[はじめに]
・長大になってしまったので連載モノの体裁を取らせていただきます。
・不定期更新予定。
・できるだけ原作設定準拠で進めておりますが、まれに筆者の独自設定・解釈が描写されていることがあります。あらかじめご注意下さい。
・基本的にはバトルモノです。
以上の点をご了承頂いた上、ぜひ読んでいってください。
前回 L-6 2dayエピローグ
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
【 】
――――夢を、見た。
私は夢にもちゃんと色がついてる派だ。
だから、その夢に出てきたアイツが赤と白の服だということはすぐにわかった。
っていうか、あんな服装のヤツ、ひとりしかいないしな。
夢というのは脳が見せる映像に過ぎない、という話をどこかで聞いたことがある。
だから自分が見たことのある情報、もしくはそれに類する記憶、
つまり自分が頭の中で思い描けるものしか夢で見ることはできないらしい。
実に夢の無い話だ。夢だけに。
あぁ、それで。アイツは私を、あんな目で見ているのか。
たぶんアレは“悲しい”とか“寂しい”とか、きっとそんな感情なんだろうな。
微妙に違うかもしれないけど、まぁおそらく似たようななんかなハズだ。
みんなはあの顔を見て、“妙につまんなそう”とか“不機嫌なのか”とか言うけど、
まぁ実際アイツは結構頻繁に不機嫌だけど。
ビタミンが足りてないんだ。カルシウムだったっけ。
でもそうじゃなくて。私を見るときのその顔は、そうじゃなくて。
なんだか私を妙に遠くに見るんだ。
しかも決まって、そういう時は、私はアイツと戦って負けてるんだ。
アイツに負けたことなんか一度や二度じゃきかない私だから気づいたのかもしれない。
情けない話だ。
夢に見るその情景ですら、私はアイツに負けてるっぽくて、アイツは私をあの変な顔で見ている。
情けない話だ。
夢の中だけでも勝ってればいいのに。
我ながらその慎ましさに泣けてくるね。
何を考えてるのか、長い付き合いだけどよくわからない時がある。
いつもは大体能天気に、気ままに、フワフワ~っと過ごしているけど……たまに妙に物憂げだ。
別にそれは構わないさ。誰だって、そういう時ってあるしな?
でも、
私に勝っておいて、その上で私にそんな顔を向けるのは、
なんていうか、こう、
あぁ、許せないものがあるな。
夢で見るアイツの顔を見て再認識した。
私はアイツに、あぁいう顔をさせたくなくて、私が勝てばそういう顔をしないだろうと思って、
それでアイツに勝ち目の無い勝負を挑んでいる節がある。
今の所、まともに弾幕ごっこをして勝った覚えが無い。アイツはそれくらい普通じゃない、っていうことは、もう重々承知だ。
それでも、
私は、アイツにだけは勝ちたいんだ。
私とアイツとでは、何かが決定的に違うのかもしれないが、
私とアイツとでは、結局何も違わないんだぜ、っていう所を見せつけてやりたくて仕方ない。
それでいつか、真っ向勝負で勝って、それであの変な顔をしてないアイツに、こう言うんだ。
『私の勝ちだぜ』
これだな。シンプルこそがいいんだ。
これはもはや私の小さな夢だな。夢に見ただけに。
……あぁ、ダメだ。この感じ。これはそろそろ目が覚めるな。
せっかくだから夢の中で夢の実現への予行演習といきたかったんだけど、
まぁいいや。
目が覚めたら今日だ。今日は今日の風が吹き荒ぶだろうぜ。
あぁもう、起きるか。
いや、やっぱりもう少し寝てようかな。
もしかしたら、今日には私の夢がひとつ叶うかもしれないしな。体力はとっとくに越したことはないはず。
あぁ、くそう、このベッドはいいベッドだ。
よし。
もう一度夢を見よう。夢の続きでもいいや。
負けてる場面だったけど、そっから大逆転して、あの紅白を、どうにかして笑わせるんだ。
そういう夢を、私は見るんだ。
【 三日目 幕間 】
紅魔館――――――
少女たちの朝は遅い。
「あ、おはようございます!」
「あー……おはよさん」
太陽はすでに高くまで昇りきり、高角度からの直射日光を大地へ照射している。
申し訳程度に空を漂う雲が気の向いた時に日の光を和らげてくれるだけで、つまり今日も、世間一般的に言う、非常にいい天気。
そんなある日の真昼間。
紅色に染め抜かれた屋敷の中は、家主の意向で窓が少なく、燦々と照る日の光を遮って薄暗い。外では残暑を感じさせる温度になっていることだろうが、この屋敷の中だけはひんやりと心地よい温度を保っている。
吸血鬼の館、紅魔館のダイニングには今、二人の人間がいた。
「くぁぁ~……今日は早起きだな、早苗」
「魔理沙さんが遅いんですっ。もうお昼も過ぎてますよ」
「自分だって昨日はそんなもんに起きたくせに……」
「一昨日は神奈子様と戦ったりで大変だったじゃないですか。昨日はお話を聞きに行っただけですよ」
「今日の私は二度寝があったからな。睡眠時間は六時間と+αだ。一回の睡眠時間は適度だと思うぜ」
「適度じゃなくて適当ですね。テキトーな方の意味で」
そんな会話をしながら、早苗は忙しなくテーブルの上を片づけていた。
