「いやああああああ!!」
昼下がりの永遠亭に、ウサギの悲鳴が炸裂した。
「ちょっと、どうしたのよ?びっくりして姫が縁側から落っこちてたわよ?」
ぱたぱたと小走りで、悲鳴の発生源へと向かうのは八意永琳。薬棚の整理の真っ最中だったのを切り上げて来た。
一方、悲鳴を上げた張本人である鈴仙・優曇華院・イナバは、永琳の姿を見るなりいつもはちょっと垂らしている耳をぴーんと伸ばしてまくし立てた。
「こ、これ見てくださいよ!!私のブレザーがジュディ・オング仕様に!!」
「ぶっ!」
永琳は思わず噴き出してしまった。無理も無い、彼女の普段着であるブレザーの袖の下から、いかにも80'sな白いビラビラしたアレがたなびいていたのである。
紺色のブレザーに白いアレ。色彩的にもミスマッチで、スタイリストがこってり絞られるレベルのファッションセンスであった。
「い、いいんじゃない?けどせめて色くらいは合わせた方がいいわね。あと歌手目指すなら姫にも相談しなきゃ」
「何言ってるんですか、私がやったワケないでしょうこんなの!」
何とかブレザーを畳もうとするが、袖の下のアレがあっちへビラビラこっちへブワブワ。
だがその時、お冠な鈴仙の視界の隅に、廊下の柱の陰に隠れた小さな姿が。
くすくすという小さな笑い声も聞こえてきて、彼女の脳内我慢メーターは針を振り切った。
「あっ、てゐ!またあんたの仕業ね!?」
「いいじゃん鈴仙、スターAKEBONOみたいで目立つよ!」
「何そのスモウレスラー上がりっぽい名前!?目立ちたかないわよこんなん着て!!この……」
「きゃー逃げろー!」
「ちょ、待ちなさい!こらぁ!!」
捕まえようとした彼女の手をするりと抜け、仕掛け人因幡てゐはさっさと玄関へ逃走を図る。
冷静さを欠いた鈴仙はそのまま追いかけ、玄関を飛び出していくてゐに続いて屋敷の外へ。
しかし、既にてゐの姿が見えなかったので立ち止まる。ようやく冷静さを取り戻してきたようだ。
「まったくもう、さっさと取らなきゃ……うわ、これしっかり縫い付けてある!?」
ぐいぐいとビラビラしたアレを引っ張るも、どうやらきっちり縫い付けてあるようで全く取れない。
そのまま屋敷へ引き返そうとした鈴仙であったが、ふと気になってブレザーを着る。
ボタンを留め、腕を広げるとその場でくるりと一回転。ぶわり、と白く細い布がマントのようにたなびいた。
「……意外にいいかも」
思わず呟く。歌手になるならという先の永琳の発言を思い出し、脳内では早くもステージに立ち美声を披露する己の姿がライトアップ。
”月からやって来た美少女アイドル登場!””天然ウサミミ娘がアイドルの歴史を変える!””月が彼女にもっと輝けと囁いている!”などというキャプション(自作)まで浮かぶ。
しかし、脳内で報道陣に囲まれまくりでぽやんとした表情でいた彼女を、てゐは近くの木の陰からしっかりと見ていた。
「よっ、本邦初のウサギアイドル!」
「なっ……て、て、てゐ!?いつからそこにいたのよ!」
「ずっと。なんだ鈴仙、気に入ったんだそれ。何なら私がマネージャーになってあげよっか」
「べ、別に気に入ってなんかないわよ!」
ニヤニヤと笑うてゐの言葉に、真っ赤な顔で否定する鈴仙。しかし彼女は更に続けた。
「芸名はそうだなぁ、スターは外せないとして……髪の毛とか服とか全体的に青っぽいし、スターサファイアでどう?」
「違う子になっちゃうじゃないの!もう怒った、待ちなさいっ!!」
「きゃー!」
芸名と言う名の別人扱いにとうとう鈴仙の我慢メーターは再びレッドゾーン。
逃げるてゐを猛然とダッシュで追いかけ始めたが、自分がブレザーwithスターの証を着たままという事に気付いた。
(はっ!走れば走るほど白いやつが広がって……恥ずかしい!)
ぶわわわと広がるアレを手で押さえるが、そうすると今度は走り難い。
立ち止まって脱ごうものなら逃げられてしまうし、大事な服故そこらに脱ぎ捨てて置いていくのも抵抗があった。
「スターは辛いね!」
しかし10m程前方からてゐに茶化され、鈴仙は再び足にスパートをかけた。
さっさととっ捕まえて、これを脱ぐ。それこそが、彼女の羞恥を取り除く最良の方法である。
竹林を舞台にしたウサギ達のデッドヒートは、まだまだ始まったばかり。
一方で残された永琳は、二人が出て行った玄関を見つめながら、鈴仙に仕事を頼もうと思っていた事を思い出した。
(……まあいっか、後でてゐにも手伝ってもらえば)
軽くため息をつき、玄関を閉める。そのまま縁側へ。
鈴仙の悲鳴に驚いて縁側から落っこちた蓬莱山輝夜が『いたいよぉ!死んじゃうー!』などと騒いでいる為だ。
何年生きてるかは知らないが、構って欲しいお年頃なのだろう。
・
・
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兎二羽――― もとい二人のデッドヒートはいつしか竹林を飛び出し、なだらかな草原へと舞台を移していた。
「はぁ、はぁ……待ちなさぁい!」
「鈴仙も結構スタミナあるじゃん、デスクワークばっかでなまったかと思ってたけど」
「お褒めの言葉、ありがとーごぜいますっ!ぜぇ、ぜぇ」
二人の差は少しずつ詰まっていた。元々、瞬発力という点ではてゐが勝っているのだが、長距離だと話は別という事なのだろうか。
少しだけ距離が離れ、疲れたのか走りを緩めるてゐ。しかし鈴仙はそれを見逃さず、足に力を込めてダッシュ。
一瞬にして差は無くなり、腕を伸ばす。
「おらぁっ!」
「きゃ!」
気合の掛け声と共に、鈴仙の腕がてゐの腰をしっかりと捉えた。力任せに腕を振りぬくと、華奢なその身体は草の上をすってんころりん。
「や、やっと捕まえた……」
「あ~、また捕まっちゃったぁ。ちかれた~、あつ~い」
「誰のせいだと……はぁ、はぁぁ。私も限界だぁ」
てゐは観念したのか、それ以上の逃走を諦め仰向けのまま空を眺める。ライトブルーをバックに、遠くで白い綿雲が流れていく。
鈴仙もまた、少しでも放熱効率を良くしようとスターの証付きブレザーを脱ぎ捨て、てゐの横に転がった。
それなりの距離を走ったお陰で二人、特に鈴仙は暑くてたまらない。噴き出す汗に、そよ風が心地良かった。
「あの雲パンみた~い」
「何をのん気に。でもホント、おいしそうだね」
「明日の朝ごはんはパンにしてもらおっと」
「じゃ、師匠に言わなきゃ。でも師匠はご飯党だし、変えてくれるかしら」
寝転んだまま、とりとめの無い会話。鈴仙はもう、悪戯された事への怒りなどとうに忘れていた。
走って、走って、ようやく捕まえた達成感。運動した後の、涼しい風。それらを感じられる今の状況が、彼女の気持ちを大分落ち着けているのは間違いあるまい。
「ね、ね、鈴仙」
「なんじゃいな」
不意に上半身を起こし、上から鈴仙の顔を覗き込むてゐ。
「せっかく里の近くまで来たんだしさ、お茶飲んでから帰ろうよ」
「えぇ?」
鈴仙もまた半身を起こす。てゐが指差す先を見やると、確かに人間の住む里が、立って歩けばすぐの所に見えるではないか。
こんな所まで走ってきたのか、とため息一つ、鈴仙はうつ伏せに体勢を変えると頬杖をついた。
「でもぉ、早く帰らないと師匠が」
難色を示す鈴仙。彼女は永遠亭にて、師たる永琳の仕事を色々と手伝っている。
それは永琳が気まぐれ的に始めた診療所であったり、薬品の調合であったり、単なる掃除だったりと様々だが、常に忙しい永琳の手伝いとあって彼女もまた暇が少ない。
特にこの時期は、花粉症やら季節の変わり目の風邪やらで診療所が賑わうので、彼女も連日手伝いに駆り出されていた。
永琳に迷惑をかけたくない、との思いから彼女は渋る様子を見せたのだが、
「またまたぁ、鈴仙は真面目ちゃんなんだから。こんだけマラソンしたんだ、少しくらい休んだってバチ当たらないよ。
それに、どうしても任せなきゃいけない仕事があるならさ、飛び出した鈴仙をすぐに呼び止めると思うよ、お師匠様」
「あ~……」
なるほど、と納得しかけた所で慌てて鈴仙は首を振る。てゐの話術は天下一品、油断すれば舌先三寸であっと言う間に絡め取られる。
「で、でもさ。もし私がいない間にトラブルがあったら……」
鈴仙は一応、永遠亭の荒事担当である。こと戦闘沙汰とあれば、真っ先に最前線へ飛び出すのが彼女の役割。
しかし、このもっともらしい言葉にてゐは少しも詰まった様子を見せず、ニヤリと笑って”トドメの一言”を浴びせるのだ。
「そうは言うけど、お師匠様も姫様も、鈴仙よりずっと強いじゃん」
「……ワタシノマケデス」
「よろしい!さ、行こ!」
がっくり頭を垂れた鈴仙の手を嬉しそうに取り、てゐは里へ向かって歩き出した。
慌ててブレザーを拾い上げ、手を引かれながらもしかし、鈴仙もまたまんざらではなさそうな顔。
(ま、少しくらいいっか。こんなのも初めてじゃないし)
走ったばかりで疲れていたし、喉も渇く。体面上あっさりてゐの要求を呑めなかっただけで、やはりお茶くらい飲みたいもの。
(それに……)
「ん、どした?」
見つめられていた事に気付き、てゐが首を傾げる。
「ううん、なんでもない。早く行こ?」
「はいよ。なんだ、鈴仙も行きたがってるじゃない」
「どうせ行くなら早く行って早く帰らなきゃでしょ」
減らず口に反論し、やれやれと心の中で肩を竦める鈴仙であった。
・
・
・
・
昼下がりの時間帯とあって、里の大通りは中々の賑わいだ。
大勢の人間に混じって、ウサミミをぴょこぴょこ跳ねさせて歩く二人の姿は、いくら人とほぼ同じ容姿とて少々目立つ。
それでも、多少注目を集める程度で奇異の視線を集めたり、すれ違う人間に避けられる結果周囲にスペースをこしらえる事が無いのは、彼女達が里にいるのも普通の光景となっているからなのだろう。
事実、何時の間にか馴染みの場所となった茶店の暖簾を二人がくぐると、
「おやウサギさん方、いらっしゃい。いつもありがとうね」
他の常連客と同じように、店主の男性がにこやかに挨拶してくれるのだ。
「やほ~、おじさん。ちょっと運動したからさ、冷たいお茶もらえるかな?あとおダンゴ」
「はいはい。お二人とも?」
「あ、はい。お願いします」
てゐの注文に鈴仙が付け足し、頷いた店主はそのまま奥へ。
手近な四人用の座敷を見つけ、テーブルを挟んで座る。
「結構お客さんいる……てかほぼ満席?多いね」
「そだね。冷たいお茶の人も多いみたい。今日あったかいからかな」
などと会話に花を咲かせつつ、待つ事数分。先の店主がお盆にお茶と団子を二人分乗せてやって来た。
ちなみに、冷たいお茶の場合はグラスに入れてくれる。この方が涼しげだからと、わざわざ用意したらしい。
「はいお待ちどうさま。ごゆっくりどうぞ」
「待ってました!」
「いただきます」
礼を告げると店主は笑い返し、他の客の所へ。
てゐは脇目も振らずにグラスに口をつけ、喉をごくごく鳴らしたかと思うとあっと言う間に半分空けてしまった。
「あ~、生き返ったぁ」
満足そうに息をつき、てゐはにっこり笑った。
その様子をどこか嬉しそうに眺めつつ、鈴仙もグラスを傾ける。からり、と中の氷が涼しい音を奏でた。
「なんだか、こうしてゆっくりお茶を飲むのもちょっと久しぶりだなぁ」
「んむ……そ~う?」
窓の外と団子に挑みかかるてゐを交互に見た後、しみじみ呟いた鈴仙。てゐは団子をもちゅもちゅと咀嚼しながら答える。
「最近忙しいからね。ま、たまにはいいかなって」
「………」
「どしたの?てゐ」
「う、ううん。なんでもないよ」
首を傾げる鈴仙に、何やら慌てた様子で首を振るてゐ。そのまま団子をもう一口。
「ふぅん」
首の角度を戻し、鈴仙はグラスのお茶を一口含んで再び視線を窓の外へ。
ゆっくり流れていく雲の中に、先程見つけたてゐ曰く『パンみたいな』雲を再び発見し、理由も無く少し嬉しくなった。
・
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勘定を済ませ、里を後にした二人は永遠亭への帰路につく。
「鈴仙、ちょっと早足すぎない?もっとゆっくり歩こうよぉ」
「で、でも。師匠が待ってるだろうし」
走りはしないが急ぎ足で歩く鈴仙に、ついていくてゐはのんびりした口調で抗議。
「でもさ……ほら、帰る前にも少しきれいにしなきゃ」
追いついた彼女は、鈴仙の背中についた草の葉を払い落としてやる。汗ばんだブラウスに張り付いたものらしい。
「あ、ありがと」
礼を言いつつ、彼女は少し歩を緩めた。
そんな感じで歩きつつ、行きは十分くらいで走破した道をたっぷり三十分はかけて帰った。
迷いの竹林も、最短ルートを知る二人にかかればただの散歩道。
「あら、やっと帰って来た。毎度毎度、飽きないのね」
二人の姿を見るなり、永琳はどこか安堵したような顔。やはり、いきなり飛び出して行ったものだから心配していたのだろう。理由がはっきりしていても。
「申し訳ありません、師匠。そのぅ……」
「いやはや、つい追いかけっこに熱くなっちゃって。かなりあちこち逃げ回って追いかけて……。
んで、やっと決着がついたのが少し前で。博麗神社の辺りだったかな?それから歩いて帰って来たの。ね、鈴仙!」
「え、う、うん。そんな感じです」
言い辛そうな鈴仙に助け舟を出すてゐ。彼女が同意すると、永琳は納得したように二、三度小さく頷いた。
「まあ、確かに随分と汗をかいたようね。もう暖かいんだから、あんまり走ると脱水症状になるわよ?
少し休んだら、カルテの整理をお願いしてもいいかしら。勿論、てゐも」
「はい、分かりました」
「りょ~か~い」
頷く鈴仙に、敬礼のてゐ。それぞれ異なる返事だが満足したらしく、永琳は奥へと消えていった。
「……はぁぁ」
ぺたん、と床に座り込んでしまったのは鈴仙。怒られずに済んだ事に、余程安堵したらしい。
「ね、怒られなかったでしょ?鈴仙は心配性なんだから、もう少しおおらかに生きなきゃ」
「あんたぐらいお気楽になれたら、私もこんなに苦労しなかったでしょうね……」
えっへん、と腰に手を当てて威張るてゐ。鈴仙はそんな彼女を横目で見、深くため息をつく。
(まったく、いつバレるかヒヤヒヤものだよ)
彼女がそう思うのも無理は無く。何故なら、二人が追いかけっこの果てにお茶を飲んで帰ってくるのはこれが初めてでは無いからだ。
大抵、てゐが悪戯したのを鈴仙が追いかけ、決着がついたらどこかしらで休んで帰るというパターン。
最近は里の茶店でお茶を飲むのがお決まりであり、その関係で常連客として顔を店主に覚えられた。
悪い事ばかりでは無い、とは鈴仙も思っているが。
「ほら。もうさっき休んだんだから……お仕事行くよ?
