「な、内勤メイド、ナンバー35です。失礼します」
紅魔館、レミリアの私室。
咲夜を除くメイドが普段立ち入る場所ではないこの部屋に、一匹の妖精メイドが呼び出されていた。
現在この場にいるのは、レミリアとそのメイドだけである。
「いらっしゃい。さて、前置きはいらないわ。呼び出された理由‥‥わかっているわね?」
「は、はい! 本日私は重大なミスを犯しました! 申し訳ありません!」
「そうね。それがわかっているなら話は早いわ」
「お嬢様! ど、どうかご慈悲を!」
その言葉を聞くや否や、メイドが這い蹲り、床に頭を押し付ける。
対するレミリアはその様子を冷ややかに眺め、ゆっくりと立ち上がる。
「二度と‥‥二度と失敗はしません! ですから‥‥」
「紅魔館・血の掟‥‥」
「‥‥!」
立ち上がったレミリアは、そのままメイドの近くへと歩み寄っていく。
レミリアから発せられる言葉を既に知っているのか、床に伏せていたメイドは逃れるように後退していく。
「無能な者には‥‥」
「ひぃ‥‥」
ずるずると後ずさっていたメイドの背が壁に当たり、逃げ場を失う。
「死、あるのみ‥‥」
「い、いや‥‥誰か、誰か助けて! いやあああああ!」
「醜いな。せめて最期くらいは美しく‥‥」
レミリアとメイドの距離が縮まり、耳をつんざくような悲鳴が発せられる。
その時だった。
「お嬢様? なんだか、物凄い声が聞こえたんですが‥‥」
「散るがよ‥‥あ」
「あ」
「へ?」
ガチャリとドアが開き、咲夜が顔を覗かせた。
「ちょ、ちょっとメイド長‥‥んもー」
「咲夜ったら‥‥台無しじゃない。雰囲気ぶち壊しだわ」
「はい? えっと‥‥なんです?」
事態を全く飲み込めない咲夜。
落としていた照明に火を灯し、レミリアは元のイスに座り直すと説明を始めた。
「ほら、なんていうの? メイドの仕事って毎日同じような事が多いじゃない? 特に内勤の子は」
「はあ。まあ、そうかも知れませんね」
「それじゃあマンネリっていうか‥‥モチベーションが保てないってみんなが言うから」
「はあ」
「暴君ごっこで、ちょっとした息抜きと気合いの入れ直しを」
「ぼ、暴君ごっこですか?」
「メイド長、ひどいですよ! もう一月も順番待ちして、やっと私の番だったのに!」
「え? それは、その‥‥ごめんなさいね」
そう。
妖精にとって最も大事な遊び心が満たされ、その上当主のレミリアと一対一で触れ合えるこの遊びは、一部の妖精メイドの中でそれなりのブームを誇っているのだ。
尚、開催は不定期である。
「ぶぅー‥‥」
「まあまあ、今日のところは我慢してちょうだい。その代わり明日は‥‥」
「明日は?」
「『最後のチャンス、汚名返上の任務にすら失敗したバージョン』で遊んであげるわ」
「ええ!? ほ、本当ですか!?」
「私が嘘を吐くと思って? こんなシチュエーション、漫画でも幹部クラスでしか出てこないレア物なのよ?」
「わーい! 約束ですよ! それじゃ、仕事に戻りますね!」
「はいはい。頑張ってね」
「失礼しまーす」
ガチャリ バタン
「ふう‥‥」
「す、すみません。私が入って来てしまったばかりに‥‥」
「まあいいんだけどね。紅茶ちょうだい」
「はい、ただいま」
元気に飛び出して行ったメイドを見送ったレミリアは、それなりに疲れた表情で咲夜の淹れた紅茶を飲む。
普段のほほんと過ごしているだけに、冷徹な独裁者の役は少々気合いが必要なのだ。
「ところで‥‥」
「ん?」
「どうして、よりによって暴君なんですか?」
「ああ、その事?」
お茶請けのクッキーを齧りながらレミリアは答える。
「この遊びを始めた理由の大部分は、さっきも言った通りあの子達のため。だけど、私にも少し思うところがあってね」
「と、言いますと?」
「ほら、私って紅魔館の当主なわけでしょ?」
「はい」
「なんていうか、威厳が足りない気がするのよね」
「威厳、ですか?」
「そう。威厳よ。カリスマ性とかそういう抽象的な物じゃなくて、もっとわかりやすい感じの」
「ええと‥‥」
「貫禄と言い換えてもいいかもね。ほら、人間の里にもいるでしょ? 一目見ただけで、なんとなく立派な感じの老人とか」
「ああ、言われてみれば‥‥」
