「ほら、もう朝よ。みんな起きて」
薄暗い部屋の中に響く、優しく綺麗な声。
その声にも負けないぐらい綺麗な手で、彼女はカーテンを引っ張った。
窓から日が射し、私の視界が一気にひらけた。
彼女は窓を開け、外の空気を取り込んだ。
外の風が、小鳥の楽しそうなさえずりも一緒に運んでくる。
「さ、今日は貴方達が炊事係よ。早く支度なさい」
彼女……アリスに言われて、私と数人の人形達は炊事場へ列を成した。
みんなで棚を開けて鍋を運んだり、食材を引っ張ってきて刻んだり……いつも通りの朝だった。
私達は一言も発さず、ただ黙々と調理を続けた。
最も、私達は喋ることが出来ないなのだから、それは当たり前だけれど。
ただ、アリス以外の人にはそれが不思議に見えるらしい。
何も喋らないのに、どうして私達はお互いにちゃんと連携した行動が出来るのか、と。
私達はみんな同じようにアリスに創られ、同じように暮らしてきた。
だから、お互いの考えることも自然と分かるのだ。
アリスだって、言葉を持たない私達の思いをちゃんと理解してくれる。
それが当たり前であり、ただそれだけの事だ。
さて、暫くして鍋から良い匂いが立ち込めてきた。
火を消して、みんなで鍋の端を一斉に掴み、持ち上げる。
中身をこぼさないように、みんなで速度を合わせて居間まで運ぶ。
居間に入ると、アリスの姿が無かった。
いつもなら、朝食が出来る頃にはもう居間のテーブルに着いているのだけど……。
私達は顔を見合わせた。
もしかしたら、アリスは自室で裁縫に夢中になっているのかもしれない。
折角の朝食が冷める前に、アリスには食べて欲しい。
という事で、私がアリスを呼びに行くことになった。
アリスの部屋をノックする。
ノックと言っても、私達の体は小さい。私達の手はもっと小さい。
こんな手でドアを叩いても、中にはロクに響かない。
だから、実際は体当たりするような形で、扉を肩で小突いた。
しかし、返事は無い。
居間にも自室にも居ない……?
となると、トイレにでも行ったのだろうか……。
と、その時。微かだけれど、部屋の中から荒い息遣いが聞こえてきた。
部屋の中に誰か居る……それは、間違いなさそうだ。
私はノブを両手に掴むと、体ごとそれを捻り、押し込んだ。
扉は重ったい音をあげながら、ゆっくりと開いた。
私達にとっては、扉を開けるという動作すらも、それなりに重労働なのだ。
だが、そんな疲れも今は感じなかった。
なぜなら、ベッドの上で苦しそうに横たわるアリスの姿を見たからだ。
「上……海……?」
私が近づくと、アリスは消え入りそうな声でつぶやいた。
それから、左手でそっと私の髪を撫でようとして……
でも、その手は私の髪に届く前に、力なくベッドの上に落ちてしまった。
「大丈夫……大丈夫だから……」
アリスは何度も私に言い聞かせた。
まるで暗示を掛けるかのように、大丈夫だからと繰り返した。
そんなアリスを見れば、誰だって分かる。
大丈夫なんかじゃないって……。
私は急いで居間に戻って、みんなに事を知らせた。
アリスの様子を見て、みんな同じ見解を持った。
とにかく、このままアリスを放っておくわけにはいかない、と。
しかし、残念ながらこの家には滅多に人が来ない。
アリスを助けるためには、私達が医者を呼ばないとダメだ。
でもどうやって……?
言葉が話せないのに、どうして相手にそれを伝えれば良い?
どうすれば、アリスを助けてもらえる……?
