稗田阿求は、一度目の縁起を編纂し終えて以来、新たに日課としている事があった。
それは、里の見回り、平たく言えば散歩をする事だ。
「んんー…今日もいい天気ですね…」
小さく伸びをしながら、阿求はよく晴れた青空を見上げた。
始めた頃よりは歩くのにも慣れて、行ける距離も伸びている。
「今日はどの辺りまで行きましょうか…」
絶好の散歩日和に、どこまで行こうかと考えながら辺りを見回す。
すれ違う人達から挨拶をされる事もあり、歩くだけでも割と忙しかった。
里に住むお年寄りには特に可愛がられていて、よくお菓子などを貰う事もあるくらいだ。
「本当に、平和ですねぇ…ん?」
辺りを見渡しながら歩いていると、花屋の店先に珍しい姿を見つける。
日傘を差したその女性は、熱心に店先の花の手入れを行っているようだった。
「よし、こんな所かしらね」
一通りの手入れが終わったようで、満足そうに立ち上がると花を眺めている。
気になった阿求は、少し躊躇いながらも声を掛けてみる事にした。
「あ、あのー…もしかして貴女は…」
「ん…?あら、御阿礼の子じゃないの。お久しぶりね」
声を掛けられて振り返った女性は、阿求の予想通りの人物だった。
いや、正確には人ではなく、妖怪である。
危険度は極めて高く、人間に対する友好度も極めて低い…
縁起に阿求がそう記している妖怪、風見幽香だ。
「やっぱり、幽香さんなんですね…何かあったんですか?それに、そのエプロンは…」
見覚えのあるエプロンを着けている幽香に、一体どうしたのかと尋ねる。
花屋で見かける事はそこまで珍しくはないが、そのエプロンは花屋の物だった。
「見ての通り、花屋の手伝いよ」
いつもと変わらない態度で幽香が言うと、阿求は驚いた表情を浮かべてしまう。
確かに花を愛し花と共に生きる妖怪である事は知っていたが、
わざわざ里の花屋の手伝いにまで来るとは思っていなかったからだ。
「花屋の手伝いって…どうしてまた、そんな事を?」
純粋に疑問に思った阿求が、失礼かもしれないと思いつつ理由を尋ねた。
「どうしてって、ここの主人が具合悪そうだったから、手伝ってあげてるの」
こういう反応はあって然るべきと思っているようで、特に気を悪くした様子もなく答える。
「えぇっ!?具合が悪いって…?」
花屋の主人が倒れたと聞いて、阿求は再び驚いてしまった。
幽香が手伝っているのも驚きだったが、いつも元気な花屋の主人が体調を崩すのも相当に珍しい事だ。
「心配ないわ、どうやら軽い風邪みたいだし。安静にしてればすぐ治るでしょう」
「そうでしたか…早く良くなるといいのですが」
容態を聞かされて、特に深刻な病気でもない事が分かり少し安心する。
それでも心配だったが、自分が行っても気を遣わせてしまうだけだろう。
「幽香さーん、こっちの花を見てもらえませんかー?」
阿求がそんな事を考えていると、店の中から幽香を呼ぶ声が聞こえた。
声の主は花屋の一人娘で、元気で明るい彼女は多くの者に好かれている。
「あぁ、はいはい。今行くわ、待ってなさい…それじゃ、もう用は済んだみたいだし失礼するわ」
そう返事をしながら、花を買いにきた様子ではない阿求との話を切り上げた。
阿求はもう少し話を聞いてみたかったが、仕事の邪魔は出来ないので引き止めずに見送った。
「分かりました。お二人によろしくお伝えください」
後姿に声を掛けると、幽香は頷きながら店の中へと入って行く。
阿求も花屋を後にして、再び散歩を再開するのだった。
「…本当に、随分と変わったんですね。幻想郷は…」
幽香の姿に改めて、今の幻想郷が先代の頃より大きく変わった事を実感していた。
次に阿求が足を運んだのは、慧音が教師を務めている寺子屋だった。
普段の座学の時とは違い、今日は子供達のはしゃぐ賑やかな声が聞こえてきている。
「…一体、何があったんでしょう?」
気になった阿求は、寺子屋の中へと入っていく。
どうやら子供達の声は、この先にある庭から聞こえてきているようだ。
「体育の授業はしていなかったはずですが…」
今日の授業の時間割を思い出して、阿求は疑問に思いながら庭に向かう。
運動をする為に用意されている庭では、休み時間に子供達がよく遊んでいるが、
既に授業は始まっている時間であるため、そうだとしたら問題である。
