Coolier - 新生・東方創想話

一夜は明かさず、されど尻尾は踊る

2011/06/02 20:55:49
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初夏と呼ぶにはまだ早いが、肌を刺す日の光は春のものにしては遠慮を知らない。
桜の花もすでに散りゆき緑へとその装いを新たにして、薄桃色の絨毯もかたづけられた。
風にさらわれるものも、白色やうすい桃色ではなくて、初々しい緑色になったのだ。
三日三晩続いた花見の宴会だって、今では数十次会となって葉桜を見ながらの酒となった。

「久しぶりですね。お元気そうでなにより」
「射命丸様もご息災のようで」

そのなんとも半端な時節に、文は椛のもとを訪れた。
場所は大瀑布近くの見張り台である。

久しぶりに会う椛は何ら変わりなく特別に胸の躍るようなものはない。
椛は毎年おなじみの春装束で身をつつんでいて、肩にかかるくらいの髪は白い。
特徴的な耳と尻尾は、小刻みに動くので別個の生命にも見える。

それらには季節や花のようにうつろいゆくには惜しいものがある。
しかし、その反面で変わって欲しいものも確かにあり、文はそれを促すために苦言をみせる。

「あら、椛。私との約束を忘れてしまったの? 指もきりましたよね」
「そう申されましても今は仕事中です。ご勘弁ください」
「ですが私は休暇中です。その言い方だと物足りません」
「それでしたら、あいだをとって文様というので手を打ちませんか」
「様はいりません、絶対に認めません。お前と呼ばれる方がましです」
「まいりましたね……」

というか、一度はそう呼んでほしい。耳元で怪しく囁いてほしい。椛の性格からして永遠にないことだろうけど。
あれこれ悩む椛を見ながら、文はそんなことを思った。

「……わかりました。文さんで許してください。これ以上はだめです」
「あまり変わらないじゃない。普通に文と呼べばいいのに。前にもそう約束しましたよね?」
「それはお休みの日だけのはずです。さすがに仕事中は無理ですよ」
「ならば、椛も今からお休みにしましょう。異論はないですよね」
「ありますよ、異論。お仕事を勝手に休むわけにはいきません」
「本気にしなくとも冗談です。椛が仕事一辺倒なのは知っていますから」

褒められたのか、からかわれたのか曖昧な文の言葉を前にして、椛が困ったような気色を見せた。
この反応もまた文の慣れ親しんだものであり、当惑する椛にかまわず続ける。

「お仕事、大変なのでしょう。近頃はちっとも私の相手をしてくれませんし」
「……うっ、そういうわけではないのですが」
「それでは趣味の方でしたか。どちらも心を注ぐに足るものですからね」
「いえ、それでもなくて……」
「あぁ、なるほど。それなら他のお友達と遊んでいるのね。これは野暮なことを聞いてしまいましたか」
「ちがいます、それでもありません……」

立てつづけに弱いところを突かれ、椛は居心地が悪そうに目を伏せる。
本来なら行儀が悪いと咎められる仕草であるけれど、耳も伏せて尻尾を垂らしてしまっている。
文はそのいじらしい姿にちょっとした嗜虐心をくすぐられて、ついつい皮肉めいたことを考えついた。
もちろんそこに悪意などなく、あくまで甘噛みめいたゆるいものだ。
しかし、甘噛みでもときには血が滲む程度に歯牙を立てたくなることもある。今回がまさにそれだ。

「また羽繕いしてもらいたいのですが、何にせよ忙しいのなら無理ですね。仕方がありません。今回は他の子にでも頼みましょうか」
「……いけません、 それは私だけのお仕事です!」

文のからかいに椛は存外の激しい反応を見せた。荒げた叫びが文の耳をつんざいた。
椛の今先まで伏せていた目と耳は鋭く起き上がり、尻尾も地面ではなく空を突き刺している。
……あろうことか頬もつり上がった頬の端からは犬歯ものぞいている。
しかし、その獣の威嚇にも似た剣幕も、文は飄々として顔色一つ変えずに受け流す。

