※このお話は、前作「霧雨魔理沙は知りたくない」の設定を用いています。
※「霧雨魔理沙の非常識な日常」タグでそちらの作品が出てくるので、まずはそちらから目を通していただければ、随所の設定が解るかと思います。
魔法の森の朝は、遅い。
鬱蒼と茂る木々と霧のように立ち昇る障気により、万物に力を与えるはずの太陽はその力を発揮できずにいるのだ。
私こと霧雨魔理沙の朝は、早い。
理由は様々だが、一番多いのがそもそもベッドに潜り込んでいなかった、という場合だ。
まぁつまりは、徹夜である。
「あー、もう朝か」
太陽を見て時間を計ることはできない。
だから、私に時刻を知らせるのは香霖の所で買った――ツケで――壁掛けの時計のみだ。
時刻が訪れると白い鳩が飛び出す、バネ仕掛けの時計。
こういった細かい絡繰りが好きな隣人に見せたら、私に向けるよりも関心の度合いが大きいように見えて、密かに悔しかったのは内緒だ。
「今日は、あー、本返さなきゃ」
机の上に置かれた魔導書を手に、嘆息する。
うとうとしていたので、枕にした跡があった。寝たっけな?
悪魔の館の魔女、パチュリーの所から借りた本ならば、そこまで気にする必要はない。
せいぜい、“水曜日”の彼女に言われたときにでも返せばいいのだ。
そう、だからこれはパチュリーの所の本ではない。
これは、私が最近深く踏み込むようになった隣人で、パートナー。
七色の人形遣いと巷で有名な彼女……“アリス・マーガトロイド”の本だ。
「今日は、あー、日曜日か」
私はすっかり役に立たなくなった日めくりカレンダーを見て、そうぼやく。
毎日めくってはいるものの、一番重宝していた理由は既に潰えている。
曜日によって一日をどう過ごすか決めていたのは、最早過去のことだ。
そんなことに意味はなく、今では自由に“出て来て”いるのだから。
「朝食は……アリスの家で食うか」
愛用の魔法補助道具、八卦炉を帽子の隠しポケットに放り込む。
それから、本を片手に箒に跨った。
もう何年も使っているだけあって、跨りやすい良い箒だ。
なんか変な言い回しな気がするな?まぁいいか。
瘴気に包まれた森。
その深い霧を切り抜けると、澄んだ空が私を抱擁した。
頬に当たる風は冷たく、高く速く飛べば飛ぶほどに、私の気分を高揚させる。
「さーって……一気に行くぜ!」
向かうは、アリスの家。
七体と一人の魔法使いの、根城。
できれば出迎えが大人しい“彼女”であることを願いながら、私は徹夜のテンションのままに青空の中へ飛び立つのだった。
霧雨魔理沙は見たくない ~図書館司書の秘密のアレ~
――0・噂の始点/アリスの場合――
七色の人形遣い、人形を操る程度の魔女、若い魔法使い。
そんな風に呼ばれている私の隣人、アリスは知的で大人っぽい妖怪ということで有名だ。
月光を浴びてその光を真似たような、黄金の髪。
まっさらな雪をすり込んで色をつけたかのような、白い肌。
私よりも頭一つ分高い身長と、ビスクドールのように整った顔立ち。
その本当の姿が幼い少女だと知る人間は、おそらく幻想郷中で私くらいなものだろう。
「それでね、やっぱり気になるのよね」
私の前で新聞に目を通して笑う、女の子。
金の髪に碧い目、それから青いリボンに青いスカートが特徴的な少女。
私よりも頭二つ分低い身長を持つ小柄な彼女こそ、巷で大人っぽい美少女だと有名な“アリス・マーガトロイド”の“本体”だ。
「気になるって、なにがだよ?」
「もう、聞いていなかったの?」
興奮した面持ち。
だがその無機質な瞳の奥に、さほど大きな興味は伺えなかった。
おそらく、本当に“少し”気になった程度なのだろう。
「だいたい、なんでおまえが出迎えるんだよ?天狗にすっぱ抜かれても知らないぜ」
彼女は普段、地下室に姿を隠している。
表に出ているのは、アリスの姿を大人っぽくした“ほぼ”自立人形たちだ。
アリスの母親が素体を作ったという彼女たちは、アリスが設定した七色の個性をそれぞれ持っている。
アリス自身は彼女たちの視界から、幻想郷を見ていたらしい。
「あら?私が出て来ると、嬉しそうな顔するじゃない。魔理沙」
「ぇっ、なっ、そんなこと――」
「――まぁ冗談は置いておいて」
アリスはそう、冷静な表情で紅茶をすすった。
澄ました顔からはなんの感情も窺えず、私はただからかわれただけなのだと悟る。
くそっ……魔法の腕はもう少し時間がかかるかもしれないが、せめて精神的なものだけでももう少し有利になりたいぜ……。
「ねぇ魔理沙、噂って、どう思う?」
「は?えーと、胡散臭い、かな?」
人の噂も七十五日。そんな言葉がある。
七十五日経てば効果を失ってしまう代わりに、広く架空の存在を定義する。
でもその噂は一様にして胡散臭く、信じられるものはほとんど無い、というのが私のイメージだ。
「そうね、簡単に信用すると手痛いしっぺ返しを喰らうことがある。けれども、火のないところに煙が立たないように、何かしらの裏側が隠されているのが常よ」
アリスはそうウィンクすると、上品な仕草で紅茶を口に運ぶ。
舌先で唇を舐め取る仕草が妙に艶めかしく、私はなんとなく視線を逸らした。
いや、なんかこう、悪いことをしているような気分がだな……。
「あーつまり、どっかで噂を聞いて、それが気になったと?」
「最初からそう言っているじゃない。ちなみに“どっか”はこの新聞」
そうは言われても、最初の方は聞いていなかったんだから仕方がないじゃないか。
アリスに倣って、私も紅茶を口に運ぶ。
全ての“アリス”の視線を通して知っていたのか、アリスは私の好みを完璧に把握していた。
砂糖は三つ、ミルクは多め、レモンは一滴。
緑茶は苦みがあった方が好きだが、紅茶は甘ったるいくらいの方が好きだ。
温度は熱め、でも猫舌だから、冷ましてから飲む。
そんな私の姿を見たアリスは、何故だかおかしそうに笑っていた。
「名の知れた場所ほど噂が多い。僻みや痛みは、胸の内を抉るから。でも、極端に噂が多いと、それは偶然や僻みによるものでは無いわ」
必ずしも、とは言い切れないけれど。
アリスはそう続けると、そこで漸く私の顔に目を向けた。
天然アリスが一発ギャグを放つときや、爆発アリスが人形を爆破させるのときによく似た、イタズラっぽい表情だ。
「ねぇ魔理沙、お願いがあるんだけど」
「断る」
「貴女が今日返してくれた魔導書なんだけど……」
嫌な予感がして、私はアリスの言葉を遮るように告げた。
ここで乗ったら最後、引っ張り回されるような気がしてならなかったからだ。
だがアリスは、私が断っても表情を崩すことなく、私が返した魔導書を開いた。
「なにをしたのか知らないけれど、汚れは困るわ」
「は?」
そういえば私は、アリスに借りた魔導書を読む内に眠くなって、僅かな時間だが寝てしまった。その時に、どうやら“汚れ”がついたらしい。
「よだれって貴女、子供じゃないんだから――」
「――わかったアリス、何をして欲しいんだ?!」
言い切られる前に、承諾する。
くそっ、絶対承諾だけはするものかと思っていたのに!
ああ、やっぱり、精神的に有利に立つのも、今はまだ難しいようだ。今は、まだ。
「噂が特別多いところに、何が潜んでいるのか?それを見てきて欲しいのよ」
「……っても、私に頼むより自分で行った方が早いんじゃないか?」
アリスは、私よりも格が上の魔法使いだ。
それが何故わざわざ私に頼むのか、わからない。
本人が行けなくても、ほぼ自立人形の彼女たちが行けば良いような気がするんだが。
「あら?もちろん私も行くわよ。どれか使って」
「そうなのか?」
「ええ、ただ、私は顔が利かないのよ」
アリスの交友範囲は、さほど広くない。
異変で出会っても、基本的にそれっきり。
それ以上深い付き合いは、現段階では不要だ、と人里に人形劇をしに行かせる以外は余り家からも出なかったようなのだ。
「だから二人で調べてきてちょうだい。噂の発信地、悪魔の館――“紅魔館”へ」
アリスはそう妖しく微笑むと、最後の一滴を嚥下した。
その表情に宿る魔法使いとしての好奇心に、私の胸が、くすぐられる。
一人で行かれて解決されて、全て終わっていましたなど冗談じゃない。
だったらこのチャンス、逃しはしない。
私だって、魔法使いなんだからな!
