Coolier - 新生・東方創想話

原因において自由なこいし

2011/05/27 21:52:30
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 久しぶりのお家。
 こいしはダイニングルームでテレビデオを視聴していた。
 実はラウンジにももう一台あったのだが、無粋にも壊れてしまったので(根性が足りないのだわ)しかたなくここで見ているのだ。
 まあ別にたいしたことではない。
 テレビデオをどこで見ようと、こいしの勝手だし、少なくとも見るという能動的な行為が阻害されているわけではない。
 ただここはダイニングルームというだけあって、くつろぎの空間。
 ここにはペットが居座ってることが多いというのが、やや問題ではあるかもしれない。
 べつに追い出すつもりはないが、なんとなく避けたい気分が働くのがこいしである。
 ペット風情がテレビデオを見てるのが嫌というわけではなく、おそらくは意識がある個体とは相性が悪いのだろう。
 そう――、たぶん一言でいえば、無意識のせい。
 けれど、追い出そうとするそんな意思を持つのさえわずらわしく――N極とN極を近づけたときのように、ふわりとどこかに行きたくなる。
 無意識が意識をはじいていく。
 油汚れにジョイするみたいに、無意識は意識を避けてしまう。
 いまは?
 いまは大丈夫。
 発作みたいな無意識の衝動はない。
 それまでの少しの間だけ、ここにいようと思っている。そう……、たまには。

「ねえ、こいし様」

 いきなり話しかけられた。ほとんど意識の外においていたのに、どうして他人はこんなにも簡単に話しかけてくるのかと一瞬思うものの、ここはそういう『場所』なんだろうと、どこかで納得もしている。
 だからこいしは応えた。

「なぁに? お空」
「こいし様の能力って、”無意識を操る程度の能力”なんですよね?」
「うん。そうだけど」
「でも”無意識”を操ってるのがこいし様の意思だということになると、それって意識的な行為なんじゃないですか?」
「そう……気づいてしまったのね」
 こいしはスクっと立ち上がった。
 そしてお空が寝転んでいるソファーにゆっくりと近づいていく。
 ズモッと顔を接近。
 お空の顔が恐怖に染まった。
「ひえ、聞いちゃダメでした?」
「無意識さまのことを軽々しく尋ねるなんて不謹慎よ! そんなお空は修正してやる!」
「ひゃ、ひゃーん」
 こちょこちょこちょこちょ。
 こいしの指先はまるでこいしとは別の生物のように動きまわり、お空の敏感なところを撫でまわした。
 お空は逃げようとするが、さすがにここで核融合をぶっぱなすわけにもいかず、結局のところこいしが納得するまでくすぐられ続けることになった。
「お空が! 泣くまで! くすぐるのを! やめない!」
「ひゃ、ひゃ、ひゃーん。私が悪かったですー」



 しかし、こいしは内面においてびっくりしていた。
 確かに言われてみればそうである。
 こいしが”無意識”を”意識的に”操っているのならば、あらゆる行為はこいしの故意ではないか。
 こいしは恋に生きる女の子であったが、故意には生きたくない女の子である。あらゆる故意から電離して、分解されていくことを夢見ている。生まれる前に死にたい胎児みたいな心境といえば、少しは伝わるだろうか。
 とりあえずそんなに深刻な話ではない。
 けれど、ときどきこいしは、なにかしらの行為をしたあとに「無意識だからしかたない」という類の言い訳をすることがあった。
 その言い訳はもしかすると失当だったのではないかと思うと、こいしもちょっぴり焦ったりするのだった。最近はいろいろあって姉に怒られたばかりである。
 こいしは言葉を棄却しているから、どうせ何を言おうが通信することは適わないといった諦観めいた心はあるものの、さとりが泣きそうな顔で「やめなさい」といえば「やめる」のがこいしの原理である。これは動かすことのできない『他律』的な心であり、こいしのなかにあるはずなのにこいし自身も触れることができない強制力を伴っている。けっして『自律』ではないのだ。こいし自身のなかにあるはずなのに。
 では、それが無意識の所産であるとするならば、こいしは能力を使うことによって、そのルールを破ることもできるのだろうか。
 やろうと思えばできそうな気はする。
 しかし――
「やめておこうかしら」
 こいしはルールを保持することを選択した。
 意識的に? あるいは無意識的に?
 正直なところ、こいし自身にもそればっかりはわからない。



