◆
「ねえ魔理沙、貴女こいしちゃんに告白しないの?」
その唐突すぎる台詞に、魔理沙は思わず口に含んでいた酒を前方へ噴出させた。
細かい霧と化した日本酒は誰かに降り注ぐわけでもなく、篝火に照らされた夜の風に攫われて消えていく。
魔理沙が咳き込みながら声のした方向に鋭い視線を向ける。
するとそこには、人懐っこい笑みを浮かべる蓬莱山輝夜が行儀よく正座していた。
彼女は小さなお猪口を携え、魔理沙の咎めるような眼差しをさらりと受け流しながら、繰り返した。
「魔理沙はいつ、こいしちゃんに告白するの?」
「……どうしてそんな話になるんだよ。藪から棒に」
「何故と問われたら私が求めたからと答えるわ。じゃあ次は貴女の番。いつ結婚するの?」
「質問が露骨に変な方向へ行ってるじゃないか! なんで私がこいしと……!」
語気が荒くなる魔理沙に、輝夜は唇に人差し指を添えて「しー」と言った。
魔理沙はかろうじて言葉を飲み込み、誰かに会話を聞かれていないか確かめるように、周囲をぐるりと見回した。
数多く設置された篝火の炎が闇に包まれた博麗神社を鮮やかに照らしている。
普段は人気がない博麗神社だが、月光の映える今宵は、三十を越える人妖たちが集まり語らっていた。
夜桜観賞という名目で開かれた宴会である。参加者も妖精から神、山の妖怪や地底の面々と幅広い。
しかしながら、もはや桜に心を傾ける者はほとんどおらず、誰もが己の隣にいる人物と楽しげに酒を酌み交わしていた。
魔理沙はその中で、一際大きな歓声を上げている一団に目を向けた。
博麗神社でもっとも背の高い桜木の下。
そこには酒気と雰囲気に酔わされた者たちが、自分の持つ業を自慢げに披露していた。
鬼と鬼が拳をかち合わせて力を競い、天狗と氷精が飲み比べをし、それを見て喝采を上げる鑑賞者たち。
その一団の中心近くに、魔理沙の探している人物がいた。
いつぞやの弾幕ごっこでも披露していた不可思議なポーズで踊る少女、古明地こいしである。
こいしは頬を紅リンゴのように紅潮させながら、周りの妖怪と楽しそうに会話をしていた。
彼女がこちらを注視していないのを確認して、魔理沙は安堵の息を洩らしながら輝夜に視線を戻した。
「……別に私とこいしはそういう仲じゃない。邪推はやめてくれ」
しかし輝夜はクスクスと袖で口元を隠しながら笑い、なおも言い募ってくる。
「邪推なんて野暮なものじゃないわ。私は恋話が好きなだけ。だから一番可能性がありそうな貴女に聞いたのよ」
「当てが外れたな。だいたい月のお姫様の方が、それに不自由しないだろう?」
「そうでもないわよ。昔から寄ってくる男は大した奴じゃないし、今はまったくといっていいほど出会いがないし」
つまらないわ、と愁いの帯びた表情は、まさしく絶世の美女と評されるにふさわしい艶かしさだった。
しかしどうにも中身が庶民的というか、世俗に染まっているというか。
まあ、そっちの方が付き合いやすいがな。そう思いながら、魔理沙はちびりとコップの酒を舐める。
「それ、妹紅に言うなよ。あいつならぶち切れて神社を火の海にしかねんし」
「あいつもさすがにもうそんなことしないでしょう。三日前には呆れ顔で『またその燃料か』って言ってたし」
「……お前も大概性格悪いな」
「それがお姫様の条件というものよ。でも、今は貴女の話。こいしちゃんの他に好きな人がいるのかしら?」
「……ノーコメントで」
「なら、私があの子をもらってもいいわね。ちょうどあれくらいの礼儀知らずな子が欲しかったのよ。躾けて適当な男にくれてやったらさぞかし……って冗談よ冗談。だから妹紅に負けず劣らずな殺気はやめてくれないかしら。ぞくぞくしちゃう」
しまった、と魔理沙は唇を噛み締めて後悔した。
輝夜の顔を見る限り、どうやらまんまと誘われたらしい。その証拠に、彼女はひどく楽しそうに微笑んでいた。
「やっぱり好きなんじゃないの。言葉だけなのにそれだけ他人のために怒れるなんて、そうないわよ」
「いや、友人を貶められたらこれくらいは」
「ないわね~。ましてや貴女だもの。これが私に対してなら『そうすりゃ品のない性根も少しはマシになるだろ』くらいは言うんじゃない?」
その指摘はまったくもって正しかった。
たぶん、いやおそらく、いやいや間違いなくそう答えるだろうな、と自分自身で納得してしまうほどに。
輝夜はお猪口に残っていた日本酒を上品な仕草で呷り、すかさず注ぎ足した。
そして徳利を左右に振りながら魔理沙に訊いた。
「貴女も飲む? 今日はあまり進んでないようだけど」
「……いや、いい。飲酒運転は危ないしな」
「へぇ~、べろんべろんに酔っても帰るときは意地でも帰る貴女が、どうして飲まないのかしら。まさかその後ろに、誰か大切な人でも乗せる予定があるじゃない?」
またしても輝夜が面白いネタを見つけたように瞳を輝かせた。
相手の思う壺だとわかっていながらも、否定することに疲れた魔理沙は正直に認めた。
「ああ、そうだよ。今日はこいしを地霊殿に連れて帰んなきゃならんのだ。さとりからの厳命でな」
「お酒を我慢してでも大切に想う。それを人は、恋と呼ぶ! ああ素晴らしい、人間と妖怪の禁断の恋なんて!」
「その通りです! 人と妖が心と体で結ばれる様は、誠に美しく感慨無量であるッ! いざ、南無さ――」
「南無三するんじゃありません」
「あいたっ」
突然の闖入者に、魔理沙は溜め息をつきながらチョップをかました。
その女性――聖白蓮は、てへへと悪戯を咎められた幼女のように笑みを浮かべ、魔理沙の隣にさっと正座をした。
手には輝夜と同じくお猪口が握られており、中では真新しい小さな雫が星の光を反射している。
魔理沙は疲れたように頭を振り、参加してきた白蓮に言った。
「どこから聞いてた、酔いどれ僧侶」
「酔ってませんよ、魔理沙。これは酒ではなくて般若湯。つまりはお湯です」
「白蓮さん。貴女はお代わりいかがですか?」
「これはどうも、いただきます」
深々と頭を下げ、白蓮が八分目まで注がれた日本酒を一気に飲み干した。
ほうっと息を吐くと、その頬がじわりと赤みを増す。おおよそ酔っているのは明白だった。
白蓮は魔理沙の責めるような視線を笑顔で退け、にこやかに言い放った。
「で、魔理沙とこいしさんの式は何時でしょうか? 命蓮寺総出で参加させていただきます」
「それならうちだって永遠亭総出で参加するわ。もちろんイナバたちも残らず連れて行くわよ」
「あら素敵ですね。これは負けていられません、私も――」
「だからお前らは、どうしてそんな話題にするんだよ! 私はこいしと付き合ってないし、プロポーズもしてない! 式なんて挙げる予定もないし婚約指輪だって渡してない! ついでに言うと、キスもまだだ!」
こいしに聞かれないように、しかししっかりと断言する。
だがそんなことでは、ヒートアップした淑女たちを止められはしなかった。
「でも好きなんでしょ? だったら告っちゃいなよベイベー!」
「いえ、いっそのこと命蓮寺で式を開きませんか? 人間と妖怪の共存への第一歩を、高らかに祝いましょう!」
「……まったく、年甲斐もなく話を聞かない奴らだぜ。これだから年増の未婚者どもは……」
「「なんですってぇ?」」
「ひぃっ!? ご、ごめんなさい」
殺気など生温いほどの眼光に、咄嗟に魔理沙は地面へ届きそうなほど頭を下げる。
すると許したのか本気でなかったのか、輝夜と白蓮はすぐに表情を落ち着かせ、魔理沙に顔を上げさせた。
両者の瞳は静謐としており、深い感情の色を醸し出している。
輝夜が、白蓮より先んじて訊いた。
「でも、ぶっちゃけてどうなのよ。こいしちゃんが魔理沙に惚れてるのは確定事項だけど、貴女はそれを受け入れるの? 女同士とか友情と区別がつかないとかくだらない話はやめてよね」
「……なんでこいしの感情が確定事項なんだよ。あいつから聞いたのか?」
「そりゃ分かるわよ。今日あの子と初めて会話したんだけど、話の半分は貴女のことだったわ。魔理沙と戦ったの、強かったよね、かっこよかったよね、可愛いよね、とか」
魔理沙が羞恥で赤くなる一方、白蓮も同意するように首肯した。
「私ともそのような会話でした。『魔理沙が好きなんですね』と言ったら、恥ずかしがるように小さく頷いてました。若いっていいなぁと思いましたよ」
「ほんと、久しぶりに表も裏もない純粋な恋がしたいなって真面目に思っちゃったわよ」
「ねぇ~」
「ねぇ~」
嬉しそうに顔を合わせる二人に、魔理沙は口を挿むのを諦めて、酒を舐めるように飲むだけになった。
きゃっきゃと年端もいかない少女のように、命蓮寺と永遠亭の主が会話を弾ませる。
ふと、輝夜が表情を曇らせながら魔理沙を見やって、言った。
「――人の命は刹那にも満たない。できるなら、あの子に応えてあげてね」
まだその話題かと辟易し、魔理沙はそっぽを向くように顔を背けた。
そこへ足りない言葉を補足するように、白蓮が寂しそうに微笑みながら付け加えた。
「人間の生涯は人間にとっては長いですが、長寿である妖怪からすれば蝋燭の炎よりも儚いのですよ。人間であった頃には分かりませんでしたが、私も妖怪になって彼らを数多く見送るようになってから、そう感じるようになりました」
「人間が妖怪に恋をされるということは罪深いことよ。必ず相手を見送らせることになるから」
「だからといって、恋をするなというのは非道極まりない。恋とは人妖関わらず、誰もがする素敵な贈り物」
「もちろん強制する気はないし、させる権利は神すら持ち合わせていないわ。でも貴女がこいしちゃんのことをほんの少しでも想っていて、隣を歩いてもいいと思えるのなら……なるべく早くね」
「魔理沙が死ぬ前にたくさんの思い出を作ってあげなさい。人間はすぐに記憶を風化させるけれど、妖怪は数百年前のことも昨日のように思い出せるの。命が残せないなら楽しい記憶を、楽しい時を残してあげなさい。それがこいしさんのためにもなるし、私たちへの手向けにもなるわ」
至極真面目に語る輝夜と白蓮は、魔理沙と酒を酌み交わすときよりも格段に大人びた様相をしていた。
永遠を生きる姫と人間を捨てた魔法使い。彼女たちはどれほどの友人を見送り、涙を流してきたのか。
そして彼女たちは、魔理沙の死すらもすでに想定しているようだった。
魔理沙はしばし視線を膝に落とし――つい、別れを惜しむように口を開いた。
「あの、さ……もし私が」
「な~んのお話してるの、魔理沙!」
とすん、と軽い衝撃を伴って、何者かが魔理沙の背中に抱きついてきた。
腕が首元を覆うように回されながら、酔いで赤く染まった頬が魔理沙の頬に押し付けられる。
ほんの一瞬それが誰だか考え、しかしすぐにやめた。
魔理沙は仕方なさそうに口をへの字にしながら、甘んじて彼女の行動を受け入れる。
こいしが酒気を帯びた甘い声を耳元で発した。
「えへへ~、今日は楽しいね。知らない人たちがたくさんいるよ~」
「ほらこいし、そろそろ帰るから準備しな」
「ええ~もう帰るの~? 膝枕してくれたら考える~」
「駄目だ。そんなに酔ってたら寝るだろお前」
「そのための膝枕~」
「あ、おい!」
制止する言葉も聞かず、こいしは胡坐をかいている魔理沙の足に顔を寄せた。
彼女のお気に入りの帽子はすでに脇へと押しのけられ、躊躇なく魔法使いの太腿に頭を乗せる。
その慣れた動作に、魔理沙はもはや止める術を失っていた。
「……三分だぞ」
諦めを含んだ声に、こいしが「は~い」と答えて静まる。
無防備に晒された彼女の髪を手櫛で梳きながら、魔理沙は目元をわずかに綻ばせ――
ふと、自分が注視されていることに気がついた。
魔理沙たちを酒の肴に眺める二対の瞳。片方は無遠慮な興味を湛え、もう片方は感動を溢れさせている。
すなわち輝夜は姫らしくない低俗な笑みを浮かべており、白蓮は感涙を堪えるように目頭を押さえていた。
正反対の表情の彼女たちは、しかし全く同時に言った。
「「なるべく早くね、魔理沙」」
およそ真面目とは言いがたい彼女らの態度から、有無を言わせない程の圧迫を受ける。
魔理沙はこいしを撫でながら、彼女たちの声を振り払うように酒を呷り、
「……まあ、な」
どことなく憮然とした表情で――ひとつ、頷いた。
◆
「ああもう、好き勝手に言いやがって……」