「そういうのが欲しいわけよ」
レミリアの説明を聞いて漸く合点がいった咲夜だが、どうにも納得する事ができなかった。
「しかし、お嬢様は今のままで十分にご立派だと思いますが」
「そう? ありがと。でもねえ‥‥ほら、これ見て」
咲夜の率直な言葉を聞き、僅かに照れたように笑うレミリア。
そんな彼女が咲夜に見せたのは、一枚の小さめな絵だった。
「これは?」
「私のお父様。先代の紅魔館当主よ」
「‥‥先代の当主様って、リンゴだったんですか?」
「へ? あ、間違えた。えーと‥‥こっちこっち」
果物の描かれた絵を放り投げ、改めてもう一枚差し出すレミリア。
この間、咲夜は笑いを噛み殺すのに必死であった。
「これよ」
「では失礼して‥‥まあ、この方が」
「そ。どう? 娘の私が言うのもなんだけど、見るからに悪魔の館の主って感じでしょ?」
「確かに‥‥」
「少しずつでも、お父様に近付いていきたいなと思うようになったのよ。最近」
絵に描かれた男性は、まるで実物が存在しているかのような力強い眼光を湛え、威風堂々とそこに鎮座していた。
こうして見てみると、レミリアの言う威厳や貫禄というものが理解できる。
「最後に会ったのは随分昔の事だけど、今でもその姿と声が思い出せるわ‥‥」
『レミィ! お前、大きくなっても胸は全然成長せんな! いよっ、永遠の幼児体型! だはははは!』
「‥‥思い出さなきゃよかった」
レミリアの持っていたカップの取っ手がピキッと悲鳴をあげる。
思い出は美しいものばかりとは限らないのだ。
「‥‥お嬢様?」
「なんでもないわ」
「そ、そうですか‥‥」
「ま、そういうわけなんだけどね。そうだ。せっかくだし、あなたに聞いておこうかしら」
「なんでしょう?」
「紅魔館の主として、私に何か足りない部分は無いかしら?」
「そう言われましても‥‥」
その質問に咲夜は考え込む。
が、いくら考えても的確な答えは出せなかった。
「私はお嬢様以外の主を知りませんので、比較のしようもありません。お役に立てず申し訳ないです」
「ま、そうよね。あなたが知ってる誰かの主って言ったら、亡霊のアレとか、胡散臭いアレとかだもんね。あの辺りと比べられるのもねえ‥‥」
「ですが、美鈴やパチュリー様なら何か答えてくれるかも知れませんよ」
「ああ、確かにね。なんだかんだで、お父様の時代からの付き合いだし‥‥盲点だったわ」
「夕食までまだ時間がありますし、時間潰しも兼ねて聞いてみたらどうでしょう?」
「そうね。ありがと」
「いえいえ。それでは私も仕事に戻らせていただきます」
「はいよ。あ、外勤の子に言って、美鈴呼んでおいてもらえる?」
「畏まりました」
「お嬢様。紅美鈴、馳せ参じました」
「いらっしゃい。紅茶飲む?」
「これは恐悦至極。ありがたく頂きます」
「じゃあ淹れて。私の分も」
「えー」
いつも通りのじゃれ合いを済ませた後、レミリアが早速本題を切り出す。
「ところで美鈴。相談なんだけど」
「ああ、咲夜さんが言ってましたね。何か悩みがあるようで」
「悩みってほど大袈裟な話じゃないんだけどね。実はかくかくしかじかで」
「まるまるうまうま、と。なるほど‥‥」
「で、どう? 何か思い当たる?」
簡単に要約して説明するレミリアだったが、それを聞いた美鈴の表情が強張る。
最近見た中では一番ではないかと思えるほど、真剣な表情だった。
「そうですね‥‥お嬢様。私の答えは、もしかしたらお嬢様を不快にさせるかも知れません。ですが、これは客観的に見た確かな事実なんです」
「う‥‥」
「どうか冷静にお聞き下さいますよう」
「わ、わかったわ。大丈夫。聞かせて頂戴」
「では無礼を承知で。お嬢様に足りない物。それは‥‥」
まるで気持ちを落ち着かせるように、美鈴が一度深呼吸をする。
そのただならぬ雰囲気に、レミリアも思わず息を呑み、静かに答えを待つ。
「おっぱいじゃないですかね」
「お前ぶっ飛ばすぞ」
蓋を開けてみれば、いつもの美鈴であった。
「と、冗談は抜きにしてですね。そうですねえ‥‥特に足りない部分なんて無いと思いますけどね」
「そう?」
「まあ確かに、先代様とは随分違いますけどね。それでも、やっぱり親子だなって感じる時はありますし」
