西洋の地獄を縄張りにしている悪魔には序列といったものがある。
第一階級として人間にも広く知られているのは魔王であるルシファー様をはじめ、ベルゼブブ様やレビヤタン様、アスモデウス様あたりだろうか。
最近ではもうすっかり忘れ去られているようだが、元々はそういったお偉方様を含めた古参の西洋悪魔達の多くが対極に位置するはずの天使として生を受けた存在であった。
第一階級の悪魔とは、堕天する前はとても徳の高い天使だった方々なのである。
遥か昔、最高位の天使であったルシファー様が西洋を束ねる絶対の神であらせられるヤハウェ様に反乱を起こした際に、それにくっついていった者達が皆悪魔となったのだ。
では、ピラミッドの一番下、最底辺の悪魔である私はといえば。
「ねえねえ聞いたー? ルシファー様達がヤハウェ様に喧嘩ふっかけるんだって!」
「マジでー? ルシ様ついにプッツンしちゃったんだー」
「あのおっさんちょーウザイもんねー」
「アタシこの前アド聞かれたー」
「マジでー」
「キモーい」
「ちょーウケるー」
「あ、アタシ等もこの話乗っちゃおうよー」
「お、いっちゃうー?」
「下克上キター」
「あんたも乗るよね?」
……一生を左右する問題であったはずなのに。
(やべえ、ぜったいやべえって! 無茶だって! モブとして画面外で潰されるのがオチだって!)
頭の中ではこれでもかというほどに警鐘が鳴り響いていたにも関わらず。
「ねえ、聞いてんの? 相変わらずとろっくさいわね、アンタ」
「ご、ごめん」
「んで、乗るっしょ? この話」
「え、いや、それは……」
「……ああ?」
「はい! 乗ります! 乗せてください!」
断わりきれず。
流れに流され。
反乱軍のその他大勢の一人として戦場に出撃した。
手柄をたてよう、なんて分不相応なことは考えず、コマンドはいのちだいじに一択。
ひーひー言いながら戦火の中を必死に逃げ惑い。
なんとか、生き延びる事は出来たものの。
底辺天使から、底辺悪魔へと堕ちたのであった。
――そして。
細々と地獄で暮らしていったいどれ程の時が過ぎたか。
住めば都、とはいうものの。
どうにも馴染めず、居心地の悪さを拭いきれずに過ごした長い年月の末。
私は《召喚》された。
断わる事など出来ない、圧倒的な力を持っての喚び掛けだった。
気がつけば魔方陣の上。
終身間際、パジャマ姿で口に歯ブラシを突っ込んだ状態で呼び出された私は、状況を飲み込むことも出来ずにへたりこんだ。
……びっくりして歯磨き粉を飲み込んでしまった。ちょー気持ち悪い。
「……ずいぶん弱そうなのがきたわね」
声に視線を上げれば、目に入る紫。
「まあ、いいわ。この際なんでも」
紫――藤色の長い髪と、紫水晶の瞳。
それらに揃えたような色彩の服。
……というかパジャマ? お揃いだね! なんて。笑えねえ。むしろ嗤える。
ああ、これ、あれだ。なんかやばい。やばい状況だよコレ。
「悪魔○○○、貴女を喚びだしたのはこの私。七曜の魔女、パチュリー・ノーレッジよ。つまり私ご主人様。貴女使い魔ね。真名を奪うことによって、貴女の全て、魂に至るまで私に隷属してもらう」
ジャ○アーン!
開いた口から歯ブラシもおっこちたよ!
悪魔との使い魔契約っていったら普通、魔女が死後自らの魂を悪魔に譲渡することを誓って成り立つもんでしょう!?
