大学のカフェテラス。
大きく切り取られた窓ガラスからは柔らかな陽光が入りこんでいる。
まるで光の帯のようだ。幻想びいきなメリーなら妖精さんが舞っているとでも表現するのだろう。
私は微少な埃が光を適度に反射する現象――いわゆるチンダル現象が妖精のように誤認されることはありうるだろうと規定する。
まあそれは見方の違いだ。
今は静かな時間。
午後になれば人がたくさん訪れるここも、午前十時三十ニ分を四十ニ秒ほど経過した今現在にあってはまだ喧騒とは程遠い。
メリーは右手で優雅に紅茶をたしなみつつ、もう片方の手では無粋なことに新聞を握っていた。
この場合、無粋というのは二重の意味がある。
ひとつは紅茶をたしなむ時間に無骨な灰色の紙を目の前でちらつかせるという行為に対して。
もう一つは私という存在が目の前にありながら、人間が司る最良のコミュニケーションツール、いわゆる会話を選択しないことに対してである。
「ねえ、メリー」
と、私は口に出す。停滞していた時間は私の一言で決壊した。
「ん?」
「何読んでるの」
「見てわからない? 新聞だけど」
「とんちじゃないんだから……」
「うーん。そうね。たいした記事じゃないんだけど」
メリーが見せてくれた記事はどこにでもあるような残酷物語。
大きな見出しで、子どもが親を殺した記事が一面に載っていた。
それだけだった。
そう、それだけ。
どんなに異常なことだとはいえ、この国に人類が億単位で暮らしている以上、殺人事件なんて珍しくもない。テロだってなくなっていないし、他国では戦争だってなくなっているわけではないのだ。いまさら、人が人を殺した程度で記事になるなんて、『あら平和な国ですこと』と評価されてもおかしくはない。
逆に言えば、その程度のことにメリーが興味を持ったことが変といえば変かもしれない。
「どういうことなの?」
私は素直に尋ねることにした。
メリーは手のひらを口もとに持っていって含み笑い。
「もしかすると、これは人類にとって善いことなのかもしれないわ」
「人殺しが? それとも親殺しが?」
「人殺しが、かしら」
「ふぅん……」
私はしばし考える。こう見えても考える能力はある方だ。メリーの少ない言葉から推測するぐらいわけはない……と思いたい。
殺人が一般的に悪いことは、まあおそらく大方の人間が頷くところだろう。
親殺しが普通の殺人より倫理的に重い意味を持つということもたぶん半分ぐらいはうなずける。昔は尊属殺人とかあったくらいだし。
ただ今回は人殺しがメインテーマらしい。親殺しかどうかは今回の事案がたまたまそうだっただけで、メリーは殺人自体を祝福しているのだ。
しかし、その結論は先の一般論とは矛盾する。
情報が足りない。
「ヒントが欲しいって顔をしているわね」
「さしつかえなければお願いするわ」
「胎児の夢」
「胎児の夢?」
「そう……、胎児の夢」
メリーは目を細めて宙空を見つめる。ぼんやりとした視線の先にはこの世ならざる何かが見えているのだろう。
「降参だわ」
「あら早いわね」
「降参が全面降伏とは限らないわ。だって、前提からして間違ってるかもしれないじゃない」
「どういうことかしら?」
「私はメリーがどうして記事に興味を持ったのかを知りたいと思った。だからそれをメリーの問題だと設定した。メリーも私がそう考えたのを察して、ヒントを出そうかと提示した。けれどよく考えたら、問題だと設定したのは私のほうで、これが本当に問題といえるほどにフェアなものなのかは不可知なのよ」
「ずいぶんと理詰めな考え方。要は解けるたぐいのものじゃないってことが言いたいだけじゃない」
「まあ、そうなんだけど」
まあ、そうなんだけどちょっと悔しいじゃない。
「拗ねなくてもいいじゃないの」
「べつに拗ねてません」
「ほら機嫌なおして。きちんと説明するから」
2
「どうもこの国の人たちって、手を動かすことに対しては勤勉だけど、思考することに関しては怠惰よね」
誰からもらった言葉なのだろう。
メリーの言葉は柔らかな物腰にくるまれているせいか、そんなに辛らつには感じなかったが、わりと痛いところを突かれたように思えた。
