これは、ある一つの命の灯火が今まさに消えんとする日の深夜の会話。
「咲夜、もう余り時間がないけれど何か思い残したことはないの?」
「紅魔館に来てからというもの、私が幸せでなかった日などありませんわ……お嬢様」
「そう……では、今も答えは変わらないということなのかしら?」
「はい……あの永い夜に申し上げたことは今も変わりません」
「なぜ……私と共に生きてはくれないの?咲夜」
「逃れられない事故に限られた時間を精一杯生きること。私はとても愛おしいと思うのです」
「そうか……遂に私はお前を心変わりさせることが出来なかったのだな。最後の最後まで不甲斐ない主だな…咲夜」
「いいえ、それは違いますわお嬢様。お嬢様に沢山の幸せを頂けたからこそ思い残すことなく逝けるのです」
「だが、私は取り残される。私は悪魔だ、きっとお前が逝く場所には行けないだろう。私にはそれが耐えられない」
「いいえ、いいえ…私は悪魔の狗。お嬢様が行く場所にきっと送られます。私はそれを誇りに思いますわ」
「そうじゃない……そうじゃないんだ咲夜。私はこの世でもっとお前と過ごしたい。足りないんだ、お前との思い出が。取り残されて、いつまで続くか想像もできないこの命が燃え尽きるその瞬間までの年月には」
「残される者の苦しみをお嬢様に強いてしまうのは私も心苦しいのです」
「では、なぜ…いつもの様に答えてくれない。『はい、お嬢様』と一言だ! 一言でお前と私の溝は埋められる。何故、答えてくれないんだ! 咲夜……」
「血と魔の盟約では、真の意味で添い遂げることは出来ませんわ」
「それがなんだというんだ! なぜ、私よりも死を選ぶ? 私は納得がいかないんだ。教えて! 咲夜ぁっ」
「悲しい顔をなさらないでくださいませ。これは私の驕りと甘えなのです」
「驕りと甘え……?」
「私がお嬢様に最後までこの命を捧げず、死を甘受すれば、お嬢様はきっと私のことを忘れないでいてくださいます。誰にも望まれず生まれ、誰にも愛されなかった私が、唯一愛されたいと願った方の心に深く深く刻まれるのです」
「そんな馬鹿なっ! 主の必死の願いも聞いてくれない従者の事など、どうして私が覚えていなければならないのだ。私はきっとすぐに忘れるぞ」
「いいえ、お嬢様はその永い命を終える瞬間まで私を忘れることは出来ないでしょう」
「自惚れるなよ咲夜、たった数十年仕えただけの癖して……私はそんなに義理堅い性格じゃあない」
「義理ではありませんわ、お嬢様は心から私の心とこの身を欲していらっしゃいます。言わばこの瞬間、私はお嬢様の高嶺の花。だからこそ、従者の最後のわがままとして、私のこの身と心、捧げずに逝くのです」
「なるほど……確かに恐ろしく驕った考えだし酷く腹の立つ甘えでもある」
「ええ……恐れ多いですわ」
「くくっ……ならば私も自らの驕りの儘に、今すぐ血の契りを交わしても良いんだよ? 咲夜」
「理不尽なことを仰っても、それが私の幸せにつながらなかった事はありませんわ。どうぞ、お嬢様のお心の向くままになさいませ」
「くそっ……何故、そんなにも安らかでいられるっ! 私の心はこんなにも乱れているというのに! 恐れなくてはお前の血が吸えないだろう」
「何故お嬢様を恐れる必要がありましょうか? 私の生涯でもっともお慕いし、もっともお傍にいた方のどこを恐れればよいというのです?」
「ねぇ……咲夜。考え直して頂戴。そして教えて、どうしたらお前を永遠に我が元に置いて置く事が出来るの? 私はもう他に何も望んではいないのに」
「離れていても、私は永遠にお嬢様の従者……ということではなりませんか?」
「当たり前だ! 従者は主の傍に控えるものだ。手も触れられないような場所に逝くような奴は従者失格だよ。咲夜」
「あら……それでは、あちらでお嬢様をお待ちすることが出来ません。それは、寂しいですわ」
「そうだろう? お前もそう思うんだろう? だから言え、私の物となると」
「それも、出来ませんわお嬢様」
「強情な……お前がこんなに分からず屋だっとはね。今頃になって気づかされたよ、咲夜」
「怜悧な鉄の女の面目躍如ですわね、なんだか私、まだまだやれそうな気がしてきましたわ」