カチャカチャという食器の音が静かな部屋にこだまし、奥のキッチンからは鍋物が煮える音がしている。
魔理沙はまだボサボサの頭をだらしなく掻きながら、
「で……何してるんだ?」
目の前でわたわたと動く青色の巫女に質問を投げかけた。
「何って……お昼ごはんの用意ですよ。あれ、コレって食卓じゃないんですかね」
当の早苗は忙しなく動きながら、さも当然のように、けろりと答えてみせる。
「まぁ……食卓でもいいんじゃないか?これだけデカいテーブルなんだし。――っていや、そうじゃなくて。どうしたんだ急に?昨日だって食事は各自適当に、だったじゃないか。適度な方の意味で」
「テキトーな方の意味でもありましたけどね」
もうかれこれ二日目になる紅魔館での寝泊りを経ている彼女たちには、すでに何度か食事の機会があったが、そもそも家主の食事体系が普通ではないので、
『そこら辺にあるものをテキトーに食べていいわよ』
との、リーダー兼家主様からのお達しだった。
吸血鬼用の食事を摂る訳にもいかない彼女たちは、その言葉をそのまま素直に受け取り、各自キッチンにあった食材を勝手に使ってそれぞれの食事を済ませていた。
特にその件で誰も文句は無く、おそらく今日もそうなのだろうと魔理沙含め全員が思っていた。
「ま、いいじゃないですか。ココでこうするのも今日で最後なんですし……みんなでご飯食べましょうよ」
慌ただしく動いていた早苗だったが、その様子はどこか楽しそうであった。
跳ねるように動き回りながら、せっせと食器をテーブルへと並べている。鼻歌混じりのその口許は、わずかに笑ってさえいた。
「――まぁ、出てくる食事を断るほど無礼なつもりはないぜ」
それが結局どういう風の吹き回しだかはわからなかったが、魔理沙はあっさりと受け入れた。
寝起きにもかかわらずちょうどよく空腹にもなり、すでに受け入れ態勢は万全。ボサボサ頭にとりあえず着替えただけの服装だが、彼女の心はすでに食事に向けてナプキンまで装備済み。
もう席について待っていてやろうかと彼女が思った矢先、
「おっ、なんかいい匂いすると思ったらこれですね」
同じく昼過ぎの空いた胃を持つ者が、早くも匂いを嗅ぎつけてきた。
しかも都合よく、一人ではない。
「いいねぇ。今日はいい物食べられそうだ」
おそらく昨日の流れで勝手に食材を漁りに来たであろう、文と妹紅がタイミングよく現れた。入り口にぼぅっと立ちすくむ魔理沙の肩越しに、豪華に彩られたダイニングのテーブルの上を眺めていた。
口々に歓声を上げ、二人ともすでに部屋に充満している温かな食事の匂いにガッシリと食いついている。
黙っていても食事が出てくるというこの状況に、もちろん文句などあろうはずがなかった。
そしてもうひとり。
二人とほぼ同じタイミングで、鍵となる人物も、のそのそと姿を現した。
「あら、何をガチャガチャしてるかと思いきや……なんか面白そうなことしてるわねぇ」
「あ、レミリアさん!」
部屋の入り口でガヤガヤとしている文と妹紅を押しのけ、あふぅ、とあくびをしながら、この館のテキトーな家主が眠たげな顔で登場した。
一応寝巻きではないようだったが、おそらく寝起き。夜行性の彼女は、まだ眠そうな眼をこすりながら早苗を見ていた。
「すいません事後承諾になっちゃって。食材使わせてもらいました。あとお台所お借りしましたし、これから食卓もお借りします」
「事後承諾多いわね……。食材は勝手に使っちゃっていいわ。私のご飯にならないのばっかりだし。キッチンは咲夜に怒られない程度にキレイにしてもらえればどうとでも。テーブルなんか好きに使いなさいな。――私の分のご飯は?」
「あ、レミリアさんの分はまだですね。何がお口に合うかわからなかったので」
「それくらい知っておきなさいよぅ」
「い、いやぁ、勉強不足ですいません」
「まぁいいや。とりあえずお茶頂戴。どっかに血のパックあるからそれ入れて。葉っぱは任せるから」
そう言いながら、レミリアはさっさと一人でテーブルに着いていた。
もう完全にお茶を待つスタンスを取っている以上、家主の彼女にも今のところ別段文句は無いようだった。――あくまで、今のところ。
「咲夜以外の人が淹れるお茶って飲むの久々ねぇ~。どんなのが出てくるか楽しみだわ。悪いけど、お茶にはウルサイからねぇ~」
ふんふん、と鼻歌を鳴らしながらご機嫌でお茶を待っている。
これで出したお茶が大変タイヘンなものだったりした時、彼女がどんな顔をするのか、付き合いの浅い早苗でも想像に難くなかった。
「わ、わかりました!少々お待ちを!」と大きな声で返事をしてから、
「…………魔理沙さん」入り口でぼんやりしているままの魔法使いの傍まで来て、こそこそと小さな声を立てた。
「……美鈴さん呼んで来てくれませんか。私、吸血鬼の人のご飯なんて作ったことありませんよ」
「……最初っからそうしておけば良かったんじゃないか?」
「う゛……。――ほ、ほら!早く呼んで来て下さい!ついでに他の人たちにも声をかけてきて下さいよ!」
「人使いの荒いヤツだなぁ…………」