「何の話~?」
「蓬莱山輝夜と聖白蓮は私たちよりも遥かに歳を取ってるってことだ」
追憶を振り切るように頭を振って、魔理沙は箒の柄を強く握りこんで前を見据えた。
春の薫りを含んだ生温い空気を切り裂き、上空で瞬く星々から逃れるように、地底へ続く洞穴へと突入する。
途端に乾いた突風が吹き付けてきて、魔理沙は箒の速度を緩めた。
強風に箒の制御を奪われないように気をつけながら、懐から懐中時計を取り出す。
そして現在時刻を確認し、ほっと胸を撫で下ろした。
「これなら間に合いそうだな。やれやれ、飛ばした甲斐があったぜ」
つい零れた独り言だったが、背中にしがみついたこいしが反応した。
「そうよ、なんでこんなに早く帰らなくちゃならないのよ。もっとみんなとお話したかったのに~」
「さとりに頼まれたんだよ。今日はお前をなるべく早く帰らせてくれってな」
「お姉ちゃんの仕業だったのね……こんな日に限って」
不満げに口を尖らせるこいしに、魔理沙はかすかに苦笑した。
こいしはさも宴会の方が重要だと言い放ったが、実際は魔理沙がさとりに頼み込んで宴会に連れて行かせてもらったのだ。
元々今日は、古明地さとりが密かに計画したパーティーが開催される日だった。
それは一部のペットのみに教えられて、こいしはまったく知らされていなかった。
おそらく突発的なパーティーを開いて吃驚させようとしたのだろうが、そこに現れたのが完全にイレギュラーな存在の霧雨魔理沙だった。しかも間の悪いことに、博麗神社の大宴会の招待状を携えていたのである。
飛び上がるほどに吃驚したのはさとりの方だった。
なんせこれからパーティーだというのに、こいしが魔理沙と共に地上へ出ようとしていたのだから。
慌てて魔理沙を引っ掴み、さとりは恐ろしい形相でそのことを打ち明けた。
魔理沙とて家族の団欒を邪魔しようという気はない。しかしここで『宴会はやっぱりなしで』というのは酷である。
というわけで、なんとかパーティーに間に合わせるようさとりから厳命されて、魔理沙は宴会に臨んだのだった。
「そう言ってやるな。あいつもきっと妹が心配なんだよ」
「そうかもしれないけどさ~。でも魔理沙だって全然楽しめなかったでしょ?」
「んなこたぁない。酒に酔えなくても場の空気に酔えたから満足だよ」
「……もう、それじゃこっちの返す言葉がないじゃない。えいっ」
気の抜けた掛け声がしたと思ったら、ふいに頭が軽くなった。
横目で確認するように振り返ると、そこには魔理沙の三角帽子を手に取ったこいしの姿があった。
こいしは奪った帽子を守るように抱きかかえる。そして、ペロっと舌を出しながら言った。
「預かっててあげる。さっきから飛んでいきそうで不安だったでしょ?」
「……仕方ないな。無くさないように気をつけてくれよ」
「は~い!」
心中を正確に読まれたことにドキリとしつつ、魔理沙は動揺を隠すように周囲へ目を配った。
すでに地上と地底を結ぶ橋は越えており、多数の篝火で彩られた夜の旧都に差し掛かっていた。
眼下で騒ぐ鬼や妖怪たちの姿を漠然と眺めていると、不意に輝夜の声が甦ってきた。
――でも好きなんでしょ?
あの場では肯定も否定もしなかった言葉。
それはまだ答えが自分の中で見つかっていないからでもあった。
(好き、ねぇ。恋の名を冠するスペルカードを使ってる私が悩むってのはどうかと思うが)
再び横目で背後のこいしを見た。
彼女は何が楽しいのか、魔理沙の帽子を摘んだり引っ張ったりしながら遊んでいる。
子供らしい顔つきだが朱に染まった頬はひどく色っぽく、少女とも女性ともとれる危ういバランスを保っている。
そして魔理沙の眼差しに気づいたのか、こいしはふと顔を上げて――
輝かんばかりの照れ笑いを浮かべた。
「っ!?」
魔理沙は慌てて目を背け、俯くように箒の操作に集中した。
……動悸が煩い。ドクンドクン、という血流の音が激しく耳を打つ。
じわりと顔の周辺に熱が集まり、視界が一瞬真っ赤に染まりあがった。
しかしこのまま下を向いていては余所見運転で危険である。そう判断した理性は、強いて視線を上げさせる。
すると土埃の混じった風が吹きつけ、余分な熱を存分に奪っていった。
それもつかの間だった。周囲の闇が一段と濃くなったように、暗い影を落とした。
――目前には、独特な外観と雰囲気を醸し出す地霊殿が堂々と建っていた。
魔理沙は地霊殿の玄関前に箒を寄せ、スカートを翻しながら飛び降りた。
こいしもそれに倣うように地面に足をつける。しかし、なにやら考え込みながら魔理沙の帽子をじっくり見ていた。
何事かと問いかける前に、こいしが動いた。
なんと彼女は、自分の帽子を小脇に抱え、そのまま魔理沙の帽子を深々と被った。
そしてくるりとその場で一回転し、スカートの裾を掴みながらにっこりと微笑んでポーズをとる。
その体勢を維持したまま、訊いてきた。
「似合うかな?」
「ああ。お前が本当の所有者かと思うくらいに似合うぜ」
「えへへ……お世辞でも、嬉しいよ」
こいしは恥ずかしがるように、しかし心底喜ばしそうに笑顔を零した。
世辞ではないと言いかけたが、その前にこいしが帽子を取って魔理沙に差し出してきた。
受け取らないわけにもいかず、魔理沙は小さく息を吐いて受け取る。ゆっくりと帽子を被ると、かすかな芳香が鼻をくすぐった。
「じゃあ、魔理沙。今日はありがとね」
「気にするな。誘ったのは私だから、いつだって送ってやるぜ」
「うん、またね」
こいしが、寂しそうに手を振りながら、背中を向けようとした。
「っ!」
咄嗟に、手が動いた。
魔理沙の右手が名残を惜しむように、こいしの手を掴み止めてしまった。
頭が真っ白になる。今自分が何をしているのかも理解できない。まるで夢うつつの中にいるようだった。
そして魔理沙が我に返ったのは、こいしが不思議そうに首を傾げながら、その無垢な瞳をこちらに向けたときだった。
魔理沙は自分の行動に戸惑ったように、言葉を濁す。
「いや、これは、だな……なんというか……」
「……何か言いたいことでもあるの?」
「むぅ……そういうわけじゃないはず、なんだけど」
言い訳を口にしながらも、手は一向に力を緩める様子はない。
それどころか繋がりを確かにするように、ますます力強く握り締めるようだった。
普段の自分ならば、ここで愛想笑いをしてなんとか手を離しただろう。
だが、どうにもその気にはなれなかった。むしろそれどころか、謎の熱が思考力を奪っていく。
その衝動の赴くまま、魔理沙は薄ぼやけた声色で聞いた。
「こいしは、私のことをどう思ってる?」
「魔理沙のこと? 好きだよ」
明日は晴れだよ、と言わんばかりに自然な口調だった。
途端、どくんと心臓が強く鼓動した。冗談でも返そうと口を開くが、どうしても言葉が詰まる。
目を瞬かせるこいしの前で、自分の顔がこれ以上になく紅潮していくのが分かった。
(これはもう、駄目なんじゃないかな)
魔理沙は深呼吸をして無駄に溜まった力を排し、ゆっくりとこいしの手を離す。
そして、きょとんとした瞳を向けてくるこいしを真正面から見据えて、言った。
「――そうか。私も、お前が好きだぜ」
「そっか、それじゃ相思相愛だね! これからはみんなに自慢できるよ!」
「いや、そういう程度じゃなくてな……」
無邪気に喜びを露わにするこいしの様子からは、自分の真意が伝わっているとは思えない。
だから魔理沙は、重ねるようにして言葉を紡いだ。
「私は、こいしが好きだ。異性として……って同性だったな、でもそれだと友達っぽい意味合いになるし……」
「うんうん、なんかよく分からないけど、私が好きってことね?」
「そうなんだよ。なんて言えばいいのか……恋愛対象としてってどう伝えればいいんだろう」
「アイラブユーとか? あははっ、まさかそういうことじゃ……」
「そう、アイラブユーだ! 私ラブこいし、みたいな!」
「…………へ?」
「外来語ってわりと便利だな。まあ私はこんななりしてるが日本語しか喋れないけど……ってどうした?」
ふと見やると、こいしが驚いたように目を見開いていた。
その表情からは宴会終了時より漂っていた酩酊の残滓すら感じ取れない。一気に吹き飛んだかのように。
どうしたのかと訊ねようとして――彼女が、小刻みに震えているのに気がついた。
震えは次第に全身へと伝播していき、しかもその度合は加速度的に増している。
よく見れば、薄暗い地底でもはっきり分かるように、こいしの顔から血の気が失せていた。
明らかに様子がおかしいと悟った魔理沙は、咄嗟にこいしへと手を伸ばした。
――しかし。
「っ!」
鋭く翻ったこいしの手が、魔理沙の手を打ち払った。
魔理沙が瞠目する。払われた手にじんわりとした痛みが広がるが、それ以上に、こいしの姿に呆然とした。
こいしは縮こまるように自分を両手で抱きしめ、カチカチと歯を鳴らしながら、魔理沙を見つめていた。
その瞳からは、ある感情が強く発せられていた。それは恐怖だと、魔理沙は否応なく理解した。
――どうしてそんな目で私を見るんだ。私が怖いのか。何をしたんだ、一体私が……
なんで、と声にならない呻き声が零れる。
それが合図となったかように、こいしが背後にある地霊殿のドアへ走りこんだ。
止める暇などなかった。驚愕に身を強張らせていた魔理沙は、それを呆然と見送った。
「……え?」
元の静けさが、地霊殿の玄関前に戻ってきた。
遠くより旧都の騒ぎがかすかに響いてくるが、魔理沙がそれを耳にすることはなかった。
目の前で固く閉じられた扉を――魂が抜け落ちたように眺めるだけだった。
◆
生まれてきた若葉の薫りを、春風が優しく連れてきた。
柔らかい日差しは突き刺さることなく、まるで温かな布団で包むように降り注ぐ。
最高の日向ぼっこ日和である。しかし博麗霊夢は、縁側で重苦しく溜め息をついた。
ようやく冬が過ぎて理想的な陽気となり、こうしてお茶を片手にボーっとするのが幸せなのに、今はとてもそれを喜んでいられるような心境ではなかった。
それは、背後で嗚咽を洩らす少女が原因だった。
「ねえ、魔理沙。いつまでそうやって泣いてるのよ」
「うぐぅ~~~……」
振り向いて声をかけても、魔理沙は枕に鼻水を押し付けて布団に包まるばかりである。
霊夢は、はぁ、と疲れ切ったように息を吐いて、平坦な面持ちで空を見上げた。
雲ひとつない、まさしく快晴と呼べるほどの青空。しかし、こうも後ろで泣かれていると気分が晴れなかった。
彼女が訪ねてきたのは、今から半日ほど前のこと。
片づけを終えた霊夢が床に入ろうとしていた時だった。不意に、玄関の戸が開閉した音が静寂な母屋に響いたのだ。
そういえば鍵はかけたっけ、と半分靄のかかった頭で考えていると、人影が寝室に潜り込んできた。
暗闇に慣れた目を凝らすと、そこに立っていたのは、古い付き合いである霧雨魔理沙だった。
霊夢は、彼女の顔を見た瞬間に、少なくない驚愕を覚えた。
あの魔理沙が、ボロボロと涙を零しながら嗚咽を堪えていたからである。
何があったのか聞いてもまるで要領を得ない言葉を繰り返して、虚ろな瞳で地面に視線を落とすだけだった。
――これはちょっとまずいかも。
そう判断した霊夢はすかさず魔理沙の後頭部を一撃し、気絶させて布団へ放り込んだ。
とりあえず朝にでも話を聞こう。心配半分眠気半分で考え、霊夢もぐっすり眠りについた。
そして先ほど一緒に目覚め、魔理沙から昨夜――宴会が終わった後の話を聞き終わったのだった。
魔理沙は話の最中にそのときのショックを思い出したのか、またこうして泣き崩れているのである。
霊夢はお茶を啜りながら、簡潔に話をまとめた。
「ようするに、あんた振られたんだ」
「……うわぁぁぁぁぁぁん!」
背後で再び号泣しだした魔理沙。
彼女の痛ましい声を聞きながらも、恋をすれば失恋もあるだろうにと、無慈悲な言葉が思い浮かぶ。
だが一方で、本当にあの古明地こいしが魔理沙を振るだろうかとも考えていた。
霊夢も二人の仲の良さを知っている。時には友人という括りからも抜け出しそうなほどに親密な間柄であったため、もしかしたら恋仲にでもなるかもとすら思っていたのに。
(あっちは単なる友情でしかなかった? 魔理沙と周りが勝手に勘違いしただけの空回りってこと?)
