Coolier - 新生・東方創想話

何時か必要なことだから――。

2011/06/18 02:45:00
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 まどろみは、漠然とした何かによって破られた。
 そもそも、後数分で動き出すようなタイミングだったように思う。
 事実、その何かを無視して二度寝するほどの眠気はなかった。
 平素ならば意地でも我を通しただろうにと、自身、首を捻る。
 私、レミリア・スカーレットはそう言う性格だ。

 体を起こし、額に手を当て、意識を尖らせた。
 何かの正体を突き止めようと辺りの‘力‘を探る。
 妹は自室に、従者は仕事場に、親友は図書館に、門番は門前に……特に異常はないようだ。

 思い過しだろうか。

 否、私があぁ感じたのだから、何かはあったはずだ。
 だが、その何かに誰も気づいていない。
 私以外は……ふむ。

 凡その見当がついた。

 浮かんだ推測に満足し、私は、寝巻を脱ぎ、普段着へと着替えた。
 袖から腕を出しながら鏡台に移動して、小物入れから櫛を取る。
 一二度寝癖を梳かし、無造作にまた戻す。

 愛用の帽子を被り、訪問者を迎える準備が整った――「……いいぞ」

 呼びかけとほぼ同時、扉が二度叩かれる。
 まるで、此方の動きを覗き見していたかのようなタイミングだった。
 普段が普段なだけにそんな感想が浮かんだが、多分、今日は見ていなかっただろう。

 奇妙な態度の訪問者に違和感を覚えつつ、私は奴を招いた。



「入ってこい、八雲の紫」
「ごきげんよう、レミリア・スカーレット」

 扉を開いて部屋に入ってきたのは、思った通り、スキマ妖怪だった。



 勿論、何かの正体もこいつだ。

 館の誰にも気付かれず、何よりも私の不意をつける存在はそうそういない。
 地霊殿の妹――古明地こいしの可能性もあったが、あの子ならフランドールの元に行くだろう。
 もう一人、博麗霊夢と言う線も浮かんだが、奴の場合、その接触はもっと乱暴なものだろうと推測できる。

 そも霊夢あんまりウチに来ないしね。もっと来なさいよ。遊ぼうよ。

「……随分と早いのね」

 胡乱なことを考えていると、紫がぽつりと呟いた。

 何に対しての評価だろうか。
 それに、どうにもその呟きは確信めいたものに聞こえた。
 聞き取りづらかった、或いは口の中で噛み殺した先の言葉は、恐らく『やっぱり』。

 てきとうに当たりを付け、問う。

「起きるのが、か?」
「いいえ。仕度を終えるのがよ」
「……お陰さまで、寝起きは悪くなかったんでな」

 的確な答えは、けれど裏があるように思える。

 いや、『裏』と言えるほど害意のあるものではない。
 だが、私は確かに引っかかりを感じた。
 勘ぐり過ぎているのだろうか。

 紫は、何時も通りの微笑を浮かべている。

「あらそう、いい夢が見れて?」
「違う。お前は私の髪を……」
「どうだったかしら」

 言葉にして、漸く気付いた。

 あの時、私が目を覚ます直前、紫は私の髪を撫でていたのだ。
 その行為が余りにも突飛で、今の今まで考慮することすら放棄していた。
 何故なら、力の加減を思うに起こすことが目的ではなく、つまり、意味のない行動だ。

 そう、子を慈しむ親でもあるまいし。

 どうかと思う感想に顔を顰め、私は、お返しとばかりに紫をきつく睨む。

「ともかく……何の用だ」

 相変わらず、紫は笑んでいた。
 曖昧で胡散臭く、疑わしきことこの上ない微笑。
 仮にこれが親になれば子は苦労するだろう。似たような立場の式も何時もぼやいているし。

「用……目的は一つ。その為には手段を選ばない」

 此方の思惑など何処吹く風か、空間にスキマを作り、紫は手を突っ込んだ。
 するりと抜きだされたのは、一枚の札。
 スペルカードだった。

 なるほど、シンプルなのは嫌いじゃない。

「OK、負けたら好きにしろ」
「私はまだ、目的を告げていないけど?」
「どうせはぐらかすだろうに。それに、考えるのはそろそろ飽きてきた」

 一瞬だった。
 刹那と言うべきか。
 戦闘態勢に入っていたから、どうにか見えた。

 私が力を放つと同時、いや、僅かに早く、紫は、表裏を感じさせない微苦笑を浮かべていた。

「……っ」
「じゃあ、私が負けたら?」
「さて――後で考えるさっ!」

 床を蹴った衝撃音をゴング代わりに、私と奴は動きだす。

 格下の相手ならばともかく、紫相手に距離のある戦いは得策ではない。
 ひとまずは格闘戦で手か足の動きを封じよう。
 どちらか一本で十分だ。

 大雑把に立てた作戦を実行しようと、私は跳ねた。



 そも此処は室内であり彼我の距離は然してなく一跳びで十分なはずだが何故か私と奴は開始位置からかわらず向き合っており
おかしく思った私はちらりと視線を自身の脚に向けたら何時の間にか小さなけれど馬鹿みたいに強い結界で固定されていたので
膝から下を千切る勢いで上半身に力を入れ再び跳ぼうとしたら――

「手段は選ばない、と言ったわ」

 ――香水の匂いが鼻を覆う。

 紫は既に後ろにいた。



 なんじゃそら。一気に白け、力が抜けた。

 明言していないとは言え、スペルカードを出していたのだから、これはルールに則った決闘のはずだ。
 にも関わらず、紫は問答無用のやり方で此方を抑えた。
 しかも、言い訳付きときたもんだ。

 脅迫なんて優しいものじゃない、これは……。

 視線を後ろに向けるより先、‘力‘の移動をすぐ近くに感じた。

「お嬢様、何事――!?」

 騒動に気付き、咲夜が時を跳ねてきたようだ。

 あー……他のも来そうだな。
 美鈴も館内に入ってきたし、フランも起こしちゃったか。
 加えて、妖精メイドたちもおっかなびっくり進んできていて、わ、小悪魔も動いてる。