しかし、反論のひとつぐらいは言ってやろう。
「ずいぶんとひどい言い草」
「でも本当のことじゃない」
「考えている人だっているわよ」
「そうかしら? この国って要するに正義がない国なのよね。それも当然といえば当然のことで、欧米の正義は社会契約論が基礎になっているわけだけど、日本の場合は輸入してきたから変になってくるわけよ」
「んー。概念の輸入には慣れてると思うけど」
「そうね。でもそれって概念の変質を許すってことでしょ。キリスト教だって本場と比べたら別物よ」
「そりゃそうかもしれないけど」
「この国における正義って、要するにしきたりどおりにしなさい程度の意味しかないわけよ」
「それは言いすぎじゃないかしら。わたしだって、例えば人を殺してはいけないぐらい。法律を検討するまでもなく知ってるわよ。それが正義に沿うことも」
「蓮子が言う正義は共同体主義や社会契約論以前の正義に思えるわ」
「田舎者っていいたいの?」
「純朴っていいたいのよ」
「でも同じ意味」
「とらえ方次第では、そうなのかもしれないわね。でもわたし自身としてはそんなに悪くない選択だといえるわ。正義の根源を契約ではなくて、個人単位で見ているもの」
「ますますわかりにくいわね。いきなり正義論に飛んだかと思えば、私の正義を分析しようとしているわけ?」
「分析できるものじゃないわね。先にも言ったとおり、この国の正義は思考停止で成り立っているの。直感主義にかなり近いところにある危うい概念なのよ」
「ふぅん?」
「たとえば、そうね……簡単な命題。冷たい方程式ってあるじゃない」
「ええ」
それぐらいは私も知っている。
宇宙船に密航者が一人いて、密航者を殺さなければ目的地につかない。宇宙船を操縦できるのは自分で、目的地には病の治療薬を待っている人が沢山いるという例題だ。
もちろんこの場合、一人の人間と大勢の人間のどちらを助けるかという問いが設定されているわけである。
「どちらがお望みの結末かしら」
「問い自体が気持ち悪いわね」
「そうね。でもその決断が迫られる立場にいる人間もいるわけでしょ。この国は……そうではなかったわけよね。歴史的に見ても、大過があればそれは人ならざるものの責任だったの。正義の根源とは責任をとるべき人が責任をとることにあるわけだから。人の責任でない以上、正義に反する人はいない。つまり、トップに立つ人はいつだって責任をとってこなかった」
「メリーは腹切り知らないの。あれなんて究極の責任の取り方でしょ」
「もちろん人がしたことに対しては責任が設定されていたわ。でも、人がどうしようもないことに対しては目をつむって思考停止してきたの。例えば、冷たい方程式にしたって、多くの人間は『しかたない』として一人を殺すか。『しかたない』として大勢を見捨てるかするのよ」
「人間だったら誰だってそうするでしょ。欧米式の考え方は違うのかしら」
「少しニュアンスが伝わりにくかったかしら。私が言いたいのは、日本人はそういう立場に立ちたくないし、永久に決断しないでおきたい民族なのよ」
「それが悪いことなの?」
「いいえ。悪いことではありません。日本人の正義は日本人の無意識の中に宝石箱みたいに大事に仕舞われているのよね。だから、怖くもあり、好奇心もありってところかしら」
妙な話だ。
メリーらしい幻想的な話。
正義という社会に密接な概念すらも、メリーからしてみたら宝石のように眺めて遊ぶ道具に過ぎないのだ。
話半分に聞いておかないと、こっちが疲れてしまう。
「それで?」私は話を切り替えることにした。「正義の話はわかったけれど、それが今回の話とどう関わってくるの?」
「日本式に考えると正義は常に身近なところにしかないのよね。手を広げられる範囲でしか無い。逆に言えば、ほんの少しでも手に余るようならもはや正義の領域ではなくて神さまの仕業ということになる。人を殺すのも――同じように言えないかしら」
「人を殺すなんて究極的に個人的な所業じゃないの」
「本当にそうかしら?」
メリーはじっと私を見つめてきた。
わずかに冷たく、それでいて理知的な視線。その視線が私の顔をなめまわすように見ている。
がんばれんこ!