「あらあら、お仕事扱いですか。まさかそんなに気負わせていたなんて」
「ちがいます! 気負ってなんかいません……。ただの言葉のあやです」
「文?」
「ええ、あやです」
「なるほど、文なのね」
「そうです。文です……、はぅ?」
「ふふん、文なんだよね」
「ちがいます! 文さんです!」
「もういいじゃない。文と呼ぼうよ」
「ぜったいにだめです。お仕事中はわきまえないと」
「はいはい。椛ちゃんは融通がきかないねぇ」
「文さんに言われたくありませんよ。文さんだって頑固です」

口調にこそ堅苦しさは残っているが、それでもこの頃の椛は言うようになってきた。
ときには皮肉や冗談を口にすることだってある。
こんなこと、出会って間もない頃は想像すらできなかった。


文の椛の第一印象は瀬戸物だった。椛の柔らかみのない態度が鼻にかかり気に喰わなかった。
以前、文は酒の席で椛にそのことを話したことがある。
言わなくてもよいことだったが、お酒がそうさせた。
ほろ酔いが半分、語りながらの自省が半分でそのことを椛に告げると、私も文様がこんなに愉快な方だとは思いませんでしたと、まったく同じ趣旨のことを言われてしまった。今思えばこれも皮肉だったのだろう。

ただ、夜桜を天井にして二人で飲んだお酒の味は格別だった。
月光に照らされ青白く染まった桜花は、まぶたを閉じれば今もそこに映る。青白い花弁の舞い散る様は、まるで降雪のようであった。
淡い花雪が舞うなかで文と椛は寄り添い盃を交えたのだ。


「羽繕いですよね? わかりました。今晩おうかがいします」

椛の声に思い出から呼び戻された。先までの取り乱しはどこにも見受けられない。

「来てくれますか。ありがたいですね」
「そのかわりではないですが、私とはたて様以外には」
「ええ、もちろんです。ほら、今だって隠しているじゃない」

椛の口からぽろりと友人の名が出た。どうやら入れ知恵の主は、はたてらしい。
にやにやと笑いながら、椛に真意を教える友人の姿を想像すると、神経にざらついたものを当てられる。
椛に説明する手間が省けたようで、実のところで一番の楽しみを奪われたに等しい。

もう少しだけ椛には羽繕いの意味を知らぬままでいてほしかった。
真意を隠した羽繕いは、文の秘かな楽しみだったのだ。

「どうかなさいましたか?」
「えっ、あっ、ううん。なんでもない、ただ少し考えことをね」
「また、おかしなことを考えていませんでした?」
「まさか、そんなこと。……ああそうだ、もしかすると今晩は少し遅くなるかもしれません」
「そういえば、どこかへ出かけられる途中でしたね。どこへ行かれるのですか」
「ただの野暮用ですよ。もし遅くなったら、部屋で待っていて。合い鍵ありますよね?」
「ありますけど、文さんが帰ってくるまで待ちますよ」
「それでは合い鍵を渡した意味がないじゃないですか」
「そもそも鍵かけてないですよね。戸を閉めているだけですよね」
「気分の問題よ。大切なのは気分なの」
「わかりました。私が早ければお夕飯の準備をしておきます」
「それは助かりますね。ここ数日は保存食ばかりで飽きていたんですよね」
「……お夕飯だけではいけませんね。てきとうに作り置きもしておきます」

椛の料理は質素であるが上々なもので、いたずらに塩味が強いだけの保存食とは雲泥の差がある。
また格別に美味しいものが出るわけではないが、丁寧に作られた料理は豪勢なだけの料理とは一味ちがう。
そして何より、椛と一緒に夕餉を迎えられるだけでも箸が進むというもの。
いろいろと満足した文は何度も頷く。

