ありますとも! 虎毛だし『赤虎』というのはどうでしょう」
「まあまあね。熊とも戦えそうだし。咲夜は?」
「その‥‥一応‥‥」
「言ってみなさい」
「‥‥‥‥、というのはどうでしょう‥‥」
「ん? 何? 聞こえないわ」
ゴニョゴニョと小声で答えた咲夜は、促されて渋々言い直す。
「え‥‥『エリザベス』というのは‥‥」
「‥‥‥‥」
「な、なんです?」
「エ、エリザベスゥ!? 咲夜が!?」
「あははははは! 咲夜さん、ナイスですよ!」
「随分チャーミングな名前ね」
「か、可愛い! 咲夜ちゃんかっわいい!」
普段の凛としたイメージの咲夜からは考えられない可愛らしい名前に、一同は堪らず笑い出す。
特にフランドールは、可愛いを連呼しながら、腹を抱えて大爆笑。
フランちゃんウフフならぬ、フランちゃんゲラゲラである。
「笑わないでください! そんな事言うフラン様は何かあるんですか!?」
「もっちろん!『風雲再起』! どう? かっこいいでしょ」
「‥‥フラン。また山の神社に遊びに行ったでしょ」
「うん。よくわかったね?」
最近になって交友関係の広がったフランドール。
ただ、他所に‥‥正確には早苗のところに遊びに行く度、妙な知識を増やして帰ってくるのがレミリアの頭痛の種だった。
「ま、まあいいわ。ここは‥‥そうね。自分自身で決めてもらいましょう」
「と、言うと?」
「この子を中心にして、周りからそれぞれの付けたい名前で呼びかけるの」
「なるほど。それはいいですね。では‥‥」
「デスクリムゾン、こっちにいらっしゃい」
「ペロ、おいでおいで」
「赤虎、こっちだよー」
「エ、エリザベース。エリザベスちゃーん」
「ぷふっ!」
「‥‥何か?」
「や、別になんでも‥‥風雲再起ー」
暫く呼び続けていると、子犬の鼻先がピクッと動き、ある方向に歩みだす。
子犬の選んだ名前は‥‥
「う、嘘‥‥」
「そんな‥‥」
「あははは! お前は賢いね、デスクリムゾン!」
最も強烈な名前だった。
「あ! お姉様。ひょっとして‥‥」
「あなた、能力を使ったんじゃ‥‥」
「バカを言わないでちょうだい。こんな事で卑怯な手を使うだなんて、プライドが許さないわ」
「‥‥う、うん。そうだよね。お姉さまがズルをするわけ無いもんね」
「そ、そうね。さ、名前も決まった事だし‥‥」
「ちょっと待ちなさい」
その態度を怪しく思ったレミリアは、二人の体を検める。
「‥‥フラン? これは何?」
「‥‥チーズの破片です」
「パチェ、これは?」
「同じくチーズの破片です‥‥」
「まったく‥‥恥ずかしいと思わないの? みんなで正々堂々と決めようとしているのに、こんな姑息な手を使うなんて」
「「はい‥‥」」
その言葉を聞いていた美鈴と咲夜は、隠し持っていたチーズの破片をひっそりと口に運ぶのだった。
「クリムゾン、おいで」
「わんわん」
それから数週間。
子犬改め、デスクリムゾン、更に改めクリムゾンは、すっかり紅魔館に馴染んでいた。
名前が変わったのは、選考漏れした4人の必死の懇願を聞き入れての事である。
「よーしよし、いい子ね」
「お嬢様、すっかりクリムゾンと仲良しですね」
「あら美鈴。出かけていたみたいだけど、どこに行ってたの?」
「はい、念のため里に飼い主がいないか、探してみたんですよ。もしかしたら迷子って可能性もありますしね」
「そう。どうだったの?」
「とりあえず今回は見つかりませんでした。慧音さんにも話しておいたんで、心当たりを当たってくれるそうです」
「でも正直、今更名乗り出られても困るわよね。ねー?」
「わんわん」
クリムゾンがやってきてからと言うもの、レミリアはメロメロであった。
俗に言う猫可愛がりというやつである。
犬だけど。
「この子、きっと将来はいい番犬になるわ。こんなに賢いんだもの。そうなったら、美鈴は門番引退ね」
「え? そんなあ」
「ふふふ」
「日がな一日ダラダラと過ごせるだなんて、そんなに楽しちゃっていいのかなあ」
「おい」
軽口を叩き合っている間も、視線の先には常にクリムゾン。
この二人だけでは無い。
咲夜やフランドール、妖精メイドは勿論、パチュリーまでクリムゾンに会う為に図書館から出てくるほどだ。
今やすっかり紅魔館のアイドルの立場に上り詰めていた。
「さて美鈴、あなた午後からの予定は?」
「今日は一日非番ですよ」
「そう。この子も環境に慣れ始めたし、そろそろ散歩ってのを始めてもいいかなと思うんだけど、付き合わない?」
「喜んで!」
「それじゃ行きましょうか。私がクリムゾンを連れて歩くから、美鈴は傘をお願いね」
「はーい」
「このくらいの時期の犬って、どのくらい歩かせればいいものなのかしら?」
「そうですねえ。やはり最初は短く、徐々に距離を伸ばしていった方がいいでしょうね」
十数分後、二人と一匹は湖の外周を周っていた。
太陽は明るく輝いているが、気温はそこまで高くなく、まさに絶好の散歩日和である。
「それにしても、地面を歩いてそれなりの距離を移動するなんて久し振りね。いつも飛んでるし」
「そうですか? 私は結構歩きますね。急ぎの用じゃ無い時なんかに」
「ああ、たまに窓から見るわね。‥‥あ」
「え? あ」
二人が取り留めの無い話をしながら歩いていると、クリムゾンが立ち止まり、その場で排泄を始めた。
「‥‥さ、行きましょうか」
「ダメですよ。飼い犬のフンの始末は、飼い主の責任です」
「えー‥‥」
「ほったらかしにして、この辺りに住んでる妖精が食べちゃったりしたらどうするんですか」
「あんた、妖精バカにしてるでしょ」
「とにかく、ちゃんと持って帰りますよ。ほら、こうやって袋で取って‥‥」
「そんな作業があるなら、今後、一人では散歩に連れて来られないわね‥‥」
飼い主としての責任も果たし、その後も暫く歩く二人。
そろそろ本日の散歩を切り上げようという時だった。
ガサガサッ!