 そんな中で微動だにしないパッチェさん、パネぇっす。おい親友。

 心の内でハンカチを噛みつつ、咲夜が再び跳ねる前に動きを制する。

「動くな、咲夜」
「しかしお嬢様――」
「聞こえなかったか?」

 何時もより強い言葉は、誰のためにだろうか。

「貴女は‘完全で瀟洒な従者‘、聞こえないはずはないでしょう」

 答えを出すより早く、紫が口を開いた。

「貴女のお嬢様は、私との勝負に敗れたの。
 例え寝起きとは言えルールはルール、負けは負け。
 そして彼女はこう言ったわ、『負けたら好きにしろ』」

 咲夜の視線が紫に向けられる。

 瞳の質が変わった。
 困惑から、大きな憤怒と小さな侮蔑に。
 前者は構わないが、後者は……何故か、嫌だと感じた。

 それは多分、従者の心を操られているのが気に食わなかったからだろう。

「咲夜。これ以上、私に恥をかかせるな」
「ですが――……え?」
「あら」

 言葉に、咲夜が目を白黒とさせ、紫も意外だとばかりに声を漏らした。

 状況を整理できていないのだろう、咲夜の視線が解説を求めている。
 後ろで、肩を竦める衣擦れの音がした――『話しても構わないわよ?』。
 ついでに、フランと美鈴がすぐ傍まで来ていて、小悪魔とメイド隊が合流し、やっぱりパチェは動かない。

 あーもぅ、面倒くさい。

「レミリア・スカーレットが命じるわ。
 咲夜、貴女は、これから起こることをみなに伝えなさい。
 いいこと、これは絶対命令、嫌だと言っても運命を操って実行させる」

 言いつつ、私は、紫に肘を当てる。
 体格差を考慮して、少し高めに。
 なんか柔らかかった。

「あ、すまん」

 腿に当てるつもりが、尻に当たってしまったようだ。

「そんな……! お嬢様がセクハラをなされた……!?」
「貴女方の業界ではご褒美かしら?」
「違わい!」

 口に両手を当てて嘆く咲夜、追随して素っ頓狂なことを言いだす紫。
 流石と言うべきか、後者は冷静に目配せをしてきた。
 解ってんなら言ってんな。

 コンタクトに応えるよう、フタリに口を開く。

「紫、スキマに連れて行け」
「……いいの?」
「二言はない」

 頷くと、少し後ろの空間が割れた。

 掌が差し伸べられる。
 頭を垂れていないことに不満を覚えたが、いちゃもんをつけている時間はない。
 未だ何か言いたそうな咲夜に肩を竦め、紫の手を取り、私は、彼女の空間へと誘われた。

 握った手は、思っていたよりも硬く、少しばかりアカギレていた――。







 奇妙な感覚が全身を覆う。
 時間が早くなっているのか遅くなっているのか。
 身体が動いているのか止まっているのか、或いは、生も死もないのか。
 思考をしているという事実は生きていることの証だと思う……のだが、幽霊だって悪だくみするしなぁ。
 あそこの半人半霊も、もうちょいそう言うところを見習えば面白くなる。
 そういや、蓬莱人なんて出鱈目な奴もいたっけか。

 本当に、此処は――

「……出鱈目な所だ」
「あら、お気に召さなくて?」
「居心地は悪くない――と、ついたのか」

 首を傾げる紫に片手を振り、招かれた場所を視界に収める。

「此処は……」

 暫し呆然とした。

 紫は、恐らくだが日本の妖怪だ。
 だから、スキマの中の居住空間も和風を想像していた。
 尤も、存在自体が出鱈目な奴のこと、そう言った概念を持っていない可能性もあるかと踏んでいた。

 しかし、通されたこの部屋は、一目で洋風だと断言できる体裁が整えられていた。

 ……と言うか――

「私の部屋……?」
「趣味が合う」
「喧しいわ」

 あと、嬉しそうに両手を叩くな。

「そうねぇ……似ている箇所はあるけれど、特に何かを意識した訳でもないわ。
 大体、貴女の部屋に入ったことなんて今までなかったし。
 此処は、スキマの中に幾つもある部屋の一つよ」

 何度も館に不法侵入していたのは誰だ。

 言われて仔細に眺めてみると、確かに調度品や配置に違いがあった。
 全体的に比較するならば、此方の方が地味なように感じる。
 その中で一際目を引かれたのは、大きな大きな鏡台だ。
 小粋な椅子が収められていて、雰囲気にあった三面鏡が据えられている。
 引き出しの数も多く、正直、何がそんなに入っているのか想像もつかない。

 ……まぁ、紫のことだ、碌なものではないだろう。

「ん?」

 その鏡台周りに違和感を覚えた。
 センスの違い云々ではなく、明らかにおかしい。
 これの使用者が紫だと考えると、椅子の脚が高過ぎる。

「ごめんなさい、遅れたわね。座って頂戴」

 いや、催促した訳ではないんだが。

 しかしどうやらこの椅子は、私のためだけに用意されたようだ。
 式や式の式の日用品かもしれないかと思ったが、それにしては真新しい。
 私が評価するほどのものだ、スキマ経由とは言え、探すのに手間がかかっただろう。

 諸々の事情を推測しつつ、けれど私は座らなかった。

「レミリア?」

 視線を、椅子から紫に向ける。

「その前に……」

 空気が変わる。いや、変えた。

「そろそろ、手段を問わなかった目的を教えたらどうだ?」
「……そうね。でも、先に」
「早くしろ」

 急かすと、紫は二三度目を瞬かせた。

 問わなかった手段とは、先の問答無用の拘束だ。
 脅迫なんて優しいものじゃない、あの行為はそう、嘆願とさえ言えた。
 考えてもみて欲しい、あの八雲紫が嘆き願うのだ――脅迫されるよりも背がうすら寒くなる。

 ……‘大妖‘と呼ばれる紫の立場で尚そうせざるをえなかったのは、それだけ為さなければならないことがあるのだろう。

 頭を下げようとした紫に、推測は裏付けられた。

 ただ、仮にこの考えが誤りであっても私はスキマに招かれただろう。
 紫が誤魔化すために伝えた『寝起きだから負けた』なんてのは、ただの言い訳にしか過ぎない。
 加えて、その寝起きは悪くなく、私は体調が万全な状態で敗れたのだ。
 そう、例え奴の言う通り『手段を問わないやり方』であっても、負けは負け。
 相手がどのような手を使おうとも捩じ伏せる――それが、‘紅い悪魔‘の矜持だ。

 強い眼差しは、細くなる目と微笑で受け止められた。

 どの程度かは知らないが、奴は此方の心情を掴んでいるんだろう。
 その上で尚、行為で自身を貫いてくる。
 嫌な奴だ。

 再度塗り替えられた空気を片手で払い、私は、話し出すのを促した。

 八雲紫と言う存在が嘆願してまで為さなければならないこと。
 恐らくそれは、並大抵の異変レベルではないはずだ。
 幻想郷の根幹を揺るがしかねない話なのかもしれない。
 しかも、他の誰でもなく、私でしか対応できない類のものらしい。
 何故なら、数多いる友人知人ではなく、奴は、他と比べ交流の少ない私を頼ったのだから。

「レミリア・スカーレット」――紫の口が、ゆっくりと開く。

 身体が震えた。
 勿論、恐怖や重圧によるものではない。
 伝えられようとしている重大な状況に、心が躍り、外に表れてしまった。

 さぁ早く、私に、下らなくも愉快な玩具を与えろ!