「ん?おや、阿求じゃないか。こんにちは」
「こんにちは、慧音。これは一体何の騒ぎですか?」
庭の入り口で生徒達を見守っていた慧音が、阿求に気付いて挨拶をした。
阿求も挨拶を返しながら、慧音に何が起きているのかを尋ねる。
「あぁ、最近、寺が出来ただろう?そこに住んでいる者が寺子屋を訪ねてきてな」
そう言いながら慧音が庭の方を見ると、そこには尼僧の女性と入道の妖怪がいた。
「くもじい、次は私を乗せてー!」
「あっ、俺も俺も!」
「はいはい、順番にね」
どうやら子供達と遊んでいるようで、『くもじい』と呼ばれている入道の妖怪に興味津々だった。
一緒にいる尼僧の女性、雲居一輪が子供達に言い聞かせながら、順番に乗せてあげている。
「なるほど、お寺の方ですか…入道の妖怪なんて、久しぶりに見ました」
話には聞いていた阿求だったが、里の近くと言っても郊外にある為、足を運ぶ機会がなかった。
なのでそこにどんな妖怪が住んでいるのかなどは、まったく知らない。
「生徒たちも夢中でな、授業どころではなくなってしまったんだ」
楽しそうに遊んでいる子供達の姿を見守りながら、どことなく慧音も楽しそうにしている。
授業が出来ないのは困るが、何より子供達が楽しそうな姿を見るのが慧音は好きだった。
なので今日くらいは、折角の来客もあったのだし好きに遊ばせてあげるつもりだ。
「そのようですね。私もお寺の話を聞いてみたい所ですが…」
当分は飽きそうにない子供達と一輪達の姿を一瞥すると、阿求は話を聞きたくなる欲求を何とか抑える。
縁起の編纂の為に話を聞くのは重要な事だったが、子供達の邪魔をしてまでそれをしようとは思わなかった。
「それなら、後で私から伝えておこう」
その意思を汲み取ってくれたらしく、慧音がそう申し出る。
今すぐではなくても、話を伺いたいと伝えておいた方が後々スムーズに事が進むだろう。
「ありがとうございます、慧音。それでは、お願いします」
阿求は丁寧に頭を下げながら、慧音に礼を言った。
そんな話をしている間にも、子供達は益々盛り上がっているようだ。
「わぁ、本物みたいだ」
「ふふふ、雲山ならこれくらい、簡単よ」
「じゃあじゃあ、次はお馬さんが良いー!」
雲山が身体を様々な動物の形に変えると、その度に嬉しそうな声が上がる。
大きさも自在に変わり、雲山の顔も隠れているので、かなりの精巧さだ。
子供達の反応に気をよくしたのか、一輪も得意気に胸を張っている。
「…大人と違って、あの子達は妖怪と言う存在にもあまり抵抗はないようですね」
楽しそうにはしゃいでいる姿を改めて見つめながら、阿求がそう呟いた。
今の里に住む大人は、少なからず妖怪という存在を畏れている。
「あの子達は、今の幻想郷しか知らないからな…」
幻想郷が今の状態になる前を知っている為、慧音は複雑な表情をしていた。
ほんの数十年前は人間と妖怪も今ほど交流はなく、里を出ればいつ襲われてもおかしくないような状況だったのだ。
それが今では、博麗の巫女などの活躍もあり、多くの妖怪が以前ほどの危険性はなくなっている。
「慧音の不安も分かりますが…あまり先の事ばかり考えていてはダメですよ」
言わんとしている事を察した阿求が、これからの事を憂う慧音に言った。
確かに、人間が妖怪を畏れなくなれば現在のパワーバランスが狂ってしまうかも知れない。
しかし阿求には、不思議とそんな事態にはならないという確信にも似た感覚があった。
「…そうだな。教師である私が、あの子達にしっかり教えれば良いんだ」
自分が教師だという事、その意味を改めて考え直した慧音が力強く答えた。
確かに今の子ども達は妖怪に対して、畏れというものをほとんど抱いていない。
しかし、いかに妖怪が畏れるべき存在であるか、授業を通して子ども達に教える事は出来る。
今の里において、多くの子供達に教えられるのは寺子屋の教師である慧音しかいないのだ。
「ふふ、その通りです。これからも、よろしくお願いしますよ?」
新たな決意をする慧音を頼もしそうに見つめながら、阿求が微笑む。
これから先も心配は要らないと思えるのは、慧音の存在も大きい事を阿求は実感していた。
「あぁ、もちろんだ。ありがとう、阿求」
嬉しそうに慧音が笑い、阿求の頭を撫でる。