 資料室で六法全書を広げていると、なんとはなしに見つかる条文。
 刑法39条1項
――心神喪失者の行為は、罰しない。
 と書いてある。
 こいしは常に心神喪失者というわけではないのだが、無意識的に行動する限りにおいて心神喪失状態になるわけだから、その行動時のあらゆる責任から解放されるはずである。
 しかし、その背後にいくらかでもこいしの意思が入り込んでいる場合はどうなるのだろう。
 その場合も、この条文がそのまま適用されるとすると、かなり変な感じがする。
 夕食時。
 こいしは思い切って姉に聞いてみることにした。
「無意識を意識的に操ってる、ですか?」
「うん。そうだとすると、やっぱりすべての責任は私にあるのかしら」
「そうですね。それにはまず罪と責任の関係について、説明しなければなりませんね」
「なにか違いがあるの?」
「簡単にいえば、罪が成立する要件として責任というのがあるんです。多少省略しますが、犯罪は、法典に合致する行為をして、法秩序に反しており、責任があるといえるときに成立するんですよ」
「ふうん。それで?」
「責任というのは、いま自分が何をしているのかわかって、しかもそれを止めることができる状態にあるからこそ、その行動の是非を問えるわけです。だから自分がいまどういうことをしているのかわかっていなければ、あるいは自分の行動を制御することができなければ責任がなく、罪に問えないということになります」
「なんとなく、とーとろじかるな……」
「責任の本質を説明するのは、少し難しいんです。こいしが想像しやすいように、具体例を述べれば、地底の居酒屋で酔っ払いがいるでしょう」
「いるねー」
「あの人たちが前後不覚になってしまって、店の看板を人か何かと間違えて持って帰ってしまったとしても、しかたないと言えるでしょう?」
「うーん。そうかもしれないね」
 こいしにはそういった一般人の基準となる感覚がないので、肌で感じ取れるような納得というものはない。
 しかし、こいしが日々収集しているデータから参照すれば、おそらくさとりの言っていることは正しいと推測できた。
 姉の言葉は絶対に正しいという妄信ではなく、こいし自身による判断だ。
 言ってみれば、一般人は数式のなかのαに適当な数を代入することで、そのときの適当と呼ばれる行為を選択できるが、こいしの場合はαではなく、具体的な数字を数式のまま記憶する感じだ。例えば五桁どうしの掛け算があるとして、普通なら九九を使って計算するところをこいしは計算式と九桁ないし十桁の答えを記憶しているのである。もちろんこれは比喩表現であって、現実には周囲の情況からこいしが最適な行為を選択する手法のことを指している。
 正直しんどいのであるが、こいしの場合は妖怪のなかでも並外れて計算能力が高かったため、さほど日常生活に支障がないで済んでいるのだ。
 とりあえず話をすすめよう。
「お酒というのは精神を鈍らせる働きがありますからね。だから、そのとき彼が看板をとってきてしまっても罪に問えないということになります」
「あとで回復しても?」
「あとで回復してもですよ。先に述べた自分が何をしているのかわかっている程度の能力、それを自由な意思で止めることができる程度の能力をあわせて責任能力というのですが、この責任能力は行為の時に同時に存在していなければならないんです。酔っ払いが自分が何をしているのかもわからないのに、今はしゃきっとしているからしょっぴくというのもかわいそうでしょう?」
 かわいそうなんて言葉。
 こいしにはさっぱり理解できるわけもないのだが――
 しかし、ここでもまた頷いておく。
「じゃあ、私って何をしても自由なのかしら」
「そうじゃありませんよ」
 さとりの声は水に沈んでいくような深みのある落ち着いたものだった。
 こいしは小首をかしげる。
「例えばの話。先の酔っ払いが居酒屋の立て看板に描かれている鬼っ娘のイラストが好きになっちゃって、それでどうしても自分のものにしたくなって、一計を案じたとします。それで自分が酒に酔うとよく看板やらなにやらを持って帰ってしまう癖があるのを知りながら、その店で飲んで、計画どおりに朝起きてみると看板が手元にあった。この場合はどうですか」
「悪いのかしら?」
 さすがにさとりの言い回しから、そういわせたいのは見え見えだった。
「ええ、この場合は先に述べた行為と責任が同時に存在しなければならないという原則を修正して罪を問いますね。これを原因において自由な行為と呼称します」
「原因において自由な行為?」
「そうです」
「ふうん。ヘンな名前。でもどうしてそれは罪を問えるのかしら。理論的にはどう説明するの? だって例外なのでしょう?」
 こいしは知っている。
 およそ正常人と呼ばれる者たちは、おおきな枠組みとしては二元的に、細かな枠組みとしては四つの象限として考えることが多い。
 この場合、さとりが言った原因において自由な行為は責任能力と罪との関係を修正する例外的事象である。だとすれば、合理的な思考においては例外を許容するような理論的な支えを用意するはずである。そうでなければ、正常人たちは先に述べた代入数値であるところのαの値がわからなくなってしまう。
 つまるところ、一般に言われてるところの『規範』がなんなのかわからなくなる。
