Coolier - 新生・東方創想話

ダイヤモンド

2011/05/14 18:55:02
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 ――咲夜は、綺麗だ。
 汚物を弾くメッキ加工を施したナイフのように汚れがない。光を取り込み、眩いほどに乱反射するその様は、咲夜自身が言うナイフというより、精巧にカットされたダイヤモンドのよう。私はルビーだ。取り込んだ光を紅色に汚す石。その価値はダイヤに劣る。だから、というわけでもないけれど、我ながら子供っぽい嫉妬に突き動かされて。
 少し、汚してしまいたいと、そんなことを、思ったのだ。


「――お、お嬢様?」
 ある日、私は仕事中の咲夜を寝室に呼び寄せて、入ってきた咲夜をベッドに押し倒した。その拍子にヘッドドレスが枕元に落ちるが、スカートの乱れだけはすぐに直した。突然の出来事への驚きがあっても主人にはしたない姿を晒すまいとするこの態度が、完全で瀟洒という評価の由縁だろう。胸の中の炎が赤々と燃える。
 部屋の中にある明かりは蝋燭のぼんやりした光のみ。枕元に置いた燭台が、咲夜の姿を幻想的に照らし出した。
 それが、ひどく眩しくて。
 私は目を閉じて、咲夜の肩辺りに顔を埋めた。
「お嬢様……何を?」
「黙ってなさい」
 状況把握が及んでいない咲夜の言葉を封じる。咲夜が押し黙ってから、私は咲夜の襟のリボンを解いた。第一ボタンを外し、肩を少しはだけさせてから、剥き出しの首筋に舌を這わせる。
「……!?」
「黙ってなさい、咲夜。口、開くんじゃないわよ」
 身を震わせる咲夜に釘を刺す。自分で封じておきながら、私は咲夜の声を聞こうとするように執拗に舌を這わせ続ける。鼻から息とともに漏れ出る呻きは、普段の済ました咲夜からは想像できないようなものだ。上目遣いに咲夜の顔を窺う。
 咲夜は額に汗を浮かべ、シーツを固く握り締めながら目を閉じていた。噛み締めた唇は白っぽい色になり、その様を見た私の背筋にぞくりとしたものが走った。咲夜と霊夢の関係を知っていることも、高揚を後押しする一つだった。
 いったん顔を離すと、蝋燭の炎は咲夜の首筋を艶やかに照らした。軽く息を吹きかけると、咲夜は小さく身体を震わせた。思わず唇が歪む。そして私は口を開くと、さんざん嘗め回した首筋に噛み付いた。犬歯が咲夜の皮膚を貫く。
「あ――っ……」
 喘ぎのようなか細い声が、唇の隙間から漏れ出た。私が小さく音を立てながら血を啜るたび、咲夜の身体は痙攣したように跳ねる。獲物を喰らう肉食獣のように、私は跳ねる首筋に食いついたまま離れない。血を吸い続け、飲みきれない血が唇の端から零れてようやく、私は咲夜の首から牙を抜いた。
 咲夜の瞳は焦点の合わないまま虚ろに天井を見上げている。唇の端からは涎が垂れ、跳ねて乱れたスカートも直せない。完全で瀟洒が形無しだった。
 血に濡れた唇を舐め、犬歯で唇を噛み切った。生温い血が零れ、鉄っぽい味が口に広がる。自分の血なんて不味いものだ、そんなことを思う。そして傷が塞がらないうちにと、私は呆けた顔の咲夜の半開きの唇に、自分のそれを重ね合わせた。
「っ……」
 咲夜は、一度震えただけだった。
 自分の唾液を混ぜた血を咲夜に飲ませる。無意識なのか、抵抗してくる咲夜の舌を押さえつけて、唇の傷が治りきるまで口付けを続けた。していた時間は、一分もなかったように思う。
 紅色の混じった唾液が糸を引く。それが切れてから、私は咲夜の上から退いた。虚ろな咲夜は動かない。軽く頬を叩いてようやく己を取り戻せたようだ。光を取り戻した瞳で私を見る咲夜。私はベッドに潜って目を閉じた。
「……寝るわ。仕事に戻りなさい、咲夜」
 私の平板な声に、咲夜は少し面食らったようだった。けれど私が寝返りを打って背を向けると、小さな衣擦れの音を立てながらベッドを降りる。瞼越しに感じていた炎の光が消え、戸を開く音がした。
「……お休みなさいませ、お嬢様」
 震えている冷えた声に、私は思わず唇を歪めた。
 戸が閉められ、部屋には闇が満ちた。今は昼時で、嫌になるほどの快晴だと言っていたけれど、カーテン一枚に遮られるのだからその程度でしかないのだろう。
 直らない唇の歪みをそのままに、私は言った通り眠ることにした。よく覚えていないがその時、良くない夢を見た気がした――。