ありえない話ではないが、こいしの普段の行動からすると首を捻らざるをえない。
魔理沙に抱きついたり張り付いたり、時には魔理沙と親しげに会話する者に嫉妬したり。
少なくとも霊夢は、彼女が魔理沙以外の人物にそういった態度を取っているところを見たことがなかった。
あれが単なる友人に対してのものだったら、世の半分の恋人はただの友人に成り下がるに違いない。
では魔理沙が勝手に振られたと誤解しているのだろうか。
(……それは考えにくいわね。魔理沙の話を信じるなら、ほぼ完全に拒否されたと思っていいでしょう)
告白した直後に起きた態度の豹変。恐怖の眼差し。魔理沙の手を振り切っての逃走。
多少の脚色はあるだろうが、大筋からして誤解のしようがない。恥ずかしくて逃げ出したというのはないだろう。
つまりは、だ。
「相手の気持ちを勘違いして突っ走った挙句、完膚なきままに叩き潰されたということね」
「お前はさっきからなんなんだ! 傷心してる私をさらに追い詰めてるのか!」
「どう考えてもそういう結論しか導き出せないのよ。霧雨魔理沙は古明地こいしに告白しました、振られましたって」
「だからなんでわざわざそういうこと言うかな! もしかして苛めて楽しんでるのか!?」
「いくらなんでもそこまで外道じゃないわよ。単に客観的な事実を口にしただけで」
「ええい、うるさいうるさい! お前は味方だと思った私が馬鹿だったよ! 帰る!」
包まっていた布団を勢いよく蹴り飛ばし、魔理沙が息巻いた様子でどすどすと歩み寄ってきた。
そして座った霊夢を不快そうに見下ろした後、庭に降り立ってから箒を取り出して腰を下ろす。
そして腫れた瞳で鋭く睨み、そのまま飛び去ろうとした。
その前に、霊夢は言った。
「あんたは諦めるの?」
「あー?」
「だから、告白して振られたから諦めるのかって聞いてるの」
眉間に深々と皺を刻み、魔理沙は沈黙する。
だが、その思考すらも許さぬとでもいうように、霊夢はさらに続けた。
「その程度の気持ちだったの? それとも酔った勢いで告白しただけで、実はそれほど好きじゃなかったの? あの子が受け入れてくれそうだったから、好きでもないのに告白したの? あんたが誇らしげに語って披露してた『恋符』っていうのは、そういうものだったのかしら」
一拍の間を置いて。
魔理沙の怒声が、乾いた庭に強く響き渡った。
「そんなわけないだろうが! 好きじゃなかったらこんなに悲しくないし、酒が後押ししたのは告白する勇気だけだ!」
「だったらそんなに背中を丸めてないで、もっと堂々としてなさい。見てて鬱陶しいわよ」
「へーへー、悪うござんした! ほら、これで満足かよ!」
「程よし。で、あんたはどうする?」
お茶を置いて、魔理沙の正面に立って聞いた。
魔理沙は霊夢の淡白な瞳を真っ向から受け止めながら、なおも挑むように眼差しを引き絞る。
「……聞いてくる。どうして断ったのか、全部聞いてからまた決めるよ」
「なるほど。今度は素面で大丈夫なの?」
「次は素面で決めてやるさ。だいたい、二回も酔っぱらいながら告白だなんて失礼極まりないぜ」
「――なお良し! 行ってこい、普通の魔法使い!」
霊夢は掌を大きく開き、魔理沙の背中を自身が痺れるほどに強く叩いた。
すると魔理沙はその衝撃をすべて身に刻むようにしばし静止する。やがて顔を上げたときには、その面に力強い笑みが戻っていた。
愛用の帽子を深く被りなおし、横目で霊夢を流し見しながら、囁くように言った。
「ありがとな、霊夢」
霊夢が返事をする前に、魔理沙は風を巻き上げながら飛んでいった。
向かう先は――まあ、行くべき場所であろう。心を決めた魔理沙が選択を違えるはずがないのだ。
もはや点となった黒い背中に、霊夢はそっと呟いた。
「頑張れ、魔理沙」
これで役目を終えたといわんばかりに、霊夢はのんびりと縁側に足を向ける。
その途中で、実に自然な動作で懐に手を伸ばして、抜いた。そこには太陽光を鈍く反射する、鋭利な針が握られている。
それを、服についた土埃を払うかのような滑らかな動きで、猛然と放った。
ドスドス! その犠牲となったのは、五間ほど離れて直立していた、母屋の柱だった。
柱を狙ったのか的を外したのか。霊夢は、どことなく険しい表情でその周辺を見つめている。
十秒ほど経って。柱の横にある空間が、滲んだ絵具のように波立った。
何もないと思われたそこから、一人の少女の姿が現れた。少女は昏い顔つきで、閉じた三つ目の瞳を撫でている。
やがて、少女――古明地こいしが、深い懊悩に囚われたような声色で、言った。
「……どうして、私がいるって分かったの?」
「勘よ。なにかいるかなぁって思ったんだけど、まさか当の本人とは都合がいいわ」
「何に、都合がいいのかしら」
「聞いてたんでしょ、私たちの会話。強要する前に洗いざらい吐いてもらえれば楽なんだけど」
私たち、とあえて強調することで、それが誰なのかを明確に伝える。
こいしは予想通りに、普段の陽気さからはとても窺えないほどの苦悩の表情を浮かべた。
「……あなたに話すことなんて何一つないわ。だって関係ないもの」
「たしかにないわね。でも腐れ縁があれだけへばってると、私もそれなりに心配したくなるのよ」
霊夢はだらりと両手を下げたまま、なおも鋭く問い続ける。
はっきりとした敵意こそ出していないものの、展開次第ではいつでも札と針を放てる体勢である。
こいしもそれを察したのか、口を噤んで苛烈に霊夢を睨み返した。
生温い風が、両者の間を緩やかに流れていく。虫たちの鳴き声もどこかへ飛んでいったようだ。
剣呑な空気が神社全体を覆い尽くそうとした、そのときだった。
「は~い、霊夢。ご機嫌いかが?」
霊夢の背後にスキマを開き、八雲紫が現れた。それどころか、臨戦状態だった霊夢にもたれかかったのだ。
緊迫した雰囲気が一気に瓦解し、霊夢が慌てて紫を振り払おうともがいた。
「ちょ、紫! 今はそれどころじゃないって、空気読めないの!?」
「いやぁね~。ゆかりん、ちゃんとエアー読めますって。怒っちゃいや~ん~」
「いいからすぐに離れろ、この厚化粧!」
「ぐさぁっ! い、いまのは突き刺さったわ……マイ乙女心に」
胸を撃ち抜かれたかのように、紫の体がぐらりと後ろへ倒れこんだ。
その隙をなんとかもぎ取った霊夢はすかさずこいしのいた方向へ視線を投げかける。
しかし――そこにはすでに、影も形も残ってはいなかった。
霊夢はがっくりと肩を落とし、ふらふらとおぼつかない足取りで縁側に座りこんだ。
「逃がした……。チャンスだったのに」
「別にいいじゃない。あそこで捕まえたって解決が長引いただけでしょう」
「あんたは少しくらい反省の色を見せなさいよ!」
もう復活してお茶を啜っていた紫に、霊夢は目を吊り上げた。
しかしまったく堪えた様子を見せない紫は、ふと妖怪の賢者らしい深遠な眼差しを霊夢に向けた。
幼子を諭すような優しい目に、霊夢は唇を噛み締めるしかなかった。
紫は彼方を展望しながら、慰めるように霊夢の肩を優しく叩いた。
「あとは当事者たちの頑張りに期待しましょう。願わくば、皆に幸多からんことを」
◆
魔理沙は、決然たる疾走で地底を駆け抜けた。
降り落ちる岩をレーザーで砕き、邪魔をする妖怪たちを加速で一挙に振りほどく。
そうしてようやく、昨日こいしと別れた地霊殿の玄関口へ辿り着いたのだった。
「なかなか疲れたぜ……。さて、どうしたものか」
これからの行動を決めるべく、扉の横の壁に背中を預けて黙考に耽る。
こいしから話を聞く。それが最大の目的だが、このまま入ってこいしを探していいものだろうか。
無理をすれば話をする前に拒絶されるだろうし、かといってここで待ち伏せているのは……
そんなことを悶々と考えていると、玄関の扉が唐突に開き、そこから一匹の化け猫が姿を現した。
彼女は朗らかに笑みを浮かべながら、言った。
「やあ魔理沙。ちょうど良かった、探してたんだ。さとり様がお呼びだ。素直についてきてくれないかい?」
「私は別にあいつに用はないんだが……。断ったら?」
「そうさね、怨霊にして操ってから連れて行くことになるねぇ」
火焔猫燐は、牙を剥き出しにした威圧的な冷笑を浮かべた。
ぞくり、と背筋に寒気が走る。燐の熱を帯びた瞳が、これは本気だと明瞭に伝えていた。
魔理沙は降参の意を表するように、力なく頷いた。
「……了解した。念のため聞くが、さとりの話が終わったら自由行動だよな?」
「それはさとり様次第。あたいは猫だけど、さとり様から命じられれば猟犬にだってなりきってみせるさ」
地霊殿はずいぶん訪ねてきたが、今日ほど重い雰囲気に包まれていたことはない。
まず、そこらかしこにいる動物たちの様子がおかしい。いつもなら魔理沙が歩いていれば触ってほしいと擦り寄ってくるのに、今日に限っては遠巻きに見つめてくるだけだった。その視線もどこか敵愾心に似た感情を孕んでいる。
魔理沙が居心地悪そうに歩いていると、燐の足がぴたりと止まった。
「着いたよ。この部屋にさとり様がいる」
「ああ、ありがとう。ところでこいしは自室にいるのか?」
「知らない。そこのところはさとり様に聞くのが一番早いさ。じゃあ、あたいはこれで」
言うやいなや、燐は足早に立ち去っていった。
若干の拒絶を含んだ態度に釈然としない思いを抱えながらも、魔理沙は扉のノブを回す。
錆び付いた音を周囲に撒き散らしながら、扉がゆっくりと開いていった。
「よくいらっしゃいました、魔理沙さん」
静かだが快活な声が、それほど広くはない応接間で反響した。
部屋の真ん中には五人ほどが使えそうな大きさのテーブルがあり、その中心には綺麗な造花が飾られている。
天井には小さめのシャンデリアが吊るされており、柔らかな明かりを灯していた。
そして、地霊殿の主である古明地さとりが席に着きながら、にこやかな笑みを浮かべていた。
いつになく機嫌が良さそうだな、と心の中で警戒しながら、魔理沙は勧められた席に腰を下ろす。
それを待っていたかのように、給仕係とおぼしき女性がすかさず紅茶の入ったカップをテーブルに置いて、そのまま退室する。
息苦しい静寂で満ちた応接間で、魔理沙はさとりと二人っきりとなった。
魔理沙が黙っていると、さとりが重々しく口を開いた。
「ずいぶんと目を腫らしてますね。ちゃんと顔を洗いましたか?」
「そういや忘れてたな。すまん、ちょっと抜けてもいいか」
「駄目です。『さっさとこいしの部屋に行ってしまおう』だなんて考える人に、そんな時間は必要ないでしょう」
「……絶好調のようだな。息災で結構」
「『なんでもいいが、さっさと話を始めてくれ』? そうですねぇ。では、昨日の宴会は楽しかったですか?」
「悪くなかったな。今年初めての花見だったし、いつになく参加者が多かったから退屈はしなかったよ」
「それはなにより。楽しむことは良いことです。それに、貴女はきちんと役目を果たしてくれました」
「……役目? 何の話だ」
「もちろん――……っと、どうやら準備ができたみたいね。ところで魔理沙さん。お腹は空いていませんか?」
突然の質問に、魔理沙は訝しげに眉を顰めた。
だが、別に答えても問題ないものだろうと考え、素直に首肯する。
「そうだな、結構空腹かもしれない。朝食はあまり入らなかったし」
するとさとりは、満面の笑みで手を叩き、露骨に喜びを表現してみせた。
「良かった! 実は食事を用意していたんです。ぜひ魔理沙さんに食べてもらおうと思って……持ってきてちょうだい」
「なんかタイミングがいいな。私が来ることが分かってたのか?」
「いいえ、取っておいたんです。だってこれは魔理沙さんに食べるのが筋ですから」
彼女の妙な言い回しに疑問を覚えるが、それを遮るように次々と料理が運ばれてくる。
結果的に、数秒とかからず魔理沙の前にずらっと瀟洒な食器に盛り付けられた料理が並んだ。
少し顔を綻ばせていた魔理沙だが、料理から漂う臭気を気づいた瞬間、全身の毛が逆立った。
込み上がってきた吐き気を堪えながら、眉を吊り上げてさとりを詰問する。
「……おいさとり、これはどういうことだ」
「どういうこと、とは? それが貴女への料理ですが何か?」
飄々と言葉を返すさとりは、歪な笑顔で魔理沙を見ていた。
「ふざけるな! これはどう見ても……」
料理は腐っていた。形こそ崩れていないものの、たまらない刺激臭が常時発せられている。
鼻を摘まなければ耐えられない激臭に気がつかないはずがない。
魔理沙の非難に、さとりは感情のない口調で淡々と言った。
