『速報! 川上さん宅の夫婦喧嘩、ついに決着!』
「えー、なになに? 『数日前より人間の里を騒がせていた夫婦喧嘩が、ようやく終わりを迎えた。仲直りのきっかけは奥さんの放ったブラジリアンキック。夫は「こんなに見事な蹴りを受けたのは、生涯で二度目」と証言しており‥‥』」
夕陽に染まった博麗神社。
住人である霊夢と、遊びにきていた魔理沙の元へ、一匹の鴉天狗が訪ねてきていた。
その天狗、射命丸文の持ってきた新聞を読んだ魔理沙は、率直な意見を口にする。
「なんだこりゃ」
「おや、ご存じない? ブラジリアンキックとは、相手の防御の上を飛び越えて叩き込む蹴り技で、こんな感じの‥‥」
素晴らしいフォームで実践して見せる文。
長い脚が弧を描き、風を切る音が響く。
「いやいや、そういう事じゃなくてだな」
「はて?」
「なんで天狗の発行してる新聞に人里の、しかも、こんなにしょうもない事件ばかり載ってるんだよ」
魔理沙がつまらなそうに投げ捨てた新聞には、首に包帯を巻いた中年男性が苦々しい表情で写った写真が印刷されていた。
ちなみにこの記事、一面を飾っている。
「それはですね、近頃特にこれといった大きな事件が起きてないからですよ」
「まあ、言われてみればそうだけどね。だからって‥‥」
魔理沙の投げた新聞を拾い、霊夢がパラパラと捲る。
「夫婦喧嘩の決着に、酔っ払いの奇行。妖精の悪戯に‥‥こんな記事ばっかりじゃあ、流石に誰も喜ばないでしょうに」
「それが辛いところなんですよ。誰かがパパッと異変でも起こして、誰かそれを解決してくれませんかねえ?」
「嫌な事言わないでよ。想像しただけで面倒よ」
露骨に霊夢を見つめながら願望を口にする文。
霊夢はその言葉に心底鬱陶しそうに答える。
「何も事件が無いなら、無理に書かなきゃいいじゃないか。読まれない記事なんて、書いてて虚しくならないのか?」
「そんな事を気にするほどナイーブな性格じゃないんでしょ」
「むむ、これは心外」
魔理沙と霊夢の発言に、文は抗議の声をあげる。
「私だって、色々と落ち込むなり葛藤するなりしてるんですよ。人並みに」
「えー?」
「どうにも信じられないぜ」
「その中でも、私があまりに大きなショックを受けて立ち直れなくなりそうになったのは‥‥そうですね。あなた達が生まれるよりも、随分と前の出来事でしたね」
「どうもー、文々。新聞でーす!」
夕刻の人里。
私は一件の家に舞い降りました。
当時は人間と妖怪の溝がもっと深かった時代。
現在も人里で天狗の新聞を定期購読している家は少ないですが、その頃には片手で足りる程度の購読者しかいなかったんですよ。
「お、来た来た。待ってたぜ」
「ま、待ってた!? 本当ですか!?」
「本当だとも。今か今かと、ずーっと楽しみにしてたんだ」
「えへへ‥‥そこまで言われると、少し照れてしまいますね。はいこれ、今日の新聞です」
「おう、お疲れさん」
「今後も文々。新聞をご贔屓に!」
やはり、自分の書いた物が喜ばれると嬉しくなりましてね、その男性が物凄い好青年に見えましたよ。
思わぬ大歓迎ぶりに、私は上機嫌で飛び去りました。
けど‥‥
「おっと、今日は二部あるんだった。私とした事が、浮かれ過ぎちゃったなあ。すみませーん!」
渡し忘れた新聞を手渡すため、先の家へと戻りました。
戸を叩くと、家主が姿を見せたんです。
「どちらさ‥‥な、なんだ。さっきの天狗じゃないか。ど、どうしたんだ?」
「もう一部の新聞を渡していなかったもので」