二人は頭を突き合わせながらこそこそと話していた。
だが、こうしている間にも、耐久力の少ないレミリアの堪忍袋の緒に、着々と切れ目が入っているであろうことは、魔理沙にもわかっていた。
このまま家主のご機嫌を損ねれば、ありつけるはずの食事にありつけない、なんて未来が確実に待っているだろう。
――仕方ない、行くかぁ…………
「働く者食うべからずですよ!ほら、行った行った!」
胃袋を押さえられた魔理沙には、断る権利は無さそうだった。
※
「ふむ、中々いい感じじゃない。まだまだ咲夜には及ばないけどねぇ」
「お口に合ってもらってよかったです。…………ありがとうございます。美鈴さん」
「いえいえ、私の食事も用意してもらったんだし、これくらいお安い御用ですよ」
テーブルに隠れるようにして、小声で美鈴に礼を述べる。
それに応えるように美鈴も体を丸めて小さく返す。このワガママお嬢様の食事・お茶の用意は彼女の仕事でないだけに、美鈴も正直自信が無かった、とはもう今さら言えなかった。
頭を低くしてこそこそと呟きあう様は、誰がどう見ても食事の席には異様だったが、誰ひとりとしてそれを咎める――いや、彼女たちを見ている者すらいなかった。
「いやぁ美味しいですねぇ!さすが神様に出す食事を作ってるだけあります!」
「巫女ってゴハンまで作る人だったのかー」
「みんながみんなそうではないだろうけどね。――ん、でもこれはイケる。里でお店出せば流行るレベルだよ」
「そうなれば巫女は廃業だな。あの神たちじゃ自炊は出来なそうだぜ」
レミリア含む他の面々は、それぞれテーブルの上満載の料理にありつき、それぞれに舌鼓を打っていた。
食事を口に運び、その合間に喋るものだから、ほとんど全員の口は動きっぱなしだ。
早苗はそれを見て、今度は美鈴にも聞こえないように内心で、小さく安堵の息をついた。
“みなさんの好みがわからないので”
そう言って用意された料理は、和洋中と様々なジャンルを網羅した豪華なものだった。
いつから準備していたのか、たいした量である。大人数での食事ということでいくつもの大皿が用意され、所狭しとテーブルに並べられている。
作りすぎたかとも思っていたが、それがみるみると減っている様子を見るのは料理を作った側からすれば嬉しいことこの上ない。
「お気に召してもらえたみたいで良かったです。――っていうか魔理沙さん!ちゃんと全員呼んで来て下さいよ!橙さんと衣玖さんがいないじゃないですか!」
すでに席についてモリモリと食事を摂る魔理沙は、呼ばれた自分の名前に反応して早苗を見る。
その手はすでに違う料理にかかっている途中だったし、口の中にはまだ料理が放り込まれたままだった。
「ん…………っと。ふぅ。衣玖も橙もいなかったんだよ。屋敷のどこにも。紅魔館に精通している私が探したんだから間違いない」
「……どうして精通しているのか詳しく聞きたいもんだわ」
紅茶を片手にレミリアがジロリと魔理沙を見たが、そんな視線を気にする彼女ではなかった。
「どこにもいない、ってなんでしょう?まだお昼なのに」
「普通出歩くなら昼間だろうけどな」
「家に帰ったとかじゃないの?リーダーの私には一言あるべきよねぇ」
「おぉ!マヨヒガですね!ついていけば良かったわー。マヨヒガを写真に収めるチャンスだったのに!」
「家宅盗撮なのかー」
「衣玖さん……大丈夫でしょうか」
「一応橙の心配もしてあげるといいと思うよ」
「いや!そういうわけじゃなくてですね!――――」
食卓を囲む七人は思い思いに喋る。おかげで話がまとまる兆しがまったくなかった。
だが、テーブルトークとはこういうものかもしれない。
ワイワイガヤガヤと少女たちは思い思い食事に手を出しながら、口々に喋っている。
その様子は、まさに平穏だった。
この面々で同じ釜の飯、という状況は異変かもしれなかったが――その微笑ましい異変は、束の間確かに、平和な時間だった。
永遠亭――――――
夏のような強い日差しが、カンカンと照っている。
どこからか吹く夏の風が竹の葉をサワサワと揺らし、日の光で透ける緑はキラキラと鮮やかだ。
鬱蒼と生い茂る竹林は陽光を遮り、その下にある、大きな永遠の館の温度を涼しげな程度に落ち着けようと努めていた。
「……にしても、今日はあっついねぇ」
「もう夏も終わりなのにね。残暑はまだまだかしら」
「おかげで夜は過ごしやすくていいよー。これが冬だったら夜は戦おうなんて思わないしね。私冬眠したくなっちゃう」
「蛙の神様は季節限定だぁねぇ」
三人は縁側に座り込み、夏の余韻を感じていた。
手に手に冷たいお茶――と、ひとりは真昼間から酒――を持って、生い茂る竹の葉の緑を眺めている。
一人前に夏の気温になっている屋外だったが、彼女らのいる縁側は直射日光に当たらないように屋根が延びているおかげで、真上にある太陽の光には曝されておらず、気持ちのいい程度の温度で比較的快適に過ごすことができるようになっている。
ユラユラ揺れる竹の葉が風になびく音が、耳にも心地よい。
そんな気怠い午後の日。
「そいやチルノは?溶けたちゃったかな」