「これはですね、昨夜のパーティーの料理です。地霊殿は年中暖かいんで、食べ物が腐りやすいんですよ。昨日は食べる暇もなくて放置した結果、ごらんの有様ですよ」
「じゃあなんですぐに捨てない……! そもそもなんで、」
「『こんなものを出したんだ』ですか。有体に言えば、復讐ですよ」
「復讐?」
聞き返すと、透徹としていたさとりの面から、憤怒の感情が噴き出した。
「こいしが帰ってきた直前に食事の用意は整い、久しくなかった皆での食事に心が躍った。……しかしあの子は、帰ってきてすぐに部屋に閉じこもった。押しとどめる私を跳ね除け、涙を流しながらね」
「……っ!」
「旧都で魔理沙さんたちを見かけたペットからの話によると、その様子はいたって普通だったそうです。そして今、貴女の心を読んで確信しました。――魔理沙さん、貴女がこいしを泣かせたんですね」
魔理沙が目を見開いた刹那、暴風を思わせるほどの殺気が応接間で渦巻いた。
魔理沙はもちろん、料理を持ってきたペットたちすら震え上がった。ペットたちは耐え切れなくなったように、足早に部屋を走り去っていく。だが魔理沙は動けなかった。いまやさとりの殺気は魔理沙一人に集中していたからだ。
「私は、私の家族を泣かせる輩を許さない。貴女がこいしの大切な人間であろうと、殺すわ」
ゆらり、とさとりが幽鬼のように立ち上がる。
その背後に青白い炎を幻視し、魔理沙の総身が意志に関係なく震えだした。
彼女の言に一切の偽りはなかった。おそらくさとりはいかなる抵抗を行われようとも、あらゆる手段を用いて魔理沙を殺すだろう。もとよりここは地獄であった場所。死体の処理に困るはずがない。
燃えるように輝きを放つさとりの双眸は、混じりっけなしの殺意に満ちていた。
魔理沙は心の中で必死に逃げ出そうとするのだが、ついには指の一本すらまともに動かず、さとりが歩み寄るのを呆然と眺めているだけだった。
そして、椅子に縛り付けられた魔理沙の横に、とうとう怒りに満ちた妖怪が立った。
冷徹な響きの伴った声が魔理沙の耳朶を打つ。
「博麗の巫女には『灼熱地獄跡を探検している最中に落ちて死んだ』と報告しておきます。安心して、死になさい」
さとりは静かに魔理沙の首に手を伸ばして、そのまま締め上げた。
魔理沙が苦悶の声を洩らして、なんとか振りほどこうとその手を掴む。しかし、非力なさとり妖怪とはいえ、人間と妖怪の間には決定的な腕力の差があった。抵抗虚しく、さとりの指がどんどん皮膚に潜り込んでいく。
「ぐぐ……」
「貴女の人生はここで終わる。最期にトラウマでも思い出させようとも思いましたが……必要ありませんか」
霞み明滅する視界の中、魔理沙は歯を食いしばりながら振り払おうとする。だが、それは間もなく止んだ。
血液が満足に脳に行き渡らず、黒い帳が瞼の上からゆっくりと降りてくる。
もう駄目か。魔理沙が朦朧とする思考で、そんなことを考えたとき。
――行ってこい、普通の魔法使い!
かっと目を見開き、渾身の力でさとりの腹部を蹴り飛ばした。
椅子に座っていたので大した威力はなかっただろう。しかし、食い込んださとりの指を引き剥がすことには成功する。
魔理沙は椅子を押しのけて床を転がり、さとりと距離をとって身構えた。
ヒューヒューと笛のような呼吸音が自らの喉から鳴り、肺が酸素を取り込もうと躍起になる。それを無視して懐から八卦炉を取り出すと、鋭い視線と共にさとりへ突き出した。
さとりは、何事もなかったかのように土埃の付いた服を叩いた。
「……貴女にとって博麗の巫女とはそれほどまでの存在ですか。まさか追憶で生への活力を得るとは」
「いや、単なる、腐れ縁のはず、だぜ。ごっほごほ!」
「ふむ。真に興味深い。これだから人の心というのは読むのを止められないわね」
「……悪趣味な奴だな」
嗄れた声で悪態をつきながらも、彼女の推測はそれほど間違っていないとも思った。
事実、霊夢の言葉が脳裏に甦った瞬間に力が湧いてきたのだ。それだけではない。今、魔理沙の背中は火で炙られた鉄板を押し付けられたかのように、じわりとした熱の痛みを訴えている。そこは、霊夢に平手で殴られた場所だった。
――こんなことで諦めてるんじゃない!
そう叱咤されている気がして、思わず口角が吊りあがった。
「悪いが抵抗させてもらうぜ。こんなことで死んでたら、あの世で合わせる顔がない」
「構いませんよ。どちらにしろ、これ以上は無意味だと思いますので」
さとりはあっさりと引き、再び着席して紅茶を傾けた。
人を殺しかけたとは思えないほどの豪胆な振る舞いに、魔理沙は軽く混乱しかけた。
その後すぐにさとりがペットに腐敗した料理を片付けさせたのを見て、ようやく魔理沙も席に戻った。
だが、先ほどと違って八卦炉を握ったままである。殺されかけたのだから当然といえば当然だろう。
「そう警戒しないでください。きちんとお話できないじゃないですか」
「いや、それは無理だぜ。首を絞められてまたのうのうと会話ができるか」
「ちょっとしたジョークですよ。トイレにでも流してください」
「お花を摘みに行ってもいいか?」
「却下です。……まあそれよりも、本題に入りましょう」
こほん、と咳払いをしてからさとりがキッと眼差しを鋭くする。
なんだか誤魔化された気がするが、これ以上ごねても仕方がないと無理やり納得する。
するとさとりは鷹揚に首肯して、言った。
「こいしは今、留守です」
「……邪魔したな」
ガタリと音を立てながら立ち上がる。
それを慌てたように、さとりが押しとどめた。
「ちょ、なんで本気で帰ろうとするんですか!?」
「いやだって、留守じゃしょうがないだろう。別にお前の顔なんて見たくもないし」
「地味に酷い! なんですか、将来姉になるかもしれない私に対して。ほら、お姉ちゃんって呼んでみてください」
「さよなら、お姉ちゃん」
「出会ってすらいないのにお別れなんて! ああほら、なんでこいしが魔理沙さんを拒否したのか、知りたくないですか?」
「……知ってるのか?」
「知りませんよ。だって心読めないし、話してくれないんですもん」
困りましたねぇ、と首を傾げるさとりに、魔理沙は無言でレーザーを撃ち込んだ。
さとりは体を少し捻るだけで回避し、素知らぬ顔で会話を再開する。
「でもまあ、魔理沙さんの心を読んだ上での推測でいいのなら話してあげますが」
「期待させたけど嘘でした、なんてオチじゃないよな」
「信じてもらいたいですね、そこは」
どうするのか、とさとりが笑顔で問いかけてくる。
魔理沙はしばし腕を組んで悩み――やがて、小さく頷いた。
どの道、ここにこいしがいないのならば広い幻想郷を探さなくてならない。おそらくは無意識となっている彼女を、だ。
こいしの無意識を操る能力は、『たとえ目の前にいても気づかせない』というかなり凶悪なものである。
つまり、こいしが能力を解除している時でなければ、見つけることは至難だろう。
ならばさとりから話を聞くと同時に、この地霊殿でこいしが帰ってくるのを待ったほうがいい。
「そうですね。長くても三日に一回は帰ってくるので、闇雲に探し回るよりかは確実です」
「補足どうもありがとう。さて、話を聞かせてもらうんだがその前に……」
「『何故そんなに協力的なんだ?』ですか。その疑問はもっともです。実は私も内心、魔理沙さんをこいしに近づけたくはありません」
「なら、どうして」
ふいに、さとりの真摯な瞳が魔理沙を貫いた。
魔理沙は緊張した面持ちで、さとりが緩やかに口を開くのを黙って待った。
「これはチャンスだと思ったからです。今あの子が抱えている闇はちょっとやそっとじゃ晴れない。だから少々荒療治になろうとも、出来るだけ早くなんとかしてあげたいんですよ」
「……よく分からんが、それが私の告白と何かつながりがあるのか?」
「あります。なんせ魔理沙さんの告白を断ったのは、それが原因ですから」
魔理沙は目を見張り、そう言ったさとりの顔をまざまざと凝視する。
冗談を口にしているようには見えない。つまりは、彼女は『核心』を知っているということだ。
震えだす唇もそのままに、魔理沙は聞いた。
「じゃ、じゃあ何でこいしは私を振ったんだ?」
さとりは、一息で言った。
「――それはこいしが、他人を一切信じていないからです」
◆
――うそつき。
たまらず、そんな言葉を口走っていた。
途端に女の子の笑顔が歪み、やがて強い困惑を宿した表情へと移り変わる。
どうしてそんなことを言うの。そう、心の中で思っていた。
だから少女はその疑問に答えた。伝わらないと分かっていても、願うように祈るように。
――だって、ほんとうはかわいいなんておもってないじゃない。
女の子はびくりと体を震わせ、見開いた目を少女に向けた。
それは明らかに恐怖を宿していた。
だが女の子は幼いながらもギリギリで感情を隠し、努めて笑顔を浮かべて言った。
(わたしはいったおぼえがないよ。こいしちゃんのかんちがいだよ)
それすらも嘘だと、少女は分かった。
当たり前である。悲しい表情で女の子を見つめる少女は、人の心を読むことができたのだから。
少女は縮こまるように俯いて、可愛いと言われた第三の眼をそっと撫でた。
――わかるもん。わたし、こころがよめるんだもん。
本当は嘘だよ、と言ってもらいたかった。そんなの気にしないよ、と言ってほしかった。
願いは、少女が予想していた最悪の形で裏切られた。
(……こいしちゃん、こわい)
次の瞬間、女の子の顔に明らかな怯えが表れ、振り向いて走り去ってしまった。
少女は悲しみを湛えたまま、逃げた女の子の背中をじっと見つめていた。
勇気を振り絞って友達になってほしいと頼んだのに、結局は友達になんてなれていなかったのだ。
友達になってくれるって答えてくれたのに。
――うそつき。
知らず、第三の眼から血が垂れるほどに、少女は強く強く爪を立てていた。
◆
「……そう。結局のところ、あの子は人というものに幻想を抱き、愛しすぎてしまった。自分が嫌われないように、また嫌いにならないために、第三の眼を閉ざした」
結論付けるように言い放ち、目の前のさとり妖怪は大きく息を吐いた。
「表が言葉、裏が心だと仮定しましょう。では表として発せられた言葉は、すべて嘘なのでしょうか。あるいは裏である心は、すべて本心なのでしょうか」
「……違うだろうな。そもそも『すべて』そうなんていうものはありえない」
「その通り。心はたしかにその人物を赤裸々に語ります。ですが、それらがすべて真実であるはずがないのです。何故なら、その人物ですらそれを真実かどうか分からないのですから」
心に浮かんだこと、そのすべてがその人物にとって真実なのか。
それは違うと心を読むさとり妖怪は否定した。
「空を飛んでいる際、ふと『ここから落ちたらどうなるか』なんて考えたことがあると思います。それは本心かと問われれば、ほとんどの人が否定するでしょう。禁忌や突拍子もないこと、あるいは『本心とはまったくの正反対』のことを考えるのは、人として当然のことです」
「なるほど。たしかに、非倫理的なことをやりたいと『思う』だけならよくあるな」
「むしろ心がまったく嘘偽りのないものだとしたら、さとり妖怪は繁栄したか、あるいは滅亡していたでしょう。言葉も心も、どれが本当なのか分からないから、さとり妖怪は生きながらえてきた」
「服従か排斥……末恐ろしいものだな、人ってのは」
冗談のように呟いたが、とても笑えるような話ではなかった。
「ですがこいしは、表は偽で裏が真だと思っていました。言葉を否定されれば誰だって、その反対のことを思い浮かべるはず。人が『好き』だと言ったことを、私が『それは嘘だ』と言います。すると人は十中八九、心のどこかで『もしかしたらそうかもしれない』と思うんですよ。ましてや、心を読むさとり妖怪に断言されたら、ね」
「こいしは、その『もしかしたらそうかもしれない』部分を真だと捉えていたってことか」
「ええ。今はどうか知りませんが、少なくとも第三の眼を閉ざすまではそうでした。人は嘘ばかりをつく、私はいつも騙されかけていると。そうではないと幾度となく伝えましたが、私も『人』である以上、信じてもらえませんでした」
不意に、自分の心はどうなのだろうかと考えた。
こいしが好きだ。少なくとも、告白しようと思うくらいには好きだった。
じゃあさとりに『貴女はこいしのことが好きではない』と言われたら、自分はどう『考える』のか。
揺らがない気持ちなら『それは嘘だ』と笑い飛ばすのか? 欠片でも不安があれば『もしかしたらそうかも』と悩むのか?