誰かに頭を撫でられるという経験があまりない為、どうすればいいのか分からず少し戸惑っていた。
「はぅぅ…も、もう、私は阿礼乙女なんですよ?なのにそんな風に、頭を撫でるだなんて…」
なんとなく恥ずかしく感じたようで、顔を赤らめながら両手を挙げて抗議する。
だが阿求自身、口で言うほど悪い気はしていないのも確かだった。
「おっと…すまないな、つい癖で。失礼した」
子供達と同じ態度を取ってしまった事を詫びながら、慧音が手を引っ込める。
「…あ…ま、まぁ、分かっていただければ良いんですよ」
阿求は少し物足りなそうにしていたが、すぐに気を取り直して言う。
もっと撫でて欲しかったなどとは、恥ずかしくて言える筈もなかった。
それから、阿求は自分が予定していたより長く話していた事に気付く。
「…と、つい話し込んでしまいましたね。私はそろそろ帰る事にします」
「ん…分かった。縁起の件はちゃんと伝えておくから、安心してくれ」
既に来てから数十分ほど経っていて、長居し過ぎた事を反省すると寺子屋を後にしようとする。
慧音は頷きながらそう言うと、手を振って阿求を見送るのだった。
「はい、よろしくお願いしますね。それでは、また」
「またな、阿求」
そうして阿求を見送ると、遊んでいる子供達の様子を確認する。
二人が話しをしている間に、子供達の方も一段落ついていたようだ。
「さて次は…って、もうこんな時間?ごめんね、私達はそろそろ帰らないと…」
「えーっ、もう?」
「もっと遊んでー!」
帰ろうとする一輪と雲山に対して、遊び足りないのか子供達が引き止める。
振り払ったりする訳には行かないので、二人とも困ってしまう。
「こら皆、ダメだろう。二人を困らせては」
そんな子供達を止めるため、慧音が割って入っていった。
振り返って少しだけその様子を眺めると、阿求はすぐにまた歩き出す。
「ふふ、これからが楽しみですね。私は途中までしか、見届けられませんが…」
自身が短命である事を少し残念に思いつつも、これから先に広がる幻想郷の未来を思い描き、
期待に胸を膨らませながら帰路につくのだった。
それは、里の見回り、平たく言えば散歩をする事だ。
「んんー…今日もいい天気ですね…」
小さく伸びをしながら、阿求はよく晴れた青空を見上げた。
始めた頃よりは歩くのにも慣れて、行ける距離も伸びている。
「今日はどの辺りまで行きましょうか…」
絶好の散歩日和に、どこまで行こうかと考えながら辺りを見回す。
すれ違う人達から挨拶をされる事もあり、歩くだけでも割と忙しかった。
里に住むお年寄りには特に可愛がられていて、よくお菓子などを貰う事もあるくらいだ。
「本当に、平和ですねぇ…ん?」
辺りを見渡しながら歩いていると、花屋の店先に珍しい姿を見つける。
日傘を差したその女性は、熱心に店先の花の手入れを行っているようだった。
「よし、こんな所かしらね」
一通りの手入れが終わったようで、満足そうに立ち上がると花を眺めている。
気になった阿求は、少し躊躇いながらも声を掛けてみる事にした。
「あ、あのー…もしかして貴女は…」
「ん…?あら、御阿礼の子じゃないの。お久しぶりね」
声を掛けられて振り返った女性は、阿求の予想通りの人物だった。
いや、正確には人ではなく、妖怪である。
危険度は極めて高く、人間に対する友好度も極めて低い…
縁起に阿求がそう記している妖怪、風見幽香だ。
「やっぱり、幽香さんなんですね…何かあったんですか?それに、そのエプロンは…」
見覚えのあるエプロンを着けている幽香に、一体どうしたのかと尋ねる。
花屋で見かける事はそこまで珍しくはないが、そのエプロンは花屋の物だった。
「見ての通り、花屋の手伝いよ」
いつもと変わらない態度で幽香が言うと、阿求は驚いた表情を浮かべてしまう。
確かに花を愛し花と共に生きる妖怪である事は知っていたが、
わざわざ里の花屋の手伝いにまで来るとは思っていなかったからだ。
「花屋の手伝いって…どうしてまた、そんな事を?」
純粋に疑問に思った阿求が、失礼かもしれないと思いつつ理由を尋ねた。
「どうしてって、ここの主人が具合悪そうだったから、手伝ってあげてるの」
こういう反応はあって然るべきと思っているようで、特に気を悪くした様子もなく答える。
