Coolier - 新生・東方創想話

忘暇異変録 ~for the girls of leisure

2011/06/19 01:34:36
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[はじめに]
   ・長大になってしまったので連載モノの体裁を取らせていただきます。
   ・不定期更新予定。
   ・できるだけ原作設定準拠で進めておりますが、まれに筆者の独自設定・解釈が描写されていることがあります。あらかじめご注意下さい。
   ・基本的にはバトルモノです。

   以上の点をご了承頂いた上、ぜひ読んでいってください。

    
    前回  M-2 M-3 M-4




















  ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

















   【  】



 月明かりが差し込む。
 大きく取られた窓から大きな月が顔を覗かせ、その一室を照らしていた。
 ちょうどその部屋の前だけは竹林とは距離が取られていて、宵闇に輝く光をあますところなく受け入れている。
 おかげでそこは、夜なのに妙に明るい。

 そんな看護室の窓際のベットに寝ているチルノに、優しい月光が注いでいた。
 苦しむ様子も無く、スヤスヤと安らかなその寝顔を優しく見つめるのは――月の光と、レティだけだった。

「……ホントに、よく寝てるわねぇ~」

 気持ちよく寝息を立てるチルノを眺めながら、レティは呟く。
 その声を、誰も拾ってくれる者はいない。布団の上の少女はこんこんと眠るばかりだし、同じチームの面々は、すでにどこかへと旅立ってしまっている。月光は彼女をも 照らしているが、返事が返ってくるはずなど、もちろんなかった。

 薄明るい部屋の中、ベットの横の椅子に腰掛けて、一人。
 彼女はただじぃっと目の前の少女の寝顔を見守るだけ。
 不意にチルノの頭を撫でてみる。
 月の光に照らされた、元気な青い髪がサラサラと掌を滑った。

 ――こうして大人しく寝ていると、それなりの女の子なんだけどね。

 ふふっと口の中だけで笑いを零し、サラサラと髪を弄ぶ。
 この感想も、すでに何度目のものだかわからない。

 月光の下。チルノは何も言わずに、ただひたすら眠っているだけだった。
 スヤスヤと、コンコンと。
 昨日使い果たした力は、それほどに彼女に負荷を与えていた。
 大自然の力の、その一端。それはあまりに強大過ぎた。いかに自然の力の体現者たる妖精と言えど、一朝一夕で扱えるものではない。
 しかもあれほど無茶な発動――ツケが回るのは目に見えていた。

「まぁ……仕方ない……のかな。昨日の吸血鬼から、私たちを守ってくれたんだものね」

 彼女はわかっていた。
 フランの一撃を喰らい、薄く靄がかった意識の奥で――その場を包んだ圧倒的な冷気の、その存在感を。
 フランの嬌声。チルノの怒声。全て聞こえていた。
 彼女はあの場で何が起こっていたのか、正確に理解できていた、数少ない一人だった。
 だから、チルノが今目覚めない理由もちゃんと解っていた。

 解っていて、彼女が感じるのは――自分の、ひたすらな無力感だった。


『こんな小さな妖精がこれほどの力を使った日には遅かれ早かれ死んじゃってたね。きっと』
 ――解ってるわ。小さな鬼の子さん。この子はまだあんな力を使えるほど、大きくないのだから。


『保護者の立場を自負しているのなら、目を離しちゃだめ。せめていつか、独り立ちできるまで』
 ――解ってるわ。現役お姉さん。私がもう少しでもしっかりしてれば、こんな無邪気な子に、こんな無茶はさせずに済んだのだから。


 レティは不意に、チルノの頭を撫でる手に力が込もってしまっていることに気づいた。
 う、うぅん……と少し寝苦しそうな声が漏れる。

「あ、ごめんね。あなたは頑張ってくれただけだもんね」

 慌てて手を離し、声をかけた後、また優しく髪を手で梳かす。すぐにスヤスヤという気持ち良さげな声が聞こえてきた。
 ――本当、無邪気な子。

「……やっぱり、前言撤回ね。あなたも悪いわ、チルノ」
 頭を撫でながら、呟く。

「私にこんな心配かけて……私にも、もう少しお姉さんらしいことさせなさいよ……」
 ほとんど泣きそうな声で。

「起きたら……叱ってやるんだから……」
 彼女の手は、震えていた。


 ちょうどその時分は、
 竹林では、フランと萃香が戦いを始めようとしている。
 永遠亭内でも、永琳と鈴仙が戦火を交えようとしている。

 レティはそのどちらも知る術は無い。

 ただひたすら祈る。
 ――どうか今だけは、静かにこの子を眠らせてあげていて…………


 夜の闇に炸裂音が響き始めるのは、残念ながら、すぐだった。







   【 N-2 】



「――で、いつまでそのむくれ顔でいるの?せっかく戦るならテンション上げていこーよ。あ、お酒呑む?」

 適当に飛び、永遠亭から少し離れた先の竹林の中。
 伊吹萃香は手持ち無沙汰そうに、ジャリジャリと足元の砂を蹴散らかしながら尋ねた。
 見上げた少し先――フランドール・スカーレットは、終始来た時と同じような無表情のままでいた。
 だらんと下げた右手に愛用の魔杖を携え、直立のままに浮かんでいる。

 比較的開けた場所を選んではいたが、ここは迷いの竹林。
 二人の間、そして周囲には乱立する竹の緑が、薄暗い闇の中でサラサラと揺れており、その静けさに拍車をかけている。
 無個性に並ぶ竹。空からこの場所に入ってきた彼女たちであったが、もうすでに今いる場所が竹林のどの辺りなのかわからなくなっていた。
 だが、そんなことは瑣末だ。

「ねぇねぇ~。呼び出しておいて返事無しはないんじゃーない?やる気無いんなら帰らせてもらーいたいんだーけどー」

 萃香は腰に手を当てながら、フランを仰ぎ見る。ブツブツと文句は言っているが、萃香の顔は意地悪く笑っていた。
 彼女としても、自分をわざわざ尋ねてきたフランを無下に扱う気は無い。ちょっとした悪戯心のようなものである。