「言質は取ったことですし、そろそろ行くとしましょう」
「はい、お気をつけて」

最後に軽く椛の頭を撫でてやってから、文は見張り台を後にした。
背後から聞こえてくる椛の文句が追い風がわりになった。
椛の堅苦しい態度や性格は、本当のところ背伸びしているだけにすぎないのを、文は見抜いていた。




※※※※※





文が向かった先は里だった。
里の様子を見るのは久しぶりであるが、特段に変わった様子もなく平穏そのものである。
もっとも妖怪の山もその点は、人間の里となんら変わらない。新しい神社もすでに山に馴染み切っている。
少し前までは人間達も興味本位で新しい神社に参拝しに来ていたが、今ではお寺のほうに客を奪われてしまった。
どうやら信仰心とやらは新しいものが好きらしい。

夕暮れも近いということもあり、通りを往来する人の顔には疲労が浮かんでいる。仕事帰りが多いのであろう。
そうでない人のほとんどは女性で、子供を連れて歩いている者もいる。
こちらは夕食の材料を買いに出ているみたいだ。皆そろって買いもの袋や籠を手にしている。

そんな一日の終わりが満ちた通りを文は楽しげに歩く。
まるでお伽噺の笛吹き男に誘われる子供だ。
楽しげな輪郭は鮮明なのに、どこか遠くへ行ってしまいそうな儚さを身に宿している。


笛に誘われ浮ついた文が立ち止まったのは、里で唯一の装飾品屋の前であった。ハイカラな感じのするハデな色をした看板が目に痛い。
毒々しい華やかさのなかに文は入っていった。装飾品に興味があるのだろうか。


店内は外装に輪をかけた強烈な色彩であふれていた。
七色なんて目ではないほどの色が、店のあちらこちらで自己主張している。
七色の各色を七分割して、さらに七区切りしても足りないほどの色の坩堝(るつぼ)である。
しかし、四方八方から刺さる色をしても、文の髪を汚すことはできない。
それほどまで文の黒髪は艶やかなのだ。ときには、まぶしさが浮かぶほどに。

縦横無尽に駆ける光線のなかを、文は特に気に障った様子もなく店の奥へと進んだ。
定めて欲しい物はないらしく、たびたび足を止めては展示棚の指輪や髪留めなんかを興味深そうにのぞくが、その都度、文は多少の目利きをして険しい顔を見せた。
なにせ見てくれだけが華やかで、肝心の造形やら材質などは二の次になっている。
そのくせお値段だけは一流ときている。文が良い顔を見せるわけがない。
わりに合わない買い物をするつもりはないらしく、文は迅速かつ精査に商品を物色してまわった。

もちろん文の検分は店内の気になる品すべてに対しておこなわれた。
そして、そのどれもが質の劣る粗悪品だと鑑定するのに時間はかからなかった。
文の目は情け容赦がなく、ほとんどの品は一見だけして興味を失くされていった。
そのため店を出たときの手は入った時と同じようにからっぽだった。
一見の審査をくぐりぬけ、文の手に取られる品もあったが、財布の紐を緩ませるほどの品は、とうとうあらわれなかったのだ。
無駄足だっただけあり、文は表情にださないでも不機嫌そうである。





次に文が訪れたのは魔法の森にある古道具屋だった。
聞くところによると、外の世界の物品も取り扱う隠れ家的なお店とのことだが、外装は聞きに反してガラクタ屋敷だ。
先の店が警戒色をした毒キノコであるなら、この店は地味色の毒キノコみたいである。
目を刺す毒々しさはなくとも、鼻にじわじわときそうなカビ臭さが毒となりそうだ。


辺鄙なところに店を構えるだけあって主人も奇人と呼ぶに相応しい人物だ。
文が訪れたというのに、主人は一寸だけ顔を上げたのみで何も言わず、すぐに手元の書物に視線を落としてしまった。
本気で商いをするつもりがないのだろうか。普通の店ならば考えられない態度である。
しかも、店内は床までガラクタで覆われており、ただでさえ小ぶりな店をさらに狭く感じさせている。
どう見てもゴミにしか思えない代物も幅を利かせていて、なかには用途がまったくつかめない物だってある。
こまめに掃除をしているとはとうてい思えない有様だ。