   ◆   ◆   ◆

 ――冷たい感覚が喉を滑り落ちる。
 コップの中の水を一息に飲み干して、私は大きく息を吐いた。コップを置くとき、手の震えのせいで嫌に音が立つ。どことなく熱っぽい額を押さえて、少しだけぼやけた目で天井を見上げた。紅魔館の内装のほとんどは紅。見慣れているはずのそれが今は苦しく、目を閉じてまた息を吐いた。息苦しさを感じる。
 自分の部屋に戻った私は、誰も入れないように鍵をかけてから、テーブルに備え付けの椅子に座った。少し冷たく、今は心地いい。
 喉が渇いた。さっき水を飲んだばかりだというのに、渇くのが少々早すぎる。不安のせいだろう。眩く光を弾くナイフを取り出す。冷たい切っ先を眺めて、それから私は、そのナイフで自分の手首を切った。
「っ……」
 痛み、樹液のように流れ出る血液。治らない傷、収まらない渇き。
 目を細めて、懐中時計を手に取った。手首の時間が狂い、傷が瞬く間に治っていく。そ
うしてからナイフに付いた血を拭い、ホルダーに戻す。痛みはもうない。
 血を吸われた。人間を吸血鬼にするにはお嬢様は小食すぎるというが、それでも少々不安にはなった。何より――血を、飲まされた。そのほうが余程、吸血鬼になってしまいそうだ。
 だから試してみた。吸血鬼の治癒力は極めて高い。もしなっているのだとすれば、手首の傷はあっという間に治ってしまっていたはずだ。しかし、そうはならなかった。私はまだ人間なのだと再確認でき、安堵の溜め息が漏れる。
 椅子から立ち、机の抽斗を開ける。つまらない小物の中に一つ、鮮やかな朱の御守りが入っている。『無病息災』と書かれたそれは、霊夢からもらったものだ。普段は部屋に置いていくそれを、私はポケットの中に入れた。


 ――喉が渇く。唾を飲んでも飲んでも忽ちに渇く。それは息苦しさを伴って私を苛んだ。
 快晴の今日は窓から入る日光が強い。その光に目が眩んで、身体が揺らいだ。何とか踏み止まるが、額や背中からどっと汗が噴き出す。風を求めて窓を開けた。強い日光が苦しい。
 窓を開けても、風はあまり入ってこなかった。木々も風に靡く様子を見せない。それでも開けないよりはまし、とそのままにして、私は日陰の壁に寄りかかって大きく息を吐いた。無意識的にポケットの中の御守りを握り締める。その動作も苦しかった。
 体調管理には気を遣っているが、もしかしたら風邪でも引いたのかもしれない。熱があるかと額に手をやるが、自分の手ではよくわからなかった。
 喉が渇く。口の中に唾はもうない。変化など起きないというのに渇きに突き動かされて喉を掻き――
「あら、咲夜。何してるの?」
 廊下の向こうから、霊夢が来た。
「れい、む……」
「ちょ、どうしたのよあんた。顔真っ白じゃない!」
 白いのだろうか。霊夢が焦った様子で駆け寄ってくる。喉が、灼ける――。
「こな……い、で」
「咲夜……?」
 掠れた私の声に、霊夢が足を止めた。手が喉を掻く。喉が渇く。霊夢が一歩踏み出した。
 その瞬間に、全身が大きく鼓動した。
「あ……ああ……。いや……」
 悟った。これが吸血衝動なのだと。私は、お嬢様に血を吸われて、飲まされて、吸血鬼になってしまったのだと。
 自分で切り付けた手首の傷はない。当然だ、吸血鬼の自然治癒力の前では、あの程度の傷は傷ですらない。日光が苦しかった。当然だ、吸血鬼は日光の元を歩けない。
 喉が渇く。当然だ、吸血衝動は、吸血鬼に備わる本能なのだから――。
「いや……霊夢、こないで、来ちゃいや……!」
 霊夢の顔には困惑と悲しみが浮かんでいる。私だって拒絶したくない。それでも、霊夢の血を吸うのはもっと嫌だった。
 後ずさる、日光が全身を焼いた。かちゃ、と音が鳴る。霊夢の両目が見開かれた。
「咲夜、危ない――!」
「え――?」
 身体が傾いだ。窓が全開に開かれ、外の景色が手招いている。体勢を直すこともできずに、私の足が床を離れた。
「咲夜!!」
 重力に捕まり自然落下。霊夢が身を乗り出して手を伸ばす。ポケットに入りっぱなしだった手を出して伸ばす。握った手の中から、朱色の御守りがこぼれた。
 窓から飛び出そうとする霊夢、けれどそれも間に合わなくて。