 そうしてニヤニヤと笑いながら佇む萃香に、フランは無表情なままで、「――ねぇ」とポツリと呟いた。

「…………私と一緒って、そんなに嫌?」

 ポツポツと、口を開く。
 月を背にする彼女の顔は、萃香からははっきりとはわからない。

「あー?別に?むしろこうして戦う分には張り合いがあっていいくらいだけど?」

 その質問の意図を萃香は計りかねた――が、彼女は結局、思ったままを返した。
 萃香は自信満々に笑う。この吸血鬼を前にこのセリフを吐けるのは、幻想郷でもきっと多くは無い。

「でも……昨日は私を置いて帰っちゃったし……」
「あぁーそれかぁ……昨日も言ったけど、そういう予定だったしねぇ」

 萃香は困ったように頬を掻きながら、同じく困ったような笑顔を向けてみせる。
 昨日の途中帰還については、昨日説明した以上の理由は無いし、改めてもう一度口で伝えるのも、なにか違うような気がした。
 ――まぁ、昨日のことは置いておいて。

「安心しなよ、今日はお達しがあったからね。飽きるまでやれるよ~」
 この言葉に、不意にフランの瞳に色がつく。
「ほんと?」
 冷たく凍りついたような表情に、一筋の明かりが灯るのが見てわかる。

「ホントホント。まぁ飽きる前にフランがダウンしちゃう可能性の方が高いかなぁ~」

 小さな火が灯れば、それを絶やさないようにと注意深く扱うものだが、彼女はそうはせず、あっはっは、と高らかに笑って見せた。
 小さな体でふんぞり返り豪快に笑う様は、鬼らしい気持ち良さがある。
 そして、そんな萃香の反応は、概ね正解なようだった。

「ホントだね!約束だよっ!参ったって言っても、私が満足するまで付き合ってもらうんだから!」

 無邪気な声が響く。
 音が跳ねるのがわかるような、楽しそうな声。
 二人が弾火を交わしていた時の、彼女の声。
 瞳を輝かせ、こうして無邪気な声を上げている彼女は、それだけならどこにでもいる少女のようでさえある。
 そんな顔をされて、萃香も嬉しくないはずがなかった。

「それなら――――」

 フランは無邪気に笑い、右手の杖に魔力を込めた。
 昨日も見せた、炎の魔剣が象られてゆく。
 轟々と黒ずんだ炎を刀身とし、『レーヴァテイン』が発動する――が、それは昨日見せたスペルとは大きく違っていた。

 具体的には、サイズが。

 彼女の背の丈を超えても、まだ大きくなる。
 まだ、まだ、まだ。
 目に見える速度でぐんぐんとその刀身を伸ばしてゆく。
 宙に浮かんだ彼女の位置から、地面に着きそうな程の大きさまで、炎剣が一息に伸びきる。
 萃香がそれを唖然と眺めているうちには、それは辺りの竹ほどの高さ。大木ほどの太さ。そして、太陽のように燃えている。

「よいっ、しょっ!」

 小さな体に見合わない武器を両手で振り上げる。
 その動きだけで、彼女の高さにあった竹の葉が燃え散ってしまう。

 月に向かって突き立てるようにしてそれをかざし――それを、一気に横薙ぎに振り抜いた。

 一息を吐き、その呼吸ほどの速度で巨大な炎剣を振るう。
 宙に浮かんだまま、姿勢を屈め、薙ぐ。
 その刀身の大きさからは予期できないほどの速度で次々と周囲の竹を斬り、折り、燃やし、壊してゆく。

「うぉわぁっ!」

 ギリギリで自分の頭の上を掠めてゆく魔剣から、どうにか身を屈めて避けた萃香は、思わず驚いた声を上げてしまった。
 ――相変わらず、思い切りだけはいい子だよっ。
 一瞬で頭上を過ぎ去った嵐を確認すると、頭を上げる。
 バキバキバキッ、ガサササササッ、という竹の悲鳴がそこら中でこだましていた。

「こりゃまた、見晴らしがよくなっちゃってまぁ…………」

 頭を上げたその先、見渡した周囲に、すでに竹林は存在してはいなかった。
 辺りは全て、半端に切り倒された竹だけ。
 ぽっかりと広がるその空間を、半端な満月が照らしているだけだった。

「だってー、さっきまでのじゃ思いっきり遊べないじゃない」

 遮蔽物の無くなった空に、フランは浮かんでいた。
 視界を変えてみせた黒い杖は、纏う魔力をすでに並みの大きさに抑えられている。

「あれはあれで、趣があったと思うけどねぇ。――まぁ遅かれ早かれこうなっただろうけどさぁ」

 楽しげな顔で空に立つフランを見ながら、萃香はポリポリと頬を掻いて言った。
 でしょう?とフランは笑っていた。

「さ、始めよっ!満月じゃないのが残念だけどっ!こんないい夜なんだもん!」

 へいへい、っとかったるそうに声を上げる萃香は、その態度とは裏腹に、楽しげに瞳を歪めていた。
 同程度の力の持ち主と戦うことを心待ちにしていたのは、彼女も同じ。
 幻想の中でも比類無い力を持つ“鬼”は、誰よりも力比べが好きな種族だった。


 彼女の瞳に、静かに火が灯る。







   【 N-3 】



 光る月が辺りを照らす。
 その光は静かで、柔らかく、遮るものなどなにもない、その場所を照らしていた。

「あーあーあー……。結局一面焼け野原だよ。もうここが何林だったかわっかんないや」

 萃香はぐるりと辺りを見渡してから、しみじみと独り言を呟いた。


 林立していた竹はみなことごとく薙ぎ倒されていた。
 あとにあるのは、晴れる空、浮かぶ月――そして、焼ける大地に捲くれる地面、は確かに彼女も一役買っていたが。
 そこはまさに、昨日フランと出会った妖怪の山そのままの惨状だった。
 あとは妖精やら夜雀やらの半死体でも転がっていたら完璧だ。


 胸中に浮かぶ既視感にひとりで納得し、相槌を打った後、

「ねー、もう地ならしはいいんじゃないかなー?」

 月を背景に浮かぶ少女に向かって問いかけた。


 見上げた先の彼女は、黒い杖を持ち、紅い服を着て、金の髪を揺らし、七色の羽をはためかせている。そのどれもが、大きく浮かぶ月の色とは異なって見えた。
 もしかしたら、全部を混ぜると月光色になるのかもしれない。

「あはははっ、これでも結構ホンキだったんだよー?やっぱり萃香は強いんだねーっ」
「もう満足しちゃったかな?」
 そんなわけはない、と萃香は確信しつつも軽口を吐いてみせた。


