午前二時。
窓のない図書館で夜の闇を感じる。
目を開いて見つめる闇は吸い込まれそうになるほどに、暗い。
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「飽きないのか?」
本を読みながら、堂々と菓子を盗み食いする侵入者が口を開いた。
不思議と本に汚れは付いていない。
「…そうね、そろそろこのクッキーにも飽きたわ。たまにはプディングでも用意させようかしら」
「いや、そっちじゃない。クッキーは大変お気に入りだ」
盗人猛々しい。
「菓子じゃなくて本のことだよ」
「本?」
「そう、四六時中読書ばかりしてて、飽きないのか?」
……何を言い出すのかと思ったら…。
「貴女、ここが何処だか分かってるの?」
「ん?図書館だろ?」
…ため息が漏れる。
「飽きるわけがないでしょう。むしろ本のない生活なんて想像もできないわね」
私にとって"本"は要素だ。活字のない世界など、酸素を失った世界に等しい。
そんな私から本を強奪する張本人がよくもこんな言葉を吐けるものだ。嫌味のつもりだろうか。
「んー…」
しかしそんな様子は微塵もない。
首を傾げて、いかにも「考えてます」といったポーズ。
何がしたいのだこの娘は。
「…いや、そこまで大きな話じゃなくてだな、読書の合間に散歩したり、買い物に出かけたりしないのか、ってことだ」
「散歩は時々している。でも読書に飽きているわけではないわね、運動しろ運動しろと口うるさい司書さえいなければその時間も本に捧げたいぐらいだわ」
健康志向の魔女など聞いたこともない。それに仕える悪魔なら尚更の筈なのだが、不思議と私の使い魔は健康に関して口を挟んでくる。
「そっか…」
どうにも不満そうな表情と言葉を残しながら、彼女は視線を手元の本に落とした。
何が言いたかったのか。尋ねようかとも思ったが、気が引けるので止めた。
読書を再開する。
どこまで読み進めていたかは、忘れていた。
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図書館は夜の幕に覆われたように静かだ。しかし、時に騒がしくなることもある。
一つは侵入者が潜り込んだ時。
そして、もう一つは彼女が訪れた時だ。
「ねぇパチェ、こっちの呪文は何?」
もっとも、彼女は滅多に図書館に顔を出さない。来たら来たで迷惑を振りまいて帰るので、こちらとしてもその方が都合がよいのだが。
「それは人参を召喚する呪文。…レミィ、何か用事があるのではないの?」
「おぉ、そうだった。ちょっとお願いがあってね」
「お願い?」
「そう、お願い。パチェ、あなた花火って作れるかしら、鬼が投げるみたいなヤツ」
花火…?
わざわざ冬も近くなってきたこの季節に上げるものでもない。また変なことでも始めるつもりだろうか…。
「そんなもの里の職人にでも依頼しなさいよ…」
「ちょっと変わった花火でね。魔法が必要な花火なのよ」
魔法の干渉が必要な花火となると、ほぼ鬼の投げる火球と変わらない。それこそ弾幕に近いものになる。
月にでも打ち込むつもりだろうか。
「どうかしら、流石のパチェでも花火は作れない?」
…少し癇に障る物言いだ。
"できない"と尋ねるのは、逃げ道を失わせるため。分かってはいるが、断って小馬鹿にされるのも癪だ。
「出来るわよ。内容によるけどね」
「あら、絶対じゃないのね」
「当然よ。対価を要求しないだけ良心的だわ」
仮にも悪魔の名を冠するなら、魅力的な餌ぐらい用意しておいて欲しいぐらいだ。
「人参で良ければ支払うわよ?」
「間に合ってるわ」
そう答えると彼女はきゃらきゃら笑った。何とも無邪気な笑顔だ。時々本当に闇の眷族なのか疑わしくなる。
「詳しい注文は後日伝えるわ。材料もコッチで用意するから心配しなくていいわよ」
そう言うと彼女は椅子から飛び降り、パタパタと急ぎ足で帰って行った。
図書館に静寂が戻る。
レミィはいつも慌ただしく動き回っている。
退屈な日々を多忙に変えるために大忙しな様子だ。
色々なモノに手を出しては、様々なモノを巻き込んで飛び回る毎日。
私には少し、理解しがたい――。
