※注意
この作品は、作品集138に有ります拙作『風の記憶~Dear my friend~』の続編となります。
先に『風の記憶~Dear my friend~』をお読みになることを推奨します。
この作品には、筆者の独自解釈やオリ設定が含まれています。
そういうものに嫌悪感を抱く方はブラウザバックをお勧めします。
大丈夫だぜという方は、続きをどうぞ。
視界を覆うように、白い雨が降っていた。
山の輪郭すら朧なその景色の中を、黒い線が過った。
霧雨に濡れ、その黒い羽は水を吸って重い。
しかし、霧雨を透かして見るかのように細められたその双眼は、その目の光は、それ以上に重く、暗かった。
――――――――
霧雨を抜けて辿り着いたのは、プレハブ風の小屋。
「お邪魔しますよ」
「ハイハイどなた――って文じゃないか。珍しい。どうしたの?カメラの修理は先週したばかりだから、壊れるわけないと思うんだけど」
工具の海からひょっこりと顔を覗かせたのは、文もよく知る谷河童のにとり。
「いや、用事って訳じゃないんだけど……」
バサバサと翼を振るって雨粒を叩き落しつつ、歯切れ悪く文が答える。
「ちょっと、相談したいことがあって」
「相談?いいよ。ちょっと待ってね」
そう答えるが早いか、にとりの首がしゅっと引っ込む。
奥からはなにやら、ガラガラゴトゴトズガガガドシャーンといった、おおよそ尋常ではない音がしてきているが、にとりの家を訪問すれば、こうなるのは恒例行事なので、最早文も別段心配したりはしない。
「ごめんごめん。で、何の話だっけ。」
果たせるかな、一分もしないうちににとりが現れ、文を部屋へと案内する。
「いや、なんというか……にとりは、椛のことどう思う?」
出された渋茶に手も付けず、その割にはゆっくりとした口調で訊ねる。
唐突な質問に、初めは虚を突かれたような表情をしたにとりだったが、やがて顔いっぱいにニヤニヤ笑いを広げた。
「ん~、もみっちのことねぇ。良い奴だと思うけど?真面目だし、素直だし」
「なによ、その笑い方は」
不満げに口をとがらす文に、笑いに少々の呆れを交えた表情へと顔をシフトさせる。
「いや~、今回ばかりは聞かなくてもわかるくらい分かりやすいんだもの」
「まだ相談の枕も話してないんだけど」
にとりは呆れたとため息を吐く。
「文はねぇ、色々と一人で考えすぎなんだよ。それに難しく考えすぎ。もう少し素直になればいいのに」
にとりの言葉に、釈然としないといった様子を示す文。
「あ~もうなんで分かんないかなぁ。そんなんだから、もみっちにも要らない心配をさせてるんだよ」
頭の芯がすっと冷えたような気がした。
「も、椛がなんて……?」
「ん?あぁ、時々うちに来ることもあったし、大将棋の合間に話すことも多いからさぁ。」
前置きするようにそう言うと、その微笑みを崩さぬまま言い放った。
「大分、心配掛けてたでしょ?もみっちも悩んでたみたいよ―――」
そこから先は耳に入らなかった。
「え、ちょっ、文!」
にとりが呼び止めようと腰を浮かせたとき、既に文は幻想郷最速の速度をもって、にとりの前から消えていた。
彼女がそこに居たことを示すのは、僅かに散らばった黒い羽根のみ。
「……あーあ、本当に話を聞かないんだから」
散らばった羽根と、その衝撃で吹き飛んだいくつかの機械を拾い集めながらにとりが一人ごちる。
「……まぁ、私が言ったところで聞き入れないかもしれないし。こういうことは自分で気が付いてこそだよねぇ」
どっちも不器用なんだから。おまけのようににとりはそう呟いた。
それを聞いたのは、本人と幾つかの機械、そして黒い羽根だけだった。
――――――――
文は、再び白い霧雨の最中にいた。
雨脚が強くなる様子はないが、視界の悪さはひどくなる一方だった。
視界一面を白いカーテンが覆い、人影どころか立ち並ぶ木々の姿さえ容易には確認することができない。
しかし、そんなことに頓着せず、文はひたすらに飛んだ。
「大分、心配掛けてたでしょ?もみっちも悩んでたみたいよ―――」
にとりの声が何度も何度も頭の中でリフレインされる。
心配を掛けていた。今の文には重すぎる事実。
だから逃げ出した。最後まで聞ける自信がなかったから。
真っ白な視界の中を、ただあてもなく、ひたすらに飛んだ。
――――――――
――ゴッ!