主人の無愛想も気にせず文は奇怪なガラクタ郡を器用にかわしながら店内を物色していく。
意外にも先の店より気になる物は多いらしく、文はたびたびガラクタを手にとっては首をかしげた。
しかし、それらは質やら値段やらに悩んでいるではなく、単に使い道がわからず悩んでいるようだ。
たしかに、一面にだけ黒いガラスをはった箱なんて幻想郷ではまずお目にかかれない。
箱を一通り見ておわると飽きてしまったのか、文はまた別の奇怪な物に興味をうつしていった。

興味の対象を転々としているうちに、文の視線は店の最奥へと引き寄せられた。
視線の先には風変わりなタンスが鎮座していた。
タンスは全身を白く塗られていて、観音開きの戸には前面にガラスがはられている。
タンス自体も十分に珍しく目を引くものだが、文の視線はそのガラスの奥に当てられている。
しばらくの間、ガラス越しに何かを見つめたあと、文はふらふらとタンスの方へと誘われていった。





※※※※※




「やあ、椛。調子はどうだい?」
「ひゃっ、……なんだ。にとりか。驚かせないでよ」

双眸に意識を集中させていただけあって、とつぜん水から響いた声は、いくら聞き慣れたものであっても椛の肝を冷やした。見ると水面に緑の帽子と水色の髪がゆれている。
親しい河童に顔を向けるとき、椛の胸中を占めたのは相反した二つのものであった。
それらは互いに波紋を生んだが、それぞれがぶつかり合い、しだいに消えていった。残ったものは安堵である。
にとりは水から上がることなく、あきれた口調で椛に声をかけてきた。

「驚かせる気はなかったんだけど。また見張り? いつになくご熱心だね」
「うん、そう。ずっと、見張りをしていたんだ」
「他の白狼天狗達は歩いたり飛び回ったりするのに、座っているだけの椛は横着者だよね」
「他の子達と比べて目がいいからね。ここにいるだけで事足りるんだ。紅いお屋敷の門番さんの鼻提灯だって見えるよ」
「嘘か本当かわからないなあ。……駒遊びに誘おうかと思ったけれど、見張りしているなら仕方ないか」
「そんな気を使わなくてもいいよ。暗くなる前までならちゃんとつきあう。大将棋でいいんだよね?」
「えっ、本当にいいの? 見張りしなくちゃいけないんでしょ?」

誘っておいて気弱な友人の態度に、椛は頬がゆるんでいくのをおぼえた。
にとりとは特別付き合いの長いこともあり、顔を合わせて声を聞くだけで尻尾が躍ってしまう。
そうであるからこそ、にとりには他の者には出来ぬ相談もしてもらっているのだ。

「本音を言えば見張りを続けたいよ。だけど、そろそろいいかなって」
「それならいいけど……。でも手加減はしないよ、待ったはなしね」
「毎度そう言うけれど、私が待ったをしたことないけどなあ」
「細かいことを気にしちゃ野暮だよ。少し待っていて、すぐに盤と駒を取ってくるから」

そう言うが早いか、にとりは水の中へと戻っていった。
あとには遠慮がちな波紋が残るだけで、泡沫や飛沫が散らばることはなかった。
波紋に揺られて川をくだる葉船の何舟がくるくる回る。

大瀑布の呼吸がただよう山の穏やかな気配に、椛は瞳を閉じて身を委ねてみた。
張りつめた神経を解放すると、肩の荷がおりたように感じられた。
軽くなった身体をなでてくれる風は山裾から上ってきたものである。
山をおりた文も同じ風になでられたのだろうかと考えているうちに、駒と盤を持ったにとりが姿を見せた。

