初めは、何を言いだすんだこのお方はと思った。
捻った名前といえば確かにそうなんだが、難解というには少々馬鹿馬鹿しすぎるし、ふざけているのかといえば確かな理由はあるという。
一体何処から採ってきた名前なのか。
彼女は応えようとしてはくれない。
聞いても聴いても、墓まで持っていくといって聞いてもらえないのだ。
最初に聞いたときは、確か適当に決めたと云っていたと思うのだが。
結局私にできることは頬を膨らまして抗議することくらいである。
私は兎だというのに。
このあいだ、そう、あれはまだ蝉の鳴き声の所為で兎たちが同じくらいやかましい日だった。
私は人里で行商という名の人体実験を手伝っていた。
ばったり出合ってしまった八雲のところの大妖怪の式に突っ込まれたのがそもそもで、
そのときは「なんともまあ、仰々しい名前であらせられるな」と云われたのである。
仰々しいのかどうかは自分でもわからない、師匠がつけたのだ、と云うと
「それならば、貴女の師匠は相応に頭を捻ったのであろう。寵愛が見てとれるわね」
といわれ、私は豆鉄砲に蜂の巣にされた鳩のような顔をしてしまった。
らしい。
狐は効果音が聴こえそうなほどの笑顔だった。
それ以来、私は「ウドンゲ」という言葉の在り処と真意を探っているのである。
休暇があらば、幻想郷中を周った。
紅の館の魔女の処、半妖の店主のがらくた場、寺子屋から稗田家までもを探った。
(ついでに山の上の巫女にも訪ねてみたがこれは間違いだった。)
が、
ない。
ないのだ。
「ウドンゲ」はどこにもないのである。
唯一、稗田の娘から得られた蕾は、「花に候」という一点、それだけであった。
一体どのような花なのか、はたまた華であるのか。
稗田の娘によれば、伝記上のなんとやらだという。
なんということ、
では、ウドンゲという花は存在しないのですか、と尋ねると
「阿求と転じ9代に渡れども、視たことも、視た人を見たことも御座いません」といわれた。
いよいよ困った。
行く宛てがなくなり、私は途方に暮れてしまった。
ネクタイの首元を緩めながら、鎖骨に一滴の滴りを感じる。
正直な処、なんとかなるだろうと思っていたのだが。
中てはほぼ全て周った。
こうもあっさりと手がかりなしになっては。
陽も落ちてきたので、今日は此の辺りで諦めようと思い竹林へと足を向けた。
「おや、優曇華院さん」
声に振り向くと、八雲のところの大妖怪の式が立っていた。
「そう云う貴女は八雲の藍どの」
何しろ疲れているので挨拶もそこそこに再び竹林の方向へ足を向けると、ふと気付いた。
「何か聞きたそうな眼をしているね」
両手にねぎの刺さった風呂敷を持った母狐に心を見すかされてしまった。
狐はどきりとするくらい目を細めている。
見惚れてしまったが、全てを見透かされているような寒さも感じた。
熱くなってしまった顔を振って尋ねた。
「お聞きしたいのです。貴女にわたしの名前に込められた意味を教えて頂きたい」
ウドンゲとは何か、私には解りませんでした。
何なのでしょう。
ウドンゲとはどういう花なのですか。
「ふむ、然し此処で私が話してよいものかしら」
「何とぞお願い致します」
「貴女の師匠は応えてはくれぬのだろう。ならば意義があるのではないかい」
ああ、歯がゆい。
狐が心からの親切みたいな顔をして話すから余計に苛立ってしまう。
子供でもいい。見習いでもいい。わたしが欲しいのは、確固たる私なのだ。
この地上に逃げ落ちてきた"わたし"には、なにもなかった。
今"わたし"が私たるのは全てあの方のおかげなのだ。
しかし、私は気付いてしまった。
私が何者なのかを自分で語ることができないということにだ。