「えぇっ!?具合が悪いって…?」
花屋の主人が倒れたと聞いて、阿求は再び驚いてしまった。
幽香が手伝っているのも驚きだったが、いつも元気な花屋の主人が体調を崩すのも相当に珍しい事だ。
「心配ないわ、どうやら軽い風邪みたいだし。安静にしてればすぐ治るでしょう」
「そうでしたか…早く良くなるといいのですが」
容態を聞かされて、特に深刻な病気でもない事が分かり少し安心する。
それでも心配だったが、自分が行っても気を遣わせてしまうだけだろう。
「幽香さーん、こっちの花を見てもらえませんかー?」
阿求がそんな事を考えていると、店の中から幽香を呼ぶ声が聞こえた。
声の主は花屋の一人娘で、元気で明るい彼女は多くの者に好かれている。
「あぁ、はいはい。今行くわ、待ってなさい…それじゃ、もう用は済んだみたいだし失礼するわ」
そう返事をしながら、花を買いにきた様子ではない阿求との話を切り上げた。
阿求はもう少し話を聞いてみたかったが、仕事の邪魔は出来ないので引き止めずに見送った。
「分かりました。お二人によろしくお伝えください」
後姿に声を掛けると、幽香は頷きながら店の中へと入って行く。
阿求も花屋を後にして、再び散歩を再開するのだった。
「…本当に、随分と変わったんですね。幻想郷は…」
幽香の姿に改めて、今の幻想郷が先代の頃より大きく変わった事を実感していた。
次に阿求が足を運んだのは、慧音が教師を務めている寺子屋だった。
普段の座学の時とは違い、今日は子供達のはしゃぐ賑やかな声が聞こえてきている。
「…一体、何があったんでしょう?」
気になった阿求は、寺子屋の中へと入っていく。
どうやら子供達の声は、この先にある庭から聞こえてきているようだ。
「体育の授業はしていなかったはずですが…」
今日の授業の時間割を思い出して、阿求は疑問に思いながら庭に向かう。
運動をする為に用意されている庭では、休み時間に子供達がよく遊んでいるが、
既に授業は始まっている時間であるため、そうだとしたら問題である。
「ん?おや、阿求じゃないか。こんにちは」
「こんにちは、慧音。これは一体何の騒ぎですか?」
庭の入り口で生徒達を見守っていた慧音が、阿求に気付いて挨拶をした。
阿求も挨拶を返しながら、慧音に何が起きているのかを尋ねる。
「あぁ、最近、寺が出来ただろう?そこに住んでいる者が寺子屋を訪ねてきてな」
そう言いながら慧音が庭の方を見ると、そこには尼僧の女性と入道の妖怪がいた。
「くもじい、次は私を乗せてー!」
「あっ、俺も俺も!」
「はいはい、順番にね」
どうやら子供達と遊んでいるようで、『くもじい』と呼ばれている入道の妖怪に興味津々だった。
一緒にいる尼僧の女性、雲居一輪が子供達に言い聞かせながら、順番に乗せてあげている。
「なるほど、お寺の方ですか…入道の妖怪なんて、久しぶりに見ました」
話には聞いていた阿求だったが、里の近くと言っても郊外にある為、足を運ぶ機会がなかった。
なのでそこにどんな妖怪が住んでいるのかなどは、まったく知らない。
「生徒たちも夢中でな、授業どころではなくなってしまったんだ」
楽しそうに遊んでいる子供達の姿を見守りながら、どことなく慧音も楽しそうにしている。
授業が出来ないのは困るが、何より子供達が楽しそうな姿を見るのが慧音は好きだった。
なので今日くらいは、折角の来客もあったのだし好きに遊ばせてあげるつもりだ。
「そのようですね。私もお寺の話を聞いてみたい所ですが…」
当分は飽きそうにない子供達と一輪達の姿を一瞥すると、阿求は話を聞きたくなる欲求を何とか抑える。
縁起の編纂の為に話を聞くのは重要な事だったが、子供達の邪魔をしてまでそれをしようとは思わなかった。
「それなら、後で私から伝えておこう」
その意思を汲み取ってくれたらしく、慧音がそう申し出る。
今すぐではなくても、話を伺いたいと伝えておいた方が後々スムーズに事が進むだろう。
「ありがとうございます、慧音。それでは、お願いします」
阿求は丁寧に頭を下げながら、慧音に礼を言った。
そんな話をしている間にも、子供達は益々盛り上がっているようだ。
「わぁ、本物みたいだ」
「ふふふ、雲山ならこれくらい、簡単よ」
「じゃあじゃあ、次はお馬さんが良いー!」