だけど少しして、ここでじっと考え込んでいるだけ無駄だと分かった。
とにかく、医者のところへ行こう。話はそれからだ。
医者は永遠亭という場所に住んでいる。
いつだか、魔理沙とアリスと一緒に行ったことがある。
ただ問題なのは……道を覚えていないことだ。
しかし、道に関して覚えていることはある。
迷いの竹林といって、同じような風景が続く場所があった。
そこを越えなければならない……ということは、覚えている。
覚えているが、道は覚えてない。最も、覚えられるはずも無い……。
問題の竹林にやってきて、私達は早速顔を見合わせることになった。
とにかく、やたらめったらに進んだものだから、あっという間に道が分からなくなったのだ。
最も恐ろしいのは、戻ることすらも出来なくなったという事だろう。
本当に、辺りは同じ景色ばかりなのだ。
しかし、私達に立ち止まっている暇は無い。
それには二つの理由がある。
一つはもちろん、今こうしている間にも、アリスは酷く苦しんでいるということ。
そしてもう一つは、私達の行動には限界があるということ。
私達人形は、アリスから魔力を貰い、それを糧に動いている。
こうしている間にも、アリスから授かった魔力は減っているのだ。
魔力が尽きたら、私達はもう動くことすら出来ない。
アリスを助けることは出来なくなるのだ。
とにかく、私達には数がある。手分けして、永遠亭を探すことにした。
ただし、この判断を下したことにより、私達は全員無事に帰れないこととなった。
竹林を彷徨い、誰かが運良く永遠亭にたどり着ければ、その人形は医者を連れて帰ることが出来る。
医者なら、間違いなく竹林を出る方法も知っているはずだからだ。
しかし、それ以外の人形は永遠に竹林をさまよい続け……やがて、力尽きて倒れるだろう。
こんな小さな人形が倒れていたところで、誰も気には止めないだろう。
まして、こんな竹林の中では、発見されるほうが珍しいに違いない。
そもそも、誰かが永遠亭を発見できるという保証も無い。
このまま、全員散って終わる可能性だってあるのだ。
それでも私達は、アリスを助けられる確率の高い方法を選んだ。
アリスが助けられるなら、ただそれだけで良い……。
私達はただの人形だ。何体犠牲になろうが、代わりはいくらでも出来る。
でも、アリスは……私達の大好きなアリスは、一人しか居ない。
だから、この身を犠牲にしてでも、アリスを助けたい!
自分の犠牲でアリスが助かるなら、みんな喜んでそうする。
それが、私達の意思……。
さて、どれぐらい竹林を彷徨ったか。
途中、何度か他の人形達と出くわした。
散り散りになったとはいえ、下手をすると同じところをみんながぐるぐる回るだけになってしまう。
いっそ高いところから竹林を見渡せば良いのだろうが、私達の些細な魔力ではそれも厳しい。
今の私に出来るのは、誰かが既に永遠亭を発見したことを祈るぐらいだ……。
だが、そうやって神頼みに縋るわけにもいかない。
私は私に出来ることをしなくては……。
しかし、こうも同じ光景ばかりの竹林。
行けども戻れど、見えるのは竹、竹、竹……。
これでは話がちっとも進まない。
もう、家を出てからどれぐらいたっただろうか。
アリスは今頃、どんな苦しい思いをしているのか。
変化の無い光景と裏腹に、私の胸のうちは常に変化し続けた。
もしかしたら、今アリスは少し休んだことによって、大分楽になっているかもしれない。
でも、あの時の表情はかなり苦しそうだった。
もしかしたら、今はもっと苦しくなっているんじゃないだろうか……?
色々な思いが交錯して、楽観的になったり悲観的になったり……とにかく忙しかった。
でも、その変化が私には必要だったのだ。
なにせ、こうも同じ光景ばかりが広がったのでは、前に進んでいるのかも分からない。
時々、時間そのものが止まっているのではないかと感じたほどだ。
だから、自分の心境の変化で、辛うじて時間が動いていることだけは分かった。
それからどれだけ経ったか……向こうの方から人影が見えた。
初めは、また他の人形だろうかと思ったが、それにしてはどうにも大きかった。
人形以外の誰かがこの竹林に居る……私は急いでその人影に近寄ってみた。
人影は次第に大きくなり、やがてその全容を詳細に現した。
銀の長い髪に、大きなリボン……。
アリス達と永遠亭に行ったころ、見かけたことがある姿だ。
私が近づくと、向こうはすぐ気がついてくれた。
しかし、やはり問題なのは言葉が通じないことだ……。
必死に身振り手振りで、現状を説明しようと試みるが、それも空しく終わる。
「良く分からんが、とりあえずここで迷っているようだな」
私は思いっきり頷いた。
「なら、里まで案内しようか?」
私は思いっきり首を振った。
「案内は要らないのか……?」
もう一度、大きく首を振る。
「案内は要るのに、里へは行きたくない……?