こうして私は、アリス(の人形)と二人で紅魔館を目指すことになった。
そう、もっとも多くの噂を内包する、悪魔の館へと――。
――1・噂探求/美鈴の場合――
深い霧に包まれた湖を抜けて、真っ赤な館の前に着地する。
私が箒から降りると、それに続いて横座りになっていたアリスも降りた。
アリスの格好は、いつもどおりだ。
青いワンピースに白いケープ、革のブーツに赤いカチューシャ。
ただし、胸元に結ばれたリボンだけは、淡い青色をしていた。
「へぇ、ここが紅魔館なのね」
「あれ?来たこと無かったのか?」
「私だけど、私じゃないわ」
そう苦笑しながら零す、アリス。
別のアリスが異変に乗り出したことはあっても、この――“水曜日”のアリスが来たことはなかったということだろう。
「記憶は共有しているけれど、やっぱり自分の目で見られた方がいいわ」
そうは言うが、この館は自分で見るには目に痛いと思う。
なにせ、外装から内装まで、主人から門番まで赤一色だ。
パチュリーの紫と咲夜の銀があんなにも目に優しい色だとは知らなかった。
「さて、噂の調査だったわよね?」
「ああ……というか、“アリス”が提案したことだったんだが」
「あら、そうなの?……“彼女”と記憶の共有はできないのよね」
アリスたちは、決まって自分たちのことを“私”という。
けれど、あの幼いアリスに限っては、“彼女”だとか“マスター”だとか話すのだ。
その辺りが、“完全自立”と名乗れず“ほぼ自立”と名乗っている理由だという。
アリスはそう困ったように息を吐くと、それから私の視線に気がついて首を傾げた。
「どうしたの?」
「ああ、いや、なんでもないぜ。……そういえば、目的くらい聞いてくれば良かったじゃないか。らしくないぜ」
思慮深い――少なくとも、水木日は――アリスのことだから、記憶の共有ができなくても直に聞いてくるくらいはするだろう。
それなのに聞いてこなかった、というのも不思議に思って、訊ねてみたのだ。
「……月曜日の子と土曜日の子を止めるのに、時間がかかってしまったの」
「すまん」
「貴女が謝ることじゃないわ」
終始私に近づく男女を排除しようと働くであろう、月曜日。
絶対紅魔館を更地にするであろう、土曜日。
その二人を阻止してくれたというのなら、私に言えることは何もない。
やっぱり、水曜日のアリスは苦労性だと思う。
「おーい、美鈴!」
門に背を預けて目を閉じていた美鈴に、声をかける。
この一言で起きて相手をしてくれるから、有り難い。
この屋敷の連中はどいつもこいつも奇天烈で、私が尻込みさせられることなど多々ある。
だから、まともな対応をしてくれる美鈴に聞きたい事を聞いておきたかった。
「おや、魔理沙さんと……アリスさん、でしたよね」
「よう」
「久しぶりね、美鈴」
面識がある、程度なのだろう。
美鈴はアリスに対して、怪訝な表情を作っていた。
だがそれも束の間、直ぐにいつもの笑顔を向ける。
「今日はどのようなご用件でしょう?パチュリー様、ですか?」
「あーいや、それもそうなんだが、今日はひとまず美鈴だ」
「私、ですか?」
アリスが居るためか、美鈴は快く門を開いたりはせず、ただ笑顔で私の話を聞いていた。
美鈴も、本当に底の知れない妖怪だと思う。
「紅魔館に流れる噂に興味を持ってな。ちょっと聞きに来た」
「噂?ぁー、なるほど。まぁ紅魔館の誤解を解くという意味でも、少しお話しましょう。ただし、私のわかる範疇に限りますが」
美鈴はそう言うと、あっさりと門を開けた。
こんなに簡単に開けてしまって良いものなのかとも思ったが、下手に口を開いて藪をついても面倒なので黙っておく。
「けっこう仲良いのね。これなら、早く解決できるかもしれないわ」
「いや、どうだろうな、この館については、一見でどこまでわかることやら」
「どういう意味?」
紅魔館は、なんというか、謎が多すぎる。
流れている噂が“七不思議”とか称されていることもさることながら、メイドは経歴不明な上に門番なんか正体不明の妖怪なのだから。
私たちは美鈴に案内され、門の直ぐ側の小屋に通された。
門番隊詰め所と看板に書かれたその場所は、美鈴たち門番隊の根城なのだという。
壁に掛けられた中国風の武器に、観葉植物。
美鈴らしい、質素で落ち着いた部屋だった。
帽子を脱ぐと、アリスに付き従っていた上海人形がそれを手に取る。
上海と蓬莱。この二体に限っては、幼いアリスの手による完全なオリジナルだ。
なんでも、魔界の時に使っていた人形二体を、小まめにバージョンアップしているのだとか。
名前こそ後からつけたものだが、感慨深い人形だと言っていたのを思い出す。
「へぇ、本当に生きているみたいですね」
「ふふ、ありがとう。これでも、自立には遠いんだけどね」
アリスはそう淑やかに笑うと、上海と蓬莱に礼をさせる。
その仕草は本当に人形たちが己の意志で行っているかのように見えて、私は僅かに目を疑った。見慣れているはずなのに驚いてしまうのは、普段は操っている人形――アリスたち――の方がインパクトがあるためだろう。
「それで」
美鈴はポットから湯飲みにお茶を注ぐと、それを私たちの前に置く。
紅茶よりも濃い色のお茶で、芳しい匂いが私の鼻孔をくすぐる。
器用だ器用だとは聞いていたが、まさかお茶まで上手に淹れられるとは。
「どのような噂をご存知なのですか?」
微笑みを崩さないまま、美鈴はその青い瞳を眇める。
私はそんな彼女の視線を受けながら、熱い中国茶――たぶん、ウーロン茶だ――を口に含んで、嚥下した。いや、ホント上手だな。
「えーとだな……確か、紅魔館の七不思議、だったかな」
今朝方幼いアリスに聞いて、私は自分が知っていたものに補完をした。
そうすると当然ながら七つを超えてしまった訳だが。
横目でアリスを見ると、アリスは小さく頷いた。
お茶を飲んで頬を綻ばせながらも、別の個体と意思の疎通を行って記録を受け取ったのだろう。前に、本人ができると言っていたし。
……ああ、そうやって何度も使うがいいさ。
いずれ、その技術の全て、私も掴み取ってやるからな!
「な、七不思議ですか……。私も全部は知りませんが、答えられるものでしたらお答えしましょう」
美鈴は、眉を寄せてそう苦笑する。
答えられる、というのは不利になりそうなものは答えないということか。
いずれにしても、なにも考えていなさそうで、それ故に油断できない妖怪だ。
……なんて考えるには、笑顔が穏やかすぎるのだが。
「えーとまずは……“紅魔館の門番はザル”」
「それはまた非道い言われようですねぇ」
非道い、と言いながらも、美鈴の表情は崩れない。
眉を寄せながらも、口元は緩んだままだ。
「こんなことを聞くのは失礼だけれど、その辺りはどうなの?美鈴」
アリスは、美鈴に気を遣いながら問うた。
そんなに律儀に聞かなくてもいいと思うのだが、どうなのだろう。
コイツはどうにも、苦労性に過ぎる気がする。かけてる私に言えたことじゃないが。
「害のない妖精や人間は普通に通していますからね。まぁ、襲ってきた妖怪にはご退場願っていますが、その程度でしたら曲解して噂になった可能性もあります」
「そう……ごめんなさいね、変なことを聞いてしまって」
「いえいえ、お優しいんですね、アリスさん」
「もう、そんなんじゃないわ」
……考え事をしている内に、盛り上がっていたみたいだ。
なんだか胸の内側がもやもやしている……っていうと、なんか美鈴に嫉妬して居るみたいで嫌だな。
「前にお会いしたときは少々、その、奇天烈な方だったので、普段はどんな方なのかと冷や冷やしてしまいました」
「忘れてください」
「え?いや、構いませんが、ええと……?」
絶対に、金曜日だ。
いったいどんな超理論をかざして門を突破したのだろう。
なんにしても、同一人物として認識されているアリスの顔は、赤い。
「他にはどのような噂が?」
「えーと、咲夜……いないよな?」
「はい?……ああ、なるほど“アレ”ですね」
私が周囲をきょろきょろと見回すと、美鈴は大きくため息を吐いた。
アリスもそんな美鈴につられて、苦笑を零している。
実のところ、紅魔館の噂で一番多いのは、レミリアと咲夜に関するものだった。
紅魔館の主と、その従者にして人間のメイド長。
やたらと目立つこの二人は、流れる噂も相応に多い。
「“十六夜咲夜の胸は、詰め物である”ですよね」
「ああ。外の世界の用語を持ってきて、“PAD長”とか揶揄されてるな」
「女の子への噂としては、タチが悪いわね」
実際、言われている咲夜はどう思っているんだろう?
