Coolier - 新生・東方創想話

ヌエのカタチ

2011/05/14 19:17:15
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 ソレにはカタチがなかった。
 名は与えられども姿は与えられず。
 姿を与えられどもその姿は一定せず。
 確定しない流動のまま長きを生きてしまった。
 ある意味、最も妖怪らしい妖怪だったのかもしれない。
 正体が無い。正体が一定しない。よくわからないもの。
 だが平安の世に在ってそれは余りにも異質であった。
 怪異、化物。そういうものにも正体があり――カタチがあった。
 故にソレは求めた。己が正体、己がカタチを。
 正体不明が本質であるのに己が正体を求める自己矛盾。
 そう、ソレは渇き飢えていた。見極められぬ己の正体に。
 渇くといっても身を焦がすほどではない。飢えといっても魂を削るほどではない。
 ただ心の奥底に澱みのようにあり、極稀に思い出し眉を顰める。その程度のもの。
 だから矛盾であっても気にもならなかった。
 それを疑問には思わなかった。
 とある、人間の男に指摘されるまでは。

 月のキレイな夜だった。
 暇を持て余した私は人間の屋敷に訪れていた。
 何度目か。十には及ばない。
 屋敷の主はその程度の回数でも心得たもので、人払いをし酒を振る舞う。
 官吏に化けて訪れたのだが、礼のつもりで姫に化け直す。気に入ったのか屋敷の主は呵々と笑った。
 そうして粗野な物言いで歓迎の意を述べる。矢張りこの男には風流に月を愛でるなど似合わない。
 これで世では一流の教養人として知られているというのだから笑わせる。
 かれこれ三十年の付き合いになろうか。
 老いてなおこの男には弓矢が似合う。
 源三位頼政。我が宿敵。幾度となく殺し合った男は老いさらばえてもまだ武人であった。
 怨敵が未だ殺し甲斐のあるままでいてくれるとはなんと心地良きことよ。
 ヒャヒャと笑い酒を呷る。
 風流解さぬ粗野な男なぞ酒の伴には適さぬがこいつだけは別だった。
 以後は無言。
 一人と一匹は月を眺めたまま酒を酌み交わす。
 歌を詠むでも月に見惚れるでもなくただこの時間を味わう。
 こういうのもまた、風流と云うのかもしれぬ。だとすれば、この男も風流を解すか。
 教養人でありながら武人でもある……相反するモノを抱え込むか。
 面白き男よ。故にこの奇妙な友情が生まれたのであろう。
 殺し合い何度も退治されそれでも戦い続け――酒を酌み交わす仲となった。
 ヒャヒャ、愉快よなぁ。
「なあ、鵺よぉ」
 無粋な声に目を向ける。
 たった今見直してやったばかりだというに。
「おめえさんの正体、まだ見つかんねえか」
 そんな呆れは言葉に掻き消された。
 正体。――正体か。
 さて、特に意識せず化けると女の姿となるからこの身は雌であろうが。
 それ以外はとんとわからぬまま。無数に化け続けても元の姿など見つからぬ。
 焦がれるほどではない。苦しむほどではない。されど――心のどこかで求めている。
 見つからぬことなどわかっていても探し求めてしまうもの。
 赫夜姫に無理難題を申しつけられた皇子共はこんな気持ちだったのだろうか。
 黙り込んでいると、頼政はそうかと短く呟いた。
 はて、同情でもしたのか。それこそこの男には似合わぬことだが――
「じゃあとっときの策をくれてやる」
 悪戯っぽい笑みが向けられる。
 ジジイのくせに童のような笑い方で、言い放つ。
「何か、気に入ったもんに化けてよ、それが正体だと吹聴しちまえ。言ったモン勝ちだ。嘘も百度で実になるってな。繰り返し繰り返し自分に言い聞かせてりゃ、まわりだけじゃなくおめえにとっても真実になろうぜ」
 開いた口が塞がらなかった。
 正体。それで――正体だと言い張れってか。
 なんとも強引な解決法があったものだ。竹取物語の皇子共も苦笑いしているだろうよ。
 特に偽物を用意した車持皇子なんて笑えもしなかろう。偽物を本物にしろとは……くく。
「あ? 笑いやがったかこの野郎。また退治されてえか」
 ヒャヒャヒャ。これが笑わずにいられるかよ。
 本当に、この男は私の予想を裏切ってくれる。
 いつまでも退屈せずに済むというものだ。
 ああ、酒が美味い。

 月の、キレイな夜だった。
 それが最後の会話。
 数年後、源三位とまで称えられた武人は戦に敗れ没した。
 鎬を削り合った唯一人の好敵手は世を去り、鵺と呼ばれた妖怪はまた流浪の身となる。
 妖怪として当然ながら人間の言うことなど聞かず、正体不明のまま彷徨い続ける。
 ただ、その言葉だけは、いつまでも忘れられなかった。