「そ、そうかい。それはありがとよ」
「いえいえ。おや? くんくん‥‥何やらいい匂いがしますね。今日の夕食はお肉ですか?」
「あっ! こら!」
「もう時間も時間ですからね。いいなぁ、私もお腹が‥‥」
不躾だと承知していたものの、漂ってくる香りに勝てず、ヒョイっと戸の隙間から家の中を覗いてしまいました。
その瞬間、私の目に、とんでもない光景が広がったんです。
「こ、こ、こ‥‥これは‥‥」
「いや、その‥‥」
「あなたはなんて事を!」
ジュージューと音を立てながら肉が焼けている鉄板。
その鉄板の周囲に敷かれ、飛び散る油から家具を守っている、私の努力の結晶である文々。新聞。
まさに悲劇の光景でした‥‥
「うっかり古新聞を全部焚き火の燃料にしちまってな。それで‥‥」
「ひ、ひどい‥‥ひどすぎる‥‥」
「いや! だけどほれ、ちゃんと記事は読んだぜ!」
「‥‥一面の記事の内容はなんでしたか?」
「んん!? え、えーと‥‥氷精の凍らせたカエルがついに四桁突破! だった、か、な?」
「全然読んでないじゃないですかー! バカー!」
「いてえ! 何も蹴っ飛ばす事は‥‥あ! ちょ、ちょっと待っ‥‥どこに‥‥」
「うわーん! 人間なんて大っ嫌いだー!」
こうして私は、泣きながら妖怪の山へと一目散に逃げ帰りました。
「と、こんな事がありましてね」
「あっはっはっはっは! そ、そりゃ可哀想に」
「笑い事じゃないですよ! 私の苦心の新聞を、よりにもよって焼肉の油ガードに使うだなんて!」
大爆笑の霊夢、魔理沙。
二人とは対照的にぷりぷりと怒る文。
「はあ、笑った笑った。それで、その後は?」
「後?」
「だって、そんな大惨事‥‥ぷふっ‥‥があった後でも、あんたは新聞書いてるわけだし」
「ああ、はい。それはまあ」
「何か心境の変化があったんでしょう?」
「んー‥‥はい。一応は」
「せっかくだから聞かせなさいよ」
「むう、仕方ないですね。そんなに面白くないですよ?」
「いいからいいから」
何だかんだで暇を持て余していた二人は、話上手な文に続きを促す。
今までとは違い歯切れの悪い文だったが、結局は続きを話し始めた。
それから半年、前回の一件ですっかり打ちひしがれた私は、一つの決意をしていました。
人里の上空を飛ぶ私が手にしているのは『文々。新聞 最終号』の文字が書かれた新聞だったんです。
「どうせ私の新聞なんて、誰も楽しみにしてないんだ‥‥そうだよね。新聞になるのを待たなくても、その前に噂で情報が入ってくるんだもん‥‥」
すっかり意気消沈といった面持ちで、玄関に新聞を置いていきました。
直接手渡す気は無くなってしまっていたんです。
「ここで最後か‥‥もう、人里に来る事もあまり無くなるんだろうな‥‥」
里の中でも少し外れにある一件の家でした。
ちょっと感慨深くなっていた私が新聞を置いて立ち去ろうとすると、僅かに音が聞こえたんです。
「ん? なんだろ?」
「ごほっ、ごほっ‥‥」
よーく聞いてみると、それは弱々しい咳の音でした。
どうやら、家の中から聞こえてくるみたいで、私は迷いましたが、戸を叩いてみたんです。
「こんにちはー。どうかしましたか?」
「ごほっ‥‥どちら様?」
「鴉天狗の射命丸です。新聞をお持ちしたんですけど‥‥」
中から聞こえてきたのは、小さい小さい声でした。
けど、私が挨拶すると、その声が少しだけ大きく、明るくなったんです。
「あらあら、新聞を持ってきてくれたのね。どうぞお上がりになって」
「え? はあ、じゃあ失礼して‥‥」