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「美鈴、貴女は毎日楽しそうね」
「はい、え? あれ、え?」
門の前で居眠りしていた美鈴に話しかけると、間の抜けた返事が帰ってきた。
「わ、パチュリー様。珍しいですね、門まで来られるなんて。お出かけですか?」
「いいえ。ただの散歩よ。本当なら寒い中を歩きたくはないのだけれど・・・」
小悪魔が先日散歩のノルマを提案してきた。実は健康維持を装って亡き者にするつもりではないだろうか。ちなみに提案は却下した。
「それで、どうなのかしら。毎日楽しい?」
もう一度聞き直す。
すると美鈴は「むむっ!」と唸って考え込んでしまった。
呆けたヤツだとばかり思っていたが、彼女にも思うところがあるようだ。
「…実はですねパチュリー様。最近はあの白黒が援軍を伴うようになったのです。ただでさえ寒くなってきたのに、あんな寒い妖精を連れてこられては。思うように体も動きません。私も鬼門を開いて立ち向かおうと一度は覚悟を決めたのですが、詰め所のストーブが、いのちをだいじに、と私を呼ぶのです。その悲痛な声には流石の私も引っ込むしかなく…」
「もういいわ」
何を言い出すかと思ったら言い訳だった。
「別にあなたの営業不振に釘を刺しに来たわけではないの。純粋な疑問よ」
「あ、そうなんですか?」
咲夜がナイフを刺しても改善しないのだから。私が釘を刺した程度ではどうにもならないことぐらい分かっている。
「そうですねー、まぁ楽しいと言われれば楽しいのかも知れません」
なんとも曖昧な答え。
てっきり、毎日が楽しくて仕方がない、といった答えが返ってくるものだとばかり予想していたのだが。
「微妙な答えね、毎日楽しそうに見えるけど?」
そう言うと美鈴は「うーん…」と唸りながら悩み始める。
また変な言い訳でも考えているのだろうか。
しばらく考えていたかと思うと、顔を上げて口を開く。
「パチュリー様。楽しいって何ですかね?」
どうやら言い訳の方が幾分マシだったようだ。
「…質問に質問で答えると0点よ」
美鈴は「えー」と不満そうな顔だが、不満なのはこちらの方だ。
「毎日ニコニコしながら過ごしているは誰だったかしら…」
「それはそうですけど…。でも、毎日色々なことがありすぎて。今日は楽しかったとか、楽しくなかったとか。はっきりと判断するのは難しいですよ」
ふむ…。確かに衡量だけで割り切れるものではないかもしれない。
意外と真面目に考えていたようだ。
「なら質問を変えるわ。あなたにとって"毎日欠かせない"と言えるようなものはあるかしら?」
「全然ないですね」
即答だった
「だって危ないじゃないですか」
続けて語る。
「好きなオカズでも同じ物だけだと体に悪いし。寝るのが好きでも寝過ぎは体に毒ですよ」
前言撤回。
彼女に真面目さを求めた私が愚かだった…。
「帰るわ…」
「あ、そうですか? 送ります?」
「要らない」
聞く相手を間違ったようだ。さっさと図書館に帰ろう。
少しおぼつかない足取りで帰路に着く。
後ろでは美鈴がまだ何かつぶやいているようだった。
「やっぱり危ないと思うんだけどなぁ…」
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「失礼致します」
声がかけられる。
本来ならノックの後に続くべき言葉だが、図書館の扉と机が遠すぎる。扉を叩く意味はない。
運ばれてきた珈琲が机に置かれる。この館で珈琲を飲むのは私だけらしい。
「砂糖とミルクは如何しますか?」
「要らないわ」
と言っても、私も珈琲しか飲まないわけではない。
普段は館の主と同様に紅茶を選ぶことがほとんどだが、時々こうやって珈琲を楽しんでいる。
理由があって珈琲を選ぶわけではなく、ただ気まぐれなのだが、このメイドは予見したかのように珈琲を運んでくる。
完璧な仕事だ。
咲夜はどのような仕事も完璧にこなす。
彼女にならばまともな答えを望めるかもしれない。
「咲夜、貴女はメイドの仕事に飽きたりはしないのかしら?」
「飽きますよ」
「えっ?」
間抜けな声が出た。
あまりにも予想外の答えだったのだ。
「それは年中むきゅーの仕事ですもの。流石に飽きることもありますわ」
むきゅー?