 流れ流れて私は地の底に居る。
 妖怪の里だと聞き訪れた幻想郷が退屈で、地の底へ去るという鬼たちに紛れて来てみたが――
 退屈だ。刺激なんざありゃしない。移住中で妖怪もろくに居ないときた。
 元地獄と聞いた時には楽しめそうだと思ったのに……期待外れもいいとこだ。
 まばらに居る怨霊相手じゃおどかし甲斐もないしなぁ。
 暇潰しに誰かからかおうか。そうと決まれば獲物探しの散歩だ。
 獲物っても妖怪か怨霊しか居やしないんだけどさ。
 ふらふらと当て所もなく地底を飛ぶ。元地獄というだけあって広大だが、それだけだ。
 何もないし誰もいない。やっぱ建築中の町の方に行った方がよかったかね。
 ああ退屈だ退屈だと飛んでいると、岩以外の物が見えてきた。
 ……船? やたらと大きな、見たこともない立派な船が半ば岩に埋もれてそこにあった。
 陸どころか地底だってのになんで船がある。川くらいはあるから小船ならわかるが。
 岩に埋もれさせる意味もわからんし……まあ、こいつの見物で退屈は紛らわせそうだ。
 近寄って見てみようか。中がどうなってるのかも興味があるし。
 ――――そして、その姿を見た。
 慌てて近くの岩に隠れる。見つかってはいなかろう。
 まず思ったのは、海だった。
 そう何度も訪れたわけではない。だが忘れ得ぬ驚きと感動があった。
 夜の海のような深い黒の髪。昼に見た翡翠のような海と同じ色の瞳。
 鏡の如く陽の光を返した砂浜に等しき白い衣装。
 海を連想させる若い女が、埋もれた船の上に居た。
 若い――いや、この距離でも感じる強大な妖力。あれは妖怪だ。
 海の化生……なのだろうか。しかし何故こんなところに居るのだろう。
 鬼たちが作っている町から随分離れているし、地上への道に近いわけでもない。
 海の妖怪なのだとしたらあの船となにか関係があるのか……?
 ともあれ、一瞬とはいえ眼を奪われたことは否定できない。
 物憂げに溜息をつくさまなどどこぞの姫君と言えば誰もが信じるだろう。
 引き込まれてしまいそうな、正に人外の、魔性の魅力。
 ……姫、か。昔はよく都でからかったものだ。
 反応が一々大仰で楽しめたことを思い出す。
 ふぅむ、そうだな――あいつをからかって、遊んでみるか。
 人のカタチをキレイだと思ったのは久しぶりだ。あの姿に化けてみよう。
 さてどう化ける。
 まんまじゃあ、怪しまれるか?
 なら少しだけ変えていこう。眼の色、髪の長さ。それくらいでいいだろう。
 あとは羽でも出しておくか――特に考えずに適当なものを出す。
 全く同じ姿、全く違う姿では楽しくおどかすなど出来はしない。からかうにも工夫は必要だ。
 ぱっと見は別人のようで、よく見たら自分と同じ顔……今からどう驚くかが楽しみである。
 ざわざわと体中が蠢き出す。骨も血肉も踊り出す。
 この身に決まったカタチなどありはしない。故に――我は如何なる姿へも変化出来る。
 ――こんなものかな。
 懐に忍ばせていた手鏡で確認。うむ、眼の色は赤。髪はあいつよりも多少長い。
 顔のつくりは全く同じ。体つきも服の上からわかる限り再現してみせた。
 おっと、服も変えなきゃな。そうだな……あいつが白だから、反対の黒にしよう。
 赤い帯を巻いて色を整える。おおっと、羽を忘れてた。
 あとは――
「あー、あー……この顔なら、こんな声?」
 まあ声はどうでもいいか。自分に聞こえる声と他人に聞こえる声は違うというし。
 昔声まで同じに化けてみせたらいまいちな反応だったしな。
 しかし、少女に化けるのは久しぶりだな。若い体も若い声も中々に楽しい。
 ヒャヒャヒャ、これは思わぬ収穫だった。
 さてさて、それじゃあ早速ためしてみようかね――――
 平静を装い船に近づく。偶然は、装わなくてもいいか。偶然で、気まぐれだ。
 ふぅん、ほんとにでかい船だな……何人乗れるんだ? 眺めるだけでも化けた甲斐があったかも。
 下の方に入口とかないのか。退治された時に小船に乗せられた経験くらいしかないからわからん。
 んー……下からだとあの女居るのか居ないのかわかんないな。
 入口も見つからないしとっとと上に行くかね。
 とんと飛び上がれば白い衣装の女の姿。
 派手な音は立てなかったが気配を察したのか女は振り向く。
 ほう、こうして近寄ればなお強大に感じる妖気だ。質も中々……下手な祟り神より上だね。
 旧都の頭連中と比べても遜色ない……流石に褒め過ぎかな。ま、楽しめそうなくらい強いね。
「やあお嬢さん。こんなとこで何してるのかな?」
 にっこりと笑い掛ける。
「……誰?」
 耳に心地よい少女の声。ふぅん、こういう声だったか。想像してたよりも良い声だ。
 その声に動揺は含まれていない。純粋な疑問しか混じっていない。
 驚かない――な。咄嗟に自分の顔と判断出来なかったか?
 それならそれでいい。後で驚かれるのも一興だ。
「通りすがりの妖怪だよ。どうしたのさ、鬼たちの作ってる町はあっちだよ。まさか地底に降りてきていきなり追い出されたとか? だったら勇儀って奴に相談すりゃいい。あいつは面倒見が」
「あ、違うの。追い出されたとかじゃなくて……」
 女は俯き視線を逸らす。
「封印されて、ここから動けないのよ」
「……へぇ?」
「ちょっと――昔は荒れててね。人間たちに退治されて、地の底に封じられちゃったわけ」
「そりゃまた……名前、訊いていいかな?」
「え? いいけど。私は村紗水蜜。舟幽霊よ」
 舟幽霊……人間の怨霊が妖怪に成った奴、だっけか。
 海の方にはあまり行かなかったからな、よくは知らないや。
 むらさ――ムラサ、ね。
「妖怪と人間の共存を願った方のお手伝いしてたんだけどね。その人が――先に封じられちゃってさ」
「え?」
「立派な方だったのよ。どんな木端妖怪にも親身になってくれて、人間さえも見捨てずに……」
 ――なんだ、こいつ?
 聞いてもいない身の上話をべらべらと……私、初対面だぞ?
 得体の知れない妖怪相手に自分のこと何憚りなく話すって不用心なんてもんじゃない。
 妖怪は妖怪を襲わないとでも思ってるのか? まさか、そんなこと考える小娘には見えない。
 それなりの歴史と、それなりの力を持った強大な妖怪なのに……なんだ?
「――聖白蓮様って方なんだけどさ、あなた、見なかった?」