「っ~~!!」
急に鼻先に生じた衝撃に、文は思わず急制動をかけた。
「……痛ったぁ~!いきなり何するのよ!!」
「え……あ、すいません」
どうやら人にぶつかってしまったらしいと、未だ整理のつかない頭でやっと理解する。
すみませんで済んだら世話はないわよ、と相手は怒り心頭な様子。
「お姉ちゃん、大丈夫?」
「なんとか……紅葉が最盛期じゃなかったら危なかったわ。穣子、あなたも気をつけなさい」
声の様子からして、どうやら相手は二人のようだということまでしか分からない。
白いベールの中から二人の姿がはっきりと現れた時、文はようやく相手を確認することが出来た。
オレンジに近い赤色のワンピースに、鮮やかな金髪。髪の上には蟹――もとい、紅葉をあしらった髪留めを付けた少女。
少し後ろから現れたのは、頭に葡萄を乗せ、焼き芋の香りを振りまく少女。
「……秋神様でしたか。これはとんだご無礼を」
直撃した鼻先をさすりつつ、殊勝に頭を下げる。
まあ、これでも一応神様なのだから、当たり前といえば当たり前なのだが。
対する姉妹も、自分に体当たりをかました相手をようやく理解したようだった。
「あら、いつもの鴉天狗。あなただったの。そんなに急いでどこに行くのかしら?だいぶ急いでいるみたいだけど……」
「そうね、まるで――何かから逃げているみたいに」
はっと顔を上げる文。
二人の秋神は、優しい笑みを浮かべて先程と同じ位置に佇んでいた。
「どうやらそういうことみたいね、お姉ちゃん?」
「ええ、そういうことらしいわね、穣子」
全てを見通したような二人の様子に、どうも落ち着かない気分で視線をそらす。
「何が、『そういうこと』なんですか。まるで、何もかも知っているみたいに言って……」
「わかるわよ、神様だもの」
被せるように放たれた言葉に、思わず黙りこむ文。
そんな文に、あくまでも優しい口調で静葉が語りかける。
「神は、地に生ける生き物を導くものよ。遥か昔から、あなたと同じように悩んだ者を何人も見てきた。中には、答えを出せずに死ぬまで悩み、悔やみ続けたものも居る。……でも、あなたは大丈夫」
「――なぜ……なぜそんな風に言い切れるんですか!私がどれほど悩んだ末にこの選択をしたのか、微塵も知らないくせに!」
その言葉に、文は思わず声を張り上げた。
今の文には、静葉のその言葉はいかにも無責任で都合のいい慰め文句としか映らなかったのだ。
――しかし、怒鳴りつけられた当の本人も、その妹も、未だ微笑を崩さぬままだった。
「――あなたが」
不意に、穣子が口を開く。
「あなたが、これまでにどれほど悩んだか……それは分からないわ。いくら神様だってね。でも、あなたがその悩みの答えを見つけられる、それは間違いのないこと。だって、答えは既にあなたが持っているのだから」
彼女は一度言葉を切ると、少し考えてから言葉を紡いだ。
「……いえ、それは正しい言い方ではなかったわね。あなたが持っているのは答えだけではない。全てはあなたの中にあるの。だから悩むことはないわ、素直に真っ直ぐ進めばいいだけ。すぐにあなた自身がそれに気が付くわ」
「一体何のことを言って……」
苛立ちを隠す気もないといった様子で、剣呑な態度のまま問いかける。
「私一人の問題じゃないんです!!私が悩んでいるのは――」
「貴方の問題よ。」
静かに、しかし明確な意思を持って投げかけられた静葉のその一言に、またもや文の口がピタリと閉じる。
「あなたが自分で創りだして、あなたはそれから逃げている。向き合いなさい、その悩みと。――さあ、行きましょうか、穣子」
静葉の言葉に応えるように、穣子はゆっくりとその身を姉へと寄せた。
「……大丈夫、あなたは自分の足元に出来た影に怯えているだけだから」
最後に、一言そう付け加えると、二人はゆっくりと文に背を向ける。
訳がわからない文は、思わず去りゆく二人に問いかけた。
「何を……何を言っているんですか!全く意味が分かりませんよ!……教えてください、教えてくださいよ!神様なんでしょう?あなた方は人を助ける存在なんでしょう!」
「いいえ」