一人瓢箪を手にしている萃香は、昼間だというのにガブガブと酒を煽っていた。
「それ言ったらレティもそうじゃないかな。雪女なんでしょ?」
二人と同様に視線は前に向けたまま、諏訪子はチビリとお茶を啜っている。
「とりあえず両方とも原形を保ってたわね。チルノはまだ寝てるみたいだけど」
三人の真ん中にいる輝夜は、ぼぅっと外を眺めながら答えていた。
そこに、
「――何をしてるのかと思えば、いい感じにダラダラしてらっしゃいますね」
四人目の声が、のんびりと現れる。
「お、咲夜じゃん」
「やっほー」
「はい。こんにちは」
自分の方へと萃まる視線たちへと、笑顔で会釈を返す。
彼女はこの気温にもめげず、ヒラヒラとしたメイド服をキッチリと着こなしていた。もちろんその額に汗一つとして流してはいない。
北風相手だろうと太陽相手だろうと、彼女はメイドエプロンを着崩さずにいてみせるだろう。
そんな彼女の姿を見て、なんとはなしに、諏訪子が呟いた。
「あ、そういやパチュリーとか何してんのかな。姿見てないけど」
今日になってからまだ姿を見ていないチームメイトの魔法使いのことが頭をよぎる。
彼女たちと同じチームになって、はや三日目。
要は、諏訪子が咲夜やパチュリーと話をするようになってからまだ三日しか経っていないが、それでもなんとなく、諏訪子にも魔女の行動は想像がついた。
「あぁ。パチュリー様なら、“暑くてやってらんない”とのことで、涼しい所を探して本を読んでらっしゃいますわ。ちなみに河童も一緒です。こっちは水浴びしたいとかボヤいてましたね」
案の定だった。
「あらら、吸血鬼の館の本の虫には、この日差しはタブーなのかしらね」
「魔法使いも氷精も雪女も溶けるのかぁ。困ったチームだこりゃ」
二人の予想も一緒だったのだろう、輝夜と萃香も冗談めかして笑っていた。
「直射日光がダメでも、虫干しくらいしてもらいたいものですわ。きっと気持ちいいでしょうに」
咲夜も溜め息を吐きながらも、笑って追従した。
きっと紅魔館にいた時から思っていたことだろう。彼女の心配をよそに、当の魔女はいつもと同じ生活をしているばかりだったが。
「その二人だと、藍はいないのかい?昨日の留守番メンツじゃないか」
「あぁ……あの稲荷はいませんでしたね。というか、今日はまだ姿を見てません」
「へぇ~。なんだろね?」
「さぁ?私もそこまでは知りかねますわ」
咲夜は肩を竦めてみせた。諏訪子も不思議そうに頭に疑問符を浮かべている。
そんな二人をよそに、輝夜と萃香は手に持つそれぞれを黙って口に運んでいた。
藍がいない理由が、輝夜と萃香には想像がついていた。
――まぁ間違いなく、主のトコね。
輝夜はチビリとお茶を啜り、
――藍も大変だねぇ。
萃香も黙って酒を煽っていた。
「ま、いいわ。それより、あなたも一緒にお茶にしない?自分で持ってきてもらうんだけど」
首を傾げる二人を置いておいて、不意に輝夜が話を切り替えた。
「いいですわね。それではお言葉に甘えて」
「あ、ついでにお茶のおかわり――って早っ!!」
返事をするや否や、咲夜はすでに自分の分の湯飲みと、冷茶の入った急須を手にしてそこに立っていた。
すでに準備してあった、という様子ではない。冷えた日本茶の淹れてある急須は、まだ汗をかいてはおらず、手にした湯飲みはよく見れば僅かに洗ったあとの水滴が窺える。
瀟洒な従者のタネ無し手品が、惜しげもなく披露されていた。
「便利ねぇ~。無駄遣いしてる感もあるけど」
「便利ならいいじゃないですか。失礼しますわね」
そう言いながら、彼女も三人の隣に腰を下ろした。
その一挙手だけでも絵になる瀟洒さである。“立てば芍薬~”を地で行く完璧メイドは伊達ではない。
「あ、そういえば、さっき聞いたわよ。昨日は大活躍だったらしいじゃない」
「そうそ!さすがメイドさんだったねー」
「あははは、なにがどう“さすがメイド”なのかわからんけどねぇ」
「まったくですわ」
咲夜も思わずクスクスと微笑んでしまっていた。
謙遜でもなんでもなく、大したことをした覚えはまったくなかったが、それを口にするほど無礼でもなかった。
「いやはや、ウチの従者二人がお恥ずかしいわ」
輝夜も眉尻を下げて困ったように笑ってみせる。
キレイに全員別々になった永遠亭のメンバーだったが、こうして自分のチームの面々と戦っている話を聞くのは、さすがの彼女でも不思議な気持ちだった。
「まぁ、言わせて頂ければ」
自分へと向けられている三人の視線を感じながら、
「昨日のあの薬師なら、下手すると私だけでもどうにかなりましたわね」
咲夜は静かに、だがはっきりとそう言った。
「お!言うねぇ~!自信満々な人間って好きだよ!」
一番奥に座っていた萃香が、そう言って即座に茶々を入れる。
「いえいえ、あくまで“昨日の”ですわ。流石に普段のアレと張れる気はしないわ」
咲夜は笑顔のまま肩を竦めてみせた。
月の都が誇る大天才――その彼女の中に蓄積しているのは、なにも薬学に関する知識だけではない。
あらゆる分野の知恵を持ち、こと戦いに関しても、八意永琳は、他の追随を許さない力を持っていた。