 こいしにとってはどうか。
 こいしは代入数値がなんなのかわからないので、たとえば人を殺してはいけないとかいわれてもピンとこないところはあるのだが、どうやらおよそ人里では人を殺してはいけないらしいというのがデータベース上明らかであるので、人を殺すのはよくないことであるということを理解している。感情や理性によって殺意を抑えてるわけではなく、経験と姉の言葉をよりどころに殺意を抑えているわけである。
 今回の姉の言葉も、同じように礎になるかもしれない。
 だから聞いたのだ。
「まず罪に問いたいという感情が先にあるのかもしれませんね。国民感情からすれば、先の計画性のある犯行の場合、罪に問えないのは明らかに不当ですから」
「そうなんだー」
 さっぱり理解できないが、そのまま飲みこんでおく。
「それで理論的な説明としては主に二つの見解が編み出されました」
 さとりはそこで息を少し吸った。
 非常に趣きのある光景だ。
「ひとつは自分を道具として扱うところに間接正犯と類似性があるとする見解です」
「分裂自我みたい」
 さとりの言うことは、酒を呑む前の自分が酒を呑んだあとの自分を道具として扱ってるから、酒を呑む前の責任能力をもってして結果行為たる看板を盗むという行為にも責任が及ぶとする考えなのだろう。こいしの瞬間的な計算能力はそこまで一息の間に理解した。
 そして、ずいぶんとパラノイアチックな考え方だとも思った。
「まあこの見解の批判としては実行行為が早くなりすぎる点にありますかね」
「ふむ?」
「つまり、酒を呑む行為が犯罪の始点となってしまうので、その時点で未遂犯が成立してしまう可能性があるということですよ」
「お酒呑んだだけで牢屋に入れられちゃうの?」
「そうなりかねないという点で問題がある見解ということですね」
「もうひとつは?」
「もうひとつは意思の実現過程に着目するという考え方です。計画性のある行為を最初から総覧すれば、酒を呑んだあとの看板をとっていく行為はまさに当初の意思の実現にほかならないわけですから、責任を問えると考えます」
「責任と行為が”同時”じゃなくなるけどいいの?」
「確かに原則的には同時でなければならないですが、責任はそもそも行為に対して非難を加えることができるかという問題ですから、この場合当初の犯行の意思が実現されていったわけですから、その行為は非難にあたると考えることができるでしょう」
「ふうん。なんかあまり理論的ではないよね」
「ええそうですね。最初の動機にこういう行為は罰するべきだという感情があるから、どこか歪つなんでしょう。しかし、人間の行為というのはもともと数学のように綺麗に計算できるわけではないですから、そういう歪つさも要求されてくるのだと思います」
「心はきたないのね」
「心は複雑なのですよ」
 微妙な言いなおしに、こいしは不満を覚える。
 どうも、その言い直された部分には、こいしが伝達したいと思った何か重要な部分が抜け落ちている気がするのだが……。
 まあいいやと思い直して、こいしは再び聞くことにした。
「お姉ちゃん、私の能力って、原因において自由な行為なのかしら?」
「無意識を操るというのが私にとっては門外漢なのでなんとも言えないのですが、どういう感じなのですか?」
「んー。こう、なんというか、あれがああなって、こうなって、ふにゃーって感じ?」
「……そうですか」
「無意識を操ろうとすると、どうも言葉が殺されていく感じがするの」
「こいし自身が消えていく感覚ですか?」
「うーん」こいしは考える「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない」
「しかし、原因において自由な行為の問題点は、能力を発動させる前にきちんとそのことを理解していたかです」
「お姉ちゃんは自分が今何をしているか完璧に理解している?」
「どういうことです?」
「筋肉をどの程度収縮させるとか、どういうふうに姿勢を制御しようとか、あるいは心臓を動かす回数とか」
「いえ、無意識にやってますが」
「そう、無意識なのよね。私だって普段は無意識だわ。けれど無意識を操ることによって、例えば心臓を動かす回数を変えたりすることもできるのよ」
 ほら――
 こいしはふっと姿を消して、さとりの目の前に現れる。
 さとりのほそっこい手を無理やり手にとって、そのまま自分の胸にぴったりとくっつける。
 ドキドキドキドキドキドキドキドキ。
 恋する音を無理やり聞かせたり。
 さとりはちょっとだけ顔を紅くしていた。
「ふむ。では無意識が何をするか、こいしは最初の時点から完璧にコントロールできるということですね?」
「でもその何かをしようという動機は無意識がそう囁くからだわ」
「しかし、決定しているのはあなたでしょう?」
「決定の瞬間がどうなのかによるね。普通それは見えないからわからないわ。でもお姉ちゃんの言葉が少しヒントになったかもしれない」
 こいしはふわりと地上50センチぐらいの高さに浮き上がり、そのままふわふわとどこかへ出ていこうとした。
「どこへ行くんです?」
「うーん。どこか」
 どこかへ。
 そろそろ離れないと、さとりとくっついちゃう病が発病しそうなのだった。
「おゆはんまでにはかえってくるんですよ」
「気が向いたらそうすることにするわ」