師匠、ホントは多分私だけにやらせるつもりだったんだろうけど、てゐもちゃんと手伝ってね」
「はいはいっと」
「あと、ブレザーちゃんと直してよ」
「気が向いたらね」
「おいこら」
「お、逃げたほうがいいかな」
立ち上がった二人だが、再び追いかけっこが始まりかける。
しかしそこに輝夜が通りかかり、『永琳が探してたよ?』と言ってくれたので第2ROUNDとは相成らずに済んだようだ。
・
・
・
・
・
「げほ、げほっ!」
数日後、やはり昼下がり。台所にて激しく咳き込む鈴仙。
まあ無理も無い。誰だって、飲もうとした緑茶から強い酢の味がしたら咳き込んでしまうものだろう。
それも忙しい仕事の合間、僅か五分間の休憩の間に飲もうとしたお茶だったら尚更、やるせなさがこみ上げる。
「酢は健康にいいんだよ、鈴仙!もう一杯いかが?」
「結構です!それよりも、やっぱりあんたの仕業!?」
「いえ~い、逃げろ!」
「あっ、待ちなさいってば!」
酢のビンを置いて、てゐは走って逃げ出した。先日のように、鈴仙はそれを追いかける。
玄関から疾風のように駆けていった二人を間近で見て、輝夜は我知らず笑み。
「仲良しでうらやましいなぁ」
一方で、鈴仙はある程度走った所で不意に足を止め、深呼吸。
「……これじゃ、てゐの思うツボだわ」
額に滲んだ汗を手の甲で拭い、ため息。このままでは再びデッドヒートで大汗をかいてしまう。
落ち着きを取り戻した彼女は踵を返した。わざわざ挑発に乗る事も無い、てゐの事は放っておけばいいだろう。
そう思って家へ戻ろうとしたのだが、
「巨大ウサギが逃げるぞ~!」
後方から声がしたかと思うと、背中に走る衝撃。
「きゃあ!?」
どぱぁん、という破裂音と鈴仙の悲鳴がユニゾン。じわり、と背中から太ももにかけて襲い来る冷たさ。
水風船を投げられた、という事実に気付くのにはそれ程時間はいらなかった。
「て、てゐ!?何すんのよ!」
振り向けば、何時の間にか戻ってきていたてゐがニヤリと笑っている。少しも悪びれた様子は無い。
「鈴仙こそ何言ってるのさ。逃げられそうになったらマーキング、これハンターの基本!」
「誰が白兎獣よ!もう怒った、今日こそとっちめてあげるんだから!!」
「わ~い怒った!シビレ罠持ってこ~い!」
一度は落ち着いたはずなのに、追撃と更なる挑発であっと言う間に怒りモード。鈴仙は再び逃げるてゐを追い始める。
どこぞの翼の無い飛龍のような怒り耐性の低さだが、何度もやられているのだから仕方あるまい。
「うどんげ~?何処に行っちゃったのかしら、もう」
二人がいなくなって数分、永琳が玄関へやって来た。しかし、開けっ放しの扉を見てため息。
「なんか、またトラブルみたいよ」
一部始終を見ていたらしい輝夜が言うと、永琳のため息は二倍に増えた。
輝夜はせっかくなのでここで起きた全てを話そうかとも思ったが、ため息が何乗されるか分からないのでやめた。
代わりに楽しそうに笑っていると、永琳が首を傾げる。
「楽しそうですね、姫」
「そ~お?」
・
・
・
・
「この……うりゃあっ!」
「うわぁお!」
アメフト選手もかくや、という鈴仙の捨て身タックルで、この日の追いかけっこは決着。
「やられたぁ、クエスト失敗」
「報奨金を請求したいくらいね、まったく……ぜぇ、ぜぇ」
ごろぉん、と仰向けになるてゐ。鈴仙もその横で座り込んだ。
気付けば、またしても二人は里から程近い草原まで来ていた。何だかんだで、この辺りが距離的に二人のスタミナ限界値なのだろうか。
「あ~、風がきもちい~……激しく戦った後にこうして寝転んでると、何だか深い友情が生まれそうだね」
「マンガの読みすぎじゃない?殴り合いならともかくさぁ」
「もう、そこは『そんな事しなくても、最初から私達は深い絆で結ばれてるじゃない!』って言ってほしかったな」
「言えるか、んな恥ずかしいセリフ!」
呼吸が整うまでの、このとりとめの無い会話もすっかりお馴染みになりつつある。
やがて粗方の疲れが取れると、てゐは身体を起こして鈴仙の顔を覗き込んだ。
「ねぇ鈴仙、せっかく近くまで来たんだから、今日もお茶飲んでこうよ」
「え、またぁ?だからお仕事……」
「も~、頭かちんこちんなんだから。今すぐ帰ったって一、二時間経ってから帰ったってほとんど変わんないよ!」
「いや、結構違うと思う……」
「違わないよ!それにさ、差し迫ったお仕事がない理由はこないだっから言ってるじゃん。
確かに普段は忙しいけどさ、ちょっとくらい……」
不意に口ごもったてゐ。
「どうしたの?」
「い、いや。それよりもさ、いいから早く行こうよ」
鈴仙が尋ねてもはぐらかす。疲れている所にまくし立てたのだから、口がもつれたのだろう。そう判断し、鈴仙は腰を上げた。
そこまで行きたがっているのに、頑として断るのも悪い気がしたのだ。
「はいはい、それじゃあ付き合ってあげるか」
「素直でよろし!さあれっつらごー」
連れ立って里へ向かって歩き出す。
嬉しそうに笑うてゐを見ていると、例え職務怠慢であっても鈴仙にはその選択が間違っていないと思えた。
・
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・
数日前に訪れたばかりなので、里の景色も全くと言って良い程変わっていない。
まるで決められたかのように迷いの無い足取りで、いつもの茶店へ。
「こんにちは~」
入店する際に挨拶をするのは常連の証、とはてゐの弁。
「や、いらっしゃい……っと、ちょいと今忙しいからね、先に席ついちゃってよ。すぐ注文取りに向かわせるから」
「はいはいっと」
店主は顔を明るくしたが、苦笑いでそう告げるとすぐに厨房の方へ引っ込んでしまった。
実際、現代で言う喫茶店のような店なのだから昼下がりは繁忙期。幸いにも空いている席が見つかったので、そこへ腰を落ち着ける。
「こないだより人多いね」
「だんだんと評判になってるんじゃない?おいしいし、ここ」
「だといいね」
短い会話を交わす内に、店員らしき少女がやって来た――― のだが。
「いらっしゃいま……あれ?鈴仙さんにてゐちゃん」
「あっ、大ちゃん!?」
やって来たのは湖の大妖精。いつもの服に、店員の証たる小さなエプロンと三角巾を身に付け、手には伝票と鉛筆。
見慣れた姿の登場に、驚きの声を上げたのは鈴仙の方だ。
「なにしてるの、こんな所で?」
「あ、その……アルバイトで。てゐちゃんは前から知ってたと思うんですけど」
そうなの?とでも言いたげな視線を鈴仙から向けられ、彼女はどこか落ち着きの無い様子で頷いた。
「う、うん、まあね。でも、今日って」
「そうそう、普段は決まった曜日に来てるんだけど。今日は忙しくなりそうだからって緊急で入ったの。いつもは……」
「あ~、ほら!大ちゃんも忙しいんだし。あんまり与太話で時間取らせちゃ悪いよ、鈴仙。
それじゃ、早速注文してもいいかな」
「あ、うん。どうぞ」
慌てて話を切り上げるてゐの様子に首を傾げつつ、二人の注文を伝票に書き込み、大妖精は『ごゆっくりどうぞ』と言い残して引っ込んだ。
「へぇ、大ちゃんアルバイトしてたんだね。知らなかったよ」
「そ、そっか。まあ人妖併せて色んな人が来るお店だし、大ちゃん丁寧だから相性いいんじゃないかな」
「でも、何でてゐが知ってるの?バイトのコト」
「あ~っと、それは……ちょっと小耳にね」
ブンブンと手を振るてゐに、鈴仙はちょいと小首を傾げた。
(小耳にって……さっきあの子、てゐが既に知ってる体で話してたような)
「お待たせいたしました!」
鈴仙の思考は、帰って来た大妖精の元気な声で断ち切られてしまった。
目の前に置かれる、全力で冷たさを自己主張する結露したグラスと冷茶。これをほったらかして考え事など出来はしない。
「ありがと!大ちゃんが持ってきてくれると、それだけでおいしさ三倍増しって感じかな」
「やだぁ、てゐちゃんったら」
頬を染める大妖精だがしかし、後ろで店主も頷いていた。やや複雑な表情で。
「まあその通りだが……美味しさ2/3カットしてるみたいで、俺が運び難くなるな。今度からは厨房に専念した方がいいかな」
「て、店長さん!そんな」
「はは、冗談だ。だが実際、君がいてくれると店の雰囲気がよくってな。看板娘として、これからも頼むよ」
「はい!」
どこか微笑ましい会話に、思わず頬の緩む鈴仙。てゐも笑いながら、グラスに口をつけてぢゅるぢゅるとお茶を啜っていた。
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「ただいま帰りました!」
「ただいま~」
二人が揃って帰宅したのはそれから一時間後。
「あ、やっと帰ってきた。またいつもの追いかけっこ?
てゐ、あなたに悪戯をやめろなんて言っても聞かないのは分かってるけど、もう少し控えてもらえないかしら」
「検討します」
「……やめる気ゼロじゃない」
別に怒ってはいないようだが、少し困った顔で腕組みする永琳にてゐは敬礼しつつ返事。
鈴仙の呟きは、幸い彼女には聞こえなかった様子。
「で、今度はうどんげ。お仕事が二つくらい溜まってるからやって欲しいのだけれど」
「はい、お任せ下さい!」
鈴仙ははっきりと答えたが、永琳は苦笑い。
「とは言っても。片方は薬剤調製だからあなたにしか出来ないけど、もう片方は伝票と注文書の整理・管理なの。
だから、こっちは罰としててゐにやらせるから」
「はぁい」
「うどんげを引っこ抜かれると、仕事が滞っちゃうのよ。致命的じゃないからまだいいけれど、遅れた分はあなたが責任持って取り戻してね。
それなら、悪戯の件は不問にしましょう」
「だいじょぶですよ、お師匠様。鈴仙よりきっちりやってみせますから」
「何言ってるのよ!元はと言えば……」
ドン、と薄い胸を叩くてゐに、鈴仙は抗議。しかしそれを軽くいなし、彼女はさっさと屋敷の中へ消えて行った。
「まぁまぁ、鈴仙は自分にしかできないお仕事をきっちりやればいいんだから。怒って血圧上げ過ぎると医者の不養生だぞ、っと」
――― なんて台詞を残して。
「んもう、てゐったら!」
「怒らない怒らない……あの子にも困ったものねぇ。仕事はちゃんとやってくれるからまだいいのだけれど」
一人憤慨する鈴仙を宥め、小さくため息の永琳であった。
・
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「はい、はい……それじゃ、お薬出しますから。朝と晩に飲んで下さい」
ある日の診療所。この日も体調不良者、或いはそれを予防したい者が大挙して押し寄せる。
一日に大勢の患者を捌かなければならない永琳には、なかなか心休まる暇が無い。
「うどんげ、これ!処方箋お願い」
「は、はい!ただいま!」
彼女が声を張って数秒、診察室の奥から鈴仙が飛び出してきたかと思うと、永琳の差し出す書類をひったくるように掴んで戻っていく。
患者の容態に合わせ、正確な薬剤を処方しなければならない。永琳なら投薬ミスはまず有り得ないだろうが、多くの患者がいる以上時間は限られる。
一人でも多くの患者を診る為、助手の鈴仙もてんてこ舞いである。
「お大事に。はい、次の方!」
永琳が声を、今度は前方へ向けて張る。すぐに、次の患者がやって来た。
一方、裏手では書かれている通りの薬品を用意した鈴仙が、それを袋に詰めて受付へ。
「はい、これ」
「ありがと。えっと……」
受け取ったのはてゐ。そのまま、書類に書かれた名前を大声で呼ぶ。
やって来た患者に本人確認をし、薬を手渡して診察代込みの代金を受け取る。これが一連の流れだ。
流石にこの忙しさでは、てゐも仕事を渋る訳にはいかない。基本的に永琳と鈴仙のみで回す診療所だが、忙しい時は総動員だ。
「鈴仙、お薬少なくない?こんだけで足りるの?」
「ああ、その人もう殆ど治りかけだから。念のためのお薬らしいからちょっとでいいんだって」
「はいよ了解!」
やけに軽い、というか中身の無い袋を不審に思ったてゐが尋ねるが、鈴仙の言葉に納得して不安を取り下げた。
鈴仙を信用していない訳では決して無い。医療の現場でミスは許されない、その責任感を理解しているからこその確認である。
彼女が納得したのを見て、鈴仙はすぐに裏手へ。次の処方箋が待っている。
まるで戦場の如き様相を呈する診療所の仕事も、夕方から夜になれば収束した。急患でも来ない限り、今日は店仕舞いだ。
「はい、お疲れ様。いつもごめんなさいね」
「いえいえ、とんでもない!師匠こそ、お疲れ様でした」
「ん~、労働したなぁ」
所内の照明を落とし、互いに労を労う。背伸びするてゐの肩を、永琳はポンと叩いた。
「てゐもありがとう。今日はもう休んで」
「はぁい。鈴仙は?」
「この子はほら、まだやる事があるから。お薬関係でちょっと」
「私のことは気にしないで、休んでてよ」
「そうそう、明日は診療所休むし、二人ともお休みでいいわ。久しぶりに羽を伸ばして頂戴」
「ホントですか!?やった!」
弟子なのだから、仕事について教える事も多いのだろう。
薬剤関連なら自分の出る幕は無いと、てゐは久しぶりの休日に喜ぶ鈴仙を尻目に診療所を後にした。
永遠亭の母屋に戻ると、輝夜の姿が。
「お疲れ様。私も手伝おうと思ったのに、みんな止めるのよ」
ぷぅ、と頬を膨らませる輝夜に、てゐは笑って答えた。
「そりゃ、姫様にやらせるワケにはいかないですよ」
「そっか、なんかごめんね。ところで、今日はイタズラしないんだ」
その対象は主に、鈴仙に対してだろう。彼女は首を振る。
「いくら何でも、やるべき時とやっちゃいけない時はわきまえてますって」
「うん、流石は私の見込んだイタズラウサギ。いいこいいこ」
輝夜に頭を撫でられ、てゐは思わず頬を染めた。
しかしそこでふと何かを思い出したようで、彼女は輝夜に尋ねる。
「ひ、姫様。今日って土曜日であってましたっけ」
「え?うん、土曜日だと思うよ」
「そっか、それなら……あ、いえ。すいません、ちょっと出かけてきます」
「今から?ご飯もうすぐだよ?」
「すぐ戻りますから。一時間もかかりません」
「そっか。どうせ永琳たちも遅れるだろうけど、先に来てたら伝えとくね」
「お願いします」
ちなみに、てゐが敬語を使う対象は輝夜と永琳だけだ。とは言っても永琳は敬語混じり、といった感じで完全では無かったりする。
無論、永琳やそれ以外の人物を下に見ているから、では無い。何となくだ。
(明日は日曜だけどお休みか。なら……)
靴を履き、彼女は竹林を最短ルートで駆け出す。
見下ろす満月の輝きが、嬉しそうに息を弾ませる彼女の顔を照らし出した。
・
・
・
・
・
外は生憎の雨だが、鈴仙はご機嫌だった。
何せ、久々の一日休暇だ。鼻歌交じりなのも許されよう。
のんびりしよう、と彼女は永遠亭の居間とでも言うべき、高いテーブルの置かれた一室へ。
するとそこには既にてゐがいて、歌いながら登場した彼女を見て笑み。
「ご機嫌さんだね」
「ま、まあね。久しぶりのお休みだもの」
「そっか。んじゃ、お茶いれてあげる」
ぴょい、と椅子から飛び降り、てゐはお茶を沸かしに備え付けられた小さな台所へ。広い屋敷だ、台所は一ヶ所では無い。
普段の食事は最も大きな厨房で作られるので、こういった小さな台所は専らお茶沸かし用だ。
(ん~、なんかアヤしい……)
椅子に座りながらしかし、鈴仙は訝しげな表情。先日、飲もうとしたお茶に酢を入れられるというイタズラを敢行されたばかりなのだから無理も無い。
「ほいよ、私がいれたんだからありがた~く飲むべし」
そんな彼女の気持ちを知ってか知らずか、妙に自信たっぷりな様子でお茶を運んでくるてゐ。ちゃんと彼女自身の分もある。
更にそのまま席にはつかず、やや大きめの深皿を持って出て行ったかと思うと、すぐにその皿に山のようにお菓子類を積んで戻って来た。
てゐは皿をテーブルに置きつつ、鈴仙の向かいへ座る。ひょい、と皿から煎餅を一枚出してかじった。
「あれ、飲まないの?」
「……あ、えっと……」
未だ口をつけない彼女を不審に思ったてゐに尋ねられ、口ごもる鈴仙。流石にストレートには言い難い。
すると、不意にてゐが手を伸ばし、鈴仙の分の湯飲みを手に取ると、ずずっと一口。
驚く鈴仙を尻目に、少しだけ減った湯飲みを彼女の前へ戻しながら、てゐは笑って一言。
「なんにもしてないってば」
見透かされていた事への恥ずかしさと、ありもしない疑いを向けていた事への申し訳無さで、少々頬を染めつつ鈴仙はその湯飲みを手に取った。
「ありがとう。ごめんね、疑ったりして」
「いいよいいよ、別に。ンなことでヘソ曲げたりしな~い」
てゐは左手をヒラヒラ振り、右手ではぱりぱり、と音を立てて煎餅をかじる。
「今日はイタズラしてこないの?」
「姫様にも訊かれたよ、それ」
彼女は苦笑いのまま小さくため息。
「別に毎日やるわけじゃ。それにほら、せっかくのお休みだし」
「へぇ、変に優しいじゃない」
「変に、は余計だよ」
くすくすと笑う鈴仙。湯飲みから立ち上る湯気の向こうで、てゐもまた笑っている。
「こうして、てゐと二人でのんびりお茶飲むのも、何だか久しぶりな感じだな」
「かもね。鈴仙、最近すごく忙しいし」
(まあ、とは言っても……)
「ん、どうかした?」
「んにゃ、別に」
何かを考えるような顔をしていたてゐに尋ねるが、すぐに首を振られた。
「まあいっか。今日は寝てようかとも思ったんだけどさ、思ったより体は疲れてなかったみたいで。
最近激務だったけど、少しは私も丈夫になったのかな」
「そのまま格闘家でも目指す?カロリー制限とかきっついけど」
「てゐに寝技を仕掛ける専門なら喜んでやろうかしら」
「ま、それもムリだろうね。鈴仙さっきからすごい勢いでお菓子食べてるし」
「あう」
会話が弾めば手も止まらないやめられない。指摘され、顔を赤くする彼女の周りにはお菓子の空き袋が陣を形成していた。
「て、てゐに言われたくないわよ!」
同様に食べまくりのてゐに向って鈴仙は指摘を返すが、
「私はいつも、頭も体も使ってるからね。ちょっとくらい食べ過ぎるくらいでちょうどいいのさ」
まるで気にしていない。何とかその余裕の笑みを崩してやりたくて、鈴仙はニヤリと笑って言った。
「その割に小さいわね」
「……大きけりゃいいってモンじゃないもん」
頬を膨らませ、てゐは”カルシウム入り!”と謳い文句のあるウエハースをばりばり。気にしているようである。
そんな彼女が少し可愛いと思ってしまいつつ、鈴仙は少々だが罪悪感を覚えたので立ち上がり、声を掛けた。
「お茶のおかわり、私が持ってくるよ」
「え、いいの?ありがと、んじゃヨロシク。ちなみに濃すぎず薄すぎずの絶妙な、底に入れた一円玉がぼんやり見えるくらいの濃度でお願いね。あと茶柱」
「……やっぱ自分で行って」
「アメリカンジョーク」
「うさ、だけに?」
「サムいよ鈴仙。チルノでも遊びに来たのかな?」
「言ってなさい!」
玄関の様子をわざとらしく見に行こうとするフリのてゐ。結局頬を膨らませて台所へ向かうのは鈴仙の方であった。
しかしこのままでは引き下がれないと、彼女はこっそり砂糖を取り出すと、てゐの湯飲みにどばどば。
その上から緑茶を注ぎ入れ、何食わぬ顔でお盆に乗せて席へ戻る。
「はいおまたせ~」
「うむ、大義であったぞよ」
偉そうに頷くてゐだが、鈴仙はそれを笑ってスルー。彼女のリアクションが楽しみでしょうがなかった。
普段やられっ放しの者からの反撃に、イタズラウサギはどう反応するのか。
(虫歯になっておしまいなさい!)