元より持つ圧倒的な才能に加え、千年を超える研鑽。
並みの妖怪レベルでは太刀打ちできないどころか、その太刀を触れさせることすら困難であろう。
だが、昨晩の彼女からはそれほどの威圧は感じられなかった。
「あの兎さんを庇ってたからじゃないのかな。失礼だけど」
諏訪子が気を遣いつつ言い、
「まぁ、それもありますわね。残念ながら」
咲夜があっけらかんと即答し、
「イナバにはもう少し頑張ってもらわなきゃかしらねぇ。遺憾だわ」
最終的には、輝夜も追従して頷いてしまっていた。
この場に彼女が居たなら、間違いなく泣いてしまっていただろうに。
「仮にそれがあったとしても……なんというか……手加減してた?感じがありましたわ」
「でも咲夜と諏訪子の二人相手でしょ?手加減って意味あるの?十分じゃん」
「そうなんですよね。私はともかく、神様相手にして手加減するってのもスゴイ話ですもの」
「私はそんなに怖い神様じゃないよー」
「祟り神だと聞きましたけど?」
咲夜と萃香と諏訪子であれこれと話を広げる。
それを耳にしながら、輝夜は黙って竹の葉を眺めていた。
彼女には、永琳の考えていることがなんとなくわかっていた。
伊達に千年もの時を一緒に過ごした訳ではない。
彼女が諏訪子との戦いに首を突っ込んだ理由――それを考えながら一人、揺れる緑に目をやる。
見上げた先、揺れる竹林の緑を透過する、白い光が燦々と大地を照らしている。日差しはまだ弱まる兆しを見せない。
――そう永琳は…………きっと――――――――
「――――あぁ」
不意に輝夜が声を漏らした。
「今夜は急がなきゃかしら。でも……きっと永琳はそれすら想定してるはず――か。そうね、いいや。譲ってくれるなら甘えちゃおうかしらね」
さっきまでお喋りに興じていた少女たちも、思わずその声の主に視線を萃めてしまう。
その言葉の意味がわかった者は、そこには輝夜しかいない。
三人は疑問符を灯す。
輝夜は遠い目をしたまま、晩夏の深緑を眺めていた。
妖怪の山・守矢神社――――――
「こんな暑い日に熱いお茶ってどうなの?」
「……うっさいなぁ。お茶くらい好きに飲ませなさいよ」
「どうせ私ん家のお茶だろうに。不遜な巫女だったらありゃしないねぇ」
霊夢は神奈子に向けていた目を、またふぃっと背け、ただぼーっと境内の景色を眺めていた。
ジリジリと照らす太陽は神社の石畳を過分に暖め、鳥居の先に広がる空をモヤモヤと歪めている。
標高が高い分、風の通りも良いが、太陽も近い。日の光は遮蔽物の無い境内をあまねく照りつけていた。
そんな猛暑の境内には、誰の人影も動物の影も無いが、それをただ、じぃっと霊夢は眺めていた。
手にはなぜか、温かいお茶で。
「実にお茶の似合う巫女だね。普段の徳の成せる業かな」
神奈子は腕を組み、ニヤニヤと笑いながら話しかけていた。
「……それ嫌味?ここだって閑古鳥が鳴いてることに変わりないじゃない」
一応反論する霊夢だったが、否定はしない。
確かに日々の多くをお茶を飲んで過ごしていることは、如何ともしがたい事実だということも自分で知っている。
もちろん、それを嫌う彼女でもなかったが。
「なにもこんな不穏な日にわざわざ参拝しにくるヤツはいないだろうしねぇ。――ま、八雲の結界で人払いされてるのかもしれんがね」
「やりかねないわね」
「他人事だねぇ」
「他人事よ。私は結界の詳細な構成までは聞いてないし、綻びが出ればそこを修繕して回るだけ。人使いの荒い妖怪ってどうなのよ、って話だけど」
メンドくさくて仕方ないわ、とボヤきながらにそう言い捨てた。
彼女がそうして言うと、どうしようもなく億劫そうに聞こえるから不思議だった。
「――今日も八雲の所に行くのかい?」
神奈子はその場に腰を下ろすことはしないで、変わらずの腕組みのまま、霊夢と同じ方向を眺めている。
やっぱりどう見ても、境内には別段何も無かった。
「……別に、昨日も紫の所に行ってたわけじゃないわ。おかげ様で幻想郷中を飛び回るハメになっただけよ」
「じゃあ今日もそれ?」
「ううん。今日はいいって。私の受け持ちは昨日だけ。後はトラブルが起きない事を祈るだけね」
神奈子は「ふぅん」とだけ返事をした。
霊夢も別段それ以上、自分に充てられた仕事について語ることはしなかった。
が――ひとつだけ、
「……ねぇ。他のヤツらの様子はどう?」
呟くようにして、問いかけた。
「どう……ってそうだねぇ。部屋で寝転がってるのが一名。同じく部屋に篭ってなんかしてるのがニ名。ちょっと散歩してくる、ってふらっといなくなったのが一名。ケガして寝てるのがひぃ、ふぅ……六名。あとは勝手にお茶を飲んでるのが一名に、それを眺めてる私が一名」
神奈子は指折り数えながら、自分の旗下のそれぞれの顔を思い浮かべる。
そのうちの一人は、思い浮かべるまでもなく、今もその神様へと不満気な視線を送っていた。
「結構しつこい神様ね。……ケガ人多いけど、大丈夫なのかしら?」
「んー今日はどうだろうねぇ。最終日に出られないってのも運の無い話だけど、それを言ったら昨日の夜に吸血鬼と戦ったこと自体、運が無かったのかもねぇ」