だが自分は、今すぐこいしに会いたいからここにいるのだ。
それだけで充分じゃないのかと、魔理沙は結論付けた。
「そう、大事なのは『信じること』なんですよ。人の本当の気持ちを知るには、まず相手を信じなくてはなりません。でなければ、心を読めたとしても相手の本心を読み取ることなんて出来ないから。相手すら気づいていない本心を浮き上がらせるには、信頼が必要です。あの子は信じるだけの強さがなかったから、誰からも信頼されなかった」
「ということは、私が振られたのは信頼されないからか。私の好意は嘘で、心では嫌っていると思われたからか」
「以前のように第三の眼が開いていたならともかく、今はもう答えあわせすらできないんです」
「嫌われないために第三の眼を閉ざした。その結果、自分が本当はどう思われてるのかすら分からなくなった……」
さとりは神妙な顔で頷いた。
「推測に過ぎませんが。でも、あと一歩だと思うんです。私がペットを与えてきっかけを作り、魔理沙さんがあの子の心を多少なりともほぐした。だからあの子は再び人を好きになり、他人と交流を持つようになった。たとえ表面上であろうとも、数多の妖怪と友人になれた。表と裏なんてくだらないことから脱却するには、これは大きなチャンスのはずです」
「私がこいしと恋仲になれば、あいつが人を信頼できるきっかけになるかも……ってことか?」
「ええ。他人と関わって生きていくことは辛く、難しいことです。私はすでに割り切ってしまいましたが、今も希望を捨てないあの子だけは、なんとか人と隣り合って進める道を歩んでいってもらいたい。それが私の願いです」
一気に捲くし立てたさとりは、すっかり冷めた紅茶を一息で呷った。
すかさずお代わりを注ぐさとりを余所に、ふと魔理沙はこんなことを言い出した。
「なあさとり。弾幕ごっこでふらふら回避するやつを倒す、手っ取り早い方法を知ってるか?」
さとりは突然の話題変更に首を傾げるが、心を読んで理解したのだろう。
たちまち朗らかな笑みを浮かべ、賛同の意を表した。
「……ふふ、なるほど。相当強引ですが、それが貴女の強さなんでしょうね」
「回避されたら回避した場所にも当たればいい。掠るだけなら掠っただけで倒せればいい。いつまでも逃げるようなやつには、とっておきの恋の魔砲をぶち込めばいい。知ってるか? 恋と弾幕は、パワーだぜ!」
そう断言し、普通の魔法使いは強固な意志を瞳に宿して、八卦炉を強く握りこんだ。
◆
「――っ!」
喉元から言葉にならない悲鳴が迸り、こいしは目を覚ました。
運動などしていないのに呼吸は荒く、寝る前に着替えたお気に入りのパジャマは汗でびしょ濡れになっている。
ぽたりぽたり、と額から流れ落ちる汗粒も無視して、激しく自己主張を繰り返す胸を押さえつけた。
こいしはしばらくの間落ち着くように目を閉じて、ゆっくりと深呼吸を繰り返す。
徐々に静まっていく動悸と高まった体温。ほうっと息を吐くと、ようやくこいしは半身を起こした。
「……あ~あ、久しぶりに見ちゃったなぁ。しばらく忘れてたのに」
誰に言うまでもなく独りごちる。
凝り固まった筋肉を伸ばすように腕を突き上げ、その心地よさで再びベッドへ背中を落とした。
現在の時刻は分からないが、ずいぶん寝ていたらしい。キリキリと頭痛がする。
頭を押さえながら、締め切っていたカーテンを開いた。
照りつくような日差しが侵入してくる。それを見て、今が昼間だということが分かった。
次いで窓を開けて風を迎え入れようとして――直前に、それをやめた。
――窓は開けるなよ。茸の胞子が入ってきたら面倒だからな。
脳裏に響くのは、彼女の声だった。
それを思い出すとじわりと目尻に涙が浮かんできたため、慌てて振り払うように起き上がった。
そして、自らを鼓舞するように腹の底から声を出す。
「よし、まずはお風呂だ!」
床に散らばった魔導書や服を踏まないように注意しながら、こいしは浴場へと駆け込んだのだった。
こいしは、魔法の森にある霧雨邸にいた。
三日前に博麗神社で巫女に追われて以来、ずっとこの家で生活している。
そもそも何故あの時博麗神社にいたのかというと、実は魔理沙に謝ろうと思って探しに来ていたのだ。
告白は嬉しい、でもとりあえず友達でいましょう。そんな上辺だけの言葉を伝えに。
ところがようやく見つけた魔理沙は号泣していて、しかも元気になったと思ったら飛んでいってしまった。
会話の内容からして、再び古明地こいしに告白するために。
また会うべきか悩んでいる間に巫女から攻撃を受け、そして気づいたら霧雨邸にいたのである。
ちょうど家主も帰ってこないので、惰性的に滞在していた。
(魔理沙に会いたくなくて、魔理沙の家にいるっていうのも変な話だけどね~)
こいしは鏡の前で歯磨きをしながら、そんなことを考える。
もちろん魔理沙が帰ってきたら速攻に逃げるつもりなのだが、一向にそんな気配はない。
これはつまり、彼女は今も地霊殿に滞在している証拠でもある。
自宅に帰れない以上、次点で過ごしやすい霧雨邸にいるのはある意味必然といえた。
よく霧雨邸に泊りに来るのでパジャマや日用品が揃っており、なおかつ家全体の設備も把握している。
家主がいない以上、ここは最高の隠れ家となっていた。
備蓄されていた食用茸や米があるのを確認し、のんびりと朝食の準備を行う。
補給せずに消費する一方なので、それなりにあった食料はいつの間にか残り僅かとなっていた。
だがこいしは一向に気にせず、米を炊いて茸と野菜を炒め、もぐもぐと一人食事を進める。
魔法の森には野生の動物が住み着かないので、周囲に音を出すものがいない。そのため、こいしが黙ると静寂が忍び寄ってくる。
それを嫌うかのように、こいしは努めて声を上げた。
「さて、今日はどうしようかな。読める本は読破したし、出かけるのは億劫だし……。そういえばお空はどうしたのかな。また暴れてお姉ちゃんに怒られてないといいけど……」
考え始めたら人恋しくなったのか、だんだん声が尻すぼみになっていく。
胸に渦巻く感情のおかげで胸が一杯になり、結局は食事もだいぶ残したまま終えた。
ふらふらとベッドに近づき、ゆったりと身を投げた。眠くもないのに、体は泥のように重かった。
枕を抱いて体を丸める。すると心底安心できる匂いが鼻腔をくすぐり、安らぎに包まれるようだった。
しかしそれと同時に、彼女を想うと、またあの恐怖が甦ってきた。
――こいしちゃん、こわい。
たまらず小さな悲鳴を零し、腕の中にある枕を形が潰れるほどに抱きしめる。
目をぎゅっと瞑って耐えながら、ぞわぞわと這いずりながら近づいてくる過去の残影に、ひたすら背を向けた。
「もうやだ、ほんと……」
視界が滲んでくる。これが何度目かすら忘れてしまうほどに、涙腺が弱くなっていた。
寝てしまおう。また悪夢を見るかもしれないが、この鬱々とした時間を繰り返すよりかは――
そう思って目を閉じた瞬間だった。
静寂を切り裂く鋭い音がかすかに聞こえたかと思うと、『それ』が窓を破壊しながら、部屋に飛び込んできた。
「な、なに、襲撃!? 魔理沙ってそんなに恨まれてたの!?」
慌てて身を伏せて、追撃を受けないようにベッドの陰へ隠れる。
しかし窓を破る轟音も風を切る音もなく、少し湿った風が滑らかにこいしの頬を撫でた。
一分程度だろうか。ようやくこれ以上の攻撃がないことを確信したこいしは、のっそりと体を起こした。
太陽光を取り入れるための窓が無残にも砕け散っており、胞子を纏った森の空気が入り込んでいる。
そして振り返って着弾した場所をよく見ると、それはなんと紙の束だった。
これが投げ込まれたのかと訝しみながら近づく。危険がないことを確かめて、壁にめり込んだ紙の束を引き抜いた。
表紙にさっと目を通し、これが何なのかを思い出す前に分かった。
「え~と……文々。新聞、かな」
おぼろげに思い出したのは、素敵な笑顔を浮かべる信用ならない黒い影。
たしかしゃべえまる……そうだ、射命丸文だったか、と新聞の著者名を目にして一人納得した。他に大事なことを忘れている気がしたが、特に大事な情報じゃないのだと思ってやめた。
そして新聞の一面に書かれた記事を一読すると、こいしは頭が揺さぶられたような驚愕に襲われた。
『地底の支配者、古明地さとりが危篤!? その後継者は誰の手に!』
そこには、確かにそう書かれていた。
何度も何度も目線を左右に行き来させ、まるで間違い探しでもするように新聞を凝視する。
だが、結果は当然のことながら変わらない。ただ無慈悲に、姉が危うい身であると文字で語られていた。
「なんで、お姉ちゃんが……」
愕然とした声が、自らの口から切々と洩れる。
すぐにでも安否を確認しよう――そう考えたが、それは地霊殿へ行くことを意味していた。
あそこには十中八九、霧雨魔理沙がいるはずだ。会えばどんな会話になるか、まったく想像がつかない。
数瞬の葛藤の末、こいしは破壊された窓を蹴破って空へ飛び立った。
たとえどのような事態が待ち受けていようとも構わないと思った。
今はただ、姉が心配だった。
◆
無意識であることを差し引いても、帰宅は順調だった。
至極あっさりと地底の洞穴を進み、鬼や妖怪たちが騒ぐ旧都の上空を障害なく通過する。
そこでようやく、こいしは『普段通り』という異変に気がついた。
「なんで……? お姉ちゃんが危ないのに、どうしてみんなはこんなにいつも通りなの?」
速度こそ落とさないものの、信じられないという表情で眼下の皆を眺める。
そこには、いつものように買い物や飲み比べ、喧嘩を楽しむ妖怪たちの姿があった。街並みも変わった様子はなく、住人たちが困惑しているような素振りは見られない。だがそれこそ、こいしにとって疑問だった。
こいしの姉である古明地さとりは地底の代表ともいえる立場にある。新聞に書かれていたようにさとりが危篤だとしたら、いの一番に対応を決めなくてはいけないのが地底の妖怪たちであった。
さとりがいなくなれば閻魔から新たな代表が送られるかもしれないし、あるいは彼らの中から選ばれるかもしれない。
いくら能天気な鬼であろうと、それについて警戒しない者はいないだろう。
彼女たちはさとりが危篤であることを知らないのだろうか。だが、新聞に載ったほどの情報を見逃すものか――
その問いに答えを出せる時間も無く、こいしはついに地霊殿へ到着した。
慣れ親しんだはずの扉がいつになく重厚な様相を醸し出しており、知らず息を呑む。
だが目を瞑って覚悟を決め、扉を押し開いて足を踏み入れた。
こいしは歩を進めながら、いつもの地霊殿と違う箇所を見つけようと躍起になった。