「貴女に、化粧を覚えて欲しいの」
「あ?」

 なんか勝手に声が出た。



「この椅子もね、そのために用意したのよ。
 思いついたのが昨日だったから、午前中はずっと動きまわっていたわ。
 気に入ってくれるといいのだけれど。
 ……あら、随分とすんなり座ってくれるわね。
 貴女の審美眼に適ったのかしら」

 気付けば椅子に収まっているワタクシ。
 呆然としているうちに手を引かれ、尻を落としていたようだ。
 絶妙な位置にある肘かけは置いた腕に負担を与えず、背と尻を預けるクッションもまた極上の仕上がりだった。

「嬉しいわ」

 この椅子はいい物だ。いや、違ぇ。

 三面鏡が開かれた。
 鏡には、目の釣り上がった私が映っている。
 大抵の者ならば、理由を聞くまでもなく腰を抜かす程度の眼力――。

「ん、ちゃんと映っているわね。
 貴女たちは鏡に映らないと聞いたことがあるの。
 ……あぁでも、新聞に写真が載っていたんだから、杞憂だったかしら」

 語りかける声には、安堵したと言う響きが感じ取れた。
 奴は今、腰を落とし、すぐ後ろにいる。
 ふわりとまた、香水の匂い。

 ――その三倍の視線を浴びているにもかかわらず、当然のように、奴は平然としていた。

「おい」

 顔を横に向け、紫を睨む。

「お前ほどの大妖があれだけのお膳立てをして、その結果が化粧だと? ……ふざけるな!」
「そうでもしないと、貴女は従ってくれなかったでしょう?」
「まぁな」

 妥当な指摘に思わず同意してしまった。うー……。

「貴女も……貴女は、素直じゃないもの」

 しかし、それでもやはり納得がいかない。
 今更手段を掘り返すつもりもないが、目的が問題だ。化粧て。
 久しく感じていなかった高揚感と作りあげたシリアスな雰囲気を返せ。



 そう、何時の間にかまた、空気が紫に操られていた。



 とんとんとん……と、規則的な音が耳を打つ。
 伸びる紫の腕を視線で追うと、引き出しと机上を行ったり来たり。
 積み上げられていくのは、何をそんなに弄るものがあるのだろうと首を傾げたくなる化粧品の数々だった。

 この件に関しても、私の推測は当たったようだ――碌なもんじゃない。

「……昨日の今頃、守矢の風祝が白黒魔法使いに化粧を教えていたのよ」

 言いつつ、私と机のスキマに身を移す紫。

「昨日? 確か、魔理沙はアリスと家に来たはずだぞ。家と言っても、図書館にだが」
「あ、あら? 一昨日だったかしら。神奈子たちと飲んで、記憶が……」
「一昼夜飲み明かしてるんじゃないよ。……で?」

 アレも飲んべだからなぁ、下手をするともっと昔の可能性もある。
 具体的に言うと、二年半ほど前。
 いやいや。閑話休題。

 手の動きを眺めつつ、続きを促した。

「少し後、巫女も教えてくれと頼んでいたわ」
「霊夢が? ふふ、遂に私の元へ来る決心がついたようね」
「そのつながりは解らないけれど、あの子はその晩、守矢神社に泊っていたような」

 うん、てきとーかましました。ウチにも来なさいよ。遊ぼうよ。

 紫は、幾つかの容器の上に指を滑らせ、結局、液体が入っている物を掴んだ。

「にしても、霊夢が化粧ねぇ。なんでまた」
「あの子だって少女だもの」
「あー、忘れてた」

 『性別:霊夢』とか、そんな感じ。
 微苦笑する紫に、失言だったかと頬をかく。
 けれど、笑みを崩さぬまま、奴はちろりと舌を出した。

「私も、時々忘れてしまうわ」

 本人が聞いたら激怒しそうな感想を肴に、私と紫は暫し笑った。

 しかし、実際に伝えたとして、霊夢は怒るのだろうか。
 奴ならば肩を竦め、澄まし顔でこう言いそうだ。
 『私がそんなことで怒ると思う?』

 本当に、奴は意のままにならないな。

「さてと、少しだけ目を閉じてもらえる?」
「あぁ……って、それはなんだ?」
「下地よ」
「化粧ってのは、睫毛をばーんとしたり紅をぐりぐり塗ることじゃなかったのか」
「ばーん……。ある程度予測はしていたし、仕度も早かったからそうなんだろうけど、貴女は化粧を全く知らないのねぇ」

 そりゃまぁ、したこともないし、する気もないし。
 あ……挨拶の時に感じた引っかかりは、これだったのか。
 とは言え、言葉の割に揶揄の響きは感じられず、私はそのまま任せることにした。

 くちゅ、と粘性のある音がした。

「何れ、童は大人になるわ。
 あの子たちは今、ゆっくりとその階段を上っている。
 貴女はもう少し先だろうけれど、きっと、何時か必要なことだから――」

 だから、覚えろと言うのか。
 漸く、世間話が『目的』に繋がった。
 だけれど、紫にしては珍しく的が外れた行動だ。

 空恐ろしくも奴の行いは善意に依るものみたいなので、私も、応えようと思う。

「紫、紙粘土をこねている所悪いんだが……」
「粘土て。久々に聞いたわ。これは、乳液よ」
「耳慣れん単語だ。ともかく、その、うん」

 どうでもいいが、下地はどうした。……あぁ、乳液とか言うもので下地を作るのか。

 音を頼りに紫の手を掴み、続ける。

「私は、この先も化粧をするつもりなんてないぞ」

 化粧と言うものは、自らを装う行為だ。
 他者がする分には肯定も否定もしないが、私自身となれば話は別だ。
 その必要性を感じないし、これからだってそうだろう。
 一時的に出来るかもしれない隈や痣など、私にかかればチャームポイントの一つになる。
 ……いやまぁ、それは言いすぎかもしれないが、なんでわざわざ寝起きにそんな面倒なことをしなくてはならないのか。