はっきりと否定の言葉を口にし、静葉は半身だけ文へと振り返った。
「私たちは助けることはしない。私たちは、導くだけ。答えを教えて上げることはしないし、出来ない。……そうね、まだあなたに言ってあげられることがあるとすれば、山の上の神社に相談してみては如何ということくらいね。」
「山の上……守矢神社ですか」
「そう、彼女は神であり、人間でもある。相談をしてみるのには丁度いい相手じゃないかしら」
まあ尤も、と言葉を付け加える。
「それでも、答えを教えてくれるとは思わないほうがいいと思うけど」
「…………」
最後に微笑を投げかけると、今度こそ二人は文に背を向けた。
次の瞬間、ひゅおっと風が過ぎり、文の視界を紅葉が遮った。
その葉が舞い散る頃には、秋姉妹の姿はもう無かった。
それは、紅葉の神である静葉らしい別れ方とも言えるし、(穿った見方をすれば、だが)未だに紅葉ならぬ、椛のことを引きずっている文への、秋神姉妹からの、ある意味での皮肉ともとれた。
「……ふん」
溜息とも、悪態ともつかない一言を吐き出すと、文の身体はまたも風を切った。
――目指すは、山の頂上。守矢神社――
―――――――
結論から言えば、守矢神社に行くことは無かった。
というより、行く必要がなかったというべきかも知れない。
なにせ、文の求める人物とは、山の中腹辺りで出会うことが出来たのだから。
「あれ?文さん、どうしました?こんなところで会うなんて奇遇ですね」
「……それはこっちの台詞じゃないかしら?また珍しい組み合わせだし」
そう、彼女――守矢神社の現人神 東風谷早苗――は一人ではなかった。
彼女と向かい合うように座っているのは、赤と緑を基調とした、どこと無く人形のような少女。
といっても、この場合の人形は西洋人形ではなく、雛人形だが。
「ああ、雛さんには少々相談がありましてね」
「神社での厄祓いをお願いされていたところなのよ」
早苗に代わり、その少女――雛が答える。
「厄神様が厄祓いをね……それは効果の有りそうな事だけど……」
神社に厄神様を呼んでの厄祓い。一見真っ当にも見えるが、そこはそれ早苗の行うことだ。どうせ新たに信仰を集めるために、雛を体よく利用しようという魂胆なのだろうということは簡単に読める。
だからといって悪いわけでもないのだが。
「それはそうと、何か用事が有るんじゃないですか、文さん?」
「え……うん、まぁ……って、何で早苗がそれを知ってるのよ?」
もしや誰かが余計な噂を立てているのか。文の中にそんな疑念が生まれる。が――
「そこはほら、勘ってやつですよ、勘」
「……それで理由説明になるのは霊夢の専売特許よ」
なにやら気を回した自分が馬鹿らしく感じられた。
「まあ、冗談はさて置き……顔にモロに出てますよ、今の文さん」
「っ!」
文の顔から笑顔がすっ飛ぶ。
「私でよろしければ、話してみてくださいよ」
「僭越ながら、私も協力します」
「……神様なら言わなくても分かるんじゃないの?」
一つ憎まれ口を叩くも、全く動じない二人の様子に、文も諦めたように溜息をつく。
「よくある話よ」
そう前置きをし、事の起こりから二人に話し始める。
なんやかんやで、本日初めての状況説明である。
―――――――
「そういう訳で、私はここに居るってわけ」
話しだす前はそれ程乗り気でなかった文も、話し出せばもう止まることはなかった。
結局、気がついてみれば、自分が疎まれていたことや、秋姉妹からの謎の忠告まで、包み隠さず話していた。
さすがに、椛と過去に約束を交わした話はうまくぼかしておいたが。
「ふ~ん、なるほど。それで、文さんはそのお二人に言われたから私を探しに来たと。そういう訳ですか?」
「まあ、そうなるわね」
なるほどなるほどと、しきりに頷きながら一人思案に暮れる早苗。
「雛さん、どう思います?」
と思えば、唐突に雛に話を振る。
やはり来るだけ無駄だったかと、文は軽い後悔を覚えつつあった。
「そうね……厄くないわ」
「は?」