「むむ?」
「誰?」
茂みから、突然人影が飛び出してきた。
「くり坊!」
「わあ!」
「な、何よあんた」
飛び出してきたのは、一人の青年だった。
彼はクリムゾンを見るなり、凄まじい勢いで駆け寄ってきた。
「くり坊! 無事だったか! 心配したぞ!」
「く、くり坊?」
「あんた達が見つけてくれたのか! ありがとう!」
「あの‥‥話が見えないんだけど」
青年が言うには、彼が留守にしている間、開けっ放しになっていた窓から飛び出して逃げてしまったらしい。
帰宅後、飼い犬がいないのに気が付いた青年は里中を探したが見つからず、捜索の範囲をこの付近まで広げたとの事だった。
「くり坊‥‥クリムゾン‥‥だからお嬢様の付けた名前に反応したんですね。多少無理がありますけど」
「見つかってよかった。心配したぞ。さあ、帰ろう」
「ちょ、ちょっと待って! そんな事を急に言われても、はいそうですかって渡せないわよ!‥‥大体、さっき美鈴が里で飼い主探ししたって言ってたじゃない。その時にわからなかったの?」
「さっき? 俺、ここ何日か家に戻ってないしなあ」
「ええ!?」
「くり坊が見付かるまでは帰らないって決めてたからな」
「何考えてるんですか! この辺り、妖精はウジャウジャいるし、下手をすれば妖怪にだって会ってたかも知れませんよ!?」
「何回も会ったよ。全部追い払った」
「うわあ」
レミリアが青年を見てみると、彼の言葉を裏付けるように、目には隈が出来、体中に無数の傷が付いていた。
「‥‥どうやら、あなたがこの子を心配していたのは本当みたいね」
「ああ。だから‥‥」
「ただし! 私達だって、この子と出会ってから、随分と一緒に過ごしてきたわ」
「う‥‥」
「‥‥ここは一つ、自分自身で決めてもらいましょう。この子を間に挟んで、両側から名前を呼ぶ。この子に選ばれた方が、今後の飼い主よ」
「‥‥ようし」
帰り道。
紅魔館へと帰る二人の足元に、クリムゾンはいなかった。
愛着から来る錯覚かも知れないが、最後まで迷っているように見えた。
「はあ‥‥」
「お嬢様‥‥」
「いいのよ。あの子が決めた事だもの。それに見たでしょう? 彼とクリムゾン‥‥くり坊の嬉しそうな顔。やっぱり生き物は、自分のいるべき場所が決まっているのよ」
そうは言うものの、レミリアは目に見えて落ち込んでいるようだった。
出会いこそ唐突だったが、その後は紅魔館に住む誰よりも、レミリアが愛情を持って世話をしてきたのだ。
そんな主の寂しそうな姿を見て、黙っていられる美鈴では無かった。
「お嬢様」
「んー?」
「クリムゾンの残していったお土産です」
美鈴が何かを投げ渡す。
レミリアは、美鈴の投げた物をしっかり受け取る。
「きゃあ! こ、これ、さっきのウンチじゃないの! いらないわよ!」
「わあ! ちょっと! 投げないでくださいよ!」
「あんたが先に投げてきたんでしょ!」
「帰りはお嬢様が持ってくださいよう!」
「嫌よ! っていうか、何でさっきの飼い主に渡さなかったのよ!」
「タイミング逃したんですよ! ほらパス!」
「いらないってば!」
袋を投げ合いながら言葉を交わす二人。
大声で喚くレミリアの表情からは、寂しさが姿を消していた。
それを見た美鈴は、ほっと息を吐くのであった。
『ぎゃあ! 袋破けた!』
妖怪を追い払ったって……すごいです。
しかし、このタイトルでなければ見なかったのもまた事実
いぬレミ良かったです
間違ってはいないが…w
ところで最後のあの言葉、もしや言ったのはおぜうs
ただまあ、ネーミングセンスはいつも通りでしたが。
いやなんというか、タイトルからして、もっと下品な方向に走った内容かと思いましてw
ほのぼのしてて、とてもよかったです。(しかし咲夜さんが十六夜デスクリムゾンとか名付けられなくて幸いでしたね!)
前8さんのコメントが楽しみだぜ
前8さんのコメント楽しみだ
ブリッツェンさん、恐ろしい子!www
皆お茶目で可愛かったです
ってコメを誰もしないのはベタ過ぎるからなんでしょうか……。
でもまぁ、飼い主登場は予想範囲内でしたがいい話だったと思います。
あとフランちゃんゲラゲラw
文章は素敵でした!
オソロシイ
ぶっちゃけウンコのくだりはなくてもストーリーは成立してたよねw
タイトルサギとオチの勝利ってやつだね
わんこかわいいよわんこ
最初は、あれ?なんかほっこりするようなお話…と思ったらwww