ここがふんばりどころよ。
メリーは私を試しているのだ。馬鹿な女なんて思われたくない。
「ぷっ」
「え?」
「だって、蓮子がずいぶんとかわいらしい顔をしているんだもの」
「んもう。私は真面目に考えてるのに」
「ふふ。ごめんなさい。べつに茶化してるつもりはないのよ」
「それで……、メリーはこういいたいわけ? 殺人が個人から離れていってるから、つまり神さまの仕業になってるから悪いことではなくなってると」
「惜しいわね。その言い分だと確かに悪いことではなくなってるかもしれないけれど、善いことではないじゃない」
「んー、そうか」
「ここでもう一つヒント。人の歴史において殺人という行為はだんだんと個人の領域を離れていってると言えないかしら。例えば、大昔は剣や槍で殺すしかなかったわけだけど、そのうち銃や爆弾ができて、それからレシプロ機、戦闘機、戦車、最後には小さなボタン一個に成り果ててしまった。間接的に人を殺すのが主流になっていったわけよ」
「痴話げんかでは今でも包丁が大活躍じゃないの」
「私は歴史の話をしているのよ」
「歴史ねぇ……」
時間と場所に規定される歴史のことなら、私のほうが詳しいはずなのだが、どうも会話の主導権はメリーに握られっぱなしのようだ。
悔しくもあるのだけど、そういう会話が心地よくもある。
なにより、メリーの言葉に対する力の入れ具合が妙に耳触りがよいのだ。
まったくもう……、メリーは私を洗脳しようとしているんじゃないかしら。
「洗脳なんてしようとしてないわよ」
「心のなかをよまないでよ」
「だって、蓮子って肝心なところですっごくわかりやすいんだもの」
そして優雅に笑う。
まったく。まったく。もう。
「とりあえず、まとめるわね。殺人は少しずつ人の手を離れていきました。これが歴史の流れよ。そして日本式の考え方では個人の領域を離れてしまうとそれは罪でなくなるわけだから、人はだんだん人を殺すことの罪から逃れていったわけよ」
メリーの言葉はずいぶんと抽象的だった。
あまりにも抽象的すぎて現実離れしている。
たとえば、いまの時代でも当然殺人罪はあるわけで、人を殺せば罪になる。けれどメリーが言いたいのはそういうことではなく、人という種に対して言及しているらしい。
なるほど少しわかった。
メリーがあの新聞について述べたのは、個人であるところの子どもが親を殺したということではなく、誰でもない少年Aが被害者Vを殺したことを指しているのだ。
なるほどなるほど。
何度か頷いてはみるものの、だからといってどうして殺人が善いのかはやっぱりわからない。
人の手を離れた『殺人』が悪いことでないのは、論理的には理解できる。しかし、それを善いことであると評価する論理が思いつかない。
あ。
でもよく考えると……。
「ねえ、メリー」
「なにかしら」
「メリーの言う『善い』ってどういう概念なの?」
「少なくとも『悪いことではない』といったような消極的な概念ではないわね。もっと積極的に、なんとなく救われた気分になれるような、そんな感じよ」
「もしかして裏のめし屋の炒飯がおいしいとかそんなのと同じレベルなの」
「いえ、ちゃんと蓮子にも、第三者にも伝達しうる概念として考えてるわ。そうね。真面目に言うと、自由であることかしら」
「自由であるためには人を殺してもよいって考えてるの?」
「そうよ。人を殺す程度、自由のためならしょうがないわ」
「どこの革命家よ」
「まあそこまで極端な話でもないわ。わかりやすく言えば正当防衛よ。自分の自由を守るためなら人を殺す場合もあるといってるの。そのとき正当防衛は私にとっては正義に適う行為だわ」
「正当防衛が正義と言っているわけね」
「そうよ。もうほとんど答えを言っちゃったも同然ね」