「え」
「わからない? 背が高くて髪の長い、そうね歳の頃は……」
「ああいや、封印されたってのは、あなた以外には見てないかな」
「そう……ここ、広いらしいからもしかしてって思ったんだけど」
「まあ、広いけどさ。私も全部見て回ってるわけじゃないし」
 変なこと聞いてごめんねと、溜息をつくように呟く。
 ……なんだろう。こいつ、用心してないというより……捨て鉢になってる?
 一見正気のように振舞っているけど、封印されたってことで狂ってるのか?
 長い長い孤独の果てに気が狂う。妖怪でもそういう話が無いわけじゃない。
 あり得ない話じゃないが……サトリの妖怪でもない私には見抜けない。
 期待外れ。
 だったかね。大して遊べそうにないか。
 狂人の相手なんざつまらないのを通り越してめんどくさい。
 刺激しないようにもう二・三話しておさらばするかね。
「まあ、気が向いたら探しとくよ。見つかるとは思えないけどさ」
「ん、ありがとう」
 礼の言葉に目を向ける。
 ――目が合う。
 深緑の瞳と視線が噛み合う――なのに、ムラサは笑ったままだった。
 私を、見ているのに? 己と同じ顔をしている私を見て、笑ってる?
 そうだ――こいつ、私を見ても一度も――動揺の欠片さえ見せなかった。
「……封印とか言ってたけど、勇儀とかに頼んでみた?」
 もう少し。もう少しだけ話してみよう。
 まだ私にはこいつは見極められない。
「ああ、なんとかしようとはしてくれたんだけどねえ。これが難しくて」
 勇儀の名への反応からして面識はある、のか。
 あのおせっかい焼きが何もしていない筈がないし、それなら孤独で狂ったということもないだろう。
 あいつのことだ。仲間を引き連れて来るなり自分が通うなりしてこいつを気遣ったろう。
 つまり、こいつは正気……? 正気。正気だと?
「あのさ――私の顔、どうかな?」
「? どうって……何もついてないけど?」
 やっぱり、気づかない。
 己の顔、己の姿というものは鏡で見て知ってはいても常に見えてるわけじゃない。
 それでも多少の違和感なり感じるものだろうが――こいつは気づかない。
 都で多くの人間を見続けてきた私だからわかる。こいつは、自分が嫌いなのだ。
 嫌いなものから目を逸らす。当たり前のそれがこいつは自分に向かっている。
 だから気づかない。同じ顔をしている私に気づかない。
 ……自分が、嫌い――ねぇ?
 自分を嫌うなんてのは理解の外だ。何故そんなんで生きていけるんだ?
 妖怪なら、それも妖獣の類でもない怨霊上がりならなおのこと……自分を嫌いなんて。
 己を否定するだけで弱るのではないか? ぽっくり逝っちゃうもんだと思うのだけど。
 でもこいつは平然と生きているし、その妖力は決して弱いものじゃない。
 なんか、矛盾してる奴だ、な。
「そういえば、聖――だっけ? 人間と妖怪の共存とか。聞かせてよ」
 もう少しだけ。もう少しだけこいつを知りたい。
 期待外れじゃないような。楽しそうな、気がする。
 ぱっと明るくなる顔。聖なんとかってのに興味を持たれるのが嬉しいのか。
 勇儀の奴は聞いてやらなかったのかね――ああ、あいつはこういう偽善者っぽいの、嫌いだからな。
 そうして語られる一人の元人間の昔話。
 邪法に手を染め人間ではなくなっても僧侶であり続けついには人も妖も救おうとした女の物語。
 はっきり言って、体験者に語られても眉唾だ。勇儀じゃなくても信用できない。
 そんな絵に描いたような善人がこの世に居るものかと思う。
 だが、それでも聞き続けたのはこのムラサという女の経緯に興味を持ったが為。
 海で死んだ人間で、来る船来る船沈め続けた大怨霊。しまいには妖怪にまでなった元人間。
 その後邪法を使う元人間に救われ衆生にも救いを与えんと働き続けた――
 始めから違和感があった。この女は怨霊というには明るすぎる。
 陽気ささえ見せるこいつが怨霊だったなんて誰が信じよう。
 聖白蓮とやらに救われたからといって、そう易々と変われる筈がないだろうに。
 そう――怨霊が、僧侶の手助けをするなど大きな間違いだ。
 言ってしまえば天敵の手助けをしている。
 なるほど、この大怨霊に心変わりをさせた聖白蓮なる女は真実聖女なのだろう。
 ムラサ然り、話に出た寅丸やら一輪やら……数多の妖怪を付従えるのも納得できる器だ。
 しかしこいつは違う。このムラサは、虐殺を繰り返した成仏さえも出来ない人間の成れの果て。
 それが、誰かを救おうとしただと? 地の底に封じられてまで、恩人を案ずるだと?
 死んでまで悪党になった奴が――矛盾している。
 矛盾。矛盾。ムジュン。
 ――面白い。
 愉快だ。楽しい。僥倖だ。
 こいつの心はバラバラだ。バラバラ過ぎて話しているだけでたましいがこぼれ落ちている。
 欲も願いも祈りも例外なく表裏があって清濁混じり混じって結局混ざらず流れてしまう。
 こんなに矛盾した妖怪、見たことない。
 名を姿を与えられ単一機能に特化するのが妖怪だ。
 私の場合は正体不明という例外的な特化機能故に万能染みたカタチのないカタチになっているが――こいつは違う。舟幽霊という明確なカタチがありながらそれを否定する生き様。己のカタチを否定するかのような生き方。
 まるで、逆。
 カタチを求めた私と。
 カタチを棄てようとするこいつ。
 面白い。面白い。面白い。
 私がキレイだと思った顔の裏にはこんなものが隠れていたのか。
 許せない。
 私が求め求めるカタチを棄てようとするなんて。
 面白い。
 キレイな姿以上に滑稽極まる中身があったなんて。
 バカみたい。
 得たモノを捨ててまで過去に縋るなんて。
 美しい。
 ぐちゃぐちゃの何色とも言えぬ感情が、こんなにも美しかっただなんて。
 嬉しい。
 こんな、滅茶苦茶でグチャグチャで面白い奴に出逢えるなんて。
 ああ――我が宿敵も、こんな奴だった。
 風流人で武人で、矛盾した奴だった。
 気に入った。
 こいつのカタチ。
 決めた。
 決めたぞ。
 こういうことでもいいんだろう? 頼政。
 嘘も百度で実となる。試してみようじゃないか。
「私は封獣ぬえ。所謂『妖怪・鵺』だよ。ヨロシクね、ムラサ」
 ――――おまえの姿を、この鵺の正体としてやろう。