「そうかしら」
「はい。懐かしいなあ。先代様と会った時の事、今でも思い出せますよ」
美鈴はそう言うと、昔を思い起こすように目を細めた。
『この館で門番を探していると聞きました。腕には多少の覚えがあります。どうか一つ、実力を見て頂けませんか』
『あ、すみません。東洋妖怪の方はちょっと‥‥』
『ええーっ!?』
「‥‥思い出さなきゃよかった」
美鈴の持っていたティースプーンがグニャリと曲がる。
思い出は美しいものばかりとは限らないのだ。
「ど、どうしたの?」
「いや、別に‥‥ん? そういえばお嬢様‥‥」
「何?」
落ち着きを取り戻した美鈴は、何かに気が付きレミリアの顔を覗き込む。
「やっぱり! 先代様とお嬢様の違い、見つけましたよ」
「あら、本当なの?」
「はい! お嬢様には‥‥」
ゴクリ‥‥
「ヒゲがはえてませんね!」
「‥‥いやいやいや、そういう事じゃなくてね。違う違う」
「おや?」
「はえてませんね! って、何を今更そんな自信満々に。今まで知らなかったの?」
「えへへ‥‥まあとにかく、私にはお嬢様の足りない部分は見当たりませんね」
「そう‥‥いいわ。ありがと」
「では次はパチュリー様ですね」
「あら、よくわかったわね」
「長い付き合いですもの。途中までご一緒しましょう」
「あいよ」
「なるほど。でも、まさかレミィからそんなセンチメンタルな悩みを聞くとはね」
「言ってくれるわね」
美鈴と別れ図書館を訪れたレミリアは、パチュリーに対して先と同じく簡単に説明した。
その反応がこれであった。
「でもねえ‥‥私も別に、あなたに何かが不足しているとは思えないわ」
「そう?」
「館の当主としてはね。一人の人物として見た時には問題だらけよ」
「おーい、随分じゃないか」
「強いて一つ挙げるとするならば、そうね。おっぱ」
「おーい!」
「冗談よ。いや、胸が足りないのは本当だけど」
「もういいっての!」
美鈴よりもしつこく傷を抉ってくる親友に、レミリアも堪らず声を荒げる。
「それはさておき。そうね‥‥確かに先代、あなたのお父様は威厳と風格があったわね」
「‥‥何か思い出せる事とかある?」
「ん? そうねえ‥‥」
レミリアは意図的にパチュリーの記憶を引き出しにかかる。
自分と美鈴は美しい思い出を破壊されたのだ。
ここは親友にも同じ目に遭って貰おうと考えての事だった。
「まだ私が小さかった頃。そう、私の親が本の収集に躍起になっていた頃‥‥」
『おいノーレッジ(先代)! お前に借りた本を読んで魔法を試そうと思ったんだがな‥‥失敗して燃えた! 図書館の本の何冊かにも燃え移った!』
『ええ!? 何考えてるのよ! どれだけ貴重な本があると思ってるの!?』
『いやすまん。なーに、大丈夫だ。お前の旦那が消してくれたからな。はっはっは』
『‥‥なんとか消すには消したが、図書館の半分が燃え尽きた』
『いやああああ!』
「‥‥思い出さなきゃよかった」
パチュリーの持っていた本からメラメラと炎が吹き上がる。
思い出は美しいものばかりとは限らないのだ。
「まあまあ、落ち着いて落ち着いて」
その様子を見たレミリアは、満足そうに笑みを浮かべているのであった。
「と、とにかく。仮に威厳が足りないのだとしても、一朝一夕で身に付くものでは無いわ。現状維持が無難じゃないかしら」
「そうねえ‥‥」
「手軽にお父様に近付きたいなら、ヒゲでもはやしてみる?」
「パチェ、最近思考が美鈴に似てきたわね」
「それは困るわね。まあ、無理に色々やろうとしても、結局は破綻するだけよ。少なくともメイド達は今のあなたが好きで居付いているんだから、それに応えてれば主人としては合格じゃなくて?」
「‥‥そうね。うん、わかったわ。ありがと」
「どういたしまして」
パチュリーが本に視線を戻したのを確認すると、レミリアは図書館を後にする。
当初の悩みを解決する事は出来なかったが、それでも今の心は満ち足りていた。
そう、レミリアに今一番足りなかったのは、何よりも自信だったのだ。
その夜、レミリアと美鈴、パチュリーは夢を見た。
今となっては懐かしい、幻想郷に移住する時の夢だった。
『お父様! この世界はもう、私達の生きていける世界では無いわ!』