 ――ゴシャ。

 歪な音とともに、世界は容易く断絶する。
 断絶する意識が最期に見たのは、霊夢とお嬢様の絶望だった――。

   ◆   ◆   ◆

 ――目を覚ましてから、私は館の中を歩いていた。咲夜を呼び寄せたのだが、普段は数秒と立たずに来る咲夜が、今回に限って来ない。嫌な予感と共に、私は咲夜を探し始めた。探すのはそれほど大変でもない。咲夜の血の香を辿ればすぐだった。
 咲夜の血の香の終着点は辿り着いたその場所で間違いなかったけれど、そこに咲夜の姿はなく、代わりに絶望の表情を浮かべた霊夢が窓から身を乗り出していた。差し込む日光を浴びないように窓の外を見る。と――
「さ……っ」

 ――ゴシャ。

 頭が砕けた咲夜が、そこに倒れていた。広がる紅色、無残な銀色。微動だにしない。当然だ、咲夜は、既に死んでいる――。
「咲夜!」
 霊夢が窓から飛び降りた。手遅れだとわかっていように、それでも堪えられないように。
「誰か、来なさい!」
 私も、声を張り上げてメイドを呼ぶ。いつにない剣幕に怯えたのか、妖精メイドがびくびくとしながらやってきた。
「日傘を持ちなさい、早く!」


 ――遺体は、庭に葬られた。葬儀に参列したものは一様に涙を浮かべていた。己が孤独であると考えていた節のあった咲夜の最期の土産としては、この上ないものだっただろう。
 ティータイムを過ごすこの部屋にいるのは、私の他には一人だけだった。霊夢、咲夜と愛を契った巫女は、暗く重い面持ちで、私の向かいに座っている。
 小悪魔が紅茶を用意した。咲夜がいなくなった今、まともに紅茶を淹れられるのは小悪魔くらいになってしまったから。小悪魔は特に声をかけることもなく、ただ沈痛とした顔で紅茶を置いて、出ていった。
 紅い紅茶、霊夢はその色を見ようともせず、たっぷりのミルクを入れて紅い色を無くした。私も砂糖とミルクを入れる。カップにスプーンが当たって音が鳴る。少し混ぜてから、私はソーサーにスプーンを置いた。
 テーブルには温かい匂いを漂わせるクッキーがバスケットに入って置かれている。けれど、おそらくこれは冷めてしまうだろう。今この場に、食欲を保った者はいない。
 ティーカップに口を付けたのとほぼ同時に、霊夢は静かに口を開いた。
「……咲夜の首筋。噛み跡があった」
 ……カップを置く。
「……レミリア。あんた、咲夜の血を吸った?」
 霊夢の瞳には、未だ涙の残滓が残っている。そのフィルターを通してでも、私を糾弾する霊夢の眼光は些かも弱まらない。霊夢は理解していた。その噛み跡、吸血という行為を表すそれが、咲夜の死に深く関わっているということを。
 嘘をつく理由もないので、私はカップを置いてから一つ、頷いた。霊夢が唇を噛み締める。
「っ……なんで……!」
「咲夜って、綺麗よね」
 問い質そうとする霊夢に先んじて、私はそう言った。
「え……?」
「汚物を弾くメッキ加工のナイフ。光を内に取り込んで、眩く輝くその様はまるで精巧にカットされたダイヤモンドのよう」
 私の手には、ブリリアンカットの施されたダイヤモンドがある。僅かな光源の元でも眩く輝く無色の宝石。無垢の宝石。
「私は、ルビー。光を紅く汚す石。価値もダイヤより低い。無色の輝きは、時に羨ましく、恨めしく思う」
 指の腹を噛む。皮膚が裂け、珠のような雫が浮き出た。やがて張力で維持しきれなくなったその雫は、重力に従って落ちていく。その落下点にはダイヤ、私の血は表面を滑り落ちることはなく、隙間もないほど整然と構成されたダイヤの中に染み込み、紅く汚していく。
「だから少し――汚してみたいと、そう思ったのよ」
 霊夢は呆然と、私の言葉を聞いている。紅く汚れたダイヤを指で挟んで持つ。
「けどね、忘れてたのよ。知ってるかしら? ダイヤって傷がつきにくいの。ナイフで切ったくらいじゃ跡も残らない。けどね――」
 指に力を籠める。尖ったカットが指に食い込んで少し痛いが、気にする必要もない。吸血鬼の万力に嵌められたダイヤモンドは、やがて無残に、けれども綺麗に、砕け散った。大きな破片が私のティーカップに、細かな破片がクッキーのバスケットに、霊夢のティーカップに、床に、撒き散らされた。
「――壊れやすいの、ダイヤも。金槌で叩けば、それで壊れるくらいに」
 尖ったカットのほうを持っていた指の腹には血が滲んでいた。舐める。……やっぱり、自分の血なんて不味いものだ。
「咲夜も、壊れやすかったのよ。張り詰めた糸のように、眩く輝くダイヤのように」
 霊夢の瞳からは、もはや感情というものが読み取れなかった。紅茶を啜る。歯にダイヤの欠片が当たった。
「私だって、咲夜を亡くしたことは辛いけれど、これも運命だったってことでしょうね。私にできるのは、ダイヤは壊れやすいものだっていうことを忘れないこと。あとは――砕けたダイヤのことを、忘れないことくらいかしらね」
 テーブルに肘をつき、呆然自失といった様子の霊夢を見る。
「……さ、もう帰りなさい。ここにいても、貴女に実りは何一つないわ」
「…………」
 霊夢は無言で席を立った。ともすればそのまま倒れそうな状態の霊夢を見て、部屋の外にいた小悪魔はそのあとに続いた。扉が閉じられ、ここに残るのは私一人になった。
 ……こんなことになっても、霊夢は私を殺そうとはしなかった。恨みがないわけではないだろう、幻想郷のためか。人間と妖怪のバランスで成り立つこの楽園を壊さないようにするためか。
 中身のなくなったカップの底のダイヤの欠片を見る。それを指で抓んで、思う。
「……他の宝石は、壊さないようにしないとね」