 以上のような心情を諸々込めて言ったのだが、紫は、やんわりと此方の手を振りほどいた。

「ええ、今はね」
「心変わりをするとでも?」
「どうかしら……貴女次第ね」

 そりゃそうだろうけど。

 ん……? と言うことはつまり、だ。

「お前は私が成長したら化粧が必須な顔になると思っているのか!?」
「そうよ。尤も、あの子たちの施す理由とは逆だけど」
「その喧嘩買った今買った――え、逆?」

 問い返すとほぼ同時、ぴちゃりと冷たいものが頬に触れる。
 なるほど、これが乳液と言うものか。
 意外に気持ち良い。

「そう、逆」

 乳液のついた指が、頬から耳の方へと滑らかに動いた。

「あぁ、一応説明しておくわね。
 今も先も貴女には必要ないと思ったから、幾つかの工程を飛ばしているわ。
 一般的な化粧の場合、下地の前に、洗顔をして美容液を塗り、乳液を使うのよ」

 乳液って、今塗っている物以外にもあるのか。

「ふぅむ、動きが速くなったりオプションが増えたり無敵になったりするんだな!」
「順に、汚れ落とし、水分補給、脂質補給とその密封よ」
「うん、あの、コナ……なんでもない」

 もう、暫く黙っていよう。

 言葉の意味を問うのは、講義が終わってからでも遅くはない――。





 紫の手は、止まることなく動き続けた。

「下地は、化粧のりを良くするために使うの」

 頬から耳に、目頭から目尻に、鼻から額に。
 内側から外側に、と言うのが手順なんだろう。
 掃除のやり方と同じだと気付き、なんとなく面白く思う。

「次は、ファンデーション。
 普通は、肌の色を統一し、毛穴やくすみを隠すために使うものよ。
 リキッドやクリーム、スティックなんてものもあるけど、今日は解りやすいパウダーで進めましょう」

 此方も先ほどと手順は同じで、内側から外側に塗られていった。
 違ったのは、塗る時の手の強さだ。
 撫でるようにしていた下地と比較して、強く押さえられている。

「更に気になる所にはコンシーラーで上塗りするんだけど……これも必要ないわね」

 吸血鬼の回復は速く、ニキビなんて出来た覚えもない。

「ファンデーションが崩れないようフェイスパウダーを重ねるの。
 最後に、頬紅をお好みで付けて頂戴。
 以上がベースメーキャップよ」

 これまでの工程が四つ。
 省かれたものも加えると、八つ。
 しかも言葉から推測するにこれらは基礎であり、なんだこれ面倒くさい。

 続けて机に並べられたのは目周りのアイテムだそうで、なんで六個もあるんだろう。

「アイライナー、シャドー、カーラー、マスカラ、コーム、ブロウ。
 全てを使う人は稀だけど……貴女は覚えた方がいいわ。
 目は、とても見られやすい部分なの。
 顔の中心だから、当然と言えば当然ね。
 『目は口ほどにものを言う』なんて言葉もある通り、感情が表れやすいのよ」

 微笑む紫に、視線を合わせる。

「あー、例えば……漫画やそう言うイラストを考えれば解りやすいかしら。
 極端に言うと、釣り目で描かれる人物はきつくて、垂れ目だとゆるい、とか。
 それだけ、目と言う部位は見る側に強い印象を与えやすいの」

 うむ、なんとなく納得できた。

 目を弄らせながら、ふと思う。
 紫自身も化粧を普段しているんだろうか。
 時々口紅をしていたのは覚えているが、顔や目はどうだったか。
 恐らく、私が気付いていなかっただけでしていたんだろう。
 でもなければ、躊躇なく他者の目周りを弄るなどできるはずがない。

「んぅ、こんなところかしら」

 丁度都合良く一段落がついたみたいなので、聞いてみた。

「なぁ、やっぱりお前も、こう言ったことを何時もやっているのか?」
「気紛れにね。スキマでごろごろしている時とか、寝る前とか」
「気紛れと言うか出鱈目だな」

 袖で口元を隠し目を細める紫。なんか久々に胡散臭い顔を見た気がする。

 けれど、次の瞬間にはもう、表裏のない微笑みを浮かべていた。

「……貴女は、そう言う訳にはいかないだろうけど」

 なんだろう。
 ずっと同じことを言われている。
 言葉こそ違うものの、内容は統一されていた。

 今教えられている化粧は、汎用的なものではなく私にしか意味がないようだ。

「最後に、唇。
 リップメイクは、クリーム、ライナー、カラー、グロスと言ったところね。
 目に比べれば難しくはないんだけど……注意して? 赤系統は使っちゃ駄目よ」

 選択肢が少な過ぎないかソレ。





 ――とん、とグロスの瓶を置く音がした。





 続くアクションがないと言うことは、先の言葉の通り、全ての工程が終わったのだろう。
 意識していなかったので曖昧だが、三十分から四十分ほどが過ぎていた。
 化粧の時間として妥当か否かは解らない。
 ただ私は過ぎた時間を無為と感じず、程々には楽しめた。
 一つ難点を挙げれば、共に過ごしたのが紫と言うことだろうか。正直、少し悔しい。

「それじゃあ……」

 言いつつ、紫が腰を伸ばす。

 椅子の後ろに回る奴を、なんとなく、目で追う。

「……私は、何も変わっていないわよ」
「あぁ。変わったのは――」
「――貴女」

 両肩に手が置かれた。
 誘うように、視線が動く。
 私もまた、前を……鏡を見る。

「さて、感想を聞かせて頂戴」

 ――三面鏡が映すのは、少し大人びた私だった。

 んー。
 あー、なんだ、その……。
 もうちょっとこう、『これが私!?』みたいな展開を期待してたんだけど、あれー?

「レミリア、どうかしら?」
「うん、あのね、私にはそも上手い下手の基準がね」
「基準は貴女が決めればいいわ。率直にどう思ったのかを言って頂戴」

 あくまで優しく問う紫。
 しかし、鏡越しに見える奴の表情は確信していた。
 自身の施した化粧が思い描いていたものと完全に合致している、と。えー。

 ……いや待て、なんで私が奴を気遣わなくちゃならないんだちっくしょう。

「どんな評価であろうと、私は全てを受け入れる」

 一つ息を吸い込んで、吐きだすと同時に言ってやる。

「『化粧をした』から、普段とは勿論違っている。
 全体的に……と言うか雰囲気だな、霊夢たちに近い年頃のように見えた。
 しかし、その化粧自体は……上手くどこがどうとは言えないんだが、違和感を覚える」

 有体に言うと微妙だった。あれ、結局私、気遣ってないか?