「雲山と一輪から伝言。封印解けたら呑み比べしようだって」
「あはは、相変わらずの破戒僧だわ。なに? ここでも般若湯ってあんの?」
「ここにゃあ坊主なんていやしないからねぇ。あるのは全部立派なお酒さ」
「一輪ったら、どうやって言い訳するんだか」
 笑い声が響く。
 ムラサの仲間である一輪と雲山はすぐに見つかった。
 広大な地底でも封じられた妖怪なんてそうは居なかったのだから探し易かったのである。
 以来私は気が向いた時に彼女らの伝言役を務めていた。
 今日もその気まぐれでムラサに会いに来ている。会いに来て、酒盛り。
 それは今の私にとって半ば習慣となっていた。
 楽しく酒を呑み言葉を交わす。
 そう、演技などではなくムラサは心底楽しんでいる。
 一輪や雲山という共に封じられた仲間は見つかったが、ムラサ曰く恩人である聖とやらは見つかっていないのに。それが単に恩人のことを忘れた故だったら私はとうにこいつを見捨てている。薄情だとか責めるつもりは毛頭無い。妖怪が恩義を忘れるなんてよくあることだ。恩を仇で返すのだって珍しくない。だからそんな理由で見捨てはしない……単に、つまらない奴だと見限るだけだ。何処にでもいる妖怪と変わらないのなら付き合ってる意味が無い。
 しかし、ムラサは恩義に篤い。情け深さは人以上なんて言われる狐といい勝負だと思う。ムラサは過去を捨てていない。聖なんとかを片時も忘れずに楽しむ時は楽しんでいる。割り切りがいいとか切り替えが早いってもんじゃない。こいつの場合はもっと、異質なものだ。
 出逢ってから数十年が過ぎたが――相も変わらずバラバラな奴だよ。
 どう考えても狂っているとしか思えない境遇で真っ当に生きてやがる。
 それを傍で見続けられるとはなんと楽しきことか。
 ずっとずっと、こいつは私を楽しませるから付き合ってやっている。
「ヒャヒャヒャ――」
 月もないのに酒が美味い。
 花や月、酒の肴に事欠く地底では貴重な肴だ。
 手放せないよなぁ、こいつは――
「はあ――笑った笑った」
 盃を掲げたままムラサは気だるげに船の縁へと寄りかかる。
「あのさあ、ぬえ」
「んー?」
「ありがとね」
 ……よく、わからない。
「ありがとって……何が?」
 酒や食い物のことだろうか。だがそんなの船から動けないムラサが用意できないのは当たり前だし。
 なら自由に動ける私が持ってくるのは至極当然のこと。もしや代価を払えないのを気にしている?
 まあ、確かに物を貰ったことはないが私はこいつと話してるだけで楽しいし、それで十分なんだが。
 私の真意に気づいていないんじゃ無理もない反応ではあるか。
「なんていうかさ」
 天を――この地底には天なんてありはしないけど――仰いでムラサは口を開く。
「あなたのおかげで、救われてるなって」
「救われて……?」
「うん。地底に封じられて、誰にも会えなくって、結構キツかったのよ、これでもさ。だから、あなたや星熊や黒谷には、救われてる。独りじゃないって、すごく助かる。何のお返しも出来ない妖怪のとこに通ってくれてさ――地底の皆には、感謝してもし切れない」
 ……律儀な奴。
 そんなもん、私らの勝手でやってるんだから黙って受けてりゃいいのに。
「じゃあさ、なんかお返ししなよ。あんた器用そうだし機でも織れば?」
「機かあ……いいかもねえ。出歩かなくても仕事出来るんだ」
「必要なもんあったらヤマメにでも言いなよ。あいつなら用立ててくれんだろうし」
「ぬえは」
 いつの間にか、彼女は私を見ていた。
 表情が欠落したかと錯覚するほどにその顔は真剣みを帯びている。ような。
「あなたは……受け取ってくれる?」
 受け取るって何を……ああ、反物とか?
 着飾るの好きだし断る理由なんて無いけどな。
「? 私は別に、キレイなべべとか嫌いじゃないよ?」
「でもさ、あなたって……皆から、距離を取ってるじゃない」
 そう、だったかな。
「前、黒谷が来た時だけど、あなた後から来て……声もかけずに帰ったでしょ? だから」
 見られていたのか。
 遊びに来たらヤマメが先に来ていて――私は帰ったことがあった。
 特に深い意味があったわけじゃない。ヤマメが嫌いってわけじゃない。
 むしろ、あいつのことは好きな方だと思う。明るくて楽しいから何度か一緒に酒を呑んだ。
 でも、なんでか自分でもわからないけど――ムラサを交えてってのは、なんか、嫌だった。
 だけどそれは距離を取ってるってわけじゃなくて、なんだろう。
 きっと私が先に来ていたら気にしなかった。ヤマメも加えて楽しく騒いだと思う。
 実際にはそうはならなかった。ただ順番が違っただけで私は帰ってしまった。
 なんだろう。なんなのかな、これ。
「……そういやぁさ。ムラサ――私だけは、下の名で呼ぶね」
 距離を取っているというのなら、こいつこそ距離を取っている。
 私以外、こいつが誰かを名で呼んでいるところを見たことない。
 精々昔の仲間である一輪・雲山くらいか。
 地底に来てからの知り合いには、居ない。
「え、ああ、そうね」
 話を逸らす形になったけど気にした様子もなく彼女は頷く。
「まあ、封獣って呼びにくいし、ね」
 はっきり言ってくれるな。結構気に入ってんだけど、この名前。
 なんて、話を逸らしても考えがまとまらない。自分を騙し切れない。
 自分の心の内なんて深く考えたことなかったからな――わからない。
「ぬえ?」
 わからないわからないわからない――己の正体を思い出さずにはいられない。
 ムラサの顔をもらって固定したつもりだったのに。これが己の正体だと決めたつもりだったのに。
「ぬえってば」
 嘘も百度で。まだ百度には届かない。実には至ってない。
 この姿は仮初のまま。妖怪・鵺に正体は無いまま。カタチを得られないまま。
 嘘。嘘――嘘をついてムラサの傍に居る。ムラサは私の真意に気づいていない。
 私はムラサで楽しむために、だけどそれは、彼女が感じる楽しみとどう違うのか。
 ぐるぐると頭の中が渦を巻いている。全てがどろどろの不定形。
