※完成版が出来ました。こちらのほうでよろしくお願いします。
「知識の魔女と真紅の悪魔」
紅魔館の地下、陽光差さぬ大図書館。幻想郷において最も多くの知が結集されている場所はどこかという問いの答えに、まず挙げられる場所のひとつである。
立ち並ぶ書架はさながら迷宮の如しであり、日々増え続ける蔵書の総数はもはや図書館の主にも計測不能。一体どれほどの本がここに集まっているのか窺い知ることもできない。図書館に立ち込める地下室特有の黴臭さと、周囲を支配する静謐は、さながら長年に渡って忘れられた地下ダンジョンのような雰囲気をかもし出しており、心得のないものが迷い込んだが最後、どこもかしこも似たような風景に惑わされ、二度と生きて出ることはかなうまい。探してみれば人骨の一つや二つすぐに出てくると言われれば、そのまま信じてしまったとしても無理からぬ話である。
また、別の見方もできる。
書架の群れは森に林立する木々であり、増えてゆく本は成長する枝葉である。蜜の代わりに収められた知で人を招き寄せる、知識の森というわけだ。なるほど、そう見れば長年使われた様子の赤毛の絨毯も、地表を覆う苔に見えぬこともない。
ともあれ、悪魔の住む館の図書館もまた、魔的なものだということに変わりはない。そうして、そんな場所をお気に入りにしているものもまた、尋常の枠から外れた存在であるということに疑いなどないのであった。
大図書館の一角、書架の合間にぽっかりと設けられた読書スペース。ゆったりと揺れるロッキングチェアに深く腰掛けて、パチュリー・ノーレッジはいつものように読書を楽しんでいた。同じ姿勢のまま身じろぎもせず本を読んでいる少女は、まるで時を止めてでもいるかのようで、時折思い出したかのようにページをめくり、手前の円卓に載せられた紅茶のカップを手に取る以外は、ほとんど息すらしていないようにも見える。
耳が痛くなるほどの静寂の中、パチュリーの繰るページの音だけがあたりに響く。
と、
ふと、本を読む手を止め、何かに気付いたかのようにパチュリーは顔を上げた。来客があったのだ。
「また読書? パチェ」
「レミィ」
声をかけてきた人物は、無論のことパチュリーのよく知る人物である。
レミリア・スカーレット。吸血鬼にしてこの紅魔館の主。そしてパチュリーの無二の親友である。
レミリアはパチュリーの対面に座ると、傍らに控えたメイド――十六夜咲夜に手振りで何かの合図をした。咲夜がひとつ礼をすると、瞬時にレミリアの前に湯気の立つ紅茶のカップが出現する。レミリアは紅茶を一口飲むと、口を開いた。
「よく飽きないわね、パチェ。毎日毎日読書なんて」
「別に、同じ本を読んでいるわけではないから」
「それはそうだろうけど。読書自体には飽きないの?」
「考えたこともないわね」
ふうん、とレミリアは肩をすくめる。
「私はダメね。たまには読書もいいかもしれないけれど、性に合わないわ」
「こんな立派な図書館があるのに?」
「それとこれとは話が別よ」
「宝の持ち腐れね。もったいない」
「今はあなたが有効に活用しているじゃないの」
「……活用しているのは、私だけじゃないけれどね」
「? ――ああ」
パチュリーの言葉に混じった僅かながらの苛立ちを感じ取って、レミリアは小さな笑みを浮かべた。
「あの白黒魔法使いのことか。うちの門番はザルだからねえ」
「わかってるなら、何とかしてほしいものだけれど?」
「門番を? 魔理沙を?」
「両方」
「そりゃあ無理だ」
「まあ、期待はしていなかったけど」
パチュリーは本にしおりを挟むと円卓の上に置き、紅茶を一口飲んだ。そんなパチュリーを見てレミリアが意地悪そうに笑う。
「そんなに困ってるなら図書カードでも作れば?」
「ここの蔵書全部にラベルを貼り付けるの? 小悪魔が死ぬわね」
「ああ、死ぬね。咲夜ならどうだ」
「私でも死ねますね」
それまで口を開かなかった咲夜が微笑みながらそう言った。
パチュリーはふう、とため息をつき、