 しかし、こいしが意外にも向かった先は自分に与えられた小さな個室だった。こいしは自室をいくつか持っているがその中でもお気に入りのお部屋。六畳ほどの狭い部屋である。ベッドが半分ぐらいを占領していて、そのほかには衣装を納めたタンスぐらいしかない。部屋の中はわりと散らかっている。こいしはあまり自分の部屋に他人をいれたがらなかったし、掃除をすることもなかったからだ。ただ使用回数が少ないのでそれほど汚れてもいない。
 こいしはベッドにダイブした。
 身体の厚みの三倍ぐらいはありそうな柔らかベッドである。
 ぼふんぼふんと身体が跳ねた。
 それから、こいしは目を瞑った。
 無意識を遡れば、もしかするとこいしの『自己』が見えてくるかもしれない。こいしの中にあって、こいしの行動を決定づける自己が。
 正直なところ自分の心なんてものは第一に棄却したものであるから、いまさらそれを掘り起こすというのもなんだか微妙な気分だったが、今の自分がどのように駆動しているかは若干興味があった。それはこいしが本質において自由であることを求めているからだ。
 無意識さえも操る自由。
 それがこいしが求めたものだったから。
 沈んでいく。
 巨大な水溜りのなかに、沈んでいく感覚。
 夢なんて見るはずはないのに、無意識の領域はいくつものイメージがふわふわと浮かんではきえていく。
 泡なのかもしれない。