 わからない。嘘。正体が――――
「ぬえ!」
 真正面に緑の瞳があった。
 両の肩を掴まれていた。
 ムラサが私の顔を覗き込んでいる。
「…………ん?」
「ん、じゃないわよ。どうしたの」
「どうしたって」
「急にぼうっとして……酔った?」
「酔っては――いるかな」
 それにしても、妙な反応だな?
「こっちこそどうしたの、だよムラサ。何そんなに慌ててんの?」
 余裕が失せている。初めて会ってからこっち、こんな顔をした彼女なんて見たことない。
 心配にしたって度が過ぎている。酔ったくらいで声を荒げたことなんてなかったのに。
 大体こいつの前で酔い潰れたこともあるってのに……なんで今更?
「それは」
 言い淀む。
 答え難い? 答え難いことで心配させるような真似はしてないつもりだが。
 確かに変なこと考えていたけどまさか心を読めるわけでもあるまいに。
「なんか、嫌な感じがしたっていうか」
 ……嫌な感じ? あー、ムラサで楽しんでるっての察したかな。
 玩具にされてるなんて知れば普通は嫌だと思うだろう――
「消えちゃうかと、思った」
 それは嫌悪というより恐怖だった。
 京の都でよく喰らった馴染みのある感情。ムラサは私に恐怖していた。
 しかし、何故? 怖がらせるような真似はしていない。いや、この顔のことは……
 否、数多の恐怖を喰らってきた私にはわかる。意味合いが違う。
 恐怖は恐怖でも、色も質も違う――初めて味わう恐怖。
「消えるって……どういうこと?」
「……ごめん、変なこと言った」
 謝罪なんて求めてない。答えを知りたい。
 ――踏み込んでもいいものだろうか。ムラサがこんな反応を見せたのなんて初めてだ。
 下手に触れてそれが傷口だったとしたら……今の関係は崩れてしまうかもしれない。
 酒呑み友達が減ることには、未練がある。十分味わい尽せぬまま彼女と別れるのにも未練がある。
 そうだ。なにも己から壊すことなんてない。疑問は疑問のまま胸に抱いていても構わない。
 この心地良い関係を維持できればそれで、いい。
「……話したくないんなら、別に」
「消えちゃうって」
 震える声に遮られた。
「ぬえが、ぬえじゃなくなったようで、消えちゃうって思った。あいつもそうだったから、思い出しちゃって、あいつも人が変わったみたいになって私たちの元から居なくなったから、私たちを裏切ったから――怖かった。聖が居なくなって、あいつもおかしくなっちゃって、口数が減って、表情が無くなって、最後には心まで失くして……あいつは――」
 何を言ってるのかわからない。
 誰のことを言ってるのかわからない。
「ムラサ」
 ただ、嫌だった。
 恐怖に、悲しみに歪むこいつの顔を見るなんて、嫌だった。
 普段が明るいだけにその落差に胸が抉られる。
 恐怖ならまだいい。喰いでがあると喜ぶさ。
 だけど悲しみなんて喰いたくない。そんなもん、美味くない。
「私はどこにも行かないから」
 震える彼女の手を握る。
 あいつとやらが誰かなんて知らない。
 でも私はそいつじゃない。私は私だ。
 私は、あなたがあなたでい続ける限り離れたりなんかしない。
 約束でも誓いでもないけれど、封獣ぬえはそうだと決めている。
「――――――」
 ゆっくりと、彼女の震えは治まってくる。
 落ちついたのかは――わからない。私は妖怪だから。
 生まれついての妖怪である私には元人間の彼女の気持ちなんてわからない。
 知らず彼女の心の傷を抉ってしまったように……彼女の心なんて、欠片ほどにしかわからない。
「ごめん、ぬえ。甘えちゃってるよね」
「……いいじゃん、別に」
 まだ幽かに震える手を強く握る。
 私に人間の気持ちなんてわからない。
 でも、仲間を失うことを恐れる気持ちくらいはわかる。
 私は同族なんていないけれど。一種一匹のひとりぼっちな妖怪だけど。
 仲間を失うことが怖いってことくらい、わかるんだから。
「甘えてもいいよ。私、あなたの仲間でしょ?」
 返事を待たずにムラサの頭を抱え込んだ。
 なんでそんなことしたのか自分でもわからない。
 どんな顔をしているか見たくなかったのか、見られたくなかったのか。
 わかることが少な過ぎて、わからないことが多過ぎて――
 何を、言ってるんだろう、私。仲間だなんて歯が浮くよ。
 玩具じゃないか、ムラサは。娯楽の為に近寄ったんじゃないか、私は。
 それが仲間だなんてちゃんちゃらおかしい。嘘をつこうとも思わなかったのになに口走って。
 ああもう、頭の中がぐちゃぐちゃだ。ムラサも混乱してるけど私も負けず劣らず混乱してる。
 なんだってこんな真似してるんだ、私。酔いなんか、もう醒めてるのに。
「――っく」
 くすぐったい。
 胸に抱いたムラサの頭が小刻みに震え、いや揺れて――笑ってる?
「……ムラサ?」
 笑うようなこと言ったっけ。
「あはは……ぬえって、あいつそっくりだわ」
「え?」
「女ったらしっぽいトコ」
 あいつって、誰のことだろう。
 さっき言ってた居なくなった奴?
 私はどこにも行かないって言ったのに……なんか、気に食わないな。
 私は、裏切らない。だからそんな奴と比べられるのは、なんかイヤ。
「ごめんごめん、からかったわけじゃないのよ」
 もう調子を取り戻したようで、彼女はからからと笑う。
 顔に出てたか……私もまだまだだな。
「なんか作ったら、真っ先にあなたにあげるわ。ぬえは特別だから」
 こちらは調子を取り戻せていなかったのか、そんな言葉に反応できなかった。
 ムラサが物をくれる。特別だから。
 特別。特別――
 私が? ムラサにとっての?
 考えたこともなかったな。ただの友達を演じているつもりだった。
 彼女に近づく為に。彼女で楽しむ為に。そのつもりだった。
 それだけだった、筈なのに。
「……楽しみにしてるわ」
 調子、狂うなぁ。もうなんであなたの傍に居るのか、自分でもわからない。
 いつものようにヒャヒャヒャと笑って誤魔化したかったけれど、笑う気分にはなれなかった。






