その日、珍しく紅魔館に小町が訪れた。
紅魔館の面々は主に夜行性。昼に起きているのは咲夜ぐらいだ。
それを知っていて小町はこの時間を狙った。用があるのは咲夜一人。
他の者にはできれば気付かれたくもない。
「お前さんとあたいは友達って程でもないし、会ってからまだ間もない。でも赤の他人って訳でもないし、何よりあたいはお前さん本人を気に入ってる。だから本来なら教えるべきじゃないが、今日教えに来た」
来客である小町に紅茶を淹れている最中の咲夜に、小町は構わず要件を話す。
「お前さん、明日死ぬよ」
小町からのいかにも死神らしい宣告を受けて、咲夜は一つ質問をした。
「お砂糖はいくつ?」
小町は死神なので人の寿命は分かる。分かるが何故咲夜が明日死ぬかまでは分からない。
ついでに言うと、日に日にその寿命が前倒しになっている理由も分からなかった。
だから映姫に尋ねてみた。
人の寿命は決まっている。それは時間を止める能力でも変えられない。
世界の時間は止められても、運命の時計だけは止まらない。
言い換えれば咲夜が時間を止めた分だけ、実時間での寿命は減っていく。
「彼女は時間を止めすぎた。時間とは神の創った自然摂理の礎。簡単に弄ぶべきではなかったのです」
小町にお茶を出したら自分も座り、無糖の紅茶をゆっくりと飲み始めた。
「それをわざわざ教えに来てくれたの。要はサボりかしら」
「冗談言ってる場合か?お前さん、この世に未練はないのかい」
一方的に興奮して立ち上がる小町を一瞥し、咲夜はティーカップの水面を見つめる。
「未練ね…無くはないけど、大したものじゃないわ。庭のトマトの世話…美鈴に務まるかしら」
「トマトって…お前さんもしかして、死んでも西行寺の姫やら命蓮寺の船幽霊みたくなるだけだと思ってるんじゃないだろうねぇ。言っとくけど、あんなのは幽霊になってからよっぽど特異な目に遭った場合だけで、普通の人間が普通に死んだら姿も思考も何も無い、ただの『念』しか残らないんだよ。それが幽霊ってもんさ。例え生まれ変わっても前世の記憶も無いし本人からしてみれば、」
「長いわ。一文にまとめて」
「もしお前さんが死んじまったら、お前さんは死んじまうんだ!!」
「…何を言っているの?」
小町の明らかにおかしい日本語に、咲夜は冷ややかな視線を送る。
あまりに冷静な咲夜を見て小町も頭を冷やし、少し恥ずかしくなって椅子に座った。
「まあ、あたいだってお前さんが慌てふためく姿を見に来たんじゃないけどね。そういう所が気に入ってる訳だし」
「あら、お気に召していただいて嬉しいわ。気に入りついでに、一つだけ聞いておきたいのだけれど」
まだ三口ほどしか飲んでいない紅茶をテーブルに置く。
「明日の何時頃かしら?」
明日の夕方六時になったら死ぬ。それだけ聞いたら咲夜はいつも通りの仕事を始めた。
レミリアは何も無ければ晩の七時に起きてくる。それまでに食事の支度を済ませておかなければ。
それから今日明日は、一つだけ特別な仕事がある。
晩七時。レミリアが目を覚ますと、既に咲夜が紅茶と朝食を用意して待っていた。いつもの光景だ。
レミリアの食事中、咲夜は何も喋らずにただじっと側に立っている。
ティーカップが空になれば何も言わずに紅茶を注ぎ足す。暖かな湯気がカップから上がる。
静かな食事のひととき。レミリアの一番好きな時間。
食事を終えたレミリアは、咲夜から報告を受けた。
あと二十四時間経たない内に死にますと。
「…そう」
他に何も言わない。ただ紅茶を飲み続けている。
「驚かないんですか?」
「咲夜は驚いてるの?」
「ええ、とても」
窓の無い部屋のそこかしこから、いくつもの時計の音が聞こえてくる。
「人間だもの」
レミリアは空になったティーカップを人差し指でトントンと叩いた。
咲夜がティーポットを傾ける。
「私より永く生きるとは思ってないわ」
「ありがとうございます」
最後の一杯を味わうようにしてゆっくり飲みながら、レミリアは少し視線を動かした。
たくさんある時計は時間を知りたい時に却って邪魔になることがあるのだと、その時初めて知った。
「咲夜、外の天気はどう?」
「綺麗な星空です」
「そう…少し庭を散歩をするわ。ついて来て」
「畏まりました」
月も出ていないのね
もうすぐ新月ですから
見えても明け方頃に下弦の細い三日月が上がるぐらいでしょう
月が無くてはつまらないわ
お嬢様は月がお好きですか?