『そうです! ここにいても、自分が消えていくのを待つだけですよ!』
『私の父と母が調べたところによると、幻想郷という世界がある。そこでならきっと‥‥!』
三人の必死の説得に、先代の紅魔館当主は首を横に振る。
『西洋妖怪の象徴である吸血鬼、それも真祖である私がこの世界を離れてみろ。残された同胞達は失意に苛まれるだろう。私は残る。彼らの旗印としてな』
『お父様!』
『さあ、お前達は早く幻想郷へ行け。フランを頼んだぞ』
『お父様ぁ!』
『なーに、心配いらん。「運命」はお前達の味方だからな』
「って夢を見たのよねー‥‥」
「おや、私も全く同じ夢を」
「奇遇ね。私もよ」
翌朝、懐かしくも悲しい夢を見て飛び起きた三人は、少し早めのティータイムを開催していた。
もちろん、偶然や奇遇といった類のものでは無いというのは既に理解している。
それもその筈であった。
「今日は、紅魔館が幻想郷にやってきた日なのね‥‥」
「そうね。また一年が過ぎたわ」
「なんだかんだ、平和に暮らせてますよね。フラン様も落ち着いたし、咲夜さんを始めとして、メイドもたくさんいて」
「そうねえ‥‥もしかしたら、お父様が何かしたのかしらね」
「忘れられたくなくて?」
「あはは、旦那様なら有り得そうですね」
「死してなお他人に影響を及ぼす‥‥見習いたいものね」
紅魔館には珍しい、しんみりとした空気の中、和やかに時間は流れている。
そんな時だった。
「む! 何奴!?‥‥なんて、こんなところに一瞬で来れるのなんて、八雲の隙間妖怪だけですよねー」
「何か紙を落として行ったわ。これは‥‥封筒?」
「差出人不明、宛て先は紅魔館‥‥怪しさマックスね」
「ま、開けてみましょ」
僅かばかりの警戒と共に封を切る。
すると、中には一枚の手紙が入っていた。
「これは‥‥?」
『レミィ! 元気にしているか? パパは元気だぞ。ついでにノーレッジ達も元気だ。』
「‥‥え?」
「あの‥‥これって‥‥」
「え? いやいや、うちの親も?」
『念のため言っておくが、レミィに美鈴、パチュリーよ。
お前達、我々を勝手に殺してないだろうな?
最近は人間達の間で吸血鬼をモデルにした作品が人気らしくてな。何とも景気のいい話だ。
お陰で大分落ち着いたから、今年の記念日はお前達に手紙を出してみた。
そっちの世界の管理人に預けたから、すぐに届く筈だ。
フランも多分そろそろ何とかなってる頃だろう。
お前達に忘れられたら困るから、ちょいと力を使って懐かしい夢を見せた。
楽しかっただろう?』
「う、嘘‥‥」
「普通に生活してたんですね‥‥」
「えー‥‥」
すっかり脱力してしまった三人。
その時、レミリアがある事を思い出した。
「ねえ二人共。お父様の力、覚えてる?」
「え? えーと」
「たしか‥‥」
レミリアが答えを言う前に、手紙の追伸部分が彼女の目に飛び込む。
その内容は‥‥
『P.S. レミィよ。少しは胸も成長したか? パパはそこだけが心配だ』
「‥‥ぷっつーん」
「お、お嬢様? お気を確かに! 館内でござる! 館内でござる!」
「レミィ! 落ち着きなさい!」
「うがーーーーっ!」
先代スカーレット『ありとあらゆる者の運命を面白おかしく引っ掻き回す程度の能力』
紅魔館、レミリアの私室。
咲夜を除くメイドが普段立ち入る場所ではないこの部屋に、一匹の妖精メイドが呼び出されていた。
現在この場にいるのは、レミリアとそのメイドだけである。
「いらっしゃい。さて、前置きはいらないわ。呼び出された理由‥‥わかっているわね?」
「は、はい! 本日私は重大なミスを犯しました! 申し訳ありません!」
「そうね。それがわかっているなら話は早いわ」
「お嬢様! ど、どうかご慈悲を!」
その言葉を聞くや否や、メイドが這い蹲り、床に頭を押し付ける。
対するレミリアはその様子を冷ややかに眺め、ゆっくりと立ち上がる。
「二度と‥‥二度と失敗はしません! ですから‥‥」
「紅魔館・血の掟‥‥」
「‥‥!」
立ち上がったレミリアは、そのままメイドの近くへと歩み寄っていく。
レミリアから発せられる言葉を既に知っているのか、床に伏せていたメイドは逃れるように後退していく。