心の中で高笑いしつつ、彼女の一挙手一投足を観察。
するとてゐは、砂糖どっさりとも知らずに自らの湯飲みへ手を伸ばし―――
(よし、飲め!そして噴け!今こそマーラビットへジョグレス進化……)
――― かけたのだが、かくんと手の向きを変えると、反対側にあった鈴仙の湯飲みを手に取った。
「えっ!?」
思わず声を出してしまった鈴仙。その驚きに染まった顔を、勝ち誇った笑みで一瞥してから、彼女はゆっくりと湯飲みを口へ運んだ。
ずずーっ、と長く味わい、それを置いてからてゐは笑みを崩さず口を開く。
「甘い甘い。どうせ鈴仙のコトだ、なんか仕掛けてるとは思ったよ」
「うぐぅ……」
ちっちっ、とニヒルに指まで振られ、鈴仙は己の完全敗北を悟った。
「まあ、不意打ちとしては悪くなかったね。次の鈴仙の反撃を、楽しみにさせてもらいますよっと」
まるで師匠であるかのように言い、てゐは再びお菓子を食べ始める。
「てゐに勝っちゃったら、永遠亭っていうか幻想郷で一番タチの悪いウサギってコトになっちゃうじゃないの……」
鈴仙も反対側からお菓子をつまみつつ、ぼやく。しかしその顔は、どこか闘志を感じさせるものであった。
・
・
・
・
・
別に、毎日じゃない。精々、週に二度。
だけど、だからってそれを肯定出来る訳では無いのであって。
「はぁ~……」
ある日曜日の昼過ぎ。忙しい仕事の合間に得た五分間の休憩。
テーブルに頬杖をつき、鈴仙はため息をつく。
彼女のため息の原因は、日々の労働――― では無く、いやそれもあるのだが、最も大きいのはてゐの悪戯である。
四日前、食べようとした大福にわさびを仕込まれた。
その三日前、食べようとしたオレンジが爆弾だった。
そのまた数日前は、夜勤明けに寝ていたら鼻と口に濡れティッシュを乗せられた。
お茶に酢を入れられたのはその前の水曜日。
更に数日前には、麦茶をめんつゆにすり替えられた。
ブレザーをジュディ・オング仕様にされたのはその前で、その更に前は元より短めなスカート丈をいつの間にか悩殺的短さに魔改造されていて、永琳が鼻血を噴いた。
あれは最早腹巻だ、とは傍で見ていた輝夜の弁。そのまた更に数日前は―――
――― とまあ、こんな調子で二ヶ月近く。
以前からてゐが悪戯大好きウサギであり、それによる被害を被るのは永遠亭に住まう者であれば日常茶飯事。
しかし、ここの所は明らかにおかしい。鈴仙への悪戯の比率が凄まじく高い――― 気がする。
(師匠も姫様も、最近は全然てゐにイタズラされてないって言うし……)
気になって尋ねたら、ビンゴだった。
その上、鈴仙への集中攻撃が始まったのは激務を極め始めた春先。よりにもよって、なダブルパンチで鈴仙の精神はへろへろ。
何故か、忙しさの割に肉体的な疲労をあまり感じないのは不幸中の幸いだが、何だかんだで彼女は疲れていた。
いや、疲れていると同時に、微かな苛立ちを覚えていたのも事実だ。
(まったく、こんな時くらい控えてくれりゃいいのに)
何せ繁忙期の最中。しかも、永琳が鈴仙へ仕事を頼もうとするタイミングに運悪く被る事が多く、結果として仕事の依頼が後回しにされてしまう。
師匠に頼られている、という事が嬉しい彼女にとって、その期待に応えさせてくれないてゐの悪戯に良い感情を抱かないのは当然の事であった。
まあ一々追い掛け回す自分も悪いのだが、まるで追いかけさせたいが如くに挑発してくるてゐが悪い、という事にしておく。
(こないだから何日か開いたし、そろそろかな……)
警戒し、きょろりと辺りを見渡すがてゐの姿は無い。今現在飲んでいるお茶にも異常は無い。
短いがそろそろ休憩も終わりそうだったので、椅子からゆっくり立ち上がって部屋を出た。
先は若干不安を感じたものの、何かしてきた所で受け流せば問題は無いのだ。これ以上の挑発に乗るものか。
「まだまだお仕事たくさんあるんだから、あんたに構ってる暇はないんだってば」
口に出して言いつつ、鈴仙は廊下へ。とりあえず永琳を探し、再び仕事だ。
いつ現れるか分からないてゐの事はとりあえず頭からデリートし、真面目な弟子モードに顔つきが変わったまさにその瞬間である。
がこんっ、という硬い音と共に、鈴仙の身体は大きく前方へつんのめる。
「きゃあ!?」
右足を軸に弧を描き、木の床へ胴体着陸。胸から腹にかけての衝撃に、思わずむせ込む。
廊下の一部に細工がしてあり、体重をかけると床板が外れて足を取る仕組みになっていたようだ。
「あれ、床板突き破ったの?おやつばっか食べてるからだよ」
廊下の陰からてゐが現れ、ニヤニヤと意地の悪い笑み。
「な、私は……!」
感情に任せた反論を展開しようとした鈴仙は、はっと気付く。このままでは、てゐの目論見通りだと。
額を押えて頭を二、三度振ると幾許冷静になれた。さっさと足を引き抜き、軽くスカートをはたく。
「はいはい、労働してヤセるからそこどいて」
てゐの顔を一瞥してそれだけ言うと、さっさとその脇をすり抜ける。
すたすたと歩きながら、鈴仙は内心でガッツポーズ。
(そうそう、これでいいんだ。何も構ってやる必要なんて……)
「また逃げるぞ~!」
声がしたかと思えば、背中に水爆弾襲来。びしゃり、と床が濡れる音も聞こえる。
「わっ」
一瞬だけ悲鳴を上げてしまった鈴仙だが、黙って背中が濡れたブレザーを脱ぎ、肩にかける。
「まったく……どうせ白衣着るからいいや」
後ろを振り向く事もせず、そう呟くと再び歩き始める。徹底的に構わない方針を固めたようだ。
「あれ……?」
一方、いつものように乗ってこない彼女の様子にどこか焦るてゐ。
しかしすぐに彼女は、手近な部屋を経由して素早く鈴仙に先回り。
(やっと諦めたか……)
鈴仙はちらりと後ろを見、ふぅ、と息をつく。
思ったよりもあっさり諦めた事に少しばかり安堵し、やれやれと立ち止まった彼女であったが―――
「そ~れっ!」
その声は真上からだった。瞬間、脳天を襲う衝撃と冷たさ。
「やあっ!?」
悲鳴を上げたその時には、ぽたぽたと髪の先から水を滴らせていた。
茫然と立ち止まったままの鈴仙の頭上から、再び声が降ってくる。
「ほい、これはおまけ」
その声が終わるか終わらないか、というタイミングで、軽い金属音が辺りに鳴り響いた。
鈴仙の脳天を再び直撃した後、がらんがらん、と床に落ちて回転する、金だらい。降って来たのは声だけでは無かった。
廊下の梁の上にいたてゐが、ひらりと飛び降りて彼女の前に。
「よく言うじゃない。上から来るぞ、気をつけろ……って……」
いつものように意地悪く笑っていたてゐの顔から、表情が消えていく。
目の前で、水爆弾→金だらいのコンボを食らった鈴仙は、何も言わずに俯き、立ち尽くしていた。
元野生の感覚からか、そこから異様な気配を感じ取ったのだ。
「……あの……鈴仙?」
続けて何か言おうとした次の瞬間。
「――― いい加減にしてよっ!!」
鈴仙の怒鳴り声が、張り詰めた空気を引き裂いた。
それとほぼ同時に、今度はてゐの視界が大きく動く。大きな音を立て、彼女の小さな身体が壁に叩きつけられた。
その薄い肩を掴まれ、壁に押し付けられた形のてゐだが、背中に走る鈍痛に意識を向ける事が出来ない。
何故なら、目の前の鈴仙が、長い付き合いの間でも見た事の無い――― 絶対に見せないであろう表情をしていたから。
「あんたが何考えてんだか知らないけど、こっちはもう我慢の限界よ!
私は凄く忙しいの!あんたのイタズラに一々構ってる暇なんかない!そんな事も分かんないの!?」
まくし立てる鈴仙。その真紅の瞳の奥底に、燃え上がるような怒りを垣間見たてゐは、最早言葉を失っていた。
「これ以上、私の邪魔しようって考えてるなら、こっちにも考えがあるわ……」
ぎらり、と一層の光を増す、鈴仙の目。
自然と浮かぶ涙で視界が滲んでいたが、てゐには分かっていた。
このまま壁に押し付けられた状態でいつまでも対面していたら、間違い無く正気を失う―――
「……ごっ……ごめんなさ……い……」
生存本能がそうさせたのか、弱々しい謝罪の言葉が口を突いて出た。
ひぃ、ひぃ、と隙間風のような、恐怖に掠れる息遣い。親友に対し、こんなにも”怖い”と思った事は無い。
肩を掴んでいる鈴仙にも、てゐの早鐘のような心臓の鼓動が感じ取れた。
少し乱暴に、手を離す。
「……分かれば、いいよ。ごめんね、痛くして」
その言葉には、形程の感情がこもっていなかった。
彼女が動くより早く、解放されたてゐが全力疾走でその場から去っていく。その表情は見えなかった。
(……やりすぎた、かな……)
残された鈴仙のその考えは、今度こそ本気だった。
しかしすぐに頭を振る。罪悪感に囚われている暇なんてない。
いい薬になっただろう――― 半ば無理矢理自己を正当化して、鈴仙は金だらいを拾い上げる。
濡れた髪を拭いたのも含めて後片付けに少しかかった為、仕事には数分遅れてしまった上、その日一日てゐの事が気がかりであまり仕事が捗らなかった。
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――― その翌日から、永遠亭が異様に静かになった。
最も大きな会話発生源である、鈴仙とてゐの間に会話が一切交わされなくなったのが原因である事は明白だ。
つい本気で怒ってしまい、必要以上に怖がらせたと自覚した鈴仙は、少しずつ元の関係に戻そうと会話を図る。
しかし、てゐの方が鈴仙を見るなり逃げてしまうようになった。これでは会話など出来ようも無い。
(イタズラされなくなったのはいいけど……これじゃ……)
顔を合わせる食事の時間さえ、てゐは鈴仙と出来るだけ合わないよう早く、或いは遅く来る。
徹底的に避けられているという事実に、彼女は一週間も経たずして後悔の念を抱き始めていた。
(私は悪くない……と思う。けど……)
元はと言えば、てゐが鈴仙に対して悪戯の集中攻撃をするようになった事が原因の筈だ。
それに対して怒っただけなのだから、普通に考えれば理は鈴仙にある。しかし、納得出来ない自分もそこにいて。
(そもそも、何でてゐは私だけを?)
何か恨みを買うような事でもあったのだろうか。だとすれば、そもそもの原因は自分にあるのかも知れない。
しかし、数千年を生きた妖怪兎の思考をそう簡単に読み解ける筈も無く、鈴仙は悩みながら仕事をこなすくらいしか出来なかった。
「……げ……うどんげ!」
「はっ、はひ!?」
不意に意識が舞い戻り、鈴仙は素っ頓狂な声を上げた。
目の前には、天秤ばかりの上で山のように盛られたL-ヒスチジン粉末が、ぱらぱらと皿の端からこぼれていた。
当然、はかりは大きく傾いて異様なまでの不均衡を全力で主張している。
「ちょっと、どうしたの?薬剤調整に出血サービスの精神は逆効果よ」
「も、申し訳ありません!」
アミノ酸粉末とは言え、薬剤調整は分量を正しく守らねばならない。ジョーク交じりで永琳は苦笑いだ。
そのまま瓶に一度出した薬剤を戻すのはあまり宜しく無いので、慌てて粉末を別の空き容器に入れていく。
先の説明には誤りがあった。悩みながらでは、余程の単純作業でも無ければ仕事などとてもこなせない。
つまり、激しく落ちた能率がますます足を引っ張るので、必然的に残業も増える。
捗らない仕事。増える残業と減る休憩。何も言わないてゐ。そんな最中において、鈴仙は疲弊していった。
・
・
・
・
・
「……はぁぁ……」
台所に灯りが灯ったかと思うと、がたりと音を立てて鈴仙はテーブルに突っ伏した。
時刻は午後11時、日付が変わるのもそう遠くない。
この日も遅くまで仕事。普段でもこのくらい遅くなる事はあるが、最近は明らかに多い。
永琳は鈴仙の仕事が明らかに遅くなっている事を既に見抜いており、疲れの所為だと分析していた。
何とか彼女に休憩を取らせたいとも思っていたが、永遠亭の繁忙ぶりがそれを許してはくれそうにない。
(なんか、前よりすっごく疲れる……)
――― てゐと話さなくなって、もう二週間になる。
相変わらず彼女は鈴仙の事を避け続ける。あくまで鈴仙の推測だが、それ程までに彼女は自責の念を感じているのだろう。
忙しい鈴仙を思いやってやれなかった、無神経な自分を。
今の疲れや憂鬱の原因がそこにありそうな、そんな根拠の無い考えが鈴仙にはあった。
以前から忙しかったが、あれからというもの仕事による疲労が正直何倍にも感じられる。
肉体的な負担も大きく、ため息の回数が増えた。
「あ~あ、なんだかなぁ……」
声に出して呟き、ゆっくり立ち上がる。てゐとここでのんびりお茶を飲みながら会話をしたのは、どれくらい前だったか。
無性に切なくなって、そこにいられなくなった。廊下を目指す。
(もう寝ようか)
明日も早いのだから、とっとと休むに限る。彼女は永遠亭の大浴場へ。
誰も無い風呂場で入浴を澄ませると、少しだけ気分が晴れた。
夜風にでも当たって、それから寝よう――― そう思った鈴仙は縁側へと足を運んだ。
「あっ、まだ起きてたんだ。お疲れ様」
そこには輝夜がいた。座ったから縁側から足を投げ出し、ぶらぶらと振っている様はまるで子供のよう。
「は、はい。もう休もうかと……」
「そうなの?じゃあ今度の方がいいかな……」
「え、何がですか?」
何か言いたげな様子の輝夜に、鈴仙は尋ねる。すると彼女は少し考える。
「ん~……ちょっと時間がいるんだけど」
「いいですよ」
「そう?じゃ、隣に来て」
「失礼します」
輝夜が自分の為に何かしてくれるらしいとあれば、鈴仙に断る道理は無い。言われるがまま、その隣に腰を下ろした。
まず、といった感じで輝夜が口を開く。
「いつもお仕事大変ね。ホント、頭が下がるよ」
「いえ、そんな!私は師匠のお手伝いをさせて頂いているだけで」
「ウチの診療所が賑わってるのは、永琳のウデもそうだけど、あなたが可愛いからじゃないかなって思ってるの」
「な、な……」
瞬時に顔が真っ赤になった鈴仙を見て楽しそうに笑う輝夜。
ひとしきり笑った後で、彼女は再び切り出した。
「ふぅ。でさ、あの子とはどうしてまた?」
どきり、と心臓が跳ねる。『あの子』が誰を指しているのか、すぐに分かったからだ。
輝夜の雰囲気もまた、先までののんびりしたものから一転し、どこか真剣な空気を感じさせる。
「えっと、そのぅ……」
「まあ、大体想像はつくけどさ。再三のイタズラに堪忍袋の緒が切れちゃって、ケンカしちゃったとか」
何もかもその通りだった。喧嘩というより、鈴仙が一方的に爆発したと言った方が正しい面もあるが。
目の前であどけない子供のような顔で笑っている人物の、底知れぬ洞察力に鈴仙は感服していた。
「……仰る通りです」
「やっぱりね。いつ見てもあの子があんまりしょげてるから、きっと何かあったんだなって。
最近、追いかけっこしてるのも見ないし。私、あれ結構楽しみにしてるんだよ?」
「………」
上手い返しの言葉が見つからず、曖昧に笑う鈴仙。
何も言わない彼女に、輝夜はうんうんと頷く。
「そっか。それだけ聞きたかったんだ。ありがと。
そうそう、こっからは私のただの独り言だから、眠かったら戻って寝ていいからね」
(……?姫様は、何を……)
突然の独り言発言に、鈴仙は困惑した。当然、その言葉通りに戻ろうとはせず、次の発言を待つ。
輝夜は一度夜空を見上げ、はーっと息をつくと”独り言”を始めた。
・
・
・
「前に訊かれたけど、最近のてゐのイタズラは明らかに、鈴仙だけを対象にしてたわ。
それと同時に、頻度が急激に上がったのも事実。でも、その中で私はある事に気付いた」
「ある事?」
尋ねる鈴仙。”独り言”だからか彼女の方は向かないが、輝夜は答えた。
「周期。てゐのイタズラが、妙に規則的な間隔で仕掛けられてる気がしたの。
一週間に二度っていうのはすぐ分かったけど、それ以外にもありそうな気がして。そしたら案の定……」
がさがさ、と音がしたので見やれば、彼女は懐から何やら紙片を取り出していた。
綺麗に折り畳まれたそれを広げ、頷いている。
「あの、見てもいいですか?」
「独り言に付き合ってくれるの?はい、どうぞ」
今更な発言だが、輝夜は嬉しそうだ。紙片を手渡す。
それはカレンダーだった。先月と、今月。
「先々月の終わりくらいから、あなたや永琳が忙しくなったじゃない?その辺りの事を思い出しながらメモしてみたの」
輝夜の言葉を聞きつつ、鈴仙は目を丸くしていた。
マス目状に並んだそのカレンダーの、ある縦二列だけにびっしりとウサギのマークが描かれていた。
水曜日と、日曜日。ただし、日曜日は一ヶ所だけ欠けているし、二週間前のあの日を境にマス目はまっさらだ。
「偶然じゃありえないわ。これは完全に、あの子が水曜と日曜にだけ、あなたにイタズラを仕掛けているという事実」
「……なんで、でしょうか」
「そりゃ本人に訊かなきゃ分かんないけど、てゐは絶対に自分からは喋らないでしょうね。
だから、私は自分なりの仮説を”独り言”するから、気にしないでね」
そう前置き、輝夜は話し始めた。己の中にある仮説と言う名の”確信”を。
「まず最初に、これだけははっきりさせなきゃね。てゐは、あなたが嫌いとか、恨みがあってイタズラしてるんじゃないってコト」
その言葉に、ぴくり、と鈴仙の耳が反応した。輝夜は笑みを崩さないまま続ける。
「むしろその逆。あなたのことが好きで、好きで、大好きでたまらない。だからこそ、ね」
「え……えっとぉ……」
鈴仙は自然と顔が熱くなるのを感じた。仮説と言われても、輝夜が言うとこの上無いくらいの説得力が生まれる。
「その……それは、どうして……」
しどろもどろな彼女の様子に、輝夜はどこか嬉しそうだ。
「好きな子にはイタズラしたくなる、なんて言葉もあるし、普段ならそうかも知れないけれど、今回の場合は違うわね。
あなたの力になりたい、あなたを助けたい……そんな感じかしら?」
ますます意味が分からず、鈴仙の思考は混乱を極める。悪戯する事が、どうして自分を助ける事に繋がるのか。
むしろ、それが原因で二週間も会話が無くなるような溝を作ってしまったのに。
「訳が分からない、って顔してるわね。名探偵と役者は三日やったらやめられない……この言葉、今ならよく分かるわ。
っと、話が逸れちゃった。それじゃ、今から説明してあげる。
あなたへ集中してのイタズラが始まったのは、いつ頃か分かる?」
突然の質問だが、鈴仙はすぐに答えた。早く、輝夜が何を言いたいのか知りたかった。
「二ヶ月半くらい前、でしょうか。師匠がやっている診療所が繁盛して、特に忙しくなり始めて……少ししたくらいでしょうか」
「そうね。うん、やっぱり私の仮説はなかなかに的を射てるかも知れないわ」
満足げに深く頷き、輝夜は続きを話し始めた。
「あなたは連日連夜、永琳のお仕事を手伝ってたわね。普段でも忙しい時があるのに、この時期は本当に凄い忙しさ。
休む暇も殆どないあなたが疲れていくのを、見ていて辛かったんでしょうね。
そこであの子は、あなたを二つの方向で助けられる画期的な方法を考えた」
「それが、もしかして……」
「そう、イタズラすること。それも、あなたの神経をある程度逆撫でするように、挑発的にね。
さて、ここで質問。もしあなたの大切な友達が、沢山の仕事を抱えて大変そうだったら……どうする?」
いきなりの質問に、流石の鈴仙も戸惑う。
「え?えっと……それは、自分に出来るなら、手伝うと思います」
「その通り。誰だって、そう考えるわ。けど、あの子にはそれが出来なかった。
鈴仙・優曇華院・イナバは、まあ過去に色々あった訳だけど……最終的にここで暮らす事になった。
あなたを救ったのは他の誰でもない、八意永琳。だからあなたは、永琳に対していつも全力で献身する」
「………」
「そんなこんなで弟子入りして、あなたは永琳から仕事を任される事も多くなったわ。
他でも無い永琳の頼みですもの、何が何でも自分でやっつけたいと思ってしまうのも必然かしら。
永琳の役に立ちたいし、褒められたいし……それに、責任感も強い。だからあなたは、誰かの手伝いを拒んでしまう。
誰にも迷惑をかけたくない、その強い責任感が、あなたを疲れさせる」
鈴仙には、少しずつ――― 少しずつ、輝夜が何を言いたいのか、分かりかけていた。
「それは、今や強い絆を持つ親友のてゐに対しても同じだった。むしろ親友だからこそ、かしら?あの子が手伝いを買って出ても、あなたは首を縦に振らない。
何も出来ないまま、大好きなあなたが忙殺されていくのを黙って見ていたくなかったてゐは……行動を起こした。
あなたを納得させる、手伝いの方法をね」
「!!」
鈴仙は、はっきりと気付いた。悪戯されて、追い掛け回して、捕まえて、帰る。
その分鈴仙の仕事が遅くなるのだから、原因となったてゐには―――
「……罰として、仕事をさせられる……」
「ご名答。これなら、あなたに納得させるがまま、自分が仕事を手伝える。むしろ『ちゃんと手伝ってね』なんて言わせる事も出来る。
あの子は本当に仕事が早いから、あなたと手分けすれば半分の時間で全ての仕事を片づけられる。結果として、ロスにはならない……」
そこで一度、輝夜は息をついた。茫然自失な鈴仙を見て、柔らかく笑み。
「まだよ。これらのイタズラには、もう一つ意味があるの」
「……えっ?」
「言ったじゃない、二つの方向って」
輝夜は心の底から楽しそうだ。そんな彼女の顔を見つめて次の言葉を待つ鈴仙の表情は、どこか必死だ。
対照的な二人の表情を、雲間から覗いた半月が照らし出す。
・
・
・
「さて……ところで、疑問に思わない?」
「何が、ですか?」
「さっきの私の説明。イタズラした罰で、あなたの仕事を手伝える。これは分かってくれたでしょ?