なんにしても、瀟洒なメイド長と呼ばれている裏ではアレだ。
よく紅魔館の私物を壊している私が言うのもなんだが、アリス――もちろん、水曜日のみだ――並みに苦労性なヤツだと思う。
「鬼……伊吹萃香さん?が起こした異変の時、お嬢様も宴会に出かけては潰れるまで飲んでいましたよね」
「ああ、そういやそうだったな」
レミリアは、宴会へ来る度に潰れていた。
その時に咲夜にも飲ませるものだから、吸血鬼に付き合わされて咲夜も潰されていたものだ。
「その時、咲夜さん、厚着をしていたんですよ」
「厚着?」
「はい」
アリスが呟くと、美鈴はそれに合わせて頷いた。
アリスが首を傾げると同時に上海と蓬莱も首を傾げるのだが、これは無意識で操っているのだろうか。
「春先に神社の境内で寝こけて風邪でも引いたら、メイドの仕事に差し障るじゃないですかって」
言われて見れば、そうだ。
一晩寝れば回復する妖怪と違って、咲夜は人間。
人間なんざ、簡単に風邪を引く。
私自身、なんども経験してきたことだ。
「咲夜さん、それを気にして、風邪を引かないようにメイド服の下に厚着をしていたんですよ」
「なるほど、それが噂の原因ってことね」
アリスは手を合わせると、納得のいった表情で答えを言う。
確かにその後に普段の咲夜を見たら、全体的に細くなっているように見えるだろう。
「だいいち、パチュリー様の十五禁な本棚を真っ赤な顔で避ける咲夜さんが、性的なアピールをするはずもないんですよねぇ」
「うん?何か言ったか?」
最近は、どうにも考え事に更ける瞬間が多くなってきた。
普段そんなに頭を使わなければならないような生活は送ってこなかったんだが、ここのところ考えることが多すぎて一杯一杯だ。
「どうしたの、魔理沙。大丈夫?さっきから変よ」
「なんでもないぜ。情報を整理してたんだよ」
「本当でしょうね?あんまり無理しないでね」
「わかってるぜ」
アリスは私の様子に気になるところでもあったのか、しきりに世話を焼いてくる。
手のかかる子供だと思われているんだろうか。微妙に、癪だ。
「ふふ、そうしているとご姉妹のようですねぇ」
「なっ、何言ってんだ!」
「あら、嫌なの?」
「アリスも!」
私が声を張り上げると、アリスと美鈴は顔を合わせて笑う。
二人がかりで嵌めるとは卑怯なヤツらだ。くそっ……性悪妖怪め。
「咲夜さんも少し天然が入っていますから、噂を訂正しつつも変なこと言うんですよね」
「変なこと?」
「しょうもない噂を流せば、全部が胡散臭く思えてくるはずだーって、たぶんそんなことを思っているんですよ」
それはあながち間違いではないだろう。
ないんだろうが、考え方がずれている。
こう、放って置いたら七十五日で消えるとか、そんな答えは出なかったんだろうか。
「そういえば、畑泥棒対策にマンドラゴラを定間隔で植えたって言ってたな」
「ええ、それです。咲夜さんの流した微妙な噂」
私が最初から知っていた噂、なのだが……本人が真顔で言うから、てっきり本当のことかと思っていた。信じられたら意味ないだろう、咲夜。
「私が事実関係を把握しているのはこの程度です」
「そう……色々と教えてくれてありがとうね、美鈴」
「いえ、お役に立てたようなのでしたら、幸いです」
気が抜けたように笑う美鈴につられて、アリスの頬が緩む。
周囲を笑顔で満たすのは、美鈴の人柄なのか、それとも偶然なのか。
なんにしても、今は貴重な情報を得られたことに喜んでおこう。
「さて、ご馳走になったぜ」
「とても美味しいお茶だったわ、ありがとう美鈴」
「いえ。また何時でもいらしてください」
美鈴と手を振って別れて、屋敷の内部を目指す。
他にも噂があるんだ、やっぱり、調べておいた方が良いだろう。
私はそう決めると、外装よりも大きな屋敷へ乗り込むのであった。
――2・噂探求/咲夜の場合――
赤一色の内装は、何度見ても目が痛くなる。
隣のアリスもそれを感じているのか、額に手を置いて眉を寄せていた。
最初に来たときは異変の時でそんなところに注視していなかったが、何度も訪れると目に痛い屋敷だということがわかりすぎる。
「いらっしゃい」
「おわっ!?」
アリスの様子を見て笑っていると、突然後ろから声をかけられて飛び上がる。
一人で来るときは驚かされないように警戒していたのに……くそっ、迂闊だったぜ。
音もなく、風もなく、上品な礼と共に咲夜は現れる。
如何なる状況下でも乱れることのない銀糸の髪が、私の前で仄かに灯りを反射していた。
「こんにちは、咲夜」
「あら、悩みのない人。ごきげんよう」
「貴女は、自分が心配な人、ね」
奇妙な会話だが、異変の時に知り合ったのならこんなものだろう。
私も多かれ少なかれ、似た様な言い回しをしているし。
というか、悩みがないのか。……ああ、日曜日か。
「それで、要件はパチュリー様?」
「いいえ咲夜、ちょっと聞きたい事があってきたの」
「聞きたい事?」
咲夜は居住まいを乱すことなく、アリスの言葉に耳を傾ける。
アリスも話しているときに姿勢を乱したりはしないから、こうして二人並んでいると妙に絵になる気がする。……私だって、そのうち。
「ええ、紅魔館に流れている噂を、調べているの」
「噂を?なんのために?」
「魔法の研究に関わること、よ」
そうだったのか。
ああいや、そうじゃないんだろうな。
“本体”の好奇心のため、とは言えないか。
「そう。で、何が知りたいのかしら?」
咲夜はそう、あからさまに眉をしかめる。
まぁ、胸に詰め物とかそんな噂が流れていたら、この反応も頷けるか。
「ええっとだな、“咲夜はロリコ――あだっ」
「こらっ!もう、もうちょっと言い方があるでしょうに……ごめんなさいね、咲夜。この子も悪気があった訳じゃないの」
「おまえは私の母親か!」
アリスに頭を軽く小突かれて、質問が中断される。
咲夜はロリコン。こんな噂が流れているから真相を確かめようとしただけだってのに。
「ふふ、別に良いわ。面白いものも見られたことだし」
「……ちぇっ」
生温かい目で私を見る咲夜から、目を逸らす。
そりゃこの中じゃ私が一番年下だが、どいつもこいつも年上面しやがって。
「さて、そうね……まず私は、ロリコンじゃないわ」
「本当か?こう、こっそり盗撮だとか」
「魔・理・沙?」
「う、すまん」
アリスに窘められて、それ以上ふざけるのを止める。
というか、この遣り取りをする度に咲夜の目が柔らかくなっていくのが、非常に気になる。
どうしてか、なんて聞かないけどな!