嫌いじゃないわ
そうですか
霊夢達には言ってあるの?
何をですか?
貴女の寿命のこと
言ってません
時間がもったいないので
冷たいのね
彼女達を友人と思っていない訳ではありませんが
今の私にはやらなければならない事がありますから
一分一秒が惜しいんです
私と散歩なんかしてていいのかしら
いいんです
これがやらなければならない事ですから
フランやパチェにも?
同じです
そう
時間を止めた分だけ寿命が縮まるって言ったかしら
はい
思えば色々な事で時間を止めていたわね
少し…私の話をしてもよろしいでしょうか
いいわよ
珍しいわね
母の話です
母は私が幼い時に亡くなりました
でも亡くなる前に、一つだけ私に約束をさせたんです
日記を書きなさい、と
咲夜が日記を書いてるなんて知らなかったわ
紅魔館に来てからは書いていませんでした
約束を破ってるのね
いいえ
母が約束を課した意味が分かったからです
意味って?
母は、私が時間を止める能力を持っていると知っていました
だから私が時間を軽んじることの無いように、日記を書かせたかったんです
よく分からないわね
日記を書くことと時間を大切にすることが何故繋がるのかしら
母もそこまで深くは考えていなかったんだと思います
ですが少なくとも、日記を書けば一日の経過を実感できます
まぁ、人間の考えることだものね
それで、何故今は書いていないの?
今はもう、母のおかげで時間の大切さに気付いていますから…そう思っていましたから
日記を止めたのは、日記に頼らなくてもそれを忘れないという誓いです
「思っていた」…とは、含みのある言い方ね
実際には分かっていませんでした
時間を大切にするというのがどういうことなのか
大げさに言えば、効率よく仕事を進めることだと、そう思っていました
今はどう思っているの?
時間をいとおしみ、慈しむことだと
限られた時間の中で生きていかねばならないという壁に、私は時間を増やすことで対処していたつもりでした
その結果、私は時間を減らすことになったんです
世界に貴女が居た時間は減っていても、貴女に流れた時間は変わらないんでしょ
それは減ったことにはならないんじゃない?
いいえ
私だけの時間に価値などありませんので
真面目なのね
そうでもありません
東の空が明るんできましたね
もう館に戻りましょう
ええ
咲夜と一晩中語ったのは初めてね
そうですね
咲夜
はい
明日の晩はバウムクーヘンが食べたいわ
畏まりました
翌晩、柱時計が七つ鐘を鳴らして、レミリアは目覚めた。
部屋の外が騒がしい。
ふとテーブルと見ると、ティーポットとティーカップ、それにバウムクーヘンが用意されていた。
ティーカップには既に一杯目が注がれている。
椅子に座り、紅茶を一口飲んだ。…もう冷たくなっている。
次にバウムクーヘンを手に取る。重なった年輪の中心にぽっかりと開いた穴。
水気が少なくて、紅茶無しでは食べられそうにない。
カップが空になっても、誰も紅茶を注ぎ足さない。
仕方なくレミリアは自らティーポットを手にした。
紅茶を注ぐと、途端に白い湯気が上がる。
もう一番好きな時間は訪れないのだろう。
今日は朔の夜だ。
了
紅魔館の面々は主に夜行性。昼に起きているのは咲夜ぐらいだ。
それを知っていて小町はこの時間を狙った。用があるのは咲夜一人。
他の者にはできれば気付かれたくもない。
「お前さんとあたいは友達って程でもないし、会ってからまだ間もない。でも赤の他人って訳でもないし、何よりあたいはお前さん本人を気に入ってる。だから本来なら教えるべきじゃないが、今日教えに来た」
来客である小町に紅茶を淹れている最中の咲夜に、小町は構わず要件を話す。
「お前さん、明日死ぬよ」
小町からのいかにも死神らしい宣告を受けて、咲夜は一つ質問をした。
「お砂糖はいくつ?」
小町は死神なので人の寿命は分かる。分かるが何故咲夜が明日死ぬかまでは分からない。
ついでに言うと、日に日にその寿命が前倒しになっている理由も分からなかった。
だから映姫に尋ねてみた。
人の寿命は決まっている。それは時間を止める能力でも変えられない。
世界の時間は止められても、運命の時計だけは止まらない。
言い換えれば咲夜が時間を止めた分だけ、実時間での寿命は減っていく。