 酒を持って船に降り立つ。ムラサの姿は無い。留守、なわけはない。
 船の中で寝てるのかな――丁度いいや、船の見物しながら探してみよう。
 思えばこの船見かけたのがあいつと付き合うきっかけだったっけ。
 なんだかんだで中を見る機会なかったんだよね。
 さてさて入口は、あっちか。
「ムラサやーい」
 適当に声を掛けながら船の中へと降りていく。
 階段を下りた先は通路か。広い、通路というより広大な部屋のようだ。
 見回す。外の印象を裏切らぬ朽ちた中身。正直崩れないのが不思議なくらいだったが……
「……まるで御所の中だ……」
 昔忍び込んだ帝の屋敷――京の都の記憶が甦る。
 荒れてはいるが気品を失わぬ豪奢な造り。もう少し物があれば天子様の御所であると言い張れる。
 確か、ムラサは聖何某の船だとか言ってたけど……聖ってのは帝に縁でもあるのか?
 いやいや、あやかしとなる帝なんて崇徳の大天狗だけで充分だろ。
 しかし立派なもんだ……荒れてるのが悔やまれるほどだね。
 昔日はどれほどだったか、なんて考える前に。
「どこ探しゃいいんだか」
 広過ぎ。岩に大半が埋まってたから大きさを見誤ったよ。
 船尾の入り口から降りて……船首の壁が見えない。暗さもあるけどそれ以上にでかいんだ。
 えー。この両脇にずらっと並んだ部屋全部調べるのー……?
 何事にも程度ってもんがあるよなぁ。楽しむ以前に呆れちゃったよ。
 朽ちた感じだから船体が歪んで戸も開かなくなってるとかありそうだし。
 岩に埋まってんだから朽ちてなくても歪んでるってのはありそうだな、っと。
 適当に近くの戸を開けると大して力もかけてないのにするりと開いた。
 ここは歪んでないか。一応中を覗いてみる。ムラサの姿は見つからない。
 部屋の中には物もなかった。造りが立派なだけに余計に無常感が漂う気がする。
 油の切れた燈籠が転がっている――それが、無常感を助長させていた。
 ……ムラサも、私らを頼ればいいのに。こんなとこに住んでたんじゃ気が滅入るよ。
 もう少し見場良くしてもバチなんか当たるもんか。これじゃあ廃墟も同然だ。
 あいつがどんな部屋に住んでんだか知らないけど……適当に持ってきてやるか。
 油一升くらいでいいかな。あんま多過ぎても受け取らないかもしれないし。
「およ? 来てたのぬえ」
「ん」
 振り返ればムラサが鬼火を伴い立っていた。
 ああ、舟幽霊だっけ……油は要らないか。
「上に居なかったから勝手に入らせてもらったわ」
「別にいいけどね。盗られる物ももう無いし」
 なにか、引っ掛かる物言いだ。まぁ、深入りはするまい。
「それで今日はどんな御用件? なんか頼んでたっけ」
「冷たいこと言うわねぇ。遊びに来ちゃ悪い?」
 酒徳利を掲げて唇を尖らせる。この程度の嫌味、挨拶みたいなものだ。
 こうして私が百面相するのも半ば通例となっている。
 その証拠にムラサはすぐにごめんごめんと笑い出す。
「ぬえのお酒は外れないからねー、楽しみだわ」
「そう油断させて大外れ押し付ける算段かもよ? っと、来るといえば」
 あいつは歩きだったけど流石にもう着く頃だろうか。
「途中で見かけたんだけどさ――」
「おーい船長ー」
「噂をすればなんとやらだ」
 得心顔のムラサと二人で外へ出る。あいつの姿は無く、呼ぶ声がまた響く。
 律儀な奴だ、ムラサが応答するまで入る気はないらしい。
 勝手に入った私の立つ瀬が無いねぇ、ヒャヒャヒャ。
 笑う私の横を通り過ぎ彼女は船の縁から下を覗き込む。
「星熊勇儀の乗船を許可する」
「乗船許可、感謝――って、珍しい顔が居るな」
 返事しながら一跳びで登ってきた鬼は私を見て目を丸くしていた。
 ま、私は旧都にはあまり行かないしな。疎遠ってわけでもないが滅多に会わない。
 それでも知らぬ仲でなし、挨拶代りにからかってやろう。
「おうなんだい勇儀。今日はいいヒト口説きに行かないのかい?」
 星熊勇儀。旧都の事実上の頭だ。山ほど居る妖怪を統べる化物みたいに強い鬼。
 しかしその鬼の大将は、金の髪を振り乱して大仰に仰け反った。
「ばっ、おま、そういうこと言うなよっ」
「なになに? 星熊にそういう相手居たんだ?」
 目の白黒から頬を赤く染めることに移行した鬼をニヤニヤと眺める。
「居るんだよねぇこれが。ヒャヒャ、ありゃあムラサも見たら惚れるよ」
「へーえ。あの星熊がねえ」
「南蛮人みたいな外見でさぁ、なーんかお姫様っぽい感じ?」
「ほほう、ほうほう」
「いい女さ。キレイで柔らかそうで美味そうで――なぁ?」
 ムラサの前に見かけていたら、私の正体候補になってたかもしれん女だ。
 たしか、水橋――パルスィとかいったか。あいつもなかなかに面白い奴だっけね。
 殆ど付き合いが無いからあまり詳しくはないが、あいつも妖怪らしからぬ中身を持っている。
 勇儀がコナかけてるって知ってたから近づくことは無かったけれど、惜しいことしたかね?
 見かけだけなら地底でも五指に入るって美姫だ。今の顔に不満は無いが、思うところはある。
 キレイなお姫様……ああ、鬼はよく都の姫を攫ったんだっけ? じゃあその延長かね。
 平安の世から進歩が無いねぇこいつ。
 ニヤニヤと勇儀に視線を送ると、しかめっ面が返された。
「……あいつに手ェ出したら磨り潰すかんな」
「怖い怖い。誰が鬼の恋路にちょっかい出すかよ」
 ヒャヒャヒャと笑う。
「そういやさぁ、勇儀はあいつのどこに惚れたんだい? 聞かせとくれよ」
「私も聞きたいなー」
「言いふらすようなことじゃないだろ、そんなの」
「ヒャヒャ、ケチだなぁ」
 もしみてくれに惚れてたんだとしたら、こいつは私にも惚れてたかもしれない。
 そんな風に考えるのが面白いってのにさぁ。もしもの話ってなぁ楽しいじゃないか。
 ま、鬼なんて御免だけどね。戦馬鹿の頼政と同類なんて願い下げだ。
 あー、もしかしてパルスィもそんな理由でこいつの誘いに頷かないのかね?
 粗野なの嫌いそうな顔してたもんなぁ……
「つーか、最近いつもその格好だなぬえ。もしかしてそれが正体かい?」
 唐突な問い掛けに一瞬表情が消えかける。
「ん? ああ言ってなかったっけ?」
「聞いてない」
「一々色んなもんに化けるのも面倒だからさ」
「で、正体現したってわけかい」
「まあ」
 回答は濁す。こいつは嘘に敏い。
 横で嘘を聞く分なら誤魔化せるが直に嘘を浴びせればすぐ見抜かれる。
 これが私の正体だって嘘。まだ百も吐いちゃいないからね――誤魔化さなきゃ。
「ふぅん……」
 納得がいったのかいかないのか、曖昧な表情。こういうのが一番困る。
 普段は竹を割ったような奴のくせに……なかなか思い通りにはいかないな。
 話題を変えるのが最適だがすぐに動いては不自然になる。こいつはそれを見逃さないだろう。
 ならもう少しこの話を続けた方がいい。こちらからは振らず勇儀が満足するまで話させよう。
「前から、似てるって思っちゃいたが……こうして並んでるとそっくりだね」
 そう言われることは想定内。この姿を指摘されたからには繋がって当然の話題だ。
 故に落ちついて返事が出来る。なるべく嘘じゃない嘘にしなけりゃな――
「お、ようやく気づいたかい」
「え? どういうこと?」
「かー、ムラサは鈍いなぁ。私らの顔だよ。瓜二つ」
「……そう?」
 言われても彼女はピンときていないようだった。
「そうさ。私は自分に似てるからってんであんたに声掛けたってのにまだ気づいちゃいなかったなんて
びっくりだ。鈍いにも程があるって話さ」
「そう、言われても――」
 ――もう何十年も付き合っているのに、こいつは未だ私の姿に疑問すら持たない。
 それは助かるけれど、同時に嫌な気分にもさせる。
 まだ、こいつは自分が嫌いなのか。
 そりゃ、多かれ少なかれ自分を嫌っていなけりゃ元怨霊が仏門に――なんてあり得ないけどさ。
 まだムラサは――聖何某だとか、寅丸なんとかって奴のこと、忘れちゃいないんだ。
 今でも過去の仲間が一番で――友達や仲間っていうんなら…………私や勇儀が居るじゃないか。
 私のこと、特別だって、言ったじゃないか。
「ぬえ?」
「ん、なに?」
「いえ、なんか怖い顔してたわよ。どっか痛い?」
「そんなことないわよ」
 知らず顔が強張っていたか。……なんでかな? 理由がいまいちわからない。
 なんかむかむかする。喉に何か痞えたような気持ち悪さ。いや、喉というより胸?
 ふん、こんなもん酒でも呑めば流れて落ちるだろう。どうでもいいさ。
 さて勇儀の追撃がこないな。何をしてるのかと見れば、彼女は首を傾げていた。
「……ふぅむ?」
「どしたの勇儀。変な顔して」
「いや、似てるって言ったの私だけどさ。あんたも肯定したけど――やっぱ、似てないな」
 それは、流石に予想外の言葉だった。
「表情とか、全然違う。ぬえはぬえでムラサはムラサか」
 ……似てない、ねえ? そういえば、一輪にも指摘されたことはなかったっけ。
 ムラサと共通の知り合いであるヤマメにもそういったことは言われなかった。
 でも最初にムラサに化けて以来顔は変えてないし、何度も鏡を見て確認している。
 髪型や眼の色こそ違えど作りは全く同じ筈なのだが。
 表情が違う……? 中身は確かに違うから、そうなるのもわかるけど……
「似てると、思ってたんだけどなぁ」
 嘘が実になった、のだろうか。
 まさか、こんなに早くなるわけなかろう。
 百度でというのはあくまで多くって意味なのはわかるが、それは無い。
 だって、これが私のカタチだなんて実感は――未だ欠片も感じられなかった。
「古明地んとこのといい勝負だな。あんたら実は姉妹じゃないのかい?」
 もう疑問に思ってないのか勇儀は呵々と笑って座り込んだ。
 これで話は終わりと言わんばかりに酒を呷る。
「生憎私の同族なんて見たことも無いよ」
「私、舟幽霊だけど?」
 否定の言葉が重なる。思わずムラサと見合わせてしまう。
「だはは、それでほんとに姉妹じゃないってのかい」
 あーもう。最初にからかったバチでも当たったかな。こりゃ今日は私ら二人とも勇儀の肴だ。
 ムラサは苦笑して、私はしかめっ面で車座に座り込む。肴にすんのはいいけどされるのは嫌だ。
「ほれ一献」
「おっと悪いね、っておい!」
 持参の酒を注いでやって、その隙に勇儀が持ってきた酒を奪う。
 ふん、これくらいお返しにもならないよ。
「いい匂いじゃない。旧都の酒は今年も出来が良さそうね?」
「っち、味わって呑めよぬえ。今日は徹底的におまえさんで遊ぶからな」
 恨めしげな鬼を横目に一口。……くっそ、生意気だ勇儀。美味いじゃないか。
 しかめっ面のままでいたかったのに口元がほころんでしまう。酒に嘘は吐けないなぁ。
「はん、いい呑みっぷりだ。……よぉし! 今日はとことん呑むぞ!」
「うわぁ!?」
「ひえっ!?」
 私とムラサは勇儀に抱え込まれる――でかい上に力持ちだから抗えない。
 ったくもー酒臭いったら。ええい頭撫でんなよ、髪が乱れる。
 ふと横に目を向ければ、ムラサの笑顔が見えた。
 ……ま、いいか。たまにゃあ肴になってやるよ。
 ああ、酒が美味い――――――