「え~なんでそうなるの?」
 案の定の声でフランが抗議し、

「こうじゃなきゃ――楽しくないじゃない!」
 楽しそうな、愉しそうな声を上げ、彼女はその腕を振るった。


「いくよ!禁弾『カタディオプトリック』!」


 高く鳴る、まだ子どもの声。
 それによって呼び出される無数の魔力の塊。大小取り揃えた、青い弾。

 フランの周囲には、弾幕らしい弾幕が展開されていた。
 それぞれが統一された規格の、大きな弾たち。それら弾の群れが、一気呵成に萃香へと飛来する。
 ここまでは、確かに普通の弾幕だった。

 だがその禁弾たちは、まっすぐな弾道を地面で不規則に変えていた。
 斜め下気味に射出され、地面に当たると、まるで鞠のように跳ねてまわる。
 着弾点にある折れた竹などによって、弾筋はすでに当のフランもわからないほどにランダムになっていた。

 どこか愉快そうに跳ね回る青い弾たち。
 大弾が風を切る音が、なおのこと狂瀾怒涛の様相を示している。
 遠くにまだ立っていた竹を薙ぎ倒し、時には弾同士がぶつかり、弾け、弾けた勢いでまた別の方向へと跳躍してゆく。
 弾道が完全に読めない以上、周囲にはすでに安全な場所というものは存在しない。

 悠然と大地に立つ、鬼の懐以外は。


「良しっ!元気があってなによりだっ!」

 彼女は大きく叫び、右の腕に力を込める。
 硬く握り締められている拳には、すでに想像もつかないほどの力が圧縮されている。


「鬼火!」
 振り上げた右腕を、大地へと振り落とす。ゴガッ!という音を上げて、地面にひびが走る。


「『超高密度燐禍術』!!」


 高らかに宣誓の声を上げ、地面へ押し込んだ魔力が、呼び声に応じた。


 僅かに地が震え、ゴパァッ!っという音を立てると、灼熱した岩石が八方から飛び出した。
 溶岩石のように熱を帯びたその岩塊は、萃香の魔力で鬼火のコーティングがされた魔弾である。
 赤光を帯び、単純質量としても圧倒的なそれは、彼女を取り囲むように沸き上がり、青い魔弾を掻き消してゆく。

 地面から飛び上がったその岩塊は、一定ほどの高さまで上がってゆくと、そこからは自由落下に身を委ねて、再び地面に衝突した。
 落下の衝撃で岩の塊が飛び散る。
 それぞれに人の頭ほどの大きさの岩となり、そうしてもなお、ランダムに飛び交う青い弾とぶつかってゆく。

「わぁ!すごーい!力技って嫌いじゃないわ!」

 空に浮いていたフランは一連の様子を眺めると、羽をはためかせ、そのまま地に立つ萃香の元へと滑空してゆく。
 右手に携える魔杖が、すでに紅く燃えていた。

「人のこと言えないくせに!」

 地面を叩いた腕を上げ、萃香は立ち上がってフランに向き直る。半身を下げ、足の幅を広げる。
 空いた左腕には、すでに拳が握られていた。
 溶岩のような弾を避け、自らの大弾をくぐり、フランは萃香へと翔る。
 萃香は変わらずに地に足をつけ、滑り込んでくる吸血鬼を正面から迎え撃つ。

 瞬間――二人が交差した。

 盛大な破裂音と、目を覆うような閃光が弾ける。
 轟と唸る風が生まれ、足元に散らばる竹片が舞い上がった。

 二人が一撃を見舞ったのは、すれ違いの一瞬だけ。


「………………ふふっ」

 夜に羽ばたく吸血鬼の力を、
 無双の怪力を持つ鬼の力を、
 互いが互いの力を、完全に相殺してみせていた。
 半端な妖怪などでは決して混ざることができない圧倒的な物理的破壊力が、現状、完全に拮抗していた。

「きゃはははははははははっ!やっぱり愉しいっ!すぐに壊れるのはつまんないもん!」

 滑空し、すれ違ったフランは、再び夜の空に立っていた。
 その体に怪我は無く、鬼の拳を受けた魔杖もまだ健在である。

「そりゃとーぜんさ。まだまだフランには負けないよ」

 迎撃し、その場に留まっていた萃香は、変わらず大地に立っていた。
 その体に怪我は無く、吸血鬼の魔杖を受けた拳も、変わらず無事なままだ。

「はぁー……愉しい。さぁ!まだ夜は長いわ!もっともっと、ずっとずっと、遊びましょう!」

 再びフランがスペルを広げる。

 無尽蔵に沸く、戦闘欲。
 紫の提唱する“暇人たち”の最たるものは、やはり間違いなく彼女のことだろう。それを解っているから、おそらく紫は彼女を自らの傘下に引き込んだのだ。


「まだ夜は長いんだ。そんなに焦らず、じっくりとやろうよ」
 萃香は半ば呆れながらに、フランの生み出した弾幕を見つめた。光る十字の弾が、横薙ぎに回転しながら彼女めがけて飛んできていた。

「いやよ。だって萃香ったら途中で放り出して帰っちゃうんだもの」
「まだ根に持ってるの?意外としつこいねぇ」

 萃香は困ったように笑いながら、飛来する十字の弾を回避する。
『過去を刻む時計』の針を、飛んでしゃがんで身を躱し、必要なら叩き壊してみせた。
 フワリフワリと体を翻すままに、萃香も弾幕を呼び出す。
 右の掌に魔力を込め、そのままに投擲した。巨大な弾を先頭に、弾幕の群れが投げ放たれる。

「だって、昨日の萃香ったら酷いと思わない?せっかくオモチャになりそうな相手と戦ってたのに、それを取り上げるだけ取り上げて、自分は帰っちゃうんだから」

 目の前の弾幕に驚くでも焦るでもなく、フランがしみじみと声を上げる。
 そのまま『戸隠山投げ』をレーヴァテインで二つに裂き、フランは頬を膨らませてみせた。

「だってあのままやってても、チルノが死んじゃったよ、きっと」

 自分のスペルを一振りで掻き消されたことなどまったく気にも留めず、萃香は次弾をその手に込める。
 あの程度が意味を成さないことなど、ここまでの戦いでわかっていた。


「そんなこと言って~。このお祭り期間は誰も死なないんでしょ~?」


 その言葉に――思わず萃香の手に力が入っていた。僅かに驚き、そのままに再び弾を放つ。

「――よく知ってるねぇ」

 フランは迫る弾をひらりと躱していた。


「昨日の萃香の話をしたら、リーダーの人が教えてくれたの。そうゆう“ケッカイ”なんだ、って」
「紫か……わざわざ教える必要あったのかなぁ」
「さぁ~?別にそんなこと聞いてなかったのにね。誰だかに説明したし、ついでにね。だってさ。失礼しちゃうわよね」
 何がお気に召さなかったのか、フランは不貞腐れた声で言っていた。