ああ、そうか。もしかして、永遠亭を目指しているのか?」
それこそもう、首が取れんばかりに頷いたものだ。
銀髪の少女に導かれ、私は念願の永遠亭に着いた。
入り口で少女に別れを告げ、私は門をくぐった。
中に入ると、大きな耳を生やしたブレザーの少女が、受付と思しき台の前に座っている。
私が小さいからか、こちらの存在には気付かず、なにやら愚痴のようなものをこぼしていた。
「ああ……またてゐはどっか行っちゃうし……。
それで、どうせまた怒られるのは私なんだよね。
白馬でも玄爺でも良いから、そういうのに乗った王子様が来て、私を助けてくれないものかしらねぇ。
でも、月からの迎えだったら嫌だなぁ……」
私が受付台の上に載ると、相手は丸い目を余計丸くして驚いた。
「い、いらっしゃい! 急患ですか!?」
とりあえず、頭を縦に振っておいた。
「……見たところ、元気そうですけど」
やはり、言葉でないと上手く通じないようだ。
相手も私の意図が全く汲めず、困惑した様子だった。
「ああ、じゃあ筆談しますので、それに要項を書いてください」
これは実に有りがたい。
言葉が喋れない私達でも、文字ぐらいは見たことがあるし、書くことも出来る。
なるほど。初めから、この手を使えばよかったのか……。
大きな耳の少女は、受付台の上に筆と紙を置いてくれた。
しかし……この筆とやらが、何とも大きいのだ。
両手で何とかその筆を持ち上げるのだが……縦に長すぎて上手くバランスが取れない。
用意された硯に筆を浸そうと、何とかそこまで運ぶ。
しかし、この筆のせいで前が上手く見えず、気がつくと足が硯に引っかかった。
お池に嵌って、さあ大変……もはや、文字を書くどころではない。
「だ、大丈夫ですか……?」
大きな耳の少女は、タオルで墨だらけの体を拭ってくれた。
それでも、服の染みとなった墨は落ちなかった……。
言葉も通じない、文字も書けない。
これでは、一体どうやってアリスの事を伝えれば良いのか……。
「う~ん……見たところ、貴方全然元気そうだし……とても急患には見えないのよねぇ。
そもそも、人形も病気になったりするのかしら……」
どうにもこの少女、まだ急患が私の事だと思い込んでいるようだ。
こんな単純な誤解すらも解けないなんて……言葉と言うものは非常にもどかしい。
「とりあえず、お師匠様に診せれば何か分かるかしらね……。
分かりました。とりあえず、お師匠様に診せましょう」
そう言われ、私は診察室へ引っ張られた。
「特に悪い部分は見当たらないわねぇ。まあ、そもそも私は人形師では無いんだけど……」
「そうですよねぇ……やっぱり、人形の急患なんておかしいですよね?」
この頃になると、私は途方も無い虚無感を感じずにはいられない。
何で……何で、こんな単純なことすら伝わらないんだ……。
苦しんでるのは私じゃなくて、アリスの方なのに……っ!
私はただそれを伝えに来ただけなのに……どうして、ただそれだけの事が通じない……っ!
竹林を彷徨い、偶然銀髪の少女と出会って、奇跡的にここまでたどり着く事は出来た。
なのに、どうしてアリスが助けられない!?
アリスを助けられる医者は、目の前にいるのに!
「ちょっとした悪戯かもしれないわね。最近は目立った異変も無くて、みんな暇そうだし……」
「やっぱり、そうなんですかねぇ」
医者は大きな耳の少女に指示を出して、私を外まで運ばせた。
「さ、もう帰っても大丈夫よ。貴方はどこも悪くないから」
少女は私を置いて、中へ戻ろうとする。
その腕を引っ張って、私は何とか引きとめようとした。
「ちょっとちょっと……私も暇じゃないのよ。これから、てゐだって探さなきゃならないんだし……」
少女は私を振り払って、また中へ戻ろうとする。
今度は彼女の前に立ちふさがってみた。
「もう、何なのよ……。私だって、怒らせたら怖いんだからね!」
「私も、怒らせたら怖いわよ?」
気がつくと、門の前に医者が立っていた。
その姿を見るや否や、少女は態度を一変させる。
これが、人間や妖怪の世界で俗に言う、身分格差というものなのか。
「いつまでもお人形さんと遊んでないで、早く仕事に戻って頂戴。
もう往診に行く時間はとっくに過ぎてるんだから」
「はい、すみません……」
少女は中へ戻り、医者は出かけようとしていた。
私は何とか医者を引きとめようと、行く手を遮る。
「聞き分けの無い子ね。私はこれでも、命に関わる仕事をしているのよ?
それを邪魔するという事が、どれだけ重いことなのか分かって?」
こっちだって、アリスの命が掛かってるんだ!
簡単に引き下がるわけにはいかない……他のみんなの為にも!