しかし拍子抜けするほどいつも通りだった。廊下の隅にはごろんと横になるペットたちがいて、その表情は決まって穏やか。とても唯一無二の主人が失われようとしている危機感はなかった。
狐につままれたのかと疑いたくなるほどに、自分と世界に隔たりを覚えた。
そんなことを考えていると、不意にどこからか笑い声が聞こえてきた。その響きには聞き覚えがある。
まさか、とこいしは瞠目しながら、声がした部屋へ突入した。
応接間。姉が密かに自慢していた、可愛らしいシャンデリアが飾られている部屋。
中心に置かれたテーブルと向かい合うようにして、古明地さとりが座っていた。その顔には柔らかな笑顔が灯っている。
危篤であるはずの姉が微笑みながら視線を落としているのを見て、こいしは呆然と立ち尽くした。
やがてさとりは面を上げて、能力を解いていたこいしに、優しい言葉を投げかけた。
「あら、こいし。お帰りなさい。遅かったわね」
「う、うん。ちょっと魔理沙の家に行ってた」
「駄目じゃない、本人が留守の家にお邪魔しちゃ。あの人間も同じことをやってるから、おあいこだけど」
ふふふ、と含み笑いをしながら、さとりがまたテーブルに視線を落とした。
よく見えないが、テーブルの上に何枚もの四角い紙が綺麗に積み重ねられているようである。
こいしは姉が無事であることに安堵しながらも、姉が何を見てるのか気になり、そっと彼女の後ろへと回り込む。
そしてさとりの手元を覗き込んで……ボッと顔を茹らせた。
「ちょ、お姉ちゃん!? なんでそんな写真持ってるのよ!」
「とっても親切な鴉天狗から頂いたのよ。可愛いわねぇ、あなた。ほらこれとか、お気に入りのパンツ見せびらかしてる」
「見せびらかしてないわよ! これはその、宴会の途中ですごく暑くなったから……」
「うんうん、そういえばしばらくお風呂も一緒に入ってなかったわね。百年前から育ってないわ。特に胸が」
「うるっさいわよ! 大体お姉ちゃんは私より小さいじゃない!」
「そんなことはありません。私は着実に育ってるから、もうあなた程度は優に超えているわ。数値的にはB」
「嘘をつけぇぇぇぇぇぇ! だったら脱いでみろぉぉぉぉぉ!」
「きゃー、いやーん」
あまりにも棒読みな悲鳴を上げる姉に、こいしはたまらず笑顔になった。
これではっきりした。姉は実に健やかなんだと。だがそうなると、やはり大きな疑問が残る。
こいしは姉の服を剥ぐ手を止めて、問いかけた。
「あのさ、お姉ちゃん。今地上じゃお姉ちゃんは死にそうって新聞が飛び回ってるんだけど」
「ああ、そのこと。それは……」
「おいおい。あの鴉天狗の新聞は捏造とデマが多いから信用するなって言っておいただろう」
こいしが入ってきた扉の方向から、聞き慣れた声が飛んできた。
咄嗟に視線を向ける。そこにはトレードマークの黒い三角帽子を被った、霧雨魔理沙が扉の前で仁王立ちしていた。
彼女は相変わらずのニヒルな笑みを浮かべ、その手に相棒の竹箒を握りこんでいる。
彼女のことを完全に失念していた。しかし先ほどの言。となると、この状況は……
「魔理沙が仕組んだのね、あの新聞」
「人聞きが悪いな。帰ってこないお前をおびき寄せるために、旧知の仲である文に頼んだだけだぜ。『さとりが危ない』って記事を書いてばら撒いてくれってな。いやあ、あいつが友情に厚い奴で助かったぜ」
「騙されては駄目よ、こいし。魔理沙さんは私の権限を存分に使って鬼を動かし、あの憐れな鴉天狗に嘘の新聞作りを強制させたんだから。まったく、こんなのが妹になるなんてぞっとしないわね」
「もちろん後でお詫びに山菜でも届けるさ。それに、お前だって満足な戦利品を手に入れただろう?」
「ああ、これは本当に予想以上の報酬でした。おかげで『マイこいしメモリアルブック』のコレクションが大幅に増えましたし、閻魔様から預かった権限を貸し与えるリスクに見合う品でしたよ」
魔理沙とさとりは互いに顔を見合わせながら、軽やかに顔を綻ばせた。
彼女たちの、まるで私たちは通じ合っているとでも言わんばかりの態度に、こいしは眉をしかめる。
しかし敢えて不満の声を呑みこみ、聞いた。
「それで、そうまでして私を呼び寄せた理由は? 私に何の用なの」
「全部私の口から言わせる気か。まあいい。実は、お前と勝負をしようと思ってな」
「勝負?」
「ああ。私と勝負しろ、古明地こいし。それで私が勝ったら……」
魔理沙はここで一旦言葉を切り、深く呼吸したのちに、言った。
「私と、恋人として付き合ってもらうぜ!」
「え……えええええぇぇぇぇぇぇぇ!? な、なんでそういうことになってるのぉ!?」
こいしの当然ともいえる疑問に、魔理沙が胸を張って答える。
「だって私、お前に告白しただろ。んで、お前答えてないじゃん」
「え、だって、魔理沙は三日前、博麗神社で……」
「あれは私の早とちりだった。振られたって誤解してただけだぜ。うん、単なる誤解。というか、なんでいなかったお前がそれを知ってるんだ」
「え~と……」
全部見てました、とはさすがに可哀想で言えなかった。
魔理沙もそれはどうでもいいのか、「とにかく」と付け加えて話を戻した。
「勝負を受けてもらう。断るのはなしだ。何が何でもなしだ」
「……じゃあ、今すぐごめんなさいすれば、受けなくてすむの?」
ちょっと困らせたくてそんなことを口にする。
すると魔理沙は、この上なく真剣な眼差しでこいしを射抜いた。
「別に構わないが、その場合泣くぞ。ものすんごく泣いて地霊殿に居座るぜ。猫のようにだ」
「それは困ります。我が家には捨て猫を拾う余裕なんてないんですから」
「にゃ~にゃ~、お姉ちゃん養って~」
「だが断る。私をお姉ちゃんと呼んでいいのは、こいしだけよ」
二人の冗談みたいな掛け合いに、どこからどこまでが本気なのか分からなくなった。
しかし魔理沙は、不意に表情を掻き消した。
その唐突な変化に思わず一歩後ずさり、身を守るように構える。
そして、いやに熱の篭った声がこいしの耳に届いた。
「悪いが、引く気はないんだ。もし本気で嫌なら、私を負かせてみせろ」
その言葉は、どうしようもなく彼女の本気を感じさせられた。
こいしもそれにつられたように、思わず強い口調で言い返していた。
「だったら私が勝ったら、もう二度と顔を見せないで」
「――了解した。約束する、負けたら二度とお前に姿を見せないぜ」
そう即答したのを、こいしは内心苦々しく思いながら聞いていた。
本当はこんなこと言うつもりはなかったのに、売り言葉に買い言葉で、心にもない提案をしてしまったのだ。
だが撤回することは出来ない。それはささやかなプライドが邪魔をしていた。
何とか表情を隠し、さらに質問を重ねる。
「それで、何で勝負するの? やっぱり弾幕ごっこ?」
「違う。勝負方法は『かくれんぼ』だ」
「……は? なんでそんなチョイスなの。もしかして、能力を使うなって話?」
「まさか、好きに使え。お前が隠れて私が見つける。禁止事項は互いに弾幕を使用する、相手に危害を加えることだ。他に質問はあるか?」
「…………」
こいしは混乱した。魔理沙の意図が全く読めないからだ。
正直、弾幕ごっこでないのはありがたかった。何せ魔理沙は弾幕ごっこの第一人者で、半端なく強いからである。
だがその代わりにかくれんぼ、というのが理解できなかった。
今度はこいしに有利すぎる条件だ。しかも能力を使っていいのなら、まず負けることはないだろう。
おまけに隠れるのはこちらだ。もはや『私に勝利する気はありませんよ』と宣言されているとしか思えなかった。
念を押すように、こいしが再度問いかける。
「魔理沙は、本当にそれでいいの?」
「ああ。それとも、これだけハンデがあっても逃げるつもりなのか?」
「――っ! いいわ、だったら全力で叩き潰してあげる。今更後悔したって遅いんだから!」
「そうだ、言い忘れてた。私も魔法を使う。もちろん攻撃用じゃないが。いいな?」
「別にそれくらい構わないわよ。好きにすれば」
「たしかに聞いたぜ。それじゃ、百数える。その間に屋敷内のどこかに隠れろ。制限時間は二時間。異存は?」
「ないわ。たとえ二週間あったって見つかりっこないんだから」
「よし。さとり、時間を計るのはお前に任せる。私が百数え終わったら開始だ」
「ええ、分かりました。それでは二人とも、ご武運を」
その言葉を皮切りに、魔理沙が扉の前から緩やかに退いた。
そしてじっと見つめるようにこいしへ視線を送る。どうやら出て行けという意味らしい。
こいしはさとりから離れて扉へとゆっくりと歩み寄った。
扉を大きく開いて潜る瞬間、魔理沙とこいしの瞳が近距離で絡み合い、互いの心を覗き込むように合わせる。
しかし、ついっと魔理沙の方から顔を外し、こいしに背を向けた。
――ここからは敵同士だ。
多分に見慣れて温もりと安心を与えてくれた背中は、今までで一番冷たくそびえ立っていた。
◆
魔理沙が三十を数える前に、すでにこいしは隠れ終わっていた。
実に簡単な作業である。慣れ親しんだ能力の発動を行うだけで準備は済んだのだから。
一応かくれんぼということなので、応接間から程近い部屋に入り、その隅の方で座っている。
おそらくは妖精ですら隠れ場所として選ばないであろう、無造作というよりも適当な場所だ。
だがこいしにとってはこれで充分だった。
もとよりクローゼットや机の下に隠れる必要はなく、能力ひとつで事足りる勝負だからである。
「九十三、九十四、九十五……」
あまりに早く隠れ終わったので暇を持て余し、こいしは自分でも開始までの時間を数えていた。
他にすることもなく、壁に背中を預けながらぼうっと天井を眺めている。
そしてこいしが百を数え終わってしばらくして。遠くから破裂音が響き渡ってきた。徐々に近づいてくる。
こいしが身構えて扉を注視すると、とうとう扉がパン、と大きな音を立てて開かれた。
それは予想通り、霧雨魔理沙だった。
彼女は屋内だというのに何故か箒に跨っていた。いつになく険しい表情で部屋を見回す。
やがて魔理沙の眼差しがこいしの座っている部屋の隅に向けられ、探す者と探される者が視線を合わせた。
こいしの心臓が一際強く跳ねる。もしかして見つかったのか――
しかし魔理沙は一瞬で目を逸らすと、部屋には入らずさっと姿を消した。どうやら単なる杞憂だったらしい。
こいしは安堵から、深く息を吐いた。
「っふぅ~。なんか秘密兵器でもあるのかと思ったよ」
普通にやるなら、霧雨魔理沙にとってはあまりに分が悪い勝負。
魔法を使うとわざわざ宣言したので、当然自分の無意識を破るための魔法だと思っていた。
しかし見たところ、どうやら空を飛ぶ以外に魔法を使っている様子はなかった。
もし仮に無意識を操られても姿を確認できる魔法なんて使われていたら、先ほど見つかっていただろう。