「ま、関係無いんだけどね」
 夜空を舞う彼女が、不意に動きを止める。
 彼女の背中から生える歪な羽が、静かに大きく羽ばたいた。

「“ケッカイ”だかなんだか知らないけど、私に壊せないものなんて、なぁんにも無いんだから」
 うふふふふふふ、と静かに笑う声。
 すでにその音は、常軌を逸れつつある。


「――ね、萃香。私になんでこんな力があるのか、わかる?」


 大きな月と、彼女が重なる。
 バックに月の白い光を受ける彼女の周りだけ、ぼんやりと紅く滲んでいる気がした。


「それはね、私がみんな、みぃんな壊しちゃいたいから。だから、ね。当然でしょ?空を飛びたい鳥に、羽がついてるのと一緒なの」
 萃香の答えを待たずに、フランは笑顔を貼り付けたままに喋る。


「私はちゃあんといろんなモノを大事にしてるよの?好きなものは壊さないで取っておくの。それでも壊れちゃうモノなんて、嫌いよ」
 嫌いなものばっかりでヤになっちゃう、そう呟いて、クスクスと笑う。


「だけどね、好きなモノでも、大事にしてるモノでも、壊れちゃう時ってあるじゃない?そうゆうのはね――自分で壊すの!壊して壊れるのはね、大好き!」


 支離滅裂な彼女の言葉。
 だが、本人はどこか恍惚とし、高らかに笑う。
 キャハハハハハハハハハッ、という声が響き――それに感応するかのように、彼女の七色の羽根たちがポゥッ、と光る。


「ねぇ、萃香。萃香は――どっち?」

 グルン、と瞳が蠢く。

 狂気に染まりきった笑みが、彼女の口元に張り付いている。


「禁弾――――」

 七色の羽根に呼び出された、七色の弾が無数に浮かぶ。
 フランと同じ高さに並び、空を埋め尽くさんばかりに召還される。
 そして――――


「『スターボウブレイク』!!」


 一息に、それら全てが降り注ぐ。まるで雨のように――流星のように。


 虹色にグラデーションされた弾たちは、次々に生み出され、そして次々に落ちてゆく。
 もはや萃香一人に的を絞った攻撃とは言えず、その射程範囲にあるもの、全てを破壊し尽くさんとしているようだ。

 弾が当たった地面が抉れ、弾け上がる竹の破片が次に落ちる弾に撃ち抜かれ、ただの竹屑にまで砕かれる。
 ドドドドドドドドドドッ、という射出音と、風を切る音。そして同じく鈍い、着弾の音。
 それらが絶え間無く、一帯に響く。

 乱射に次ぐ乱射、ほとんど空襲と呼べる勢いの、魔力による暴力。高らかに笑い声を上げながら、フランは弾を放ち続ける。

 星すらもその手で壊す彼女の狂気。月光に浮かぶ、純粋な怪物。


 ひとしきり満足行くまで弾を撃ち尽くし、彼女はやっと止まった。
 永遠とも思えた弾雨の時間は、振り返ればそう長くは無かった。
 が――その僅かな間で、彼女の眼下の風景は一変していた。

 フランが足元に望む風景は、すでに竹林とは言えなかった。
 竹はおろか、土すらも死んでいるかのように、全てがただただ荒涼としている。

 そしてそんな全てを破壊された大地に、一人立つ少女がいた。


「うふふふふふふふ、やっぱりあなたは壊れないのね。好きだよ……萃香」

 ニヤリと目を細め、彼女を見る。
 所々がボロボロに破け、肩から露出している腕には、擦過傷の痕。
 それらよりもフランは、萃香の口元から流れる紅い血が、何よりお気に入りだった。

「――まったく、とんでもない子だなぁ」

 萃香は口内に溜まった血をペッ、と吐き出す。
 何発かいいのを被弾したらしく、見た目の傷以上にダメージをもらっている様子である。

 それでも、彼女は笑う。
“鬼”という種族の在り方を、そうして示すかのように。


「まださ――まだまだ。もっともっと、フランの“狂気”の底を覗かせてみなよ!」
 萃香はニカッ、と笑い、口を拭う。その瞳はまだ、壊されてはいない。


 フランはゆっくりと、口元を歪ませる。
 目の前の少女を、愛しむように。


 狂気に、とっぷりとその身を浸すように。







   【 N-4 】



「ふぅぅぅ…………」
 たっぷりと息を吸い、喰らった魔弾のダメージを確認する。

 ――とりあえず、手足は動くね。……なら問題無い。

 こきり、と首を鳴らす。
 口の中が鉄臭い。こうして血を流すことさえ、彼女には何十年、何百年振りのことだった。
 ――どれだけ月日が経とうと、昔の思い出ってのは懐かしいもんだねぇ。


 彼女は一人、過去を想う。


 日本古来からの幻想――鬼。
 人の身ならざる彼らを、人は畏れ、敬い、そして戦ってきた。
 魔の者として忌避されることも少なくはなかったが、時には身を寄せ合い、鬼が人に手を貸すこともあったし、人が鬼に頼ることもあった。
 基本的には互いの分を破らず、隣人として静かに同じ世界にいた、鬼と人間。
 互いが静かに敬意を払い、互いが互いの存在を認め合う関係。

 だから多くの鬼は、人間のことが好きだった。



『萃香……本当に行くのかい?』


 だが、今は違う。


『もう私たちは、人間たちと同じ垣根の中にはいられないんだよ?』


 人の中で鬼はいつしか、災禍の象徴、それだけの存在となっていた。



 誰かが声高にそう断言したのかもしれないし、衆人の共通意識の結果だったのかもしれない。
 災いの捌け口を鬼と見出した人間たちは、幻想の幸福のために、鬼を狩る。
 それも全体だったのか、一部だったのかは判らないが――鬼たちには詮無きことだった。

