「ああ、こいし! 本当に可愛い私の妹!」
朝、目を覚まして地霊殿のリビングに下り立った燐の目に飛び込んできたのは、時代錯誤も甚だしい役者がかった台詞、表情、そしてポーズで妹を愛でる主の姿であった。
もはやそれは愛情表現というより、宗教的な儀式と見間違えられるほどの情熱であった。
しかし、まあそれは概ねいつも通りというか、少しオーバーなだけといえなくも無い。
先日のさとりは、寝ているこいしをキスで起こしに行って枕を投げつけられ全治三時間の傷を負った。
さらに、オムライスにケチャップで「こいしラブ」と書いて外側の卵だけを外に捨てられたことも2,3度ではない。(ちなみにその卵は空が美味しくいただきました。食い意地が張ってる)
だが、今日のさとりには一つだけ看過できない「歪み」があった。
彼女が「妹」として愛でているものは、紛れも無く道端に転がっているただの「小石」であった。
古明地さとりは、その「こいし」を必死にすりすりと頬ずりしながら、妹への愛の言葉を語っていたのだ。
「ああ、もう地霊殿はおしまいだ、と思いましたね」
当時のことを思い出して、火焔猫燐はこう語った。
「言い方は悪いのですが、もうさとり様は駄目になってしまったと」
燐は考えた。とにかく考えた。この状況をどう打開すべきか。
今すぐ、この狂ってしまった主をハンマーで殴って気絶させて永遠亭に連れて行こうか。
あるいは、紅白の巫女のところにでも連れて行って御祓いをしてもらうべきか。
それとも、今すぐえんがちょして逃げ出すか。
自分で自分のしっぽを追いかけるように、思考をぐるぐるぐるぐるさせていると、一心不乱に石を愛でていたさとりは不意に燐のほうを向いた。
「り、燐……」
「あっ、さとり様……」
二人の間に、気まずい沈黙が流れた。いや、あまりに重苦しい沈黙で逆に流れなかった。
お台所の油汚れのようなべっとりとした沈黙が、リビングに張り付いた。
真っ黒な沈黙の中、先に口を開いたのはさとりのほうだった。
「えーっとね! これはねマイケル!」
「マイケルって誰ですか、燐です」
「そう、これはねマリリン!」
「なんか色々混ざってます」
「これは、そうよ! こいしが家に帰ってきたときのためにね、練習よ!」
あまりにも苦しい、いや痛々しい言い訳であった。
さとりが顔を真っ赤にしてそんなことを語るもんだから、燐の方も逆に顔から火が出そうであった。
「落ち着いてね、燐」
「落ち着いたほうが良いのはさとり様の方です」
「私はいつだってクールよ!キリンさんとゾウさんどっちが良いと聞かれて『君が好きよ』と答えるぐらいには!」
「意味がわかんないです。本当に落ち着いてください」
「うぎゃー!!!」
謎の叫び声を上げてさとりは、床へと崩れ落ちた。
勢いで放り投げられた小石が、壁にぶつかって悲しい音を響かせる。
「もういいわよ……みんなから知的クールと評判の地霊殿の主は、実は石を愛するド変態だったのよ……」
「さとり様、安心してください。どうせ、ペット一同はさとり様のことを少し変……いや、不思議ちゃんと認識しております」
「うぐあああああああ!」
さとりの顔は、今や熟れたリンゴのような鮮やかな赤であった。もはや主としての威厳もクソも無かった。
今の彼女の立場は、エロ本を母親に見つかった中学生のそれぐらいであろう。
普通なら、ここで呆れて帰ってしまうところであろうが、それをせずにしっかりと話を聞いてあげるのがこの火焔猫燐だ。
エロ本ぐらいでアホみたいに怒るお母さん達も、この彼女の優しさを見習うべきである。
「さとり様、一体どうなさったんですか? あまりにこいし様に相手して貰えなくて、頭がおかしくなったんですか?」
「あんた、主に向かって何の遠慮も無く言い切ったわね……」
「え、さとりさまって主だったんですか?」
「幾らなんでも、それはちょっと言い過ぎじゃなくて?」
「ああ、さとり様は主ですね。石ころもペット扱いしちゃうぐらい心の広い」
ぐっさり、という音が広いリビングに響いた。さとりの心に、燐の辛らつな皮肉が突き刺さる音だ。
彼女は、もはや完璧に戦意を失っていた。
「うう……わかりましたよわかりましたよ。わかったから、心の中で『この主はもう駄目ね』と思うのはやめて」