あまりの無用心さに、こいしは自分が勝ちたいのか負けたいのか分からなくなった。
「……もしも勝ったら一生魔理沙と会えなくなる」
確認するように呟くと、ぞわっと背筋に寒気が走った。
会えなくなる。今まで漠然としてしか考えていなかった『別離』が、急に明瞭としたイメージとなった。
妖怪である以上、自分はこれから千年単位で生きていくはずだ。その全てを魔理沙なしで過ごなければならない。
対して魔理沙からすれば、百年会わなければいい。人間である魔理沙は長くても百年で死ぬ。
どうせ死んだら、二度と会えなくなるのだから――
にじり寄る怖気を耐えるように、こいしは自分の膝を強く抱きかかえた。
それから逃れるように、今度は自分が敗北した時の事を想像した。
「もしも、私が負けたら……」
彼女は自分に、恋人になってほしいと伝えてきた。
恋人。本来は好きあっている男女を指す間柄のことだが、幻想郷および地底ではそれが当てはまらない。
長寿で子孫を残す必要があまりない妖怪にとって、同性愛というのはそれほど珍しいものではないからだ。
事実、先日博麗神社で宴会をした際に、恋人同士だと自慢げに話してきた女性たちがいた。
しかも彼女らだけではなく、他にもちらほらと同性と親しそうに接する妖怪もいたのを覚えている。
彼女たちは、本当に幸せそうだった。
「私と魔理沙が、恋人になる……」
それはとても素敵なことだと思えた。
経験がないので具体的に恋人とはどういうことをするのかは知らない。
しかし脳裏で、宴会の時に見かけた恋人たちの姿を自分と魔理沙に置き換えると……なんだか顔がにやけてきた。
無意識になっているため笑い声を聞かれても問題ないのだが、なんとなく声を殺して笑ってしまう。
今が真剣勝負の最中ということも忘れ、こいしはしばし幸福感に酔いしれた。
こいしはひとしきり妄想して満足すると、時計を見上げた。
規則正しく呼吸をする時計は、最後に見た時より長針が一回り進んでいた。
これで半分。このまま何事もなくあと一時間経てば、こいしの勝利が確定する。
そうなれば……彼女と永劫の別れになる。
チリチリと胸の奥が焦げ付く。まるで何かに追い立てられているかのように鼓動が激しくなった。
嫌だ! 心が叫んだ。誰も答えてはくれなかった。
ここで能力を解除して魔理沙が来るのを待てば、こいしは敗北するだろう。
しかし、立て続けに襲ってくる震えがそれを阻んだ。カチカチと歯が鳴り、目の奥に灼熱を感じる。
猛烈な悪寒に苛まれ、たまらず嘔吐しかけたときだった。
「っ!?」
突如、汗だくで必死の形相をした魔理沙が、部屋に飛び込んできた。
相変わらず箒に乗っている。しかも座っている位置は普段よりも少し前寄りで、どこか乗り辛そうだった。
ぐるりと見回しながら、歩くのと大差ない速度で室内を確認するように飛ぶ。
ようやく無意識がどれほど恐ろしいと悟ったのか、極めて真剣な面持ちで探していた。
魔理沙の捜索範囲がこいしの座る場所に届きそうになり、こいしは慌ててその場から退いた。
結果、魔理沙の箒は見事に空を切って所有者を落胆させる。
捜索し終えたのか、魔理沙はやはり急ぐことなく退室していく。
いつになく小さい彼女の背中――それに惹かれるように、こいしは魔理沙の後をふらふらとついていった。
魔理沙は速度を決して上げず、常に徒歩と同じくらいのスピードで移動していた。
そして開け放った扉の先を覗き込み、室内を箒で円を描くように回り、時にはクローゼットなど人が隠れられそうな場所を手探りで探している。それを、五十を越えるすべての部屋で同様の動作をもって確認するのだ。
これを一時間も丹念にやっていたのかと思うと、おもわず畏敬の念が込み上げてきた。
だが同時に、これはまったくの無意味だという言葉が過ぎる。
それはそうだ。何故なら、魔理沙が探している少女はその真後ろにいるのだから。
こいしは魔理沙の背後でつかず離れずの距離を保ちながら、彼女の行動を注意深く見守っていた。
本来なら魔理沙が振り向いただけで確実に見つかる位置にいるのだが、それはこいしの能力がなかったの話だ。
無意識とは単に姿が見えなくなるというものではない。見えていても気づかない、聞こえていても認識できない、そういう『意識』に介入する能力である。
もちろん透明になってるわけではないので、例えば魔理沙がいきなり弾幕を後方に放てば、こいしは被弾するだろう。ブレイジングスターでこいしを跳ね飛ばせば、能力の維持が困難になり容易く発見されるに違いない。
だが魔理沙は、それを自ら封じている。どういう理由かは知らないが、彼女は自分で自分の首を絞めていた。
また、こいしは魔理沙が何らかの魔法で自分の居場所を察知するものだと思っていたが、三十分ほど行動を共にして、それもないと確信しつつあった。
魔理沙は本当に飛んでいるだけだったのだ。
八卦炉もコンペイトウも出さず、ただひたすら箒で屋敷中を駆け回るだけ。
長時間飛行して魔力を消耗してしまったからか、その額からは大量の脂汗が流れ出ている。それでも、足を地面に着けた時点で自らの敗北が決定するとでも言わんばかりに、頑なに低速で飛び続けていた。
その果てに彼女が望む未来があるのだろうか。少なくとも今のままでは、ない。
そのことがひどくこいしを戦慄させた。
彼女が勝利するには自分が身を晒せばいい。能力を解いて、ここにいるよと声をかければいい。
それで終わる。自分だって魔理沙と一緒にいたいのだ。そんな簡単な事が出来ないはずがない――
なのに。
「うぅ……」
その場面を想像するだけで、吐き気が込み上げてきた。
無理をして声を捻り出そうとしても、喉が張り付いて咳き込んでしまう。
能力を解除しようとしても、全身の震えが収まらなくて断念せざるを得ない。
こいしは立っていることも苦痛になり、思わず胸を押さえて膝をついてしまった。
この総身に襲い掛かる感情。それは、紛れもなく恐怖だった。
「怖い……怖いよ、魔理沙」
ぶるぶると寒気を堪えるように自分を抱きしめる。そして呼ぶのは、その原因である張本人の名だった。
――そう、古明地こいしは霧雨魔理沙が怖かった。
ただし単純に魔理沙が畏怖の対象というわけではない。こいしが恐れたのは、むしろ彼女の好意だった。
こいし自身、魔理沙に少なくない好意を抱いているのは自覚していた。そして、その相手から好きだと言われたことに一瞬でも喜んだのは確かだ。だがそのことが、こいしに深く刻まれていた傷跡を呼び覚ました。
言葉という表に対する裏――すなわち、本心である。
好きと告げられた刹那、『この言葉は本当なのだろうか』と疑念が過ぎってしまったのだ。
そのことにより、こいしのトラウマと呼ぶべき過去の追憶が凄まじい勢いで想起させられた。
心を読んだら嫌われた。心を開いたのに嫌われた。心を読めることを隠しても嫌われた。心を読んだほとんどの者が正反対の事を考えていた。
そして、こいしが心を読めると知ると、皆一様にして去っていった――。
ずきり、と鋭い刃で斬りつけられたかのような頭痛がした。
血が流れていないのが不思議なくらいの激痛だった。痛む箇所の周辺を手で押さえても治まることはなかった。
呻きながら何とか顔を上げると、なんと目の前に魔理沙がいた。
魔力不足で目の焦点が合っておらず、もはや今すぐ倒れこんでもおかしくないくらいに憔悴している。
それでもなんとか箒を飛ばし、残り五分を切った今でも諦める様子はなかった。
魔理沙は蹲るこいしのすぐ傍を通過し、そのまま背を向けた。
「――あ」
体が勝手に動いた。こいしは渾身の力を込めて、魔理沙の箒に飛び乗った。
すとん、とまるで最後のパズルのピースがはまったかのように、これ以上にない安心感と共に着座した。
そして魔理沙の背中に縋りつき、溢れ出す感情の赴くままに、こいしは泣いた。
ごめんなさい、と心で絶叫した。こんなに怖がりでごめんなさい、あなたに応えられなくてごめんなさい、勇気が出なくてごめんなさい、とあらゆる謝意を込めて泣いた。
彼女を傷つけたのは自分なのに、泣くことでしか謝罪できない自分が嫌いだった。
彼女の好意を信じられない自分が嫌いだった。
彼女の好意は嘘ではないかと疑ってしまう自分が嫌いだった。
でも、もしも受け入れた後に、いつか魔理沙から別れを告げられたら。
今度こそ、自分は壊れてしまうだろう。
こんなに弱い私が、どうしてこれほど魅力的な彼女から好かれようか――
かつて心を閉ざしたときのように、黒々とした絶望がこいしの心を染め上げようとした。
そのときだった。
何の前触れもなく、魔理沙の温かな背中が離れた。
きつく握り締めていた拳はあっさり解かれた。あっ、と吐息のような声が洩れる暇もなかった。
次の瞬間だった。ふわっとした風が優しく頬を撫でたかと思うと、先ほどよりも大きな温もりが全身を包み込んだ。
こいしは抗うことも零れる涙を拭うこともできず、突然のことに戸惑うばかりだった。
前を向いていたはずの霧雨魔理沙が、突然振り返り、こいしを優しく抱擁したのだ。
あまりの事態に、こいしの頭は真っ白になった。それくらいありえないこと――いや、奇跡というべきか。
「……なんで」
感覚的に、まだ自分が無意識を操っていると分かった。
ならば何故、魔理沙は認識できていないはずのこいしを抱きしめることができるのか。
そのことを問う前に、魔理沙の頬がこいしの頬と触れ、合わさり、すっと擦れあった。
魔理沙の吐息がこいしに耳朶を震わせ、きゅっとその腕がさらに窄まり――
「――みつけた」
魔理沙はそう、嬉しそうに囁いたのだった。
◆
「結局、どうして私は見つかったのよ~」
こいしがさとりの淹れた紅茶を口に含みながら、不満そうに言った。
対して魔理沙はソファの上に寝そべり、魔力切れで辛そうに喘ぎながら答える。
「あー、あれだ。所詮無意識を操るっていっても、自分の存在を消すわけじゃないんだよ」
「そんなの知ってるよ。でも私が抱きついても魔理沙は気づくはずがないのに」
「体重」
「え? だから、寄りかかったことも魔理沙には……」
「箒にかかった負荷からこいしの存在を感知したのよ。たとえ貴女が乗ったことに気づかなくても、箒に一人分の負荷が追加されることで、飛行に消費される魔力が増加した。そこから貴女が後ろに乗ったと判断したのね」
疲労で動けない魔理沙の代わりに、さとりが説明を代弁した。
しかしこいしは納得いかないといわんばかりに頬を膨らませる。
「なによそれ。ようするにそれって、私の行動待ちだったってこと?」
「そう。結局のところ、勝つも負けるも貴女次第だったのよ。弾幕ごっこでの勝負を望まず、そもそも不利なかくれんぼでワザと自ら条件を吊り上げた。まあこれだけ譲歩したのは、貴女に勝負自体を断らせなくするためもあったみたい」