 畏れが恐れとなり、鬼こそを悪と定められ、
 敬いが蔑みになり、その排斥は手段を選ばない。


 鬼たちは、騙され、嵌められ、欺かれ、偽られ、誑かされ、賺され――あらゆる権謀術数によって、人間たちの罠にかけられた。



『幻想郷ですら、人とは暮らせない……世知辛い話さ』


 人間の罠程度に命を落とす鬼たちではなかったが、人のその行いは、ゆるやかに鬼たちの心を腐らせた。


『もうきっと……いや、理想を言えば、しばらくは。私たちは旧地獄で暮らすしかないのさ。お山からの景色がしばらく見れないと思うと、寂しい限りだけどね』
『それでも…………私は……地上に戻るよ』
『……馬鹿言っちゃいけない。地上にはもう、私たちの居場所は無いよ。数を増やした人間たちが、また性懲りも無く嘘でも吐きに来るだけさ』
『だろうねぇ……私もそう思うよ。だから姿を現していようとは、思わないかな……』
『そんなことしてまで地上に出るくらいなら……一緒にいよう。萃香』
『ありがとう、勇儀。でも…………それでも、私は――――――――』



 不意に、激しい閃光が煌く。

 手にしている炎剣で、フランが盛大に斬り上げた。
 その巨大な刀身にそぐわない速度で振り切られ、地面にまで届いた切っ先が、ガガガガガガガガッ!!と大音響を上げながら、荒涼とした大地を砕き進む。

「わわわわっ!」
「きゃはははははっ!ボーっとしてると轢かれちゃうよ!」

 間一髪のところで炎の塊を避けたところに、フランの声が響いた。相変わらずに気が狂ったような笑い声を上げている。
 それが、どうにもひたすら、楽しそうに聞こえた。

「……やってくれるじゃん!」

 萃香も飛び上がり、一足でフランの懐へと入り込む。

「わっ、肉弾戦!?」
「嫌い!?」
「ううん!好きよ!」

 フランの顔めがけて、唸りを上げる拳が飛ぶ。それを彼女は瞬きの速度で避ける。風切り音がフランの鼓膜を揺らす。
 避けた先に、再び拳が襲い掛かる。それも躱し、また来る次も躱す。
 回避の合間を縫って、フランも拳を突き出す。返す刀を萃香も躱し、また次を見舞う。

 片手に支える長大な魔剣では、懐に入っている彼女に対応できない。
 こうなれば、萃香の独壇場である。

 幾度も鳴る風切り音の十数発目、回避の間に合わない一撃がフランに伸びる。
 どうにか空いた左手でその拳を止める――が、勢いは止まらない。
 受け止められたことなど関係無いと言わんばかりに萃香の拳は進み、小柄なその少女の体ごと、地面へと吹き飛ばした。

「きゃあー」

 わざとらしい間延びした声を上げて、フランは弾丸のように地面へと叩き落された。
 ズドンッ!という短い地響きの音が鳴り、土砂だか竹の残骸だかわからないものたちが舞い上がる。

「あはははははは!ヒドいことするのね!」
「ははっ、あんたが言えた口かい」

 おちゃらけて口を尖らせるフラン。
 カラカラと笑って言い返す萃香。
 真っ直ぐにぶつかりあう彼女たちは、ひとつ間違えば命を落としそうなほどの、この戦いの最中でさえ――――

「…………ねぇ、フラン。いっこ聞きたいんだけどさ」
「ん?なぁに?」

 変わらずに笑いながら、萃香は下げていた瓢箪を手に取る。
 無限に酒の湧く、伊吹瓢。いつでもどこでも酔っ払っている彼女の、ある意味必携の品だ。
 萃香は戦っている最中にもかかわらず、瓢箪を口に傾けた。喉を鳴らす音が聞こえるほど、豪快に酒を煽る。

「ぷはぁっ!――で、なんだっけ?あぁそうそう質問、質問」

 フランは少しじれったいような顔をしている。まるで止まると死んでしまう魚のようだ。こうしている暇すら惜しいらしい。
「なんでもいいから、早くして」
 へいへい、と口だけで返事をし、萃香は切り出す。


「ねぇフラン、あんたは今楽しい?」


 少し酔ったような、僅かに赤みが差した笑顔で尋ねる。
 その瞳は、なんだか彼女自身に――――


「……?言ってることはよくわかんないけど、今はとっても楽しいわ!」
「……ははっ、そうかい!そりゃ良かった!私もおかげさまで、今は楽しいよ!」


 萃香は再び酒に手をつけながら笑う。
 彼女の言う“今”が自分とは別の意味になっていることを、萃香もフランも気づけずにいる。

「楽しいわ!楽しいよね!ならもっともっと、私とこうして遊びましょうよ!」

 萃香が何を伝えたかったのか、結局フランは解らないままだったが――彼女にとって、今、萃香とのこの“遊び”以上に優先するものなど無かった。
 今のこの狂喜に、言葉など必要無いのだ。
 自分がいて、遊び相手がいて、互いに壊れず、遊び続けられるのならば――全てを壊してもいい。
 そうとすら、彼女は思っていた。

「禁忌!『フォーオブアカインド』っ!」

 スペルを宣誓し、彼女の姿が増える。
 彼女の魔力を媒体に作り出す、質量を持つ分身。
 一糸乱れず風体を写し、どれが本物なのかすらわからなくなりそうなほどに精巧だ。


「さぁ!夜はまだ、まだまだまだまだまだまだまだまだ!これからなの!」


 声の出所までわからない。どれから声が聞こえるようでもあるし、どれも喋っていないようでもある。
 反響する笑い声だけが、ひたすら耳に残る。

 その風景を、ただ萃香は眺めていた。
 慌てるでも勇むでもなく――ただ黙って。

 地に立っていた四人のフランが、それぞれに飛び上がる。
 バラバラの方向へと勝手気侭に飛び交いながら、それぞれの手に魔力を込める。


「そう、夜はまだこれから」

 萃香が、にやりと不敵に笑った。
 フランたちから、それぞれに弾幕が放たれるのを待っていたかのように、萃香も高らかにスペルを唱える。


「いくよ!『百万鬼夜行』!」


 彼女を中心に、大小様々な形の弾が作り出される。
 妖の群れ――百鬼夜行。
 一人の鬼が生み出した百鬼夜行は、四人の吸血鬼が放つ弾たちとぶつかり合う。

 桁違いの弾数が飛び交う。
 中空では多種多様な弾たちが入り乱れ、それぞれにぶつかっては破裂し、ぶつかっては破裂し、を繰り返している。

 空は一面、弾で覆われた。

 乱射されている弾たちそれぞれに、高い魔力が込められているようである。
 ぶつかり合う度に、ドン!と重い音を響かせていた。
 のべつまくなく繰り返されているそれらのせいで、萃香の周囲全体からは、ドドドドドドドドッ!と絶え間なく音が鳴り続けている。