 のんべんだらりとゆっくりと、時間はただただ過ぎていく。
 いつの間にか地底の生活にすっかり馴染んで地上のことなんて忘れていた。
 今は無人の萃香の屋敷の屋根で寝返りを打つ。私は根なし草だったのに半ば旧都が巣になっていた。
 夢うつつで勇儀やムラサの顔を思い出す。宿なしだって言ったらあいつらうちに住めと言ったっけ。
 勇儀なんかしつこくて、その度にパルスィにバラすぞって断ったっけ。
 ムラサはしつこくなかったけれど、その分一回の説得に時間がかかった。
 ほんとお人よしだよねぇあいつらは。ヒャヒャヒャ、こんな得体の知れない妖怪相手にさ。
 結局、勇儀の屋敷に私の荷物を預けるってので妥協したんだっけ。
 私は飽きっぽいから一つ所に留まるってのがどうにも苦手だって言い訳したなぁ――
「ヒャヒャ」
 飽きない飽きない。この地底の生活には、飽きっぽい私が全然飽きない。
 いつか、誰かんところに厄介になるのもいいかもね。
 そんな考えは明日にゃ飽きてるかもしんないけどさ。
 でもまだ飽きてない。ちょっと寝惚け頭で考えるのもいいかもしんない。
 さてさて誰んところに行こうかな。勇儀んところかムラサんところか。
 どっちも無駄に広くて空き部屋だらけ。魅力的なのはどっちかな。
 そして、唐突な全身の粟立ちにまどろみは消え去った。
「今の、なんだ」
 跳ね起きる。町を見れば、ところどころでざわめきの質が変わっていた。
 ある程度以上強い妖怪共が住む辺り……あいつらしか感じられなかったのか?
 まさか……今のが強過ぎて、弱い奴らは感じることも出来なかった……?
 全身を駆け抜ける悪寒――こんなの、頼政に射落とされて以来だ。
 ……頼政。頼政だと? 馬鹿言え、あんな妖怪退治のスペシャリストみたいな奴が来るもんか。
 それに、人間の気配にしては禍々し過ぎる。こんな業火そのものな気配なんてあり得ない。
「ッ――――なんだ、神力?」
 尖らせた感覚に届く気配。
 この地の底で、地獄跡で神だと?
 祟り神の類ならまだわかるがこれは、空の――太陽の、力。意味がわからない。
 太陽の神……天照か八咫烏か……? どちらにせよ、地獄に来るような奴じゃない。
 力の出所は地霊殿の方のようだが……まあ、揉め事なら勇儀がなんとかするか。
 私にゃあ関係ないだろう。私は妖怪らしく気侭に生きるだけさ――――
 尖らせていた感覚に電流が走った。
 風が、駆け抜ける。
 気配が――消える。
 頼政の時と同じ、喪失感。
 ムラサ。ムラサが、消えた?
 あいつは封印されて、何処にも行けない筈なのに?
 成仏したとか――あり得ない。あんだけ怨念を纏った奴が、妖怪にまで堕ちた奴が。
 既に怨霊ですらなくなったあいつが成仏するなんて、あり得ない。
 飛ぶ。あの封じられた船目掛けて全力で飛ぶ。
 だけど、そこには何も無かった。
 息が乱れる。肩が激しく上下する。
 ムラサの船があった場所には――砕けた岩と、溢れ出す間欠泉しかなかった。
「…………」
 ゆっくりと、船があった場所に歩み寄る。
 見回しても彼女の姿はどこにもない。ばしゃばしゃと湯の中を探す。
 何かが流れてくる。それは、いつだか気まぐれで彼女に渡した毬だった。
 拾い上げる。
「――ムラサ」
 返事はない。当然だ、彼女はここには居ない。
 別に――約束があったわけではない。
 封印が解けたらどうするかなんて、戯れに話したことが一度か二度ある程度。
 結局具体的な話なんて出やしなかった。こうしたいとか、ああしたいとか、言わなかった。
「へえ、私に挨拶も無しに出ていく程のことか」
 毬を掴む手に、力が籠る。
 ムラサを真似て作ったこの身体では割ることなんて出来やしない。
 あいつは筋力なんて殆ど無かった。強大な妖力を振り回す妖怪だった。
 だから今の私も、それに準じている。
 それが。
 どうしようもなく疎ましい。
「ムラサぁー! 大丈夫かー!?」
 騒がしい声に振り返る。
 勇儀。相変わらずうるさい奴だ。
 じっと見ていると、視線にだろうか、彼女はこちらに気づいた。
 だけどそのまま動かない。私をムラサと勘違いしているのか?
 そんな近眼じゃないだろ、あいつは。私はムラサじゃない。
 髪も眼も羽も違う。私は私。私は封獣ぬえだ。ムラサじゃ、ない。
 今更、間違えられる筈もない。
「おい……ぬえ?」
 ぼうっとしていたのか、いつの間にか彼女は私の傍に立っていた。
「ああ、来てたんだ勇儀」
「あ、ああ……あの、ムラサは……」
「封印解けちゃったみたい」
 崩れた岩に目を向ける。
 覆っていた中身の船が無くなったから崩れたんだろう。
 そして未だ噴き出し続ける間欠泉を見るに、ムラサは流されたか。
 少なくともパルスィが守護している境界を越えていないのは確実だ。
 あいつがそう易々と誰かを通す筈がないし、そんな妖力も感じられなかった。
 どういう仕掛けだか知らないが、船は消えてムラサだけが流された――いや。
 この、足元に流れてきた木片。何らかの力を感じるこれは…………
「ぬえ? おい、大丈夫か?」
「大丈夫ってなに? 私は平気よ、勇儀」
「いや、でもな」
「出てっちゃったかぁ、ムラサ」
 仕掛けは大体理解した。なるほど、常識外れのアイテムだったか、あの船。
 面白いもん持ってたじゃないムラサ――私に教えてくれてもよさそうなのにね。
「……この分じゃ出てったっていうより、出されたって感じじゃ……」
「さぁ? 見てないからわかんないね。推測も断言も今は出来ない」
 今頃一輪と雲山の封印も解けてるのかね。あり得そうだ。あいつら同じ術で封じられたからな。
 てことは一輪たちも流されたのかな。まぁ、どうでもいいや。
 そこまで考える義理なんてないし。
 少しずつ、服が重くなっていく。
 なんだろうと見上げれば、空から水が降っていた。
「雨だ」
 間欠泉で湧き出した湯が天井近くで冷やされ雨になったか。
 この時期なら雪が降ってもおかしくないのに、雨か。
 なまぬるい、雨。
「ヒャ、ヒャヒャ」
 煮え切らない、ねぇ。
 どうせなら熱湯のまま降ってくりゃいいものを。
「ぬえ、おまえ」
 笑い掛けて勇儀の言葉を奪う。
 知ってるよ、あんたこういう風に笑いかけられるのに弱いんだろ。
 化けてもいないのに、私の顔がパルスィに見えるだろ、勇儀。
 驚いたかな? ヒャヒャ、「ぬえ」はこういう笑い方しなかったもんな。
 ムラサもこういう顔はしなかったから、想像も出来なかったろ?
 だけどな。
 鵺はこういう風にも笑うんだよ。
「――ぬ、ぬえ」
「探してくるよ、今頃途方に暮れてるかもしんないし」
 手にした毬を放り捨て立ち尽くす鬼の脇をすり抜ける。
 ああばかばかしい。さっさと他の姿へ化けてしまいたい。
 でもこれはムラサとの約束じゃない。頼政が教えてくれたことだ。
 まだまだ百度には届かない。ならばこれから百度へ届かせよう。
 百の嘘でさっさとこの顔を鵺のカタチにしてしまおう。
 正体さえ出来ればあとはどんな姿へ化けたって構わない。
 胸がざわざわして苦しくなるこんな姿でいなくてもよくなる。
 私が求めたのはカタチだけ。都合がいいからこの姿を選んだだけ。
 なんで都合がよかったか、わからないけれど。
 どうしてもカタチを求めたのか、忘れてしまったけれど。
 この期に及んでこの姿に固執する理由なんて、みつからないけれど。
「――ムラサ――」
 封印が解けて、何かやりたいことでも思い出したかムラサ。
 私よりも優先するようなことを見つけたかよムラサ。
 何故そう思ったのかなんてわからない。
 わからない。わからない。ワカラナイ。
 ワカラナイけど、そうしてやりたい。