けど、あなたへイタズラした後、あの子はどうした?」
思い返す。悪戯されて、ちょっとした口論の後で―――
「――― 逃げてました。いつも、それを、私が追いかけて……」
「そうよね。だけど、ここで疑問が生じるわ。
ここまでの説明なら、別に逃げる必要なんてない。すぐに捕まって、罰として仕事を手伝わされればいい。
時間的ロスを作って、仕事を手伝わされやすくするっていうのもあるでしょうね。けど、それだけじゃないと思うの」
言葉を切る。交差する互いの目線。その果てに、輝夜は口を開いた。
「ズバリ訊きたいんだけど……あなたとてゐが出ていくと、たっぷり二時間は帰って来ない。
これってさ、絶対に追いかけっこだけで二時間――― 一度や二度ならともかく、毎度はかからないと思うの。
あなた達、どこか寄り道してたんじゃない?」
「えぇっ!?そ、そんな……いや、その……」
鈴仙のうろたえぶりが、何よりの答えだった。ずっと笑ったままの輝夜に、彼女は頭を垂れて白状する。
てゐの提案で、毎回毎回里でお茶を飲んでから帰って来ていた事を。
「やっぱりね。あ、永琳に告げ口なんてしないから安心して。
でもお陰で、私の仮説はほぼ当たってたと言って良さそうよ」
「そう……なんですか?」
「ええ。もう、あなたも薄々感付いてるんじゃないかしら?
わざわざあなたを挑発して、追いかけさせる。あなたが冷静になったと見るや、追撃して怒らせる。
あの子には、何が何でもあなたに……自分を追いかけさせたかった」
「……そ、それって……もしかして……」
「薄々どころか、もう分かってるみたいね」
鈴仙は、信じられないとでも言いたげな表情で次の言葉を待つ。呼吸は荒く、心臓の鼓動は一発一発がまるで大砲のよう。
そんな彼女の顔を眺めながら、輝夜は敢えてゆっくりと続けた。
「あの子は――― 因幡てゐは、あなたを仕事の及ばない場所へ連れ出したかったのよ」
それを聞いた瞬間の鈴仙の表情――― 驚きと悲しみと嬉しさと、色々な感情がない交ぜになって、よく分からない顔。
ただ、これだけは言える。てゐを追い払った自らが、いかに鈍感だったかを思い知る。
「先にも言ったけれど、あなたは責任感が強い。仕事をサボるなんて、あなたにとって許されない行為。
てゐが休めと言った所で、あなたは絶対に休まないでしょうし、仕事もあるから休めない。
ならばとあの子は、今の忙しい仕事漬けの毎日にケンカを売った。何が何でも、例え一時間だけでも、そこからあなたを救い出す、ってね」
「………」
何も言えない鈴仙にお構い無く――― 元より”独り言”のつもりだったが――― 輝夜は話を止めない。
「あなたを徹底的に挑発して、追いかけさせる。で、里の近くでわざと捕まる。後は、丸め込めばいい。
それにこの方法なら、万一永琳にバレたとしても、『全て無理矢理連れてった自分が悪い』って言えるしね。
一時間ばかり、のんびりお茶を飲みながら過ごす。それだけでも、あなたの疲れを多少なりとも癒せるし、それに……」
「それに……?」
「何より、忙しくなってから殆ど一緒に過ごせないあなたと、一緒にのんびり過ごせる。それが嬉しかったんじゃない?
あ、あとも一つ。あなた以前、ご飯の席で大妖精……大ちゃんでいいや。大ちゃんが茶店でバイトしてるって言ってたじゃない」
「は、はぁ」
確かに以前、夕食の席でちょっとした話の種にその事を話題にした。無論、自分達が何度も行っているという部分は省いたが。
「それって、あなた達が行ってるお店?」
「そうですけど……」
答えを聞き、輝夜はガッツポーズ。まるで『私の推理は間違って無かった!』とでも言うように。
「てゐは、大ちゃんのバイトの件を以前から知っている風だった。それに、普段は一度も姿を見なかった。
つまり大ちゃんは普段、水、日曜日以外のシフト……私の考えでは、火、土曜日ね」
「どうしてですか?」
「考えても見て。季節は春、昼下がりの茶店なんて繁盛も繁盛、満席でもおかしくない。
あなたをせっかく連れて行っても、満席で入れなかったら意味がない。だからてゐは、大ちゃんに頼んだの。
前の日に店主の人に頼んで、席を一つ予約してもらって欲しいってね」
何度も驚いた後なのに、またしても鈴仙はぶったまげる。そこまで考えていたのか。
思えば、いつも偶然席が一つは空いていた。だがそれは、偶然では無かった。
「でも、そんな都合よく……」
「いくかどうかは実際分からないけど。大ちゃんのシフトは元よりそうだったのか、それともわざわざ変えたのか知らないし。
けど、もしあの子が事情を話したら……大ちゃんは間違いなく協力するでしょうね。店主さんも。とっても優しいもの。
そうだ、前にあなたがお休みだった日の前の晩、てゐがどこかに出掛けて行ったの。あれはきっと、明日は予約いらないよって大ちゃんに伝えに行ったのね」
輝夜は、そこで話を止めた。
鈴仙は思い返す。悪戯にも手間がいるだろう。それを毎週毎週、日取りと時間とタイミングも考えて。
自分が怒られる、もしかしたら嫌われるかも知れない、汚れ役とも悪役とも言える立場に自ら飛び込んだてゐ。
全てはそう、自分の為。他の誰でも無い、鈴仙の為に。
「姫様……」
「うん?」
「わ、私は……私は、どうしたらいいんでしょう……」
じわり、と視界が滲んで、輝夜の顔もよく見えない。
知らなかった。気付かなかった。とは言え、自分の為にあらゆる手を尽くしてくれたてゐを自らの手で追った。その心を存分に傷付けて。
その結果がこの様だ。もう二週間、てゐと言葉を交わしていない。それどころか、徹底的に避けられている。
「あの子……最初に言ったけど、あなたの事が大好きなの。だから、自分の行為があなたのストレスになってると知って、ショックだったのね。
消えない罪悪感が、あなたと仲良くする事を許さない。普段はのんびりしてるのに、こういう時は真面目なのよねぇ」
輝夜はしみじみと呟いた後で、鈴仙の目をはっきりと見た。
「どうすればいいか……あなたももう、分かってるんじゃない?方法は任せるわ」
「………」
彼女の言葉に、鈴仙は考えた。そしてこれまでの日々を思い返す。
(……!)
閃いた。
「分かりました……私なりの方法」
「そっか、それならよし!また仲良く追いかけっこしてる所、楽しみにさせてもらうわね」
「はい!」
ごしごしと浮かんだ涙を拭い、鈴仙は初めて笑った。
「そうそう、笑顔が一番。あ~、もう夜が明けちゃうわね。どれくらい話してたのかしら?」
見れば、東の空が白く明けつつある。だが、鈴仙は全く眠くなかった。あれほど疲れていた筈なのに。
「あの、最後に一つだけ……いいですか?」
「なぁに?」
会話の終わりを予感した鈴仙は、最後の質問をぶつけた。
「どうして、てゐはこんなに面倒な方法を?それもひた隠しにして」
「簡単よ、あなたにバレたくないから。もしバレたら、真面目なあなたは絶対にてゐを追いかけなくなるでしょ?」
「……そう、ですね……」
「それにもう一つ……恥ずかしいから。孤高の素兎が、あなたに全てを捧げる勢いで色々やってるなんてバレたら一生モノよ」
何とも、てゐらしい理由だった。鈴仙も納得し、頷く。
それを見届けた輝夜は立ち上がった。
「んじゃ、私はもう寝るわね。お肌が荒れちゃう」
「お休みなさいませ!」
伸びをしてから縁側より去っていく輝夜を見送る。
誰もいなくなった縁側で、鈴仙もまた思いっきり伸び。
「さぁて、準備しなくっちゃ!」
言うと同時に、空の端から太陽が姿を現した。
・
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・
・
・
翌朝――― とは言っても、鈴仙にとっては起きたまま数時間後――― 朝食の席。
鈴仙はあっという間に朝食を平らげ、席を立った。
それから数分後、こそこそとてゐがやって来る。相変わらず、鈴仙がいなくなるタイミングを計っているようだ。
もそもそと朝食を食べ終え、彼女は席を立つ。
ゆっくり歩く彼女の顔には覇気が無く、いかにもな浮かない表情。その頭の中には、鈴仙の顔が浮かんでは消える。
(……れーせん、どうしたら許してくれるのかなぁ……)
あれ程までに怒らせてしまったのは初めてだったから、どうすればいいか分からない。
消化不良な想いを抱えたまま鈴仙の顔を見ていたら泣いてしまいそうで。だから、ここ最近は碌に彼女の顔を見ていない。
憂鬱な気持ちのままとぼとぼと歩き、てゐは廊下の角を曲がろうとした。まさにその瞬間である。
「巨大ウサギはっけ~んっ!!」
能天気な叫び声が響き、はたと足を止め、顔を上げる。
それと同時に、てゐの脳天に何かが直撃。
「きゃああ!?」
久々に悲鳴を上げ、前方につんのめる。びしゃりという液体音に、てゐは自らに起こった事を理解した。
水爆弾。自分が散々悪戯に使ったツールが、自らに。
頭から肩、腕にかけて滴り、或いは飛び散った液体を見てみたらまたしてもてゐはひっくり返りそうになる。何と真っ黒。
入っていたのは水では無い。墨汁だ。
「な、な……」
「巨大生物に会ったらまずはマーキング!目は覚めた?目覚めの一撃は威力三倍らしいし」
ウキウキと弾んだ声に、てゐはがばっと顔を上げた。梁の上から、ふわりと鈴仙が目の前に降り立つ。
「れ、れ、れ……」
「お出かけですか、っと。それにしてもひどい頭……流してあげる!」
「れいせ―――」
てゐの呼びかけは、ざっぱ~ん!という豪快な音に洗い流されてしまった。鈴仙が、曲がり角に隠していた水入りバケツを思いっきりぶっかけたのだ。
「くくく……あっはっはっはっはっはっはっはっは!!びしょ濡れじゃない!あははははは!!」
ぽたぽたと全身から灰色の水を滴らせ、茫然と立ち尽くすてゐ。それを見た鈴仙は大爆笑。
「れ、鈴仙……」
「ん?おかわりならまだあるよ。それっ!」
「いらな……あ~っ!」
ざっぱ~ん!と本日二度目の零距離放射。大分クリアな色になった水をぽたぽた垂らし、とうとうてゐは叫んだ。
「鈴仙!!何すんのさいきなり!!」
「おかえしだよ!ほ~ら、ここまでおいで!」
バケツを投げ捨て、走って逃げだした鈴仙。瞬時に全身の血が熱くなる感覚を覚えたてゐは、いつの間にかその背を猛然と追い始めていた。
「待てぇぇぇぇ!」
玄関より吹き抜ける春一番のような勢いで、立場逆転した二人のウサギが飛び出していった。
・
・
・
・
竹林をあっという間に抜け、久しぶりの草原。
「捕まえてごらんなさ~いっ!」
浜辺で言ってみたい台詞ランキング上位確実の台詞を口にしながら走る鈴仙だが、流石に息が切れている。
「はぁ、はぁ……流石に、ヤバいかも」
鈴仙のスピードが明らかに落ちた、その隙をてゐは見逃さない。
「――― れぇぇぇぇいせぇぇぇぇぇぇんッ!!」
どこぞのダンボールマニア的叫びと共に、てゐは鈴仙の背に肉薄、地を蹴った。
突進のような勢いで、鈴仙の背中に飛びつく。腕をしっかり回してホールド――― したはいいのだが、その勢いが強すぎた為に鈴仙は支えきれず、身体を投げ出した。
「うわわわわわわっ!」
てゐを背中にくっつけた鈴仙は、勢い良く丘をゴロゴロと転がっていく。
丘を転げ落ち、ようやく止まった。
「あ~、負けたぁ。いつも捕まえられるから、逃げ切れると思ったんだけど」
鈴仙は笑いながら言い、身体をよいしょと起こす。
だが、てゐは彼女の背中にがっちりしがみついたまま離れようとしない。
「……てゐ?どしたの?どっか痛い?」
すわ怪我でもしたか、と鈴仙は焦るが、そうでは無いとすぐに分かった。
「……っ」
ぎゅう、とより強い力を込めて、鈴仙に抱きつく。表情は見えないし、何も言わないけれど、鈴仙にはすぐに分かった。
「……もう、怒ってないよ。私こそごめんね。あんな目くじら立ててさ」
「……ごめんね、れーせん」
「いいってば。てゐは悪くないよ。私が言うんだから元気出しなさいって」
よいしょ、と腹部に回されたてゐの手を外す。強い力だったので苦労した。
しがみつかれるのが嫌だったのでは無い。正面から、自分もてゐを抱き締めたかった。
「!!」
突然鈴仙に抱き寄せられて、てゐは息を呑む。
「やれやれ、びしょびしょだ。流石に水二杯はキツかったかな」
濡れてくしゃくしゃの黒髪をそっと撫で、鈴仙はばつの悪そうな顔をした。
「い、一杯でも変わんないよ」
弱々しいが、いつもの彼女らしいツッコミが返って来たので、鈴仙は無性に安堵する。
「さて、と」
てゐの身体をそっと離し、鈴仙は立ち上がった。
「せっかく里の近くまで来たんだ、お茶でも飲んでこっか」
「えっ!?」
てゐはまたしても驚きの声。あの鈴仙がそんな事を言うなんて思ってもみなかった。
しかし、彼女はニヤリと笑う。まるで、以前のてゐのように。
「朝なら席も空いてるでしょうし……それに、てゐと話したい事、沢山あるからね」
その言葉に、てゐは一瞬顔を明るくする――― がしかし、
「で、でも……大丈夫なの?お師匠様に怒られたりとか……」
そう言ってどこか怯えた顔だ。てゐらしくない台詞だ、と思いつつ、鈴仙は『じゃあ』と続けた。
「まだ追いかけっこ継続中って事で。まだ捕まってないんだもの、帰れないでしょ?」
そう言うと、彼女は先に里へ向かって歩き出した。
少しの間立ち尽くしていたてゐも、段々と顔を明るくし、ついにいつものような笑顔に戻って彼女の背を追った。
追いつき、肩を並べる。
「いやあ、逃げる側に回った鈴仙は速いなぁ。なかなか差が縮まらない」
「ふふん。あんた相手なら歩いてたって捕まんないよ。おほほほほ~ですわ」
「お、言ったな。じゃ、私も歩いて捕まえよっと」
「それじゃ、私はあちこち逃げるから。お茶屋さんだけじゃなくて、色んなお店」
「なにぃ、それじゃあ私も追いかけなきゃならんじゃないか~。いやあ辛い辛い」
いつしか手を繋いで歩きながら、そんな会話。手を繋いだだけでは、捕獲の内に入らない。
やがて見えてきたいつもの茶店。営業中の看板が、朝日を反射して眩しい。
「よし、まずはあのお店に逃げ込むぞ~。あばよとっつぁ~ん」
「まて~るぱ~ん、た~いほじゃ~」
間延びした口調でのやりとり。無性におかしくて、大きな声で笑った。
里の大通りのど真ん中で、最高に楽しそうな笑顔で笑い声を上げるウサギが二人。
どうしても視線を集めるが、構うものか。目の前の相手と一緒に笑っていられる、それだけでいい。
一しきり笑った後で鈴仙はそっと、てゐに囁いた。
「……帰ったらさ、一緒に師匠に怒られよっか」
「もちろん!!」
笑みと共に頷き合い、二人は一緒に暖簾をくぐった。
――― この日の”追いかけっこ”は、相当な長丁場になりそうである。
昼下がりの永遠亭に、ウサギの悲鳴が炸裂した。
「ちょっと、どうしたのよ?びっくりして姫が縁側から落っこちてたわよ?」
ぱたぱたと小走りで、悲鳴の発生源へと向かうのは八意永琳。薬棚の整理の真っ最中だったのを切り上げて来た。
一方、悲鳴を上げた張本人である鈴仙・優曇華院・イナバは、永琳の姿を見るなりいつもはちょっと垂らしている耳をぴーんと伸ばしてまくし立てた。
「こ、これ見てくださいよ!!私のブレザーがジュディ・オング仕様に!!」
「ぶっ!」
永琳は思わず噴き出してしまった。無理も無い、彼女の普段着であるブレザーの袖の下から、いかにも80'sな白いビラビラしたアレがたなびいていたのである。
紺色のブレザーに白いアレ。色彩的にもミスマッチで、スタイリストがこってり絞られるレベルのファッションセンスであった。
「い、いいんじゃない?けどせめて色くらいは合わせた方がいいわね。あと歌手目指すなら姫にも相談しなきゃ」
「何言ってるんですか、私がやったワケないでしょうこんなの!」
何とかブレザーを畳もうとするが、袖の下のアレがあっちへビラビラこっちへブワブワ。
だがその時、お冠な鈴仙の視界の隅に、廊下の柱の陰に隠れた小さな姿が。
くすくすという小さな笑い声も聞こえてきて、彼女の脳内我慢メーターは針を振り切った。
「あっ、てゐ!またあんたの仕業ね!?」
「いいじゃん鈴仙、スターAKEBONOみたいで目立つよ!」
「何そのスモウレスラー上がりっぽい名前!?目立ちたかないわよこんなん着て!!この……」
「きゃー逃げろー!」
「ちょ、待ちなさい!こらぁ!!」
捕まえようとした彼女の手をするりと抜け、仕掛け人因幡てゐはさっさと玄関へ逃走を図る。
冷静さを欠いた鈴仙はそのまま追いかけ、玄関を飛び出していくてゐに続いて屋敷の外へ。
しかし、既にてゐの姿が見えなかったので立ち止まる。ようやく冷静さを取り戻してきたようだ。
「まったくもう、さっさと取らなきゃ……うわ、これしっかり縫い付けてある!?」
ぐいぐいとビラビラしたアレを引っ張るも、どうやらきっちり縫い付けてあるようで全く取れない。
そのまま屋敷へ引き返そうとした鈴仙であったが、ふと気になってブレザーを着る。
ボタンを留め、腕を広げるとその場でくるりと一回転。ぶわり、と白く細い布がマントのようにたなびいた。
「……意外にいいかも」
思わず呟く。歌手になるならという先の永琳の発言を思い出し、脳内では早くもステージに立ち美声を披露する己の姿がライトアップ。
”月からやって来た美少女アイドル登場!””天然ウサミミ娘がアイドルの歴史を変える!””月が彼女にもっと輝けと囁いている!”などというキャプション(自作)まで浮かぶ。
しかし、脳内で報道陣に囲まれまくりでぽやんとした表情でいた彼女を、てゐは近くの木の陰からしっかりと見ていた。
「よっ、本邦初のウサギアイドル!」
「なっ……て、て、てゐ!?いつからそこにいたのよ!」
「ずっと。なんだ鈴仙、気に入ったんだそれ。何なら私がマネージャーになってあげよっか」
「べ、別に気に入ってなんかないわよ!」
ニヤニヤと笑うてゐの言葉に、真っ赤な顔で否定する鈴仙。しかし彼女は更に続けた。
「芸名はそうだなぁ、スターは外せないとして……髪の毛とか服とか全体的に青っぽいし、スターサファイアでどう?」
「違う子になっちゃうじゃないの!もう怒った、待ちなさいっ!!」
「きゃー!」
芸名と言う名の別人扱いにとうとう鈴仙の我慢メーターは再びレッドゾーン。
逃げるてゐを猛然とダッシュで追いかけ始めたが、自分がブレザーwithスターの証を着たままという事に気付いた。
(はっ!走れば走るほど白いやつが広がって……恥ずかしい!)