 
初めまして、金之助です。

咲夜さんは一、二番目位に好きなキャラなんですが、思い浮かぶネタがみんな可哀想なものに。僕には咲夜さんを幸せにできないorz

批評大歓迎です。面白かったというのはもちろん、
「咲夜さん死なせてんじゃねえよ!」
ていう文句も受け付けます(笑)

最後に、読んでくださった皆様ありがとうございました。これからも何個か投稿予定なので、読んでいただけると嬉しいです。

ちなみに『濁江の蛙』というブログやってますので、よろしければそちらもどうぞ。
金之助
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コメント



0.660簡易評価
2.70名前が無い程度の能力削除
こえええ・・・
けど、なんか吸血鬼って感じです・・・
3.90名前が無い程度の能力削除
人と吸血鬼の価値観の違いってものを見た気がする
5.70奇声を発する程度の能力削除
やっぱ人と吸血鬼は違うんですよねぇ…
6.80名前が無い程度の能力削除
短編でビックリした
レミリア怖いぜ。冷たい性格というか、それが吸血鬼なんだよなあ
7.80カイ削除
いいですね。こういうレミリアは嫌いじゃないです。
霊夢絡みの事情が脈絡ないのが少々惜しいでしょうか。
8.70名前が無い程度の能力削除
完全な吸血鬼にはなってなかったのかな
9.無評価金之助削除
>カイさん
霊夢関連のことは投稿した後になって気づきましたw
個人的に咲夜のカップリングは霊夢と考えているので、特に意識せず書いていました。
いつか咲夜×霊夢の話も書いておきたいところです。
10.90名前が無い程度の能力削除
おお。凄い好みの作品ですー。
可能ならあなたの咲夜さんがもっと色々読みたいです。
18.80名前が無い程度の能力削除
困った。アリだと思う。文章運びも好みだ。
でも、ストーリー部分で「うん?」となってしまう所が。
三段に分けたとして、主に二段目の後半と三段目の前半が。あとラストの締め方も。
でも、一段目と二段目の前半は好きです。わくわくした。
短く纏めようとし過ぎているように感じました。お陰で少し強引な所がちらほら。このわくわく感なら、もっと描写を増やしても良かった。
でも80点。やっぱり面白かったです。