雲山が身体を様々な動物の形に変えると、その度に嬉しそうな声が上がる。
大きさも自在に変わり、雲山の顔も隠れているので、かなりの精巧さだ。
子供達の反応に気をよくしたのか、一輪も得意気に胸を張っている。
「…大人と違って、あの子達は妖怪と言う存在にもあまり抵抗はないようですね」
楽しそうにはしゃいでいる姿を改めて見つめながら、阿求がそう呟いた。
今の里に住む大人は、少なからず妖怪という存在を畏れている。
「あの子達は、今の幻想郷しか知らないからな…」
幻想郷が今の状態になる前を知っている為、慧音は複雑な表情をしていた。
ほんの数十年前は人間と妖怪も今ほど交流はなく、里を出ればいつ襲われてもおかしくないような状況だったのだ。
それが今では、博麗の巫女などの活躍もあり、多くの妖怪が以前ほどの危険性はなくなっている。
「慧音の不安も分かりますが…あまり先の事ばかり考えていてはダメですよ」
言わんとしている事を察した阿求が、これからの事を憂う慧音に言った。
確かに、人間が妖怪を畏れなくなれば現在のパワーバランスが狂ってしまうかも知れない。
しかし阿求には、不思議とそんな事態にはならないという確信にも似た感覚があった。
「…そうだな。教師である私が、あの子達にしっかり教えれば良いんだ」
自分が教師だという事、その意味を改めて考え直した慧音が力強く答えた。
確かに今の子ども達は妖怪に対して、畏れというものをほとんど抱いていない。
しかし、いかに妖怪が畏れるべき存在であるか、授業を通して子ども達に教える事は出来る。
今の里において、多くの子供達に教えられるのは寺子屋の教師である慧音しかいないのだ。
「ふふ、その通りです。これからも、よろしくお願いしますよ?」
新たな決意をする慧音を頼もしそうに見つめながら、阿求が微笑む。
これから先も心配は要らないと思えるのは、慧音の存在も大きい事を阿求は実感していた。
「あぁ、もちろんだ。ありがとう、阿求」
嬉しそうに慧音が笑い、阿求の頭を撫でる。
誰かに頭を撫でられるという経験があまりない為、どうすればいいのか分からず少し戸惑っていた。
「はぅぅ…も、もう、私は阿礼乙女なんですよ?なのにそんな風に、頭を撫でるだなんて…」
なんとなく恥ずかしく感じたようで、顔を赤らめながら両手を挙げて抗議する。
だが阿求自身、口で言うほど悪い気はしていないのも確かだった。
「おっと…すまないな、つい癖で。失礼した」
子供達と同じ態度を取ってしまった事を詫びながら、慧音が手を引っ込める。
「…あ…ま、まぁ、分かっていただければ良いんですよ」
阿求は少し物足りなそうにしていたが、すぐに気を取り直して言う。
もっと撫でて欲しかったなどとは、恥ずかしくて言える筈もなかった。
それから、阿求は自分が予定していたより長く話していた事に気付く。
「…と、つい話し込んでしまいましたね。私はそろそろ帰る事にします」
「ん…分かった。縁起の件はちゃんと伝えておくから、安心してくれ」
既に来てから数十分ほど経っていて、長居し過ぎた事を反省すると寺子屋を後にしようとする。
慧音は頷きながらそう言うと、手を振って阿求を見送るのだった。
「はい、よろしくお願いしますね。それでは、また」
「またな、阿求」
そうして阿求を見送ると、遊んでいる子供達の様子を確認する。
二人が話しをしている間に、子供達の方も一段落ついていたようだ。
「さて次は…って、もうこんな時間?ごめんね、私達はそろそろ帰らないと…」
「えーっ、もう?」
「もっと遊んでー!」
帰ろうとする一輪と雲山に対して、遊び足りないのか子供達が引き止める。
振り払ったりする訳には行かないので、二人とも困ってしまう。
「こら皆、ダメだろう。二人を困らせては」
そんな子供達を止めるため、慧音が割って入っていった。
振り返って少しだけその様子を眺めると、阿求はすぐにまた歩き出す。
「ふふ、これからが楽しみですね。私は途中までしか、見届けられませんが…」
自身が短命である事を少し残念に思いつつも、これから先に広がる幻想郷の未来を思い描き、
期待に胸を膨らませながら帰路につくのだった。
こういう風に楽しくやってるのがいちばんですよ。
他にももっといろいろ見てみたいような気もしました。