そして焦っている。
何もない"私"が、すなわち見ないようにして閉じ込めていたものがすぐ隣にきてしまった。
名誉などというものは最早この足元の砂にも劣る。
私は月で学んだ"土下座"を惜しげもなく晒した。
「師匠はわたしに何も応えてはくれません。待てと云われれば待ちます。それすらも云ってもらえぬのなら、解釈はわたしの自由ではないでしょうか」
狐は何も云わない。
私は顔を上げて狐の眼を見た。
白面金毛は無表情だった。
ただ、数の多い尾ばかりが稲穂のように風に揺れる。
私の眼力で狂わせて吐かせてやらうか。
ゐやゐや。
然し私は焦ってゐるのだ。
其れ程までに私に隠しておきたいことなのですかと、
私は斯くも師匠に信用されてゐないのであるかと、
私が生きている理由はあるのですかと、
応えてもらえぬこの焦り、この狐にはわかるまい。
訴えるように、半ば憎むかのように私は彼女を睨んだまま動かなかった。
-然らば、半刻。
余計な心は全て吐いた。
無心のうえに浮かぶ空間に音はない。
笹の揺れる音がしていた筈なのだが、
全ての音は、私の心と狐の眼に掻き消されてしまった。
私の頬には滴が伝っている。
私は狐を睨み続け、狐もまた、眼を逸らさない。
まるで私を試すかのように、実に半刻もの間、微動だにしなかった。
言葉の独つも発さない。
ただ、眼に敵意は無かった。
むしろ温かい、乳母のような眼差しに充てられて、私のほうがどうにかなりそうであった。
ふと、あごから水滴が滴る心地がした。
地べたに私の体液が落下する。
とぷ、
と音がしたような、不思議な心地。
途端に気が緩み、はっと狐の眼を見直す。
笑っていた。
狐の元々細い眼がさらに細まり、にんまりと口が裂けている。
牙は鬼の如くむき出していたが、笑いは動物の攻撃本能と云ったのは誰だったか。
嘘も八百回までにして頂きたい。
気がつくと、私は再び頭を下げていた。
「済みません、私の負けで御座います」
「ウドンゲとは花に在って花に有らず。貴女のやっていることは少しずれているようだね」
うふふという笑い声に私は顔を挙げた。
「金輪王と云う名を知っているかしら。
若い貴女にはあまり馴染みのない言葉かも知れないね」
「存じません。初耳です」
「金輪王とは仏教典に於ける神仏の一であってね。いやいや、神と呼ぶには少しばかり尊い。
全能の人形(ひとがた)と呼ぶに相応しいな」
曰く金輪王とは、転輪王と云う人類最徳の王の更なる最頂点で在り、海に至るまでの全ての大地とあらゆる生き物を法によって統治する存在であると。
「ウドンゲとは、其の金輪王降臨せし時に咲く華であるのだよ」
華。
「優曇華と書く。華ではあるが、花ではない。
花とは紡ぐもの。生命ある碧である。
が、優曇華はその一瞬の為のみに或るので、花とは云わぬ。
華とは知らせるもの。命の誕生と、その終りを括り知らせるもの。
瞬の間に開き、瞬の間にその役目を終える。
優曇華は、全能の誕生を知らせる華」
私は永遠亭にて茶を啜っていた。
茶の間に座るのは何年ぶりか。
十年か、百年か。
椅子とはまた違った落ち着きがあるもので、ほんの時折この匂いと心地が恋しくなる。
「あら、茶柱」
思わず顔が綻んでしまう。
ウドンゲはそろそろ我慢が出来なくなる頃だろう。
謎かけではない。
捻ったわけでもない。
悩む時間等、一と零の間に収まる程。
ただ、確信があっただけ。
彼女には才がある。
いつの日か、貴女を本当の名前で呼びましょう。
3000年くらい、私の側で生きたらね。
どたどたどた、
廊下を走る音が聞こえたので、私は膝に力を入れた。
さて、今日はどんな顔で御帰りなさいと云おうかしら?