「お嬢様に少女としての情愛しか感じられない人間は、お嬢様の信頼なんか得られないわ」
「信頼されているって言い切れるんだな」
「信頼に応えることも、メイドの条件ですわ」
たまにふざけて、時々天然。
でもやっぱり瀟洒で上品で、レミリアを思い浮かべるときの彼女は輝いていた。
なるほど、“これ”をロリコンだの何だのと囃し立てることはできない。
自分の底が、知れるようで。
「あとは、フランドールの奇行……は、よくわからん」
異変の時に出会って、それからこの屋敷で会うと時折弾幕ごっこをする。
口調は理知的。言葉遊びもしてたし、奇行に走るような感じには思えなかった。
いや、禁じ手な弾幕とか張られたときは焦ったが。
「たまに情緒不安定なのよ、妹様」
「それで、奇行って噂になったのか?」
「さぁ、わからないわ。情緒不安定なときは美鈴が一緒に遊んでいるから、様子はうかがえないし」
もう、美鈴の正体の方が気になってきた。
フランドールの弾幕は、姉のレミリアよりもむしろ小細工に利いている。
恋の迷路など、名称的にもシンパシーを覚えたほどだ。
会話をしていて急に周囲を破壊することもないし、奇行が具体的に何を指しているのかもわからない。
「となると後は……レミリアか」
「お嬢様なら、今はテラスよ」
「行って良いのか?」
「適当なときに、魔法使いを通すようにと言われていたもの」
咲夜の言葉に、アリスが眉をしかめる。
怪訝そうな表情で少しの間目を閉じ、それから納得のいった表情で頷いた。
おそらくレミリアの能力を他のアリスに聞いたのだろう、本当に便利な魔法だ。
「なんでもお見通しってか?」
「さぁ、それはお嬢様にお聞きしてちょうだい」
「そうさせてもらうぜ」
「色々ありがとう、咲夜」
咲夜に手を振って、別れる。
どうせレミリアの所に行ったらまた居るだろうから、別れの挨拶はおざなりに済ませた。
「解明しようと思うと、けっこう解るもんだな」
「そうね、もっと難航するかと思っていたわ」
私もそれは同じだ。
こう、あの幼いアリスが頼んだときには、もっと嫌な予感がした。
だがそれはきっと、このアリスが月曜日や土曜日を止めきれなかった場合を、私自身が想定でもしていたのだろう。
「まぁ、さっさと終わらせて、引き篭もりのアリスを小突いてやるかな」
「もう、返り討ちにされるから止めておきなさい」
「弾幕ごっこなら、早々負けないぜ?」
「疲労したところを、月曜日の私に襲われるわよ」
「……自分で言ってて、恥ずかしくないか?」
「……ちょっとだけ」
赤い廊下を抜けて、妖精メイドたちの様子を眼下に収め、飛行する。
極端に少ない窓から外を覗くと、さっきまで晴れていたはずなのに、曇り空になってきた。テラスに出ているということは、予測済みだったのか、パチュリーに頼んだのか。
今にも泣き出しそうな空は、暴かれることを拒むかのように厚く重なる。
まぁそれでも、いずれは日が昇って、太陽が空を支配するんだ。
だったら少し早く星が瞬いても、問題ないだろう。
私は、ぼんやりとそんなことを考えながら、館のテラスへ向かった。
そんな私を見て小首を傾げるアリスに、苦笑を返しながら。
――3・噂探求/レミリアの場合――
深い雲に覆われた空は、太陽の熱を隠す。
今にも降り出しそうだが、そこは調整されているのか、雨の気配はない。
精霊魔法は苦手だが、喘息でも難なくこなすパチュリーが凄いのはわかる。
テラスに入ると、レミリアは開口一番私たちに着席を促し、椅子に腰掛けた次の瞬間には湯気の立ち上る紅茶が置かれていた。
「それで、何が聞きたいのかしら?」
「噂だぜ」
「そう、面白い噂なんでしょうね?」
レミリアはそう嘯くと、片目を閉じて紅茶を啜る。
こいつもたまに変なことを言うが、基本的には育ちが良いというか、上品だ。
「ありがとう、レミリア」
「ただの暇つぶしさ。それよりもアリス、貴女前に来たときもう少し突飛な言動だったような気がするんだけど?」
「そっ、んなことないわ」
「そう?まあいいけど」
アリスのヤツ、声が裏返ってる。
やっぱり金曜日が来たのだろう。この分だと、紅魔館でアリスが知り合った人妖は、みんな似たり寄ったりな反応な気がしてきた。
「それで噂だが、まず……“レミリアはシスコン”」
「シスコン?ああ、妹好きってやつだね。まぁ、好きでなければ家族でも館には入れないよ」
「まぁ、その程度だろうなぁ」
別に、溺愛している訳ではないのだろう。
フランドールのことを思い浮かべるレミリアの目は優しいが、そこに月曜日のアリスが見せるようなぎらつきはない。ぐぅ、思い出したら胃が痛くなってきたぜ……。
「あとは、そうね。新月の日には幼児退行……これは?」
アリスが問いかけると、レミリアはどこか面白そうに笑う。
開いた口の狭間から覗く鋭い犬歯が、そこに無邪気さを感じさせない。
「新月の日は気怠くてね、あんまり部屋からでないの。篭もっているところを、誰かが好きに想像した。ま、大方そんなところでしょうね」
「そう、ありがとう。変なことを聞いて悪かったわ」
「いや、さっきも言ったけど暇だったからね」
レミリアはそう微かに笑うと、指を弾く。
すると、どこからともなく現れた咲夜がレミリアの前にクッキーを置いた。
それをレミリアは一つまみすると口に運び、丁寧に咀嚼する。
何でもない動作が上品なのが咲夜ならば、こっちはどうにも“サマ”になっている。
「あとはパチェにでも聞いてちょうだい」
「ああ、ありがとよ、レミリア」
「不躾なことを聞いて悪かったわね。ありがとう、レミリア」
私とアリスが交互に礼を言う。
思い返さなくても失礼な質問だったが、それでも毅然として話を聞く様は、なるほど大妖怪に相応しい。まぁ、いずれ並び立って、追い抜いてやるけどな。
「いーよ……面白いことに、なりそうだしね」
「うん?何か言ったか?」
「いいえ、なんでもないわ」
席を立って図書館へ向かおうとした矢先に、レミリアは何事か呟く。
だがその言葉は、私の耳にもアリスの耳にも届かなかった。
何を言ったが知らないが、まぁレミリアに聞きたい事も終わっているし、大したことじゃないだろう。
この私の選択が正しかったのか否か、この時の私には知る由もなかった。
ただ一つ言えることがあるとするなら、そう――“運命”からは、逃げられないということであった。
――4・噂の探求/フランドールの場合――
レミリアと別れた私たちは、図書館への道のりで不意に足を止めた。
心なしか楽しそうに廊下を歩く、七色の翼。
薄い黄色の髪、赤白のドレスを着た、外見だけは幼い少女。
「あれ?」
ふと、少女が振り返る。
姉によく似た容姿に、姉同様の深紅の瞳。
深い赤と金を身に纏う吸血鬼……悪魔の妹、“フランドール・スカーレット”だった。
「よう、フランドール」
「魔理沙……と、どなた?」
赤い瞳が、猫のように細められる。
その視線の先にいたのは当然アリスな訳だが、機嫌が良いためかフランドールに好戦的な意志は見られない。
「初めまして。私はアリス・マーガトロイド。種族魔法使いよ」
「初めまして。私はフランドール・スカーレット。当主レミリアの妹ですわ」
スカートの端を持って――礼儀的には正しいのだろうが、ミニスカートでやるのはどうかと思う――簡単な礼をする、フランドール。そこに、噂で聞いたような凶暴さは窺えない。
「なぁフランドール、せっかくだから聞きたい事があるんだが、いいか?」
弾幕ごっこを仕掛けられる――嫌な訳ではないが、パチュリーに会うと気疲れしそうなので疲れを残したくなかった――様子もないし、せっかくなのでフランドールにも聞いてみることにする。
「なに?いいわよ、今日は何だか気分が良いの。たまにあるのよね、こんなこと」
「そうか、それなら、紅魔館に流れている噂について聞きたい」
私が訊ねると、フランドールは「ええと」と小首を傾げてから、直ぐに「ああ」と得心のいった表情で頷いた。
「私が情緒不安定というものでしょ?別に、隠すほどのことでもないよ」
「そうなのか?」
「そうなの」
フランドールは、機嫌を損ねた様子もなく続ける。
噂が噂だから心配していたのか、アリスはそんなフランドールの様子に、小さく胸を撫で下ろしていた。
「たまに、身体を動かしたくなるのよ。外に出るのは苦手だし、でも動き回りたいしって」
「外に出るの、苦手なのか……」
「大抵は日中に動きたくなるからね。そうすると、出た瞬間に気化しちゃうよ。だから外はイヤなの」
吸血鬼は、太陽を苦手としている。
レミリアは、他にも流れる水や炒った豆は苦手だと言っていた。
銀は平気らしかったりと、吸血鬼はよくわからない妖怪だと思う。
「それで、そんな時は美鈴に相手をして貰っているの。運動の」
「あいつも本当に丈夫だな」
「太極拳で私の弾幕を吸ってくるから、中々終わらないの。おかげで満足できるけど」
「すごいわね。太極拳」
水形太極拳のことか。
気を操る程度の能力なはずなのに、魔力でできた私の魔法を吸ってくるからな。
まぁ、吸えるのにも限度があるみたいだが。スペルカードも、一部は無理っぽいし。
……人里の爺さんなんか朝から太極拳をやっているが、いずれ吸えるようになるんだろうか?
