香霖堂から出歩かなくなって、どのくらい経っただろうか。
以前拾った外の世界の本を読みながら、森近霖之助はそんなことをふと思い出した。
別に彼は体調が悪いわけでも、或いは怪我をしているわけでもない。
行けるか行けないかと問われれば、店主は即座に前者と答えるだろう。
だが、店主は一刻どころか一月経とうとも外に赴こうという気はさらさらなかった。
理由は外。
出ようものならたちまち凍てついてしまう程の冷たい風、空から舞うように落ちてくるのは氷の結晶、雪。
幻想郷は現在、師走という寒冷の絶頂期を迎えていた。
店の空間にあるのは数え切れない程の道具と静寂、そして店主。
霖之助はこの静けさがなにより気に入っていた。
かたかたと店の窓を叩く風。ちりちりと燃えるストーブの火。
二つの奏でる音の調和を聞きながら霖之助は本のページを捲り、その内容に思いを馳せる。
「…………ふむ」
ざっと本を読み終え、彼の頭が内容の考察をしようする刹那、店内に響くカウベルがそれを遮った。
――カラン、カラン。
聞き慣れたこの音は店に来訪者が来たことを知らせるもの。
霖之助はこんな天候なのに誰が何の用かと怪訝に思いつつ、入口に視線を向けた。
「寒い、寒すぎる。凍え死ぬかと思ったぜ」
服に付いた雪を払いながら入って来たのは、白黒衣装に身を包んだ魔法使い、霧雨魔理沙。
この店にはよく来る、というか一番の常連かもしれないが、客ではない。
寧ろ商品を壊したり、飯をたかりに来たりするのが常であり、彼女が店にもたらすのは利潤どころか大抵は災厄である。
そんな問題児に、霖之助はいつもの仏頂面を見せた。
「魔理沙か。こんな日に何か用かい?」
「おう。愛しの魔理沙さんが寒いのを我慢してこんな寂れた店まで来てやったぜ」
そう言って魔理沙はいつも座る壷の上……ではなく、ストーブの恩恵が受けられる霖之助の隣に腰掛けた。
彼女の言葉に反応するように、店主の眉が八の字に歪む。
「道具を愛おしく思う時はあるが、君を愛おしく思う時は殆ど無い。それと寂れているとは失礼だな。ちゃんと客は来ているし、売上というのも存在しているんだが」
「その存在が限りなく希薄だと思うのは私の気のせいか?」
「……それより僕に用と言っていたね、何かあったのかい?」
強引な話題修正。
魔理沙はそんなお世辞にも上手いと言い難い話の反らし方に吹き出しそうになりながら、要件を話した。
「あー、実は八卦炉の調子が悪くてな、修理を頼む。おかげで私の家は天然冷蔵庫だ」
どうやら、八卦炉は暖房器具として重宝されていたようだった。
まぁ、どんな形であれ、使い込んでくれるなら道具屋冥利に尽きるというもの。
そう思いながらも、霖之助は溜め息をついた。
「温まりたいなら布団にでも包まればいいじゃないか。このくらいの寒さ、我慢したらどうだい?」
「ストーブつけながら熱い茶啜ってる香霖に言われたくないぜ。私はか弱い美少女なんだ、無茶ばかりしていたら体がもたん」
一般的に人間が悪魔が住む館に乗り込んで吸血鬼退治に行ったり、天狗の管轄内である妖怪の山に無断かつ不法で侵入したりするのは無茶以外、何事でもない。
そして元より、か弱い美少女はそんなことしない。
そんな口から出かけた言葉を霖之助は敢えて呑み込んだ。指摘しても疲れるだけだとわかっているからだ。
「それよりもどれくらいで直るんだ?」
「僕はまだ引き受けるとも言ってないが」
「まだってことはいつかは引き受けるってことだろ。で、どれくらいで直るんだ?」
魔理沙に放られて弧を描く八卦炉を霖之助はやれやれと言いながら受け取り、ざっと調べてみる。
「そうだね……調整も含めて深夜までかかるかな」
「じゃあ今日は泊まる。晩飯は鍋でよろしく。風呂は私が一番風呂だ」
「…………」
横暴もここまでくるといっそ清々しい。
「ひあーほんほにほーりんがふくっはなへはふはいなぁ」
「食べるか話すかどちらかにしないか魔理沙、聞き取り難い。というか聞き取れない」
食卓にはなんだかんだで要望通りの夕食となっていることにご満悦の魔理沙。
口いっぱいに頬張るその姿はハムスターやリスを彷彿させる。
むぐむぐと咀嚼して口の中を片付けた彼女は、未だ鍋に手を付けずに自分の様子を眺めていた霖之助に口を開いた。