ぶわわわと広がるアレを手で押さえるが、そうすると今度は走り難い。
立ち止まって脱ごうものなら逃げられてしまうし、大事な服故そこらに脱ぎ捨てて置いていくのも抵抗があった。
「スターは辛いね!」
しかし10m程前方からてゐに茶化され、鈴仙は再び足にスパートをかけた。
さっさととっ捕まえて、これを脱ぐ。それこそが、彼女の羞恥を取り除く最良の方法である。
竹林を舞台にしたウサギ達のデッドヒートは、まだまだ始まったばかり。
一方で残された永琳は、二人が出て行った玄関を見つめながら、鈴仙に仕事を頼もうと思っていた事を思い出した。
(……まあいっか、後でてゐにも手伝ってもらえば)
軽くため息をつき、玄関を閉める。そのまま縁側へ。
鈴仙の悲鳴に驚いて縁側から落っこちた蓬莱山輝夜が『いたいよぉ!死んじゃうー!』などと騒いでいる為だ。
何年生きてるかは知らないが、構って欲しいお年頃なのだろう。
・
・
・
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兎二羽――― もとい二人のデッドヒートはいつしか竹林を飛び出し、なだらかな草原へと舞台を移していた。
「はぁ、はぁ……待ちなさぁい!」
「鈴仙も結構スタミナあるじゃん、デスクワークばっかでなまったかと思ってたけど」
「お褒めの言葉、ありがとーごぜいますっ!ぜぇ、ぜぇ」
二人の差は少しずつ詰まっていた。元々、瞬発力という点ではてゐが勝っているのだが、長距離だと話は別という事なのだろうか。
少しだけ距離が離れ、疲れたのか走りを緩めるてゐ。しかし鈴仙はそれを見逃さず、足に力を込めてダッシュ。
一瞬にして差は無くなり、腕を伸ばす。
「おらぁっ!」
「きゃ!」
気合の掛け声と共に、鈴仙の腕がてゐの腰をしっかりと捉えた。力任せに腕を振りぬくと、華奢なその身体は草の上をすってんころりん。
「や、やっと捕まえた……」
「あ~、また捕まっちゃったぁ。ちかれた~、あつ~い」
「誰のせいだと……はぁ、はぁぁ。私も限界だぁ」
てゐは観念したのか、それ以上の逃走を諦め仰向けのまま空を眺める。ライトブルーをバックに、遠くで白い綿雲が流れていく。
鈴仙もまた、少しでも放熱効率を良くしようとスターの証付きブレザーを脱ぎ捨て、てゐの横に転がった。
それなりの距離を走ったお陰で二人、特に鈴仙は暑くてたまらない。噴き出す汗に、そよ風が心地良かった。
「あの雲パンみた~い」
「何をのん気に。でもホント、おいしそうだね」
「明日の朝ごはんはパンにしてもらおっと」
「じゃ、師匠に言わなきゃ。でも師匠はご飯党だし、変えてくれるかしら」
寝転んだまま、とりとめの無い会話。鈴仙はもう、悪戯された事への怒りなどとうに忘れていた。
走って、走って、ようやく捕まえた達成感。運動した後の、涼しい風。それらを感じられる今の状況が、彼女の気持ちを大分落ち着けているのは間違いあるまい。
「ね、ね、鈴仙」
「なんじゃいな」
不意に上半身を起こし、上から鈴仙の顔を覗き込むてゐ。
「せっかく里の近くまで来たんだしさ、お茶飲んでから帰ろうよ」
「えぇ?」
鈴仙もまた半身を起こす。てゐが指差す先を見やると、確かに人間の住む里が、立って歩けばすぐの所に見えるではないか。
こんな所まで走ってきたのか、とため息一つ、鈴仙はうつ伏せに体勢を変えると頬杖をついた。
「でもぉ、早く帰らないと師匠が」
難色を示す鈴仙。彼女は永遠亭にて、師たる永琳の仕事を色々と手伝っている。
それは永琳が気まぐれ的に始めた診療所であったり、薬品の調合であったり、単なる掃除だったりと様々だが、常に忙しい永琳の手伝いとあって彼女もまた暇が少ない。
特にこの時期は、花粉症やら季節の変わり目の風邪やらで診療所が賑わうので、彼女も連日手伝いに駆り出されていた。
永琳に迷惑をかけたくない、との思いから彼女は渋る様子を見せたのだが、
「またまたぁ、鈴仙は真面目ちゃんなんだから。こんだけマラソンしたんだ、少しくらい休んだってバチ当たらないよ。
それに、どうしても任せなきゃいけない仕事があるならさ、飛び出した鈴仙をすぐに呼び止めると思うよ、お師匠様」
「あ~……」
なるほど、と納得しかけた所で慌てて鈴仙は首を振る。てゐの話術は天下一品、油断すれば舌先三寸であっと言う間に絡め取られる。
「で、でもさ。もし私がいない間にトラブルがあったら……」
鈴仙は一応、永遠亭の荒事担当である。こと戦闘沙汰とあれば、真っ先に最前線へ飛び出すのが彼女の役割。
しかし、このもっともらしい言葉にてゐは少しも詰まった様子を見せず、ニヤリと笑って”トドメの一言”を浴びせるのだ。
「そうは言うけど、お師匠様も姫様も、鈴仙よりずっと強いじゃん」
「……ワタシノマケデス」
「よろしい!さ、行こ!」
がっくり頭を垂れた鈴仙の手を嬉しそうに取り、てゐは里へ向かって歩き出した。
慌ててブレザーを拾い上げ、手を引かれながらもしかし、鈴仙もまたまんざらではなさそうな顔。
(ま、少しくらいいっか。こんなのも初めてじゃないし)
走ったばかりで疲れていたし、喉も渇く。体面上あっさりてゐの要求を呑めなかっただけで、やはりお茶くらい飲みたいもの。
(それに……)
「ん、どした?」
見つめられていた事に気付き、てゐが首を傾げる。
「ううん、なんでもない。早く行こ?」
「はいよ。なんだ、鈴仙も行きたがってるじゃない」
「どうせ行くなら早く行って早く帰らなきゃでしょ」
減らず口に反論し、やれやれと心の中で肩を竦める鈴仙であった。
・
・
・
・
昼下がりの時間帯とあって、里の大通りは中々の賑わいだ。
大勢の人間に混じって、ウサミミをぴょこぴょこ跳ねさせて歩く二人の姿は、いくら人とほぼ同じ容姿とて少々目立つ。
それでも、多少注目を集める程度で奇異の視線を集めたり、すれ違う人間に避けられる結果周囲にスペースをこしらえる事が無いのは、彼女達が里にいるのも普通の光景となっているからなのだろう。
事実、何時の間にか馴染みの場所となった茶店の暖簾を二人がくぐると、
「おやウサギさん方、いらっしゃい。いつもありがとうね」
他の常連客と同じように、店主の男性がにこやかに挨拶してくれるのだ。
「やほ~、おじさん。ちょっと運動したからさ、冷たいお茶もらえるかな?あとおダンゴ」
「はいはい。お二人とも?」
「あ、はい。お願いします」
てゐの注文に鈴仙が付け足し、頷いた店主はそのまま奥へ。
手近な四人用の座敷を見つけ、テーブルを挟んで座る。
「結構お客さんいる……てかほぼ満席?多いね」
「そだね。冷たいお茶の人も多いみたい。今日あったかいからかな」
などと会話に花を咲かせつつ、待つ事数分。先の店主がお盆にお茶と団子を二人分乗せてやって来た。
ちなみに、冷たいお茶の場合はグラスに入れてくれる。この方が涼しげだからと、わざわざ用意したらしい。
「はいお待ちどうさま。ごゆっくりどうぞ」
「待ってました!」
「いただきます」
礼を告げると店主は笑い返し、他の客の所へ。
てゐは脇目も振らずにグラスに口をつけ、喉をごくごく鳴らしたかと思うとあっと言う間に半分空けてしまった。
「あ~、生き返ったぁ」
満足そうに息をつき、てゐはにっこり笑った。
その様子をどこか嬉しそうに眺めつつ、鈴仙もグラスを傾ける。からり、と中の氷が涼しい音を奏でた。
「なんだか、こうしてゆっくりお茶を飲むのもちょっと久しぶりだなぁ」
「んむ……そ~う?」
窓の外と団子に挑みかかるてゐを交互に見た後、しみじみ呟いた鈴仙。てゐは団子をもちゅもちゅと咀嚼しながら答える。
「最近忙しいからね。ま、たまにはいいかなって」
「………」
「どしたの?てゐ」
「う、ううん。なんでもないよ」
首を傾げる鈴仙に、何やら慌てた様子で首を振るてゐ。そのまま団子をもう一口。
「ふぅん」
首の角度を戻し、鈴仙はグラスのお茶を一口含んで再び視線を窓の外へ。
ゆっくり流れていく雲の中に、先程見つけたてゐ曰く『パンみたいな』雲を再び発見し、理由も無く少し嬉しくなった。
・
・
・
・
勘定を済ませ、里を後にした二人は永遠亭への帰路につく。
「鈴仙、ちょっと早足すぎない?もっとゆっくり歩こうよぉ」
「で、でも。師匠が待ってるだろうし」
走りはしないが急ぎ足で歩く鈴仙に、ついていくてゐはのんびりした口調で抗議。
「でもさ……ほら、帰る前にも少しきれいにしなきゃ」
追いついた彼女は、鈴仙の背中についた草の葉を払い落としてやる。汗ばんだブラウスに張り付いたものらしい。
「あ、ありがと」
礼を言いつつ、彼女は少し歩を緩めた。
そんな感じで歩きつつ、行きは十分くらいで走破した道をたっぷり三十分はかけて帰った。
迷いの竹林も、最短ルートを知る二人にかかればただの散歩道。
「あら、やっと帰って来た。毎度毎度、飽きないのね」
二人の姿を見るなり、永琳はどこか安堵したような顔。やはり、いきなり飛び出して行ったものだから心配していたのだろう。理由がはっきりしていても。
「申し訳ありません、師匠。そのぅ……」
「いやはや、つい追いかけっこに熱くなっちゃって。かなりあちこち逃げ回って追いかけて……。
んで、やっと決着がついたのが少し前で。博麗神社の辺りだったかな?それから歩いて帰って来たの。ね、鈴仙!」
「え、う、うん。そんな感じです」
言い辛そうな鈴仙に助け舟を出すてゐ。彼女が同意すると、永琳は納得したように二、三度小さく頷いた。
「まあ、確かに随分と汗をかいたようね。もう暖かいんだから、あんまり走ると脱水症状になるわよ?
少し休んだら、カルテの整理をお願いしてもいいかしら。勿論、てゐも」
「はい、分かりました」
「りょ~か~い」
頷く鈴仙に、敬礼のてゐ。それぞれ異なる返事だが満足したらしく、永琳は奥へと消えていった。
「……はぁぁ」
ぺたん、と床に座り込んでしまったのは鈴仙。怒られずに済んだ事に、余程安堵したらしい。
「ね、怒られなかったでしょ?鈴仙は心配性なんだから、もう少しおおらかに生きなきゃ」
「あんたぐらいお気楽になれたら、私もこんなに苦労しなかったでしょうね……」
えっへん、と腰に手を当てて威張るてゐ。鈴仙はそんな彼女を横目で見、深くため息をつく。
(まったく、いつバレるかヒヤヒヤものだよ)
彼女がそう思うのも無理は無く。何故なら、二人が追いかけっこの果てにお茶を飲んで帰ってくるのはこれが初めてでは無いからだ。
大抵、てゐが悪戯したのを鈴仙が追いかけ、決着がついたらどこかしらで休んで帰るというパターン。
最近は里の茶店でお茶を飲むのがお決まりであり、その関係で常連客として顔を店主に覚えられた。
悪い事ばかりでは無い、とは鈴仙も思っているが。
「ほら。もうさっき休んだんだから……お仕事行くよ?
師匠、ホントは多分私だけにやらせるつもりだったんだろうけど、てゐもちゃんと手伝ってね」
「はいはいっと」
「あと、ブレザーちゃんと直してよ」
「気が向いたらね」
「おいこら」
「お、逃げたほうがいいかな」
立ち上がった二人だが、再び追いかけっこが始まりかける。
しかしそこに輝夜が通りかかり、『永琳が探してたよ?』と言ってくれたので第2ROUNDとは相成らずに済んだようだ。
・
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・
・
「げほ、げほっ!」
数日後、やはり昼下がり。台所にて激しく咳き込む鈴仙。
まあ無理も無い。誰だって、飲もうとした緑茶から強い酢の味がしたら咳き込んでしまうものだろう。
それも忙しい仕事の合間、僅か五分間の休憩の間に飲もうとしたお茶だったら尚更、やるせなさがこみ上げる。
「酢は健康にいいんだよ、鈴仙!もう一杯いかが?」
「結構です!それよりも、やっぱりあんたの仕業!?」
「いえ~い、逃げろ!」
「あっ、待ちなさいってば!」
酢のビンを置いて、てゐは走って逃げ出した。先日のように、鈴仙はそれを追いかける。
玄関から疾風のように駆けていった二人を間近で見て、輝夜は我知らず笑み。
「仲良しでうらやましいなぁ」
一方で、鈴仙はある程度走った所で不意に足を止め、深呼吸。
「……これじゃ、てゐの思うツボだわ」
額に滲んだ汗を手の甲で拭い、ため息。このままでは再びデッドヒートで大汗をかいてしまう。
落ち着きを取り戻した彼女は踵を返した。わざわざ挑発に乗る事も無い、てゐの事は放っておけばいいだろう。
そう思って家へ戻ろうとしたのだが、
「巨大ウサギが逃げるぞ~!」
後方から声がしたかと思うと、背中に走る衝撃。
「きゃあ!?」
どぱぁん、という破裂音と鈴仙の悲鳴がユニゾン。じわり、と背中から太ももにかけて襲い来る冷たさ。
水風船を投げられた、という事実に気付くのにはそれ程時間はいらなかった。
「て、てゐ!?何すんのよ!」
振り向けば、何時の間にか戻ってきていたてゐがニヤリと笑っている。少しも悪びれた様子は無い。
「鈴仙こそ何言ってるのさ。逃げられそうになったらマーキング、これハンターの基本!」
「誰が白兎獣よ!もう怒った、今日こそとっちめてあげるんだから!!」
「わ~い怒った!シビレ罠持ってこ~い!」
一度は落ち着いたはずなのに、追撃と更なる挑発であっと言う間に怒りモード。鈴仙は再び逃げるてゐを追い始める。
どこぞの翼の無い飛龍のような怒り耐性の低さだが、何度もやられているのだから仕方あるまい。
「うどんげ~?何処に行っちゃったのかしら、もう」
二人がいなくなって数分、永琳が玄関へやって来た。しかし、開けっ放しの扉を見てため息。
「なんか、またトラブルみたいよ」
一部始終を見ていたらしい輝夜が言うと、永琳のため息は二倍に増えた。
輝夜はせっかくなのでここで起きた全てを話そうかとも思ったが、ため息が何乗されるか分からないのでやめた。
代わりに楽しそうに笑っていると、永琳が首を傾げる。
「楽しそうですね、姫」
「そ~お?」
・
・
・
・
「この……うりゃあっ!」
「うわぁお!」
アメフト選手もかくや、という鈴仙の捨て身タックルで、この日の追いかけっこは決着。
「やられたぁ、クエスト失敗」
「報奨金を請求したいくらいね、まったく……ぜぇ、ぜぇ」
ごろぉん、と仰向けになるてゐ。鈴仙もその横で座り込んだ。
気付けば、またしても二人は里から程近い草原まで来ていた。何だかんだで、この辺りが距離的に二人のスタミナ限界値なのだろうか。
「あ~、風がきもちい~……激しく戦った後にこうして寝転んでると、何だか深い友情が生まれそうだね」
「マンガの読みすぎじゃない?殴り合いならともかくさぁ」
「もう、そこは『そんな事しなくても、最初から私達は深い絆で結ばれてるじゃない!』って言ってほしかったな」
「言えるか、んな恥ずかしいセリフ!」
呼吸が整うまでの、このとりとめの無い会話もすっかりお馴染みになりつつある。
やがて粗方の疲れが取れると、てゐは身体を起こして鈴仙の顔を覗き込んだ。
「ねぇ鈴仙、せっかく近くまで来たんだから、今日もお茶飲んでこうよ」
「え、またぁ?だからお仕事……」
「も~、頭かちんこちんなんだから。今すぐ帰ったって一、二時間経ってから帰ったってほとんど変わんないよ!」
「いや、結構違うと思う……」
「違わないよ!それにさ、差し迫ったお仕事がない理由はこないだっから言ってるじゃん。
確かに普段は忙しいけどさ、ちょっとくらい……」
不意に口ごもったてゐ。
「どうしたの?」
「い、いや。それよりもさ、いいから早く行こうよ」
鈴仙が尋ねてもはぐらかす。疲れている所にまくし立てたのだから、口がもつれたのだろう。そう判断し、鈴仙は腰を上げた。
そこまで行きたがっているのに、頑として断るのも悪い気がしたのだ。
「はいはい、それじゃあ付き合ってあげるか」
「素直でよろし!さあれっつらごー」
連れ立って里へ向かって歩き出す。
嬉しそうに笑うてゐを見ていると、例え職務怠慢であっても鈴仙にはその選択が間違っていないと思えた。
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数日前に訪れたばかりなので、里の景色も全くと言って良い程変わっていない。
まるで決められたかのように迷いの無い足取りで、いつもの茶店へ。
「こんにちは~」
入店する際に挨拶をするのは常連の証、とはてゐの弁。
「や、いらっしゃい……っと、ちょいと今忙しいからね、先に席ついちゃってよ。すぐ注文取りに向かわせるから」
「はいはいっと」
店主は顔を明るくしたが、苦笑いでそう告げるとすぐに厨房の方へ引っ込んでしまった。
実際、現代で言う喫茶店のような店なのだから昼下がりは繁忙期。幸いにも空いている席が見つかったので、そこへ腰を落ち着ける。
「こないだより人多いね」
「だんだんと評判になってるんじゃない?おいしいし、ここ」
「だといいね」
短い会話を交わす内に、店員らしき少女がやって来た――― のだが。
「いらっしゃいま……あれ?鈴仙さんにてゐちゃん」
「あっ、大ちゃん!?」
やって来たのは湖の大妖精。いつもの服に、店員の証たる小さなエプロンと三角巾を身に付け、手には伝票と鉛筆。
見慣れた姿の登場に、驚きの声を上げたのは鈴仙の方だ。
「なにしてるの、こんな所で?」
「あ、その……アルバイトで。てゐちゃんは前から知ってたと思うんですけど」
そうなの?とでも言いたげな視線を鈴仙から向けられ、彼女はどこか落ち着きの無い様子で頷いた。
「う、うん、まあね。でも、今日って」
「そうそう、普段は決まった曜日に来てるんだけど。今日は忙しくなりそうだからって緊急で入ったの。いつもは……」
「あ~、ほら!大ちゃんも忙しいんだし。あんまり与太話で時間取らせちゃ悪いよ、鈴仙。
それじゃ、早速注文してもいいかな」
「あ、うん。どうぞ」
慌てて話を切り上げるてゐの様子に首を傾げつつ、二人の注文を伝票に書き込み、大妖精は『ごゆっくりどうぞ』と言い残して引っ込んだ。
「へぇ、大ちゃんアルバイトしてたんだね。知らなかったよ」
「そ、そっか。まあ人妖併せて色んな人が来るお店だし、大ちゃん丁寧だから相性いいんじゃないかな」
「でも、何でてゐが知ってるの?バイトのコト」
「あ~っと、それは……ちょっと小耳にね」
ブンブンと手を振るてゐに、鈴仙はちょいと小首を傾げた。
(小耳にって……さっきあの子、てゐが既に知ってる体で話してたような)
「お待たせいたしました!」
鈴仙の思考は、帰って来た大妖精の元気な声で断ち切られてしまった。
目の前に置かれる、全力で冷たさを自己主張する結露したグラスと冷茶。これをほったらかして考え事など出来はしない。
「ありがと!大ちゃんが持ってきてくれると、それだけでおいしさ三倍増しって感じかな」
「やだぁ、てゐちゃんったら」
頬を染める大妖精だがしかし、後ろで店主も頷いていた。やや複雑な表情で。
「まあその通りだが……美味しさ2/3カットしてるみたいで、俺が運び難くなるな。今度からは厨房に専念した方がいいかな」
「て、店長さん!そんな」
「はは、冗談だ。だが実際、君がいてくれると店の雰囲気がよくってな。看板娘として、これからも頼むよ」
「はい!」
どこか微笑ましい会話に、思わず頬の緩む鈴仙。てゐも笑いながら、グラスに口をつけてぢゅるぢゅるとお茶を啜っていた。
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「ただいま帰りました!」
「ただいま~」
二人が揃って帰宅したのはそれから一時間後。
「あ、やっと帰ってきた。またいつもの追いかけっこ?
