暇。
何度目になるのかもわからない呟きを漏らしたのは、ベッドで昼寝をしていた天子だった。
緩い日差しを浴びながらぼうっと天井を見上げている。
「ちゃお」
「いつの人よあんた」
目の前のスキマから現れた紫にさほど驚くことなくジト目で応える天子。
「驚かないのね」
「さすがに飽きたわよ」
「そんな、ゆかりん困っちゃう」
そんなことを言いながら、今度はスカートの中から現れようと考えているあたりどうしようもない妖怪であった。
「うわっ」
「あらひどい。私の天子はそんなこと言わないわ」
「私の紫もそんなぶりっこしないわ」
「『私の』だなんて大胆」
「違う?」
「ん、いや、違わないけど……」
応えつつ、紫は違和感を覚えていた。
普段の天子だったら、さっきの発言で狼狽えて顔真っ赤にするはずなのに。
揚げ足を取ってからかうパターンも飽きられてきているのだろうか。
「今日は何しに来たの?」
「んー、添い寝しようかなって」
『何馬鹿なこと言ってるのよ』
そういう反応を期待していたのだが。
「あなたも暇ね」
そう言って天子は少し横にずれ、ちょうどひとり分のスペースを作る。
紫は天子を見て隣を見て、もう一度天子を見る。
「えっとあのこれはどういう」
「寝ないの?」
「あ、はい。失礼します」
おずおずと天子と背中合わせに横になる紫。
やっぱりおかしい。天子はこんなに余裕を持って切り返せるようなタイプじゃなかった。
けど、たまにはこういうのも悪くないかしら。
「紫」
「なに?」
身体を回して天子と顔を合わせる。
間近にある彼女の顔はいつもよりも大人びて見えた。
「綺麗ね」
「お上手なことで」
「本当のことよ」
なんでもないことのように言う天子。
紫は平静を装ってはいたがかなり動揺していた。
嘘ならなんでもなかったのに、嘘を言ってるように思えなかったから余計にだ。
「そう? じゃあ、これはお礼よ」
腕を伸ばして天子の頬に触れる。そして、鼻先が触れ合うくらいにまで近づき微笑む。
ただの微笑ではなく傾国の妖狐仕込みのとびっきりに妖艶な微笑みだ。
さあ、そのクールぶった面の皮をはがしてしんぜよう。
「どう? 少しは」
ちゅっ。
堪えた、と言いきる前。紫の頬に触れた柔らかい感触。
思考停止。
秒針が半回転程してやっと再起動される思考。触れた感触を理解して熱暴走を起こす。
そして、目の前にある天子の顔。
あどけない少女のものではなく艶目かしい女性のそれ。
「ねえ」
「ひう……」
天子は唇を撫でるように指を動かし、紫の耳元に熱っぽい息を吹き付ける。その度に電流が走ったみたいに体が震えた。
「今度は、あなたがここにしてくれない?」
くらっ、と脳髄が溶けるのではないかとまで思うくらいに扇情的な微笑で天子は言った。
「あ、う、て、てん……」
湯気を通り越してプラズマが出るんじゃないかと思うくらいに顔は熱かった。胸は調子に乗ったタップダンサーみたいにうるさくて激しい。呼吸もうまくできなくて手は勝手に震えた。
紫ができることは必死に息を吸って。
「天子の……! 馬鹿ー!」
捨て台詞をはいてスキマに逃げ込むことくらいだった。
◇
「馬鹿ー!」
「うっさいわ!」
叫びと共に顔に柔らかいものがぶつけられる。
視界を覆うそれはクッションのようで、それをぶつけたのはむくれた顔をした天子だった。
「天子……?」
「なに馬鹿みたいな顔してんのよ。というか、起きるなり人を馬鹿呼ばわりってどういうことよ」
起きた?
言われてみると、自室とはレイアウトから何から違うし、今まで寝ていたらしいベッドは天子のものだ。
さっきのは夢?
というか。
「な、なんで天子のベッド寝てたの……」
「寝ぼけたあんたがスキマから出てきたのよ。そしたら、人のベッドを占領しだすし」
そう言えば朧気ながらそんな記憶がある。
それじゃあ、自分は天子が傍にいて天子のベッドで、あんな夢を……!
「って何布団かぶってるのよ。まだ寝る気?」
もちろんそんな理由ではなかった。
天子の顔を見るだけでさっきの夢を思い出してしまって、普段通りの自分を通すことができない。
恥ずかしさで死んでしまいそうだった。というか死んでたいくらいだった。
「それよりさー、どんな夢見てたの? 人のこと馬鹿なんて言っちゃってさ」
「な、何でもないわ! 何でもないの!」
「本当? そうは見えないけど」
頼むから喋らないでほしい。
声を聞くだけでも思い出してしまうんだ。
「あ、ひょっとして。私とキスでもしたの?」
「っ!?」
なんで! どうしてこんな時に限って勘がいいんだこの娘は……!