「あなたは、厄くない。厄が感じられないの。もちろん、全く無いわけじゃないけれど……そうね、いうなれば不幸の兆しとでも言うのかしら、そういうものが見えないのよ」
先程の秋姉妹と同じように、柔らかな微笑を浮かべた表情で語る雛。
「やはりそうでしょうね」
したり顔で頷く早苗とは対照的に、困惑した様子の文。
「え……よく分からないわ。椛と離れることが、私にとっては良かったってことなの?」
「全然違いますよ。雛さんの言っていることはそういう事じゃないんです」
横から早苗が口を挟んだ。
「おんなじなんですよ。雛さんの言っていることも、秋姉妹のお二人が言っていることも。結局、他人からはその程度の事までしか言えないんですから」
「……分からないわ……全く分からない。結局何が言いたいのよ」
うわ言のように呟く文に、ゆっくりと答える早苗。その表情は、今までの三人と同様、人を導く『神』の表情だった。
「言葉通りの意味ですよ。秋姉妹のお二人は、ずいぶんと直接的に言ったようですけど。『大丈夫、あなたは自分の足元に出来た影に怯えているだけだから』これが全てです。私からも、言うことが出来るのはそれくらいです」
そう言うと、早苗は口を閉じた。
くるくると、文の横を回りながら雛が森の奥へと消える。
音は消え、聞こえるのは霧雨が葉を叩く微かな音だけ。
「―――さて、ここまでは現人神としての私の言葉です。ここからは、一人の人間としてお話しましょう!」
その静寂を、その場に似合わぬ快活な声が破った。
驚いて眼を向ける文の視界には、いつものように満面の笑みを浮かべる早苗がいた。
説明が無くとも、今の早苗が『神』の立場に居ないことは分かるだろう。
「一人の……人間として?」
「ええ、一人の人間として。そして、文さんのお友達として、です」
ニコニコと笑顔を振りまくその様子は、さながらそこだけ快晴の青空のようだった。
「文さん、そのお話をした後、椛さんとは会いましたか?」
「え?……会ってない……けど」
唐突な質問に、未だ頭が追いつかない文。
そもそも、いきなり「ここからは一人の人間としての話です!」なんて言われて始まった話なのだから、混乱しているのも無理はない。
「例えばですよ、文さん。その時椛さんは酔っていて、心にもない事を言ってしまったって可能性はないですか?」
「…………酔っていたって、あれは本心からの言葉よ。伊達に長く付き合っちゃいないわ」
ずいぶんと不自然な間が開いたが、早苗は「そうですか」と、あっさり引き下がった。
「じゃあ、文さんが聞き間違いをしたとか。もしくは、椛さんが話の内容を理解してなかったってことも考えられますね。なにせ、直後に酔い潰れて寝てしまったくらいなんですから」
「……だからそんなことは――」
ない。本当に無いのだろうか。もしかしたら――
直後、目を覚ますように頭を振る文。気持ちを切り替え、早苗の話に集中する。
「とまあ、私が勝手に空想するだけでも、これだけの可能性が出てくるわけです。だから、私から文さんに言えることは一つ」
ビシッと指を立て、宣言する。
「もう一度、椛さんと会ってみてください」
一言。
「椛と……会う?」
「はい。そうすれば、自然にわかると思いますよ」
それだけ言い残すと、様は済んだとばかりに背を向ける。
「ちょ、ちょっと待ってよ!」
既視感を覚え、思わず呼び止める文。
振り向いた早苗は、ちょっと困ったように笑い、
「だめですよ。これ以上は何も言えません。後はお二人で解決すべき問題です」
そう、言った。
「解決って……それがわからないから困ってるんじゃないの!教えてよ!どうすれば解決することが出来――」
「ダメです」
今までにない、はっきりとした口調で断りの言葉を放った。
「私からは、教えられません。それは、答えを教えることと同義ですから。それでは、文さんが満足しても解決には至らないでしょう。だって――」
そこで一旦言葉を切ると、顔中で笑うような笑顔で
「神は、人を助けません。人は、一人で勝手に助かるものなんですから。」
限りなく人間のその笑顔で言った。
「……まあ、これは本の受け売りなんですけどね」