てゐ、あなたに悪戯をやめろなんて言っても聞かないのは分かってるけど、もう少し控えてもらえないかしら」
「検討します」
「……やめる気ゼロじゃない」
別に怒ってはいないようだが、少し困った顔で腕組みする永琳にてゐは敬礼しつつ返事。
鈴仙の呟きは、幸い彼女には聞こえなかった様子。
「で、今度はうどんげ。お仕事が二つくらい溜まってるからやって欲しいのだけれど」
「はい、お任せ下さい!」
鈴仙ははっきりと答えたが、永琳は苦笑い。
「とは言っても。片方は薬剤調製だからあなたにしか出来ないけど、もう片方は伝票と注文書の整理・管理なの。
だから、こっちは罰としててゐにやらせるから」
「はぁい」
「うどんげを引っこ抜かれると、仕事が滞っちゃうのよ。致命的じゃないからまだいいけれど、遅れた分はあなたが責任持って取り戻してね。
それなら、悪戯の件は不問にしましょう」
「だいじょぶですよ、お師匠様。鈴仙よりきっちりやってみせますから」
「何言ってるのよ!元はと言えば……」
ドン、と薄い胸を叩くてゐに、鈴仙は抗議。しかしそれを軽くいなし、彼女はさっさと屋敷の中へ消えて行った。
「まぁまぁ、鈴仙は自分にしかできないお仕事をきっちりやればいいんだから。怒って血圧上げ過ぎると医者の不養生だぞ、っと」
――― なんて台詞を残して。
「んもう、てゐったら!」
「怒らない怒らない……あの子にも困ったものねぇ。仕事はちゃんとやってくれるからまだいいのだけれど」
一人憤慨する鈴仙を宥め、小さくため息の永琳であった。
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「はい、はい……それじゃ、お薬出しますから。朝と晩に飲んで下さい」
ある日の診療所。この日も体調不良者、或いはそれを予防したい者が大挙して押し寄せる。
一日に大勢の患者を捌かなければならない永琳には、なかなか心休まる暇が無い。
「うどんげ、これ!処方箋お願い」
「は、はい!ただいま!」
彼女が声を張って数秒、診察室の奥から鈴仙が飛び出してきたかと思うと、永琳の差し出す書類をひったくるように掴んで戻っていく。
患者の容態に合わせ、正確な薬剤を処方しなければならない。永琳なら投薬ミスはまず有り得ないだろうが、多くの患者がいる以上時間は限られる。
一人でも多くの患者を診る為、助手の鈴仙もてんてこ舞いである。
「お大事に。はい、次の方!」
永琳が声を、今度は前方へ向けて張る。すぐに、次の患者がやって来た。
一方、裏手では書かれている通りの薬品を用意した鈴仙が、それを袋に詰めて受付へ。
「はい、これ」
「ありがと。えっと……」
受け取ったのはてゐ。そのまま、書類に書かれた名前を大声で呼ぶ。
やって来た患者に本人確認をし、薬を手渡して診察代込みの代金を受け取る。これが一連の流れだ。
流石にこの忙しさでは、てゐも仕事を渋る訳にはいかない。基本的に永琳と鈴仙のみで回す診療所だが、忙しい時は総動員だ。
「鈴仙、お薬少なくない?こんだけで足りるの?」
「ああ、その人もう殆ど治りかけだから。念のためのお薬らしいからちょっとでいいんだって」
「はいよ了解!」
やけに軽い、というか中身の無い袋を不審に思ったてゐが尋ねるが、鈴仙の言葉に納得して不安を取り下げた。
鈴仙を信用していない訳では決して無い。医療の現場でミスは許されない、その責任感を理解しているからこその確認である。
彼女が納得したのを見て、鈴仙はすぐに裏手へ。次の処方箋が待っている。
まるで戦場の如き様相を呈する診療所の仕事も、夕方から夜になれば収束した。急患でも来ない限り、今日は店仕舞いだ。
「はい、お疲れ様。いつもごめんなさいね」
「いえいえ、とんでもない!師匠こそ、お疲れ様でした」
「ん~、労働したなぁ」
所内の照明を落とし、互いに労を労う。背伸びするてゐの肩を、永琳はポンと叩いた。
「てゐもありがとう。今日はもう休んで」
「はぁい。鈴仙は?」
「この子はほら、まだやる事があるから。お薬関係でちょっと」
「私のことは気にしないで、休んでてよ」
「そうそう、明日は診療所休むし、二人ともお休みでいいわ。久しぶりに羽を伸ばして頂戴」
「ホントですか!?やった!」
弟子なのだから、仕事について教える事も多いのだろう。
薬剤関連なら自分の出る幕は無いと、てゐは久しぶりの休日に喜ぶ鈴仙を尻目に診療所を後にした。
永遠亭の母屋に戻ると、輝夜の姿が。
「お疲れ様。私も手伝おうと思ったのに、みんな止めるのよ」
ぷぅ、と頬を膨らませる輝夜に、てゐは笑って答えた。
「そりゃ、姫様にやらせるワケにはいかないですよ」
「そっか、なんかごめんね。ところで、今日はイタズラしないんだ」
その対象は主に、鈴仙に対してだろう。彼女は首を振る。
「いくら何でも、やるべき時とやっちゃいけない時はわきまえてますって」
「うん、流石は私の見込んだイタズラウサギ。いいこいいこ」
輝夜に頭を撫でられ、てゐは思わず頬を染めた。
しかしそこでふと何かを思い出したようで、彼女は輝夜に尋ねる。
「ひ、姫様。今日って土曜日であってましたっけ」
「え?うん、土曜日だと思うよ」
「そっか、それなら……あ、いえ。すいません、ちょっと出かけてきます」
「今から?ご飯もうすぐだよ?」
「すぐ戻りますから。一時間もかかりません」
「そっか。どうせ永琳たちも遅れるだろうけど、先に来てたら伝えとくね」
「お願いします」
ちなみに、てゐが敬語を使う対象は輝夜と永琳だけだ。とは言っても永琳は敬語混じり、といった感じで完全では無かったりする。
無論、永琳やそれ以外の人物を下に見ているから、では無い。何となくだ。
(明日は日曜だけどお休みか。なら……)
靴を履き、彼女は竹林を最短ルートで駆け出す。
見下ろす満月の輝きが、嬉しそうに息を弾ませる彼女の顔を照らし出した。
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外は生憎の雨だが、鈴仙はご機嫌だった。
何せ、久々の一日休暇だ。鼻歌交じりなのも許されよう。
のんびりしよう、と彼女は永遠亭の居間とでも言うべき、高いテーブルの置かれた一室へ。
するとそこには既にてゐがいて、歌いながら登場した彼女を見て笑み。
「ご機嫌さんだね」
「ま、まあね。久しぶりのお休みだもの」
「そっか。んじゃ、お茶いれてあげる」
ぴょい、と椅子から飛び降り、てゐはお茶を沸かしに備え付けられた小さな台所へ。広い屋敷だ、台所は一ヶ所では無い。
普段の食事は最も大きな厨房で作られるので、こういった小さな台所は専らお茶沸かし用だ。
(ん~、なんかアヤしい……)
椅子に座りながらしかし、鈴仙は訝しげな表情。先日、飲もうとしたお茶に酢を入れられるというイタズラを敢行されたばかりなのだから無理も無い。
「ほいよ、私がいれたんだからありがた~く飲むべし」
そんな彼女の気持ちを知ってか知らずか、妙に自信たっぷりな様子でお茶を運んでくるてゐ。ちゃんと彼女自身の分もある。
更にそのまま席にはつかず、やや大きめの深皿を持って出て行ったかと思うと、すぐにその皿に山のようにお菓子類を積んで戻って来た。
てゐは皿をテーブルに置きつつ、鈴仙の向かいへ座る。ひょい、と皿から煎餅を一枚出してかじった。
「あれ、飲まないの?」
「……あ、えっと……」
未だ口をつけない彼女を不審に思ったてゐに尋ねられ、口ごもる鈴仙。流石にストレートには言い難い。
すると、不意にてゐが手を伸ばし、鈴仙の分の湯飲みを手に取ると、ずずっと一口。
驚く鈴仙を尻目に、少しだけ減った湯飲みを彼女の前へ戻しながら、てゐは笑って一言。
「なんにもしてないってば」
見透かされていた事への恥ずかしさと、ありもしない疑いを向けていた事への申し訳無さで、少々頬を染めつつ鈴仙はその湯飲みを手に取った。
「ありがとう。ごめんね、疑ったりして」
「いいよいいよ、別に。ンなことでヘソ曲げたりしな~い」
てゐは左手をヒラヒラ振り、右手ではぱりぱり、と音を立てて煎餅をかじる。
「今日はイタズラしてこないの?」
「姫様にも訊かれたよ、それ」
彼女は苦笑いのまま小さくため息。
「別に毎日やるわけじゃ。それにほら、せっかくのお休みだし」
「へぇ、変に優しいじゃない」
「変に、は余計だよ」
くすくすと笑う鈴仙。湯飲みから立ち上る湯気の向こうで、てゐもまた笑っている。
「こうして、てゐと二人でのんびりお茶飲むのも、何だか久しぶりな感じだな」
「かもね。鈴仙、最近すごく忙しいし」
(まあ、とは言っても……)
「ん、どうかした?」
「んにゃ、別に」
何かを考えるような顔をしていたてゐに尋ねるが、すぐに首を振られた。
「まあいっか。今日は寝てようかとも思ったんだけどさ、思ったより体は疲れてなかったみたいで。
最近激務だったけど、少しは私も丈夫になったのかな」
「そのまま格闘家でも目指す?カロリー制限とかきっついけど」
「てゐに寝技を仕掛ける専門なら喜んでやろうかしら」
「ま、それもムリだろうね。鈴仙さっきからすごい勢いでお菓子食べてるし」
「あう」
会話が弾めば手も止まらないやめられない。指摘され、顔を赤くする彼女の周りにはお菓子の空き袋が陣を形成していた。
「て、てゐに言われたくないわよ!」
同様に食べまくりのてゐに向って鈴仙は指摘を返すが、
「私はいつも、頭も体も使ってるからね。ちょっとくらい食べ過ぎるくらいでちょうどいいのさ」
まるで気にしていない。何とかその余裕の笑みを崩してやりたくて、鈴仙はニヤリと笑って言った。
「その割に小さいわね」
「……大きけりゃいいってモンじゃないもん」
頬を膨らませ、てゐは”カルシウム入り!”と謳い文句のあるウエハースをばりばり。気にしているようである。
そんな彼女が少し可愛いと思ってしまいつつ、鈴仙は少々だが罪悪感を覚えたので立ち上がり、声を掛けた。
「お茶のおかわり、私が持ってくるよ」
「え、いいの?ありがと、んじゃヨロシク。ちなみに濃すぎず薄すぎずの絶妙な、底に入れた一円玉がぼんやり見えるくらいの濃度でお願いね。あと茶柱」
「……やっぱ自分で行って」
「アメリカンジョーク」
「うさ、だけに?」
「サムいよ鈴仙。チルノでも遊びに来たのかな?」
「言ってなさい!」
玄関の様子をわざとらしく見に行こうとするフリのてゐ。結局頬を膨らませて台所へ向かうのは鈴仙の方であった。
しかしこのままでは引き下がれないと、彼女はこっそり砂糖を取り出すと、てゐの湯飲みにどばどば。
その上から緑茶を注ぎ入れ、何食わぬ顔でお盆に乗せて席へ戻る。
「はいおまたせ~」
「うむ、大義であったぞよ」
偉そうに頷くてゐだが、鈴仙はそれを笑ってスルー。彼女のリアクションが楽しみでしょうがなかった。
普段やられっ放しの者からの反撃に、イタズラウサギはどう反応するのか。
(虫歯になっておしまいなさい!)