「やれやれ……後で、ゆっくりとお仕置きする必要がありそうね」
医者は、いとも容易く私を掴み上げると、永遠亭の倉庫と思しき部屋に入った。
そこで手ごろな縄を持ってくると、私の体をそれで縛り上げ、近くにあった棚へ無造作に押し込んだ。
「そこで少し、頭を冷やしなさい。往診が終わったら、少し懲らしめてあげる」
医者は倉庫の扉を閉め、去っていった。
その足音が聞こえなくなると、いよいよこの倉庫は静かになった。
何とか逃げようとするが、縄のせいで上手く動けない。
その時、さっきまでは興奮していて気がつかなかったが、私の体の動きが少し悪くなっていた。
手の指を動かすだけでも、酷く力が要った。
魔力が切れかかっているんだ……このままじゃ、医者が戻ってくるのも待たずに、私は意識を失ってしまう。
他のみんなも、魔力は大体同じぐらい持っていた筈だ。
つまり、みんなのタイムリミットも同様に迫っているという事になる。
早くここから脱出しないことには、アリスを助けられない。
しかし、この縄がある限り、自由に動くこともできない。
ただでさえ、魔力が減って動きも鈍くなっている。
八方塞とは、まさにこのことか……。
私はとにかく必死に暴れた。
出来ることが、それぐらいしか無かったからだ。
と、その時。私の隣に置かれていた瓶を床に落としてしまった。
瓶は割れ、中身が飛び出たのが見える。
私が落とした瓶の中には、水と思しき透明な液体と、黄色い物体が入っていた。
当然、薬品に詳しくない私は、それがなんなのか分からない。
ただ、割れた瓶に張られたラベルは辛うじて見えた。
薄暗くて読みづらかったが……辛うじて、『燐』という文字が見えた。
燐……そういえば、魔理沙と一緒に地底へ降りたとき、そんな名前の猫が居た気がする。
たしか、彼女は死体運びの仕事をしていて……あの時会ったのは、灼熱地獄だった。
あそこはすごく明るかった。丁度こんな感じに……ん?
気がつくと、薄暗かったはずの倉庫内がやけに明るくなっていた。
気になって私は下を覗いてみる。
倉庫の床は、あの時見た灼熱地獄そのものだった。
床一面に火の手が広がり、燃え盛っている。
その火は、私のいる棚にまで移り、上ってきた。
後で分かったことなのだが、さっき落とした瓶に入っていたのは、黄燐という物らしい。
常温で自然発火するものらしく、故に水に入れて保存するものだそうだ。
それで、私がその瓶を落として割ったものだから黄燐が外気に触れ、自然発火した……らしい。
そんなことよりも、私は大ピンチだ。
気がつけば、もう私のいる段にまで火は上ってきていた。
縛られて逃げられない私は、慌てふためくことしか出来なかった。
しかし、運の良いことに、火が上手い具合に縄へ引火して、この束縛から逃れることは出来た。
ただ、服も少し燃えてしまったが……。
縄の束縛から逃れると、私は急いで棚から離れた。
次の瞬間、棚は大きな音を上げて崩れ落ちていく……。
もう少し逃げ出すのが遅かったら、そのまま私はスクラップになっていたことだろう。
「な、何なのよこれ!?」
流石の異常事態に、大きな耳の少女も倉庫に駆けつけてきた。
彼女は一瞬あっけにとられていたが、すぐ私の方に気がつくと、睨みつけてきた。
「またあんたの仕業!? なんでこんなことばかりするのよ……っ!」
弁明も赦しを請うことも私には出来ない。
そして、相手もここまで入って来て、私を捕まえる事も出来ない。
となれば、今はとにかくここから逃げ出して、あの医者を探すしかない……。
倉庫には明り取り用と思われる小さな窓があった。
それを突き破り、私は外へ出た。
遠くからあの少女の叫び声が聞こえる。
しかし、倉庫の火を消すという新たな仕事が課せられた彼女に、私を追いかけることは出来なかった。
服は墨と焼け焦げで真っ黒にし、体のあちこちに小さな硝子片を食い込ませ、私は当ても無く竹林を彷徨った。
私達には、温覚も無ければ、痛覚もない。
あの燃え盛る倉庫の熱さも、硝子片の傷みも……私は感じないのだ。
でも何となく……今の自分の姿は、酷く痛々しいのだろうと思えた。
医者を探して、アリスのもとへ連れて行く……それが、私の目的だ。
しかし、ここまで来てしまっては、それも難しいかもしれない。
医者は私の事を酷く嫌悪していたし、あまつさえ私は倉庫を燃やしてしまった。
絶対に医者は私の事を怨むに違いない……アリスを助けてくれるはずも無い……。
私はその場に倒れた。
もう、魔力も限界だ……これ以上、動き回ることは出来ない。
一縷の希望も、私には残されなかった。
このまま、アリスには会えなくなってしまうのか。
せめて最後に、ぎゅっとアリスに抱きしめられたかった。
ただそれだけ……それだけが、心残りだ……。
「よう、気付いたか?」
どこか聞き慣れた声がする。
私はぼやけた視界で、辺りを見回してみた。
その声の主を探すように……。
「それにしたって、何もこの幻想郷で、そんな格好して倒れることはないだろ」
顔を横に向けると、ようやく声の主が見えた。
それは、紛れも無くあの魔理沙だった。
魔理沙はそれ以上特に何も言わず、ただジッと興味深げに私を眺める。
私も暫く思考をまとめる時間が必要だったので、何もせずにジッとしていた。
その時、自分の体が妙に調子良いのに気がついた。
魔力はもう当の昔に切れていたはずなのに……。
もしかして、魔理沙が魔力を分けてくれた?