「流石ね」

 此方の複雑な心境など何処吹く風で、紫が満足げに頷く。

「それは、どちらにだ?」
「称賛と自画自賛よ」
「どっちもか」

 つまり、私の感想は正しく紫の作業も完璧だった、と言うことか。おぉい。

「何もただす必要がないほど十全な評価よ、レミリア。
 私が施した化粧は、大人びて見せるけどどこか微妙なもの。
 貴女が乙女になった何時か、それはマイナスの作用しか及ぼさない」

 そんなけったいな化粧をした理由を問おうと、振り向こうとした。
 直前、香水の甘い匂いが鼻を擽る。
 同時に、息が吹きかけられた。

 至近距離で浴びせられた吐息は、重く熱く、一つの事実を肯定していた。

「酒臭っ!?」

 大概の妖怪は酒に強く、紫もまた例外ではないだろう。
 そんな奴の記憶が曖昧になり、匂いが消えない酒量。
 一昼夜以上飲んでいたのは間違いなかろう。

 ……かと言って。

 今更、一連の流れが悪酔い故の悪ふざけだとは思えない。
 だとすれば、今の行為にも何らかの意味があるはずだ。
 二つの匂いを嗅がせた、その意図は?

 私が答えに至る前に、紫は、顔を遠ざけ、言った。

「『酒臭い』、その通りよ――ごめんなさいね。
 服に香水をかけていたことは気付いていたでしょう?
 持っている物の中では薄い類のものだけれど、吸血鬼の貴女にはきつかったかしらね。
 話が逸れたわ……まぁ、今の私はアルコール臭いの。
 一部例外はいるけれど、そう言う匂いは他者に悪印象を与えるわ。
 だから、その匂いを隠すために、香水をかけていたのよ」

 話を進めるために二つの匂いを嗅がせた……のだろうが、その言葉は、少し意外だった。
 私は体面を重んじているが、偽りの上での評価など御免こうむる。
 紫もまたそう言う気質だと思っていたが、違ったのだろうか。
 それは、或いは、割り切った大人の対応なのかもしれない。
 しかし、私には理解できなかった。

「ねぇ、レミリア・スカーレット」

 呼びかけに、身体を紫へと向ける。

 瞳の質を変える私に微笑みつつ、紫が続ける。
 柔らかい表情とは裏腹に、目は、これまでに見たことがないほど、真剣だった。
 話が核心に近づいていることを、それとなく告げていた。

「他者を気にするかどうかはともかく、与える印象は貴女も同じ。
 だけど、貴女が乙女になった時、それはそうじゃなくなる。
 一時的な変化は全て、魅力的に映ってしまうでしょう」

 諭すような口調。
 しかし、内容は先ほど私自身が曖昧に否定したものだ。
 その手の煙たくなるような称賛を、けれど私は払えずにいる。

 目を閉じ語る紫の声には、確信の響きが感じられた。

「化粧をするということは、ほぼ等しく他者の視線を気にかけること。
 綺麗、可愛い、凛々しい、神秘的……様々な施しは、全て一つの形容詞にいきつく。
 巫女や魔法使いに風祝――少女たちがこぞって悪戦苦闘するのも、乱暴に言えばそのためだけよ」

 霊夢もやはり、そうなのだろうか。
 私以上に奴との接触の多い紫が言うのだから、外れてはいないのだろう。
 そう思うと、奴の新しい一面が垣間見え存外に可愛らしく、なるほど、少女と呼ぶに相応しい。

 だが……ならば、その逆の理由で化粧を施せと言われている私は、何だと言うのだ。

 目を開けた紫と視線が絡まる。
 よくよく見れば、ごく薄い化粧が施されていた。
 幾つかの言葉が浮かんでは消え――たった一つの言葉が残る。



 紫が、口を開く。

「‘永遠に紅い幼き月‘レミリア・スカーレット。
 今の貴女は、麗しく、可愛らしく、凛々しく、神秘的よ。
 だけれど、その‘幼さ‘が消えた時――貴女には、美しいの言葉だけが相応しい」



 一瞬、私はぼぅとしていた。

 語られた内容にか。
 それとも、語る表情にか。
 どちらにしても煩わしく、口を曲げ、返す。

 難癖にもなっていないことに気は付いていたが、他に何も浮かばなかった。

「ふん……それは困るな。恐怖を与えられないならば、人間どもの血が吸えなくなる」
「そう、貴女に向けられる感情は畏怖ですらなくなるわ」
「んがっ」

 真っ向からのカウンターに顔を仰け反らせるワタクシ。
 だがしかし、その衝撃が新しい一手を思いつかせた。
 否、思い出させた。

 脳裏に浮かぶのは、遍く制約から解き放たれる存在。

「ふ、ふん……そうなると、いよいよもって、奴を打ちのめさないとな」

 奴ならば……。
 そう、霊夢なら、容姿云々など気にせず、私と接するはずだ。
 いや、或いは気にした上で、嫉妬やらなんやらで向かってくるかもしれない。

 そして、私たちは力尽きるまで弾幕ごっこに興じ、何をやっているんだと互いに呆れて笑いあうのだ。

「……レミリア」

 空想を広げる私に呼びかけた紫は、ほんの少し、申し訳なさそうな顔をしていた。

「言葉の通り何時かの時に、貴女に忠言を行えるような人間は、博麗の巫女しかいないでしょうね」

 だから、気付く。
 空想は空想であり、訪れない未来であることを。
 加えて、紫の表情は、意識していなかったもう一つの事実を伝えていた。

 ――私の瀟洒な従者もまた、人間であることを。

「そうか……そうだな」

 一つ目の呟きは、意識の外のものだった。

 続く言葉が浮かばず、私は視線を紫から外した。
 一点に留めることができなくて、再び部屋全体を見回す。
 落ち着いた配色、適当な配置、適度な数の調度品……。
 そうか、と評価を改める。
 この部屋は、地味なのではなく、大人びているのだ。

 息を吐き、目を閉じる。

「だけれど、巫女は異変でもない限り、動かない」

 そのタイミングを待っていたかのように、紫が先の続きを始めた。

「数多いる妖怪も、我知らず貴女に惹かれてしまい、とても忠言なんて行えないわ。
 勿論、規格外の諸々はその限りじゃないんだけど……。
 彼女たちは、ほら、ねぇ」

 なんだその合いの手を求める首の傾きは。

 紫の言う『彼女たち』とは、各勢力の代表か、連れのことだろう。
 具体的に挙げると、亡霊、天才、山の上の神と言ったところか。
 花の大妖や鬼も含まれているのかもしれない。

 奴らはどうだったろうと、ふと思う。

 推測を看過でもしたのか、我が意を得たりと紫が頷く。

「神奈子は、神様だけあってそう言う所は無頓着なの。諏訪子がいるから彼女でいられるのね。
 幽香もねぇ、以前はともかく、今は、そう言ったことに興味がないんじゃないかしら。
 その点、永琳は比較的能動的だけれど、自分の興味のあることだけだし。
 萃香や勇儀は論外でしょうね。娘のことで手いっぱいだし。
 幽々子は、のほほんとしているから」