こうして椛は日が沈む寸前まで、にとりと駒遊びに興じることになった。



※※※※※




文が山に戻ったのは日が沈んでしばらくしてからだった。
住処の前に戻ると窓からは明かりがもれていた。台所あたりからは煙も出ている。
椛は言いつけを守り先に戸を開けて、屋内で方々の用意をして待っているようだ。
感心しながら戸をくぐると、出迎えたのは白米を炊くのと味噌のあまいにおいだった。
しばらく保存食しか与えられなかった舌がうずいて、口内に唾液がせりあがってくる。

「ただいま」
「おかえりなさいませ」

生唾を飲み込み、わざとらしく大きな声で帰りを告げると、奥の方から椛が早あしで出てきた。
出迎えにきた椛は昼に見た薄手の春装束のうえに若草色の割烹着をかさねている。
初めて見る椛の姿に目を奪われ、文は下駄を脱ぐのも忘れた。

「どうかなされましたか」
「ううん、なんでもない。ただ似合っているなあ、と」
「ありがとうございます。それはそうとご飯にしますか、お風呂にしますか?」
「椛ちゃん食べたい」
「えっ、私? あっ、なるほど、ご飯ですね。わかりました、すぐにお膳を用意しますから、上がって楽にしていてください」

そう言い残すと椛は奥へと引っ込んでしまい、文はうす暗い玄関に一人残された。

「……これは一本取られたわね」

負け惜しみの呟きはうす闇にまぎれて消えた。
残された文の鼻孔を夕餉のにおいがくすぐる。





「ごちそう様でした」
「おそまつ様でした」

両手を合わせて軽く頭を垂らす。
椛の嬉しそうな声が食後のつまみとなる。酒は出なかったけれども。
出された膳も白米に味噌汁に煮物、そして焼き魚といった質素な顔ぶれであった。
味は美味しいと言うよりも丁寧と言った方が相応しく、文も概ね満足できるものだった。
ただ粗を言うなら、文が長らく保存食ばかりを齧っていたのを慮ってか、若干ながら塩味のうすい気がした。
「気にかけ過ぎよ」と汁椀の底に残る粕を見ていると、すっと膳が横に流れていった。
椛はいつの間にか割烹着で身を包んでいる。今から膳をかたしてくれるみたいである。

「今から片づけ? 手伝おうか?」
「お気持ちだけで十分です。二人並ぶほどのことではありません」
「たまには私がしてもいいのだけど」
「射命丸様はごゆっくりしていてくださいな」

置き土産のように笑みをくれると、椛は二人分のお膳を抱えて台所へと行ってしまった。

椛が台所へ向かうのを目で追いつつも、文はふところへと静かに伸ばした。
こつんと指先に箱がぶつかり、軽い音が鳴った。そこにはリボンの感触もある。
かねてより当てもなく探していた品を偶然に見つけられたのだ。
嬉しさのあまり衝動に駆られるままに財布を軽くしたが後悔はない。
交渉は長引いたものの十二分に値切れたし、ちょっとした細工も施してもらえたのだ。

(さてはて、どうしたものでしょうか……)

しかし、あとは手渡すだけだというのに、文はなかなか決心がつかないでいる。
それは椛の趣味にかなうのか不安であることと、邪な本心を見透かされるのを恐れていた。
文がふところに隠す物は、殊に相手が椛となると良くも悪くも特別な意味を持ちえた。

「遅くなると不都合でしょうから、そろそろはじめませんか?」

文がまごついているうちに、かたづけをすませた椛がかたわらに座した。
普段の姿にもどった椛の足はくずされておらず、姿勢も整っている。
文にはそれが、いかにもお仕事ですといった態度に見えてしまう。
そんなよそよそしい態度で羽繕いさせたくはない。
この行為もまた特別な意味を持つことなのだ。
それまで胸中をしめていた優柔不断なものが、一転して刺々しいものに変わった。