「元々は永遠亭に用があったんだが……それよりも、面白いものを見つけただけだ」
魔理沙はニヤニヤ笑いながら、私の顔を眺めた。
ひとまず、私は謝意を込めて魔理沙に一礼をした。
「礼なら要らないぜ。その代わり、何か面白そうな話握ってるんじゃないのか?
ちょいと、私にも分けてくれよ」
私は首を横に振った。そんな話、ある訳ない。
「何だよ、折角助けてやったのに。あんな格好で倒れるなんて、よっぽどだぜ?
何かとんでもない宝とか見つけたんだろ、アリスは?
自分は動かずに、人形を動かせば目立たないと考えたんだろうが、私には通用しないぜ」
魔理沙は本気で、私が宝探しをしていると思っているのか……。
しかし、どう否定しても彼女はそう思い続けるだろう。
こればっかりは、言葉が話せても解けなさそうな誤解だ。
「やれやれ、強情だな。そういうとこは、アリスそっくりだよな。
まあ良いさ。なら、私にも考えがあるぜ」
魔理沙は両手で私を掴んできた。
逃げる間もなく、私はそれに拘束されてしまう。
「暫くは、私がお前の面倒を見てやるぜ。なに、心配すんなって。
お前さんの気が変われば、すぐに返してやる事だって出来るんだぜ?」
折角永遠亭から逃げ出せたのに、これでは何の意味も無い。
私は必死に魔理沙の手の中から逃げようとするが、一介の人形風情の力で、人様の握力に敵うはずもなかった。
「ふぅん。こうやって見ると、アリスの人形もなかなか可愛いもんだな。
ほらほら。そんなんじゃ、逃げられないぜ?」
私は思いっきり、魔理沙の手を噛んだ。
「っつ! な、なにしやがるっ!」
魔理沙は思わず私を放り投げた。
もちろん、魔力を分けてくれた恩人にこんな事をするのは忍びないのだが、状況が状況だ。
「飼い犬に手を噛まれるってか。そっちがその気なら、私だって荒っぽくするぜ?」
室内であるにも関わらず、魔理沙は魔法を使う気だ。
このまま、まともに戦ったって当然勝ち目は無い。
そもそも、彼女と戦う必要なんて無いのだ。
辺りを見回すと、部屋の隅に小さな暖炉があった。
私は、その中に急いで潜り込んだ。
「煙突から逃げる気か!? そうはさせないぜ!」
魔理沙は勢い良く扉から出ると、屋根へ上った。
「何処行った? 全く、逃げ足だけは速い奴だな……」
ぶつぶつ言いながら、魔理沙は何処か遠くへと飛んでいった。
それを確認してから、私は煙突から屋根へ上る。
魔理沙がいつ戻ってくるかも分からない……なるべく早くここから遠ざからなければ。
気がつくと、大分日も傾いていた。
正確には分からないが、アリスの家を出てから大分時間が経ってしまったようだ。
アリスは無事だろうか……。
ふと考えてみると、私のタイムリミットは一度切れていた。
今でもこうして動けているのは、偶然魔理沙に助けられたからだ。
そしてあの口ぶりからすると、魔理沙は他の人形を助けた様子も無い。
となると、今動けている人形は、私一人だけなのか……?