「無能な者には‥‥」
「ひぃ‥‥」
ずるずると後ずさっていたメイドの背が壁に当たり、逃げ場を失う。
「死、あるのみ‥‥」
「い、いや‥‥誰か、誰か助けて! いやあああああ!」
「醜いな。せめて最期くらいは美しく‥‥」
レミリアとメイドの距離が縮まり、耳をつんざくような悲鳴が発せられる。
その時だった。
「お嬢様? なんだか、物凄い声が聞こえたんですが‥‥」
「散るがよ‥‥あ」
「あ」
「へ?」
ガチャリとドアが開き、咲夜が顔を覗かせた。
「ちょ、ちょっとメイド長‥‥んもー」
「咲夜ったら‥‥台無しじゃない。雰囲気ぶち壊しだわ」
「はい? えっと‥‥なんです?」
事態を全く飲み込めない咲夜。
落としていた照明に火を灯し、レミリアは元のイスに座り直すと説明を始めた。
「ほら、なんていうの? メイドの仕事って毎日同じような事が多いじゃない? 特に内勤の子は」
「はあ。まあ、そうかも知れませんね」
「それじゃあマンネリっていうか‥‥モチベーションが保てないってみんなが言うから」
「はあ」
「暴君ごっこで、ちょっとした息抜きと気合いの入れ直しを」
「ぼ、暴君ごっこですか?」
「メイド長、ひどいですよ! もう一月も順番待ちして、やっと私の番だったのに!」
「え? それは、その‥‥ごめんなさいね」
そう。
妖精にとって最も大事な遊び心が満たされ、その上当主のレミリアと一対一で触れ合えるこの遊びは、一部の妖精メイドの中でそれなりのブームを誇っているのだ。
尚、開催は不定期である。
「ぶぅー‥‥」
「まあまあ、今日のところは我慢してちょうだい。その代わり明日は‥‥」
「明日は?」
「『最後のチャンス、汚名返上の任務にすら失敗したバージョン』で遊んであげるわ」
「ええ!? ほ、本当ですか!?」
「私が嘘を吐くと思って? こんなシチュエーション、漫画でも幹部クラスでしか出てこないレア物なのよ?」
「わーい! 約束ですよ! それじゃ、仕事に戻りますね!」
「はいはい。頑張ってね」
「失礼しまーす」
ガチャリ バタン
「ふう‥‥」
「す、すみません。私が入って来てしまったばかりに‥‥」
「まあいいんだけどね。紅茶ちょうだい」
「はい、ただいま」
元気に飛び出して行ったメイドを見送ったレミリアは、それなりに疲れた表情で咲夜の淹れた紅茶を飲む。
普段のほほんと過ごしているだけに、冷徹な独裁者の役は少々気合いが必要なのだ。
「ところで‥‥」
「ん?」
「どうして、よりによって暴君なんですか?」
「ああ、その事?」
お茶請けのクッキーを齧りながらレミリアは答える。
「この遊びを始めた理由の大部分は、さっきも言った通りあの子達のため。だけど、私にも少し思うところがあってね」
「と、言いますと?」
「ほら、私って紅魔館の当主なわけでしょ?」
「はい」
「なんていうか、威厳が足りない気がするのよね」
「威厳、ですか?」
「そう。威厳よ。カリスマ性とかそういう抽象的な物じゃなくて、もっとわかりやすい感じの」
「ええと‥‥」
「貫禄と言い換えてもいいかもね。ほら、人間の里にもいるでしょ? 一目見ただけで、なんとなく立派な感じの老人とか」
「ああ、言われてみれば‥‥」
「そういうのが欲しいわけよ」
レミリアの説明を聞いて漸く合点がいった咲夜だが、どうにも納得する事ができなかった。
「しかし、お嬢様は今のままで十分にご立派だと思いますが」
「そう? ありがと。でもねえ‥‥ほら、これ見て」
咲夜の率直な言葉を聞き、僅かに照れたように笑うレミリア。
そんな彼女が咲夜に見せたのは、一枚の小さめな絵だった。
「これは?」
「私のお父様。先代の紅魔館当主よ」
「‥‥先代の当主様って、リンゴだったんですか?」
「へ? あ、間違えた。えーと‥‥こっちこっち」
果物の描かれた絵を放り投げ、改めてもう一枚差し出すレミリア。
この間、咲夜は笑いを噛み殺すのに必死であった。
「これよ」
「では失礼して‥‥まあ、この方が」
「そ。どう? 娘の私が言うのもなんだけど、見るからに悪魔の館の主って感じでしょ?」
「確かに‥‥」
「少しずつでも、お父様に近付いていきたいなと思うようになったのよ。最近」