「そ、そんな! 拒否権はッ!」
「あるわけないわ」
「りありぃっ!?」
ジャイア……魔女の、パチュリー・ノーレッジ様の手が、ぺカアッと光り輝き。
私はその手に《名前》を――存在を奪われた。
「貴女、今日から小悪魔ね」
……涙も出てこねえぜ、ちくしょーめ。
「ついてきなさい」
そう言ってスタスタと早足に歩き出してしまったパチュリー様の背を慌てて追いながら。
まだ完全に混乱は抜けきっていないものの、もうどうしようもないよね、という諦観で少しずつ落ち着きを取り戻しはじめた私は辺りに視線を巡らした。
――屹立した本棚は、まさに山。
四方八方、本がギッシリと詰まった本棚の山脈が連なっていた。
うあ、マジぱねえ。
「す、すごい量の本……」
自然とそう呟くと、前を歩くパチュリー様から背中越しに言葉が飛んできた。
「ええ、人間なら一生かかっても読みきれない蔵書数よ。そしてさらに、日々増え続けている」
ほわい?
「え、それはどういう」
「魔法でね。自動収集。魔力を秘めた貴重な書物がオートで集まるようにしたの。あ、魔導書じゃない普通の本もあるわよ。読書をしないお嬢様が手当たり次第にプレゼントしてくれるから。おかげで蔵書整理が大変なのよ。中には危険な物もあるから、メイドに任せるわけにもいかないし」
「は、はあ……」
簡単そうに言っているけど、それ相当高度な魔法だよね。
ってか、他人の持ち物まで収集してしまったら泥棒ではなかろうか。
故郷のお母さんが泣いてるぞ!
それとなんですか、貴女ヒモですか?
「大変なんですねー……」
「大変なのよ。それでまあ、使い魔でも作ってそいつに片付けさせようかな、って」
「え」
「というわけで任せたわ。使い魔さん」
なんじゃそりゃあああああああああああああああああ!?
「なんですかソレ! 私その為に喚ばれたんスか!?」
「喚んだんスよ」
「……は、はは、あははははっ……なんだよう、くそうっ」
もう笑うしかないじゃんかよう。
長い廊下には真っ赤な絨毯が敷き詰められていて、天井がとても高かった。
擦れ違い様に立ち止まって頭《こうべ》を垂れるメイド達はこんなにいらないだろうってくらい沢山いる。
ここはずいぶんと立派なお屋敷らしい。
「どこに向かっているんですか?」
「この館の主、さっき言った読書をしないお嬢様の部屋よ」
新参者の紹介でもする気だろうか?
……ちょっと緊張してきた。
パチュリー様も私を無理矢理呼び出して契約した強引な手腕と魔力の量から見るにかなりの実力者なのは確かだ。
であればそんなパチュリー様と深い仲なのであろうお嬢様だって相当の実力を持っているのではないかと予想出来る。金持ちだし。
ぶ、無礼討ちとか、されたらどうしようっ。
「どんな方なんです?」
恐る恐る問い掛けた。
危険を回避する為には事前の情報収集が鍵なのだ。
経験から痛い程知っている。
「どんな方、ねえ……」
パチュリー様はほんの少し間を空けてから、柔らかな声で答えを紡ぐ。
「尊大かつ我侭。だけどそれを通すだけの力を持っている、生まれながらの王様。でも、たまに肝心なとこでヘタレる」
「な、なんスかソレ」
やっぱり無礼討ちされる?
い、いや、へりくだって下手に出ればなんとか……!
「……優しいから」
「へ?」
身の振り方を必死で考えていた私にかまわず、パチュリー様は言葉を続ける。
「レミィは優しいから、大切な物を護るためならいくらだって我侭になれるし、その大切な物を壊したくないと思えばこそ、躊躇いもすれば尻込みもするのよ」
だから、みんなも。
私だって。
彼女についていこうって思ったの。
語る声からは、こっぱずかしい程の愛情が溢れていて。
「……惚気ですね」
「事実だもの」
ラブラブなんですね、と言えば、前を行く彼女の耳がじわりと赤く染まった。
それを見ていると気が抜けて、なんとかなりそうな気がしてきた。
うん。
この魔女は、多分けっこう、いい奴だ。
だからきっと、そのレミィとかいうお嬢様だっていい奴なんだろう。
こんな可愛らしく恋する乙女に、悪い奴なんていないと思う。
むしろそう思いたい。
辿り着いた先には、一際豪華に装飾の施された扉。
コンコン、と二回ノックしてパチュリー様はその扉を開いた。
視界に飛び込むのは、大きな机と大きな椅子。
天蓋付のベッド。
その傍らに人影。
「パチェ!」
振り返り叫んだのは、小さな女の子。
「さ、咲夜がっ!」
――に、見える、え?