「……そうですね。お腹も膨れましたし、はじめましょうか」
「ふつつかな者ですが、よろしくお願いします」
「だけど、その前にいくつかお話しがあるの」
「なんでしょうか?」

待ったをもらった椛は不満気である。上目遣いの額に皺がよった。
文も毅然とした態度をくずさず、しかし努めて優しげな口調で話す。

「まずは、あなたの口調。仰々しいのは禁止したはずです」
「クセみたいなものでして、なかなか抜けないんです」
「まぁ、口調に関しては譲ってもいいでしょう。だけど、名前を呼んでくれないのは何故かしら?」
「……すみません」
「謝らないでいいの。ただ、文と呼んでもらいたいだけだから」
「ですが、やはり、そうやすやすと口にできるものではありませんよ」
「二人きりのときだけでいいですから。ほら、あ、や。言ってみてごらん」

羞恥心にさいなまれ上目遣いでのぞんでくる椛に、文は一転して上機嫌となる。
恥ずかしげにうつむいた椛の眼差しは、自分の手元と文の瞳をいったりきたり繰り返すのだ。
文が焦ることなく見守っていると、椛は口端を小さく震わせながらぽつりと呟いた。

「あっ……、やぁ……」
「椛ちゃん。それだと喘いでいるみたいですよ? よけいに恥ずかしくないですか?」
「あ、や」
「もう少し自然な感じで。たった二文字なのだから」
「あや」
「うん、よくなった。今度は感情をこめてみましょうか。それではあまりに機械的です」
「……文」
「おお、よくできました。いい子ですねえ。これからはそう呼びましょうね」
「……わかりました、文」
「うんうん。いい子にはご褒美を与えないと」

ご褒美の一言に椛の耳と尻尾が立った。
文も口にはしないが、椛の格好はエサを前にした犬と寸分もかわらない。
そのうち「お手」や「お座り」を、できることなら「来い」も仕込みたくある。

「ご褒美ですか」
「ご褒美、欲しい?」
「はい、文のくれるものならなんでも欲しいです」
「ふふ、素直なのはいいことですよ。その調子でもっと素直になりましょうね」
「森のガラクタ屋敷でお買いになられたやつですか?」
「そんなこと話しましたっけ」
「さきの夕餉のさいに仰っていたではありませんか。森のガラクタ屋敷で買い物をしたと」
「そんなこと言いましたか、覚えていませんねえ。まあ、いいでしょう」

ふところから小綺麗な紙箱を取り出して、椛に見せてやった。
椛は興味深そうに尻尾を躍らせて、文の手の紙箱の封をする青いリボンを見つめている。
その青いリボンを自分でとくのか、文がといてくれるのか気にしている様子だ。
文は一寸だけためらったが、自分でリボンを外すことにした。

「もう少しこちらに寄ってくれませんか」

リボンをときながら文が言うと、椛は本当にすぐ傍にまで寄ってきた。
膝と膝とが触れ合ってしまい、少しの仕草で肩と肩とがぶつかってしまう。
距離がなくなり心音も早くなるが、文の手元は狂うことなくリボンをとりのぞき、紙箱のふたを開けてみせた。
傍らの椛は用のなくなったリボンを拾い、それを指にからめて手遊びにしはじめていた。

椛の気がそれているうちに、文は箱のなかに鎮座している黒塗りの首飾りをつまみあげた。
首飾りは長い連鎖に宝飾を施したものではなく、短めの革帯でできた黒塗りの質素なものである。
そのため、身につけると首に貼りつくような感じになり、しかも裏には頼んで彫りものまでしてもらった。
もはや首輪と呼んでも差し支えがなく、白狼の椛には似合うといえど、やはり礼を欠くものかもしれない。
そんな懸念をしていたものの、見れば椛に嫌悪している様子はなく、興味深そうに見ているだけだ。
どうやらとりこし苦労だったみたいで、胸を撫で下ろしつつも早速着けてやろうと椛に指示をだす。