「それは考えておきます」
「『考えるまでもなく駄目ね』って思ってるじゃないの! ……えーっとね、これには深い訳があるのよ」
「その深い訳とは?」
「笑わない?」
「笑います」
「ひどい!」
「じゃあ、あとでこっそり笑います」
「ううう……あのね、こいしが私のプリンを食べちゃったのよ」
その刹那、お互いの間にまっさらな空白が流れた。
突如生まれた空白の時の間に、燐は色々な事を考えた。
さとりに拾ってもらった時の事、空と出合った時のこと、地霊殿に住み始めたときのこと。
楽しかった思い出が彼女の頭の中を駆け抜けていった。
そして――
「さとり様。いいえ、古明地さとり!」
「は、はいなんでしょうか!」
「さようなら! もう私は貴方には着いていけません!」
そう高らかに宣言して、燐はリビングから出て行こうとした。
彼女は、これ以上さとりとの幸せな思い出を失望で上書きしたくなかったのだ。
どこか、真面目な人の住んでいる家にでも住み着いてのんびりと生きよう、と燐は思ったのであった。
さとりは、帰ろうとする燐の腕に思い切り飛びついた。
「ま、まだこの続きがあるのよ燐! 行かないで!」
「離してください!」
「離すから話させて!」
「それ話し言葉じゃ判りづらいです!!」
さとりの必死な思いが通じたのか、あるいはこれ以上放っておくと大変だと思ったのか、
燐は、さとりをその場に座らせその正面に自分も座った。
「そ・れ・で、さとり様は何を思ってあんな破廉恥な行為を」
「こいしに見せ付けたかったのよ……」
「見せ付けたかったって、そういうプレイですか?」
「いやそうじゃなくて、こいしみたいに人のプリンを勝手に食べる子は私の妹じゃありません!
何もしない分こっちの石ころのほうが可愛い妹だ!って」
「うわあ……」
燐は、素で5cmほど後ずさった。ドン引きだった。
地霊殿は終わりだという疑いがほぼ確信に変わっていた。
さとりは、燐の表情を戦々恐々として見つめていた。
「ねぇ……もしかして失望してないわよね?」
「いえ、凄く失望してます」
「でも、プリンを食べられたのよ! 折角、朝ご飯の後のお楽しみにしておこうと思って!」
「心が狭いってレベルじゃないでしょ!?」
「せっかく、せっかくお料理の本を呼んで勉強して作ったのに……」
突っ伏してさめざめと泣くさとり。
その姿を見て、燐は哀れに思わないくも無かったが、流石に呆れのほうが上回っていた。
「さとり様、しゃんとしてくださいよ。泣いててもプリンは帰ってきませんよ」
「でも……でも」
「逆に考えましょうよ。自分の作ってくれたプリンを食べて、こいし様が喜んでくれてよかったと考えましょう」
「うー……それはそうかも」
「あのふらふらしたこいし様が、さとり様の作ったものを食べてくれたってだけで嬉しいでしょう?」
「まあ、確かに」
「じゃあ、もう一回プリンを作り直して。みんなで仲良く食べれば解決じゃないですか。
その時に、勝手に食べられて悲しかったことを伝えれば、万事丸く収まります」
思いつきで割りと適当なことを言った割には綺麗に着地したなーと思いつつ、燐はさとりの頭をぽんぽんと撫でてみた。
それが効果覿面だったのだろう、さとりはひょいと起き上がって、涙を拭いた。
燐は、その手を握ってさとりと一緒に立ち上がった。そして、大きな声でさとりを励ました。
「さ、それじゃ今から作り直しましょう。プリン!」
その瞬間だった。地霊殿のリビングの扉が大きな音を立てて開いた。
見ると、空が満面の笑みでそこに立っていた。
「え、プリンどこどこ!? 昨日の奴まだ残ってるの?」
夕方、日課の散策を終えて帰ってきた古明地こいしの目に飛び込んできたのは、自分の頭上に向かって大きく手を広げて泣きながら叫び続けている姉と、その横で虚ろな目をしているペット達の姿だった。
「空! ああ空! ああなんて広くて綺麗でなんて素晴らしい――」
オチが分かり難かったかな。
さとり様まじ小物すぎて可愛い
長さもそんな長くないですし、書き出しを放り投げたかのような印象を受けました。
ノリと流さ的にはジェネでもよかったかもしれませんね
さくさく読めて面白かったです。