そんなことをメリーは言っているけれど、やっぱりよくわからない。
殺人が正当防衛で正義に適うという主張はわからなくもないけれど、そもそも新聞にはただ単に子どもが親を殺したとしか書いてないのだ。
もしかするとメリーの謎の情報網で、そこらの事情を知っていたとかいうオチなのだろうか。
「ねえ、メリー」
「ん。答えがわかったの?」
「いいえ。質問だけど、メリーは新聞の少年Aが親を殺したときの状況を知ってるの?」
「状況?」
「例えば、その子が親に虐待されていて、それで正当防衛で殺しちゃったとかそんな話?」
「いいえ。まったく知らないわ」
「じゃあ、その子でなければ成立しないような話?」
「んー。それは……」少し言いよどむ。「そうかもしれないわね」
「というか――推理で答えがでるような類の話なの?」
「推理では無理かもしれないわね。けれど――答えは既に持っているかもしれないわ」
にやにやと不敵に笑うメリーの顔が憎らしい。
かわいさあまって憎さ百倍という言葉を、身体の芯から理解しているなんてこの大学でも私ぐらいなものだろう。
もう、なでまわしながらグリグリしてやりたい。
「降参かしら?」
「ああ、んもう。ギブギブ。私が悪かったわ」
「そう。じゃあ――、これから私についてきてもらえるかしら」
3
メリーが向かった先は大学の図書館だった。
広く大きな図書館で、私も時々は足を運んでいる。天井が高いのが特徴で、普通なら二階部分にあたるところを吹き抜けにしてしまっている。どこか魔女の館を思わせるようなそんな優しい気配がある。
平日の昼ということもあって、人の姿はまばらだった。
図書館なので一応黙ってついていっているが、いったいどこに向かっているのだろう。
二階からさらに階段をあがり、最上階の五階についた。五階の一角には資料室と呼ばれる部屋があって、そこには古い紙の媒体が置かれている。
「新聞のときも思ったけど、いまどき紙ですかぁ……」
本も新聞もまだまだ普及しているけれど、少し割高で大学生としては辛いのだ。電子データの売買のほうがずっとお手軽で簡単で私としては一押しである。メリーは懐古趣味がすぎるのだ。
「あら。紙はいいものよ。人間は千年以上は紙に慣れ親しんできたんだから、もうDNAレベルで刷り込まれてるわよ」
「確かに電子ブックよりは目が疲れないけど」
「それにね。紙にはインクの匂いがついてるじゃないの。古本屋めぐりとかすると楽しいわよ」
「かび臭そう……」
「失礼ね」
「それで? ここの新聞にいよいよ答えが載ってるわけね」
「そうよ。答えは秘してあるからこそ楽しいのに。蓮子は本当にせっかちさんね」
「現代人らしくせっかちで結構です」
メリーとは違うのだよ。メリーとは。
だいたいメリーはいつもふんわり調子が過ぎて、授業にもおくれがちだし、お寝坊さんだし、無理やり起こして着替えさせて授業の用意までさせていっしょに登校する私の身にもなってほしい。
「そんな調子じゃ人生楽しめないわよ」
「人生短いんだから圧縮したほうがいいじゃない」
「人生は短いんだから圧縮しないほうがいいのよ。ほら、ふとんだって圧縮してるぴちぴちのやつよりふんわりしたやつのほうが気持ちいいでしょう」
「喩え方が不満」
「残念ね」
そんな調子で言い合いながらも、メリーはちゃんと目的のものを探していた。
答えが載ってある新聞紙。
ずいぶん古いものだ。十四年ぐらい前のものだった。
「これは?」
「見てのとおり新聞よ」
「とんちじゃないんだから」
「あら天丼」
「ギャグでもないわよ」
「ここよ」
メリーは華奢な指先で、あるひとつの記事を指差した。
いや――記事と呼べるほどたいしたものではない。細長い三センチ×十五センチぐらいの枠に囲まれた小さなコラムだった。