「――そんな目にあっても、まだ出たいって言うかしらね」
霊夢はいつの間にか、また目線を前に戻していた。
「さぁね。言うかもしれないし、言わないかもしれない。そこは個人の裁量次第さ。そこまで私らが気を揉むのも、きっと筋が違うんじゃないかな」
「テキトーね……」
「これが神徳ってヤツだよ。――あんたが思い詰める必要は無いのさ」
霊夢は返事をしない。ただただ黙って境内の景色を眺めているだけ。
「大丈夫。こっちは楽しくやっているよ――人生には楽しむことも必要さね」
「それって説法?」
「かな?」
「説法って仏教用語じゃなかったかしら」
「じゃあお説教」
「それは口煩い閻魔の専売特許よ。勝手に使ったらお金取られるんじゃない?」
「仕方ないなぁ。“ありがたいお言葉”くらいにしとくかね」
「ここまでグズグズじゃありがたみも何も無いけどね」
ふん、と鼻を鳴らして霊夢は吐き捨てた。
言われた神奈子は怒るでもなく、「だねぇ」なんて言いながらクスクスと笑っているだけだった。
「さて……じゃ、私はここらで失礼するよ。また出かけるんなら一言ちょうだい」
神奈子はそれだけ言うと、スタスタと廊下を歩いていった。あとを引かない、清々しい退場っぷりである。
そんな神奈子を見送ることもせず、霊夢は一人、相変わらずに外を眺めていた。
一人残された縁側。夏の日。神奈子が廊下を歩く音が遠ざかる。
その気配が遠ざかってゆくのを背中で感じると、本人も意識していない所で、口が勝手に呟いていた。
「――私が思い詰めるのは、筋違いなんかじゃないわ」
不意に吹いた風が、彼女の黒い髪をサラサラと揺らしていく。
太陽はまだ燦々と輝いて大地を照らしている。
ついに一度も口を付けていないお茶は、もうずいぶんぬるくなってしまっていた。
白玉楼――――――
空に輝く太陽は、幻想郷をあまねく照らしていた。それは死後の世界――冥界、白玉楼も例外ではない。
幻想郷にある他の場所と同じく、透き通るような広い空にポカンと浮かぶ太陽は、夏の勢いそのままで変わらぬ陽射しを大地に供給している。
植わっている木々は多いが、如何せん敷地自体が広大だ。影になっている所などほとんどない冥界は、燦々と輝く太陽の熱を存分に地面に吸収させていた。
「けど、冥界ってなんか涼しいよね。なんでだろ?風があるわけでもないのに」
「確かに、どことなく空気が冷たいわねぇ。あの世だから?」
「これじゃあ冬は寒くて大変だ。虫たちも生きてられないや」
「それはそうじゃないかしら。だってここ、あの世だもの」
二人の少女は夏の陽射しを横目に眺めながら、ダラダラと縁側を歩いていた。
広大な屋敷の広大な庭を見て歩く長大な廊下は、ある意味散歩にもうってつけだ。
「それもそっか。――大変だ!私ら死んだ後の世界で暮らしちゃってるよ!」
延々と続く縁側を歩きながらリグルは今さらながらの叫びを上げ、
「あら、困ったわねぇ。っていうか私神様なんだけど、私も死んだらここに来るのかしら」
一緒に歩く雛はのんびりとした声でささやかな疑問を浮かべていた。
妖怪の山に住む神様と蛍の妖怪とでは、こうして一緒にいる光景も違和感かもしれないが、彼女たち自身としてはもうずいぶんしっくりと来ていた。
紫の異変が無ければ出会わなかった二人――こうして各人の縁の拡大にも一役買っているところも、またある意味“異変”らしい所かもしれない。
特に彼女たちは、こうして二人で過ごすのももう三日目になる。
最初にこのチームが結成されて、初顔合わせを済ませて以来、ペアを組んで行動しているのだ。
「なんでだか教えましょうか?」
不意に声が響く。
それは彼女たちにも、もう随分聞き覚えのある声。
リグルと雛が振り向いた先、いつからいたのか、そこには紫が何食わぬ顔で立っていた。
「冥界の温度が低い理由。それはここが亡霊で溢れているから。亡霊っていうのは一般的に温度が低いのよ。触ると凍傷になるほどに。彼らがここの空気もいっぺんに冷やしているの」
だから冥界は涼しいのよ、と言葉を締める。
いつの間にそこに、なんていうリグルたちの視線など完全に置き去りだった。
「……そりゃご丁寧にどぉも」
リグルは一応口だけで礼を述べる。
彼女も、もう今さらこの妖怪の神出鬼没っぷりに慌てたリアクションを取ることはなくなっていた。
雛に到っては、最初っからこの手の奇襲にも驚く様子を見せなかったが。
「どういたしまして。――ま、それはついで。本題は、あなたたちの今夜の行動についてよ」
紫はニコリと微笑む。
どう見ても作り物臭さのあるこの笑顔は、彼女の胡散臭さにより一層の拍車をかけていた。
「今夜は自由行動でいいわ。ツーマンセルを解消してもらってもいいし、一緒にいてもいい。どこへなりと自由に赴いて下さってオーケーよ」
変わらずの笑顔のまま、淡々と用件を述べてゆく。
その言葉を受け、リグルは返事をする前に、
「――へぇ」
と感嘆符を漏らしていた。
「いまさら自由行動だって。どうしよっか雛?どっか見に行ってみる?」
そう言って隣の雛へと問いかける。