「そうだね、フランの言う通り。夜はまだこれからさ。――でも、」

 炸裂音が大き過ぎて、その萃香の声がフランに伝わっているかは定かではない。
 だが、そんなことお構い無しに、萃香は笑っていた。

「楽しくても、さすがにちょっと休憩が欲しいね。――ってことで、フラン。人生の先輩な私からありがたーい訓示をあげる。それで、ひとまず終わりにしよう」

 辺りには、まだ弾が散っている。
 重い破裂音も一向に止まない。
 フランからの返事も無い。


「ねぇ、フラン。……あんたは何を怖がっているんだい?」
 四人に映る吸血鬼たちの返事など待たずに、萃香はひとり喋り始める。


「私にゃ、あんたが人間を――や、失敬。これは違うか。他人を怖がっているようにしか見えないよ」



『――ねぇ……私と一緒って、そんなに嫌?』



 フランは何も答えない。
 相変わらずに弾を撃ち続けている。

「まぁねぇ。長いこと幽閉されてきたそうだから、そういうカタチになるってのも……まぁ無理ないのかもしれないさ」

 おもむろに、空を見上げる。
 頭の上まで弾で埋め尽くされていたが、それでも月は見える。
 ちょっと欠けた、ほぼ丸い月。
 満月ではなくとも、それは美しく輝いている。

「かく言う私も、一度は人間に愛想を尽かして姿を暗ませた身さ。そう大層なこと言えたもんじゃないやね」

 空を見上げたままの萃香の元に、一発の弾が飛び込んだ。
 空を埋めるほどに敵味方の弾が入り乱れる空間で、無傷で彼女の懐まで潜り込む、というのはかなりの確率である。
 偶然に偶然を重ねるような一発が、ともあれ彼女へと襲い掛かる。

「でも…………」

 もたげていた頭を下げる。
 すでに眼前にまで迫っていた弾丸を、彼女は右の裏拳一発で消し飛ばした。


「まだ全てを見限るには早いよ!思いのほか……今の幻想郷には楽しいヤツばっかりだからね!」


 一際声を大にし、彼女は言う。

 砕かれた魔力弾が霧散し、キラキラとした残滓を引く。
 鬼の少女の瞳は、爛々と輝いていた。


「話はここまで!鬼神!『ミッシングパープルパワー』!」


 不意に新しくスペルを宣誓した。
 ここまでの――いや、幻想郷中のスペルカードを見渡しても類を見ない、鬼たる彼女の力が呼び起こされる。

 ズシンッ!という地響きを立て――瞬く間、萃香が巨大化した。

 宙に立っていた彼女の足は地面まで届き、その頭のてっぺんはすでに竹よりも高い。
 折れ曲がった二本の角が揺らぎ、その存在感をありありと示す。
 元の大きさの、すでに何十倍にもなった巨大な体躯の鬼。まるで昔語りに登場するような、東洋の幻想。

「すごい!なにそれ!?」

 フランの驚嘆に一瞥もせず、萃香は巨大化した体を揺らし、拳を振るう。
 広げっぱなしにしていた自分の弾幕ごと、その拳は全てを薙ぎ払い、右手にいたフランの一人へと真っ直ぐに殴りかかる。

 その拳が、ほとんど抵抗も無しに分身のひとつを消し飛ばした。
 虚像は破裂し、ただの魔力の塵と化す。

 右手を仕舞うこともせず、萃香はその体勢のままに瞳を走らせる。
 左手にいるフランを視界に収め――左手で握った拳を、乱暴に振り切る。
 こちらも分身。その姿も巨大な拳によって掻き消される。

 残るは前後。
 的の大きくなった相手を前に、二人のフランはまだ弾を放っている。
 だが、それも展開されているままの『百万鬼夜行』に阻まれ、成果を上げない。

 萃香の巨体は後ろを振り向き、ゆっくりと膝を曲げる。
 ロングで見ればその動きは緩やかに見えるが、すぐ眼前でそれを見るフランからすれば、それは彼女の想像以上の速度だった。

 膝を屈め、力を溜め、萃香は飛び上がった。
 その巨体でジャンプをするなどとは、フランも想像していない。
 巨大化する、などという幻想をこうして見るのは初めての彼女は、思わずその姿をまじまじと眺め――そしてそのままに、両の足で踏み潰された。

 ズゥゥンッ!という大音響が轟き、大地を揺らす。
 萃香の足の裏では――フランの最後の分身が、静かに散っていた。


「そんなこともできるなんて……鬼っていうのは素敵なイキモノなのね!」

 フランの嬌声が背中で聞こえる。
 萃香の読み通り、本物の彼女は萃香の正面に陣取っていた。振り返ろうとするその巨躯に、フランが空を翔る。


「禁忌――『レーヴァテイン』!」


 手にする魔杖の名を呼び、力を込める。
 炎剣と姿を変えたそれを手に、彼女は弾丸のような速度で空を飛び、萃香の大きな顔の前まで回り込む。
 フランが、ニィッ、と笑う。

 フランは一息に巨大な魔剣を振り上げ、そして萃香の頭へと、一直線に振り下ろした。
 轟っ、と風を切る音がする。燃える魔力が尾を引く。
 萃香が、ニィッ、と笑う。

 萃香の顔が笑っていることに気づいた時――すでに彼女の姿は消失していた。


 ――これ……前と同じ…………っ!

 キラキラとした霧が、周囲の空に漂っていた。昨日の夜に見せた、萃香の力の一端。
 ――すぐに蝙蝠に化けるあいつみたいな、メンドくさい能力!