絵に描かれた男性は、まるで実物が存在しているかのような力強い眼光を湛え、威風堂々とそこに鎮座していた。
こうして見てみると、レミリアの言う威厳や貫禄というものが理解できる。
「最後に会ったのは随分昔の事だけど、今でもその姿と声が思い出せるわ‥‥」
『レミィ! お前、大きくなっても胸は全然成長せんな! いよっ、永遠の幼児体型! だはははは!』
「‥‥思い出さなきゃよかった」
レミリアの持っていたカップの取っ手がピキッと悲鳴をあげる。
思い出は美しいものばかりとは限らないのだ。
「‥‥お嬢様?」
「なんでもないわ」
「そ、そうですか‥‥」
「ま、そういうわけなんだけどね。そうだ。せっかくだし、あなたに聞いておこうかしら」
「なんでしょう?」
「紅魔館の主として、私に何か足りない部分は無いかしら?」
「そう言われましても‥‥」
その質問に咲夜は考え込む。
が、いくら考えても的確な答えは出せなかった。
「私はお嬢様以外の主を知りませんので、比較のしようもありません。お役に立てず申し訳ないです」
「ま、そうよね。あなたが知ってる誰かの主って言ったら、亡霊のアレとか、胡散臭いアレとかだもんね。あの辺りと比べられるのもねえ‥‥」
「ですが、美鈴やパチュリー様なら何か答えてくれるかも知れませんよ」
「ああ、確かにね。なんだかんだで、お父様の時代からの付き合いだし‥‥盲点だったわ」
「夕食までまだ時間がありますし、時間潰しも兼ねて聞いてみたらどうでしょう?」
「そうね。ありがと」
「いえいえ。それでは私も仕事に戻らせていただきます」
「はいよ。あ、外勤の子に言って、美鈴呼んでおいてもらえる?」
「畏まりました」
「お嬢様。紅美鈴、馳せ参じました」
「いらっしゃい。紅茶飲む?」
「これは恐悦至極。ありがたく頂きます」
「じゃあ淹れて。私の分も」
「えー」
いつも通りのじゃれ合いを済ませた後、レミリアが早速本題を切り出す。
「ところで美鈴。相談なんだけど」
「ああ、咲夜さんが言ってましたね。何か悩みがあるようで」
「悩みってほど大袈裟な話じゃないんだけどね。実はかくかくしかじかで」
「まるまるうまうま、と。なるほど‥‥」
「で、どう? 何か思い当たる?」
簡単に要約して説明するレミリアだったが、それを聞いた美鈴の表情が強張る。
最近見た中では一番ではないかと思えるほど、真剣な表情だった。
「そうですね‥‥お嬢様。私の答えは、もしかしたらお嬢様を不快にさせるかも知れません。ですが、これは客観的に見た確かな事実なんです」
「う‥‥」
「どうか冷静にお聞き下さいますよう」
「わ、わかったわ。大丈夫。聞かせて頂戴」
「では無礼を承知で。お嬢様に足りない物。それは‥‥」
まるで気持ちを落ち着かせるように、美鈴が一度深呼吸をする。
そのただならぬ雰囲気に、レミリアも思わず息を呑み、静かに答えを待つ。
「おっぱいじゃないですかね」
「お前ぶっ飛ばすぞ」
蓋を開けてみれば、いつもの美鈴であった。
「と、冗談は抜きにしてですね。そうですねえ‥‥特に足りない部分なんて無いと思いますけどね」
「そう?」
「まあ確かに、先代様とは随分違いますけどね。それでも、やっぱり親子だなって感じる時はありますし」
「そうかしら」
「はい。懐かしいなあ。先代様と会った時の事、今でも思い出せますよ」
美鈴はそう言うと、昔を思い起こすように目を細めた。
『この館で門番を探していると聞きました。腕には多少の覚えがあります。どうか一つ、実力を見て頂けませんか』
『あ、すみません。東洋妖怪の方はちょっと‥‥』
『ええーっ!?』
「‥‥思い出さなきゃよかった」
美鈴の持っていたティースプーンがグニャリと曲がる。
思い出は美しいものばかりとは限らないのだ。
「ど、どうしたの?」
「いや、別に‥‥ん? そういえばお嬢様‥‥」
「何?」
落ち着きを取り戻した美鈴は、何かに気が付きレミリアの顔を覗き込む。
「やっぱり! 先代様とお嬢様の違い、見つけましたよ」
「あら、本当なの?」
「はい! お嬢様には‥‥」
ゴクリ‥‥
「ヒゲがはえてませんね!」
「‥‥いやいやいや、そういう事じゃなくてね。違う違う」
「おや?」