「まあ、魔理沙は放っておけばいいわ。小悪魔あたりはまた怒るだろうけど。……どうしたの咲夜?」
かすかに不思議そうな顔をした咲夜に気づき、そう声をかける。
「ああ、いえ。大したことではないのですけれど」
「言ってみなさいな」
では、と咲夜は前置きして、
「どうしてお嬢様もパチュリー様も魔理沙を放っておくのでしょう?」
レミリアとパチュリーは顔を見合わせ、
「まあ、借りてるだけだし」
「借りてるだけだしね」
「いえ、そもそも貸出禁止ですよね、ここの本。それに、こうもたびたび続くとその何というか――」
「体面か」
「それです」
仮にも紅魔館はレミリアの治める城、言うなれば領地である。そこにこうも何度も侵入されて中のものを奪われては、領主の面子が立たないのではないのか――。咲夜はそう言っているのだ。
レミリアはふむ、と腕を組み、
「まあ、咲夜の言うことももっともだ。でもこの図書館はパチェに上げたものだからね。私の領地と呼ぶには少し語弊があるかな」
「そうなのですか?」
思っても見なかった言葉に咲夜は驚いた。てっきりこの図書館はレミリアがパチュリーに貸与しているものだと思っていたのだ。
「大分昔のことよ。……ああ、思い出すわね、パチェ。あれはいつのことだったかしら? 百年前? それとも二百年?」
「私はまだ百年と少ししか生きてないんだけれど?」
「――ああ、そうだった。あなたは私よりずっと年下だったかしら」
くすくすとレミリアは笑う。
そんな二人を見て、咲夜はふと好奇心が頭をもたげるのを感じた。レミリアとパチュリーは仲がいい。そういえばレミリアを愛称で呼ぶのを許されているのはパチュリーだけで、パチュリーを愛称で呼ぶのもまたレミリアだけだ。このプライドが高いレミリアがそこまでの親愛を寄せる相手は他にいない。そう、それはあの博麗の巫女でさえも例外ではない。
二人の過去に何があったのだろう?
「――聞いてみる?」
レミリアの声で、咲夜は現実に引き戻された。
「は?」
「私たちの昔話。長い割に短い話。その割には大して面白くもない話。だけれども、夜の無聊を慰めるにはちょうどいい。――特に、こんな静かな夜にはね」
「ちょっとレミィ――」
「別にいいでしょう、パチェ?」
パチュリーは何か言いたそうにレミリアを見ていたが、やがて諦めたかのように首を振った。
「……はあ、まあいいわ。咲夜が聞きたい、と言うならだけど」
ふふっ、とレミリアは笑う。
「だそうよ。どうする咲夜?」
「お嬢様もお人が悪いですね。そう言われて断れるわけがないじゃありませんか。聞かせていただきますよ」
咲夜の言葉にレミリアは満足そうに頷く。
「……まあ、たまにはいいかもしれないけれどね」
パチュリーは呟くと、遠くを見るかのように視線を上げた。
一人の少女の話をしよう。
今ではないいつかの時代、ここではない国のどこかの森で、ひっそりと暮らす名無しの少女の話だ。
少女は独りだった。親も兄弟も、眷族と呼べるような存在はなかった。ただあったのは、誰が残したともわからぬ洋館と、人が一生をかけても読みきれないほどの蔵書だけだった。
物心つくまでの数年をいかにして生き延びたのかは覚えていない。恐らくは飢えと渇きに苛まれた地獄のような日々であったろう。
幸い、少女には才があった。生まれつき少女に備わっていた魔道の才――これなくして、少女が日々を生き延びることは不可能であったに違いない。
森に出かけ、日々の糧を得て細々と食いつなぐ日々。それを終わらせたのは、館に残された蔵書であった。
大昔の錬金術師が残したと思しき書物の数々は、魔道の知識を得るのにも十分なものであり、その中に記されていた魔法の秘術を少女は解き明かした。
捨食・捨虫の魔法。
数え切れないほどの本があったとはいえ、教えるものもなく独力で読み書きを習得し、魔道の奥義にまで至ったというのは、驚嘆に値するという他はない。
少女は奥義を実践し、飢餓と寿命から解放された。
――本に命を救われた。
少女がそう思ったとしても、無理からぬことだった。