中に入った私を出迎えたのは、声と同じく、小さいお婆さんでした。
「待ってたんだよ。最近、新しい新聞がなかなか発行されてないみたいだったけれど‥‥」
「そ、それは‥‥色々ありまして」
「そうかいそうかい」
私はここで思い出しました。
この家で毎回新聞を受け取っていたのは、ちょっと怖そうなお爺さんだった筈だな、って。
「お婆ちゃん、旦那さんは?」
「主人は二月ほど前にね‥‥」
「あ‥‥」
二月前といえば、私が山に引き篭もっていた頃でした。
「さて、久し振りの新聞ね。‥‥おや」
「どうしました?」
「お嬢ちゃん‥‥新聞、やめちゃうのかい?」
「は、はあ。一応今回で最後に」
「そうかい‥‥」
その途端、お婆さんの顔は誰が見てもわかるくらいに暗くなりました。
そこで、私は一つ質問してみたんです。
「お婆ちゃん。あなたは、この新聞‥‥文々。新聞がそんなに楽しみだったんですか?」
「ええ、ええ。それはもう」
「それはまたどうして?」
「この家、中心から少し離れているでしょう? 私は足が悪くてね。主人も亡くなってしまったし、他の人たちと会う事があまり無いのよ」
「そうでしたか‥‥」
「だからね、私にとってあなたの新聞は、私と外とを繋げてくれる、唯一の物なのよ」
「‥‥‥‥」
正直、感無量でした。
前の一件が無くても、私の新聞に大した人気が無いのはわかっていましたからね。
唯一の存在だなんて言葉を聞くとは、全く思っていなかったんです。
「だけど、残念ねえ。これで最後なのよね。大切に読ませてもらうわ。今までありがとうね」
「お、お婆ちゃん」
「どうしたの?」
「私、これからも書きます! お婆ちゃんが里や幻想郷の事を全部知る事ができるように、一所懸命に記事を書きます!」
「本当かい?」
「はい!」
「ありがとう‥‥ありがとうね‥‥」
その時のお婆さんの顔は本当に嬉しそうで‥‥
握られた手は、小さくてしわくちゃだったけど、すっごく暖かかったのを今でも思い出せます。
その日、山に飛びかえった私は、早速新聞を書きました。
見出しは『復活! 文々。新聞!』でした。
結局私は、その後も里に行きました。
私が新聞を届ける度に、お婆さんは喜んでくれていました。
その内、配達が無い日でも顔を出すようになっていったんです。
「こんにちはー」
「あら、しゃめめちゃん。こんにちは。今日も来てくれたのね」
「お婆ちゃん、しゃめめじゃなくて、あややだってば」
「あらあら、ごめんなさいね。今日はね、店の人が商品を持って来てくれる日だったの。お菓子をたくさん買ったから、一緒に食べましょう」
「わーい、お言葉に甘えまーす!」
「文ちゃん。今日は何か面白い事あったかしら?」
「勿論! たくさんネタを仕入れてますとも!」
「あらあら、楽しみだわ。聞かせてくれる?」
「いいですよ!」
「今日はね、体の調子がよかったから、久し振りにお稲荷さんを作ってみたの」
「わあ! 美味しそう!」
「あなたはお料理得意?」
「それが、からっきしでして‥‥」
「ダメよ。文ちゃんは可愛いしいい子なんだから、後はお料理ができれば、お婿さんの貰い手には困らないわよ」
「あややや‥‥これは耳が痛い」
「作り方を教えてあげるから、一度やって御覧なさい?」
「はーい。えへへ‥‥」
ご存知かも知れませんが、私達天狗と言うのは厳しい縦社会の中で生きてましてね。
親兄弟であろうと、ある程度成長してからは家族というよりも上司という感じなんです。
だからでしょうかね?
