気がつくと、「ヒロシゲ」は止まっていた。
「ヒロシゲ」は、揺れもなく、音もなく走り、そして滑らかに止まる。
だからウトウトしていたメリーが停車に気がつかなったとしても無理はない。
「……んぁ、もう着いたの?」
メリーは眠気を振り払おうと、ゴシゴシと目をこする。眠気でピッチリと張り付いた瞼を開かせるには、それでは少々足りない。
半分ほど開いた薄眼の、狭くぼんやりした視界で、メリーは辺りを見回す。
前の席で、蓮子はまだ眠っていた。
東京ではしゃいだ疲れが一気にきたのだろう。「ヒロシゲ」の座席に座るや、すぐに目をショボショボさせて、何度も欠伸をし、あっという間にコクリコクリと船をこぎ出していた。眠りは深いのだろう。ちょっとはそっとのことでは起きそうになかった。
まだ寝かせておいてあげようと、メリーは思った。とはいえ、ここが終点の京都であれば、何時までも眠っているわけにもいかないのだが。
そして何気なく、窓の方を見た。
東海道五十三次を映し出す、カレイドスクリーンを。
エンドロールが終わった頃ではないかと、メリーはぼんやりと考えていた。
窓の外を見るまでは。
そこには映画や写真で見たような、昔の駅の風景があった。
古ぼけた木のベンチ、埃で汚れた蛍光灯、そして緊急時に押す赤いボタンが付いた柱などが見えた。
それは五十三次の風景ではない。勿論、京都駅でもない、見知らぬ駅だった。
「妙だな」とは思ったが、まだ頭のはっきりしないメリーは「妙だな」と思っただけだった。
ただ此処が何という駅なのか、それだけは確かめようとした。
丁度彼女の目の前に、風雨で少しだけ擦り切れた駅名表示板が立てられている。
「つきのみや? そんな駅、あったっけ?」
駅名を読んで、メリーは首を傾げる。それでもまだ自分が不思議な状況に放り出されていることに、まだ気がつかないらしい。
地下を走り、京都と東京を一直線に結ぶ卯酉新幹線「ヒロシゲ」が途中停車することなど、普通あり得ない。
もしあり得るとするならば、それは何か起こったための、非常時くらいのものだろう。
そして非常時に使う程度の駅に、こんな凝った懐古趣味は不必要だろう。故に、この駅はそのために作られたものではないと想像できる。だからこそ、この駅は異質だった。
そしてそこを闊歩している者たちも、駅と同様に、異質だった。
「……皆、背が高いし、痩せてて羨ましいわねぇ」
欠伸を噛み殺しながら、メリーがその者たちを見て言った。
その者たちはみな同じ姿をしていた。2mくらいの影が立ち上がったような黒く半透明のうすっぺらい体をしていた。それが何人も(何体も?)ホームをうろついていた。
そして見渡した車内にもその影たちはいて、銘々に座席から立ち上がり列車を降りようとしていた。
そこは空席だったはずだけどな、とメリーはぼんやりと考えていた。
「お花でも摘みに行くのかしらねぇ」
何となく秘封倶楽部の部員としての性か、妙な者たちと妙な駅が気になりはじめ、メリーも席から立ち上がった。
とそこで、
「あら?」
端と気がついた。
足元に一匹の獣がいた。
狐だった。
狐も先ほどまではいなかった。
そしてやっぱり狐も、普通の狐ではなかった。
体は黄金のように神々しく輝き、瞳は獣とは到底思えないような深い知性をたたえていた。
そして何より、尻尾が九本あった。
ただの狐ではない。
そのただの狐ではない狐が、メリーの足元に行儀よく座り、ジッと彼女を見上げている。
まるでメリーの考えを見透かしたように。席から動いてはいけないと、とおせんぼうしているように。
メリーはしばらく、その神々しいだけの狐とにらめっこをしていたが、狐が頑として道を譲りそうにないと思ったのか、あるいはそうしてにらみ合うことに飽きたのか、詰めていた息を吐き、座席に腰を下ろした。