「では、何故この館で働き続けているの?」
「もちろんこの館で働けるのが楽しいからです」
わけがわからない。
「わけがわからないわ」
無邪気な子供の様に咲夜が笑う。
何が可笑しいのか。
「そうですね…。きっと、本当は皆と一緒に過ごすのが楽しいのだと思います。お嬢様のワガママに付き合ったり。フランドール様と一緒にイタズラしたり。居眠りする美鈴を叱ったり。小悪魔とお茶をしたり。パチュリー様とこうやってお話する…。それが私には、この上なく楽しいことなのです」
やはり、わからない。
「それならば、どうして貴女はメイドとしてこの館に居るのかしら。客人としてでも、私たちと共に生きることはできるでしょう? 仕事から開放されて、より多くの時間を楽しいことに使えるわよ。レミィだって断りはしないと思うけど」
咲夜はすぐには答えなかった。
俯いて悩んだ様子を見せた後に、少し困った顔をこちらに向ける。
「そう、ですね…」
苦笑い。
珍しい表情を浮かべながら彼女は答えたが。それ以上の言葉は返ってこなかった。
珈琲からは、まだ湯気が立ち上っている。
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目を開く。
辺りは真っ暗だった。
周りを見回しても何も見えない。微かな音すら耳に入らない
誰の気配も感じられない。
あぁ。どうやら夢を見ているようだ。
いくら図書館が暗いといっても、照明の一つも備えていないわけではない。本が読めないほど暗くては図書館の意味がないのだ。
ふと、手にかかる重さ気づく。
腕の中には一冊の本が抱かれていた。
不思議なことに、灯りのない中でも表紙を確認することができる。
本を開くと表紙だけではなく中に書き込まれた文字も読むことができた。
都合の良い夢だわ…。
そう思うと同時に、爪先に何かが当たる。
本。
足下に本が落ちている。それも、一冊や二冊ではない。何冊もの本が床一面に広がっている。
落ちている本をなぞるように、視線を奥へ奥へと動かす。
本は自分の周りだけではなく、闇に沿うように、ずっと、ずっと続いていく。
その闇は永遠に遠くまで続いているようにも、すぐ近くにあるようにも思える。
その闇の中には何かを捉えることはできない。しかし、何故か、その黒から視線を動かすことが、できない。
耳鳴りがする。
喉が渇く。
眩暈がする。
闇は吸い込まれそうになるほど深い。
不思議な安心感に包まれる。まるで母の母胎の中に帰ったような心地。
胸が不安でいっぱいになる。まるで愛する人を失った世界に放り出されたような心地。
確信がある。
この場所には光が届くことはない。
確信がある。
この場所では全てを見ることができる
確信がある。
手を伸ばせばあの闇すら掴むことができる。
確信がある――。
ここには、私しか、いない。
恐ろしくなった。
何が?
帰りたくなった。
何処へ?
手が動かない。
何故?
足が前に進まない。
何故!?