え、え、ええ?
ちょっと待て、待ってください!
吸血鬼!?
この絶大すぎる魔力と、背に生やした大きな蝙蝠の羽。
間違いない、実物を初めて見たが、こいつは吸血鬼だ。
やばい、腰抜けそう。
膝がめっちゃガクブルだよ!
だって、吸血鬼だよ? 吸血鬼ですよ!
冒頭で説明したとおり、我々西洋悪魔というのは大体が天使から堕天して悪魔となった者達なのだが、例外というものもいる。
吸血鬼というのは生まれながらの魔の者。
まさに夜の王。
……歴史は浅いものの、私みたいなこっぱ悪魔なんて小指一本でぱぁんだよ!
あ、ちなみにすっごい誰かさんが作った魔界って世界にも悪魔はいるらしい。
行ったことないけど。
あれ? っていうか。
この吸血鬼、涙目……?
「咲夜の熱がまた上がったみたいでっ、ひどくうなされているの!」
怯える私などまったく目に入っていない様子の吸血鬼は、物凄く取り乱しながらベッドを指差した。
ベッドに横になっているのは、小さな吸血鬼よりもさらに小さそうな人間の女の子。
顔は赤くて息も荒いし、先程の吸血鬼の台詞からしても女の子は体調を崩して寝込んでいるのだろう。
「うるさい。落ち着きなさい、レミィ。咲夜が起きてしまうでしょう」
「……っ」
冷静に言い返したパチュリー様に、さっき惚気られた恋のお相手、この館のお嬢様、レミィというらしい吸血鬼は息を詰まらせて口を閉ざした。
「……レミィ、私ね、使い魔を召喚したのよ。紹介するわ」
パチュリー様はそう言うと私の方を振り返る。
それに促されて吸血鬼の視線もこちらに向けられた。
「は、はじめましてっ! ……小悪魔です!」
第一印象が肝心! とは思うのだけど、どうしても顔が引き攣るのを抑えられなかった。
だって、像と蟻んこみたいなものなんだよ。この方と私の力の差は。
「……そう、よろしく。私はこの館の主。吸血鬼、紅い悪魔。レミリア・スカーレットよ」
――凄いな、と思った。
さっきまであんなに取り乱して涙目になっていたのに、一瞬で彼女は、レミリアお嬢様は、王様の顔つきへと変わった。
お互いの自己紹介が終ったのを見てパチュリー様が口を開く。
「この子に雑用を任せようと思っているの。そうすれば私の時間が空くから……今までよりもっと、咲夜についていられるわ」
声音は優しかった。
「ちっちゃくて、痩せっぽちで。すぐに体調くずしちゃうんだから」
パチュリー様は穏やかな足取りでベッドへと近付き、女の子、咲夜ちゃんの傍らに跪いた。
「ほっとけないわ。ちゃんと、見ていてあげないと」
そう言って、やわらかな手つきで咲夜ちゃんの汗で張り付いた前髪を払って、額を撫でる。
――お母さん、みたいだと思った。
「よい……しょっ」
パチュリー様は、眠っている咲夜ちゃんを抱き上げようとして。
「うぐっ」
鈍い声とともに、グキッと腰から酷い音を鳴らした。
「ぱ、ぱちぇえええええええええええええええええっ!?」
「だ、だから、うるさいって言ったでしょう、レミィ……ぐふっ」
「ぱあああああああちぇぇぇええええええええええええっっッ!」
うるせえっ!
色々台無しだよ!