恥ずかしげにそう付け加える早苗は、やはりどこまでも人間だった。
頑張ってください。そんな彼女の言葉を背に、再び文は霧雨へと消えた。
―――――――
「よっと。」
心中とは裏腹に軽い掛け声を掛けながら、文は枝に足を下ろした。
そのまま枝に座り込むと、自らを掻き抱くように体を羽で包んだ。
「……やっぱり、成長してませんね、私は。」
千年前の幼い自分と、今の姿を重ね合わせ、自嘲げに笑みを漏らす。
―――出来なかった。どうしても、会いに行く勇気が出せなかった。
「本当、情けないったらありゃしないわ」
自己嫌悪に陥り、抜け出せなくなる。
「これじゃ、昔の私と一緒じゃないの……」
頬を熱い水滴が伝ったが、この霧雨の中では、分かるものは居なかった。
~~~~~~~
「まーたこんなとこで拗ねてる。」
「ふぇ……」
木の枝に器用に体育座りをし、典型的な「落ち込みポーズ」を取った文が顔を上げる。
視界に入るのは、シミ一つない哨戒衣装に白銀の毛並み。名前を呼ぶまでもなかった。
「毎回毎回、千里眼使って探す身にもなってよ。」
呆れたような表情で、文の横に腰を下ろす椛。
「聞いたよ。またやってきたんだって?」
文の顔を伺いながら、椛は思わず苦笑する。
「これで何度目?」
「……二十」
「にっ……」
呆れすぎて声も出ない。
「今度は何?」
「……」
黙りを決め込む文を諦観した様子で見やり、諭すように問い掛ける。
「はぁ……いい加減にしたら?上司に喧嘩売るなんて。」
むすっとした顔を膝に埋め、答えようとする気配のない文に、思わず嘆息する椛。
時は流れるのは早く、あの約束の日からはや数十年。二人もそろそろ齢百を数える頃である。
椛の語るように、文が“こう”なるのは、もはやこの百年の間に恒例となりつつあった。
「………白狼天狗が――」
唐突に、文がぼそりと呟く。
「ぅん?」
「白狼天狗が………ろくに戦いもしないで逃げてばかりの役立たずだって……」
あちゃーと、椛は顔をしかめた。
文に対して天狗の侮辱、それも白狼天狗へのそれは、あの日の約束の為禁忌と言っていいものだ。
天狗への侮辱や差別。それが、常日頃から世渡りの上手い文が、唯一立場を忘れて激昂する事。
「私は……椛がいつも………どれだけ厳格に……あぅ、えぐっ……規則を守って……ぅく……昼も夜も……ぁく、うぅ……働いてるか……知ってるのに……」
途中から涙混じりで、実際のところほとんど聞き取れなかったが、椛には言わんとすることがよくわかっていた。
つまり―――
「私の為に、怒ってくれたんでしょう?」
文が妙な所で律儀なのは、椛もよく知るところだった。
目の前で白狼天狗を侮辱する相手を許せず、思わず突っ掛かってしまったのだろう。
しかし、期待の新鋭だろうとなんだろうと、文はただの平天狗。ただですら上下関係に厳しく、プライドの固まりのような大天狗が、平の文に謝罪をするわけが無い。ましてや、前言の撤回などもってのほかだ。
無論、そんなのは文のせいではない。それでも自分を責める、それが射命丸文なのだ。
だから―――
「文は悪くないよ。」
―――それに気付かせてやるのが、椛の役目。
「で、でも私……結局何も――ひゃっ!?」
赤く輝く夕日の下で、二人の影が重なった。
「も、椛……何―――」
「私は……私はそれで十分なの。」
幼子を抱く母のように優しい口調で、椛が語る。
「私の為に闘ってくれた。それだけで、十分なの。」
細い木の上で抱き合いながら、椛の瞳は文の潤んだ双眼を射ぬく。
「だから、自分を責めないで。」
「―――うん。」
瞳に涙を残して、それでも輝く夕日のような笑顔で、彼女は笑った。
―――都合、二十回目のやりとりであるが、当人達には些末な問題だろう―――
―――――――
「ぅあ~~!!それにしても、んっと頭くるわねぇ!!」
椛の抱擁によって、多少なりとも会話が出来るようになった文だが、その口から吐き出されるのは上司天狗への恨み言ばかり。
「また喧嘩売ったりしないでよ?」
ジト目で釘を刺すと、うっと言葉を詰まらせた。実に分かりやすい反応である。