「分かったわよ。だからそんなに睨まないで頂戴」
そう言って肘掛の上で頬杖をつき、カレイドスクリーン越しに駅のホームを眺めていた。それからふと思いついたように、意地悪くニヤッと笑うと、「でも、貴女はいじめたら面白そうね」と言って、もう一度狐を見たが、そこにはもう姿はなかった。
無視されたと思ったのか、メリーは不満そうに頬を膨らませると、またカレイドスクリーンの方へと顔を戻した。
列車が動き始めていた。
メリーは少しだけ名残惜しそうに、その駅を見つめていた。
そして遅まきながらようやく確信した。ここが卯酉東海道の駅ではないことに。
遠ざかっていく駅の向こうに、夜の星をちりばめた螺鈿細工のように輝く巨大な塔が、天を貫くように聳え立っていたからだ。
それは蓮子と一緒に見た大昔のSF映画の葉巻型UFOが、垂直に不時着したようだった。
「綺麗……まだこんなとこがあったのねぇ」
メリーは思わず呟き、やっぱり駅に降りていればと少し後悔した。
目を覚ますと、メリーが満面にニヤニヤ笑いを張り付けていたので、蓮子は再び黙って瞼を閉じた。
「面白いことがあったわ、蓮子」
「それは見ればわかる。私の寝顔を見てるよりも、面白いことでしょ?」
「それは名勝負が見られそうね」
「で、何を見たの?」
「教えない」
「どうせ夢でも見たんでしょう」
「そうね、きっと夢だったんでしょうね」
そう言って、メリーはニヤニヤ笑いのまま、カレイドスクリーンの方を向いた。
蓮子もまた目を閉じた。まだ少し眠かった。
「……知りたい?」
しばらくして、横を向いたままメリーが言った。顔のニヤニヤ笑いもそのままである。
蓮子がまた薄眼を開ける。
「……ちょっとだけ」
ひとり言のように小さくそう呟いた。
カレイドスクリーンに、エンドロールが流れ始めていた。
「ヒロシゲ」は、揺れもなく、音もなく走り、そして滑らかに止まる。
だからウトウトしていたメリーが停車に気がつかなったとしても無理はない。
「……んぁ、もう着いたの?」
メリーは眠気を振り払おうと、ゴシゴシと目をこする。眠気でピッチリと張り付いた瞼を開かせるには、それでは少々足りない。
半分ほど開いた薄眼の、狭くぼんやりした視界で、メリーは辺りを見回す。
前の席で、蓮子はまだ眠っていた。
東京ではしゃいだ疲れが一気にきたのだろう。「ヒロシゲ」の座席に座るや、すぐに目をショボショボさせて、何度も欠伸をし、あっという間にコクリコクリと船をこぎ出していた。眠りは深いのだろう。ちょっとはそっとのことでは起きそうになかった。
まだ寝かせておいてあげようと、メリーは思った。とはいえ、ここが終点の京都であれば、何時までも眠っているわけにもいかないのだが。
そして何気なく、窓の方を見た。
東海道五十三次を映し出す、カレイドスクリーンを。
エンドロールが終わった頃ではないかと、メリーはぼんやりと考えていた。
窓の外を見るまでは。
そこには映画や写真で見たような、昔の駅の風景があった。
古ぼけた木のベンチ、埃で汚れた蛍光灯、そして緊急時に押す赤いボタンが付いた柱などが見えた。
それは五十三次の風景ではない。勿論、京都駅でもない、見知らぬ駅だった。
「妙だな」とは思ったが、まだ頭のはっきりしないメリーは「妙だな」と思っただけだった。
ただ此処が何という駅なのか、それだけは確かめようとした。
丁度彼女の目の前に、風雨で少しだけ擦り切れた駅名表示板が立てられている。
「つきのみや? そんな駅、あったっけ?」
駅名を読んで、メリーは首を傾げる。それでもまだ自分が不思議な状況に放り出されていることに、まだ気がつかないらしい。
地下を走り、京都と東京を一直線に結ぶ卯酉新幹線「ヒロシゲ」が途中停車することなど、普通あり得ない。