「えーっと、ここはどこかしら?」

 見渡せば、そこは巨大な平原である。
 どこまでも続く平らな道に、幅五メートルくらいの砂利道が続いている。
 隣にはこいしがいた。
 そのこいしの隣にもこいしがいた。
 一面こいしだらけだ。

「あー、そうか」

 こいしは思い出す。確かこいしは遠足に出かけていたはずだ。
 それでこいし達は五列縦隊になって互いに手を握り、仲良く前に進んでいる。
 どこへ向かっているかはわからなかったが、目的地に向かっていってるのはわかる。こいしのメインストリート。つまるところこいしの意思と呼ばれるそれだ。では、この道を遡っていけば、いつかは行為の第一因にたどり着けるのだろうか。
 こいし達が出発した地には何があるのだろう。
 たぶんそこには、こいし達を生み出すグレートなこいしがいるのかもしれない。
 今はそこへ向かおう。
 こいしはフワリと空を飛んで遠足の列から抜け出した。

「ピーピー。そこのこいしルール違反です。すぐに列に戻りなさい」
 こいしのなかの一人が笛を吹いていた。
 どうやら引率役のこいしらしい。こいしのなかでもきちんとルールを守ろうとするこいしがいることに、少しばかりこいしは安心した。しかし、こいしの規範意識はかなり弱い。だとすると引率役のこいしはやっぱり弱いのだろう。
「べつにいいんじゃないかな」と隣にいるこいし。
「そうそう行きたくない人は別に行かなくてもいいんじゃないかしら」と別のこいし。
「今の私はふわふわモードですしどこかへ行こうという気概がそれほどないわ」とこれまた別のこいし。
「みんな私の言うこと聞いてよ! これじゃあ自我が分裂しちゃうじゃない!」と引率役はいきまいている。
 けれどみんな聞く気はなさそうだ。
 みんなばらばらに動き出す。隊列は乱れ、こいしの思考や言葉は好き勝手に飛び回りはじめた。
 引率役のこいしはついには泣き始めてしまった。みんな無視していた。
 なにしろこいしの意思の多くはルールを守ることが大嫌いだったから。

「あらら。これってもしも私が行動していたらどういうふうな状態なのかしら」

 最初に動いたこいしは想像する。
 たぶん、ぼーっとしてふわりふわりと浮いているそんな状態だろう。
 自我が散逸することで、目的地が定まらない。
 したがって、意思がなくなる。
 無意識になる。
 じゃあ、無意識を操ってる私はどこにいるのかしら?
 こいしはこいしを探した。特権的な位置にいるこいし。どこにいるのだろう。
 やはり、道を遡るしかないのだろうか。
 それにしても、この観察者であるこいしはどうして始原のこいしの近くにいないのだろう。よくわからない。
 道を飛んでいく。
 やはり道以外の建物らしい建物がない。それどころか森や山といった凹凸もない。
 どこまでも平原。
 少し寂しくなってくる世界だ。
 おそらくは、こいしが望んでいるとおりの世界が見えているのだろう。
 それとも無意識が見せる悪夢か。

「最初からバラバラに行動している私もいるようだわ」

 道をはずれたところにもまばらにだが、こいしがいた。
 たぶん彼女達は今回の件とはまったく違うことを考えているのだろう。例えば、今日のおゆはんは誰が作るんだろうとか。たまにはお姉ちゃんが作ったシチューが食べたいとか。あったかくなってきたら、外のところでお昼寝するのも悪くないとか。
 そんなとりとめのない思考。
 では――いま、始原のこいしを探すこのこいしはメインじゃないのだろうか。
 正直なところ、そこがよくわからない。
 ベッドにダイブしたときは、こいしはあらゆる因果の始まりになるこいしを探すつもりだったはずだ。その意思がメインストリートで遠足していないといけないはずなのに。
 いま、こいしの内的世界はメインと呼べる意思がない状態。
 完全に無意識に近い意識状態へと移行している。だから、こいしがいまベッドから起きれば、こいしの自己を探すという動機はどこかへ消えうせてしまっているはずだ。
 そうすると、”この”こいしはそこらをぶらぶらと歩いているとりとめない一瞬の思考と変わりないはずだ。
 ただ、その思考が消え去ってしまうまで、このこいしは飛んでいこうと決めた。
 