「んぐ……ふぅ。ほら、香霖も食えよ。なくなっちまうぜ?」
「言われなくてもそうするよ」
霖之助も箸をつついて野菜を一口。
しゃきしゃきとみずみずしい食感、じわりと冷えた体に染みる温かさに、思わず店主の頬も緩む。
「魔理沙、さっきから肉しか食べてないじゃないか。偏った食生活は体に毒だぞ」
「気にするな。毒を食らわば皿まで、だぜ」
「理由にもなってないし使い方も間違ってるな。毒を食らわば皿までというのはだね……ってこら、それ以上食べたら僕の分がなくなってしまうだろう」
「甘いな香霖、食卓は戦争だ!」
鍋の中はあっという間に空になったが、霖之助が食べたのは野菜と肉の割合が九対一という、なんとも比率の悪い食事であった。
夕食の後、一息ついた所で霖之助は八卦炉の調整に取り掛かることにした。
改めて見てみると相変わらず雑な扱い方をしているのだろう、あちこちに傷や実験で溢したの物らしき乾燥した液体が目についた。
「努力する姿勢は賞賛に値するが……もう少し丁寧に扱って欲しいね」
霖之助は魔理沙に八卦炉はもっと大切に扱ってくれ、と何度も言っている。それこそ耳にタコができるくらいに。
その度に善処するぜ、と彼女は返しているが、肝心の使用する時である魔法の研究や弾幕勝負になればそんなことは知ったことかと、全く改善する兆しは見えていなかった。
「もっとしっかりと注意した方がよさそうだな……」
そうして暫く作業していると、夕食の片付けをしていた魔理沙が戻って来た。
「終わったぜ香霖」
「お疲れ様。風呂が沸いてるから入るといい。着替えは……ああ、そうだ」
霖之助は立ち上がり、奥の部屋の箪笥からある物を引っ張り出してきた。
「これを着るといい。大きさも問題ない筈だ」
「おぉ、これは――」
果たして渡されたのは、赤と白のみで仕立てられた巫女服、霊夢の服だった。
「――腋が寒そうだぜ……」
魔理沙そう言うのも特段無理はない。
なにせその服は肩の部分がなく、腋が露出する構造になっているからだ。
「丁度霊夢に服の新調を頼まれていてね。サイズが合うのはそれしかないから我慢してくれ」
「香霖の服でも構わないぜ、貸してくれよ。というか貸せ」
「生憎僕が着ているのと着替える服以外は洗濯中でね、どうしてもと言うなら使用料を頂こう。ちなみにツケは一切認めない」
「なら出世払いで頼む」
「それとツケの何処が違うと言うんだい? 認めないと言っただろう。大体君は――」
「あーはいはい、わかったよ」
長話になると予測した魔理沙は渋々服を受け取り、風呂場に向かって行く。
そんな魔理沙を横目に、霖之助は再び作業を開始する。
自分で仕立てといてなんだが、真冬でもあの恰好で霊夢は寒くないのか、と思いながら。
「よし、こんなとこだろう」
「お、もう終わったのか? 意外と早かったな」
「それ程弄る必要はなかったからね。それより魔理沙、言い忘れてたが――」
「もう少し大切に扱ってくれ、だろ?」
「わかってるならそうしてくれ」
「善処するぜ」
風呂から上がってきた巫女姿の魔理沙はやはり、いつもとは違った印象を与えた。
活発なイメージを与える赤色が、彼女本来の明るさをより一層引き立てているように見える。
風呂上がりで濡れた金髪や、ほんのりと上気した頬もまた、違った印象を思わせる起因の一つだろう。
「それにしてもこの服、見た目通りの寒さだぜ。霊夢は寒いって感じる器官が欠落してるんじゃないのか?」
「今はストーブがあるから大丈夫だろう。……さて、僕も風呂で疲れを癒してこようかな。集中して流石に疲れた」
魔理沙は風呂場に向かう霖之助の背に向かって「ごゆっくりだぜー」と言ってすぐ、ストーブに当たり始めた。
どうやら服の通気性は見た目通りのようである。
熱い湯で疲れを癒したかったが、生憎沸かしてから時間が経ち過ぎたようだ。
温くはないが熱くもない、なんとも微妙な温度の湯に霖之助は浸かり、仕方無いかと呟きを一つ。
「それにしても……」
相変わらず魔理沙は傍若無人という言葉がぴったり合う。
どうしてあんな風になってしまったのだろうか、昔はあんなに可愛かったのに。
ふと子供の頃の魔理沙が頭に浮かび、それが火種となって昔の出来事を次々と思い浮かばせていく。