とりあえず読んでみる。
胎生環境と悪の控除について
人が人を育てるという行為、教育するという行為に共通して言えることは、時間との戦いであるということです。人は長ずるにしたがって脳の柔らかさが失われ、筋肉の柔らかさが失われ、神経は劣化します。一言で言えば老化という現象によって、さまざまな教育を施すことが困難になっていくのは、皆様の経験からしても明らかであると思います。幼い頃は成長という言葉で修飾されているため気づきにくいのですが、老化という現象は不可逆的で例外はありません。人はどの時点においても老いていっているのです。
では、生存時間の最も最初期である胎児の時期はどうでしょう。
このとき人の可能性は無限に限りなく近接していると言えます。つまりこの時期における教育こそが最も効率的であり、生まれてからでは二度と手に入らない黄金時代であるのです。
我々が提唱する技術『胎生環境控除措置』は、この人間の黄金時代において適切な教師をつけようというものです。
ところで胎児は、実をいうとまんじりと眠っているわけではなく、ある種の教育を日々受けているのです。胎児は生まれてくる日を夢見ながら、生まれたあとにどう生きればよいかの大綱的な教えをそのDNAに刻まれた記憶から解凍し読み取っているわけです。
例えば、鹿が生まれたあとすぐに立ち上がるのは、胎児の夢の教育の賜物であるといえます。同じく魚が生まれてすぐに泳げるのも胎児の夢のおかげです。もちろん人間も例外ではありません。
人間に限らず高等な生物はDNAによる教育を受けていると言えるのです。
しかし、このDNAによる教育は必ずしも人間にとって、とりわけ人間が作り出してきた正義や倫理といった観念にとって、当を得ていない場合がありうるのです。
むしろ、人間にとって悪と呼ばれる概念を助長することが多いのです。
なぜなら、先に述べた教師役であるところの胎児の夢は総じて悪夢であるからです。これは当たり前のことなのです。胎児は成長するに従って、数千倍に濃縮された生命の歴史を一息のうちに眺めていきます。すなわち胎児の夢は生命の歴史なのです。
では生命の歴史はどんなものだったか。
言うまでもなく生命の歴史は戦いの歴史といえるでしょう。殺戮、略奪、裏切り、食うか食われるか、そんな闘争と逃走と穢れに満ちた歴史こそが、生命の断ち切れない業というもの。人間が生まれてからもその歴史は変わることなく続きます。むしろ高等になった分だけ、虐げる方法は巧妙を極め、人を蹴落とし、嫉妬し、不快極まる負の感情をその小さな脳みその中にぐつぐつと沸騰させているのです。
仮に人の歴史に表題をつけるとするならば『呪われた歴史』あるいは『血塗られた歴史』あたりが妥当でしょう。
このように人は最も大事な教育期間に、人間と生命の呪われた部分を拒否することもできないまま見せられ続けるわけです。そのとき、胎児の未発達な心のなかには呪われた因子が永久に刻みこまれるわけです。皆様も経験がおありでしょうが、幼児期の記憶はなかなか忘れないように、胎児の記憶は死ぬまで消し去ることができないわけです。
そこで我々は考えました。この胎生環境を適切に整えて、胎児が悪夢を見ないで済むのならどうなるだろう、と。
技術的な事柄については紙面が足りないので省略しますが、それは我々にとって決して不可能なことではありませんでした。もちろん怒りや闘争心がまったくなければ、生きていくことは困難です。しかし、千倍に濃縮した悪夢より、善き夢と悪夢とを適切に見せることが、人間として生きるうえでの最高の教育になりうるのではないでしょうか。