「そんなわけだから、情緒不安定だと思われても仕方がないわ」
「そう……時間を取らせて悪かったわね」
「そう思うなら、今度会ったとき弾幕ごっこにでも付き合って」
フランドールはそう言って小さく笑うと、私たちから大きく離れて一礼する。
スカートの端を持って、上品に。
「それではごきげんよう。アリス、魔理沙」
それだけ言うと、フランドールは玄関の方へ飛んでいった。
本当に楽しそうだが、そういったところも“情緒不安定”の噂に含まれているような気がする。
「予想外に、噂が解明できたな」
「そうね。もう残り少ないけれど、残りもしっかり調べましょう」
アリスの言葉に頷いて、地下を目指すことにする。
向かうのは、今度こそ、地下の大図書館だ。
――5・噂探求/パチュリーの場合――
紅魔館地下に広がる大図書館。
ここに来るのも、久しぶりだ。
最後に来たのは、アリスのことで相談を求めたその翌日。
溜まりに溜まった蘊蓄を、たっぷり半日も聞かされた日以来だ。
咲夜が押し広げられた空間に、所狭しと並べられた本棚。
一般教養的な本から娯楽書、初心者用の魔導書から呪いのかかった禁書まで。
玉石混淆のこの図書館は、知識を求める魔法使いにとって垂涎ものの空間だった。
「――まったく、うちの猫いらずは何をしていたのかしら」
図書館の奥から、声が響く。
女の子らしい可憐な声、だというのに、その音は胸の奥を微かに震わせるほど重い。
地下大図書館の主、知識と日陰の魔女、七曜の魔法使い。
「よう、パチュリー。残念ながら、今日は鼠じゃないぜ」
「こんにちは、パチュリー」
パチュリー・ノーレッジ。
賢者の石を生成できるという、稀代の魔女。
悔しいが、私じゃまだアリス――本体の方だ――とどっちが強いのかすら、わからない。
「鼠じゃない?七色の子もいるからかしら?」
「ええ、まぁ」
「ふぅん。私の本でも返しに来たの?」
眠たげに眼を細めて、矯めつ眇めつ私を見る。
紫色の髪間から覗く薄紫色の瞳には、感慨めいたものが浮かんでいた。
すぐに追い出されないのは幸いだ、だがその台詞は、今はまずい。
「あ、こら、パチュリー……」
「……魔理沙?また、借りっぱなしにしたの?」
「い、いや、返すぜ?」
「死んだら、でしょう?聞き飽きたわ」
「こ、こら、パチュリー!」
半目になって私を睨むアリスに、思わず身を引かせる。
少しずつにじり寄ってくるアリスから逃げようにも、その逃げ道は上海と蓬莱によって防がれていた。
「まったく!借りたものは返す。言われてできない貴女じゃないでしょう?」
「し、信頼してくれるのはありがたいが……」
「私にもっと信頼させて欲しいの。ね?魔理沙」
「うぅ、わかったよ」
真摯に詰め寄られ、頷いてしまう。
非行に走る子供を心配するような、態度と口調。
そんな悲しそうな表情で言われたら、頷くしかないじゃないか。
「ごめんなさいね、パチュリー。後日改めて持って来させるわ」
「……戻ってくるのなら、構わないわ。それにしても……」
パチュリーの瞳が、変わる。
そこに先程までの訝しむような光はなく、代わりにほんの僅かだが優しさが宿っていた。
なんか、面白くないぜ……。
「前に会ったときは不可思議な言動の未熟な魔法使いだと思ったのだけれど、やはり人物像を掴みたいのなら異変以外の時に会う必要があるわね。貴女みたいな理知的なひとならば、知識の宝庫たる大図書館は、歓迎するわ」
私を一瞥して、わざわざ鼻を鳴らしてから告げる。
だから陰険だとか根暗だとか引き籠もりだとか――主に私に――言われるんだ。
悔しくなんか……ないぜ。
「本当?ありがとう、パチュリー。また来させて貰うわ。前から興味があったの」
「私も、他の“妖怪の”魔法使いに興味があったから、利害が一致しただけよ。だから、今度貴女のお話も聞かせてちょうだい」
「ええ、ふふ、それくらいなら何時でも付き合うわ」
決めた。今度土曜日のアリスを連れてこよう。
何時でも来て良いと言われたのはアリスだ。だったら、“他の”アリスでも歓迎してくれることだろう。
淑やかに笑うアリスと、微かに笑うパチュリー。
その空間に入れずに、一歩離れた場所から俯瞰していた。
ああ、らしくないぞ、霧雨魔理沙!
「私に何か聞きたいことがあるんでしょう?ふふ、今日は気分が良いから、答えてあげるわ。アリス」
「ありがとう、パチュリー――」
ここに私の入り込む隙間がないのなら、そっと離れても気がつかれないんじゃないか。
そんな、弱気な考えが脳裏を過ぎる。
始めはぼんやりだったその思考も、些細なことで弱気なっていた私自身の心に止まろうとしていた。
一人は寂しいってか?はっ……そんなに子供じゃないぜ。
「――さ、行きましょう、魔理沙」
「ぁ」
アリスは、そっと私の手を取った。
私の視界の端ではパチュリーがため息を吐いていて、思惑が外れたことを物語っている。
だがその表情に落胆が見えないのは、ただからかってみただけと言うことだろう。
ああ、本当にらしくない。
やっと踏み込めた、あの“無機質”な瞳に、置いていかれるとでも思ったか?
そんな考え、魔砲で蹴散らせてこその私だろうに!
「さて、それで何が聞きたいのかしら?」
図書館の奥。
沢山の本が積まれた机、その前に並べられていた椅子に、適当に座る。
他にも椅子はあるのだが、本が積まれていない椅子は二つだけだった。
ちなみに、パチュリー自身は魔法で浮いている。どうなんだ?それ。
「紅魔館に流れる噂について調べてるんだ」
「そう、なぜ?」
「好奇心だぜ。魔法使いらしくな」
「好奇心ね。魔法使いらしいわ」
パチュリーは、深く頷いた。
納得しているのだろう。まぁ、魔法使いはみんな似た様なもの。
形は違うが、どいつもこいつも“知識の探求者”であることには変わりない。
いや、寺の魔法使いはちょっと違うが。
「それで、貴女たちはどんな噂を知っているの?そのぶんだとレミィや咲夜たちには聞いたのでしょうから、それ以外で」
しっかりお見通しだったようだ。
実は魔法で見ていたんじゃないか?こいつ。
「そうね……ええと、“図書館の正式名称は、ヴワル魔法図書館”」
「ヴワル?ソロモンの悪魔“ウヴァル”と関連性でも持たせているのかしら?」
「ウヴァル……女性に愛情を、敵対者との間に友情を約束する博愛の悪魔ね」
「それなら私も知ってるぜ。ええと、三十七の軍団を率いる、四十七番目の大公爵だ」
だが、どう考えてもこの図書館に向かない。
悪魔のくせに博愛とか、よくわからない存在だが、それがどう関係するんだ?