捻った名前といえば確かにそうなんだが、難解というには少々馬鹿馬鹿しすぎるし、ふざけているのかといえば確かな理由はあるという。
一体何処から採ってきた名前なのか。
彼女は応えようとしてはくれない。
聞いても聴いても、墓まで持っていくといって聞いてもらえないのだ。
最初に聞いたときは、確か適当に決めたと云っていたと思うのだが。
結局私にできることは頬を膨らまして抗議することくらいである。
私は兎だというのに。
このあいだ、そう、あれはまだ蝉の鳴き声の所為で兎たちが同じくらいやかましい日だった。
私は人里で行商という名の人体実験を手伝っていた。
ばったり出合ってしまった八雲のところの大妖怪の式に突っ込まれたのがそもそもで、
そのときは「なんともまあ、仰々しい名前であらせられるな」と云われたのである。
仰々しいのかどうかは自分でもわからない、師匠がつけたのだ、と云うと
「それならば、貴女の師匠は相応に頭を捻ったのであろう。寵愛が見てとれるわね」
といわれ、私は豆鉄砲に蜂の巣にされた鳩のような顔をしてしまった。
らしい。
狐は効果音が聴こえそうなほどの笑顔だった。
それ以来、私は「ウドンゲ」という言葉の在り処と真意を探っているのである。
休暇があらば、幻想郷中を周った。
紅の館の魔女の処、半妖の店主のがらくた場、寺子屋から稗田家までもを探った。
(ついでに山の上の巫女にも訪ねてみたがこれは間違いだった。)
が、
ない。
ないのだ。
「ウドンゲ」はどこにもないのである。
唯一、稗田の娘から得られた蕾は、「花に候」という一点、それだけであった。
一体どのような花なのか、はたまた華であるのか。
稗田の娘によれば、伝記上のなんとやらだという。
なんということ、
では、ウドンゲという花は存在しないのですか、と尋ねると
「阿求と転じ9代に渡れども、視たことも、視た人を見たことも御座いません」といわれた。
いよいよ困った。
行く宛てがなくなり、私は途方に暮れてしまった。
ネクタイの首元を緩めながら、鎖骨に一滴の滴りを感じる。
正直な処、なんとかなるだろうと思っていたのだが。
中てはほぼ全て周った。
こうもあっさりと手がかりなしになっては。
陽も落ちてきたので、今日は此の辺りで諦めようと思い竹林へと足を向けた。
「おや、優曇華院さん」
声に振り向くと、八雲のところの大妖怪の式が立っていた。
「そう云う貴女は八雲の藍どの」
何しろ疲れているので挨拶もそこそこに再び竹林の方向へ足を向けると、ふと気付いた。
「何か聞きたそうな眼をしているね」
両手にねぎの刺さった風呂敷を持った母狐に心を見すかされてしまった。
狐はどきりとするくらい目を細めている。
見惚れてしまったが、全てを見透かされているような寒さも感じた。
熱くなってしまった顔を振って尋ねた。
「お聞きしたいのです。貴女にわたしの名前に込められた意味を教えて頂きたい」
ウドンゲとは何か、私には解りませんでした。
何なのでしょう。
ウドンゲとはどういう花なのですか。
「ふむ、然し此処で私が話してよいものかしら」
「何とぞお願い致します」
「貴女の師匠は応えてはくれぬのだろう。ならば意義があるのではないかい」
ああ、歯がゆい。
狐が心からの親切みたいな顔をして話すから余計に苛立ってしまう。
子供でもいい。見習いでもいい。わたしが欲しいのは、確固たる私なのだ。
この地上に逃げ落ちてきた"わたし"には、なにもなかった。
今"わたし"が私たるのは全てあの方のおかげなのだ。
しかし、私は気付いてしまった。
私が何者なのかを自分で語ることができないということにだ。
そして焦っている。
何もない"私"が、すなわち見ないようにして閉じ込めていたものがすぐ隣にきてしまった。
名誉などというものは最早この足元の砂にも劣る。
私は月で学んだ"土下座"を惜しげもなく晒した。
「師匠はわたしに何も応えてはくれません。待てと云われれば待ちます。それすらも云ってもらえぬのなら、解釈はわたしの自由ではないでしょうか」
狐は何も云わない。
私は顔を上げて狐の眼を見た。
白面金毛は無表情だった。
ただ、数の多い尾ばかりが稲穂のように風に揺れる。
私の眼力で狂わせて吐かせてやらうか。
ゐやゐや。
然し私は焦ってゐるのだ。
其れ程までに私に隠しておきたいことなのですかと、
私は斯くも師匠に信用されてゐないのであるかと、
私が生きている理由はあるのですかと、
応えてもらえぬこの焦り、この狐にはわかるまい。