「無理をするなよ、もう歩けもしない癖して」
「あらっ、私は足が駄目なら這ってでも仕事をしてきた女ですのよ?」
「今やられると紅魔館に新たな妖怪伝説が生まれるから止してくれ……まったく、老婆が真っ赤な館の床を這い回るとかホラーでしかないよ、咲夜婆さん」
「どうやら生前に退治しなくてはならない妖怪が居たようですわね? お嬢様は銀のナイフなどお好きでしたものね?」
「わかったわかった……頼むから、怖い笑顔でナイフを出すな。まったく、足腰立たない癖してなんでナイフ投げだけは衰えないんだか」
「一芸は身を助くという奴ですわ」
「全然、使用法が違うよ咲夜。どうしてかお前は昔からたまにずれた物言いをするね」
「たまにであればそれ以外はストライクですわ。あら、私ったら名投手ですわね」
「よく言うね、考えてみると本当に手のかかる従者だったよ、咲夜は」
「まぁっ!心外ですわ。私としては逆だと思っておりましたのに」
「生意気を……お前にナイフ投げを仕込んだのは私だぞ?」
「えぇえぇ……お懐かしゅうございますわ。お嬢様から手ほどきを受けたその日には精度でお嬢様を上回ったことなど本当に良い思い出でございますわ」
「普通はもっと苦戦するものなんだよ! 他の事は全然駄目だった癖してどうしてか刃物の扱いだけは最初っから一人前以上で……」
「あらっ、そこに更に絶世の美少女だったことを加えれば二つも突出しておりますわ。最初から二つも持っていればもう常人以上ではありませんか」
「お前よく自分で自分のことそこまで美化できるな……咲夜ってばナルシスト?」
「少女は皆自己愛の権化でございますよ、お嬢様。それに、私が成人したあたりではよくお嬢様も歯の浮くような台詞で閨に誘ってくださったじゃありませんか」
「咲夜っおまっ……止さないか、そんな昔のこと」
「『十六夜の名を冠するお前こそ私の隣にあるに相応しい……』とか仰ってましたっけ? あらあらまぁまぁ、ご自分でお付けになった癖になんというか自己愛に溢れた名台詞でしたわね」
「そう……そうだった……いや、今でもそう思っているよ。咲夜、お前は私のそばにあるべきなんだ。満月の次に半月が来るのはおかしいだろう?」
「半月も十六夜月も満月の写し身ですわ、そしてそれは永遠に繰り返す月の円舞曲。私は、その一時でもお嬢様のパートナーとなれたことで胸がいっぱいになってしまいましたわ」
「違う……違うよ咲夜ぁ……私にとって十六夜月はお前だけなんだ……お前が居なくては私の月のめぐりは永遠に失われてしまう。お前は私の時間さえ奪っていってしまうのか?」
「永遠も月の姫から見れば須臾に過ぎないそうですわ。それに十五夜で月のめぐりが止まれば、それはすなわちお嬢様が最も輝く時間が続くということですわ」
「そんな、つまらないことがあるか! 川の流れも運命も、流れ行くから美しいんじゃないか。そこで停滞した流れなど腐れ落ちるのが関の山だ……」
「それがすなわち、私の答えでもありますわ。流れ行く者がそこで動きを止めればその輝きは永遠に失われましょう」
「うぅ……どうしても逝く気なの?咲夜」
「逝きますわ、そして私は流れの一すじとしてお嬢様の心を潤すことになるでしょう」
「馬鹿いわないで……大事な物を失うことで潤される心などあるわけがない」
「光栄ですわ……お嬢様にここまで拘って頂けるのも、一生懸命お仕えしてきた甲斐があったというものです」
「ふん……自分だけ満足していなくなるなんて、咲夜の不忠者」
「えぇ…私は幻想郷一の不忠者ですわね」
「いいか咲夜、そんな不忠者を心のそこから望んだ私は幻想郷どころか世界一心の広い主なんだからな!」
「ん……お嬢様……そんなに強く抱きしめられては、苦しゅうございますわ」
「黙れ、この不忠者、不良メイド、犬咲夜っ! 死神がお前を連れて行くまではずっとお前は私のものだ!」
「逃げたりはいたしませんからどうぞ少しだけお力を弱めてくださいな、このままだと先にお嬢様に殺されてしまいますわ」
「それこそ本望だ、咲夜は私が生かしたんだからお前の命を終わらせるのも私だ」