「ウヴァルは、女性に愛を届けるためにあらゆる手段を行使すると言われているわ。現在過去未来、それらから秘術を集めてね」
「知識には関係がありそうだぜ。まぁ、目的が“愛”じゃあなんだが」
「そうね。私の図書館には似合わないわ」
自分で言うことではないと思うが、まぁいいか。
「あとはヴェール……“幕”だとかそんな意味合いかしらね?」
アリスがそう呟くと、パチュリーは唇に指を当てて悩み、すぐに肩を竦めた。
その瞳からは既に、興味の色は失われている。
呪術的な要素があった訳でもない、となるともう好奇心の対象外なのだろう。
「まぁその程度のことばかりなら、とくに議論の余地はないわね」
「全部噂、にしては多い気がするけれど」
「そうだな。紅魔館ばっかり、どうしてこんなに多いんだ?」
「レミィが、“面白そう”なら天狗でも招き入れるからよ。小悪魔、紅茶をちょうだい」
パチュリーがため息と共に告げると、赤い髪の悪魔が静かに降り立った。
美鈴よりも、黒に近い深みのある深紅の髪。そして美鈴に似た、柔らかい表情。
背中と頭に生えた黒い蝙蝠の羽がなかったら、妖怪かどうかも妖しい、柔らかな雰囲気を持つパチュリーの使い魔。それが、小悪魔だ。
「畏まりました。そう言うと思って、もう用意していたんですよ」
「あら、気が利くわね」
「いいえ、それよりもパチュリー様?ご歓談も良いですが、あまり長く続けていると喘息に障りますよ」
「ふふ、心配してくれてありがとう。でも、私は大丈夫よ」
紅茶を並べながら、小悪魔はパチュリーに小言を並べる。
本気で心配しているのか、語気がやけに強いように感じる。
……心配、してるんだよな?ああいや、この会話を聞いて疑う方が変か。
「小悪魔は噂について、何か知らない?ほら、一時期貴女の噂も流れていたでしょう?小悪魔の正体は強力な魔王だとか、いやいやきっと男の娘だとか、実は沢山いるだとか――」
「――もう、パチュリー様自身で変な噂を広げようとしないでください!渦中にいなければならないのは、パチュリー様ご自身なんですよ?」
やっぱり、心配して居るみたいだ。
息を荒げるその向こう側、瞳の奥に焦りのような色を乗せている。
それから小悪魔は息を整えると、恥ずかしそうに頬を掻いてから一礼して去っていった。
その悪魔らしくない姿勢の良い後ろ姿に、アリスが小さく零す。
「あの子、良い娘ね」
「ふふ、悪魔らしくない……でしょう?」
そう語るパチュリーの目は、優しげだ。
あまり感情の多くを表情に出さないパチュリーは、こうして瞳の奥に色を乗せる。
アットホームな紅魔館、これもその一幕なのだろう。
「そういえば、小悪魔もなにか知っているかもしれないわ。さっきはついからかっちゃったけど、奥で目録作りを任せているから聞いてみると良いわ」
「おお、そうか。ありがとよ、パチュリー」
「そうね、折角だから聞きに行こうからしら」
「なにか面白いことが解ったら、教えてちょうだい」
「ああ、任せろ!」
パチュリーに見送られて、私たちは直ぐに小悪魔を追いかけ始める。
もうこれ以上わかる事はない。そんな風に、思っていた。
だからだろう。パチュリーの表情に、気がつけなかったのは。
「ふふ、そう……“面白いこと”があったら、教えて欲しいのよ……ふふ、ふふふふふ」
パチュリーが妖しい笑みを零していることにも気がつかず、私たちは図書館を進む。
後から思い返してみれば、ここが目を逸らすことのできる、最後のチャンスだったのだろう。
思い返してみても仕方ないのは解っている。
けれどこの時、パチュリーが私に何事か呟きながら指を向けていることに気がついていたら、何かが変わっていたかも知れない。
いずれにしても……詮無き、ことだった。
――6・噂の探求/小悪魔の場合――
小悪魔を追いかけていた私たちは、途中で足を止めることになった。
本当に紅魔館の地下にあるのか解らない、途轍もない面積を持つ図書館。
似た様な景色ばかり続くこともあって、その道は迷路のように解りづらい。
そう、有り体に言えば――
「どこへ行ったのかしら……彼女」
「見つからない、な」
――道に迷ったのだ。
帰ろうと思えば、来た道を戻るだけなのだからさほど苦ではない。
けれど、この先で小悪魔一人捜すとなると、骨が折れる。
「仕方ない、手分けするぞ。アリス」
「その方が良さそうね。魔理沙、変な本に触れちゃダメよ?気をつけてね」
「……わかってるぜ」
アリスと別れて、一人で歩き出す。
まさか手が読まれていたとは……水曜日のアリスは割と“鈍い”と思っていたのだが、どうやらそうでもないようだ。
まぁ、呪われそうな本も数多くあるから、“借りていく”準備も無しに手を出したりはしないが。たぶん。
図書館は、本当に広い。
知識の宝庫と図書館の主が言うだけあって、この図書館にはあらゆる知識が詰まっている。ここで学んで、実践すれば、知識を私の知恵として行使できる日も来るだろう。
「今度土曜日のアリスと一緒に来て、隙を見計らって借りるかな。ああいや、置いていったら後が怖いか」
本の背表紙を見ながら、奥へ進んでいく。
右の本を見て、左の本を見て、もう一度右へ戻そうとしたときに、視界に端に“赤”が映り込んだ。
「っ」
思わず、走り出す。
角を曲がっていった小悪魔を追いかけるために、簡単に身体強化の魔法を施す。
ここで見失うのもつまらないので、なるべく早く追いつきたかった。
「おーい、小あく――うわっ!?」
肩に手を置こうと腕を伸ばした、瞬間。
風のないはずの図書館で、私の足下を“風”が掬う。
……私は、ドジっ子属性なんぞ手に入れた覚えはない!
「へ?魔理沙さ――わわっ!?」
――ドンッ
バランスを崩した私は、小悪魔に突っ込むことになった。
突然だったのと身体強化の勢いがプラスされたので、よほど強く押してしまったのだろう。妖怪であるはずの小悪魔に跨ることになってしまった。
って……いやいやまずいだろ!
「つつ、おい、大丈夫か?……小あく、ま……?」
私が両手を置いているのは、その、小悪魔の胸部だ。
その手の平に伝わる感触は……堅い。
更に言えば、手の端には少し位置がずれてしまった柔らかい何かが触れていた。
「魔理沙さん」
頬を引きつらせながら、視線をやや上に戻す。
私に押し倒された小悪魔は、それはもう、輝かしい笑みを見せていた。
……頬に差している朱は、おそらく怒りとか羞恥とか、それに属する感情なんだろうが。
「よく、タイミングが悪い、とか言われません?」
「い、いや、思い当たる節は……あるぜ」
アリスの時も、タイミングの悪い場面に出くわしていたことを思い出す。
そんなつもりはなかったんだが、どうやら私はタイミングが悪いらしい。
「さて、魔理沙さん?」
「すす、すまんっ!直ぐにどく――」
「――いいんですよ、そして、さようなら」
羞恥に染まった小悪魔が、爪を鋭く伸ばす。
図書館の照明を淡く映して、その爪は陽炎に揺らいでいた。
最早避けることも叶わず、私はその凶刃を――
――7・真実一辺倒/紅魔館の場合――
――受け入れることは、無かった。
大きく後ろに引っ張られて、小悪魔から退く。
冷や汗を掻きながら立ち上がると、私の隣にアリスが並んだ。
私に糸を巻き付けて、引っ張ってくれたのだろう。
「助かったぜ、アリス」
「気をつけなさいとは言ったけど、こんなことになるなんてね。もう、大人しくできないの?」
「私は悪くないぜ。……いや、たぶん」
押し倒したのは悪かったが、あんな所で風が吹くとは思えなかった。
予想のできない事態に迅速に対応するのは、魔法使いにとって必要なことだろう。
でも、仕方が無いじゃないか。動揺が大きかったのだから。
「それで、状況は?」
「転んで小悪魔を押し倒したら、性別が妙だった」
「そう……それは、貴女の……いえ、貴方の趣味?」
アリスは私と直ぐに連携できるよう、上海と蓬莱の位置を整える。
ゆっくりと動かして、私の正面と背を守るように。
「ふ、ふふ、ふふふふ、私の趣味、ですか……面白いことを言いますねぇ」
小悪魔は、胸の詰め物を外して捨てると、虚ろな目で笑いだした。
不気味だが、何故だか妙に哀愁を覚える。
「違うの?」
「違いますよ!ええ、違いますとも!」
「では、何故?」
アリスはあくまで冷静に対応しているが、私はすでに両者の温度差に気がつき始めていた。いや、なんというか、小悪魔の顔が異常に赤い。涙目だし。
「何故?何故と問いましたか?何故と言いましたよね?今!」
「え、ええ」
「おい、なんか、聞かない方が良いような気がしてきたぜ?」
「そ、そうねぇ」
アリスも、困りだしている。
だがまぁあっさりと外した時点で、最初の一撃が脅しだったのは解っている。
悪魔の本気の一撃なんか、視認する暇もないのが普通だからな。
「いいえここまで来たら知って貰いますよ!ええ、知って貰いますとも!この悪魔の館、紅魔館の真実を知って、人間不信に陥るがいいッ!!」
腰が引けている私たちを逃すまいと、小悪魔はにじり寄る。
私たちはその勢いに押され――真実への好奇心も、あったが――その場から動けなくなっていた。
「私がこんな格好――“女装”をしている理由?決まってるじゃないですか。パチュリー様の趣味ですよ」
「は?」
「へ?」
たまに突飛なことを言うが、パチュリーは理知的だ。
冷静で、好奇心が強く、そして多くの知識を内包する稀代の魔女。
その、パチュリーが?
「女顔の悪魔を召喚して、なるべく反抗的なものに女装をさせ、ふとした拍子にばれて羞恥心に悶える表情が見たいからあの手この手で知られるようにする変態魔女!」
「うへぁ」
め、目を逸らしていたかったな、それは。
横目でアリスを一瞥すると、アリスは非常に微妙な表情をしていた。
まぁ、アリス“たち”の中には、ひとのこと言えないようなのもいるしな。
「だから私も考えたんですよ?私を解放してくれれば解くという約束の下全力で喘息の呪いを掛けたり、木を隠す森にするために、パチュリー様が流し出した私の噂から被せるように、紅魔館の皆さんの噂を流したり」
小悪魔は涙目になりながら、自分の頭に手を伸ばす。
そこにあるのは、一対の羽だった。
小悪魔をその二枚を強く握りしめると――横に引く。
「全部が全部、あの性悪魔女には効果がありませんでしたけどね!」
――きゅぽぽんっ
「ぬ、抜けた!?」
頭の羽が抜け、同時に小悪魔の長い髪が床に落ちる。
特殊な術を用いたカツラ止め、だったのだろう。
いや、頭に羽があるのは変だと思ってはいたが、まさかあんな用途があったとは。
「ちょっと待って。貴方が流した根も葉もない噂とうのが真相だったら、おかしいことがあるわ」
「どういことだ?」
顎の手を当てて考えていたアリスが、口を開く。
小悪魔から目を逸らそうとしているのは、女装タイトスカートな小悪魔に対する優しさだろうか。
「ここのみんなが、噂に対して寛容に過ぎるのよ。正直、失礼な噂も多くあったわ、でも、そのことを否定したという話は聞かないし、咲夜に至っては上書きしている。諦めているという雰囲気もなかったし、妙なのよ」
「言われて見れば……どうでもいいって感じとは、少し違ったな」
噂を気に留めてはいるのに、噂を気にしようとしない。
いや、むしろ――あえて目を逸らしているかのように。
「――当たり前じゃないですか」
「小悪魔?貴方、いったいなにを……」
「木を隠すための森として利用しているのは、私だけではないんですよ」
「え?」
小悪魔の言葉。
それの、意味するところ。
流れいた噂の一つ。
ヴワル魔法図書館の“ヴワル”が、“ヴェール”だとしたら?