 ふやけた表情を晒す親友を脳裏に描いて微苦笑し、付け足すように、もう一妖を挙げる。

「それと、あの子は……とても綺麗で可愛いんだけど、まだまだ未熟な所があるのよねぇ」

 語る内容に反論はない。
 だが、素直に同意も出来なかった。
 眉根を寄せる――と、紫が手を打った。

「あ、鬼二人の娘って言うのはキスメのことね」
「いや、そんなことは解っているんだが」
「あ、あれ?」

 真剣な補足だったのだろう、素の声が漏らされた。

 ……あぁそうか、論点が不鮮明だったんだ。

「今のは、化粧の話だよな?」
「あら。違ったの?」
「いや……」

 はぐらかすように、問いを問いで返される。

 紫以外なら、裏があるように取るだろう。
 だが、奴の場合、大した理由もなく答えを曖昧にしている可能性が高い。
 それゆえ事態が更に困窮したとしても、『面白い』の三文字を言い訳に省みない。
 つまり、この場でこれ以上追及したとして、煙に巻かれると言う訳だ。
 解明すべき事柄ならともかく然して興味もないこと、無駄な労力を払いたくはなかった。

「しかし、なぁ紫」

 けれど、そのまま流すと言うのも癪だ。
 だから私は、先の話のスキマをつこうと思った。
 特に意識した訳でもなく、するりとその問いは口から出る。



 言葉にした時、紫よりも、私自身が衝撃を受けた。

「何も今日ではなく、何時かのその日、他の誰でもなく、お前が忠言すれば良かったんじゃないのか?」



 何かが、もう一度、話の核心を告げていた。

 どくん、と何処かが跳ねる。
 その衝撃の理由は、しかし理解できなかった。
 問いの内容に可笑しなところはなく、ごく自然な流れのように思える。
 紫は、当然ながら、人間ではない。
 霊夢や咲夜のように、時が過ぎてもどうこうなるモノではないはずだ。
 加えて、曲がりなりにも大怪と呼ばれる存在、誰がこいつを……――――。

「……困ったわね。それは、安楽椅子ではないのだけれど」

 いや、いや、何故、そんな言葉が浮かぶ。飛躍し過ぎだ。そも私が気にするようなことでもない。だが、あぁ……。

「早く……応えろ、紫」
「躍起になること?」
「応えろ!!」

 叫ぶ――と、揺らぐ視界に、白い指が映った。

 指は、ゆっくりと動き、私の唇に触れる。
 メトロノームのように数度、左右に揺れた。
 その度、指の腹の色が変わっていく。

 離れた時には、紅の色そのままの指になっていた。

「『何時かのその日、私が忠言すればいい』。
 流石は我儘なお嬢様、人の感情は考慮外ってことね。
 想像してみなさい、美しい貴女に化粧をしろと言う私を」

 それは先ほど考えた。なにも可笑しな所はないはずだ。

 睨む私に、紫が呆れたとばかりに肩を竦めた。

「本当にもぅ……。
 あのねぇ、どんな顔をしろって言うのよ。
 あからさまに嫉妬から難癖つけてるようにか聞こえないじゃない」

 ……おぉ。言われてみれば、そんな気がしないでもない。

「やぁよ、そんなの」

 ぺろりと舌を出す紫は、私から見ても、可愛らしく思えた。

「それに、今なら上から目線で教えられるもの。
 さてレミリアちゃん、紅の塗り直しをしましょうか。
 とっても綺麗になるように、ぐーりぐり塗りましょうね」

 このアマ。

 悪態をつくより早く、私は行動に出た。
 後ろ手にリップメイクの諸々を掴み、紅を塗る。
 ライナー、カラー、グロスを手際よく使い分けた。

 鏡に背を向けているので確認できなかったが、紫の表情を思うに上手く出来たのだろう。

「なにこの可愛げのないお子様」
「一工程、わざと飛ばした」
「ぐぬぬ……!」

 その工程とは初手のクリームで、主な役割は唇の保湿であり、若い私には必要ない。

「若い私には必要ない」
「やんのかコラ?」
「こいやぉお?」

 ガンをつけつつ、額を近づけるワタクシたち。
 然したる距離もなく、早々にぶつかった。
 こつんと音が鳴る。

「ふ……」
「くく……」

 余りにも気の抜けたその音に、私たちは吹き出した――。



 納得することにしよう。追求したとしても煙に巻かれるだけだ。それに、紫がそう望んでいるように思えた。



 一しきり笑い合った後、「そうだ」と紫が切り出した。

「肝心の化粧だけど、私の腕じゃ不完全なのよね」
「あん? しかし、思った通りにメイクできたんじゃないのか?」
「ええ。でも、全部やるのって手間でしょう? もっとピンポイントにできるはずなのよ」

 手間は手間なんだが……。

 よくわからん。
 『できるはず』と言うことは、その技術を知っていると言うことだ。
 にもかかわらず紫自身が施せないと言うならば……他の誰かが、こんなけったいな化粧をしているのか。

 あ。

「月の姫か」
「そ。蓬莱山輝夜」
「あー……奴なら、まぁ」

 頷きつつ、その姿を思い浮かべる。
 しかし、どれだけ精緻に思い出そうとしても、実像には届かない。
 容姿と言う点だけで見れば、彼女は確かに最高であり、美しいとしか評せなかった。

「さっきも言ったけど、貴女の場合、明確なマイナスはプラスになってしまうの。
 だから、人と接する前には、解り辛く曖昧模糊なメイクをする必要がある。
 私は全体を施す方法しか知らなかいけど、彼女なら一部で済むやり方を知っているはずよ」

 ふむぅ……。

 化粧についての解説は納得できた。
 できたのだが……その理由にはついては、まだだ。
 メリットとデメリットを秤にかけて、後者の方が重く感じる。

 考えを纏めて、私は切り出した。

「紫。お前の目的は、私に化粧を覚えさせること。
 だが、その理由はどうにも、私以外に思えてならない。
 有体に言うと、他人のために化粧を施すよう諭しているように聞こえるんだが」