 自分を取り囲むように漂う霧に、フランは立ち止まり、辺りを窺う。
 昨日のようにこのまま消えてゆくことは無いだろう。
 なら、どこかから攻撃が――――

 ジャラン…………

「え?」


 そう考えている彼女の体に、どこかから飛んできた鎖が巻き付いていた。
 完全に意識の外から現れた物体、その元を辿り、彼女は背後を振り返った。


「やっ。これで鬼が鬼の鬼ごっこは、決着だね」


 そこには、あの不敵な笑顔を湛えた鬼の少女――伊吹萃香が立っていた。
 霧状の体を構築しなおしている最中なようで、鎖を持つ腕以外はまだ多少薄い。


「――面白いもの見せてくれてありがと。でもまだよ。これで終わりじゃないでしょう?」

 フランは笑いながら、萃香に向き合う。
 両腕までもをガッチリと固められているが、彼女の表情には不安などはまったく存在しない。
 鎖で縛られた程度で、自分が動けなくなることはないという自負がある。

「いや、これで私の勝ちさね」
「何言ってるの?こんな鎖くらいじゃ、私は――――」
 そこでフランも気づく。
 この鎖が、普通でないことに。


「解けないでしょ?酔夢『施餓鬼縛りの術』。これで一応、私の力の込もったスペルのひとつなのさ」

 ガチャガチャと腕を動かしてもがいてみる。
 普通の鎖ならば、多少頑丈にできていようが、抜けるどころか壊すことさえ容易だ。
 それは吸血鬼としての力でも可能だし、第一彼女には固有の“力”がある。壊せないモノなどはこの世に存在しない。

 だが、それでも壊せない。
 ただ物理的に、鎖が硬くて壊せないというよりも、これは――――


「自己紹介すると、だ、私の能力は“密と疎を操る程度の能力”なのさ。万物を一箇所に萃めたり――――」

 ――力が、抜けてく…………?

「魔力をこうして疎散させることができる、ってわけさね」


 フランの体が傾いでゆく。七色に光る羽も、ゆっくりと頭を下げてしまう。
 抜けてゆく魔力を感じながら、彼女は萃香を強く睨んだ。


 彼女は相変わらずの明朗快活な満面の笑顔を見せて、

「今回は私の勝ちだね!」

 そう言ってのけていた。







   ※







「ぶぅぅぅぅぅぅ~~~~っ!」
「いやさぁ、だからこうして謝ってるじゃないか。そんな口に出してまで拗ねないでよ」

 下唇を突き出しながら、恨めしそうな上目使いのフランと、
 頭を掻きながら困ったような笑顔でなだめる萃香が、荒廃した竹林に座り込んでいた。

 鬼と吸血鬼、洋の東西に分かれた二人の鬼。
 彼女たちの熾烈な戦いが明け、鉄火場となった竹林も、今はいつも以上に月夜の静けさを湛えている。
 彼女たちが四方八方構わずに薙ぎ倒してしまったため、竹林だと言うのに竹の葉のざわめきすら無い。
 ぽっかりと空き地になった元・竹林に、二人は腰を下ろして向かい合う。


「もう信じらんない!あんなに盛り上がってたのに、あれで終わりにさせられるだなんて思わなかったわ!」
 フランはまだへそを曲げているようで、頬を膨らませて騒いでいた。

「いやぁ~、まぁ搦め手使ったのは悪かったってば~」
 萃香はすぐ前に座っているフランをなだめながらも、すでに飽きているのか、瓢箪を口に運ぶ。
 食道を液体が通るのが見てわかるほどに喉を鳴らし、酒を注ぎ込む。見ていて気持ちのいいほどの呑みっぷりである。


「ぷはぁ~っ。あ、ほらほらフラン。今日は月がキレイだねぇ」
「そんなことはどーでもいいの!」
 自分を放っておいて月を見上げる萃香に、フランがムキになって抗議したが、鬼のくせに勝手気侭な彼女には、のれんに腕押しだった。

「まぁまぁそう言わず。今はお酒でも呑んで語ろうじゃないかい」
「……またそうやって。萃香は私と遊ぶのが嫌いなんだ」
 ついに拗ねて目を背けてしまった。


「そんなこたぁないさ。でも魔力が抜けて気絶してから、まだ四半刻も経ってないじゃないか。今はちょっと大人しくしてるのがいいと思うよ?」
「魔力が抜けて、じゃないわよ。自分で抜いた癖に……よく言うわ」
「すごいでしょー」
「もちろん褒めてない!」

 なぜか萃香は、楽しそうにケラケラと笑っているばかりだった。
 そしてフランは、面白くなさそうに頬を膨らませるばかりである。
 二人の小さな鬼は、地面に座り、膝をつき合わせていた。


「……ねぇフラン」
 不意に萃香が切り出す。


「もいっかい聞くけどさ……今は楽しいかい?」


 真っ直ぐにフランを見つめ、同じ質問を繰り返す。
 ここまでと同じ、かつて彼女に問うた時と同じ、楽しげな笑顔――そして彼女自身、その答えを探しているような、どこか遠くを見据えているような瞳。

 不貞腐れてそっぽを向いていたフランが、その紅い瞳だけを萃香の方へと向け、

「萃香があんまりだから、今は楽しくない」
 じろり、といった感じの目線とともに、彼女はありのままを言い放った。


 その言葉で、萃香はやっと気がついた。
 フランと自分、それぞれに受け取る、“今”の意味が、互いに違っていることに。


 萃香は彼女の言葉を受け、僅かに下を向いたかと思うと、肩を震わせ、
「…………ぷっ!あーはっはっはっはっはっはっはっはっ!」

 顔を上げて、大笑いした。

 さすがのフランも予想外のリアクションだったらしく、思わずビクリと肩を跳ね上げる。
 さっきまで狂気に歪んでいた瞳を、今はただ驚きで丸くしていた。


「いやぁー!やっぱりフランは面白い子だ!そうさ、今ってのは“今”だよね!この瞬間が楽しいかどうかさ!それさえ楽しけりゃ、それ以外に気を揉むのは違う話か!そりゃいいや!」


 彼女は不意に、頭の隅で昔を思い出す。
 人に騙された記憶。仲間と別れた記憶。人から身を隠して過ごした記憶。
 どれも寂しい記憶だ。
 ――でもそんなこたぁ関係ないか!