心の中で高笑いしつつ、彼女の一挙手一投足を観察。
するとてゐは、砂糖どっさりとも知らずに自らの湯飲みへ手を伸ばし―――
(よし、飲め!そして噴け!今こそマーラビットへジョグレス進化……)
――― かけたのだが、かくんと手の向きを変えると、反対側にあった鈴仙の湯飲みを手に取った。
「えっ!?」
思わず声を出してしまった鈴仙。その驚きに染まった顔を、勝ち誇った笑みで一瞥してから、彼女はゆっくりと湯飲みを口へ運んだ。
ずずーっ、と長く味わい、それを置いてからてゐは笑みを崩さず口を開く。
「甘い甘い。どうせ鈴仙のコトだ、なんか仕掛けてるとは思ったよ」
「うぐぅ……」
ちっちっ、とニヒルに指まで振られ、鈴仙は己の完全敗北を悟った。
「まあ、不意打ちとしては悪くなかったね。次の鈴仙の反撃を、楽しみにさせてもらいますよっと」
まるで師匠であるかのように言い、てゐは再びお菓子を食べ始める。
「てゐに勝っちゃったら、永遠亭っていうか幻想郷で一番タチの悪いウサギってコトになっちゃうじゃないの……」
鈴仙も反対側からお菓子をつまみつつ、ぼやく。しかしその顔は、どこか闘志を感じさせるものであった。
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別に、毎日じゃない。精々、週に二度。
だけど、だからってそれを肯定出来る訳では無いのであって。
「はぁ~……」
ある日曜日の昼過ぎ。忙しい仕事の合間に得た五分間の休憩。
テーブルに頬杖をつき、鈴仙はため息をつく。
彼女のため息の原因は、日々の労働――― では無く、いやそれもあるのだが、最も大きいのはてゐの悪戯である。
四日前、食べようとした大福にわさびを仕込まれた。
その三日前、食べようとしたオレンジが爆弾だった。
そのまた数日前は、夜勤明けに寝ていたら鼻と口に濡れティッシュを乗せられた。
お茶に酢を入れられたのはその前の水曜日。
更に数日前には、麦茶をめんつゆにすり替えられた。
ブレザーをジュディ・オング仕様にされたのはその前で、その更に前は元より短めなスカート丈をいつの間にか悩殺的短さに魔改造されていて、永琳が鼻血を噴いた。
あれは最早腹巻だ、とは傍で見ていた輝夜の弁。そのまた更に数日前は―――
――― とまあ、こんな調子で二ヶ月近く。
以前からてゐが悪戯大好きウサギであり、それによる被害を被るのは永遠亭に住まう者であれば日常茶飯事。
しかし、ここの所は明らかにおかしい。鈴仙への悪戯の比率が凄まじく高い――― 気がする。
(師匠も姫様も、最近は全然てゐにイタズラされてないって言うし……)
気になって尋ねたら、ビンゴだった。
その上、鈴仙への集中攻撃が始まったのは激務を極め始めた春先。よりにもよって、なダブルパンチで鈴仙の精神はへろへろ。
何故か、忙しさの割に肉体的な疲労をあまり感じないのは不幸中の幸いだが、何だかんだで彼女は疲れていた。
いや、疲れていると同時に、微かな苛立ちを覚えていたのも事実だ。
(まったく、こんな時くらい控えてくれりゃいいのに)
何せ繁忙期の最中。しかも、永琳が鈴仙へ仕事を頼もうとするタイミングに運悪く被る事が多く、結果として仕事の依頼が後回しにされてしまう。
師匠に頼られている、という事が嬉しい彼女にとって、その期待に応えさせてくれないてゐの悪戯に良い感情を抱かないのは当然の事であった。
まあ一々追い掛け回す自分も悪いのだが、まるで追いかけさせたいが如くに挑発してくるてゐが悪い、という事にしておく。
(こないだから何日か開いたし、そろそろかな……)
警戒し、きょろりと辺りを見渡すがてゐの姿は無い。今現在飲んでいるお茶にも異常は無い。
短いがそろそろ休憩も終わりそうだったので、椅子からゆっくり立ち上がって部屋を出た。
先は若干不安を感じたものの、何かしてきた所で受け流せば問題は無いのだ。これ以上の挑発に乗るものか。
「まだまだお仕事たくさんあるんだから、あんたに構ってる暇はないんだってば」
口に出して言いつつ、鈴仙は廊下へ。とりあえず永琳を探し、再び仕事だ。
いつ現れるか分からないてゐの事はとりあえず頭からデリートし、真面目な弟子モードに顔つきが変わったまさにその瞬間である。
がこんっ、という硬い音と共に、鈴仙の身体は大きく前方へつんのめる。
「きゃあ!?」
右足を軸に弧を描き、木の床へ胴体着陸。胸から腹にかけての衝撃に、思わずむせ込む。
廊下の一部に細工がしてあり、体重をかけると床板が外れて足を取る仕組みになっていたようだ。
「あれ、床板突き破ったの?おやつばっか食べてるからだよ」
廊下の陰からてゐが現れ、ニヤニヤと意地の悪い笑み。
「な、私は……!」
感情に任せた反論を展開しようとした鈴仙は、はっと気付く。このままでは、てゐの目論見通りだと。
額を押えて頭を二、三度振ると幾許冷静になれた。さっさと足を引き抜き、軽くスカートをはたく。
「はいはい、労働してヤセるからそこどいて」
てゐの顔を一瞥してそれだけ言うと、さっさとその脇をすり抜ける。
すたすたと歩きながら、鈴仙は内心でガッツポーズ。
(そうそう、これでいいんだ。何も構ってやる必要なんて……)
「また逃げるぞ~!」
声がしたかと思えば、背中に水爆弾襲来。びしゃり、と床が濡れる音も聞こえる。
「わっ」
一瞬だけ悲鳴を上げてしまった鈴仙だが、黙って背中が濡れたブレザーを脱ぎ、肩にかける。
「まったく……どうせ白衣着るからいいや」
後ろを振り向く事もせず、そう呟くと再び歩き始める。徹底的に構わない方針を固めたようだ。
「あれ……?」
一方、いつものように乗ってこない彼女の様子にどこか焦るてゐ。
しかしすぐに彼女は、手近な部屋を経由して素早く鈴仙に先回り。
(やっと諦めたか……)
鈴仙はちらりと後ろを見、ふぅ、と息をつく。
思ったよりもあっさり諦めた事に少しばかり安堵し、やれやれと立ち止まった彼女であったが―――
「そ~れっ!」
その声は真上からだった。瞬間、脳天を襲う衝撃と冷たさ。
「やあっ!?」
悲鳴を上げたその時には、ぽたぽたと髪の先から水を滴らせていた。
茫然と立ち止まったままの鈴仙の頭上から、再び声が降ってくる。
「ほい、これはおまけ」
その声が終わるか終わらないか、というタイミングで、軽い金属音が辺りに鳴り響いた。
鈴仙の脳天を再び直撃した後、がらんがらん、と床に落ちて回転する、金だらい。降って来たのは声だけでは無かった。
廊下の梁の上にいたてゐが、ひらりと飛び降りて彼女の前に。
「よく言うじゃない。上から来るぞ、気をつけろ……って……」
いつものように意地悪く笑っていたてゐの顔から、表情が消えていく。
目の前で、水爆弾→金だらいのコンボを食らった鈴仙は、何も言わずに俯き、立ち尽くしていた。
元野生の感覚からか、そこから異様な気配を感じ取ったのだ。
「……あの……鈴仙?」
続けて何か言おうとした次の瞬間。
「――― いい加減にしてよっ!!」
鈴仙の怒鳴り声が、張り詰めた空気を引き裂いた。
それとほぼ同時に、今度はてゐの視界が大きく動く。大きな音を立て、彼女の小さな身体が壁に叩きつけられた。
その薄い肩を掴まれ、壁に押し付けられた形のてゐだが、背中に走る鈍痛に意識を向ける事が出来ない。
何故なら、目の前の鈴仙が、長い付き合いの間でも見た事の無い――― 絶対に見せないであろう表情をしていたから。
「あんたが何考えてんだか知らないけど、こっちはもう我慢の限界よ!
私は凄く忙しいの!あんたのイタズラに一々構ってる暇なんかない!そんな事も分かんないの!?」
まくし立てる鈴仙。その真紅の瞳の奥底に、燃え上がるような怒りを垣間見たてゐは、最早言葉を失っていた。
「これ以上、私の邪魔しようって考えてるなら、こっちにも考えがあるわ……」
ぎらり、と一層の光を増す、鈴仙の目。
自然と浮かぶ涙で視界が滲んでいたが、てゐには分かっていた。
このまま壁に押し付けられた状態でいつまでも対面していたら、間違い無く正気を失う―――
「……ごっ……ごめんなさ……い……」
生存本能がそうさせたのか、弱々しい謝罪の言葉が口を突いて出た。
ひぃ、ひぃ、と隙間風のような、恐怖に掠れる息遣い。親友に対し、こんなにも”怖い”と思った事は無い。
肩を掴んでいる鈴仙にも、てゐの早鐘のような心臓の鼓動が感じ取れた。
少し乱暴に、手を離す。
「……分かれば、いいよ。ごめんね、痛くして」
その言葉には、形程の感情がこもっていなかった。
彼女が動くより早く、解放されたてゐが全力疾走でその場から去っていく。その表情は見えなかった。
(……やりすぎた、かな……)
残された鈴仙のその考えは、今度こそ本気だった。
しかしすぐに頭を振る。罪悪感に囚われている暇なんてない。
いい薬になっただろう――― 半ば無理矢理自己を正当化して、鈴仙は金だらいを拾い上げる。
濡れた髪を拭いたのも含めて後片付けに少しかかった為、仕事には数分遅れてしまった上、その日一日てゐの事が気がかりであまり仕事が捗らなかった。
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――― その翌日から、永遠亭が異様に静かになった。
最も大きな会話発生源である、鈴仙とてゐの間に会話が一切交わされなくなったのが原因である事は明白だ。
つい本気で怒ってしまい、必要以上に怖がらせたと自覚した鈴仙は、少しずつ元の関係に戻そうと会話を図る。
しかし、てゐの方が鈴仙を見るなり逃げてしまうようになった。これでは会話など出来ようも無い。
(イタズラされなくなったのはいいけど……これじゃ……)
顔を合わせる食事の時間さえ、てゐは鈴仙と出来るだけ合わないよう早く、或いは遅く来る。
徹底的に避けられているという事実に、彼女は一週間も経たずして後悔の念を抱き始めていた。
(私は悪くない……と思う。けど……)
元はと言えば、てゐが鈴仙に対して悪戯の集中攻撃をするようになった事が原因の筈だ。
それに対して怒っただけなのだから、普通に考えれば理は鈴仙にある。しかし、納得出来ない自分もそこにいて。
(そもそも、何でてゐは私だけを?)
何か恨みを買うような事でもあったのだろうか。だとすれば、そもそもの原因は自分にあるのかも知れない。
しかし、数千年を生きた妖怪兎の思考をそう簡単に読み解ける筈も無く、鈴仙は悩みながら仕事をこなすくらいしか出来なかった。
「……げ……うどんげ!」
「はっ、はひ!?」
不意に意識が舞い戻り、鈴仙は素っ頓狂な声を上げた。
目の前には、天秤ばかりの上で山のように盛られたL-ヒスチジン粉末が、ぱらぱらと皿の端からこぼれていた。
当然、はかりは大きく傾いて異様なまでの不均衡を全力で主張している。
「ちょっと、どうしたの?薬剤調整に出血サービスの精神は逆効果よ」
「も、申し訳ありません!」
アミノ酸粉末とは言え、薬剤調整は分量を正しく守らねばならない。ジョーク交じりで永琳は苦笑いだ。
そのまま瓶に一度出した薬剤を戻すのはあまり宜しく無いので、慌てて粉末を別の空き容器に入れていく。
先の説明には誤りがあった。悩みながらでは、余程の単純作業でも無ければ仕事などとてもこなせない。
つまり、激しく落ちた能率がますます足を引っ張るので、必然的に残業も増える。
捗らない仕事。増える残業と減る休憩。何も言わないてゐ。そんな最中において、鈴仙は疲弊していった。
・
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・
「……はぁぁ……」
台所に灯りが灯ったかと思うと、がたりと音を立てて鈴仙はテーブルに突っ伏した。
時刻は午後11時、日付が変わるのもそう遠くない。
この日も遅くまで仕事。普段でもこのくらい遅くなる事はあるが、最近は明らかに多い。
永琳は鈴仙の仕事が明らかに遅くなっている事を既に見抜いており、疲れの所為だと分析していた。
何とか彼女に休憩を取らせたいとも思っていたが、永遠亭の繁忙ぶりがそれを許してはくれそうにない。
(なんか、前よりすっごく疲れる……)
――― てゐと話さなくなって、もう二週間になる。
相変わらず彼女は鈴仙の事を避け続ける。あくまで鈴仙の推測だが、それ程までに彼女は自責の念を感じているのだろう。
忙しい鈴仙を思いやってやれなかった、無神経な自分を。
今の疲れや憂鬱の原因がそこにありそうな、そんな根拠の無い考えが鈴仙にはあった。
以前から忙しかったが、あれからというもの仕事による疲労が正直何倍にも感じられる。
肉体的な負担も大きく、ため息の回数が増えた。
「あ~あ、なんだかなぁ……」
声に出して呟き、ゆっくり立ち上がる。てゐとここでのんびりお茶を飲みながら会話をしたのは、どれくらい前だったか。
無性に切なくなって、そこにいられなくなった。廊下を目指す。
(もう寝ようか)
明日も早いのだから、とっとと休むに限る。彼女は永遠亭の大浴場へ。
誰も無い風呂場で入浴を澄ませると、少しだけ気分が晴れた。
夜風にでも当たって、それから寝よう――― そう思った鈴仙は縁側へと足を運んだ。
「あっ、まだ起きてたんだ。お疲れ様」
そこには輝夜がいた。座ったから縁側から足を投げ出し、ぶらぶらと振っている様はまるで子供のよう。
「は、はい。もう休もうかと……」
「そうなの?じゃあ今度の方がいいかな……」
「え、何がですか?」
何か言いたげな様子の輝夜に、鈴仙は尋ねる。すると彼女は少し考える。
「ん~……ちょっと時間がいるんだけど」
「いいですよ」
「そう?じゃ、隣に来て」
「失礼します」
輝夜が自分の為に何かしてくれるらしいとあれば、鈴仙に断る道理は無い。言われるがまま、その隣に腰を下ろした。
まず、といった感じで輝夜が口を開く。
「いつもお仕事大変ね。ホント、頭が下がるよ」
「いえ、そんな!私は師匠のお手伝いをさせて頂いているだけで」
「ウチの診療所が賑わってるのは、永琳のウデもそうだけど、あなたが可愛いからじゃないかなって思ってるの」
「な、な……」
瞬時に顔が真っ赤になった鈴仙を見て楽しそうに笑う輝夜。
ひとしきり笑った後で、彼女は再び切り出した。
「ふぅ。でさ、あの子とはどうしてまた?」
どきり、と心臓が跳ねる。『あの子』が誰を指しているのか、すぐに分かったからだ。
輝夜の雰囲気もまた、先までののんびりしたものから一転し、どこか真剣な空気を感じさせる。
「えっと、そのぅ……」
「まあ、大体想像はつくけどさ。再三のイタズラに堪忍袋の緒が切れちゃって、ケンカしちゃったとか」
何もかもその通りだった。喧嘩というより、鈴仙が一方的に爆発したと言った方が正しい面もあるが。
目の前であどけない子供のような顔で笑っている人物の、底知れぬ洞察力に鈴仙は感服していた。
「……仰る通りです」
「やっぱりね。いつ見てもあの子があんまりしょげてるから、きっと何かあったんだなって。
最近、追いかけっこしてるのも見ないし。私、あれ結構楽しみにしてるんだよ?」
「………」
上手い返しの言葉が見つからず、曖昧に笑う鈴仙。
何も言わない彼女に、輝夜はうんうんと頷く。
「そっか。それだけ聞きたかったんだ。ありがと。
そうそう、こっからは私のただの独り言だから、眠かったら戻って寝ていいからね」
(……?姫様は、何を……)
突然の独り言発言に、鈴仙は困惑した。当然、その言葉通りに戻ろうとはせず、次の発言を待つ。
輝夜は一度夜空を見上げ、はーっと息をつくと”独り言”を始めた。
・
・
・
「前に訊かれたけど、最近のてゐのイタズラは明らかに、鈴仙だけを対象にしてたわ。
それと同時に、頻度が急激に上がったのも事実。でも、その中で私はある事に気付いた」
「ある事?」
尋ねる鈴仙。”独り言”だからか彼女の方は向かないが、輝夜は答えた。
「周期。てゐのイタズラが、妙に規則的な間隔で仕掛けられてる気がしたの。
一週間に二度っていうのはすぐ分かったけど、それ以外にもありそうな気がして。そしたら案の定……」
がさがさ、と音がしたので見やれば、彼女は懐から何やら紙片を取り出していた。
綺麗に折り畳まれたそれを広げ、頷いている。
「あの、見てもいいですか?」
「独り言に付き合ってくれるの?はい、どうぞ」
今更な発言だが、輝夜は嬉しそうだ。紙片を手渡す。
それはカレンダーだった。先月と、今月。
「先々月の終わりくらいから、あなたや永琳が忙しくなったじゃない?その辺りの事を思い出しながらメモしてみたの」
輝夜の言葉を聞きつつ、鈴仙は目を丸くしていた。
マス目状に並んだそのカレンダーの、ある縦二列だけにびっしりとウサギのマークが描かれていた。
水曜日と、日曜日。ただし、日曜日は一ヶ所だけ欠けているし、二週間前のあの日を境にマス目はまっさらだ。
「偶然じゃありえないわ。これは完全に、あの子が水曜と日曜にだけ、あなたにイタズラを仕掛けているという事実」
「……なんで、でしょうか」
「そりゃ本人に訊かなきゃ分かんないけど、てゐは絶対に自分からは喋らないでしょうね。
だから、私は自分なりの仮説を”独り言”するから、気にしないでね」
そう前置き、輝夜は話し始めた。己の中にある仮説と言う名の”確信”を。
「まず最初に、これだけははっきりさせなきゃね。てゐは、あなたが嫌いとか、恨みがあってイタズラしてるんじゃないってコト」
その言葉に、ぴくり、と鈴仙の耳が反応した。輝夜は笑みを崩さないまま続ける。
「むしろその逆。あなたのことが好きで、好きで、大好きでたまらない。だからこそ、ね」
「え……えっとぉ……」
鈴仙は自然と顔が熱くなるのを感じた。仮説と言われても、輝夜が言うとこの上無いくらいの説得力が生まれる。
「その……それは、どうして……」
しどろもどろな彼女の様子に、輝夜はどこか嬉しそうだ。
「好きな子にはイタズラしたくなる、なんて言葉もあるし、普段ならそうかも知れないけれど、今回の場合は違うわね。
あなたの力になりたい、あなたを助けたい……そんな感じかしら?」
ますます意味が分からず、鈴仙の思考は混乱を極める。悪戯する事が、どうして自分を助ける事に繋がるのか。
むしろ、それが原因で二週間も会話が無くなるような溝を作ってしまったのに。
「訳が分からない、って顔してるわね。名探偵と役者は三日やったらやめられない……この言葉、今ならよく分かるわ。
っと、話が逸れちゃった。それじゃ、今から説明してあげる。
あなたへ集中してのイタズラが始まったのは、いつ頃か分かる?」
突然の質問だが、鈴仙はすぐに答えた。早く、輝夜が何を言いたいのか知りたかった。
「二ヶ月半くらい前、でしょうか。師匠がやっている診療所が繁盛して、特に忙しくなり始めて……少ししたくらいでしょうか」
「そうね。うん、やっぱり私の仮説はなかなかに的を射てるかも知れないわ」
満足げに深く頷き、輝夜は続きを話し始めた。
「あなたは連日連夜、永琳のお仕事を手伝ってたわね。普段でも忙しい時があるのに、この時期は本当に凄い忙しさ。
休む暇も殆どないあなたが疲れていくのを、見ていて辛かったんでしょうね。
そこであの子は、あなたを二つの方向で助けられる画期的な方法を考えた」
「それが、もしかして……」
「そう、イタズラすること。それも、あなたの神経をある程度逆撫でするように、挑発的にね。
さて、ここで質問。もしあなたの大切な友達が、沢山の仕事を抱えて大変そうだったら……どうする?」
いきなりの質問に、流石の鈴仙も戸惑う。
「え?えっと……それは、自分に出来るなら、手伝うと思います」
「その通り。誰だって、そう考えるわ。けど、あの子にはそれが出来なかった。
鈴仙・優曇華院・イナバは、まあ過去に色々あった訳だけど……最終的にここで暮らす事になった。
あなたを救ったのは他の誰でもない、八意永琳。だからあなたは、永琳に対していつも全力で献身する」
「………」
「そんなこんなで弟子入りして、あなたは永琳から仕事を任される事も多くなったわ。
他でも無い永琳の頼みですもの、何が何でも自分でやっつけたいと思ってしまうのも必然かしら。
永琳の役に立ちたいし、褒められたいし……それに、責任感も強い。だからあなたは、誰かの手伝いを拒んでしまう。
誰にも迷惑をかけたくない、その強い責任感が、あなたを疲れさせる」
鈴仙には、少しずつ――― 少しずつ、輝夜が何を言いたいのか、分かりかけていた。
「それは、今や強い絆を持つ親友のてゐに対しても同じだった。むしろ親友だからこそ、かしら?あの子が手伝いを買って出ても、あなたは首を縦に振らない。
何も出来ないまま、大好きなあなたが忙殺されていくのを黙って見ていたくなかったてゐは……行動を起こした。
あなたを納得させる、手伝いの方法をね」
「!!」
鈴仙は、はっきりと気付いた。悪戯されて、追い掛け回して、捕まえて、帰る。
その分鈴仙の仕事が遅くなるのだから、原因となったてゐには―――
「……罰として、仕事をさせられる……」
「ご名答。これなら、あなたに納得させるがまま、自分が仕事を手伝える。むしろ『ちゃんと手伝ってね』なんて言わせる事も出来る。
あの子は本当に仕事が早いから、あなたと手分けすれば半分の時間で全ての仕事を片づけられる。結果として、ロスにはならない……」
そこで一度、輝夜は息をついた。茫然自失な鈴仙を見て、柔らかく笑み。
「まだよ。これらのイタズラには、もう一つ意味があるの」
「……えっ?」
「言ったじゃない、二つの方向って」
輝夜は心の底から楽しそうだ。そんな彼女の顔を見つめて次の言葉を待つ鈴仙の表情は、どこか必死だ。
対照的な二人の表情を、雲間から覗いた半月が照らし出す。
・
・
・
「さて……ところで、疑問に思わない?」
「何が、ですか?」
「さっきの私の説明。イタズラした罰で、あなたの仕事を手伝える。これは分かってくれたでしょ?