 不意をつかれたかのように、建物が目の前に現れた。
 その建物は場違いなほど白く、天に向かって二本の尖塔がコイルのようにとぐろを巻いている。よく見ると階段のようになっているようだ。
 その二つの尖塔の間には、金色の鐘がつりさげられていた。
 教会だ、とこいしは直感的に理解した。
 教会という単語はどこかの本で見た覚えがある。しかし、その意味するところまでは知らなかった。
 壁を触っていく。ざらざらとした手触り。土くれで作られているのだろうか。しかし見た目はぴかぴかしているから、漆喰か何かで固めているみたいだ。
 意思の産物。人の手が作り出した構造物。
 こいしはどこかで納得する。
 どうも目的地についたらしい。
 体感時間としては十分かそこらだった。思えばずいぶんと遠くにきたものだ。周りにはこいしはひとりもおらず、風の音だけが鳴っている。
 扉の前まで歩いた。
 見上げると、こいしの身長のゆうに五倍はありそうな大きな重々しい木の扉があった。こいしはそこに手をかけてゆっくりと開け放つ。
 誰がいるのだろう。
 期待と不安が半々といったところ。
 そもそも一介のちいさな意思にすぎない自分がこのような場所に来てよいのだろうか。
 神聖な領域のように思われて、だとすればここは人の手が触れてはいけないのではないか。
 なんて思うものの――
 開いてしまったものはしょうがない。
 中を覗いてみると日の光が入らず、思ったよりも暗かった。
 空気が湿っているにおいがする。中に入る。埃が舞った。ずいぶんと長い間使われてない感じ。無意識はずっと使われてないのだろうか。
 しかし、無意識を操っている以上、使われてないはずがない。
 ここは目的地?
「考えていてもしょうがないわ」
 こいしは探索を開始した。一階の部分は大きな薔薇をかたどったステンドグラスがあるほかは、特に気になるものは置いていない。両側には五人がけの椅子が十数脚設置してあって、やっぱり教会らしい。
 けれど、教会にはつきものの例の象徴がない。
 父の名なんてものはないので、ここは廃教会といったところか。少しわくわくしてきた。
 こいしは廃墟が好きな女の子。
 たぶん意思が現在進行形で死んでいく感覚が好きなのだろう。
 人工物が自然になっていく。
 そのなかで意思が消失していく。
 そんな感覚。
 死にたい気持ちが廃墟を魅力的に見せる。
 この気持ちはこいしだけ?
 わからない。
 こいし以外の音のない世界で、こいしの靴音だけが静かに響く。
 一階は何も無い。
 だったら二階に登らなきゃ。
 すとたんすとたん。
 こいしは軽やかなステップで二階に登る。やっぱりどこにもこいしの気配がない。それどころか生きている者の気配を感じない。無意識を動かす超すごいこいしはどこにいるのだろう。
 いまここにいるこいしはさすがに違う。
 それぐらいはわかっている。
 じゃあ、本当に無意識を操れるこいしがここにいるのだろうか。
 それは探してみないとわからない。
「こいしさん、いらっしゃいましたら返事ください」
 おとなしすぎる。
 いや綺麗すぎる音の無さ。
 こいしのなかには恐怖を感じるこいしはどこかに隔離されているか絶滅するかしているので、今ここにいるこいしも恐怖を感じたりはしていない。そもそも無意識を操れるといっても、こいしであることには変わりないのだし。
 ただ一般にはどう感じるかということを常に意識しているのがこいしである。
「例えば、普通なら予期が不安になるはずだわ」
 風の音が聞こえてきたので、こいしは少し立ち止まり耳をすませた。
「そう、この風の音も人が発する音のように聞こえてしまって、怖いと思ったりするはず。次に何が起こるのかわからないで、例えば慧音せんせーがかぶっている帽子が一日ごとに一段ずつ高くなっていったら……、普通の人なら怖いって思うかもしれないわ」
 空想に空想を重ねてみても、答えはでない。
 どうやら三階はないらしい。外に出る階段があった。ここから尖塔のほうへと出ることができるが、鐘があるほかはなにもなさそうだ。
 となると、この教会には結局こいしはいないということになる。
 こいしは首をかしげて、思案した。
「まあいいわ。もしかすると鐘のなかにいるのかもしれないわ」
 尖塔の外側をぐるぐるとまわるらせん状の階段。
 飛んでいけばすぐにつくだろうが、こいしは歩いた。手すりはついてるものの、足場は狭くこいし一人分ほどしかない。それに岩肌のごつごつしたものだったから、お世辞にも歩きやすいとはいえない。ホップもステップもできないので、ゆっくりとした歩調で歩くしかない。
 尖塔と尖塔をつなぐ少し短めの塔についた。
 鐘がある。
 どこかのお寺にあったのと同じぐらいの大きさ。こいしが両手を広げても鐘に手をつけることができない。
 見上げてみても、こいしがへばりついているなんてことはなく、やっぱり誰もいなかった。
「おかしいわ。誰もいないなんて。ここが目的地のはずよね」
 独り言をいったところで答えを返してくれる者はなかった。
 風がひゅるるんと鳴っている。
 高い場所から見おろしてみても、近くにこいしはいない。誰かが近づいている気配もない。
 もしかすると、無意識を操ってるこいしなんていないんじゃないか?
 こいしはそう考えた。
 その考えはなぜかとても的を射ている気がした。
「でもそれはおかしいわ。だって、現に私は無意識を操れているもの」
 それとも――
 こいしはふと鐘に視線をやった。
 この鐘を鳴らすのはいったい誰だろう。
 それは?
 それはこいししかいない。
 こいしの各意思が、すなわち興味、好奇心、姉への信頼、それに封じこめたはずの恐怖、規律、愛、倫理などが、鳴らしてみようかなと思ったときに鳴らすのだろう。
 じゃあ、いまここにいるこいしも鐘を鳴らすことができるはずだ。
 ひとりうなずく。
 そして、こいしはハート弾幕を鐘の中に発射してみた。すると、ハート弾幕はゴーンゴーン。と大きな音を響かせながら鐘の中を反射した。
 わりと大きな音が鳴ったので、こいしは耳を塞ぐ。
 やがて、わらわらとこいし達が集まってきた。
 どうして集まってきているのかはわからないようだった。
 鐘を鳴らしたこいしもよくわからない。鐘を鳴らしたのは鐘を鳴らしたかったからで、その意思の発生因はこれ以上分解することができないからだ。ここにいるこいしを解剖しても、こいしが鐘を鳴らした理由は明らかにならない。それと同じことである。
 こいしは少しだけ理解した。
 無意識を操る能力は確かにこいしの意思によるものだが、その意思は無意識に操られている。無意識が導くままに鐘を鳴らす。
 その無意識をさらにこいしが操ることもできるが、意識と無意識の戦いは果てが無い。
 卵が先なのか鶏が先なのか、どうやらこいしにはわからないらしい。
 