胸がつぶれそうな思いになった。
誰も私の言いたい事を分かってくれない……それだけでも、酷い孤独感があった。
しかし、もうこの世に動ける人形が私だけだったとしたら……
私の思いを理解してくれる者は、誰一人居ないという事になる。
どうしようもない絶望感に溢れた。
どんなに私が頑張っても、アリスを助けることはもう出来ない気がした。
私がここで倒れても、きっとみんな何とも思わないだろう。
薄汚れた人形が一つ落ちている。ただそれだけにしか思わないのだろう。
私の努力も、すべてがただそれだけに終わってしまうのか……。
ただそれだけに……。
その時、何かが私の肩に触れた。
魔理沙に見つかったと思って、私は飛び上がってしまった。
しかし、相手は何も喋らなければ、私を掴んできたりもしない。
気になって振り返ると、そこには私と同じ人形の姿が見えた。
私はようやく会えた仲間に感激してしまい、思わずその場で抱き合った。
どうやら、それは向こうも同じだったようだ。
話を聞くと、彼女は竹林で倒れたところを、紅魔館の従者に拾われたらしい。
紅魔館に住む魔法使いは体が弱く、定期的に永遠亭の薬を処方されていた。
その薬を受け取りに従者が竹林へ入り、彼女を見つけたそうだ。
彼女はそのまま、紅魔館に住む魔法使いのもとへ送られ、魔力を分けてもらったらしい。
しかし、私と同様言葉が話せないので、訳は通じていない。
ただ私と違って、拘束されたりはしなかったようだ。
彼女は私の姿を見て、酷く驚いた。
永遠亭での出来事について話すと、彼女は終始驚きを隠せないで居た。
やはり、もう一度医者に会ったところで、アリスを診てもらう事はまず不可能に思えた。
だが、このまま二人で朽ちても、アリスが助からないことに変わりは無い。
どうせ朽ちるのなら、最後まで頑張って……悔いの無いように朽ち果てたい。
私達は、お互いの手をぎゅっと握り締め、一緒にこの夜空の下を飛んだ。
そうしないと、不安と孤独に押しつぶされそうだったから……。
再び迷いの竹林の傍へたどり着いたとき、背後から弾幕の気配を感じた。
それに間一髪で気付き、何とかかわすことは出来たのだが……。
問題なのは、その弾幕を放った主だった。
「ようやく見つけたわよ。いつも妙に大人しいと思ってたけれど、ついに本性を見せたわね!」
どうやら、天はとことん私達に恨みがあるようだ。
よりにもよって、あの博麗の巫女に目をつけられるなんて……。
「とぼけても無駄よ。迷いの竹林に、貴方の仲間が沢山倒れていたわ。
これだけでも、充分異変の前兆と言える。
その上、永琳の往診を妨害したり、永遠亭を焼いたり……随分派手なことしてるみたいじゃない」
巫女の目は本気だった。
本気で、私達を潰す気だ……。
「今更、泣いて謝っても無駄よ。まあ、人形は泣かないかもしれないけど」
私達、ただの人形に一体何が出来るというのだろうか。
妖怪退治を生業とし、数々の異変を力ずくで解決してきたあの巫女を相手に……何が出来る?
出来ること……そうだ、それは一つしかない。
逃げることだ。私達は必死に逃げた。
体の小ささを活かし、竹林の細い所を縫うようにして逃げた。
しかし、すぐに回り道をされ、結局逃げ切ることが出来ない。
竹林は何処まで行っても、同じ風景を私達に見せた。
そして、必ずその風景の中に、博麗の巫女は居た。
どんなに逃げても、必ず追いついてくる。
その恐怖たるや、もはや巫女ではなく悪魔のようだった……。
なぜだ……私達はアリスを助けたい。
ただそれだけなのに……どうして巫女は私達を攻撃するのか?
ああ、そんなことは分かりきっている!
言葉が! 意思が! 通じないからだ!
ただそれだけ……ただそれだけのせいで……っ!