それは……真実を覆い隠す、“幕”だ。
「いや、でも咲夜はあんな噂をだな……」
「咲夜さんですか?ああ、彼女は少女趣味ですね」
「は?」
聞いてもいない、いやある意味聞いてはいたか。
小悪魔は私たちの戸惑いを置き去りにして、淡々告げていく。
「ロリコンとか情愛的なものでは無く、ただただファンシーキューティクルな可愛いものが好きで好きでたまらない、ちょっと天然入ったメイド長ですよ」
きっと部屋はピンク色なんだろうな。
いやいや、そうじゃなくて!
「言っても良いのか?それ」
「こうなったら全員道連れです」
「うわぁ……」
本当に道連れにするつもりなのだろう。
小悪魔は、暗く笑っていた。大丈夫なんだろうか?いや、ダメか。
「でも、フランドールなんか」
「気分が高揚すると、運動と称して禁じ手弾幕ごっこですね。本人はそれを“茶目っ気のある悪魔っ子”的に捉えています。ええ、そんなレベルじゃありませんが」
だから恥ずかしがっていたのか。
いや、周囲はそれじゃあ済まないだろう。
「レミリアは……」
「お嬢様は、新月の日はやる気無くすんですよね。お腹出しながら麦酒片手に転がっています。おっさんです。その姿に一番嘆いているのは咲夜さんですが」
「ああ、だったら幼児退行の方が、噂としてはマシか。咲夜的に」
「ええ、それだったら幼児退行の方が、マシな噂です。咲夜さん的に」
普段はカリスマ、たまに茶目っ気、地はおっさんの幼女。
なんて嫌な要素なんだ……。
「待って、それなら美鈴は?」
アリスが告げると、小悪魔は途端に眉をしかめる。
案外器用で、気が利いて、穏やかで優しい。
それが美鈴のイメージだし、底が知れないという要素を含めてもおかしな雰囲気にはならない。
「貴女たちは、どういった経緯で館の中で聞き込みをしようと?」
「それは、美鈴が、答えられることは多くないって言うから……」
私が告げると、小悪魔はそれを鼻で笑う。
いやいや、美鈴は最後の良心だ。良心な、はずなんだ。
「はっ!美鈴さんが答えられることが少ない?妖精メイドに人望があって、噂も全て把握している美鈴さんが?お嬢様が生まれる前には既に居たという美鈴さんが?妹様の遊び相手を長年続けている美鈴さんが?咲夜さんの教育係だった美鈴さんが?私が召喚される前までは、パチュリー様の趣味に付き合わされていたという美鈴さんが?」
それは、おかしい。
それが本当なら、美鈴は……全部、知っているはずだ。
噂の内側に隠されている、真実。小悪魔の女装のことは知っているかわからんが、それでもその他の全てを知っているハズなんだ。
「いいですか?お二人とも」
小悪魔の声に、息を呑む。
淡々としていながらも、重い声だ。
「私は噂の八雲紫にお会いしたことはありません。その上で告げるとするのなら、私は美鈴さんよりも“胡散臭い”妖怪を、知りません」
言われてみれば、なんだか胡散臭いように思えてきた。
器用で、長生きで、底が知れなくて、胡散臭い。
紫も相当胡散臭い表情で笑うが、美鈴の笑顔は胡散臭くないから恐ろしい。
「さて、知ったからには仕方がありません――」
アリスが人形を構え、同時に私が八卦炉を突き出す。
小悪魔は悪魔にしては力が弱いため、スペルカードの一枚も持っていない。
それなら、戦闘態勢に入った私とアリスの二人なら、問題なく切り抜けられる。
小悪魔は虚ろな目で一歩踏み出し――両膝を突いた。
「お願いします、どうかこのことは内密に!」
小悪魔の声に、私たちは固まる。
話していて冷静になってきたのか、心なしか声が震えているように感じた。
いや、事実震えているのだろう。その身体は、小刻みに揺れている。
「……今になって、言ったらマズイと思ったのね?」
「広められた首を吊ります。それまで生きていられたら、ですが」
額を地面にこすりつける、小悪魔。
その様子にため息を吐いたアリスは、そっと小悪魔に近づいた。
「顔を上げてちょうだい。私も魔理沙も、ひとの秘密を言いふらしたりはしないわ」
「アリスさん……魔理沙さん」
「まぁ、言わないよ。後が怖いしな」
主に怖いのは、約束を破ったときのアリスが、だが。
「うぅ、ありがとうございます!このご恩は、生涯忘れません!」
目を輝かせて、米つきバッタのように頭を下げる小悪魔。
女装させられているという一点を除けば、一番良識があるのは小悪魔なんじゃなかろうか。
「ああ、なんだぁ初めて真っ当な優しさと良識に触れた気がします!」
「不憫ね」
「不憫だな」
そして、悪魔の言うことでもない気がする。
カツラと詰め物を直した小悪魔に、手を振って別れる。
その笑顔は、憑きものが落ちたかのように晴れやかであった。
――8・真実残滓/門前の場合――
あっさりとした解決だったが、私たちの気は重かった。
どんな顔をしてここの住人の顔を見ればいいか解らず、誰にも会わないように紅魔館を抜けていく。だが、どうしても抜けられない関門も、あったのだ。
「……よう、美鈴」
「おや、二人とも、お帰りですか?」
そう言って微笑む美鈴の表情に、妖しい要素は見られない。
本当は噂を知らなかっただけという可能性もあるんじゃなかろうか。
そう思い始めると、避けたいと思っていた気持ちが軽くなった。
「ええ、色々とお世話になったわね。美鈴」
「いえいえ。咲夜さんや小悪魔くんたちはどうもストレスを溜め込んでしまいますから、たまに話し相手になってくださいね」
「ああ、気が向いたらな」
美鈴の笑顔はにこやかで、優しい。
あんな表情ができるのなら、問題はないだろう。
そんな風に思ってアリスを見ると、アリスも頬を緩めていた。
「じゃあな、美鈴!」
「また来るわ……きっと」
「ええ、楽しみにしています」
アリスと並んで、空を飛ぶ。
行きと同じようにアリスは私の後ろで横座りになり、そのまま浮き上がった。
後ろを一瞥すると、日傘を手にしたフランドールを手招きする美鈴の姿が見えて、その様子に少しだけ胸を撫で下ろす。
良識人が不憫な小悪魔だけというのも、切ないからな。
小悪魔の疑心暗鬼につられて“胡散臭い”とも思ったが、そうでもないようだ。
空の雲は、すっかりと払われていた。
けれど、煌めく朱色の太陽を見ても、私たちの疲れは払拭できそうにない。
「はぁ……疲れたな」
「ええ、そうね……」
深く深くため息を吐きながら、今日一日のことを振り返ろうとして……止まる。
「魔理沙?」
「アリス、美鈴のやつ、別れの前になんて言ってた?」
「え?ええと――――ぁ」
美鈴が別れ際、私たちに告げた言葉。
住人を気遣う言葉の節に隠された、一言。
『咲夜さんや小悪魔“くん”たちはどうもストレスを――』
気がついたら、もう後ろを向くのも億劫だった。
というか、しばらく紅魔館へ行きたくない。
いや、本を返さなければならないから、行かされるんだろうけど。
「宴会だ」
「え?」
私は、箒の速度を速める。
もういい。今日は忘れる。今日だけは、全部忘れて飲む!