あの人と過ごしている内に、本当のお婆ちゃんみたいに思えてきたんです。
おかしいですよね。
私の方がよっぽど年上なのに。
そんなある日でした。
「おばあちゃん、見て見て! こないだ教わったお稲荷さんを作ってみたの! 見た目はちょっと変になっちゃったけど‥‥」
新しく刷ったばかりの新聞、そして歪な形の稲荷寿司を手に、私は喜び勇んで家に飛び込んでいきました。
ところが、いつもはニコニコと迎えてくれる筈の姿が見えません。
「あれれー? 一体どこに‥‥」
少なくとも、私が出会ってから一度も彼女が出歩いているのを見ませんでしたからね。
不思議に思って、家中をキョロキョロと探し回ったんです。
「おや?」
ちゃぶ台の上に、一枚の紙が置いてありました。
何かが書いてあるようだったので読んでみると‥‥
「‥‥診療所?」
里のお医者さんの名前と住所が記してありました。
「体調がよくないのかな‥‥よし! ここは一つ、お見舞いに行ってみるとしましょう!」
私は、書かれていた紙を頼りに、その場所へ向かいました。
診療所で私を出迎えてくれたのは、あの人の暖かい笑顔ではありませんでした。
「え、どういう事ですか? ‥‥おばあちゃん?」
そこにいたのは、俯いて黙っているお医者さん。
そして、顔に布を乗せられた彼女でした。
「老衰で‥‥昨日の夜に家を訪ねた者が発見‥‥」
お医者さんが私に色々説明してくれましたが、何も聞こえませんでした。
あんなのは長年生きてきて初めてでしたよ。
お婆さんの姿と声で、頭の中が一杯になっちゃって‥‥
「あ、ああ‥‥うああああああああ‥‥!」
私は泣きました。
人目があるのに、そんな事は全く気になりませんでした。
泣いて泣いて泣いて‥‥
気が付いた時には、あの家に一人で立っていました。
ようやく少し落ち着いてきて、部屋の片隅に何かが置いてあるのに気付いたんです。
「ひっく、ひっく‥‥これは‥‥」
そこには、私がこれまで届けた新聞が積まれていました。
もう読み終えた古新聞の筈なのに、大事に大事に折り畳んでありました。
その上にはおばあちゃんの手紙が置かれていたんです。
『私は文ちゃんを本当の孫のように思っていました。素敵な時間をありがとう』
それを読んだ私は、また涙が止まらなくなってしまいました。
「だから私は、新聞を書き続けるんです。他の人には大した事の無い事件でも、楽しみにしてくれている人がいるかも知れないし、何より、おばあちゃんと出会えた切欠ですからね」
話を終えた文は、途中で霊夢に出されたお茶を飲み、ホッと息を吐く。
「う、うう‥‥」
「あややや? 魔理沙さん?」
ふと見ると、今まで黙って話を聞いていた魔理沙が唸っていた。
「文ぁ! ごめんな! まさかお前が、そんな気持ちを込めて記事を書いてるだなんて、思わなかったぜ!」
魔理沙の目から液状のマスタースパークが放たれた瞬間であった。
鼻からもちょっと出た。
よく見れば、霊夢の目元も僅かに赤くなっている。
だが、その空気を吹き飛ばすように文が言葉を発した。
「なんて、そんな話があったら素敵だと思いません?」
「‥‥へ?」
「うーん、連載小説っていうのも悪くないかも知れませんね。新規購読者がガッポガッポですよ! うひひ」
「な、な‥‥」
「おっと、もうこんな時間。まだ配達の途中でした。では私はこの辺で。御機嫌よう」
『ふざけるなーーー!』
縁側から腰を上げ、ヒラリと空へ舞い上がる文。
あっという間に遙か遠くへ消えていく後ろ姿に、霊夢と魔理沙の怒声がぶつけられた。
「今日も幻想郷は賑やかだったよ。うーん‥‥まずは、どの話から聞いてもらおうかな」
人里から少し離れた場所。
広大な墓地の一角に、一人の少女がフワリと降り立つ。
墓前に供えられるのは、見た目の歪な稲荷寿司。
少女は新聞を広げ、自分の書いた記事を誇らしげに読み上げる。
今日もおばあちゃんと孫娘の語らいが始まろうとしていた。
と思ってたらこの後書きである。
だが、後書きに有る話を書いたら、100点つけた上で恥ずかしくなるほど長いコメントつけてやるから覚悟しやがれい。
『ふざけるなー!』
って思ったら・・・
そっか、文・・・
貴方の書く登場人物はとても魅力的だ