「あれ、図星?」
思考が焼け付いて返事のできない紫の沈黙を肯定と受け取った天子はきょとんとする。
冗談のつもりだったのだけど、まさか本当だとは思わなかった。
それに、それだけのことでここまで紫が動揺するとも予想していなかった。普段は飄々とした態度を崩さない彼女の少女の一面。
これは、可愛い。
「ふぅん。純真な紫は私とキスした夢を見ただけでそんなになっちゃうんだ」
いつもの意趣返しとばかりに天子はからかうように言う。
「ち、ちが」
「だったら顔見せてよ」
布団を奪い取ると、紫は慌てて両手で顔を覆い隠す。指の間からわずかに見える肌は真っ赤に染まっていた。
「なんだ、顔真っ赤じゃん」
「やっ……みないで……」
天子は紫の華奢な腕をとって強引に目を合わせる。
潤んだ瞳は羞恥に震え、弱々しく抵抗する彼女は、今はただのか弱い少女にすぎなかった。
とくん、と胸がはねる。
普段のギャップというものもあるだろう。しかし、それを差し引いても今の彼女は可愛らしく庇護欲をそそる。
そうすることが自然であるかのように、熱っぽい頬に手を伸ばしていた。
「紫、可愛い……」
「嘘……」
「嘘じゃない、本当のことよ」
ムキになって反論する天子だったが、紫はそれどころではなかった。
畏れられ、敬られることはあっては『可愛い』なんて言われたことなんて一度たりとてなかったことだ。
そうであるように自らを律していた。妖怪の賢者として弱みを見せてはいけないと。
「紫……」
天子は彼女だけに聞こえるように囁いて、そっと顔を近づける。
からかってやろうなんて気持ちは当に消えていた。ただ彼女が愛しくて、抱きしめたいと言う気持ちだけが行動原理だった。
「てん、し」
キス、するんだ。
「っ紫!?」
慌てて天子が飛び退く。
その顔には驚愕と罪悪感の二色が見えて、どうしてそんな顔するんだろうとぼんやりと思った。
「なん、で」
そんな顔をするのかと訊こうと口を開く。どうしてか、声が震えてうまく喋れないし、カチカチうるさい音が鳴っていた。
手に水滴が落ちた。雨漏りでもしてるのかと天井を見上げる。
やけに視界がにじんで見えて、不思議に思いつつ目元を拭った。
「あっ」
やっと気がついた。
私、泣いてたんだ。泣き方なんて忘れたと思ったのに。
「……ひぐっ、ぐしゅ……」
涙を自覚すると堰を切ったように溢れ出す。
最後に泣いたのはいつだったろうか。忘れてしまうくらいにため込まれた涙は止まることを知らなかった。
紫はすがりつくように天子の胸に顔を埋めて嗚咽を漏らす。
天子は壊れものを扱うように遠慮がちに腕を回した。
「紫……その、ごめんなさい。少し、悪ふざけが過ぎたわ……」
ばつが悪そうに頭を下げる天子を泣きじゃくりながら首を振って否定する。
嬉しくないわけがない。ただ、怖かった。
人妖の上に立つものとしているうちに、どうやって甘えればいいのかもわからなくなって。
だから、あんなことは夢の中くらいだと思ってたのに、現実の出来事になって嬉しかった。
同時に今までの自分を否定するみたいで、怖かった。
「ごめん……」
お願いだからそんな悲しそうな顔をしないで。
あなたが好きだからここまでかき乱されるんだ。
だから、ずっと笑顔でいてほしい。
ずっと私の傍にいてほしい。
「私じゃあ、嫌、だよね。ごめんね」
違う! 嫌いだったらあんな夢を見たりはしない!
そう叫びたいのに喉は嗚咽を漏らすことしかできなかった。
それでも、彼女が悲しんでいるのは見たくない。その気持ちが体を動かした。
強引に天子を抱き寄せる。寂しげに目を伏せる彼女の表情が胸に刺さった。
初めからこうすればよかった。私が弱い私を受け入れていればよかったんだ。
二人の距離は縮まって、そして零になる。
天子の唇は暖かくて、やさしかった。
たったわずかの時間が永遠にも感じられて、紫はゆっくりと唇を離す。
「……っ」
呆けたような天子の視線から逃れるように、紫は彼女の胸に顔を埋める。
ただ気持ちに素直になることはこんなにも難しくて、恥ずかしかったけれど。
それ以上に胸が暖かった。
「えっと……その……」
しどろもどろに視線をさまよわせ、頬を紅潮させた天子は言うべき言葉を探していた。
大胆なのね、じゃなくて……ごちそうさま違う違う!
今度は私の番ね……そうじゃなくて!
「……ありがとう」
何の飾り気もないただの一言。
気障でも洒落てもいないその一言がこの場にふさわしかった。
ごちそうさまでした
天子に迫られて泣いちゃうゆかりんかわいいです
ニヤニヤが治まらんのです
この甘さがたまらんです。ごちそうさまでした
頼む、いや頼みます、もっとやれ、いや、やってくださいお願いします
ゆかりんの反応でご飯が甘い
これはグッド!
これがすねいくのやり方
老いてますます、健在というところかな
ゆかてんもいいけどてんゆかもいいな ハッ!!
ゆかりん可愛すぎるだろ!もっとやれ!
あの流麗な妖怪の賢者がまるで生娘のようだって?
だ・が・そ・れ・が・い・い。
ゆかてんもいいけどてんゆかもいいな! は ッ !
ああ、紫受けの方がドキドキするのかもしれぬ
ゆかてんもいいけどてんゆかもいいな
ハッ⁉
うん、ごちそうさまでした(合掌)