「――――ああ、邪魔してやろう」

 羽ばたきひとつで飛び立つ。
 目指すは退屈で見捨てた懐かしき地上。
 千年ぶりだ。思う存分楽しみ尽くす。鵺の鳴き声に怯えさせてやる。
 京の都でそうしたように――正体不明をばら撒いてやろう。

恋を知らぬ獣には

恋の形がわかりませぬ




八十四度目まして猫井です

ぬえは不定形だとかっこいいなあとか思いました

ここまでお読みくださりありがとうございました


※2012/11/7 改行を修正しました
猫井はかま
http://lilypalpal.blog75.fc2.com/
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コメント



0.1510簡易評価
5.100名前が無い程度の能力削除
このシリアスさがたまんないですね…
ぬえの設定や心情がリアルで引き込まれました。
続きが見たいです。
6.100奇声を発する程度の能力削除
良いわぁ…この形
8.80可南削除
途中の勇儀とぬえと村紗の似てる似てないの件が好みです。
ストンと落ちるような終わりも面白かったです。ありがとうございました。
9.100名前が無い程度の能力削除
正体が定まらず不定形なぬえ、かっこいいです。
独特の笑い方もマッチしていていいなあと思いました。

星蓮船本編、EXを経た後のぬえとムラサと「あいつ」がどうなるのか気になるところです。
15.100名前が無い程度の能力削除
面白かったです
18.90名前が無い程度の能力削除
おもしろかったです。
本編を読んであとがきにぐっときました。
24.100名前が無い程度の能力削除
ひねくれてるなぁ…、このキャラは受け入れられないけど
話自体はよかったです。
文調が漫画の台詞のようでした。
どちらかというと「絵」で観たかった。
欲を言えば、具体的に何してるのか、
どこにいて、どういう表情してるのか描写がほしかったかも…。
27.80桜田ぴよこ削除
ぬえーん。
31.100名前が無い程度の能力削除
二次創作の中でこのぬえが一番好きです。
なんとなくくせになる感じ、また読みに来ようと思います。
34.90名前が無い程度の能力削除
近づけども定まらず…。
36.100名前が無い程度の能力削除
なんとも言葉にしづらいので、うまく感想書けず申し訳ないです。
ですが、このぬえは大好きです。
また、うまい酒が飲めるようになるとよい、と思いました。
37.100名前が無い程度の能力削除
これはいいぬえ!