「はぁ………ていうか、そもそもなんで力で勝負を仕掛けてるのよ。」
一つ嘆息すると、椛がふと尋ねた。
「へ?……いや、他に何でやれってのよ?」
逆に文が聞き返す。
「文は新聞記者でしょ?だったら新聞で勝負すれば良いじゃない。」
―――沈黙
「そっかぁ!」
急に叫び声をあげる文に驚き、椛は思わず腰を浮かせる。
「それよ!新聞で見返してやれば良いんだわ!!大会で優勝すれば、山の中での知名度も発言力も格段に上がるから、目標の為にもなって一石二鳥よ!!」
枝の上に、一体どういうバランスなのか、一本足下駄で器用に立ちつつ、雄叫びを上げる文。
「元気……出たみたいね。」
顔には苦笑を表しながら、椛の表情はどこか眩しそうだった。
「さぁ!そうと決まれば早速ネタ探しよ!!あのジジイ共をあっと言わせるような記事を書いてやるわ!」
言うが早いか、翼を広げて飛行態勢に―――
「文、待って。」
さぁ飛び立とうといったタイミングで、椛の声が彼女を引き止めた。
急制動を掛けたため、当たり前のように文はつんのめる様にしてコケる羽目になる。
「っ~~!!」
「……大丈夫、だよね?」
「な、なんとか……」
「いや、枝がさ。」
「私の心配は!?」
珍しく毒を吐く椛に、思わず素で突っ込みを入れる。
椛の顔を見やり、ニヤニヤと笑っているのを確認したところで、やっと自分が一本とられた事に気が付いた。
「意趣返しは良くないわ。」
むすっとした態度で言い放ち、立ち上がって服を叩く文。
どうでも良いが、ここは木の上である。
バランス感覚が良いとかいうレベルではないような気もするが……
閑話休題
「悪かったって。いつも弄られてるから、たまにはこういうこと言ってみたかったのよ。」
完全にへそを曲げた文を前に、困ったような笑いたいような表情で佇む椛。
「別に気にしてないもん。」
頬を膨らませるという、何とも子供っぽい仕草で不満を表しつつ、反論を口にする。
椛は先程から苦笑しっぱなしだ。
「まったく、見事にしてやられたわ。」
そう呟きながら、先程と同じように翼を広げる。
「あ、待って文。」
既視感を感じるやり取り。半眼になった文が、じろりと椛を一瞥する。
「流石に、それは一度までじゃないかしら。」
軽い非難の視線に晒され、慌てたように手をパタパタ振って否定する椛。
「違うって。今度は……ってさっきもそんなつもりじゃなかったんだけど……」
ぼそりと付け加えながら懐を探る。
「はい。これを渡そうと思って。」
小さな手帳を取り出し、文へと手渡す。
茶塗りの表紙に、すっきりとした書体で「文花帖」の文字。
「これは――」
「ささやかだけど、お祝い。今日、誕生日でしょ?」
――またも、短い沈黙
「……全く、変に律儀なんだから。齢百を超えて、今更誕生日も何も有ったもんじゃないわ。」
憎まれ口を叩きつつも、口元は隠し様もなく緩み、頬はほんのりと色付いている。
「ふふっ、喜んでもらえたみたいで良かった。」
指摘するまでもなく、椛にはそんな事は分かり切っている。
そして、文もそんな照れ隠しが通じないことをよく分かっている。
故に、このやり取りは儀式のようなもの。たわい無いじゃれあいに過ぎない。
「作ってくれた河童曰く、防火防水防弾幕、防塵防風防電と、対魔対妖対結界、開運健康交通安全何でも御座れらしいわ。」
「どう考えても怪しいでしょ。最後の方関係ないし、そもそも妖怪が対魔対妖の品を持つってどうなのよ。」
大層な触れ込みの手帳を、しげしげと眺めながら文がツッコむ。
「細かいことは気にしないの。どっちにしろ、これはそんじょそこらの手帳とは違うんだから。頑丈なことは御墨付きよ。」
「誰の?」
「私の。」
「何の保証にもならないじゃない。」
ククッと、可笑しそうにのどを鳴らす文。
「まあね。でも、それくらい丈夫じゃないと文の取材には耐えられないでしょ?今週だけでも何冊灰にしているやら。」
椛の言葉に、思わずうっと声を詰まらせる。
事実、文の手帳は物持ちが悪い。
というより、道具のことを考えられるほどの余裕がないのだ。