「彼女は時間を止めすぎた。時間とは神の創った自然摂理の礎。簡単に弄ぶべきではなかったのです」
小町にお茶を出したら自分も座り、無糖の紅茶をゆっくりと飲み始めた。
「それをわざわざ教えに来てくれたの。要はサボりかしら」
「冗談言ってる場合か?お前さん、この世に未練はないのかい」
一方的に興奮して立ち上がる小町を一瞥し、咲夜はティーカップの水面を見つめる。
「未練ね…無くはないけど、大したものじゃないわ。庭のトマトの世話…美鈴に務まるかしら」
「トマトって…お前さんもしかして、死んでも西行寺の姫やら命蓮寺の船幽霊みたくなるだけだと思ってるんじゃないだろうねぇ。言っとくけど、あんなのは幽霊になってからよっぽど特異な目に遭った場合だけで、普通の人間が普通に死んだら姿も思考も何も無い、ただの『念』しか残らないんだよ。それが幽霊ってもんさ。例え生まれ変わっても前世の記憶も無いし本人からしてみれば、」
「長いわ。一文にまとめて」
「もしお前さんが死んじまったら、お前さんは死んじまうんだ!!」
「…何を言っているの?」
小町の明らかにおかしい日本語に、咲夜は冷ややかな視線を送る。
あまりに冷静な咲夜を見て小町も頭を冷やし、少し恥ずかしくなって椅子に座った。
「まあ、あたいだってお前さんが慌てふためく姿を見に来たんじゃないけどね。そういう所が気に入ってる訳だし」
「あら、お気に召していただいて嬉しいわ。気に入りついでに、一つだけ聞いておきたいのだけれど」
まだ三口ほどしか飲んでいない紅茶をテーブルに置く。
「明日の何時頃かしら?」
明日の夕方六時になったら死ぬ。それだけ聞いたら咲夜はいつも通りの仕事を始めた。
レミリアは何も無ければ晩の七時に起きてくる。それまでに食事の支度を済ませておかなければ。
それから今日明日は、一つだけ特別な仕事がある。
晩七時。レミリアが目を覚ますと、既に咲夜が紅茶と朝食を用意して待っていた。いつもの光景だ。
レミリアの食事中、咲夜は何も喋らずにただじっと側に立っている。
ティーカップが空になれば何も言わずに紅茶を注ぎ足す。暖かな湯気がカップから上がる。
静かな食事のひととき。レミリアの一番好きな時間。
食事を終えたレミリアは、咲夜から報告を受けた。
あと二十四時間経たない内に死にますと。
「…そう」
他に何も言わない。ただ紅茶を飲み続けている。
「驚かないんですか?」
「咲夜は驚いてるの?」
「ええ、とても」
窓の無い部屋のそこかしこから、いくつもの時計の音が聞こえてくる。
「人間だもの」
レミリアは空になったティーカップを人差し指でトントンと叩いた。
咲夜がティーポットを傾ける。
「私より永く生きるとは思ってないわ」
「ありがとうございます」
最後の一杯を味わうようにしてゆっくり飲みながら、レミリアは少し視線を動かした。
たくさんある時計は時間を知りたい時に却って邪魔になることがあるのだと、その時初めて知った。
「咲夜、外の天気はどう?」
「綺麗な星空です」
「そう…少し庭を散歩をするわ。ついて来て」
「畏まりました」
月も出ていないのね
もうすぐ新月ですから
見えても明け方頃に下弦の細い三日月が上がるぐらいでしょう
月が無くてはつまらないわ
お嬢様は月がお好きですか?
嫌いじゃないわ
そうですか
霊夢達には言ってあるの?
何をですか?
貴女の寿命のこと
言ってません
時間がもったいないので
冷たいのね
彼女達を友人と思っていない訳ではありませんが
今の私にはやらなければならない事がありますから
一分一秒が惜しいんです
私と散歩なんかしてていいのかしら
いいんです
これがやらなければならない事ですから
フランやパチェにも?
同じです
そう
時間を止めた分だけ寿命が縮まるって言ったかしら
はい
思えば色々な事で時間を止めていたわね
少し…私の話をしてもよろしいでしょうか
いいわよ
珍しいわね
母の話です
母は私が幼い時に亡くなりました
でも亡くなる前に、一つだけ私に約束をさせたんです
日記を書きなさい、と
咲夜が日記を書いてるなんて知らなかったわ
紅魔館に来てからは書いていませんでした
約束を破ってるのね
いいえ
母が約束を課した意味が分かったからです
意味って?