 ゴーンゴーン。
 大きな音。
 こいしの部屋まで響いてくるのは、ダイニングルームに置かれた置時計の音だった。
 どうやら夕食の時間らしい。
 少し寝ていたみたい。
 こいしはむぎゅむぎゅと顔をこすって、周りを見渡す。
 寝覚めは良いほうだ。いつもぼーっとしているだけに。こいしはすぐに夕食を食べに向かった。
「あら。こいし。今日はちゃんと帰ってこれたのですね」
「もちろんよ。それとお姉ちゃん。無意識を操る程度の能力について少しだけわかったことがあるわ」
「原因において自由な行為でしたか?」
「いいえ。無意識を操るってことは意識を操られることと等価交換だったわ」
「無意識が意識を操るのですか?」
「せめぎあいというか、意識と無意識の動的安定ね。やっぱり油汚れにジョイなのよ」
「陰陽のマークみたいな感じですか」
「近いわ。さすがお姉ちゃん。私の言うことをよく理解してくれるわ」
「あなたの意思はどこにあるのですか?」
「ここにあるとしか言えないわね」
「あなたには責任能力はあるのですか?」
 こいしは『ん』と一瞬だけ遅延した。
 その遅延こそがこいしの心の証明である。
「ここにいるこいしを全体的に見れば、やはりこいしはこいしのやりたいようにやってるのだから、責任を問うことは可能だわ。ただし境界は常に曖昧。鐘を鳴らすこいしが誰なのかは私自身にも検討がつかないもの」
「こいし……あなたは何をしようと自由ですが、自由には責任が伴うことを忘れないでくださいね」
「お姉ちゃんの言葉を忘れない私がいたら、そうなる可能性が少し高まるわ」
「あと、おゆはんの時間に帰ってきてくれると嬉しいです」
「それは私の責任?」
「いいえ。私の願望です」
「どうしてお姉ちゃんは私にいてほしいの?」
「こいしのことが心配だからですよ」
「私の帽子が一日ずつグレードアップしてくるのを予期しているのね」
「……よくわかりませんが、そうですね。こいしの帽子が変わっていたら怖いかもしれませんね」
 こいしはいつものように微笑を浮かべた。
「意識も十分に仕方ないわ」