「はえてませんね! って、何を今更そんな自信満々に。今まで知らなかったの?」
「えへへ‥‥まあとにかく、私にはお嬢様の足りない部分は見当たりませんね」
「そう‥‥いいわ。ありがと」
「では次はパチュリー様ですね」
「あら、よくわかったわね」
「長い付き合いですもの。途中までご一緒しましょう」
「あいよ」
「なるほど。でも、まさかレミィからそんなセンチメンタルな悩みを聞くとはね」
「言ってくれるわね」
美鈴と別れ図書館を訪れたレミリアは、パチュリーに対して先と同じく簡単に説明した。
その反応がこれであった。
「でもねえ‥‥私も別に、あなたに何かが不足しているとは思えないわ」
「そう?」
「館の当主としてはね。一人の人物として見た時には問題だらけよ」
「おーい、随分じゃないか」
「強いて一つ挙げるとするならば、そうね。おっぱ」
「おーい!」
「冗談よ。いや、胸が足りないのは本当だけど」
「もういいっての!」
美鈴よりもしつこく傷を抉ってくる親友に、レミリアも堪らず声を荒げる。
「それはさておき。そうね‥‥確かに先代、あなたのお父様は威厳と風格があったわね」
「‥‥何か思い出せる事とかある?」
「ん? そうねえ‥‥」
レミリアは意図的にパチュリーの記憶を引き出しにかかる。
自分と美鈴は美しい思い出を破壊されたのだ。
ここは親友にも同じ目に遭って貰おうと考えての事だった。
「まだ私が小さかった頃。そう、私の親が本の収集に躍起になっていた頃‥‥」
『おいノーレッジ(先代)! お前に借りた本を読んで魔法を試そうと思ったんだがな‥‥失敗して燃えた! 図書館の本の何冊かにも燃え移った!』
『ええ!? 何考えてるのよ! どれだけ貴重な本があると思ってるの!?』
『いやすまん。なーに、大丈夫だ。お前の旦那が消してくれたからな。はっはっは』
『‥‥なんとか消すには消したが、図書館の半分が燃え尽きた』
『いやああああ!』
「‥‥思い出さなきゃよかった」
パチュリーの持っていた本からメラメラと炎が吹き上がる。
思い出は美しいものばかりとは限らないのだ。
「まあまあ、落ち着いて落ち着いて」
その様子を見たレミリアは、満足そうに笑みを浮かべているのであった。
「と、とにかく。仮に威厳が足りないのだとしても、一朝一夕で身に付くものでは無いわ。現状維持が無難じゃないかしら」
「そうねえ‥‥」
「手軽にお父様に近付きたいなら、ヒゲでもはやしてみる?」
「パチェ、最近思考が美鈴に似てきたわね」
「それは困るわね。まあ、無理に色々やろうとしても、結局は破綻するだけよ。少なくともメイド達は今のあなたが好きで居付いているんだから、それに応えてれば主人としては合格じゃなくて?」
「‥‥そうね。うん、わかったわ。ありがと」
「どういたしまして」
パチュリーが本に視線を戻したのを確認すると、レミリアは図書館を後にする。
当初の悩みを解決する事は出来なかったが、それでも今の心は満ち足りていた。
そう、レミリアに今一番足りなかったのは、何よりも自信だったのだ。
その夜、レミリアと美鈴、パチュリーは夢を見た。
今となっては懐かしい、幻想郷に移住する時の夢だった。
『お父様! この世界はもう、私達の生きていける世界では無いわ!』
『そうです! ここにいても、自分が消えていくのを待つだけですよ!』
『私の父と母が調べたところによると、幻想郷という世界がある。そこでならきっと‥‥!』
三人の必死の説得に、先代の紅魔館当主は首を横に振る。
『西洋妖怪の象徴である吸血鬼、それも真祖である私がこの世界を離れてみろ。残された同胞達は失意に苛まれるだろう。私は残る。彼らの旗印としてな』
『お父様!』
『さあ、お前達は早く幻想郷へ行け。フランを頼んだぞ』
『お父様ぁ!』
『なーに、心配いらん。「運命」はお前達の味方だからな』
「って夢を見たのよねー‥‥」
「おや、私も全く同じ夢を」
「奇遇ね。私もよ」
翌朝、懐かしくも悲しい夢を見て飛び起きた三人は、少し早めのティータイムを開催していた。
もちろん、偶然や奇遇といった類のものでは無いというのは既に理解している。
それもその筈であった。
「今日は、紅魔館が幻想郷にやってきた日なのね‥‥」