彼女はどうやら、ツーマンセルを解消する気はないようだった。その上で、掌を返したような紫の指令にも文句を言わずに順応している。
「そうね。せっかくだから他所に行ってみましょうか。厄だらけで面白そうだわ」
それは雛も一緒。彼女も特に文句は無いようだった。
そもそも、彼女らはここまで紫の命令に背く素振りをまったく見せなかった。
『あなたたちには白玉楼の庭の番兵をやってもらいますわ。死守はしなくて結構。あなたたちの暇が潰せる程度に遊んでもらって、満足したら通してもらって構わないわ』
これが、彼女たちが紫から最初に受けた命令だった。
彼女たちはこの言葉通りに一日目も二日目も、白玉楼の誇る二百由旬の庭の一角で待機していた。
二日目こそ、二人の人間が訪れ、紫の言う通りの暇つぶしができたものの、一日目に関しては誰も来ない冥界の庭で、二人でダラダラと一晩を過ごしたのだ。
だが、彼女たちはそんな初日を過ごしたにもかかわらず、二日目も大人しく二人で庭に詰めていたのだ。
魔理沙と早苗が来たことなど、結果論に過ぎない。おそらく、二日目も二人で何事も無く過ごす可能性の方が高かっただろう。
それでも、彼女たちは紫の命令に文句を言うことはしなかった。
この従順さは――実はこの異変に参加している者の多くに見られるものだった。
それは、この異変に参加している者が皆“暇つぶし”という名の、力の発散のチャンスを求めているため、という動機の部分に起因する。
参加者たちの深層心理下での話ではあったが、それを求めている者が多数いる現状を鑑み、この“異変”をプロデュースするに至ったという発端的な動機である。
“暇”にあえいでいた参加者たちは、このイベントに対して、それぞれ真摯だ。
黙って話にも耳を傾けるし、基本的には文句無くリーダー役の者の言うことも聞く。
その理由となるのは、“自分が求める形で暇を潰すため”という最大効果を求めるために、全体の大きな流れには逆らわない、という打算的な集団行動心理である。
“ついて行けばアメが貰える”、“ならひとまずは黙ってついてゆく”、簡単に説明するのならば、こういった即物的な行動原理である。
誰も彼もが目の前の餌に飛びついているだけとも言える。
それらの心理を利用する所までを含めた、八雲紫の計画は概ね成功していた。
だが――そんな企画者の目の前にいる二人には、他の面々には必ず存在する“前提条件”が決定的に欠けていた。
二人をしげしげと見つめながら、紫は不意に口を開く。
「自由行動だというのに、あなたたち二人は戦いには行かないのね」
彼女たちに足りていないもの――それは、戦闘欲。
力の発散を求める心。
“暇”を潰したいという、心理。
それがあるから多くの人妖は異変に参加し、それが満たされる可能性があるからこそ普段とは違う主の言うことを聞き、それがあるからこそ――この異変は上手く回っている。
だが、彼女たちには、その心因が決定的に欠けていた。
急に出た紫の言葉を、二人はきょとんとした顔で聞いている。
「所詮末席の神と羽虫の王気取りでは、こんなものなのかしら?」
あえて強い言葉を使う。
二人はまだ目を丸くしたままだ。
リグルと雛は、そろって不思議そうな顔をして紫を見ていた。
そのまま二人で顔を見合わせそうだったが――それは必要なかった。
互いに、互いがどう考えているのか、わかっていたのだから。
「――なんだ。わかっててやってるもんだとばっかり思ってたよ」
心底不思議そうに――どこか呆れたかのように、リグルは目を丸くしたままに口を開いた。
「私らは力を使うことに執着していないだけだよ。だから、このイベントにもさして興味は無い。おまえがこれほどの場を作ったことには正直驚いてるけど、それだって別に頼んだわけじゃあ無い」
リグルの目の色が変わってゆく。
それに呼応するかのように、纏う雰囲気もすでに普段の彼女のそれではなくなっている。
「弾幕ごっこだって、そもそもは非力な人間の為のルールだろう?それに合わせてやってる時点で気づいているのかと思ってたのに。……ま、どうしてもって言うなら――――」
リグルが不意に目を細める。
ニヤリと笑う顔は、普段の彼女とはまるで別人のようだった。
「まずはこの屋敷から、蟲で沈めてみせてあげようか?」
ほとんど誰も見たことの無い――妖蟲の王としての顔。
彼女の隣でいつもと同じく微笑む雛も、その瞳の奥から圧を放っている。纏っている雰囲気もただ事ではない。
空気が緊張する。
燦々と照りつける太陽が、不意に雲に翳る。
触れれば裂けるような、ピィンと張り詰める空気が、その場には流れていた。
紫はそんな二人の視線を真っ向から受け、何も言わなかった。
指先だけでも動かせば破裂するような圧倒的な緊張感の中、あの貼り付けたような笑顔のままで押し黙っている。
凍結し、膨張しきった空気はすでに限界を向かえ、そして――――
「なーんてね。冗談冗談。ゴメンね、変なこと言って」
リグルがニコリと微笑んだ。
その笑顔にはすでに先ほどまでの険は無く、パンパンに張り詰めた空気は、まるで風船の空気を抜くかのようにみるみる内に萎んでゆく。