訴えるように、半ば憎むかのように私は彼女を睨んだまま動かなかった。
-然らば、半刻。
余計な心は全て吐いた。
無心のうえに浮かぶ空間に音はない。
笹の揺れる音がしていた筈なのだが、
全ての音は、私の心と狐の眼に掻き消されてしまった。
私の頬には滴が伝っている。
私は狐を睨み続け、狐もまた、眼を逸らさない。
まるで私を試すかのように、実に半刻もの間、微動だにしなかった。
言葉の独つも発さない。
ただ、眼に敵意は無かった。
むしろ温かい、乳母のような眼差しに充てられて、私のほうがどうにかなりそうであった。
ふと、あごから水滴が滴る心地がした。
地べたに私の体液が落下する。
とぷ、
と音がしたような、不思議な心地。
途端に気が緩み、はっと狐の眼を見直す。
笑っていた。
狐の元々細い眼がさらに細まり、にんまりと口が裂けている。
牙は鬼の如くむき出していたが、笑いは動物の攻撃本能と云ったのは誰だったか。
嘘も八百回までにして頂きたい。
気がつくと、私は再び頭を下げていた。
「済みません、私の負けで御座います」
「ウドンゲとは花に在って花に有らず。貴女のやっていることは少しずれているようだね」
うふふという笑い声に私は顔を挙げた。
「金輪王と云う名を知っているかしら。
若い貴女にはあまり馴染みのない言葉かも知れないね」
「存じません。初耳です」
「金輪王とは仏教典に於ける神仏の一であってね。いやいや、神と呼ぶには少しばかり尊い。
全能の人形(ひとがた)と呼ぶに相応しいな」
曰く金輪王とは、転輪王と云う人類最徳の王の更なる最頂点で在り、海に至るまでの全ての大地とあらゆる生き物を法によって統治する存在であると。
「ウドンゲとは、其の金輪王降臨せし時に咲く華であるのだよ」
華。
「優曇華と書く。華ではあるが、花ではない。
花とは紡ぐもの。生命ある碧である。
が、優曇華はその一瞬の為のみに或るので、花とは云わぬ。
華とは知らせるもの。命の誕生と、その終りを括り知らせるもの。
瞬の間に開き、瞬の間にその役目を終える。
優曇華は、全能の誕生を知らせる華」
私は永遠亭にて茶を啜っていた。
茶の間に座るのは何年ぶりか。
十年か、百年か。
椅子とはまた違った落ち着きがあるもので、ほんの時折この匂いと心地が恋しくなる。
「あら、茶柱」
思わず顔が綻んでしまう。
ウドンゲはそろそろ我慢が出来なくなる頃だろう。
謎かけではない。
捻ったわけでもない。
悩む時間等、一と零の間に収まる程。
ただ、確信があっただけ。
彼女には才がある。
いつの日か、貴女を本当の名前で呼びましょう。
3000年くらい、私の側で生きたらね。
どたどたどた、
廊下を走る音が聞こえたので、私は膝に力を入れた。
さて、今日はどんな顔で御帰りなさいと云おうかしら?
違ったww
もっと胸を張っていいたまえ
>12様
タイトルも一つの魅力かなと思ったのですが、やはり内容とあってないと紛らわしいですね…
もうちょっとしっかり考えてみます。
>14様
頷いていただき恐悦至極です。
>16様
私もそう思います。
しかも位の高さを表す院号までついているわけですしね。
やっぱりこれは永琳の愛だと思うんです。
>17様
ありがとうございますありがとうございます。
八雲藍が大好きでございます。
>18様
まさかこのような言葉をいただけるとは。
私自身、ここに投稿された多くの作品がそれぞれ持った独自の世界や解釈、雰囲気が大好きなのです。
創想話とはよくいったものだと思います。
ありがとうございました。
それ以来、私は九尾の虜にございます。
それはそれとして、なかなかに味のある作品でした。次回作にも期待いたします。点数は九尾にちなんでこれで。
>27様
驚いた顔のまま硬直しちゃったみたいなニュアンスです。多分。
なんとなく伝わっていれば幸いです。
ただわかり辛いのはだめですね。もう少し客観的に推敲できるように努力します。
>31様
おはようビームありがとうございます。
>32様
いかならむと思ふ夢を見つつも、かような言に触れ、いとうれし。
ありがとうございます。
>33様
私も四面楚歌チャーミングされて魅了から抜け出すのに一カ月ほどかかりました。
未だに後遺症が残っており悩まされております。
それはともかくご期待ありがとうございます。次作も恥ずかしながら考えておりますので、覚えていていただけると幸いです。
>34様
もっとこう、溢れんばかりの胡散臭さだとか不可思議な感じを出したいものです。