「行くぞアリス!今から幻想郷中で、宴会だぁッ!!」
「ちょ、ちょっと、魔理沙?!」
アリスを引っ張って、茜色の空を飛ぶ。
その頃にはもう、赤い館の姿は見えなくなっていた――。
――9・噂の終点/魔理沙の場合――
アリス宅地下には、人工の光が太陽のように差し込んでいる。
普段は人形たちが慌ただしく動いている、地下研究室。
だが今日は、せわしくなく動いていた人形たちが、みんな静かにしていた。
「やっぱり良いわね、あの図書館」
幼いアリスはそう呟きながら、パチュリーの所で借りてきた本を読んでいた。
周りを見れば、他のアリスたちも、思い思いに本を読んでいる。
あの日、紅魔館の真実が解った後、結局私たちは何も変わらなかった。
むしろ、みんな変人ならば気にしないだろうと、アリスが交代で出向くようになったほどだ。
アリスも変人の一員だと解ったときの小悪魔の表情が、忘れられない。
……もちろん、“不憫”という意味で、だ。
「何事も、好奇心を抱いて試してみるものね」
「自分で行くのが一番だと思うぞ」
「それじゃあ、“アリス”たちへの新鮮な反応を収集しづらくなるじゃない」
アリスは、ひとに関わることに興味を持てない。
だから、別にこうして一人で居ても寂しくはないのだろう。
妖怪らしいと言えばそうなのかもしれないが、パチュリーですら親友を求めたのに、アリスは“誰も”求めないのだ。
まぁ何時か、私がアリスの目を捉える階位に立ってやるつもりだがな!
「はぁ、これの続きは……あるみたいね。今度借りてこようかしら」
だが今は、それよりも一つ気になることがある。
アリスは他者に関心を持たない。これは、前から知っている。
でもだったら、何故紅魔館の噂になんか、興味を持ったのか?
「なぁ、アリス?」
「うん?なぁに」
「おまえ、気兼ねなく本の貸し借りができる状況を作るために、私と“アリス”を調べに行かせたんじゃないのか?」
噂への好奇心なんか関係なく、むしろ噂からある程度の事態を把握していたとしたら?
それで何かが変わる訳ではない。だが、これ以上“知らない”でいるのも、嫌だった。
私がそう問いかけると、アリスは面白そうに眼を細める。
チャシャ猫が好奇心から鼠を噛み殺すような、そんな愛くるしく危うげな表情だ。
「ふふ、さぁね?ただ興味を持っただけ、かもよ?」
「ひとの関わる噂に、アリスがか?」
「ええ、そう、ただ興味を持ったの、ふふ」
その目を、真っ向から見返してやる。
だがアリスはそれに動じずただ無邪気に微笑んで、それきり興味を無くして本に目を落とした。
ああ、くそ、私が今触れられるのは、ここまでか。
でも、進展したこともある。
前は適当にはぐらかされて終わりだったろうに、今は少しだけアリスの興味を引いた。
待っていろよ、アリス。
無味無乾燥で居られるのも――――今のうち、だぜ?
紅魔館を巡る噂。
全てが片付いても、終わらない関係。
見上げた先に空はなく、広がるのは人工的な光だけ。
だがそれを打ち破って、中に篭もった人形のような少女を引っ張り出すのも、面白い。
私はそう、首を傾げるアリスに、不敵に笑ってみせたのだった。
――了――
改めて美鈴が怖く感じたw
まぁ、ナマズ相手にハッスルしちゃうようなクーニャンですけど、実物は。しかし、個人的にはこの美鈴は大好きです。
あとこぁくま君www
お姉さんアリスたまりません
いろいろ知ってしまう魔理沙とアリス達が今後どうなるのかも楽しみです
ところで私からも小話を一つ。
色で「スカーレット」と言うと、ちょっと黄色味がかった明るい赤なんです。
日本語に訳すと、それに近い色で緋色、猩々緋なんかがよく充てられるようです。
あるいは深紅、真紅を充てる場合もあるようなんですが、紅色、深紅、真紅と
これら紅系統の色はどれをとっても青味の強い、暗い赤色なんですね。
つまり、「紅魔館」の「紅」って、スカーレットとは違う色なんです。
……じゃあ、ほんとうの紅魔って、誰なんでしょう?w
次もいずれかのアリスが登場するのでしょうか?
楽しみです。
→返さなければ
こんな紅魔館組をみるのは初めてで、新鮮でした。
一番胡散臭い美鈴に関する噂があまり無いのは、美鈴に裏が無いからと思ってよいのだろうか・・・
>>ミニスカートやるのはどうかと思う
ミニスカートで、だと思います。
コメディのようなホラーのような奇妙な味付けの作風は大好きです。
ロリスさんがいつかデレてくれるの楽しみにしてます。
このシリーズいいね!
しかし、小悪魔ェ…
軽快な雰囲気なのに落ちが少し不気味な作風が素敵
キャラ設定も面白い
魔理沙がアリスを振り向かせることはシリーズ中に出来るのか
次も楽しみにしています
ありがとうございます!お待たせしました。
私の中の美鈴は、こんな感じです。
4・名前が無い程度の能力氏
ナマズは認めない……なんてことはなく、本当に黄昏れさんの美鈴は可愛いですよね。
ミステリアスで胡散臭くて、でも優しくて茶目っ気もあって、みたいな。
7・名前が無い程度の能力氏
最初以外は一話完結なので、オマケ編でも作らない限り紅魔館のことにはあまり触れなくなります。ですが、小悪魔君の胃が痛むような状況になる、とだけw
9・名前が無い程度の能力氏
なんとそんな素敵な噂が!w
本当は怖い紅魔館。道に迷った人間が、泣いて帰るような場所です。
きっと、見てはならない“紅”を見てしまったのでしょう……。
17・名前が無い程度の能力氏
ありがとうございます!次話も、執筆進行中です。
21・名前が無い程度の能力氏
どうにか皆様の予想の斜め四十五度を滑空できないかと頭を捻っていたので、そう言っていただけると喜びます。ありがとうございました。
22・名前が無い程度の能力氏
ありがとうございます。
毎回、アリスは違う曜日が出演してきます。
25・名前が無い程度の能力氏
ありがとうございます。次もお楽しみいただければ、幸いです。
28・名前が無い程度の能力氏
ご指摘ありがとうございます!
貸してどうする魔理沙ェ……。
38・名前が無い程度の能力氏
皆さんの予想をアッパーブレイズする事ができましたようで、幸いです。
次回は、今日明日中には投稿できるかな、と思っております。
40・愚迂多良童子氏
ご指摘、ありがとうございます!脱字とか、もう。
美鈴に噂が少ないのは、美鈴が“巧い”からだという噂を流そうと、魔理沙さんが死亡フラグ的画策をしているようです。
42・名前が無い程度の能力氏
いやいやまさかそんな、というところでひっくり返す紅魔館メンバーです。
一番常識的なのが小悪魔くんで、一番可愛らしいのが咲夜さんです。
作風について、ありがとうございます。このテイストの構成は初挑戦ですので、楽しんでいただき幸いです。
48・名前が無い程度の能力氏
ありがとうございます。
まだ続く予定ですので、是非その時もお楽しみ下さい。
50・名前が無い程度の能力氏
予想外の展開になれたようで、良かったです。
どれほど覆せるか解りませんが、今後も脳をキリキリとひねり上げていきたいと思います。
53・名前が無い程度の能力氏
ありがとうございます。
続編は、現時点で八割方完成しているので、今日中に推敲・校正できれば、と考えております。
55・名前が無い程度の能力氏
紅魔館の実態に迫ったが最後、恐ろしい姿が顔を出します。
そして小悪魔くんは、今日も胃薬片手にパチュリーの喘息を悪化させようと、わざと埃を立てて仕事をしております。
57・名前が無い程度の能力氏
魔理沙視点でできるだけ文章は軽く、を目指しております。
キャラクタ設定も、お楽しみいただけましたようで、幸いです。
アリスは魔理沙にデレるのか、もいずれ書けたらと色々構成中です。
こればかりは、彼女たちに話を強請っても、中々教えてくれないのでw
沢山のご感想のほど、ありがとうございました!
皆さんのコメント、ご評価のほどが励みとなっております。
引き続き皆さんにお楽しみいただけるよう、書いていきたいと思います。
それではまた次回、博麗神社編でお会いできましたら、幸いです。
魔理沙の苦労人っぷりはもっといい感じ。
おいちょっと待て魔理沙
自分には少々突飛な設定で面食らいましたが、東奔西走の混乱っぷりが面白かったです。
こぁが羽取ったのに笑った(笑)
>私が召喚される前までは、パチュリー様の趣味に付き合わされていたという美鈴さん
これってまさか……いやいや……しかし……
つまり男装美鈴かッ!イイッ!←
あるいは美鈴の正体が実はうわなにをする
個人的に美鈴は萃夢想のイメージが強いんで胡散臭いって言うのは新鮮でした(あの、隠しキャラのくせにそこまで強くもなくかといって良いところが全く無い訳でもない、って感じですw)。
面白かったんでこの勢いで次読んできます。