「ちょっと顎をひいてもらえる? そうそう、そんな感じ、そんな感じ。うん、いい子だねえ」
「さきから子ども扱いばかりして……。たしかに文より若輩ですが、私は子どもじゃありません」
「そんなつもりはないのだけれど、椛ちゃんの反応があまりに幼いから」
「ほら、また子どもみたいに。私はこれでも一人前の天狗なのですよ」
「わかっていますって。……はい、できた。椛、もう目を開けてもいいよ。なんで目まで閉じたかは聞かないであげる」
「うぅん? なんだか首周りがきついです」
「椛、だめ。すぐになれるからガマンして」

椛が首元を掻こうとするので、文は慌てて止めた。
いきなり傷物にされてはかなわない。見た目は地味であるが高価で珍しい代物なのだ。
素材からこだわっている、と製作者に自慢げに聞かされた。

「これ、なんですか? 首を絞められているみたいですが」
「首飾り。椛が好きそうなやつ。首にぴったり沿うものだから邪魔にならないでしょ?」
「なんだか首輪みたいですね。飾りにしては、コテコテしていませんし」
「首輪にしては自由だと思わない? きついなら緩めることも外すこともできるのだから」
「たしかに……、おっ、ここの止め具で調節するのですね。なるほど、外すのも同じ要領ですか」

首飾りをおもちゃのように扱う椛を見て、文は影のある笑みをもらした。
ときおり椛が見せる幼さの残る仕草は、たしかに文も好むものであるが、時にはやはり冷ややかに思うことがある。
手遊びにうつつをぬかす椛の気をひくように、文はしんみりとした声音をつくる。

「気にいってくれました?」
「もちろんです、ずっと大切にします。ただ、とつぜんのことで少し驚きました」
「なにせほとんど衝動買いですからね。椛に似合うかなと思った時には、すでに買っていまして」
「すみません。わざわざ私なんかに」
「羽繕いのお返しみたいなものですよ。……ところで、そろそろお願いできます?」
「そうですね、明日もあることですし。今日はいかがしますか、寝転ばれますか?」
「座ったままにしておきます。寝転ぶにしては手狭なところですからね」
「わかりました。それではお背中を見させてもらいます」

文が向きを変えようと腰を浮かせる前に、さっした椛が先に背後へとまわってくれた。
吐息もかかるほど近くにいるのだから、まわるといっても少し身体をずらしただけである。
それであっても、文は椛の心遣いをくすぐったく感じずにはいられなかった。
そしてくすぐったさは、羽繕いのあいだ続くことになった。





※※※※※





たっぷりと羽繕いのくすぐったさを堪能すると、夜は更けに更けて日付も変わってしまった。
繕いもくすぐりも心地良かったうえに、椛もなにも言ってこなかったので、やめ時を誤ったのである。

夜の山道を帰らせるとなると気が重く、文は椛に泊まっていくようにすすめた。
言わずもがな、その親切心やら良心やらの裏に、うす暗い一物を隠していないわけがなかった。
しかし、椛もさるもので文の言葉の端に何か不穏な気配を感じたのか、なかなかに色のいい返事をくれない。
それどころか、文が裾を引けば引くほどに、椛は帰路に着く意思をかためてしまうくらいだった。
文があれこれにかこつけても、椛は乱麻を断つがごとく一切を斬り捨てるのだ。

そして結局のところ、無理強いをさえるわけにもいかず、文はしぶしぶ椛を玄関先まで見送ることになった。

「こんなにも夜が深いのだから、遠慮しないで泊まっていけばいいのに」
「いえ、月も出ていますしこれくらい平気です。目の良さには自信だってあります」

文は親切心だけをちらつかせて引き止めるが、椛はいっこうに首を縦には振ってくれない。
しつように拒まれつづければ、相手が誰であろうと苦言のひとつも言いたくなる。
それが理不尽なことと知りつつも、文はつい軽い気持ちで意地の悪いことを口にする。