けど、あなたへイタズラした後、あの子はどうした?」
思い返す。悪戯されて、ちょっとした口論の後で―――
「――― 逃げてました。いつも、それを、私が追いかけて……」
「そうよね。だけど、ここで疑問が生じるわ。
ここまでの説明なら、別に逃げる必要なんてない。すぐに捕まって、罰として仕事を手伝わされればいい。
時間的ロスを作って、仕事を手伝わされやすくするっていうのもあるでしょうね。けど、それだけじゃないと思うの」
言葉を切る。交差する互いの目線。その果てに、輝夜は口を開いた。
「ズバリ訊きたいんだけど……あなたとてゐが出ていくと、たっぷり二時間は帰って来ない。
これってさ、絶対に追いかけっこだけで二時間――― 一度や二度ならともかく、毎度はかからないと思うの。
あなた達、どこか寄り道してたんじゃない?」
「えぇっ!?そ、そんな……いや、その……」
鈴仙のうろたえぶりが、何よりの答えだった。ずっと笑ったままの輝夜に、彼女は頭を垂れて白状する。
てゐの提案で、毎回毎回里でお茶を飲んでから帰って来ていた事を。
「やっぱりね。あ、永琳に告げ口なんてしないから安心して。
でもお陰で、私の仮説はほぼ当たってたと言って良さそうよ」
「そう……なんですか?」
「ええ。もう、あなたも薄々感付いてるんじゃないかしら?
わざわざあなたを挑発して、追いかけさせる。あなたが冷静になったと見るや、追撃して怒らせる。
あの子には、何が何でもあなたに……自分を追いかけさせたかった」
「……そ、それって……もしかして……」
「薄々どころか、もう分かってるみたいね」
鈴仙は、信じられないとでも言いたげな表情で次の言葉を待つ。呼吸は荒く、心臓の鼓動は一発一発がまるで大砲のよう。
そんな彼女の顔を眺めながら、輝夜は敢えてゆっくりと続けた。
「あの子は――― 因幡てゐは、あなたを仕事の及ばない場所へ連れ出したかったのよ」
それを聞いた瞬間の鈴仙の表情――― 驚きと悲しみと嬉しさと、色々な感情がない交ぜになって、よく分からない顔。
ただ、これだけは言える。てゐを追い払った自らが、いかに鈍感だったかを思い知る。
「先にも言ったけれど、あなたは責任感が強い。仕事をサボるなんて、あなたにとって許されない行為。
てゐが休めと言った所で、あなたは絶対に休まないでしょうし、仕事もあるから休めない。
ならばとあの子は、今の忙しい仕事漬けの毎日にケンカを売った。何が何でも、例え一時間だけでも、そこからあなたを救い出す、ってね」
「………」
何も言えない鈴仙にお構い無く――― 元より”独り言”のつもりだったが――― 輝夜は話を止めない。
「あなたを徹底的に挑発して、追いかけさせる。で、里の近くでわざと捕まる。後は、丸め込めばいい。
それにこの方法なら、万一永琳にバレたとしても、『全て無理矢理連れてった自分が悪い』って言えるしね。
一時間ばかり、のんびりお茶を飲みながら過ごす。それだけでも、あなたの疲れを多少なりとも癒せるし、それに……」
「それに……?」
「何より、忙しくなってから殆ど一緒に過ごせないあなたと、一緒にのんびり過ごせる。それが嬉しかったんじゃない?
あ、あとも一つ。あなた以前、ご飯の席で大妖精……大ちゃんでいいや。大ちゃんが茶店でバイトしてるって言ってたじゃない」
「は、はぁ」
確かに以前、夕食の席でちょっとした話の種にその事を話題にした。無論、自分達が何度も行っているという部分は省いたが。
「それって、あなた達が行ってるお店?」
「そうですけど……」
答えを聞き、輝夜はガッツポーズ。まるで『私の推理は間違って無かった!』とでも言うように。
「てゐは、大ちゃんのバイトの件を以前から知っている風だった。それに、普段は一度も姿を見なかった。
つまり大ちゃんは普段、水、日曜日以外のシフト……私の考えでは、火、土曜日ね」
「どうしてですか?」
「考えても見て。季節は春、昼下がりの茶店なんて繁盛も繁盛、満席でもおかしくない。
あなたをせっかく連れて行っても、満席で入れなかったら意味がない。だからてゐは、大ちゃんに頼んだの。
前の日に店主の人に頼んで、席を一つ予約してもらって欲しいってね」
何度も驚いた後なのに、またしても鈴仙はぶったまげる。そこまで考えていたのか。
思えば、いつも偶然席が一つは空いていた。だがそれは、偶然では無かった。
「でも、そんな都合よく……」
「いくかどうかは実際分からないけど。大ちゃんのシフトは元よりそうだったのか、それともわざわざ変えたのか知らないし。
けど、もしあの子が事情を話したら……大ちゃんは間違いなく協力するでしょうね。店主さんも。とっても優しいもの。
そうだ、前にあなたがお休みだった日の前の晩、てゐがどこかに出掛けて行ったの。あれはきっと、明日は予約いらないよって大ちゃんに伝えに行ったのね」
輝夜は、そこで話を止めた。
鈴仙は思い返す。悪戯にも手間がいるだろう。それを毎週毎週、日取りと時間とタイミングも考えて。
自分が怒られる、もしかしたら嫌われるかも知れない、汚れ役とも悪役とも言える立場に自ら飛び込んだてゐ。
全てはそう、自分の為。他の誰でも無い、鈴仙の為に。
「姫様……」
「うん?」
「わ、私は……私は、どうしたらいいんでしょう……」
じわり、と視界が滲んで、輝夜の顔もよく見えない。
知らなかった。気付かなかった。とは言え、自分の為にあらゆる手を尽くしてくれたてゐを自らの手で追った。その心を存分に傷付けて。
その結果がこの様だ。もう二週間、てゐと言葉を交わしていない。それどころか、徹底的に避けられている。
「あの子……最初に言ったけど、あなたの事が大好きなの。だから、自分の行為があなたのストレスになってると知って、ショックだったのね。
消えない罪悪感が、あなたと仲良くする事を許さない。普段はのんびりしてるのに、こういう時は真面目なのよねぇ」
輝夜はしみじみと呟いた後で、鈴仙の目をはっきりと見た。
「どうすればいいか……あなたももう、分かってるんじゃない?方法は任せるわ」
「………」
彼女の言葉に、鈴仙は考えた。そしてこれまでの日々を思い返す。
(……!)
閃いた。
「分かりました……私なりの方法」
「そっか、それならよし!また仲良く追いかけっこしてる所、楽しみにさせてもらうわね」
「はい!」
ごしごしと浮かんだ涙を拭い、鈴仙は初めて笑った。
「そうそう、笑顔が一番。あ~、もう夜が明けちゃうわね。どれくらい話してたのかしら?」
見れば、東の空が白く明けつつある。だが、鈴仙は全く眠くなかった。あれほど疲れていた筈なのに。
「あの、最後に一つだけ……いいですか?」
「なぁに?」
会話の終わりを予感した鈴仙は、最後の質問をぶつけた。
「どうして、てゐはこんなに面倒な方法を?それもひた隠しにして」
「簡単よ、あなたにバレたくないから。もしバレたら、真面目なあなたは絶対にてゐを追いかけなくなるでしょ?」
「……そう、ですね……」
「それにもう一つ……恥ずかしいから。孤高の素兎が、あなたに全てを捧げる勢いで色々やってるなんてバレたら一生モノよ」
何とも、てゐらしい理由だった。鈴仙も納得し、頷く。
それを見届けた輝夜は立ち上がった。
「んじゃ、私はもう寝るわね。お肌が荒れちゃう」
「お休みなさいませ!」
伸びをしてから縁側より去っていく輝夜を見送る。
誰もいなくなった縁側で、鈴仙もまた思いっきり伸び。
「さぁて、準備しなくっちゃ!」
言うと同時に、空の端から太陽が姿を現した。
・
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翌朝――― とは言っても、鈴仙にとっては起きたまま数時間後――― 朝食の席。
鈴仙はあっという間に朝食を平らげ、席を立った。
それから数分後、こそこそとてゐがやって来る。相変わらず、鈴仙がいなくなるタイミングを計っているようだ。
もそもそと朝食を食べ終え、彼女は席を立つ。
ゆっくり歩く彼女の顔には覇気が無く、いかにもな浮かない表情。その頭の中には、鈴仙の顔が浮かんでは消える。
(……れーせん、どうしたら許してくれるのかなぁ……)
あれ程までに怒らせてしまったのは初めてだったから、どうすればいいか分からない。
消化不良な想いを抱えたまま鈴仙の顔を見ていたら泣いてしまいそうで。だから、ここ最近は碌に彼女の顔を見ていない。
憂鬱な気持ちのままとぼとぼと歩き、てゐは廊下の角を曲がろうとした。まさにその瞬間である。
「巨大ウサギはっけ~んっ!!」
能天気な叫び声が響き、はたと足を止め、顔を上げる。
それと同時に、てゐの脳天に何かが直撃。
「きゃああ!?」
久々に悲鳴を上げ、前方につんのめる。びしゃりという液体音に、てゐは自らに起こった事を理解した。
水爆弾。自分が散々悪戯に使ったツールが、自らに。
頭から肩、腕にかけて滴り、或いは飛び散った液体を見てみたらまたしてもてゐはひっくり返りそうになる。何と真っ黒。
入っていたのは水では無い。墨汁だ。
「な、な……」
「巨大生物に会ったらまずはマーキング!目は覚めた?目覚めの一撃は威力三倍らしいし」
ウキウキと弾んだ声に、てゐはがばっと顔を上げた。梁の上から、ふわりと鈴仙が目の前に降り立つ。
「れ、れ、れ……」
「お出かけですか、っと。それにしてもひどい頭……流してあげる!」
「れいせ―――」
てゐの呼びかけは、ざっぱ~ん!という豪快な音に洗い流されてしまった。鈴仙が、曲がり角に隠していた水入りバケツを思いっきりぶっかけたのだ。
「くくく……あっはっはっはっはっはっはっはっは!!びしょ濡れじゃない!あははははは!!」
ぽたぽたと全身から灰色の水を滴らせ、茫然と立ち尽くすてゐ。それを見た鈴仙は大爆笑。
「れ、鈴仙……」
「ん?おかわりならまだあるよ。それっ!」
「いらな……あ~っ!」
ざっぱ~ん!と本日二度目の零距離放射。大分クリアな色になった水をぽたぽた垂らし、とうとうてゐは叫んだ。
「鈴仙!!何すんのさいきなり!!」
「おかえしだよ!ほ~ら、ここまでおいで!」
バケツを投げ捨て、走って逃げだした鈴仙。瞬時に全身の血が熱くなる感覚を覚えたてゐは、いつの間にかその背を猛然と追い始めていた。
「待てぇぇぇぇ!」
玄関より吹き抜ける春一番のような勢いで、立場逆転した二人のウサギが飛び出していった。
・
・
・
・
竹林をあっという間に抜け、久しぶりの草原。
「捕まえてごらんなさ~いっ!」
浜辺で言ってみたい台詞ランキング上位確実の台詞を口にしながら走る鈴仙だが、流石に息が切れている。
「はぁ、はぁ……流石に、ヤバいかも」
鈴仙のスピードが明らかに落ちた、その隙をてゐは見逃さない。
「――― れぇぇぇぇいせぇぇぇぇぇぇんッ!!」
どこぞのダンボールマニア的叫びと共に、てゐは鈴仙の背に肉薄、地を蹴った。
突進のような勢いで、鈴仙の背中に飛びつく。腕をしっかり回してホールド――― したはいいのだが、その勢いが強すぎた為に鈴仙は支えきれず、身体を投げ出した。
「うわわわわわわっ!」
てゐを背中にくっつけた鈴仙は、勢い良く丘をゴロゴロと転がっていく。
丘を転げ落ち、ようやく止まった。
「あ~、負けたぁ。いつも捕まえられるから、逃げ切れると思ったんだけど」
鈴仙は笑いながら言い、身体をよいしょと起こす。
だが、てゐは彼女の背中にがっちりしがみついたまま離れようとしない。
「……てゐ?どしたの?どっか痛い?」
すわ怪我でもしたか、と鈴仙は焦るが、そうでは無いとすぐに分かった。
「……っ」
ぎゅう、とより強い力を込めて、鈴仙に抱きつく。表情は見えないし、何も言わないけれど、鈴仙にはすぐに分かった。
「……もう、怒ってないよ。私こそごめんね。あんな目くじら立ててさ」
「……ごめんね、れーせん」
「いいってば。てゐは悪くないよ。私が言うんだから元気出しなさいって」
よいしょ、と腹部に回されたてゐの手を外す。強い力だったので苦労した。
しがみつかれるのが嫌だったのでは無い。正面から、自分もてゐを抱き締めたかった。
「!!」
突然鈴仙に抱き寄せられて、てゐは息を呑む。
「やれやれ、びしょびしょだ。流石に水二杯はキツかったかな」
濡れてくしゃくしゃの黒髪をそっと撫で、鈴仙はばつの悪そうな顔をした。
「い、一杯でも変わんないよ」
弱々しいが、いつもの彼女らしいツッコミが返って来たので、鈴仙は無性に安堵する。
「さて、と」
てゐの身体をそっと離し、鈴仙は立ち上がった。
「せっかく里の近くまで来たんだ、お茶でも飲んでこっか」
「えっ!?」
てゐはまたしても驚きの声。あの鈴仙がそんな事を言うなんて思ってもみなかった。
しかし、彼女はニヤリと笑う。まるで、以前のてゐのように。
「朝なら席も空いてるでしょうし……それに、てゐと話したい事、沢山あるからね」
その言葉に、てゐは一瞬顔を明るくする――― がしかし、
「で、でも……大丈夫なの?お師匠様に怒られたりとか……」
そう言ってどこか怯えた顔だ。てゐらしくない台詞だ、と思いつつ、鈴仙は『じゃあ』と続けた。
「まだ追いかけっこ継続中って事で。まだ捕まってないんだもの、帰れないでしょ?」
そう言うと、彼女は先に里へ向かって歩き出した。
少しの間立ち尽くしていたてゐも、段々と顔を明るくし、ついにいつものような笑顔に戻って彼女の背を追った。
追いつき、肩を並べる。
「いやあ、逃げる側に回った鈴仙は速いなぁ。なかなか差が縮まらない」
「ふふん。あんた相手なら歩いてたって捕まんないよ。おほほほほ~ですわ」
「お、言ったな。じゃ、私も歩いて捕まえよっと」
「それじゃ、私はあちこち逃げるから。お茶屋さんだけじゃなくて、色んなお店」
「なにぃ、それじゃあ私も追いかけなきゃならんじゃないか~。いやあ辛い辛い」
いつしか手を繋いで歩きながら、そんな会話。手を繋いだだけでは、捕獲の内に入らない。
やがて見えてきたいつもの茶店。営業中の看板が、朝日を反射して眩しい。
「よし、まずはあのお店に逃げ込むぞ~。あばよとっつぁ~ん」
「まて~るぱ~ん、た~いほじゃ~」
間延びした口調でのやりとり。無性におかしくて、大きな声で笑った。
里の大通りのど真ん中で、最高に楽しそうな笑顔で笑い声を上げるウサギが二人。
どうしても視線を集めるが、構うものか。目の前の相手と一緒に笑っていられる、それだけでいい。
一しきり笑った後で鈴仙はそっと、てゐに囁いた。
「……帰ったらさ、一緒に師匠に怒られよっか」
「もちろん!!」
笑みと共に頷き合い、二人は一緒に暖簾をくぐった。
――― この日の”追いかけっこ”は、相当な長丁場になりそうである。
周りのキャラたちがしっかりと生きているのもすばらしい。
そしてやはり氏の作品に大ちゃんは欠かせませんね。細かいけど重要なところに出してくるあたり、深い大ちゃん愛を感じます
輝夜があんなに完璧に推測しているのを考えると、永琳も分かってたんでしょう。
鈴仙愛されてるなあ……。
大ちゃんがなんかどんどん色んなジョブをマスターしている気がする……!
とても良い話でした
心があったかくなりました。
最後はバカップルと化していた二人ですがとてもなごみました。
てゐとウドンゲの関係を見ていてすごくほっこりとした気持ちになりました。
好きすぎて三回くらい読みました。
>>アストレイ様
ギャップだとか、表裏一体という言葉には結構な魅力が隠れていると思いませんか?キャラに関しては一番力を注いでいる部分なので伝わっていると嬉しいなァ。
大ちゃんはもういないと始まりません。隙あらばねじ込みます。あくまで自然な流れでですが。
>>奇声を発する程度の能力様
幸せウサギのお力に、ウサギさんの愛らしさで癒し相乗効果。嗚呼素晴らしきかな幸せウサギ。
>>8様
『おちゃらけているようで、実はすっごく頭がいい』キャラの代表格だと思います、てーちゃん。永琳も、弟子をいつも思いやってますから。
メイド長代理だったり郵便屋さんだったり砂糖菓子職人だったりウェイトレスさんだったり、な大ちゃん。好き過ぎてごめんなさい。
>>9様
その一言の感想の為に頑張っているッ!読んで頂けただけでなく感想まで頂けちゃいますと、本当に書いてて良かったなァと。
>>10様
喧嘩するほど……は意外と心理。心の奥底では、きっと誰よりも……。
>>11様
たった二文字なのに色々込められてそうでうむむ。うさぎ愛好家の皆様を唸らせる作品であったならばいいのですが。
>>16様
幸せウサギは人を幸せにし、最後に自分も幸せになるのです。皆様にも幸せ、伝わりましたか?
>>18様
一緒ならどこまでもぶっ壊れられる、そんな関係が羨ましくてたまりません。最高のパートナー。
>>20様
ほんの少しでも、あなたの時間を素敵なものに変えられたのなら、それだけでこのお話が生まれた意味は確かに存在しています。
>>25様
びしょ濡れでも墨で真っ黒でもスターAKEBONO風衣装でも、仲良しさんならきっと美しい。はず。
>>27様
お話の展開や登場人物の思惑などの兼ね合いで、こういう形に。少々ご都合主義だったかな、という反省はいつもの事になりつつあってちょっぴり落ち込む。次に生かします。
>>29様
なんと、お待ち頂けたと。有難う御座います。次にまたそう言って頂けますように。
>>30様
確実に『言われて嬉しい感想ベスト3』に入ります。大好きなキャラの魅力が少しでも伝わったんだなぁと。小説書きやってて本当に良かった。
>>33様
ライバルで、親友で、背を預けるパートナーで、誰よりも傍にいてくれる大切な存在。今回の裏テーマは”絆”です。
>>39様
いやはやそこまで言って頂けると頬が緩みます。ダルダル。
何度読んでも面白い、そんな作品を書く作者でありたいと願わずにはいられません。願うだけじゃなくて努力もします。
ある意味本人達以上に二人のことをよく分かっている輝夜も
カリスマ溢れててとても好みでした。
面白かったです。