「そうね。また一年が過ぎたわ」
「なんだかんだ、平和に暮らせてますよね。フラン様も落ち着いたし、咲夜さんを始めとして、メイドもたくさんいて」
「そうねえ‥‥もしかしたら、お父様が何かしたのかしらね」
「忘れられたくなくて?」
「あはは、旦那様なら有り得そうですね」
「死してなお他人に影響を及ぼす‥‥見習いたいものね」
紅魔館には珍しい、しんみりとした空気の中、和やかに時間は流れている。
そんな時だった。
「む! 何奴!?‥‥なんて、こんなところに一瞬で来れるのなんて、八雲の隙間妖怪だけですよねー」
「何か紙を落として行ったわ。これは‥‥封筒?」
「差出人不明、宛て先は紅魔館‥‥怪しさマックスね」
「ま、開けてみましょ」
僅かばかりの警戒と共に封を切る。
すると、中には一枚の手紙が入っていた。
「これは‥‥?」
『レミィ! 元気にしているか? パパは元気だぞ。ついでにノーレッジ達も元気だ。』
「‥‥え?」
「あの‥‥これって‥‥」
「え? いやいや、うちの親も?」
『念のため言っておくが、レミィに美鈴、パチュリーよ。
お前達、我々を勝手に殺してないだろうな?
最近は人間達の間で吸血鬼をモデルにした作品が人気らしくてな。何とも景気のいい話だ。
お陰で大分落ち着いたから、今年の記念日はお前達に手紙を出してみた。
そっちの世界の管理人に預けたから、すぐに届く筈だ。
フランも多分そろそろ何とかなってる頃だろう。
お前達に忘れられたら困るから、ちょいと力を使って懐かしい夢を見せた。
楽しかっただろう?』
「う、嘘‥‥」
「普通に生活してたんですね‥‥」
「えー‥‥」
すっかり脱力してしまった三人。
その時、レミリアがある事を思い出した。
「ねえ二人共。お父様の力、覚えてる?」
「え? えーと」
「たしか‥‥」
レミリアが答えを言う前に、手紙の追伸部分が彼女の目に飛び込む。
その内容は‥‥
『P.S. レミィよ。少しは胸も成長したか? パパはそこだけが心配だ』
「‥‥ぷっつーん」
「お、お嬢様? お気を確かに! 館内でござる! 館内でござる!」
「レミィ! 落ち着きなさい!」
「うがーーーーっ!」
先代スカーレット『ありとあらゆる者の運命を面白おかしく引っ掻き回す程度の能力』
のほほん紅魔
東方で一番紅魔が好きです。
パパさんのお茶目っぷりに和みましたw
貴様の娘は俺が頂(ピチューン
暴君ごっこの続きも気になります。
レミリアのオチが読めているのに笑えてしまう
しかしスカーレットパパは昔いろいろやっていたね~あそこまでトラウマを皆に残すなんて。
紅魔館のみなさんレミリアの胸は足りないのではありません、あれがいいのです!
異議は受け付けます。
汚名返上の任務にすら失敗したらそのまんまやられてそう
いや十分近づいているってw
つーかむしろ「この親にしてこの子あり」って言葉がピッタリですから
分かっていたのに笑ってしまいました。
私自身ほとんど「このセリフ」「この場面」を書きたい、っていう衝動でスタートするので、
他の作家様の作品を読みながら、【あ、ここだな、作者さんの書きたいところは】と
なんとなく当たりを付けることがあります。
本作で作者様がここを書きたかったと言っておられたのを見て、よっしゃー! ビンゴー!!
嬉しくなっちゃいました。間違いなく、肝、ですよね!
パパの「だははははは!」がもう一つのツボでした。
素敵な紅魔館の一日、堪能させていただきました。 ありがとうございます。
「お前ぶっ飛ばすぞ」
これを書きたいからってどんな発想したらこんな話になるんすか!面白かった!
コメ17、北の街から幻想入りして来るなww
もう色々パネェwww
たぶんパパさんは巨乳好きなので、その点は問題無いはず!?
>「おっぱいじゃないですかね」
>「お前ぶっ飛ばすぞ」
このセリフを交わせる主従関係最高です!
まあオッパイよりもまず身長の方をどうにk(スカーレットシュート
なんて愉快で気さくでダメな貴族なんですかっ!w
この性格、良い悪いで言えば悪いのかも知れませんが、実に愛嬌のあるものとして受け止められます。作中の登場人物たちにとっては、難儀なものなんでしょうけどね。