分からない。
ただ――。
全てものが懐かしく思えた。
頬を次から次へと熱いものが伝う。
目を開けていられない。
だけどもっと見ていたい。
きっと。
ここには一切の嘘がないのだ。
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「――…さま」
声がする。
「―…チュリーさま」
聞き覚えのある声。
「もー! パチュリーさま!! こんな所で寝てたら風邪引きますよ!!」
赤い髪が視界に映る。
体を起こすとあちこちが軋む。
どうやら机で寝てしまっていたらしい。
「……おはよう。小悪魔…」
「おはようじゃないですよ! もう昼です! 10時間は眠ってますよ!」
ギャーギャーと五月蝿い。
停止スイッチのない目覚まし時計のようなヤツだ。
「まったく…。寝すぎは健康に悪いんですよ。あ、本にヨダレが垂れてる!」
小悪魔は文句を言いながら本をハンカチで叩いている。
「ねぇ…。小悪魔」
「大体パチュリーさまは…、あ、はい、何ですか?」
図書館に浮かぶ陰を見つめながら、私は夢に見たことを思い出す。
「私、溺れていたみたい」
「ヨダレでですか?」
「…きっとあそこは海だったのだと思う」
「ヨダレのですか?」
「……あなたが起こしてくれなかったら、きっと私はあの海に沈んでいたわ」
「ヨダレにですか?」
机の上を見る。
一個のマグカップ。中の珈琲は昨日運ばれてきた時のままだ。
珈琲はどこまでも黒い。黒コゲになった小悪魔など比較にもならない黒だ。
カップを持ち上げ一息で空にする。
苦い…。
やはりミルクぐらいは入れるべきだ。
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午後三時。
図書館は日の光など気にもせず、相変わらずに闇を抱いている。
カチャカチャという音が館内に響く。
咲夜が運んできたプディング。
よほど気に入ったらしく、魔理沙は本を読む手を止めてスプーンを口に運び、私の分にまでチラチラと熱い視線を送っている。
ため息をつきながらディッシュを魔理沙の方に押し出すと、ニコニコしながらスプーンでプディングをペシペシと叩きだす。
マナーは最悪だが、不思議と似合っているのでとがめる気にはならない。なんとも楽しそうだ。
「ねぇ、魔理沙」
「なんだ? 返さんぞ?」
子供か。
「菓子の話じゃなくて。本の話」
「んむ?」
二個目に手をつけ始めた魔理沙が不思議そうにこちらを見る。
どうやら真面目な話だと悟ったらしく、くわえていたスプーンをデザートディッシュの上に置いた。
「あれから。貴女と話してから色々と考えてみたのだけれど、…やはり私が本に飽きることはないわ」
「……」
無言のまま、返事はない。
「…でも」
「でも?」
きっと。
「この館に住んでいる限り、飽きる必要なんてないんだわ。どいつもこいつも個性の強い住人ばかりで毎日が騒がしくてしょうがない。読書に没頭できる時間が足りないくらいよ」
大丈夫だ。
「うん」
魔理沙は満足そうに笑っている。
こちらが恥ずかしくなるような眩しい笑顔。釣られて笑ってしまう。
「それにね」
「ん?」
嬉しそうな笑みを顔に貼り付けたまま、魔理沙が机に身を乗り出してくる。
「館のみんなだけじゃなくて、魔理沙だってこうして訪れてくれるもの。貴女と一緒に過ごす時間はあっという間に過ぎていく。退屈せずに済むわ」
出来る限りの笑顔でそう付け加えてやると、彼女は顔を真っ赤にして視線を下に落とす。
暗いはずの図書館が少しだけ明るくなった気がした。
不思議な感じで良かったです
パチュリーの内心について描く部分はよかったです
咲夜さんと美鈴との問答が個人的に好き
なんだか読んでいてプラネテスを思い出しました
何だかんだでみんな幸せそうで何より
初投稿、お疲れさまでした! 次回作なども期待します~!
パチュリーが闇に溺れたあとに、珈琲にミルクを入れたがる表現がうまいなあと思いました。
パチェって捻くれてるイメージがあるもので。