「転ぶと痛いですよ? 泣いてもすぐには行けませんよ?」
「何度も言いますが、子ども扱いしないでください。わたし、文のそういうところ好きじゃありません」
「ごめんね。もうからかわないから、機嫌をなおしてくださいな」
「言っているそばから。本当に意地悪ですね、そんな人は嫌いです」

椛はぷっいと顔をそむけたが、されど尻尾は踊っている。
そのちぐはぐな態度が面白く、文は一段とからかいを強めた。

「あらら、椛ちゃんに嫌われてしまいましたか」
「ですから、それをやめてください。子ども扱いは嫌です」
「でも、ひとついいですか、椛ちゃん。本当に意地悪しない方がいいのかしら?」

ちゃかしつつも声音は少し低くし、視線も挑発するように細める。
椛はこの不意打ちの返事に窮するようで、苦渋と困惑の混ざった表情をのぞかせた。

「……もう、文のことなんて知りません。本当に意地が悪い」
「はいはい、これからは少し控えめにしておきます」
「……約束ですよ? 時々くらいにしてくださいね。するなとは言いませんから」
「はいはい、考えておいてあげます。それでは、おやすみなさい、椛」
「文もおやすみなさい。……ん? 私の口まわりに何かついていますか?」
「……いえ、なんでもありません。帰りは足元に気を付けてね」
「そう言う文だって火の元の確認、戸締りはしてくださいよ?」

椛は頬をふくらませたまま帰路についていった。
文はその後ろ姿が宵闇に紛れるまで玄関先から見送りつづけた。そして見えなくなると今度は空に目を向けた。
そこには満ちてないにせよ大ぶりな月が座しており、青灰色の雲がとびとびに浮かんでいる。
これだけ明るいのだから、迷ったりだとか、転んだりだとか危ない目にはあわないだろう。
ただでさえ、生傷の絶えない子なのだ。名誉の傷ならともかく、間抜けな怪我はいらない。






「それにしても、どうして香霖堂で買ったなんて言ったのかしら」

言われたとおり火の元と戸締りをしていると、ふと一度は沈んだ疑問が浮きあがってきた。

「あの首飾りは、人形使いさんに頼んだものだというのに」


椛に与えたあの首飾りは、香霖堂から少し離れた人形使いの家で見つけた物である。
香霖堂を出た後に駄目元で訪れたところ、偶然に寸法を間違えて作られたそれがあった。
文が照れ隠しに事情を偽り頼み、足元は見られたが妥当な値で譲ってもらえることになったのだ。
しかも多めの銭を握らせたら、裏地に細工までしてくれた。

香霖堂でも財布の紐は緩くなったものの、値段を聞くと結びなおしてしまった。
外の世界でもとびきり上等なものらしい、あの大きな宝石を何粒もあしらった髪飾りは、今もあの純白の木の箱のなかに鎮座したままのはず。
そもそも、あの時は喉から手を出しかけたが、今思うと椛に豪奢なものは相応しくないように思える。
日々、野山を駆け巡る白狼天狗に派手な装飾品は枷にしかならないだろう。


(まぁ、いいでしょう。そんなこと、些細なものです)

……椛が首飾りの裏に彫られた文字に気がつくのはいつになるだろうか。
文はその時のことを想像して、薄暗闇のなかで静かに微笑んだ。
完全に単作です。
前作とは関連ありません。
もし続編を書くなら、また別の機会に書きます。

でも、次は久しぶりに、めーさくを書く予定です。


読者の皆様に感謝です
砥石
http://twitter.com/#!/nadeishi
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二人の仲の良さっぷりに和みました
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13.80名前が無い程度の能力削除
二人とも仲良くてよかったです。
16.80名前が無い程度の能力削除
二人の会話が可愛い!
でも内容が少し中途半端かな?という感じでした。
椛や文の行動の理由や動機付けが弱い気がします。
次作も楽しみに待っています。