昨今では子どもが親を殺すというような凄惨な事件も増加しておりますが、我々の技術によって適切な教育を施せば、そのような事件はひとつもなくなるものと信じております。
4
「ふうん。だいたいわかったけど」
「ね。反吐がでちゃいそうでしょう」
綺麗な顔して毒を吐くメリー。恐ろしい子。でも言いたいことはわからなくもない。私も生理的な嫌悪感は沸いたし、なんだかすごく神聖な部分を穢されたような感覚を受けたから。でもそういう感覚的な事柄で科学を否定するのは、私のスタンスとしてはまちがってるかもしれない。
なので、適当にお茶をにごす。
「そんな技術があるなんて知らなかったわ」
「今では廃れてるから知らなくて当然よ」
推理物としては、やっぱりアンフェアだ。
メリーはずるい。
「加害者の少年Aって、この……えっと『胎生環境控除措置』とかいうのを施された子なわけ?」
「おそらくね」
「おそらくって……」
「被害者さんの苗字が珍しかったでしょう。で、殺された町区の名前もほかの新聞に載ってたんで、ちょっと調べてみたのよ」
「そう……」
奇妙な沈黙だった。
なんとなく疲れたような気分。けれど、メリーが言いたいこともわかる。
正当防衛といえなくもない。
「人間が作り出したたかだか五千年程度の技術が、四十億年ぐらいの生命の歴史、二十万年くらいの人間の歴史に敵うわけもないのよ」
メリーの一方的な勝利宣言である。
ちょっとだけ納得ができない。
これではまるで科学が悪者みたいではないか。幻想だけが一方的に善いなんて考え方、やっぱりどこか偏りがあって、まちがっている。だいたい少年Aは得体の知れない解放感にむせび泣いたかもしれないが現実的には血塗られていて刑務所だか少年院だかに缶詰にされるわけだ。幻想的にはどうであれ、少年Aは親を失い自由を失った、そしておそらく自分に対する誠実さも。少年Aは最悪な選択をしたんだ。――私はそう思う。
けれど、今回ばかりは分が悪い。なにしろメリーが言うように四十億対五千ではそもそも話にならない。
なにか意趣返ししてやろうと思ったが、結局思いつかなかった。
新聞を元に戻し、私とメリーは再びカフェテラスへと帰る。今日の講義はもうないので、ちょっと休憩したらショッピングにでも無理やり連れていこうかしら。
メリーは幻想側が勝利したのがよっぽど嬉しいのか、さっきからニヤニヤ笑っていて憎らしい。
まったくもう。
「あー、そうだ。メリー」
「なにかしら蓮子さん。うふ」
「気味悪いわね」
「ひどいわ。これがありのままの私なのに」
私は無視して質問することにする。
「今日の話で一つ腑に落ちないことがあったのよ」
「ん?」
「蓮子さんの推理力をもってすれば全部まるっとお見通しなのよ」
「ふうん。なにかしら」
「メリーの説明だとね。なぜ少年Aの事件について調べようと思ったのかの説明になっていないのよ」
「ああそんなこと……。特に理由はないんだけどね。あの新聞には加害者の発言としてこう書いてあったのよ」
――私には殺せたんだ
「というふうにね」
メリーは微笑を浮かべた。
暗い海を泳ぐ胎児のように。
幼さ残す蓮子&魔性感溢れるメリーと、全部がツボなお話でした。
江戸時代の子育ては御腹に子供がいるときから女大学やら何やらを読んでたそうな。
違法性阻却事由なんだか責任阻却事由なんだか
メリーの人を食ったような話し方も抵抗感を覚えました。
この少年は十人目の狂人とは違って紙のみから夢を見てしまったのだろうか。
いつも氏の作品読ませてもらってます。
気に入りの作品になりました。こう言ったアカデミックなテーマを読む人に受け容れられる作品に昇華させる、超空気作家まるきゅー様の手腕は本当に素晴らしくまた恐ろしいです。
DNAに従えることこそが自由か