もしあり得るとするならば、それは何か起こったための、非常時くらいのものだろう。
そして非常時に使う程度の駅に、こんな凝った懐古趣味は不必要だろう。故に、この駅はそのために作られたものではないと想像できる。だからこそ、この駅は異質だった。
そしてそこを闊歩している者たちも、駅と同様に、異質だった。
「……皆、背が高いし、痩せてて羨ましいわねぇ」
欠伸を噛み殺しながら、メリーがその者たちを見て言った。
その者たちはみな同じ姿をしていた。2mくらいの影が立ち上がったような黒く半透明のうすっぺらい体をしていた。それが何人も(何体も?)ホームをうろついていた。
そして見渡した車内にもその影たちはいて、銘々に座席から立ち上がり列車を降りようとしていた。
そこは空席だったはずだけどな、とメリーはぼんやりと考えていた。
「お花でも摘みに行くのかしらねぇ」
何となく秘封倶楽部の部員としての性か、妙な者たちと妙な駅が気になりはじめ、メリーも席から立ち上がった。
とそこで、
「あら?」
端と気がついた。
足元に一匹の獣がいた。
狐だった。
狐も先ほどまではいなかった。
そしてやっぱり狐も、普通の狐ではなかった。
体は黄金のように神々しく輝き、瞳は獣とは到底思えないような深い知性をたたえていた。
そして何より、尻尾が九本あった。
ただの狐ではない。
そのただの狐ではない狐が、メリーの足元に行儀よく座り、ジッと彼女を見上げている。
まるでメリーの考えを見透かしたように。席から動いてはいけないと、とおせんぼうしているように。
メリーはしばらく、その神々しいだけの狐とにらめっこをしていたが、狐が頑として道を譲りそうにないと思ったのか、あるいはそうしてにらみ合うことに飽きたのか、詰めていた息を吐き、座席に腰を下ろした。
「分かったわよ。だからそんなに睨まないで頂戴」
そう言って肘掛の上で頬杖をつき、カレイドスクリーン越しに駅のホームを眺めていた。それからふと思いついたように、意地悪くニヤッと笑うと、「でも、貴女はいじめたら面白そうね」と言って、もう一度狐を見たが、そこにはもう姿はなかった。
無視されたと思ったのか、メリーは不満そうに頬を膨らませると、またカレイドスクリーンの方へと顔を戻した。
列車が動き始めていた。
メリーは少しだけ名残惜しそうに、その駅を見つめていた。
そして遅まきながらようやく確信した。ここが卯酉東海道の駅ではないことに。
遠ざかっていく駅の向こうに、夜の星をちりばめた螺鈿細工のように輝く巨大な塔が、天を貫くように聳え立っていたからだ。
それは蓮子と一緒に見た大昔のSF映画の葉巻型UFOが、垂直に不時着したようだった。
「綺麗……まだこんなとこがあったのねぇ」
メリーは思わず呟き、やっぱり駅に降りていればと少し後悔した。
目を覚ますと、メリーが満面にニヤニヤ笑いを張り付けていたので、蓮子は再び黙って瞼を閉じた。
「面白いことがあったわ、蓮子」
「それは見ればわかる。私の寝顔を見てるよりも、面白いことでしょ?」
「それは名勝負が見られそうね」
「で、何を見たの?」
「教えない」
「どうせ夢でも見たんでしょう」
「そうね、きっと夢だったんでしょうね」
そう言って、メリーはニヤニヤ笑いのまま、カレイドスクリーンの方を向いた。
蓮子もまた目を閉じた。まだ少し眠かった。
「……知りたい?」
しばらくして、横を向いたままメリーが言った。顔のニヤニヤ笑いもそのままである。
蓮子がまた薄眼を開ける。
「……ちょっとだけ」
ひとり言のように小さくそう呟いた。
カレイドスクリーンに、エンドロールが流れ始めていた。
不思議な雰囲気がメリーにベストマッチでした
よい雰囲気です。