 畏怖すら感じさせない容貌。
 それは、何を与えるのだろう。
 一時の幸福感か、それとも、拭えぬ狂喜か。

 ともかく、どちらにしても……。

「お気に召さなくて?」
「面倒くさいよ」
「でしょうね」

 なんで私が人のことを気にして動かなきゃならんのだ。

 返答を予想していたのだろう、肩を竦め、紫は続ける。

「今はそう。
 だから、貴女次第なの。
 その可能性は、零ではないはずよ」

 限りなく近い気もするが。

 蒸し返す気にもなれず、さりとて他の話題も浮かばず――結局、私は席から立った。

「ぴょん」
「変な擬音を付けるな」
「似合っているわ。……お帰りかしら?」

 嬉しくねェ。

「茶を飲み話しをする仲でもないしな」
「それもそうね」
「あぁ」

 視線が数瞬、交錯する。
 絡まった視線は、どちらからともなく外れていった。
 どうということもなく紫はスキマを広げ、躊躇いなく私も歩を進めた。

 互いに無言。

「……あぁ、そうだ」

 呼びかけに、足を止める。

「こんな機会もそうないんだから、ついでに香水のイロハも教えておきましょうか」
「ふふ、私が纏えばアルコール臭も極上の香りに変わる」
「その通りよ」

 んがっ。

 何時か必要なことらしい申し出に、しかし私は振り向かない。

「今日はいい」
「……今日は?」
「みなまで言わせるな」

 思わず零れたかのような笑い声が、頭上から届いた。
 浮かんだ奴の表情は、目を閉じての微笑。
 抱いた感想に顔を顰める。

 そう、私は今、確かに表情を歪めた。

 もし、これを素直に肯定できるようになったなら……。



 ふと脳裏をかすめた漠然とした質問を、口にする。
 浮かんでは消える、奴ら――彼女たち。
 そして、最後に現れたのは……。

「八雲紫。私は、越えられるか?」
「越えてみせなさい。レミリア・スカーレット」

 省いた言葉を明確にすることもなく、奴が応えた。



「じゃあ、何時かの前に」
「あぁ、何時かの前に」



 ただの再会を誓う挨拶ではなく、特別な意味を込めた挨拶で、私たちは別れを告げたのだった――。







 自室に戻ってきた私の目に飛び込んできたのは、まず、憤怒の形相を浮かべるフランドールだった。

 ……え、あれ?

「お姉様、八雲の紫のお尻を触った上に、うふ、フタリしてスキマの中に消えたんですってね」
「あぁ、咲夜に事情を聞いたのか。って、うぉぉぉい、咲夜ぁ!?」
「びた一間違っていませんわ」

 うふの笑い声と同時に、びきって聞こえた。
 あらあらまぁまぁ、なんの音かしら?
 フランのコメカミがひきつく音ー。

 いや待て、そこは音が鳴っていい部位じゃない。

「誤解よフラン!?」
「じゃあ咲夜が嘘を教えたの?」
「いいえ、私の従者は完璧に伝えているわ」

 鷹揚に頷くワタクシ。
 応えるように、咲夜が頷く。
 しゃらりと鎖の音をさせ、ポケットから懐中時計を取り出した。

「お嬢様と八雲の紫が過ごした休憩時間は、およそ六十分です」
「そんなものか。もっと短いように……え、なんだって?」
「その僅かな時間を経て、今、お嬢様は雌のお顔をされています」

 雌て。

「あー……そう言えば、やるだけやって落としてなかったっけ」
「『落としていない』のは、お顔のソレですか?」
「あぁ、まぁそうだ」

 しかし、考えてみれば私は吸血鬼であり、厳密に言えば男女で性別を表すものではないのかもしれない。
 そも人間の言葉に踊らされるのも馬鹿らしい。
 でも、雌て。

 もう少し言い方があるだろうと咲夜に視線を向けようとしたら、レーヴァテインが向けられた。

「ふ、フランドール? 可愛い可愛い私のフラン?」
「愛しい愛しいお姉様、何か訂正はなくて?」
「雌はどうかと思うので暫定的に女とぉう!?」

 寸分の狂いなく眉間を狙う‘災いの枝‘。
 私は、どうにか紙一重でかわすことに成功した。
 だがしかし、そのかわし方は下段ガードで、あれ、振り下ろされたら詰みじゃない?

 刹那の時間に目を開けると、視界に映ったのは、目に一杯の涙を溜めて振り向くフランドールだった。

「――お姉様の不潔ーっ!」
「一切の訂正はないけれど、何かの誤解よフラ、ぁ痛っ!?」
「流石は妹様、走り去りつつも的確にお嬢様を撃ち貫いておりますわ」

 お前はお前で冷静に解説しているんじゃないよ、咲夜。

 恨みの籠った視線はしかし、一筋の線を流す瞳に受け止められた。

「さて、私もそろそろ限界ですわ。――お嬢様のあんぽんたーんっ!」

 あんぽんたんて。

 何故だか咲夜も意外に冷静ではなかったようだ。
 或いは、フランドール以上に何かを誤解しているのかもしれない。
 妹と違い弾幕は撃ってこなかったが、それでも主にあんぽんたんはないだろう。

 どうしたもんかと頭をかいていると、代わるように、新たに二名、部屋へと入ってきた。

「咲夜さんに、扉の前で待機しているように言われていたのですが……」
「なんの助力が出来るか解りませんでしたが、いてもたってもいられず、図書館から参りました」

 美鈴と小悪魔だ。

 力で解決できる厄介事ならいざ知らず、今の状況では渡りに船。
 かたや、‘気を使う程度の能力‘で場の雰囲気を整える紅の門番。
 かたや、‘あの耳は付け耳だ‘‘白い羽を黒く染めている‘と噂される図書館司書。

「ふむ……」
「……なるほど」

 立ち上がり駆け寄ろうとする私に手を挙げて、二名は同時に頷いた。

「辛い現実を受け止めて職務を果たすよう、咲夜さんを説得してきます」
「お可哀そうな妹様、ですが、乗り越えた貴女様は今よりも遥かに美しくなりますわ」

 言うが早いか、二名は振り向き駆けだした。頼もしい。

 うん。
 違うよね。
 そうじゃないよね。

 ずっと控えていたのだろう、おっかなびっくり此方を覗いていたメイド隊も、口々にフランドールと咲夜を応援していた。

 なにこのアウェー感。

 重い空気を引きずって、結局、私もまた、部屋を出るのだった――。







 赴いた先は、館の地下、‘魔女‘パチュリー・ノーレッジのいる図書館だ。

「パチェ! 貴女は、貴女だけは私の味方よね!?」
「何を今さら。私はずっと、貴女の親友よ」
「傍観者を決め込むつもりか紫もやし」

 あと、人が話している時には本を読むのをやめなさい。

 言葉を視線に込めるも、相変わらず頁を捲る手を緩めない彼女には当然ながら届かない。
 大仰に溜息を吐き向かいの椅子に座るも、その態度は変わらなかった。
 流石は‘動かない大図書館‘の字名を持つ親友、この女郎め。

「あのね。傍観も何も、私は事情を知らないのよ?」

 頬づえをつきむくれる私に、コースターに乗った紅茶が回される。
 私や妹用のものではないソレは、親友が飲む予定のものだったのだろう。
 そう言えば起きてから何も口にしていなかったと思い出し、頂戴することにした。

 ……微妙に減っているような。

「パチェ、あの、これ、飲みさし……」
「いいから早く話しなさいよ」
「あ、うん」

 啄ばむように少し飲み、冷たい液体が胃に落ちた頃に気が付いた。
 敵、と言うほどのものでもないが、紫の方があったかい。
 あれー、ここ、私のお家だよー?