 人から隠れ、一人を過ごした少女は、“今”と聞き、過去と比べた現在を想定した。
人から離され、一人で過ごした少女は、“今”と聞き、聞かれた瞬間を思い描いた。

 互いに寂しい過去はある。だがそれでも、二人の発想は確かに違っている。
 そのことが、無性に萃香には痛快だった。


「……何がそんなに面白いのかわからない」
「あぁゴメンゴメン。一人で盛り上がっちゃったね。フランは良い事言うね、って話さ」
「やっぱりわかんないわ」
「でもさすがにちょっと刹那的過ぎるかもねぇ。だからすぐに相手を壊そうとかするし」
「なんだかわかんないけど、お説教までされるなんて……最悪っ」

 膝を抱えて座ったままで、彼女はずりずりと背中を向けてしまった。飛びかかってこない程度には、まだ彼女に力が戻っていないのだろう。

 少女らしい、小さな背中。
 他の妖怪には無い歪な翼が生えていようと、その後姿は、小さな女の子だった。
 萃香はその背中に、静かに声をかける。


「ねぇフラン。怖がられることを怖がっちゃだめだよ。そんなあるかどうかわからない悪い結果を気にするフランじゃないでしょ?」

 フランは返事をしない。


「悪い結果を考えるくらいなら、いい方に考えとこうよ。もしフランが相手を壊さずに楽しむことができたなら――その相手はフランの友達になってくれる。間違いない。そうすれば、それから後もずっと楽しい。……でしょ?」

 萃香は静かに語り、ちびりと酒を呑む。
 自分でもなんだか気恥ずかしいことを言っているような気がしてきて、酒でも呑んでいないと落ち着かない。


「…………それが、人生の先輩のありがたい訓示、ってわけ?」
「ちゃっかり聴こえてたんだ。なんだか照れるねぇ」
「もちろん。でも……萃香の言うソレって、嘘臭いわ。私と友達になるようなヤツはいないよ。絶対」
「おっと、そりゃ心外だ。私を誰だと思ってるんだい?」

 その声に、フランが振り向く。
 振り返った先の萃香は、自信満々の笑顔をして親指で自分を指し、高らかに――――


「私は、鬼だよ!誓って、絶対に、嘘は吐かないんだ!」

 ふん、と力強く鼻を鳴らし、声を大にして、そう言った。


「私の言葉が嘘でないことを証明してあげよう!――さしあたって……フラン、あんたが動けるようになったら、またすぐに遊ぼうじゃないか!まだ夜は長いんだし、第二ラウンド、ってヤツだよ」
 あぐらをかく彼女は、空いた手で膝を叩いて言う。

「……ホント?」
 フランがゆっくりと尋ね返した。

「だーかーらー。私ゃ嘘は吐かないのさ。あんたが私を壊さなかったおかげで……私は今や、あんたの友達だからね!」
 はっはっはっはっ、と豪快に笑いながら、萃香は瓢箪をまた煽った。


 顔を上げて酒を流しながら、真上にある夜空を眺めてみる。
 いつもより、月が明るく輝いているように感じた。それはことさらに明るく、夜空を照らしている。
 夜だというのに不思議と明るく、自分たちを照らしている気がした。
 ――いいねぇ……酒が旨い夜だ。


 不意にバサッ、という音が聞こえた。
 瓢箪で隠れた視界の端で宝石のようなものが動くのを見る。
 思わず顔を下げると、そこには――――


「萃香……大好き!ね、じゃあこれから二回戦だね!」


 フランが立ち上がり、萃香の顔を覗きこむようにして笑っていた。
 七色の羽根が、月の光を受けてキラキラと嬉しそうに輝いている。

「…………え?あれ?もう動けるの?」
「うん!っていうか、さっきからもう動けてた!」

 フランは満面の笑みで返す。真っ赤な瞳が、急かすようにして萃香をじぃっと見ていた。

「あ、そ、そう…………」
 萃香は思わず言い淀んでしまった。
 ――いや、やるとは言ったけど、そんなすぐってわけじゃなくて、っていうか休憩したかったんだけど、いくらなんでもまだ私もあんまり回復してないっていうか……。


 あれこれと頭の中を言葉が巡り、
「あー……せめてさ、もう一口だけでもお酒呑んでから…………ダメ?」
 どうにかして出てきた言葉は、


「んーん。ダーメ!」

 はしゃぐようなフランの声で打ち返されていた。


 フランは座り込んだままの萃香の手を引き、無理矢理に空に浮かび上がる。

 月下の竹林。竹の失われた荒野。


 踊るように跳ねだした彼女たちの夜は、まだ、当分終わらない。
















  the last day's card is present.

  K.S.-M.K.   T.-Y.  E.-I.   Y.-Y.   Y.-A.P.   M.-I.   S.-M.



  next person of leisure... ... E.-I. 【 Q 】


「ねぇウドンゲ。あなたは“神罰”って信じる?」


「私が欲しかったのは、罰よ。冤罪でも恩赦でも、ましてや超法規的措置や高度な政治的判断でもない。輝夜から死を取り上げた、私に裁きを下して欲しかったの」


「そこまで言うなら……私は……あなたを裁かせません!裁きなんて、させたくありません!」


「そう!あなたは少し、自分を大事にしなさすぎる!――少し頭を冷やしてください……八意永琳!」




  to be next resource ...
あわや間に合わないかと……いや、別に間に合ったからどうのってことは無いし、質を下げるくらいなら時間かけたほうがいいのかもですけども。

萃香vsフラン 決着まで。でした。
自分としては消化不良というか、なんだか落ち着かない点も結構あります。(でも上げちゃった。
フランちゃんの狂気度が今ひとつでしたかね。ミスチーをボッコにしてるときのフランちゃんの方がクレイジーで好きでした。
っていうか、地味に萃香が好きです。ぅゎょぅι゛ょっょぃ って感じがいいですよね。まぁ幼女ばっかりですがね。

次回は下克上二本目。なぜかこのシリーズで三日全戦皆勤賞の一人、ウドンゲ編です。
なんでだろ?まぁいいや。かしこ。
あ、前回の手直しできてないのを直さなきゃ……すげぇ今更。
ケンロク
[email protected]
http://gurasan.kurofuku.com/
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コメント



0.410簡易評価
7.90愚迂多良童子削除
復旧したっぽいので。
実際のところ、フランってどれくらい強いんだろうか。レミリアより強いのかな。
フランとレミリアの戦いもあったら面白いかも。
次は下克上2発目ですか。胸アツ!
9.無評価ケンロク削除
どうなんでしょね。個人的にはお姉さまの方が強いと思いたい派です。
吸血鬼の姉妹ケンカもちょっとアツそうですね。なんかで書こうかしら。