本は少女の師であり、親であり、友であった。必然、少女は長い年月を書を読みながら過ごしていくこととなる。
時が流れた。
時と共に知識は増えた。さらにいくつかの魔法の奥義も手にした。
けれど、わからないこともあった。
友情、愛情、憎悪。物語の中に幾たびも出てくる様々な他者との関わり。その形。
森の中の洋館に独り住む少女には無縁のその在り様。
少女は考えた。
何故自分はこんな場所に独りなのだろう。自分とは何なのだろう。自分という存在があるのならば、それを生んだ存在もあるはずだ。未だ見ぬ父と母。自分にもそんな存在がいたのだろうか。いたとするならば、何故今はいないのだろうか。
少女は考えた。
いつの日か、あの門を開けて父と母が帰ってくるかもしれない。その日までに、自分は立派な魔法使いになっておかなければならない。この館に残された本の数々はきっとそのために父と母が用意してくれたものなのだ。幼い結論に、少女は何の疑問も抱かなかった。
書を読む時間が増えた。それと同時に玄関で待つ時間もまた増えた。
されど、少女がいかに心待ちにしていようと、門が外から開かれることはなかった。
時が流れた。
戻らぬ父と母を待ち始めてから幾年が経つのか、少女自身も忘れてしまった頃のことだ。
少女は玄関に持ち込んだ揺り椅子に腰掛け、すっかりと眠り込んでしまっていた。
時は飴のようにゆっくりと進んでゆく。書を読み、魔術の力量を磨き、玄関で開かぬ扉が開くその時を待つ。そんな日々を送るようになって、もうどれだけが経つのだろう。
しかし、この日は少し違っていた。
少女は普段とは違う気配に目を覚ました。
森の木々のざわめきとも違う。動物の発する気配とも違う。胡乱な頭で少女は考えを巡らし――。
門の外に、誰かがいる。
そう思った瞬間、眠気は吹き飛んだ。
少女は無我夢中で門に飛びついた。
父と母が帰ってきたのだ。少女はそう思った。どんな顔をしているのだろう。どんな人なのだろう。話したいこと、聞きたいことはたくさんあった。
立派な魔法使いになった自分を褒めてもらいたかった。このときのために料理の勉強もした。庭に花壇も整えた。花壇から摘んだハーブで沸かした風呂は少女のお気に入りだ、きっと両親も気に入ってくれるに違いない。そうして、目一杯のもてなしをした後は一晩中おしゃべりをして、一緒のベッドで朝まで眠るのだ。父とは、母とはどんな匂いがするものなのだろう? やはり本に書かれていたように温かくて心地の良いものなのだろうか。そして、ぐっすり眠った後は母の作ってくれた朝食の匂いで目を覚ますのだ。誰かが自分のために作ってくれた料理なんて初めてだ。ああ、でも自分はきちんと起きられるだろうか。いぎたなく眠り込んだりはしないだろうか。こんなことなら普段から早起きしておくのだった――。
様々な思いが少女の胸を去来し、門の鍵を外そうとする指はひどくもつれた。
ようやく鍵を外し、少女はまだ震えの止まらない手で扉に手をかける。
最初に、何と声をかけよう。……ああ、そんなことは考えるまでもなかった。やっと帰ってきてくれたのだ。それならかける言葉は『おかえりなさい』これに決まっている。
しかし、少女はその言葉を発することはできなかった。
鍵の外された扉は蹴破られるかのように乱暴に開け放たれ、少女はその場に凍りついた。
少女の館に入り込んできたのは、棒で武装した男たちであった。
少女は知る由もない。少女の住んでいる地方では魔女狩りの風習が現代に至るまでも残っており、暴徒たちによる私刑が未だ存在しているのである。
訳もわからぬまま長柄で突き倒され、そのまま少女は滅多打ちに殴られた。
なんだ、こいつらは。
雨あられと降ってくる打擲の嵐を受けながら、少女は思った。
何故、こいつらは私を殴るのか。
見上げる少女の視線と、ある種の狂気に塗り込められた男の視線が絡み合った。「魔女め」と男が言った。それは、少女が初めて耳にした己以外のものの言葉であった。
ああ、こいつらは。
少女は思った。