 ……いや待て私、妹や従者はともかく、こいつは大体こんなもんだ。どうかと思う。



 少女、説明中。



「――で!
 フランと咲夜が私を責めたの!
 美鈴と小悪魔、メイドたちもフタリの味方でつまりは私の敵なのよ!」

 どん、と両手で机を叩き、私は事の全てをぶちまけた。

「もぅやってらんない、ぷはっ!」

 木製の机が壊れなかったのは、最低限の自制が効いていたからだ。
 冷えた紅茶がいい仕事をしたと言っていいだろう。
 さりとて怒りはおさまらないが。

 そう、この私、‘スカーレットデビル‘レミリアは、怒っているのだ。

「……あ、飲みきれなかったから返す」
「飲みさしでしょ? 要らないわ」
「怒りでどうにかなってしまいそうだよ」
「ぷんぷくりーん、と言う奴ね」
「ぷ……なんだって?」

 なにか、怒りも恨みもどうでもよくなるような単語を聞いた気がする。

 ……実際、感情の吐露と言う選択は悪くはなかったようだ。
 おさまりはしていないが、劫火のような熱さは失せた。
 代わりとばかりに冷たいものが頭を掠める。

「ともかく、どうしたものか」

 私の呟きに、親友の手が止まった。

「それは、私に聞いているの?」
「さて。どう思う?」
「嫌な返しね」

 全くだ。

「そうねぇ……」

 低く笑うだけの私に見切りを付け、魔女が語りだす。

「姉に手をあげた非道な妹には、罰を。
 主に背を向けた薄情な従者には、もっと酷い罰を。
 勿論、間接的にとは言え背信した他の面々も、同等の扱いよ」

 その内容は、およそ魔女らしくなかったが。

「あぁそうだ、小悪魔だけは私の従者だから、私が代わりにピチュンさせておくわ」

 あ、ちょっとソレっぽい。

「くく、だとすれば、小悪魔だけが割を食うな」
「‘紅い悪魔‘は怒っているんじゃないの?」
「そりゃまぁ、ね」

 頷きつつ、私は立ちあがった。

 散々繰り返している通り、親友の指摘は正しい。
 だけれど、制裁と言う行為に直結させるつもりはなかった。
 彼女も解っていたのだろう、だから、曖昧に『罰』と言葉を重ねていた。

「じゃあ、どうするの?」

 呟いた時にはもう、これからの行動を、私は決めていた。

「まず、訂正する。
 謝罪するなら、許す。
 しなければ……また、その時考えるさ」

 誤解を受け入れられるほど、心が広くはない。

「身内にはお甘いことで。
 そんなだから、私は本を読み続けていたのよ。
 尤も、そんな貴女だから、彼女たちに慕われ、私も親友と呼ぶのだけれど」

 ……え?

 なんだろう。
 何かが引っかかった。
 自身の独白か、親友の言葉か。

 或いは、その両方だったのだろうか。

「……レミィ? どうしたの?」
「いや、なんでもない」
「そう」

 親友に背を向け、自問する。
 何かを問うべきだったか、否か。
 私と同等に私を識る彼女であれば、ソレを掴める可能性はある。



 だけれど……――気付かれぬよう微かに首を横に振り、外へと歩き出す。



「レミィ、最後に一つだけ。その紅は、誰が選んだの?」
「あん? 確か……私がてきとーに手に取った」
「彼女ではなく、貴女が選んだのね」



 ――ソレは、何時か必要になるのかもしれない。



「はぁ……自業自得じゃない」
「なんだちくしょうやっぱりお前も敵か!?」
「違うわよ。カップについた色がね……」
「え、実は安物?」
「啜っていたじゃない。ともかく、その色が、余りにも象徴的なのよ」



 ――だけれど、今はまだ、そうじゃない。



「象徴的……?」
「指でこすって。それは何色かしら」
「紫だね。ふーん、面白い色もあるもんだな」
「えーと、できれば、今ので気付いて欲しいんだけど」
「……まさか、私が紫とチューしたとでも? でも、奴の紅は」
「だから、象徴的。恐らく皆、その先を想像しているんだろうけど――ちょっとレミィ、走らないで!」



 ――この、誤解の原因のように。



 親友の言葉を最後まで聞かず、ぐしぐしと腕で口を拭い、私は、愛する者たちの元へと駆け出した――。





                      <了>
一行あらすじ:お嬢様がゆかりんに化粧を習う。五十六度目まして。

文中にも出てきますが、このお話は拙作『メイクアップ・あっぷあっぷ』の後日談です(直接的なかかわりはありません。
ですので、当初タイトルは『メイクアップ・ダウンダウン』でした。
何がダウンしているのかはお話をお読みください。

やっていることが霊夢たちと変わらないのに話の内容が違うのは、立場の違いです。

ちょいと寄り道で、容貌について。
知っている方にはすぐわかるかと思うのですが、参考にしているのは『ガープス・妖魔夜行』と言うものです。
何時かのお嬢様(と姫様とパルスィ)は『絶対の美』。異論は認めない。あと、ミレニアムなんてなかった(文ちゃんが好きです(どうでもいい。

以上
道標
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コメント



0.780簡易評価
2.100名前が無い程度の能力削除
最後まで楽しく読めた。
しかし冒頭部のぼかしがくどい。裏設定が見え隠れ。
あとがきを見て、ああそんな設定だったな、と思って納得。
主人公補正を加算してこの点数で。
11.100名前が無い程度の能力削除
「あの耳は付け耳」で別のRPGを思い出したのは作者様の罠に違いない。違いなくないかも知れない。

フランちゃん可愛い
13.100名前が無い程度の能力削除
シリアスかと思ったらギャグかと思ったらシリアスだった
15.90euclid削除
人間組の名前が出てくるところでもしやと思ったら、本当に後日談だった!
それはともかくとして、お嬢様の "遊ぼうよ。" が妙にツボ過ぎてカワイイ。
21.70名前が無い程度の能力削除
これが貴方の作品の初見なので面白さよりも、もどかしさが強すぎた
結局紫もレミリアも何を言いたいのかが分かりそうで全然分からない
でも雰囲気自体は好みだったし、レミリアと紫の組み合わせが珍しいながらも好きになれた