「はぁ……だから屋内だったのに箒に乗って、しかも私が飛び乗りやすいようにのんびり走らせてたのね。つまり私は最後まで魔理沙の掌の上で踊ってたわけ」
溜め息をつきながら、こいしが魔理沙を軽く睨みつける。
すると魔理沙は顔を覆っていた帽子を取り、よっこらせと体を起こした。
「いや、こっちも相当厳しい綱渡りだったぜ。特にお前が箒に乗ってくるまでに魔力が切れるかどうかは賭けだったな」
「でもさ、もしも私が乗らなかったらどうしてたの?」
「そりゃあ私が負けてたさ。乗るか乗らないかはお前次第だったし、乗る気にさせられるかどうかが私の実力の見せ所だったんだぜ。……まあ、そこはあまり心配してなかった。きっと乗ってくると思ってたよ」
「……どうして?」
「私の後ろは、こいし専用だからな」
そう言って、魔理沙は満面の笑みを浮かべた。
それを直視したこいしは頬を赤らめた。ぷいっと顔を背け、赤面を誤魔化すように呟く。
「ま、まあ頑張ったんじゃない? 魔理沙にしては」
「ふふん。ここで頑張れないようじゃ、なんのために今まで努力してきたんだか。なあ、さとり」
「……ええ、わかりました。私は席を外しましょう」
魔理沙がさとりに目配せしたかと思うと、さとりは颯爽と席を立った。
そして部屋の出口へ向かい――その途中で、ポンッとこいしの肩を叩いた。
何事かと振り向く。姉は答えず、優しく微笑みながら出て行った。
一瞬、完全な静寂が明るい応接間を支配した。
妙な沈黙が漂う中、それを破ったのは立ち上がった魔理沙だった。
椅子に座っているこいしに歩み寄り、ゆっくりと手を差し伸べる。
そして、少し照れたような笑顔で、
「こいし、好きだ。私と付き合ってくれないか?」
そんな告白を、した。
こいしは差し出された手と魔理沙の顔を見比べながら、表情を暗くして俯く。
ぽつり、と独り言のように言い出した。
「やっぱり私、まだ魔理沙のこと信じられないよ」
「それでいい。これから積み重ねていけばいいんだ」
「もしかしたら、また魔理沙のこと傷つけちゃうかもしれない」
「どんとこい。こいしの傷だって私が背負ってやるぜ」
「私はこんなに弱虫なんだよ? 今だって魔理沙の心が読めなくて、不安で一杯なの」
「そこを含めて好きになった」
「でも……」
なおも言い募ろうとするこいしの手を取り、力強く引っ張り上げた。
こいしの体が浮き、魔理沙の正面に立たせられる。魔理沙はこいしの手を握ったまま、安心させるように微笑した。
「私が聞きたいのは、古明地こいしが霧雨魔理沙を好きかどうかってことだけだよ」
そんなことを告げるものだから、こいしは隠し切れない喜びに歯を食いしばった。
まだ怖い気持ちはある。しかし以前とは違い、一緒に彼女への愛おしさが込み上げてきた。
ああ、もういいかもしれない。きっとこの人となら――
こいしも心の底から笑顔になり、ぺこりと頭を下げた。
「これからも、よろしくお願いしますっ」
「お、おう。よろしく……頼む」
魔理沙もつられて頭を下げる。
そして二人同時に顔を上げ、互いに頬を赤らめながら笑いあった。
しかし魔理沙もこいしも目を逸らすタイミングが掴めないのか、しばし見つめあい……
こいしが目を閉じて、ついっと顎を少し上げた。
魔理沙は息を呑んだ後、静かに待つこいしに顔を寄せて――
「……ごめん。まだ恥ずかしくて無理」
「ちょ、こんなに期待させといてそれはないでしょぉ!?」
◆
一陣の風が、霊夢の前髪を優しく揺らした。
空の向こう側を仰ぎ見る。白い雲がぽつぽつとあるばかりで、紅い霧や空飛ぶ船など存在しない。
遠くから妖精たちが遊ぶ声が聞こえてきて、今日も平和なのだと分かった。
ただ、霊夢の心はそれほど晴れ晴れとしているわけではなかった。
それは隣でぶつぶつと愚痴を洩らす、陰気な鴉天狗がいるからであった。
「酷いと思いませんか!? 私が鬼を苦手としているのを知ってて、あの仕打ちですよ!」
「あーそうねー」
「大体私は嘘の新聞が大嫌いだと公言しているのに、力任せの脅しだなんて外道の極みと言わざるをえないですよ!」
「今日も青空がきれいよねー」
「まったく、いくら私が清く正しく美しく器量も良くスタイル抜群で品行方正で……」
「ずうずうしいなこの鴉」
とりあえず文の戯言を耳から耳に通過させ、また溜め息をついた。
さっきから心底どうでもいい話を聞かせられるこっちの身になれ、と心の中で毒づく。
叩き出しても構わないのだが、どうせ他に客はいないのだ。
無意味に暇を持て余すのが嫌いなわけではないが、やはり退屈とは縁遠いものでいたい。
新しい風が吹かないものか、と考えていたときだった。
彼方より、黒白いものが軽やかに飛んできた。
彼女――いや、彼女たちは縁側前の庭に降り立ち、二人揃って歩み寄ってきた。
その姿は以前のものと同じだった。否、決定的に違っていた。
「よう、霊夢。一日ぶりかな」
「……こんにちは」
霧雨魔理沙と古明地こいし。
彼女たちが揃って訊ねてくるのは珍しいことではない。違うのは、二人の『手』だった。
隣り合う魔理沙とこいしの手が、しっかりと重なり合っていた。
それを見て、ようやく二人の問題がこれ以上にない形で収束したのを悟った。
霊夢はかすかに口端を吊り上げ、そして。
「魔理――」
「酷いですよ魔理沙さん! 友人だと思ってたのに、あんな強引な手を使うなんてー!」
文の漆黒の翼が広がり、霊夢の視界と言葉を遮る。
そしてそのまま魔理沙に駆け寄って、吐き出すように抗議の声を上げた。
魔理沙は特に済まなそうな顔をするわけでもなく、軽い返事を返した。
「おお、文じゃないか。約束の山菜はまだなんだ。悪いな」
「誰が山菜なんて欲しがってるんですかー! というかそもそも、その山菜は妖怪の山で採る気でしょ!?」
「なんなら茸でもかまわんぜ。瘴気を発する茸と幻覚胞子を吹く茸とエクステンドする茸、どれがいい?」
「どれかと言われればエクステンドで! いや、そういう問題じゃ……」
ふいに抗議が止み、文がようやく気づいたように沈黙した。
彼女の真後ろにいる霊夢からは分からないが、おそらく魔理沙とこいしの『繋がり』を発見したのだろう。
そしてそれが正しいことが、すぐに判明した。
「おやおやぁ? なんだかとっても特ダネの匂いがしますねぇ」
「それは良かった。だったらマスタースパークを撃てる茸も追加でプレゼントしてやろう」
そう語る魔理沙が、淡い光を放つ八卦炉を文に向ける。
「ちょ、今日の魔理沙さんはあの幽香さん以上に危ういですよ!?」
「そんなに期待されると応えたくなるのが人間ってもんだぜ」
「待って待ってください! ほら、こいしさんもなんか言ってくださいよ!」
するとこいしは、ぶすっと不機嫌そうに眉を顰めて、言った。
「……なんだか仲が良さそうね、魔理沙と鴉さんは」
その言葉に、魔理沙と文が同時に呻いた。
しかし文はめげなかった。突き刺さるようなこいしの視線に耐え、努めて笑顔を浮かべた。
「そ、そんなことはありませんよ。なんなら話さえ聞かせてもらえれば、貴女たちの仲睦まじい記事を書かせてもらいます~」
「……本当に?」
「ええ、天狗の名にかけて約束します」
「わかった。だったら教えるから、ちゃんと宣伝してね。私と魔理沙は恋人同士だって!」
「それは特大のネタですね! 『恋色魔法使い、閉じた恋の瞳と結ばれる』ですか! 了解しました、さっそく詳しい話を伺いましょう!」
テンションの上がった文とこいしは、立ったまま猛烈な勢いで話し始めた。
その集中力は、魔理沙がそっとその場を離れても気づかないほどという驚異的なものだった。
やれやれ、と呟きながら、魔理沙は霊夢の隣に腰を下ろした。
霊夢は視線すら向けない。お茶を飲みながら蒼穹に心をやるばかりである。
帽子を脱いで傍らに放った魔理沙も、腐れ縁と同じように青空へ遥かな眼差しを送った。
鴉天狗とさとり妖怪の楽しそうな話し声を背景に、魔理沙がぽつりと言った。
「なんとかなったぜ」
返答を期待しているわけではないのだろう。
魔理沙はそう呟いたのち、霊夢が飲んでいた湯飲みを奪い取り、中身を一息に飲み干した。
その横柄な態度に霊夢が一瞬青筋を立てるが、魔理沙はにやりと笑うばかりだった。
それを見て、霊夢は仕方ないと言わんばかりに息を吐き、静かに腰を浮き上がらせる。
そのとき、天狗とさとり妖怪が走り寄ってきて、興奮したように捲し立ててきた。
「魔理沙、新聞の一面に載せる写真が必要なんだって! 今すぐ撮ろう!」
「え、いや待て、こいし。新聞に載るってことは幻想郷中に撒き散らすつもりだぞ、この捏造天狗は」
「清く正しい文々。新聞をよろしく! それはともかく、お二人の熱々な写真を所望します。たとえば、たとえばですが、こうお二人が手を絡めあって愛を囁きながらキスするとか、そういうのを」
「却下だ却下! まだ全然付き合って日にちが経ってないんだから、こいしだって……」
「別に構わないよ? 魔理沙は好かれやすいから、これで余計な虫を叩き殺せるようにしなきゃね!」
「その発想は怖いよ! というか、もしかして私早まった? 人生詰んだ?」
「さあさあ、撮りましょう!」
「ほらほら、撮ろうよ!」
「ちょ、ま、待ってぇぇぇぇぇぇぇぇ!?」
文とこいしに引き摺られるようにして去っていく魔理沙。
その背中を、霊夢は眩しそうに目を細めながら見送る。
そして、嫌がっていながらも笑顔を絶やさない腐れ縁に向かって、呟いた。
「そう、頑張ったじゃない――魔理沙」
パーフェクトなこいマリだ
ところで
>制限時間は二時間
>短針が一回り進んでいた
「長針」あるいは「二十四時間」の間違い?
願わくば末永く優しい愛を。
全体的に可愛らしくて読了後も幸せになれました。
しかし、ごはんつぶ様。そういった存在を信じたことはありませんが、もしやあなたが神なのでしょうか。
きっとそうに違いない。
もう、悶えるしかない。
点数のみですが失礼します。
たださとりが魔理沙を一見真剣に殺そうとしているところが
後の文と比べてちょっと違和感がありました。
魔理沙を試したってわけでもなさそうですし……
この後文々。新聞を読んだ姫様や白蓮さん達を想像すると、魔理沙頑張れと思わず苦笑いしてしまいますが、真っ直ぐな魔理沙と純真なこいしちゃんはとても仲の良い夫婦になるでしょうね。
仲睦まじい二人を思い浮かべて最後の方は頬が緩みっぱなしでした。
今回も素敵なストーリーをありがとです。
>>一条の風
風の数え方は「条」ではなく「陣」だと思います。
これが好きだ
完璧なこいマリでした。ごはんつぶ様マジ神様
こちらもとても感動しました