こいつらは、私が魔法使いだから、魔女だからという理由で襲ってくるのか。
ひぃ、と小さな悲鳴が口から漏れた。生まれて初めての恐怖が、少女を身体の芯から凍えさせた。這い蹲って逃げようとするが、散々に打ち据えられた身体はいうことをきかない。殴られた場所が熱い。炎を押し当てられたようだ。ずくん、ずくん、と脈動し、身体が何倍にも膨れ上がったようにも感じる。涙が流れた。血も流れた。しかし打擲は一向にやむ気配を見せない。痛みはもはや激烈で、少女は何度も意識を失いかけた。
夢を見ていた。幸せな夢だったと、少女は思う。
あの扉が開くときは、きっと素晴らしい何かが始まるのだと、そう思っていた。
けれど。
今は。
がつり、と頭に強烈な一撃を受けて、少女の視界が真紅に染まった。
そして。
少女は、生まれて初めて他者に魔法を仕掛けた。
見る間に生じた爆炎が、男たちを根こそぎに吹き飛ばし――事が全て終わったとき、その場に人間と呼べるものは何一つ残っていなかった。
時が流れた。
友情、愛情、憎悪。物語の中に幾たびも出てくる様々な他者との関わり。少女の周りにあるのは、憎悪の関係のみであった。あれからも時折、討伐隊と称して近隣の村から武装した男たちがやってきた。だがそれも最初の数年だけで、今はもうこの洋館を訪れるものは誰もいない。あれ以来襲ってきたものたちは例外なく炭屑にしていたから、それも当然といえたかもしれない。
館には平穏が訪れていた。
いつか、討伐隊の一人に自分の両親を知らないか戯れに問いかけてみたことがある。返ってきた答えは簡潔なものだった。母はやはり魔女であり、随分と前に火刑に処された。父は知らないが、魔女の夫など悪魔と相場は決まっている――。それだけわかれば十分であった。
魔女の子は、やはり魔女。いかに足掻いても生まれは変えられない。であるならば、一人森の奥に住む魔女として、書と共にひっそりと暮らしていればいい。他者との関わりなど、所詮は物語の中だけの絵空事。己に手に入れられるようなものではない。
そう、本さえあるのならば、いかなる孤独にも耐えられる。
さらに時が流れ――ついに少女は館の蔵書を読みきった。
少女が最初に本を開いてから、赤子が老婆になるほどの時間が過ぎていたが、捨虫の魔法を習得していた少女は、未だ若々しい肉体を保っていた。
時間はいくらでもあった。長い無聊をこのまま一人で慰めるのはごめんであった。
少女は少し考え、生まれて初めて森の外に出ることにした。
行き先はすでに決めていた。風の噂で聞いたのだ。
紅魔館という洋館があるという。吸血鬼が住むというその館には、驚くほど大きな図書館があるらしい。
その図書館をいただこう。出来ることなら館ごと。
もしも吸血鬼が邪魔するようならば、滅ぼしてしまえばよい。
森の外に出ようとして、ふと少女は気がついた。
外の世界には他者がいる。その他者と自分とを区別するもの、名前が必要だ。
周囲を見回すと花壇に植えたハーブが目に入った。香油に使っていた、お気に入りのハーブ。紫色の花の色が自分の髪の色によく似ていた。
この花の名をもらうのも悪くはない。
少女は館に火を放った。少し迷ったが、どうせここにはもう戻らない。貴重な本が焼けるのは惜しいが、あれだけの量、持ち運べるものでもないだろう。
少女は散歩でもするかのようにふらりと外に出て、それきり二度とこの地には戻らなかった。
これは、一人の少女の話だ。
ずっとずっと昔、まだ外の世界に幻想が存在していた頃。
森を飛び出した一人の少女と、城に住む一匹の吸血鬼が初めて出会ったときのこと。
名無しの魔女と孤独な悪魔が織り成す、一番最初の物語である。
>少女が初めて耳にした己以外のものの言葉であった。
才能がいくらあろうと、独力で発音を習得できるとは考えられません
言葉を聞いたとしても無意味な音の羅列としか受け取れないんじゃないかな、と
初投稿お疲れ様です。がんばってください
これでもし全部併せて50k以下だったら普段どれだけ文章に触れてないのかと。
期待してます