そして、ついに巫女の弾が私の頬をかすめた。
気がつくと、また体中が重くなり始めていたのだ。
魔力が枯渇しかけている……この状態では、弾幕を避けることも困難になる。
見てみると、相方も大分魔力を失っているようだった。
やはり、今度こそ最後なのだろう……もう、アリスを助けることは出来ない……。
その時、不思議なことに少しだけ体が軽くなった。
何事かと顔を上げると、相方が私になけなしの魔力を分けてくれていたのだ。
初めは、なぜ彼女がこんなことをしたのか分からなかった。
自分の魔力を差し出すなんて、自殺行為に等しい。
だが、すぐに彼女の意図は分かった。
そして、その時にはもう遅かったのだ……。
相方は巫女の方へ突っ込んでいった。
そして次の瞬間にはものすごい爆発……それで終わりだ。
相方は自らの体内に仕込まれた爆薬を使って、巫女をけん制したのだ。
巫女は怯んだ。私はその隙に逃げた。
とにかくがむしゃらに、竹林を飛び回った。
巫女が見えなくなるまでどんどんと……とにかく、必死に……。
かくして、彼女の犠牲の元に私は巫女を撒くことが出来た。
しかし、私の体はもう限界だ。
相方の犠牲、魔力の枯渇、見つかることの無い医者……
正真正銘、心身ともに私は追い詰められている。
思いっきり泣きたかった。
でも、それすらも私には許されない。
なぜなら、私には涙を流すことが出来ないから……。
しかし、ここへ来て天はようやく私達を許してくれたようだ。
私の目の前を、あの医者が通り過ぎたのだ!
最後の力を振り絞って、私は医者のもとへ近づいた。
だが、彼女がそんな私を見て、良い顔をするはずが無い。
「自分の方から出てくるなんてね……その度胸だけは買ってあげても良いかもしれないわ」
やっぱりダメだ……私の気持ちは届かない。
医者は私を酷く睨んだが、巫女のように攻撃はしてこなかった。
衰弱しきった私を見て、わざわざ止めを刺すまでもないと悟ったか……。
せめて、医者がアリスの家まで来てくれれば……あのアリスの容態を見てさえくれれば……。
ただそれだけで、全てが通じただろうに……っ!
その時、ふと医者が持っていた鞄に目が行った。
どうやら経った今、往診から帰ってきたようだ。
私はその鞄から、薬の包み紙が一つはみ出しているのを見た。
朦朧とする意識の中、私は考えを巡らせる。
あの包み紙を使えば……もしかしたら、アリスを救えるかもしれない……。
もう考えている暇すらなかった。
私は医者の鞄から包み紙を抜き取ると、医者とは反対の方向に走った。
「な、何をするの……っ!?」
とにかく、ひたすらに走った。
どっちが竹林の出口かなんて分からないけれど、とにかく走った。
背後からは、医者の声が聞こえてきた。
だが、それだけじゃなく、あの大きな耳の少女の声も聞こえる。
どうやら、二人掛かりで私を追っているようだ。
と、その時目の前から弾幕が飛んできた。
慌てて避けると、目の前に博麗の巫女が立ちふさがっていた。
「ようやく見つけたわ。さあ、今度こそ観念してもらうわ!」
私は後ろへ引き返そうとした。
しかし、背後には既に大きな耳の少女が立ちふさがっていた。
「私を怒らせたら怖いって言ったわよね?
あの時、どれほど怖いのか、ちゃんと教えておくべきだったわ」
次の瞬間、大きな耳の少女は、二人、三人と増えていった。
いや、違う……これは実際に増えているわけじゃない。
アリスと一緒にこの少女とは戦ったことがある……これは、幻影なんだ。
虚構と真実が入り乱れ、少女の攻撃は私の不意を着いて行われた。
ただでさえ、意識のおぼつかない私は、これをまともに受けてしまう。
少女の攻撃を受けてフラフラになったところを、今度は巫女の弾幕が襲い掛かる。
私は大きく吹き飛ばされ、地面へ叩きつけられる形となった。
それでも、薬の包み紙だけは離さない……。
どうすれば良い……アリスの居ない私に、あの二人を倒す方法なんて……。
その時、大きな耳の少女が私の包み紙を奪おうと近づいてきた。
私はとっさに体を起こして、巫女の方へ突っ込んだ。
「そう……そんなに、私に止めを刺されたいのね。
まあ、どうせやられるなら巫女の方が縁起も良いしね」
巫女はスペルを唱え始める……。
そして、それが発動する直前、私は真横にそれた。
「あっ!?」
「えっ……!?」
巫女は少女の目をまともに見た。
少女は巫女のスペルをまともに受けた。
二人が相打ちをしたところで、私はまた竹林の出口を目指して走り始めた。
医者も大きな耳の少女を見限り、一人で私を追いかける。
薄暗い竹林の光景と、薄れる意識のせいで、眼前の景色すら上手く認識できなくなっていた。
走っている途中、何度も竹にぶつかった。
だけど、私は走るのを止めない。
止めてしまったら……それで、全てが終わってしまうから……。
ガツンっ!