母は、私が時間を止める能力を持っていると知っていました
だから私が時間を軽んじることの無いように、日記を書かせたかったんです
よく分からないわね
日記を書くことと時間を大切にすることが何故繋がるのかしら
母もそこまで深くは考えていなかったんだと思います
ですが少なくとも、日記を書けば一日の経過を実感できます
まぁ、人間の考えることだものね
それで、何故今は書いていないの?
今はもう、母のおかげで時間の大切さに気付いていますから…そう思っていましたから
日記を止めたのは、日記に頼らなくてもそれを忘れないという誓いです
「思っていた」…とは、含みのある言い方ね
実際には分かっていませんでした
時間を大切にするというのがどういうことなのか
大げさに言えば、効率よく仕事を進めることだと、そう思っていました
今はどう思っているの?
時間をいとおしみ、慈しむことだと
限られた時間の中で生きていかねばならないという壁に、私は時間を増やすことで対処していたつもりでした
その結果、私は時間を減らすことになったんです
世界に貴女が居た時間は減っていても、貴女に流れた時間は変わらないんでしょ
それは減ったことにはならないんじゃない?
いいえ
私だけの時間に価値などありませんので
真面目なのね
そうでもありません
東の空が明るんできましたね
もう館に戻りましょう
ええ
咲夜と一晩中語ったのは初めてね
そうですね
咲夜
はい
明日の晩はバウムクーヘンが食べたいわ
畏まりました
翌晩、柱時計が七つ鐘を鳴らして、レミリアは目覚めた。
部屋の外が騒がしい。
ふとテーブルと見ると、ティーポットとティーカップ、それにバウムクーヘンが用意されていた。
ティーカップには既に一杯目が注がれている。
椅子に座り、紅茶を一口飲んだ。…もう冷たくなっている。
次にバウムクーヘンを手に取る。重なった年輪の中心にぽっかりと開いた穴。
水気が少なくて、紅茶無しでは食べられそうにない。
カップが空になっても、誰も紅茶を注ぎ足さない。
仕方なくレミリアは自らティーポットを手にした。
紅茶を注ぐと、途端に白い湯気が上がる。
もう一番好きな時間は訪れないのだろう。
今日は朔の夜だ。
了
この最後の手記は、誰かの目に留まるんだろうか。
特に、最後の言葉が途中で途切れてしまっていた所で泣きそうになってしまいました。
咲夜とレミリアの会話や、冷めてしまっていた紅茶のシーンなど、記憶に残る話でした。
たった2日間だけの日記、咲夜の心情を綴ったそれが、どうかレミリアや他の紅魔館の皆の目に止まりますように。
私個人としては『私の日記』と地続きの作品として本作を拝読しました。
そして甚だ理不尽な感想ではありますが、そういう読み方をしてしまうと何か物足りない印象を持ってしまう。
さらりとした別離に見えてもそこには万感の想いが、みたいな感じに受け取れないというか。
何度か作品を読み返してみたのですが、後書きの日記を含めて心にズドンと響いてこない。俺の精神状態がおかしいのか?
出来うることなら、
「いいえ
私だけの時間に価値などありませんので」
と、咲夜さんが思うに至った経緯や、お嬢様が最後にバウムクーヘンを所望した理由、
意味もなくこのお菓子を選択したとは思えないし、なんとなくであれば想像できるのですが、
わかり易く理解できるエピソードなんかを描写した作品を挟んでこの物語を読んでみたかったです。
我ながら勝手な意見だ。ホントごめんなさいね。
あとがきと本文含めて1つの作品で、切なく、読み込んでしまう作品でした。
最後の人間臭さを表に出さずレミリアの従者でありつつけた、咲夜さんの心意気がとても上手に表現されていて読者をひきつけていました。
久々に心に残る作品でした。
亡霊になって白玉楼住み込みのメイドになったと思いたい。冥土のメイド。
人間なんだから未練はありますよね。
「時間をとめる」ことをやっているのかもしれませんね。
バウムクーヘンは何層にもなっている菓子なので、有限の年月を咲夜と重ねた日々をなぞらえたものと
解釈しました。
次回作にも期待しています。
情感をもつと思う。素晴らしい作品でした。
淡々としたレミリアと咲夜の散歩のシーンに
こういう書き方もあるのかと、勉強にもなりました
最後に後悔しながら死んだ咲夜さんというのは珍しい
あと本編とあとがき読んだ後のコメ5が凄い
このコメがなかったら感想書いてなかった
淡々としたやり取りが、かえって情感を高めますね。
人間って、なんで未練を残して死ななきゃならないんでしょうね。
あまりにも理不尽な気がします。