「仕方ないでしょう、相手が相手なんだから。私が消し炭にされそうだってのに、手帳の心配なんかしてられるもんですか。」
花の大妖怪風見幽香、妖怪退治のエキスパート博麗の巫女を筆頭とし、文が取材対象に選択するのはどうも危険度が高い――どころかルナティックな奴らばかり。
先日も、密着取材と称して、博麗の巫女に会いに行ったところを、強力な霊弾を返答にされて這々の体で逃げてきたばかりである。
ちなみに、その時の霊弾に巻き込まれて文の手帳は灰も残らず消し飛んだ。
「だからこそでしょ?それなら、生半可な攻撃じゃ灰どころか掠り傷一つ付かない――らしいわよ?」
文の手の中にある手帳を、指で指し示しながら椛が付け加える。
又聞きという所に若干の不安を覚えはしたが、椛が自分の為に、わざわざ頼んで作ってもらったものにケチを付けるほど、文は人間が――もとい、天狗が出来ていないわけではない。
「ありがと。なるべく長く持つように心がけて使うわ」
文は照れ隠しに、ややぶっきらぼうにそう言うと、文花帖をするりと懐にしまい、漆黒の翼を大きく広げた。
一陣の疾風が黄色く色づき始めた葉を散らし、西日がそれを金色に染め上げる。
風が収まる頃には、文の姿は消えていた。
~~~~~~~
「飽きもせずに同じ事を繰り返していましたねぇ」
千年後の世界に意識を復帰させ、無意識にぽつりと零す。
懐を探り、件の手帳――文花帖を取り出す文。
「これをもらったのが、つい昨日の出来事のような気がするわ」
長年、過酷な取材に耐え、文と共に有ったそれ。
年月と共に色はあせ、ボロボロになってはいるが、まだ健気にその役目を果たしている。
ぱらりとページをめくると、一面にびっしりと特徴的な丸い文字が書き付けられたページが目に飛び込んでくる。
ページの間には、数えきれないほどの写真も。
「……懐かしいわねぇ。新人の頃からずっと使っているから……ざっと九百年分か。どうりで厚くもなるはずだわ」
思い出に浸りながら、一枚一枚丁寧にページをめくっていく。
――人里での夏祭り。小さいながらも立派な夜店が競いあうようにして出ていた。空から眺めるだけでも人々の熱気が伝わってくるよう。いつの日か、自分も参加できたら楽しそうだ。
――鬼の皆様との大宴会。例外的に天狗間での無礼講が許される日。白狼天狗も鴉天狗も、みんな一緒になって馬鹿騒ぎをした。大天狗様の一人が鬼の方々と相撲を取り始めたのは無礼講すぎる気がするけれど……
読み返しながら、頬をポリポリとかく。
「まるで子供の絵日記ね。恥ずかしくて見てらんないわ」
口ではそう言いつつも、手は次のページを開き、目は自分の稚拙な文章を追う。
――幻と実体の境界が張られた。号外を発行。
――博麗の巫女が代替わりした。写真を辛うじて撮ることに成功。
――騒霊の楽団がライブを決行。ステージは太陽の畑。初めてみる顔だったが、演奏は素晴らしい。これから要チェックか。
――博麗大結界によって、外界との交流が遮断された。竜神様を写真に撮ることは叶わなかった。
――今年の作物は豊作な様子。秋神様が上機嫌で豊穣祭に参加をしている。
歴史に残るような大事件から、日常のちょっとした変事まで。大小様々なネタが、色とりどりの写真と共に記されている。
そして、どの記事、どの思い出にも必ず記されている名前。
「椛……」
取材に、編集に、校正に、どこをめくっても必ず出てくる名前。
「椛………もみじぃ……」
枯れたはずの涙が流れだす。
思い出は、残酷に今の傷をえぐり返した。
「もみじぃ……うぅ……もみじ……」
「まーたこんなところにいたんですね?」
はっと、思わず顔をあげた。
「探しましたよ、文様。……いえ、文」
平時はシミ一つない哨戒衣装は泥と雨に濡れ、白銀の毛並みも無残な姿になっていたが、夕陽を背に立つその姿は――
「椛…………」
間違いなく、犬走椛だった。
―――――――
「……どうしてここに」
「居るって聞くの?黙って居なくなったのは文の方なのに」
厳しい指摘に自然と顔が下がる。
視界の外から、椛の怒声が飛び込んでくる。