ものすごい勢いで、真正面から竹に突っ込んでしまった。
その衝撃があまりにも強すぎて、私は地面に倒れこんだ。
医者がすぐ後ろまで迫ってる……早く立ち上がって、アリスのところへ行かなきゃ……。
しかし、もうこれ以上体が思うように動かない。
医者は私に追いついた。そして、私の持っている包み紙にそっと手を伸ばす……。
ダメ……それを持って行かれたら、もう追いかけて……もらえない……。
その時、空から沢山の星が降ってきた。
私の意識が途切れる間際……まさか、こんな幻想的な風景が見られるなんて……。
アリスゴメンね。アリスのこと助けられなくて……ゴメンね……。
次の瞬間、空から降ってきた星が地面に落ち、ものすごい砂埃を上げた。
医者は突然の事に顔を覆い、困惑した様子だ。
「な、何!? 一体何が……」
「悪いな永琳。そいつは、私の獲物なんでな」
降り注ぐ星の間から、魔理沙の姿が見えた。
あの星は、魔理沙の弾幕だったのだ。
魔理沙は地面に降りると、私と薬の包み紙を拾った。
「一体、何のつもり?」
「私に着いてこれたら、教えてやるぜ!」
そう言うと、魔理沙は私を抱えたまま箒にまたがり、竹林を爆走した。
医者も負けじと、魔理沙のスピードについてきた。
「お前の宝物、独り占めはさせねぇぜ」
その魔理沙の台詞を聞き終わった後、私の意識は途切れた……。
気がついた時、私の目には懐かしい顔が映っていた。
「目が覚めた、上海?」
そういって、彼女は私の髪をそっと手で梳いてくれた。
私は自分の目の前で起きていることが全く理解できず、辺りをきょろきょろしてしまった。
「私はもう大丈夫よ。貴方のお陰でね」
彼女……アリスはそう言って、微笑んでくれた。
いつものあの、優しい笑顔で……。
「良かったな。お前さんの宝物が無事で」
アリスの横で、魔理沙がニヤニヤ笑いながらそう言った。
「まさか、アリスを助けるために、この子達が頑張っていたなんて……本当に申し訳ないことをしたわね」
「それは私の落ち度だわ、永琳。この子達は喋ることが出来ないんですもの。
私がこの子達を完璧に作ってあげていれば、こんな事にはならなかったのに……」
何だか良く分からないけど、とりあえずアリスは助かったようだ……。
しかし、どうして……?
「魔理沙がね、上海を見失った後、私の家へ直接来たのよ。
貴方がどんな宝を探しているのか調べるためにね」
「あの時は驚いたぜ。アリスがベッドの上で唸ってたんだからな」
「それで私をここへ連れてくるために、わざわざ竹林までやってきたのね。
まあでも、軽い熱で良かったわ。それにしては、随分大げさだった気もするけど……」
とにかく、アリスは助かった。それは、本当に嬉しい。
でも、他のみんなはもう帰ってこないのだろうか……。
と、その時この家に来訪者が現れた。
「お師匠様ぁ~……とりあえず、これで全部みたいですぅ~……」
「全く……妖怪退治のはずが、人形探しになっちゃうとはね……」
大きな耳の少女と博麗の巫女が、沢山の人形を抱えてやってきた。
どうやら、二人とも竹林に散らばった人形を回収してくれていたようだ。
「二人ともご苦労様。今、紅茶とクッキーを用意するわね」
「私は緑茶の方が良いんだけど……まあ、しょうがないわねぇ」
こうして、アリスの家ではちょっとしたお茶会が開かれることになった。
一応、アリスは迷惑をかけてしまった側……という事なので。
私はそっと、アリスの傍に寄り添った。
今、他の人形は全員動けない状態だ。
だから、今ならアリスを独り占めできる。
「それにしても、服も汚しちゃって、おまけにこんな傷だらけになって……
本当に貴方には苦労をかけちゃったわね」
アリスはそっと、私を抱いてくれた。
私は嬉しくって、つい顔をアリスの胸にうずめた。
アリスはそんな私の頭を優しく撫でてくれる。
それが……そんないつものしぐさが……今の私には最高に嬉しかった。
私達はみんな、アリスが大好き。
だから、ここまで頑張れた。
本当に……ただそれだけなんだよ、アリス……。
自分の大切な人のために奔走するって所がそう思わせたんでしょうか。
自分は暗い作品も好きですよ。
>>二人係
掛かり