後半から心理学へと移行したけど、法律的に言えば原因において自由な行為が成立しそうな気がします。
責任が無いから罪が成立しないとはいえなさそうです。
ですから、まるきゅーとしては『こいしちゃんは刑事未成年だから大丈夫だようふふ説』を採りたいと思います。
超空気作家まるきゅー
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コメント



0.1260簡易評価
1.100奇声を発する程度の能力削除
この不思議な感覚が堪らないです
2.80名前が無い程度の能力削除
刑法をかじった私にはタイトルホイホイすぎる。
これから刑法を勉強するときはこいしちゃんとさとり様を思い浮かべればいいんですね!

それはともかく無意識を操る=意識を操られるという着想が面白い。精神の奴隷って感じで。
まあそれはこいしちゃんに限ったことではないかもしれませんが。
4.100名前が無い程度の能力削除
難しいけど、こいしちゃんだからおもしろい。
素晴らしい作品でした。
7.100名前が無い程度の能力削除
b
8.100名前が無い程度の能力削除
ここまでこいしちゃんの世界に踏み込める人はまるきゅーさんだけやな…
11.90Admiral削除
タイトルでクリック、作者様のお名前を見て二度納得、の作品ですね。
刑法大好きなのでとても楽しめました。こいしちゃんの話はいくらでもふくらませられそうですね。
「こいしちゃんは未成年」にはクスリとしました。
テレビデオさんが2台あったとはw
前作の流れも受け継いでさとこいで綺麗にまとめていますね~。
2人の互いを思う心が感じられて良いです。
意識と無意識は鶏と卵のような関係だと私も思います。
良き作品ありがとうございました。
15.90名前が無い程度の能力削除
難しかったが、面白かったです。
17.100名前が無い程度の能力削除
”引率役”のこいしちゃんが笛を吹いた瞬間を想像したら、かわいすぎてやばかった。

あと、多重人格者って他の人格と、一つの体の中でお話できるらしいですね。

そして廃墟属性も持っている私は、もうこいし×廃墟という構図で萌え苦しみました。
19.100名前が無い程度の能力削除
\すげえ!/
22.100名前が無い程度の能力削除
六法全書からのくだりで堤真一主演の映画を思い出しました。
それはともかくとして……、
意識と無意識をテーマにしつつも、内容が重くなり過ぎずにまとまっているのが見事だと感じました。
やっぱりこいしちゃんの可愛さとの匙加減が絶妙なんですかね~。とても良かったです。
25.100名前が無い程度の能力削除
つまりは、ゴーストが囁くわけですねわかります
34.100ice削除
超空気作家まるきゅー様のさとり様は、まるでおかあさんの様な包容力の中にも、少女(おとめ)らしさが垣間見られてステキです。

こいしちゃんの責任能力の有無に就てですけれども、寔に興味深いお話でした。
アルコールが絡んだ事件に就ては、医療観察法に上ってくるケースが殆ど皆無と言うこともあって、正直なところ自身にも分らない部分が多いです。
しかしこの作品を拝読させて戴く限りに於いては、こいしちゃんの能力は飲酒の様に自身でコントロール出来る類のものでは無さそうです。
飽く迄私自身の見解ですが、こいしちゃんがF44.1フーグ(解離性循走)に該当すると仮定した場合には心神喪失に相当し、我が邦に於ける刑法上の責任は、これを追及することが出来ないのではと愚考致します。

それと、コメレス失敬します。
>あと、多重人格者って他の人格と、一つの体の中でお話できるらしいですね。
結論から申し上げますと出来ません。幻声等に対する反応であれば、F44.81では無く、全く別箇の疾病に依って起こり得ます。
35.100名前が無い程度の能力削除
こいしちゃん!
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こいしちゃんの世界に飲み込まれるような心地がしました
泣いちゃう引率役のこいしちゃんきゃわわ
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素敵なこいし、素敵なこめいじ。