そうしていくうちに、思い出す記憶は新しいものへ。
一緒に流星群を見た記憶、魔法使いになりたいと言われた時に八卦炉を渡した記憶、料理を作りに来てくれた記憶、病気の時看病してやった記憶。
最後に浮かんだのは、八卦炉を強化してやった時の魔理沙の笑顔。
「……なんだ、別に悪くはないじゃないか」
だいたい魔理沙には茸を貰ったり、鉄屑と思って交換している物も掘り出し物が多い。
全体的に言えばプラスなのだ、ただマイナスの回数が多いだけで。
「……うん、悪くはないな」
そう頷き風呂から出る霖之助。
魔理沙があのようになった大部分の原因が自分であることには、まだ気が付かないようである。
「どうした香霖、妙に嬉しそうな顔をしてるな。私が入った後の風呂に浸かって興奮でもしたか?」
「そうだとしたら女の子がそんな男の家に泊まるのは大変危険だね、早々に出ていくことを勧めよう。出口はあちらだよ」
「こんな寒空に美少女を放り出すなんて香霖もいい趣味してるな」
「……はぁ」
さっきまで悪くないと思っていた気持ちは何処へやら。あっという間にそんな感情は彼方に消し飛んで行った。
ちなみに、当たり前だが霖之助は興奮していない。
「もういい、そろそろ寝るよ。ストーブの使用はできるだけ控えたいからね」
起きていればその分だけストーブを使う。当然、燃料も比例して残量が減ることになる。
そして、幻想郷でストーブの燃料を入手する主な方法は、隙間妖怪との交渉しか術はない。
その妖怪の冬眠中に無駄使いは避けたいところだ、覚めない冬眠には誰だって就きたくない。
しかし、ストーブの上にあったヤカンの湯を湯たんぽに注いだところで、霖之助はあることに気が付いた。
「湯たんぽが一つしかないとなると当然……」
「あー? それ一つしかないのか? なら話は簡単だな」
それをどうするべきかわかるよなとか、か弱い乙女にそんなものすら譲れないのかとか、そういった続きを霖之助は予想していた。
だからこそ、次の魔理沙の言葉は霖之助を固まらせるのには十分な一言であった。
「一緒に寝ようぜ香霖」
「…………なんだって?」
結局、湯たんぽの誘惑と夜の寒気に霖之助はあっさりと折れた。
当然のことながら一人暮らしである霖之助の家に二人用の布団があるはずもなく、現在二人は外の寒気に触れまいと、ぎゅうぎゅうに身を寄せ合っていた。
故に、二人の顔の距離は、横を向けば吐息が掛かる程でしかない。
互いが感じるのは息づかい、石鹸の香り、体温、そして安堵。
「ん、やっぱ一人より暖かいな」
「まぁ僕は風呂から出たばかりだからね、暖かいのは当然だろう」
「……それより香霖」
「うん?」
霖之助の方を向いた魔理沙と魔理沙の方を向いた霖之助。その距離、約一寸程度。
視線が重なると、魔理沙はいつも見せる不敵な笑みではなく、 年相応の無邪気で満面の笑みを浮かべ、一言、発した。
「ありがとな」
「――――」
慣れないことを言ったのが気恥ずかしくなったのか、すぐに彼女は霖之助の胸に顔を埋めてしまった。
やがて、穏やかな寝息が聞こえ始める。
……全く、卑怯ではないか。
これでは今日の調整費を請求する気も失せてしまうというものだ。いい加減少しは払って欲しかったのに。
霖之助は苦笑し、闇の中でも煌めく金色の髪を宝石にでも触るかのように優しく撫でた。
「本当に、君には困ったものだよ」
霖之助の発した言葉からは、迷惑さや鬱陶しさというものは、一切伺えなかった。
翌日。
目を覚ますと、そこにはいつも見る顔とは違う、無防備な寝顔が目の前にあった。
起きている時と随分印象が違うな、と小さく笑う。
――さて、これからどうしようか。
起きて早朝の空気を吸ってもよかったが、考え直して二度寝することに決めた。
やはり今日も寒い。
それに、目の前には鍋や風呂や湯たんぽよりもあたたかく、心地良いものがあるのだ。
その温もりに、瞼は自然と重くなっていった。
《了》
2人の描写は原作そのもの。初投稿とは思えない…見事です。
この二人は良いものですね。
最後の段落で主体が書かれてないのがなんだかすごい好きです
優しい2人の距離感がうまく表現されていると思います。
いい作品をありがとうございました。
ニヤニヤしてしまいます。
それってとってもうらやましいことです