あまりのうるささに耳を押さえていると、そんなうるさいやりとりの真っ只中にいた咲夜ちゃんが目を覚ました。
「……ん、う? え、ぱちゅりーさま?」
「咲夜っ!」
咲夜ちゃんは寝起きでぼおっとしていたが、数瞬して現状を把握したのか自分で身体を起こした。
「すみません、歩けますから」
そう言って立ち上がろうとしたのを、パチュリー様は少しショックを受けたような顔で見ていた。
咲夜ちゃんはそれにかまおうとしない。
……反抗期なのかな?
「……きゃっ!?」
小さな悲鳴。
レミリアお嬢様がいきなり咲夜ちゃんを抱き上げたのだ。
パチュリー様とは違い、軽々と。
見事なお姫様抱っこである!
「お、お嬢様?」
戸惑いの声を上げた咲夜ちゃんに、お嬢様は微笑みながら囁いた。
「病人が、子供が。意地張ったって、可愛くないわよ」
かっ、
カッコイイーっ!?
え、なにソレお嬢様マジイケメン!
「……っ、はいっ」
あ、咲夜ちゃん赤かった顔がさらに真っ赤に。
あー、なるほど。
そういうことか。
おっきくなったらお父さんのお嫁さんになるの! ってやつですね、わかります。
お母さんはお父さんを獲りあうライバルなんだろう、きっと。
「……」
パチュリー様はその様子を物凄く複雑そうな顔で見ていた。
……可愛いね!
咲夜ちゃんを抱いたレミリアお嬢様を先頭に廊下を進む。
その三歩後ろを横並びに二人で歩きながら、私はパチュリー様に疑問を投げ掛けた。
なんとなく、前の二人には聞こえないよう、声をひそめて内緒話みたいに。
「悪魔の館に人間の女の子。いったい、どういった経緯で?」
パチュリー様は横目でこちらを一瞥してから視線を前に戻すと、あわせてくれたのか同じように小さな声で返答を口にした。
「レミィが拾ってきたのよ。咲夜は過ぎた力を持っていたせいで、人間の群れの中には居場所がなかったから」
だったら、悪魔が居場所をつくってあげるわ、ってね。
パチュリー様は薄く微笑んで話していたが、それなのに、と前置きを置くと溜息をついて言葉を続けた。
「いざ拾ってきたら自分は可愛がるだけ可愛がって世話は私に投げたわ。咲夜ったらテーブルマナーはおろか一般常識的なことなにひとつ知らなかったから、私が全部教えているの。おかげで好かれるのはレミィばかりで、私は恨まれ役よ」
優しいお父さんと、厳しいお母さんということか。
確かに、子供にとっては甘えさせてくれる人のほうが好印象だろうなあ。
拾ってくれたのだってお嬢様なのだから、大好きになって当たり前だ。
言い方は悪いがある種の刷り込みといってもいいかもしれない。
けど。
「伝わっている、と思いますよ」
「え?」
言葉は自然と零れ出た。
「厳しくしてくれるのも、優しさだ、って。怒ると叱るは違うんだって、そんなのは本気で接していれば絶対に伝わっています。多分。きっと。ただ、素直に認められないだけで」
だって、じゃないと。
さみしいから。
く、臭いこと言った!
――でも、撤回する気にはならない。
意外と、私って臭い奴なのです。
昔よく言われたもん。
アンタくさーい、って。
な、泣いてなんかいないんだからねっ!
「……だと、いいわね」
ホームドラマみたいにありふれた、でもけっこう心の底からの言葉を聞いたパチュリー様は、一言そう呟くと歩調を速めて私より一歩前に出た。
それから、振り返らずに消え入りそうなほど小さな声で、
「ありがとう。ようこそ、紅魔館へ」
――と、言ってくれた。
耳はもちろん、真っ赤だった。
うん。
やっぱり、いい奴だったみたいだ。この魔女は。
いいや、私のご主人様は。
……ついでに、恥ずかしがり屋でもあるらしい。
楽しみにしてます
続き楽しみにしております。
咲夜さんの反抗期はフラグなのか?続きを楽しみにしています。
何よりみんなかわいい!
美鈴に期待
小悪魔さん堕天使説か……新しいな
続き期待
誤字
>終身間際、パジャマ姿で
終身→就寝