「あぁ、それは良い考えですわね……愛する主の手にかかって死ねる。従者としてこれ以上の誉れは有りませんわ」
「ばか……そんなこと、出来るわけないだろう……ばかっ……ばか咲夜」
「何故……お顔を伏せられるのです?お嬢様の可愛らしいお顔が見えないじゃありませんか」
「配慮が足りないぞ……主の涙を見たがるなんて悪趣味だ……」
「おかしいですわね、悪魔は泣かないはずなのに」
「悪魔の狗だって泣かないだろう……さっきから後ろ頭が冷たいんだよ……泣き虫咲夜」
「大変ですわ……目から汗が止まりません。こう見えても多汗症なんですの」
「もう……もういいだろう? 咲夜、別れの前くらい、寂しがって泣いたって、惜しんで泣いたっていいだろう?」
「惚気になってしまいますが、私は今まで生きてきた中でもっとも幸せを感じておりますわ」
「ああ、幸せだろう? 幸せだろうさ。私がこんなにもお前を愛していて、お前の死を認めたくなくて泣き喚いているんだ。お前は、世界一の幸せ者だよ咲夜!」
「そうですね、私は幻想郷一の不忠者にして世界一の幸せ者ですわ。ですからそんな私の我侭を認めてくださったお嬢様は宇宙一のご主人様ですわ」
「馬鹿を言うなよ、咲夜。認めるものか、認めるものかっ! お前は永遠に私のものだ!私が命を終えるそのときまで片時も傍から離すものか!」
「馬鹿ではありません、盲目なのです。私はお嬢様に永遠の恋をしているが故に何も見えず、ただただお嬢様の優しさしか感じることは出来ません」
「都合のいい事をいう奴だ……いいか咲夜、お前は私のものだ。地獄に落ちようと生まれ変わろうとそのことだけを覚えておけ。もし忘れようものなら、スカーレットの名にかけてお前を死の安息から引きずり出してやるからな!」
「逃げも忘れもいたしませんわ……私、十六夜咲夜は未来永劫……レミリア・スカーレット……貴女だけの従者ですわ……」
「ようし、ならば悪魔の契約を用意しよう! これで、どれだけ時が流れようとこの約束は絶対のものとなる」
「どうした? 咲夜、まさかいまさら怖気付いたのか? ははっ! まさか悪魔の狗と呼ばれたお前が怖気づく訳が無いな!」
「さぁどうしたんだ! お前の得意なナイフよりもよほど軽いペンだ。 今のお前だって息をするより簡単に扱えるだろう?」
「ねぇ、咲夜っ! 眠るにはまだ早いだろう? 何せお前の主である私が起きているんだ。 早く、目を開いて私の退屈を紛らわせないか!」
「…………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………」
「もうっ……はやくっ!はや……く……目を……目を……開いてよ……咲……っ……」
かくして悪魔の狗の首に、静かに死神の安息の鎌が振り下ろされた。
それは満月よりもほんの少しだけかけた十六夜のことであった。
死に際にあって、なお滔々と流れるように交わされる主従の会話、その端々に溢れ出る悲哀の情、恋慕の情。どちらにとっても、お互いの存在・その過去が色褪せることなく、苦しい思いと共に胸の内を反芻していたことでしょう。かく言う私も、胸のうちに楔を叩き込まれたような読後感を味あわせて頂きました。大変興味深い作品でした。
鮮やかな感情がこもる会話に、引き込まれてしまう箇所も多く、思わず涙ぐんでしまったり、あるいは微笑みや苦笑などがもれてしまったりしました。ですが、場所によっては大変読みづらく、為に会話の流れが断ち切られてしまう箇所もあり、それが残念でありません。おそらくは、句読点の用法に統一がかけており、そのために読みづらく感じてしまったものと思われます。呼びかけの前後・感嘆詞の前後・文のつなぎ目などで句読点の用法が一致しておらず、つっかえてしまう場所があったように思われます。
とまれ、二人の間にはっきりと、しかし形なく漂う感情が、画面を越えてこちらまで伝わってきました。大変楽しませていただきました。`Requiescat in Pace Remiliae'
では。
後書きの意味が最初分からなかったけど気がついたら鳥肌でした。お見事!
ここだけなってました
切ないですねぇ…