「勝手に言いたいこと言って、勝手に撮りたいもの撮って、勝手に居なくなって……迷惑かけすぎなのよ!!」
叩きつけるように怒鳴る椛に対し、顔を俯けたまま声も出せない文。
「私が……迷惑……掛けてたから……」
「だから!!」
強い口調の椛に、跳ね上がるように顔をあげる。
「確かに、迷惑は掛けられてるよ。でも、だからって、私が文のこと嫌いだって言ったこと有った!?」
「…………ふぇ?」
想像もしなかった言葉に、思わず情けない声が漏れる。
「まだわからないの!?」
苛立った様子で歩を詰めながら、
「迷惑ばっかり掛けられて、昼夜を問わず押しかけて、挙げ句に処分を食らうことも多々あって――」
涙でぐちゃぐちゃになった顔で、それでもしっかりと文を見据えながら、
「それでも私は、私は――――」
はっきりとした口調で言い放つ。“あの日”に見せた笑顔を浮かべて。
「私は文の友達でありたい!!」
夕陽の照らすその笑顔を見て、ようやく文は理解した。
――自分が、何から逃げていたのか。
――何に怯えていたのか。
「なんだ……全部私の早とちりって事なんじゃない」
椛に負けず劣らずの泣き顔で、嬉しそうに呟いた。
「……ねえ、椛」
「なに、文?」
すっと涙をぬぐうと、一つ息を吸い込んで、叫ぶ。
「私も、椛の友達で居たい!!」
そう言い放つと、黒の翼は真っすぐに白の影に飛びついた。
いつの間にやら霧雨は止み、雲の切れ間から覗いた夕日が、二人を静かに祝福していた。
――それはまるで、千年前のあの日を切り取った写真のようだった。
―――――――
「待ちやがれこのクソガラスがぁ!!」
「あやや、待てと言われて待つ天狗は居ませんよ」
「着替えを盗撮した奴が何カッコつけてんですかこんちくしょぉ!!」
今日も今日とて、件の二人は空を駆ける。
放つのは弾幕、口からはそれ以上の密度で怒鳴り声と笑い声。
それを見上げる天狗達にとっては、またかと呆れるようなこと。
それでも、二人にとっては全てが新鮮で、掛け替えの無い時間。
喧嘩するほどお互いが好きで、怒鳴らずに要られないほどお互いを想っていて。
些細なことでも意見が食い違って、その度に山を震わせて争って。
それでも、笑っちゃうほど目指す目標は一つで。
ぶつかって、喧嘩して、泣いて、またぶつかって
あぁ、だからこそ、それを見たものはこう思うのだ。
文と椛は仲が悪い、と。
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――この事件が、何か天狗の組織体制を変えることに役立つかといえば、そんな都合のいいことは起きないわけで。結局のところ、変わったことといえば私と椛が少し互いを理解し合ったということだけなわけです――
――それでも、私に……私たちにとっては、かけがえの無い、記憶――
――吹きすさぶ、風の記憶の一ページ――
幻想郷の空は、今日も青かった。
重苦しい感じが軽減し、むしろこちらも落ち着いて応援したくなる・・そんな秀逸な表現だったと思います。
白麗の巫女の代替わりのところなど、一瞬ゲーム中などの東方の時系列から離れてたそがれた空気が
漂う感じで実に文学的でした。 長編でしたがあっという間に読みました。次回作も期待しています。
これからも頑張って下さい。
>>6様
ありがとうございます。
風景描写で心理状態を表現できれば良いなと思っていたので、しっかりと拾いあげて頂けて嬉しいです。
一応、このシリーズも続きの案があるので、また(何時になるか分かりませんが)上げていきたいと思っています。
>>7様
ありがとうございます。
表現が綺麗……とても嬉しいお言葉です。
次回作は少し先になるかも知れませんが、良かったらまた覗いてください。
泣きながら怒ったり、 すごく乙女を感じました。
鉄の意志を持つ作品の多い中、こういった精神の未熟さや、気を許しているからの脆さは
すごく人間味があっていいなぁと思いました。
この二人には、長く明るい未来が待っている事を願います。
シリーズ物として案があるということで、とても楽しみです。
いつまでも気長に待っています