雲に隠された太陽は、またその姿を現し、冥界の庭をジリジリと照らしていた。
「自由行動了解したよ。――じゃ、行こうか雛」
「そうね。失礼します」
隣で微笑んでいた雛からも、すでに威圧感は去っていた。
リグルはそのまま紫に背を向け、何事も無かったかのように歩き出し、雛も目礼だけすると、リグルの後を追うようにして歩いていってしまった。
二人の後姿はそのまま、どこかに通じる廊下の角を曲がった所で見えなくなった。
後には紫だけが残されているだけで、先ほどの殺気の余韻も何も、全ていなくなっていた。
だが、そう見えるだけで、紫の傍にはもうひとつ人影が控えていた。
「……いいのですか?あんな好き放題言わせておいて」
気配を殺し、ただじぃっとしていた彼女は、誰もいなくなったことを確認して声を上げた。
紫の立っているすぐ隣の襖が静かに開く。
そこには九本の尾を持つ最強の式神が、片膝を立てて頭を垂れていた。
「いいのよ。わかっていたことだし」
藍に目は向けず、リグルたちが消えていった廊下の先を見つめたまま紫は返事をした。
「ですが、あんな端妖ごときが調子に乗りすぎでは?――ご用命頂ければ、私が二匹とも片づけて参りますが」
藍は眉間に皺を寄せ、刺すような眼をしている。
主人の命が無い限り手を出すことを禁じられてさえいなければ、リグルたちがいた時点で飛び出していただろう。
それを彼女は奥歯を噛みしめながら、襖の奥で待機していたのだ。
自らの主――幻想郷で最強だと信じる主に対して、あれほどの口を利く彼女たちを八つ裂きにしたい気持ちで、襖の向こうでひとり静かに、烈火のようになっていた。
「ダメよ。――それに、あなた一人では彼女たち二人の相手はちょっと厳しいわ」
主人はすでに対外用の笑顔を装備してはいない。
ふぅ、と溜め息を吐きながらそんなことを言う彼女を前に、藍はどうにか自制するのにかなりの労力を要した。
「あぁ見えて蟲の王ってのも伊達じゃないわね。最近はめっきり力が衰えたという話だけど……生意気に世界に合わせてるのね」
くすり、と鼻だけで笑う。
「アレとルール無用で戦うとなると結構大変よ。相方に神様を伴っているし、あの二人に本気を出させると後が面倒そうね。――まぁ言っても、面倒なだけなんだけど」
なぜか若干他人事のように語っている彼女だったが、そもそも、
「あの二人を自分の所に引き入れ、組ませたのは紫様じゃないですか」
「そうよ。ちょうどいいかと思ってね」
紫は誰もいなくなった廊下を眺めることに飽きたのか、ふぃっと眼を逸らしてそのまま藍のいる一室に入っていった。
「あの二人が“暇”そうにしてないってことはわかってたしね。でも呼ばないわけにもいかないし。――力は十分に持っているのに、それを使うことに固執していない、っていうのが他チームの単純そうなのと足並み揃わせるのが大変そうだったから、二人まとめて私の下に置いたのよ。さっきハッパ掛けたのも、もしかして乗ってくれるかと思ってだったんだけど……やっぱりそう上手くもいかないわね」
紫部屋に入ったことを確認し、藍がそっと襖を閉めた。
彼女の怒りはもう随分と鳴りを潜めている。そういつまでも怒りに身を任せていないあたり、彼女は精神的に大人だった。
「しかし、よろしいのですか?このまま彼女らが戦わないというのは何かと不都合では?」
襖を閉めながら藍は問いかけた。
「別に。ああいう手合いは普段から上手く立ち回って力の維持に努めているだろうし、大局的に見てなんの問題も無いわ」
“戦うのも戦わないのも個人の自由よ”そう言って、紫は目の前にスキマを小さく展開させた。
他の空間と繋がっている、空間の隙間。その中を覗き込むようにして顔を近づける。
「ふむ、不安だった結界の解れも問題無いわね」
クスクスと楽しそうに笑う。「やっぱりあの巫女は優秀だわ」
貼り付けたような例の笑顔ではなく、心から楽しげにしている、底意地の悪い笑顔。
「昨日の時点で大まかな修繕は完璧みたいだから、後の点検は任せるわね。こちらで動作の確認が取れたら、また追って指示を与えるわ」
「はい。かしこまりました。今は橙に見廻りをさせていますので、これからすぐに私も戻ります」
藍は片膝を着き、主の命を奉じた。
“よろしくね”と一言声をかけ、紫もスキマを閉じる。
「さて、と――お待たせしましたわね」
紫はそう言いながら、隣の部屋と繋がっている襖戸を引いた。
外から受ける日差しを障子で和らげた薄暗い部屋の中――そこには一人の少女が座っていた。
座布団の上に正座し、畏まって待っていた彼女は、開かれたその襖の音に閉じていた眼をすぅっと薄く開く。
「今日はどういったご用件かしら?――――永江衣玖さん?」
ふふ、っと笑う紫の声を、衣玖は座ったまま見上げていた。
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虫って色んなタイプがあるし、数で攻めることもできるから藍では太刀打ちできない気がする。
ってのは流石に贔屓しすぎかな。
藍様も相当だと思いますけどねぇ。なんせ九尾の狐さんですよ。